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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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デパ屋店長、タオル屋のカードを睨みつける。

b0083728_095251.jpgとはいえ、
デパ屋総務庁店長は、
まったくもって、
面白くなかった。

開発にも携わった
自分こそが、一番、
モバイルめだかの
特性を
知り尽くして
いるつもりだったが、
他所からふらっと
来たおっさんに、
もっと、いかした
アイデアを、
見せ付けられた
からである。


やはり、実験室にこもってばかりいたら、ダメなのだ。
もっと、世の中を見回して、ずっこい事を考えなければ、
ビッグビジネスになど、なりはしない。

ビジネスにならないと、金が入らない。
金が入らないと、研究が出来ない。
したがって、まず、金、金、金である。

格差を是正する研究をする資金を得るには、
まず、この格差を利用したビジネスが一番である。
潤沢な資金を得て、何の憂いもなく研究に没頭する。
しかるのち、格差を是正すれば良いではないか。

だって、研究できないと、格差社会が到来するんだぞ。
到来する前に、何とかしないとダメでしょ。
デパ屋のペットショップでは、このような思考で、
日々の活動が遂行されていた。

「てんちょ~っ、このすいそー、
変な臭いしてるんすけど~。」

このような、深遠な思想を構築しているさなか、
バイトの姉ちゃんは、熱帯魚コーナーから、
なにやら大声で騒いでいた。

店長は、
俺は主席研究官だぞ、いちいち聞かずにさっさと洗えっ
と思った。
しかし、自分でやったほうが早いので、
わかった、わかったとだけ答えておいた。

そもそも、何故、あんなのが助手なんだ?
何故、もっと使えるのを本部は寄越さない。
ここで行なわれている最先端の研究が、
今後のIT社会のため、必要不可欠のものであることを、
何故、上役たちは、理解できんのだろう。

「てんちょ~っ、すいそーのぶくぶくがあ、
なんかツマってるんすけど~。」

この時、店長は、この女をあの社長に預けてしまおうと、
固く決意したのであった。

ああ、あの調和。統率。規律。それがうらやましかった。

「っれしぇいめせ~。」
あの声こそは、希望の象徴。

「っれしぇいめせ~。」
あの声こそを、叩き込まねばならん。

そうでもしないと、こいつの根性は叩きなおすことなど到底できぬ。
「ちょっと、黙ってろっ!」
「あ~っ、パワハラだ~。てんちょ~パワハラ~。本部に訴えるんだから。」
姉ちゃんは、ポンプのチューブを引きちぎらんばかりに震え、
こちらを見て、睨みつけていた。

「あー、分かった分かった。悪かった、悪かった。俺が悪かった。」
「あ~っ、てんちょ~、いじけちゃった~。いじけてんちょ~。」
「・・・」

バイトの姉ちゃんが帰った後、
ようやく、集中できる時間がやってくる。
店長は、ポケットから、一枚のカードを取り出した。
「タオル・レガード」のポイントカードだ。

もっと、いかすアイデアが、ここから思いつかないだろうか。
何が、Dog・OFFだ。

思えば、このカードには、いつもいつも、泣かされてきた。
時々、ポイント3倍とか言って、たくさんポイントが付くのは嬉しかった。
それが楽しみで、買い物に行ったことすらある。
しかし、最後の最後には、必ず、裏切られるのである。

何故、自分だけが、こんな目に会うのだろう。
これこそ、格差社会だ。
格差を生んでいるのは、このちっぽけなカードなのだ。
そう考えると、店長の怒りに満ちたまなざしは、
ぎらぎらと、炎のように燃え上がるのであった。

デパートの屋上に照りつける、夏場の太陽。
ビアホールが始まる前に、日中、どのような難行苦行が、
この屋上で行なわれているか、知る人は少ない。

恐ろしい忍耐!

