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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その151

b0083728_1219435.jpg個人的経験:
カラヤンの「四季」!
この録音などは、
1970年代に
音楽を聴き始めた
愛好家にとって、
いったい、
誰が買うのだろう、
などと思わせる
ものの代表では
なかっただろうか。

バロック音楽と言えば、専用の楽団が登場し、
マリナー、レッパードといった新鋭が本命で、
その前に、リヒター、ミュンヒンガー、レーデル、パイヤールといった、
何となく権威を感じさせる大家たちが、これまた、自身の楽団を率いて、
バロック音楽は、歴史の垢がこびりついています。
いろんな研究を取り入れていかないとダメでっせ、
何でもござれの大オーケストラでやるのは嘘っぱちでっせ、
と群れをなして、高踏的な愛好家たちを徹底的に洗脳していた時期である。

またまた、イ・ムジチのような団体は、
やっぱり、ヴィヴァルディのようなイタリアの音楽は、
本場物じゃないとあかんのやないの?
と、別方面から、我々をそれらしく説得してきたものだ。

さらに、楽器の使い型、知ってまっか、
バロックは違いまっせ、
調律そのものが、あなた、全然、ちがうんでっせ、
と楽器まで変え始め、それが普及してきたのがこの時期であった。

そんな中、ベルリン・フィルで、ヴィヴァルディ?
狂気の沙汰ですな、という感じではなかっただろうか。
いったい、こんなもの誰が買うの?

特に、日本では、音楽評論家に、
カラヤン、ヴィヴァルディの名前が出るだけで、
嫌悪感を露わにする方々がおられた。
これが相乗効果になったら、
耳が汚れると思う若者がいたとしてもおかしくはない。

私自身の体験で言えば、
シェリングが演奏した「四季」を友人に聴かせてもらって、
そのヴァイオリン主体の演奏に絶句したことがあった。
何しろ、私の頭の中では、マリナーのようなスタイリッシュな演奏が、
スタンダードになっていたのである。
聴く前からダメって分かってるでしょ、という感じだった。

しかし、前回、シュヴァルベの、
奔放とも言える、ヴァイオリンを聴いてから、
妙に気になって、聴いてみたくなった。

b0083728_12193180.jpg驚くべきことに、
この輸入盤LP、
シュヴァルベが
大きく
クローズアップされている。
顔のサイズでは、
裏面の写真、
帝王カラヤンを、
恐れ多くも、
凌駕しているではないか。
カラヤンは、これを許したのか?


しかも、中の解説が、これまた、シュヴァルベが、ヴィヴァルディ並に、
大きく扱われているではないか。
カラヤンについては何も書いていない。
何だか、早く聴きたくなってしまった。

ともかく、この解説を見てみよう。
「ミシェル・シュヴァルベは、わずか10歳の年に最初の演奏会を開いた。
ハイフェッツ、ジンバリスト、エルマンなどを輩出した、
アウアーの楽派の数少ない門下、モーリッツ・フレンケルの弟子である。
ワルシャワの音楽アカデミーを出てからは、パリで学業を続け、
エネスコやモントゥーに学んでいる。
さらに彼は、サラサーテ、ヴィエニアフスキ、クライスラーなどを生んだ、
フランコ-ベルギー派のJules Boucheritの下で働き、
結果としてシュヴァルベのテクニックは、
これらの偉大な楽派の強力な結合となった。」

このあたり、前回も読んで、びっくりした部分である。
ドイツ・グラモフォンでも、その意味は、じゅうじゅう承知ということか。
それなら、もっと独奏の録音も入れて欲しかったと思う。
しかし、何故、この人の評伝は、いつも生年が書かれていないのであろうか。

「彼のキャリアは1938年以降、傑出したものとなったが、
第二次大戦の後、それはようやく実際に花開くこととなる。
アンセルメの下で、スイス・ロマンド管弦楽団のリーダーを務めていた時、
シェヴェニンゲンのコンクールで厳しい戦いを勝ち抜き、
ヨーゼフ・シゲティの後を継いで、ジュネーブ音楽院の教授となり、
多くの著名オーケストラと共にコンサートを開いた。
1957年、カラヤンに招かれ、ベルリン・フィルのリーダーとなった。
1960年からは、ザルツブルクのモーツァルト・サマー・スクールに参加、
1963年からは、ベルリン音楽院の教授を務めている。
ここで、このヴァイオリニストは、
『マキシミリアン王』という、とりわけ貴重な楽器である、
1709年のストラディバリウスを弾いている。
この名は、前の持ち主である、
バイエルンのヨーゼフ・マキシミリアン王に由来する。」

非常に豊かな音で、ヴァイオリンも素晴らしく冴え渡り、
まことに安心して聴けるのには驚いた。
もっと、チャイコフスキーのような音楽になるのではないかと、
怖れていたが、まったくそんなことはなかった。
シュヴァルベの音楽性が、どちらかというと細かく興奮する感じで、
それがかえって、音楽がのっぺりとするのを防いでいるのかもしれない。

しかし、このレコード、どういう経緯で出て来たのだろう。
カラヤンは、70年に、ベルリン・フィルと、
ヴィヴァルディを何曲か、また、クリスマス協奏曲集などを録音し、
バロックに目覚めたような感じで録音しているが、その時の独奏は、
ブランディスが務めていた。

この「四季」は、それから2年後の72年の録音。
シュヴァルベは57年入団なので、その入団15周年企画かもしれない。
これは勝手な想像であるが、そう考えると、何となく、
カラヤンもやるな、というような気がして来た。

前回のCD解説では、カラヤンが、シュヴァルベに対し、
「彼を思うとき、賞賛と深い感謝の念を感じずにはいられない」
と言ったとあったが、この言葉が、妙に真実味を持ってくるレコードである。
私は、この言葉を、単なるお世辞と思っていた。

カラヤンの信頼厚い、録音エンジニア、ギュンター・ヘルマンス、
プロデューサーとしては、この黄金時代のトップを務めた、
ハンス・ヒルシュ博士の名前が上がっている。

おっと、コンティヌオとして、
チェロのエーベルハルト・フィンケの名前も嬉しい。
この人は、1967年9月録音の、
アンダを独奏に迎えたブラームスのピアノ協奏曲第2番で、
美しい独奏を響かせていた人だ。

それにしても、このジャケットは、何ともしゃれたもので、
リンゴの4態に四季を重ね合せており、
何だか豪華なお歳暮を思わせる。
これは、みんなが貰ってうれしくなるようなもの。
さすがドイツ・グラモフォンと思わずにはいられない。
カバー・デザインには、Holger Matthiesとある。

慌てて、当時の「レコード芸術」での評価を見ると、
何と、推薦盤になっていて、これはこれで驚いた。
「流麗の限りを尽くす」、「ムードの極み」、
「いぶし銀のフィルター」、「上質な弦のハーモニー」と、
何だか、効果だけを狙った演奏にも思える表現ながら、
妙に引きつけられずにはいられない感じが伝わってくる。

b0083728_1223181.jpgさて、シュヴァルベが
大活躍するカラヤンの盤に、
リムスキー=コルサコフの
「シェヘラザード」があるが、
これは、1967年のもの。
まさか、シュヴァルベの
入団10周年ではあるまいな。
私は、これは、
LPでも持っていたような
記憶があるが、
売り払ったような気がする。


今回、入手したのは、最近、再発された廉価盤CDだが、
改めて聞き直してみて、この曲の方が、私には抵抗があった。

というのは、これまた、「流麗の限りを尽くす」演奏だが、
何だか、骨抜きの軟体動物みたいで、立体感のない音楽に聞こえる。
弦楽器も木管楽器も同じ音に聞こえる。
細かいパッセージも粒立ちが悪く、テンポも何だかしまりなく、
やたら煽られている感じだけが残る。
世界最高のオーケストラとは思えない。
カラヤンは目を瞑って指揮をするので、
細部がよく見えてないのではないか、などと考えたりもする。

私が聴きたいシュヴァルベが、
ちょっとしか登場しないから、採点が辛くなったのだろうか。
だが、このソロも妖艶ではあっても、全体が同様なので、
あまり嬉しくはない、という感じだろうか。

暴れ馬のシュヴァルベの本領を発揮するとすれば、
終楽章の「難破」のあたりかと期待したが、
特に感銘を受けることはなかった。

ということで、「四季」がよく聞こえたのは、
録音が新しいので雰囲気が豊かになっただけではないか、
などと勘ぐって、もう一度、聞き直してみた。
ポイントは、細かい音型がつぶれて平板になっていないか、
テンポや色彩感が一本調子になっていないかであるが、
小粋なシュヴァルベが出たり入ったりして立体感があるし、
小編成のオーケストラには自発性が感じられて、
皮膚呼吸をしている感じがする。

ということで、シュヴァルベは、
前回の協奏曲のように興奮することはなく、
コンサートマスターの殻を破るようなシーンは、
結局、これらの録音から感じ取ることは出来なかった。

b0083728_12235322.jpgさて、ベルリンの
シュヴァルベに対し、
ヴィーンのコンサートマスター、
ヘッツェルの
バロックものはどうだろうか。

どういった経緯からか、
リヒター最晩年の、
1980年6月の
バッハの協奏曲録音に、
この人が参加している。

先ほどのものが、ドイツ・グラモフォンだったのに対し、
こちらは、アルヒーフ・レーベルである。
言うまでもなく、グラモフォンの古楽部門であるが、
そのオーセンティックな雰囲気は、グラモフォンの比ではない。

シュヴァルベが、どちらかというと、
妖艶な楽派を背景にしているのに対し、
ヘッツェルの場合は、シュナイダーハンなどに学び、
ルツェルンの合奏団にもいたと言うので、
バロックには向いているのではないかと思った。

しかも、曲目は、
「フルートとヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲」で、
共演はニコレ、チェンバロは明記されていない。
ここでのヘッツェル、はっきり言って、まったくよく聞こえない。
ニコレのフルートと、チェンバロが、鮮やかな色彩で、
縦横無尽に行き交うのに対し、ヘッツェルのヴァイオリンは影に徹している。
フルートを際だたせるための助奏のような感じがしないでもない。

このCD、泣く子も黙るリヒターの、
「ブランデンブルク協奏曲集」の付録みたいに入っていて、
そもそも曲として優れているのか良く分からない。

BWV1044とあるから、
この番号で1046から始まるブランデンブルク協奏曲と、
合わせてまとめられた感じだが、曲の魅力はかなり見劣りする。

ゲルト・プレープシュ博士がディレクターとある。

解説には、両端楽章は、チェンバロ独奏曲からの編曲、
中間楽章は、オルガンのためのトリオ・ソナタからの編曲だという。
ということで、チェンバロが目立っても仕方がないということ。

また、中間楽章は、何と、オーケストラは沈黙、
三つの楽器だけが会話をする。
非常に変則的なものである。
ここで、ヴァイオリンは、最初、ピッチカートのみ、
というのも、いかにも伴奏風である。
途中から、歌い始めるが、また、ピッチカートになる。
こんな断片のような音楽から、
ヘッツェルが何をやりたかったのかはよく聞き取れない。
過不足なく演じているという感じだろうか。

リヒターのこの1967年録音の「ブランデンブルク協奏曲」、
私にとっては、思い出深い演奏である。

バロック音楽が好きな友人が、とにかく聴け、と、
中学生だった私にくれたのがこれであった。
特に、リヒターが独奏する「第5番」の強烈なチェンバロ独奏は、
恐ろしい気迫というか、情熱のようなものを、
私にひたすら照射してきたものである。

ここでは、ヴァイオリンは、シュネーベルガーという人が弾いているが、
この人について詳しいことは私は知らない。
ただし、この鬼気迫るチェンバロに、くらいついて行く様は、
さすが、絶頂期のリヒター主導のたまもの、
という感じがしないでもない。

さて、このヘッツェルは、10代のうち、
つまり1950年代は、シュナイダーハンに師事していたとあった。

ヘッツェルの師匠、シュナイダーハンの50年代と言えば、
ケンプと共演した、ベートーヴェンの「ヴァイオリン・ソナタ全集」
(52年9月)などが有名だが、
同時期に、ドイツ・グラモフォンに録音した協奏曲も、
最近、ヘンスラー・レーベルから復刻されている。
シュナイダーハンは、モーツァルトの5番(52年11月)と、
ブルッフの1番(52年5月)を弾いている。

b0083728_12242382.jpgシュナイダーハンは、
ヴィーン・フィルの
コンサートマスター
だったこともあろう、
フルトヴェングラーはじめ、
多くの巨匠との録音がある。
が、このCDには、
貴重極まりないことに、
ルドルフ・ケッケルトの
ヴァイオリン独奏も、
収められているのである。

シュナイダーハンは、独奏者になるべく、
オーケストラを退団し、カルテットも辞めてしまったが、
ケッケルトの場合、反対に、カルテットもオーケストラも多忙を極め、
独奏者としての録音はほとんど絶えてしまった。
それゆえに、いっそう復刻はありがたい。
1953年8月の録音とある。

グラモフォンのカタログには、30cmLPで出た時には、
同じライトナーの指揮によるシュポアの8番に併録されていたようで、
このシュポアも聴いて見たいが残念ながらそれはない。

このCD、指揮者ライトナーの記念盤らしく、
表紙も、写真が三つもあるのに、
3枚とも、ライトナーの写真で、独奏者たちは登場してこない。
しかも、ブルッフやベートーヴェンも入っているのに、
大々的に、Mozartと書かれたレイアウトも不思議である。
Birgit Fausewehという人の担当とある。

ただ、Fotos/Picturesとして、
Gisela LeitnerのPrivate archivesとあるので、
遺族提供の貴重なものと味わうべきなのであろう。
一枚目はダンディなポートレート、二枚目は指揮の練習姿であろうか、
三番目のものは、鍵盤楽器の前で、楽譜のようなものを調べている。

