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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その63

b0083728_2326202.jpg個人的経験:
オンスロウを表わすのに、
適当な絵画としては、
ここに紹介したような、
18世紀イギリスの
絵画なら、
まだ、許容範囲にあると
言えよう。

ゲーンズボロの名作、
「公園での歓談」は、
1746年の作とあるから、
オンスロウは貴族だということだし、
彼のお爺さんの世代なら、
こんな感じだったかもしれない。

ゲーンズボロは、肖像画家として高名で、
イギリスでは第一人者と言われた人であるが、
ここでも、画中の人物の表情は味わい深い。

これまで、シューベルトと同時代を生きた、
知られざる作曲家、オンスロウを集中的に取り上げてきたが、
このCDは、解説に、その出自について、特によく書いてあるから、
ちょっと、ここで、概観してみよう。
書いたのは、Bert Hagelsという人である。

CDに録音されているのは2曲で、作品44と作品77。
この77は、作品77bとして、
私の耳に初めて入って来たオンスロウ作品の原型である。
前に聞いたのは、オンスロウ晩年の栄光を象徴する
華麗な音楽だったと記憶するので、
元の形が聞けるのは、私にとっては大変喜ばしい。

とはいえ、何故、弦楽五重奏曲作品44が、
それに組み合わせられているのかは、さっぱり分からない。
聴いてみるとかなりの力作である。
何しろ、ハ短調である。調性から受ける印象通りに、
凝集力ある傑作と見た。
ここでも、コントラバスの入った五重奏として弾かれている。

この解説は、丁寧で得るところが多いが、
何しろ長大なので、このCDは2回に分けて、
後半に納められている作品44を書いた頃までの生涯を、
まず、教えてもらうことにする。

「ジョルジュ・オンスロウは、フランスの音楽史において、
あらゆる見地から見ても、ひとかどの人物であった。
19世紀前半において、フランスの作曲家が、
もっぱら器楽曲のみに専念するということは、
困難なことであったが、さらに、同時代者によると、
その器楽作品も、専門家の小さなサークルでしか演奏されず、
また、パリのサロンの主な嗜好に対して譲歩することもなく、
ただ、ピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲、弦楽五重奏曲といった、
器楽の領域に自らの活動を限定した。」
これは、これまでのCDでも、必ず触れられていたことである。

「同時代の音楽活動は完全にオペラに支配されていて、
メユール、ボアエルデュー、オーベール、エラールといった作曲家は、
ピアノや室内楽アンサンブルのために、そのキャリアの初期に、
聴衆への売り込みのために書いたにすぎない。
その機会が訪れるや、彼らは早々に、そこから離れて、劇場に向った。」
これもそう。だが、ここでは、オンスロウが、
歌劇の世界から離れていったことを、以下のように説明している。

「オンスロウが劇場のために書くことを、
好まなかったということはまったくない。
何しろ、彼のペンからは三つのオペラが書かれ、
その時には、手紙の中で、器楽曲に飽きたとさえ、書いているのである。
しかし、彼は田舎貴族としての人生を、
最長六ヶ月もの期間をパリで過ごすオペラ創作に必要な
てんやわんやの落ち着きのなさのために交換する覚悟は出来ていなかった。」
確かに、貴族の静かな思索には、このような世界はふさわしくなかろう。

「構想を練っては、音楽をつけて欲しい台本を、
作曲家に割当てるという、歌劇場の強力な音楽監督と共謀することで、
歌手や舞台係と口論し、検閲など、日々のレビューに悩むというものである。
これらのことは、彼を年がら年中、パリに縛り付けるものだ。
しかし、オンスロウの研究家Viviane Niauxの専門書の副題によれば、
彼は、紳士であるとともに、作曲家でもあったので、
どちらかの偏愛ゆえに一方を捨てることは出来なかった。」

つまり、歌劇の作曲家というのは、単なる芸術家としてだけでなく、
やたらの事務処理をこなすビジネスマンでなければならんということで、
オンスロウには、そんな暇はなかったということだ。
そんなのは領地経営で飽き飽きする世界であろう。

また、確かに、どの時代でもオペラに成功した人は、
その他の作品は、恐ろしく限定されてしまう傾向がある。
ウェーバーも、ワーグナーもそうだった。(モーツァルトのみが例外か?)
シューベルトは、オペラで成功しようとして、何年かをそれに注力したが、
こう見てみると、成功しなくて良かったと思う。
もしも、「アルフォンソ」なり「フィエラブラス」なりが、
大成功していたとしたら、後期の傑作群はどうなっていたことであろうか。

それにしても、Vivianeにここで再会するとは思わなかった。
この人は、別レーベル、MDGのオンスロウシリーズの解説を書いている人だ。

「彼のフランスでの音楽生活と同様、
オンスロウの家族の歴史も、異常なものである。
それはスキャンダルで始まった。
オンスロウ男爵の四男であった彼の父親のエドワードは、
1780年頃、英国国会のメンバーに新たに当選し、
輝かしい政治的キャリアが用意されていた。」

ここから、ありそうでなさそうな話となる。
「しかし、彼のキャリアは、
Phelim Macartyという男に、
同性愛のアプローチをしたという噂で、
突然、予期せぬ結末を見ることとなった。
この情報は、ロンドン中を沸かせるスキャンダルとなった。
そこには真実の核心も含まれていたのであろう、
なぜなら、エドワード・オンスロウは、フランスのオーヴェルニュ亡命という、
切迫した試みを選択しているからである。
以来、彼は両親から十分な資金を受け取り、
やがて、土地の紳士階級のサークルから招待を受けるようになる。
ある訪問の際、
彼はMarie-Rosalie de Bourdeilleに紹介され、
恋に落ちた。
彼女は、先祖が8世紀まで遡ることのできる特別な家柄の娘で、
美貌で知られていた。」

同性愛の次は美貌の令嬢との恋愛である。
小説の主人公さながらの活躍である。

「彼女の両親は、最初は英国のプロテスタントとの結婚に反対したが、
エドワードはオーヴェルニュに腰を落ち着けること、
フランス市民となることを約束し、結婚が承認された。
彼らは1783年3月7日にパリで婚礼を挙げた。
新婚の二人はクレルモントに落ち着き、
1784年7月27日に最初の息子が生まれ、
Andre-George-Louisと名づけられた。
翌年、娘が生まれたが、すぐに亡くなり、
続いて、3人の息子たちが生まれた。
1789年の5月、革命の直前に、
一家は、クレルモント・フェランに近いMirefleursの
Charendrat城を購入した。」
家族構成までの、細かい解説は初めて読んだ。
この調子で行くと、この長命な作曲家の紹介に、何ページかかるのか心配になる。

「従って、1793年に家族の生活に革命が影響を与えなかったら、
ジョルジュの幼年期も青春期も、その地所で過ごされたに違いない。
新しいフランス共和国の地方官にとって、
エドワード・オンスロウは、二重に怪しかった。
まず、馬や武器やいくらかの領地を取り上げられたが、
さらに、『イギリス人』という単純な理由で、
1793年10月には、逮捕までされてしまう。
一ヵ月後、そのかわりとして家での軟禁状態となり、
すぐにこれも解除された。
このような騒乱は、若いジョルジュの教育には、
ほとんど影響しなかったように見える。」

