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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その154

b0083728_943077.jpg個人的経験:
ハイドンと言えば、「交響曲の父」として、
音楽史的には重要な存在だが、
演奏会で、それほど多く、
その交響曲が取り上げられる
ことはなかった。

また、それを目的に
演奏会に行く、というのも、
あまり一般的ではなかったかもしれない。



近年、私の経験でも、ハイドンの交響曲の演奏会と言えば、
広上淳一や、ロジェストヴェンスキーの指揮などで、
印象に残るものがあったが、
それとて、メインは別の曲目にあった。

しかし、ハイドンならではの魅力は確実にあって、
先般より紹介している大宮真琴氏の試みなどは、
非常に味わいのあるものだった。

私が最初にハイドンの交響曲の実演に触れたのは、
どこかの室内管弦楽団が、第44番か何かをやった時で、
ほとんど、クラシック音楽の初心者であった私には、
何が良いのか分からず、眠いのを我慢するので精一杯であった。

また、中学の終わり頃、第104番「ロンドン」を聴いたが、
この時もまた、特別な印象は残っていない。
もっと別の曲目だったら良かったのに、
と思ったくらいである。

ただ、それからしばらくして、
高校受験の勉強に取組んでいた頃、聴いていたFM放送で、
朝、弦楽四重奏の「ひばり」が流れ出した時には、
大変な新鮮さを感じた。
通俗的で申し訳のないカミングアウトであるが、
これこそ弦楽四重奏曲の喜びである、
と、教えられた感じであった。

実はこの放送を私はカセットテープに録っていて、
それで満足したのであろう、
その後、その曲のレコードを買いに行ったという記憶はない。

しかし、「ロンドン交響曲」については、
その頃、ザンデルリンクのLPの廉価盤が出たので、
買い求めて、持っていた。

有名な「告別交響曲」とのカップリングが良かった。

例えば、ラジオ技術社が出していた、
「クラシック廉価盤全カタログ’79」などを見ると、
当時廉価盤で、1000円少しで買えた「告別」は、
このザンデルリンク、ミュンヒンガーのモノラル盤、
そして、謎のレーハンなる指揮者が片面を占める、
メニューヒン指揮の3種しかなかった。

まことに寂しい限りである。

というか、ハイドンがロンドンで書いた、「ザロモン・セット」以外の、
彼の交響曲は、あと、ライナーの「V字」、
サヴァリッシュの「オックスフォード」があったくらい。
こうした状況が、ずっと続いていたのである。
ハイドンの交響曲は100曲以上もあり、
有名なザロモン・セットだけでも12曲もあるのである。
希少価値という点からもハイドンは不利なのである。
それに、どれが一番良いか分からんという問題が加わる。


レコードが少ないながらも有名なのは、
「告別」であって、この場合、上記のレコードの中では、
ザンデルリンクを選ぶのが順当のような気がする。
しかもドレスデンのオーケストラである。
とはいえ、ここに出ている寸評はひどい。
「ザンデルリンクはソ連出身の指揮者だが、
ドイツ人の血を引き、ドイツで教育を受けており、
ドイツ音楽が最も得意なレパートリー」とあるだけで、
この演奏が良いのかどうかさっぱり分からない。

ザンデルリンクは確か、ドイツ出身で、
ナチスのせいでソ連に逃げていたはずで、内容もおかしい。
断っておくが、ザンデルリンクは良い指揮者で、
最近でも、73年にドレスデン・シュターツカペレを率いた、
来日公演ライブCDが出て、私は、大変、感服させられている。

が、あのLPは、あまり好きになれなかった。
今なら、モノラルで何が悪いか、とミュンヒンガーを買うかもしれない。
当時はモノラル録音などは、よほどの通しか聴かないものだと思っていた。

ザンデルリンク盤はステレオだったかもしれないが、
音が硬く、しかも、片面に詰め込みすぎの感じで、
窮屈な印象のもので、全く満足できなかった。
こう書いていて思うのが、
やはりハイドンは、解放感を持って演奏して欲しい、
そして、そのあたりを感じさせる録音であって欲しい、
ということであろう。

先の「ひばり」の体験から言えるのかもしれないが、
休日の朝はこうあって欲しいと思われる音楽である。
音と音の編み目のような所の風通しが良い方が、
ハイドンらしい。そうした部分にこそ、ハイドンならではの、
爽やかさを感じる。
そして、直線的な単純さに、活力を感じる。

前回、アメリカの音楽学者、ロビンス・ランドンが、
ハイドンの交響曲についての研究成果を出した頃から、
ハイドンの演奏は変わって来た、という話があったが、
そのロビンス・ランドンが推薦したレコードが、
先年、グラモフォンからCDに復刻された。

何と、現代音楽の演奏で知られ、
あまり、一般には知られていない、
ハンス・ロスバウトが指揮したものである。

この指揮者は、洋泉社の「萌えるクラシック」という本などで、
ほめられているので、ここで改めて登場させるまでもないが、
その本では、「古典的明晰さをたたえた造形美がすばらしい」とある。
基本的にそれ以上に言うこともない。

ここには、92番「オックスフォード」と、
104番「ロンドン」が収められている。
1957年のステレオ前夜のモノラル録音である。
こうした曰く付きのレコードは、
確か、LP時代には再発売されなかった。
理由は簡単、モノラルだったからであろう。

現代音楽を得意とする人の演奏だけに、
非常にきりりとしたハイドン。
ハイドンの音楽の編み目がすっきり見えて、さすがと思えた。
ザンデルリンクも、CD化してみれば、印象が違うかもしれないが、
このロスバウト盤、ザンデルリンクで聴いた時より、
音質に無理がなく、自然に聴けるような気がする。
もう少し、低音に豊かさがあればいいのにと思うが、
オリジナル・イメージ・ビット・プロセッシングなので、
かなり丁寧に復刻されているとは思う。

そういえば、この、オリジナルズのシリーズでザンデルリンクが指揮をした、
ラフマニノフ(モノラル)などが出たが、あまり音が良くなくて、
売り払った記憶がある。
こんな事なら、ザンデルリンクの、
レコーディング・プロデューサーの名前を控えておくべきだった。

なお、このロスバウト盤には、プロデューサーとして、
カラヤン発掘で有名な、Elsa Schiller女史の名前があり、
レコーディング・プロデューサーの名前に、Wolfgang Lohseとある。

さて、このCDの表紙を見てみよう。
Art Directionの覧には、Hartmut Pfeifferとあるが、
イギリス王宮を模したシンプルな線描画である。
中央下部の噴水のみが、真上から見た円形なのがポイントだろうか。

着色は濃い緑と茶色、あと、イエローレーベルの黄色のみ。
空まで緑で塗りつぶした点もユニークだが、
最初、青い空にしてみたら、何だか薄っぺらくなったので、
緑にしてしまった、という感じがしないでもない。

まさか、青い空にイエローレーベルの色が滲むので、
苦肉の策で緑にしたわけではなかろうな。
私は、オリジナル・ジャケットには弱いのだが、
このデザインは、あまりにも陰気で、買うのを躊躇したという、
例外的な商品である。
この空、暗雲が漂っているような不気味さがある。
噴水の水も、深い緑で気持ち悪い。

良いように捉えれば、いかにも50年代を感じさせる、
現代美術を引用した風情がモダン。
もちろん、題材は、ハイドンが英国で作曲した作品にちなむのであろうが、
ここから、交響曲の父の作風をしのぶのは困難である。

さて、解説には、いきなり当時の批評が出ている。
「この最も良く知られ、愛されているハイドンの2曲の交響曲の、
素晴らしい演奏は、故ハンス・ロスバウトをしのぶのに相応しい。
グラモフォン(1963)」

ロスバウトは62年に亡くなっている。
追悼盤として出たことがあったのだろうか。

このCDには親切なことに、このロスバウトが、
何と、シュナイダーハンと録音したモーツァルトも併録されている。
この前、52年録音の「協奏曲第5番」をここでも取り上げたが、
今回のものは、それから4年後、56年の「第4番」である。
前回はライトナーの指揮であったのに、
何故に、ロスバウトに変えたのであろうか。

「シュナイダーハンの音色は、
音響として豪華すぎることなく、
それでいて終始美しい。
ロスバウトの伴奏も事実立派で、
第一級のオーケストラバランスは、
高く評価される。
グラモフォン(1957)」

さて、解説は、Bernhrd Uskeという人が書いている。
「1950年代に、有名なアメリカの音楽学者で、
ハイドンの交響曲のクリティカル・スコアを編纂した、
H.C.ロビンス・ランドンが書いた批評エッセイの中で、
入手可能なハイドンの後期交響曲の中では、
ドイツ・グラモフォンにある、
ハンス・ロスバウトのものが選ばれている。
数多くのすばらしい競合盤の存在の中で、
1956年と1957年に録音された、
ロスバウトの104番(ロンドン)と、
92番(オックスフォード)の演奏が、
最も傑出していると評されている。
ロビンス・ランドンはこれから数年のうちに、
さらに1ダースの『オックスフォード』交響曲や、
さらに1ダースの『ロンドン』が現れようとも、
このドイツ・グラモフォンのレコーディングは、
完璧なハイドン解釈として、歴史に刻まれようと予言して、
エッセイを結んでいる。」