彼は、夏場の水槽洗いで、へとへとになるたびに、
大量のタオルを消費した。
新しいタオルでさっぱりするのが気持ちよくて、
近所の「タオル・レガード」に行っては、タオルを買って、
ポイントを貯めるのが習慣となっていた。

しかし、このポイントカード、500円でようやく1ポイント、
しかも。最低40ポイント貯まらないと、何の効力も発生しない。
さらに条件があり、有効期限は1年である。
これまで、このカードを何枚も何枚も貰ったが、
夏が過ぎると、タオルを買う機会もすっかり減ってしまうので、
絶対、最後まで貯めることが出来ないのであった。

500×40、500×40。
何度、この計算をしてみただろうか。
20000円である。しかし、もらえるのは1000円。
おい1000円だってよ。
たった1000円のために、意味もない買い物をしたのか俺は・・・。

同じタオルなのに、ドイツのフルトヴェングラー社のタオル、
イタリアのトスカニーニ製のタオル。
どれも、結局、同じタオルなのだ。

そして、翌年、うっかり、この期限切れカードを持って行こうものなら、
「残念でした、また、どうぞ。」
てな感じで、若い店員が、これを、これみよがしにぴらぴらさせながら、
こう叫ぶのだ。

「あー、このカード、期限が切れておりますねー。
あっ、お客様の機嫌も、ぶちきれそうに見えますねー。」
とかなんとか言って、ぽいっと、後ろのゴミ箱に投げ捨てる。
乾いた音が、店内に響き渡る。

周りの人が、みんなこちらを向く。

「期限切れですって。信じられない。」
「いやあ、人間。落ちぶれても、期限切れだけは、やっちゃいけないことだよなあ。」

そして、店員はと言えば、
何事もなかったかのように、新しいカードを作ってしまうのである。

おいおい、リサイクルの時代だぞ。資源の無駄遣いなんだぞ。

レガードとか言う名前をつけておきながら、思いやりなど、かけらもない。
まったく、心ない店員どもなのである。

「この方式を、何とか、モバイルめだかに応用できないものだろうか。」
店長は、あまりにも怒りに満ちた目で、このカードを睨みつけたので、
いつもより、タオルのデザインの汗が大きくなっているようにも見えた。
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by franz310 | 2006-11-30 00:30 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その46

b0083728_1774117.jpg個人的経験:
前回の、
テスタメント盤の解説に、
アマデウス四重奏団のレコードの
ライヴァルとなった録音の一つに、
「グラモフォンから出された、
デムスのピアノと、
シューベルト弦楽四重奏団の
演奏のものがある」
といった記述があった。

しかし、同時にそこには、シューベルト四重奏団とは、
実体は、コンツェルトハウス四重奏団であるとあって、仰天した。
(おそらく契約の関係で。)
彼らは67年まで活動したから、
58年のアマデウス盤のライヴァルとして、
これが録音されたということは、十分、有り得る話である。

また、先のアマデウス盤の解説によると、
51年から、アマデウス四重奏団は、
アメリカのマイナーレーベルの、ウェストミンスターに10の録音を残し、
HMV、デッカにもレコーディングし、
最終的にグラモフォンに移籍したとある。

どうやら、当時の契約関係は、非常に入り乱れていたようで、
ウェストミンスターの看板アーティストであったコンツェルトハウス四重奏団が、
何かの拍子に、グラモフォンで録音していたとしてもおかしくはないと、
思うようになった。
そういえば、デムスも、もともと、ウェストミンスターの看板ピアニストであった。

私は、この録音、この意味不明な楽団ゆえに、これまで、まじめに聞いていなかった。
こんな名称の楽団は、このレコード以外にないのだから。
私の問題だけではなく、この録音、
デムスのピアノ、ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団の、
「ます」であったとしたら、おそらく、もっと売れたのではないだろうか。

1960年に出た、「世界名演奏家辞典」にも、
「この楽団は、ウィーン最高の室内楽団である・・
特にシューベルトに傑出している」と書かれているのだから。
むろん、デムスも、ここに出ていて、
「現代オーストリアの三大ピアニスト」の一人と紹介されている。

