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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その68

b0083728_23272652.jpg個人的経験:
前回取り上げた、
マーラー編曲のシューベルトの項で、
往年の名指揮者、
ワインガルトナー(1863-1942)
の言葉を紹介した。

マーラーが1908年、ヴィーンを去った時、
宮廷歌劇場の後任になった人だが、
マーラーより3歳若いだけなのに、
30年以上も長命であった。

1937年には73歳で、
まだ平和であった日本を訪れてもいる。
あらえびすの「名曲決定盤」でも、
「先年日本を訪ねて、その指揮振りは我々にも極めて親しい。」
と書いており、
「それはよく言えば極度に磨きのかかったもので、
いわゆる形の美しさという点では、
この人以上の指揮者は当代見出されないであろう。」
と続けている。

この時代から、ベートーヴェンのレコードで知られ、
恐ろしく古い録音であるにもかかわらず、
「第八」や「第九」は、私が音楽を聴き始めた頃にも、
まだ、古典的名演として、推薦されていた。

この前、ここで、近衛秀麿について書いた時、
「客演オーケストラ数90」の記録を破った、
と書いたが、記録を保持していたのが、
このワインガルトナーである。

この人は、マーラーの改訂癖にあきれていたようだが、
自身、とんでもないものを作っている。
前回も紹介した、ベートーヴェンの第29番のピアノ・ソナタ、
通称「ハンマークラヴィーア・ソナタ」のオーケストラバージョンである。

この時代の人気の指揮者なので、
当然、録音も残していて、CD化もされている。
今回、改めてそれを聞きなおしてみた。
1930年の録音であるが
それなりに意識せず鑑賞が可能である。

表紙の写真だけでは、とても欲しくなるような商品ではないが、
これを買うのは、ワインガルトナーに興味のある人に限られ、
それ以外の人が買うと、
あまりに古い音質でがっかりするかもしれないので、
これくらいの素っ気なさの方がいいのかもしれない。
とても、人にプレゼントなど出来ないが。

そもそも、写真も顔だけなので、何をする人かも、
ここからだけでは、読み取ることすら出来ない。

私は、一緒に収録されている「三重協奏曲」も好きなので、
しかも、この珍しい編曲ものが一緒に入っていると知って、
すぐに手を伸ばしてしまったが。

ピアノ・ソナタが原曲であるから、
マーラーがシューベルトの「弦楽四重奏」を、
「弦楽オーケストラ」に編曲したものや、
近衛秀麿がシューベルトの「弦楽五重奏曲」に、
管楽器、打楽器を加えて編曲したものより、
はるかに巨大な増幅となる。
ピアノのクリスタルなタッチが、
すべて、大オーケストラに置き換えられている。

もともと、ピアノ・ソナタの常識を超える、
ベートーヴェン晩年の破天荒な大作であるから、
こうした演奏に耐える内容が詰まっていることは、
理解できなくもない。

特に、第一楽章の壮大な開始部は、原曲のピアノの限界を超え、
確かに、オーケストラ並みのスケールを感じさせるものだ。
したがって、出だしはそこそこ納得してしまったりする。

とはいえ、第二楽章のスケルツォが、
弦楽と管楽で交互に奏される点など、
ちょっと類型的にすぎないだろうか。
ひょっとすると、20世紀の編曲として聞くから、
そう聞こえるだけであって、
ベートーヴェンの時代なら、こうしたかもしれない。

圧巻は、ここだけで十数分を要する第三楽章で、
もともと、美しいなだらかな歌の楽章だから、
伸びやかな弦は、それなりの説得力があり、かつ甘美である。
しかし、後半、悲壮な感じが漂って来て、沈痛なティンパニが、
どろどろと轟くと、ちょっと、俗っぽく感じられた。

終楽章は、壮大なフーガだが、
明確な線のピアノ原曲に対し、
非常に晦渋な音のうねりに食傷気味となる。

原曲、導入の音形は、いかにもピアノの指慣らしのような楽想なのだが、
管弦楽版では、これが第九の冒頭なみに、
何か、ものものしい開始となっていて、
後期のベートーヴェンらしいが、逆に重苦しく、
原曲のアポロ的な輝かしさが失われている。

マーラーを批判し、
原典に忠実とされるワインガルトナーが、
いったい、どんな考えで、このような編曲版を作ったのか、
非常に興味深かったのだが、だいたいは、このCDの解説から、
読み取ることが出来た。

Jeremy Siepmannという人が解説を書いている。

「彼がリストの弟子であり、
後継者であるという事実から見ると、
フェリックス・ワインガルトナーに、
ロマン派黄金期と、
もっと覚めた私たちの時代の、
貴重な架け橋を見ようと思うかもしれない。
しかし、それは間違っている。
実際には、この録音で明らかなように、
ロマン派運動に照準を定め、
それを撃ち殺した最初の指揮者なのである。」
などと、いきなり物騒な書き出しである。

「ドビュッシーが彼を『新しいナイフ』と呼んだ時、
その角張った鋭利な指揮姿のこと以上のことを言っている。」
あらえびすの本では、指揮姿までは書いていなかった。

「恐ろしく一貫した、生涯にわたる芸術上の改革運動によって、
ワインガルトナーは、冷酷にも、ロマンの放縦による生成物
(目に余るルバート、不適切な内声の強調、
テンポの気まぐれな変動、オーケストラへの加筆)
と彼が見たものは、すべてひきはがして行くことによって、
巨匠たちの思い出を取り除くことに努めた。」

ロマン派の巨匠、リストに連なるにもかかわらず、
不思議なことだが、何故、ロマン派キラーになったかについては書かれていない。
だが、以下の文章からして、作曲家キラーであったことが分かる。
自身、そうした目に会っていたのであろう。

「ワインガルトナーが軽蔑していた指揮者の代表格、
有名なハンス・フォン・ビューローなどとは違って、
彼自身、熟達した多作の作曲家であった。
しかし、それは、公的には失敗し、
彼の芸術上の生活のもっとも苦い失望となっていた。
そして、それは、指揮者としての
輝かしい成功のキャリアとの間に、
大きなパラドックスとなっている。」

このようなあからさまな記述を読むと、
何故、この指揮者が、マーラーの音楽を、
『偉大さと、ほとんど我慢できないような平凡なもののミックス』
などと呼んだかが分かるような気がする。

彼には、こうした背景があったのである。
そういえば、同様に、R・シュトラウスを非常に嫌っていたことが、
「栄光のウィーン・フィル」という本にも書かれていた。
成功した作曲家は大嫌いなのであろう。

「一方の手で楽譜に対する忠実さを支持しながら、
彼は多数のカットをためらわなかった。
偉大な天才であっても、
不完全な判断をする傾向があるということを示すかのように、
特にワーグナーの作品でそれは顕著であった。」

「『私は一つの結論に至った』と彼は書いたことがあった。
『(ワーグナーの)多くのページは、
実際の時間のみならず、有機的な構造からも、
ドラマの必然、スタイルの統一という点でも長すぎる。
従って、私は適切なカットが、
審美的な喜びを大きく向上させるための、
芸術上の義務であるとも考える。』」
こんな風にワーグナーを扱ったせいか、
あまり、この人のレコードで、リスト以降の曲目は印象にない。

