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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その59

b0083728_2134556.jpg個人的経験:
ここで、CDの内容に戻り、
さっそく、オンスロウ中期の
音楽に耳を澄ませてみよう。
CDをかけると、
冒頭から深々と歌われる
チェロの歌の
しみじみとした味わいに、
しばし陶然としてしまう。
録音も良いのだろう。

今回、ピアノがはじけ回るのとは、
まったく異なるオンスロウを初めて聴いたが、
これは素晴らしい収穫であった。
前回のCDで、
『今回、録音された二つの作品は、
オンスロウの最後の作曲時期に含まれるものである。
1846年、彼は20年にも及ぶ空白のあとピアノに戻ってきた』
などと書かれていたが、このCDは、この傑物が、その間、
何をしていたかが理解できる資料でもある。

CDの解説には、この曲はこう書かれている。
「作品34のイ短調の弦楽五重奏曲の
第一楽章(アレグロ)ではチェロが主題呈示を行い、
第一ヴァイオリンが引き継ぎ、これを完結する。
チェロは第一ヴァイオリンとほとんど等しい地位で主題呈示し、
オンスロウのチェロへの愛を示し、
ダブルベースによる支持によって、
通常の低音機能というものから
楽器を切り離して自由にすることに成功している。」
オンスロウのチェロへの愛情はかくのものであった。
ぶっきらぼうな始まり方ではあるが、非常に深々とした息遣いが、
大変印象的である。

「第一主題の展開から派生した半音階的な動機が、
直接、第二主題を導き、柔軟なチェロのカンティレーナが、
並行三度とオクターブで4小節を広げていく。」
確かに、さきほどのぶっきらぼうな印象から流れ出すメロディは美しく、
夢見るようなチェロの歌が美しく、
ヴァイオリンが同格で受け止める展開は、豊かな幻想性を感じさせる。

「続く部分では、各楽器のきらびやかなパッセージが、
テーマの展開につれて交錯する。」
この色彩的で、いくぶん気まぐれな印象が、
後年の作品と共通し、オンスロウの個性として認識できた。

「メヌエットは、4小節のユニゾンで始められ、
スタッカートの動機、点描風の進行によって特徴付けられる。
トリオの部分では、いろいろな楽器ペアによって、
民謡風のメロディが導かれ、メヌエット部と対照を際立たせる。」
これまた、渋さと平易さが混在する楽章である。

「ヘ長調のアダージョ・エスプレッシーヴォは、
声部交代の技巧の模範例である。
ヴィオラが感情表出力のある8小節の主題を奏し、
ダブルベースのピッチカートに支えられながら、
低い音域で第二ヴァイオリンとチェロが伴奏する。
次の変形では、第一ヴァイオリンが上の声部を歌って、
チェロの主題提示を彩る。」
ゆっくりした優美な楽章で、
ここでも、愛するチェロは別格。
ついつい美しいメロディが、飛び出して来るといった感じだ。

「終楽章は、異常に長く、
またしても、チェロによって提示され、
第一ヴァイオリンによって続けられる明るく技巧的な主題が、
ピッチカートによって、魅力的にサポートされる。
ホ長調の第二主題は、楽章の進行に従って、
陽気な技巧の連続によってかき消されてしまう。」
奇妙な表現であるが、確かに、せっかく出てきた美しい主題は、
ぺちゃくちゃしゃべるヴァイオリンや、フーガ的な展開によって、
どこかに行ってしまう感じである。
6分しかないので、異常に長いとは思えないが、
ちょこまか動き回る感じがくどいということなのであろうか。

いずれにせよ、この曲を聴くことによって、
オンスロウが「室内楽の巨匠」であることも、
チェロの美しさを表出するのに、卓越した手法を繰り広げたことも、
よくわかる。
コントラバスの下支えによって、これが可能になったのである。

では、次の曲(作品35)はいかがであろうか。
「作品35の弦楽五重奏曲ト長調における、
オンスロウの主題の取り扱いは、少し違ったものである。
アレグロ・スピリチュオーソ・アッサイの開始部は、
作品34の五重奏曲の地味な主題の複合体とは対照的に、
小さなほとんど断章のような動機群から成っている。
技巧的な動機が繰り返され和声的に変奏されて、
主題の展開の代わりを務める。」
メロディアスというよりも、技巧的なパッセージが、
表情を変えながら積み重なっていく感じの曲であるが、
ヴァイオリンやチェロが、断片的に意味深い会話を交わすあたりなど、
とても、耳の心地良い。

「ゆっくり、のっそりしたト短調のメヌエットは幾分軽いものだが、
ト長調のリリカルなトリオ部はもっと活気があって、優雅である。」
確かに、トリオ部の優美なメロディは、うっとりするように、
チェロで歌われるが、主部は切迫してあわただしい。

「大きく弧を描く、面白いリズムのチェロのメロディが、
変ホ長調のアンダンテ・カンタービレを開始する。
チェロと第一ヴァイオリンが楽しげに交互に主題を運ぶが、
各楽器の独奏の役割への分配が、
テクスチュアを緩くしてしまうオンスロウの傾向をよく表わしている。」
なるほど、やはり気まぐれなところが、
集中力を欠くといった感じであろうか。
アンダンテ・カンタービレというには、
あまりにもちょこまかと動きすぎる感じはするが。
主題は特徴的であり、小技は利かせられるが、
大きな流れにまで発展しないのが問題といえば問題か。

「終楽章のプレストは、第一楽章の内的混乱を引き継ぐ。
同時代のレビューによると、
『短く、無駄なく、からかうようで、奇妙な』、
と主要主題を表現している。
一方で、ダブルベースとヴィオラの古風な伴奏が、
民族的なクオリティの副主題を導く。
派生した3連音の動機が展開部で支配的な役割を果たす。」
この楽章も、極めて快活で、ハイドン的なアイデアに満ち、
どこに向っているかわからないような錯覚を覚える。

