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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その98

b0083728_18182969.jpg個人的経験:
リストが、編曲した、
シューベルトの歌曲は、
シュレーゲルの詩による
「ばら」であったらしい。
このことは、
レスリー・ハワードが、
CDの解説に書いており、
かつ、ハワードは、
三つの版を紹介し、
各々、別のCDに録音している。

ハワードがハイペリオンに録音した、リストのピアノ曲全集。
その中の、第31巻「Liszt The Shubert Transcriptions I」に、
まず、その初稿が収められている。

前から書いているように、
このCD、3枚組で、いろいろな曲種が含まれている。
つまり、シューベルトの舞曲の編曲で始まり、
さらに、大規模な喜遊曲の編曲、行進曲の編曲があって、
その余白に歌曲の編曲が収められている。

この3枚組の2枚目。
「ハンガリー喜遊曲」を編曲した、
「ハンガリーのメロディ」が50分近く占めるので、
残りは小品しか入らなかった模様。
ここに、先に書いた「ばら」を含め、歌曲の編曲が、2曲。
あとは、すでに紹介した曲の異稿である。

これまでも、その解説に何が書いてあるかを紹介してきたが、
ハワードの解説が長すぎて文字数オーバーになっていた。

ここでは、まず、このCDの解説で、
これまで紹介できていなかった所を訳出してみよう。

「さて、リストのシューベルトのトランスクリプションの、
これら最初のグループから、歌曲分野の最初と最後の作品の話に移ろう。
『ばら』は、1833年に第一版が作られ、『ゴンドラの漕ぎ手』は、
50年もあとに編曲されたものである。
(多くのカタログは、この作品を1838年の作としているが、
明らかにずっとチェックされずに来た誤読で、
手稿やこの冬発見された証拠によると、
疑いなく1883年こそが正しい日付である。)」

確かに、いつも作曲年を調べている本にも、
1838という数字が見える。
これが、1883年作となると、大きな意味を生じることは、
これまで、この連載を見て来た方には明らかであろう。
盟友ワーグナーの死との関係が浮上してくるからである。

それはさておき、解説を見て行こう。

「しかし、『ばら』は、
後にいろいろなシューベルト/リスト集に収められ、
研究者を迷路のような悪夢に陥れることは間違いないが、
最初は単独で出版された。
筆者は幸運にも、
『我が友ショパンに』とサインされた第一版のコピーから、
多くを学ぶことが出来た。
シューベルトの作品73(D745a)は、
カタログに誤って『野ばら』と書かれることもあるが、
それとは無関係で、シュレーゲルの詩に付曲されており、
一度咲くと短い一生を悔いる、ばらの短い生涯を描いている。
リストはこの単純な小品をまるで交響詩のように扱い、
はかなさや、歌に隠された情熱を捉えている。」

この曲は、私が最初に聴いた、
シューベルトの歌曲集にも収められていたこともあって、
そのシンプルでピュアな情感が懐かしいが、
リストの編曲は完全に原曲を逸脱してしまっている。
交響詩のようというより、余計な装飾を凝らして、
サロンで派手な効果を狙っているだけのようにも聞こえる。

また、同じシリーズの第33巻、
「Liszt The Shubert Transcriptions III」
という3枚組にも、3枚目に、
「シューベルトの2つの歌曲」というのが収められており、
この一曲が、やはり、「ばら」(S556ii)なので、
ここで、その解説も見てみよう。

「三番目のディスクには、このコレクションで初登場は、
たった一曲のみである。他の曲はすべて、リストが改訂、改作した、
エンドレスのプロセスから生まれた無限のバラエティの例証なのだ。
二つの歌曲:
『ばら』、これはリストが最初に編曲したシューベルト歌曲として、
記憶されるべきであり、
再出版バージョンは、変更点が多くあって、
小さいところではテクスチャーであって、
目立つのはカデンツァとコーダの拡張である。」
これはいったい何時の出版なのか?
前の編曲が、1833年と明記しているだけに、
非常に歯がゆい。

とにかく、こうして、リストは何度も「ばら」を編曲したが、
いずれも、実際は2分半ほどの曲を4分、あるいは、5分近くにまで拡大した。
こちらの版の方が、嫌味がないように感じる。

「新しいバージョンは、リストの『涙の賛美』の編曲と共に出版されたが、
こちらは、シューベルトがシュレーゲルの、涙の持つ、
更生と救済の力の賛美に対する詩につけた感動的な付曲に、
センシティブで率直なアレンジを行っている。
リストのバージョンでは、最初、メロディはテノールに現れ、
左手だけで演奏され、残りの節は、
1オクターブ高まり、さらにオクターブ高まる。」

この曲、確かに、打ち震えるような情感がひしひしと迫る名品であろう。
しかし、シュレーゲルの詩で2曲を選ぶあたり、
リストは、詩の内容を考慮したのだろうか。
シュレーゲルが亡くなった時にでも、
商売上手に出版したのか。

ところが、ハワードは、このシューベルト歌曲「ばら」を、
リストが1837年か8年に編曲した版も、
リスト、ピアノ独奏曲全集第49巻、
「シューベルトとウェーバーの編曲集」に収録している。
このCDは、すでに「さすらい人幻想曲」の時に紹介している。

何と、この版では、演奏時間はついに5分を越えている。
S556i/bis(intermediate version)とあるが、
「中間バージョン?」。(first recording)とも書かれている。

このCDの解説にはこうある。
「今回の仕事の危険の一つは、考えられる限りの努力をもってしても、
すでに出版されているものとは異なる、予期せぬ原稿が図書館に現れることである。」
このピアノ曲全集のシリーズの録音が、
進行している間に見つかったということか。

「リストの『ばら』の最初の編曲と、最終バージョンは、
9枚からなるシューベルト編曲集、
このシリーズの第31巻と33巻としてリリースしたものに、
見ることが出来る。
しかし、1837/8のリスト初期のシューベルト編曲集、
Richaut editionでは、このバージョンを、最もよいできばえの、
中間バージョンとして収めていて、ここでは、
シューベルト歌曲編曲の付録として収めることにした。」

ハワードは、このシリーズの最後のシューベルト録音に、
よほど名残惜しいのか、たっぷりとしたテンポで弾いて、
とつとつと語らせる風に余白も沢山取っている。
不気味な低音のトレモロをさらに鳴り響かせて、
ピアノ協奏曲並みにカデンツァを華麗に演奏し、
ついに、2分40秒ほどのシューベルトの曲を倍近くまで拡大、
5分07秒にまでしてしまった。
いろいろ小技の装飾がひっついていて、あまり素直な編曲ではない。

さて、こうして、リストが最初に手を染めたシューベルト歌曲について、
繰り返し語られると、そういえば、どんな曲だっただろうか、
と原曲への想いがこみ上げてくる。

そして、改めて、この歌曲の素直な単純さに一息つく思いである。

詩はこんなものらしい。
「素晴らしい暖かさに誘われ、
光を求めて出て来ると、
激しい炎が燃え盛り、
永遠に私は嘆くのでした。
私は長い間、咲く事もできたはず。
穏やかに晴れた日ならば。
今はすぐに萎れるしかなく、
長い命は諦めました。

朝焼けが現れると、
すべてのためらいを捨て、
蕾を開きました、
そこに、すべての魅力のすべてを宿す。
甘い香りを放ち、
花の冠を頂きました。
すると太陽はいっそう熱く、
もちろん、私はそれを責めました。

夕方に熱が冷めたからといって何になろう。
私は寂しく尋ねます。
私を救うことは出来ません。
悲しみを消すことも。
私の赤みは消えて行き、
すぐに寒さに苦しむでしょう。
もう一度、死にながら、語りましょう。
短い若い生命のことを。」

非常になまめかしい詩で、女性の人気者リストが、
確かに愛好しそうなテーマではあろう。

ハワードのリストの全集と同様、
シューベルトの歌曲の集成を完成させた、
イギリスのハイペリオン・レーベル。

ここで、全ての歌曲の伴奏を務め、
かつ解説も書いている、ピアニスト、
グレアム・ジョンソンは、この曲の解説をこう書いている。
この曲は第19巻に登場する。

「ローマ人にとって、『薔薇』は、美、愛、詩の花であり、
猪に突かれて傷ついた、愛するアドニスを慰めようと、
白い花を、自らをかきむしって出した赤い血で染めたという、
ヴィーナスに捧げられた花であった。
西洋文学では、優しさと純粋の象徴、
または、ブレークによって、
『赤い喜びのベッド』と謳われた感覚的なイメージを残している。
シュレーゲルのこの詩では、
花の詩人のお好みのテーマ、
つまり、男性の熱情の熱さによって、
必ず汚される女性の貞節以上のことを語っている。
ここで薔薇は、無数の才能や長所のある若者のことや、
持って生まれた単純な子供のような美しさが、
肺病など、19世紀には克服されなかった病気によって、
打撃を受けることを語っているように見える。
この詩は、Herrick(英国の詩人)の、『To Daffodils』の雰囲気を有し、
さらに後知恵ながら、満開の時期に死んだ、我らが作曲家のことを想起させる。」

ハワードもいろいろ書く人だったが、
ジョンソンも負けてはいない。
ローマの時代からの知識の披露はまだしも、
この曲の主題を、シューベルトの生涯にまでなぞらえるとは。

「ジョン・リードは、この曲は、
シュレーゲルの他の詩『夕焼け』(D690)と一緒に、
おそらく1820年に作曲されたのではないかと主張している。
1822年4月に作曲された『夜咲き菫』と類似の雰囲気を有し、
伴奏の節約と高音に上昇する傾向など、
1822年作と証拠立てる何かがある。
これは、『Wiener Zeitschrift fur Kunst und Mode』に、
最初に出版された日付にも近い。」

いきなり、この曲も一筋縄にはいかないようである。
リードという人の1820年説、
では、1822年の説を立てているのは誰なのだろうか。
出版がこのあたりだから、その年だと考えたのはジョンソンか。