ここからが、問題の編曲に関しての記述である。
ちなみに解説は5ページあるが、4ページ以上が、
ハンマークラヴィーア・ソナタの編曲に割かれ、
併録の「三重協奏曲」については、
演奏者の説明がちょろちょろ程度に書かれているだけである。

「同様の精神と、さらに違った原動力によって、
彼は、ベートーヴェンの巨大な、
『ハンマークラヴィーア・ソナタ作品106』を、
違った形として完成させた。
リストのロ単調ソナタと並んで、
19世紀の全ピアノレパートリーの中で、
最も偉大なチャレンジである、
この巨大な作品は、ワインガルトナーの視点からすると、
空前の長大さや難しさを越えて、あまりもユニークであった。」

「ベートーヴェンのソナタ群の中で、
ただ一つ、『ハンマークラヴィーア』は、
その楽器の限界を超えているとワインガルトナーは言っている。
さらに彼は、偉大なリストから、
ピアニストとしての到達点を賞賛された経験を持つという権威を持って、
この判断を行った。
この作品との初期の出会いから、
この『ハンマークラヴィーア』は、
ワインガルトナーの創造的なイマジネーションを捕らえた。」

リストはベートーヴェンの孫弟子みたいなものだから、
曾孫弟子に当たるというわけか。

ということで、結局のところ、楽器の限界と、
ベートーヴェンの楽想のギャップについて述べているが、
これは近衛秀麿が、シューベルトを編曲した時の言葉に似ているし、
あるいは、ワインガルトナーが揶揄した、
前任者マーラーが、ベートーヴェンの後期の楽想は、
楽器の限界を超えていたのだ、
と書いたのと、何ら変わりはないようである。

「彼は、この巨大な作品を、
オーケストラによる交響的な地位に持ち上げ、
人間の二つの手だけでは完全に明らかに出来なかった、
まばゆい力を授けることを求めたのかもしれない。
生涯にわたるベートーヴェンの作品研究の後、
キャリアの後半になって、
それを容認する答を出す準備が出来たと感じた。」

この言葉は、ベートーヴェンの権威とされていた、
ワインガルトナーならではの言い訳である。

「従って、1926年、ベートーヴェンの心に、
すでに去来していたであろうものを実行したという確信から、
ここに演奏されている総譜を出版した。」

確かに、マーラーや近衛も、例の編曲を行った時、
このワインガルトナー(62歳)ほどには高齢ではなかった。

「オーケストラの編成は、
ベートーヴェンが「第九」に用いたもの
(終楽章の打楽器群を除く)を踏襲したが、
ワインガルトナーはベートーヴェン以降の楽器改良は一部採用した。
それは突然の頻繁な移調
(ベートーヴェン自身の管弦楽法の特色ではなく、
偶然の特徴であるが)に対応できるように、
ヴァルブホルンとトランペットは導入することを余儀なくしたが、
これ以外は、作曲家が認可した楽器のみに固執した。」

このあたりも、少し遅れて、1930年に、
近衛がシューベルトの編曲をしたときと似た方法であろう。

「しかし、彼がワーグナーの校訂で行ったと同様に、
ワインガルトナーは作曲家と編曲者として、
その両方の要望を満たそうとしているのかもしれない。
『いくつかの稀なケースではあるが』と彼は述べる。
『ベートーヴェンは三つ目の手や、
自由になるオーケストラがあれば、
もう一つのパートを続けたであろうことは明らかで、
これは、特にオリジナルへの改変にならざるをえないが、
オーケストラに適合させるべく、ためらうことなく遂行した。』
和声の追加もまた、ペダル効果の代わりとして必要となった。」

もともと、ピアノ用の楽譜からの拡大なので、
このように、ベートーヴェンが書いていない所まで、
勝手に補足するしかなかったのであろう。

だから、筋肉質の英雄のような大ソナタが、
恰幅はよくなったが、動きに敏捷さが失われた形となった。

「このアレンジが編曲者の芸術上の規範であれば、
オリジナルのピアノスコアの演奏に従って、
そのモデルへの編曲者の忠実さが容易にチェックできる。」
とあるが、英雄に降り注いでいた太陽の光が沈んだ感じである。

先にも書いたが、第三楽章の沈痛なティンパニなどが聞こえてくると、
すっかり闇が回りを覆うようである。

さて、ここのところで、なかなか味わい深い見解が提示される。
「しかし、一つの重要な特徴において、
ワインガルトナーの解釈と再構成による丹念な仕事は、
音楽から、最も重要な財産、苦闘する要素、を奪ったとも言えよう。」

「最も完成された名手にかかると、このソナタは明らかに、
音楽の最も高尚で不屈の創造的な格闘家の一人の作品と言える。
難聴という問題に対処したのを度外視しても、
ベートーヴェン自身が作曲時に問題と格闘したのと同様、
ピアニストは、音楽と自分自身との困難な格闘を演じなければならない。
ワインガルトナーが、創造的誤算と述べた、
楽器の限界からの大きな超越が、
作品そのもののメッセージに、
不可欠であるかどうかが論議されるべきかもしれない。」

確かに、ピアニストが、
オーケストラ並のスケールの作品を前に、
ただ一人、悪戦苦闘して、
達成される何かがあるということは事実であろう。

前回、開放的な自発性、あるいは、親密さ、といった要素が、
シューベルトの五重奏曲「ます」のような作品を鑑賞する際に、
重要な要因になると思ったが、ひたむきに何かに向って、
まい進する様子、凝集力もまた、ピアノ曲や室内楽の命なのかもしれない。

それは、レコードの音だけからも、確かに聴き取れる、
音楽の楽しみの一つであろう。

得られたこと:「楽譜を前にした苦闘、凝集力もまた、音楽の一側面として重要である。」
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by franz310 | 2007-04-28 23:53 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その67

b0083728_22223436.jpg個人的体験:
「後期ロマン派による
トランスクリプション」
というタイトルのCDから
脱線が脱線を呼んでいる。

前々回のCD、演奏や録音、
解説はともかくとして、
元の曲の作曲家名もなく、
内容が想像できるような
写真もないのには不満を感じた。

文句ばかり書いて、どんなのが良いかと言われれば、
先のようなタイトルの言葉から連想されるCDのジャケットとしては、
こういったのならどうか、という感じで取り上げてみた。

オンスロウの室内楽でお世話になった
MDGレーベルであり、それだけで、実はポイントアップ。
録音に温かみがあり、ナチュラルな豊かさを感じる。

このCDであるが、原曲はシューベルトの弦楽四重奏で、
表面には、ちゃんと作曲家名もあり、
裏面に、グスタフ・マーラーによる弦楽オーケストラへのアレンジとある。

ただし、これはこれで、問題がないとは言えない。
オリジナルバージョンではないと、
表紙からだけは読み取れないからである。

とはいえ、エゴン・シーレの絵画を持ってきて貰えると、
なんとなく、どろどろしたマーラー的な感じが遠まわしに醸し出され、
安易かもしれないが、題名も「死と乙女」で、それなりに曲を連想させる。
このようなジャケットだと、それだけを見ているだけでも楽しいし、
少なくとも私の購買意欲は、100倍くらい向上する。

