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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その120

b0083728_2332591.jpg個人的経験:
前回、取り上げた、
シューベルト1819年の歌曲、
「プロメテウス」であるが、
フィッシャー=ディースカウは、
デムスとのスタジオ録音に先立つ、
1957年の
ザルツブルク音楽祭でも。
この曲を歌っていて、
その時の録音が、
オルフェオ・レーベルから
発売されている。

グラモフォンの59年盤の難点は、録音の鮮度の悪さだと書いたが、
それに先立つこの57年のライブの方が、ずっと聴きやすいのは何故だろう。
放送用に、オーストリア放送協会が所持していたモノラル録音だそうだが、
時折、拍手が入る他は、まったくライブ録音とは思えない良質なものである。

何と、このORFEOレーベル、創設者が、
「フィッシャー=ディースカウ協会」の会長であるらしく、
さらに副社長は、この偉大な歌手の秘書だったというが、
それは、ライセンス上は有利であったろうが、音質とは無関係だろう。
が、そうした経緯ゆえに生まれたこのCD、非常に価値あるものであろう。

歌唱も録音も良いが、選曲に私は唸った。
1. 無限なる者に D291b(クロプシュトック詩)
2. 十字軍 D932 (ライトナー詩)
3. 悲しみ D772 (コリーン詩)
4. 墓堀人の郷愁 D842 (ヤケルッタ詩)

このように、最初の4曲は、ほぼ同時代(クロプシュトックはゲーテより古いが)
の様々な詩人の、人生を省察するような歌曲が選ばれ、
いきなり知られざる多様な世界が展開される。

特に、「十字軍」は、ディースカウがデムスとも録音しているのに、
CD化されないでいるもので、こうして聞けるのは嬉しい。
これは、ドイッチュ番号からも明らかなように、
晩年の作で、シューベルト生前唯一の自作発表演奏会で演奏されたもの。
素朴な作りだが、聖歌のように厳か。

十字軍の行進を見た僧が、このように呟く。
「私もあなた方と同じ巡礼なのだ。
閉じこもっていても、
人生の旅は荒野を越え、熱砂を踏み分け行くようなもの、
それもまた聖地を目指す巡礼なのだ。」

以下に3曲、ゲーテが続く。
このブログでも紹介してきた名品である。
5. 馭者クロノスに D369
6. 海の静寂 D216
7. プロメテウス D674

そして、また、同時代の様々な詩人による歌曲。
8. ヴィルデマンの丘で D884 (シュルツェ詩)
9. さすらい人が月に寄せて D870 (ザイドル詩)
10. 夜咲きすみれ D752 (マイヤーホーファー詩)
11. こびと D771 (コリーン詩)
「こびと」などは、怪奇趣味の不気味なもので、
最近になって知られるようになったと思っていたのだが、
この時代から紹介されていたのである。

ここで、またゲーテが2曲。
12. 憩いなき愛 D138
13. ひめごと D719
これらは、小粋なもので、ともに2分に満たない小品。
だが、初期と中期から選ばれ、一息つけると共に、
アクセントもつけられるようになっている。

最後に、有名なレルシュタープの二曲に、
美しいシェルツェが挟まれている。
14. 春のあこがれ D957の3
15. 春に D882
16. 別れ D957の7
これらの晩年の充実した作品によって、
演奏会の密度は一気に高められる仕掛けであろうか。

「白鳥の歌」からの二曲が入っているが、
全般的にシューベルト名歌集などには含まれないような
知られざる名品、詩の内容を吟味したくなるようなものが多い。

このCD、この稀代の名歌手の60歳記念に、
1985年に商品化されたそうだが、
録音された1957年といえば、歌手はまだ32歳。
まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いの時代の記録であろう。

ホイットンの書いた伝記(小林利之訳)によれば、
この頃のフィッシャー=ディースカウの活躍は、
下記のような受賞暦からも類推できる。
1955年 「オルフェオ金賞」受賞。
1956年 ベルリン美術アカデミー、国際音楽評議会会員に任命される。
1957年 グスタフ・マーラー協会 名誉会員に任命される。
同年 「第一級連邦十字章」受賞。
1959年 「バイエルン宮廷歌手」の称号を得る。

また、ここには、ピアニストのムーアの証言もあって、
「つねにあふれんばかりの自発性と新鮮さがあり、
『彼が一つの曲から繰り広げる様は、
いつまでも絶えざる新しさというしかなく』、
そのリハーサルさえ、スリルと喜びに満ちていた、という。」

また、「成功から成功へと彼が『旅して歩いた』この輝かしい時期」
という表現もあって、この時期の彼のライブが聞けることは、
非常に喜ばしい。

この本から引用を続けると、この著者は、この歌手のドイツ語の発音を、
「水晶のごとき透明さ」と比喩し、この歌手の歌うときの、
kull(涼しい)、wonne(喜び)、sanft(柔らかな)、Liebe(愛)
といったドイツ語の美しさを讃え、
知人のドイツ語教師が、ディースカウの歌う、
「魔王」、「海の静寂」、「さすらい人の夜の歌」から、
語学入門教育をしている例を挙げている。

このCDでは、うまい具合に「海の静寂」が聞けるが、
古い録音ながら、この先生の気持ちはよく分かる。

そして、その後、収録されているのが、「プロメテウス」である。

これらは連続して演奏されたのであろう、
「プロメテウス」の熱唱の後、拍手が入るが、
あまり熱狂的なものでなく、
いくらザルツブルクの聴衆といえども、当時は、
こうした辛口の音楽には慣れていなかったのではないかと推察した。

日本語解説は、前述のように、このレーベルと演奏家の関係から、
ザルツブルク音楽祭における、フィッシャー=ディースカウの活動、
そして、彼の著書からの引用からなっていて、
この録音が貴重なことを実感させる内容。
しかも、シューベルトの各曲の解説も手堅い。
歌詞対訳もあって、まずは満足できものだ。

フルトヴェングラーとのマーラーや、
ムーアとの「冬の旅」など、
これより古い名盤があるのは確かだが、
この時期のものの多くは、
後年のステレオ録音に置き換わっているというのが、
実態ではなかろうか。

ただし、このCD、デザインはいただけない。
白黒写真のフィッシャー=ディースカウが立っているだけで、
何故か、その輪郭を鉛筆でなぞったような処置がなされている。
全体的に暗くて、進んで手を伸ばしたくなるような代物ではない。
私も曲目を見なければ、欲しくならなかった。

さて、ここに収められて、前半のクライマックスをなす、
「プロメテウス」であるが、前回、ハイペリオンの
シューベルト歌曲全集の解説を紹介したが、
実は、そこには、まだまだ、詳細な内容分析が続いている。

前回は、曲の成り立ちについてで力尽きたが、今回は、
続きを紹介したい。

ここで筆者、グレアム・ジョンソンは、全曲を詩の連節に沿って、
7つの部分に分割、それぞれについて、逐一、何行もの説明をしている。

「1.この曲は、両手間のオクターブによる、
残忍にも勝ち誇ったファンファーレのような、
フレーズを伴う、嵐のような音楽で始まる。」
といった具合である。

この「1」の部分とは、
「おまえの天空を、ゼウスよ、
雲のもやで覆え、
そして薊の頭をちょん切る
子供のように、
樫の木と高い山でやってみろ。
しかし、俺の大地は
そのままにしておくのだ、
そしておまえが建てたのではない俺の小屋と
その炎のために
おまえが俺を妬んでいる
俺のかまども。
俺はこの太陽の下でおまえたち以上に
みじめな存在は知らないぞ、神々よ!」
(石井不二雄訳では、こうなっている。)

このように、プロメテウスが、傲慢にも神に向かって、
絶叫する部分であって、誰が主人公であるかは、
かろうじて「炎」が話題になっていることで推察される。
しかし、そこらの酔っ払いが叫んでもおかしくない内容である。

それにしても、
アザミの頭を子供がちょん切るという比喩は、
少々、なじみのないものだ。

最近では、サラリーマン風の中年男が、傘で、
チューリップの頭をちょん切るようなので、
そういう人もいるという点では分かりやすいが、
ゼウスを子供っぽいと皮肉るプロメテウスには、
少々、不利な状況である。

極東の島国では、いい年したおっさんの仕事なのである。

「付点リズムで気取って歩く、
細胞のような一小節が、この開始部で7回繰り返される。
しかし、ここには和声に、安心や安定感を感じることは出来ない。
開始部の小節は、変ロ長調を指示しているように見えるが、
変イのハンマーのような和声の列は、変ホ長調に向かう。
この調によるもう次の嵐のファンファーレ(同様に付点リズム)は、
ニ長調の和音に執拗に向かい、オープニングのレチタティーボを支える、
ト短調のトレモロを次に導く。
ゼウスの怒りは、歌手のあざけりと同時に、
これらによって同時に描き出される。
音の中心のシフトは、攻撃の足場固めを、
和声のねじれの繰り返しは、
勇気を奮い起こすことの比喩を示唆する。」
この傍若無人な動機に、このようなことまで聞き取るとは、
さすが、グレアム・ジョンソン。
確かに、そんな風に聞こえる。

「歌手が一音も発する前から、我々は、
アメリカ人が、『態度に問題がある』と呼ぶ
危なっかしく落ち着かない人物を前にする。
歌手が『お前の空を覆え、ゼウスよ』と歌い出すと、
シューベルトには珍しい、
この音楽が内包する怒鳴り、怒り、軽蔑が明らかになる。
『ゼウス』という単語が、4番目のビートから小節を越えて歌われると、
無頓着で、無礼な冒涜への自慢がシンコペートされる。」

5分ほどの曲を、
7分割したうちの最初の「1」の説明は、まだ、終わらない。
そもそも60行を越える詩の1行分しか終わっていない。

「『雲のもや』という言葉のあと、
冒頭の、いなづまのような付点リズムの動機が、
トロンボーンによる間奏曲のように戻り、
ゼウスがアザミの頭をちょん切るところでは、
シューベルトは、右手のトレモロで同様に打ち首を行い、
まず、変ロ-変ニ、それから、変ロ-ハと、音楽的なイメージを示唆する。
さらに、『頭』と『高い山』のあとの堂々とした間奏曲で、
ゼウスの振る舞いは単に子供じみた短気だと告発するのを区切るが、
事実、それらは、良いことではないことに、
権力を濫用する神のパロディーとして使われている。
この後、プロメテウスは、聖書の預言者の怒りのように、
または、労働組合の先駆者のように、絶好調になっていく。」
ここでは、イザヤ書の65章を参照せよとある。

