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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その50

b0083728_20554910.jpg個人的経験:
ここに、
ヴィーン・フィルの
楽団長を務めたこともある、
第二ヴァイオリン奏者、
オットー・シュトラッサーが書いた、
「栄光のヴィーン・フィル」
という本がある。

シュトラッサーは、
ヴィーン・フィルの
奏者たちで結成された、
四重奏団の
第二ヴァイオリンも
長く務めた。

レコードでは、バリリ四重奏団での活躍が特に印象に残っている。
このバリリ四重奏団は、
本格的な活動を開始してからは、バリリの腕の故障で解散するまで、
ヴィオラのシュトレンク、
チェロのクロチャックやブラベッツといったメンバーらと、
約15年の輝かしい活動を続けた。

同じく、ヴィーン・フィルの奏者たちからなった、
ヴィーン・コンツェルトハウス四重奏団と並び称された名四重奏団で、
コンツェルトハウスがシューベルトの全集を作れば、
バリリは、ベートーヴェンの全集を作るといった具合だった。

彼らは、まずレコードで全世界に知られ、
来日演奏もあって、日本では特に歓迎されたようだ。
57年に来日した時の記録がCD化されてもいる。
12月10日、羽田到着、11日にはさっそく公開録音、
12日からは全国ツアーが始まると同時に、
先の録音がラジオで流されたという。

このCDの解説によると、大戦中からバリリは四重奏団を組織していたが、
1951年、名ヴァイオリニストのシュナイダーハンが、抜けて空席のあった
四重奏団を引き継いで、急速に有名になった。
何と、このメンバーでのデビューは、「ます」だったという。
(後年、引退直前にデムスと録音したステレオ録音(58年)が、
同じく、シューベルトの「ます」だということも思い浮かべると感慨深い。)

さて、シュトラッサーの本に戻ると、
大筋は、往年の大指揮者とのヴィーン・フィルのメンバーとしての活動や、
さらに古い時代のこのオーケストラの歴史、
困難な戦時中の逸話などに当てられているが、
さすがに、この間、これらの団体と室内楽の活動をしていただけに、
多くの活動の記述が見られる。

シュトラッサーは、若い頃、音楽家としてオーケストラに属しながら、
同時に、物理学者をも夢見て勉強していたらしい。
何故なら、彼はずっと第二ヴァイオリンの末席にいて、
将来に不安を持っていたからだという。

だが、エンジニアとしての国家試験にパスした頃から、
音楽家としての経歴にも運が向いてきた。
それを、「人生の妙味」と表現しているが、
以下のような記述が続く。
「(指揮者の)クレメンス・クラウスが、
彼のオペラ劇場総監督時代に、私を末席から、
上席にまで引き上げてくれたのだ。
私は、前列の奏者の一人となり、
後にはもう一つ位が上がり『首席奏者』そのものになり、
それにより、公認の第二ヴァイオリン奏者になったのだ。」

「その後間もなく若いヴァイオリニスト、
ヴォルフガング・シュナイダーハンが自分の四重奏団を組織し、
私はその第二ヴァイオリンを受け持ち、彼のそばに坐り、
弾くことが出来るようになった。
このことは私に第二ヴァイオリンたるの喜びを与えてくれた。」

この四重奏団の創設は、1938年とされるので、
1901年生まれのシュトラッサーは、すでに37歳、
シュナイダーハンは15年生まれなので、23歳である。
彼があえて、「若いヴァイオリニスト」と書いている理由は、
こうした背景によるものだ。
それにしても、シュトラッサーは、
長い間、二足のわらじを履いていたものだ。

管楽器の奏者たちが、
ベートーヴェンの七重奏曲とシューベルトの八重奏曲の演奏会を
企画したとき、
シュナイダーハンが、
弦楽器の各主席奏者に声をかけた際に、
この四重奏団の活動が始まったのである。

後に、1951年に、バリリが引き継いだ時点で、
21年生まれのバリリは30歳、
シュトラッサーは50歳になっていたということになる。
さらに、バリリが抜けた後は、
09年生まれのボスコフスキーが61年に、
この四重奏団の第一ヴァイオリンの地位を引き継ぐが、
この時、シュトラッサーは60歳である。

さらに何年か活動を続けたので、
シュトラッサーの音楽家としての後半生は、
四重奏団の第二ヴァイオリンとしての活動で彩られた。

このような長い活動ではあったが、シュトラッサーにとっては、
最初のシュナイダーハンとの活動が、最も印象深かったようだ。
これは、38年から51年という活動期間が、
第二次大戦期に重なっていたからであろう。

この38年という年は、特別な意味がある。
二月二十日、オーストリア政府は、
ヒットラーの演説をラジオで流すことを許可、
「三月六日にはクナッパーツブッシュが、
フィルハーモニー・コンサートを指揮し、
その五日後には、オーストリア第一共和国は、存在することをやめた。」
このように、第十章は締めくくられている。

第十一章は、「ナチス大ドイツ帝国の出現」と題され、
すでにベルリン・フィルから聞き及んでいた「ユダヤ人粛清問題」、
当然の帰結としての、ロゼーやチェロのブックスバウムの
半強制的な定年退職の話題から始まる。

こんな困難な時期に誕生したのが、シュナイダーハン四重奏団だった。
「ヒットラーがオーストリア領内に侵入して十日後、
一九三八年三月二十二日、
私たちは、コンツェルトハウスの中ホールで、
将来のシュナイダーハン四重奏団の誕生を迎えたのである。」

「私たちは発足の最初から、重大な困難と戦わなくてはならない運命だった、
というのは、私たちのヴィオラもチェロも、
いずれもユダヤ人“特別許可”のもとに
オーケストラに残留を許可されているメンバーだったからである。」
ヴィオラはモラヴェッツ、チェロはクロチャックである。