「後期ロマン派のトランスクリプション」ならば、
こんなデザインなら良かったのに。
そう考えながら、このジャケットを眺めているうちに、
はたして、このマーラー編曲のシューベルトは、
トランスクリプションと言えるのだろうか、
という疑念が浮かんできた。
そもそも、このCDには、
「arr.for String Orchestra by Gustav Mahler」とあるが、
このアレンジ(arr.)とはトランスクリプションと同じと考えて良いのだろうか。

これ以上、この問題に立ち入ると、話がややこしくなるので、
ここでは、いずれにせよ、やたら分かりにくい横文字濫用だけは、
やめた方がいいのではないか、という感想に留める。
10人に聞いて「編曲」なら10人分かるとして、
「トランスクリプション」としただけで、何人が分かるのだろうか。
それだけ、市場規模を狭めているような気もするが。

あるいは、ロングテール理論で、
「トランスクリプション」で検索して買う人を狙っているのだろうか。

ということで、こうしたことを念頭において、解説を見てみる。
書いたのは、Dr.Michael Kubeという人だが、
ああでもないこうでもないといった感じの論理展開が面白かった。

ざっと見て、以下のようなことが書かれてある。
1. マーラーはシューベルトの作曲した主題は、「unelaborated」ゆえに、
まだ、発展させる余地があるが、
ベートーヴェンなら、徹底的に「elaborate」したであろうと考えていた。
(1901年の8月5日、マーラーの女友達、
N・バウアー=レヒナーが書き留めた彼の言葉である)

Elaborateとは、「精巧に作りこむ」という意味らしいので、
推敲不十分のシューベルトの音楽には、
まだ手を入れてもよいと考えていたのかもしれない。

2. 一方で、マーラーはシューベルトの音楽のみならず、
多くの音楽に手を入れていた。

シューベルトの大ハ長調交響曲のほか、
ベートーヴェン、ブルックナーの交響曲にも加筆をしている。

(ここでは、ヴィーン歌劇場のマーラーの後継者、
ワインガルトナーの回想(1929)の引用が面白い。
『偉大な音楽とほとんど我慢できないような平凡なものがミックスされた、
彼の作曲と同様、彼の精神の炎は、不可解な浪費によって燃え盛り、
改造熱に捉われるのであった。
彼の言葉によると、シューベルトのハ長調交響曲では、
スケルツォのトリオの崇高なメロディは、
三本のトランペットで増強されるべきであり、
驚くべきことに、ベートーヴェンの「第九」では、
終楽章の行進曲の部分では、ホール外のオーケストラが、
近づいてくる軍楽隊を模して演奏すべきだと言うのである。
一度、彼がそうしたアイデアに捉われると、
他人の意見や反対などに全く従おうとはしなかった。』)

3. しかし、こうしたアレンジは時代の流れの産物であった。
ワインガルトナー自身がベートーヴェンの、
「ハンマークラヴィーア・ソナタ」を管弦楽曲化している点。
シューベルトに限っても、
リストによる「さすらい人幻想曲」、ヨアヒムによる「大二重奏曲」、
モットルによる「幻想曲D940」といったものがある。

4. マーラーは1899年1月15日にベートーヴェンの
作品95の弦楽四重奏曲の弦楽合奏版を披露しているが、
それに先立つ彼の著述が、非常に分かりやすくその特徴を語っている。

その弁明はこんなものである。
「弦楽オーケストラで演奏される弦楽四重奏!
このアイデアは君たちを狼狽させることであろう。
私はすでに、『親密さ』や、その作品の独立性として、
非難が起こることはわかっている。
しかし、君たちは間違っている。
私が計画していることは、理想の四重奏曲の再現に他ならない。
室内楽とは室内を想定したものだ。
そこで演奏してこそ楽しめるものであって、
譜面台を前にした四人の演奏家たちだけが、
聴衆となってその音楽を享受できるというものだ。
室内楽がコンサートホールに持ち込まれるや、
親密さなどはすでに失われてしまっているし、
それ以上に失われるものもある。
四つの楽器の音は聞こえなくなり、
作曲家が想定した力強さで語りかけることは出来ない。
私は各声部を強化することによって、潜在的なパワーを解放し、
音の翼を貸し与えたのである。
私は作曲家のために行動し、その意図から外れないようにした。
その最後の四重奏曲では、ベートーヴェンは、
小さな限界のある楽器という観点では思考していなかった。
彼は四声に巨大なおどろくべきアイデアを盛り込んだ。
…今度の日曜日の私たちの演奏は、
コンサートの歴史に新しい幕開けを告げることになろう。」
といった具合である。

ただし、聴衆や批評家から激しい非難と攻撃を受けており、
それによって、これ以上は、こうした編曲を続けるのをやめたようだ。
まったく他人の意見を聞かなかった人がやめてしまったのだから、
よほどの総スカンに会ったのであろう。

5. しかし、マーラーのこの手の編曲はすでになされており、
1894年11月19日の新ハンブルク予約演奏会で、
シューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」の変奏曲を、
弦楽オーケストラ用にアレンジしていた。
(この時も、原曲の良さをすでに熟知していた聴衆には理解されなかった。)

従って、マーラーは全曲の編曲は完成しておらず、
弦楽四重奏曲のスコアに、
楽器や強弱法や表現法を音符につけたものを残しただけであった。

6. シューベルトは、1824年3月31日の友人宛の手紙で、
この作品を含め、いくつかの室内楽から、交響曲の世界を構想していると、
書いているので、こうした編曲は「歴史的正当性」もある。


7. マーラーはシューベルトの楽譜をほとんどいじっておらず、
コントラバスパートの追加が、中では最も大きな逸脱である、ということ。

マーラーは時折、この五つ目の声部で、チェロを強調し、
あるときは、音域を変えて、構造を明確にするようにした。

8. マーラーが最も注意を払ったのは、
各声部における強弱の階調表現であって、
楽器の増加にもかかわらず、
むしろ清澄さや効率の良さを追求している。

こうした考えは、しばしば論議を呼ぶ、楽器の拡張を伴う、彼の
ベートーヴェン、シューマンなどの交響曲や序曲の改編などにも通じる。

9. このようなことは、大作曲家が、
百年前の名曲をどう捉えていたかの参考となり、
マーラー自身の音楽の、テンポや強弱法の細かい階調表現、
特に表現上の指定にも通じる。
例えば、「第五」の有名なアダージェットなどでも、
感情や表現が刻一刻と変わる。

以上、まとめると、マーラーは、めちゃくちゃな編曲もやった人だが、
そんなことなら、この時代であれば、他の連中もやっていて、
むしろ、弦楽四重奏曲のオーケストラ化に関しては、ましなほうだ。

大ホールのコンサートにおいても、
作曲者の意図がよく聞こえるにと配慮され、
原曲を尊重したものであって、最小限の加筆に留まっており、
音が増強されたというよりも、マーラーの交響曲にも通じる、
繊細な表現に聴くべきものがある、
といったところであろうか。

こと、シューベルトに関して言えば、この曲を書きながら、
交響曲の構想を始めていたから、この曲にも、
それ並のスケールが込められているというのが評者の意見であろう。