Wolfgang Teubnerという人の解説、
曲目解説は丁寧にあって、ライトナーの経歴も、
かなり詳細に書いてあるのに、
シュナイダーハンとケッケルトについては何も書かれていない。

シュナイダーハンに対して、
私は、ずっとそのシューベルト録音を愛聴しているので、
いくら感謝してもしきれないような感情を持っているが、
1965年頃録音した、ベルリン・フィルの指揮も兼ねた、
モーツァルトの協奏曲は、あまり楽しめなかった記憶がある。

それは、何かべったりした演奏で、
彼の典雅な芸風が感じられるものではなかった。
この人は1915年生まれらしいので、
あの録音は50歳になった巨匠の、
余裕の芸風を伝えるものだったはずだが、
シェヘラザードの音を思い出すと、楽団にも問題があったのだろうか。

この50年代の録音は、30代後半という若い時期のものだが、
ライトナーの堅実な指揮(楽団はヴィーン交響楽団)に抱かれて、
線は細いが、暖かみのあるヴァイオリンの音色が冴える。

天才コンサートマスターとして鳴らしたはずだが、
非常にゆっくりとしたテンポで噛みしめるように弾いており、
むしろ不器用な感じさえする。
若き日のモーツァルトの青春の迸りや、
ロココ風の享楽性などには目もくれず、
何か、真摯なものを追求するような趣きが漂っている。
ライトナーの指揮にも、まったく微笑みはない。
何だか異常なモーツァルトのような気もして、
全く楽しくないが、琴線に響くものを持っている。

ブルッフの協奏曲も同様に真摯で、
第一楽章から、第二楽章に入っていくところの、
静謐感には、非常な奥深さを感じ、ぞくぞくしてしまった。
確かに、ここでは、名技性などは忘れられており、
オーケストラのピッチカート一つとっても、何か意味を感じさせ、
作品の奥深く分け入って行こうとする姿勢が、
ライトナー、シュナイダーハンの中心にあるようだ。
第三楽章も、馬鹿騒ぎにはなっておらず、
あくまで気品を失わない表現となっている。
カラヤンのポスターのような「シェヘラザード」の後では、
ああ、音楽とはこういうものであった、
と耳も、心も洗われる内容である。

この時代、ハイフェッツ、メニューイン、フランチェスカッティら、
ドイツ圏以外の名手の全盛期にあって、
これは、強烈な主張を持った解釈と言えそうだ。

続く、ケッケルトのベートーヴェンも、
同様に、内面だけに耳を澄ませたような高潔な表現で聴かせる。
オーケストラは、彼の古巣のバンベルク交響楽団である。
あるいは、シュナイダーハン以上に、この人は、
まじめな人だったのかもしれない。

天下のベルリン・フィルは、
名器マキシミリアンの美音を操るシュヴァルベを招いたが、
ヴィーン、または、バイエルンのオーケストラのコンサート・マスターたちは、
つややかな美音以上に、何か一途に暖めているものを持っていた、
という感じがしなくもない。

「ロマンス」のような、比較的小規模な作品にも、
壊れ物を扱うような丁寧さが見てとれるが、
音楽が終わった時のすっきり感というものより、
共に、音楽を噛みしめているときの、
場の共有感のようなものを大切にした姿勢を守っているという感じだろうか。

こういう価値観が、ライトナーとも共有されており、
それがまた、グラモフォンの方針にも合っていたのかもしれない。
しかし、59年にカラヤンを獲得して以降、このレーベルは、
こうしたものより、国際的な喝采に向けて舵を切っていくことになる。
カラヤンがどれほどこの会社に口を挟んだかは分からないが、
50年代のアーティストの多くが、60年代には消えていった事は確かである。
ライトナーとケッケルトなどは、その代表格と思われる。

さて、このCDで指揮をしている、このライトナー、
ケンプとの「皇帝」はベストセラーになったし、
日本でも、N響との共演など、重要な指揮者だったはずなのに、
確かに、人気という点で恵まれない人で、こうした追悼盤が出るのは、
大変、素晴らしいことだと思う。

以下のようなことが書かれている。

1912年3月4日、ベルリンに生まれたライトナーは、
幼い頃、プラハにいたが、ベルリンで学業を修め、
ベルリンのシャルロッテンブルクの音楽アカデミーでは、
フランツ・シュレーカー、Julius Pruwer、シュナーベル、
カール・ムックらに学び、
まず、ピアニストとして知られるようになったとある。

わずか17歳にして、バイロイトの練習ピアニストとなり、
エレナ・ベルガー、マルガレーテ・クローズ、ワルター・ルートヴィヒら、
当時の偉大なヴァグネリアンや、
ヴァイオリンのゲオルク・クーレンカンプやチェロのヘルシャーら、
国際的な器楽奏者らと共演したらしい。
彼はオペラとコンサートの両方をこなしたが、
ブルーノ・ワルターやフリッツ・ブッシュのような音楽家を目指していた。
ベルリンでの指揮者としてのデビューの後、
1935年にはブッシュをアシストするためにグラインドボーンにも行っている。
最初のポストは、1943年、ベルリンのノレンドルフ劇場でのもので、
そこから頂点へは、異常な速さで駆け上がった。
オイゲン・ヨッフムは、1945年に、彼をハンブルク州立劇場に招き、
1946年の終わりには、ミュンヘンの州立劇場の音楽監督に就任している。
33歳である。
1950年にはシュトッツガルトの音楽監督となり、
1969年まで、それを務めた。
1961年、ライトナーは教授となり、
数多くの都市に、シュトッツガルト州立オペラを連れて行き、
シュトッツガルト、ミュンヘン、ハンブルクなどの放送交響楽団と、
重要な録音を行っている。
現代音楽にも理解が深く、多くの初演を行った。
1956年から1987年まで、ブエノス・アイレスの
コロン劇場のドイツシリーズを受け持ち、6回も「指輪」を指揮している。
1976年から80年までは、ハーグの指揮者となり、
1988年には、トリノRAIの主席客演指揮者、
NHK交響楽団とは7回の大きなツアーを行い、
1969年から88年まではシカゴでオペラを9回指揮している。
1969年、ライトナーはシュトッツガルトを離れ、
チューリッヒ・オペラの監督となり、
1983年に任期が切れても関係を持っていた。
80歳近くになっても、彼は世界中から引っ張りだこであったが、
長い闘病生活の後、1996年6月3日、
ライトナーはチューリッヒ近郊のForchで、
ライトナーは84年の生涯を閉じている。

また、こうした讃辞が出ているのも興味深い。
「彼はセンセーショナルな評論で飾られるような、
虚しいスターたちの一人ではなかった。
彼は、完全性や情熱を尊び、個人的なことよりも、
音楽に全霊を捧げるような指揮者たちの系譜に連なり、
それにもかかわらず、いや、それゆえにというべきか、
前世紀の偉大なドイツの指揮者の一人であり、
五大陸の音楽界から歓迎され、数百もの録音や映像を残した。
様々な栄誉を授かったが、彼は彼自身とその音楽に対して、
常に忠実であった。
『密度』と『継続性』といったものが、
ライトナーにとって重要な何かであり、
オーケストラのサウンドを作り上げ、
音楽を統一と強さと共に伝えることが最優先事項であった。」

得られた事:「カラヤン美学の功罪を垣間見た。」
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by franz310 | 2008-11-30 12:18 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その150

b0083728_2254273.jpg個人的経験:
ベルリン・フィルの
シュヴァルベと、
ヴィーン・フィルの、
ヘッツェルは、
共に、
名コンサートマスター
として、学生時代の
私の脳裏に刻まれたが、
楽団員としてではなく、
彼らが独奏したCDもある。


シュヴァルベについては、
ヴィヴァルディの「四季」から、
リムスキー=コルサコフの、「シェヘラザード」、
さらには「タイスの瞑想曲」まで、
ほとんど独奏者のような録音もあるが、
純粋な協奏曲というのは、LP時代には、聴いた事がなかった。

今回、こうしたCDには、詳細な解説がついており、
彼らの略歴をも勉強することが出来る。

まずは、オルフェオ・レーベルが出した、
1984年8月19日のザルツブルク音楽祭からの、
実況録音のCDには、Clemens Hellsbergが、
ヴィーンのコンサートマスター、ヘッツェルの略歴を書いている。
「The Best in the Best Way Possible」
という一文である。

「ゲルハルト・ヘッツェルが不慮の事故で亡くなって、
10年が経つが、その悲劇によるショックは、
直接、それを体験したものにとって、
いまだ記憶から消えることがない。
そして、この10年は、
私たち、それに、当時からの音楽通の人々に、
ゲルハルト・ヘッツェルとは、忘れがたい、というのみならず、
もっと、かけがえのない存在だったということを、
改めて確信させたのである。
ヘッツェルは、1940年4月24日、
旧ユーゴスラヴィアのNeu-Werbasに、
医者の息子として生まれ、5歳からヴァイオリンを習った。
彼は、1952年、ルツェルンにて、ルドルフ・バウムガルトナーや、
その後、彼を教え導いたウォルフガング・シュナイダーハンと会う前、
まず、MagdeburgでOtto Kobinに師事した。
1956年から、1960年まで、
ヘッツェルは、ルツェルン音楽祭ストリングスで活動、
1959年から1970年までは、
ルツェルンのマスタークラスで、
シュナイダーハンの助手を務めた。
1963年から、彼はベルリン放送交響楽団のコンサートマスターを務め、
1969年9月1日のオーディションの後、ヴィーン国立歌劇場の、
コンサートマスターに就任、同時に、アソシエーションにも属することとなった。」

1969年と言えば、30歳になる前である。
29歳から52歳までの23年にわたって、彼はヴィーン・フィルの、
コンサートマスターを務めたということだ。
後で触れる、シュヴァルベの在任期間も28年だったが、
それに劣らず、長い期間、この人はヴィーンの顔だったのである。

しかし、ベルリンのシュヴァルベが、いろいろな賞を取っているのに、
この人にはそうした経歴はなかったようだ。

また、この解説には、オーディションで、
ヴィーンのコンサートマスターになったとあるが、
一説によると、カール・ベームが連れてきたともいう。

ということで、コンサートマスター就任の所から、
解説を再開させて引用すると、
「彼は、その後、理想のコンサートマスター、
そして輝かしい独奏者として存在感を示し始め、
ヴィーン、ボン、ザルツブルク音楽祭で、
ヴィーン・フィルと演奏した、
バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番では、
素晴らしい解釈を聴かせた。
1982年3月27日もまた、記憶に残る日で、
ミルシテインが定期演奏会のわずか2・3時間前に、
キャンセルをした時、オーケストラとのリハーサルもなしで、
ベートーヴェンの協奏曲のソロの代役を務めた。
ヴィーン・フィルの定期では、
以下のような作品の独奏者も務めている。
ブラームスの協奏曲、モーツェルトの協奏交響曲、
ベルクの室内協奏曲、シュナイダーハンとのバッハの二重協奏曲の他、
マルティヌーのフルートとヴァイオリンのための協奏曲。
彼の共演者は、フェレンチーク、ハイティンク、ドホナーニ、
マゼール、メータ、オザワなどである。
ヘッツェルはまた、管弦楽作品の独奏部でも、
非常に印象深い演奏を行い、それはしばしば至福の時を作り上げた。
見せ物になるのではなく、高いモラルの重視こそが、
ヘッツェルの音楽家としての目指すところであった。」
このCDのジャケット写真1つとっても、
そのような雰囲気が滲み出ていないだろうか。

そうした意味で、このジャケットは、
いつも、赤と金で適当な感じのオルフェオにしては、
比較的かっこいいものとなっている。

「難なく独奏者としても成功し、
室内楽奏者としても、国際的に最高の評価を得たが、
彼は人生を豊かにするためには、
彼が言うところの、安定性や忍耐力が不可欠な、
オペラや交響楽への参加も絶対不可欠だと考えていた。
こうした事全般へ彼がいかに関心を持っていたか、
思い出の中でのみ、推し量ることができる。」
ヴィーン歌劇場の、オーケストラ・ピットに入るような、
繰り返し作業にも、彼は同じ情熱とエネルギーを注ぎ、
模範的で、同僚たちの良き規範となった。
多くの最高級の指揮者たちが、
彼を世界最高のコンサートマスターだと考え、
また、レコード会社のマネージャーたちにとっても、
彼は、絶対的な音楽の権威であった。
オーケストラの同僚にとって、彼は、音楽家としてだけでなく、
一人の人間としても信頼できる存在だったので、
誰が言うというわけでもなく、いつしか高名となったこの権威には、
いつも喜んで従った。」
このヴァイオリニストは、このように、非常に有能なリーダーでもあった、
ということであろう。
これを読んだだけでも、この人を尊敬したくなってしまう。

「ヴィーン・フィルは、傑出した音楽家を失ったのみならず、
素晴らしいヒューマニズムと、広範な知識を併せ持った人材を、
失ったことになる。
『最高の事を、できるだけ最高の手段で』という、
楽友協会の産みの父たちの金言は、
まさに、ヘッツェルの生き様そのものであった。
彼は、おそるべき仕事量の最中、自らには最高を課しながら、
他の人には、寛容と暖かさを持って接した。
彼との交流は通常の友情といったものではありえなかった。
彼と個人的に近づきになった者は、
愛と感謝も持たずにはいられなかった。
23年もの間ヴィーン・フィルにとって、
そこでコンサートマスターとして過ごした彼は、
この上もない存在として記憶に残っている。」

ここで聴く、バルトークの最高傑作とも言える協奏曲の演奏からも、
以上、書かれていることが、まったくの真実であろうと、
確信せざるを得ないような演奏になっている。
マゼールもヘッツェルも音楽に没入し、有り難いオーラが発散している。

ヘッツェルの演奏も、澄み切って突き抜けるようなトーン、
まったく危なげのない技巧は、どのような難所にあっても、
まったく、乱れることはない。
高潔な人柄を、そのまま音にしたような演奏である。

