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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その107

b0083728_20302979.jpg個人的経験:
前回取り上げた
新しいCDとは別に、
似たような趣向の、
シューべルトの
オペラの抜粋のLPが、
フィリップスから出ていた。
これは日本盤もあったから、
多くの人が耳にした
はずのものである。

ジャケットデザインも、しゃれていて、
日本盤には書かれていないが、
「A.Vissersのコレクションによるミニチュアシアター」とある。

老人と、若い娘と男が配置されているので、
「アルフォンゾとエストレッラ」の、
老王フロイラと、主人公たちと見ることも出来ようが、
アルフォンゾがこんな髭面だとしたらがっかりである。
あるいは、この髭面はエストレッラの父、
フロイラから王位を奪ったマウレガートと見た方がよいかもしれない。
とにかく、古雅な感じもよいし、ここからいろいろ想像できて良い。

しかも、ソプラノにアーメリング、指揮はワールトで、
そこそこ売れる条件を備えている。
スター歌手であるアーメリングが歌いまくるわけでもなく、
スウェーデンのテノール、アーンシェーが、
デュエットを聞かせてくれるのがまた良い。

さらに、解説は、モーツァルトの研究で有名な、
エリック・スミスが書いているという豪華版。

「シューベルトは、舞台のために、
少なくとも17の作品を作曲、または、手がけた。
そのうちの三つ、
『ロザムンデ』、『魔法の竪琴』、そして『双子の兄弟』は、
彼の生前に何度か演奏され、
残りの『家庭争議』が一度ならずも演奏されているとはいえ、
一つか二つの序曲や、『ロザムンデ』の舞踏音楽以外は、
シューベルトの歌曲愛好家の多くにとっても、
これらすべて、知られざる領域として残されている。
マイヤーホーファーやショーバーなど、親切な友人たちなど、
シューベルトの台本作者の多くが、あまりにも不適当であるばかりか、
彼自身、ドラマティックな形式への経験がなかったことから
そこには真の意味での傑作がないからと、即答すれば良いのかもしれない。
すべては、あまりもしばしば、
その天才から離れた要素に、シューベルトが注力しすぎたからで、
1823年、ウェーバーの『オイリュアンテ』の年に書かれた、
最後の完成作においても、モティーフによる、
通作形式のドラマティックなシーンやレチタティーボがあるばかりで、
アリアがほとんどない。
不幸なことに、彼は自身の作品の実際の上演や、
歌手やステージと契約するような経験から学ぶ機会がなかった。
それさえあれば、ウェーバーとともに、
ロマン派ドイツオペラの創始者となったかもしれない。
十分、予想されるように、その音楽の最高のものは、
叙情的な部分にあり、このアンソロジーの大部分は、
これらを集めて作られている。」

「1815年、18歳の誕生日の年、
シューベルトは真剣に作曲家として船出した。
歌曲や四重奏曲から離れ、ミサを書き、
二つの交響曲、いくつかのピアノソナタ、
7つのオペラの断片を残した。
その中の一つ、テオドール・ケルナーの台本につけられた、
『四年間の歩哨勤務』である。
村娘と結婚するために脱走した歩哨が、
4年後に軍隊が戻って来たときに、
制服を再び着用した。
彼は、誰も任を解いてくれなかったので、
ずっと歩哨の任務を続けていたと主張し、
うまくやってのけるという筋で、
序曲は、有名な二つのイタリア風序曲の先駆となっている。」

解説においても、「大部分は」叙情的な部分からなる、
と注釈されていたが、このレコードは、
このように歌のない、純粋な管弦楽曲なども収録して、
プログラムに変化をつけているのが魅力である。

ホルンが遠くから聞こえてくるロマンティックな冒頭から、
我々をひきつけるもので、
田園風景が想起される木管の軽妙な主題も心ときめかせてくれ、
単にイタリア風序曲と比較する以上の魅力を感じてしまう。

「彼は次に、ゲーテのジングシュピール、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』を取り上げ、
おそらくこれまで書いたもののうち、
最良の舞台作品3幕を完成させており、
確かに価値ある台本に書かれた唯一のものである。
しかし、第二幕、第三幕は、
シューベルトの奇妙な友人、
ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナー
(彼のところから、『未完成交響曲』はかろうじて救い出された。)
が保管しているうちに、焼けてしまっている。」
この部分、私は、非常に面白いと思った。
何と、友人のヒュッテンブレンナーが、
わざとオペラを焼いたり、交響曲を隠したりしているような、
意味ありげな書き方ではないか。

「第一幕から、小さな形式ながら真の完成度をもつ二曲、
クラウディーネの『愛はすべての道をさまよっています』と、
おきゃんなルツィンデの『あちこちで矢が飛んでいるわ』を、
録音している。ペータース版のピアノ編曲ゆえに、
両曲ともよく知られたものである。」
実際は、序曲の次には、「サマランカの友人たち」からの二重唱が来るが、
解説は作曲順に進行するようである。
ちなみに日本盤も同様の措置であるが、
スミスの訳文ではなく、日本の大家、石井不二雄氏が、
丁寧でより詳しい解説を書いている。

このアリアも、実際にはルツィンデの方が先に歌われている。
キューピットの矢に当たらないように気をつけなさいという内容。
一方、クラウディーネは、愛と誠について、教条的な箴言を歌う。
いずれもあっけないほどにすぐ終わってしまう。

「『サマランカの友人たち』は、音楽ナンバーのみが残っている、
マイヤーホーファーのリブレットによるものである。
これはロマンティックなコメディであり、
見せかけの誘拐や、女相続人の救出が含まれている。
デュエット『』は、恋愛を賞揚する田園詩で、
オープニングのテーマは、シューベルトが9年後に、
『八重奏曲』の変奏曲の主題として使ったことから、
良く知られたものである。」
八重奏曲の解説には必ず出てくる話なので、
この大きなオペラから、この部分をうまく取り出してくれたのは、
大変ありがたい。
後半、二人が声を合わせるところは、
むしろ、「ます」の音形が聞こえるという人もいるほど、
前半とはうって変わった軽快な音楽となる。

「1816年、彼はシラーのバラード『人質』の物語に基づく、
3幕のオペラの大部分を書いた。
暴君ディオニュースを殺そうとして捕らわれたメロスは、
処刑の前に家に戻ることを許される。
彼の友人、テアゲスは、彼の保証人となり、
メロスが現れない場合、代わりに死ぬことを覚悟する。
最後には、メロスは、ここで、音楽で描かれるような苦難の道を越えて、
時間ぎりぎりに戻って来るが、
それが暴君の心を動かし、彼を許させることとなる。
その間、しかし、テアゲスの妻、アンナは、不安にさいなまれる。
この抜粋の中で、我々は、
小さな童謡を子供たちに歌う情景、
(ロマンス『母親がかわいい子を探しています』)
それから、シューベルトが真のドラマティックな表現力を見せる、
悲痛なアリア、『何という夜を過ごしたのだろう』が続き、
最後に、彼女を慰めるテノールの友人と、子供たちの四重唱が、
(アンサンブル『お母さんのため息を聞いてください』)
長く、シューベルトらしいメロディを奏でる中に、
彼女の姿を見ることができる。」
つまり、これは主人公メロスではなく、
その友人の妻にスポットライトを当てた企画となっている。
前回取り上げたバリトン・アリアは、メロスのアリアなどが、
多数収録されていたので、これらを合わせて、
この未完成作品の全貌を空想することが可能である。

最初の曲から、テアゲスの子供たちの役、
愛らしいボーイソプラノが、澄んだ声を響かせて、
独特な効果を上げている。
ここでは、まだ、夫の運命を知らないのであろうか、
テアゲスの妻は、物語とは無関係な、物語を歌って聞かせている。
無邪気な子供たちは、それに単純に反応してリフレインしているだけである。
音楽も純朴な優しさに満ち、それがまたほほえましい。
とても清らかなもので、もっと聞かれてしかるべきものである。

二曲目は、テアゲスが処刑されてしまう妄想に苦しむ妻の姿で、
声の限りに縦横無尽に歌い継ぎ、オーケストラも雄弁、
緊迫感に富んだ情景。

最後の曲は、錯乱する母親を、いたいけな子供たちが、
宥めるように歌いだされるが、まるで、宗教曲の一節のように、
厳かな感じを出している。

「友達の代わりにお父さんが死ななければならないのだ。
心の底からメロスが憎い。」
当然のことながら、憎むべきはメロスである。
が、こうしたシーンで予想されるような絶叫はなく、
そうした点が、シューベルトが、
どうしても踏み外せなかった点かもしれない。
が、これはこれで、押し殺したような表現でリアルである。

そこにフィロストラートゥスというメロスとテアゲスの友人が現れ、
朗らかに、「メロスは誠実な友人です」と歌う。
「彼は友人の生命を救うためなら、
十度でも自分の生命を差し出すだろう」という合唱で、
このアンサンブルは終わるが、
このような言葉には、本当にシューベルトの仲間たちを、
髣髴とさせるような雰囲気が感じられる。

「1819年に、ケルントナーシアターはシューベルトに、
フランスものをG・E・フォン・ホフマンが改作した、
ジングシュピール『双子の兄弟』の作曲依頼をした。
シューベルトの友人で優れた歌手であったフォーグルが、
双子の役を受け持った。
(彼らは傷病兵で、一方は右腕を吊っており、
もう一方は左手を吊って、
すばやい役の交代が容易にできるようにしている。)
シューベルトは、このいくつかの公演にわざわざ臨席することもせず、
この有り得ないばかばかしい物語に、うんざりしたかもしれない。
しかし、それでも、彼は楽しいアリア、
『お父さんはいつまでも私を子供と呼ぶといいわ』を書いた。
これは、若い女性が最初に愛にうちふるえる感じを表わした、
生き生きとして愛情のこもった習作で、軽い歌曲の魅力のみならず、
巧妙な楽器法の魅力も有するものである。」
今回は、アーメリングの歌。
前回のドナートよりも、軽く、小気味よい歌となっている。

「1822年の二月、シューベルトは、数ヶ月の格闘ののち、
友人ショーバーのロマンティックな台本による、
これまででもっとも野心的なオペラ、
『アルフォンゾとエストレッラ』を完成させた。
この中で、おそらく最も優れた部分は、
ここにすべてを収録したもので、ここで、
王位を追われたトロイラの息子、アルフォンゾが、
森に迷った、強奪者の娘エストレッラと出会う。
彼らは、新鮮で愛情のこもった音楽、
つまり、三つの二重唱と二つのアリアで恋に落ちる。」
このオペラについては、日本盤では、石井不二雄氏が、
初演者リストの言葉を取り上げたり、沢山の言葉を使っている。
リストは、個々の歌に集中して、全体としての盛り上げが出来なかったのが、
この作品、シューベルトの弱点だと書いているようだ。