「『俺の小屋、お前が建てたのではない』の部分と、
『俺のかまど、お前が妬んでいる』の部分では、
プロメテウスとゼウスの対決は、
使用者と労働者の革命的な視点を思わせ、
オリンポスの資本主義に労働組合がたてついているようである。
ここでの各センテンスは、どんどん高い方向に行き、
ほとんどヒステリックな非難のような感じを加えていく。
『妬む』という言葉のあと、嵐の動機が最後に奏されると、
プロメテウスはあまりにも熱くなって、アリオーソをやめ、
レチタティーボに切替える。
『俺はこの太陽の下でおまえたち以上に
みじめな存在は知らないぞ、神々よ!』
これはほとんどフラストレーションの怒りを早口でまくし立てている。
ゲーテの韻律法では、ここは実際は第二節なのだが、
シューベルトは、ムードやテンポの切替を、
『おまえたちはかろうじて』のところまで取っておくことにした。」

ようやく、「1」が終わった。今回、最後の「7」まで行き着くのは困難だ。

「2.この不思議なパッセージは、
アイロニーと風刺に満ち、シューベルトの音楽では、
まれな例となっている。」
と書かれるのは、以下のような歌詞の部分。

「おまえたちはかろうじて、
ささげられたいけにえと、
祈りの言葉によって
おまえたちの権威を保っており、
もし子供たちと乞食たちが
希望に溢れた阿呆どもでなかったら、
窮乏してしまうところなのだ。」

ここの部分の解説を続けると、
「ここでの『いけにえ』や、『祈りの言葉』は、
彼が見聞きしていた教会の儀式を、
シューベルトに想起させたであろう。
巨人の非難とこきおろしは、
オルガンのために書かれたような4声の音楽で伴奏され、
少しずつ進行する半音階的な動きは、教会音楽で使われる、
オールド・スタイルに学んだ精巧なパロディーであって、
ひざまずいた隷属状態を示唆している。
過度に悲嘆した、『みじめな』の部分の音楽にもかかわらず、
四声の上のソプラノのヴォーカル・ラインの、
『おまえたちの権威』にこめられた諧謔味は、
伴奏の荘厳さから遠く離れて、歌手がそれを軽蔑しているのが明らかだ。」

ここは、なかなか「明らか」とは思えない。
よく聞いて、そうかな、と感じる程度。

「迷信的な教会の儀式の描写は、あばかれるべく登場、
同様にト短調で書かれた、9ヶ月前に書かれた、宗教的な、
『マリアの苦悩を想って(D632)』以上に似たものはない。
この『乞食』のイメージが同様に乞食の歌である、
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』の、
『竪琴弾きの歌』を想起させても、驚くには当たらない。
これらの音楽に共通するのは、古い従属のテーマである。」

以下、プロメテウスの歌は、急に視点を変えて、
まるで、ゲーテ自身の独白を聞くかのようだ。

実は、プロメテウスのような半神の巨人に、
子供時代があったとは、私には信じられず、
学生時代、最初にこの部分を読んだとき、
何だかしらけてしまったのを覚えている。

何だか怪しい、スクリャービンの、
「プロメテウス」を愛聴していた頃の、
生意気な小僧には、
何だこりゃとなるわけである。

「俺が子供で
何も分からなかった頃には、
俺も困惑の目を
太陽に向けて、まるであの上に、
俺の嘆きを聞いてくれる耳と
俺のと同じような心があって
苦しむものをあわれんでくれると思っていた。」

しかし、改めてこの部分を読むと、
私は、ここで、ゲーテが6歳の時、
リスボンの大地震が起こって、6万人の命が奪われた際に、
これと同様の問いかけをしたという逸話を思い出した。

「何故、聡明で慈悲深い神様が、こうしたことをしたのだろうか。」

さて、ジョンソンの解説は、このように続く。
「3.ニ短調への移行は、小休止の時である。
シューベルトはこうした悪口には、お休みが必要だと考え、
一歩下がって好機を待つようにした。
子供の頃の幻覚の再発。
『俺が子供の頃』の、か弱い優しさからも、
我々はプロメテウスが実は傷つきやすい部分を持つことに気付く。
ここでの伴奏は非常に単純。まるで子供の奏でる音楽のように。
『同じような心があって』の部分、そして、最後の『哀れむ』では、
感情的なアクセントがあって、思いやりのないゼウスとは違って、
人間が哀れみを持つことが出来ることを強調する。」

何だか、ゼウスだとか、プロメテウスだとか言っている割には、
音楽も詩句も、キリスト教文化圏にどっぷり浸かっている点が、
日本人から見ると、奇妙奇天烈。

まるで、神社の批判をするのに、
お寺に文句を言っているような按配。
まあ、そこが、ゲーテにとっても、シューベルトにとっても、
狙いだったと考えてもよいのだろうが。

このあたりは、確かに激烈な音楽から離れて、
間奏曲風に心を落ち着けることが出来る。

だが、強烈な一発がお見舞いされて、
以下のような歌が始まる。
「俺を巨人たちの暴虐から
助け出したのは誰だったか?
俺を死から
奴隷状態から救ったのは誰か?
おまえ自身がすべてやったのではなかったか、
神聖に輝く心よ?
そしておまえは若々しく善良に
欺かれながら、救済を
あの天上で眠れるものに感謝して輝いたのか?」

ここでは、プロメテウスは傲慢不遜。
すべて、自分自身が成し遂げたと威張り散らしている。

会社でよく見かける「偉い人」になってしまっているのは残念だ。
が、一方、「天上で寝ていて、何もしない」、という表現が気に入った。
これまた、そこらで沢山、見受けられるからである。

「4.『誰が助けたか』で、私たちは突然、何の予告もなく、
再び舌戦に戻される。
ゼウスは長年威張っていた親が、かつて臆病だったわが子に、
くってかかられて、当惑したかのように沈黙を守っている。
ここで、過去を穿り返され、父親の目の前に投げつけられる。
ほとんど言葉を吐くようなレチタティーボが要求され、
ここでの和音は、量感のある効果で大理石を掘り込むようで、
ト、イ、そしてロの減七度の三つの塊からなる。
『誰が助けた、誰が救った』という、その質問の答えは、
神の善意の中にあったのではなかった。
それは自身の心であって、かつて信じていたように、
『天上で寝ているもの』が、
プロメテウスを救出したわけではなかった。
『巨人たちの暴虐から』で、ゲーテは、神話に素材を求めず、
勝手に物語を作っている。
プロメテウス自身が巨人であるし、
アイスキュロスのみがその戦いを書いており、
そこでも、同胞と戦ったのではなく、
クロノスに対し、ゼウスの側に立って戦ったのである。」

このあたり、呉茂一の「ギリシア悲劇」でも、
アイスキュロス劇の解説で、以下のように書いている。

「ゼウスもその兄弟姉妹と力を合わせ、
父神クロノスやその一味のティーターン神らと激戦のすえ、
ようやく現在の権力を獲得した。
この際大方のティーターン神はクロノス側についたものだが、
プロメーテウスだけは、その前知性から、ゼウスに味方し、
その成功を助けたという。」

「ここで再度、『心』という言葉で、哀れみを意味する経過句が現れるが、
この時はへ音で、この曲で最も高い音になっており、
一般に歌うのが困難とされている。
これは悲痛な効果を加え、プロメテウスはここで、
彼は、彼の救済は彼にしか出来ないことに気付くのである。
『天上で眠れるもの』の後、ピアノは、この曲で最も壮大な和音を奏でる。
変ホ短調のドミナントを残す。」
この曲の重要な部分は、自身の力で生きていかなければならぬ、
その現実直視にあったということか。
早口でわめいているだけの音楽ではなかったと、
ここまで書かれると、妙に納得する。
恐ろしく巧緻な作曲である。

文字数もいっぱい。今回は、この前半の解説で終わり。
残りは次回に回すことにする。

得られた事:「フィッシャー=ディースカウは、モノラル録音期に早くも高みに駆け上がっており、その過程で、多くのシューベルト歌曲を普及させていった。」
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by franz310 | 2008-04-26 23:46 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その119

b0083728_21114369.jpg個人的経験:
前回取り上げた、
1819年のシューベルト歌曲、
「恋する女の手紙」では、
思わぬ美しさを発見した。
作曲家は、それに続いて、
再度、ゲーテを取り上げている。
これらに先立つ、
マイヤーホーファー歌曲も
そうだったが、前作とは、
際立った対照をなす作品だ。


D673の主人公が、女性であって、
しかも市井の控えめな人だったのに対し、
D674のこちらは、稀有壮大な罵詈雑言を吐く巨人が、
メインキャラである。

また、前作が3分に満たない小品であるのに対し、
こちらは5分を越え、7つの部分に分かれる、
ちょっとした「大作」である。

最初、私が入手したLPにおいても、
そこに収められた最大の作品であった。

フィッシャー=ディースカウは、
以下のように、「恋する女の手紙」に続いて、
この作品の紹介をしている。

「このような小品の上にそびえ立っているのは、
『プロメテウス』のモノローグである。
・・
この楽曲からは崇高さと気品とがほとばしり出ている。
表現のために厚ぼったくなったり、
透明感が犠牲にされるようなことはいささかもない。
・・
この作品『プロメテウス』は未来を指し示しており、
様式的にも画期的なものである。
・・
一般的に見て、このシューベルトの歌曲という手本がなければ、
のちの世代の劇的表現というものは考えられないであろう。」

ほとんど、一方的な激賞と言っていいが、
しかし、実際には、それほど多くの歌手が、
これを取り上げているわけではない。

すくなくともCDは、そんなに多くない。
が、幸いなことに、こう書いたディースカウ本人が、
「ゲーテ歌曲集」というLP
(先ほど、最初に入手したと書いたもの)
を出しており、
ここには収録されていた。

多くの「ゲーテ歌曲集」のLPなりCDは、
この作品を含まないことが多々ある。
歌詞がまったくロマンティックではなく、
自然描写の美しさも乏しく、
ほとんどアジテートの世界。
難しい曲だと思う。

また、先のLPは、他の音源も追加され、
コストパフォーマンスを増して、CD化されたのはよかった。
私は、先のLPを手放したから、CDで買いなおした。

しかも、私が持っていたのは廉価盤で出たものだったから、
デザイン的にも優れたものではなかったが、
今回のCDでは、時代を感じさせるもののしゃれたジャケットが復活。
Cover Illustrationとして、
Irmgard Seidatとあるが、この人の絵だろうか。

Irmgardというのは、女性であろうか。
そう思ってみると、木々の葉、草花の描写の神経質なまでの繊細さや、
旅人の所作の描写も、不思議の国にさまよいこんだ、
バレエの舞台の王子様のようにも見える。

月も描かれているが、ここに登場する歌曲では、
「月に寄せて」というのがある。

高橋健二訳では、
「おぼろなる光もて静かに
おん身は再び茂みと谷間をみたし、
ようやくわが心を
なべての煩いより解き放つ。」
といった詩であって、
シューベルトの音楽もまた、
満ち足りた静けさを表して、
このイラストとは違うイメージ。