「『夜咲き菫』で説明したのと同様のいくつかが当てはまる。
例えば、これらはともに、すれ違ったり、従順になったり、
伴奏が声のラインと重複する。
形式にも類似点が認められ、
マイヤーホーファーの詩も三つの部分に適応させているが、
シュレーゲルの詩も24のラインを三つの連に分けている。
ここでは、リスナーの便宜に合わせて、このようにプリントした。」
これは、先に紹介した、詩の記載のことである。
スペースを二箇所にあけてある。

「ABAの形式で、最後の部分は、短調に転調されている。
最初と最後の部分では、上昇音形が聞こえ、それは、
『激しい炎が燃え盛り、永遠に私は嘆くのでした』という部分に初めて現れる。
(これは暑さの上昇、または、死に至る薔薇の冷酷な運命を示し、
花びらが太陽の前に次々にあらわになっていくようだ。)」
この、たんたたたんの音形、
花びらが萎れていく様子だとすれば、
リストのピアノ編曲のたたたたっと駆け出す様子は、
ちょっと変な解釈だということになる。

が、冷静に、改めて耳を澄ますと、
この音形、情熱の高まりを示しているようにも思える。
それが、花の萎れる様子も同時に暗示しているような感じが、
実に憎いではないか。

あるいは、「激しい炎が燃え盛る」には、
恋の天才、リストには、もっと激しい、
スタッカートのようなものが正しいと聞こえたのだろう。
この表現の方が、より正しく、むき出しになる恋愛もあろう。

あのどろどろとした、低音のトレモロが加わることで、
そして、花びらが散っていくようなカデンツァをつけることによって、
いっそう男女の関係が明示され、シューベルトがさりげなく描いたものを、
濃厚なカラー表現で、一幕のドラマに仕立て上げて感じがする。
これはこれで、素晴らしい技だと、改めて舌を巻いた次第。

「中間部分は、夜明けに対する小さなセレナーデで、
小さなトランペットが、さっそうとしたピアノの16分音符で、
夜が明けるのを告げ、これはおそらく鶏の鳴く声を模倣している。
私たちは、この動機を、何年か後、同じ調で、
不滅のシェークスピアの『セレナード』にて、再び聴くであろう。
第三の部分は、短調にうなだれるが、死においても優雅であり、
従順であることを示すように、最後には長調に戻る。
あたかも、万物の定めを受け入れるように。
この演奏では、作曲家の二つの手稿に従い、
ドイッチュのカタログが第一版として採用した、
出版時のト長調ではなく、へ長調を選んでいる。」

このシリーズ、いろいろな歌手が集まって、
ピアノのジョンソンの下で、シューベルトの全歌曲を歌っているが、
この第19巻のCDで歌っているのは、
イギリスのソプラノ、フェリシティ・ロットである。

この第19巻、「SCHUBERT IN FULL FLOWER」、
つまり、「満開の花の中のシューベルト」というタイトルで
まとめられているが、人気の女性歌手に対する配慮であろうか。
先の「ばら」など、満開の花の中というよりは、悲しい感じの曲であるが。

なお、ここでは、以下の18曲が選ばれている。
1. 夜咲き菫 D752(マイヤーホーファー)
2. 春の神 D448(ウーツ)
3. 森にて D738(ブルッフマン)
4. 花の悩み D731(マイラーツ)
5. 花言葉 D519(プラトナー)
6. ばら D745(シュレーゲル)
7. わすれなぐさ D792(ショーバー)
8. 愛らしき星 D861(シェルツェ)
9. 湖畔にて D746(ブルッフマン)
10.星 D176(フェリンガー)
11.星の夜 D670(マイヤーホーファー)
12.雷雨の後 D561(マイヤーホーファー)
13.風に D669(マイヤーホーファー)
14.水の上にて歌う D774(シュトルベルク)
15.夕べの歌 D276(シュトルベルク)
16.湖上にて D543(ゲーテ)
17.ズライカⅠ D720(ヴィレマー)
18.ズライカⅡ D717(ヴィレマー)


とにかく、全集の一環にしては、かなり有名曲が集められ、
なかなかお買い得感のある一枚である。

しかし、こうして見ると、どうも、花に関するものばかりでもなさそうだ。
例えば、リストが美しい編曲を残した「水の上に歌う」なども収録されている。
が、これも歌詞を見ると、Kalmus(しょうぶ)とあった。
しかし、これは、一節にちょろっと出てくるだけで、
むしろ、自然を大づかみにしている。

ズライカⅠ、Ⅱなども、花や森が歌われていているが、
全体としては、自然の中に羽ばたく愛の歌であろう。

この解説においても、花というよりは、
自然についての賛美が中心になっている。
いきなり、シューベルトの手紙を引用して、自然の力が、
作曲家に、いかに作用したかの実例を上げようとしている。

「1825年と、翌年の手紙があるが、
そこから、自然の賛美者としての作曲家の姿が見える。
- グムンデン 1825年9月12日(兄フェルディナント宛)
『ランチはパウエルンファインドさんのところで取って、
午後にはお天気が許してくれたので、ノンベルクにのぼった。
ここは高くはないが、ザルツブルクの渓谷の最高の眺めを届けてくれる。
この谷の愛らしさはとても言葉で表現することが出来ない。
数マイルもの楽園、お城や館が木立の間に点在し、
多様に蛇行して流れ行く川、素晴らしい色彩の絨毯のような草原と野原、
リボンのようにそれらを結ぶ道、
そして最後に、古木の並木道がずっと続いている様を、想像して下さい。
見渡す限りに聳え立つ山々が、この素晴らしい谷間を警護しています。
この筆舌に尽くしがたい美しさを、少しでも分かち合いたいから。』
私たちはここで、作曲家が異常なほどに、
雄弁になって手紙を書いている姿を見る。
上部オーストリアに、
歌手のミヒャエル・フォーグルと一緒に訪れた休暇。
それも終わりになって、彼はヴィーンを遠く離れ、
そこで見たものによって元気を回復していた。
彼の信条としての自然の観察はさらに深まり、
この短文には、シューベルトの作曲時の関心ごとが、
図らずも要約されているように見える。」

手紙から、作曲家の傾向を読み取るという趣向の解説である。
「このように、川は、多くの彼の音楽において、
水にちなんだ作品の主題となるのみならず、
美しい転調のように蛇行して、
花咲く野ばらのような様々な色彩の和音によって豊かさを増し、
また、リボンをかけられた小道によって、歌の花束にまとめられる。
絶え間なき向上心と修養によって聳える山々は、
まるで、花園の監視人のようで、
その山々に囲まれて守られているのは、
花園の谷間だけではなく、シューベルト自身の天才なのだ。
作曲家は、その素晴らしい楽園を、
想像力の可能性によって得られた力によって、
鳥瞰するように見つめている。」

gardenとあるが、庭なのか、公園なのか、楽園なのか、
釈然としないが、それらの比喩として読んでみた。
「シューベルトの『楽園を想像して下さい』という言葉は、非常に意味深い。
彼は楽園について、また、そこに存在するものについても、
考えなければならなかったが、
(我々は、多くの歌が主に大都市にて書かれたことを知っている。)
今、最大のスケールで実際の光景を見る機会を得た。
いわゆる定住型の作曲家が、登山をし、
また、並木道を何時間も歩いているのを想像するのは難しい。
ステッキをもって大またで歩くより、
パイプを持ってぶらぶら歩く方が、彼のスタイルだっただろう。
しかし、ブラームスやヴォルフのような後継者同様、
シューベルトは、自然と向かい合う機会を楽しみ、
そこに実際、歌曲の作曲に生き生きとした霊感を与えるような、
再生力の実体験をしていた。」

このように、1825年の手紙は、雄大な自然と交感する作曲家が描かれた。
が、翌年のものは寂しい。

「1826年の5月の終わりにヴィーンで書かれた手紙は、
都会での光に親しむ作曲家の姿を伝える。
『僕はまったく仕事をしていない。
ここの気候はひどいものだ。
太陽の光が差さず、全能の神が我らを完全に見放したようだ。
五月、公園に座ることも出来ない。
恐ろしい、ひどい、ぞっとする!
僕にとって、何よりも最も残酷なことだ。』
気候が狂うと、作曲家の計画にも邪魔が入ることの証拠がここにある。
彼は仕事が出来なかったのだ。
彼は5月の終わりに病気になっていて、
寒さと湿度が心身ともに悪影響を及ぼした。
おそらく、午後か夕方に、公園に座ることが、
毎日の楽しみであって、これが彼をリフレッシュさせ、
翌日の朝の仕事を続ける助けになったことは明らかだ。」
このように、ジョンソンは、シューベルトがいかに、
自然から多くを汲み取っていたかを論証しているのである。

ここからは、少し、植物の方に、話題が逸れる。
というか、こちらが、本来のCDタイトルに相応しいのだが。
「シューベルトが、どれほど、花や木や植物などについて、
知っていたかの手がかりは少ないが、
自然の世界について、たぶん、物知りだったのだろう。
当時のヴィーンは小さな都市だったので、田園地帯には簡単に行けた。
以下に示す目録
(シューベルトの歌曲のイメージを主題と比喩で理解するための第一歩)
からも、他の人の作った詩を音楽にする時に、
彼が日々、自然から得たイメージを、
利用していたことは明らかだ。
もちろん、これらの詩の言葉は彼自身の言葉ではないので、
いろいろな木や草花の名前が、正しく独特なイメージを喚起していたかを、
確かめることは出来ない。
それにもかかわらず、シューベルトは大地の果実の美しさに対し、
十分、注意を払い、多数の植物に対する名前に親しみ、これを利用することになった。
この目録の目的は、作曲を日々の仕事としていたシューベルトの生活における、
自然世界の各構成要素を一瞥することにある。
とりわけ、木々、花々、果実、そしてその他の植物など、
こうした世界の中にあって彼は、作曲家として人間として仕事をし、
また、行動をしていたのである。」
ここで、目録とあるのは、このCDの解説には、
どの花が、どの曲に出てくるかの、
ものすごい対照表が出てくるからである。