バックは、マゼール指揮のヴィーン・フィル。
ティンパニの強烈な一撃などが目立ち、意欲的な表現力である。

しかし、この協奏曲、構想も雄大で、
独奏部も管弦楽も強烈、なおかつ長大なもので、
楽団との対決姿勢のようなものが必要と思っていたが、
こうした寄り添うような解釈もあり得たのである。

考えて見れば、この曲をバルトークに書かせたのは、
ゾルタン・セーケイであって、このハンガリーの名手は、
名門ハンガリー弦楽四重奏団を率いた室内楽の名手でもあった。
が、この人が初演した時の1939年の録音を聴くと、
ヘッツェルの演奏は、かなり特異なもののようにも思える。

とはいえ、解説にあったような、この素晴らしい音楽家の、
人となりをそのまま音にした音楽となっており、
これはこれで、非常に真実の音楽として聴くことが出来る。

CDの後半に、モーツァルトの喜遊曲が収められていて、
この重量級のコンチェルトの後で、
気持ちの良い開放感を味わえることを付記しておこう。


b0083728_2262665.jpg一方、ベルリンの
名コンサートマスター
として知られた、
というか、カラヤンの
片腕のような感じだった、
シュヴァルベの方は、
ビダルフという
弦楽器系に強い、
イギリスのレーベルが、
3曲もの協奏曲録音を
集めてくれている。

ジャケット写真は、これまた、ベルリン・フィルという、
大楽団のリーダーを務めた人に相応しいもので、
言うなれば、大企業幹部のような雰囲気を漂わせたものだ。

もっと言えば、ヘッツェルも含め、
どっちもメガネをかけたいかめしいおっさんで怖い。
とても、初心者は、欲しいと思わないであろう、
壮絶なデザインともいえる。

が、こうしたイメージとは違って、
ベートーヴェンとかショスタコーヴィッチといった、
重量級のものが演奏されているわけではない。

メンデルスゾーン、サン=サーンス、ヴィエニアフスキという、
どちらかというと、カラヤンが得意としたとは思えない曲目ばかり。
しかも、共演は、皆が期待するベルリン・フィルではない。

が、ヴァイオリン協奏曲としては、素晴らしい名曲揃いである。
スイス・ロマンド管弦楽団が放送用に録音したもので、
1960年から63年のものである。
拍手も入っており、実況中継のようなものだろうか。

メンデルスゾーンが1960年3月25日、
指揮は、Samuel Baud-Bodyとある。
また、サン=サーンスは「第三協奏曲」で、
1961年1月4日、指揮はFrederick Prausmitzとある。
私は、まったく知らない。
ようやく、ヴェイニアフスキの「第二」が、
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ。
1963年1月23日の録音。

ここでも、シュヴァルベの略伝がばっちり読める。
先に触れたが、ヘッツェルと違って、何だか、
コンクールとか成績を重視した書きぶりである。

誰が書いたかは分からないが、
何故か、日本のヴァイオリニストが関与した発売らしく、
スイスロマンド管弦楽団と、Joji Hattoriに謝意が述べられている。

「ミシェル・シュヴァルベは、その才能を、
絶対的な熟達の域にまで高めることが出来た、
数少ない神童の一人であった。
この若いヴァイオリニストは、早くから特別な才能を示し、
10歳にしてコンサートを開いている。
レオポルド・アウアーの門下で、後にそのアシスタントを務めた、
モーリッツ・フランケルの生徒だったので、
アウアーの流派と呼ぶことが出来る。」

アウアーは、どちらかというとスラブ系の人だと思うが、
それゆえに、ハイフェッツやエルマンが愛奏した、
ヴィエニアフスキが含まれているのだろうか。

が、どうやら、それだけではなさそうだ。

「ワルシャワの音楽院を卒業した後、シュヴァルベは、
パリでジョルジュ・エネスコとピエール・モントゥーの元で研鑽を積んだ。
そして、特にエネスコとの強い関係から、
自らの音楽を発展させるのに必要な多くの影響を受けた。
この時期、ワルシャワの国際ヴィエニアフスキ・コンクールで、
ヌブーやオイストラッフと並んで賞を得たことが特筆されよう。
フランコ-ベルギー楽派で、
パリの音楽院のマサールやマルシックの後継者であった、
偉大なフランスの名匠、Jules Boucheritが、シュヴァルベの演奏を聴き、
彼を招いて弟子にした。
このように、シュヴァルベは、この2つの楽派の奏法の良い点を合わせ、
Boucheritの指導の下、音楽院では、
念願のサラサーテ賞や特別な賞を受けるなど、
最高の評価を得て勉学を終わらせた。」
ということで、何と、フランスでも学んだようで、
こうしたことから、サン=サーンスが演奏されているわけだ。

以外に深い意味をもった選曲で、
改めて、この盤の貴重さに感服した次第である。
オイストラフの楽派とグリュミオーの楽派が、
一緒になった人をカラヤンが連れてきたというのも不思議である。

「『L’Art Musical』誌は、こうコメントしている。
『何人かの音楽家が、彼の演奏を見て、
まだその姿を生き生きと思い出すことが出来る、
サラサーテを彷彿させると言っている。』
ベルリン・フィルのコンサートマスターが、サラサーテというのには仰天した。

以下、このCDが、
何故、スイス・ロマンドで作られたかを暗示する内容が出て来て、
これまた驚いた。
「シュヴァルベの国際的キャリアの前進は、
しかし、第二次大戦によって中断された。
1944年、エルネスト・アンセルメは、
ジュネーブのスイス・ロマンド管弦楽団の、
第一コンサートマスターに招いた。
ジュネーブとルツェルンにおける、
このオーケストラとのブラームスの協奏曲の演奏で、
輝かしい独奏者としてのデビューをした後、
シュヴァルベは、このオーケストラの独奏者として、
レギュラー出演することになった。
彼は、スイス・ロマンドでの活躍に加え、
すぐにスイスで広範囲の活動を展開、
ルツェルン祝祭管弦楽団のレギュラーの客演リーダーとしても、
著名な指揮者、ワルター、フルトヴェングラー、
バルビローリなどと共演している。
彼はさらに、クララ・ハスキルとソナタを演奏し、
ジュネーブ放送のためには、パガニーニの奇想曲を、
ライブ中継したりした。」

1947年、フルトヴェングラーは、
ルツェルン祝祭管弦楽団と、ベートーヴェンの協奏曲や、
ブラームスの「第一交響曲」を演奏し、
その記録を聴くことが出来るが、この時、
コンサートマスターは、シュヴァルベだったのだろうか。

この時、ベートーヴェンのピアノを弾いたのは、
以前、ここでも紹介した、エッシュバッヒャーである。
このピアニストは、ケッケルト四重奏団との共演で、
シューベルトの「ます」のレコードを残している。

また、だとすると、ブラームスの交響曲、第二楽章で、
ヴァイオリン独奏を受け持ったのは、シュヴァルベだったのか。

これから、まるで、出世街道まっしぐら、といった感じの記述が続く。
「1948年、シュヴァルベは、
シュベニンゲンの国際音楽コンクールで一等賞を取り、
同年、ジュネーブの音楽院のシニアプロフェッサーに任命された。
それから彼は数年間、ヨーロッパ中を回って、
選ばれたオーケストラとソリストとして共演した。
1957年、カラヤンは彼を、
第一コンサートマスターとなるよう、
ベルリン・フィルに招いた。
彼のベルリンでのセンセーショナルなデビューは、
最高の予想を、さらに超えたものであった。
Der Abend誌のレビューは、
『シュヴァルベは、チャイコフスキーの協奏曲を、
エキサイティングなブラヴーラを持って演奏し、
パガニーニに比較したほどだった。』
シュヴァルベは、1957年、カラヤンとベルリン・フィルと共に、
最初の日本公演ツアーを行っている。
このツアーの間、NHK交響楽団と、協奏曲のラジオ放送を行った。
その後、極東に何度も訪れた彼の最初の訪問であった。」
改めて、日本との関係を強調しているのは、
先のスポンサー関係だろうか。


「1960年代初頭、シュヴァルベは、
ザルツブルク・モーツァルテウムの、国際サマーアカデミーの、
客員教授となり、彼はザルツブルク音楽祭に何度も登場し、
ベルンハルト・バウムガルトナー指揮のカメラータ・アカデミカと、
モーツァルトの協奏曲のいくつかを共演したりした。
1963年、彼はベルリンの芸術高等学院の教授のポストに就任、
1986年まで教鞭を取った。
彼は同時に、エリザベート妃コンクール、ジュネーブ国際コンクール、
パリのジャック・ティボーコンクールなど、
数々の有名コンクールの審査員を務めた。」

「彼はそのキャリアを通じ、世界中の批評家からも、
その音楽性と名技性の融合を賞賛された。
高名なフランスの批評家、ベルナルド・ガヴォティは、
フィガロ誌に、『喜びだけでなく、それは啓示でさえあった。
彼は要するに大家であって、そして、全てを持っている。
スタイル、素晴らしいテクニック、天才的な叙情性、
洗練、感情表現、さらに、輝かしい音色、
こんな人は世界に5、6人しかいない。』
シュヴァルベは、沢山の栄冠に浴し、
ベルギーでは、国王から勲章を受け、
ドイツでも十字勲章、フランスでレジョンドノールを受けた。
シュヴァルベの才能に感銘を受けた慈善家、
アクセル・スプリンガーは、『マキシミリアン王』という、
1709年のストラディヴァリウスを、
彼のキャリアにわたって貸与した。」

ここからは、先のヘッツェルの例と同様、
彼のコンサートマスターとしての業績が総括されている。
「彼は、1985年までベルリン・フィルと、独奏者、
コンサートマスターとして演奏し、1992年に演奏会からリタイアした。
彼は数知れないツアーと録音を、ベルリン・フィルとこなし、
彼の名前は、その輝かしいオーケストラの評価と一体となっている。
カラヤンを含め、多くの同僚から尊敬を受け、
事実、マエストロも、シュヴァルベに対し、こう語っている。
『私たちは素晴らしいひとときを共に過ごした。
私は、彼を思うとき、賞賛と深い感謝の念を感じずにはいられないだろう。』」

このように、ベルリン・フィルと、ヴィーン・フィルで、
私が学生時代に活躍していた二人のコンサートマスターの略歴を、
紹介してみたが、これらをまとめると、こんな感じになる。

シュヴァルベの生年は書かれていなかったが、
1908年生まれのオイストラフと同世代のようなので、
仮に1910年頃とすると、

            シュヴァルベ          ヘッツェル
1910年頃   ワルシャワ?に生まれる
         フランケルに師事。
         エネスコに師事。
         サラサーテ賞。
1940年                    ユーゴスラヴィアに生まれる。
1944年    スイス・ロマンドコンマス。
         アンセルメの初期の録音などは、
         ひょっとして、この人の独奏が、
         聴けるのだろうか。
1945年                    ヴァイオリンを習い始める。
1948年    シュベニンゲン一等
         ジュネーブの教授就任。
1952年                    シュナイダーハンに師事。
1956年                    ルツェルン合奏団で活躍。
1957年    ベルリン・フィルコンマス。
         カラヤンと日本ツアー
1959年                    シュナイダーハンの助手。
1960年代初頭 ザルツブルクで活躍。
1963年    ベルリンの教授就任。  ベルリン放送響コンマス。
1969年                    ヴィーン・フィルコンマス。

1970年代        両者、様々なレコード録音でも活躍。
               また、来日などでも存在を印象付ける。

1985年    ベルリン・フィルから離れる。
1992年    演奏活動リタイア。       山岳事故で死去。

このように、二人の経歴を見て分かるように、
この二人は親子ほど年が違う。
1970年代に、一方は、50代から60代の完成期にあって、
一方は、30代の上り坂にあって、我々を魅了してくれた、
ということが分かる。

この時代、カラヤン、ベームは、両横綱のような存在だったから、
この二人の率いていた団体のトップとして、
そのお気に入りが活躍していたという見方も出来るが、
下記にも書くように、この有名な指揮者と、
このヴァイオリニストたちとの間には、
あまり共通点が感じられない。

シュヴァルベのCDを聴くと、
最初、オーケストラも頼りない感じで、
録音もぱっとしないように感じるが、
さすがに、独奏者として鳴らした人だけあって、
破綻を気にせず、華のある演奏を行っていることが分かる。

逆に言うと、メンデルスゾーンなどは、
最初の方は、かなり音程のふらつきがあるものの、
最後には、ものすごい盛り上げ方で、
聴衆から盛大な拍手を引き出している。

サン=サーンスも、非常に情熱的で、
こんな人が、カラヤンの流麗な音楽に付き合わされていたのか、
と考えると不思議な気分になる。
呼吸が深く、破綻を怖れずに、激しく音をまき散らしている。
これは、例えば、典型的フランコ=ベルギー派とされる
グリュミオーのような美音ずくめの演奏とは、
だいぶ印象が異なる。

息遣いが深く、ものすごく鋭敏に曲想に反応している。
奔放とも言え、音も時折外れるが、熱気はすさまじく、
とても、目を瞑って、流麗な指揮をするカラヤンの子分とは思えない。

もちろん、ヘッツェルの演奏の最後も、すごい拍手である。
シュヴァルベと比べると、ずっと冷静で、音の乱れなく、
まるで、カラヤン指揮のオーケストラのような美音をまき散らしている。

これは、非常に不思議なことで、
極端に書くと、カラヤンの手兵である
ベルリン・フィルのコンサートマスターよりも、
ベームが好んだコンサートマスターの方が、
カラヤン的なアプローチなのである。