このレコード、主人公による二重唱「岩と森に囲まれて」、
レチタティーボとアリア「どなたですか美しい方」、
二重唱「親切に姿を現してくださって」
アリア「いつまでもここに留まって」
二重唱「あなたに思い出の印として」
という5曲を連ねて、約1/4は、このオペラに捧げられている。
大オペラではあるが、森のメルヒェンといった感じである。
道に迷ったエストレッラの彷徨も、シリアスなものではなく、
ちょっと牧歌的である。

4曲目の美しいエストレッラのアリアでも、
「城壁の中では術策と暴力が住んでいます」
とあるように、森の中での小川の流れ、
緑と小さな花々を愛でて、人間の住む場所を嫌い、
この時代の閉塞感と、現実逃避的要素を感じさせる。
管楽器の伴奏や、弦楽の陰影は、とてもデリケートなニュアンスで、
名作「ロザムンデ」が好きな聴衆なら満足できるものである。

「シューベルトの最後の三つの舞台作品、
『ロザムンデ』、『陰謀者たち』、『フィエラブラス』
は1823年に書かれた。
J・F・カステッリによる一幕の喜劇は、
アリストファネスの『女の平和』によるものだが、
十字軍の時代に置き換えられていて、
比較的後期という作曲の時期から予想できるような、
音楽水準とは違うとはいえ、
何度も上演されてきたオペラである。
へレーネ公爵夫人のロマンス、
『私は気がかりでそっと忍び歩きます』は、
クラリネットとバスーンによって、
暗い色調を与えられ、表現力に富む小品。」
この「陰謀者たち」または、「家庭騒動」は、
1枚のLP、CDで気軽に聞けるし、非常に軽快な音楽が楽しい。
ここで取り上げられたアリアは、
新婚の若妻が、戦地に赴いた夫を想って、
「あなたは外国で何を探しているのですか」
と嘆く歌である。

「この小さなセレクションは、シューベルトのオペラに含まれる、
さらなる宝を味わう欲求をかきたてるだろう。」
このようにスミスは結んでいるが、まったく、そのとおりで、
とても楽しんで聴きとおすことが出来た。

さて、前回紹介した、シューベルトのオペラ・アリア集の解説は、
先のスミスのものとは、かなり違った視点で書かれていて面白い。
その解説も、ここで併録しておこう。参考になる。

「『シューベルト氏が彼のために重要な作品を書いた、
フォーグル氏はステージを去ることを決めた。
そして、それは、演奏に影響なしには終わらないだろう。』
このように、ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーは、
シューベルトと、彼のあるオペラに対し、未出版の記事に書いた。
1822年の終わりに、54歳になった、
有名なバリトン、ヨーハン・ミヒャエル・フォーグルは、
ヴィーンのホーフオペラを去り、もっぱら、シューベルトの歌曲に専念した。
作曲家の野心的なオペラ・プロジェクトは、突然、予測なく座礁したように見えた。
当時としては極めて異例なことながら、
オペラ作曲家としてのシューベルトは、最も特徴的な役割を、
バリトンの声で想定した。
シューベルトはまた、大部分の歌曲をバリトンのために書き、
フォーグルや特に、カール・フォン・シェーンシュタインは、
ともにバリトンで理想的な解釈者だったが、
これは、あまり普通のことではなかった。」

ということで、シューベルト作品の異質性が、
その主役の声の扱いという着眼点から書かれている。

「シューベルトの友人のヨーハン・マイヤーホーファーや、
ヨーゼフ・フォン・シュパウンは、共に、
1811年頃、作曲家が最初にオペラを見たときのことを、
記憶の中に思い出しており、例えば、
ヨーゼフ・ヴァイグルの『スイスの家族』や、
グルックの『タウリスのイフェギニエ』を見たとき、
ソプラノのアンナ・ミルダーのみならず、
フォーグルの演じ、歌った、ヤーコブ・フォン・フライボーグや、
オレストの役柄に対して感涙した。
これがおそらく、彼があまりにもしばしば、
彼のオペラの主役にバリトンを好んだ理由であろう。
よく言われることだが、作曲家が役を構想する時に、
歌手は重要な部分を占めており、
フォーグルは、ヴィーンのオペラのために書いた作曲家の多くに、
霊感を与えていた。
ヴィーンのオペラで歌う、他のバリトンについて、
シューベルトによる、オーセンティックな資料は残されていないが、
歌曲の歌手としてはフォーグルより、シェーンシュタインを、
高く評価していたことは確かであるが、この人はオペラには出なかった。
しかし、非常に傑出したコミック・バスのルイジ・ラブラッキのためには、
シューベルトは、異常な成功を収めたロッシーニのイタリアオペラに、
明らかに影響を受けた三曲の歌を書いている。」

「ウェーバーの『オイリアンテ』(1823)の、
リシアートを含む役を演じた、
同様に人気のあったバリトンのアントン・フォルティは、
ヘルミーナ・フォン・シェジーによると、
ホーフオペラで最も劇場の才能に恵まれた歌手で、
ドイツオペラの特徴たる伴奏なしの独白を、
始めたのはこの人かもしれない。
シューベルトは、『フィエラブラス』の主役ローラントのパートに、
この人を想定したようである。
フィエラブラス自身はテノールパートだが、
ワーグナーのリエンツィのような役をこなす、
むしろ、荒々しいヘルデンテノールのようなもので、
フロレスタンを歌うようなリリックなテノールではないだろう。」

「ここでしばらく、シューベルトのオペラ作曲家としての発展を簡単に考察しよう。
彼は父親に音楽を学び、しばらく少年合唱団で歌ったあと、
1812年頃から、ヨーロッパ中で名を知られた王室音楽監督の、
アントニオ・サリエリ(1750-1825)に音楽教育を受けている。
オペラ作曲家としてのキャリアを歩むことは、初めから想定されており、
シューベルトとその友人たちは、大きな期待を寄せていた。
彼は、ここから富と名声を手早く手にすることを期待していた。
『シューベルトに君の台本を手渡せば、君の名前は全欧州に知れ渡るぞ』
と、ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーは、1819年、当時20歳の弟、
ハインリヒにアドバイスしており、『それで一儲けだ』と付け加えた。
こうした言葉はシューベルトの友人たちの素朴な合言葉であって、
彼らはオペラの形式などはすぐにマスターできると確信していた。
すでに沢山の詩やドラマのスケッチを書き、
あるものはすでに出版さえしていた、
こうした若い詩人たちは、
ホーフオペラや郊外の小劇場の天井桟敷に座ったという以上の劇場経験を、
ほとんど持たずして、流行の英雄的な壮大な、
さらには、大英雄ロマンティックオペラの台本を手に染め出した。」
こう書かれると、
シューベルトは才能ある友人たちのサークルに入っていた、
というよりも、
シューベルトの才能に才能たちが集まって来たという風に読める。

「しかし、シューベルトの友人たちには、
壮大なアイデアがあっただけではなく、
最近発見された下記資料のように、オペラなども含めて、
彼らはシューベルトの作品を広めるのに出来ることはすべてした。
シューベルトの友人、ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーの、
1823年の新聞記事への下書きは、シューベルトの、
オペラ作曲家としての才能の詳細に踏み込み、
このジャンルにおけるシューベルトの優れた点を、
熱心に紹介している。
彼は、我々にこのようにシューベルトを紹介している。
『シューベルトは前年、彼の友人、
フランツ・リッター・フォン・ショーバーの
素晴らしいテキストによる、“アルフォンゾとエストレッラ”という、
3幕レチタティーボ付のグランド・ロマンティック・オペラを
書いて提出している。』
これは、この最も野心的なシューベルトのオペラにサブタイトルをつけた、
我々の時代に残された当時唯一の資料で、
ここには、独白のないタイプのオペラであるという、
明白な記述がある。
ヒュッテンブレンナーは、
シューベルト-ショーバーの友達関係を、
強調しすぎるのは、賢明だとは思わず、
また、他の権威を引用したかったようで、
彼は上記センテンスをこのように書き換えた。
『シューベルト氏は、ここで、オペラに対する、
自身の素晴らしい才能を、ありあまるほど見せている。
スコアを見て、このオペラを、
シューベルトが演奏するピアノで聴いた幾人かの専門家は、
この音楽の美しさを熱狂して語った。』
さらに、ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウェーバーを想定し、
『有名な海外の劇場もシューベルトと交渉している。』
とし、彼がこの作品に助力することを約束したことを書いている。
最後のヒュッテンブレンナーはその視野を広げ、
あえて、大胆な予測を行っている。
『もし、誰かがシューベルトが歌曲で達成したことから、
オペラで到達したかを推し量ろうとするならば、
また、これらのジャンルでモーツァルトとベートーヴェンと、
シューベルトを比較するならば、
彼がこの二人に匹敵することを確信するであろう。』
フォーグルの絶対的な支配権(彼は広く尊敬を集め、愛され、
シューベルトとの分かちがたい尊敬を楽しんでいた)は、
1818年から1823年までの重要なバリトンの役柄は、
基本的にフォーグルを想定し、彼の声を考慮して作曲されたことを意味する。」
ここで書かれた先のヒュッテンブレンナーは、
ひたすら、シューベルトに献身的にも見える。

「ここでは、バリトンの役が、明白にフォーグルのために
書かれたことを議論することが必要なのではなく、
下記の個々のアリアのそれぞれについて、
さらに詳細なコメントを行いたい。
しかし、シューベルト円熟期の作品には、
重要なバリトンの役は見られなくなることを、
ここでは簡潔に述べておこう。
『陰謀者たち』のようなアンサンブル・オペラでは、
内面の葛藤に駆り立てられるようなバリトンは
もはや主役として発展することはなく、
その代わりにコミカルなバスの役割があるのみである。」

「友人のレオポルドの兄弟で、ホーフオペラの演出家であった、
ヨーゼフ・クーペルウィーザーの『英雄ロマン的』台本による、
次のフルスケールのオペラ『フィエラブラス』では、
明らかにフォーグルが劇場から引退した最初の作であることが見て取れる。
ローラント役のバリトンは、
もはや、アリアも、実際的な意味でそれに相当する独唱もなく、
ここからも、ホーフオペラには、すでにシューベルトが
特別な声楽的、ドラマ的なクライマックスを作曲したいという、
霊感を与えるような、バリトンが残っていなかったことが分かる。
台本のいくつかの状況では、アンサンブル(No.4)や、
エギンハルトが歌い始める第二節をローラントが歌い継ぐなど、
(台本では実際、ローラントが歌い始める!)
ローラントに独唱シーンを与えることも可能だった。
もっと一般的なキャスティング、
つまり、フィエラブラスがバリトン、
エギンハルトとローラントがテノールだったら、
このオペラが、もっとレパートリーに、
残るチャンスがあったのではないかと推測する。」