「北国の森、オーストリア的な山々など、ドイツ的な植生に偏りがあるものの、
花や木やハーブの種類は、英語圏のシューベルトファンにも親しいものである。
田園はもちろんのこと、花や蕾や木立など、普通の言葉に関しては、
シューベルトの長大な作品は、沢山の詩句からなるため、
この小さな用語索引は、どうしても選ばれたものにならざるを得なかった。
詩人の名前は、同じ名前の詩の混同を避けるときのみに付した。
あるケースでは、花のイメージは、詩の本質的な意味となるが、
多くの場合、偶然の産物で一時の装飾でしかない。
しかしまた一方で、静かに野原に育成する百合は、しばしば、
作曲家の生きていた時代の作曲家自身を表しているように思われてきた。
シューベルトが、栄光のソロモン王のように、静かに金の糸を紡いでいた間、
友人たちからは、のんびり暮らしていると思われていたのである。」

以下、前述のように、シューベルトがあつかった、植物に関する単語と、
それが出てくる曲との、一覧表が7ページにわたって続く。

例えば、先に出てきた「百合」は、Der Abend、Der Modabend、Frulingslied、
Huldigung、Schwestergruss、Viola、Wiegenliedに登場するという。

ここで、Viola(すみれ D786)を見てみたが、
春の訪れで、
「ばらが枝を伸ばし、百合が頭を出し、チューリップとヒヤシンスが背を伸ばし」
という感じで出てくるにすぎないのだが。

とにかく、こんなちょい役でも網羅した、この表こそが、
このCDの宝かもしれないが、とても、ここでは紹介できない。

このCD、ソプラノのロットも、すっかり妖精の女王のような風情で、
しゃれたデザインである。何にもたれているのかは分からないが、
青い花、青い装束が、いかにもドイツ・ロマン派を想起させる。

歌い口もこの風情にぴったりで、とても愛らしく、澄んでいて嫌味がない。
少し、声の張りに陰りが見られるが、返って落ち着いた感じもあって、
悪くはない。

解説は、前述のように超ド級のリスト付きであるが、何故、
このような歌を集めて、ロットが歌っているか、
そういったことは皆目分からない。
とにかく、グレアム・ジョンソンの頭には、
シューベルトしかなく、その音楽を語りたくて仕方がないのである。

という風に、リストが最も早く編曲したシューベルト歌曲は、
このような素性、内容の歌曲であったが、
メロディの美しさのみならず、意味ありげな上昇音形や、
歌詞の内容も含め、さもありなんと思われる一曲であった。
改めて、3分に満たない歌曲に、
これほどのものを詰め込んだシューベルトも凄いが、
それを解放して見せたリストもよくやったという感じが、
最後の印象であった。

得られた事:「50年にわたり、シューベルトを賛美したリストが、最初にその作品を編曲したのは、シューベルトの死のわずか5年後。しかも、何と、ショパンにそれを捧げている。」
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by franz310 | 2007-11-24 18:23 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その97

b0083728_20314963.jpg個人的経験:
この前紹介した、
オラヴェッツの、
「リスト・バージョンの
シューベルト」
というCDでは、
多少騒々しい
「さすらい人幻想曲」より、
「ハンガリーのメロディ」
の快演が忘れがたい。


が、あと一曲、シューベルトの連弾用行進曲を、
ピアノ独奏に編曲した、
「シューベルトの性格的大行進曲」が含まれていた。
これまた、速いテンポでぶっとばす演奏で、
リストは、ここまでやりたかったのだな、と、
妙に納得してしまう。

だが、この曲は、さらに大きな構想の作品の一部をなすものであり、
その解説を再度、引用してみよう。
「『シューベルトのハンガリーのメロディ』の成功を受け、
リストはもう一曲、シューベルトの4手ピアノ曲を、
ピアノ独奏に編曲したものをこしらえた。
これは、1846年、ほぼ同時期に三つの分冊で、
ヴィーンのディアベリによって、
4. シューベルトの大葬送行進曲
5. シューベルトの大行進曲
6. シューベルトの性格的大行進曲
として独立したタイトルで出版された。」

このような解説は、ハワードの解説と同じである。
ハワードの「Liszt The Shubert Transcriptions I」にも、
3枚組CDの3枚目には、この3曲全部が収められているのである。
(ちなみに、このCDの解説、この前は、途中までしか載せられなかったが。)

オラヴェッツは1枚しか出せなかったのを、
ハワードは9枚も同じテーマで出せたので、
資金力の差異の悲しさを感じさせた。

が、演奏は、ハワードはイギリスのレーベルに相応しいのか、
ずっと、おとなしめである。

さて、このハワードのハイペリオン盤の解説には、このようにある。

「リストのシューベルトの行進曲への関心は、
『ハンガリー行進曲』を越えて広がっており、
様々なシューベルトのピアノ連弾行進曲による、
大きな三つのピアノ曲が作られ、
その題名が示唆する以上のものとなっている。」

「ハンガリー行進曲」は、シューベルトの、
「ハンガリー風喜遊曲」の第二楽章を、
リストが編曲して勝手に名前をつけたものである。
「ハンガリー風喜遊曲」は、
これまた、「ハンガリーのメロディ」と変えられているので、
頭がおかしくなりそうだが。

引用を続ける。
改めて注釈しておくと、ここで書いているのはハワード自身である。
「異常に長大な『悲しみの行進曲』の拡大された悲しみは、
これらの中で傑出したもので、作品40/D819の、
『六つの大行進曲』の第五曲の忠実な編曲で、
原曲より、さらに深いものを見つけようとしている。」

ここでも混乱をきたす、
この第一曲は、
「大葬送行進曲」と呼ばれたり、
「悲しみの行進曲」と呼ばれたりしているからである。

それはそうと、この最後の意見はなんとも言えない。

こんな風に書かれて、シューベルトの原曲を聞きなおすと、
元のシューベルト作の「6つの大行進曲」そのものが、
50分を要する大曲であり、この第五曲はそこでも16分かかって、
何やら異常な音楽だと思い知らされたからである。

行進曲と言いながら、行進できるようなものではない。
リストの編曲では、18分なので、ほんの1割増量といった感じである。

もともとが桁外れの作品で、
それが、リストに強いインパクトを与えたものと思われる。
しかし、よくこんな意味不明な曲を出版者が出版したものである。
ハワードの演奏は、どちらかと言うと、シューベルト的で、
オラヴェッツのめちゃくちゃな没入が懐かしい。

「同じ曲集の第三番から作られた『大行進曲』は、
作品55/D859の『大葬送行進曲』の、
第二のゆっくりしたトリオを付加して、
さらにこれはコーダで再現される。
シューベルトの両作品は、型破りな転調で接続されている。」
「6つの大行進曲」第三番は、7分程度だが、リストは14分の作品にしている。
ゆっくりしたトリオが始まると、もうすっかり、葬送の雰囲気が立ちこめる。
しかし、もとの曲が明るい行進曲なので、最後は朗らかな凱歌になる。

「さらに形式的に複雑なのは、『性格的な大行進曲』で、
シューベルトの遺作作品121/D886の『二つの行進曲』の、
第一曲の編曲として始まり、
トリオの部分以降は、D886の第二の行進曲のトリオの編曲である。
それから、D819の第二番の最初の部分、D819/1のトリオが続く。
すべての材料が圧倒的なコンサートピースとして機能して、
復活の価値ある作品となっている。」
何と、ハワードもこの曲を一番、価値があるように書いている。
オラヴェッツがこれを取り出して弾いたのにも意味があったということか。

この作品、とにかく長いので、ハワードのように、
生一本の生真面目で弾かれると、最初の楽章から気が滅入ってしまう。

「リストは、これらの3つの行進曲に、いつものハンガリー行進曲を加えて、
『フランツ・シューベルトの4つの行進曲』として、
管弦楽バージョンも作成、さらにピアノ・デュオ版も再アレンジした。」
もう、これ以上、やらんで良いという気もするが、
やはり、この記述、非常に気になる。

オラヴェッツ盤でも、こうした記述があった。
「1859年、リストは、この3曲の行進曲に、
『ハンガリーのメロディ』からの『ハンガリー行進曲』を合わせて、
オーケストラ曲とした。
この4つの管弦楽行進曲は、1870/71に出版され、
リストはさらに4手ピアノ版のスコアも出版した。
驚くまでもなく、
これらは、オリジナル作品から大きくはずれたものとなっている。」

この3曲でも45分かかり、さらにハンガリー行進曲(6分)を加えて、
オーケストラで演奏したら、さぞかし、凄い交響曲として鳴り響いたであろう。
確かに、3曲目のこれはスケルツォのような楽想。
資料によると、1846年とあり、4手用は、1879?となっている。
リストの胸の中では、もう一つのシューベルトの交響曲が、
ここから生まれたのであろうか。しかし、終曲が、ハンガリー行進曲だとすると、
非常にやばそうな作品。ベルリオーズを想起させる。

などと考えていたら、この曲のCDが、
廉価レーベルARTE NOVAから出ているのを発見した。

が、期待とは違って、ここでは、各曲は幾分、短くなっていて、
順番も入れ替わっている。私が予想したような桁外れな作品ではない。

演奏も、二人でお互いに遠慮があるのであろうか、
ますます、親密なシューベルト風になっていて、
オラヴェッツに聞いたような、陶酔状態にまでは至っていない。

残念ながら、CDにサール番号の記載がないので、
実際のところ、確証はないのだが、
最後にハンガリー行進曲を収めて、
全曲で30分を越える大曲であるのは確か。
管弦楽版にしたら、そこそこの大交響曲かもしれない。

前述のように、順番の入れ替えがあって、
第一楽章に相当する第一曲は、ピアノ独奏版の二曲目である。
したがって、いきなり大げさな悲しみで始まるわけではないので、
ひょっとしたら、こちらの方が、聞きやすい順番かもしれない。

が、この、じゃんじゃらじゃんじゃらと、
けたたましいヴィヴァーチェの曲は、
元気にエネルギーを渦巻かせるのはいいが、
いささか荘重さには欠ける。
だが、途中、ファンファーレのような楽節も現れ、
管弦楽版が聞いてみたいものだ。
曲想はいろいろと変わるので、これらをどのような楽器で処理したか、
それを想像してみるのも面白い。
コーダの駆け込みも、オーケストラで聴き栄えするかもしれない。