「19世紀の保守的な批評家から賞賛を勝ち得たのは、
オンスロウが、ヴィーン古典派の形式を信奉し続けたからである。
弦楽五重奏曲の形式は、
楽器間のソロの交錯、様々な声部のグルーピング、
楽器の役割の入れ替えなどを含む、多様な作品の変容の道を開いた。
古典形式の枠内の可能性を創造的に活用することによって、
音楽に豊かな創意に富んだメロディを吹き込むことによって、
オンスロウは19世紀のこのジャンルで重要な代表的人物となったのである。」
古典形式を使いまわして、
その限界まで使い尽くした作曲家であったが、
結局、枠から外れることがなかったということであろうか。
確かに、この中期の作品と、前回取り上げたCDの後期の作品の間で、
際立った違いは楽器編成だけといった感じがしなくはない。
20年も隔たりがあるにもかかわらず、オンスロウは、
才能に溢れた、よき趣味人であり、
ベートーヴェンのような革新者でも、
シューベルトのように、
音楽に全てを捧げた啓示的存在でもなかった、
ということであろう。

生涯を貫く太い流れがあって、
そこに明らかな発展があるという大作曲家ではなかったかもしれないが、
心が豊かに満たされる音楽を書いた人であったということが、
このCDからも教えられるのである。
確かに、このCDに収められた作曲家の肖像からも、
趣味人の余裕のようなものが感じられないだろうか。

得られたこと:「チェロが活躍するためには、コントラバスの導入が効果的である。」
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by franz310 | 2007-02-25 21:06 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その58

b0083728_2043651.jpg個人的体験:オンスロウという名前を、
例えば、
音楽学者のアインシュタインが書いた
「シューベルト」(音楽的肖像)
などで調べると、
「ます」の五重奏曲ではなく、
同じ五重奏曲でも
晩年の大作、
「弦楽五重奏曲」の説明のところに
名前が挙げられている。

シューベルトの傑作五重奏曲は、
二曲とも、編成でいつも物議をかもす。
ピアノ五重奏曲では、コントラバスの使用が問題となり、
弦楽五重奏曲では、何故、チェロが二挺使われるかが論議となる。

アインシュタインは、後者のモデルは、
オンスロウが模範でないかと書いている。
同様の編成で五重奏を書いた先達にボッケリーニがいるが、
これを否定した上で、
「むしろ、ジョルジュ・オンスローの多数の五重奏曲の一つが
模範だった可能性の方がはるかに多い。」
「第二チェロは本質的には音の支持であって、
このことは再び、五重奏曲の一部において第二チェロの代わりに
コントラバスを使用することを許したオンスローとの関係を示唆する。」
と書いているのである。

こんな事を書かれると、オンスロウの作品を、
特に五重奏曲を聴きたくなってしまった。
オンスロウの作品などはろくに日本では発売されないが、
うまい具合に、ヨーロッパでは再発見の機運が高まっているようで、
ドイツのMDGレーベルが、
2004年に発売した輸入盤を発見することが出来た。
しかも、ちょうどアインシュタインが書いた、
コントラバス利用の演奏であるのが泣けるではないか。
Quintett Momento Musicale という若手の団体が演奏していて、
録音は優秀で演奏も冴えている。

CDの表紙の絵画もきれいだが、
1673年のヴァン。ダイクが書いた肖像画である点、
いったい、オンスロウと何の関係があるのだろうか。
五重奏曲だから、子供5人ではあるまいな。
犬は何だ?コントラバスの象徴か?

しかし、解説書は、まさしくかゆいところに手が届く内容だ。
これはうれしかった。

「際立った天才たちの存在を無視することなしに、
マイナー作曲家の作品にも、先入観なく客観的な方法で、
アプローチする必要を、今日の学者も音楽家もが認めている。
その結果、音楽愛好家たちは、興味深く、
また、各ジャンルの発展という歴史的な重要度もある
作品たちに親しめるようになってきた。
生前、『室内楽の巨匠』とみなされながら、
ほとんど忘却の淵に落ちた作曲家による二つの作品を、
今回のレコーディングは紹介する。」
まるほど、「a master of chamber music」というのが、
オンスロウの評価であったわけである。

「ジョルジュ・オンスロウは、1784年、
7月27日、オーヴェルニュのClermont-Ferrandに生まれた。
彼の父親は、古い英国貴族の家系で、1781年にイギリスを離れ、
母親もオーヴェルニュの立派な家系の出身であった。
オンスロウは英国でよい教育を受け、
ロンドンにおけるヒュルマンデル、
ドゥセック、クラーマーらの指導によって、
若くして評判のピアニストになった。」
なるほど、前のCDにはなかったが、彼はピアノの名手だったのだ。
それなのに、何故、弦楽五重奏なのか。

「それからおそらく1798年に、彼はオーヴェルニュに戻り、
そこで、親交を結んだアマチュアの室内楽奏者たちによって、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンやボッケリーニの作品に親しみ、
チェロを習うに至った。」
ちゃんと、私の疑問にも答えてくれているではないか。

アインシュタインは、シューベルトとボッケリーニの、
直接的な関係は否定したが、シューベルトが影響を受けたとした、
オンスロウはボッケリーニに親しんでいたわけだ。

さらに、オンスロウが、ピアノとチェロを弾いたというところが、
なんとなく「ます」の五重奏曲の成立事情を想起させはしまいか。
そう、あの作品は、アマチュアのチェロ奏者の求めに応じて、
作曲されたのであった。