ということで、シューベルトの後には、
前述のマーラーの「第五」からの、
アダージェットが録音されている。
これは、非常に濃厚な表現で、美しい演奏であるが、
解説者が書いていることと、演奏者の意図が一致しているかはわからない。

演奏は、ほとんど停止する寸前まで引き伸ばされたメロディが、
この世ならぬ黄泉の世界を暗示しているが、
解説者は、むしろ、マーラーと親交もあった指揮者、
メンゲルベルクのスコアにある書き込みから、これは死の音楽ではなく、
愛の音楽であると、強調しているのである。

ビスコンティの映画「ヴェニスに死す」のおかげで、
心ならずも、「死と変容」の音楽として聞いてしまうが、
むしろ、「Love and devotion」の音楽であると、
考えるべき証拠があると書いている。
(ただし、メンゲルベルクのスコアだけの話で、
これは、学者が証明したわけでもなく、
マーラーの妻、アルマも、そうは書いていないということも、
ちゃんと書いてある。さすがドクターだ。)

Roman Kofman指揮のキエフ室内オーケストラによる
シューベルトの演奏も、たいへん丁寧で、心のこもったものである。
特に「死と乙女」の主題によるアンダンテなど、
15分もかけて歌われており、マーラーが、
特に、この楽章を取り上げて演奏したというのも肯けるような、
繊細さと味の濃さを表出している。
この恐ろしい音楽であれば、こうしたどろどろ感も受け入れられよう。

このように読んでみると、マーラーのアレンジは、
なんとなく、トランスクリプションというイメージとはやや異なる。

とはいえ、トランスクリプションを辞書で引くと、
「筆写」、「書き換え」、「転写」とあるから、
大げさに楽器を変えたり、追加したりしてはいなくとも、
こうした範疇に入るかもしれない。

だが、マーラーの考えのように、杓子定規に室内楽を捉えると、
「ます」の五重奏曲などは、ピアノ協奏曲のようになってしまい、
この曲の持つ自発性や、軽やかさが減じるのは目に見えている。

いうなれば、マーラーの言葉通りにすると、
すべての音の強弱、テンポが指揮者に委ねられることとなり、
民主主義がすべて独裁政治になるであろう。

音楽には、そうした解釈を受け入れられるものと、
受け入れられないものがあると考えられるが、
「ます」などは、最も、受け入れられないものになろう。
「親密さ」のみならず、湧き上る喜びが、
各楽器から発散するような音楽なのだから。


得られたこと:「百年前のマーラーの時代ですら、室内楽の命は、親密さにありと聴衆は信じていた。それは、独裁への無意識の反抗だったかもしれない。」
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by franz310 | 2007-04-21 22:35 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その66

b0083728_224165.jpg個人的経験:
「ます」の聞き比べから、
ついに、
昭和初期の日本の
音楽界の話題にまで
脱線したが、
「近衛を超える指揮者は
まだ日本に出ていない」
と言われる大家の奏でた音楽が、
いったいどんなものだったのか、
どうも気になって先に進めない。

いろいろ探して、ようやくCDを発見した。
うまい具合に、シューベルトの「未完成」が入っていて、
近衛のシューベルト像を伺うことが出来てありがたい。

このCDには、略年譜がついているが、
例のシューベルトの五重奏曲による大交響曲を、
ベルリンで演奏した1930年頃は、
毎年のように輝かしい経歴を積み上げていたことが分かる。

一方、戦争中の活動は不明点が多いようで、
さらに戦後になると、1961年にヨーロッパ公演に出た後、
73年に亡くなるまでが、なんと空白になっている。

いかに、この大指揮者の晩年が寂しく、
我々の記憶から、消されるべく扱われていたかが読み取れる。
幸い、この録音はその間の68年に行われたものだ。

例の評伝を読んで見て思った不満なのだが、
どんな状況で、どのようなことが起こったかは、
いろいろ書かれていても、音楽家の評伝にしては、
近衛の奏でる音楽に対しては、具体性がいまいちである。
このCDは、それに、何らかの補足をなすものであろう。
(本の中でも、このCDは登場する。)

また、作曲した作品は、カンタータと歌曲しかないのか、
編曲したのも「越天楽」と「シューベルトの五重奏曲」しかないのか、
そのあたりも、どうもよくはわからないので、
さらなる研究の余地を感じている。

もっと言うと、客演したオーケストラが90を超えると書いてはあるのだが、
そもそも、どこにそんなに沢山のオーケストラがあるのか、
これまた、さっぱりわからないところがもどかしい。

このうち、ヴィーン、ベルリン級はどれくらいで、
自分で組織してすぐに解散したようなものがどれくらいあるのか、
そこで、どんな曲をどんな風に演奏をしたか、
このあたりがすっきりしない。
ヴィーンで真珠湾攻撃を知ったというが、
シューベルトの国、オーストリアとの関係は不明である。

確かに、感動的な逸話は、以下のようにいくつかあるが、
いずれも、どんな演奏であったかといった音楽的な具体性には欠ける。

前回紹介したシューベルトの編曲が、
ベルリンでもそれなりに受け入れられたこと。

R・シュトラウスが、「ドン・ファン」の演奏に居合わせて、
喜んで祝福したということ。

ラジオで放送されたシベリウスの音楽が、
聞いていた作曲家自身を感動させたことなど。

もちろん、それだけで興味は尽きないが、
近衛の解釈は、上手に楽器を鳴らしただけだったのか、
交友のあったというフルトヴェングラーや、ストコフスキーのように、
自己主張の激しいものだったのかは分からない。

このストコフスキーによって招かれたフィラデルフィアでは、
日本の墨絵のように、ベートーヴェンを「第二交響曲」を振ったという。
この「墨絵のように」というのも、想像が困難である。

「演奏は恐らくこの地で聴かれた最も渋い、
くすんだものであったろう。聴衆は毀誉相半ばしたろうと思う」
と回想には書いてあって、アメリカにありながら、
伝統的な手法で解釈したとも読めるし、
東洋風の風変わりな解釈であったとも考えることが出来る。

また、戦後、ABC交響楽団を組織して、
ヨーロッパ公演を指揮したときの描写には、
「戦争が終わって十五年、
指揮者は若い世代に代わりつつあったが、
ヨーロッパの聴衆の多くは、
まだドイツ・ロマン派に慣れ親しんだ世代で占められていた。
彼らは、秀麿の指揮に往年のフルトヴェングラーを聴いたようだった。」
などとあるので、
フルトヴェングラーのような解釈だったのかとも想像できなくもない。

一方、結構、楽譜に手を入れて演奏したというので、
その点では、アメリカのストコフスキー風でもある。
しかし、ストコフスキーとドイツ・ロマン派は、
どうも頭の中で結びつけることが出来ないではないか。

そういえば、シューベルトの「五重奏曲」を近衛が編曲したCDに、
「後期ロマン派に於けるトランスクプリプション」という題がつけられていたが、
近衛秀麿は、いつのまに後期ロマン派になってしまったのだろうか。

そんな先入観で、このCDのベートーヴェンの「運命」を聴いたせいか、
有名な冒頭部からして、腹にずしりとくる「じゃじゃじゃじゃーん」ではなく、
「たたたたーん」といった感じで、肩透かしを食わされてしまった。