これはすごい事である。
「Perfect」の単語の前の「the」はゴチックになっている。
前回のCD解説には、シェルヘンがいち早く、
ロビンス・ランドンの説を入れた録音をして、
そのレコード解説を、ロビンス・ランドン自身が行った、
という内容があったが、この予言を覆さないように、
この2曲は録音しなかったのだろうか。

いや待てよ、前回のCD解説には、ロビンス・ランドンが、
1955年に発表した、「ハイドンの交響曲」という研究以来、
楽譜解釈が変わって来たとあり、シェルヘン盤は、
1950年のものながら、「新版」を利用しているとあった。
しかも、解説はロビンス・ランドンだったはず。

この音楽学者は、自身が解説を書いた、シェルヘン盤以上に、
ロスバウト盤を評価していたのだろうか。
そして、ロスバウトは、ロビンス・ランドンをどう思っていたのか。
そのあたりはもっと知りたいところだが分からない。

シェルヘンのCDは、かつて、大量に復刻されたが、
ロスバウトは、鳴かず飛ばずだが、実は、そのシェルヘンのCDでは、
こんな言葉が紹介されている。
「1950年代、シェーンベルク以後の音楽を的確に表現できる指揮者は、
シェルヘンとロスバウトだけだった。」
これは、ブーレ-ズの言葉であるが、こうした現代的な切り口こそ、
ハイドンの明晰な音楽には相応しいということだろうか。
「シェーンベルク以後の音楽」を、
「ハイドンの音楽」と置き換えてもよいらしい。

さて、このロスバウト盤、解説はまだまだ続く。
しかし、ここまで、指揮者の魅力を語り尽くしたのも珍しい、
と言えるほどに、この解説者はロスバウトを愛している。
こうした解説は、どんどん読みたくなってしまう。

「これらの録音を40年後に聴く時(このCDの出されたのは98年)、
ロビンス=ランドンの予知は正しかったと言える。
スコアにおけるすべてのディテールの動きは正確に計算され、
全ての音楽エレメントが等しい重要さを持つ、
作品全体をクリアに把握できるようにバランスされていることは、
今日においても魅力的であり、これは現代音楽に、
生涯をかけて取組んだロスバウトの手腕に負うものである。
ハンス・ロスバウト(1895-1962)は、
厳格な前衛音楽の複雑なスコアへの通暁は、
特別なものとは考えておらず、
もっと伝統的な音楽における演奏や録音においても、
それを同様に豊かにするものと考えていた。」

意外にも、ロスバウトは、ハイドンを大切にしており、
このレコードが偶然の産物ではなく、
起こるべくして起こった名盤であることが以下の部分から読み取れる。

「今回の録音の他、4つのグラモフォンへの録音があり、
ラジオ放送用への30もの録音がある、
ハイドンは、特に、こうした取り組みによって、
映える作曲家の一人であった。
形式の組立と表現の吟味を等しく捉えたハイドンの音楽の、
特に先進的な点をロスバウトは評価している。
これらの録音の中で、
調性を拡大した利用や巧妙な転調、
形式や無限のニュアンス、
そしてムードの変更の計算などを通じ、
我々は、かつてエステルハーツィの楽長が、
この百年、どうしてヨーロッパで、
交響曲の父と呼ばれて来たかを知るのである。
重要な木管の活用、洗練された弦楽の演奏、
精緻で優雅なアーティキュレーション、
巧妙なドラマ性のコントロール。
こうしたものは、ロスバウトの、
巨視的な全体把握と繊細なディテールによって、
もたらされたものである。
これらは最小のリズムのニュアンスから、
活気あるクライマックスの瞬間まで、
行き渡っている。」

もう、これで十分、ハイドンへの傾倒ぶりは分かるというものだが、
さらに詳細を切り込んで行く点に好感を持った。
私は、この解説はかなり高得点を付けたくなる。
ロスバウトのみならず、
ハイドンの魅力をも説き起こして行く点が素晴らしい。

「ロスバウトの指揮によって、ハイドンの芸術の、
まさしくエッセンスが抽出されている。
例えば、田舎風の民謡風のアンダンテの主題が、
表現力豊かな重みを全楽章に行き渡らせていること、
無邪気なメヌエットを装いながら、各パッセージが、
遠い、忘れかけた記憶を、憧れを持って呼び起こす様など。」

この一文、非常に味わい深い。
アンダンテの楽章は、「ロンドン」交響曲の方である。
(「オックスフォード」はアダージョ。)
ここでは、確かに、田舎道を歩くような、屈託なく、
日常的な、ある意味、呑気なメロディが印象的。
このシンプルな主題が発展し、
やがて、壮大な楽想へと発展していく所が聞き所であろう。
これはさらに、勇ましい歩みを見せて、
遠くに行ってしまいそうになるが、
ふと我に返って、孤独な内省的な音楽になるなど、
表現の幅がものすごく広い。

また、「メヌエット」というのは、どちらの交響曲にもあるが、
「遠い憧れを想起させる」というのは、「ロンドン」の方の、
神秘的で鄙びたトリオの事だろうか。
繰り返される木管の警告音が、そうした感じを与えなくもない。
メヌエットに戻る直前など、その陰影の移ろいは、
完全に、シューベルトを予告している。

このあたりを聴くと、少年時代のシューベルトは、
先達の音楽を模倣しながら、それをどうしようとしたのだろうか、
などと考えてしまう。
シューベルトは、それに近づきたいと考えながら作曲していたのか、
それとも、これを越えようとして作曲していたのだろうか。
ひょっとすると、そこに、何か萌芽のようなものを見つけ、
それを大きく発展させることに夢中になったのだろうか。
何となく、そんな気がする。

私は、これに続く、終楽章は、昔から好きであった。
ハイドンらしい、シンプルで力強い、推進力のある主題が、
大きなうねりを見せながら突き進む中、
これまたロマンティックな表情が現れる瞬間に、
ぽっと、心が揺さぶられる。

この交響曲、こう聴いて行くと、
「ロンドン」交響曲などと、抽象的な名前ではなく、
「人生交響曲」とでも呼ぶのが適当のようにも思える。
ハイドン63歳。その交響曲群の集大成であり、かつ、そこに、
人生における様々な感情や気持ちの綾が織り込まれている。
回想の音楽まであるとすれば、もはや、ハイドンは、
ここにすべてを注ぎ込んだと考えるべきであろう。

この交響曲、序奏からして壮大であると共に、
悲愴な情感が漲り、あたかもハイドンが自らの交響曲群を葬る際の、
弔辞のようにも聞こえなくもない。
しかも、それに続くアレグロは、素晴らしい希望を運び、
ハイドンならではの屈託のなさに、晴れやかな澄んだ空の色までが見える。

12曲のザロモン・セットの1曲としてではなく、
唯一の1曲として聴くべき作品なのであろう。
先の廉価盤カタログでも、「告別」の3種とは違って、
カラヤン、マルケヴィッチ、ビーチャムと、名匠の演奏が並び、
ヴェルディケの指揮のものもある。

改めて、人気作は、と見ると、
94番「驚愕」が6種、100番「軍隊」が5種、
101番「時計」が11種と、何だかかっこわるい、
「時計」交響曲が、ハイドン1の人気作であったことが分かる。
こうした点は、ハイドンその人の人気にも影響が出たに相違ない。

「オックスフォード」の廉価盤などは、
サヴァリッシュのが一種あっただけのようである。

この曲は、ザロモン・セットではないが、
終楽章にプレストの指示があって、素晴らしい推進力である。
しかし、幾分、気まぐれで、さすがに「ロンドン」の風格はない。
本来、ハイドン56歳の時、
フランスのドーニ伯爵から依頼があって書かれたもので、
後年(3年後)、ハイドンがこの大学から博士号を授与された際に演奏されて、
以来、このように命名された。
ザロモンの演奏会でも演奏された自信作、または人気作であった模様。

確かに、活力に溢れた見事な作品で、
美しいアダージョに現れる侘びしさや、
メヌエットに見る典雅さを経て、
終楽章のプレストまで一気に聴かせ、
なおかつ、格調も高く、まじめな本格的な作品と思える。

まさに、ロスバウトとベルリン・フィルの一糸乱れぬ、
見通しのよい演奏で映える作品である。

しかし、下記、文章を解説で読むまで、
演奏がベルリン・フィルということは忘れていた。
特に、ベルリン・フィルらしい印象はないものの、
鋭敏に指示に即応して、さすが世界最高のオーケストラ、
というような感じがする。
「ドナウエッチンゲン音楽祭で、
数多くの現代曲初演を手がけた猛者(ロスバウトのことである)が、
完璧なオーケストラ制御を聴かせ、
1956年から57年のベルリン・フィルが、
フォーカスの合った立体的な演奏を聴かせている事にも、
今日の我々は魅了されずにはいられない。」