「同時代の室内楽への徹底的な係わり合いが、
オンスロウの作曲への関心を目覚めさせた。」
何と明快な話であろうか。

「以前、信じられていたオンスロウのベートーヴェン訪問は、
どうやら作り話だと証明されており、むしろ、オンスロウは、
生涯を通じてベートーヴェンに対して、特に後期の作品に対して、
アンビバレントな感情を抱えていたようだ。」
これも分かりやすい。

この前のCDは、オンスロウの後期の作品のものだったので、
何だか時代遅れの変人作曲家といった面が強調されていたが、
これを読むと、野人ベートーヴェンに対し、
貴公子オンスロウといったプロフィールが、非常に鮮明となり、
二十歳かそこらの小僧にしては、かなりませた、
また高踏的なハンサムガイであったような気がしてきた。

「オンスロウの最初の作品は、
三つの弦楽五重奏曲作品1で、1806年頃、出版されている。」
22歳である。いきなり、五重奏曲というのもすごい。
ハイドン、モーツァルトの四重奏曲に、無理やり、
好きなチェロを持って乗り込んだ形であろうか。

「ピアノソナタ作品2、三つのピアノ三重奏曲作品3、
最初の弦楽四重奏曲作品4がすぐに続いた。」

1806年といえば、「英雄」と「運命」にはさまれた、
若いベートーヴェンの飛翔期であり、
シューベルトは、まだ10歳にもなっていない。
こんな時代から活動を開始してさらに半世紀の活動を続けたのであるから、
一代の傑物としか言いようがない。

「ここに至り、彼は、音楽の正式な基礎教育の必要性を感じ、
パリで、アントン・ライヒャ(1770-1836)という
傑出した先生に出会った。
ライヒャは、ヴィーンでハイドンやベートーヴェンを囲むサークルに入り、
自らを鍛え、理論的な知識を獲得した。パリ音楽院の教授として、
リストやベルリオーズ、フランクらを教えた。」
次世代のホープたちの先輩に位置するというわけである。

「室内楽はオンスロウの作品群の中心をなし、
彼も次第に、それに身を捧げ、
他のジャンルは事実上排除してしまうこととなった。
彼の三つのオペラはパリで注意を引いたけれども、
その4つの交響曲と同様、室内楽と同じような賞賛を得ることはなかった。」

「1842年、彼はケルビーニの後任として、パリの学士院の会員となった。」
もう、ベートーヴェン、シューベルトの死後、十数年が経過していて、
改めて、その音楽的生命の長さに驚嘆する。
さらにこの後、彼には十年以上の寿命があった。

「彼は、イギリス、オーストリア、ドイツでもさまざまな名声を博した。
彼はパリでの熱狂的な音楽生活を避け、
オーヴェルニュの比較的人里はなれた場所で、一年の大半を過ごし、
ここで創られた作品を冬になるとパリのサロンで発表した。」
このあたりは、前のCDにも出ていたことである。
「彼は病気がちな身体と、狩りでのアクシデントによる後遺症によって、
残りの人生を苦しめられ、同時期には、彼の作品が次第にフランスの音楽界との
関係を失っていくという状況に立ち会うことともなった。」
前回のCDでは、晩年まで歓迎されていたようだが、この狩りでのアクシデントは、
たぶん、これらの作品が出版された頃起こったものと思われるから、
(続く作品番号の作品で、オンスロウはこの事故を扱っているらしい。)
かなり長いレンジでの話である。

「室内楽の親密な喜びは、グランドオペラや交響詩のファッショナブルなテイストに、
大きく道を譲ることとなった。ジョルジュ・オンスロウは、1853年10月3日、
クレルモント-フェランドで息を引き取った。」

「オンスロウの初期、中期、後期の作品は、
その生涯における特定の領域への好みの変化の強さによって、
識別してもよいだろう。
中期は彼の弦楽四重奏、五重奏への愛情が大きく影響しており、
フランスとドイツで、その名声の基盤となった36曲の四重奏曲、
34曲の五重奏曲が書かれた。
彼の室内楽は明らかに、
ボッケリーニに代表されるイタリアの伝統にルーツを持ち、
五重奏曲ではヴィオラ一挺チェロ二挺の構成を引継ぎ、
19世紀の作曲家たちの主流から一線を画した。」
このように見ると、
パリのサロンで、ピアノの技巧と、管楽器の様々な音色を、
撒き散らして賞賛を受けた作曲家といった、
前回のCDの印象から打って代わって、真摯な求道者としての、
オンスロウ像も形成されてくるのである。

「彼はヴィーン学派が好んだヴィオラ二挺チェロ一挺の構成には
最後の五重奏曲である作品78、80、82まで戻らなかった。
実際、作品32の五重奏曲以降、オンスロウは二挺のチェロの一つを、
ダブルベースで代用することを好み、
この録音でも、その代用が選択されている。」
「ます」でも、常に問題となるコントラバスの利用が、
オンスロウでは、普通に起こっているわけである。

ここから、ついに、コントラバス利用でも良いという、
不思議な編成の誕生の秘話が語られる。
「ダブルベースを利用するというアイデアは、
どうやら、ロンドンでのあるイブニングに端を発しているようだ。
オンスロウは作品32の五重奏曲をある夜会で披露しようとしたが、
第二チェロ奏者が現れず、たまたま居合わせた、
有名なベーシスト、ドメニコ・ドラゴネッティが即興で、
チェリストの代役を務めたのであった。
もともと懐疑的だったオンスロウに、彼の演奏は深い感銘を与えた。
以降、彼は、チェロか、アドリブでダブルベースでもよいと書くようになった。」
これも、ぶっとぶような偶然ながら、
コントラバス利用の効果が発揮された瞬間を物語って、
妙にリアリティがある記述である。