唯一、この絵画に近いのは、
「狩人の夕べの歌」であるが、
これは、高橋訳では、
「猟銃にたまをこめ、野をしのび行く、
はげしい心に静けさを装って。
すると、懐かしいそなたの姿が、
そなたの愛らしい姿がはっきりと目に浮かぶ」
とあって、かなりこの絵に近い。

私は、「狩人」というのは、毛皮を着て、
もっとずんぐりとした毛むくじゃらを想像していたが、
この作者は、ロココの宮廷からさまよい出た、
小姓のようないでたちにした。

「そなたは今し静かに心もなごやかに
野をすぎ、懐かしい谷を越えてそぞろ歩み行く。
ああ、たちまちに消え去る私の姿は
そなたの目にはうつらないのか。

そなたに捨てられたればこそ、
心たのしまず、いらだたしくも
東に西に世をあまねく
さすらい歩くこの身の姿。」
とゲーテの詩にもあるから、
まったく真面目に狩りなどをしている様子もない。
どうやら、似非狩人。絵画作者の読みは正しいのか。

が、シューベルトは、この第三節は作曲していない。
ディースカウは、
「シューベルトは調和のとれた夢想的な表現のために、
もっとも不安定な第三節をカットしている」と書いている。

最後(第四節)はこんな詩句で結ばれる。
「そなたを思えば、
月をのぞき見るような心地して、
静かな平和に満たされる、
何ゆえか自分にはわからないが。」

このように見てくると、
この狩人風青年が、湖を覗き込んで、
そこに月が映っている描写も憎いといえば憎い。

このように見てみると、
このジャケットは、この作品を念頭においたものと見て、
ほぼ間違いはなかろう。

そのほか、このLPには、三曲の「竪琴弾きの歌」に、
二つの水物、「海の静寂」と「湖上にて」も含まれている。

今考えると、「魔王」や「野ばら」などが入っていないところが、
非常に潔いプログラミングであった。
ところが、今回、CD化されたものは、
この超名曲に、劇的な「トゥーレの王」や、
美しい「恋人の近く」などが追加され、
万人受けするものになった。

が、これらは、60年代後半に、
ムーアと入れた「歌曲全集」用の録音であって、
それを持っている人は、少し複雑な心境になる。
もとのものは、59年、デムスがピアノを勤めていた。

出来れば、他で入手できないものを収録して欲しかったと思うのは、
私だけであろうか。

ディースカウとデムスは、
ブラームスやレーヴェや、初期ゲーテ歌曲集といった、
廃盤になって久しいレコードを数多く作っている。

が、それよりも何よりも、
このCDで問題なのは、録音であろうか。
59年のステレオであるが、モノラル期の方がまともではないか、
と思うほどの荒れ方で、静かな曲では気にならないが、
「クロノス」も「プロメテウス」も、鮮度が落ちて、
破裂音などは、ぎざぎざになっている感じ。

最新技術の復刻でも対策されるには至っていない。
実は、私がLPを手放したのも、そのあたりに問題を感じたからである。
それを改めて思い出した。

このグラモフォン・オリジナルズのシリーズは、
往年の名レコードを、復刻して人気のあったものであるが、
各録音の歴史的意義は解説に書いてあるが、
そもそもの曲の内容は手抜きになっているのが気になる。

また、初出時のレヴューもそれらしく載せられているが、
これが、今回の場合、埋め草的なムーアの録音に対する批評で、
デムスとの録音に対してのものではない、
というのはどういうことであろうか。

「魔王」も「野ばら」も入っていない、
この意欲的な「ゲーテ歌曲集」とは、
まるで関係ないことばかりが書かれているのである。
ディースカウの生い立ちや資質、ムーアとの歌曲全集、
何故か、「冬の旅」について、などなど。

どうして、これがオリジナルズのシリーズに選ばれたのかは、
まったくもって分からない仕掛けになっている。

この素敵な表紙などについても、一言欲しいのが人情というもの。
何から何まで、ばらばらのものの寄せ集めのような印象を受ける。
かろうじて、歌詞対訳を省かなかったのは、本当によかった。

デムスは、たびたび日本を訪れてくれており、
あのカンパーらとの「ます」の五重奏曲や、
ディースカウとの「冬の旅」などの名録音で、
多くの人に知られたピアニズムを、直接聞かせてくれている。

是非とも、この時代におけるデムスについても、
レコード会社から見た姿を教えて欲しいものである。

残念ながら、ドイツ・グラモフォンは、このあと、
ポリーニ、アルゲリッチ、バレンボイムに代表される、
新時代の名手にその録音を捧げ、
デムスのような旧世代の録音は急激に少なくなってしまった。
それゆえに、グラモフォンへのデムスの録音は、
貴重なものと思えるのだが。

さて、今回のテーマ、「プロメテウス」といえば、
まず、ベートーヴェンが、「プロメテウスの創造物」
が愛好家には有名で、
これは、のちに「英雄交響曲」の主題となって、いっそう有名になった。
が、プロメテウスって何?
と思うのが、多くの人が最初に抱く疑問であろう。

そのあたりのことは、ハイペリオンのシューベルト歌曲全集の、
グレアム・ジョンソンの博覧強記解説が、
これでもか、これでもかと書いてくれている。
今回も、これを読んでみよう。

「プロメテウスの神話は、
(古典古代の主要な源泉としては、
ヘシオドス、アイスキュロス、アポロドロス、パウサニアスがある)
14世紀以降、多くの西洋の芸術家を魅了し続けてきた。
1390年のJohn Gowerの『Confessio amantis』に、
この不運な巨人の姿が見えるし、ボッティチェリの絵にもあり、
パルミジャニーノにも描かれている。
フランソワ・ベーコン、ベン・ジョンソン、E・スペンサー、
ロンサール、ジョナサン・スウィフトが彼について書いている。
ゴットフリート・アウグスト・ビュルゲル、
クリストフ・マーティン・ヴィーラントが1770年にこの主題を取り上げ、
すぐあと、1773年にはゲーテが劇の断片を書いている。」
あいかわらずの調子で、一人の人名だけで1行を要する勢いである。

ということで、ゲーテは、この詩のみならず、
劇も考えていたことが分かる。
「1797年にはプロメテウスの叙事詩を書いており、
ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーは、
1803年にこれを主題とした。
1801年にはベートーヴェンがバレエ音楽、
『プロメテウスの創造物』を書き、
1809年にライヒャルトがゲーテの詩に作曲をしており、
バイロンは『チャイルド・ハロルド』などで、
1812年からしばしばプロメテウスを描いている。
ワーズワースは1814年に取り上げ、シェリー夫人の、
有名なフランケンシュタインの小説が、
『現代のプロメテウス』と副題があることは忘れられがちである。」

やっと、ここらあたりから、シューベルトが登場する。
「シューベルトは1816年、
Philipp Draxler von Carinのテキストで、
同名のカンタータ(D451)を作って、プロメテウスに遭遇している。
二人の独唱者、合唱と管弦楽からなるこの重要作の手稿は、
しかし、作曲家の生前から置き忘れられ、
完全に紛失したものと考えなければならない。
ゲーテの詩によるこの独唱の作品(D647)は1819年の作である。」

生前に話題になったのは、どうやら前者で、
「シューベルト、友人たちの回想」でも、
前者は十数回登場するが、後者の登場は0である。
この本でも、初演の結果が好評で楽譜が転々としていてなくなった、
と書いている。友人がこれを探したという話も出ている。
痛恨の一作である。

さて、ここからはまた脱線が始まる。
「初期ロマン派の時代、プロメテウスは多くの芸術家を魅了し続け、
叙事詩で理想主義的な『縛めを解かれたプロメテウス』を、
1820年にシェリーが書き、同様にジャコーモ・レオパルディ(1824)、
エリザベス・バレット・ブラウニング(1833)が書いた。
音楽がこうした動きを捉えたのは、すっと後年になってからで、
シューベルト歌曲の主要ライヴァルとして、ヴォルフが、
1889年のゲーテ歌曲集でこれを取り上げ、
1900年には野外劇を想定して、フォーレが珍しくも、
大きな作品にしている。
1908-10には、スクリャービンの
『プロメテウス(火の詩)』があり、最近になってからも、
例を挙げるなら、パブロ・ネルーダやロバート・ローウェルの詩、
または、ジイド訳のゲーテの詩につけたヘンリー・ムーアのリトグラフ、
1950年のココシュカの三部作が美術にあって、
1968年のオルフのオペラ、1984年のノーノの作品が音楽にある。」

このあたりから、ようやく、プロメテウスに対する興味が高まると思ったのか、
ジョンソンの解説は、主人公に関するものとなる。
「沢山のバージョンや変形版がストーリーにはある。
我々の目的のためには、この巨人が、神に対抗する人間のチャンピオン、
ということを知ればよい。この名前は、前知者といった意味である。
アポロドロスによると、人間族の創造者であって、粘土からこれを作り、
その原始的な存在を脱するために、芸術や技術を教えたとされる。
ゼウスが人間には火を与えないと決めたにもかかわらず、
伝説ではプロメテウスが神の火花からそれを盗み、
ゆっくりと燃えるウイキョウの茎で燃やし続けて運び、
人間に与えたとされる。
このことや他の反抗的な行いによって、ゼウスは彼を二通りで罰した。
パンドラという最初の女性を作り、世界中の罪悪を撒き散らした。
そして、プロメテウスをコーカサスの岩に鎖でつなぎ、
そこで毎日、ワシが彼の肝臓をつつくと、それがまた夜のうちに治った。
これは彼に永久の苦痛を与え、毎日、同じ苦しみを味わった。
この束縛からのプロメテウス解放は、このようにして起こった。
つまり、11の仕事を課せられたヘラクレスが、その途上、
プロメテウスを苦しめていたワシを射落とし、
プロメテウスはヘラクレスにアドバイスを与えた。
つまり、アトラスが、ヘスペリデスの黄金のリンゴを取ってくるために、
その間、アトラスに代わって、空を支えているように言った。
ゼウスは息子、ヘラクレスの偉業達成を誇りにして、
過去の憎しみを忘れ、起こったことを見逃した。
このようにプロメテウスには、明らかに二つの物語
(縛られたのと、縛られていないのと)があるが、
芸術家はこれらをいろいろに取り扱い、
上述したことを書いた人は限られている。」