以上でハイドンの解説は終わって、最後にモーツァルトの解説となる。

「1956年3月14日と15日、
『ロンドン』交響曲の2、3日前に録音された、
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番
ニ長調K218にも、同様の完成度が認められる。
エクス・ヴァン・プロバンスにおける
伝説的なオペラ上演から明らかなように、
ロスバウトは優れたモーツァルティアンであり、
この幾分、モーツァルトのセレナーデの気楽な雰囲気を残す、
この協奏曲においても、スタイリッシュな燃焼と、
ドラマティックな落ち着きを持って取組んでいる。」

「ロスバウトはハイドンが良い」と書いたそのすぐ後で、
実は、モーツァルトも良いのだ、という二枚舌風の展開は、
今回、無理なカップリングの影響とて仕方ないとしよう。
ちょっと、拍子抜けするが。

が、やはり、こんな風に書かれると、
すぐに、このコンビによるモーツァルトも、
これまた、聴きたくなってしまうのも確か。
「明確で強靱な展開によるシュナイダーハンの、
見せ物に堕さない音楽を、
ロココ風の優美さから完全に離れた表現力で、
内容豊かにロスバウトは支えている。」

まことに折り目正しいモーツァルトである。
ぴりりと張った空気の中、モーツァルトの表情は引き締まって頼もしい。
これは、前回、シュナイダーハンの弾いた、
ライトナーとの「5番」でも書いたことだが。

モノラル録音だが、とてもみずみずしい録音で、
この二人の直裁的な美学が香る音楽となっている。

ここまで徹底されると、彼らがモーツァルトを、
通俗から救いだそうと全霊を上げて、取組んでいる様に、
敬服せざるを得ない。
私は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲では、
楽天的で魅惑的なメロディゆえに、この「第4」に一番愛着があるため、
ここまで端正に集中されると、
本来の、セレナーデ風の愉悦感から遠のくような気もする。

が、一方で、独奏と管弦楽の掛け合いなど、正確無比な繰り返しにも見え、
まるで、工場で、部品が次々に出来上がって行く様を思わせる。

そうした見方をすると、ひたすらストイックと言うわけでもなく、
まさしく、1950年代の夢を乗せた、ゴージャスな音楽と見えなくもない。

だとすると、おそらく、アメリカ人、ロビンス・ランドンが、
ひたすら楽譜とにらめっこしていた原動力が、やはりまた、
そこにあったのではないかとも思えて来るではないか。

今後、1ダースの演奏が出ようとも、これが最高、
といった考え方には、正直、私はついて行けないような気もしている。
そんな事が簡単に決められるのであれば、
世界中には一握りのレコードしか残らなくなってしまう。
こうした、レコード探訪は、まったく時間の無駄としか言いようがなくなる。

得られた事:「1950年代の美しい夢を見、かつそれを実践出来た人として、ロビンス・ランドンとロスバウトは同じ土壌にあったと見た。」
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by franz310 | 2008-12-28 09:47 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その153

b0083728_23221534.jpg個人的経験:
前回、
パウムガルトナーの
CD解説を、
ハイドン研究で高名な、
大宮真琴氏が
書いているのを見て興奮、
ついつい、
パウムガルトナーの
ハイドンのCDも、
買って来てしまった。


私は、氏の指揮するコンサートに、何度か通ったが、
最初は、解説を期待していたにすぎなかった。
というのは、音楽の友社から出ていた、
「大音楽家・人と作品」シリーズの「新版 ハイドン」の著者が、
この人だったからである。
「日本で研究された最初のハイドン伝」と自負し、
「私はまず、ハイドンの生涯に関して、
正確なドキュメントを探求することから
始めなければならなかった」と書いているように、
この交響曲の父の、生涯を生き生きと描くと共に、
その膨大な作品の一つ一つを慈しむように概観しており、
実に適切に、ハイドンの聴き方を教えてくれている。

ほとんどの作品を平等に解説するために、
もっと書きたいこともあったのだろうが、
個々の曲はこの本では簡潔に触れられているにすぎない。

例えば、初期の名作である三部作なども、
「この三曲は、明らかに標題的な意図をもっており、
しかもハイドンの標題交響曲は、
この後一曲も作曲されていない。
管楽器の独創的取り扱いのほか、
弦にもヴァイオリン2、チェロ1の独奏楽器を持つ、
協奏交響曲の様式で作曲されている」とあるだけ。

しかし、実際、横浜で、
このうちの交響曲第六番「朝」を演奏した時には、
「ここで兎が飛び出す描写があります」などと、
今まで、レコード解説でも読んだこともなかったような、
興味深い解説を、実演も挟みつつ、繰り広げてくれたのである。
そして、この後、全曲が演奏される時に、聴衆はみな、
そのフレーズがどこで出て来るかを楽しみにして、
まるで、エステルハージ家の一員になったような感じであった。

ついに、私は、この本を持って、
楽屋を訪れ、サインを貰うに到った。
氏はにこやかに、私が差し出した、
自らの著書を手に取って、さらさらとドイツ語を書いてくれた。
「23.Aug.1922
Meine Sprache versteht man in der ganzen Welt
大宮真琴」。

「これは、ロンドンに旅立つに当たって、
別れを惜しむモーツァルトに語った言葉です。」
そう、モーツァルトは、遠く旅立つ年配のハイドンの健康を心配して、
「パパ、あなたは広い世間をご存じないし、
外国語だってほとんど話せないのに」と言ったが、
ハイドンは、「いや、私の言葉は世界中の人が理解してくれます」と、
若い友人に答えたという逸話にもとづく名句。

ハイドン研究者の座右の銘に相違あるまい。

こんな経験があったので、
先のモーツァルトの交響曲の解説が大宮氏であったのを見て、
パウムガルトナーのレコード、しかもハイドンなら、
絶対、大宮真琴氏の解説だと信じていた。

しかし、今回は、当てが外れてしまった。
別の解説者が、ハイドンの交響曲を、
パウムガルトナーは、あえて、「旧版」による演奏であることを書いている。

大宮氏が、あの著書で、「第二次大戦後、世界のハイドン研究は
急速に発展しつつある。しかもなお研究は困難をきわめている」
と書いているように、ハイドン演奏はこの時期、転換期にあったようだ。

解説には、アメリカの音楽学者、H.C.ロビンス・ランドン(1926~)
が、1955年に発表した、「ハイドンの交響曲」という研究以来、
楽譜解釈が変わって来たとあり、この演奏は60年の演奏ながら、
この「新版」解釈を採用していない点を評価し、
「筆者は『旧版』の方がはるかに美しいと感じる・・
芸術表現では文献学より美意識が優先されるべきだ」
と書いている。

1962年に書かれている、大宮氏の著作でも、
「ハイドンの生涯は、さまざまな伝説に粉飾されており、
その作品も多くの誤謬を含んだまま演奏されてきた。
たとえば、ハイドンの音楽の中で最も広く知られ、
また最もひんぱんに演奏される
『驚愕』や『軍隊』や『時計』といった交響曲にしても
流布している楽譜には、無数といってよいほどの誤謬が含まれ、
多くの場合、それがなんの躇いもなく演奏されているのが実情である」とあり、
「最近のハイドン研究は、こういった誤りを続々と発見し、
学問的な方法による新しい校訂によって、正しい姿を示そうと努力している」
とあるから、いくら、ザルツブルクで感銘を受けた先達とはいえ、
パウムガルトナーの解釈には、抵抗があったとも考えられる。

また、第三版の付記では、「さまざまな形で研究援助をしてくれる
ロビンス・ランドン氏にも」感謝の意を表するとあるから、
大宮氏は、ランドンとも関係が深かったようである。

ランドンが指摘した、
ティンパニが、ピアニッシモから高まっていくのは、
本来なら、フォルテッシモで開始されるべきだ、
という交響曲第103番「太鼓連打」の冒頭からして
大宮氏はさぞかし困ったに違いない。

しかし、どの時点の研究成果か、
先の著作「新版ハイドン」では、
「ハイドンによる直接的な楽譜資料には、
ダイナミック記号がいっさい書き込まれていない」とある。

パウムガルトナーはピアニッシモで始めたが、
CDの解説では、
「序奏から遅いテンポによる深沈とした表現が味わい深い」と、
旧版に倣ったことを評価している。

確かに、手元にあったチェレビダッケのCDなどでも、
いきなり、太鼓連打をぶちかましている。
アーノンクールは、未開人の鬨の声みたいで、
その後はやたらものものしいので、
それまでで十分楽しめるので、
主部を聴かなくてもいい感じ。

さて、このCD解説によると、
すでに、1950年録音のシェルヘン指揮の録音では、
すでにランドンが解説を書いていて、シェルヘンは、
太鼓を打ち鳴らし、ランドンの研究結果を踏襲したとある。

ランドンが1926年生まれなら、24歳の学生上がりである。
そんな若造が発表した研究結果を、1891年生まれで、
当時59歳のシェルヘンが受け入れたということで、
これはこれですごい事である。