ドイツ後期ロマン派の作曲家のシュトラウスやフィッツナーは、
指揮者としては、力の抜けた、典雅な音楽を奏でていたので、
その意味では後期ロマン派という表現を、完全に否定することは出来ない。

また、近衛秀麿は、1923年4月、パリに留学したものの、
第一次大戦後、その地がアメリカの文化に毒されてしまっていることを発見し、
5月の末にはドイツに入り、学ぶ場所をベルリンに移しているので、
ドイツ風の音楽作りを好んでいたであろうことは予想できる。

ただし、翌年の夏までには帰国しているので、
一年くらいの留学が、ドイツの徒弟風の修行と言えるかどうか分からない。

そんなことを考えつつ聴く、このCDの「運命」。
まったく何の変哲もない開始部であったが、曲が進むにつれ、
感興が乗ってくるのか、音楽が興奮し、脈々とテンポが動き、
いかにも古き良き時代の雰囲気を感じることが出来る。

また、ところどころで、ティンパニが炸裂し、
近衛版と言われる改編の形跡が認められるが、
それ以上に、小粋で軽やかな推進力を特色とした演奏とも言えよう。

ある意味、70歳の演奏として老巧であるとも聴こえ、
逆に、70歳にしては、初々しい演奏とも聴ける。

ところが、後半の「未完成」となると、かなりロマンの色は濃厚となる。
近衛は、ベートーヴェンとシューベルトとを、
明らかに別次元の音楽と捉えていたようである。

例の評伝で紹介されていたのだが、ドイツ占領下のワルシャワで、
その地のオーケストラを指揮した時の、彼自身の回想が思い出される。

「この敗戦で破壊され尽くした
死の都に鳴り響いた『未完成』は、
単なる感傷や悲愁ではなかった。
或楽句は瀕死の呻きの様に聴きとれた。
それから全曲は羞恥、絶叫、あきらめ、
愛と祈りと成仏・・それらの交錯であった。
多くの楽員は目を泣きはらしたり、
興奮の余り顔を蒼白になって居るのを見た。
そして音楽からこんな感銘を受け容れられる民族を、
僕は心から羨ましく思わずに居られなかった。」

その時のワルシャワ交響楽団ではなく、
25年後の読売日本交響楽団との演奏であるとはいえ、
まさしく、この文章そのままの音楽がここに記録されて、
実際に耳にすることができるということは非常に喜ばしい。

近衛の人となりを伝えるエッセイも楽しく、
この演奏を「枯れていながら、抑制された情感が光る」
と書いた解説もよかった。
各曲の解説も丁寧であり、先に書いた年譜もありがたい。
学習院の院長でもあった乃木大将の精神主義と、
一年先輩の有島武郎らの白樺派のロマン主義の、
交錯の中に生きたという歴史的位置付けも、簡潔ながら妙に説得力がある。

したがって、シューベルトの五重奏曲の編曲みたいな作品が、
出来上がってきたのであろう。
精神主義的に忠実でありながら、ロマン的な拡大がなされた、
彼の立場としては、誠実な仕事と言える。

また、このCDの表紙の写真は、指揮者の晩年の一こまであろうが、
ひしっと握り締めた楽譜は、シューベルトのようである。

眼光はするどい。しかも白黒写真。

ちょっと、このデザインでは、買う人を選びそうである。
ひょっとすると、ミリオンセラーにする必要のない文献として、
製作者は捉えているのかもしれない。

そうだとすると、杉並での録音とあるが、
プロデューサーなどの記載がないのはちょっと困る。

この「学研」への録音がどのような経緯でなされたのか、
是非とも知りたいところだが、1968年といえば、
多額の負債を背負って、指揮者は自宅を売り払った後である。
スキャンダルからは20年近くが経過した。

さらに、この後、参議院選挙への出馬を求められ、
落選するという苦渋を舐めたりしたようだ。

b0083728_2243642.jpgさて、このような指揮者、
近衛秀麿最後の録音は、
2年後、川口市で行われている。

1970年の8月に、
日フィルを振って行った、
ベートーヴェンの
ピアノ協奏曲第五番
「皇帝」がそれである。

独奏は園田高弘。
このピアニストが亡くなったときに出されたCDである。

幸い、CD化されていて、これは、無難で親しみやすいジャケットだ。
これなら、誰かにプレゼントできそうであるが、
「運命」の方は、貰ってもらえるか自信がない。
プロデューサーの回想が、CDのブックレットに載っている。

「近衛は当時72歳、その指揮ぶりは決してスマートとは言えずむしろ無骨であり、
最初はソリストもオーケストラも棒に合わせるのに戸惑ったりしたが、
馴れればやはりその解釈には若い指揮者にはない滋味がある。
その話しぶりはいわゆる“訥弁の雄弁”で、
録音の合い間にもよくボソリと面白いことを言って周囲を笑わせたりもした。」

もしも、指揮しているのがフルトヴェングラーだったとしたら、
このような回想にはならなかったであろうと考えて、
とても寂しい気持ちになった。
確かに滋味豊かな演奏ではあるが、このような先達からは、
もっともっと、知りたいことがあるではないか。

もちろん、1930年代の近衛であれば、
こんな逸話では終わらせぬ迫力を発散していたことであろう。

得られたこと:「年長者の経験や知識の断絶が、かくのごとく生じる。」
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by franz310 | 2007-04-14 22:05 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その65

b0083728_19545440.jpg個人的体験:
インフルエンザにかかって、
高熱を発して三日間、
全身、節々の痛みで寝込んでいた。
その間、目を使うと、
目の奥が痛み出すので、
目を瞑って
出来ることと言えば、
CDウォークマンで
音楽を聴くことだけであった。

そんな環境で、
オンスロウの交響曲を聴くうちに、
シューベルトの事を思い出した。
オンスロウの交響曲第三番は、
原曲は、「弦楽五重奏曲」である。

そもそも少ない編成で演奏できるものを、
大編成にするというのは、
何となく水増ししているみたいで抵抗がある。
レコードがない時代、大編成の曲を、
ピアノや室内楽、あるいは管楽合奏などに編曲して、
普及させる習慣は、ハイドンの時代からあったようで、
私は、そうしたレコードはかなり好きである。

家庭の狭い環境で、大交響曲のレコードを再生するより、
スペース的には理に適っているような気がするし、
多くの楽器の色彩で覆い隠されていた音楽の実態が、
こうした編曲によって垣間見えて来るという面白さもある。
もちろん、油彩をデッサンで楽しむような趣も渋い。

とはいえ、ラヴェルがムソルグスキーのピアノ曲を、
管弦楽演奏できるようにした場合のように、
デッサンに油絵の具を塗りたくって、
華やかな音響の渦に浸れるようになった場合はないわけではない。
特に、市民階級が大娯楽を求める時代になってからは、
そうした例がいくつか出てくる。
沢山の演奏家が一体になって鳴り響かせる大音響の渦の陶酔は、
まさしく筆舌に尽くしがたい効果を上げるからであろう。

晩年のシューベルトが、
「もう歌はやめた。交響曲とオペラだけにする」と語ったのは、
ベートーヴェンやロッシーニ、ウェーバーなどの成功を、
意識した言葉であろうが、ひょっとするとこうした歴史的な展望の中で、
捉えられることが出来るかもしれない。