そうした名称問題もさることながら、
実は、このレコードで、もっと気になるのは、ステレオのバランスかもしれない。

ピアノがやたら左から聞こえてきて、
その右、つまりステレオ・スピーカーの真ん中あたりからヴァイオリンが聞こえ、
右の方に窮屈に、ヴィオラ、チェロが聞こえる点ではなかろうか。
コントラバスは、その奥の方にいるのだろうか。
この曲の場合、ピアノが高音で幸福な響きを立てることが多く、
やたら、右に傾いた音場感となる。
部屋が傾いたような、奇妙なステレオ効果が広がる。
演奏者名とは別に、変なレコードという感じがないわけではない。

実は、この曲のシューベルトの書法を、
ピアノ連弾の高音をピアノが、低音側を弦楽部が受け持ったような形、
と評した人(アインシュタイン)がいる。

まさしく、それを反映させたような録音といえるのかもしれない。
ひょっとして、ステレオ初期の実験段階の一例だろうか。
とはいえ、アマデウス盤のような薄っぺらな感じはなく、
当然、立体的であるばかりか、雰囲気も豊かでみずみずしく、
各楽器の存在感も鮮明である。

演奏も伸び伸びとして闊達、
ピアノも弦楽も情感溢れ、活力に満ちた速いテンポで、
シューベルトの夢を広げていく。
疾風怒濤のシューベルトのようで、心に迫るものがある。

私が最近、近所の中古屋で、
たまたま入手したLPは、
私が音楽を聞き始めた時代には、
すっかり市場から消えていた、珍しい10インチ盤で、
この曲が両面にいっぱいいっぱいに収められている。

ジャケットは、この時代(おそらく40~50年くらい前)に相応しく、
近代的な表現で斬新である。それがかえって、時代を感じさせる。
(これはモンドリアン??どこかで見たが思い出せない。)
こんなデザインからも、ようやく、戦後も終わったという感じが漂ってくる。

その解説は、「古今の室内楽曲の中でも、
おそらく最も人気ある曲のひとつであろう。
全篇に若々しく明るい美しさが率直に現れて、
誰にでも理解できる」と書き始められており、
旅先の美しい自然、気のおけない交流といった
若いシューベルトの幸福な日々の産物である旨、
正しく押さえられている。

この解説のとおり、この演奏もまた、若々しく率直で、
非常に好感を持った。必要以上に深刻にはならないが、
迷いや侘しさも十分に表現されている。
終楽章の未来への憧れの表現も秀逸である。

さて、この解説、
まさしく、先のアインシュタインの解説を引用しているのである。
「ピアノは連弾の場合の第一奏者(プリモ)であり、
メロディーをオクターヴで奏するその様式がかなり多く用いられている。
そのため第2奏者(セコンド)である弦楽器群は、
低音を広く取る必要が生じ、コントラバスが用いられているのである。」

コントラバスの名手ドラゴネッティ(1763-1846)が、
この作品でピアノの高音部とコントラバスの奏する快い低音との関係を
絶賛した、とのことが解説に書かれているが、
私は、それを知らなかった。そして、知って嬉しくなった。

ドラゴネッティのような一世代前の音楽家で、
シューベルトを認めた人は、ベートーヴェン以外には、
少なかったのではないだろうか。

だいたい、同世代の作曲家の中でも、シューベルトの真価は、
どうやら分かりにくかったようで、シューマンのように、
十何歳か若い世代が、ようやくシューベルトを認めたのではなかったか。

しかし、同じ楽器を分割した書法なら、この録音のように、
完全に分離して響くのはいかがなものか。
いったい、デムスは他の奏者と、どのようにコンタクトを取ったのだろう、
などと心配になるほどである。

しかし、このレコードをよく見ると、演奏者の紹介覧に、
「シューベルト弦楽四重奏団は、
名流ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のメンバーからなる」
とあって、当時から公然の秘密であったことが分かる。