ドラゴネッティは、確か、シューベルトの「ます」の、
コントラバスパートを褒めていたのではなかったか。
この人のことを調べると、イタリア出身のコントラバス奏者で作曲家であり、
1794年以降、ロンドンにあって半世紀を過ごし、
何度か大陸を渡り、ヴィーンではハイドン、ベートーヴェンとも、
親交を交わしたとある。
何と、30曲以上の弦楽五重奏曲はコントラバス入りだという。
後に出現する、ドヴォルザークのコントラバス入りの弦楽五重奏曲もまた、
珍奇な楽器編成で話題になるが、ちゃんとルーツはあるようだ。
とにかく、その楽器の名手たるもの、標準編成に加え、
自分の楽器を持ち込みたがるものと見える。

「作品33の弦楽五重奏曲や、
作品36の3つの弦楽四重奏曲とともに、
1829年3月にライプツィヒで出版された、
この録音の二つの弦楽五重奏曲(作品34、35)は、
オンスロウ中期の作品である。
すべてのオンスロウの五重奏曲と同様、
第二楽章がメヌエットである4つの楽章からなり、
両端の楽章はヴィーン学派の不文律たるソナタ形式で構成されている。」
1829年といえば、シューベルトの死の翌年。
つまり、大傑作とされるシューベルトの「弦楽五重奏曲」の翌年。
オンスロウは作品82まであると書かれていたから、まだ、途半ば。
シューベルトの生涯の疾走と、
シューベルトの初期と後期に置かれた、
たった2曲の五重奏曲が、どのような時間軸で書かれたかを、
改めて痛感させられた。
オンスロウが、ゆっくりと自己の道を模索している間に、
短命のシューベルトは、その時点の音楽界での、
最良の成果を取り入れながら、
火花のような作品を刻んでいったという感じである。

それにしても、ライプツィヒで出版とは、
ロンドンで勉強し、パリで活躍した人にしては、
かなりの国際的知名度ではないだろうか。
シューベルトは亡くなる数年前から、ヴィーンの出版社に失望し、
様々な出版社と交渉を試みていたが、ライプツィヒの出版社からの対応は、
以下のようなものであったとされる。
ペータース社:「偉大な作曲家の出版で手一杯である。」
プロープスト社:「もっとわかりやすい作品を希望する。」
ただし、プロープストは、結局、シューベルト晩年の傑作である、ピアノ三重奏曲作品100を出版しており、前述の弦楽五重奏曲も、結局出版されなかったが送付したようだ。

得られたこと: 「オンスロウはフランスの作曲家であるとはいえ、国際的な知名度も高く、シューベルトに何らかの影響を与えた可能性は大きい。」
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by franz310 | 2007-02-17 20:06 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その57

b0083728_2112911.jpg個人的経験:「シューベルトの
『ます』五重奏曲の編成は、
当時としては特殊ではなかった」と、
フォルテピアノ、ヴァイオリン、
ヴィオラ、チェロ、
ダブルベースのメンバーで
結成した常設五重奏団、
ネポムーク五重奏団の
次のCDは、ネットで見る限り、
オンスロウ、ドゥセックらの
作品が収められているらしいが、
某大手輸入CD屋に問い合わせたところ、
カタログに見つからないという。

悔しいので、オンスロウのCDで、
ピアノが入った室内楽を買ってきた。
ワーナーの廉価版シリーズにあったので、
安く入手できた。

「大六重奏曲、作品77b」は、ピアノ、フルート、クラリネット、
バスーン、ホルンとダブルベースのための作品で、
次に収録された、「大七重奏曲、作品79」は、
それにオーボエが追加されている。

フンメルの作品74の七重奏曲の続きのような、
作品番号であるが、編成は少し異なっている。
フンメルにはヴィオラとチェロがあるが、
こちらは、それがなく、代わりにクラリネットと、
バスーンが含まれている。

いずれも、「Grand」と書かれているとおり、
4楽章形式、30分を越える作品である。
ニールセン五重奏団と、Marc Marderのダブルベース(コントラバス)に、
何と、フランスの大家、ジャン・ユボーがピアノで加わっている。
ニールセン五重奏団は、管楽五重奏団なのであろう。

オンスロウは1784年生まれ。
ベートーヴェンとシューベルトの間の世代で、
フンメルより6歳若い。
確かに、こんな人であれば、「ます」に似た作品を、
残しているかもしれないと期待が高まる。

名前だけは聞いたことがあったが、
今回、初めて聴く作曲家である。
何だか北欧的な名前だと思っていたが、
どうやらフランス人で、CDをかけた瞬間に、
「これは、フンメルではないかっ」と、
のけぞってしまった。

とにかく、解説が読んで見たい。
廉価盤ながら2ページばかりではあるが、
解説があるのが助かる。

「フランスでオペラが隆盛していた時、
当時リーダーであった作曲家が、
オーベール、アレヴィ、ボアエルデュやマイヤベーアであった頃、
オンスロウは一人、長い生涯にわたって室内楽への敬愛を持ち続けた。」
確かに、長らくフランスでは器楽の芸術は、
理解されず、ベルリオーズなどが孤軍奮闘していたことを思い出す。

「イギリスの家系でオーヴェルニュに生まれたオンスロウは、
70からの弦楽四重奏曲、五重奏曲だけでなく、
ピアノとその他の楽器による様々な組合せの作品からなる、
膨大な作品群を残している。」

「今回、録音された二つの作品は、
オンスロウの最後の作曲時期に含まれるものである。
1846年、彼は20年にも及ぶ空白のあと、
ピアノに戻ってきた。その時期から、彼は死ぬまでの間、
二つの五重奏曲(作品70と76)、六重奏曲(作品77b)、
一つの七重奏曲(作品79)がピアノのパートを持って書かれた。
さらに作品81の木管五重奏曲とともに、たくさんの弦楽四重奏曲が、
この時期の重要な証言となっている。」