それにしても、バルトークのような土俗的な音楽を、
ヘッツェルは、よくもこのように洗練された音楽に出来たものである。

逆に、サン=サーンスのような洗練された音楽を、
シュヴァルベは、よくもこんな土俗的な音楽にすることが出来たものだ。

これらの録音、約四半世紀の隔たりがあるが、
一世代の差異がある彼らである。
共に四十代ころの、絶頂期の演奏が収められているわけだ。

また、指揮者に名匠、スクロヴァチェフスキを得た、
ヴィエニアフスキは、美しい木管の独奏など、
オーケストラも幾分、雄弁になった分、
独奏部の興奮もすさまじく、味わいも濃厚。
これは随一の名演と言えよう。
特に第三楽章で弾けきる技巧の切れ味。これは熱い。
感極まった聴衆は、曲が終わると、奇声を発している。

しかし、こんな暴れ馬のような人が、
大組織の長でいられるということも不思議。
ヘッツェルの方が、ずっと組織人として納得できる演奏と言える。
あるいは、ヘッツェルは、自分の属するオーケストラで、
シュヴァルベはよそのオーケストラだから、
という微妙な違いは影響するのだろうか。

得られた事:「コンサートマスターのヴァイオリン、一筋縄では論じられぬ。」
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by franz310 | 2008-11-23 22:08 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その149

b0083728_12485220.jpg個人的経験:
私が最初に聴いた
シュトラウス作品は、
ベームの指揮による
ベルリン・フィル盤
だったが、そこでの
ヴァイオリン・ソロは、
シュヴァルベであった。
この人は、カラヤンの
名盤でも、再び、
妙技を聴かせていた。


この名コンサートマスターは、1957年にカラヤンに招かれたようなので、
1958年のベーム盤の独奏は、ほとんどお披露目だったわけだ。
1985年まで、ベルリンのコンサートマスターを務めたとあり、
28年も一線にて活躍したことになる。

シュヴァルベは、ポーランド出身アウアーの流派で、
ルーツ的には、ベルリンとは微妙な関係であったようだが、
世代的には1世代若いが、同時期にヴィーン・フィルの
コンサートマスターを務めていたのが、
ユーゴスラビア出身のゲルハルト・ヘッツェルだったというのが面白い。
日本から見れば、どちらも東欧出身者が、
この2つの名オーケストラを率いていたことになる。

シュヴァルベは、退団後も、92年頃まで演奏を続けていたのに対し、
ヘッツェルは、転倒事故で50歳の時、1993年に、
そのキャリアを中断された悲劇でも知られている。

また、ベルリン・フィルに対する、このヴィーン・フィルは、
マーラーの時代のロゼーから、シュナイダーハン、ボスコフスキー、
バリリなど、名コンサートマスターが四重奏団を結成し、
同様に、名手の名前が、我々愛好家の脳裏に刻まれることとなった。
そんな意味でも、この人の独奏には耳を澄ませてみたかった。

このヘッツェルのヴァイオリンが聴きたくて入手したのが、
カラヤン盤のそっくりデザインの、プレヴィン盤CDである。

カラヤンのものが、右下に光点があるのに対し、
このプレヴィン盤の表紙は、光点がほぼ右にある天体。
光輪がカラヤンのものより赤くくっきりしているが、
日蝕の瞬間を捉えたような画像は、
ほとんど著作権侵害の域にまで達している。

中を見ると、Art Directorとして、
Ray Kirschensteinerという名前が出ているが、
Cover illustrationには、A.I.R.Studioとあり、
Cover Graphicsには、Ramba Designとあるので、
責任の所在が不明確である。
が、レーベルが、テラークであることは確か。
1987年11月の録音とある。
カラヤンの73年から15年も経たずして現れた競合盤である。

このCD、聴いてすぐ驚くのは、ベーム、カラヤンらで聴いて来た、
冒頭部が、非常に素っ気ない所であろう。
が、さすが録音で鳴らしたテラーク。
非常に雰囲気のある音である。

この雰囲気には、あの表紙デザインの光輪の色のような紫色が、
感じられなくもない。
カラヤンのものは、青白く、また、冷たい。

プレヴィン盤では、ヴァイオリン独奏も、
それに倣ってか、先入観からか、
語り口は非常に洒落ているが、音色としては地味で、
その分、オーケストラの中に溶け合っていて暖かい。

また、英文解説はかなり充実していて、
この曲における納得の出来る解説に、
ようやく、巡り会ったような気がしている。
なぜなら、各部の標題を無視していないからである。

ところが、付録の日本語解説は、標題のみならず、
この貴重な解説を無視して、
相変わらず、
「原作の内容を標題音楽的に扱ったものではなく、
あくまでも、この曲の持つ詩的な気分を音楽的に表現したもの」と、
いつもの論調を、「あくまでも」繰り返している。

「R・シュトラウスは、この交響詩の中で、
ツァラトゥストラの太陽の賛歌を
歌い上げようとしたのだった」とまで、
言い切っているのである。

仮に、「太陽の賛歌」を歌い上げているとしたら、冒頭部だけであろう。
こんな解説に振り回されていたら、みんなシュトラウスを嫌いになるはずだ。
なぜなら、冒頭部を過ぎると、辛気くさい音楽ばかり続くからである。
これのどこが、「太陽への賛歌」なのか?
そもそも、ニーチェの著作は、そんなことだけを言うだけのために、
あれだけの大著になっていたのだっけ?

こんな認識で、どうして、解説を書いた人が、
この曲を鑑賞できていたのか摩訶不思議である。

また、別の本で、諸井誠が、この曲を、
「自然の力」と「人間の渇望」の二つの主題による、
ソナタであると断言しているのも読んだ。

第一の展開部は、
自然との対決のために、人間が生み出した科学が、
反対に人間を圧迫するときの葛藤。

第二の展開部は、「人間的な幸福感の表明とその増大」、
終結的展開部が「舞踏の歌」であるとしていて、
これはこれで、すっきりした解釈である。

しかし、ニーチェの著作がそんな内容かについては、少し疑問も残る。
両大戦の前に、科学が人間を圧迫する、とまで書いているのだろうか。

結局、キレイな女性と、楽しくダンスがしたかっただけなのだが、
それじゃ、あんまり破廉恥だから、長い長い前置きを書いたのでっせ、
という感じがしないでもない。

岩波文庫の「ツァラトゥストラはこう言った」
(氷上英廣訳)を見ると、
「舞踏の歌」というのが、第二部にある。

森の中の静かな草地で、少女たちが踊っている。
「わたしの歌は重力の魔を嘲る舞踊の歌だ。」
と言って、ツァラトゥストラは、「生」という女性と、
「知恵」という女性を比べる歌を歌う。
生と認識の関係を歌ったものだと解説にある。

終曲の「さすらい人の夜の歌」については、
本当に訳が正しいのかと英訳を見ると、
「Sleep-Walker’s Song」とあった。
これは、夢遊病の歌ということなので、
ニーチェの著作のほぼ最後の「酔歌」ではないかと当たりをつける。

見ると、真夜中の鐘も出て来る。
これこそが、終曲に相応しい。

夢遊病のようになったツァラトゥストラは、
「ついて来なさい、ついて来なさい、真夜中は近づいた」と言って、
真夜中の鐘に聞き入る。
「おまえ、老いた鐘よ、太古の祖先の苦痛が込められている。」

「終わってくれ、しかしまた戻って来てくれ!」
「すべての喜びは永遠を欲する!」
などとある。
まさしく、「永劫回帰」であろうか。

と、こんなことまで考えていたのだが、
今回、プレヴィン盤の解説を読んで、
だいぶ、すっきりしたような気がしている。

このCDでは、「死と変容」が併録されていて、最初に、
ツァラトゥストラが演奏され、後から、これが演奏される形。
が、「死と変容」の方が先に書かれているので、
解説は、こちらが先になっている。

「『死と変容』の主人公が芸術家であったとしても、
音楽そのものは自伝的ではない。
この作品の初演の後、シュトラウスは肺炎の悪化で、
危うく死に至るところであった。
その療養中に、シュトラウスは、最初のオペラ、
『グントラム』を手がけたが、ここには、
1896年に完成される『ツァラトゥストラはかく語りき』の
種子を見いだすことも出来るだろう。
『グントラム』のリブレットを書いている間、
シュトラウスはニーチェの著作に没頭してしまった。
『グントラム』の持つ宗教的雰囲気にも関わらず、
形式的な宗教に対するニーチェの攻撃に惹かれた。」

こう書かれるまで、私は、あまり注意したことはなかったが、
最初のオペラ、「グントラム」は、彼に似つかわしくなく、
宗教的な題材で、彼自身が台本を書いたものなのである。

また、こうした中、シュトラウスが実際に、
病気で危機に瀕していたというのも興味深い。
「ツァラトゥストラ」の中核をなすのは、
「病から回復に向かう者」という部分なのだ。

「シュトラウスはそもそも若い頃から、
そうした形式的な信仰などは軽んじていた。
シュトラウスの主人公グントラムと同様、
ニーチェの予言者ツァラトゥストラは人間世界から離れ、
孤独の中に叡智を求めていた。
山の中の洞窟に一人あって、彼は人間の諸相を見つめ、
新しい優れた人種である、『超人』到来の必然性を得た。」

ニーチェの著作が難解なのは、「太陽賛歌」を書いたからではなくて、
訳の分からない「超人」を予言したからである。
日本語解説のような音楽であったとしたら、
シュトラウスも、こんな複雑な音楽にしなかっただろう。

この後書かれている内容と、
この「超人」到来の説明によって、
何となく、この曲が、「人類の起源から」などという解説を、
シュトラウスが残した意味を垣間見ることが出来る。

シュトラウスの脳裏にあったものを図式化すると、
おそらく、こうなるのであろう。
人間発展の歴史:
「人類の起源→宗教(迷信)を学ぶ→科学(自然)を学ぶ→超人の到来」。
「→」の部分は、前のものがうまくいかなかったという事である。
最後の部分を予言したものとして、ニーチェの賛歌となっている。
「太陽の賛歌」と書いてある意味は、冒頭部しか聞いてない人の言葉であろう。

もしも、超人の到来、というか、科学の限界がなければ、
この曲は成り立たなかったということが分かる。

もし、ニーチェが書いたように、
「人間のままでは何やってもダメダメ、超人じゃなきゃね」
という部分がなければ、
科学万能、万歳、という音楽になってしまう。

これまで見てきたように、
この曲の場合、途中の「科学について」は、
極めて皮肉な扱いを受けていることからも、
むしろ、その後のワルツの部分が全体の大部分を占めることからも、
ニーチェの思想なしには、まるで成り立たない音楽であることが、
ようやく理解できるのである。

では、続きを見て見よう。
「シュトラウスは、哲学の音楽化は不可能と気づいたが、
『原初からの人間の進化と、発展の様々な諸相、
科学や宗教からニーチェの超人思想までを音楽で伝え、
ニーチェの天才への賛歌としたかった』という。
作品は、ニーチェの各章のタイトルを持つ、
8つの連続した部分からなり、
人間と、それを超越した自然の根源的な抗争を描いている。」

確かに、以上の説明は、これまでの解説にも出ていたが、
各部標題との関係を解釈しないことには、
何を言っているのか分からず、
各々が、どのような発展の諸相か納得不可能であった。

多くの場合、このCDの日本語解説のような、
適当な言葉の羅列に陥って行ってお茶を濁されるのが常であった。

先に書いた中核となる
「病から回復に向かう者」の日本語解説を例にとると、
「ここでは、トロンボーンと低音弦によるフーガの主題と、
木管とヴァイオリンによる『嫌悪の主題』の変形したものが
奏されたあと、『自然の主題』が力強くあらわれ、
壮大なクライマックスを築き上げる」と書かれている。

私たちの脳みその中には、虚しく言葉が流れ去るだけである。

今回の英文解説は、そんなことはなく
各部が、先の人間の進化と一緒に説明されている。

「この作品のスコアには、10年の瞑想の後、
予言者が社会に戻ることを決意する、
プロローグの部分が掲げられている。」

何故か、英文にこのプロローグは引用されていないが、
幸いなことに、日本語解説には、丁寧に、
しかし、誤解を生じるように中途半端に記載されている。

「ツァラトゥストラ齢30のとき、
故郷と故郷の湖を去って、山に入った。
ここに、彼はみずからの精神と孤独を享受して、
10年にして倦むことを知らなかった。
さあれ、ついに彼の心は一転したのである。
ある朝、彼は暁の朱とともに起き、
太陽の前に歩み出て、かく語りかけた。
『なんじ大いなる天体よ!
もしなんじにして照らすものなかりせば、
なんじの幸福はそもいかに?・・・」

実際は、この後、2/3ばかり残っていて、
太陽に問いかけるのみならず、こんな事も言っているのである。
岩波文庫(氷上英廣訳)を見ても、
「この十年というもの、あなたはわたしの洞穴をさして
のぼって来てくれた。
もしわたしとわたしの鷲と蛇とがそこにいなかったら、
あなたは自分の光にも、この道すじにも飽きてしまったことだろう。」
と続くことが分かる。

これを補うだけでも、シュトラウス理解には繋がり、
さきの日本語解説が大嘘で、誤解も甚だしいことが理解できよう。
ニーチェは、太陽に、俺がいるから、お前があるのだ、
と対等、並置関係の言葉を吐いているのである。
「太陽賛歌」などではないことは一目瞭然。

シュトラウスも、この対立姿勢を全体のトーンにしているのだから、
この曲解は、非常に多くの誤解の種を巷に垂れ流したと言える。

また、ニーチェの「ツァラトゥストラ」の翻訳そのものも、
今回、いろいろあって、悩ましいことを発見。
岩波文庫には、この続きは、
「しかし、わたしたちがいて、毎朝あなたを待ち、
あなたから溢れこぼれるものを受けとり、感謝して、
あなたを祝福してきた。」
と訳しているが、
音楽之友社のスコアでは、
「しかし、私たちは汝を毎朝、待ちうけ、
汝のあり余る光を受け取り、感謝した。」
と訳してあり、不遜さが異なる。