確かに、改めて、名盤として知られる、
スコダ&コンツェルトハウス四重奏団の「ます」をかけてみると、
生き生きとしたテンポもよく似ている。
しかも、スコダ盤で、弾きとばし気味に感じた第2楽章も、
このシューベルト四重奏団盤では、
よくかみ締めて、味わい深い表現となっている。

おそらく、デムスの表現意欲が、スコダを上回っていて、
このような稀有の燃焼が生まれたのであろう。

また、どこかのマイナーレーベルが、きちんとデータまで載せて、
このあたりの秘話付きで、CD化すれば、音もよいし、
最新録音に負けない価値の商品になるだろう。
ステレオ効果についても、それなりの理由の解説があれば、
希少価値を感じるのではなかろうか。

得られる事:「ステレオ初期には、様々な音響上の実験がなされていた。」
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by franz310 | 2006-11-26 17:11 | 音楽

デパート屋上総務庁、ポイントカードに未来を見る。

b0083728_0171587.jpgデパートの屋上の一角に、
一見、ペットショップと
思しき施設があるが、
その実態は、政府直轄の
研究施設なのである。

そこでは、先端のバイオ技術、
遺伝子工学に、
オプトメカトロ技術が
駆使され、その成果が、
水槽や、檻や網の中に
集められている。

ただし、政府の予算は、
言うまでもなく、
政治家にも話を通しやすい
ゼネコン関係に多くが流れがち。


志、格調、ともに高く、
遠い未来をも想定しての
海のものとも山のものとも
思えないこんな研究などには、
ろくな資金など、回ってはこない。

税金による資金だけでは、どうしても足りない分は、
こうして、ペットショップの利益から捻出するしかないのが実態だ。

現在進行中の、最大のテーマは、デジタル・デバイド問題対策。

つまり、パソコンなど、デジタル機器を使える人と、
使えない人の間の格差問題是正に対して取り組んでいるのである。

実際、すでに、
パソコンの前で、株の売買をするだけで、
巨額の富を得る国民がいる一方で、
パソコンなどを置いた日には、
文鳥の水浴びや、ハムスターのひまわり食べかすで、
すぐにキーボードがいかれてしまうような劣悪な環境の職場で、
ひたすら、鳥だのトカゲだのに与える生餌のにょろにょろや、
水草の傷んだのを、毎日毎日、より分けて、
かろうじて研究資金を稼いでいる国民もいる。

こうした状況は、果たして正しいのだろうかと、
政府は考えている。
むしろ、愛国心を持って金魚に餌をやる国民こそが、
愛国心のかけらもなしに、金魚に餌をやる国民こそが、
真の国民であるとは言えないだろうか。

しかし、実際には、ネット予約なら、割引になる旅館やホテルがあり、
珍しい輸入CDを簡単にGETできる人たちがいる一方で、
馬鹿正直に電話をかけて予約して、何のメリットもない宿に泊まる人、
阿呆みたいに、ふらふらとあちこちのレコード屋を歩き回って、
ようやく欲しかったCDと一緒に、ついつい、いらないCDを買ってしまう人がいる。

このように、デジタルデバイドは、静かに静かに、しかし、確実に進行中なのである。

今日も、バイトの姉ちゃんが、
店長(もちろん、世の目をはばかった姿)に、
このような質問をする。
「てんちょー。その気持ちわりー虫ってさー、
まじ、気持ちわりーんだけどー、
やっぱ、そうやって、手でより分けるしかー、
ないって感じい?」
「これが一番、確実なのだ。」
そう答えるだけで、デパ屋総務庁主席研究官は、黙々と作業を続ける。

時折、あのDog・OFFの社長に、どうやって、
あの言論統制を行なっているか、
(あの店では、「ひらっひゃいまひぇ、ほんにひわ~」という言語以外、
使ってはならないようだ。)
そのあたりを、もっと教えてもらいたいくらいだった。