こうして、ヴィーン・フィルとしても、12人のメンバーを失った。
さらに、戦禍も及んで来る。

「今日もまだ所有している当時の四重奏曲のプログラムを
よく覗いてみるが、あれは3月の22日だった。
こう記入してある。『午前中、ヴィーンに大空襲、
明かりがつかないため、コンサートは取りやめ。」とある。
この日、私は、デブリンクから、黒の正装をして、
学友協会まで歩いて行ったことを覚えている、
というのは、もはや市電は通っていなかったのである。」

戦争直後の描写などは、こんな具合である。
「毎年このコンツェルトハウスで演奏していた
私たちのシュナイダーハン四重奏団は、
自分たちの全パート譜をここの一つの部屋に預けておいたのだが・・、
しかし、この楽譜は惨憺たる有様になっていた。
ベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトの四重奏曲集は、
引き裂かれてあたりに散らばり、セレナーデ四重奏曲の
第一ヴァイオリンのパートは明らかにトイレット・ペーパーとして
使用されていたのである。」

さて、このような、ヴィーン・フィルの生き証人のような人は、
カンパー率いる、コンツェルトハウス四重奏団を、
どのように見ていただろうか。

カンパーの名前は、このような形でこの本にも登場する。
名コンサートマスター、ロゼーがロンドンに亡命した話の後に、
このオーケストラが、歴代、
数々の名四重奏団を輩出してきたことが述べられる。

「ローゼ四重奏団と並んで、他のいくつもの四重奏団も、
フィルハーモニーのメンバーによって結成されていた。」

それから、次々と四重奏団の名称が列挙されたあと、
このような一節が出てくる。
「アントン・カンパーを第一ヴァイオリンとする
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は、
中でも名望があり、成功を博していた。
この四人のフィルハーモニーのメンバーからなる四重奏団は
ウィーン・コンツェルトハウスにおいて演奏活動を行い、
国際的にも広く知られるようになった。」

私が悩ましく思うのは、その後に続く文章であって、
シュトラッサーが何を言いたいのかが、よく分からない。
彼は、こんな事を書いている。

- ロゼーはずっと、ベーゼンドルフザールで演奏していたが、
ここが解体されたので、
コンツェルトハウスでコンサートを行うようになった。
それは、会長へラーがそういった取り決めをしたからだ。 -

「コンツェルトハウス協会自身はこれに反して、
この協会の名をとって命名された
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団と契約を結んだ。
このアンサンブルは、1930年代の始め以降、
ほとんど三十年の長きにわたって四重奏団のシリーズを
演奏していった。」

ここで、カンパーたちの経歴を思い出してみよう。
彼らは、もともとヴィーン交響楽団(フィルハーモニーではなく)
のメンバーであったが、37年から38年のシーズンに、
ヴィーン・フィルにメンバー全員が移籍したとある。

何故、この時期に全員が移籍したのか、いや、できたのか。
そんなことを考えると、上述の歯がゆい文章に、
勝手な憶測が成り立ちはしないだろうか。

コンツェルトハウス四重奏団のメンバーは、
この本の中で2回しか登場しない。
しかし、シュナイダーハン四重奏団の流れを汲む、
モラヴェッツ、クロチャックらの名前は、各々、4回、8回と登場し、
バリリ時代のブラベッツの名前も5回出てくる。

得られること:「ヴィーン・フィルもまた、当然のことながら、会社と同様、いやそれ以上に人間臭い組織である。」
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by franz310 | 2006-12-24 21:10 | 音楽

デパ屋ペットショップ店長、KGB愛に間違い電話をかける。

b0083728_2153564.jpgお客様の手元にある
ポイントカードを、
自由自在にあやつって、
お客様の方では、
まったく、
損したことを
感じないにも
かかわらず、
そのかわり、
こちらばかりが
うはうはと
面白いように
得をするという、
夢のビジネスを
考案した
デパ屋店長は、
夜通しかけて、
特許明細を書き上げた。

そうして、儲けた資金を持って、
JR麩菓子日本の推進するエキナカ商店街に、
ペットショップをオープンする。

そんな壮大な夢を見ながら、
気持ちよくなっていた
デパ屋総務庁店長。

が、朝、目覚めてみると、
すでに日は昇り、
すっかり開店の時間を
寝過ごしてしまったのである。

あわてて、職場に電話して、バイトのねーちゃんが、
ちゃんと開店の作業をしているかを確認した。

「おい、開店してるだろうな。」
「おたく、誰ですかあ。」
店長は、バイトの姉ちゃんが、
寝ぼけたことを言うので、血管浮かせてぶちきれた。

「俺だ。開店してるかってんだ。」
「ああら、お言葉だこと。
当然、開店してるってことよお。
で、あなたはだあれ?」
「だから、店長だって、言ってるだろう。」
店長は、さらに大きな声で受話器に向かって叫んだ。

「でも、私だって、店長なんだもの。」
「かーっ!今だけなら、店長やってろ。俺をなめるなよ。」
「あら、何故、なめたらいけないのかしらん。」
「俺は、夢の店をオープンするからだ。」
本当は、こうも言いたかったのだ。
「そうしたらな、お前なんかくびにしてやる!」
しかし、それを言って、相手がぶちきれて、大事な水槽を、
壊しまくって出て行ったりしたら大変だ。

「あら、そう。それには、ナイスなアイデアが必要ね。」
「ふっふっふっ、それがあるんだ。ナイスなアイデアがな。
いいか、それは、言わば、人の財産を自由自在に操る、
究極の流通形態なのだ。わーっはっはっはっ!
その特許を、俺様は、今、まさに、書き上げたのだ。」
その自信に気迫負けしたのであろう、さすがの生意気姉ちゃんも、
言葉を失ってしまったようだ。

しばらく、沈黙があった。

「あら、あなた。それ、『KGB愛』の、『グランドすら無』計画の世界と、
同じじゃないのお。」
「何い。俺のオリジナルだぞ。言いがかりをつけるか、べらんめえ。」
いつもは、気の小さい店長も、いいアイデアが出た時だけは、
やけに気持ちが大きくなる。

「あんた、間違えてないですかあ?あんたが話してる相手、
私って分かってるのお?こちら『KGB愛』のeuショップよお。」

「げっ!」
デパ屋総務庁店長は、息を呑んだ。
自分の部下だと思っていたのは、何と、一番のお得意さまだったのだ。
寝ぼけていて、焦っていたし、浮かれてもいたので、よく確認しなかった!