このように、プロメテウス神話に関しても詳しく述べられている。
この背景なしに、シューベルト歌曲なり、
ゲーテの詩なりを味わえと言われても無理があろう。
「ゲーテの詩の視点からすると、この巨人は、
『けんか腰のプロメテウス』とでも呼ばれるべきであろう。
まだゼウスの裁きはないが、この圧倒的に横柄な結末を聞くと、
遠からず、それがあることが予想される。」
この表現は笑ってしまうが事実である。
ここまで、誹謗中傷を繰り広げるプロメテウスを見ると、
自殺行為というか、自暴自棄とも見えるではないか。
最後に、プロメテウスが叫ぶ言葉は、強烈ではなかろうか。
「ここで俺は自分に似た人間を作る。
お前を敬わないのだ、俺と同じように。」

下記情報も、私は初めて知った。
荒唐無稽な三流映画のような内容ながら、興味深い。
「1773年、ゲーテはプロメテウスの3場面を、
未完成の劇のためにスケッチしており、
最初のシーンでは、未記入が多いながらも、
プロメテウスがマーキュリーと長い会話をして、
そこに女神ミネルヴァが加わる。
彼女は父、ゼウスに忠誠を尽くしながらも、
プロメテウスを愛しており彼をかばう。
第二場はオリンポスにあって、
ゼウスはマーキュリーと話をしている。
そして、ここで人間の創造主という、
プロメテウスの役割がわかる。
ここでは、また新しく造られたパンドラとプロメテウスとの長い会話がある。
第三の場では、プロメテウスの作業場であって、われわれが、
詩の中で知っていること以上のことはない。
ゲーテは、この文脈から詩を作ったのである。
ここからも、ゲーテは、プロメテウスはまだ罰せられておらず、
まだ自由な立場であるとしており、
シューベルトの歌曲がこのような文脈にあることが分かる。
一方、モニュメンタルなヴォルフによる歌曲は、
音楽的な雷鳴といなづまを伴い、
ヴォーカルラインは伴奏と衝突するように歌われ、
巨人の拷問や岩に縛られつつ、相手に対する憤怒を示唆する。」

前回も、メンデルスゾーンやブラームスとの聞き比べがあったが、
はたしてヴォルフの歌曲は、この詩にどのような扱いを見せているだろうか。
私が聞いた限り、これこそ、何だか劇伴音楽的に感じてしまうのだが。
ゲーテの元の劇が出来ていて、それの付随音楽なら、これでよかろう。
凝集力はあるのだろうが、妙なこけおどしが中心にあって、
ちょっと、引いてしまう。

ジョンソンの解説に戻ろう。
「ゲーテが神話を扱う場合の常として、
古代の物語は現代以上にアレゴリーに配慮したものだった。
ニコラス・ボイルが言ったように、
ドイツにおける同時代の哲学的、神学的反映した、
反キリスト教的自覚と肯定を示すもので、
疾風怒濤期の詩人の人格神の否定は、当時のドイツ文学界に、
しばらくの間、かなりの論争を起こした。
これに加え、他者からの援助から独立した天才芸術家の、
自惚れたぷりの横柄な自賛、独力ですべてやるという宣言にも見えた。
ゲーテは出版時には、これを『ガニュメード』の前に置いて、
この詩の効果をソフトにした。
これによって神話的な要素を際立たせ、
プロメテウスの無鉄砲に反抗的な態度を、
神を礼賛し、ゼウスのもとに引き上げられることを願う、
羊飼いの少年によって相殺した。
真ん中には、人間の限界を認識し、
神に近づきすぎるような野心なく、
しかもお互いに対立することない、
『人間の限界』が置かれ、
三部作であることをデモンストレーションした。
ヴォルフは、この順番でこれらの曲を、
『ゲーテ歌曲集』の最後に置いて出版している。」

幸い、「ガニュメード」は、このCDに入っており、
LPにはなかった「人間の限界」も、CDでは追加された。
これは、少しはメリットがある。
ゲーテの神話3部作が、一つのCDで聞けるからである。
ただし、最後のものがデムスのものではなく、ムーア伴奏であることから、
演奏しているディースカウやデムスが、
特別に望んだ選曲でないことは、改めて言うまでもなかろう。

「この詩に作曲した頃のシューベルトは、
マイヤーホーファーの知的影響を受けている真っ只中にあって、
詩人の住んでいた小さなアパートに同居を始めたところだった。
この二人の人生の沢山の事柄、状況が、
どの詩に作曲するべきかという決定に、特に影響しているように見える。
これらの最初の点は非常に顕著で、スピノザやライプニッツに学んだ、
ゲーテの汎神論は、因習的な宗教に対する挑戦であって、
ノヴァーリスやF・シュレーゲルの詩に作曲したばかりの、
シューベルトにとって、非常に親近感の湧くものであった。
また、作曲家の父親に対する難しい関係も、
プロメテウスへの共感を高めた。
シューベルトは、フルタイムの作曲家の道を進むことを選び、
服従に慣れた家父長、フランツ・テオドール・シューベルトは、
自分の息子が野心的に過ぎ、一家の学校経営に対して不実であると感じた。
1819年10月に起こった、作曲家と父親の関係、状態を見ると、
彼の十代の初めから始まったフランツ・テオドールとの確執の、
多くの時期を通り抜けたように見える。
もう一つは、クレメンス・フォン・メッテルニヒの時代の、
過干渉の独裁主義であって、
マイヤーホーファーの検閲官の仕事が、
リベラルな個人的な信条と相容れなかったように、
オーストリアの学生たちを、長らくいらだたせ、脅迫していた。
この詩は、個人的な生活にまで入り込む傲慢な国家権力に対する、
芸術家の挑戦のジェスチャーと考えることも出来る。
これは、政治的信条の点のみならず、社会的モラルの点からも、
教会や国家の権威に対する反抗を意味する。
例えば、A・E・ハウスマンの詩は、プロメテウスの怒り以上で、
睨みつける。
『神の法律、人の法律、
彼はしたいように保持するがよい。
私にではなく、
神よ人よ、命ずるがよい。
彼ら自身の法は私のためのものにあらず。
私の道は彼らとは違うので、
自分たちのことのみに専心するがいい』
この場合、彼は性的にもアウトローであると感じており、
不公平と抑圧は、『神の法律』ゆえと考えていた。
ビーダーマイヤー期のオーストリアのような場所では、
教会と国家は絡まっており、個人的なモラルがしばしば、
警察の干渉を生んだ。
それゆえ、シューベルトとマイヤーホーファーは、
因習的な宗教への挑戦を超えたゲーテの言葉を読み解いたに違いない。
公的な保護者や管理者がみんな強力であるという意見について、
嘲る内容であるがゆえに、この詩は、
革命後のヨーロッパで、個人主義のときの声を上げることとなった。
後援者のふりをするだけの人たちは、良いことのためにというが、
すべての人は、自分の感覚や、
愛するものがいかに神聖かということについて、責任を持っている。
これらの偽りの自分勝手な神々として知られる者の唯一の楽しみは、
よいものや美しいものを破壊することで、そうやって、
彼らは奴隷たちをコントロールしてきたのである。
どんなに面倒でも、彼らはそれに直面しなければならず、
プロメテウスはそれをした最初の英雄であった。
シューベルトはゲーテの自由な詩に勇気付けられ、
同様に自由な作曲技法を発見した。
これは巨人の慣習やヒエラルキーの階位付けに対する、
挑戦を反映したものだった。
1813年から15年のバラードで行った、
形式の大胆な発展以来のものであった。
1809年にライヒャルトが作曲したものを見ると、
シューベルトはこれを知っていたと思われる。
事実、彼はそこから学ぶ以上のことをしており、
同じ調で開始され、同じ声の高さのために書かれている。
しかし、彼は、プロメテウスの怒りや嘲りの表現で、
ライヒャルトのずっと先を行っている。
音楽は、自発性や、
周到な計画というより臨機応変の対処の模範となっていて、
後ろを振り返ることなく、絶え間なく前進し、
各部がそれぞれの雰囲気とロジックを有しながら、
全体は確かな構成というより前進の激しさで統一され、
別々の運動が、白熱した瞬間の中で融合している。」

フィッシャー=ディースカウの歌は、格調高いものの、
完全に録音に阻害されている。
最初の、ゼウスに対する挑戦も、伸びやかさがなく、
舞い上がろうとすると、録音技術の壁にぶちあたってしまう。
また、ビロードの声も色彩感が感じられず、毛羽立って聞こえる。
デムスのピアノも乱暴なだけに聞こえる。
私は、この曲を、ずっとこの録音で聞いて来たが、
演奏のせいか、作曲のせいか、録音のせいか、
あるいは、そもそも、そんな詩ではないゆえだろうか、
楽しんで聞けたためしがない。

それだけのダイナミックレンジの大きさを要求する音楽なので、
経時変化も不利に働く。「さすらい人の夜の歌」や、
「海の静寂」のような静かな曲では、そこそこ十分に楽しめるのだが。
特に、D768の「さすらい人の夜の歌Ⅱ」などは、
何度、この録音で聞いたかわからない。

「山々の頂に
憩いあり。
木々のこずえに
そよ風の気配もなし。
森に歌う小鳥もなし。
待てよかし、やがて
なれもまた憩わん。」

ゲーテは、若い頃、山荘にこれを即興で落書きしたが、
老いて後、この場所に来てそれを発見、死期を悟ったという。

この詩は、ゲーテの生涯を語る時、必ず特筆されるもので名高く、
シューベルトの音楽も、美しいドイツ語が一語一語聞き取れ、簡素で美しい。
この曲なら、このCDは大推薦であるのだが。

また、このジャケットの由来のごとき、
「狩人の夕べの歌」も今回、改めて耳を澄ませ、聞きほれた。

得られた事:「貴重な録音の復刻CDの余白には、同様に入手困難品の復刻を収めて欲しい。」
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by franz310 | 2008-04-19 21:19 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その118

b0083728_9295550.jpg個人的経験:
シューベルトが、
「ます」の五重奏曲を書いた年、
1819年の業績を、
歌曲の分野で振り返っている。
マイヤーホーファーによる
4曲の後、この年の秋、
シューベルトが手がけたのは、
ゲーテの詩による
「恋人が書いた」(恋する女の手紙)
D673であったようだ。

この作品は、名作の多いゲーテ歌曲の中では、
あまり知られているものではなく、
シューベルト「ゲーテ歌曲集」と銘打たれたレコードの多くは、
女声によるものでは、「野ばら」や「グレートヒェン」や
「ズライカ」、「ミニヨン」でいっぱいになって、
男声によるものでは、「魔王」、「竪琴弾き」やもろもろで、
CD2枚くらいはいっぱいになってしまう。
つまり、通常、まったくお出ましになるチャンスがない曲で、
演奏時間も3分もかからない。