1846年?これは、ベートーヴェンや、
シューベルトの死から20年近く経った時期。
フンメルも亡くなり、もう、シューマンやショパンら、
次の世代の活躍すら終わろうという時期ということとなる。
改めて、その没年を見ると、1853年とある。
62歳の作曲家が、70歳近くまでに書いた作品ということになる。
だいぶ、先にあげた大作曲家の生涯のパターンからは、
かけ離れた異才であることが分かる。恐ろしい創作意欲で、
晩年まで満ち溢れていたようだ。

1853年といえば、もうショパンは死んでおり、
シューマンがライン川に投身する前年である。

「六重奏曲作品77bは。1849年のもので、
実際、この作品は、前年に書かれ、アルバート公に捧げられた
弦楽と木管五重奏曲のための『九重奏曲作品77』の編曲である。
アルバート公自身、そこそこの作曲家であって、以前、オンスロウに曲を捧げ、
その印刷された楽譜をオンスロウに贈ったことがあった。
この賞賛に感激したフランスの作曲家は、
最も成功した作品である九重奏曲を、
プリンスの合奏団に敬意を込めて送った。」

オンスロウは、すっかり忘れられた作曲家であるが、
当時は、かなり、高位の人の知遇もあったようだ。

「九重奏曲を六重奏曲に編曲するに際し、
実質には何も変えていないとオンスロウは述べている。
弦楽のパートはピアノに置き換えられ、
木管の部分は控えめにオーボエを追加しただけなのである。
詳細に作品の分析をしてみると、古典的で、
デリケートで、磨き抜かれた楽器の使い方に支えられた、
バランスよい形式であるにもかかわらず、
霊感の豊かな鉱脈を見つけることが出来る。」

さすがに、弦楽パートから書き改められただけあって、
ピアノの名技性は、巨匠フンメルのものに比べるとおとなしいが、
悲愴味を帯びたり、のどかになったりと、
移ろいやすい気まぐれな楽想の展開が、
フンメルの作品74と酷似している。
フンメルの作品も大ヒットしたらしいが、この曲も、
いかにも時代の空気にマッチしたものを感じる。

第二楽章も、メヌエットと書かれているが、
フンメルの曲は、「メヌエット、スケルツォ」とあったが、
これまた、神秘的な、「悲しいワルツ」といった風情。
類似品ながら個性的である。

第三楽章は主題と変奏、これまた、フンメルと同じである。
これは、ずいぶんのんびりした主題である。

第四楽章は、深刻な曲想で、なかなか聴かせるメロディである。
第二主題は、ほのかに立ち上る香気がかぐわしい。
ここは、ハンガリー舞曲風に、
勢い良くまとめたフンメルとは違う展開である。
シューベルトのように、どこかに運ばれていくような終曲。

「1849年にベルリーブ城で書かれた、
『七重奏曲作品79』は、
掻き立てられた情熱、
はっきりとした霊感の新鮮さによって、
非常に魅力的な作品である。
モシュレスの七重奏曲作品88のように、
明らかにピアノが支配的な書かれ方で、
その様式が作品を協奏曲的なアプローチのものにしている。
それにもかかわらず、オンスロウは七重奏曲の開始部から、
他の楽器にも大きな広がりを持たせ、
ソロとしての輝きのチャンスを与えた。」

確かに、さまざまな楽器が、即興的な楽句を、
特有の音色で思い切って吹き鳴らし、
次第にモチーフが明確になっていくところなどは、
非常にスリリングで魅力的である。
序奏に続く主題は、ピアノでたっぷりと歌われる優美なもので、
続いて、各楽器が、それを歌いついで行く際にも、
あざやかな名技がまばゆい効果を上げている。
警句的なフレーズが緊張感を高めると、
憧れに満ちたピアノのメロディが戻ってきて、
聴くものの心を優しく包み込む。

第二楽章も緊張感溢れるスケルツォで、名技的なパッセージが飛び交い、
素晴らしい効果を上げている。
第三楽章は、ホルンが美しく呼びかけるアンダンテ。
朝の澄んだ空気を思わせる佳品である。
ブルリーフとは、こうした新鮮な緑の香りする場所なのだろうか。
第四楽章は、のどかな木管合奏で始められ、
快活にピアノが駆け巡るフンメルを思わせる終曲。
ここでは、ちょっと、凝集力に欠ける気がする。

「19世紀の中盤の作品であるには関らず、
これら二つの作品、現代の聴衆は、
古典的な形式の形跡が残ることで驚かされる。
確かに、オンスロウは最期の時まで、
ハイドンやモーツァルトの時代の遺産に忠実で、
構成にアカデミックなアプローチを残している。」
確かに、不満があるとすれば、作曲年代からして、
時代遅れ的な印象があることであろうが、
この人の寿命が長かっただけであり、
生年からすると、このような作風でもやむを得ない。

「ロマン派の精神に対する免疫がなかったとはいえ、
その和声やメロディの半音階的書法は、
ドラマティックというよりもリリカルな
形式上の着想、最後にある種の感情的傾向からして、
彼を、シューマン、ウェーバー、シュポアやメンデルスゾーンなどの
初期ドイツロマン派の仲間に位置づける。」

「オーヴェルニュの地所の広大な背景のもとで、彼は作曲を行った。
そして、毎年、冬の4ヶ月、彼は聴衆に、
その最新の努力の結果を聴かせるべくパリに行った。」
オーヴェルニュといえば、美しい民謡で有名な、風光明媚な高原の地と聴く、
「ます」の五重奏曲が、シュタイアーの大自然から生まれでた事を、
思い出した。
オンスロウを聞きながら、オーヴェルニュの自然に思いを馳せよう。