つぎの部分などは、決裂したのか、和解したのか、
よく分からない状況に陥る。
つまり、
岩波文庫:
「見てください。あまりにもたくさんの密を集めた蜜蜂のように、
このわたしもまた自分の貯えた知恵がわずらわしくなってきた。
いまは、知恵を求めてさしのべられる手が、わたしには必要となってきた。
わたしは分配し、贈りたい。
人間のなかの賢者たちにふたたびその愚かさを、
貧者たちにふたたびおのれの富を悟らせてよろこばせたい。」

音楽之友社スコア:
「見るがよい。私はおのれの知恵に、密を集めすぎた蜜蜂のごとく、
うんざりとしている。
いまや、差し伸ばされる手を私は必要としている。
私は贈り、分け与えたい。
人々のうちの賢者がおのれの愚かさを、
貧者はおのれの豊かさを喜ぶにいたるまで。」

こう比べると、ニーチェは、太陽の限界を喝破し、
自分も太陽と同格である、と言っているようにも見えるし、
太陽に倣って、自分も行動する、と言っているようにも見える。

いずれにせよ、太陽は、いまや、信仰の対象ではなくなったようだ。
さらに、知恵を集めること(科学すること)の限界についても、
ここには、さりげなく織り込まれていたのである。

このようなニーチェの冒頭部を読むと、有名な冒頭部は、
プレヴィンのように素っ気なく演奏する方が正解にも思えて来ないか。
太陽は、惜しみないエネルギーで、人間を圧倒し去る存在でなく、
対等というか、幾分、無関係な存在として捉えられよう。

「シュトラウスの音楽がツァラトゥストラに決心を促した、
日の出の描写にも似て。
原初を表すオルガンペダル音の上に、
トランペット群が鳴り響く。
人間の不完全さに対し、自然の単純な声明が絡み合うように、
この華麗なファンファーレは、ハ長調とハ短調の間を揺れ動く。」
と、解説にあるが、とにかく、人間に対し無機質で、
つっけんどんなのである。
ベームもカラヤンも、作為に満ちて、はなはだ人間的な太陽であった。
ニーチェがその限界を見切る以前の太陽と言えるかもしれない。

「この『自然の動機』は、作品を通じて現れ、最初のセクションである、
ツァラトゥストラが『人間が作った狂気』と見なす神に、
慰めを見いだす、素朴でナイーブな人々、
『背後の世界の人々』の重要な音楽的アイデアとなる。
(ドイツ語で、この『背後の世界の人々』は『田舎者』に発音が似ている。)」
こうして、太陽が簡潔に雄大であるのに対し、
当初、人間存在は、じめじめと煮え切らなくて、
何もかも、太陽とは正反対である旨を示すには、
このような曲想が必要であったことが初めて理解可能となる。

私は、この辛気くさい音楽が、嫌であったが、
まさしくシュトラウスの思う壺だったようだ。
彼は、当初、人間は、こうした惨めな存在だったとして描いたのである。
宗教にすがって、何とか生きてきたという感じであろうか。

レスピーギの「カタコンベ」みたいなものを思い出す。

「この部分と、続く3つのセクション、
「大いなる憧れについて」、「歓喜と情熱について」、
「墓堀の歌」を通じて、原始的で狭量な存在であることを、
人間は克服しようと悪戦苦闘する。
彼の奮戦は、一方では普遍的な自然、
もう一方では、シュトラウスが、
クレド、マグニフィカトを引用によって強調された、
盲目的な宗教を通って行く。
この闘争をシュトラウスは、自然を根源的なハ長調で、
人間はそれに近いが和音的には不調和のロ長調/ロ短調で描き、
日の出のファンファーレと対比させ二律背反的に表現した。」

ようやく、これらの部分で、人間は、何やら自信を持つに到り、
自然を克服してやろうといった、ローマ帝国の退廃のような、
野望と権勢への欲望に満ちた時代を経過して来たということか。
が、この解説にはないが、「ああ、もうたくさんだ」といった感じの、
「倦怠の動機」が出て、「墓場の歌」では、かなり疲労困憊している。

それは、やはり、中世の錬金術のような怪しい実験室から、
科学の萌芽が生まれ、ルネサンス期の再度の自信回復のような一章が続くと、
勝手に解釈するのも悪くないかもしれない。
このように聴くことで、先の「人間の進化の歴史」が把握され、
曲の表記にも、論理的なつじつまが合って気持ちよくなる。

解説にも、こう書かれている。

「第五の部分「科学について」で、人間は自らの卑小さを、
知性を通じて克服しようとする様が、
自然の主題を元に、ハ長調、ロ長調を混ぜながら、
最もアカデミックな音楽形式であるフーガで描かれる。」

ニーチェがいなければ、この科学礼賛で終わっても良いわけだ。

以下が、先に書いた、「病から回復に向かう者」の解説で、
人、ツァラトゥストラは、再度、これでもないと限界を感じるわけである。
まだ、現代人も、これについては、ツァラトゥストラの域に達していないので、
ここからは、単に人間の歴史ではなく、その延長への失望と、
未来像が予見された、幻視の音楽になっていかなければならない。

「フーガは、次のセクション『回復期の人』の中で、
まるで、ツァラトゥストラが落胆の重さに崩れ落ちるように最高潮に達する。
自然のモチーフが響き渡ると、
ツァラトゥストラは、人間の唯一の望みは、超人の出現であると悟る。」
この、落胆については、上記、転換点に当たるため、
かなり、劇的であるべきだが、
プレヴィン盤より、ベーム、カラヤンのこけおどしが懐かしい。

以下の部分は、若干、安易な感じで、解釈に疑問がないわけではないが、
うまく、つじつまが合うようになっている・
「この喜ばしい発見は、『舞踏の歌』にて、
幾分、シュトラウスにはアイロニカルに、ヴィンナワルツを変形させ、
ここで、ここまで聴かれたほぼすべての動機は、次第に一律化されて行く。」
いずれにせよ、何か、違う価値観の中に、
あるいは、まったく異なる自然観の中に、
万物が調和する幻想が描かれているようだ。

「幻想」と書いたのは、最終的に、これが打ち破られるからである。

このような、理想の未来像、
あるいは、ツァラトゥストラの空想の楽園を描いているので、
プレヴィン盤のヘッツェルの、やや、くすんだ、
しかし、癖のある、えもいわれぬ色調が、
シュヴァルベの、突き抜けるように澄んだ、
反面、俗っぽい美音よりは好ましいような気がする。

「ワルツがすさまじいクライマックスを形成すると、
深夜を告げる鐘が、『夜のさすらい人の歌』のセクションを導く。
この時点で、著者と作曲家は、別の道を歩む。
ニーチェのツァラトゥストラは、超人の時代の到来の宣言を、
自らの使命としているのに対し、シュトラウスは、
人間と自然の対立は永遠だと信じている。
最も謎に満ちた瞬間の1つが、自然のハ長調と人間のロ長調は、
まったく並列して進み、最後の言葉は自然となっている。」
この解説は、味わい深い。
ニーチェの天才への賛歌、と作曲家自身が書いているのにもかかわらず、
ニーチェの否定が、シュトラウスが最後に書いたことだと言うのである。
言うなれば、「ニーチェさん、面白い夢を見せてもらってありがとう」
という感じであろうか。
とにかく、「舞踏の歌」が、やはり、ニーチェの哲学を、
垣間見せた音楽の本質ということになろう。

が、スコアについている解説などを見ると、
ここでの鐘の音は、正しく、ニーチェの著作に準じているとある。
岩波文庫(「深夜の鐘の歌」)では、
「一つ!
ああ、人間よ!しかと聞け!
 二つ!
深い真夜中は何を語る?
 三つ!
『わたしは眠りに眠り、
 四つ!
深い夢から、いま目がさめた。
 五つ!
この世は深い、
 六つ!
[昼]の考えたよりもさらに深い。
 七つ!
この世の嘆きは深い。
 八つ!
しかし、よろこびは-断腸の悲しみより深い。
 九つ!
嘆きの声は言う、[終わってくれ!]と。
 十!
しかし、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ、
 十一!
- 深い、深い永遠を欲してやまぬ!』
 十二!」

この12の鐘については、楽譜では、
876小節から、最初はフォルテッテシモで、
最後は消えるように、間隔をずらしながら確かに12回、
打ち鳴らされている。

この鐘の音色は、実は、プレヴィン盤はあまりよく聞こえない。
古い録音のベーム盤は、録音はずっと劣るながらも、
この部分、忘れがたい音色を響かせていた。

岩波文庫には、「酔歌」の部分に、
「鐘よ、甘い竪琴よ!私はお前のひびきが好きだ。
お前の酔いしれたヒキガエルのような声が好きだ!」
という部分があって、まさしく、ベーム盤は、このような音色なのだ。

かつて、どこかで、この鐘の音の間隔の引き延ばしが、
永遠に繋がっていく、と書いてあるのを読んだような気がする。
こう考えると、この部分、永遠回帰を指向しているようにも思え、
あながちニーチェ不賛成とも言えないような気もする。

シュトラウスがクローズアップした、人間と自然との永遠の対立すら、
その文脈で捉えられるような気もする。
とにかく、この謎のエンディングには、そのような永遠の謎を、
封じ込めなければならないということだ。

この最後の部分、消え入るような、
独奏ヴァイオリンが聴きものであるが、
カラヤン盤などでのシュヴァルベの音は輝かしく、
自信満々で、人間が自然を征服して黙らせた感じがするが、
まさしく、これは超人の到来かもしれない。

が、ここは、ヘッツェルのように、やや陰影を持たせ、
神秘的に謎が提示されていく方がシュトラウス的であるかもしれない。

「うわべの不賛成にも関わらず、人はシュトラウスが、
いかにツァラトゥストラに同化しているかに驚かずにはいられない。
『死と変容』と同様、人生における精神の旅を、ツァラトゥストラの主人公も、
短い時間に圧縮している。
高尚な主題を扱いながら、これら両作品は、
標題音楽の枠組みの中で、若いシュトラウスは、
自身の内面を描き出している。」

ということで、このプレヴィン盤、
いろいろなことを考えながら楽しむことが出来た。
カップリングは、私個人としては、別の曲がよかった。

得られた事:「日本盤CDの解説は、時として、海外版解説と反対の趣向、解説を含むことがある模様。」
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by franz310 | 2008-11-16 13:10 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その148

b0083728_10451265.jpg個人的経験:
以前にも書いたが、
私が中学生の頃は、
「シュトラウスを
聴かなければ、
管弦楽を聴いた
ことにはならない」、
と言わんばかりの
広告があった。
ここまで書かれると、
何か聴かないといかん。


そう思って、一番、有名な、「ツァラトゥストラはかく語りき」の、
ミュージックテープを買って来た。

またまた、「ます」からは脱線するが、
そもそも、「ます」の録音を二度も行った、
バイエルンのコンサートマスター、
ケッケルトの話から、ここまで来てしまった。

最初に「ツァラ」を買った時、
他に候補がなかったのだろうか、
何故かベーム指揮のものを買って来た。
何故だろう、と、ふと、疑問がわきあがる。

ちなみに、74年、「レコード芸術」誌付録の「最新レコード名鑑」では、
カラヤン、メータ、バーンスタインが推薦されている。
ただし、カラヤンのは73年録音の、ベルリン・フィルとの新盤である。

私が記憶を辿る限り、
ベームのを買った後、すぐに、カラヤンの新盤が、
店頭に並んだような気がする。

とにかく、このようにして買って来て、
それとは別に、5つ驚いたことがあった。

1. 最初の部分以外、まったく面白くない。

2. 両面合わせて30分程度しか収録されてない。

3. 協奏曲でもないのに、ヴァイオリン独奏者の名前が書いてある。

4. オルガンが響き渡ることが有名だが、ほとんどそれが聞こえない。

5.何時終わったか分からない。

こんな風に、シュトラウスの第一印象は最悪だったような気がする。

一方で、カラヤンのレコードには、強烈な印象が残っている。
といっても、演奏内容からではない。

b0083728_1045421.jpgベームのものは、
デザインも含め、
何だかよく分からなかったが、
カラヤンのものは、
少なくとも、
ジャケットがかっこよかったのだ。
この日蝕のような
デザインテイストは、
どうやら、多くの人の、
心を打ったようで、
類似のものが多く現れた。

おそらく、太陽の強烈な光が、これから差し込むであろう瞬間を捉え、
それが、この曲の冒頭のイメージに繋がるのであろう。

また、宇宙映画の主題曲にも選ばれたので、
天体とは相性が良いのであろう。
当時は、ホルストの「惑星」が人気作品であったから、
そうした雄大なイメージは時代の感覚にも合っていたのかもしれない。
あるいは、この録音を当時入手していたら、
もう少し満足度は高まったかもしれない。

一方、ベームの録音であるが、
今もって、このテープに使われた謎の図形の意味は、
解読できていない。

b0083728_10462249.jpgLPなどでも、
ベーム盤は、
廉価盤で
再発売されたし、
レギュラー時代のもの、
輸入盤も合わせて、
今でも、中古でも
出回っているが、
別のデザインなので、
この輸入カセットの正体は
不明のままである。

LPのベーム盤は、大空に広がる夕日であるが、
これは、カラヤン盤と反対に、日が暮れる印象で、
ツァラトゥストラの冒頭というより、
終曲のイメージに連なるものかもしれない。

いずれにせよ、雄大な自然が描かれた音楽ということであろう。
が、これらのジャケットは、はたして、意味があるのだろうか。

ニーチェは知っていて、
その著作、「ツァラトゥストラはかく語りき」には、
仮に目を通したとしても、
この曲とどんな関係にあるかは、
よく分からないままである人が多いはずである。

なぜなら、レコードの解説でも、そのあたりについて、
よく書いていないからである。

例えば、先の「レコード名鑑」でも、
「交響詩とはなっているが、この哲学書を標題的に扱ったものではなく、
この本の詩的な気分をとりあげた絶対音楽に近い作品である」とあって、
「曲は単一楽章でできているが、
全四部にわかれているところでは交響曲に近い」と結んでいる。

