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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その72

b0083728_20324660.jpg個人的経験:
クライバーが
1920年代前半に、
フォックスに録音したという
「青きドナウ」の録音も、
幸いな事にCD化されて
いるのを発見した。

演奏は、ベルリン国立歌劇場の
オーケストラであった。

(フォックスと言うのは、アルファベットではVOXだったらしい。
アメリカの会社と同じで、大変、紛らわしい。)

クライバーは、1931年にも、
この曲をベルリン・フィルと
テレフンケンに録音しており、
これも、近年、国内盤にも復刻されて有名なものだが、
こちらは、演奏時間が8分に対し、
フォックス盤は、1.5倍、12分もの演奏時間である。

序奏が神秘的に長く、ワルツの歌いまわしも表情たっぷりで、
繰り返しも多い。

関東大震災後であるにもかかわらず、
3組入荷したレコードが、すぐになくなったというのも、
想像できるような、香気と魅惑を撒き散らしている。

あらえびすが、
「二枚四面にのんびりと吹き込んだ」
と表現したのも、即座に肯ける。

私は、これを聞きながら、
ユーゲントシュティール様式の装飾のように、
細かい線が、うねうねと、
唐草模様のように繋がって行く様子が脳裏に連想された。

そんなイメージを頭に思い描きながら、
他の曲目を、改めて聞いて見ると、
同様の美学がそこここに感じられるようだった。

クライバーの音楽では、
句読点を置きながらの泥臭い歩みや、
輪郭の太い起承転結は避けられ、
その代わりに、全ての部分が脈々と息づき、
息の軽いリズム感に浮遊しながら推移する、
一筆書きのような推進力があるような気がしてきた。

このCDのデザインは、誰のものであろうか、
こうしたあくの強い肖像画や、無骨な外見とは異なり、
紡ぎだされる音楽では、すべてのフレーズが、
何か言い足りないような風情を残しながら、
ひらりひらりと身をかわして、先に先にと流れていく。
聞き手は、それが、どのように解決するのかと、
耳をそばだてながら、音楽を追うことに夢中になってしまうのである。

このCDの解説を読むと、その音楽が、
オペレッタのような軽音楽と、マーラーのような、
シリアスでありながら甘味な音楽の融合から出てきた、
アマルガムであるかのような書き方がされていて、
妙に納得してしまった。

「1890年、ヴィーンに生まれたクライバーは、
オーストリア帝国の伝統の中で育った。
ヴィーンの他に、プラハが第二の故郷となった。
そこで彼は学び、カペルマイスターとしての、
最初の経験をした。
彼が、友人のHans Galと学校に通っていた頃の、
重要な音楽体験として、
素晴らしいムジークフェラインのホールで演奏された
マーラーの第六の作曲者自身による初演、
トリスタンやサロメといった新しい響きに魅了された、
国立劇場での古典的なオペラのレパートリー、
それに、忘れてはならないが、
有名なアン・デア・ヴィーン劇場でのオペレッタが上げられる。」

このように、19世紀のヴィーンの合流点に位置するような解釈である。

「彼は後年、『Lippen schweigen, flustern Geigen』のようなワルツの
お気に入りの調べに耳を澄ませながら、
聴衆がまるで恍惚とした鶏のように、
ふわふわと揺れ動いている様を、楽しげに回顧した。」

「クライバーは、
20世紀初めのヴィーンの音楽生活のすべての側面を、
受け継いだが、ヴィーン人としての素性を、
前面にむき出しにすることはなかった。」

確かに、ヴィーンといえば、この時代、
ワインガルトナーとか、ワルター、
クレメンス・クラウスなどが想起されるが、
クライバーがその代表選手とは、
これまで考えたことはなかった。
どちらかと言えば、ベルリンでの活動が印象に残るゆえか。
さらに、前回書いたように、この人は、ヴィーン・フィルでは、
あまり人気がなかったようであるし。

「ヴィーンの精神は、彼が指揮するどこにでも発揮された。
『オペラ舞踏会』を1925年にベルリンで再演したし、
1931年8月31日、第二次大戦の前夜には、
ブエノスアイレスで『ジプシー男爵』をリハーサルし、
『ほろ苦い体験』と妻に書き送った。
1947年、ハバナでは、プログラムに合わないという理由で、
『青きドナウ』の指揮を拒絶したかと思えば、
翌年にはロンドンでシュトラウスのワルツのレコードを作った。」

このCDでは、ヴィンナ・ワルツが集められているので、
シュトラウスとの関係を、ことさらに強調しているのであろう。
ここまで書かれると、買った方の満足度も高まるというものだ。

「驚くべきことに、ヴィーンからの亡命中にも、
リマでヴィーンの音楽家と出会ったり、
チリのサンティアゴでは、ヴィーンの森の物語のソロために、
ツィター奏者を見つけたりもした。
ウィンナワルツやオペレッタが、
クライバーのレパートリーの重要要素であったことは明瞭である。
それはしばしば、非常に個性的なプログラムの一部を占めた。」

「彼にとっては、メリーウィドウのリハーサルを、
パルシファルと同じ注意力で行うことに、
何の矛盾もなかった。
『ヴォツェック』の初演の7週間前で、
ヨハン・シュトラウスの生誕125年(100年だと思う)に当たる、
1925年のジプシー男爵の公演が、
彼の最大の成功であるということが、
これまた彼の音楽の特色を表わしている。」