何しろ、シューベルトはゲーテによって育てられたようなもので、
70もの詩に曲をつけて、なおかつ、献辞をつけて、
詩人に楽譜を送ったくらいである。

前回取り上げた、プレガルティエンのCD、
シューベルトが書いた日記にも、
ゲーテの詩につけた作品が好評で、
特に大きな喝采を受けた件が記されていた。

これからも、ゲーテ・シューベルトのコンビは、
作曲家の生前から人気のコンビであったことが分かった。
もちろんゲーテは大政治家であって大詩人、
我らがシューベルトは、そこらの兄ちゃん、
せいぜい作曲オタクとしか思われていなかっただろうが。

それだけ名作が多いと、こんな小品まで気を回す暇はないような気がするが、
恐ろしいことに、この曲の解説にも、
グレアム・ジョンソンは2ページ使っていた。
(ハイペリオンの歌曲全集のCDにて。)
それを、ざっと見てみよう。
さすがに、最初からあまり知られていないことを断っている。

「これはゲーテの詩によるシューベルト歌曲の中では、
最も知られていないものの一つである。
他のゲーテ歌曲と比べると、リサイタルで取り上げられることも稀である。
これは二つの4行連と二つの3行連からなるソネット形式であって、
あまりこの形式で書かなかったゲーテには珍しいものだ。
この詩は1807年のもので、イエナの出版商フロマンによれば、
当時、詩人は58歳であったが、
18歳のミンナ・ヘルツリープにのぼせ上がっていた。
ペトラルカのソネットの新しいドイツ語訳が出たばかりで、
それが報われたか、関係が成り立ったのかは定かではないが、
ミンナは、短い期間、ゲーテにおけるラウラとなった。
どこか絵葉書じみた乙女チックなこの音楽は、
偶然かもしれないが、1815年の優美な『愛しいミンナ』を想起させる。」

何と、これでは、ゲーテのミンナに対する愛情をシューベルトが、
知っていたかのような展開。
「恋する女の手紙」には、ミンナという言葉は、まったく出てこない。

また、この、シュタッドラーの詩におけるミンナ(D222)は、
しかし、あまりにも悲しくも不気味なミンナの物語であって、
死んでしまった恋人にひたすら呼びかける内容となっている。

「ああ、いとしいヴィルヘルム、どこにいるの。」
そんなミンナの問いかけから始まる。

最後は、苔の下から戦場で死んだ恋人が答えると、
無数の花々が墓の中から首を伸ばし、
花の中にミンナが横たわるとヴィルヘルムがいた、
という落ちになっている。

たぶん、後を追って死んじゃった、ということなのだろうが、
妙にオカルトチックな内容である。

曲は、ヤバい内容に相応しく、夢遊病のような、
けだるい物憂い気分に満ちている。
どうも若い頃のシューベルトはこういう傾向がお好き。
誰しも、こういうものには、若い頃ほど感受性が鋭いものだが。

一方、このミンナに触発されたゲーテの『恋する女』は、
こんな風に、遠く離れた恋人に呼びかけるだけで、
状況がよく分からなくてじれったい。
あまり、若い頃には分かりにくいものであろう。
はるかに大人の詩であり、大人の関係の物語であろう。
22歳のシューベルトは、
どこまで実感を持って対応したのだろうか。

石井不二雄は、こう訳している。

『わたしの眼をのぞきこむあなたの眼差し、
わたしの口に寄せるあなたのくちづけ、
その味をわたしのように少しでも知ったものには、
ほかのなにが心をときめかすことができましょう。

あなたに去られ、親兄弟たちとも心が通わなくなり、
いつもひとりあてどない想いにとらわれてばかり。
そしていつもあのときのことに想いを馳せるのです、
あのかけがえのないときを想うと思わず涙がこぼれるのです。

でも涙がまたいつの間にかかわいてしまうのも、
あの方の愛がわたしひそやかな心にとどくと思うから、
遠くのあの方に愛の心をとどかせずにはいられない!

愛するあまりに苦しむこのささやきを聞いてくださいな!
この世でわたしの幸せはあなたに愛されることだけ、
わたしを愛する、とやさしいひとことを書いて送ってくださいな!」

去られたのか、去られてないのか、離れているだけなのか、
引き裂かれたのか、別れたのか、親兄弟との間に何かあったのか、
どうも、それをどう捉えるかによって、曲の付け方も変わってきそうである。

「1」か「0」かはっきりしろ、と思うのが人情だが、
恋愛の達人、ゲーテは違う。

さて、ジョンソンの解説に戻ろう。先を急ごう。
何しろ、これを読むと、この3分ばかりの小品から、
あまりにも沢山を聞き取らなければならない。

「ジョン・リードは同様に、シラーの『ラウラに感ずる恍惚』第一作と、
3連音の伴奏などで、この曲との類似性を指摘している。」
これは、D390のことで、これまた、
熱に浮かされたように、まさしく恍惚状態の曲想。
「ラウラよ、この世の中から抜け出して、
天国の五月の光の中に身を置くような気がする」と、
完全に恋は盲目を通り越して麻薬中毒みたいになっている。

私が聞いた感じでは、「恋する女の手紙」は、この法悦境には至っていない。
到れないがゆえに切ない。

「前年のペトラルカのソネットの独語訳へのシューベルトの付曲は、
中ほどにおける、その韻律や押韻から、
おそらくソネット形式が作曲家を魅了し、
特別なチャレンジとなっていた。
恋人へのメッセージとしては、この曲は、
同じように離れたところにいる恋人に呼びかける、
東洋的なズライカのほの暗い情熱と比べると、
何だか青白い。」

この対比は面白く、「ズライカ」は、後にブラームスが激賞した作品。
このことを脳裏に置きつつ、続きを読むと面白い。

「心をかき立てるこのそよぎは何でしょう。
東風がうれしい便りを伝えてくれるのでしょうか。
涼しく吹いてくるこの気持ちよい風は、
私の心の深い傷をいやしてくれるのです。」
という詩句で始まる「ズライカ」は、
確かにほの暗い焦燥感のようなものに包まれ、
独自の色調を誇っている。
「そよぎは暑い陽射しをおだやかに鎮めてくれたり、
わたしの熱くほてった頬をさませてもくれるのです」
と、非常に官能的ですらある。

この詩、実は、ゲーテが1815年頃、女友達、
マリアンネ・ヴィレマーが作った詩を改作したとされる。

そして驚くべき歴史の事実として、
この曲自体、後に(といっても作曲されて何年かしてだが)、
マリアンネ自身の知るところとなり、
彼女は、著作権侵害だっ!と騒いだりせず、
きれいな曲になっている!と喜んで、
ゲーテに書き送っているのである。
この女性が作曲家について興味を覚えたかどうかまでは不明。

ゲーテ自身は、シューベルトの「魔王」などを理解できなかったようだが、
とはいえ、ずっと若い世代には、はるかにストレートに、
シューベルトの音楽が染みこんだということか。

下記、ジョンソンの解説の()内は、唐突であるがこういうこと。
「(シューベルトは、マリアンネ・フォン・ヴィレマーの詩に、
ほんの2、3年後に付曲する。)
ズライカが文字通り風に向かって、慎みをかなぐり捨てているのに対し、
厳格なソネットの文体上の境界の中にあるこの曲が、
淑女らしい上品さがあるのは不思議なことではない。
特に、男性作家の理想とする女性の行動の上品さであって、
これがこの詩の内容であり、音楽的な語法を制約している。
この詩が、メンデルスゾーンを魅了し、
入れ込んだ彼が作曲したもの(作品86の3(1831))は、
おそらく、その誠実さや美しさの点でシューベルトより優れている。」
ということで、今度はメンデルスゾーンを聞かなければならない。

大変なことになってきた。メンデルスゾーンを聞かないと。

が、この曲は、バーバラ・ボニーのCDで簡単に聞けた。
彼女は、ジェフリー・パーソンズのピアノで、
最初の曲、超有名な「歌の翼に」の次に歌われている。

これは、まるでシューマンを思わせるような、
ロマンティックな思い入れたっぷりの曲で、
こみ上げるものがいっぱいである。
確かに、シューベルトの場合より切実で、最後の、
「やさしいひとことを書いて送ってくださいな」の要望に答えないと、
ヒステリーに怒り狂いそうな女性像である。

だが、この最後のひとことに関して言えば、しかし、くどすぎる。
このような聞き方をした後、シューベルトの歌曲を聞きなおすと、
この直訳では、「合図を送ってください」の一言の、
恐ろしい密度の濃さに、妙に感嘆してしまった。
気を失わんばかりの絶唱である。

さて、ジョンソンの要求はさらに続く。
「あのブラームスも作品47の5として、同じ詩に作曲しており、
このことは、彼がシューベルトの作品を怖れていなかったことが分かる。」

ということで、メンデルスゾーンはゲーテと親しく、
その詩に触れる機会は存分にあったとはいえ、
シューベルトは知らなかったかもしれないが
ブラームスはシューベルトの楽譜の校訂者でもあるから、完全な挑戦。

しかし、挑戦した割には、録音が多くないようだ。
しかたないから大部の資料を取り出そう。

フィッシャー=ディースカウが企んだ、
ブラームス歌曲全集に収録されているジェシー・ノーマンの歌唱。

確かにこれは、素晴らしく彫琢された作品で、
詩が単に読み上げられているだけみたいな感じだが、
ピアノ伴奏と声が一体となって、硬質なきらめきを誇っている。
詩の朗読をそのまま聴くような感じであるが、
何故か音楽になっているという、素敵な作品であることは確か。
が、特にメンデルスゾーンで聞いたような、
恋する人の感情の増幅はない。1分45秒で終わる。

グレアム・ジョンソンは、この3作を、こう書く。

「控えめなところや、礼儀に適った少女のたしなみは、
シューベルトよりずっと高い社会的地位にあった家庭人としての、
メンデルスゾーンのヴィクトリア朝風の価値観に調和しており、
ブラームスはさらに後の時代の半音階的な音楽処理を交え、
ずっと大胆な感情吐露に、シンプルに置き換えている。」

ということで、この曲、かなりの曲者で、いろいろ考えなければ鑑賞不能。
が、ジョンソンの博覧強記はこれで終わったわけではない。
「また、チャイコフスキーの『オネーギン』の、
手紙のアリアを想起するかもしれない。
が、ゲーテによるミンナの品行は、タチアーナのテンペラメントや、
音楽語法にはかなわない。
我々はむしろ、『フィガロ』において、同じく変ロ長調による、
伯爵を罠にかけるスザンナと伯爵夫人の手紙の二重唱の、
モーツァルトの世界を見るべきであろう。」