あの名作、五重奏曲「ます」にしても、
チェロのパウムガルトナーはじめ、
素晴らしい演奏家たちが、シュタイアーの街に揃っていたからこそ、
成立したのかもしれない。

「『フォン・グライフェン伯爵』では、
理想的な解釈者とされたシェーンシュタインを除いては、
すでに、シューベルトは特別な歌手を想定していない。
この時期のホーフオペラは、特別有名なドイツ物のレパートリーはなく、
ヴィーンのみを想定したオペラなどは無意味だったのかもしれない。
しかし、バウエルンフェルトの台本やシューベルトのスケッチを
見る限り、ここでは、ロマンティックオペラの重要なバリトン役の伝統が、
主役に維持されているようである。
このオペラは、他のシューベルトの多くの作品同様、
その時代の因習を無視してはいないにもかかわらず、
もし、これが生前に完成していたら、
それらを超えて、聴衆や専門家の印象に、
よりよく残るところまで行ったであろう。
31歳の年、シューベルトはオペラ作曲家として認識される、
まさしく出発点に立っていたのである。」
確かに、このCDを聞いていると、
「グライフェン伯爵」のところまで来ると、
何か、風景が変わったような印象を持った。

得られた事:「シューベルトの舞台音楽の多くがフォーグルの声を想定したように、『ます』の五重奏曲もまた、すぐれた演奏家の存在なしには成立しえなかった。」
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by franz310 | 2008-01-26 20:44 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その106

b0083728_12351122.jpg個人的経験:
今回取り上げるCDは、
五重奏曲「ます」と同時期、
1819年のシューベルトの、
異色作の一部を収めたもので、
シューベルト、オペラ・アリアズ
と題されたもの。
ただし、オペラのアリアと言っても、
ここでは、
OLIVER WIDMERという
バリトンしか歌手は登場しない。

したがって、この声域のアリアしかなく、
二重唱など、アンサンブルもないが、
「アドラスト」の音楽は、
ここでしか聴けそうにないので仕方がない。
オーケストラはハンガリー国立フィルとあり、
JAN SCHLTSZという人の指揮である。

表紙はフリードリヒ・ハインリヒ・フューガー(1751-1818)
という人が描いた、「悲劇と喜劇の芸術の女神」というものらしい。
「真実の寺院」の背景とあるが、シューベルトのオペラとは、
直接、関係があるものではなさそうだ。
が、それなりに商品として美しいデザインだ。

前回、取り上げた「双子の兄弟」の双子それぞれのアリアも、
ここでは冒頭から取り上げられている。
フィッシャー=ディースカウよりずっと颯爽とした歌唱で、
ひょっとしたら、こんなあっさりした表現の方が、
弱点を感じさせないかもしれない。

しかし、どのアリアもオーケストラが雄弁なことは特筆すべきで、
「人質」という、「走れメロス」のメロスが登場する、
1816年のオペラからして、ものすごい迫力である。
このオペラも未完成ゆえに、「初録音」マークがついているが、
「双子の兄弟」などより、ずっと覇気に満ちた音楽が繰り出され、
もう、圧倒されっぱなしである。

ちなみに、ここでの収録曲は、

トラック1~2:「双子の兄弟」より。
トラック3:「悪魔の別荘」より。
トラック4、5:「アルフォンゾとエストレッラ」より。
トラック6:「ザマランカの友人たち」より。
トラック7、8:「グライフェン伯爵」より。
トラック9:「アドラスト」より。
トラック10~14:「人質」より。

ということで、シューベルトの20曲近い劇作品の中から、
1/3以上の7曲が、それなりに聴ける。
恐ろしく有難いCDである。自発的な演奏もよい。
代表作である、「フィエラブラス」がないのは、
解説の中に理由が出てくる。

さて、ここで、何故、「アドラスト」の音楽を聴かないといけないか。

その説明にかえて、まず、ハイペリオンのシューベルト歌曲全集から、
1819年から20年のシューベルトの人生を、
振り返る部分を継続させたい。
何度も書いているが、執筆したのは、
グレアム・ジョンソンである。

「リンツからシューベルトが、
マイヤーホーファーに出した手紙は、
最も異常な資料の一つである。
兄のフェルディナントに書いて、
両親や残りの家族にも読まれることを想定した手紙のように、
いろいろなことをしてもらった綺麗な女性たちについては、
まったく触れていないことに注意すべきである。
それにここで、『・・を、どんなに楽しみにしていることか。』
とあるのは、単に筆を滑らせたのであろうが、
何か他の人の目に触れることを恐れて書けなかったのだろうか。
続くフレーズでは、シューベルトはマイヤーホーファーに、
フィリップ・カールという、クレムスミュンスターの学生が、
両親のいるイドリアに向かう途中でヴィーンを通るときに、
作曲家(自分)が不在の間、
そのベッドを使わせて欲しいというリクエストをしている。
(要するに、僕は君が彼によくしてくれることを望む。)
マイヤーホーファーの孤独好きや、住空間の劣悪さを思うと、
これは完全な見ず知らずの人に関して異常な要望のように思える。
Maynard Solomonは、彼の刺激的なエッセイ、
『シューベルトとベンヴェヌート・チェリーニの孔雀』の中で、
ホモセクシャルなサブカルチャーの文脈で、これを読み解いた。
我々は、このカールについては、
マイヤーホーファーと実際に知り合ったということ以外、何も知らない。
彼は、1824年のマイヤーホーファーの詩集の予約者の名簿に名前が見える。
ソロモンは、シューベルトはマイヤーホーファーのために、
別の慰めとなるセクシャルに共有可能な若い男に会う機会を、
設けたのではないかと確信している。
もし、そうならば、シューベルトの振る舞いは、確かに、
マイヤーホーファーの『優しさと粗野、みだらで誠実』という記述どおりである。
これはまた、シューベルトが、
マイヤーホーファーの愛に耽溺していたのではなく、
彼らの間の状況を示すものである。
シューベルトの方は、軽く考えていたようで、
事実、彼は、マイヤーホーファーが激しさを収めるような、
違う関係となることをすでに求めていたかも知れない。
詩人がシューベルトよりも、深くのめりこんでいたのは、
悲しいことに、年配の者が若い者を思うときの必然でもあった。」
確かに、マイヤーホーファーは、
シューベルトより10歳ほど年長なので、
あるいは、これから自分の世界を求めて羽ばたこうとしていた、
大学卒業くらいの年頃のシューベルトが、
どこか遠くに行ってしまうように思っていたかもしれない。

おそらく、この人に限らず、シューベルトに会わなければ、
あるいは、彼に作曲をしてもらわなければ、
名も無き普通の人生で終わってしまったかもしれない詩人は多い。

「マイヤーホーファーとシューベルトの友情と共生のミステリーは、
9月中旬に作曲家がヴィーンに戻って、さらに深まる。
マイヤーホーファーは、1815年のジングシュピール、
『サマランカの友人たち』以来、久々の、シューベルトの台本作者となった。」
この「サマランカの友人たち」は、1814年に知り合ったばかりの、
マイヤーホーファーの台本に作曲した2幕のジングシュピールで、
1815年に無事完成された作品である。
前述のように、このCDにも一曲だけ、アリアが含まれているが、
これは、第一幕で優柔不断なフィデーリオが歌うもの。
このCDの解説では、このように書かれている。
「筋は、友人のアロンソが、恋人、侯爵令嬢のオリーヴィアから、
結婚の承諾を得るのを助けようとする若い二人の男、
ディエーゴとフィデーリオに関するものである。
この目的のために、ディエーゴは、
オリーヴィアを襲うふりをして、
他の二人によって無事助けられる。
これによって、彼女は、気障で自惚れ屋のトルメス伯爵と、
結婚しなければならない運命を拒む。
沢山の面白い策略のあと、すべてめでたしめでたしとなる。
この作品は、いくつかの生き生きとしたアンサンブル:
二重唱、三重唱、四重唱などで、特徴づけられている。」

なるほど、このような経験からも、シューベルトにとって、
前回紹介した「双子の兄弟」のようなコミカルな作品などは、
決して、意気込んで書くほどの仕事ではなかったとも考えられる。
「ト長調のフィデーリオのアリアは、
その単純なメロディと、独特の管弦楽法によって、
自分と他の人に、
田舎にいることの方が幸せであることを確認するため、
即興で主人公が歌った感じを出している。
彼が有頂天になり、メロディを装飾するにつれ、
まだ、彼が典型的な都会の住人にはなれないこと示しているようだ。
これは典型的なアリアでもリートでもなく、
シューベルトは、ほとんどすべての主音と属音を含む、
こんな単純な和声構造の作品をあまり書くことはなかった。」

ここでも、のどかな田園風景の広がりを、
木管楽器が効果的に暗示して、
表情豊かな弦楽が生き生きとした情感を盛り上げる。
歌詞は、
「静かな牧場にあれば、
束縛や悲しみから、
人は自由になることができる」
と歌われるもの。

さて、また脱線したが、マイヤーホーファーとの関係に戻ろう。
「彼は、先の手紙の中でも、『君は何か作ったかい。ぼくはそう願うけど』という、
謎の言い回しをしているが、ここにも、この台本への切望が感じられる。
新しいオペラは『アドラスト』というもので、ヘロドトスの『歴史』の、
冒頭に記載されたエピソードによるものである。
これは、『アドラストとアティス』の物語
(マイヤーホーファーによる歌曲『アティス』とは違う)
に関するもので、若者に恋する年配者を物語の核としている。
ブライアン・ニューボールトは、この歌劇の最も適切なポイントを上げている。
『何故、アドラストはこうもめでたく開始され、
これまで最もうまく行きそうなオペラの音楽に彩られたのにもかかわらず、
シューベルトが何故、断念しなければならなかったかが分からない。』
これにはっきりと言及した作曲家生前の資料は残っていない。
レオポルド・ゾンライトナーの書いた死亡記事の簡単なリストに、
未完成作品として上げられているのみである。
しかし、これは重要な断片であって、50分にもなんなんとする分量の音楽で、
おそらく1820年の初めの何週間かは、彼はこれに専念していたはずである。
リブレットの一部が残っているとはいえ、我々は、
シューベルトが作曲した範囲のプロットを知るのみである。
二人のコラボレーターが一緒に放棄したのかもしれないし、
マイヤーホーファーが思い描いた方向に、
シューベルトが続ける気をなくしたのかもしれない。
まさしくその主題そのものが何か当惑させるものだったのか。
エリザベス・マッケイは、彼女の、シューベルト歌劇の研究において、
このように書いた。
『テキストの中で、アドラストがアティスに、
悲しみを打ち明けさせるところが、シューベルトの想像力を捉えた。
そして、彼の初期のオペラの最高の音楽ではしばしば現れた、
保守性から解き放たれた感動的なパッセージを書く霊感を得た。』
伝統から離れた、テノールとバリトンのデュエットのための、
最も美しい音楽をもつ作品は、彼の名声に傷をつけると、
誰かがシューベルトに警告したのであろうか。
いずれにせよ、このように異常に隠されたままで、
知られざるシューベルト作品もまれである。」