音楽史の上では革命的な歌劇「ヴォツェック」の擁護者、
初演者として、闘士の如き印象が強いのだが、
録音では、ウィンナワルツの比重が高く、
肝心の「ヴォツェック」などの記録が残っていないというのも、
この人の評価が定まらない理由だろうか。

さらに、ベートーヴェンでは、同じ曲を何度も録音しているのに、
モーツァルト、シューベルトには、限られた記録しかない。
むしろチャイコフスキーを好んでいたりして、少々、東北寄りである。

「このレコーディングに、
いっぷう変わっているところがあるのも、
驚くには当たらない。
例えば、『皇帝円舞曲』や、
マーラーの指揮で知り、
指揮をする都度に作曲家に大きな満足を与えていたという
レズニチェクの『ドンナディアナ』の序曲も、
厳格で感情を排したテンポで奏される。」

厳格で感情を排したと言うか、
早いテンポで、さっさと先を急ぐところが妙にクールで、
媚びるところのない音楽であるが、
恐ろしく説得力のある、魅惑的な演奏で、
食傷することなく、繰り返し聞きたくなる類の、優れものである。

「ホイベルガーの『オペラ舞踏会』でさえも、
クライバーの解釈によって重要性を帯びるが、
『こうもり』や『ジプシー男爵』や『舞踏への招待』などに登場する、
取るに足りないメロディも同様である。
私たちは、明快なメロディラインや構成に聞きほれることが出来る。
巷で行われる、感情的なスフォルツァンドや、
わざとらしいクライマックス表現は避けられている。
『No diminuendo diplomatico, please!』」

私がオーケストラ団員なら、この指示は、どうしてよいか分からないが、
常に、こう言っていたのだろうか。

「クライバーはフレーズの終わりを軽くスイングさせて、
テンポを細かく、しかし大きく変化させて拍子を明確に取っている。
ディミヌエンドの効果なしの、この明確な拍子は、
クライバーの最後の和音の扱いによって強調され、
壮麗な効果を上げる。」
よく分からないが、ディヌミエンドなしというか、
音のダイナミックスの変化は、常時、細かく波打ち、小粋な印象を受ける。
休止も短く、常に律動することが重視されている。

最後に、例の「美しく青きドナウ」の解説があり、
10曲の収録曲の中で、これが一番、強調されている。
「いろいろな意味で驚くべきは、
このCDの最後に収められている。」
おっと、こう書いてくれると、こちらもわくわくするではないか。

「1923年のアコースティック録音は、
クライバー最初の一つであるばかりでなく、
従来にない様式で演奏されているという意味で、
非常に重要なものである。」

「驚くべき広いテンポ、
常に注意深く適用された、思い切ったグリッサンド。
ここに私たちは、クライバーのさらなる切り口を見る。
彼は、自分のビジョンを、
彼の指揮の下、演奏していた人たちに、
明確に伝えることの出来る人であった。」
これは、確かにそうかもしれないが、
本場を持って自任する人たちには、
反論の余地を与えるものであったのかも知れない。
前回述べたように、ヴィーン・フィルは、
あからさまな拒絶をすることがあった。

「『ノー、ジェントルメン!
私がやりたいのは、交響詩のようなワルツなのだ。
あなたたちはヴィーンの森で寝転がっている。
ドナウ河畔の緑の上、夏の日に、大気はきらめいている。
ヴァイオリンは、このブルー・ダニューブ・ワルツの冒頭を、
そんな風に弾いてくれないか。さあ、もう一度。』」
こんなことを言われると、
ヴィーンのオーケストラなら、
「これはワルツであって、交響詩ではありません」
と言うに決まっている。
どちらも、自分が本場だと思っているはずなので、
これはややこしいことになりそうだ。

クライバーは、ごちゃごちゃ言うなという態度を取って、
関係にしこりが残っての競演となった。

そもそも、この台詞をどこで言っていたのかは書いてないが、
このCDの解説としては、非常に分かりやすい表現と効果で、
少なくとも、この演奏の魅力を伝えているような気はする。

シューベルトの五重奏曲「ます」もまた、
高原の緑や清冽な水の流れの中で生まれ、
夏の日の風光を反映させた音楽であるが、
エーリヒ・クライバーの指導で演奏したとすると、
果たして、どんな演奏になっただろうか。

得られた事:「同じ伝統に根ざしていても、異なる音楽が生まれることがある。」
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by franz310 | 2007-05-26 20:35 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その71

b0083728_2324946.jpg個人的経験;
前回、書けなかったが、
E・クライバーの生き様を、
ここで垣間見ておきたい。

例のあらえびす著、
「名曲決定盤」では、
この往年の名匠は、
かくのごとく
表現されている。

「クライバーは欧州で一流の指揮者であることは論を俟たないが、
非常に特色のある人で、通俗音楽の中から気高き良さを抽き出すことと、
難しいものを一般人の趣味に引き下げて聴かせてくれるという
二つの違った方面に対して、不思議な才能を恵まれている。」

これは1939年に発行された日本の書物だが、
それから四半世紀も後で、オーストリアで書かれた本に、
なんと、クライバーはこう書かれている。
「むしろつまらないといってよい曲でも、
彼の手にかかると、正確に、
様々の効果を伴った音色を通して表現され、
理想的な作品にまで到達する、
その彼の手腕には全く頭を下げた。」

これは、前に取り上げた「栄光のウィーン・フィル」の中で、
往年の楽団長、オットー・シュトラッサーが書いている事で、
実際に指揮台に迎えたオーケストラサイドの感想である。