「彼の友人で、パリ音楽院のピアノ教授であるアントニー・マーモンテルは、
これらの機会について、こう記述している。
『オンスロウの名声は、力強い演奏者たちの協力もあり、高まり続けている。
毎冬、Baillot、Tilmant、Urhan、Kreutze、Vidal、Louis Norblin、
Alard、Sauzay、Cuvillon、Dancla、Franchomme、Gouffe
たちが出演するよう要請された。』」
(12人もいる!)
こんな人たちが、入れ替わり立ち代り、
俺も俺もと演奏に参加していたとしたら、
いろいろな編成のものが、しかも、各楽器が印象的に活躍するものが、
生み出されないわけがなかったのだ。
シューベルトの名作「ます」の五重奏曲もまた、
よき友人、信奉者の手で温められて生まれてきたことを、
改めて思い出した次第である。

「一般的に、オンスロウの作品は、作曲家の友人の家で初演され、
演奏者たちは手稿から初見で演奏した。
作品77bの六重奏曲に対する、熱狂的な賞賛は、彼のさらに早い時期の
1825年に書かれた作品30の六重奏曲の異常な成功を、
さらに確かなものにした。」
1825年といえば、ベートーヴェン、シューベルトの晩年にあたる。
先に、20年もの間、ピアノ音楽を書かなかったとあったが、
これら大家が亡くなった頃、オンスロウはピアノから別れ、
再び、そこに戻って来たということになる。
タイムカプセルみたいな音楽に聴こえなかっただろうか。

「これらの六重奏曲の中の楽章の一つやいくつかを、
オンスロウの友人たちが演奏した晩の数を数えることは不可能である。
これらはまた、二つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、
ダブルベースとピアノのために編曲されてもいる。」
この編成だとすると、ヴァイオリンを一つ取ってしまえば、
シューベルトの「ます」と同じ編成になる。
この記述からも、シューベルトの採った編成は、
決して特殊ではなかったことが分かる。
また、楽器を増やしたり、減らしたりがお手の物だった
オンスロウが「ます」と同種の編成の作品を書いているとしても、
全く不思議ではない。
この作品30といい、弦楽のための編曲といい、
機会があれば、聞いてみたいものである。

「作品79の七重奏曲は、この作品のピアノ編曲を献呈された、
シャルロッテ・デ・メルヴィルによって初演されている。
彼女は、数ヵ月後には、今度は、オンスロウによるピアノと、
ダブルベースを含む弦楽五重奏のための編曲版をも演奏した。
また、最近の研究では、この編曲版は、
大家タールベルクの名前を、パリで高めたものである。」
とにかく、ヒットはする、編曲はされて著名な演奏家に演奏されるなど、
恐ろしく充実した晩年だったようだ。
これは、ベートーヴェンやシューベルトの晩年とは、
少し、違ったものであったようだ。

廉価盤ゆえか、この解説は、各楽章までは記述がなく、
演奏家についても触れられていないが、これまで読み、
また、このCDで聴いてきたとおりの感想で、締めくくられている。
「これらの作品を聴くと、何故、生前は高名でありながら、
今日、ほとんど演奏されない理由が理解できない。
19世紀の大作曲家の一人とまでは言えないとしても、
オンスロウは、その魅力的な作品群が再発見されるに相応しい
この時代のフランスの室内楽の
輝かしい代表者であることは間違いない。」

もうすぐ、ブラームスらが活躍するという時代にあって、
確かに、この人の作風は回顧趣味的で、フンメルなどからすれば、
30年くらい遅れているような気もするが、楽想は魅力的だし、
友人たちにいろいろと口出しされて書いたのであろう作品たちは、
楽器の魅力を発散している点では、フンメルを制した。

晩年まで友人や理解者に囲まれ、自然の中で楽想をはぐくんだ、
この知られざる作曲家に今回、出会えたことは、
非常によかったと思う。

得られたこと:「よき友人たちの存在が、室内楽の表現力をより豊かにする原動力となる。」
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by franz310 | 2007-02-10 21:02 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その56

b0083728_112226.jpg個人的経験:
このCDの後半には、
さらに長大な作品が
収められている。
前半のリースは、
ベートーヴェンの弟子として、
文献には必ず登場し、
CDもいくつか出ているのを
知っているが、
Limmerという名前は初めて知った。


解説を読み解いてみると、こんなことが書いてあって、
非常に感銘を受けた。

「フランツ・リンマー
(1908 ヴィーン - 1857 ティミソアラ)
早い時期からリンマーの天分は明らかであったので、
両親は、ヴィーンの音楽院に入学させ、
そこで彼は他の教科とともにチェロとクラリネットを学んだ。
最終試験に合格し、卒業証書とともに銀のモーツァルトメダルを得た。
しだいに、彼は和声学、作曲、管弦楽法を学んだが、
彼の先生は他ならぬ高名なヴィーンの作曲家であり教育者であった、
イグナツ・リッター・フォン・サイフリードであった。」

リースもエリート肌だったが、リンマーもすごい。
いかにも将来を嘱望される大器である。

「初期のリンマーの作曲家としての仕事は、1824年に編纂された、
40の新しいワルツに見られる。
ベートーヴェン、ヨーゼフ・ベーム、ヨーゼフとカール・ツェルニー、
ヘルメスベルガー、イグナツ・リッター・フォン・ザイフェルトの
短い作品に続いて、リンマー作のワルツが見られる。
ここに彼の作品が見えるということが、
たった16歳の作曲家の持つ才能のほどを示している。
へ長調のワルツは、16小節の中に多くの転調や半音階を含み、
大胆かつ、ザイフェルトから学んだすべてを具体化した成功した試みである。」