私はランドンは、もっと昔の人かと思っていた。
大宮真琴氏は1924年生まれとあるので、
ランドンの方が若いということになる。
強力なライバルであったわけだ。

巻末に1979年時点でのハイドン全集の一覧があるが、
リラ協奏曲やリラ・ノットゥルノの覧には、「大宮真琴校訂」とあり、
ミサの覧には、「ロビンス・ランドン校訂」と見える。

私が聴いた夏のマチネーは、92年だったので、
大宮氏は、68歳だったのだろうか。
高齢には見えたが、非常にエネルギッシュな指揮で、
大きな手のひらの動きが印象的であった。

パウムガルトナーは、1887年生まれなので、
このハイドンを演奏した時が、1960年なので73歳。

ということで、この御法度の「旧版」使用の、
パウムガルトナーのハイドン、どんな感じであろうか。

大宮真琴氏の演奏で、これらの曲があったかは忘れたが、
残念ながら、夏が過ぎると、私は出張等もあって、
券は当たったが行けなかった演奏会もあった。
後期のハイドンの曲は、あのとき、私は、
横浜で聴けなかったと記憶している。

パウムガルトナーの指揮、
ものすごく神経質に表情をつけていて、
確かに、太鼓連打からして、非常におどろおどろしい。
この最初のティンパニだけで、何か期待を高める効果があり、
続く管楽も弦楽も確かに神秘的な雰囲気を湛えている。

全体にゆっくりと、しかもリズムを際だたせて、
各楽器の強奏にも生命力を漲らせており、
序奏部の不気味さも、続く部分の活力を暗示して、
はち切れそうな緊張感を湛えている。

序奏をどう料理したかは分からないが、
大宮真琴氏も、何となく、このような演奏をしていたように思われる。
新版、旧版という主義主張は違っても、きっと、
同様の音楽作りであることの方が、印象に残るに違いない。

パウムガルトナー盤の「太鼓連打」の第二楽章も、
ヴァイオリンの長いソロ、
時折、吹き鳴らされる管楽器のアンサンブルも良い。

第三楽章でも、ハイドンへの愛情が滲み出ており、
このメヌエットの武骨なリズムを、
じっくりと堪能できるように強調してくれている。

第四楽章でも、あえて、音楽が停滞させてでも、
ヴァイオリンがリズムを刻む中を、
チェロ群の美しさを際だたせてみせたり、
急に思い出したかのように、推進力を注入したりで、
あの手この手を繰り出してくれる。

時折、空に向かって駆け上がるかと思えば、
まるでシューベルトのように、
地上の花々を賛美しはじめるような瞬間がある。
多くの指揮者は、この花畑を踏み荒らして、
突進してしまうが、どうやら、パウムガルトナーは、
それが嫌みたいである。

ぎこちなく、シャープさはないが、
エレガントな作法かもしれない。
これは、ハイドンが、オーストリアの片田舎の音楽が、
そのまま、大都会で、いや、全世界で通用することを、
心から信じ切っていたことを思い出させる。
何だか、何度も聞き返したくなるような音楽である。

ちなみに、シューベルトは、学校のオーケストラで、
ハイドンをよく演奏したが、これは、1812年頃のことなので、
ハイドンの死後、何年も経っていない。

先の大宮氏の著書を見て驚いたのが、
ハイドン全集の「カノン」は、
「オットー・エーリヒ・ドイッチュ校訂」(1959年)
とあった事である。

シューベルトの作品を分類して、ドイッチュ番号を付けた人であるが、
ハイドンの校訂にも関与していたようだ。
気になって、音楽辞典を開いてみると、
この人も、思っていたより最近の人であった。
1883年生まれで、パウムガルトナーと4歳しか違わない。
亡くなったのは67年とあり、これまたパウムガルトナーの4年前。

しかも、シューベルトの権威になったのが、
1913-14年の、「シューベルト、その生涯と創作の記録」による、
とあるので、何と、30歳かそこらで、
この分野の頂点に立ったということだ。
この後、50年もの人生があったわけだ。

何と、書店業を営んだとか、戦争中はイギリスに逃れたとか、
いろいろあったようだが、ヘンデルやモーツァルトの研究もし、
著作もものしていたらしい。
ハイドンについては書いていないが、
70歳を過ぎてからもなお活躍と見るべきか。

今回も、大きくシューベルトの「ます」から脱線しているが、
かろうじて、こんな繋がりを発見した。
ドイッチュは、1912年頃、ヴィーン大学にあって、
パウムガルトナーは同時期にヴィーン大学を出て、
歌劇場の練習指揮者をしていたようなので、
何らかの繋がりがなかったのだろうか。

さて、先のCDにはもう一曲、交響曲第100番「軍隊」が、
収められている。
大宮真琴氏が、こういった有名曲ですら、
間違った楽譜で演奏されている、と名指ししたものである。

CD解説によると、第一楽章第一主題のフレージングが、
旧版と新版で違っていて、
新しい「ランドン版」では1小節目の3つの音を、
スラーでつなげる、と書いている。

解説では、旧版の方がリズミカルで、「はるかに美しい」とある。
確かに、最初、私が聴いて、すぐに妙にカクカクと刻むものだな、
と思ったが、解説を読んで、なるほどと思った。

が、その程度のことで、「はるかに」かどうかは微妙。
ワルターの1938年録音の旧盤などは、
スラーではないが、テンポが遅いので、
音が繋がる感じでスラーとそんなに違わないような気がする。

大宮真琴の本には、「軍隊」の旧版の何がまずいかは、
具体的には書かれていないので、氏の語る「正しい姿」というのは、
実は、私には分かっていない。

b0083728_23223917.jpg例えば、80年代の
カラヤンのCDなどで、
この部分を聴くと、
確かに、
スラーで滑らかに
演奏しているようだ。
これを聴くと、
やはり、
パウムガルトナーの方が、
良いのではないか、
などと思ってしまう。

カラヤンの指揮姿が脳裏に描き出され、
いかにも、目を瞑って指揮しやすいようになっている感じ。

第二楽章は、「軍隊」の名が付けられたとおり、
軍楽を思わせる打楽器群が、どんちゃら鳴るが、
パウムガルトナー盤は、非常にあっさりしていて、
音楽の流れを止めることがない。
「太鼓連打」では、やけに落ち着いたテンポを取っていたが、
何故か、ここでは、さっさと通り過ぎて行く。
トランペットが鳴り響くが、ほどよい強奏。
私には、こんな表現の方が好ましく思える。

第三楽章のメヌエットは、弾力あるリズム感が楽しい。
激しいが軽めの低音へのアタックが、こうした効果を生んでいる。
木管が響く時に、テンポが少し遅くなるところなど、
恣意的かもしれないが、
いかにも音楽が息づいているように聞こえる。

終楽章の軍楽部分も、自然に感興が乗って来るような愉悦感が嬉しい。
初めはゆっくりと、しかし、次第にテンポにも活気が出て来る。
こうした表現は、古くさいと感じるべきなのだろうか。
いきなり、楽想が中断したりして、
ブルックナーのように聞こえる瞬間もある。

b0083728_2323994.jpgこのような演奏を行った
パウムガルトナーは、
ワルターを師とし、
カラヤンを
教え子とするので、
実は、カラヤンは
ワルターの孫弟子のような
感じになるが、
まったく、
この二人の「軍隊」から
見える姿は異なる。


ワルター/ヴィーン・フィルの録音から、
パウムガルトナーの録音は、22年を経ており、
パウムガルトナーの録音から、カラヤン/ベルリン・フィルの録音は、
ほぼ同じ歳月、約22年を経て実現している。

中間地点にありながら、パウムガルトナーの表現は、
はるかにワルターに近い。
ちなみにワルターは1876年に生まれ、
カラヤンは、1908年生まれであるから、
世代的には1世代しか違わない。
パウムガルトナーは87年生まれなので、
背負う時代がワルターに近かったのかもしれない。

先の二人のような名声のあるオーケストラではなく、
自ら創設した楽団での演奏、その能力の限界もあったかもしれないが、
パウムガルトナーの演奏は、噛んで含むような音の動きである。
それが、高速道路で移動する時代とは違う時間の流れを感じさせる。

実は、カラヤンの演奏、序奏部などは、
息を潜めるようにゆっくりなのだが、
主部が始まると、先の主題の軽やかさもあるせいか、
ハンドルさばきも快適に、次のサービスエリアを探すような演奏となる。

また、アレグレットの第二楽章なども、非常に静かに繊細に演奏しているが、
これが軍楽部の盛り上がりとの対比のためであることは言うまでもない。
メヌエットはゆっくりで、プレストは速く、
ダイナミックレンジも、速度の変化も広く、表現の幅が広い。
さすがベルリン・フィル。
非常に、緻密に計算された、リッチなハイドンである。

これと比べると、パウムガルトナーの演奏は、
ずっと、木訥なもので、
いろんな楽器が寄り添って合奏している感じが好ましい。

今回のCDも、前回と同様、オイロディスク(Eurodisc)のものだが、
ヴィンテージ・コレクションという割に、
レーベルの由来なども解説に入れて欲しいものである。