「ああっ、KGB愛のeuショップ、穴須タシアさんでしたか。
すみません、間違ってしまいました。」
「ああら、いいのですよお。ところで、モバイルめだかの、
応用アイデア、出来たみたいじゃない?
当然、特許、単独出願じゃないわよねえ。」
「ううっ!」

この時、店長の頭はかなり混乱した。
お客様が、共願にしようと言っている時に、どうやったら断れるだろうか。

この特許の独占実施権は、なんとか一人占めしたいところだった。

「ああら、それ見たいわねえ。当然、うちのインフラ使うのよねえ。
まさかあ、端末のお、それもメダカの部分を作っているだけの、
あなたんとこだけでえ、そんな壮大なビジネス、出来ないデスからねえ。」

そういわれてみればそうだ。
しかし、その場合、儲けは半減するかもしれない。
店長は、エキナカ商店街のペットショップを、頭の中で、
半分くらいのスペースにしてみた。

だいぶ、しょぼくなったが、
それでもまだ、今のデパート屋上店舗よりは、
ずっとましだった。

何故なら、デパートなどに来る客は、年々減少し、
最近では、遊園地のスペースも縮小するばかりだからだ。
しかし、駅中の商店街は違う。
有名な大見得駅の商店街を見てもらいたい。すごい繁盛だ。

「もっ、もちろん、穴須さんとの共同出願でございますよお。」
「あらそお、じゃあ、その書いた書類、メール添付で送ってくださるう?」
「いや、最初からそのつもりでいたから、ついつい、電話も間違えたのでして。」
「じゃあ、出願人には、『KGB愛』、発明者には、『穴須タシア』と、
書いてあるのですねえ。わあお、嬉しいわあ。
ロシアにも出願しましょうねえ。」

「はあ、ロシアですか。」
「当たり前じゃない。ロシアの富豪の遺産で、始まった研究でしょ。」
「まあ、一部は。」
「わかったらあ、早めに送ってちょうだいねえ。」

「はいはい、今、送ります。確認してください。」
店長は、もう疲れ果てて、ささと電話を切ってしまいたかった。
特許出願前に、相手に知らせてしまうとは、何たる失敗であろう。

店長が、受話器を、もう置こうかなと思った時、
先方は、さらに、厳しい要求を繰り出してきた。

「あと、あのドジョウの件は、確認してくれましたかあ。」
「ああ、あのクロメダカの件ですね。」
「そうデス。クロメダカのハードディスクには、
たくさん、重要情報ガ入っていた可能性ありマス。
それが、知れ渡ったら、私たち、危ないデスよお。
特許も重要ですが、やるべきことをちゃんとやってくださいねえ。」

「はい、分かりました。」
特許はやるべきことではないんかい。
そう考えながら、むかむかして、
今書いたファイルを、店長はメール添付で送信した。

が、果たして、店長のぼけた頭は、大丈夫だろうか。

そう、彼は、正しくメール送信しようとしているかを、
もう一度、確認するべきだったのだ。
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by franz310 | 2006-12-20 23:26 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その49

b0083728_19974.jpg個人的経験:
今回は、
コンツェルトハウス四重奏団の変遷を
CDの表紙に使われた写真から、
概観してみたい。

懐かしいテイチクレコードから出た
モーツァルトとシューベルトの
五重奏曲を収めたものは、
全盛時代と言われる
1950年代前半のもの。

オーストリア放送局の
録音ということで、
この国の
ローカルレーベル、
プライザーからライセンスを
得ているとある。

気のせいか、有名な
1950年録音の
ウェストミンスター盤より、
勢いを感じさせ、
同様にモノラルながら、
録音の鮮度も高い。

このCDの表紙では、
第一ヴァイオリンのカンパーも、
まだ、壮年といった感じである。

そもそも、この四重奏団は、
コンツェルトハウスでの
定期演奏会によって、
この名前を
名乗るようになったというが、
その前は、
カンパー=クヴァルダ四重奏団と
呼ばれていたようである。

つまり、カンパーと、
チェロのクヴァルダは
同格ということで、
この写真でも、
チェロの貫禄はさすがである。

解説は、宇野功芳氏が担当しており、
「即興性と甘味な陶酔は
コンツェルトハウスの独壇場」
と絶賛している。

さて、この貫禄のチェロのクヴァルダが、
57年にバインルに、
さらに第二ヴァイオリンのティッツェが
ウェラーに交代するが、
この交代後のメンバーが、
日本に来たということだ。

ティッツェは、そんなに年配とは
思えないのだが、実際には、
早く亡くなったということである。

b0083728_1105961.jpgという目で、1960年の
来日時に録音されたという、
このDENON盤の
CDの写真を見てみると、
確かに、両端は、年は取ったが、
見覚えのある顔である。
当然のことながら、中央の二人は若い。

カンパーは眼鏡をかけ、
いかにも旧世界から
迷い込んだような風情である。
ヴィオラのヴァイスは、
こちらを睨みつけている。

このCDでは、
ウェストミンスターにも録音がない、
ブラームスの四重奏曲第二番が
収録されていることがうれしい。

旧盤はないわけだが、
この後、
第二ヴァイオリンのウェラーは、
第一ヴァイオリンとなって、
ウェラー四重奏団として、
4年後の64年に、
この曲を録音している。

その際、チェロは同じバインルだったが、
この東京での録音を、
思い出したりしたであろうか。

ウェラー四重奏団の演奏と比べると、
このブラームスの録音は、
なんだかふやけた演奏である。

前回紹介したのは、
NHKの放送録音であったが、
こちらはスタジオ録音で、
復刻CDには、
1960年11月21日、東京
という録音日時が記されている。

これは、「死と乙女」と一緒に
収められたものであるが、
こちらの曲は、ヴェラーの録音はない。
むしろ、50年代のカンパーの録音が有名である。

そして、前回も触れたが、
こちらは芳醇な演奏である。
やはり、第一ヴァイオリンが得意とする演奏の方が、
聴き応えがあるということか。

先のNHKの録音のいきさつは
よく分からないが、
このスタジオ録音に関しては、
アシスタント・ディレクターの
回想が解説に出ている。
「10数年遅れで
発足したバリリ四重奏団と、
ウィーン系四重奏団の
双璧をなした
この団体の最晩年を、
記録に留める幸運に
恵まれたのである。」