それなら、もっと、ジャーンと豪快に終わって欲しい。

では、当時の私は、
このグラモフォンの輸入テープについていた解説を、
もしも、よく勉強して読み解いていれば、
何か、違うその後があったのだろうか。

英語と独語がついているが、今回、初めて読んでみた。
ただし、無署名である。

「ニーチェによる、リヒャルト・シュトラウスの音詩、
『ツァラトゥストラはかく語りき』作品30は、
『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』と、
『ドン・キホーテ』の間、1896年に書かれた。
2年後には、想像力に富んだ、音楽的自伝、
『英雄の生涯』を書いている。
『ツァラトゥストラ』は、続く二作に先立つ自然な補足であり、
これは実際、自伝ではないが、ニーチェの思想に対する、
明らかな信仰告白となっている。」

ということで、どのような告白がなされているのかが気になる。

「このことは、スコアの冒頭に置かれた、
散文詩によって要約されているかもしれない。
『音楽は、あまりにも長い間、まどろんでいた。
今、我々は目覚めるときだ。
暗闇を歩いていた我々は、
これからは光の中を歩くのだ。』
この作品の中で、シュトラウスは、
『哲学的音楽』を書こうとしたのではなく、
思想の体系を作曲してみせようとしたのでもなく、
むしろ、ニーチェのアイデアのエコーであり、
『哲学的な詩』の、熱狂的な言葉の音楽化とは反対に、
『音の詩人』が感じたものを作曲した。」

このあたり、実にややこしいが、
しょっちゅう、引用される箇所であって、日本盤LPの解説では、
「自分は、哲学的な音楽を書こうとしたのでもなく、
あるいはニーチェの偉大な著作を音楽で描こうとしたのでもない。
音楽という手段により、人類の発展の観念を、
その起源からその発展の諸相を経て、
宗教的にも科学的にもニーチェの超人の観念に到るまでを
伝えようとした。」

別の表現をすれば、少し分かるかと思ったが、
結局はややこしい。

シュトラウスは、単に弁明しているだけに思える。
いくら、そう主張したところで、
こんな題名を付けられると、どの部分が何を表している、
などと詮索せざるを得ないではないか。

いずれにせよ、音楽が新しい生命を得ることを、
ここでは、求められているようである。
少なくとも、ニーチェはそう願った。

LPを見ると、A面には、序奏に続き、
「後の世の人々について」
「大いなる憧れについて」
「歓喜と情熱について」
「科学について」
「病から回復に向かうもの」(第一部)
が収められ、
B面には、
「病から回復に向かうもの」(第二部)
「舞踏の歌」
「さすらい人の夜の歌」
が収められているということが分かる。

前半に短い曲がならび、後半になると長い曲が続くようだ。
「ドン・キホーテ」とは違って、切れ目なしに繋がっているので、
まさか、A面、B面にまたがった部分があるなどとは知らなかった。

とにかく、この題名を追ってみても、
どうやって、「人間の起源と発展の諸相」になるのか、
さっぱりわからない。

テープの解説の続きを読んでみよう。
「これが、野心的な音詩であることは、
6つのホルン、2つのハープ、オルガンを含む、
異常な編成からも分かる。」
だから、それは、どんな野心なのですか。

CDで言うところのトラックナンバー式に整理しながら、
ここに書かれたことを整理してみた。

1.序奏:
「この巨大なオーケストラの手段を利用して、
シュトラウスは、序奏部で、この作品のコンセプトと、
トランペットの呼び声から、導かれるメインテーマを示す。
この謎に満ちた序奏は、大きな音響変化の他、
短調と長調の激しい切り替えを有し、
標題的な詳細を知りたいと思う者を戸惑わせる。」

ちなみに、日本盤解説は、このような難しい事は書いておらず、
「曲は、ハ長調で緩やかにはじまり、
朝日が天に昇るのを描く。そこでトランペットが荘重に、
『自然の主題』を出す」とあるだけである。

しかし、この「自然の主題」が、何なのかはよく書かれていない。
が、このような主題からも、これらのジャケットで、
自然の雄大な光景が使われるのにも意味があったと分かる。

最近になって、かつて憧れたカラヤン盤を入手したので、
非常に有名な部分なのだが、この部分を聞き比べるとどうなるだろう。

私は、カラヤン/ヴィーン・フィル盤は未聴だが、
ベルリン・フィル盤を聴くかぎり、ベームは悪くない。
非常に、緩急のアクセントをつけて、芝居上手な感じがする。

日の出のようなものより、人為的な感じがするくらいであるが、
かなり気迫がこもっている。

2.「後の世の人々について」(約4分):
テープ解説には、こうある。
「序奏に続く楽章『後の世の人々について』は、
超越的事象の特徴を扱う。
シュトラウスはこれを表すために、
グレゴリオ聖歌のクレドをライトモティーフのように使っている。」

ここは、最初に聴いた時にとまどった部分である。
せっかく、壮麗な序奏から始まったのに、
いきなり、楽器がぼそぼそと暗いムードで呟く。
この部分に、みんなが不満を持ってしかるべき部分である。
そもそも、ソナタ形式ならば、序奏の後に活き活きとした、
アレグロが来るべきであろう。

とにかく、中学生あたりが持っていたラジカセなどでは、
各楽器が何をして、何が起こっているのか分からなかった。
暗い。とにかく暗い。改めて聴いても暗すぎて、
どこが聞き所なのか分からない。
ようやくのように、弱々しく聖歌調の音楽がメロディアスに響く。

今回、改めて、解説を読んでも、よく分からないのは変わらない。

「超越論」とは、「有限な事象」に、
「神の存在」を見る哲学のようだが、
それが、「後の世」と何の関係があるのか。
そもそも、「後の世」とは何か。
諸井誠などは、「背後の世界」と訳しているが。

LPには、
「宇宙の謎を解決しようとする人間精神と、
知恵と知識を深めようとする希望を表す、
『憧憬』の動機が低音に現れる。
人間が探求する真理を見いだそうとするために、
宗教に転ずることを暗示し、ホルンがラテン語で、
『我は唯一の神を信ず』と記された、
グレゴリオ聖歌に由来する荘厳な句を出す」とある。

とにかく、宗教にすがる人間を扱った部分のようだ。
ニーチェは神を否定しているので、何だか、弱々しく、
卑小な存在に描かれたのであろう。
先のメロディアスな部分は、最初、弦楽の小さな合奏が、ちまちまして、
弱い者が肩を寄せ合っている感じがする。

カラヤン盤などでは、こうした地味な部分も、
目立つ部分は、ここぞとばかりに、美麗な音で聴かせる。
なお、カラヤン盤の解説には、
「宗教に救いを求める人々の暗示」などとある。

当然、ニーチェであるから、否定されるべき対象であろう。
暗く、じめじめは、シュトラウスの狙いでもあろう。

3.「大いなる憧れについて」(約2分):
どこから、この部分になるのかは、トラックナンバーでもなければ分からない。
ヴァイオリン・ソロに、ハープの分散和音が重なって、
印象的に移行するが、それでも音楽がすぐにぱっと変化するわけではない。
LPやテープでは絶望的。楽譜がいる。

たかだか、2分しかなく、
むしろ、木管の木霊やオルガンの音色が印象的。
こんな中、すこしずつ、音楽は明るい方向に向かい、
何やら、低音からわき上がるものがある。
時折、トランペットが鬨の声を上げる。

テープの解説には、
「次のセクションは、『大いなる憧れ』を表し、
法悦の音楽が、クレドのモティーフと対峙し、
この生の賛美と、来世の知識を対照させる。」

LPには、「第一展開部」とも書いている。

「人間精神を暗示し、無知と迷信から解放を願う人間を描く」
とあるから、「宗教」に対して、何やら、「憧れ」とか「法悦」とかの、
葛藤のようなものを表したものであろうか。

しかし、ほとんど経過句のような部分である。

あえて意訳すると、宗教に束縛された哀れな人間は、
「憧れ」の力によって、その束縛を離れようとするということか。
しかし、カラヤン盤には、
「『憧憬の動機』が、『自然の動機』に否定される」とある。

4.「歓喜と情熱について」と、5.「埋葬の歌」:
テープには、このような一文が続く。
「『歓喜と情熱』が次のセクションの主題であり、
飽き飽きした、うんざりとした感じが描写されるまで、
地上の生は再び賛美される。
葬送の歌が続き、前のセクションの動機再現との間、
陰気に進んでいく。」

LPは、次のように書く。
「ハ長調を中心として、表情豊かな新しい旋律を出す。
トロンボーンが新しい『嫌悪の動機』をだしてくると、
調性はロ短調とハ短調の間をさまよう。
つづいて、前の表情豊かな主題が、『埋葬の歌』と記されて、
オーボエで奏される。」

もう、混乱の極みである。
「ドン・キホーテ」の明快な描写が懐かしい。

とはいえ、ここでは、ようやく、音楽も少しずつ、推進力を取り戻す。
確かに、ハープがかき鳴らされ、管楽器が鳴り響く中、
分厚い弦が歌い継ぎ、葛藤を感じさせる内容。
ようやく曲も盛り上がって来た感じ。
しかし、これも、解説にあるとおり、がくがくした動機の登場によって、
いかにもあきあきした感じになる。

「埋葬の歌」になると、再び、しけた音楽となる。
独奏ヴァイオリンが、よろよろして、途方に暮れたような曲想。
ここでもカラヤン盤は、美音をちりばめて耳をそばだてさせる。

さっきの意訳からすれば、
「憧れ」に従って、好き勝手にしても、
結局は飽きちゃうし、死んじゃうよ、
ということであろうか。

以上、ここまでで、大きな固まりがありそうである。
見ると、カラヤン盤の解説には、「以上が提示部である」とある。
だから、何なんだ、という標題との関係には触れていない。

6.「科学について」:
ここで、またまた、2の冒頭のごとく、
何だか聞こえない音楽になる。
が、LPによると、第二展開部らしい。

テープ解説には、
「次の部分『科学について』は、人間が科学に向かうことを示す。
乾いた、対位法的な効果が、彼らをあざける」とあり、
音楽は分かりにくいが、解説の意図は妙に分かりやすい。
LPには、
「ゆるやかな部分、ここではフーガが採用されている」とあるだけ。

とにかく、聞こえない部分。弦楽が静かにパッサカリアみたいな感じで、
ぼーぼーやっている。この調子で3分近くやっていて部分は比較的長い。

その後、急に、曲調が明るくなって、
楽しく速い音楽が高音の弦で始まり、
木管も明るいアクセントでメロディを歌う。

その後、トランペットでぱっぱっぱーと警告が出て、
ぽこぽこと奇妙な音型が出たりするのが、
あるいは、何か実験をしている様子であろうか。
何となく、徒労に終わりそうな、どたばたが、
それらしく描かれている。
カラヤン盤解説には、「フーガ」とか、
「○○の動機が出て」などと書いてあるだけ。

7.「病から回復に向かうもの」:
ここは、大きな音で盛り上がりながら、
フーガ的な音楽になるので分かりやすい。
もうどたばたである。
カラヤンは、こうした部分を快速で飛ばして、
嬉しそうである。

だんだん、カラヤンの常套手段も見えて来る。
この部分のように、めまぐるしく動く場面では、
いかにも名人芸をひけらかすように、
息をする間もなく音と音とをつなげてしまう。
これによって、推進力と流麗さは出るが、
軽薄な感じになることは、言うまでもない。

各楽器も恐らくは、この部分、自分を殺していて、
納得も出来ず、後味の悪いながらも、指揮者に追従している感じである。

反対に遅い部分では、リズムも粘って、
さらに遅くするので効果は高まるが、
音楽が、必ずしも、こうした効果を求めているわけではなかろう。

途中、バーンと総奏で、盛り上がって終わるので、
LPやテープは、ここでA面を終わる。

前半と後半では、全然、イメージが違うので、
分割されてもしょうがない。

このように、A面の解説も終わっていないのに、
実は、私が持っていたテープの解説は、残りもう5行しかない。

これには、「『回復期の人』は、人生の喜びを求め」とあるが、
LPでは、ここを「第三展開部」とし、
「ツァラトゥストラは、死んだようになって倒れ、
7日間も絶食し、それから次第に快方に向かっていく。
それと同時にツァラトゥストラは精神的に解放され、
変容し、浄化する」とあり、妙に描写的である。

「嫌悪の動機は科学を否定する(フーガ)。
そのクライマックスで自然の動機が高らかに響き渡る。」

おそらく、これが、バーンの部分であろう。

後半は、鳥の声が響き、力が漲って来る感じである。
さらに、金管のファンファーレが、エネルギー満タンの感じ。

また、勝手な意訳を試みると、
死んじゃいそうになれば、薬を使えばいいよ、
生き返れるよ、というお話になってしまう。

カラヤン盤の解説では、ここまでが展開部と再現部とある。
あとは、コーダである、とある。

病との闘いでツァラトゥストラの精神と肉体が勝利をおさめ、
科学を否定する、自然の動機が鳴り響く、とある。
薬などに頼らず、復活したということであろう。

しかし、この部分だけは、みんな自信を持って、
標題を語っているが、何故、前後との関係を気にしないのだろう。

8.「舞踏の歌」(約8分)、9.「さすらい人の夜の歌」(約5分):
テープでは、「楽しげなダンスの音楽が彼を祝福し(舞踏の歌)」、
とあるが、実際、そんな音楽で、ここは、独奏ヴァイオリンの活躍で、
すぐに識別可能。これが8分もあるので、
全曲の1/4は舞踏音楽ということになる。

このあたりは、LPによると、第四展開部だとある。
楽曲構成にいろんな解釈はあろうが、
この部分は、単に舞踏音楽なので、安心して楽しめばよい。

しかし、これだけ活躍すれば、独奏ヴァイオリンの名前を、
明記しないわけにはいくまい。
ベーム盤、カラヤン盤とも、シュヴァルベのソロだが、
カラヤン盤の方が、明らかにしなを作って耽美的。