おっしゃるとおりで、いきなりベートーヴェンと並んだわけである。

「他の初期の作品としては、17歳のときのニ長調のミサ曲がある。
これはヴィーンのオーガスティン教会で初演されたが、批評家は、
作曲家を、『音楽の天空に現れた輝かしい流星』と賞賛した。
残念ながらこの作品は残っていない。
しかし、この作品は、1872年の新聞記事に見られるように、
リンマーの死後もティミソアラの聖堂で演奏されている
荘厳ミサ曲第一番になったのかもしれない。」

ベートーヴェンもシューベルトも、その最後の高みに、
駆け上がろうとしていた時代であるが、
同じ街にいた彼らはこの評判を聞いたであろうか。

「1830年、イグナツ・フランツ・カステリは、リンマーの弦楽四重奏曲作品10を、
彼の雑誌の中でレビューした。
彼はこの作品を聞いて喜んだ。しかし、この作品は
完全に理解するためには、勉強と練習を要するとも言っている。
そのたった1年後に、リンマーの4つのチェロのための四重奏曲が出版された。
この作品は、同じ年に続いて現れた3つのチェロのための三重奏曲と同様、
批評家からは大変高く評価されて受け入れられた。」

かなり変わった編成の音楽を書いたようだが、
このあたりまでは、エリート街道まっしぐらである。

「当時、ティミソアラのドイツ劇場の監督をしていたテオドール・ミュラーは、
ヴィーンの若い音楽家に着目し、1834年に指揮者の地位を提供した。
リンマーはそれを受け入れ、第二の故郷となるティミソアラにやってきた。
この時、南東ヨーロッパの小ヴィーンは経済的にも文化的にも繁栄していた。」

Timisoaraなどという地名は、初めて聞いた。

「ここでは、リストやシュトラウスのような有名な巨匠たちが、
熱狂的な音楽愛好家の群集の前で演奏を披露していた。
毎年、ベートーヴェンの「フィデリオ」やヴェルディの作品を含む、
15ものオペラが都市劇場で上演されており、リンマーもまた、
上司のアレクサンダー・シュミットの台本によって唯一のオペラ、
「アルペンヒュッテ」を作曲している。
この総譜は復元されておらず、ピアノ二重奏に編曲した序曲が残されているのみである。

この時代の作品としては、ト短調のヴァイオリン・ソナタと、歓喜の序曲と題された序曲が、他の作品とともに書かれた。」

いずれにせよ、地方の文化都市での活動が始まったが、
ここの劇場などで、華麗な活動を続けたわけではないことが、
以下に書かれている。

「1835年、リンマーはティミソアラの聖堂の合唱指揮者に任命され、
この教会のために、最もしられた作品である
作品14のオッフェルトリウム(ソプラノ、ヴァイオリン独奏、
オルガンとオーケストラのための)を書いた。
この作品は、オーストリア-ハンガリー帝国内の多くの教会で演奏された。」
これは、完全にシューマン、ショパン風の活動とは一線を画したものだ。
もちろん、ベートーヴェン、シューベルトとも、全く違ったもので、
あるいは、ブルックナーのような活動なのだろうか。
シューベルトなどにも、このような生涯という選択肢があったのだろうか。
シューベルトも最初は、ミサ曲などで認められたのだから。

「聖母マリアの賛歌や、来たれ聖霊など、
リンマーの他の教会音楽は、20世紀の前半まで
ティミソアラ地方で演奏され続けていた。
1842年作のレクイエム変ロ長調やヴェスプレなど、
リンマーの大規模な礼拝用の音楽は、つい先年まで、再発見されていなかった。
1955年の10月31日に、
前者はティミソアラの聖堂で再演された。」

シューベルトがもし、このような道を選んでいたら、
リンマーと同様、その土地に愛され、その土地を愛し、
幸福な生涯を送り、音楽史からは消えていったかもしれない。

「1957年1月19日のリンマーの死後、
レオポルド・アレキサンダー・ツェルナーは、
ヴィーンの雑誌に故人略伝を載せた。
『ザイフェルトの弟子リンマーは、素晴らしい音楽化で、
思慮深い指揮者であり、才能ある作曲家であった。
彼は、いくつかのよく書かれたミサ曲を含む、たくさんの教会音楽、
数曲の交響曲、特に特別の演奏能力を持っていた
チェロのためのものを含む多くの室内楽を書いた。
聖歌集や、奉献歌、それに室内楽など、
その作品のいくつかは出版されている。
その4つのための四重奏曲は当時、
とても成功したものである。
率直で陽気な人物であったリンマーは、
人をひきつけるマナーを持ち、
音楽の専門家である以上に、教養人であった。』」

彼が選んだのは、その地方に根ざしての誠実な活動であり、
天空を駆ける流星とは違う人になってしまったようだが、
これはこれで、心打たれる生き様ではなかろうか。
この地で、結局、リンマーは49年の生涯を閉じている。

ティミソアラとはどこにあるのだろうか。
改めて地図をめくると、何とルーマニアにあった。
ハンガリーとの国境近くではあるが、
故郷から遠いことに変わりはなかろう。

さて、ここからが、曲の解説である。
「フランツ・リンマーは、ニ短調作品13の五重奏曲を、
出版者であるレイムンド・ヘルテルに捧げている。」

出版者のヘルテルといえば、シューベルトの「魔王」を拒絶した、
ゴットフリート・クリストフ・ヘルテルが有名だが、
息子か何かだろうか。
いずれにせよ、シューベルトの場合は、出版社から、
「修行中の作曲家の仕事は引き受けない」とか、
「シュポアやフンメルの作品の出版を引き受けているので、
それどころではない」などと、憎たらしい扱いを受けていたが、
リンマーの場合は、それはなかったのだろうか。