確かにフランス大革命期に重なっており、
私も、こうした事態までは、想像力を働かせていなかった。
確かに、貴族には、恐ろしい運命が待ち受けていたことであろう。
しかし、これくらいで済んだのだろうか。
以下、もう、このCDの作曲家の神童期のエピソードとなる。

「1796年の初めに、父エドワードは、
11歳半の息子について、
彼はすでに、地理や神話について熟知していて、
歴史についての勉強や、英語の読み書きを始めたと書いている
それにもかかわらず、彼の主たる才能は音楽にあって、
彼の年齢にしては、非常にピアノをよくしたが、
彼の父のエドワードが絵画をしたのと同様、
これらに専念することは、若い人を馬鹿な考えから遠ざけ、
無駄な時間を過ごさないようにすることが出来るということから、
役に立つし、また、楽しむことのできる娯楽になると考えられた。
こうした田舎の田園生活は、一年後に突然、終わりを告げた。」

波乱万丈である。

「エドワードは王党派の地方財務官、会計係を委託されていたが、
英国のピット首相へのスパイ容疑(彼は必死で否定したが)
で告発されたのである。
1797年の九月、彼は国を離れなければならなかった。
彼のさらなる亡命をもっと楽しいものにするために、
マリー-ロザリエと3人の年少の子供たちが、
フランスに留まったのにもかかわらず、
長男ジョルジュは、父と同行することとなった。」

作曲家のオンスロウより、父親の話が多いが、
それだけエピソードの多い人だったのであろう。
しかし、こうした経験が、次のステップに繋がっていくところが、
人生の面白さかもしれない。
何かをすれば、何かが起こるのである。

「彼らは最初、アムステルダムに行き、
1798年の最初に、ハンブルクに移った。
この北ドイツの港町は、故郷から離れていたにもかかわらず、
少なくとも、ジョルジュが、当時最も有名であったピアノの名手
チェコ出身のJ・L・ドゥセック(1760-1812)から、
レッスンを受けることが出来たという好都合があった。」

このドゥセックも、面白い人である。こう書かれている。

「1799年の初頭、ドゥセックは、
ロンドンにおける彼の出版社が倒産した際、
彼の債権者たちから逃れてハンブルクに来て、
ピアノのレッスンとコンサートで生計を立てていた。
しかし、ドゥセックのオンスロウへのレッスンは、
そんなに長くは続かなかった。」

さて、この貴族の一家も、すぐに楽しそうな日々に戻る。

「オンスロウ父子が、何時、オーヴェルニュに戻ったか、
正確には知ることが出来ないが、おそらく1800年の7月に、
追放が解除されてすぐのことだと思われる。
以来、時折、秋から冬の何ヶ月かを、パリで過ごす間、
もちろんのこと、家族はオペラを鑑賞した。
1933年にスケッチされた自伝によると、
17歳のジョルジュの音楽への情熱を一度にたきつけたのは、
メユールの作品であった。
それは、ヘ短調の陰気な音楽で、Stratoniceというオペラの序曲。
和声上、器楽法上の大胆さ、ダイナミックに対立する音響、
要するに、イタリア由来のオペラのメロディ主体に対し、
心理的感情の音楽描写が優位に立つグルック派の音楽であった。」

これからまた修行の話が始まる。
「若いジョルジュの両親は、彼が、1803年から5年にかけ、
数回にわたって受けたクラーマーのレッスンを
楽しんでいることから、その才能を明らかに確信した。
クラーマーはピアノ教育の分野で、ドゥセック以上に、
ヨーロッパを代表する権威と目されていた。
彼は、短い期間師事したクレメンティの近代的テクニックと、
ベートーヴェンなどの最新のピアノソナタの知識に加え、
J・S・バッハの対位法的ピアノ作品を伝える以上のことをした。
オンスロウは、これら二人の先生への感謝を公にするべく、
作品3のピアノ三重奏曲をドゥセックに、
作品11のヴァイオリンとピアノの二重奏曲をクラーマーに捧げている。」

さて、フランス革命などなかったかのように、
若様の充実した教育は続いていく。
「彼のロンドンにおける修行期間の後でさえ、
オンスロウは独自に音楽を練習する喜びを自ら見出した。
室内楽は、特にChalendrat城で育まれたように見える。
オンスロウの手になるハイドンや、
ベートーヴェンの作品18の四重奏曲の写譜が残っている。
一人の友人、後に行政の高官となったHippolyte de Muratの奨励によって、
彼も作曲を始めた。
その時まで作曲に関するレッスンを受けたことはなかったので、
パリ音楽院のCatel教授の「和声に関する論文」という教材をおそらく使って、
独学によって、和声の理論の知識を得た。」

さすがにこの若様は、このように、恐ろしく勤勉な若様なのである。

「彼は1806年に最初の作品、
Les Deux Onclesと題された、未出版の1幕のオペラを書いた。
彼はこの曲の序曲を気に入っており、その導入部を、
ほぼ25年後に書いた交響曲第1番の序奏部に理想的な形で再利用している。
彼はさらに、三つの弦楽四重奏曲と一曲のピアノソナタを、
同じ年に作曲しており、1807年にパリで作品1と2として出版した。
これらの作品に明らかなように、首都パリでの一般的な受けなどに
従うつもりはなかった。
ドゥセックやクラーマーから学んだものや、
さらにChalendrat城における室内楽の集いから、
確かに、彼自身の結論を導いている。
彼の作品1のモデルは明らかにモーツァルトとボッケリーニであり、
ピアノソナタ作品2は、その4楽章構成からも、
ベートーヴェンが初期のソナタで開拓したような
ヴィーンのスタイルをモデルにしている。」

完全にパリとヴィーンの流儀を身につけたコスモポリタンである。
こんな作曲家が、果たして、いままでいただろうか。
モーツァルトはそうだったが、もっと意志を持って取り組んでいる。

「すぐ後にかかれたピアノ三重奏曲作品3も同様に、
パリではまだ慣習的だった、
ヴァイオリンやチェロ伴奏のピアノソナタよりも、
むしろハイドンやベートーヴェンを偲ばせる。
彼の3曲の弦楽四重奏曲作品1は、オンスロウにとって、
とりわけ重要だったようで、彼は、のちの新版では、
徹底的な改作を行っている。
ほぼ同時期に、彼はまた最初の一連の弦楽四重奏曲で、
パリ風の協奏四重奏曲のスタイルに、このジャンルにおける
ベートーヴェンやハイドンの作品で知るようになった
主題労作を試みてもいる。
同様に、1813年と14年の日付を持つ、
続く作品8、9、10の弦楽四重奏曲シリーズでも、
彼は繰り返し改訂を行っている。
彼自身のこうあるべきという要求を満足させることが出来ない経験は、
最初の三つの四重奏曲が出版されたときより、
彼に、いくつかのレッスンを受けさせることを試みさせる元となった。
先生に、後にパリ音楽院で、ケルビーニと並んで、
最も重要で影響ある先生の一人となる
選ばれた作曲家で教師でもあった、
アントン・ライヒャを選択したことは幸運だった。
しかし、そのレッスンは長くは続かず、おそらく、
1808年の終わりから、1809年の最初の6ヶ月だけだった。」
恐るべき努力家である。
すでに出版されたものに、改訂に改訂を重ねながらというのも、
ブルックナーやプロコフィエフを先取りしている。