ということで、第二楽章に位置することになったので、
葬送行進曲風の「悲しみの行進曲」も「英雄交響曲」を想起させる。
12分もかけて、悲痛なテーマが流れて行く。
最後も奈落の底に落ちていくようなトレモロが鳴り響く。

この絶望から一転し、第三曲は「Reitermarsch」。
騎兵行進曲と訳すべきか。とても、元気のよい作品で、
前の楽章とのつながりはまったく感じられない。
だが、「英雄交響曲」もそうだった。

この騎兵行進曲が、オラヴェッツが弾いていたものであるが、
4手になって、ふくよかになって、
研ぎ澄まされた感じがなくなったような気がする。

管弦楽化した時のふくらみはあまり想像できない。
それにしても、4手曲を2手用にして、さらに、
4手に戻すというのは、かの有名な老舗、「赤福」ではないが、
1回冷凍保存して解凍したような感じがしないわけでもない。
が、オラヴェッツによって、何となく、この曲集の聴き方が変わったので、
リストがやりたかったことを何となく想像することは出来る。

最後は、にぎやかに駆け抜けて終わる。

四楽章形式で理解すると、フィナーレに相当するのが、
「ハンガリー風喜遊曲」からの行進曲。
気味の悪い前奏がついて、恐ろしくものものしい音楽になっている。
これも、途中、ファンファーレがあって曲想が変わる。
ピアニスティックな名技性を誇示する装飾が聞かれるが、
ピッコロやフルートが華やかに行進曲を彩ったに違いない。
最後に和音を叩きつけて終わる盛り上がり方も、
管弦楽なら、きっと聴き栄えのするものであろう。

私は興味津々で、このように好意的に妄想しているが、
シューベルト愛好家でなければ、
あるいは、全曲聴きとおすのは苦痛かもしれない。

この曲、1870年に管弦楽版が出来たというから、
リスト後期の仕事である。
だが、この前書いたように、
リスト晩年は、非常に、禁欲的な作風に移行し、
こうしたやばい作品には似つかわしくないのだが。
いったい、どんな機会での演奏を狙っていたのだろうか。

ヨアヒムが「グラン・デュオ」を交響曲として発表したのが1855年。
長い眠りから覚めた「未完成交響曲」が初演されたのが、1865年。
これは、こうした系列にあるのかないのか。

では、このCDの解説を見てみよう。
「『Vormarz』に先立つ(3月革命以前)時代、
ヴィーンでは、貴族の豪華な邸宅での催しが増え、
中産階級の手による新しい試みが音楽界をにぎわした。
こうした背景下、ナポレオン以降のメッテルニヒの厳しい治世を逃れ、
家族や友人に囲まれた自分たちの家庭の聖域に、人々は別世界を作ろうとした。
この民営化は、素晴らしいレベルにまで熟達したアマチュア演奏家による、
室内楽の演奏を増加させた。
音楽的な家庭に育ったシューベルトは、
このようなプライヴェートの作品を書いたが、
親しい仲間による宴会を重視し、後期の多くの作品もそこで試演されている。
ピアノはこの新しい音楽追求に重要な楽器の一つであり、
シューベルトの捜索活動においても中心的な役割を担うことになる。
彼の書いた膨大な四手ピアノの作品は重要で、
Vetterは、『シューベルト自身、ピアノの前にパートナーとして座り、
4手ピアノの作品で友人や支持者たちの場に、
光彩を添えることを好んでいた』と書いている。
この音楽的相互作用の精神は、
大規模な『ヘ短調幻想曲 作品103』や、
『アンダンティーノ・ヴァリエ 作品84-1』や、
『ニ短調ロンド 作品138』の特性を説明するものである。」
ということで、このCD、
前半は、シューベルトのオリジナルの四手ピアノ曲3曲を集めている。
最晩年の傑作『幻想曲』こそ、大名曲であるが、後の二曲は、
このように一括で説明されても困るほど記憶にない。
(「幻想曲」は、とても生き生きとした演奏で、
早めのテンポで爽やかに弾かれている。)

調べてみると、「アンダンティーノ」は、
「ハンガリー風喜遊曲」と並ぶ大作、
「フランス風喜遊曲」の第2楽章で、
作品84の2と書くべきではなかろうか。
最初は、しみじみとした、息の長い歌が古風なパヴァーヌを思わせる。
それが、何となくロシアの舞曲風になったりして面白い。

「ロンド」は、1818年の作とされ、
より平明で優美な、一連のゼレチェ作品の一つ。
極めて愛らしい作品である。

いずれにせよ、こうも時代の異なる作品を、
十把一絡げにした解説はどうかと思う。

解説を続けよう。
「この分野におけるシューベルトの傾倒は、
二人目のピアニストを加えて、名技性を与えることは狙っておらず、
いわゆるプレイオフのように、
(-a play-off, so to speak-とあるが、何のことやら分からない。)
二人の奏者に会話の可能性を加えたものであった。」
この文を書いた人を見てみると、
Heidrun Bankoseggerとあるが、David Lawrenceの訳とある。
ドイツ語の原文には、この「-」と「-」で囲まれた一文はない。
むしろ、こう読める。
「二人の奏者がテクニックの可能性の獲得に近づくのではなく、
会話を引き出し、両者の音楽を交わさせる。」

「シューベルトの4手作品は、
小さなサークルにおけるアクティブな音楽活動のために書かれ、
音楽の娯楽というコンセプトにて最高のセンスのものと見なされ、
聴衆ばかりでなく、演奏者の高揚を求めた、作曲上の洗練はあっても、
難解さは必要なかったのである。」
このあたり、味わうべきかもしれない。
演奏家と聴衆が一体となって高揚できる音楽。
確かに、これこそが、シューベルトの「ます」の五重奏曲が、
求めていた世界かもしれない。

「19世紀には、名技的な独奏者が新しい作品を支配し、
彼らが自分の好みの作品を見つけると、
ツアーに持って行かれ、レパートリーの一部とされた。
自然、彼らはコンサートホールに見合うように、
自身の能力を誇示できるように改作した。
この点で、リストは、この世紀、最も多作なアレンジャーで、
これによって、リストはこうした尺度で評価されもした。
とりわけシューベルトに関する限り、その歌曲の編曲で、
成功したものを生み出している。
リストの行ったシューベルトの4手ピアノ曲の最初は、
作品40と作品121からの行進曲で、2手用に1846年に出版された。
1859/60年には、同じように、作品40、54、121を、
オーケストラ曲に編曲し、後に4手用に編曲した。」

何?1859年?
オラヴェッツ盤には1870年とあったはずだが。
この1859年という日付は、妙に納得できる。
リストは、1859年まで、
ワイマールで宮廷楽長を勤めていたからである。
ベルリオーズと共に、ロンドン・フィルの会員になったりした頃なら、
こうしたシューベルト作品をぶっ放す機会、
あるいは、そんな気持ちになった時もあったであろう。

しかし、作曲年が確定できないということは、
演奏の記録もないということだろうか。

あと、この解説、作品54ではなくて、55ではなかろうか。
そもそもドイッチュの番号ではなく、
作品番号で書いてあるところが紛らわしい。

「歴史的な正確さと、スコアに対する忠実さを求める、
現代のコンセプトからすると、こうしたアレンジ作は、
気まぐれや、無意味な名技性の産物と見なされるかもしれないが、
前世紀(このCDは1996年のもの)の一般大衆用にとって、
ずっと個人的なサークルでしか楽しまれて来なかった作品は、
こうした形でしか、広く知られる可能性がなかったかもしれない。」

これで終わり。
この解説、包括的なのは良いが、
各曲については、まるで聴きたくなるような記述がない。
一般的な評論であって、商品に相応しい解説ではない。
もう少し、各曲に関する配慮が欲しい。

表紙デザインは、この廉価盤レーベルで良く見かける、
原色と黒のラインの単純化されたデザイン。
シューベルトもリストも無関係であろう。
が、商品としては、許容レベルかもしれない。

演奏はケルン・ピアノ・デュオという若い男女であるが、
個人名は分からない。
USAとフランスとイタリアのコンクールで賞を取ったとあり、
重要なのに埋もれた作品の復活にもこだわりがあるとある。
だから、こうして、リスト編曲のシューベルトも聞くことが出来たというわけだ。

得られた事:「聴衆と演奏家が手を取り合うように高揚する音楽は、演奏家が名技性を振りかざす音楽とは、洗練させるポイントが異なる。」
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by franz310 | 2007-11-17 20:33 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その96

b0083728_759910.jpg個人的体験:
前回、リストの作品を
整理するための、
方法について触れたが、
その中で出てきたのが、
ハンフリー・サールという、
人名であった。
前回は、作曲家、
音楽著述家と紹介したが、
その作品のCDも出ているとは
知らなかった。


改めて、前回書いたことを繰り返すと、
1. リストの作品につけられたR
1931年、ドイツのラーベがリストの作品をまとめた目録番号。

2.リストの作品につけられたS
1954年、イギリスのサールが「グローブ音楽辞典」に採用した整理番号。

3.リストの作品につけられたA~Qのつく番号。
「ニュー・グローブ音楽辞典」で採用された整理番号。

これらが使われたり使われなかったりするのが、現状だが、
ハイペリオンやナクソスなど、
リストを体系的に取り上げているレーベルのCDには、
英国発ということからか、Sナンバーが活用されている。

このSナンバーが、イニシャルとなった、
ハンフリー・サール(Humpherey Searle)の交響曲のCDを発見したので、
この人が何者か気になって、今回は、シューベルトからも、
「ます」からも大きく脱線して、これを取り上げる。

彼は、1915年に生まれ、1982年に亡くなった、
イギリスの前衛作曲家で、
ごく早い時期から、誤解されがちな作曲家、
リストの作品目録を作ったことから
予測されるべきだったかもしれないが、
非常に厳格な書法の辛口の音楽を書いたようだ。

交響曲はすべて20分ほどだが、5曲あり、
2枚のCDがあるが、最初に出たのは、
代表作「第二交響曲」をはじめ、第三、第五を収録したものを見てみよう。

Alun Francisという人が指揮するBBCスコティッシュ交響楽団の演奏。
初めて聴く曲なので、特徴を論じることは自信がないが、
鋭敏な瞬発力のある演奏のようだ。