作品14が1835年の作曲であるとあったから、
この時代の作品であろう。シューベルトはすでに世にないが、
同じ編成で書かれて、唯一音楽史の金字塔になった、
「ます」の五重奏曲が、ここに影響を与えているとは思えない。
むしろ、ピアノ協奏曲と室内楽の複合形のような、
フンメルの延長のもので、精神的には、
ショパンとシューマンの中間のような音楽である。

いずれにせよ、作曲家は、まだ26歳。
「ます」が書かれたのも、シューベルト22歳の年、
同様に青春の香り高い大曲と呼んで良かろう。

「オリジナルのタイトルには、ピアノと弦楽伴奏による大五重奏曲、
とあり、第一楽章のアレグロ・コン・エネルジーコは、
簡潔な4小節の主題の総奏から始まり、
徹底したピアノの超絶技巧の小節が続く。
しかし、この部分は弦楽が不明瞭になってはいけない。
第二主題はシューベルトを想起させ、まず、ピアノに聞こえ、
メインテーマと共に、弦楽が組み合わされる。」

確かに、心に染み入るような曲想は、シューベルト的とも
呼べるかもしれないが、さかんに飛翔しようとする、
ピアノの運動感は、むしろショパンの協奏曲を想起させるものだ。

「展開部は、弦楽によって第一主題がフーガのような処理をされ、
力強いテーマが戻ってくるまで、
ピアノが伴奏にまわって、絶え間ない技巧を聞かせる。
第一楽章を通して、ピアノは、ほとんど16分音符と三連符に満たされ、
これをピアノ協奏曲と呼んでも良いほどである。
「伴奏付きのピアノのための」というタイトルにも、
そのような視点が反映されている。」

冒頭から深刻であるが、わざとらしくない楽想が、
適度な緊張を孕みながら、展開されていく。
ショパンやシューマンの時代の人だけに、
前者の華麗なピアノへの傾斜も、
後者の深いロマンへの憧れも、
その両方が聴こえる音楽で、
この楽章だけでも16分もかかる。

さすが将来を嘱望されたエリートだけに、
要所にはフーガのように錯綜した技法も散りばめ、
この長大さを活かしきっている。
このひたむきな推進力で、先の二人の著名な同時代人と同様、
音楽で稀有の高みを目指そうとする姿勢が好ましい。

「スケルツォは、アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイと記されているが、
その性格は、シコペーションの主要動機と、
ぎこちない輪郭線、ピアノと弦楽との絶えまない競演によって、
もっとドラマティックなものになっている。

トリオにおいては、ヴィーン人であるリンマーが前面にでて、
ヨハン・シュトラウス父への明らかな類似が見出せる。
初期のリンマーのワルツと同様、大胆な転調が現れる。」

まさしく、何かを模索するようなスケルツォで、
変化に富み、非常にデリケートな感情の高ぶりが、
ロマンティックである。ただし、トリオは、
どちらかというとフンメル風に聴こえる。
気まぐれな安逸さが少し気になるが、
ひたむきな曲想のこの曲の中にあって、これも気分転換になっている。

「第三楽章では、ピアノソロのオープニングに続き、
弦楽が超著してためらうように、先導するメロディに寄り添ってくる。
いくつかのカデンツァのようなピアノのパッセージと転調が、
弦楽を伴奏にしたピアノの独白に続く。
この夢見るような楽章は、表題の『モルト・コン・エスプレッショーネ』
のとおりに閉じられる。
メロディアスな第一ヴァイオリンの主題が巧妙に他の弦楽に伴奏され、
弱音ペダルを伴ってピアノのアルペッジョが演奏され、
ため息のように消えていく。」

ピアノが華麗なパッセージを駆使するが、
嫌味でなく、それが妙に心に訴える、美しい緩徐楽章で、
弦楽の合いの手も深いメロディで音楽を彩る。

「アラ・ブラーヴェの終楽章は、聴衆にとって、いくらかやっかいなものである。
この複雑な音楽の中には、先立つ楽章での多くの特色が聞き取れる。
演奏者に高い演奏能力を要求し、トリッキーなリズムの参入、
たくさんのメロディックなパッセージ、巧みなポリフォニー、
無限の想像力を駆り立てるイマジネーション。
それに加え、彼の作品のいくつかで見られる
ピウ・ストレッタ(さらに速く)で、リンマーはクライマックスを築く。」

まさしく、ここに書かれているとおり、複雑な工夫が散りばめられた楽章で、
12分を要し、この大曲を壮大にまとめようとする意気込みが、
随所に感じられる。
まさしく、襟を正すべき、シリアスな作品で、
音楽に対するひたむきな姿勢を感じずにはおれない。
ただ、あまりにもひたむきなので、シューベルトの「ます」ような、
天真爛漫な世界を期待すると、その精神も技法も、あまりにも、
かけ離れた世界かもしれない。
シューベルトは、アマチュアのために書かれたがゆえに、
各楽器に存分な見せ場を作ったが、この曲では、ピアノは英雄的な
活躍をするが、弦楽部は、それを援助する補佐役に留まっていて、
名技的なピアニストがコンサートで、その技術を披露するに、
相応しい仕組みになっている。

「音楽の空に輝く輝かしい流星といみじくも呼ばれた
若い作曲家によって書かれたこの五重奏曲は、
全体として、どのように見ても、
この種の音楽の中で、最高の作品の一つなのである。」
などと、解説は結ばれているが、全く否定することはできない。


得られたこと:「シューベルト以降も『ます』と同じ編成の作品は書かれたが、それは、むしろフンメルの延長に位置づけられる。」
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by franz310 | 2007-02-03 11:32 | シューベルト