「しかし、続く年には、音楽は第二段階に進んだ。
1808年の夏、オンスロウは結婚し、帝国の最後の年月には、
二人は深刻な財政問題に直面した。
ナポレオンによって税金は急騰し、イギリス諸島との経済交換を、
大陸封鎖が妨げ、英国の親類からの援助も不可能となって、
オンスロウの財産の減少を招いた。
1815年にナポレオンが最終的に流刑になり、
ブルボンの統治による王政復古がなり、
フランス貴族にとって安定した状況になると、
この状況は急速に改善された。
オンスロウは毎年数ヶ月を親族と過ごし、
残りをパリかクレルモンド-フェランかChalendrat城で過ごした。」
新婚の話と、政治の混乱の話が重なって、
まさしく読み物としてもやめられないではないか。

「オーヴェルニュで室内楽は演奏されており、
オンスロウは手紙の中で、たくさんの音楽的なリソースはないが、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンやボッケリーニ以外の
作曲家に頼る必要もないと、誇らしげに告白している。
オンスロウ自身もチェロ奏者として参加していた。
ほぼこの時代、彼はそれでもやはり激しく大きな創作上の危機に苦しんでいた。
そして、1817年には、出版社のカミール・プレイエルに、
すでに彼のミューズは死んでしまった、
前進するより後退していると嘆いている。」
すでにオンスロウ33歳。
すでに若様ではないが、こうした人のピンチは深刻であろう。

「おそらく、このような告白は、先立つ年には、
生涯のどの時期よりもピアノ曲作曲に専念していたのにもかかわらず、
ピアノソロ作品に、長くて最終的な別れを告げることになった
ヒントになるものと考えられる。
1810年に、彼はスコットランドの歌による変奏曲作品5や、
トッカータハ長調作品6を書き、
1817年には、作品12と13のピアノ変奏曲を書いている。
このあと、彼は1824年に作品28の英国の歌による変奏曲と、
作品番号を持たない、いくつかの小品を書いたのみである。
彼は、1819年、作品14のピアノ三重奏曲と、
共に、1819年の作品15のピアノとヴァイオリンの二重奏曲、
作品16のピアノとチェロの二重奏曲を経て、
弦楽のみによる純粋な室内楽に戻ってきた。
1832年までに、彼は、明らかに、
弦楽五重奏曲を書くことに、さらなる重みをおくことにした。
後に、3年間、彼は、ベートーヴェンの後期四重奏曲から、
議論の余地ある影響でチャレンジされて12曲の弦楽四重奏曲
(作品46の1-3、47-50、52-56)を書いた。」

これだけ書くのも大変だったが、
こんなに沢山の作品を概説してくれて、大変参考になった。
この間、作品44も書かれたということであろう。
しかし、いきなり、スランプが克服されているが、
何があったかもっと知りたくなってしまう。

「1820年代の間、オンスロウは、初めてオペラに手を染め、
1824年8月10日にドラマリリックがパリのオペラコミックで初演された。
それは、熱狂的に歓迎されたわけではなかったが、
批評によると、それは、むしろ、台本のせいであった。
1827年、11月22日、3幕のオペラコミックが続き、
同様に、オペラコミック劇場で上演された。
これは、経験豊かな、劇作家Eugene de Planardによって書かれた台本により、
よりよい成功を収め、タイトルも「行商人」とされて、ドイツの大きな劇場で、
たびたび上演された。
1830年頃、オンスロウは、最初の2曲の交響曲を、
短い期間に書き上げている。」
とても、スランプがあったとは思えない快進撃である。

さらに、公的な名誉も、続くことになるが、
このCDの解説書の順番を入れ替えて、作品44の弦楽五重奏曲の解説部に移ろう。

「弦楽五重奏曲第19番ハ短調作品44は1832年に書かれ、
先に述べたように、このジャンルに彼が専念した、数年の終わりにかけて書かれた。」
1832年といえば、すでにベルリオーズの「幻想交響曲」が初演されている。
しかし、ここでの音楽は、そうした喧騒とは無縁の、
より、内省的な側面を注視した音楽のようである。

「第一楽章は、抑えられた各パートと、
付点リズムによるゆっくりした導入で始まる。
この序奏は、また、広い和声で際立ち、
ベートーヴェンやフランス革命期の音楽で、我々にも親しい、
ハ短調のアレグロのタイプを示す、
和声的な音の塊やドラマティックな対比の性格を推進する
アレグロ・スピリチュオーソを準備するための緊張感を生み出している。」
CDでは、これだけの解説だが、序奏部の悲しげな表情からして、
このCDの表紙の絵画の、陰影深い緑の奥行きにも似て、味わい深い。
やがて登場する主部は一転して推進力を持った音楽で、
多様な技法が駆使されて、息をつく暇もない展開の妙が冴える。

「表現力に富む性格とテンポにおいて、
スケルツォと呼ぶ方が相応しいメヌエットは、
少し前に書かれた、交響曲第二番のメヌエットの導入フレーズを持つ。
しかし、それはそこから、室内楽の奏法でしか可能でない、
対位法や目の詰んだ構造を繰り広げる。
それはまるで、オンスロウは、
作曲上不可欠な変更な動機から、
どのような配合が発展させられてくるかを、
デモンストレーションしたいかのように見える。
しかし、類似は、しかし、最初に見られるだけである。
トリオは2回奏されるが、ヴァイオリンとチェロが、
長いメロディラインを演奏する、カンタービレの機会を提供する。」

まさしくメンデルスゾーンのシリアス版みたいなスケルツォで、
幻想性と緊張感を兼ね備えている。解説にあるように、
ピッチカートを伴って現れる中間部のメロディも素晴らしい。
その展開も、優美なワルツのようで胸をわくわくさせるものを持っている。

第三楽章は、このように来ると、ゆっくりとした楽章になりそうだが、
妙に即物的な無骨ともいえる楽想が始まって、正直、最初は、
ついに、霊感が尽きたのではないかと思った。
しかし、いきなり、嵐のような楽想が吹き荒れ始め、
これが、本来のスケルツォであったかと気づかされる。

解説にはこうある。
「第三楽章で、オンスロウは、
スケルツォの開始部の中間に出てくるドラマティックな動きを、
何度も登場させて、循環統一を形成することを試みる
主部は、ほとんど大またの行進曲のような厳格なホモフォニーで、
構成上の対比を見せる。」
中間楽章に緩徐楽章がなく、それぞれがコントラストの激しい
楽想に満たされているというのも、何か野心的な試みと見える。

続く終楽章も、解説にあるように大変な創意工夫を盛り込んだ、
疾風怒濤の楽章で、この作品もまた、オンスロウらしい傑作と確信するのである。
「ソナタ形式のフィナーレは、最終的に二つの音楽的着想の上に描かれる。
最初のものは、ある時は、声部を変えながら、常に動き回る永久運動のように、
ある時は、この楽章の展開を、トレモロの中に神経質に隠すような、
16分音符の動きの継続である。
第二のものは、次第に下降する半音階的進行であり、
これがこの楽章の、事実上の主題材料を形成する。
この常動の楽章は、エピソードのような、
二分音符の同音のコード進行による第二主題でのみ短く中断される。
しかし、これは、すぐに、神経質に興奮した十六分音符の動きに、
かき消されてしまう。」