英国の作曲家ながら、ハイペリオンのカタログにはないのに、
ドイツのcpoレーベルから出ている。
これも、オンスロウなども重点的に録音してくれている、
頼もしいレーベル。

ジャケットデザインも、なかなか、迫力と厳しさに甘さがあって、
サールの音楽の一端を示しているようで好ましい。
Lothar Bruweleitという人のデザインらしい。

解説は、David Sutton-Andersonとある。
これを見て行こう。リストと、彼は、どんば関係なのだろうか。

音楽を先に聴いたが、とても、リストと関係があるとは思えなかったが、
解説を読むと、何となく、それが分かり、愛着が沸いて来た。

「1930年代中盤における二つの強烈な音楽遭遇が、
オックスフォードのニュー・カレッジで古典を学んでいた、
作曲家の後のキャリアに影響を及ぼすこととなった。
それは、アルバン・ベルクの『ヴォツェック』の、
ボールトとBBC響による英国初演と、
フランツ・リストの音楽であった。」

ということで、いきなり、新ヴィーン学派と、
盛期ロマン派のリストが、受容された模様。
いったい、リストの何を聞いたのだろう。
そこが知りたいではないか。
が、とにかく、初っ端なら、リストあってのサールであった模様。

「当時、一般的に、最新の音楽発展事情や、
特に第二次ヴィーン学派については少ししか知られていなかったが、
若いサールは、幸い、音楽学者で、ベルクやシェーンベルクに学んだ、
テオドール・アドルノの知遇を得た。
彼は、ヴォツェック演奏のすぐ後、
ドイツからの亡命者としてオックスフォードに現れたのである。
アドルノは、サールにシェーンベルクの12音技法を紹介し、
1937年には、ウェーベルンのもとで、サールが学べるよう計らった。」

確かに37年だと、サールは若干22歳である。
この時期に受けた衝撃は大変なものであっただろう。

「リストの音楽は、一般によく知られていたが、
戦前の英国でのシェーンベルクと弟子たち同様、
ほとんど誤解されており、懐疑的に捉えられていた。
まだ学生ではあったが、サールはリストの擁護をはじめ、
後に影響力のある『リストの音楽』を著すが、
これは英語で書かれた最初の本格的著作で、
長い間、印刷されていなかった、
後期の多くの作品の再評価と出版を広く促した。」

これが、54年の音楽辞典に繋がるのであろう。
54年は、サール39歳の年で、67歳まで生きた人の、
前半生の結晶がSナンバーということになる。
ちなみに、サールの交響曲は、後述のように、
53年が最初に初演され、64年まで集中的に書かれたので、
リストの重荷を下ろして、次に取り掛かったような印象を受ける。

「このように、感じやすい発達の途上で受けた、刺激の結合が、
同僚とは異なる、サールの過激な作曲の軌道を際立たせることとなった。
厳格にひたむきに自身の道を歩み、束の間の流行は無視したサールは、
時として無視され、時として誤解され、あるいはその両方に苛まれた。
しかし、20世紀イギリスにおける音楽史の、
モダニストのリーダーとしての地位が確立され、
5つの交響曲を核とするその音楽は、
表現の容易さや形式の熟達によって印象的なものである。
近年のポスト・モダンのリベラルな観点からすれば、
もはやサールの仕事は論争にはならず、
ただ、その美しさやドラマ、深い想い、
熟達した手腕を楽しめばよいのである。」

確かに、まったく、イギリスの作曲家として、
ヴォーン=ウィリアムズやバックス、または、さらに国際的な、
ウォルトン、ティペット、ブリテンのような作風からもかけ離れている。

「このように見て来たように、
ハンフリー・サールの音楽教育は、
コンヴェンショナルなものとは言いがたい。
ウェーベルンとの5ヶ月と、
アイアランドやジャーコブと共に、
ロンドンのロイヤルカレッジで学んだ短い期間を別にすれば、
彼は独学であった。
おそらく、父方の祖父からのドイツの血による、
彼のドイツのネオ・ロマン派への傾倒から、
その初期の習作も、ヴォーン=ウィリアムズや、
その後継者たちの英国田園楽派からは離れている。
1939年までに、彼は12音技法に帰依し、
むしろ、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンなどに
忠誠を誓ったピアノ変奏曲、弦楽四重奏曲が書かれている。
シェーンベルクやベルクから、
さらに知的で敬意を払っていた巨匠から、
彼の熟達したスタイルは発展しており、
リスト風の修辞法や抒情性が、
セリーの語法の厳格で理論的な要求と調和している。
この点が、
当時のイギリスにもう一人いた12音技法の作曲家、
ウェーベルンを踏襲した、簡素で断片風のスタイルの
Elizabeth Lutyensとは異なる。
サールはあからさまに、ロマン主義者と称し、
この視点が、保守的な聴衆が、
第一交響曲(1953)の初期の演奏に当惑した点であった。
この作品は、粉砕するパワーと暴力的な表現で、
英国音楽における『恐るべき子供』として、
サールの位置づけを確固たるものにした。」

このように、サールという人は、
リストから学んだ何かによって、
「Enfant terrible」となったのである。

「40年代の遅くから50年代初頭に、
サールは声とオーケストラのための三部作、
『Gold Coast Customs』、『The Riverrun』、
『The Shadow of Cain』という大規模作を作曲した。
これらは12音技法の確かな熟達と、スタイルの成熟を示す。
構成の統一は、しかし、ここではテキストに依存し、
サールは交響曲として生じる問題に気づくこととなった。
『古典的交響曲は、』 と彼は書いている。
『12音技法では簡単に実現できない、
主調のコントラストの広がりに依存している。』
この第一交響曲では、基本的に、古典形式の手順を、
きっちりと制御することに挑戦に応じている。」

シェーンベルクもウェーベルンも、
この形式で、多楽章の交響曲は作っておらず、
その困難は用意に理解できるが、サールは、
それにチャレンジしたわけである。

「第二交響曲(1956-58)では、
しかし、彼は、強烈な音の暗示を有する音列によって、
ニの主調への引力を作品に与えた。
事実、第一楽章のソナタ形式は、
古典的な音の極性、主音の支配にしたがって、
同時に、第三楽章フィナーレでは属音を作用させ始め、
コーダが主音を解決させている。
この交響曲は、ゆっくりとした堂々たる序奏で始まり、
音列はオリジナルの形で現れる。
最初の音符はDであり、ホルンで繰り返され、
残る11音は、低音の弦とバスーンに広がっている。
これがアレグロ・モルトの主題提示部を導き、
第一楽章の主要素材となる。
力強い第一主題は、木管のモーターのリズムと、
高音の弦楽のシンコペーションで特徴づけられ、
これは、独奏クラリネットのリラックスした第二主題に続く。
展開部が始まる前に、序奏の音楽が再現するが、
ここでは、属音への移調があり、音列は転回されている。
再現部の前に、主音Dで、再度、
同じ材料によるさらなる拡大がなされ、
ここで、第一、第二主題は圧縮されて再現し、
征服された気分となる。
序奏の遠いエコーのあと、
第一主題がオリジナルの形で返って来て、
一直線に終結部に進む。」
この第二主題が、多少、メロディアスなので、
神秘的な情感が現れ、12音の音楽にしては親しみやすい。
第一主題の機械的な無機質感が、
ショスタコーヴィッチ的な闘争の音楽にも聞こえる。

「レントと指示された、第二楽章において、
不吉に繰り返される金管の和音の上を、
ヴァイオリンが叙情的で表出力の強いメロディを、
しなやかなラインで奏でる。」
これなどは、プロコフィエフの「第六」に類似したイメージ。

「転回された音列の最初の7音による、
フルオーケストラのユニゾンのフォルティシッシモで、
クライマックスが築かれる。
クライマックスが収まると、忘れがたい夜光性の中間部が始まり、
チェレスタと高音のトレモロが、
独奏管楽器のメロディ風の装飾の鳥の歌に唱和する。
バルトークの夜の音楽の回想である。」
「忘れがたい」とあるが、確かに、幻想的な瞬間。
不思議な鳥の声を彩る、怪しげにきらめく、
蛍光色の煌きがとても美しい。

「最初の部分のヴァイオリンのメロディが帰って来て、
第二のクライマックスを形成、
短いコーダでは、
『夜の音楽』の断片が、遠くから木管で聞こえる。」
この美しい楽章は、7分ほど。
すぐに終わってしまうのが残念だ。

「フィナーレでは、切れ目なく、
第一楽章の材料の展開が直ちに開始される。
これは、二つの大きな音楽パラグラフを形成し、
いずれも、低音持続音と、
大太鼓と小太鼓によって繰り返されるリズム動機に支えられた、
ドラマティックなクレッシェンドの音列で閉じられる。
これらの最後は、交響曲の序奏部の再現に道を譲り、
拡大された緩やかなコーダを先導して、
第二楽章のヴァイオリンのテーマに引き継がれる。
ここで、音楽は、穏やかになり、
威嚇するような金管の和音は消えるが、
序奏の音楽が、断固とした交響曲の主音を宣言して、
作品を力強く閉じる前に、
恍惚としたクライマックスにオーケストラは急上昇する。」
とにかく、終楽章はいろいろな素材が回帰して、
めちゃくちゃに推進していく音楽である。
演奏会で聞いたら、クライマックスの効果もあって興奮するだろう。

「第二交響曲は、作曲家の最初の妻に捧げられている。
彼女は、この作品がスケッチで完成された直後、
癌でクリスマスの日に亡くなっていた。
最初のページに、
『レスリーのために、25.12.57’』という簡単な献辞がある。
初演は翌年の10月で、プリッチャード指揮の、
ロイヤル・リヴァプール・フィルによって行われており、
この際の成功によって、直ちに次の交響曲に取り掛からせた。」
作曲家は42歳。妻の死は、何か影響しているのかいないのか。
あの、第二楽章の、神秘的な、この世ならぬ鳥の歌などは、
そうした逸話を思い起こしたくなるのだが。

第一楽章と終楽章が一続きであるような中に、
神秘的な楽章が挟まっているところなど、
確かにリスト的、いや、シューベルトの「さすらい人幻想曲」に、
端を発する着想かもしれない。