クライバーは、ヨハン・シュトラウスのワルツなどのレコードで、
広く知られていたようなので(実際、今聴いても素晴らしい)、
こうした評価が早くから定着していたのかもしれないが、
演奏を見たことがない人からも、直に接した人からも、
同じような言葉が聴かれると、まさしく、クライバーが、
そうした音楽家であったのだろうと確信させられる。

ただし、このシュトラッサーの言葉は、
実は、クライバーを賞賛するものでは、
かならずしもない、というところは特筆しておきたい。

つまり、この文章は、エーリヒ・クライバーの過酷なリハーサルや、
容赦ない要求、威圧的な態度、
頑なな姿勢の思い出の一環として書かれていて、
なんと、最後には、こうした言葉が連なる。

「しかるに夕方の本番コンサートでは実のところ
いささか失望させられるのである。
練習の時と同様、コンサートそのものも見事で
難点が少しもなかったのに、
それ以上のものにはならなかったのである。
演奏会の緊張と、聴衆の雰囲気から生ずるはずの
あの感情の盛り上がりがどうも欠けていた。」

このように一方的な話を聞かされると、
それはオーケストラの問題もあるでしょ、
と意地悪なことも言いたくなってしまう。
ヴィーン・フィルのようなプライドの高い団体であってこそ、
生じるといった問題ではなかろうか。

激しく集中したリハーサルで、
ワインガルトナーの気楽な方式と著しく異なっていたという記述、
「惰性に流れたらすべての音楽演奏は死」という指揮者の言葉、
いずれも、ヴィーン以外では、威力を発揮しそうである。

シュトラッサーが例をあげる曲目には、
次のようなものがある。

モーツァルトの「橇滑りの曲」:
トランペットにキーキーする音をさせるようにした。
ベートーヴェンの「第九」:
終楽章の頭のレチタティーボがフルトヴェングラーとは違うやり方だった。
チャイコフスキーの「第四」:
冒頭のファンファーレを激しいジグザグの動きで指揮し、
主題を空中で描き出すようにした。

第三者から見ると、何が問題か分からない。
ヴィーン・フィルの方が、変化を嫌う怠惰者に見える。

うまい具合に、これらの曲はすべてCDで聴くことが出来る。
E・クライバーは、膨大なレパートリーを誇ったが、
好きな曲は限られていたようだ。
橇滑りの曲(ドイツ舞曲):デッカのオリジナルマスターズで聴ける。
ただし、文句を言うヴィーン・フィルではなく、ケルン放送交響楽団。
すごい速いテンポ、有名なちんちんのリズムに乗って、
トランペットが、確かにひなびた音色を奏でて、素朴な味を出している。

ベートーヴェンの「第九」:同上。しかもこれはヴィーン・フィル。
確かに、フルトヴェングラーのような物々しさを払拭し、
劇的な表現を避けた感じがある。
レチタティーボにまるで威厳がなく、流動性を重んじている。
ただし、続く「歓喜の主題」の清らかな美しさは比類なく、
その流れでの上での解釈と思われる。
フルトヴェングラーの場合、
歓喜の主題は、ここまで澄み切ってはいない。
とはいえ、大見得を切ろうと張り切っていたチェロ奏者は面白くなかろう。

チャイコフスキーの「第四」:二つ聴ける。
1948年、NBC交響楽団。英テスタメント盤。
1950年、パリ音楽院管弦楽団。仏ターラ盤。

例の激しいジグザグの動きと、謎の空中図解で、
管楽器奏者は度肝を抜かれたのであろうか、
いずれも、冒頭のファンファーレの後半が、
不連続に崩壊寸前に聞こえる。

ここは軽く流して、さっさと先に行こうとする演奏が多い中、
クライバーは、明らかにここにこの曲の魂を見ていたということか。
こうしたものを見てしまった者と、見えない人とでは、
なかなか議論はかみ合わないものだ。

私は、この曲がそんなに好きではなかったが、
破綻して、血が吹きだしそうなファンファーレにせよ、
息も絶え絶えになって刻むリズムにせよ、
クライバーの演奏には、切実に胸に迫るものを感じる。
特に、ライブの放送録音であるNBC交響楽団盤は、
妙な混信もあって一般には薦められないが、
「演奏会の緊張と聴衆の雰囲気から生ずるはずの感情の盛り上がり」
が明らかに聞き取れる。

このCDは、こうした歴史的録音を手がける
ターラ(TAHRA)レーベルの10周年記念のものであり、
この脱線中ブログのシリーズの主題となる、
シューベルトが収録されているのもよい。
NBC交響楽団との「第三交響曲ニ長調」で、1946年の録音。
息子、カルロスが得意にしていた演目である。

ちなみに前回のベートーヴェンの「第二」もニ長調。
モーツァルトのニ長調、「プラハ交響曲」もクライバーは録音しており、
このヴィーン3巨匠による3曲は、
すべて、ジャーンで始まることを再確認した。

このシューベルトもまた、
非常に弾力的な演奏であるが、
ちょっと、強引な推進力である。
しかし、NBC交響楽団の響きは、
ドライで機能優先の感じがする。
こうした洒脱な作品は、やはり、
ヨーロッパのオーケストラで聞きたかった。

この旅烏指揮者の演奏、
絶妙なリズム感と、脈打つような血の流れが最高で、
息の合ったオーケストラでは、
何者にも代え難い香気を発するのである。
それが聴きたくて、CDを買い漁ってしまった。