「手紙」だからと言って、ここまで連想ゲームを繰り広げる必要があろうか。

「序奏は、『手紙を書きましょうか』、『書きましょう』といった、
2つのフレーズからなる4小節を提示、
この質問と答えが音楽の構想の大きな部分を占める。
モーツァルトに倣って、フレーズ間の休止は、
華々しい効果を奏するが、次の行への移行には少しためらいがある。
『私の目を覗き込むあなたの眼差し』の後に、
テノールの男らしいチェロのようなエコー効果があって、
無言の眼差しの交差のようなアイデアがある。
この優しい小さな返答モチーフは、この曲の最初の部分、
つまりソネットの8行の特徴をなしている。」

しかし、とんでもない曲ではなかろうか。
遠くの恋人を思うのに、手紙を書きながら、
彼からの幻の返答を空想、反芻することで音楽が構想されているとは。

最も知られていない曲というが、ブラームスの巧緻にも、
勝るとも劣らないイマジネーションではなかろうか。
さすが、1819年の作、大胆な実験の痕跡がある。
しかも、最後は、あの絶唱である。
「どうかやさしい便りを送ってください。」
前半、空想の声に励まされて書き綴ったこの手紙が。

「『他に何が心をときめかせましょう』の部分、
楽しみに何かを探しても無駄で、中音へ、の束の間の転調を試みるが、
現在、恋人に夢中であること以外には満足できないので、
ほかの現実をちらりと見ただけで、
ヴォーカルラインはすぐにもとの調に戻ってしまう。
『涙が流れる』のところで、大きな転調があって、
通常とは異なるものの、巧妙に工夫された転調によって、
涙が湧き出て、表面に流れ出る音が聞こえる。
これが第二部への経過となるが、楽譜には、
『いくらか動きをもって』の指示がある。
ソネットの最後の6行のために、シューベルトはテンポを変え、
デリケートで脆い少女の幻想のときめきのムードにする。
ここで私たちはカヴァティーナがカヴァレッタになるオペラの音楽を想起する。
五線譜の高音と低音の間の三連音が、ここからは、
伴奏としては特異なたった二つの音符になっている。
これは1818年のペトラルカのソネットⅡに見られるもので、
ここで詩人は、ラウラへの惨めな憧れを語り、
愛の見返りが足りず、自分が何か不完全なものに思えるという。
最後の『ひとことを下さい』の部分は、もっとも心を打つところだが、
フィッシャー=ディースカウが『これ以上情熱的にはなれない』と言うのは、
おそらく誇張であって、特にここはメンデルスゾーンが優れているように見える。」

これについては、私は完全に疑問を呈する。
少なくとも、このオジェー盤で聴く限り、
素晴らしい効果を実感した。
メンデルスゾーンは確かに情熱的だが、
華美で様式を逸脱しているようにも思える。

ちなみに、フィッシャー=ディースカウは、
「パステル画のスケッチのような趣きを持つこの小品」と書き、
ピアノパートに、「流れ落ちずに頬の上で乾いてしまった涙」の暗示を聞き、
上述のように、最後の言葉を賞賛している。

最終的にジョンソンの結論は、このようになる。
「この曲にシューベルトが、
完全に満足していたかどうかは疑問の余地がある。
この詩人に対しては何よりも重視して、
優先的に印刷に回すことを計画していた
この作曲家が生前に出版したものには含まれない。」

ハイペリオンの全集では、リポブシェックが担当しているが、
ジョンソンの解釈を受けてか、どうも、凝縮度が足りない。
今回、紹介したオジェーが素晴らしい。

実は、この曲。
上述のように大作曲家が3人も曲を付けたのが珍しいのか、
ヴァルター・デュルの「19世紀のドイツ・リート」にも、
詳細な比較が出ている。(喜多尾道冬訳、音楽の友社)

ここでは、やはり、詩の内容の曖昧さが取り上げられており、
この詩における恋人たちには、果たして希望があるかどうか、
という点で、最後の言葉、
「心の証、愛のひとことを送ってください」を大変重視している。

そして、メンデルスゾーンは、この部分を独立させ、
アリアのように3回も反復して、モティーフや表記の点でも、
「恋人同士の結びつきが確かめられて終わる」としている。

「シューベルトの場合には何か祈りのようなもの、
力のないものを思わせる。距離は幻想の中だけで克服され、
愛の証しを彼女は得ることが出来ない」
と書かれている。

そして、ここでは、こうも書かれていて、私を深く納得させた。

「このリートは、ゲーテにおけると同じく、
だが、メンデルスゾーンの場合とは違って、もっと高度な意味で、
ロマン的な方法で開かれているといえるのかもしれない。」

さらに、ここでは、メンデルスゾーンこそ、
この曲に自信を持つことが出来ず、
「思い込みの方が強すぎて、
内容はそれほどでもないように思えるのです」と、
家族に書き送っているとのこと。

さらには、そのせいか、彼はこれを生前には出版していないのだという。
こうなると、グレアム・ジョンソンの結論は、再考を要するのではないか。

そもそも、高い地位にあった家庭人とジョンソンは、
メンデルスゾーンを評したが、この曲を書いたとき、
メンデルスゾーンだって、22歳の若僧だったのである。
くしくも、シューベルトと同年代だ。

が、エリック・ワーナーという人は、これを、
メンデルスゾーンの「最も美しいリート」とし、
ルイーゼ・レーフェンという人が、この詩の付曲で、
「最も成功したもの」と言っている点も紹介している。

さて、この本では、ブラームスの曲についても、
最後の一句の扱いに注目しており、これは「切願」であって、
シューベルトの場合同様、未解決に終わるとある。
メンデルスゾーンが情緒のみを再現したのに、
ブラームスは詩の韻律を重視したというのも見て来たとおり。

また私は、この曲が、1858年、
何と、あのアガーデのために書いたとあるのでびっくり。
もっとも即物的であると思ったブラームスが、
実はもっとも恋をしていたようなのである。
有名な破局は翌年のことである。
これからすると、ブラームスが作曲したのも25歳かそこら、
ということになる。

58歳のゲーテの心情を語るには、3巨匠とも、あまりにも若く見える。

とにかく強調されているのは、ソネットという形式が、
歌曲に不向きだという点で、メンデルスゾーンも、
「これに付曲するのはきちがい沙汰です」と書き、
ブラームスも、友人たちが、こぞって、ソネットの難しさを列挙、
みんなが苦労を打ち明けているようである。

小さな一編に見えるが、シューベルトは、何も言い残していないが、
見て来たように、かなりの実験と、
考えうる限りのイマジネーションを盛込んだようである。

さて、シューベルトの「恋する女の手紙」、
ここまで書き綴ると、非常に切ない、
しかし、けなげな愛すべき作品と思われてきた。
しかも、他の誰よりも、優美でありながら恐ろしい緊張をはらんでいる。

うまい具合に、アーリーン・オジェーが歌った、
ドイツ・シャルプラッテン・レーベルのシューベルト歌曲集は、
日本でも廉価盤で出て、多くの人が持っているはずである。
ここに入っている。

ピアノは、シュライヤーなどの共演で知られる名手、オルベルツである。
1976年の録音。1944年生まれのはずなので、
32歳という若さが眩しい。

グレートヒェン歌曲が2曲、ミニヨン歌曲が7曲、ズライカ2曲と、
主なゲーテ歌曲の女主人公の歌がほとんど聴ける。

ミニヨンの歌は、同じ詩によるものを、
シューベルトが別の時期に書きなおしたものも収録しているからである。
ゲーテの詩としては4編分に相当する。
さすがに、「憧れを知っている人だけが」の、
「第七作」と書かれたものは秀逸である。

最初と中間に有名な「糸を紡ぐグレートヒェン」と「野ばら」を配置、
食傷するようなことがないようになっている。
(90年録音の盤では、この二曲が冒頭から並べて歌われて、
私は飛ばして聞いたりしている。)

ただし、93年時点でのケチケチ商法のおかげで、
解説も歌詞もない。まったく、誰かにプレゼントなど不可能な未完成商品。
こんなものを作っていたら、データ配信に負けてしまうという感じ。
その反省もあったか、最近、このレーベルのシリーズは、
音質もよくして再発売が始まった。
が、この録音は未発売。
オジェーのシューマンは出ていた。

演奏自体は文句なく、表紙デザインは好感が持てる。
野ばら?をシンプルにあしらった非常にしゃれたものである。

先立ってコメントした、ブラームスも賞賛したという、
「ズライカ」の歌曲が、「恋する女の手紙」の後に収録されているのも良い。
オジェーは、確か53歳で早世したから貴重な記録である。
宗教曲やオペラも得意としたようだが、透明度の高い歌唱が持ち味であった。

得られた事:「ささいな小品の中にも、劇的な緊張感を張り巡らせ、存在の危機までを内包させることが出来たのが1819年のシューベルトであった。」
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by franz310 | 2008-04-13 10:08 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その117

b0083728_9113739.jpg個人的経験:
シューベルトが、
1819年の秋、
同居していた詩人、
マイヤーホーファーの
詩についけた歌曲4曲、
最後の一曲は、
「夜曲」である。
これは、ナクソスの
マイヤーホーファー歌曲集では、
まだ聞くことが出来ない。

そもそも、D669からD672までのこれら4曲は、
半分(「風が吹くとき」と「なぐさめ」)が作品番号がなく、
「星の夜」には、作品165-2という印があるが、
番号が示すとおり、死後、ずっと経ってからの1862年の出版。

その中で、この「夜曲」は作品36-2とあるから、
シューベルト生前の発表である。

改めて、並べると、

D669、「風が吹くとき」 1829年、付録として出版。
     1833年にNachlassのBook22として出版。

D670、「星の夜」 1862年初出版。

D671、「なぐさめ」 1844年、NachlassのBook44として出版。

D672、「夜曲」 1825年、作品36の2として出版。

こうしてみると、この4兄弟は、それぞれ大いに異なった人生を歩んだようだ。
となると、一番、生みの親からかわいがられたのは、
この「夜曲」ということになる。

作品32の2というから、他の曲と一緒ということだろうが、
これについては、フィッシャー=ディースカウの本に、
こうした説明があって助かる。

「『怒れるディアナに』はちょうどその頃、
マイヤーホーファーの『夜曲』とともに出版されたばかりで、
シュヴィントが愛しており、シューベルトもしばらく前から
知り合いになっていたラースニ夫人
(旧姓ブーフヴィーザー、1789-1828)に捧げられた。」
という話に出てくるのだが、これは、1825年のこととされる。
つまり、シューベルトにも、ラースニ夫人にも、
あと4年の命しか残されていなかった時期。