シューベルトと同じ頃、オンスロウも同じ気持ちを抱いたと思われる。
1820年代の中ごろにはオペラを1830年には交響曲の作曲を開始した。
シューベルトはその間に亡くなったが、交響曲もオペラも、
成功しなかったり、演奏されなかったりで、結局、最晩年を飾るのは、
いずれ至宝の如き、室内楽曲やピアノ曲、そして歌曲であった。
シューベルトが、先の言葉に固執しなかったのは、
大変、良いことであったと、考えることも出来よう。

これらの大規模な作品の仕事に専念するということは、
オンスロウのCD解説にもあったように、
作曲以外の事務仕事に忙殺されるからである。
それによって、シューベルトの最後の2年を飾る傑作群の、
どれが書かれなかったと考えるだけでも、恐るべき損失であろう。

イギリスを代表する作曲家のベンジャミン・ブリテンなどは、
音楽史で最も実り豊かな一年は、1828年であったと言っている。
いうまでもなく、名作群を立て続けに完成させていった、
シューベルトの最後の年のことを指している。

しかし、先の言葉にあるように、交響曲を想定したような、
壮大な構成が晩年の諸作を彩るのも事実であって、
その編成に収まりきらないような豊かな、
空間的、時間的な広がりが、晩年のシューベルトの作品を特徴付ける。
また、交響曲も、歌劇も、最期までシューベルトの構想にあって、
これらのスケッチの残骸が、その草稿の中に沢山残されていた。

長命だったオンスロウも、交響曲とオペラへの熱中から、
室内楽の作曲家に戻って行くことになるが、
シューベルトが長生きした場合、どのような作品群が残されたのであろうか。
あるいは、1828年がピークで、あとは昔の作品の焼き直しみたいなのが、
ぞろぞろと作られるだけになった可能性だってあるだろう。
こう考えると、失敗の連続こそが、
シューベルトの絶えざる発展を生み出したとも言える。

それにしても、最期の年に、シューベルトが、
こうした高度なレヴェルに達した作品の作曲に専念できたというのは、
素晴らしいことであった。
例えば、前の世代のモーツァルトも、
後の世代のマーラーやR・シュトラウスも、
必死に演奏会や家庭教師によって収入を確保しながらでないと、
作曲などをすることは出来なかったのである。

シューベルトは、最後の年に、自作のみの演奏会を企画し、
成功を収めているし、そこそこ、楽譜も売り出せていたから、
短命ではあったが、道を究めることが出来たのであろう。

とはいえ、意欲的な作品ほど、出版社は難色を示した。
それによって、シューベルトが方向転換して、安易な作品ばかりを、
売り込むように、なったりしなかったのもよかった。
だが、長生きしていたら、
そういった誘惑に負けることもあったかもしれない。

ということで、シューベルトの作品は、
演奏されず、出版もされず、といった扱いになる場合があり、
識者の中で、これを何とかしようと考えるようになる人が出てきた。
ピアノの名匠フランツ・リストは歌曲をはじめ、
「さすらい人幻想曲」の管弦楽化などでシューベルトの普及に努めた。
ベルリオーズなども歌曲「魔王」の伴奏を管弦楽化した。
さらにヨアヒムは、ピアノ連弾のソナタを交響曲にしてしまったし、
ついには、日本人が最晩年の大作、「弦楽五重奏曲」を、
交響曲に編作してしまった。

私は、この曲の存在を何年か前に知って、こうしたものが、
まさか実演されると思っていなかったのに、
何年か前に、新宿でこれを聴くことが出来た。
その時の印象は、非常に地味なものであったが、
一番安い席で聴いたせいかも知れない。

最近、その時の指揮者、高関健が、
同曲を録音したCDが出たのを知っていたが、
その時の印象もあって、特に入手する機会がなかった。
それが、今回、病床にあってオンスロウの交響曲を聴いているうちに、
チェロ二つの弦楽五重奏曲の最高作とされるシューベルトの作品を、
どうしても、改めてオーケストラ版で聴きたくなってしまった。

動けるようになって何日かして、あちこちのレコード屋を、
探し歩いたが、少し遠出して、ようやく発見した。
「シューベルトの五重奏曲をオーケストラ用に編曲したものを探している」
と言うと、たいていの店員は、
そんなものは聞いたことがないという顔をする。
仕方がないので、指揮者の名前を言っても、ぴんと来ないらしく、
逆にレーベル名を聞いて来たりする。
こちらも、そこまでは知らないので、
日本のレーベルだと答えると、相手はますます訝しげな表情となるので困った。

出てきたCDを見て狂喜したが、
何とかならないのだろうか、このデザイン。
指揮者が大写しになっていて、編曲者の写真が、
その上に並んでいる。
題名も、「後期ロマン派に於けるトランスクプリプション」!
何じゃ、これは??
完全に、「分かる人だけ分かれば良い」といった装丁なのである。
シューベルトの「シュ」の字もないので、
これはどんな愛好家を想定した商品なのであろうか?
と悩みこまずにはおれない。

(なお、ここにはもう一曲、マーラーが編曲したバッハの「組曲」という、
超キワモノが収録されている。もちろん、バッハの「バ」の字も、
表紙には書かれていない。
これは、あまりにも奇妙な作品で、ここで語り出すと、
止まらなくなって、文章が終わらなくなってしまう。)

購入して帰りの電車で解説を読み、
解説は、編曲した近衛秀麿自身の言葉、
再演した高関健の言葉が十数ページにわたって記されているのには、
大変満足した。
前回、コンサートで聞いたのは、1998年の2月だったようだ。
オーケストラは新日フィル、東京オペラシティのオープニングシリーズとある。
近衛の生誕100年を記念しての演奏だったようで、
今回の群馬交響楽団との演奏が、同じ年、6月、群馬での演奏だったらしく、
ライブ録音とある。
近衛秀麿は、ドイツの大指揮者フルトヴェングラーとも親交があった、
日本指揮界の草分け的存在で、
その交友と指揮姿から、「振ると面食らう」と呼ばれていた人、
あるいは、雅楽をオーケストラに編曲した人、
というくらいしか知識がなかった。

したがって、単に、珍しい自分のレパートリーを増やすために、
いろいろ行った編曲のうちの一つであろうと、勝手に思いこんでいた。

しかし、この解説を読むと、近衛は、この五重奏曲を、心から愛していたようで、
「正直なところこの一曲は、
僕がかつて音楽的に受けた最大の感銘であったといえる。
当時、まだ音楽に対して去就を決し兼ねていた僕は、
この一曲に音楽を生涯の仕事とすべき理由を見出した。」
とさえ書いているのである。

ちなみに、大ピアニストのルービンシュタインも、
この五重奏曲から、生涯最大の感銘を受けたということを、
どこかで書いている。

また、この曲の構想の大きさゆえに、弦楽五重奏だけで演奏するには、
無理があって、管弦楽化でそれが補われると、ブラームスも言っていると、
その編曲の正当性を論じている。
シューベルトが楽長の職に就いていたら、
おそらくこれを管弦楽で演奏することを考えたはずだというのが、
近衛の意見である。