しかし、オンスロウ生涯編と、この曲との関係は不明。
意欲的な作品であり、是非とも、どんな経緯で、
この作品が生まれてきたのかを、もっと詳しく書いて欲しかった。


得られたこと:「あまりに詳細な作曲家の生涯の記述だけでは、収められた作品に対しては物足りない。」
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by franz310 | 2007-03-24 23:41 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その62

b0083728_18331217.jpg個人的経験:
MDGレーベルの
オンスロウのシリーズに、
はまったので、
先に紹介した作品34、35の
五重奏曲(コントラバス付き)
に先立つ作品33と、
ずっと後の作品である作品74が
収録されたものも、
結局、入手してしまった。


オンスロウの室内楽を、このレーベルに録音している団体は、
これまで紹介した、ライプツィッヒとハレの音楽家たちからなる
Quintett Moment Musicaleだけではないようで、
Ensemble Concertant Frankfurt
という団体がこの録音を担当している。

前者は、上記各都市のオーケストラの
首席奏者の集まりで、
ハレのマルティン・ルター大学で
教鞭を取る人たちだということだが、
後者は、フランクフルト放送交響楽団の
メンバーで結成されているようで、
高く評価された五重奏団であるらしい。

この人たちの紹介のページには、
シューベルトの「ます」についても
特筆されていることを発見した。

「公のコンサートで採用されている、
流行を追い駆けたり、
純粋主義者的なアプローチによって、
忘却の中に大きく落ち込んだ室内楽に、
アンサンブルのメンバーが、
特に専念したいと感じるのには、
理由がないわけではない。
『シューベルトの、“ますの五重奏曲”と、
ボッケリーニ、リース、エイブラー、ゲーベル、
そしてオンスロウによって作曲された作品の
新しい連環が必ず、いま、明らかになるはずだ』
と、彼らは感じている。」

リースとリンマーのピアノ五重奏曲のCDを出していた
オランダのネポムーク・フォルテピアノ五重奏団が、
シューベルトの「ます」の五重奏曲用の編成で、
同様の試みを行っているのに対し、
フランクフルト合奏団の方は、ピアノは含まず、
弦楽四重奏+コントラバスという編成で、
「時折、ピアノや管楽器を招きながら、
18世紀と19世紀の良く知られた古典派、ロマン派の作品のみならず、
何よりもまず、同時代の知られざる傑作を広く聴衆に紹介している」
ということである。

ヴァイオリンは、Pete Agostonと、Klaus Schwamm。
ヴィオラはWolfgang Tluckで、チェロは女性で、Sabine Krams。
コントラバスにTimm-Johannes Trappeという編成で、
「ます」を意識しながら、ピアノは含んでいないというのが面白い。
この曲をやりたいとあれば、弾きたいピアニストは、
無数にいることであろう。
シューベルト弾きと言われたピアノ奏者は、
これまでも見てきたように、何度もこの曲を録音し、
なおかつ、弦楽部は別の団体が担当することも多かった。

いずれにせよ、ヨーロッパでは、オンスロウに限らず、
このあたりの研究が、盛んであることが分かる。

前回取り上げた演奏家、Quintett Momento Musicaleの解説には、
バロックから20世紀の作品をカバーするとあり、
失われた輪の発見といた野望については書かれていないが、
各地の音楽祭で、有望なピアニストや、
フルーティストと協演しているとあって、
特殊な編成ながら、同じような考え方をして、
フレキシブルに対応していることが分かる。

さて、フランクフルトの団体が、2003年に録音した、
このCDでは、シューベルト最晩年の不滅の傑作とされる、
「弦楽五重奏曲」と同時期に、オンスロウが作曲した、
弦楽五重奏曲第11番作品33が収められている。

「彼は、人生のこの時期までに、
ピアノを含む室内楽の大部分を書き上げ、
15の弦楽四重奏曲と2曲の歌劇を書いていた。」

13歳年下で、死期を迎えていたシューベルトは、
さらに大量の歌劇を書きまくって失敗し、
やはり、十五曲の弦楽四重奏曲を書いていたが、
未完成のものもあり、公開演奏されたり、出版されたりしたのは、
たった、1曲だけという状況であった。
そして、最後にして最大の室内楽として、
生涯唯一の弦楽五重奏曲を作曲するが、
結局、これも出版することは出来なかった。

それに加え、
すでに10曲もの五重奏曲を書いていたオンスロウは、
この時期、どんな音楽を書いたのだろうか。
解説を見てみよう。

「彼の作品33は、1823年から28年の間パリに住み、
その地でオンスロウと会う機会のあった、
ピアニストで作曲家の、
ヨハン・ペーター・ピクシス(1788-1874)
に捧げられた。」
何故、ピアノを含まない作品を、ピアニストに捧げたのかは分からない。
いずれにせよ、オンスロウ自身、ピアノの名手であったにも係わらず、
すっかり、ピアノ曲を書くのをやめていたのだが。

「第1楽章の語法は主題の点では、非常に地味であるが、
それを扱う手腕は非常に個性的である。
彼は第1主題への配慮は制限し、
リリシズムよりも、チェロによる小さな導入の萌芽に、
リズム上、和声上の句読法を加えることが出来るかや、
それを展開する方法に興味をおいている。
また、同時に、第二のものは、
単純な提示で非常に歌に満ちた主題となっているが、
オンスロウは、それに頼ることはない。
短い展開と高度に精巧な反復の中で、
明らかなフガート書法を使用して、
作曲家のはっきりと古い時代への愛着を示している。」
確かに、このアレグロ・コン・ブリオの楽章は、
モーツァルトの作品のように明るく快活で、明朗に推移しながら、
後半を過ぎると、さっと、劇的な影を宿して、
強烈な対位法的な語法が駆使され、
各楽器が高みを目指して駆け上がる効果が素晴らしい。

「アンダンテ・マエストーソでは、
最初の部分の、濃密な和声による宗教的な性格と、
中間部の第1チェロと第1ヴァイオリンが互いに交錯させる
感情的なアルペッジョの応答による、
より大きく、ドラマティックな表出力を持ったパッセージが対比される。」

この楽章の中間部などが、ひょっとすると、
オンスロウとシューベルトの接点であろうか。
この解説の言葉を借りると、シューベルトの音楽は、
ずっとdramatic expressivenessであるとも、
言うことが出来るかもしれない。
だが、オンスロウだって、そうした音楽は書けたのである。
もう余生がないような人生と、まだまだ、
これまでの倍以上の弦楽五重奏曲を書く時間を持った人では、
音符の使い方が違ったとしてもおかしくはない。

「三部形式からなるメヌエットでも、
その中心で同様の対話は見られ、
中間部で、二つの楽器は、活発にではないが、
リリシズムを保持して張り合う。」
このあたりの憧れの感情も、ロマンティックであるが、
シューベルトよりも、現世的で、
安穏としたものへの憧れであるような気がする。

「この作品は、同時代のコンチェルト様式を見せ、
特にフィナーレにおいて、ヴァイオリン独奏が、
時折、名技性の高みに駆け上がる。」
わずかに興奮した楽章で、細かいパッセージを振り撒きながら、
明日への希望が模索される。

この曲はベートーヴェン、シューベルトの死の年の成立であったが、
このCD、もう一曲収められた作品は、その20年後のものである。
今度は、ピアニストではなく、ヴァイオリニストに捧げたとある。