私は、同じヴァイオリニストでも、
指揮者によって、かなり印象が変わる、
という事実に今回、驚いた次第である。

また、録音のせいか、ソロの強調の仕方も違っていて、
カラヤンの方が目立たせることによって、
楽曲の色調を明るめにしているような気がする。
リズムもしっかり刻みながらも、いくぶん素っ気ないベーム盤は、
地味な印象を免れない。

「ドン・キホーテ」でも、独奏ヴァイオリンが、
妄想の世界に誘ったが、ここでも、これが先導して、
何やら生命の賛歌のようなものに我々を導いていく。

この部分、LPでは、
「ツァラトゥストラはワルツのリズムで踊り出す」
などと、まるで、バレエ音楽か何かのような書きぶり。
が、それでいいような感じ。

「それもおさまると、第五展開部となり、
ホルンが表情豊かに『夜の歌』を奏し出す。」

さっきの解説では、全体は4部分からなる、とあったが、
ここでは、第五展開部まで出て来た。
いったい、どうなっているのだろうか。

が、さきほどのレコード評では、
「舞踏の歌」と「夜の歌」は「大コーダ」とあったので、
2つの展開部を1部分とする考え方もあるのだろう。

カラヤン盤によると、
1.埋葬の歌まで。
2、3.回復に向かう者まで。
4.残り全部。
ということらしい。
全曲の1/3がコーダなのだ。

また、この部分、ベームのLPによると、
「独奏ヴァイオリンも効果的であり、ここで自然と人間の動機が、
巧妙に結びつけられる。そこには、『歓喜と情熱』で、
あらわれた旋律も加えられる。
さらにワルツの旋律も出る。その頂点で鐘が響き、
『さすらい人の夜の歌』と記された旋律が力強く奏される」とある。

確かに、力強いが、何故、夜の歌がこんなに力一杯なのかは謎だ。

カラヤンは、こうした場面は大好きである。
打楽器の連打もすさまじく、オーケストラをあおって、
自分の美学全開という感じである。

このカラヤン盤の解説には、
「さまざまな主題が出てクライマックスになる」とあって、
再び、完全に標題解釈を放棄している。

さらに、輸入テープでの解説は、
かなり投げやりで、もっといい加減。

「『さすらい人の夜の歌』では、明るいロ長調で、
この人生の謳歌を締めくくる」とあるだけである。
「人生の謳歌」はないだろう。

LPは、「それから速度が緩み、
結尾となって、ハ長調とロ長調の復調的な進行を見せ、
最後はハの音で結ばれる」となっている。

最後の「鐘」が始まると、私は、ようやくこの曲も終わるな、
という感じを受けたものだが、その後は、もう、
何だか、息も絶え絶えになっていくばかりのような終曲は、
いったい何を表しているのだろうか。

カラヤン盤の解説には、「神秘的に終わる」とあり、
ニーチェが、「大いなる真昼のとき」に、
生命が燃焼し、舞踏に合わせ、歓喜の歌を歌うとした、
という輝かしさは、ここにはない。

ベームとの比較では、
カラヤンが、高音の美音を響かせているが、
録音がそれを補っている可能性もある。

が、この謎に満ちた終結部に関しては、
少し、無関心すぎるような気もする。
楽団員にも、勝手にやって頂戴、という感じが漂っている。

ただし、ベーム盤がそうではないかと言うと、
やはり、ベルリン・フィルはベルリン・フィル、
といった感じがしないこともない。
カラヤンのような不自然さはないものの、
色気も薄いのも確か。

カラヤンのは協奏曲的で、ベームは交響曲的。
いずれも、標題について、深く悩んだ様子は感じられない。
どの解説もそうだったが。

昔、ベームの演奏のものを買った後で、
カラヤンの新盤が出た事で、大失敗したような気がしたが、
今、聞き比べると、どっちもどっちの変な音楽、という感じ。

解説を書いている人たちも自信なさげで、
この曲はこう聴け、という主張はない。

絶対音楽で、標題は無視せよ、と言われて、
はい、わかりました、というリスナーが、はたして、
どれだけいるのだろうか。

「ツァラトゥストラ」の名を語って売る以上、
また、各トラックに意味深なタイトルを付ける以上、
それなりの私論でも書いてくれないことには、
内容に偽りありとして、公正取引委員会や、
消費者保護法案のお世話になるのではあるまいか。

ということで、こまった音楽である。
きっと、この曲の冒頭を聴いて、クラシック音楽が好きになり、
最後まで聞いて、嫌いになった人たちも多いことだろう。

得られた事:「コンサートマスターの独奏の音色も、指揮者によって印象が異なる場合がある。」
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by franz310 | 2008-11-09 11:49 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その147

b0083728_13472033.jpg個人的経験:
前回、テスタメントの
CDの解説を読んで、
シュトラウスの
「ドン・キホーテ」
録音史を勉強したが、
ケンペ指揮、
ベルリン・フィル
のレコードは、
史上初のステレオ盤
だったという。


これが、1958年6月のもので、
2年後の1960年の9月に発売されると、
4ヶ月後にライナーの対抗盤が出て来たとあった。

ライナーのCDを見て見ると、確かに1959年4月11日録音とある。

EMIに録音した、ケンペの方が、発売だけでなく録音も早く、
一般には、EMIはステレオの時代に乗り遅れたような書き方が、
なされることが多いが、こんな風に先行していたこともあったようだ。

とはいえ、前にも触れた、「カラヤン帝国興亡史」には、
「1958年1月、アメリカのレコード会社RCAは、
それまでのイギリスのEMIとの提携関係を解消した。
・ ・EMIは技術力でも販売力でも劣る会社になってしまった」とあり、
いろいろな意味での激動期であったことが分かる。

このような背景下、ステレオで登場したライナー盤、
表紙は、ドーミエの、ドン・キホーテを題材にした、
絵画があしらわれ、格調も高い。
(ボストンのコレクションとある)
ただ、何となく、心をときめかす華がないのが残念だ。
(なるべくオリジナルの装丁に従ったとある。)

上に書かれた、「LIVING STEREO」の、
黒い背景に白抜きの文字が、私を一番、引きつけた、
というのが正直な感想である。ここだけは、
いかにも、RCAのものだという存在感が、びしっと決められている。

b0083728_13494891.jpgちなみに、このCDの
真っ赤な盤面も、
私には、妙に魅惑的に感じられる。
銀色のケンペ盤よりは
凝った感じがする。

私は、
フリッツ・ライナー指揮の、
「くるみ割り人形」の録音を
ずっと愛聴していたので、
この指揮者を
軽んじるわけにはいかない。

前回、ケンペ満面の笑みの写真のCDを紹介したが、
一方のライナーと言えば、恐怖の独裁者である。
オーケストラの楽員であれば、ケンペの指揮の下でこそ、
打倒ライナーで、張り切って欲しいものだ。

1960年9月に発売されたケンペ盤は、
その年末のクリスマス商戦に間に合っただろうが、
4ヶ月遅れでは、ライナーは商戦を逃しているはずだ。
初年、販売枚数ではケンペが勝てただろうか。

が、おそらく、日本のレコード評論界では、
ライナーが圧勝したようだ。
1960年の「レコード芸術」推薦盤として、ライナーは出ているが、
ケンペの名前はない。
ライナー盤は、「全体的にキビキビした現代風感覚で、
ところどころにライナー独特の冷たさが顔を出すが、
各変奏の情景描写の巧妙さは無類といってよい」、
と書かれている。

また、昭和49年(1974)の、
「レコード芸術」付録の最新レコード名鑑でも、
このレコードは、カラヤン盤の次に推薦されている。

この冊子では、かろうじて、
「管弦楽全集」のところに、
ケンペのものが「現在進行中」とあり、
ドレスデンとの盤がこのように紹介されている。

これを読むと、
「『ドン・キホーテ』も立派な仕上がりだが、
トルトゥリエのチェロが上品すぎる上、
全体にユーモアが欠けるのが残念だ。
この曲にはもうひとつ遊びが欲しい」とある。
おまけに、「ケンペのまじめな性格が、
かえってマイナスになってしまったのだろう」とまで書かれている。

確かに、この時期、ケンペと言えば、
「不器用」、「まじめすぎ」のレッテルがまかり通っていた。

と言うことで、
にこやかに指揮をしていたケンペが、実は、まじめすぎ、
独裁者のようなしかめっ面のライナーは、
本当は、不真面目、ということになりそうだが、
まずはともあれ、この演奏を聴いてみたい。

が、いきなり、結論じみて恐縮だが、冒頭から、
主人公を妄想の世界に誘う、独奏ヴァイオリンは素っ気ないし、
先入観のせいか、全体的にくそまじめなのは、ライナーの方だ。
そんなに描写に凝っているとも思えず、ユーモアを讃えているとも思えず、
かなり、純音楽的と言えるのではなかろうか。

これはこれで、非常に純度の高い、ライナーの、
鋼鉄の意志の結晶を想起させるもので、
はちきれんばかりの音楽の充実を感じさせる。
名盤だとは思う。

チェロ独奏に抜擢されたヤニグロは、1918年、
(トルトゥリエの4歳年少)
イタリアに生まれ、パリで学んだチェロ奏者であるが、
技巧と繊細さを兼ね備えた人とされる。
1959年に、ライナー指揮の「ドン・キホーテ」で、
アメリカデビューを果たしたとあるから、やはり、
この曲を得意としていたのであろう。

しかし、ヤニグロと言えば、
後にザグレブのオーケストラの指揮者になった事で知られ、
古典派の作品で、良いレコードを沢山残していたことで記憶される。

ライナー盤は確かに爽快に一気に聴かせるが、
オーケストラの団員は、かなり、緊張しまくっており、
やることだけは、きっちりやらせて頂きます、という感じ。

ヤニグロのチェロも、特にオーケストラに溶け込みがちで、
「良い」とするには、特に後半は存在感が薄い。
上品か下品かと問われれば、奥ゆかしい感じで上品である。
とはいえ、第三変奏の、チェロとヴィオラの会話などを聴くと、
むしろ、ヴィオラのPrevesの方が張り切っている。

b0083728_13523824.jpgさて、今回、
この盤を取り上げた、
さらに決定的な要因は、
このCDの解説にある。
非常に面白いもので、
挿絵もいっぱい。
音楽を完全に物語として
解釈している点が徹底されている。
クリスマス商戦に、
間に合わなかったとしたら、
大変、残念なことであった。

しかし、こう見ると、アメリカのレコード会社は、
ヨーロッパよりこの点有利である。
欧州では、英語以外の言語も用意する必要があり、
その分、内容が薄くなってしまう。
アメリカ盤は、英語しか考えてないので、長文対応が可能となる。
これくらい書いてもらわないと、最初にこの曲を聴く人には理解が困難だと思う。

解説はこんな風に始まる。
「ラ・マンチャのある村に、棚の中に槍を、
また、小楯や、やせた馬、すばしっこいグレーハウンドを
持っているような紳士の一人が住んでいた。
『彼はだいたい50歳くらいで、逞しい体格、
しかし、しなびていて、容貌のやつれた、
早起きの狩猟愛好家だった。
彼は余暇には(長い間そうだったが)、
騎士道の本を読みふけり、
すっかり狩りや家事を忘れ去っていた。
彼の想像力は、読んでいた本から、
魔法、反目、戦闘、挑戦、負傷、求愛、恋愛、苦悩、
そしてその他の不合理といった、沢山の妄想を膨らませていた。
遂に、彼は完全に思考力を失い、
誰も考えたこともないような、異常な幻想の世界に陥った。
彼は、彼自身の名誉、そして国家への忠誠のため、
馬に乗って、鎧を身につけ、冒険を求めて、世界中を放浪する
騎士となることが必要だと考えた。」
すばらしい。
これこそが、この小説、交響詩の大いなる前提であって、
まず、ここをこう書かねば、単なる頭のいかれたおっさんということになる。
貧乏だが読書家。
こう書かれると、多くの人(すくなくとも読む人)は、この人物が、
自分とは無関係ではないと感じるはずである。
明日は我が身、あるいは、ひょっとして、これって俺?
のような感覚が前提とならなければ、
この作品を完全に味わうことは出来ないだろう。

「『ドン・キホーテ』は、他のどのスペイン文学の主人公より、
音楽の中で扱われている。
Victor Espinosによると、リヒャルト・シュトラウスの他、
パーセル、テレマン、マスネ、ファリャ、そしてロドリーゴなど、
世界中の50人の作曲家が、この主題を取り上げている。
『ドン・キホーテ』は、シュトラウスの交響詩の6番目のもので、
彼による、セルバンテスの小説の音楽的解釈であり、
『騎士的性格の主題による幻想的変奏曲』と題されている。
この作品は1897年、ミュンヘンで作曲され、
1898年3月8日、ケルンで初演されている。
作品は序奏、主題と、10の変奏曲、及び終曲からなる。」
この部分は、すでに多くの解説で見たとおり。

また、ライナー盤の解説は、
次のように、序奏を要約してくれているのが良い。
「序奏は、ドン・キホーテの性格と、騎士道への憧れをほのめかし、
続く主題は彼の理想の女性を表し、
次第にここに、ドンの冒険への憧れが絡んでいく。
彼の旺盛な読書の結果として、騎士の心には混乱が生じる部分が、
オーケストラで表され、ドン・キホーテの心は、
まるで伸びきったバネのように、クライマックスでぷつんと切れてしまう。
騎士の冒険の旅が始まろうとしているのは明らかである。」
この対位法を駆使した、複雑怪奇な音楽は、
このような背景が分からないと、あまりに唐突すぎて混乱してしまう。
後半がフーガとなるのは、バッハ以来の伝統だが、
最初からこうした技巧が繰り広げられ、その後になって、
比較的平明な部分が来るというのは、心の準備も何もあったものではない。