50分も演奏できる作品なら、
まとめてCDにしてもらっても良さそうなものだ。
ここまで、書かれると聞きたくなってしまうではないか。
ということで、この稿冒頭の話題に戻る。
何とか、「アドラスト」が聞きたい。

ということで、たった4分半の断片ながら、
この問題作「アドラスト」の断片が、
録音されているこのCDの登場となる。

他にもたくさん入っているが、
他に録音のない、「アドラスト」のみに着目し、
今回は、この作品の解説を読み進めたい。
なお、「グライフェン伯爵」の次に、「アドラスト」から、
「アリアNo.5、人々に喜びあれば」が歌われていて、
「初録音」マークがついている。

古代ギリシア、オリエント世界を舞台にしているので、
まず、そのあたりから知識がないと、
アドラストがとりわけ有名人でもないこともあって、
何のことやらさっぱりわからない。
ということで、先の続きで、
TILL GERRIT WAIDELICHという人が書いた解説を読む。

「『アドラスト』の断章は、シューベルトとマイヤーホーファーの、
コラボレーションのキーポジションを占め、
結局、個人的にも、芸術的な見地からも、道を分かつことになる、
彼らのパーソナルな関係とともに、
同時代のいくつかのヴィーンのオペラの美学の傾向を反映している。
クロイソス王の役は、フォーグルのために書かれたと言われており、
それゆえに、高いバスかバリトンで歌われる。
アドラスト(1819/20)の台本を書いた際、
マイヤーホーファーは、
オリジナルの元となる材料、ヘロドトスの『歴史』だけでなく、
同じ主題による劇なども利用した可能性がある。」
私も、ヘロドトスの「歴史」を、眺めてみた。
この後、このCDの解説で、
書かれているストーリーとは大筋では一緒であるが、
ここでの主役、アドラスト=アドラストスは、
チョイ役もいいところで、詳しい性格も何も分かったものではない。
クロイソスの息子、アティスも、ヘロドトスによれば、
もっと精悍な青年に見える。

「1711年という早い時期に、
ハンブルクでは、ラインハルト・カイザーによる、
クロイソスのオペラがあったし、
バロック期のヴィーンでは、この古典古代期の、
小アジアの光栄ある王の物語は、非常に流行したものであった。
ラテン語の学校劇でも、ルフィナス・ヴィドルの『クロイソスの哀れみ』が、
1767年以来、ザルツブルクでは演じられていた。
マイヤーホーファーは、ランドシュット出身の古典的な哲学者、
ソフォクレスを翻訳し、重要なプラトン研究の権威でもあった、
ゲオルグ・アントン・フリードリヒ・アスト(1778-1841)
の影響を受けた可能性もある。
この人のクロイソスに関する悲劇は、1805年以来演じられていた。
アウグスト・グラーフ・フォン・プラーテンも、
彼の日記の中である友人をアドラストスと、ニックネームで呼んでいるが、
ヘロドトスの『アドラストス』との関係は明らかではない。」
とにかく、この時代、または少し早い時期に、
一度、古代フィーバーがあったようである。

「1810年のフリードリヒ・アストの教科書『世界の歴史に向けて』には、
リディアの王、クロイソスや、プリュギア、
ミュシアに関するいくつかの短い引用があった。
また、クロイソスが、リディアを最も強大な国として、
近東や小アジアのすべてのギリシャ人を支配したという、
紀元前555年頃の歴史動向の記述があった。
リディア人は騎馬に優れ、長い槍での戦闘を得意とした。
アドラストスは最後のプリュギア王で、
プリュギアはクロイソスのリディアに降伏したが、
クロイソスも5年後にキュロスによって国を追われた。
今や彼の捕虜となったクロイソスのアドバイスによって、
キュロスは、恐れる必要をなくすべく、リディア人を弱虫にするために、
彼らに、武器の携帯を許さず音楽に専念させた。」
ヘロドトスの「歴史」9巻のうち、
このクロイソス王の物語は、
ありがたいことに巻一にある。
岩波文庫でも、早くも12ページに、
「クロイソスは、リディア人で、アリュアッテスの子として生まれ、
ハリュス川(キジル・イルマク川)以西の諸民族を
独裁的に統治していた」として登場する。
ここに出てくるキュロスは、
この自信満々のクロイソスを撃退した、ペルシアの王様である。

とはいえ、クロイソスの話がここからずっと続くのではなく、
最初は、この主権はヘラクレス家にあったということで、
その主権交代についての話があったりして、
話の筋も、出てくる登場人物もややこしい。
が、大変面白く、当時の知識人がブームにしたのも分からなくはない。

「シューベルトがアドラストを中断した理由は、
他のオペラの断片の場合よりも不明な点が多い。
1819年から21年の間にアパートをシェアしていた、
マイヤーホーファーが彼を苛立たせ、
おそらく、プライヴェートなテンションが下がったがゆえに、
彼はプロジェクトを降りたものと思われる。
そのせいか、この時期、彼の詩への作曲は、非常に少ない。」
CD解説には、この何行かがいきなり現れるが、
以下、またまた、クロイソスの話となる。
まさか、ヘロドトスを真似たのではあるまいな。

「この断片はこのように再構成できる。
プリュギア人のアドラストスは、悲劇的な事故によって、
彼の兄弟を殺してしまい、近隣のリディア人に、
それを許してもらうよう求め、王のクロイソスはこれを許した。」
ここも分かりにくいが、ヘロドトスを読む限り、
アドラストスは、「土地のしきたりに従い、
殺人の穢れを祓って欲しい」と頼み込んで来たようである。
岩波文庫の33ページにはそうある。

「クロイソスは、しかし、彼の息子アティスが、
槍で殺されるであろうという夢を見ていた。
この理由によって、彼は息子を出来るだけ早く結婚させることを望み、
これを口実にすべての危険から息子を遠ざけ、
息子の不服とするところであったが、すべての武器の使用を禁じた。
クロイソスが、近隣のミュシア人から、
アティスの力を借りて、いのしし退治がしたいという申し入れがあったので、
アドラストスがアティスの無事を保証した場合のみそれを許可した。
しかし、予言は当たり、アドラストスがいのししに向けて放った槍が、
アティスの命を奪った。
アドラストスは、クロイソスに自首し、死ぬことを望んだが、
クロイソスは彼を許した。」
この物語は、ヘロドトスのままであって、
39ページにかけて、詳細が語られている。
この寛容の精神こそが、クロイソスの、
王としての度量の大きさということであろう。
言論の締め付けの厳しい時代には、人気が出そうな王様である。

「いのしし狩りと、槍やヤスなどによる悲劇的な死は、
上部オーストリアのクレムスミュンスター校の、
創設神話であって、マイヤーホーファーがよく知っていたものだったが、
そこで勉強しておらず、聖フロリアンで勉強した、
ショーバーや、シューベルトの他の友人にはそうではなかった。」
こうした一節になると、本場の研究に脱帽してしまう。

「アドラストスのアティスに対する愛情は、マイヤーホーファーの創作で、
ヘロドトスやワイドル、アストには出てこない。
後者の劇においては、アティスの老師が、
オペラにおいてのアドラストスと同様の役割を演じる。」
ちなみに、マイヤーホーファーの詩による、
「アティス」という歌曲(D585、1817年)もあるが、
こちらは元が、古代ローマのカトゥッルスの作品だということだ。
同じ古代でも、ギリシアのヘロドトスとは、大違いである。

「アドラストを作曲していた時、シューベルトは、
プロットの時代考証などは関心事ではなく、
むしろ、選ばれたこれらのシーンが彼を惹きつけた。
いくつかの重大な欠陥にもかかわらず、
シューベルトは、クロイソスの息子アティスを、
事故で殺めながら、再度、王に許された、
アドラストスの最終シーンの作曲に注力していた。
最後のシーンにおいて、アドラストスは、
彼の犠牲者の墓の前で自殺を図る。」
結局、アティスもアドラストも死ぬわけだが、
ここに、マイヤーホーファーの根暗な性格が思い浮かぶ。
シューベルトは、このまま、古代オタクのマイヤーホーファーと、
生活を共にしていたら、ミイラ取りがミイラになるような危機感を、
感じていたかもしれない。
私は、クロイソス王の物語では、アドラストスなどよりも、
クロイソス王自身が、ペルシアに兵を進めて惨敗するあたりの方が、
よほど面白い。こうしたことは、しかし、日本でも往々にしてあって、
「平家物語」でも、歌舞伎で有名なのは、
源平の争乱よりは弁慶の忠節であったりするわけである。

「『アルフォンゾとエストレッラ』の音楽ナンバーは、
互いにレチタティーボで結合されて溶け込んでいることは明らかだが、
『アドラスト』も同様であったことは推測できるのみである。
しかし、おそらくそうであったことは、
主題が、ヴィーンの有名な美学の大御所、
イグナーツ・フォン・モーゼルによって提唱された、
『抒情悲劇』の理想に沿っているからである。」
このあたり、「アドラスト」が完成していれば、
独特の作品になったであろうことを期待させる内容である。

「アドラストスの二つのテノールのアリアは、
クロイソスに許され、アティスの世話を頼まれた後の、
リラックスしたムードで、より、歌曲風の表現だが、
トラック9のクロイソスのアリアは、
このオペラで唯一、完成された大きなアリアである。
レティタティーボとクロイソスのアリアの
マイヤーホーファーのテキストは、
同時代のオペラのシェーナを連想させる一般的な特徴はない。
彼のアリアのテキストは基本的に独白であって、
(過去を振り返り、現在を沈思黙考し、将来を見つめる)
祈りや、神やゼウスとの空想上の会話で、
未確定なシチュエーションの良い結果を待つように、
マイヤーホーファーのたった4つの韻文では、
一般的なリズムも詩形の長さもない。」