それはともかく、この人の息子、
カルロスが、やたら少ないレパートリーの中、
シューベルトの少年時代の、この小さな交響曲を、
本当に大事にしていた理由が、
こうした父の遺品からも読み取れるではないか。

このターラ盤、そんな音響に合わせたのか、
表紙デザインも簡素なもので、
曲目すら書いていないというとんでもないものである。

とはいえ、ここでのクライバーの顔は、
柔和ですらあり、闘士のごとき逸話は、
ここからは読み取れない。

その代わり、なんと言っても、解説が強烈である。
まず、「Ten Years of Tahra」という能書きが3ページにわたって書かれ、
ここでは、往年の名演奏家の遺族の協力によって、
考古学や復元作業に似た、彼らの事業が続いて来たことを感謝し、
商業録音のような防腐剤処理のない、
新鮮で活き活きした音楽を提供できることを誇った後、
クライバーの足跡を、8ページにわたって書き下しているのである。

それをすべて引用しようとしたら、
このブログの規格オーバーになってしまった。
いずれにせよ、早くから両親を亡くし、
ナチスとの抗争によって、国も追われ、
苦難に満ちた生涯であった。

こうした人が、ヴィーンの格式などに屈するわけがないことを、
思い知らされる内容である。

得られた事:「格式の一部はマンネリズムの蓄積であり、持たざる者は、それを是正する使命を有する。」
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by franz310 | 2007-05-19 23:32 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その70

b0083728_2137165.jpg個人的経験:
近衛秀麿の評伝を
読んで知ったのだが、
彼がアメリカの
フィラデルフィアで
ベートーヴェンの
「第二交響曲」
を指揮した時、
「日本の墨絵」
のような音楽を
志向したという。

b0083728_21382432.jpg1937年の事である。
ストコフスキーは、
フィラデルフィア交響楽団に
新任のオーマンディを
迎えるにあたり、
初心に帰るための
スタンダードな演目として、
ベートーヴェンの
シリーズを企画したようだ。


しかし、「第二」だけは、オーマンディがしり込みし、
近衛に指揮の依頼が来たということである。
「そういえば君は二番が好きだといっていたねぇ」
と言われ、「一番好きだ」とはったりをかまして、
そのチャンスを得たということである。

ちなみにこのシリーズの本題であるシューベルトから、
かなり外れてしまった主題になってしまったが、
シューベルトは、近衛とは違って、本当にこの曲が好きだったようである。

少年時代からの友人、シュパウンの回想にも、こう書かれている。
「なかでもモーツァルトのト短調とか
ベートーヴェンのニ長調というような
すばらしい交響曲は、
弾く度に若いシューベルトに
実に深い印象を与え、
彼は死の直前になってもまだ、
これらの作品がどんなに彼の若い心をとらえ
感動させたか、話すのであった。」

ここで、近衛の話に戻すと、
はったりをかましたのが、
1936年の10月のこととあり、
翌年早々、ベルリンでフルトヴェングラーやクライバーに助言を求め、
再び渡米して、19日にはリハーサルを始めたとある。
この時、「日本の墨絵のような」という指示を出したのである。

オーマンディがしり込みしたりしたのは、
「第二」は、ベートーヴェンの若書きゆえに、
「ベートーヴェンらしさがあらわれていないから」ということだが、
フルトヴェングラーも、
「よほど自重しないと恥をかく」と言ったということだ。
この言葉はありえるかもしれない。

というのは、フルトヴェングラーは、
沢山のベートーヴェンの録音を残しているが、
「第二」だけがなく、レコードとして、
「ベートーヴェン交響曲全集」が完成できなかったからである。

私の学生の頃、ようやく放送録音だかが発見されて、
晴れて全曲が揃ったのが話題になったくらい、
演奏回数が少なかったものと思われる。

しかし、クライバーが、
「これは難曲だ。わしに頼んできたら断るがね」
といったというのはどうだろうか。

というのも、クライバーは、そのアドバイスの翌年、
1938年に、ベルギー国立管弦楽団と、
この曲のレコードを残しているからである。

さて、その翌年、1939年は、あの古典的名著、
野村あらえびす著「名曲決定盤」が出版されているが、
ここにも当然、この2人の名匠が取り上げられている。
ここで、クライバーの項は、私の好きな部分のひとつである。

「今から十七、八年前、ドイツのフォックスにクライバーが
『ブルー・ダニューブ・ワルツ』を
二枚四面にのんびりと吹き込んだことがあり、
それを震災直後のバラックの十字屋で聴いて、
非常に驚嘆したことがある。」
という、身近なところから書き出しているのがよい。

震災後のバラックで聴いたというのも、非常に印象的である。
さらに、この続きが強烈である。
「来たのは三組だけだったが、一組は近衛子が買い、
残る一組は、さる高貴の方がお買い上げになったと聞いている。」
とある。
近衛秀麿が、何と、この取り合いに参加していて、
かなりのレコードマニアであったことが分かる。

十七、八年前というからには、1920年頃になるはずだが、
関東大震災は1923年。
いずれにせよ、1920年代初頭の録音から、
近衛はクライバーを愛聴していたのであろう。

クライバーといえば、私の世代あたりからは、
息子のカルロスが有名で、非常な人気を博したが、
先年、この人も惜しまれつつ亡くなった。
しかし、ここでのクライバーは、父エーリヒのことである。