いったい、このレーベルは、パウムガルトナーに、
何を託したのだろうか。
単に、メジャーレーベルと同様のレパートリーを、
手持ちのコマで手早く録音して発売したかっただけだろうか。

そもそも、表紙写真は、
ロンドンの衛兵を隠し撮りしたみたいなもので、
奇妙奇天烈。
衛兵の向こうには見物人もいて、
駐車している車も雑然としている。
木陰なのか、何となく、露出もアンダー気味で、
プロが撮った写真とも思えない。
ハイドンがロンドンで作った作品だからと、
あまりに安直なデザインではなかろうか。

手作り感はあろうが、この写真では、
パウムガルトナーの演奏の得難い美質は伝わって来ない。
こうした町中の風景でないものを、
この演奏からは感じずにはいられない。

テンポの変化がある時には、何か、立ち止まって見るべきものが、
そこにあるということであろう。
学者であり、教育者であった人であれば、こうした表現が、
おそらく、ごく自然な表現であったに違いない。

これを聴いた後で聞き直すと、
終楽章など、ワルター/ヴィーン・フィルの方が、
ずっとあっさりした表現であるので耳を疑ったほどだ。

それにしても、これらのCD、
ジャケットの美しさは、カラヤンのものが格別である。
ちょうど、この時期、クリスマスに欲しいのは、
こうした華やかさであろう。
さすがグラモフォンと思わせるものがある。
このデザインだけでも、コレクションしたくなってしまう。

演奏のリッチさや、ハイドンが憧れた、
ロンドンの様子などまでも伝わってくるようである。

一方、SPからの復刻のオーパス蔵(OPUS KURA)盤、
とても意欲的な企画。
ここでは、日本版SPとフランス盤SPを比較復刻という、
前代未聞の驚愕企画を成し遂げ、なお、
モーツァルト、シュトラウス、マーラーまで収め、
もう行け行けとしか言いようがない。

このレーベルには、カラヤンと近衛秀麿のモーツァルトを比較した、
奇想天外の盤もあった。日本の誇るべきレーベルといえよう。

得られた事:「学究派が、最新の研究成果をあえて無視してでも表現したかったものが、パウムガルトナーのハイドンにはある。」
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by franz310 | 2008-12-20 23:36 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その153

b0083728_973434.jpg個人的経験:
もう、20年近くなるだろうか、
横浜の県民ホールで、
ハイドンを取り上げた
演奏会シリーズがあった。
往復葉書の抽選性の
無料コンサートだった為、
人気があって、
当選しないことがあったので、
私は、何枚も葉書を出したものだ。
郵政省は儲かったことと思う。

どういった経緯で集められた楽団かは忘れてしまったが、
研究者として知られていた大宮真琴さんが、
自ら、指揮棒を持って、見事な演奏を聴かせてくれ、
なおかつ、示唆と滋味に富む解説が、
これまた、味わい深かったものである。

前回、ベルンハルト・パウムガルトナーの指揮した、
ザルツブルク音楽祭におけるマチネーについて取り上げたが、
最近、オイロディスク・ヴィンテージ・コレクションで復刻された、
パウムガルトナーのCDの解説を、
あの大宮真琴さんが書いているのを見て驚喜した。

1972年のLPからの転載とある。
この時代のLPに、こんなに豊富な情報量の解説があったのか、
と改めて驚いてしまった。
よく分からないが、私の印象では、当時のLPでは、
もっぱら、作品の啓蒙活動が主眼とされた解説が多く、
演奏家に対して、これだけたくさんの記述があるのは、
珍しかったのではないだろうか。

そこまで、大宮氏は、パウムガルトナーに惚れ込んでいる。
どうやら、氏は、ザルツブルクで、音楽堂の講堂や、
聖ペーター教会で、この指揮者の演奏会に接したようで、
非常に大きな感銘を受けたことを書いている。
「パウムガルトナーの大柄な身体全体が、
モーツァルトへの愛情の中でひたひたと揺れ動いているような演奏ぶり」
などと書いている。

それは、そのまま、あの横浜のハイドン演奏会シリーズでの、
大宮真琴氏の演奏姿そのままと言っていい。
氏は大柄ではなかったが、非常な情熱を持ってアンサンブルを鼓舞し、
舞台上では、本当に大きな存在に見えたものである。

そして、パウムガルトナーの、
有名な協奏曲と、無名の交響曲に、声楽作品を組み合わせた、
モーツァルテウムでのマチネーが、
ひょっとすると、
大宮真琴氏の理想の演奏会だったのかもしれない、
などと思いを馳せるのである。

私の中でも、あの演奏会は、非常に心温まるものとして、
心に残っている。
演奏の完成度も高く、確か古楽器の演奏ではなかったと思うが、
要所要所でオリジナル楽器の紹介をしていたような記憶がある。
ハイドンの時代を紹介しながら、
ハイドンを現代に蘇らせるように、
作品に息を吹き込むことに主眼を置いた演奏だったと記憶する。
繰り返しになるが、非常に素晴らしい演奏で、
無料だったというのだから、まるで夢のような話であった。

押しかけた人々も、その時には、
その演奏会の真の価値には気づいておらず、
ただただ、大宮氏の解説に微笑み、笑い、思いを馳せ、
知らず知らずのうちに時を過ごしていたのである。

そういえば、あれもマチネーであった。
大宮氏の心の中では、パウムガルトナーとの会話があったに相違ない。

今回、このCDを入手して、ようやく、
私もあの演奏会シリーズを思い出し、
改めて素晴らしい企画を立ててくれた、
県民ホールか県か、とにかく、大宮先生を含め、
関係者に感謝したい気持ちである。

あるいは、バブル崩壊前の束の間の夢だったのだろうか。

さて、このCDに聴くモーツァルトの「ジュピター」と「ハフナー」も、
まさしく、ザルツブルクのマチネーシリーズを担当した楽団、
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカが受け持っている。
1958年7月、ザルツブルクでの録音とある。

この前の、マチネーの記録が1957年8月の記録であったから、
それから1年も経っていないが、非常にみずみずしい録音。
しかも、ステレオとある。

まさしく、音楽に息を吹き込んでいくような演奏で、
音楽が膨れあがって、勢いがある。
さすが、「ジュピター」といいたいぐらいに、
さまざまなものを放射して突き進む感じである。
「英雄」的なジュピターで、提示部の繰り返しを実行し、
第一楽章だけで、11分半もかけている。

当時のレコードは、ワルター、ベーム、カラヤン、フリッチャイ、
イッセルシュテット、クーベリック、どれも7分半から8分半で演奏している。

この放射する感じは、指揮者とオーケストラが、
一体となって興奮しているために自然にそうなった事もあろうが、
各楽器が、強めのアクセントで、
気合いを入れるように奏されているからと思われる。

また、第二楽章は、瞑想的とも言えるような表情で色濃く色づけられており、
まさしく、「英雄」の「葬送行進曲」が見え隠れする。
木管楽器の音色も、ほとんど現実の世界のものとは思えない。

かなり早めに押し切っている第三楽章でも、
時折見せる、幻のワルツのような儚さも美しい。

第四楽章も、深い低音に、牧歌的な木管の響きが印象的で、
色彩的には豊かであるものの、噛みしめるようなテンポで奏され、
これまた、筋肉がぱんぱんに張った感じ。

ものすごく力の漲ったモーツァルトで、
前述のように、現代に限りなく引き寄せて、
隣人として付き合うべきモーツァルトとなっている。

「ハフナー交響曲」も、楽器が鳴り切っている感じで、
非常に恰幅がよい。
第一楽章も、私はこれまで、もっと一直線の音楽と思っていたが、
いろいろな声部が自発的に鳴り響き、
まさしく祝典的な華麗さを放っている。
これがまた、いいではないか。
この曲の場合、速いテンポでありながら、
立体的な広がりも感じられ、
一本調子になっていないのが良かった。

ただし、全体的に、興奮しているので、
優美さとか、典雅さのようなものは犠牲になっている。
こういったハイな気分に共感できない時には疲れる演奏かもしれない。

私は、同じ1958年7月の録音なら、長く愛聴してきた、
ハンス・シュミット=イッセルシュテットの演奏に、
その自然体の充実、天上的な趣きゆえに軍配を上げたいが、
パウムガルトナーのものは、おそらく、別次元で語られるべきものであろう。

この演奏は、パウムガルトナーの生き様を反映したものでもあろう。

それにしても、何故、1972年にもなって、
58年の録音が出て来たのだろうか。
「この機会に、彼の残した偉業を反芻してみるのは、まことに意義深いことだ。」
と解説にあり、
71年の7月27日に、パウムガルトナーが亡くなったことが。
解説にあるので、追悼盤も兼ねていたのだろうか。
だとすれば、詳細な解説も理解できるというものである。

このCDの解説には、前回のオルフェオ盤にも増して、
パウムガルトナーに関する情報が載せられているので、
合わせてこの人についての勉強が出来る。

例えば、父親がピアニスト、母親は歌手で、
ピアノやホルンなども学んだとある。
また、
「モーツァルト伝」というのが有名な著作である他、
前のCDにも紹介があった、
シューベルト研究(1943)、バッハ研究(1950)という著作の、
出版年も明確になった。