このアリア、歌われる詩の内容は、
「レチタティーボ:
人々に喜びあれば、
その喜びは私のものだ。
勝利に継ぐ勝利、
黄金の川が流れ寄せた。

ただ一つの夢が平和を壊し、
その夢とは、
立派な可愛い愛すべき息子が、
早世によって、
永遠に私から奪われるというもの。
おお、神よ、災難を防ぎたまえ。

アリア:
おお、ゼウス。私が公正な統治をしたと思われるなら、
この公正な願いを聞き入れたまえ。
私の息子、アティスを護りたまえ。

彼は見目麗しく、明るく信心深いのです。
彼は誠実なのです。
太陽が優しく、清いように。
獅子はいまや危機にあるのです。」

解説によると、このアリアはこう描写される。
「これまで、クロイソスにとって運命はとても寛大であったので、
夢に見た槍によって死ぬという彼の息子に迫っていた運命も、
彼は、未然に防ぐことが出来ると信じており、
最後には、彼の統治の間、何の罪も犯さなかったがゆえに、
運命は今後も自分に穏やかなものであるだろうと述べている。
シューベルトはこのアリアに全力を尽くして、
クロイソスの二つの面を私たちに伝えようとしている。
彼の強力な政治家としての、パーソナリティーが、
ドン・カルロスにおけるフィリップ王、
または、ムソルグスキーのオペラにおけるボリスであるか。
前奏曲の最初から、強烈な木管と弦楽と付点リズムによって、
我々は何よりも、こうした支配者の姿を聴き取る。
クロイソスの悲劇は、ある種、半音階的なため息のような、
彼の『悲劇的』交響曲(D417、1816)の、
終楽章にも一瞬似ているようなメロディーラインに反映されている。
ヴォーカル・ラインは、朗唱に凝集され、
レチタティーボやアリオーソに収束され、
アリアという言葉から連想されるメロディーのようなものは聞き取れない。
ヴォーカル・パートは、例外なく、
凝集し、半音階的でなめらかな弦楽に伴奏され、
我々が父親を想像するときの堂々たるバスではなく、
異常な高い音域で歌われている。
このゆっくりとした音楽の後、さらに速いアリアを、
予想するかもしれないが、華やかな活気ある部分はなく、
暗い弦楽がゆっくりとフェードアウトする2、3小節が続くのみである。」
このように異例づくめの音楽であるが、
最初から、オーケストラが雄弁で、大きく唸り、
駆け巡る弦楽群が、戦いを好んだ王、
そして、子の運命の不気味なオスティナートに怯える父、
の姿を、濃厚な筆致で描き出していて、聴き応えがある。
バリトン・アリアだけでなく、もっと多くの部分を聞いてみたい。

いずれにせよ、「双子の兄弟」が1819年1月までに書かれ、
「魔法の竪琴」に、1820年に取り掛かっていたとすれば、
その間には、大規模な劇音楽として、
「アドラスト」をシューベルトは手がけていたはずであり、
これはまさしく、五重奏曲「ます」が、
書かれていた時期の作品ということになるであろう。
先のメイヤーホーファーへの意味深手紙は、
1819年8月19日のものとされている。

「ます」の作曲には3説あって、
1819年の夏、シュタイアーで書き上げられたというもの、
1819年の冬、シュタイアーから帰って書き上げられたというもの、
1823年、次のシュタイアー訪問によって書かれたというもの。

得られた事:「『ます』の五重奏が1819年の作品なら、未完成の野心作『アドラスト』が同時期に構想されたことになる。」
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by franz310 | 2008-01-20 12:43 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その105

b0083728_12423369.jpg個人的経験:
ここで、五重奏曲「ます」
が作曲されたとされる、
1819年頃の
シューベルト生涯編を離れ、
この時期に、
彼がとりわけ
力を入れていた作品を、
振り返ってみたい。
オペラ「双子の兄弟」である。

不遇なシューベルトのオペラの中にあって、
この作品は、最も恵まれた運命を持っていた。
生前に作曲家の参席で初演され、そこそこの好評を博したからである。
この瞬間、彼は、まったく自分の運命を見誤ったことであろう。
さらなる努力によって、このそこそこの成功は、
大成功になるはずだった。

しかし、実際は、このあと、連発された後続の舞台作品が、
同じように満足のいく形で完成されることもあまりなく、
同じような評価を得ることも、ほとんどなかったのである。

b0083728_12425968.jpgさらに、このオペラは、
素晴らしいことに、
素晴らしいキャストで、
大手会社からのレコードも
出ているばかりか、
早くから、
日本語解説付きで
LPも発売されていた。
また、これはCDでも、
CPOから再発売された。
輸入版で入手できた。

したがって、このLPの解説を読めば、かなりの情報量が得られるのである。

高橋保男氏は、LPジャケットの裏の解説で、
「シューベルトのオペラ」という題で、
何故、これらが上演されないかを説明してくれている。

ここでの解説をまとめると、
・シューベルトは、名声を求めて、ほとんど毎年のようにオペラを作曲し、
交響曲の二倍ほどの作品に手を染めた。
・これらが受け入れられないのは、次のような理由である。
・ ・少数の同好の仲間の連帯を越えて広い聴衆に訴える努力と力がない。
・ ・歌曲のように、ひとつの完結した感情の彫琢にはすぐれていても、
   感情的なエネルギーを拡大、発展、からみ合わせるのには、
力が発揮できなかった。
・ ・それゆえ、平板、美しいが脆弱で、抒情に流れすぎたものとなった。
・ ・美しい旋律を美しい声と美しい音で歌うだけでは
ドラマにはならないので、演奏家は様々な工夫を必要とする。

といった内容である。
この「双子の兄弟」にしても、性格の違う双子が、
音楽によって描きわけられていないと書いている。

確かにそうかもしれないが、どうも、もっと、
いい点を見出して欲しいと思うのがシューベルト・ファンの
心情ではなかろうか。
別に、モーツァルトやワーグナーの代わりを、
われらがシューベルトの音楽に聞き取る必要もないだろう。

一方、このLPの中には、もう一つの解説、
G.Sという人の書いたものを、
西野茂雄氏が訳したものが入っている。

このG.Sというのは、CDにもそうあるが、
CDのデータには、Dialogue Directorとして、
Gisela Schunkという名前があるので、この人であろう。
しかし、録音年も場所も、CDにもLPにも書かれていないのは困ったものだ。
他の資料には、シューベルト没後150周年記念とあるので、
1828+150=1978年くらいに出されたのであろう。

さて、この解説には、このようなことが書かれている。
「1820年ごろ、シューベルトがフリーの音楽家の不安定な立場を
しみじみと感じた時期に、彼の心をそそり、成功を約束する目標として、
舞台用の作品が山のように書かれた。
こうして彼は1818/19の冬に、
一幕の笑劇『双子の兄弟』のための1曲の序曲と、
10曲のナンバーを作曲したのである。
スコアに付された稿了のメモは、1819年1月19日となっている。
テキストはケルントナートール劇場の秘書で劇作家であり、
劇場の実際の仕事に通暁していたゲオルグ・E・ホフマンが、
フランスの喜劇『二人の恋人』を翻案したものであった。
ホフマンは少し後に、自作の劇『魔法のハープ』の付随音楽を、
シューベルトに書いてもらった人である。」
彼らを結びつけたのは、フォーグルであった。

この後、ロッシーニの作品のヒットによって、
シューベルトの作品初演は遅れ、1820年6月14日に、
ようやく演奏されたこと、フォーグルが二役を受け持ったことが書かれ、
「この1幕物は7回上演されたが、これは中位の成功を意味する。
この作品は長い間出版されないままであった。
1872年にようやくピアノ・スコアが出版され、
それからしばらくしてオーケストラ総譜が日の目を見た。」

「1幕の笑劇『双子の兄弟』(D.647)は、
その音楽語法において、ヴァイグル、ギーロヴェッツ、
ヴェンツル・ミュラー以来流行していたたぐいの
シングシュピールに近いものであった。
耳になじみやすいメロディー、歌謡的なアリア、
ロマンチックな匂いを発散させる合唱、
簡潔な形式、軽い、透明なオーケストレーション。」
と、この作品が軽い作品であることを強調している。
実際、45分くらいの作品で、会話だけの部分も多いので、
音楽部は30分くらいかもしれない。
が、交響曲1曲くらいの分量はあろう。
CDのトラック20のうち、ダイアローグは、
No.3、5、7、9、11、13、15、17、19で、
序曲のトラック1以外の奇数番9個分は、
劇を進行させる対話になっていて音楽はない。
が、これらは、17秒から1分半くらいなので、
(例外はNo.13の3分20秒)上記計算となる。

以下、曲の具体的な説明になる。

「モーツァルト的な色彩をおびたニ長調の序曲は、
アレグロの主題ではじまるが、この主題はシューベルトが
1816年に作曲した第五交響曲と響きを通わせており、
一方、第2主題と、豊かな転調をもった展開部は、
この曲とほぼ同じ頃に書かれた
『ます』五重奏曲の世界と通じ合うものがある。」
とあるが、舞台の幕開けを予告する、
非常に活気のある序曲であることは認められても、
すぐに、「ます」を想起するようなものではない。
確かに、かろやかに旋回するような楽想ではあるが、
あるいは、木管の色彩のせいか、ピアノ五重奏曲とは、
響きの印象が違いすぎる。
序曲は3分45秒。

「明快な和声進行、繊細なリズムの扱い、細心な楽器編成(木管群)
を通じて、シューベルトはジングシュピール音楽の類型に、
新しい色彩を導入することをもくろんだのである。」
とあり、こちらの解説の方が、無理に大歌劇の大家とではなく、
当時一般的に人気のあった、ヴァイグルなどの作品と比べて、
愛情をこめて、作品を正当評価しようとしている。

「事件の進行は、フランスの笑劇でも、
ウィーンの民衆劇でもおなじみだった
一人二役を主要なポイントとしている。
フリードリヒとフランツは同一のバス歌手によって演じられる。
この作品発案者フォーグルは、かくして彼自身のためにも大うけする
役割を書いてもらったというわけである。
双生児の交互の出現は、一対の恋人
リースヒェンとアントンを苦境におとしいれる。」
これは、この双子の一方フランツと、リースヒェンを結婚させる約束を、
彼女の父親が、彼女が生まれた時にしてしまっていたからで、
18年以内にフランスの外人部隊から帰って来たときに、
それを履行するということなので、
ちょうど、その18年が経った時、この事件は起こる。
まさしく、リースヒェンがアントンと結婚しようという日だったのである。

なお、バスとあるが、バリトンではないか、この双子は、
この演奏ではフィッシャー=ディースカウが歌うという豪華版。
ここで、その他の配役を書きだすと、
先の恋人たちが、リースヒェンがヘレン・ドナート(ソプラノ)、
アントンがニコライ・ゲッダ(テノール)である。

あと、村の村長と収入役がバスで、クルト・モルと、
ハンス=ヨアヒム・ガルスが担当している。
村長は、リースヒェンの父親である。
女声がなんと、ソプラノ一人というのが、
そもそもオペラの華やかさを押さえているのではないか。
バスが二人ということからして、やたら重心が低い。
ダイアローグなど、妙に重厚である。