さらに書くと、近衛はこの後、同じ曲をレコード録音して、
「どうです、クライバーに似てるでしょう?」と言ったというのである。
「その後渡欧した近衛子は、シュトラウスに関してクライバーの忠告を
受けに行ったという噂を私は聴いている」と続くのであるが、
評伝によると、「終生の師となる」クライバーと会ったのは、
1930年のことだったらしい。

さて、この時、実は、クライバーはすでに、
「第二交響曲」で高名であったはずなのである。
なぜなら、1929年に出されたレコードでも、
彼は、ベルリン国立歌劇場の管弦楽団と、
この曲の吹き込みを行っているからである。

しかも、これは、ドイツグラモフォン(ポリドール)が、
ベルリン・フィル、ベルリン国立歌劇場管弦楽団を使って、
ベートーヴェン没後100年を記念で企画した、
交響曲全集の一貫であったから、
レコードおたくの秀麿が知らないわけがない。

しかも、クライバーが振ったのはこの曲のみ。
クライバーが、「わしなら断る」と言ったとしたら、
どうしてこの世紀の事業を引き受けたのであろうか。

他の曲は、フィッツナー、R・シュトラウスといった、
ひと世代古い、年配の高名な作曲家が振っていることからして、
当時、40歳前だったクライバーが、どれほどの評価をされていたかが、
また、近衛が、終生の師と考えたというのも分かろうというものである。

あるいは、このレコードの出来栄えが不本意で、
改めてベルギーでやり直したということであろうか。
だが、本当に自信がないなら、再録音はしなかったであろう。

それは結局、どうであったかは分からないが、
近衛が「一番好きだ」と言ったとしたら、
クライバーのこの演奏を聴いていないわけがない。

近衛の「日本の水墨画」のようなスタイルの原点が、
ここにあったとしてもおかしくはあるまい。
そう考えながら聴いてみると、どうであろうか。

ナクソス盤の解説には、こう書かれている。
「ベートーヴェンの第三交響曲は、『英雄』の名で一般的に知られているが、
より英雄的な状況から生まれだしてきたのは『第二』の方であろう。
1802年はいわゆる『ハイリゲンシュタットの遺書』の年であり、
迫り来る難聴の悲劇的な予兆にベートーヴェンは直面していた。
勇気が精神的なストレスに勝利し、
すでに、荒々しいインスピレーションが、
古典的形式の制限に立ち向かっている。
まだ、ハイドンやモーツァルトの影響は残るものの、
最終的に、陽気さが悲しみに打ち勝って、
交響曲は、完全な肯定として生み出された。」

「エーリヒ・クライバーのベルリン歌劇場管弦楽団による
第二交響曲の演奏は、
電気吹き込みの技術を利用した最初のものの一つで、
LP時代を通じて、フルトヴェングラーの仕事と同様に重視されたが、
これは意外ではなく、おそらくクライバーの読みの、
インパクトや柔軟性によるものであった。」

このように、ベートーヴェンの曲の解説から、
だんだん、クライバーの話になっていくところに、
この解説の特色がある。

「ヴィーン生まれのクライバーは、
ベルリン国立歌劇場の音楽監督として、
137回ものリハーサルを経て、
1924年にベルクの『ヴォツェック』を初演し、
このレコードがリリースされた翌年、
1930年にはニューヨーク・フィルへのデビューを
目論んでいた。
1929年は大恐慌の年で、フォルクナー、クルシェネク、
コワード、バックスやストラヴィンスキーの名作を生んだ。
熱心なベートーヴェンファンも、こうした文化的、政治的な環境から
逃れられなかった。」
と、ここでは、このレコードが生まれた、厳しい時代を想起させる。

ここからが、曲と演奏の詳細な分析となり、
このCDならではのメリットを感じた。

ちなみに、テルデックのベルギー国立管弦楽団を指揮した方のCDは、
クライバーの略歴で全4ページの解説のうち半分以上を割き、
これも非常に参考になる。

特に、
「ことにベートーヴェンは、クライバーの名を生前から
もっとも高めていたものであり、
演奏中、聴き手が興奮のあまり
失神してしまったというエピソードが
伝えられている」という一節は強烈だ。

後に有名になるショルティも、クライバーの「運命」を聴いて、
指揮者になることを決意したのだという。
ちなみに、クライバー自身は、
マーラーの「第六」の自作自演で圧倒され、
指揮者になることを決めたのであるが。

「ベートーヴェンの『第二』は、
壮大なアダージョ・モルトの序奏で始まる。
0:35の適切なクレッシェンド(しかし、この録音ではそれがない)の後、
ホルンが悲しげな弦楽と木管との応答を導く。」

始まって1分も経過する前に、
解説で、「適切な処置がなされていない」と書くのは、
いったいどういうことだろうか?