あるいは、この姉ちゃんは、
こんなことも言う。
「てんちょー。すいそーで、魚が沈んでるんすけどー。
ちょー、カビが生えてて気持ちわりーからさー、
取って捨てて欲しいんだけどー。」
「わかったちょっと待ってろ。」
こう答えるだけで、研究官は、無駄な説得や論議はしないようにしている。
時間の無駄になるからだ。

そんな作業をしながらも、
彼の頭は、休むことなく、思考を続けている。
しかも、その思考とは、非常に難しいことに関することなのだ。

次の新製品開発は、
台所用アルカリ整水機と兼用した熱帯魚用ろ過フィルターや、
テッポウ魚を利用したウォッシュレットを想定していたが、
リサイクルペット(ペットボトルではない)のDog・OFF社長が、
次世代小売革命と銘打った、Petショップ・Potショップ化計画の方に、
どうしても心が動いてしまうのであった。

つまり、これまでの、お客様が買えるものを探して歩く小売から、
お客様の財布の状態によって、買えるものを提供する対話型小売へと、
転換すべき時期だという。

そうした新しい世界に、転換するための起爆剤を、
我々(といっても、自分とバイトの姉ちゃん)が、
提供する。素晴らしいことではないか。

すでに、耐震偽装をしたとは言え、
メダカを改造して、記録メディアにしてしまう、
「モバイルめだか」は、完成したも同然だった。

こうした、前のテーマからの流れや、世の中へのインパクトという意味で、
こちらのほうが、ずっと、やりがいのあるテーマではないだろうか。
この方向の開発なら、社会システムが変えられるが、
今の計画では、浄水器や便器が変わるだけなのである。

しかし、いきなり、お客さんの懐具合によって、
商品表示価格を変えるというのは、
いくらなんでも、やばすぎると思ったので、
先日の会合の時、店長は正直、逡巡していた。

それを見透かしてか、Dog・OFF社長はこう言った。
「よろしおまっか、ばれへんように、ちょーっとずつやればええんですわ。
こんなんはどうでっしゃろ。前にやったことがありまんねん。
結構、いけますで。」
「伺いましょう。」

「期間限定のポイントカードでんがな。
会計1000円で、50円還元するっちゅうやつでしてな、
みなさん、一所懸命、1000円買いまっせ。」
「それなら、モバイルめだかでなくともいいのではないですか。」

「モバイルめだかやったら、電子マネーでっせ。
合計額を1000円にする必要なんかあらへんねんで。
例えばや、1000円しか持ってない人は、絶対、1000円全部は出しまへんわ。
そんな人には、そんなキャンペーンなんか、何のありがたみも効果もあらへんやろ。」
「むう。」

「そやからや、1000円しか持ってない人には、500円買ったら、
25円サービスするんや。それやったら、有効やろ。
10000円持ってる人には、5000円買ったら、1000円お得や、
とか言ってみい。あるいは、5000円のポイント付けてもええやんか。」
「そんなことしたら、商売が成り立ちません。」

「そうやろか、翌日からしか使えない。
あるいは、1W以内に使わないと、無効になる。
または、デパ屋でしか使えない。
ありとあらゆる条件をつけたらええやんか。
それでも、絶対、儲かりまへんか?
お客さんは、ぎょうさん買う。売った分だけ儲かる。」

ここで、社長は、人差し指を立てて強調した。
「モバイルめだかは、電子マネーなんでっせ。
何だってできるやないですか。
5000円買ったのに、5000円が減っていない。
そう見えるだけで、お客さんはハッピーやで。
しかし、極端な話、翌日の開店直後に無効にしてまいばええんや。」
「何と。」