そして、この四重奏団の魅力を要約して、
「あくまでアントン・カンパーの魅力」と断言している。

しかし、この解説に、
「これら一連の録音が、
創立者カンパーが第一ヴァイオリンを弾いた
唯一のステレオ録音であるのは確かである。」
「主柱だったアントン・カンパーは、
1962年の来日公演と録音を終えて
帰国直後に亡くなった。」
とあるのはどうだろうか。

まず、シューベルト四重奏団という
偽名を使ってではあるが、
彼らは、シューベルトの「ます」を、
グラモフォンに録音しているからである。

さて、先の解説にもあるように、
彼らは62年にも来日したが、その際にも、
NHKが乗り出して、
モーツァルトの「プロシャ王 第一番」と、
ブラームスのクラリネット五重奏曲を録音している。

これらの録音も、
CDに復刻されている。

b0083728_1113774.jpgまず、
表紙の写真から見てみよう。
カンパーは健在で、
オールバックの頭髪に、
シックな角度の演奏姿勢が、
ひときわ、
年代モノであることを
感じさせる。

この演奏姿勢から、
あの優美で芳醇な音が奏でられたのである。

真ん中の二人も、
DENON盤と同じ人である。
しかし、一番右のヴィオラは、
はげ頭になってしまって、
さらに年を取ったということではなく、
ヘンチュケという新しいメンバーに
なっているだけの話。

このように、創立者カンパーは、
一人ぼっちになってしまった。
しかし、演奏は、まったく問題ない。
ただし、モーツァルトもブラームスも、
第一楽章では、テープの回転ムラのようなものが気になる。

このCDにも、貴重な解説があって、大変参考になる。
ここで、ウィーン弦楽四重奏団の第一ヴァイオリンの
ヒンクの回想があって、
「1964年にウィーン・フィルに入団し、
コンツェルトハウス弦楽四重奏団の芸術家たちの
仲間に入れたことは私の誇りでした。」
とある。彼は、ヴァイスとティッツェは亡くなり、
クヴァルダは健康上の理由で退団したが、
カンパーは更に数年間、四重奏団を続けたとある。

つまり、62年の来日の直後に亡くなった人がいたとすれば、
カンパーではなく、鋭くカメラを見ていた、
ヴィオラのヴァイスなのであろう。

さらに、70年代にウィーン弦楽四重奏団の録音を、
現地で行ったレコード・プロデューサーが、
レストランで、カンパーに会ったという逸話も載せられている。

ここには、第二ヴァイオリンのティッツェは、
「早くして不幸な死を迎えた」ともあるから、
この不幸な死がなければ、
コンツェルトハウスの、また、カンパーの運命は、
違ったものになっていたかもしれない。

62年の来日時も、彼らはひっぱりだこであったようだ。
このNHKへの録音が、
NHK TV第3スタジオ(映像もあるのか?)で、
5月28日にあったらしく、
同じブラームスと、モーツァルトのクラリネット五重奏曲の
スタジオ録音が行われたのが、
6月16日(東京文化会館小ホール)であった。
クラリネットはフックスである。

b0083728_112834.jpgこの演奏も美しい。
条件がよいステレオ録音であって、
右からはクラリネットが、
左からはカンパーのヴァイオリンが応酬する。
別の団体の演奏と思われるほど、
たっぷりと歌われている。

ところで、この人に関しては、
LPにもCDにも、
何も書いていないのはどういうことであろうか。



得られる事:「一つのレコードの解説だけを妄信するのは危険である。」
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by franz310 | 2006-12-17 01:15 | 音楽

デパ屋ペットショップ店長、エキナカを行く。

b0083728_0321765.jpgデパ屋総務庁、店長が、
帰宅時に駅中を歩いていると、
後ろの方から、
ある会話が聞こえてきた。

話をしているのは、
若い男の二人組であった。
その話は、
まるで示し合わせたように、
店長が、
目下研究している、
ポイントカードについての
命題なのであった。

店長は、この偶然を、
驚きながら、耳を澄ませた。

「ポイントカードがあるとさあ、
まじ、買うものがなくても、
ついつい行っちゃうってこと、
あるんだよなあ。」
「まじ、それあるよな。」

「○×電機はさあ、
店に行くだけでも、
ポイントがついちゃうんだからよお。」
「まじかよ、行くだけでえ。」
「まじだよ。毎日行くだけで、
電池くらい貰えそうなんだよな。」
「まじかよ。」
「まじだよ。」
「ホント、まじかよ。」
「ホント、まじだよ。」

その時、店長の脳裏に、ふと、ある真理が思い浮かんだ。

その真理は、話題のウェブ2.0といったテーマにも、
ダイレクトに直結する真理とも思えた。
つまり、「ロングテール理論」。

この理論は、そもそも売れる商品は、非常によく売れるが、
それは、非常に限られていて、
売れない商品は無数にあるが、徹底的に売れないという現実に対し、
この、売れない商品の長い長いリストを、しっぽに見立てたものだ。

しかし、広い世界を見渡せば、
一般的には売れないとされた、その長い尻尾の中の一品が、
欲しくてたまらない人がいる。
その人にだけ、買ってもらえればよいではないか。
その長い長い尻尾がすべて、無駄なく売れるとすれば、
これはこれですごい商売になるというわけだ。