晩年のシューベルトの書法を、「枯淡の筆」、「孤独で内省的」と書き、
「イ長調(ます)の五重奏曲(一八一九年頃の作)と比すと、
その心境の変化の甚しいのに驚く他はない」とも書いている。

十数年にわたり、五回も書き改めて、シューベルトの様式に、
極力近づけたので、編曲者の個性は出ていないはずだということだ。
オーケストラの楽器もシューベルトが使った編成のものに抑えたという。
題して、「弦楽五重奏曲による大交響曲」である。

指揮をしている高関は、
「木管楽器やホルンに多くの旋律が振り分けられ、
また複数の音色のブレンドにより
柔軟でほのぼのとした響きを得ることに成功している。」
と評価している。

これは、早く聴きたくなるではないか。

私は、帰宅すると、疲れ果て、横になって、
再びポータブルCDプレーヤーにて、これを鑑賞した。
やはり、原曲から大きな逸脱はなく、管楽器や打楽器の補助によって、
響きの豊かさを増しただけという感じ。
(そういえば、もう一つの代表作「越天楽」も、
雅楽をそのままオーケストラに移したような音楽であった。)

私は、オンスロウの交響曲第三番
(こちらは作曲者自身による弦楽五重奏曲からの編曲)
の時にも感じたが、それと同じ印象。
交響的幻想曲の感触である。

やはり、金管楽器が、朗々とファンファーレを奏するような部分がないと、
オーケストラ曲として、ちょっと渋すぎるような気がする。
そもそも、原曲が、チェロの響きを効果的に響かせるべく、
特殊な編成で書いた曲なのであるから、低音の動きが活発になりがちである。
当然、地を這うような、かまぼこ型の音楽となる。
ちょっと類例のない管弦楽曲である。
しかし、要所要所で、ティンパニが轟き、管楽器が吹き鳴らされて、
突き進む様は勇壮であると共に、様々な彩りを添えられて歌われる夢は、
非常に豊かな広がりを持つこととなった。

心が豊かに満たされていって、疲れを忘れ、
この大曲を一気に聞き入ってしまった。

b0083728_19554595.jpg最近、うまいことに、
近衛秀麿に関しては、
評伝が本になっている。
(大野芳著、
「近衛秀麿 
日本のオーケストラを
つくった男」(講談社))。
ようやく、
本を読んでも
頭痛がしなくなった頃、
私は、
これを一息に読んでしまった。

これを読んでも、この曲が、この音楽家の活動の中で、
重要な役割を果たして来たことが分かる。

特に、1933年、何と、本場ベルリン・フィルの演奏会で、
この作品をお披露目したという部分が圧巻である。
大作曲家のR・シュトラウスも臨席して行われた、
この音楽界は大成功で、翌日の新聞には大きく報じられ、
その夜の夜会では、フルトヴェングラーが待ち受けていたとある。

「案の定、僕のシューベルトの管弦楽化が話題になり、
賛否が半ばしていた」とある。
「文筆家は室内楽の管弦楽化に難色を示し、
演奏家や作曲家は興味を持ったようだ。
「なかでもクライバーの激励には感動した。」
とか、
「日本でもレコードで有名なウィルヘルム・ケンプが
額に青筋を立てて擁護論を弁じてくれたのは愉快だった。」
とあるから、この音楽は本場の大物たちをも唸らせたものと見える。
クライバーもケンプも、シューベルトに関してはうるさかったはずだ。

近衛は、戦争中もヨーロッパで指揮者として活発に活動していたが、
このあたりはナチスの治世下のことゆえ、多くの人が忘れようとして、
いろいろなことが、不明確な状況となっているようだ。

この本は、宰相、近衛文麿の弟でもあった、
大指揮者の波乱万丈の生涯を取り上げて、
非常に参考になった。
「近衛を超える指揮者はまだ日本に出ていない」とされる巨人が、
いかにして、狭い日本の風土では阻害され、忘れられていったかが、
これを読むとよくわかる。

得られたこと:「せっかくの意欲的な企画も、店員がぱっと思いつかないような商品作りでは、ないも同然の扱いとなる。」
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by franz310 | 2007-04-08 19:57 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その64

b0083728_1250432.jpg個人的経験:
今回は、この前のCDの
続編とすべきであるが、
ここに示したのは、
別のCDの表紙である。

この絵画は、17世紀
ヴェネチアの画家、
カナレットの作品で、
これまた年代も場所も
無関係な素材で、
オンスロウのイメージが、
まったく定まらない。

とはいえ、王室の肖像画よりはましであろう。
さらに言えば、今回の音楽は、特に曲調が明るく、
この絵の屋外の開放的な雰囲気は、
オンスロウのこの曲を表すには悪くないと思う。

「Das Old Somerset House」という題名だそうだが、
青空の下の白い建物が、フランス期待の新星、
オンスロウの交響曲の清新な魅力を伝えている。
ひょっとしたら、やや、うすっぺらな感じさえも合っているかもしれない。

この前のCDの解説によると、オンスロウの最初の作品(歌劇)は、
序曲が最終的に形を変えて、後年、交響曲になったという記述があったので、
その交響曲(交響曲第1番)も聴いて見たくなったのである。
ありがたいことに、CPOレーベルが、これも用意してくれていた。

さっそく聴いてみた。
オペラの序曲からの転用というのもうなずける、
劇的緊張感の溢れた序奏に続き、
ハイドン風の非常に爽やかな主題が、推進力を持って展開されていく。
第二主題への経過などにオンスロウ風の個性が出ているが、
いかんせん、ベルリオーズの革命的傑作、
「幻想交響曲」が4ヶ月前に発表されているという点が苦しい。
この「幻想」によって、交響曲という枠組みの既成概念が、
大きく発散するような形で崩された後では、
この古典的格調は、小ぢんまりした繰り返しの集積のようにも見える。

弦楽と木管合奏の規則通りの繰り返しや、
どこまでも朗らかな楽想の展開に、
どうも物足りなさを感じてしまうのである。
大オーケストラを操っての世界は、
多くの聴衆を否応なく引きずりまわす狂気が必要なのかもしれない。

いかにも類型的な作品なのだが、
解説によると、最初から好評で、パリを皮切りに、
ヴュルツブルク、ベルリン、ヴィーン、コペンハーゲン、ロンドン、ジェノヴァ、
ライプツィヒで演奏されたというから、目覚しい成功を収めたようである。
しかし、ベートーヴェンの奇数番の交響曲などと比べると、
どうしても、室内楽的であるという評価から離れられなかったようだ。

だが、私には、室内楽的だとしても、あるいは、
ベートーヴェンの作品より前の作品だと考えても、
何かが物足りなかった。

もちろん、第二楽章などは、ベルリオーズも、
「ロミオとジュリエット」で模倣したのではないかと思えるような、
詩的な雰囲気に溢れている。
第三楽章のメヌエットの変則的なリズムも、
ひょっとしたら、参考にしたかもしれない。
トリオの野辺の情景も愛らしい。
第四楽章は、再び、オペラの序曲を思わせるように、
快走するヴィヴァーチェで、この大曲を鮮やかに締めくくる。
この曲が完成後十数年にわたって、
演奏され続けたというのも分からないわけではない。