指揮はサバリッシュ、バイエルン国立歌劇場管弦楽団、合唱団が、
素晴らしい響きで支えている。

導入の合唱からして、後年の「ロザムンデ」を想起させる、
ロマン的な表情で、木管楽器群が非常に奥深い響きを、
随所で私を魅惑する。

CDの偶数番のトラックは、シューベルトの音楽がついており、
以下のように表記されている。
2. No.1 序唱(アントン)とコーラス「星の光が消えた」
4. No.2 二重唱(リースヒェンとアントン)
「愛が君に捧げるものは、胸の上で花咲くがいい」
この二重唱は、前半、少々、メロディーの魅力に欠ける。
「小さな花束がいつか萎れる時も、
心の奥底では生きていることでしょう。
愛する人が、私の喜びが。」
などと歌われる、月並みなフレーズでは、
当時、ロマン主義の新しい思想に染まりかけていたシューベルトには、
霊感が湧かなかったのかもしれない。

ただし、少し、大上段に構えた詩句では、
幾分、インスピレーションが戻って来たのか、
「万物生成の元素に劣らず、
愛は一つの世界を作り出す。」
というあたりから雰囲気が一転して、推進力と変幻自在な音の操りが楽しめる。
「イタリア風序曲」で聞こえたような、軽妙な響きも特徴的である。

実は、私は、昔から、
この1818年作の「イタリア風序曲第一番ニ長調D590」を、
サバリッシュの指揮による録音で楽しんでいて、
確か、NHK交響楽団と、サバリッシュが演奏した実演も、
聴きに出かけた記憶がある。

この時期、イタリア歌劇のヒットで、
シューベルトのこのオペラ「双子の兄弟」は、
なかなか出番がなかったようだが、
逆に、「イタリア風序曲」の方は、
かなりの成功を収めたようなので、
ものごとには両面があるといった典型であろうか。

6. No.3 アリア(リースヒェン)「パパは私のことを子供だと思って」
序曲からここまでは、結婚式の日の晴の日の合唱、おのろけの歌と、
父親が昔の事を思い出す部分である。

ちなみに、この名作アリアでのヘレン・ドナートの歌も美しいが、
どうも18歳の少女とは違うような気もする。子供だと思うといけないようだ。
このアリアの伴奏のオーケストレーションは、木管の絡み合い、
深々と呼吸する弦楽器群など、ぞくぞくするほど、精妙だ。

8. No.4 アリア(フランツ)「嵐がすさび」
ここで、海で死んだはずの、フランツ・シュピースが帰って来て、
勇気を持って苦難を乗り切った歌を歌う。

音楽も重々しい総奏によるオーケストラの序奏が、
様々な荒波を乗り越えた男の意志の強さを感じさせるが、
これを歌うフィッシャー=ディースカウも、粗野な方の兄弟の特徴を出して、
豪快に歌い飛ばす感じであって、そこそこ、性格づけも出来ているように思える。
さらに、彼は、ここで、村長に約束の履行を迫るのである。
つまり、リースヒェン危うしである。

10. No.5 四重唱(リースヒェン、アントン、フランツ、村長)
        「うまいときに帰ってきたもんだ」
もちろん、ここは、突然の展開に驚く関係者と、
勝ち誇るフランツの歌であって、最もややこしいシーン。

後年のレハールを思わせるような、軽快で巧妙な管弦楽が泡立ち、
この複雑な局面を面白おかしく、お洒落に彩っている。

12.No.6 アリア(フリードリヒ)「愛する貴い母なる大地よ」
またまた偶然もいいことに、双子の兄弟のもう一方が村に戻って来る。
面白いことに、フランツの方は、役人のところに行っている。

前述のように、一人二役なので、No.4との対比が重要だが、
フィッシャー=ディースカウは、敬虔な表情を見せて、
このフリードリヒの優しさを表現する。
音楽も、緩徐楽章風で、冒頭から、ホルンの響き、木管の和音が、
ロマン的な物思いを感じさせて、
シューベルトも、双子の対比には心を砕いたことを実感できる。

会話の部分では、村長が、あなたの変わりようがうれしいというと、
ややこしいことに、私も苦労して人間が変わったなどと、
神妙な述懐をする。リースヒェンは、アントンとの結婚を許してもらい、
次の浮かれた二重唱となる。
14.No.7 二重唱(リースヒェンとアントン)「私はあなたのもの」
この様子を見たフランツが怒り狂うのが、次のダイアローグ。
この時は、またまた、フリードリヒがいない。
18年前に、供託した金があると聞いて、
肝心なときに、彼は、村の収入役に付いて行ってしまったのである。

16.No.8 三重唱(リースヒェン、アントン、フランツ)
         「あなたは反古にするのですか」
そこで、リースヒェンが逆ギレするのがこの三重唱である。
男声二重唱にソプラノがきらめく効果もなかなかのものである。
しかし、さらにフランツは興奮して次のような会話になる。
「アントンのことを言うな、奴の首根っこをへし折ってやる。」
そうして、例の供託金のことまで、この男は騒ぎ立てる。
とはいえ、いずれも、権利主張としては、まっとうなことである。

18. No.9 五重唱と合唱(リースヒェン、アントン、フランツ、村長、
           収入役と合唱)「奴をつかまえろ」 
ここでは、気が狂ったようにも見えるフランツ・シュピースの振る舞いに、
村人みんな(合唱)が、襲いかかって裁判所に連れて行く。
管弦楽の興奮も素晴らしい。

最後に、裁判所でフランツが結婚を諦め、双子が抱き合って、
大団円を迎えるのだが、いったい、一人二役で、どうやって抱き合うのだろうか。
解説によると、初演の時もどうしたかは、謎とされているらしい。
が、おそらく、このトリック性をうまく見せたがゆえに、
こうした劇が好評を博したのであろう。

最後のフランツの歌詞は、
わずかに「フリードリヒ、フリードリヒ」だけなので、
誰かそっくりさんがいれば、事足りたに違いない。

20.No.10 終曲の合唱「兄弟は再会した」
大団円の合唱は、ティンパニが轟き、
ヴァイオリン群もめまぐるしく駆け巡って、
興奮を掻き立てるが、しかし、少々拍子抜け。
わずか1分半で終わってしまう。
これが、今回の鑑賞を通じて、一番の不満だったかもしれない。

ということで、シューベルトが発表できたオペラは、
確かにいくつかの不足はあるとは言え、
偶然に成功したものではない力作。
楽器の扱いを中心に、随所に眼を見張る効果が張り巡らされているが、
オペラの舞台では、その精妙さがかき消えてしまうかもしれない。
が、レコードでは、じっくりかみ締めたいところである。

シュレーゲルやノヴァーリスの最新の思想に染まっていたシューベルトには、
これらの単純な歌詞には、少し手を焼いたこともあるだろうが、
決してやっつけ仕事ではない。
むしろ、前半から、綿密に書きすぎて、最後への橋渡しが、
うまく行かなかったとも考えられる。

ストーリーが分かった後は、CDであれば、
セリフの部分は飛ばしながら聞いてもよい。
が、残念ながら、トラックの切れ目がいい加減なのか、
セリフの一部が残っていたりするのが残念無念。

このレコード、CDは、ほぼ同じデザインであるが、
ヨーロッパの田舎町を描いたものであろうか。
美しい絵画が丸枠内に収められている。

空が青く澄んで、雲も白い。あちこちの木立を素敵だ。
確かに、こうした情景の中で、起こった事件だろうが、
何の説明もないのは困ったことだ。

最後にこのオペラが、どのように評価されているのかを、
手元の資料でざっと見てみると、

1948 アインシュタイン 半分以上否定。
しかし、かなりの分量の記述あり。
序唱、二重唱、五重唱、終曲は、平凡で「放棄しよう」とあり、
生き生きとした四重唱、三重唱はOKの模様、
「最も美しい」のは、リースヒェンのアリアと判定。
「抑えられた興奮」、「コンチェルタントな管楽器の恍惚たる動き」、
モーツァルトに対置しうると評価。

1957 シュナイダー 不明
「わずか6回演奏されただけでプログラムから消した」と紹介。

1965 ブリュイール 不明
新聞に、「才能よりも才気、創意よりも力強さについて語った」とあるのみ。

1971 フィッシャー=ディースカウ 不明
新聞で、シュレヒタが、オペラはダメだが、
リートは良いという意見を書いたことを紹介。

1885 オズボーン 不明
ただし、当時の批評などを4ページにわたって紹介。
「ジャーナリズムの反応は千差万別」とある。
「テキストの細部に執着しすぎている。」
「支離滅裂でごてごてとした器楽の演奏は、何とか独創的であろうとして、
小心翌々と転調を繰り返しほとんど休む間もない。」
など、なるほど、と思わせる。

1997 ヒルマー 不明
やはり、当時の記事を引用。
「リブレットに自信が持てなかったらしいこともあって、
ことさら野心満々といった感じを与えたわけではない」と、
そもそも、シューベルトの仕事が適当である感じで紹介。

2008 私 アインシュタイン的
60年前の意見からほとんど変化せず、情けない。
が、シューベルト・ファンなら、
ああだこうだと考えながら聞く価値はある。
五重唱、終曲は、放棄するほどではない。

得られた事:「『ます』と同時期に書かれたとされる『双子の兄弟』は、序曲に『ます』の余韻を聴き取る人もいる。」
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by franz310 | 2008-01-13 12:48 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その104

b0083728_2014677.jpg個人的経験:
前回は、はからずも、
シューベルトと、
詩人マイヤーホーファーとの、
いわく言いがたい
怪しい交情について触れたが、
そもそもは、ゴシップ収集ではなく、
シュレーゲル歌曲集を書いた頃の
シューベルトの生活を
探ってみたかっただけだった。

このシューベルト生涯編の原文は、
ハイペリオンのシューベルト歌曲全集にあるものだが、
前回、すべてを訳出することが出来なかったので、
この後で、再び、取り上げることにしたい。

さて、前々回、シュレーゲルの詩の歌曲は、
最近まで、あまり歌われていなかったと書いたが、
有名な歌手では、エリー・アーメリングなどは、
いくぶん、積極的にこれらの歌曲を歌っていたようだ。
というのも、1982年の録音によるフィリップスのLPには、
シュレーゲル歌曲が2曲あり、
1984年に録音された同じくフィリップスのCDでは、
シュレーゲルの詩による歌曲が、
15曲中、4曲も含まれているからである。