「さらに後の作品で、ずっとロマンティックな表出力を持つ、
1847年作、弦楽五重奏曲第30番作品74は、
疑うことなく、もっと前者より直接的に魅惑的な作品である。」

「これは、ジャン-ピエール・モウリン(1822-1894)という、
若くて才能あるヴァイオリニストで、
彼はちょうどその頃、
オンスロウの家でリサイタルを開いたりして、
その指導を受けて、室内楽の研鑽を積んでいた。」

「印象的なアレグロ・グラツィオーソは、
興味深い和声的な工夫で開始される。
A♯のパッセージによって、
Eの属音に向い第二ヴァイオリンが前進する間、
半音階で、バスラインが激しいトリル(E-D♯)で下降し、
すでにホ短調を確立しているヴァイオリンを
減五度(C♯-E-G)でサポートする。
この大規模な第1楽章は、
二つのくっきりと対比された主題要素を発展させる。
堂々として密集した力を持つ第一主題に対し、
第二主題は、リリシズムと豊かなハーモニーを有して対比され、
その開始部のトリルは、後に、イマジネーション豊かに高まり展開される。
最終的な主題要素は、単純なコーダという以上に、
この巨大な主題提示部の終結を豊かにするものだ。」
この楽章は、エモーショナルな衝動と、
目まぐるしい技法の展開が高度に結びついて素晴らしい。
確かに、20年の間に新しい領域に踏み込んで、
なにやら危機感のようなものを孕んで、痛々しい。
これは、シューベルトの晩年にも通じそうな勢いである。
この苦悩は空中分解寸前であるが、強引な技法が、
かろうじて、作品を成立させている。

「メヌエットの最初の部分は、オンスロウが好んだ付点リズムで、
話法に活気づける機会を与え、中間部では、作曲家は、
音楽的な詩興を羽ばたかせて、彼のスタイルの特徴を完成させる。
それは、固有の和音を生かしたメロディで、
ヴァイオリンが楽しく旋回する。」
不機嫌で無骨なメヌエットで、非常に不気味なメヌエット。
中間部のヴァイオリンソロは、かろうじて天上的な光が射し込む様を思わせる。
オンスロウは、この時、何か、危機に陥っていたのだろうか。

「アンダンティーノ・グラツィオーソは、
オンスロウのピアノのための六つの小品の第一曲からの改作で、
違う楽器に移し変える時の、彼の楽しみが感じられる。」
作曲家は、昔の楽想を懐かしく編曲したかもしれないが、
ちょっと長閑すぎるか。ひょっとしたら、過去への現実逃避を図ったのかもしれない。

「終曲は、喜びや、上機嫌、アイデアの明快さ、
イマジネーション豊かな、音と和声、和法の対称、ダイナミズムといった、
オンスロウの音楽の性格を要約したようなものである。
作曲家が生涯にわたって執着した堅苦しい古典様式にもかかわらず、
これらは、この二つの素晴らしい作品の成功に役立ったものである。」
この終楽章も、多くの苦悩を背負ったもので、
行方も知れぬ未来を暗示して不気味である。
作品番号70番というと、もう、さすがのオンスロウも、
残すところ、数曲という時代である。

ただし、少し集中力が発散気味であり、今回の二曲は共に、
第1楽章展開部の迫力ある高揚が聞き物かもしれない。

あるいは、演奏家が、前半で力尽きたのだろうか。
特に、作品74は、多くのものを背負った音楽であり、
技巧的にも、常に緊張感を要求する恐ろしい音楽であった。
確かに、こうした危機的な音楽を、古典様式に盛り込んで書いた人としては、
まず、シューベルトを思い出すが、オンスロウは、その路線を歩き続けており、
その後の世代には受け継がれなかったような気がしてきた。

さて、ジャケットデザインであるが、
担当する演奏家は変わっても、MDGレーベルのオンスロウは、
いつも同じ、ファン・ダイクで、ちょっと、これには、時代的にも、
地理的にも違和感があり、抵抗を覚えるのは前述の通り。

しかも、作品34、35のCDと同じ、チャールズ一世の子供たちで、
ちょっと、工夫が欲しいところである。

得られたこと:「シューベルトの“ますの五重奏曲”と、ボッケリーニ、リース、エイブラー、ゲーベル、オンスロウの作品には、何らかの関係がある。」
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by franz310 | 2007-03-18 18:36 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その61

b0083728_1081849.jpg個人的経験:
前回、オンスロウの
ピアノ五重奏曲が、
最後に、「風のそよぎ」
などという標題音楽の
楽章をおいた事に、
奇異な感じを受けたが、
この人は、
自分の身に降りかかった
悲劇までをも音楽に
してしまうらしい。

狩猟中の事故で、顔に弾丸を受け、
その体験を、五重奏曲にしている
ということなので、どうしてもそれが聞きたくなった。

シューベルトの「ます」からは離れてしまうが、
オンスロウと言えば、いつも、この事故が語られるので、
ちょっと、それがどんな事件であったのかを、
確認しておきたい。

実は、この曲、昔、日本でも発売されたようだが、
今回、入手できたのは、ドイツのMDGレーベルから、
昨年出されたばかりのものである。

このレーベルのものは、すでに作品34と35で取り上げたが、
今回は作品38と67のコントラバス付きの五重奏曲で、
その続編のような感じである。

演奏家も、Quintett Momento Musicaleで、前回と変わらない。
しかし、前作から2年を経て、オンスロウの研究が進んでいることが、
感じられる解説になっている。

「生前、『室内楽の巨匠』とみなされながら、
ほとんど忘却の淵に落ちた作曲家による二つの作品を、
今回のレコーディングは紹介する。」
というのが、前回の解説で、いかにも、忘れられた作曲家を、
恐る恐る取り上げている感じがするが、今回は、
こんな力強い書き出しになっていることからも分かる。
「近年、ジョルジュ・オンスロウの音楽に対する、
興味が広がり、大きくなっている。
研究結果が彼の作品の広がりや美しさを明らかにして、
それらの多くが出版され、録音されている。」

日本では、どのような実演がなされているかは知らないが、
欧州では、なにやら、進展しているのであろう。

「モーツァルトやベートーヴェンの
弱々しい後継者としての長い過小評価の後で、
オンスロウは今、強い芸術的個性、才能ある音楽家、
19世紀前半のフランス及びヨーロッパの音楽シーンにおける
大きな存在として受け入れられている。
明らかに、この考え方の変化は、
彼の作品群を調査し続けている
近年の器楽奏者たちの才能に負うている。」

「オンスロウの作品は難しく、骨の折れるものなのだ。
それは正確さと、何よりもヴィルトゥオーゾのテクニックを要求する。
作曲家は、こうした思いやりを、少ししか意に介していない。
第一楽章は、息切れするようなテンポで急き立てられ、
完璧な指と弓による豪華なパッセージが要求される。
それに加えて、彼の和声や旋律のコントラストは、
しばしば付いていくのに容易ではない。
最後に、古典に根ざし、ポスト・ロマン主義を、
予兆すらしない力強い音楽話法を満喫するには、
単なる名技性を越えて、
演奏者たちがこのスタイルを理解していなければならない。」
これは大変な音楽家である。
難解な曲を理解したあとに、
さらに難技巧の関所が設けられているというのだから。
確かに、シューベルトの最後の弦楽四重奏曲なども、
こうした側面から、かなり最近まで、
等閑視されてきたのではなかったか。