確かに、通常、劇的な緊張感を高めるこのフレーズは、
さりげなく通り過ぎ、ものものしさより、
先を急ぐ軽やかさや、柔軟性を重視しているのであろう。

「クライバーは、この応答で、巧妙に歩調を広げ、スピードを上げ、
華麗な効果を引き出している。
(1:15以降、録音技師がクリアに、
ダブルベースを拾っているのに注意されたし。)
フルオーケストラによる力強いジェスチャー(1:40)のあと、
スタッカートを加速したヴァイオリンが、
低音の弦で奏される第2主題を装飾する。」

「さらなる応答と、第1ヴァイオリンの下降音形が、
力強いアレグロ・コン・ブリオを導く(2:24)が、
ベートーヴェンによるメトロノーム表記の指示より
ここでは、少しゆっくりと演奏されている。」

「もっとも目立つパッセージの一つが、2:57で起こり、
アクセントを強調したスフォルツァンドがヴァイオリン奏者を、
興奮したスタッカートに駆り立てる(3:07)。」

このあたりになると、私の限界で日本語になっていないようにも思えるが、
クライバーの指揮とは直接関係はないし、
30秒ごとに注意を喚起する指示があるのも困ったものである。
落ち着いた鑑賞が出来ない。

「3:20の不敵な第二主題はすいすいと、
4:53の展開部を進む(提示部の繰り返しはなし)。
クライバーは、弦の高音と低音の応答を怒ったように対比させ、
ムードを高め、活気に満ちた再現部を強調し、
よく考えられたコーダ(8:35)に向かう。」

「第二楽章のラルゲットは、優しい聖歌のように始まるが、
1:55のヴァイオリンによる歌に満ちた第二のテーマが輝く。
古典的なエレガンスと、新しい音楽の結合が、
特に、ムードが暗くなるときに暗示され
(4:00。ここで、78回転レコードの裏返しによる
音楽のラインの小さな切れ目がある)、
弦楽がリズムを刻む中、フルートとバスーンが、
うつろに交代する(4:44)。」

「緊張が5:41から再び高まり、
優美な装飾として解決し、
オープニングテーマを再現させる巨大なアーチを導く。」

ここは、クライバーの演奏について、
次のように言及している。

「クライバーは、その立ち上るフルートのラインからして、
特にコーダの扱いにセンシティブである。」

「スケルツォは、かなりゆっくりと演奏され、
狩猟の雰囲気を出している。
三連の四分音符が、
弦と木管とフルオーケストラの間を楽しげに行きかう。
クライバーは、当時の慣習により、
赤ら顔のトリオ(1:47)のテンポを二つに分け、
悪戯っぽくスピードを上げて、
さりげなく前半のテンポに戻している。」

この楽章では、時間表示が一つしかない。それはそれで寂しく、
どこからスピードを上げたかを示して欲しかった。
おそらく、2:41あたりであろう。

「フィナーレは、トリルを伴う尖った主題で始まる。
たぶん、これが、同時代のライプツィヒの批評家に、この交響曲を、
『死ぬことを拒み、獰猛に四方に攻撃を仕掛けながら、
身をよじり、ひどく血まみれの瀕死の大蛇』と表現させたものであろう。
優しい第二主題は、0:24で現れ、0:47まで第二主題は、
よたよたしたヴァイオリンを伴って、木管で跳ね回る。」

この一節に到っては、難しい比喩がある割に、
演奏とは無関係である。

「5:14に転調があって、音楽が中断し、ぽっぽぽっぽと音を出して再開し、
偽りの終始と再開を繰り返して(典型的なベートーヴェンのユーモアだ)、
交響曲は終息に向う。」

結局、この楽章では、まったくクライバーの特徴は特筆されていない。

最後に、このRob Cowanという筆者は、
「クライバーのベートーヴェンの『第二』の、
もっと普通と違う特徴の一つは、弦楽の奏法にあって、
1920年の後半にしては、ポルタメントが控え目にしている点だ」
と書いているが、確かに、スポーティで、筋肉質でしなやかありながら、
優美で推進力がある。

と書くと、息子、カルロスを称える言葉にそっくりである。
とはいえ、近衛のベートーヴェンは、
こうした演奏を下敷きにしたものと推測される。

水彩画ではないかもしれないが、
やはり、近衛がオーケストラを前にして言ったという、
「私の望むのはこのやうな金色まばゆいベートーヴェンではない。
私たちはここにブロンズの逞しいベートーヴェンの像を
打ちたててみようではありませんか」という言葉に通じるものが、
感じられなくもない。

ナクソスのCDに一緒に収録されているフィッツナーの演奏を聴くと、
何だか軟弱な感じがして、逞しいブロンズ像をますます想起した。

これから、9年後、クライバー自身が、ベルギーで振ったものは、
さすがにさらに現代的な表現になっていると思う。

あるいは、想像だが、古豪の揃うベルリン歌劇場より、
新生のベルギーの団体の方が自分の意見を通しやすかったのかもしれない。

序奏からして、かみ締めるように進み、強弱の差も大きく、
音楽の恰幅もよくなったようである。
ただし、ホルンのクレッシェンドがあっさり通り過ぎるのは同じ、
快適なテンポが快く、しなやかな音楽の進行が快い。
第二楽章もたっぷりと歌われる上、立体的になっている。

ただし、残る二つの楽章はかなり違う。
第三楽章はせかせかしていて、繰り返しの省略もあるし、
トリオなどは味わいも乏しくいつの間にか終わってしまう。

第四楽章も、古き良き時代の音楽ではなくなってしまった。
呼吸も軽く、軽妙さに偏り、まったく貫禄のない音楽になっている。
コーダのテンポの上げ方も尋常ではない。

あるいは、このような二つの演奏のどちらが良いか分からず、
クライバーは近衛に、
「わしに頼んできたら断るがね」と言ったのだろうか。

大恐慌どころが、1938年といえば、ナチス・ドイツが、
オーストリアを併合する年であって、
ナチスに反対するクライバーは、
すでに次の名言を残してベルリンを去った後である。
「音楽は太陽や空気のように人間すべてのためにある。」