彼は、戦争中は、亡命先のフィレンツェで、
モーツァルトの初期の研究をしていたはずだが、
シューベルトの本も出していたということだ。

しかし、同名の人が、シューベルトに、
「ます」の五重奏を依頼したことについて、
この著書の中では何か触れられているのだろうか。

彼は音楽院の教授であったが、一方でオーケストラを組織し、
ロンドンに演奏旅行までしているようなので、
完全に型破りの人物である。
さすがに大宮真琴氏も、海外遠征はしていなかったと思う。

「教育者、学者、そして指揮者を一身に兼ねた活動をしめした」とあり、
それがゆえに、「つねに傾聴に値する」と解説にはある。

また、このCD、曲目解説も充実しており、
CDのブックレットで3ページ半に及ぶ。
分析的でありながら、曲の良さを全面に出したもので、
まずは満足すべきものである。

表紙デザインも、時代を感じさせるが、格調高いもので、
ザルツブルクの古い展望図に、ジュピターを思わせる、
古代ローマ風の彫像が配置されている。
それがすべて白黒基調なので、精緻な版画のようにも見える。

b0083728_98944.jpgさて、このDENON盤の
CDには、前述のように、
録音データや、
Licensed by Ariola-Eurodisc
という表示もあるが、
私が持っている、
もう一つのパウムガルトナーの
モーツァルトの
名作交響曲のCDには、
何のインフォーメーションも
ないので、非常にヤバい感じ。

昔、学研が、Kapelleというレーベルで、
音楽ソフトを作っていた時、出ていたもので、
私のよく知らない指揮者、アルベルト・リッツオの「プラハ」と共に、
パウムガルトナーの「40番」が入っている。

ジャケット写真として、渡辺真という名があり、
カメラータ・アカデミカ、指揮:ベルンハルト・パウムガルトナー
とあるだけで、まったく、来歴不明の音源である。
リッツオの方は、ミュンヘン交響楽団とある。

宇野功芳氏がしっかりした解説を書いているので、
おそらく、パウムガルトナーの演奏に間違いはなかろう。
最後のページに「CDの特徴」とか、
「CDを取り扱う上での注意」という注意書きがあるので、
15年くらい前の商品ではないか。

ちなみに表紙写真はモーツァルトの銅像で、無難な線である。
しかし、空は灰色、背景の木は枯れ果てており、
非常に気が滅入る空模様とみた。
さらに、この構図、女性像ならセクハラになりそうな、
極めてローアングルである。
コンパニオンが集まるいろんな展示会でも、
「ローアングルでの撮影はご遠慮下さい」とあるので、
昨今のトレンドとしては違和感がないだろうか。

しかし、おかげさまで、モーツァルトの使う譜面台の裏に、
不気味な顔がついていることが分かった。

最初に入っているリッツオの「プラハ」も、
何となく、音の感じとしては、先に聴いた、
DENON盤に似ていて、華やかだが、
あまりしっとり感はない。
推進力があって聴かせるが、もうすこし、落ち着いた風情も欲しい。
とはいえ、木管など、コクのある味わいを出していて好感が持てる。
録音に立体感がないのが難点なだけで、演奏会で聴けば、
満足できる演奏のような気もする。

解説には、ミュンヘンを中心に活躍するドイツの中堅で、詳細不明とある。
中心とか中堅とか、ほとんど情報がないに等しい。

とにかく異常に速いお手軽版で何と22分で、この大曲を演奏し終わっている。
昔、セラフィムで出ていたスイトナーのLPは、
「ハフナー」、「リンツ」、「プラハ」の3曲が入って強烈だったが、
それでも「プラハ」は26分くらいかけていた。

そんなことから、これはこれで特殊な演奏のような気がするが、
パウムガルトナーの「40番」はさらに特異な解釈に思えた。

まず、冒頭の有名な主題も、よれよれのメロディの歌い方。
たらら、たらら、と小さく切って演奏しているのか、
今にもぶったおれそうな、ヴィヴァルディの「四季」の「冬」で、
「氷の上をこわごわ進む」みたいな感じ。

いかにも、この表紙写真の冬空に相応しく、
息も絶え絶えの主題提示である。
それは、もう、足が先に進まないようなくらいに、
絶望に包み込まれているという風情なのだ。

それが、2回目に繰り返される時、
ぱっと日が差すように明るくなるのが、
強烈な対比になっていて私は驚いた。
こんな歌わせ方があったのである。
まさしく、この時代に歌われるに相応しい歌のように思える。
坂本九が、「上を向いて歩こうよ」と歌っているのと同時代の音が聞こえる。

その勢いで急に元気になって、テンポが速まるので、
まったくト短調の交響曲ではないみたいになる。
先に聴いた「ジュピター」もそうだったが、
力こぶが入っている。

第二楽章も、「ジュピター」のときのように、
抑えようとしても吹き出すような沈潜の仕方が悲痛である。
これまた、葬送行進曲になっていると言ってもよいだろう。
ここでも各楽器が、この強烈な圧力から解放されて、
多彩な彩りを加え、味わいを加えている。

第三楽章もメヌエットではなく、アクセントが強く、
もっと推進力のある音楽。
トリオで立ち上る木管やホルンの残響が美しい。

第四楽章も、第一楽章と同様、出だしは訥々としながら、
強引なドライブがかかる。
対位法的な処理のとき、パウムガルトナーは、
各声部に思い切った強調を許して、
まるで管弦楽のための協奏曲みたいに料理してしまうのも嬉しい。

私は、このユニークな「40番」は、何となく好きである。
何となく、「走り去る悲しみ」といった、
ワンメッセージの音楽として捉えていたが、
何だか、もっといろいろな側面を感じさせる、
いわば、「40番」的でない「40番」として、
心に残るものである。

このCD、解説もとても面白い。
モーツァルトの曲目解説は、作曲家の生涯を切り取り、
さらには聞き所までを明示した親切なもの。

さらにパウムガルトナーについては、
リッツオとは大違いで、いろいろ書いてある。
ここでは、父親はピアニストのみならず、
音楽評論家であったと書かれている。
また、フィレンツェでは、戦争から逃げていただけではなく、
「ヴィーン大学のイタリア・バロック音楽研究所所長」をやっていたとある。
給料も出ていたのだろうか。
あるいは名誉職か?単なる自称か?

しかも、最後から2つ目の一節が新しい情報として有り難かった。
「わが国には1958年に訪れ、ABC交響楽団等を指揮した。」
これは、近衛秀麿のオーケストラだと思うが、
あの「ジュピター」を録音した年に、
あるいは、前年、ハスキルと共演していたような別世界の人が、
日本に足を運んでくれていたとは、妙に、パウムガルトナーが、
身近に感じられるではないか。
87年生まれなので、70歳を越えての活躍に頭が下がる。

よく調べると、この人はベームやイッセルシュテットなどより、
ずっと年配で、フルトヴェングラーやパレーの翌年の生まれ。
さぞかし、得られたものも大きかったのではないだろうか。

得られた事:「ベルンハルト・パウムガルトナーは、自由闊達に音楽に生命を吹き込む指揮者であった。」
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by franz310 | 2008-12-14 09:08 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その152

b0083728_1330555.jpg個人的経験:
多少世代が違うとは言え、
ベルリンとヴィーンで活躍した、
二人のコンサートマスターの
経歴を読んでいると、
妙に懐かしい名前が登場して、
改めて、そうした人たちについて、
聞き直してみたくなってしまった。
国も世代も違うが、
その名前は、
かなり紛らわしい二人である。


まず、ベルリンのコンサートマスターだった、
シュヴァルベの関係者として登場したのが、
ベルンハルト・パウムガルトナーである。

「1960年代初頭、シュヴァルベは、
ザルツブルク・モーツァルテウムの、国際サマーアカデミーの、
客員教授となり、彼はザルツブルク音楽祭に何度も登場し、
ベルンハルト・パウムガルトナー指揮のカメラータ・アカデミカと、
モーツァルトの協奏曲のいくつかを共演したりした。」
と、シュヴァルベの略伝にあった。

このパウムガルトナー、グリュミオーやハスキルの伴奏をしていた指揮者、
という印象ばかりが残っており、どんな経歴の人だったのかは、
あまり考えたことがなかった。

そもそも、シューベルトに五重奏曲「ます」を依頼したのが、
パウムガルトナー氏であったが、この人とは関係があるのかないのか。

有り難い事に、例のオルフェオのライブ・シリーズのCDで、
この人のことはよく知ることが出来る。

一見して心そそられるのは、パウムガルトナーの情熱的な指揮姿に、
名ピアニストのクララ・ハスキルと、ゲザ・アンダが並べられた、
表紙写真である。
演目に、モーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」が含まれているのだ。
この典雅極まりない名曲を、この往年の大家たちが、
どのように繰り広げるのかが、まず、興味の中心となろう。