従来、くずのように思われていた、売れない商品が、
ウェブの世界では、ダイレクトに、欲しいユーザーに
届けることが出来る。

これと同様、期限が切れたり、カードを紛失したりして、
くずのように捨てられてきたポイントがある一方で、
こうして、毎日通ってでも、
ポイントが欲しくて欲しくてたまらない人がいる。

「そういえばよお、今日はDog・OFFでよお、
ポイントが溜まらないからよ、
まじ、店員に文句言ったんだ。」

ふと、そんな会話も聞こえてきて驚いた。
店長は、自分も付き合いのある、Dog・OFFの話題が出たようなので、
思わず、声のする方向に、耳を傾けていた。

「そしたらよお、店員のやつ、カード提示がありませんでしたから、
とか言いやがってよお。まじ、驚いたぜ。
普通、お前が、先に、カード出すように言うもんだろって、
まじ、どやしつけたくなったぜえ。」
「まじかよ。そりゃあ、ひでーなあ。まじ、ひでーよ。」

ああ、あの社長も、結構、悪いことをやってるな、
そう考えて、店長は嬉しくなった。
そして、素晴らしいアイデアの構想を続行した。

そうだ、ポイントが欲しくてたまらない、こうした人たちに、
ポイントなど、いらない人たちが持っているポイントを、
売りつけてしまえばどうだろう。
あと1ポイント貯めれば、500円のものを購入できる場合、
ひょっとしたら、1ポイント499円で売れるのではないか。

つまり、ポイントは、場合によっては、いかなる価格にも出来るのである。
そのポイントは、新たに発生させる必要はない。
次の瞬間にも失効するポイントなど、いくらでもあるからだ。
この失効するポイントの持ち主から拝借すればよい。
どうせ、失効するのだから、気が付きもしないし、何のアクションも起こすまい。

店長は狂喜した。
ついに、夢見ていた世界、自分がポイントの世界の中心に君臨し、
自由自在に、世界中のポイントを操るのだ。
モバイルめだかにポイントを貯めておき、
有効期限付きとする。
そうして、有効期限が来る直前のものは、
すべて、自分が貰い受けよう。

だから、タオル・レガードの閉店間際に、
モバイルめだかを持って店内に潜入する。
そして、その日を持ってポイントが消失するお客様の、
居場所をすべて確かめてみる。
GPS内蔵のタイプのめだかなら、すぐに居場所が分かるはずだ。
そして、到底、タオル・レガードに、
来ることの出来ない距離にいるお客様のポイントは、
失効するしかないのである。

それをごっそり、遠隔操作で頂いて、
自分で使ってしまうわけだ。

店長の脳裏には、尊敬のまなざしをした店員に、
「ポイントがいっぱいになりましたね、お客様。」
と言われる瞬間が思い描かれた。

「もうこれで、若い店員に、軽蔑されることはない!」
店長の口から、そんな言葉が飛び出たので、回りを歩いていた人たちは、
驚いて振り返ったりしていた。
しかし、店長には、そんなことは何の問題にもならなかった。
考えても見たまえ、ポイントが溜まらずに、期限切れになって、
失効したカードが、何度、あの店員たちによって、屑箱に入れられたことか。

そして、見下したような表情で、
「お客様、このカードは、すでに期限が切れておりますね。」
などと、馬鹿にされることもなくなるのだ。

何なら、その失効めだかのお客様のポイントは、
そのまま残しておいても良いのだぞ。
そうそう、あくまで、溜まっているように表示しておけばよい。

ふっふっふっ、そのポイントがすっかり使われたことを、
別に知らしめる必要などどこにもないのだ。
お客様には、使われずに失効したポイントを眺めながら、
ため息の一つでも吐く楽しみを残しておいてやろう。

そう、スタンプみたいに、印字だけは残してやっても良いぞ。
どうせ、使えないことにはかわりはないのじゃ。

店長は、浮かれまくって、家路を急いだ。
エキナカの賑わいを見て、いつか、この中に、
自分もペットショップを構えるのだ、と思うと、
また、さらに気持ちが高ぶってくるのである。

駅を出ると、空の低いところに三日月が見えていた。

そして、店長は、景気づけに駅中商店街で買った、
コンビニのロースかつ弁当を平らげると、
さっそくパソコンに向って、この素晴らしい発明の特許出願用書類を、
まとめ始めたのであった。

すると、アイデアが泉のように湧いてきた。
その失効ポイントをこっそりくすねるというのは、
あまりに革命的で、頭の固い特許庁審査官には、
理解できないかもしれない。

失効間近のポイントをお持ちのお客様から、
いくらかの現金で購入できるようにしてもよい。

さらには、モバイルめだかの他のサービスと交換してもよいぞ。
たとえば、タオル屋の2000円近くのポイントが溜まっている場合、
ペットショップの、金魚藻くらいとなら引き換え可能にしても良い。
あるいは、誰も聞きたくない着うたか何かにでも変更しても良いぞ。

そうだ、アライアンスが有利になるように、
KGB愛が考えそうな、アイデアも盛り込んでやろう。
例えば、レスモなんかどうかな。
レーニンの革命理論でも、ポッドキャスティングできるようにするとか、
スターリンの演説でも、毛沢東の語録でも、何でもござれだ。

店長は、夜が更けるのも気づかず、
ひたすらに実施例を追加していくのであった。
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by franz310 | 2006-12-17 00:39 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その48

b0083728_17563168.jpg個人的経験:
今回のジャケットは、
「ます」ではないが、
中の解説を読むと、
「ます」のことが書いてある。

さて、前回も紹介した、
デムスに「ます」のLPが、
コンツェルトハウス四重奏団の
59年の録音だとしたら、
これは、その翌年の記録となる。

つまり、1960年、日本を訪れた彼らは、
日比谷公会堂で、一つの特別演奏会を行い、
それに関連して、NHK用の放送録音を残した。

このCDは、こうした機会に、
モーツァルトのピアノ四重奏曲と、
ブラームスのピアノ五重奏曲を、
NHKのために録音した演奏を、復刻したものなのだ。

この解説を読むと、次のようなことが書かれている。

「ウィーンの音楽家たちの来日はそれ以前にもあったが、
演奏回数の多さから言えば、
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のそれに及ぶものはなかった。」