「第三交響曲では、サールは古典形式から離れ、
もっと自由なアプローチを試みた。
この三楽章作品は、リスト風の交響詩の様式で書かれているが、
音楽がプログラムや絵画の再現の奴隷になっているわけではなく、
イタリアやギリシャなどの、特別な音楽尺度を示唆している。
基音が重要な位置を占めてはいるものの、第二交響曲ほどではなく、
音楽的光景は暗く、荒れ狂っていて、心理的な緊張を示す。」
私には、交響詩的ではあるが、プログラムはない、
というロジックがよく分からない。

もともとあったヴェネチア風の第一楽章は、
59年12月に、作曲家がミュケーナイを訪れた後、
サールによると、日の光の下では、この音楽は、
Atridesの血の匂いがしすぎるとして、
破棄されている。
オックスフォードでいやいや勉強していたのに、
古代ギリシャが生き生きと突然、眼前に蘇り、
この楽章の陰気で暴力的な音楽が、
サールに反応を起こした。
オリジナルの形で音列の発端となる、ゆっくりした序奏と、
ドラマティックな戦争のように、16分音符がせわしなく、
金管のファンファーレを有するアレグロ、
それからゆっくりとした終わりのセクションからなり、
序奏での材料が拡張され、発展し、葬送行進曲の様式で終了する。
最後のクライマックスの前に、
『遠い戦争の木霊』とスコアに作曲家が注釈した、
打ちつけるように、極端な音域、
つまり、ピアニッシモのティンパニと、
ダブルベースのオスティナートの上を、
高いぎこちない木管とヴァイオリンが奏される形で、
オリジナルの音列が進行する。」
これも、6分ほどの音楽なので、うっかりすると、
ここに書いてあるようなことは聞き逃してしまう。
とにかく、何だか陰鬱な音楽であることは確か。
破棄したものとどれくらい差があるか、定かではないが。

「サールは中間の楽章を『タランテラ』と呼び、
(もともとは、『Festa e Bora』と題された)
『アルプスからトリエステへ吹き降ろす激しい風が中断する』
と書いている。
この傑作は、サールのどの作品よりもカラフルで熱狂的、
三つのアイデアが展開され、結合する。
それは、楽章を開始するタランテラで、
このリズムはこの楽章全体を支配する。
宗教的な行進の、騒々しいパロディであり、
金管やバスドラムが高らかに鳴る行進曲。
木管と弦が風を描写して音階を旋回する。
楽章の2/3で、銅鑼が鳴り、シンバルがクラッシュして、
台風の目を表わすが、勢いが弱まることはなく、
フルオーケストラによるタランテラのリズムの大混乱の再現となって、
突然終局を迎える。」
こんなに、沢山のことが、この5分ばかりの音楽の中で起こるのだが、
何だか騒々しい中間楽章という以上の印象はない。
この解説を読む限り、
サールにはもっと豊かなイマジネーションがあったようだが。

「第三楽章は、『ヴェネチア湾、満月の夜、
穏やかな暗い水の上を、横切った時に着想された、
夜想曲(Notturno langunare)。
聖フランチェスコの島が、ベックリンの『死の島』を想起させた。』」
このように、この楽章も、非常に明瞭な情景に触発されたようだが、
これは、さっきの楽章より、具体的な感じ。
まさしく、上記光景を彷彿とさせる音楽である。

「低い音域の楽器で特徴付けられた、
薄暗い陰気な音楽で、中間部では、
波打つアルペッジョのバス・クラリネットの上を
感動的に、コーラングレと、
めったに使われないバリトン・オーボエが奏でるデュエットを含む。
この単純で簡素な音楽は、リスト晩年のピアノ曲、
『悲しみのゴンドラ第一番』を想起させる。」
おお、さすがにリスト気違い!
こんなところにリスト風が出てくるとは。

しかし、ちょっとこの第三交響曲、地味すぎないだろうか。
確かに、木管楽器のデュエットは神秘的な美しさを誇っている。
どうやら、サールの本領は夜の音楽にあるようだ。
が、これは、何を意味するデュエットであろうか。
終わり近くで、この部分の再現があるが、今回は、
コーラングレでしか歌われない。
バリトン・オーボエは死んでしまったのだろうか。

「第三交響曲は、1960年のエディンバラ音楽祭で、
やはりプリッチャードの指揮で初演された。」

「サールは自身の指揮で、2年後に、
第四交響曲をバーミンガム市のオーケストラで初演、
これは、テーマの材料の極度の節約、
まばらなテクスチャーが探索され、
この実験は、厳しくコントロールされながら、
豊かな情感を持った成熟につながり、
第五交響曲、オペラ『ハムレット』、
オクサス、迷宮、フビライ・ハーンなどが書かれた。」

ということで、成熟した作品である、最後の交響曲、
第五番に来た。
「作曲家の二番目の妻、フィオナは、1964年、
南アフリカのゴードン湾に、
友人を訪問した時のことを覚えている。
インド洋の美しい光景を見晴らす庭に座っていた作曲家は、
突如、数分間、トランス状態となって、
パーティ集がランチに戻る時に、
妻に向かって『第五の着想を得た』と、語ったのである。」
この作品も、第三と同様、着想のシーンがやたら美しい。
が、第二、第三のような激しさはなく、より、
温和な美しさが支配している、
64年といえば、作曲家は50歳を前にした年。
ようやく、安定した美学を手中にしたのか、あるいは、
闘争心を失ったのか。
が、一番聞きやすい音楽になっている。
シェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」を思い出すような作品だ。
が、ウェーベルンの思い出に捧げられている。
この曲は単一楽章だから、CDのトラックがなく、
17分間、下記の解説を参照するには、ひたすら付いていく必要がある。

「ウェーベルンの思い出に捧げられているが、
これは、『おそらく、山々に取り囲まれた入り江を眺めているうちに、
自然を愛したウェーベルンを思い出したのでしょう』と、
サールは書いている。
『彼は、非常に自然を愛していました。
若い頃、オーストリアの山々の中で育ったから』。」
ずいぶん、ぶっとんだ着想である。
南アフリカから、オーストリアの山岳地帯を連想したとは。

「しかし、ここにウェーベルンの影響を見出すことは間違っている。
サールの先生とは、ごくわずかな関係があるのは確かだが、
この自信作には、沢山の影響が消化されていて、
まごう事なき彼自身の語法の進歩が見られる。
曲は恐ろしいスピードで書き上げられ、1964年10月、
ローレンス・レナードによってハレで初演された。
曲は、アーチ状に5つの部分が連続し、
序奏(アンダンテ)、アレグロ1、モデラート、アレグロ2、
コーダ(アダージョ)からなる。
霊妙な音楽が開始するように、ゆっくりと展開され、
オーケストラは下降する。
そのラインは興奮し、不協和の和音となり、
第一アレグロが低いC音のチューバで始まり、
行進曲調の低音弦で付点リズムの動機を奏する。
これは、もっとデリケートで繊細な、木管独奏、ハープ、
チェレスタ、独奏弦楽器の音楽に代わり、
この二つの要素がロンドの構成、A、B、A、B、Aを取る。
ここで、Bの再現は、フルスコアで、モルト・ペルペチュオで駆け巡る。
投影進行時には開始部の音域から次第にシフトして行く。
このアレグロセクションは、
ピアノとグロッケンシュピールのトレモロを伴う、
ピッコロとヴァイオリンで持続する高音のDで終わり、
この静かなトレモロが持続して中心のモデラートに移行する。
この部分は、『伝記』と見なされる部分で、
明らかにウェーベルン初期の無調のスタイル
(オスティナートとメロディの断片の繰り返しなど)や、
戦前のヴィーン(ワルツの残影)、
さらに、終戦時、米国の解放軍兵士による、
作曲家の悲劇的なアクシデントでの死(ミリタリードラム)、
などをヒントとしている。
この音楽の夢のような質感は、
弦楽による新しいアイデアによって中断され、
第二セクションからの材料を、本質的には、
拡張して展開した要素を接合するように働く、
第二のアレグロが始まる。
アレグロ1からのAの部分の音楽が、途中、
アップテンポのジャズ風変奏(まったくウェーベルン的ではない)がある。
それを打ち切るクライマックスの後、
コーダでは、序奏の静かな性格を取り戻す。
ここでは、開始部の音列はバスーン、バス・クラリネット、
コーラングレ、そして最後は高音の弦、木管によって、
反対方向に演奏され、戦後最も重要で、エキサイティングな、
交響曲サイクルの全曲を締めくくる。」

確かに、この曲は、この3曲の中で、
最も大きな構想を凝集している感じがする。
このように自然や人間世界などを一まとめに包含しつつ、
かつ雄大に発展させる発想は、あるいは、
シューベルト-リスト・ラインから学んだものであろうか。

ゴンドラを例にとってみても、
シューベルトの「ゴンドラを漕ぐ人」に始まった、
自然と人の交流、そして、幻視の音楽化の系譜が、
リストのピアノ曲、サールの交響曲と受け継がれて来た様が、
今回のCDを巡る旅からも実感できた次第。

同時に、サールがリストを紹介したように、
リストはシューベルトの普及に尽力した。
こんなことにも、何だか、感じ入ってしまった。

サールの交響曲自体、
十分、復活する価値を有するものであることも、
ここで改めて、強調しておきたい。

得られた事:「イギリスの作曲家サールは、リストの音楽を整理しただけではなく、それを自作にも反映し、異色の12音技法の作品群を作り上げた。」
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by franz310 | 2007-11-11 08:00 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その95

b0083728_21375274.jpg個人的経験:
前回、リスト編曲による、
シューベルト作品、
「ハンガリーのメロディ」を
紹介したところで、
文字数が尽きてしまったが、
同じ作品のCDが、
例のハンガリーの名門、
フンガロトンから
出ている。


ここで、またまた脱線して、こちらのCDにも触れてみよう。
このCDは第一印象から、完全にいかれている。
4つ手がある、中年長髪ピアニストが、
まるでカエルみたいに、こちらを凝視し、
ピアノの上に張り付いている構図の写真があしらわれ、
まったくもって美しくない。