また、よく見ると、ソプラノのエリカ・ケートの名前も見える。
つまり、この協奏曲の他に、コンサート・アリアが2曲歌われている。

1957年のライブというが、何と豪華な演目であろうか。
とはいえ、最後の曲は、何と、初期、K112のヘ長調交響曲。
私も、まったくどんな曲か、途方に暮れるエンディングである。

b0083728_13304444.jpg先のグリュミオー、
ハスキルのLPが
そうであったように、
パウムガルトナーは、
ここでもやはり、
モーツァルトの大家であって、
さらに言えば、
ここでの解説を見る限り、
現代モーツァルト解釈の
原点になったような人、
とも言えるようだ。


ちょっと、ここで、前回紹介した、シュナイダーハンの、
1952年のモーツァルトと、このパウムガルトナーとグリュミオーの、
1954年の同じ曲を聞き比べてみよう。
何と、オーケストラは一緒で、ヴィーン交響楽団である。

グリュミオーの演奏は、恐ろしく冴え渡る美音を武器に、
歌うところは思いっきり歌を伸ばして協調し、
小気味のよく早くパッセージをきらめかせ、
官能に直接、迫るものである。
そこに、パウムガルトナーが便乗し、
いかにも意味ありげな音色やテンポの変化を与えていく。
伴奏でありながら、息づくような愉悦感を振りまいている。

一方、シュナイダーハンは、
果たして、そのような官能性や愉悦感に興味を持っていたかは疑問である。
名技性を誇示すべきカデンツァでも、妙に、神妙な面持ちなのだ。
これはこれで、非常に爽やかできまじめな好青年のモーツァルトである。
美音をあえて伸ばして強調せず、きりっと引き締めながら進む。
この時、彼はヴィーン・フィルのコンサートマスターを辞めて、
独奏者になる決意をして3年の後、しかし、まだ37歳の若さであった。

まだ40歳だった、ライトナーの指揮ぶりにも、同様の傾向が伺える。
愉悦感よりも、希望を胸にして前進する様子に重点が置かれている。

グリュミオーは、カデンツァともなると、完全に忘我の境地になっている。
しかし、パウムガルトナーはそれをウェルカムとし、
そう来るならば、こう返すといった、丁々発止のオーケストラドライブ。
グリュミオーは1921年生まれなので、33歳の記録である。
パウムガルトナーは、67歳。

さて、こんなパウムガルトナーが、
シェフを務める演奏会の記録はいったいどんなものだったのだろうか。

このように喜び勇んで書き始めたものの、
ミシェル・シュヴァルベが関与する前の記録かもしれない。

中川右介著「カラヤン帝国興亡史」には、
フルトヴェングラーが、自分が生きている間は、
カラヤンにザルツブルク音楽祭を振らせないようにしたという話や、
54年にフルトヴェングラーが死んで、55年から早速、
カラヤンと音楽祭の間に、交渉が始まった話などが出ていた。

その結果、何とカラヤンは、
57年からは音楽祭の全権を掌握したという話が出ているから、
あるいは、このコンサートがあった時、ベルリン・フィルは、
この地にいたのかもしれない。

先の著書では、カラヤンがベルリン・フィルと、
この音楽祭のメインになってしまったので、
モーツァルトの祭典の意味が薄れてしまった、
という記述もあった。

まさしくそうした転換期の記録なのだが、
パウムガルトナーのマチネーの音からは、
そうした影響があったようには聞こえない。

何と、パウムガルトナーは、カラヤンの恩師にあたる、
というので、ここだけは聖域であったのかもしれない。

解説を読み進めよう。Gottfried Krausという人が書いている。
「What Bernhard Paumgartoner Achieved for Mozart」
という題名のものである。

「1920年の夏、ザルツブルク・カテドラルの前で、
『イエーダーマン』が最初に鳴り響いた時、
ベルンハルト・パウムガルトナーは、まだ33歳になっていなかった。」
ということで、1887年頃の生まれだということが分かる。

「1960年からは、パウムガルトナーはザルツブルク音楽祭の監督となり、
1971年7月27日、音楽祭が50周年を迎えた翌年に、
84歳でなくなっている。
彼は、指揮者の中で、第1にランクされるような人ではなかったが、
いや、それ故にか、この音楽祭で育っただけでなく、
この音楽祭の発展に寄与した。
しかし、パウムガルトナーは、非常に複雑な芸術肌の人物で、
その影響と輝きを簡単に分類できるようなものではない。
彼は根っからの音楽家であったが、実際はそれ以上の存在だった。
彼の受けた広範な教育もあって、
その関心は、音楽に留まらず、美術、文学、歴史にまで及んだ。
モーツァルト、シューベルト、バッハに関する本、
そしてザルツブルクの町に関する著述、
音楽祭を中心とした非常に興味深いメモワールなど、
今でも十分、読むに足る内容となっている。
1917年、この作曲家にして、ピアニスト、指揮者は、
ヴィーンの芸術を愛好する家庭に生まれ、
モーツァルテウムの校長に招かれた。
彼はブルーノ・ワルターの門下であり、法学博士の学位も得ていた。」

私は、少々、頭の中が混乱するような感じがする。
というのは、ベルリンのシュヴァルベの経歴で出て来た人が、
この、ヴィーン生まれのワルターの弟子だったという点である。

「ザルツブルクは彼の第2の故郷となったのみならず、運命ともなった。
パウムガルトナーは、この町を、おそらく『よそ者』の愛し方で愛した。
彼は、知る人ぞ知るザルツブルクの歴史を知っており、
その町の美しさを賛嘆して飽くことを知らなかった。
この流れの中で、彼はモーツァルトと特別な関係を形成していく。
モーツァルトの音楽才能が育まれた文化的背景を熟知していた。
レオポルド・モーツァルトや、
ザルツブルクの宮廷音楽の環境についての研究に没頭しただけでなく、
所謂、フィレンツェ追放の時期(1938-1945)には、
17世紀、18世紀のイタリア音楽を、極めて詳細に研究していた。」

恐ろしいおっさんである。
言うまでもなく、ナチスの時代であるが、50歳を過ぎてなお、
この苦境を研究で乗り切ったというのだから、もはや、鬼である。
このように、パウムガルトナーは、国際的な視野でモーツァルト理解を深め、
ハスキルやグリュミオーのような独墺系以外の演奏者との交流を深めたのか。

「このように、パウムガルトナーは、
それまでよく研究されていなかったモーツァルト初期作品の、
様式や音楽的なルーツ研究のパイオニアの一人となった。
そして、彼は、それ以前の音楽家たちとモーツァルトを隔てるものを、
どのように引き出すかを心得ていた。
ベルンハルト・パウムガルトナーは、ごく初期から音楽祭に関与しており、
Einar Nilsonによる『イエーダーマン』の音楽を編曲し、指揮し、
2年目からは、1番の目玉、マックス・ラインハルトの
『イエーダーマン』の他に、モーツァルトをも出し物にした。
1921年の夏からは、4回のオーケストラ演奏会、
3回の室内楽演奏会、そして1回のセレナード演奏会が、
モーツァルテウムのイベントとして公表された。
これらは特にモーツァルトに捧げられ、ヴィーン国立歌劇場や、
モーツァルテウムのオーケストラのメンバーを、
パウムガルトナーが組織したアンサンブルによって演奏された。
パウムガルトナーは2つのオーケストラ演奏会、
室内楽演奏会を一つ、セレナードと、
カテドラルにおける『レクィエム』の演奏を受け持った。
パウムガルトナーは、マチネーにおいて、
その広範な知識をモーツァルトの作品演奏に利用、
当時のどの音楽家よりもモーツァルト需要に寄与したのである。
しばらくの間、音楽祭は、パウムガルトナーの、
思うようにならなかった時期がある。
1922年にリヒャルト・シュトラウスが、ザルツブルクで、
国立歌劇場でオペラを指揮、そしてヴィーン・フィルと演奏会を開き、
こうなると、単なる『地方行事』ではなくなってしまった。
このようにして、この後数年は、ザルツブルク音楽祭は、
演劇とオペラの他は、当時の大物たち、
つまり、シュトラウス、フランツ・シャルク、
ワルター、クレメンス・クラウスらによるヴィーン・フィルの演奏会、
または、ヴィーンから来たアンサンブルや独奏者による、
室内楽演奏会ばかりになり、モーツァルトもまた、
めったに演奏されなくなってしまった。
1927年に、パウムガルトナーは、
それまで演奏されなかった、『グラン・パルティータK361』を含む、
モーツァルトの大作を独自にプログラムした、
ヴィーン・フィルによる、
7つのセレナード・チクルスを演目に加えるのに成功した。
その後の年も、ワルターやトスカニーニの年でクライマックスを築く、
音楽祭の中にあって、これらのセレナードは、
引き続き、パウムガルトナーの手によって演奏された。」

ザルツブルクだから、当然、モーツァルトが演奏されて来たと思うと、
どうやら、大間違いだったようだ。
言うなれば、パウムガルトナーのような人の努力によって、
モーツァルトの町としての真価を得たとも言えるようである。