50年代の多くのレコード録音で、
日本でも、有名になっていた彼らは、
大変な歓迎を受けたようだ。

さらに、偶然だったのだろうか、かつてベストセラーを記録した、
「ます」の共演者、ピアニストのバドゥラ・スコダが来日しており、
離日直前になって、11月26日(土)6:30から、
「ピアノ五重奏曲の夕べ」が催されたというのである。

こう聴いただけで、
私は、その11月26日に、心が飛んでいってしまいそうだ。

そこでは、このCDに入っているモーツァルト、ブラームスに続き、
最後に、何と、「ます」の五重奏曲が演奏されたとある。

ベストセラーのレコードが、
演奏家もほぼそのままに、日本で実演されるというわけだ。
これは、確かに、すごい期待が集まったはずだ。

このCDには、同じ日付での録音とある。

「NHKスタジオにて」、と書かれているので、
彼らは、同じ日に2回、これらの曲を弾いたのであろう。
しかし、NHKは、「ます」は放送しようと思わなかったのか、
あるいは、すでにレコードがあるから必要ないと考えたのか、
シューベルトの録音はしなかったようだ。

その演奏会はチケットが全て売り切れで、
それでもつめかけた人のために、
補助椅子を出したばかりか、
ステージ上にも席を設けたと、
このCDの解説には書かれてある。

すごい熱気だったことが読み取れる文章である。
ますますもって、心が、日比谷に飛んでいく。

解説者は、最初のモーツァルトが終わった時の、
会場全体の異様な雰囲気を、
さらに述懐しているが、
確かに、ここに聴くモーツァルトの典雅な雰囲気は、
筆舌に尽くしがたい。

録音が古くなったと、注意書きがあるが、
まったく気にならないレベルではないか。

解説に戻ると、
「ます」の演奏でも、
「ういういしいバドゥラ・スコダのピアノ」、
「カンパーの陶酔的なフレージング」に感動したとある。

こうなると、この日に演奏された「ます」がどんなものであったか、
そこが気になるが、前年に、グラモフォンに録音されたLPが、それを、
代弁してくれているかもしれない。

そう考えてみたわけである。

もちろん、ピアノは、日比谷のスコダではなく、
LPではデムスであるが、
同じ年代のウィーンのピアニストであり、
カンパー、ワイス、バインルの3人の弦楽は、
同様に鳴り響いたことであろう。

実に、このCDにおけるモーツァルトの四重奏曲も、
この3人によって弾かれているのだが、何という音色であろうか、
鳥の羽でくすぐられているような、聴覚以外の感覚すら呼び覚ます。

初めて耳にした時、
ト短調という、激しい調性を持ったこの曲のイメージが、
一転したかのように思った。
解説にある異様な雰囲気も想像できる、不思議な吸引力を持った、
甘味な虹色の心安らぐ音楽である。

シューベルトもまた、同様であったと思われる。
実際、グラモフォンに前年に行った「ます」のレコードにも、
この不思議な懐かしさは漂っている。

さらに注目すべきは、
放送局のみならず、日本のレコード会社も、この絶好の機会を逃さず、
いくつかのレコード録音を残すことができたことである。

b0083728_1812691.jpgハイドンの「セレナード」、
モーツァルトの「狩」、
シューベルトの「死と乙女」、
ドヴォルザークの「アメリカ」など、
弦楽四重奏曲の
名曲一覧のような曲目を、
ここぞとばかりに
集中録音したようだ。

彼らが、いかに待たれていたかが、
こんな記録から感じ取る事が出来る。

b0083728_1815114.jpg今回、改めて、
これらのレコードを
聴いて見たが、
「死と乙女」など、
文字通り、
予想を絶して感服した。

あのト短調の
モーツァルトと同様、
このニ短調の音楽が、
これほどまでに、
柔和で、
懐かしい表情を
持っているとは思わなかった。

日本でのステレオ録音が、その豊かさを増している。
モノラルのウェストミンスター盤も、忘れがたい演奏で、
LPも持っていたし、CDも何度か買い換えたが、
これほどまでの豊かさを感じることはなかった。

黄金時代から二人も、メンバーが代わってからの演奏であるが、
特に不満はなかった。

長らく、この時代のコンツェルトハウス四重奏団の演奏は、
なんとなく買う気の起こらないジャケットのせいもあって、
まじめに聴く気にならなかったが、
このNHK音源のCD化によって、急に見方が変わって来た。

このCDのジャケットも、モーツァルトの肖像だけという、
不思議なものであるが。

しかし、長々と引用したように、このCDの解説は、
当時の記録を生々しく留め、非常に読み応えのあるものになっている。

その世紀の演奏会に、実際に聴衆として、
参加していた人の書いたものであるから、
これ以上の人選はないかもしれない。

できれば、こうした企画を実行した人や、
NHKの担当者の言葉なども集めて欲しいものである。
45年前のことであるから、
まだまだ、貴重な証言が得られるのではないだろうか。

あるいは、デムスもスコダも、頻繁に日本を訪れているので、
今は昔の人たちになった、この四重奏団の思い出を、
何かの機会に書いてくれないものだろうか。

得られること:「かっこ悪いジャケットの中にも、それに見合わない演奏が含まれていることがある。」
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by franz310 | 2006-12-09 18:12 | 音楽

デパ屋店長、閉店後の新ペットショップ戦略構想

b0083728_23552250.jpg人気ない店内で一人、
デパート屋上の
ペットショップ店長。

見れば見るほど、
タオル・レガードの
ポイントカードは、
いまいましいものだと思った。

その時、
Dog・OFF社長が
言っていた言葉が、
ふと、脳裏にちらついた。

「モバイルめだかは、
電子マネーなんでっせ。
何だって
できるやないですか。」

ああ、それを思い出すと、
店長には、このカード上のスタンプを、
自由自在に操っている自分の姿が目に浮かぶのであった。

いかす、チョッキを着た店員さんに、
「ああ、お客様、おめでとうございます。
いっぱいになりましたね。
今日は特別、この中からどれでもお好きなものを、
お選びいただけますよ~。」