この録音の終楽章の落ち着きのなさに表されるように、
クライバーは、ヨーロッパでの定住の地を失って行ったのである。
近衛はこの年、渡欧し、結局、終戦まで帰国できない状況になってしまった。

さて、クライバーが、ベルリンを去る年の録音(1935年)が、
ここに併録された、ベルリン・フィルを振っての「未完成交響曲」であるという。
恐ろしく興奮した演奏で、びしびしと胸にくい込んで来るシューベルトである。

「名曲決定盤」であらえびすは、シャルク、ワルターの演奏と並べ、
クライバーの盤を、「重要なレコードとして記憶されるべき」と表現している。

得られたこと:「適度に演奏の解説が入ると助かるが、頻繁にすぎると鑑賞に集中できない。」
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by franz310 | 2007-05-12 21:38 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その69

b0083728_14531491.jpg個人的経験:
往年の大指揮者
ワインガルトナーは、
長年の研究成果を踏まえ、
止むに止まれぬ気持ちで、
ベートーヴェンの
「ハンマークラヴィーア」
を管弦楽化したようだが、
そこで使うオーケストラは、
厳密に作曲者の時代のものに
合わせたという。

それからすぐに、日本の近衛秀麿が、
シューベルトの「弦楽五重奏曲」を、
管弦楽曲化したが、この場合も、
シューベルトの交響曲を参考に、
その楽器が選択されたという。

この近衛秀麿は、この仕事を1933年に、
指揮者として、ベルリン・フィルでも披露したが、
このとき、もう一曲、日本を代表するオーケストラ曲も用意していた。
大作曲家のR・シュトラウスは、この曲に興味を持ち、
演奏後、いろいろな質問をしたと伝えられる。

この作品は、雅楽を原曲とする「越天楽」で、
秀麿の弟、直麿が雅楽の研究に勤しんでいたゆえ、
成立した音楽のようである。
この時ばかりは、当時の楽器を参考に、とは、
当然、出来なかっただろう。

もともと、この直麿という人は、ホルン奏者であったらしい。
そのホルンの名手に、薗十一郎という人がいて、
何と、宮内省楽部の笙の重鎮でもあったというのだから面白い。

直麿は、同じ宮内庁楽部の東儀家に篳篥も習いに行き、
ついに、雅楽「越天楽」を五線譜に採譜したとある。
近衛秀麿は、弟からこの楽譜を貰って、オーケストラ版を作ったのである。

どうやら日本の伝統音楽の場合、
各楽器ごとに担当する名家があったようであるし、
また、この楽器の練習というのは、
「唱歌」という擬音文字を用いて行ったらしい。

こうして、師匠から弟子へ、
口承の伝承がされている日本の音楽であるから、
遣唐使で苦労して伝授された琵琶の三秘曲に至っては、
あまりに有難い名品であったせいか、演奏の機会も限られ、
半世紀後には演奏方法が分からなくなってしまったとされる。

一方、一族が責任を持って伝承しているので、
なかなか、大ヒットにはならない代わりに、
脈々と千年もの間、太古の響きが伝わるというメリットもある。

そうした楽曲を採譜するという作業は、
おそらく、やりがいのある仕事だったのだろう。
直麿という人は、結核で若くして亡くなったようだが、
病で楽器が出来なくなってからは、
散逸した雅楽の蒐集や採譜、普及に専念した。

兄の秀麿が、「越天楽」をベルリンで披露したのは、
弟の死の翌年にあたる。
宮廷の音楽を、縁の深い家柄の兄弟が、
力を合わせて作り上げた曲であるという意味からも、
無視できない作品である。

が、そもそも雅楽とは何か、
また、その中から、何故「越天楽」でなければならないのかは、
よくわからない。
先に紹介した著書、「日本のオーケストラを作った男、近衛秀麿」によれば、
「『越天楽』は宮中でしか演奏されなかったが、
その旋律は筑前の今様『黒田節』として広く人口に膾炙している。」
などと書かれている。

ということで、この「今様」とは何かというと、
先の、曲を覚える時の記号のような「唱歌」の「チーラーロールロ」を、
「梅が枝に」といった風に分かる言葉に書き換えて、
歌えるようにしたものなど、時代ごとにアレンジした編作のようである。

明治の唱歌、賛美歌版もあるというから、恐ろしい力を持つメロディである。
(西洋音楽における「怒りの日」みたいなものか?)

シューベルトは、歌曲「ます」のメロディから、
五重奏曲という大きな楽曲を作ったが、
その逆のような現象を起こしながら、
日本中に広がったのである。

ということで、日本人の多くが知っているメロディの原曲が、
雅楽「越天楽」ということなのであろう。

雅楽とは、大陸伝来の宮廷音楽だというが、
あえて、装束も含め外国風の様式を保持しているということは、
古代、外国の客人を招いての行事の必需品だったと考えられる。

ところが、面白いことに、平安時代の国風化の影響で、
楽器類は一新されているという。

正倉院に保存されている楽器はシルクロード伝来らしいが、
一緒に来たと思われる音楽はこうして残っているのに、
その楽器では演奏されないのは、ある意味不思議なことである。
これなども、一種のトランスクリプションが行われたと言うことであろう。