「オンスロウの音楽的言語は、
フランスがエキサイトした世界主義的芸術観や、
外国の演奏家を聞くためにコンサート会場に聴衆が群がり、
フランスの出版社が作品を輸出入し、
革新的楽器製造が最高潮に達した、
19世紀前半の文化的雰囲気を反映したものだ。」
確かに、この時代、パガニーニを初めとする、
超絶技巧の演奏家が輩出され、一般市民たちを、
興奮の坩堝に叩き込んだ時代でもあった。

「オンスロウのバイオグラフィー研究は、
すでに細部まで詰められている。
ただ、このオーヴェルニュ人に、付け加えることがあるとすれば、
ほとんど排他的にオペラ流行に身を捧げた国において、
古典的器楽曲の遺産を継承するという
困難な仕事を一身に引き受けた、
心底からのヨーロッパ人であったということである。」
ますますもって、この解説者は、
オンスロウの研究の価値を信じているようだ。
解説者は、前回、Cordura Timm-Hartmannという人だったが、
Viviane Niauxという人に替わっている。
こういった文章を読むと、このように研究が進展している、
同時代に生きられたことを幸福に感じずにはいられない。

「サブタイトルに『弾丸』とある、
オンスロウの弦楽五重奏曲作品38は、
作曲家の生涯のドラマティックな
エピソードと関連付けられている。」
という具合に、まさに、今回、知りたかったことが、
明らかにされていくのもぞくぞくする。

「それは、狩猟中のアクシデントであって、
1829年、Chateau-sur-Allier近くの
セント・オーガスティンという別荘に滞在中に起こった。」
シューベルトの死の翌年。オンスロウは45歳。
この人は69歳まで生きたから、
人生はまだ1/3残した時の事故だったということだ。

「オンスロウは夜明けのずっと前から呼び出された。
その五重奏曲はその時のすべての時間や思考を語っているが、
作曲家は、まずこの申し出を断った。
しかし、友人はそれを聞き入れず、
友人が気分を害することを恐れて、
彼は集まりに参加することを承諾した。
彼らは森の中に集まった。」
すでに、嫌な予感がする書き出しである。

「オンスロウはイノシシの通路と思われるところから遠くない、
小さな土手の上の木の傍らに陣取った。
しばらくして、犬たちが、
野生のメスイノシシが走って来るときに吠え立てたが、
オンスロウは撃ち損じた。
すぐ続いて、友人が立っている場所から銃を放つと、
オンスロウの左頬を打ち抜いた。
彼は地面に落下し、ハンターの一人が飛び降りて助け、
上向けにしないと窒息死するところだった。
彼は、セント・オーガスティンに連れ戻されたが、
彼の頭部は血まみれの包帯でぐるぐる巻きにされていた。
その夜、彼は「精神錯乱」という楽章を構想した。
作品38の五重奏曲の、1830年版のタイトルページには、
ずばりこう書かれている。
『深刻な事故の後、作者は、彼の苦痛や、
回復、復帰をこの五重奏曲のメヌエット、
アンダンテ、終曲で表現しようと試みた。』」
大事故に遭遇しながら、すぐに、それを音楽化しようとした、
そういう風に読み取れる。恐ろしい執念である。

「この作品は、チェロの名手でパリ音楽院の教師であった、
ルイ・ノーブリンに捧げられている。」
この曲も、コントラバスが最低音を担当するが、
やはり、チェロを重視するとき、
この大きな楽器が必要だということだろうか。
このシリーズ、コントラバスが、しっかりと聞こえて、
素晴らしい低音の安定感に身を委ねることが出来る。

「これは、第一チェロパートの重要性を考慮したもので、
それはアレグロ・モデラート・エ・エクスプレッシーヴォの主題を
直ちに提示する。
ハ短調の主調、拡張された減七度のアルペッジョと
アクセントをつけられた半音階動機、
二つの下降線を伴う第一主題の暗く劇的な性格、
これらすべてが、このドラマティックなハンティングのエピソード以前に、
すでにオンスロウが深い表現を持つ作品を構想していたことを示唆する。」
この部分、注意を要する。
オンスロウのこの曲、非常に深刻な曲想だが、
最初の楽章は、「弾丸」とは関係ないようである。

「熱っぽいメヌエット、「嘆き」が、緻密に構成されたアレグロに続く。
オンスロウは、際立った効果を求め、
彼の苦しみを明確にするために、対照的な要素を利用した。
始まってすぐに、オクターブで重ねられた第二チェロによる長い音は、
突然、二つのヴァイオリンパートによるダブルストップによる
減七度の和音に乱暴に割り込まれ、音響の塊を対立させる。
フォルティッティシモとピアニッニシモが互いに続き、
ほとんど息継ぎのできない連続となる。
非常に素早いテンポで、叩きつけるような、
忘れられない性格の音形が繰り返される。
そして、ヴィオラの短い、ほとんどトリルのような動機と、
チェロの半減七度の威厳のあるフォルティッティシモで、
半音階的な要素が散りばめられ、ドラマティックな雰囲気を盛り上げている。」
確かに、この第二楽章、楽器の動きも音量も、激変して、
切羽詰ったものを表現しようと、異常な熱っぽさ、
精神錯乱の様子が、よく描かれている。
フランスからは、やがて、次の世代のベルリオーズの手によって、
「幻想交響曲」が現れるが、その下地は、
創作の上でも、聴衆のサイドからも、
十分、出来上がっていたという感じである。

「次の楽章、「回復」は、安息に満ちた子守唄のように優しく揺れる。
楽器はそれぞれの中音域内に留まっており、
この楽章の静かな、ミュートされた音は、「嘆き」の大騒ぎとは、
際立った対照をなす。
そこにはダイナミック記号は限られ、
メロディラインは、緊密な和声のテクスチャーで静かに流れる。」
この楽章、美しいのに、4分もかからないのが惜しい。
ベートーヴェンなら、もっと長く癒してくれたであろう。
これからという時に、喜ばしい終楽章がやってくるが、
ちょっと、類型的なくらいに、明るい終楽章だ。
ベルリオーズだとしたら、こんな解決は有り得ない。
やはり、旧世代、「田園交響曲」的な無邪気さである。

「長いヴィオラのトリルが、「回復」の楽しいハ長調の終曲を導く。
すべてのパートが沢山の事を言い、
特に、第一ヴァイオリンと第一チェロがそうだが、
後者のエコーが前者の急旋回の名技的なアラベスクを模し、
ベートーヴェンの作品132にも比較されてきたこの五重奏曲の、
表現力に富む性格を明確に現している。」
大事故でありながら、完全に立ち直っている。

いずれにせよ、この曲の深い感情表出力は、忘れがたいものである。
しかし、このレーベルのオンスロウ。
またまた、古風な絵画のデザインで、
オンスロウの時代(ベルリオーズ前夜)を、まったく示唆しない。
さらに言えば、「弾丸」の内容に似つかわしいとは思えない。
シューベルトの「ます」のような、標題音楽ではないような曲でも、
それらしいデザインがあしらわれて、聴く者の心を音楽に誘っていることは、
すでにいろいろと例示したとおりである。
もうすこし、曲の内容やオンスロウの時代を示して欲しい。
こうしたイメージ作りから、忘れられた作曲家像の構築は、
始める必要があるのではないだろうか。