あまり、意識していなかったのだが、
見直して見ると、アーメリングは、この時代の歌曲に、
かなりの思い入れを持っていたようである。
この二枚のLPやCDに含まれる、1819年から20年の歌曲は、
前述のシュレーゲル以外にも、ジルベルトの「夕べの情景」D650や、
ノヴァーリスの「夜の賛歌」D687、
グリルパルツァーの「ベルタの夜の歌」D653の3曲が82年盤に、
シラーの「ギリシアの神々」D677が84年盤に収められている。
これらの歌曲は、以下に訳出した、
ジョンソンの解説にも出てくるものである。

シュレーゲルの歌曲では、
1982年盤に、「夕映え歌曲集」の、
「星」と「少年」が、選ばれている。
このLPやCDは、録音がよいことで話題になったので、
多くの人が聞いたはずのものである。

実は、私も、このレコードには感服した。
アーメリングは、かなり若い頃から活躍していたので、
この頃は、もう盛期を過ぎたようなイメージがあったが、
1938年生まれなので、まだ45歳くらいで、
まさに円熟期にあったようだ。

アーメリングの精妙な歌声が、
雰囲気豊かに部屋を満たし、
完全に満足してしまった時の驚きは生々しい。
これまでは、単に清澄な歌声と思っていたのだが、
非常にこくのある、中音域に豊かさを増した響きになっていて、
詩の内容などは考えなくても、感覚的にも癒される感じであった。
伴奏が、長らくフィリップスを支えた、
名手、ボールドウィンというのも、
何となく嬉しかった。

とはいえ、感覚的な楽しみを離れて、
良く内容を見てみると、このレコードは、
最初の「音楽に寄せて」や、「私の挨拶を」や、
LPでは裏面冒頭の「春への憧れ」や「子守歌」以外は、
ほとんど知られていない歌曲で占められていて、
何らかのテーマが隠されているのだろうか、
と考えさせられる内容となっている。

1. 音楽に寄せて D547(ショーバー詩)
2. 妹の挨拶 D762(ブルッフマン詩)
3. 私の挨拶を D741(リュッケルト詩)
4. 花の言葉 D519(プラートナー?詩)
5. 月に寄せて D296(ゲーテ詩)
6. 夕べの情景 D650(ジルベルト詩)
7. 春への憧れ D957の3(リュッケルト詩)
8. 最初の喪失 D226(ゲーテ詩)
9. 夜の賛歌 D.687(ノヴァーリス詩)
10.星 D684(シュレーゲル詩)
11.少年 D692(シュレーゲル詩)
12.子守歌 D498(クラウディウス?詩)
13.ベルタの夜の歌 D.653(グリルパルツァー詩)

このLPないしはCDは、ジャケットの美しさでも、
際立っている。アーメリングのお澄ましの表情、
コートの襟をそっと立てた様子が、
彼女自身の秋、素晴らしい黄金の秋を背負って、
渋い光を放っている。
コートのボタンもきらりと光って、言うことがない。

残念なのは、あのフィリップスのレーベルマークがなく、
少々安手の「degital recording」というマークが入っている点で、
その他は、文字の配色やレイアウトも、
有無を言わさぬ完成度を誇っている。
これはみんなが欲しくなるデザインであろう。

残念ながら、私の手持ちのLPにはプロデューサー名がない。
こんなに美しい写真を撮った人も、カバーデザインの人も名前がない。
先の、1984年盤を見ても、これらの名前はない。
最近、マイナーながら良質のCDを見て来た後なので、
ちゃんと録音データや製作者のデータが揃っているのが、
高品位の条件と考えていたのだが、
せっかくひいきにしていたのに、
老舗フィリップスのこうした失点を見つけるのは悲しい。

ちなみに録音場所だけは書かれている。
82年盤がロンドンで、84年盤がオランダだった。

天上の鐘の音が降り注ぐ「夕べの情景」や、
ノヴァーリスの「夜の賛歌」、シュレーゲルの「星」のような、
一種、宗教的な陶酔を伴う歌曲は、ここでのアーメリングの、
清らかさと深みを持った歌声にはぴったりである。
それを名録音が支えている。

解説は、アーメリングを、
「最も深く歌曲の世界に錘を下ろした人」と、
独特の表現で、この歌手を称え、レコードで、
「秘かに歌の肌合いを味わっていく時」に本領を発揮する、
といったことを書いている。
曲目解説も丁寧だが、ドイチュ番号519~762という、
時期のものが13曲中、9曲も占める理由については、
何も書いてくれていない。

ということで、この録音によっても、
ある程度、1820年前後のシューベルトを味わうことが出来る。

さて、このように、ノヴァーリスや、シュレーゲルなど、
ドイツ・ロマン派の本丸に切り込んでいた頃の、
シューベルトの日々を、前回からの続きで読んでみよう。
ハイペリオンのシューベルト歌曲全集で、
ピアノと解説執筆を受け持っているグレアム・ジョンソンが、
書いたものである。
前回は、1818年、ゼレチュから帰ったシューベルトが、
友人のマイヤーホーファーと、
怪しい共同生活をしていたことを読んだ。
彼ら二人の共同作業の最初の成果は、
「孤独」と題された、長大な実験作であった。
今回はその続きである。
「シューベルトは、マイヤーホーファーと暮らすために、
ハンガリーから戻って来たが、
たちまち、この詩人の学識と教養の熱狂の世界の中に、
押し込まれてしまったに違いない、
彼は、1819年前半には、
たった一曲の詩への作曲しか出来なかった。
彼はおそらく、それ以上、何も出来ないほど、
マイヤーホーファーがした努力と同様の注力を、
『孤独』に対して行ったと感じていた。
テキストの選択に関して、この時期のシューベルトの作曲は、
際立った変化を見せている。
彼はもはや、バラードや物語詩には興味を失ったように見え、
最初のゲーテのフェーズを過ぎ、この偉大な詩人には、
(たった2曲であるが、)この年の終わりまで戻ってこなかった。
彼は手広く、近くの存命の作家や、ヴィーンに住む有名な同時代人、
シュレーゲルや、ジルベルト、ヴェルナー、
シュタッドラーやシュレヒタといった友人たちの作品に傾倒した。」
シュタッドラーは、五重奏曲「ます」を写筆した人で、
シューベルトの学友だった人だ、
シュレヒタも同様に若い頃からの友人で、後に、
大蔵省の局長にまでなった人である。

「これらのテキストの多くは、
コンヴェンショナルなローマ・カトリックの感覚にはない、
精神的な要素とでも呼ばれるもの、多くは、神学の代用であり、
特に、フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの初期の著作に見られる
汎神論のようなものが含まれていた。
脱線したようなシラーの二曲を別にしても、
18世紀的な人物として、シュレーゲルの若き日の友人で、
ノヴァーリスと呼ばれていた
フリードリヒ・フォン・ハルデンベルグという詩人がいる。
おそらく、抽象的な意味で、シューベルトが取り組んだ中では、
ノヴァーリスの著述以上にやっかいなものはなかっただろう。
大胆なアレゴリーの利用は、現在でも理解は容易ではなく、
この意味で、ノヴァーリスは誰よりも近代的な詩人であった。
彼の修辞的なアレゴリーと単純な信心深さの融合こそが、
この詩人を驚くほど今日的にしているものである。」

「青い花」で知られる知られるノヴァーリスは、
ロマン主義を代表する詩人だが、
私の経験から言うと、読んではくじけるといった難物であるが、
こんな人の作品に取り組んでいたシューベルトは、
まだ22歳の若僧である。
これらの歌曲を聴くたびに、シューベルトの文学的な才能にも、
驚嘆せずにはいられなかった。

「この時期、シューベルトが哲学的、
形而上学的な詩に熱中していたことは、
エリザベス・マッケイが述べているように、間違いなく、
マイヤーホーファーや、シューベルトが1814年から属していた読書会、
『教養サークル』の影響であろう。
ここでは、すべての哲学の流派、最新の文学、
これから見ていくように、非常に危ないことに、
政治が議論されていた。
比較的制限された知的背景しか持っていなかったシューベルトが、
彼の思想を形成する大量の文学作品と出会ったのが、
このサークルであった。
これらの詩を彼が音楽化したのは自然なことであった。」

おそらく、このようなオタクの会合のバックグラウンドなしには、
これら難解な詩作を、
自信を持って作曲することなど出来なかったであろう。
ちなみに、アーメリング盤の「夜の賛歌」は、以下のように訳されている。
三善清達という人が訳している。

「向こう側の世界へと私は歩みます、すべての苦しみは、
いつかは快楽の刺となることでしょう。
もうわずかの時が経てば、私は自由になり、
恍惚として愛の膝に横たわります。」
なんじゃこりゃ、の内容で、「夜の賛歌」というより、
「薬物賛歌」みたいな感じもする。

「おお、愛する方よ、私を力強く吸ってください、
私が眠りに入り愛することができるように。」
夢の中に吸い寄せられることを願っているのだろうか。

「私は死の若返りの潮を感じ、
私の血は霊液と霊気に変わります。
私は昼間は信仰と勇気に満ちて生き、
夜な夜な神聖な炎の中で死ぬのです。」
何とも、面倒くさい夜である。
寝るたびに、これから神聖な炎に入るぞ、
と考えていたのだろうか、
ノヴァーリスという人は。

シューベルトの音楽は、霊妙なエーテルの気配を漲らせ、
時折、忘我の表情を見せる。

内容的にも、
その他のノヴァーリス歌曲のキリスト全面賛美よりは、
まだ、心理的障壁の少ない内容と言えるだろう。

音楽も他の曲よりは、ずっと神秘的な色調を持っている。
法悦の高まりもまずまずである。
解説には、「死へのいざない」とあるが、
夜な夜な死んでいたら、たまったものではない。
眠りを擬似の死体験として尊重していたのだろうか。

ちなみに、その他のノヴァーリス歌曲で、
前回取り上げたリポブシェックが歌っているのは、
以下の4曲である。

「賛歌第一」は、
「最後の晩餐の神々しい意味は地上の人間にとって謎である」
と歌われる7分もかかる大曲。

それに対し、以下の3曲は、
類似の題名ながら、2分程度の小品である。
「もしあの方を持ってさえいれば、その場所が私の祖国です」
とキリストを讃える「賛歌第二」、
「私は喜んであなたに永遠にこの心を捧げます」
と信仰告白する「賛歌第三」、
「すべての人に言おう、あの人は生きており、
復活されたのだ」と復活に狂喜する「賛歌第四」は、
いずれも内容がシンプルすぎて、ノヴァーリスが、
実際に言いたかったことが気になる。