シューベルトは27歳、夫人は8歳年長のようだが、まだ35歳。
この女性はいったい何者なのか。

「彼女はいわば当時の有閑マダムで、
友人たちは、《ウィーン中で悪評の高い》女性が
これほど精神豊かに見えるということに驚いていた。
『夜曲』は彼女の家ではじめて演奏され、
その後もたびたび繰り返されたのだが、
マイヤーホーファーのロマンティックに誇張された詩に
もとづいて作曲されたものである。
導入はシューベルトにしてはめずらしくポリフォニックに書かれている。
叙情的な中心部分は、竪琴弾きやさすらい人の場合と同様、
作曲家がこの陰鬱な『善良な老人』に
共感を示そうとしていることを物語っている。」
このように、ディースカウは、この曲には、多くの部分を割いて説明をしている。

説明はまだ序の口で、さらに続く(原田茂生訳による)。
「木の葉のそよぎと木のざわめきにのったメロディーは、
ほとんどそのまま繰り返され、
それでいてその魔力を失っていない。
老人は死に至る歌を歌い始める。
彼は音画的なピアノ伴奏部に導かれて、思慮深げに姿を現す。
そして賛歌を歌い始めるが、それまでのところはすべて
この賛歌のための導入である。
シューベルトは『救われる』(erlost)という言葉を、
ただ一つの音符を変えるだけで、印象的に繰り返している。
次に突然旋律の性格が変わる。
ピアノ伴奏は老人を眠りに誘い込む『緑の木々』のように
揺れ始める。賛歌そのものが終わった後も、
その子守歌は続けられる。
この効果は絶大で、ことに死んでゆく個所の転調の表現力を
言葉で再現することは不可能であろう。」

石井不二雄訳では、こうした詩である。

「山々にかすみたなびき、
月が雲間に見え隠れする、
その時老人は竪琴を手に歩み出で、
森に向かって声低く歌う。
『聖なる夜よ!
やがて終わりだ。
やがて長い眠りに私もつこう。
あらゆる苦痛から眠りが私を救ってくれよう。』
すると緑の樹々はざわめく、
『安らかに眠れ、善良な老人よ。』
野草もゆれてささやきかける、
『あの人の墓地をきれいに覆おう。』
やさしい鳥たちも呼びかける、
『芝草の墓に葬ろう!』
老人はじっと耳傾けて、口はじっと閉じたまま、
はや死が彼に近づいた。」

こんな内容の歌を、有閑マダムが愛聴したというのも不思議であるが、
深々とした分散和音に乗って、非常に神秘的でロマンティックな曲想。

詩の大意は、マーラーを思わせる、自然回帰である。

ラースニ夫人に、シューベルトは、
1825年に、「ハンガリー風喜遊曲」も献呈しており、
名手、フンメルと話をしたのも、この夫人のサロンにおいてであった。

フンメルの若い頃の女友達で、昔は歌手であった人だと、
フンメルの弟子であったフェルディナント・ヒラーが書き残している。
これは、病床のベートーヴェンを見舞った際で、1827年のこと。

評判の悪い人というが、長い付き合いがあったようだ。
ベートーヴェンの秘書のシンドラーは、
シューベルトが10年間にわたり庇護され、成長したのは、
フォーグルと、ピンテリチュとラースニの家庭のおかげだ、
と書いてもいる。

ヒラーは、この夫人について、
「往年の美貌を留めていたが、非常に病弱で動けなかった」
と書いているので、この女性は、死について考える機会も多かったのだろうか。

さて、「夜曲」に戻ると、このように、
当時から知られた歌曲であったようだが、
なかなかCDは見つからない。

ただ、プレガルティエンのものが二つ出ている。
(ハイペリオンの全集を別にして)。
日本でも発売されて好評だった、テルデック盤。
2001年の録音の、「マイヤーホーファーの詩による歌曲集」と、
1992年にEMIに録音した、「出発と旅路の歌曲集」
(または、「旅立ちと道程の歌曲集」)で、
彼は、この曲を歌っている。

前者の伴奏はピアノフォルテのシュタイアーであり、
後者はミヒャエル・ギースである。

今回は、このEMI盤を見てみよう。

収録曲目は、
1. 逢瀬と別れ(歓迎と別れ) D767 (ゲーテ詩)
2. 星 D939 (ライトナー詩)
3. 夜曲 D672 (マイヤーホーファー詩)
4. 臨終を告げる鐘 D871 (ザイドル詩)
5. さすらい人 D489 (リューベック詩)
6. さすらい人の夜の歌 D224 (ゲーテ詩)
7. ヴィルデマンを越えて(ヴィルデマンの丘にて) D884 (シェルツェ詩)
8. 幽霊の踊り D116 (マッティソン詩)
9. 魔王 D328 (ゲーテ詩)
10. さすらい人の夜の歌 D768 (ゲーテ詩)
11. 憧れ D879 (ザイドル詩)
12. ミューズの子 D764 (ゲーテ詩)
13. ブルックにて D753 (シュルツェ詩)
14. 夕映えの中で(夕映えに) D799 (ラッペ詩)
15. 憩いなき愛 D138 (ゲーテ詩)
16. とらわれの狩人の歌 D843 (スコット詩)
17. 戸口にしのんで(竪琴弾きの歌) D479 (ゲーテ詩)
18. さすらい人 D649 (シュレーゲル詩)
19. さすらい人の月に寄せる歌 D870 (ザイドル詩)
20. 孤独な男 D800 (ラッペ詩)
21. 舟人 D536 (マイヤーホーファー詩)
22. 馭者クロノスに D369 (ゲーテ詩)
23. 影法師 D957-13 (ハイネ詩)
24. 夜と夢 D827 (コリーン詩)

このように、さすらい人のテーマを集めたものとして、
貴重とも考えられる。リューベックとシュレーゲルの「さすらい人」が、
両方聴けるというのも嬉しい。
前者はこのブログでも、何度も取り上げた、
「さすらい人幻想曲」の元のメロディーを含むものだし、
シュレーゲルの存在についても、
「ます」を書いた頃のシューベルトを考える時に、
無視できないことを読んできたばかろである。

表紙デザインは当時の風俗を表していて素敵だが、
1803年のL.L.Boilly作、「郵便馬車の到着」と読めるが、
何故、「出発と旅路の歌曲」なのに、到着の絵が使われたのだろう。
ルイ・レオポルド・ボワイーは、そこそこ有名な風俗画家。
私は、最初、この絵画が、「出発」を表したものと思い込んでおり、
真ん中で別れを惜しむカップルを取り囲む子供たちが嬉しそうなのが、
いったい何故かを考え込んでいた。

しかし、実は、父ちゃんが帰って来たのを歓迎する家族だったようだ。
紛らわしい絵画利用はこれっきりにして欲しい。

そもそも、さすらい人には、
こうした到着はあり得ないと思うがいかがであろうか。
紛らわしいと言えば、この「出発と旅路」というのからして、
変てこりんな題名ではなかろうか。
ここに、有名な「魔王」や「さすらい人」が含まれるのは、
「旅路」ということか??

しかし、「ミューズの子」や「夜と夢」などがあるのは?
そもそも「夜曲」があるのは、死への旅立ちということ?
この前のアーメリング盤(フィリップス)もそうだったが、
どうも、CDという商品を形にするのに、
適当な売り文句をでっち上げたような気がして、
魂が感じられない。

解説には、何か書いてあるだろうか。
OLIVER BUSLAUという人が書き、
Roger Clementという人が英訳している。

「シューマンはかつて、シューベルトがもっと長生きしていたら、
すべてのドイツ文学を少しずつ音楽にしてしまったであろうと言ったが、
こうした見解が、今日でも誤解を生んでいる。
例えば、何らかの強制的なものに突き動かされて、
読んだものをすべて音楽化してしまったとか、
あまりにも文学的な教養が欠如しており、
価値のあるものとないものを分別することが出来なかったとか。
こうした言い古された想定は、彼が計画的に文学主題に従って、
作品を注意深く並べて、その歌曲集に収集しているという事実を見ると、
間違っていたことがわかる。」
いまさら、こんな事は書くまでもあるまい。

「彼の日記には、文学に対する豊かな思考力を含み、
友人たちと論議した哲学的なテキストが飽く事無く引用されている。
そればかりか、シューベルトによって作曲された、
600曲を超えるその歌曲を調べた人は、シューベルトにとって重要だった、
頻発するテーマがあったことに気付くであろう。
『出発』や『旅路』に関する多くの歌があり、
世界苦、孤独、そして、ロマンティックな憧れによって、
インスパイアされた具体的状況である。」

「今回のセレクションを貫き通す赤い糸である。
このCDの中で、最初に書かれたものは、
1814年の秋に書かれた『幽霊の踊り』である。
補助教員をしていた時、彼はこれを取り上げ、
マティソンの詩では、死者の生からの別れは、
死んだ魂はもはや世界の痛みを感じないがゆえに、
楽しいイベントとなっている。
ピアノの音形がカラスの飛翔を想起させる、
音の絵の効果などに、この初期の作曲フェーズの実例がある。」

ディースカウはその著書の中で、この曲を作曲した時、
半分子供だったシューベルトはこれを書いて楽しかっただろう、
などと書いているが、実際、軽妙な音楽で、
シューベルトの楽譜の中には、
さらに、この曲の習作の断片が二つあるようだ。

幽霊たちが輪舞すると、犬は吠え、カラスは飛び立つ。
しかし、呑気な幽霊たちは、
「おお、心よ、お前は何も聞こえず暗い部屋の中で眠っている。
幸福な俺たちは、『あばよ』とささやく」。
浮世の悩みに煩わされる心に、あばよ、と幽霊が別れを告げるわけである。

「シューベルトのゲーテへの付曲は、
1815年頃から始まり、この頃、
『憩いなき愛』、『さすらい人の夜の歌Ⅰ』、『魔王』、『戸口の影に』、
『馭者クロノスに』を書いた。
1816年の7月13日の、『憩いなき愛』の演奏の機会に、
シューベルトはその日記に、
『僕はベートーヴェンの変奏曲を弾き、
ゲーテの『憩いなき愛』とシラーの『アマーリア』を歌った。
前者は満場一致の喝采を受けたが、後者はそうでもなかった。
僕自身、僕の『憩いなき愛』は、
『アマーリア』よりも優れていると思っているが、
ゲーテの天才的な詩が喝采の引き金になったことは明らかだ』
と書いた。
こうしたコメントは、シューベルトは文学的には無知であったという
命題を改めて否定するものとなる。
彼は、歌のインパクトは大いにテキストの質によると、
完全に理解していた。」