少なくとも、誰かに上げたら笑われそうである。

GYORGY ORAVECZという人で、1963年のブタペスト生まれ、
録音が2003年とあるので、40歳の録音である。
イシュトヴァーン・ラントシュや、ゾルターン・コチシュに学んだとある。
コチシュと言えば、ハンガリーの若手三羽烏として、
若々しい風貌ばかりが記憶に残っているが、
こんな恐ろしげな弟子を隠し持っていたのである。

「コンサートホールで成功を約束する才能」と、
このコチシュが褒めているらしい。
「ヴィルトゥオーゾの技巧、様式的な落ち着き、
音楽的個性の独自性」を挙げているが、
聴いてみると、それがよく分かる。
非常に硬質なタッチで、確信に満ちて、
素晴らしい推進力で弾き進める音楽は、
何となく、ハワード以上にリストらしい感じがする。

1985年に、ハンガリーラジオのコンクールで、
これまたハンガリーの名手、シフラの賞を受けているというから、
国内では知られた名手と思われる。

しかし、このCD、不思議なのは、
ハワードが94年に録音している「ハンガリーのメロディ」や、
97年に録音している「さすらい人幻想曲」を収めたものでありながら、
何故か、1stRECORDINGを強調していることである。
前回紹介した、ハワードの「ハンガリーのメロディ」は、
サールの整理番号でS425 とあるが、
こちらのオラヴェッツ盤には、S425、R250、LW A48とある。
Sは、1954年の「グローブ音楽辞典」に、イギリスの作曲家、音楽著述家の、
ハンフリー・サールが採用した整理番号である。
しかし、サールは音楽学者ではなく、以前に、ドイツの音楽学者、
ペーター・ラーベが1931年にまとめた作品目録ラーベ番号を、
再整理したにすぎないとされる。R250のRはラーベを意味する。
したがって、この二つは基本的に同じ作品には同じものが付くはずである。

また、サールの場合、
「オリジナル」と「編曲」の二つに分けたりしている点が問題で、
(ピアノ独奏曲の場合S100番、200番台がオリジナルで、
S300~500番台は編曲作品となっている。
このシューベルト作品も400番台、500番台のナンバーだ。)
しかし、リストのように、同じ作品を何度も改訂している場合、
こうした分類には障害が出ることから、
「ニュー・グローブ音楽辞典」では、また、別の分類ナンバーが、
採用されたという、このA48というのは、それを示している。
LWとは、それを示す記号と思われるが、何の略かは分からない。

この作品を表わす、番号であるが、
この二人の演奏家による「さすらい人幻想曲」など、
混乱の極み。
このブログシリーズでも、管弦楽伴奏をつけた版は紹介したが、
さらに4手版を作曲したとあっても、ピアノ独奏版は、
初耳であった。
しかし、ピアノ独奏曲全集を作っている、
ハワードが、ちゃんと、これを録音しているので、
聞いたことがない、4手版より、ずっと、私には実在性が高い。

が、ピアノ独奏曲をピアノ協奏曲や4手用に編曲したくなっても、
何ゆえに、ピアノ独奏用に書き直す必要があるのだろうか。

この曲、ハワード盤には、S565aとあるが、
S565は、作品表には「ミュラー歌曲集」とあるが、
この「a」とは何なのか。
いい加減にして欲しい。

一方、オラヴェッツ盤には、S-、R-、LW U17とある。
「ニュー・グローブ音楽辞典」では、
前述のように、「ハンガリーのメロディ」は、
A48として分類されているが、
「さすらい人幻想曲」は、「U17」?この「U」って何だ。
また、S-ということは、Sナンバーなしということ?

私が持っている本では、そう明記されているわけではないが、
この「ニュー・グローブ」による分類では、
Aはピアノ独奏曲、Bは連弾、Cは2台ピアノ、Dは室内楽、
Eはオルガン、Fはオルガンとその他、Gは管弦楽、
Hは協奏曲、Iは管弦楽合唱、Jは宗教合唱、
Kは宗教的独唱、L、Mは世俗合唱、Nは歌曲、
Oはオペラ、Pはメロドラマ、Qは未完成作品が、
それぞれ対応づけされているようだが、
この「U」は、何なのだ?

このCD製作者も、おそらく最後の手段と思ったか、
利用した楽譜まで記載している。
つまり、「さすらい人」は、
シュトゥットガルトのCotta社が1871年に出したもの、
「ハンガリー」は、ディアベリが1840、41に出したものとある。
ファースト・レコーディングの信憑性を高めようとしているということか。
さしものハワード盤も、ここまでの記載はない。
ハワード盤の最大の弱点は、この年代意識の低さにある。
何年のもの、という解説がない点が歯がゆい。

このフンガロトン盤は、少なくともそれを補ってくれる。
解説も比較的丁寧で、好感が持てる。

「リストは、1822年から3年にかけて、ヴィーンにおいて、
チェルニーやシューベルトが音楽理論を学んだサリエリに師事していたから、
早い時期からシューベルトの作曲した作品に出会っていたのであろう。
さらに、のちに1830年代には、彼と、その恋人のマリー・ダグーは、
シューベルト歌曲の愛好家となり、プライヴェートな集まりでも、
演奏会でも、リストはその伴奏をするのを好むようになっていた。」
リストが伴奏するシューベルト歌曲!
なかなか魅力的な光景であるが、肝心の歌手は誰だったのか。

「さらに、彼は50曲に及ぶ歌曲のピアノ曲集を作り、
それをピアノ独奏で演奏もした。
一連の歌曲は、1833年の『ばら』を皮切りに、
1837年から46年にかけて、
数種のシューベルト歌曲アレンジ集を生み出した。
これは、オリジナルの歌曲より、
実際、ポピュラーとなった。
リストはシューベルトの器楽曲を熟知しており、
1838年から48年に公開で演奏した曲目カタログ、
「Programme general」でも、シューベルトの名前は、
ソナタ、三重奏曲、幻想曲や行進曲のジャンルで見つけることができる。」
まさか、このCDで、こうした情報が得られるとは思わなかった。
リストは、シューベルトのソナタや室内楽(トリオ)も、
演奏していたのである。

が、このシリーズの主題である、
ピアノ五重奏曲「ます」は、演奏していないことが、
何となく伺われるような状況になってしまった。
が、逆に、このピアノの鬼神が、
たまには室内楽を演奏していたことも分かったわけである。

「シューベルトの作品による編曲作品も、
これらの作品に混ざって見つけられる。
例えば、シューベルトの小さなワルツを集めた、
『ヴィーンの夜会』は、演奏会での評価を高めたし、
ピアノと管弦楽のための『さすらい人』幻想曲も、
ピアノと管弦楽のための様々な演奏会で取り上げられた。
また、シューベルトの4手作品の行進曲や喜遊曲の部分を、
集めてアレンジしたものもある。
リストはさらにシューベルトの、
2手、4手のピアノ作品の校訂でも貢献し、
このCDでは、リストの編曲、
または、校訂したシューベルトの器楽曲を含む。」
ということは、この「Edition」(校訂版)が、
先の、さすらい人幻想曲の「U」マークということだろうか。

「興味深いことに、リストが作曲した、
最初のハンガリーの主題のピアノ曲は、
初期の断片Zum Andenken(1831)を除くと、
シューベルト編曲作である、
作品54の4手ピアノの喜遊曲に基づく、
『シューベルトのハンガリーのメロディ』
(Raabe 250、Searle 425、 LW A48)なのである。
この3楽章からなる『ハンガリーのスタイル』の喜遊曲は、
1826年に最初出版され、
エステルハーツィ伯の領地、
上部ハンガリーのツェリス(現スロヴァキアのZeliezovce)
のメロディをシューベルトは利用した。
リストは、1838年、
ペストを襲ったドナウ大洪水によって引き起こされた、
彼の故郷、ハンガリーへの想いの高まりと一緒になって、
このシューベルトの作品の理解を深め、
この作品に取り掛かった。
最初の伝記作者リナ・ラーマンによると、
1838年に早くも、
この作品をヴィーンでのチャリティー・コンサートで演奏している。
しかし、1839年遅くに、
一連のヴィーンでの演奏会とハンガリーへの出立にあたって、
この作品は彼の関心に止ったと思われる。
1839年12月14日のヴィーンでの最終演奏会で、
彼はこれを演奏し、批評家が言うように、
『魅惑的で完全な流儀』によって、
アンコールに応えなければならなかった。」
リストはついていたような気がする。
ハンガリーに大衆の目が行っている時に、
その場所を喚起させる音楽をこしらえて演奏したのだから、
環境は最高に整っていた。

「ヴィーンの出版者、ハスリンガーとディアベリは、直ちに、
ハンガリーのメロディによる編曲や曲集でリストと契約した。
これまでのところ、リストの手稿が出てきていないので、
これらの作品が何時出来たかは、正確にはわからないが、
第二楽章だけは、1839年12月25日に、
ペストで書いたマリー・ダグーへの手紙によって、
12月19日と22日のコンサートの合間に、
プレスブルク(現ブラティスラヴァ)のホテルで
書いたことが分かっている。
ディアベリは三つの楽章を分冊の形で分けて出版し、
アンダンテ(第一楽章)と行進曲(第二楽章)は、
1840年の1月に、
終楽章アレグレットは、まる1年してから出された。
リストは、そのヨーロッパ中の演奏会で、
しばしばこの『ハンガリーのメロディ』や、
その中の一曲をアンコールで演奏した。
1846年には、特にヴィーンでこの曲が取り上げられた時、
ディアベリはこの曲を簡単にした版を出版した。」
非常に、細かい日付を取り上げて、ハワードの不満をやわらげてくれる。
書いたのは、Maria Eckhardtという人である。
英訳はTunde Vajdaという人。
英語圏の名前ではないが、読みやすい。