さて、解説に戻ろう。
「1819年前半の歌曲作曲の結果は以下のようなものである。
D633 蝶々(シュレーゲル詩)
D634 山 (シュレーゲル詩)
D637 希望 (シラー詩)
D638 小川のほとりの若者(シラー詩)
D645 夕べ(断片)(ティーク詩)
D646 茂み (シュレーゲル詩)
D649 さすらい人 (シュレーゲル詩)
D650 夕べの情景 (ジルベルト詩)
D652 乙女 (シュレーゲル詩)
D653 ベルタの夜の歌 (グリルパルツァー詩)
D654 友に (マイヤーホーファー詩)
D658 マリア (ノヴァーリス詩)
D659 賛歌Ⅰ (ノヴァーリス詩)
D660 賛歌Ⅱ (ノヴァーリス詩)
D661 賛歌Ⅲ (ノヴァーリス詩)
D662 賛歌Ⅳ (ノヴァーリス詩)
D663 詩篇13 (モーゼス・メンデルスゾーン訳)」

先にも書いたように、アーメリングのLPにも、
ここで上げられている「ベルタの夜の歌」が取り上げられている。
グリルパルツァーの劇「祖先の女」から取られた詩だということだが、
「罪の幻影たる祖先の女の予言によって悲劇を迎えるドラマ」
とLPの解説にあり、単なる子守歌ではない模様。
「悲しみに目覚めた目をお前が知っているならば、
かわいい眠りよ、その目を閉じてやっておくれ!」
とわが子を寝かせつける母親の言葉が不気味。
ちなみに、この曲は、リポブシェック盤には収められていない。

以下、シューベルトのシュタイアーの旅に関する舞台裏が書かれている。

「フォーゲルの仲介によって、シューベルトはケルントナートーア劇場から、
まだ上演はほぼ1年の後であるにもかかわらず、
『双子の兄弟』に対する前払いを受け取ることが出来た。
この報酬は、この有名な歌手との夏の休暇を計画することを可能とした。
彼はその出身地で8週間の余暇を取ることに決めていた。
このヴィーンからの逃避は、シューベルトにとって歓迎すべきことであった。
マイヤーホーファーはいつも気分屋で緊張を強いられ、
さらにもう一つの苛立ちの原因がウィップリンガー通りにはあった。
たまたまではあるが、作曲家アンゼルムを兄に持つ、
ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーが同じ建物に部屋を持っていた。
最初はシューベルトが手近に、使い走りをしたり、
筆写したり、金銭管理などなどを行う、
世話係を持つというのは、良いアイデアに思われた。
しかし、すぐにこの措置は、作曲家をうんざりさせるようになり、
ヒュッテンブレンナーは、しつこい厄介者になってしまった。
この情報は、シューベルトの最初の伝記作者、
クライスレ・フォン・ヘルボーンを通じて我々は知るところとなる。
シューベルトはどんどんヒュッテンブレンナーに対して短気になって、
乱暴で失礼な言葉遣いをするようになったようである。
結果として、作曲家の仲間からは、『暴君』と呼ばれるようになってしまった。
ここにあまり報告されることのない、この作曲家の一面があり、
聖人のような平静さばかりを、シューベルトに見たくない人たちは、
永遠に快活なシュバンメルルちゃんのイメージを打ち消す、
この毒消しを歓迎するだろう。」
私は、これまで、「双子の兄弟」については、何となく、依頼された仕事として、
あまり重視していなかったが、こうして読むと、非常に重要な作品に思えてきた。
また、この作品なくしては、シューベルトは休暇も取れなかったのだろう。
フォーグルはただで出身地に招待したのではなく、交通費などは、
シューベルトが自分で出したのだろう、と考えると、何時の世も世知辛い。

また、ヒュッテンブレンナー兄弟の位置づけが、
ここで、改めて確認できたのは儲けものであった。

以下、シューベルトの最も幸福なひと時の描写となる。
こうした環境で、「ます」の五重奏曲が書かれたものと、
我々は聞かされてきた。
「1819年、七月中旬、シューベルトはフォーグルとシュタイアーに旅立った。
一度、そこに到着すると、彼は、シュレーマンの家に宿を取った。
この人はフォーグルの昔からの知り合いで、シューベルトの学校時代の友人の、
アルベルト・シュタッドラーの親戚で、このシュタッドラーの家族もたまたま、
同じ建物に住んでいた。
他の幸福な交際によって、この心地よい環境はさらに満たされたものとなった。
二人の音楽家は、ヨーゼフ・フォン・コラーと、
その娘、ヨゼフィーネの家で食事を取ったが、
彼女が美人で歌手としてもピアニストとしても優れていたので、
シューベルトには大きな印象を与えたものと思われる。
彼はシュタイアーを去るときに、彼女に、
ピアノ・ソナタ イ長調(D644)の手稿を手渡していた。
(3人の歌手が『魔王』を歌ったのも、コラー家でのことである。)
美しい郊外への午後の散歩や、それに続き、
シューベルトが、名士であり郷土の誇りのフォーグルに適切な伴奏をした、
私的な音楽の夕べによって、楽しさはいや増した。
この訪問で、シューベルトは、裕福な独身者で、フォーグルの友人であり、
素晴らしい音楽愛好家、アマチュアのチェリストで地域の音楽パトロンでもあった、
ジルヴェスター・パウムガルトナーとも出会った。
パウムガルトナーの委託によって、『ます』の五重奏曲が、
1819年に作曲されたというのは、大いにありうることである。
ブライアン・ニューボールトは、五重奏曲のパート譜筆写が、
シュタッドラーの手になることから、この傑作は、この年、
ヴィーンに帰ってから書かれたとされる従来の考え方ではなく、
まさにこの休暇中に書かれたものだと指摘している。
さらに8月には、リンツまで出かけて短期滞在をし、
1816年来会っていなかった、
旧友のヨーゼフ・ケンナーや、アントン・フォン・シュパウンと、
会うことが出来たことがシューベルトを喜ばせた。
彼はシュパウンとの交流を再開させ、アントン・オッテンヴァルトとも、
友達になった。彼は、じきに結婚して、シュパウンの家族となるのだった。
オッテンヴァルトは、同時代、最もシューベルトに共感した人で、
1825年、シューベルトの次回のリンツ訪問では、
作曲家の個性を直感的に捉えている。
シューベルトは、1817年の『揺り籠の子供』(D579)以来、
個人的な付き合いが始まる前から、その詩に作曲を行っていたので、
オッテンヴァルトにその歌曲を演奏するという幸福な機会を持った。」
これは、想像するだに、
心ときめくひと時であったことだろう。

「8月10日、フォーグルは、彼の51歳の誕生日を祝い、
現代人の目から見れば、ごますりと思えるような、歌手を称える詩を、
シュタッドラーが書いたが、
これは、当時としてはトラディッショナルなものである。
シュタッドラーは、苦労して、グルック、メユール、ギロヴィッツ、ケルビーニ、
そしてワイグルといった、これまで歌手が手中にした演目を引用して合体させた。
シューベルトはソプラノ、テノール、バスの三重唱とピアノ用に、作曲を行った。
作曲家自身がバスのラインを歌い、シュタッドラーはピアニストだった。
才能あるジョセフィーネ・フォン・ケラーがソプラノ、
地域のテノール、ベルンハルト・ベネディクトが賛助出演した。」
この三重唱曲も楽しいもので、この頃のシューベルトの日々を、
想起させるものとなっている。

「翌三月、慣例に基づいて、
ヨーゼフ・フォン・コラーの命名日のために、音楽を作曲している。
ここでもまた、シュタッドラーが詩人とピアニストを兼ね、
歌手は当然、ヨゼフィーネだったが、シューベルト自身は、
1820年3月、シュタイアーにはいなかったので、
初演には参加できなかった。」

以下、またまた問題のマイヤーホーファーとの関係が描かれる。
完全に週刊誌ネタだが、読まずにはいられない。
「リンツからシューベルトがマイヤーホーファーに出した手紙は、
最も異常な資料の一つである。
兄のフェルディナントに書いて、
両親や残りの家族にも読まれることを想定した手紙のように、
いろいろなことをしてもらった綺麗な女性たちについては、
まったく触れていないことに注意すべきである。
それに、『・・を、どんなに楽しみにしていることか。』
というのは筆を滑らせたのであろうが、
何か他の人の目に触れることを恐れて書けなかったのだろうか。
続くこのフレーズで、シューベルトはマイヤーホーファーに、
フィリップ・カールという、クレムスミュンスターの学生が、
両親のいるイドリアに向かう途中、ヴィーンを通るときに、
作曲家が不在の間、そのベッドを使わせて欲しいというリクエストをしている。
(要するに、僕は君が彼によくしてくれることを望む。)
マイヤーホーファーの孤独好きや、住空間の劣悪さを思うと、
これは完全な見ず知らずの人に対しては異常な要望のように思える。
Maynard Solomonは、彼の刺激的なエッセイ、
『シューベルトとベンヴェヌート・チェリーニの孔雀』の中で、
ホモセクシャルなサブカルチャーの文脈で、これを読み解いた。
我々は、このカールについては、マイヤーホーファーと実際、
知り合ったということ以外、何も知らない。
彼は、1824年のマイヤーホーファーの
詩集の予約者の名簿に名前が見える。
ソロモンは、シューベルトはマイヤーホーファーのために、
別の慰めとなるセクシャルに共有可能な若い男に会う機会を、
設けたのではないかと確信している。
もし、そうならば、シューベルトの振る舞いは、確かに、
マイヤーホーファーの
『優しさと粗野、みだらで誠実』という記述どおりである。
これはまた、シューベルトが、
マイヤーホーファーの愛に耽溺していたのではなく、
彼らの間に起こったことを示すものである。
シューベルトの方は、軽く考えていたようで、
事実、彼は、すでにマイヤーホーファーが激しさを治めるような、
違う関係となることを求めていたかも知れない。
詩人がシューベルトよりも、深くのめりこんでいたのは、
悲しいことに、年配の者が若い者を思うときの必然でもあった。
マイヤーホーファーとシューベルトの友情と共生のミステリーは、
9月中旬に作曲家がヴィーンに戻って、さらに深まる。」

以下、幻のオペラ「アドラスト」に関する貴重な情報が書かれている。
これは、私が今まで読んだ
シューベルトの評伝では見たことがないものである。

が、今回も長くなりすぎたので、このあたりでやめておこう。
次回は、1820年のシューベルトについて書かれた部分となる。
「シューベルトはマイヤーホーファーに台本を書かせると、
いつも、この詩人の歌詞への作曲もおこなった。
1821年から22年の歌劇『アルフォンゾとエストレッラ』
の場合も同様で、これを書いている時には、
その台本を書いたショーバーの詩による歌曲をいくつも書いている。」
得られた事:「『ます』の五重奏曲が、1819年、シュタイアーで書かれたとされる根拠となるのが、当地の友人、シュタッドラーの写譜の存在である。」
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by franz310 | 2008-01-05 20:05 | シューベルト