「オーストリアの政局の変化がこれに終止符を打ち、
パウムガルトナーはザルツブルクからフィレンツェに逃れた。
1945年、わずか数週間前に戦火が収まったばかりの時期に、
この精力的な指揮者は、ザルツブルクに戻り、戦後最初の夏に、
即席メンバーで、オーケストラコンサートを一つ、
そして、3つのセレナードの夕べを開催した。
1946年、ザルツブルクならではの、
モーツァルトのセレナーデ演奏会の新演出実現模索を始めた音楽祭と同様、
モーツァルテウムもまた、パウムガルトナーを先頭にして再建された。
1949年、二つのマチネーが加わり、
ここでまた、パウムガルトナーは、
モーツァルトの知られざる初期作品と、有名な協奏曲に、
素晴らしい声のための声楽作品を、
組み合わせたプログラムの新基軸を打出した。
パウムガルトナーは、上手に名手たちと契約するコツを心得ており、
1949年には、偉大なベルギーのヴァイオリニストグリュミオーや、
1950年には、ハスキルが『ジュノーム協奏曲』を演奏し、
1952年には、センセーショナルな音楽祭デビューに続き、
アンダが、『変ホ長調』の協奏曲を演奏している。
ハスキルとアンダは、以来、ほとんど毎夏登場し、
遂にパウムガルトナーは1957年、
素晴らしい『二台のピアノのための協奏曲』で、
ここに記録された、名手二人による共演を実現させた。
音楽祭で、彼女はこの年、リサイタルを開いたのみで、
病気と死のため、二度と来ることはなかった。
彼女は、1960年、65歳で世を去ったので、
これが最後の共演となってしまった。
一方、ゲザ・アンダもまた、マチネー、オーケストラコンサート、
リサイタルを通じ、音楽祭の常連スターであったが、
1975年の悲劇的な病気によって、早すぎる死を迎えた。」

ということで、一期一会の素晴らしい音楽会だったようで、
この日の聴衆が大変、うらやましい。

「ベルンハルト・パウムガルトナーは、1952年に、
彼のマチネーやその他の目的のために、
モーツァルテウムの教授や生徒を集め、
カメラータ・アカデミカを創設した。
楽器や編成の点で歴史的、オーセンティックとは別観点で、
マチネーや室内楽演奏会のプログラム用に、
理想的に最適化されたアンサンブルであった。
そうしたものが、世間一般の流行になるずっと昔のことである。
世界中の音楽愛好家たちは、この音楽祭やその放送を通じて、
ザルツブルク時代の、数多くの喜遊曲、カッサシオン、セレナードや、
同様に初期の交響曲、素晴らしい協奏曲、アリアの宝庫など、
モーツァルトの音楽の豊かさを知った。
モーツァルトが若い頃から、素晴らしく独創的な劇作家であることも、
他の人が初期オペラの上演を考える前に、すでに多くの人が知っていた。」

以上で、パウムガルトナーと音楽祭の一般論の話は終わり、
これらの録音がどのように残されたかが書かれている。
「ザルツブルク放送の音楽祭アーカイブに、
多くのこれらコンサートの記録は保存されており、
パウムガルトナーが、後に有名になる
歌手や奏者とコラボレーションしたドキュメントとなっている。
現在の耳からすれば、これらのすべてが、
技術的に満足できるものというわけではないが、
パウムガルトナーが第1に求めたのは、技術的な完成度ではなく、
表現力や正しいスタイル、音楽内部のプロポーションであった。
彼はまた、その知識や理解、情熱を伝えるための機会でもあった。
マチネーの前の公開練習での独特の会話は、
音楽家や生徒、ザルツブルクに来た、
音楽愛好家にとって、最高の瞬間でもあった。」

「このドキュメントは、1957年8月のもので、
モーツァルトのマチネーの完全な記録のうち、
最古のものの一つである。
その独奏者が高名ゆえに、協奏曲が最も目を引くが、
1927年、ダルムシュタッドに生まれ、
ミュンヘンオペラの花形だったエリカ・ケートが、
ここで共演しているのはまさしく掘り出し物である。
この人は音楽祭でも『魔笛』だけでなく、1956年、セル指揮、
57年、カイルベルト指揮の『後宮からの逃走』の、
コンスタンツェ役でも人気が高かった。
パウムガルトナーのモーツァルテウムでの長年の盟友であり、
カメラータ・アカデミカの共同創設者であった、
クリスタ・リヒター=スタイナーが、
1775年のオペラ『羊飼いの王様』からのアリアの、
ヴァイオリン独奏を受け持っている。」
このように、ケートの登場のみならず、
何と、控えめなヴァイオリニスト、
リヒター=スタイナーという人についても特筆しているのが嬉しい。

「プログラムの最初に、パウムガルトナーは、
彼のお気に入りの一つ、オペラ全曲もよく指揮していた、
『劇場支配人』からの序曲を演奏している。」
さすがにお気に入りということだけあって、
非常にエプスレッシーヴォな、活力溢れる力演である。
ただの音楽院の教授ではない。
こんな魂を込めた演奏をする人が、カラヤンの師という事実も、
どうもピンと来ない。何となく不思議な感じがする。

「ここでの最後は、交響曲ヘ長調K112で、
1771年イタリア楽旅の際のもので、
15歳のモーツァルトはここで、
フォーマルなイタリア・バロック様式を離れ、
古典的な交響曲の間にあって、独自の独立した様式を達成した。
ザルツブルク音楽祭での初演の旨、
プログラム冊子には書かれており、
パウムガルトナーが行ったユニークなマチネーの好例となっている。」

このように、このCD、というか、このコンサート、
非常に多面的な楽しみ方が可能である。
独唱、独奏の人気アーティストを目当てにしても良いし、
力の入ったパウムガルトナーの解釈を聴くもよく、
最後に知られざる名曲の発見の楽しみや、
若き日のモーツァルトに思いを馳せるなどなど。

私は、「2台のピアノのための協奏曲」が好きで、
この二人の、惜しまれつつ亡くなった大家たちの共演が、
最も聴きたい演目であったが、ひょっとすると、
これ以上に他の演目を楽しんだような気がする。

やはり即席の共演ということからか、
ミスも目立つし、何となく、完全には興が乗っていないような気もする。
あるいは、ハスキルの調子が悪かったのだろうか。
また、このCDの中では、ピアノのタッチに輝きがなく、
唯一、録音に不満を感じる演奏が、この協奏曲ではなかろうか。

それに引き替え、エリカ・ケートの声は、非常に美しい。
か細い、リヒター=スタイナーのヴァイオリンも楚々として美しい。
さらに言うと、この「羊飼いの王様」からのアリアのメロディは、
何と、あの「ハフナー・セレナード」の第2楽章のアンダンテの、
魅惑的なメロディと同じなのである。

あのセレナードでは、ヴァイオリン独奏だけでも、
十分、蠱惑的であったが、この30歳のケートの声がまた愛らしく、
もはや、天上の音楽としか言いようがない。

この独唱、2曲目には、「レチタティーヴォとアリア、
『おお、運命の星々よ、
憐れなるデルチューアがおまえたちになにをしたのか/
岸は近いと望んでいた』」という長々しいタイトルのものが歌われている。
デルチューアという恋人がいるのに、
政略結婚を強いられたティマンテの状況を歌ったもの。
歌っているティマンテは男のはずだが、ソプラノのアリア、
という点がややこしい。
歌詞はついていないので、何だかよく分からないが、
ケートの声は、かなり高い声までクリアして、
非常に華やかな熱演となっている。

また、最後の交響曲、たった13分程度の音楽だが、
ちゃんと4楽章形式になっていて、
解説に軽く述べられているように独自の魅力を持っている。
推進力のあるアレグロに始まり、
シンプルなアンダンテも、時折、影を宿して美しく、
爽快なメヌエットに、楽しいフォークダンスのような終曲が続く。
きりりとした感触が爽やかで、
パウムガルトナーも愛おしむように演奏している。
そのせいか、盛大な拍手と歓声が待っている。

このCDは、恐らく、名作である「協奏曲」を目当てに買う人が多いと思うが、
買って来てCDプレーヤーにセットした後、
この日の会場にいる自分を想像できるかどうかで評価が分かれると見た。
あるいは、全曲を聴き通す余裕があるか否かでも評価は分かれよう。

以上、パウムガルトナーについてであった。
素晴らしい音楽家であったことは分かったが、
シューベルトと先祖が関係あったかは不明。
むしろ、自分自身が、マーラーばかりか、
ブルックナーにも会ったという経歴がびっくり。

今回、字数がいっぱいになってしまったが、
まぎらわしい名前の、ルドルフ・バウムガルトナー氏についても、
書いてみたかった。この人は、ヘッツェルの師匠である。

得られた事:「シューベルトに五重奏曲を依頼したパウムガルトナー氏以上に、ベルンハルト・パウムガルトナーは音楽の鬼。どうやら、シューベルトに関する著作もある模様。二人の姻戚関係は不明。」
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by franz310 | 2008-12-07 13:34 | 音楽