このCDの二曲目は、作品67で、同じ編成の作品。
1843年の作というから、60歳近くの円熟の作品である。
これも、ハ短調で、オンスロウが特別な思いを持っていたもの。

ものものしい序奏からして深刻で恰幅の良い音楽である。
第1主題は、チェロがニヒルに歌う。
この曲では、終楽章まで、この高貴な気分が継続し、
全体の完成度という意味で、作曲家の腕は明らかに上達している。
相変わらず、同様の音楽を書いているような感じもするが、
こうした熟成味に身を委ねるのは、ロマン派の時代にあっては得がたい雰囲気。

途中、第二楽章は、メンデルスゾーン的な妖精のスケルツォであるが、
単に幻想を追ったものではなく、抜き差しならない緊張感が横溢している。
中間部のメロディはフンメル的だが、安直ではなく、統一感がある。
第三楽章のカンタービレも美しく、非常に高潔で清澄な気配に満たされている。
癒されるに十分な規模の点でも申し分ない。
途中で乱入するエピソードがあるが、次第に、この清らかな歌の中に浄化される。

ひょっとすると、安定感のあるまとまりと、構成のすわり心地の良さ、
深々とした音響の豊かさから、私は、オンスロウでは、
この曲が一番好きかもしれない。

素晴らしい演奏と録音で、この曲を届けてくれたことに、
MDGレーベルには、深く感謝したいぐらいである。
ただし、ジャケット絵画は、何とかならないものだろうか。

この後、晩年の作曲家は、ピアノという楽器にも立ち戻って、
より色彩的な世界を切り開いていくことは、
このシリーズの脱線「オンスロウ編」の最初の解説に見たとおりである。
改めて、恐るべき怪人であると認識し、感服した。

得られたこと:「作曲家や作品のイメージを明確にするためには、徹底したイメージ戦略が重要であろう。」
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by franz310 | 2007-03-11 10:08 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その60

b0083728_20324869.jpg個人的経験:
フランスの作曲家オンスロウが、
シューベルトの「ます」と、
同じ編成の作品を
残しているという情報から、
ネット上で探していて
見つけたCDがこれである。

もう数年も前のものなのだが、
入手できてよかった。

Signumは、珍しい作品を出してくれるので、
貴重なレーベルである。

ピアニストのホルスト・ゲーベルがプロデュースしており、
自演を集めたものだが、2曲の録音時期が、
何と20年も離れている。
2曲目は1977年の録音であり、ドイツラジオ放送局の録音から、
持ってきて収録したようだ。
1曲目が、この期待の五重奏曲だが、1999年のデジタル録音で、
このピアニストの執念の結晶みたいにも思える。
30年も前から、オンスロウを手がけていたわけである。

さて、このCDであるが、ジャケットは、現代風で洒落ている。
ただし、どこから、この作曲家の音楽を想像すればいいのか、
悩ましいところではある。
まあ、いやみもなく、すっきりしているからいいか。

下に示したように、解説など(録音データ、演奏者の紹介含む)
もしっかりしていて、演奏も自発的で、録音もよい。

「ジョルジュ・オンスロウ
-A SINGULAR MAN (非凡な男)」
というのが、解説の題である。

何故、そんな題名なのかが、下記のように書き出される。
「十九世紀中盤において、
最も影響力を持っていた作曲家であり、
また、同時代者から批評家、著述家として賞賛された、
ロベルト・シューマンによって、彼はそう呼ばれた。
ジョルジュ・オンスロウは、このように、
独特な個性を持っているとみなされ、
彼の年代の派生的な音楽思考とは別種のものと
捉えられていた。」
「派生的」ではなく、「個性的」なのだ。

「今、また、我々は当時の音楽学者たちの評価とは
まったく矛盾する評価に遭遇する。
次の二つの環境が災いして、
特にフランスでは、オンスロウの作曲能力について、
相変わらず最低の評価がなされている。」

果たして、その環境とはなんなのか?
「a)オンスロウは室内楽以外を書かなかった。
この点で、19世紀の後半にいたるまで、
フランスでは関心を持たれることは極めて困難であった。
b)オンスロウは、イギリス貴族の血を引いており、
この事実は、彼をフランスでポピュラーにすることに対し、
まったく不利であった。
オンスロウ自身は、
オーヴェルニュのクレルモント・フェランドの生まれで、
ジョルジュと洗礼名を与えられ、
父もフランスに移住し、フランスの貴族の一人と結婚していたのに。」

これらは、すでに他のCDでも読んだとおりであるが、
次の逸話は面白い。
「『ON SLOW』という風に描かれている、
その家紋からも、英国風ユーモアが見て取れるが、
これは船乗りの専門語では、「ゆっくり行こう」である。
同時にこの言葉は、
『ゆっくりと確実に』という意味もあるだろう。
この家族がそれに沿って生きてきた積極的なモットーは、
作曲家オンスロウの中にも生きており、
最初期の作品を除くと、
出版されたすべての作品は『完成された』質感を誇っている。」

「知識ある聴衆には、彼の個性的な語法は、
ただちに明らかになり、個性は、全作品を通じたものになっている。
これは、ラフマニノフほどではないが、
ドイツ風の室内楽に、フランスの香水を一滴垂らしたといった以上のもので、
チャーミングでユニークな転調が現れる以上のもの、
あの手この手の繊細なタッチが現れたりする以上のものである。
これがたぶん、オンスロウの音楽が、
一般に大陸の聴衆にしか受け入れられず、
上品なサークルでしか、ほとんど全く理解されなかった理由であろう。」
何故、ラフマニノフが出てきたか、唐突な印象を受ける。
まあ、一生、懐古的な価値観を持っていたということであろうか。

「パリのサロンでは、熱狂的に受け入れられ、
彼が、いつも冬のシーズンに街に戻ってきて、
最新の作品を持って、仲間や友人たちと論議する際には、
いつも、オンスロウの音楽に出会うことが出来た。
しかし、このようなサークルにあってすら、
彼の作品は真の意味での普及を見ることはなかった。
これらの作品の技術的要求は、最高の演奏者によってしか、
満たすことが出来なかったからである。」
なるほど。演奏が非常に難しいという側面もあったのだ。

「オンスロウは、自身の領地にいて、独立した生活を送っていたが、
しばしば主張されていたように、隔絶されていたわけではなかった。
彼はロンドンで、ヒュルマンデルやクラーマーにピアノを学び、
彼の文化的憧れの地、ドイツ、オーストリアでも、2年間勉強した。
パリではライヒャに作曲と理論を学び、
ロンドンのフィルハーモニックソサエティで、
メンデルスゾーンやオーベール、マイヤベーアと共に、
最初のメンバーの1人となっているし、
後にパリの学士院では、ケルビーニの後任に就いた。
孤独ではなかったが、オンスロウは確かに、
例えば、後のフランスのベルリオーズと同様、
ファンに囲まれることなき、一匹狼であった。
室内楽の偉大な作品は、群集をひきつけることはないが、
音楽に最高の瞬間をもたらすものである。
専門家は、オンスロウの重要さをきちんと認識していた。
シューマンの評価や、彼が受けた栄誉から離れても、
フランスの作曲家仲間も、事実、多くの言葉を残している。
例えば、ベルリオーズは、1830年に父親に宛てた手紙の中で、
『ベートーヴェンの死後、器楽の王者は彼であることが分かるでしょう』
とオンスロウのことを書いている。
また、シューマンもケルビーニの四重奏曲へのレビューの中で、
『メンデルスゾーンやオンスロウが四重奏曲の大家に含まれる』
と書いている。」