「第一楽章アンダンテは、Maria Domokosが述べるように、
オープニングテーマは、フリギア調。
メランコリックでルバートのかかったハンガリー民謡に関係がある。
もう一つのジェストの主題は、
Verbunkosの飛び跳ねるリズムによる、
特徴的な要素に支配されている。
ここで、リストは忠実にシューベルトの4手の原曲に従うが、
ツィンバロンを模したカデンツァの拡張や、
名技性を強調している。
シューベルト作品では、第二楽章の行進曲は、
伝統的なダカーポマークによるシンプルなトリオを有し、
さらに長く重要な第一と第三楽章の間に置かれた短い楽章だが、
リストはこの部分は単純なアレンジでは満足しなかった。
彼は単純な繰り返しに変化をつけ、さらに形式的に大きな改良として、
変イ長調のトリオの主題の材料を使って、意気揚々としたコーダを作り、
ハ短調の行進曲の終わりをハ長調にしている。
この形で、この作品は独立した作品となり、
少しずつ違った、いろいろなバージョンが実際、残されることとなった。」
このあたりは、ハワードの表に詳しい。

「第三楽章のアレグレットは、形式的に、
シューベルトのままでも十分複雑である。
メインの材料は、2つの間奏曲をもって3度現れ、
それぞれが、A-B-Aの形式をなし、コーダを有する。
リストは基本的に形式は変更していないが、
反復のいくつかは省略し、内部を拡張し、
特にカデンツァやコーダにおいて、
名技的要素を強調したりして、
それを自由に扱っている。」

次に、このCDの最後に収められた、
「性格的な大行進曲」についての解説が始まる。
これは、ハワードのCDにも登場する、
3曲1セットとなったものの一部である。
「『シューベルトのハンガリーのメロディ』の成功を受け、
リストはもう一曲、シューベルトの4手ピアノ曲を、
ピアノ独奏に編曲したものをこしらえた。
これは、1846年、ほぼ同時期に三つの分冊で、
ヴィーンのディアベリによって、
1. シューベルトの大葬送行進曲
2. シューベルトの大行進曲
3. シューベルトの性格的大行進曲
として独立したタイトルで出版された。
リストは、以下のシューベルトの行進曲を編曲した。
4手のための6つの大行進曲作品40(D819)の第5曲、第3曲。
4手のための2つの性格的行進曲作品121(D968B)の第1曲。
これらすべてのリストの行進曲は、すべて自由なアレンジで、
第一番、悲しみの行進曲変ホ長調は、最も原曲に近く、
しかし、他の2曲は、シューベルトが施した、
ダカーポによる伝統的三部形式では満足していない。
ここでレコーディングされた第三番ハ長調は、
主部のギャロップもリズムの6/8拍子に、
イ短調のトリオで、3度、
作品121/2の、クアジ・アレグレット、イ短調、
作品40/2からのアレグロ・マ・ノン・トロッポ、嬰へ短調、
作品40/1からのウン・ポコ・メノ・モッソ、嬰へ長調の主題が現れる。
行進曲は、アレグロ・トリオンファンテの勝利のコーダで終わる。」
このように、このCDでは、
ハワードが録音した「シューベルトの行進曲」3曲から、一曲のみが、
付録のように収録されている。
「1859年、リストは、この3曲の行進曲に、
『ハンガリーのメロディ』からの『ハンガリー行進曲』を合わせて、
オーケストラ曲とした。
この4つの管弦楽行進曲は、1870/71に出版され、
リストはさらに4手ピアノ版のスコアも出版した。
驚くまでもなく、
これらは、オリジナル作品から大きくはずれたものとなっている。」

ここからが、「さすらい人幻想曲」についての解説だが、
CDには、これが最初に収められている。
「シューベルトの作品15の『さすらい人』幻想曲(D760)もまた、
1846年、ヴィーンでの演奏会で、
初めてリストのレパートリーとして登場したが、
これは、先の行進曲が最初に出版された年でもある。
批評家によると、リストはこの、
『偉大な歌曲作曲家による深く詩的な作品』たる幻想曲を、
無比のインスピレーションをもって演奏し、
聴衆から喝采を受けた。
シューマンは、1822年作曲の、
シューベルトの大規模な幻想曲を、
作曲家がフルオーケストラを、
2手のピアノに圧縮しようとしたもの、
と表現したが、
リストもまた、同様の感じ方をしたのであろう、
それをオリジナルの形でしばしば演奏しながらも、
ピアノと管弦楽のために、シンフォニックアレンジメントを行い、
1851年に初演、57年にヴィーンで出版している。
1862年には4手ピアノ版も加えられた。
リストのこの曲に対する徹底した興味は、
ここで終わったわけではなかった。
シュトゥットガルトの出版社、コッタから、
『古典ピアノ曲の啓蒙の手引き』
と題されたシリーズの出版に、
力添えして欲しいという依頼が来たとき、
1868年、リストは、ウェーバーと、
シューベルトのピアノ曲を取り上げた。
最初のシューベルトの巻は、1871年に現れ、
その最初を飾るのが、この幻想曲であった。」

このあたりからが、リストの作品表に、
明確に現れない理由のようなものになるだろうか。
「このシリーズは、音楽学生に、
オーセンティックな技術の達成や、
作品に対する芸術的な洞察力を養うことを、
手助けすることを目的としており、
このチャンスを活かして、
リストはシューベルトの幻想曲を複写するのみならず、
演奏会を通じ、また、数回のアレンジを経て開発された、
彼自身の複雑で熟達した解釈を書き写した。」

つまり、この曲は、リストのアレンジというより、解釈であって、
教育用の材料であったというわけだ。
しかも頼まれ仕事でもあって、
大々的にリストの作品だっ、という登場の仕方ではなかったと見える。

「彼の追加(ダイナミックスの記号、アーティキュレーション、
ペダルその他の利用法)は、印刷されて明示されている。
さらに顕著な例で言えば、リストのオッシアの記譜が、
シューベルトの譜の上下に追加されており、
これらは技術的に簡単であったり、効果的であったりで、
音色を豊かにし、細部の強調などがある。
最後のフーガは、
リストの表現記号はあるものの、オリジナルのままで、
そこにはオッシアの追加はなく、
その後に、『先の楽章のリストのバージョン』というものが
つけられている。」
終楽章が、かなり違って聞こえるのは、こういった理由があったのである。

この解説は、私たちが知りたかったことを、
改めて教えてくれる。
「何故、リストはシューベルトのピアノ幻想曲を、
ピアノ曲としてアレンジすることを重要視したのか。
シューベルトのピアノと、成熟期のリストのピアノでは、
違いがあるということに、
おそらく応じたものであろう。
言い換えれば、1820年代のピアノと、
1870年代の楽器とでは異なり、
また、小さなサークルの聴衆と、
巨大なコンサート・ホールでの聴衆では、
大きな違いがあったということだ。
何よりも、それは、リスト自身が、
引き起こし、実践してきたことが、
こうした変化ではなかったか。
彼のシューベルト作品における、
解釈の自由を、彼は冒涜とは考えなかった。
何よりも、彼が愛し、尊敬した作曲家を、
こうしたやり方でより理解させることこそが、
自身の使命だと感じていた。
彼は誇りもって、『私は幻想曲の数箇所を変更し、
その終曲全部を、モダンピアノ版に改めました。
シューベルトも、これに不満を覚えないであろう、
と思えることは、私にとって光栄なことです。』」

このように、リストは、
指揮者のストコフスキーと同様の考え方をしていたのである。

b0083728_21382214.jpgさて、では、
このオラヴェッツの
CDは、
ハワードの後で、
本当に、
First recordingと、
呼べるのだろうか。
ここで、
ハワード盤の
解説を見てみよう。

全文は大変なので、この幻想曲の部分である。
「シューベルトの大幻想曲(さすらい人幻想曲として知られる)への、
リストの偏愛は、ほとんど没頭と呼んでもよいもので、
シューベルトの傑作は、テーマ発展や、多楽章を一つにまとめるなど、
リスト自身のシステムの核心を含んでいて、
1851年頃の有名なピアノとオーケストラ版、4手ピアノ版のみならず、
さらに後年、ピアノソロ版も作っている。
最初の3楽章には、変更可能なサジェッションがなされており、
ピアニスティックでない数箇所や、
19世紀中盤の鍵盤の幅を有効利用できていない部分は、
別のものに取り替えられている。
当時、実際、シューベルトから始まって、この作品は、ピアノ的ではない、
このままでは演奏不可能と、誰からも宣言されていたことを、
思い出そう。
最後のセクションで、リストは完全に違う楽譜を、
シューベルトの楽譜の後ろにプリントしており、
恐るべきアルペッジョや16分音符は、ほとんど削除され、
もっとオーケストラ的なテクスチャーに変更されている。
当然、現代では、すべての人がシューベルトのオリジナルを弾くが、
後期ロマン派の風習の証拠以上の正当な権利を有する、
この興味深い編曲なしでは、この曲は、
一般的なレパートリーにはならなかったかもしれない。」
と、このように、簡潔に同様のことが書かれている。
オリジナルの方がいい、と言ってるような直裁さが良い。
が、演奏は、この曲に限っては、ハワードの方が落ち着いた、
好ましい演奏と思える。

編曲そのものも、リストらしさが出ていて面白いが、
オラヴェッツ盤は、早すぎて騒々しい感じが、時折感じられる。
さすがのリストもあまり手がつけられなかった第二楽章も、
もっと、たっぷりと浸って聞きたいではないか。
リスト自身は、ここで、
きっと夢見るようなピアニズムを聞かせたはずだ。

1871年という年代表記がないのが、この前と同じだが、
書かれていることからして、おそらく同じ楽譜による演奏と思われる。

リスト特有のオッシアを別のもので演奏したから初録音だと言われれば、
そうかもしれないが、そんなことをすれば、
同じ楽譜から、2の数箇所乗の初録音が出来てしまう。

ではオラヴェッツ盤の演奏は必要ないかと言うと、
ピアノ特有のクリスタルな美観と、名技性が目覚しく、
「ハンガリーのメロディ」などは、絶対に、ハワードより、
オラヴェッツの方が聞き応えする。
ハワードのはテンポが遅すぎて、なかなか先に進まないが、
オラヴェッツの鮮やかな演奏では、
オリジナルと、この編曲版、両方の存在価値を感じる。

得られた事:「リストの編曲は、シューベルトの時代から進化した楽器の性能を引き出そうとしたものである。」
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by franz310 | 2007-11-03 21:38 | シューベルト