混乱を生じる部分がオーケストラで奏され、とあるが、
この部分、ファンファーレや甘味な独奏ヴァイオリンが、
妄想を膨らませていく点も注記が欲しい。

しかし、「ぷつんと切れてしまう」という表現、が気に入った。
ティンパニが連打され、金管が咆吼する序奏の最後がそれであろう。

この難所が、私の意見では、もっとも難しい部分で、
カラヤンなどは、まるで、この妄想のけん引力が弱い。
鉄の意志のライナーであるから、妄想には屈しないと思われるが、
逆に、ここでは、妄想側に荷担して、強烈に、あっちの世界に連れて行かれる。

演奏にかけた時間は、6分4秒で、ケンペの6分5秒とは大差なく、
同様に、きびきびと仕上げて、妄想への転落をうまく表している。

が、ケンペには、さらに、ここに微笑みがあるような気がする。
節回しのちょっとしたポルタメントに、そんな余裕というか、
オーケストラ・メンバーの乗り具合を感じる。
また、時に、テンポを落としてメンバーを放任しているような場面もある。
こうした部分を是とするか否かで、ケンペの評価は変わってこよう。

技術力で劣った会社とされたEMIであるが、
遜色は感じない。むしろ、雰囲気豊かな広がりを感じるのは、
EMIを原盤とするケンペ盤である。
よく言われることであるが、アメリカ録音は、
色彩的であるが、空気の感触は少ない。
が、眼前で鳴っているリアルさはさすが。
かつて、硬めに感じた質感も、丁寧なマスタリングによって、
かなりジューシーになって、第三変奏のクライマックスなど、
はち切れるカリフォルニアの果実のようである。

こうした美学の差異も、演奏に関係しているかもしれない。

さて、音楽は、この後、チェロが本格的に歌い出すが、この時は、
すでに威厳正しく、騎士になってしまったおっさんなのである。

このように聴くと、本当によく出来た音楽だったと思われるのである。
このチェロの主題は、基本的に冒頭の主題と同じだが、
最初は、剽軽な田舎の親父風だったのが、すっかりそれらしくなりきっている。
「できあがってしまっている」という感じが重要である。

この部分、確かに、ヤニグロはうまく騎士になりきっている。
剛毅なはずのトルトゥリエは、少し、ニヒルな二枚目である。
先の批評でまじめすぎ、というのも分からなくはない。
室内楽的な演奏で、はったりのようなものに欠ける。
内省的で、読書家であった、主人公は、こんな風かもしれない。
が、ぷつんと来た後の、キホーテは、
確かに、別人格に変身している必要があるやもしれぬ。

b0083728_13562842.jpg「色彩的な変奏曲を通じて、
ドンと、従者の対称的な主題は、
共にあって、騎士の主題は、
独奏チェロでアナウンスされ、
サンチョ・パンサは、
バス・クラリネットと
テノール・チューバによって、
さらには、
独奏ヴィオラによって表される。」


「このロバに乗りながら、
みすぼらしいやせ馬、
ロシナンテにフル装備で乗った主人を追う、
太鼓腹の、ラ・マンチャの農夫を忠実に描いている。
それぞれの変奏は、それぞれの冒険を描く。」
最初の変奏の前半で、さっそうと旅するドンの姿は、まことに爽快である。
チェロがひっきりなしに歌っている。

「まず、ドンは、農地で、風車を威嚇するような巨人と勘違いする。
彼の戦闘準備の中で、ヴァイオリンと木管の響きに、
彼の理想の女性、ドゥルチネア・デル・トボソの主題を聴く。」
私は、この解釈は賛意しかねる。
戦闘準備で、思い姫が出るというよりも、旅そのものが、
姫の導きといった感じを受ける。

「ドンは巨人に突撃し、前方の最初の風車の羽を槍で突く。
風が吹いて、その槍が耐え難い勢いで風車を回したので、
騎士と馬は地面に転げ、我々は、加工するハープのグリッサンドと、
重々しい太鼓の響きに、彼らが落ちる様子を聴くことが出来る。」
このどすん、は、ケンペのが気に入っている。
力尽きそうになると、ドゥルチネアの主題がチェロに出て、
彼が、姫への愛情によって復活する様が描かれて憎い。

この後、ライナーの解説の描写は憎い。
音楽は無視して、完全に独立した文学になっている。

「突然、ドン・キホーテは、近づいて来る、
もうもうと上がった土埃を見た。
振り返って、サンチョに、
『あの土埃を見たか、サンチョ。
数え切れないほどの強大な混成軍が向かって来るものと見える。』
ロシナンテに拍車を当てると、
彼は丘を、稲妻のように駆け下りたが、それは結局、
羊の群であった。弱音器付の金管が動物の鳴き声と、
ドンの頑強な意志を表し、特攻で7頭を地面に葬り去った。
羊飼いは乱入者に投石し、彼は、この試練で3、4本の歯を折って、
再び地面に投げ出される。」
ただし、この最後の部分は、一般には、音楽では省略されている。

「第三変奏は、ドンと従者を表すチェロとヴィオラの対話である。
サンチョは、主人が、理想の愛に啓示を受け、
穏やかに哲学的なムードだったり、
情熱的に栄光について論じたりする中、
ぺちゃくちゃ、落ち着きなくしゃべる。
その独白は、騎士の大志の広がりと共に、
フル・オーケストラに広がっていく。
サンチョは彼を現実に引き戻そうとするが、
騎士は憤慨して黙り込むばかりである。」
前述のように、この部分、ライナー盤のオーケストラの広がりが素晴らしい。


「ドン・キホーテが、異教徒と間違った悔悟する者たちの行列が、
変奏曲4では、バスーンと弱音器をつけた金管によって描かれる。
彼は、彼らを攻撃するが、聖母像を担いでいた一人に、
家畜を追う熊手で強打され、ぐうの音も言えなくされる。
ここでは、巡礼が進んでいくような聖歌を聴くことが出来る。
キホーテは次第に意識を取り戻し、サンチョはようやく、
主人が生きていたことを確信し、彼の近くで眠る。」

しかし、以下の部分は、この書き手は、通常解釈とは異なるようだ。
第五変奏は、ドン・キホーテは、寝ずの番の儀式をしている場面とされる。
が、単に、眠らずに姫のことを考えていた、とする下記解説でも、
別に問題はなく、物語の進行上は、これでも良いような気もする。
瞑想的なドンの前に、冷たい夜風が引き抜ける感じが重要なだけだ。

「が、セルバンテスはこのように書く。」
と、あるところも面白い。

「『ドン・キホーテは、彼の思い姫、
ドゥルチネアのことを考えて、眠らないでいた。』
ホルンがドゥルチネアの主題を呼び戻す。
独奏チェロのためのラプソディが、
ハープとヴァイオリンのカデンツァに装飾されて、
ドンの心を支配する法悦を表す。」

この法悦という意味では、ヤニグロよりトルトゥリエであろう。
この奏者の内省的な良さが滲み出たモノローグとなっている。
ヤニグロは、録音のせいか、少し音色が単調で損をしている。
トルトゥリエほどの存在感は、ここではない。
あるいは、ケンペは、自由にやらせたが、
ライナーは、睨みを利かせていた可能性もある。
独白はしているが、法悦に到った感じはない。

「ドンが、ドゥルチネアの住む、エル・トボソに到着するや、
サンチョは、最初に合った百姓の娘こそが彼女であると、
信じ込ませようと企んだ。
この偽のドゥルチネアを描くのが変奏曲6で、
理想の女性の音楽的パロディである。
彼の従者の主張にもかかわらず、キホーテは苦しみ、
それを信じようとせず、悲しげにこう嘆いた。
『何故、魔法使いらは、我が身をたぶらかすのじゃ。
彼女に相応しい出で立ちの我が貴婦人を見る幸せを奪おうとしよる。』」

このあたり、何が起こったか、
これではよく分からないが、
岩波文庫などで見ると、キホーテも、一応、
ドゥルチネアと信じた模様。
ただし、どうしてもそう見えないのは、幻術師が、
彼をかどわかしていると信じて、姫はそっちのけで、
幻術師を憎む、ということになっている。

この変奏の如く、さっと明るく開放的な部分になると、
はるかにケンペは魅力的である。
楽員の自発性で、さっと日が差して来たような暖かさを感じる。

「ドンとサンチョは、魔法の木馬に目隠しをされて乗り、
騒音のような音で扇がれる。
彼らは強風で空を飛んでいると思い込むが、
我々はそれをオーケストラで聴くことが出来る。
(初演でセンセーションを巻き起こした、
有名なウィンドマシーンのひゅーひゅー音。)
それからバスーンの持続音を伴う、
ドラマティックな休止があって、乗っていた者たちを現実に戻す。」

b0083728_14203832.jpgこの部分も、
ライナーの力任せより、
ケンペの方が楽しい。
絶対、ライナーの方が
くそまじめである、
と確信するのは、
これらの変奏曲に
おいてであった。



「ある苦しんでいる騎士を救うための、神の導きと信じて、
ドン・キホーテはエブロ川の川岸にあった、櫂もない小舟に乗る(変奏8)。
二人の出航がドンのテーマがバルカロールになることによって示される。」

b0083728_1424515.jpg「彼らは下流に漂って、
水車の方に向かうや、
ドン・キホーテは、それを、
騎士が監禁された要塞と信じる。
彼は、水車の水路に行く船を
留めようとした水車番を、
剣で斬りつけるが、
船は転覆し、二人は川に落ちる。
彼らは助かり、再び丘に上がるが、
窮地からの脱出を感謝して、
レリジョーソで管楽器が奏でる。」


この変奏もライナー盤は、あまりにテンポが速く、
弾き飛ばしている感じがする。

「次に、二人の冒険者は、道で、
馬丁を伴った、馬車と一緒の、
大きなラバに乗った二人の僧侶に出会う。
キホーテは、王女を誘拐する魔法使いだと思い、
彼らを攻撃すると、連中は逃げ去る。
最後の変奏曲は、ザラマンカ大学の芸術学士で、
ドン・キホーテの隣人であり仲間である、
サムソン・カラスコについて語る。
彼は、この老人を家に連れ帰り、正気に戻そうとする。
彼は『白月の騎士』に変装し、
バルセロナにドンを追う。
彼らはそこで出会い、決闘に及ぶ。
彼はキホーテを落馬させ、敗れた方は、
一年、 家に戻るという、勝者からの条件を受け入れる。」

このあたりの、ライナーの表現は雄渾かつシンフォニックで、
最後の聴かせどころという気迫が漲っている。
下記の部分も合わせ、変化の大きい部分だが、
かなり、先を急いでいる感じがする。
「彼の不幸な敗北からの憂鬱と、苦々しい反省を胸に、
ドン・キホーテは、サンチョの後に従って家に戻る。
ここは、小説でも交響詩でも、悲劇的なクライマックスであり、
主人公の悲劇のみならず、主人の栄光からの失墜を見た、
彼の忠実な従者の嘆きを描き、それと共に、
彼の偉大であろうとした希望は煙のように消える。
イングリッシュ・ホルンは、羊飼いのエピソードを再現し、
羊飼いになって、森や野山を、サンチョと駆け巡る、
というドン・キホーテの幻想を描く。
変奏曲は、このように穏やかに終わる。」
このような、詩的な思索を含む部分であるが、
ライナーは、一気に終曲になだれ込ませることで、
緊張感を高める作戦に出たと見える。

ここは、ケンペの方がはるかに多彩な情景を息づかせている。
各楽器が悲痛な叫びを発し、全員の共感を見た欧米の批評は、
さすがに懐が深いと感じた。
羊飼いになりたい希望の部分が、
壮絶なティンパニ連打で打ち砕かれるところなど、
ライナー盤より、ずっと痛々しい。

「終曲は、ドンが自宅の別途にいる描写で、医者は、
彼の憂鬱が彼を死に導くことを述べ、
平和に満ちた音楽が、死の床にあって、
正気に返り、賢明になった騎士の断念を反映する。
チェロは、音楽が死に行くように、彼の最後の言葉を語る。
『彼は息を吐き、
彼の太陽のような、朝露のような魂を受け取る。』」
ここは、全曲のもう一つの聴かせどころであるが、
ライナーのものも、夕映えのような情感を広げて素晴らしく、
ヤニグロのチェロもそれにしっかり寄り添っている。
したがって、オーケストラの楽器の一部として、
終曲になだれ込んでいく。
したがって、最後の弔いと昇化されていく表現にも隙がない。
これはこれで、立派な解釈と言える。

ケンペは言うまでもなく、ここでは、
トルトゥリエに最高の舞台を用意して上げている。
ということで、颯爽と現れたヤニグロが後半、存在感を失って、
最後はオーケストラと一体になったのとは対称的に、
ここでは、トルトゥリエの高潔な人格がドン・キホーテの最後の境地に、
一対一で照らし合わされることになる。
ライナーは強烈な夕映えに力点が置かれ、
その中にある人間を語ったのはケンペである。
いずれも、最後の敬虔、崇高な雰囲気を外していない点がさすがである。
どちらの解釈が良いかは、人それぞれ、聴く状況によっても変わろう。

なお、以上、このライナーのCDの解説は、
ウォルター・スターキー(Walter Starkie)という人が書いている。

この後に、
「ウォルター・スターキーの『ドン・キホーテ』の翻訳より引用。」
とあるが、どういうことだろう。
ひょっとしたら、音楽畑の人ではなく、文学畑の人だろうか。

ライナー盤は、2曲目に、1954年の「ドン・ファン」が収録されている。
5年の歳月は明らかで、録音鮮度が落ちる。

しかも、ライナーはこの5年の間に、ヴァイオリンの両翼配置をやめたので、
これら2曲は第二ヴァイオリンの音の位置が異なる。
ステレオなので、それが分かるだろう、と親切な注釈まであって、
抜群に、情報量の多い満足すべき商品となっているのはさすがである。

得られた事:「新興アメリカの教養主義台頭というべきか、リビング・ステレオのシリーズの解説の充実に仰天。」
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by franz310 | 2008-11-02 14:10 | 音楽