上品な口当たりの良さでは、メンデルスゾーンの隣に並べられるだろう。

さて、この曲のどこが物足りないかといえば、
第一楽章にまず、指を屈してしまう。
苦渋に満ちた序奏は、まあまあであり、
そのテーマから、さわやかな第1主題が発生するあたりも、
非常にうまく出来ていると思う。
第2主題も、ほがらかな木管で立ち上るもので、どの主題も優美である。
約12分の音楽であるから、ほとんど同じ長さであることから、
無理やり、シューベルトの「ます」の
第一楽章と比べてみることが出来る。

最初に思ったのが、展開部が短いのではないかということだったが、
オンスロウの交響曲も、シューベルトの「ます」も、
12分の音楽のうち、8分くらいまで経過しないと展開部に至らない。

ということは、構成上、各部の比率的には大きな違いがなく、
主題提示部のあつかいに、何か違いがあるのであろう。
オンスロウの交響曲では、第一主題から第二主題までが、
約1分10秒かかり、「ます」でも、これは約1分である。
この間、オンスロウは、弦で奏した主題を、木管で繰り返し、
オーケストラを鳴り響かせながら、
この主題の一部を繰り返して発展させている。

第二主題が出るまでの間は、オンスロウらしいディミヌエンドである。
(これも、繰り返されると安易な感じで気になる。)
第二主題から、次に第一主題が出るまでも、オンスロウは、
楽器を変えながら何度かこの主題を提示しながら、時に、付点の経過句を挟み、
時に、総奏を交えながら、精力的にこの主題の断片をがちゃがちゃと発展させる。

まとめると、こぎれいな主題が出ると、
後は、断片の繰り返しの強引な推進である。

一方、シューベルトの「ます」では、例の、第一主題から第二主題の間に、
何をしているだろうか。
この第一主題は躍動的に歌うもので、
オンスロウ同様、さわやかである。
まず、各楽器にのびやかに歌い継がれるだけであるが、
急に、経過句が不安をよぎらせて、その中から、第二主題が現れる。
こちらは、もっと内省的で、憂いを帯びている。
ここでも、主題をちょん切って、がちゃがちゃやるといったことはやっていない。
主題は、少しずつ歌の中で発展し、陰影を施され、
せせらぎのような水の流れにたゆたい、
また、雲の流れのような陰を漂わせる。
すべてが、一筆書きのような、自然な流れの中にある。

ということで、シューベルトが「ます」の第一楽章で出来て、
オンスロウが「交響曲第1番」の同じ楽章でできなかったことは一目瞭然である。

オンスロウは、無理な主題労作に走ろうとして、
かえって美しい主題のみを浮き立たせてしまった。
しかも、二つの主題にドラマを秘めた関連がなく、そこから、
緊張関係を得ることが出来なかったということである。
その主題の断片を利用したがちゃがちゃの発展で終始し、
しかも、類似の主題ごとにそれをやるので、妙にくどいのである。

おそらく、オンスロウは、交響曲とは、こういうものなのだ、
と信じていたことであろう。
このような書き方は、彼の室内楽とは違った行き方のように思える。

むしろ、こうした平易な楽想で、見通しのよい音楽を、
いつもは渋いオンスロウが書けたということに、むしろ驚きを感じる。
貴族であった彼は、平民の寄せ集めである、
コンサートホールの聴衆を舐めていたのかもしれない。
主題が立派で、そこからゴージャスな音が鳴り響けば、
聴衆は満足すると思ったのだろうか。

彼は、ベルリオーズの革新性を、まったく意に介さなかった。

さらに、このCDを入手して驚いたのが、
併録された交響曲第3番で、なんと、こちらは、
弦楽五重奏曲作品32のオーケストラ版だということであった。

ベートーヴェンをフランスに紹介したことで知られる指揮者のアブネックは、
音楽院の弦楽オーケストラで、この五重奏曲を試演してみたところ、
居合わせたオンスロウは、交響曲への本格的な編曲の霊感を得たというのである。
私は、この原曲のへ短調の五重奏曲(1826作曲)は聴いたことがないが、
あの、名手ドラゴネッティがコントラバスで加勢した曲ではなかろうか。
おそらく、当時から高い評価を受けていたのであろう。

交響曲の初演は1834年であるから、原曲の作曲から10年近く経っている。

もともと、玄人狙いで書いた室内楽が原型であるせいか、
この作品の導入部から第一主題への発展の色調が精妙である。
シューマンを真似して、「交響的幻想曲」というタイトルにしても、
よいような音楽である。
この曲も、そこそこ好評だったようで、
パリに続き、1835年にはライプツィヒ、
さらに翌年にはユトレヒト、パリ、コペンハーゲンで演奏され、
さらに10年後にもパリ、コペンハーゲンで演奏されたという。
1835年のライプツィヒといえば、シューマンがちょうど活躍を始めていた。
彼は、この曲を聴いただろうか。

書いても書いても演奏されなかったシューベルト、
何回かの演奏の後、演奏されなくなったというベートーヴェンなどと比べ、
恐ろしく恵まれた環境であったようだ。

かだし、この曲、問題は第二主題ではなかろうか。
第一楽章、厳かな序奏の充実したハーモニー、
続く、第一主題も悲壮感が漂って素晴らしいが、
結局、安逸な第二主題が導かれてしまい、かなり拍子抜けしてしまう。
これで、せっかくここまで確立した荘厳さが台無しになっている。

しかも、何を思ったか、オンスロウはこっちの主題を、
ひたすら追求しようとする。ここは、これはスパイス程度にして、
第一主題を、もっと深めるべきであった。
展開部も、突発的な盛り上がりが何度か登場して期待を高めるが、
平俗な第二主題がぶち壊し、最後は、
ディミヌエンドではぐらかしながら消えていく。

とはいえ、続く第二楽章のスケルツォ風の音楽は、朴訥さに惹かれるし、
第三楽章のアンダンテもチャーミングな主題が、
荘厳な響きに発展するのが圧巻だ。
第四楽章は、小刻みに動き回る音形が、期待を高めていく。

私は、第1番よりこちらの方が、
オンスロウらしい凝縮感が感じられるがゆえに好きである。
返す返すも、第一楽章第二主題を、呑気に木管でぷかぷか吹かせた点、
この平易な主題にこだわった点が残念である。
あるいは、提示部の繰り返しをカットすればどんな風に聴こえるだろうか。

また、元ネタが広く知られていたのは失敗だったようだ。
この曲は、それなりの成功はしたが、室内楽的であるという批判から
逃れることは出来なかったようだ。
そんなこともあってか、
オンスロウは、交響曲の作曲からは早々に手を引いてしまう。

そもそも、前に書かれていた弦楽五重奏曲からの編曲版の交響曲の方が、
後から書かれた第1番より、聴き応えがあるというのは、どういうことだろうか。
ベルリオーズは、オンスロウを「フランスのベートーヴェン」と呼んでいたが、
オンスロウは、革新者ベルリオーズのことをどう考えていたのだろうか。

得られた事:「革命的な傑作一作が、その後の歴史を急変させるわけではない。」
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by franz310 | 2007-04-01 12:53 | 音楽 | Comments(0)