「時代が忘れようとしたのか、自然に忘れられたのか。」
こんな命題が、改めて提示される。
忘れられた作曲家、オンスロウのCDでは、必ず、この問題が触れられる。

「いくつかの重要な記事で、音楽史に貢献した、
有名な19世紀の学者ウィルヘルム・ハインリヒ・リールは、
エッセイの中で、こう書いた。
『英国の作曲家に加えるべきではない。
オンスロウの作品はドイツの音楽史の一部以上のもので、
ドイツ人は特に、この外国人の思い出を、
芸術家として、我々の文化の一部として、賞賛する責任がある。』」

このCDでの趣旨は、英国生まれで、フランスで活躍し、
ドイツ風の音楽を書いたオンスロウの国籍不明性に焦点を当てている。
たしかに、オンスロウの死後、これらの国々は、何度も戦争をしたので、
こんな、芸術的に根無し草的な人物は、胡散臭いと思われたとしても、
まったくおかしくはない。

「このCDでは、オンスロウの後期の作品より、
ほぼ同時期の、二つの大規模な作品を特集した。
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスのための、
大五重奏曲作品76と、
ピアノ、フルート、クラリネット、バスーン、
ホルンとコントラバスのための大六重奏曲作品77bである。
五重奏曲では、ライプツィヒのクリスナー社の第一版を使用、
六重奏曲は、1851年版を1972年にパリのHeugel社が、
シュミットの校訂によって再版したシリーズのものを使用した。」

オンスロウは膨大な室内楽を書いたようだが、
私が持っているCDと、二曲目が重なっている。
できれば、せっかくなので、他の曲も聴いてみたかった。
ざっと聴いた感じ、
前のユボーらの演奏より、一本気な演奏かもしれない。

「ト長調の純粋な音楽美を示す、
作品76の五重奏曲の第一楽章は、
序奏部と、ラルゴ-アレグロの部分を有し、
主題の材料は、一見、聞きなれたもののようで、同時に、何か新しいもので、
輝かしく作り上げられていって、完全に提示される。
楽章全体は、叙事詩的であり、
しばしば、オンスロウの音楽の中で出会う、
叙事詩、抒情詩混在の『バラード』調で語られる。」

私は、この楽章には、大きな感銘を受けた。
思いのたけをぶつけるような序奏部から、
暗い情念を秘めた音楽で、求心力もあり、聴き応えがある。
ピアノと弦楽も高い次元で調和して、互いの応酬が、目まぐるしい。

ヴァイオリンで提示され、チェロに受け継がれる第二主題は、
美しく、かつ、深い意味を感じさせて、胸を打つ憧れの音楽となっている。
叙事詩的、バラード風というのも、分かるような気がする。
また、ここに突然、リズミックな楽想が割り込んでくる場面など、
あくまで、深刻になりすぎない趣味人オンスロウの面目躍如としたものである。

この演奏のヴァイオリンの、練り絹のような響き、自発性にも好感が持てる。
演奏はベルリンドイツ交響楽団のソリストとあるが、
Hans・Maile、Igor・Budinstein、Andre・Saad、Akira・Akahoshi
という名前が並んでいる。コントラバスは日本人である。
(解説によると、N響や桐朋で教えたベテランで、ドイツ在住とある。)
さすがコスモポリタン作曲家。

前述のように、ピアノはHorst・Gobelで、プロデューサーを兼ねている。
(したがって、二曲めも同じピアニストであるが、協演は異なり、
ベルリンフィルのオーケストラアカデミーの人たちとの演奏である。)

積極的で推進力あるピアノ、ヴァイオリンの美音に加え、
時折、チェロも、甘味で量感のある音色を響かせるのも、オンスロウ的だ。
前回、書いたように、これが魅力であることは言うまでもない。
ただし、せっかくのコントラバスの存在感はまるでない。録音のせいか。
ドラゴネッティが怒る。

「続くスケルツォは、下属音のハ長調、
6/8拍子のアレグロ・ヴィヴァーチェであるが、
中間部の歌に満ちた部分も8分音符で満たされている。
愉快なアクセントと、弱いビートが効いている。」

先ほどまでの、深刻な雰囲気は一掃され、
妙に気ぜわしい、軽妙な音楽である。
ここでは、ピアノと弦楽が対立的に扱われていて、
ブラームスのピアノ協奏曲の軽量版みたいな趣きである。
改めて、考えてみれば、第一楽章の主題は、
ブラームスの第一ピアノ協奏曲そっくりだ。

「アンダンティーノ・モルト・カンタービレの冒頭部を持つ、
第三楽章、ホ長調の『ロマンス』は、
オンスロウのずっと早い時期の作品の流用で、愛好家を面食らわせる。
それは、彼の最初の四手のピアノソナタ・ホ短調作品7であって、
ここでも『ロマンス』と呼ばれていた。
これら二つのバージョンの顕著なテンポの違いは、
もっぱら違う楽器を使うことによるものであり、
最後の15秒だけが違っている。
また、そこには違ったサプライズが用意されている。
チェロが五重奏曲の最初と最後で壮麗な効果を上げているのに、
中間部ではオンスロウはドラマティストになりきれなかったのであろう、
そのピアノソナタでは、考えられる限り、民謡的な傾向を示している。
五重奏曲では、恋人たちが口論しているような間に、今にも喧嘩が始まりそうだ。」

この楽章、序奏は、ショパンのピアノ協奏曲のようにロマンティックだが、
いきなり、唐突に、奇妙にリズミックで劇的な音楽が始まる。
男女のやりとりを模したサロン的性格など、ウェーバーを思い出した。

「アレグロ・アニマートに導かれる
五重奏曲の終楽章は、フランスの標題音楽の最初の一例であろう、
『風のそよぎ』という標題を持ち、
ピアノと弦楽は、順番に幾分、効果的な風の音を作り出す。
さらに自然を描写したような部分が続き、
我々は音楽的な田園詩の世界を通って、
必然的なハッピーエンドに至る。」

ちろちろ、どろどろと、細かい音形が繰り返され、
弦が、びゅーっと引き伸ばされて、何となく戯画的な音楽。

どうして、ブラームス、ショパン風のシリアスな調子から、
このような展開になるのか、理解に苦しむ。
あるいは、趣味の作曲家の、余裕のなせる業であろうか。
ブラームスも、第二ピアノ協奏曲では、軽やかな終楽章を用意したので、
あるいは、これもまた、何か思惑があるのかもしれない。

ということで、各楽章に工夫が凝らされ、
非常な力作であることは確か。一聴の価値も、二聴の価値はある。
何度も書くが、第一楽章など、とても良い。
終楽章は、それを支えていない感じ。

得られたこと:「オンスロウのピアノ五重奏曲は、確かにシューベルトと同じ編成。ただし、内容は異なる。ブラームスの元ネタ風のシリアス音楽であるが、最後にハイドン風になる。」
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by franz310 | 2007-03-03 20:55 | シューベルト | Comments(0)