初めて、そんな優しい言葉をかけられる自分を想像する。
「この中」とは、限定で発売された、
オリジナルデザインの、復刻ものの名タオル!
あるいは、タオル工房の巨匠たちのサインが入った、
この店でしか手に入らない特製タオル。
ああ、そんなお宝タオルを、一度でいいから、
ぐわしと、手にしてみたいものだ。

そう、店員さんの若々しいその声に、
他の客どもは、羨望のまなざしを、
この私の方に向けるのだ。

そして、どれを選ぶかを、興味ふかげに見守っている。
私は、あえて、じらすように、あれかこれかと、
あのタオル、このタオルを手にしてみる。

おお、素晴らしきかな、モバイルめだか。
このポイントを、自由自在に操る自分が目に浮かんできた。
ちょっと、ポイントが足りない時は、そっと、
他のお客さんのポイントを拝借する。

気に入らないお客さんのポイントは、
すこしずつ減らしてやる。
40ポイントで1000円といいながら、
こっそり、50ポイントで1000円という規定に書き換えてしまう。

ああ、そんなポイントカードシステムが欲しいなあ。
メダカの中のハードディスクに入った情報なんて、
ちょっと、色気が足りないなあ。
やはり、タオル・レガードみたいな、
スタンプ式の方が、どんどん増えていくことが、
目に見えて明らかなのだがなあ。

店長は、モバイルめだかの研究成果を、
今度は、ポイントカード式のスタンプ型テントウムシとか、
スタンプ模様のスポッテドサラマンダーとかに、
応用してやろうと考えた。

店長は、このナイスなアイデアを持って、
また、携帯会社の「KGB愛」にでも、
売り込んでやろうと考えた。

ところがである。
閉店後、静まり返ったデパート屋上のペットショップ。
そこに、いきなり、電話がかかってきた。
店長は飛び上がって、受話器を取った。
「はい、デパート屋上、デパ屋総務庁研究室です。
あっ、いや、違います。そのう、そう、ペットショップ店長です。」

電話の向こうの声は、若い女性であった。
「デパ屋てんちょーさんですかあ?
ちょと伺いたいのですがあ、
モバイルめだかのけーかくは、
まさか、どこかに漏れている危険はないでしょーね。」

ちょうど、それを発展させる計画を考えていたところだったので、
さすがに店長もうろたえた。
一体、何者だ?

「失礼ですが・・。」
「おっ、失礼をばいたしましたあ。
私は、KGB愛のeuショップ、
穴須タシアですう。」
「ああ、穴須さんでしたか。
あの、エカチェリンブルク以来ですな。
モバイルめだかですか?
まあ、その心配はないと思いますが。」

「実はあ、先程、我々の事務所にい、
奇妙などぜうがあ、参りました。
どやら、あの計画を知っているようで、
いろいろなことを問いただすので、
一服、盛っておきましたあ。
あの、話題になっているう、
放射性物質で、ころっと逝ったはずですう。
そのどぜうに、何か心当たるものないですかあ。」

「どじょうは、扱っておりませんねえ。」
事実、店長は、この前、一匹、不審な行動をしていたクロメダカを葬ったが、
どじょうには、心当たりはなかった。
「もいちど、確認しますがあ、どじょうはあ、扱ってませんよねえ。」
穴須タシアは、帝政ロシアの皇族の血を引くという噂があるくらい、
その姿は高慢、話し振りは傲慢、電話口でも、妙に迫力のある詰問である。
KGB愛の幹部なので、その手の活動には慣れているのだろうか。

店長は、先日、起こった事を、
一応、説明しておいた方が安全であると判断した。
「実は先日、モバイルめだかの試作品が、妙なところから、
耐震偽装のことを嗅ぎ付けて、我々のことを、興味本位に、
調べようとしたことがありましてね。
このクロメダカは、ハードディスクを遠隔操作で、粉砕しておきました。
こういった個人情報の管理が、
非常に重視され、求められる時代ですからね。」

「そのメダカが、どこからソレヲ知ったのかあ、ちゃんとお、調べましたか。」
「一応、データ消し忘れの旧規格品のデータが漏れたようですが、
こちらは、すでに、破壊してあります。」
「何となくう、ずさんなあ管理のよですが、だあいじょうぶなんですよね。」
先方は、まるで、信用していない様子である。

が、店長は、メダカのネットワークに関しては、非常な自信を持っていた。
「大丈夫です。こう見えましても、このデパートの屋上には、
地上を網の目のように監視する巨大アンテナが設置してありまして、
出荷したメダカに関しては、
すべて、行動がモニタできるようになっております。」
「そなら、ええのですがあ、もう一度お、そのクロメダカとやらが、
ちゃんと、粉砕されているかを、確認ねがいますう。」
「了解しました。」
そう答えると、電話は一方的に切られていた。
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by franz310 | 2006-12-07 00:02 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その47

b0083728_23215450.jpg個人的経験:
今回のレコードは、
30cmのLPであるが、
前回と内容は同じ。

ただし、
ドイツ・グラモフォンの
廉価盤レーベル、
ヘリオドールに移行して、
おそらく70年代に
再発売されていたものである。

私は、このジャケットは、
昔、何度か見たことがあり、
今回、中古店で再会して、
たいへん懐かしい感じがした。

前回のジャケットは、絵画があしらわれていたが、
今回は、清冽な渓流の写真となっている。
もちろん、前回のものも高踏的であるが、
個人的には、こちらの方が、音楽の感じを
表わして、好ましいように思える。

もちろん、これくらいの歴史的録音となると、
演奏家の演奏風景であってもよいが、
見慣れているので、これで差し支えない。
初心者に勧めるには、ちょうどよいレコードの体裁である。

解説は、特に書き換える必要を感じなかったのか、
まったく同じ内容で、過不足なく曲に案内してくれている。

しかも、今回のLPは、10インチ盤から30cmに拡大されたせいか、
より、音に伸びやかな余裕があるような気がする。
しかも、録音が1959年と明記してあるのが好ましい。