「むしろ苦しみに打ちひしがれた方がいい、
これほどの生の喜びを堪えつくす位なら」と、
溢れ返ってくる感情の爆発の歌。

「『魔王』は外面的な要素と内面的な要素が結合し、
荒々しいギャロップや荒涼とした風音、
二人の怖れと震えが、ピアノの三連音と共に表されている。
これは、自然の模倣と心理的な解釈のバランスをとりながら、
ばくぜんとドラマティックなムードを醸し出す。
『馭者クロノスに』の巨人神は、
『生命の山』に、人々を導き上げる。
最初の『努力と希望』のあと、素晴らしい眺望の高みにあって、
『日没』を見る時、それは冥界へと手繰り寄せられる下り坂の時である。
シューベルトは人生の旅路のヴィジョンを、
ポストホルンを最後にファンファーレとして鳴り響かせて強調した。」

この解説では、ちょっとわかりにくいので、補足すると、
「馭者クロノスに」の内容を紹介すると、
ゲーテが25歳の時に郵便馬車の中で着想したとされるとおり、
御者を時を司る巨人神に見立て、
俺様的に、傲慢不遜にも呼びかける歌である。

「急げクロノス!
がたがた揺れても構うものか、
元気よく人生の中へ突っ走れ」
と歌いだされ、途中は、山頂の描写で、
「この広さと高さ、
その人生を見晴るかせば、
山から山へと永遠の霊気が漂っている。」
と高らかに人生の絶頂を暗示したかと思えば、美しい少女の姿。
ゲーテが駅馬車の中から見た姿であろうか。
彼女の言葉、「元気を出してね」が、ひときわ美しい。

「さあ、今度は下りだ、もっと急げ、
目がくらみゆくこの俺を、冥府の門まで運びゆけ」
と終始、命令口調。1816年の作曲。

25歳のゲーテの自信満々に対し、
19歳のシューベルトは、同じような高まりで、
この作品をものしたに違いない。
ピアノ伴奏も最初から挑発的。歌の調子も細かく興奮している。

「1816年作曲のリューベックの詩による『さすらい人』は、
『魔王』に続いて、19世紀において最も有名なシューベルトの歌であった。
テキストの一節、『ここでは日の光も寒い』の束の間のメロディは、
1822年の『さすらい人幻想曲』のテーマとなって蘇った。
シューベルトは、『さすらい人の夜の歌Ⅱ』を、
1824年の5月に、ハンガリーの町、ツェリスで、
エステルハーツィ伯爵の家庭の、
音楽教師として滞在していたときに書いた。」
このあたりになると、このCDのテーマそっちのけで、
いつ書いたかという紹介の羅列になっている。

次に、あのマイヤーホーファーの詩による「舟人」の解説になる。

「1817年の『舟人』は、けち臭い俗物の満足の餌食になるな、
むしろ『命の川』のうねりの不運にも向かい合え、
と元気よく警告する歌である。
彼の二つの歌、シュレーゲルによる『さすらい人』と、
『夜曲』にて、シューベルトは、
シューマンの『月の夜』に足音を残す、
ロマン派時代の夜の見方、忘我状態のムードをよく捉えている。」

今回のブログ記事の主役の「夜曲」の解説はこれで終わり。

「『歓迎と別れ』が愛への熱っぽい憧れを注いでいるとすれば、
『ミューズの子』では、さすらい人は、二つの調の間を行き来する。
これらは、『未完成交響曲』が書かれ、
病魔に冒された、シューベルトの運命の年、
1822年に作曲された。
社会的なタブーは、彼を公的生活から引っ込めることになった。」
これなどは、まったく曲の解説になっていない一節。

「『夜と夢』の基本ムードは、聖歌のようでもあり、
夢に似た、ロマンティックな憧れの噴出である。
シューベルトは、地上に向かって降りてくる夢に対して、
『夢を人々は楽しく味わい』という言葉の前で、
大胆な転調を見せる。
1825年春の『夕映えに』と『孤独な男』は、
他ではあまり知られていない詩人、ラッペの詩に、
シューベルトがつけた、たった二つの歌である。
自己満足の男、『孤独な人』は、シューベルトには珍しい、
ロマンティックなアイロニーの例であり、
俗っぽいメロディに、ピアノのぎこちないバスのモティーフ、
執拗なスタッカートを見ると、
作曲家が、単にテキストに描かれた、
ビーダーマイヤーの、寛いだ情景を描いたのではなく、
シリアスに捉えていたことがわかる。」

このように、ラッペの詩による有名な歌曲2曲が、
含まれているのは嬉しいが、
先にも書いたように、
CDのテーマと関係ないような気もする。

ラッペについては、フィッシャー=ディースカウは、このように紹介している。
「ポンメルン地方のギムーナジウムの教師でのちに農場経営者となった、
カール・ラッペは、ポンメルンの最も注目すべき抒情詩人であった。
彼の詩によるシューベルトの2作品によって、牧師コーゼガルテンの弟子で、
のちに隠者になったこの詩人は、忘れ去られることから救われたのである。」
この2曲は忘れがたい名品ゆえにゆっくり紹介したいが先を急ごう。

「同じく1825年、シューベルトはむさぼるように、
ウォルター・スコットの詩劇『湖上の乙女』から、
いくつかの詩に曲をつけた。
そこには『とらわれの狩人の歌』も含まれる。
ユニークなポロネーズのリズムはシューベルトにおいては、
異常なものである。」
これは、あの有名な『アヴェ・マリア』を歌う、
エレンの恋人が、スコットランドの王城の塔に捕らわれて嘆く歌。
最後には、エレンの事が歌われる。
しかし、何ゆえ、ポロネーズか。

「シューベルトは、1825年、
フォーグルと一緒にガシュタインへの旅行をした。
そこで彼は穏やかな休暇を楽しみ、
趣のあるムードで『ブルックにて』を書いた。
ここでも再度、人生の旅路がテーマとなって取り上げられ、
薄暗く、見るからに無限の森の夜のギャロップを象徴的に響かせた。
しかし、ありがたいことに、『憧れの明るい目が待っており、
甘い切望が安全に導いてくれる』。」
これは大変、元気のよい歌で、夜の感じはあまりしない。
マイヤーホーファーの『舟人』の陸上版みたいな感じがする。
これなどは、何とか、このCDのテーマに即したものと言えよう。

「シューベルトは、『憧れ』、『ヴィルデマンを越えて』、
『さすらい人の月に寄せる歌』、『臨終を告げる鐘』を、
1826年に作曲した。
『ヴィルデマンを越えて』は、孤独と愛の間、
そして、旅人を丘から丘へとさすらわせる冬と、
広々とした谷間の草地の間をさすらう様子が描かれる。
シューベルトは、厳密な言葉の意味での『伴奏』を避け、
ピアノパートは、重たいオクターブ進行で朗唱を連想させて模倣する。」
過激な「冬の旅」の凝集バージョンのようだ。
それにしても、この曲がトラック7、次の解説にある曲は、
トラック19である。解説を読みながら聞いていると、
まったく落ち着いて座っていることなど出来はしない。

「『さすらい人の月に寄せる歌』は、さすらい人の基本リズムに逆らうように、
地上(短調)と天上(長調)の両面を描く。」
これは、詩が、月もまた、天上のさすらい人だと、
なぞらえていることを言っている。

「『臨終を告げる鐘』は、葬式の鐘がすべての人にとって、
執拗なEflatで等しく響く。」

この曲は同じザイドルの詩によるもので、
先の曲と連番ながら、トラック19から、
トラック4に戻らなければ聞くことが出来ない。
甘味で美しい曲なのに、これ以上の説明はなく、
怒りの方が先に立ってしまう。
曲順は本当に正しいのか。

繰り返しになるが、
臨終も何もかも「旅立ち」に、
ひと括りにするのはやめて欲しい。

このあたりで、あの表紙デザインを思い出そう。
まったく、無関係だということがわかろうというものだ。

さて、解説は、最終段階へと向かう。
「『星』と『影法師』は、シューベルトの生涯、
最後の年1828年に書かれた。
最初の歌は、シンプルな詩の形で、
天上の使者としての星の単純素朴な描写を呼び起こすのに対し、
『影法師』では、シューベルトはまったく新しい道に船出した。」
この「星」は、以前、グンドラ・ヤノヴィッツが、
シューベルトの友人、ヒュッテンブレンナーが、
同じ詩に付曲したのを聞いたが、やはり私には、
はるかにシューベルトのものが素晴らしく感じられる。
「星はじっと様々な慰めの義務を果たしているのだ」、
という詩が、どうして「旅立ちの歌曲」になるのかは難しい。

「悪夢のような状況での、絶望と希望の喪失は、
同じ年のミサ曲の『アニュス・デイ』でシューベルトが使った、
パッサカリアのような循環する和音の進行の上で展開される。
音楽は、歌手がお化けのような自分の鏡像を見出すパッセージまで、
絶え間なく繰り返されて、ブレークスルーすることがない。
シューベルトはこのパッセージにおいて、
表現力を最大限に高めたと言われ、
『僕自身の姿なのだ』というクライマックスのフレーズで、
ここでありとあらゆるピアノ音を鳴り響かせ、
和音を残して、すべてがたちまち解き放たれていく。
この作品の表現力豊かな朗唱と、
全ての装飾的要素を拒んだ、そぎ落とされた構成は、
私たちの世紀を指し示すものである。」
ここで、私たちの世紀というのは、20世紀であろうか。
1996というサインがあるから。

ということで、このCD、実態は、「さすらいと死の歌曲集」であるが、
マイヤーホーファーの「夜曲」は、その両方の要素を兼ね備え、
森の中で息絶える老人を包む静謐な空気の感触、
彼を包み込む自然の懐を感じさせて、屈指の雰囲気を持つものと確信した。

深々としたピアノの響きに、
プレガルティエンの清潔なテノールが重なるのを聞いて、
死病に取り付かれていたラースニ夫人が、
耳をそばだてたというのも分かるような気がした。

解説と曲順の関係、ジャケットデザインとの不統一など不満をたくさん書いたが、
なかなか得がたい選曲である。
この「夜曲」もそうだが、半分くらいの曲は、
なかなかCDが見つからないはずである。

そこに、シューベルトの本質をなす、
「さすらい人」シリーズがすっぽりと収まり、
さらに、「夕映えの中で」や、「夜と夢」のような、
超ロマンティックな曲が配置され、「魔王」や「影法師」まで入っている。
74分というCDの制限時間いっぱいに楽しませてくれるCDであった。

ジャズや作曲もやるらしいギースのピアノは、
とても歯切れ良く、神経質なまでに繊細で、
自発性高く、反応が機敏。
さらに、透明度が高いのが気持ちよい。
「魔王」など、非常にフレッシュな感じがした。

得られた事:「『ます』の五重奏曲の参考になった五重奏曲を書いた作曲家フンメルの女友達と、シューベルトは交友関係にあった。」
その2:「このCDに関して言えば、選曲は得がたく演奏も良好。ただし、絵は内容を表さず、解説と曲順の不一致は、はなはだ遺憾である。」
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by franz310 | 2008-04-06 09:13 | シューベルト