もちろん、遣唐使の廃止などで、
外交儀礼が減ったということもあるだろうが、
その儀式的な様式の方は、客人をもてなすためか、ずっと受け継がれている。

その超俗的な雰囲気からして、本来の、何か神聖な音楽から、
次第に違う実用的な意味が、ここに込められていったと思われる。

それをさらにオーケストラの曲にしたということで、
ますます、その音楽の「意味」みたいなものが、
私には分からなくなっている。

調べてみると、
雅楽「越天楽」(または「越殿楽」)そのものの作曲も、諸説あるようで、
ある解説には、漢文帝または、張良の作とされ、
ある本にはタイトルは外国製で内容は国産品とある。

宗教的なものであっただろうが、儀礼的であり、
いずれにせよ、辛気臭いものではなく、目出度い曲と考えれば良いのだろう。

この曲は中学の鑑賞曲にもなっているので、
もっと、学校の先生に聞いておけばよかった。

今回、秀麿の編曲したシューベルトと比較する意味で、
このオーケストラ版を聴きながら、
はるか古代への悠久の時に思いを馳せるように、
耳を澄ませばよいのかもしれないと考えた。

ただし、どこにもそうした示唆はない。
CD解説にも、管弦楽化されたいきさつしか書いていない。
近衛秀麿は、はたして、R・シュトラウスに何と言って説明したのだろうか。

改めて、雅楽版も聞いてみたが、
笙が玄妙な音の帳を下ろし、
篳篥がぷわーっと吹き上がる所で、
この音楽は、やはり、ある意味、このオルガン的とも言える、
空間を満たす「響き」こそが重要なのではないかと考えた。

毎度ながら、トランスクリプションでは、そのあたりがやはり問題になる。
楽器そのものの響きというものが、どうしても一番に犠牲になる。

実は、このCDの解説には、近衛自身が書いた文章が出ている。

「1930~1年、滞欧に引きつぐ訪ソの旅立に、
当時、雅楽研究に浮身をやつしておった亡弟近衛直麿から
選別として送られたのが、この雅楽『越天楽』の五線譜の決定稿であった。
その稿はシベリア通過の間、車中の無柳を慰めてくれた。」

シルクロードを西から伝来した音楽が、
シベリアを通って大陸を越えて、西に向って行く様子が、
妙に印象的な一節である。

「やがてモスクワに着いて、
其処の管弦楽団の濃艶なヴィオラの音色を聴いて以来、
この日本古典のもっとも代表的な佳曲を滞欧中に編曲して、
帰途露都で演奏しようという考えが脳裏を去らなかった。」

これを読むと、彼は、当然のように、
この響きの問題を重視していたということが分かる。

当初、この雅楽の響きを管弦楽化する気はなかったようで、
モスクワの妙音が、彼にインスピレーションを与えたということと読める。

シューベルトの編曲でも、非常に原曲の響きを大切にしていて、
どうせなら、もっと派手に鳴らせばよかろうにと思ったのだが、
この音楽家にとって、「響き」にこそ、音楽の生命があるということは、
自明のことだったのであろう。

大陸の楽器を使っての古代の音楽が、
日本という国に合わせて、
国風化された楽器で「雅楽」となった時にも失われなかったものは、
おそらく、今回の編曲でも残されているのかもしれない。

しかし、日本人が「雅楽」と呼んで重視したものは、
残念ながらここからは抜け落ちてしまっている可能性が高い。

日本の音楽の特徴として、
ジャンルごとに楽器が異なるということがある。

そもそも琴と箏は異なり、
同じ箏でも、雅楽と箏曲では違うということらしく、
教会音楽でもオペラでも同じ楽器で済む西洋音楽は、
日本的感性から言えば革命的なことだったのである。

日本的感性に、恐ろしい執念を覚える。

とはいえ、秀麿のこのオーケストラ版雅楽の計画はうまく行って、
モスクワでは大うけだったということである。

このCD、「日本の現代管弦楽作品集」という3枚組で、
尾高賞30周年記念のN響コンサートの記録。
演奏も手堅く、作品も評価の定まったものがずっしりと重い。

解説も演奏会のパンフレットから持ってきているので、
内容充実、非常にありがたい。

1枚目に、盟友であると共に、
確執を残した山田耕筰の「曼荼羅の華」に続いて、
近衛の「越天楽」が収められている。
その他、伊福部、早坂、小山の土俗的管弦楽曲が並ぶ。
二枚目には尾高忠尚、小倉朗の「交響曲」、芥川のチェロと管弦楽の曲が、
大曲として収められ、アンコールのように外山の「ラプソディー」。
外山雄三は、このコンサートの指揮者でもある。

三枚目は、三善晃のヴァイオリン協奏曲から、
一柳の「空間の記憶」まで。

日本を代表する名曲が盛りだくさんだが、
交響曲、協奏曲などの大曲を除くと、
ナクソスの沼尻盤と同様の選曲となる。
つまり、ナクソスでも「越天楽」は楽しめる。

b0083728_14524968.jpgジャケットは、先のソニー盤は、
昭和を感じさせるモダンなものだったが、
デザイナーの名前がないのはどうしたことか?

一方、香港製、ナクソス盤は、
源氏物語の絵巻を採用。
裏面にちゃんと明記あり。

これは確かに日本らしい雰囲気だが、
収録曲はもっと灰汁の強いものが多い。
平安貴族が聴くと、卒倒するだろう。


得られたこと:「楽器本来の響きの中にも、音楽の命がある。」
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by franz310 | 2007-05-06 14:57 | 音楽