しかし、今回、のけぞったのは、契約の関係で謎の団体であるべき、
「シューベルト弦楽四重奏団」の下に、
以下のような個人名が、しっかり?付されている点である。

アントン・カンパー(第1ヴァイオリン)
エーリッヒ・ヴァイス(第2ヴァイオリン)
ルートヴィヒ・バインル(ヴィオラ)
ヨーゼフ・ヘルマン(チェロ)

第2ヴァイオリン以下が、
ずれて表記されていることは、言うまでもなかろう。
シューベルトのこの曲に第2ヴァイオリンは必要なく、
代わりに、コントラバスが使われるからである。

このメンバーは、
アントン・カンパー(第1ヴァイオリン)
エーリッヒ・ヴァイス(ヴォオラ)
フランツ・クヴァルダ(チェロ)
ヨーゼフ・ヘルマン(コントラバス)
という1950年録音のウェストミンスター盤の「ます」と、
ほぼ同じ陣容である。

したがって、一般に「ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団」と、
呼ばれている団体の演奏と言って差し支えないだろう。
この団体の年譜を見ても、1957年に、
クヴァルダがバインルに替わっているとあるので、
楽器は間違っていても、信頼できるデータと見た。

したがって、正真正銘、コンツェルトハウスの「ます」だと言える。
50年のピアノがスコダであったが、今回は、デムスであるが、
この二人は、時に連弾を楽しんだりしている盟友同士、
ウィーンの音楽家で固められた、本場物の、
しかも、一流の奏者たちによる演奏なのである。

実際、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は、
60年に来日して熱狂的な歓迎を受けたようだが、この時のメンバーの、
ヴィオラもチェロも、上記ヴァイス、バインルだったのだから。

録音が行われている59年という年は、
非常に、意味深い年であると感じられる。

このスコダが、同じウェストミンスター・レーベルに、
「ます」をステレオで再録音した1958年には、
カンパーたちには、何故かお呼びがかからなかった。
代わりに、登場したのは、バリリ四重奏団である。

この時のことを回想してのスコダの談話が、
ウェストミンスター盤のCD(ユニバーサルから出てるもの)に載せられていて、
「これらの新技術(改良された磁気テープ、プレス技術、そしてステレオ)
を駆使してウェストミンスターのヒット・ナンバーだった「ます」を
再録音することになったのです。
しかし、コンツェルトハウス弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者だった
アントン・カンパー氏はすでに高齢でもあり、
…バリリ弦楽四重奏団と組むことになりました」
とある。

高齢だから、といって外されていたカンパーは、
さらにメジャーな、グラモフォンから声がかかって、
さぞかしはりきったことであろう。

アメリカ人3人が集まって、戦後の復興下の状況にあったウィーンに、
最新のテープレコーダーを持ち込んで、49年から録音を始めた、
新興レーベル、ウェストミンスターにとって、
「ます」は、発足時の起爆剤となった演目である。

単に、ステレオになったから、というばかりでなく、58年の「ます」は、
このレーベルの存続をかけたプロジェクトであったと思われる。
実際、このレーベルは、ステレオ時代に入って経営が悪化。
やがて、創設者たちは、この会社を売り払うこととなる。

このレーベルは、1950年代に走り去った彗星の如きものであった。
LPに始まり、ステレオで終わったと概説することも出来よう。

このレーベルで活躍していた、3つの偉大な弦楽四重奏団のうち、
アマデウス四重奏団は、名門グラモフォンに正式移籍し、
残る二つのウィーン・フィル母体の団体のうち、
若いバリリ四重奏団は、バリリの腕の故障から、第1ヴァイオリンを、
ボスコフスキーに代えて、ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団となり、
やはり、名門のデッカに移籍して活動を続けた。

このバリリ引退が例の59年のことである。
バリリ四重奏団は、57年に来日して好評を博し、
再来日が予定され、チケットまで発行されていたにもかかわらず、
それが不能になって嘆いたファンも多かったようだ。

また、同じ59年、「すでに高齢」であったカンパー以外の、
コンツェルトハウスのメンバーは、
ウィーン・フィルのコンサートマスター、ヴェラーを迎えて、
ヴェラー弦楽四重奏団を、組織することとなる。
ヴェラーは20歳だったという。
この団体もまた、デッカから名誉に満ちた録音を残していくこととなる。

そもそも、コンツェルトハウス四重奏団が残した、
ウェストミンスターの名盤のうち、手元にあるものを概観すると、
シューベルトの弦楽四重奏曲全集が50年頃、
ベートーヴェンの「ラズモフスキー」が51年、
ハイドンが54年頃、ブラームスも51~54年頃と、
日本発売が50年代後半であるとはいえ、
こう見ていくと、すでに前半に活動を停止していた団体のようにも見える。

カンパー自身は、67年まで活動を続けていたようだ。
しかし、その10年前に、すでに高齢とされていて、
かつての仲間は、ヴェラー四重奏団と名乗ってみたりして、
さぞかし、寂しかったのではなかろうか。

60年、62年の来日で、いくつかのレコードを残したが、
第2ヴァイオリンの席には、ヴェラーが入っている。
しかも、この時点で、ヴェラー四重奏団は、すでに創設されていたのだ。

そんな事を考えながら、
この、59年録音の「シューベルト四重奏団」の演奏を聴くと、
偽名を使ってではあるが、白羽の矢を立てられた、カンパーの気持ちが、
水を得た魚の如き、「ます」となって、私の心に飛び込んでくる。

風雲児、ヴェラー抜きでの、
束の間の平和の記録だったのかもしれない。

正確な時間関係は分からないが、
デムス(ピアノ)と、ヴェラー弦楽四重奏団による「ます」
となっていた可能性だってあったわけだ。

得られる事:「ウィーンの四重奏団の伝統は、首のすげ替えの連続でもある。」
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by franz310 | 2006-12-02 23:25 | 音楽