たしかに、一瞬の売り買いで、大損をこいたり、大もうけが可能な、
IT社会における小売の姿とは、そうしたものではないか??
店長は、目から鱗が落ちるような洗礼を、Dog・OFF社長から、
どばっと受けてしまったのである。
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by franz310 | 2006-11-23 00:23 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その45

b0083728_11572381.jpg個人的経験:
前回、
「併録されているものが違ったら、
同じ演奏のものを入手しても、
何が悪いだろう」などと、
都合の良い理屈を書いているうちに、
自己暗示だか
自己催眠にかかったのであろう。

またまた同じ録音を購入してしまった。

何しろ、これまで、
EMIで発売されていた
アマデウスの「ます」は、
フランス盤も、オランダ盤も、カナダ盤も、
まともに演奏者についての解説がなかった。

新星堂や、アメリカのマイナーレーベルが、
愛情を込めて古い録音を扱っているのに対し、
しょせん、大企業は、こうしたお座なりの商品化しか
出来ないのだろうか。

忘れられていたロスタルのヴァイオリンの演奏が、
英国のテスタメント・レーベルで復刻され、
しかも、丁寧な解説が載っていることを知ると、
アマデウスの「ます」の復刻が
このレーベルからもなされているのを、
黙って見過ごすことが出来なくなってしまった。

おそらく、この録音がなされた背景なども、
解説に書かれているはずだ。
何しろ、テスタメントとは、「立証」とかいう意味である。
そう考えると、居ても立ってもいられなくなってきた。

私は、アマデウス四重奏団には、特別の愛着を持っている。
彼らの弾いた「ロザムンデ」のレコードの素晴らしさ!

この一連の記述は、レコードという商品が、
単にデジタルデータとして扱われる現状に警鐘を鳴らすべく、
ジャケット、解説、演奏の三位一体を愛でることを、
一つの主眼としているので、アマデウスの「ます」のCDも、
解説のない廉価盤ばかりを相手にしていたのでは、
少し、片手落ちではないか、
という自分への言い訳が、今回の購入を支えている。

今回のものは、まず、
モーツァルトの弦楽四重奏曲が併録されている点が、
これまで紹介してきたCDとは違う点である。

また、当時のアマデウス四重奏団の写真が、
落ち着いたジャケットに採用されていること、
テスタメント・レーベルの常として、
録音日時の正しいデータが記載されていることも、
また、期待された。
これによると、この録音は、1958年10月15日から17日に、
エイビー・ロードの第一スタジオで行われたとある。
59年に発売されたようだが、録音は前年の秋だったわけだ。
寒いロンドンのことであるから、ちょうど、今時分の気候だったろうか。

プロデューサーやバランスエンジニアの名前も書かれていて、
これこそ、れっきとした商品という感じがする。

さて、解説を見ていこう。
はたして、興味深い発見は、ここに記述されているだろうか。

以下に、意訳で概観してみよう。

「メンバーの入れ替えなしに、
40年もの間活動を続けたプロのカルテットは珍しく、
ショスタコーヴィチの室内楽の初演で有名な
モスクワのベートーヴェン四重奏団の41年(1923-64)、
ロンドンのアメデウス四重奏団の40年(1947-87)しかない。

ベートーヴェン四重奏団は、メンバーを変えて活動を続けたが、
アマデウスはそうではなかった。
幸運だけでなく、4方向の結婚のような関係を、
大切にする高いスキルを共有している必要がある。

カルテットは生き物であり、呼吸している存在なのだ。
そして、やがて、過去のものになる。

彼らがロスタルの元に学んだ時、ブレイニン、ニッセル、シドロフは、
弾いていて最もエンジョイできるのは、室内楽であるということを発見した。
しかし、3人ともヴァイオリニストで、ヴィオラもチェロもいなかったので、
弦楽四重奏団を作ることはできないでいた。

グラインドボーン音楽祭の小さなオーケストラで、
ブリテンの「ルクレチアの陵辱」を演奏していて、
シドロフがロヴェットに最初に会った。

「最初はピーター(シドロフ)が嫌いでしてね」と、
ロヴェットは笑いながら回想する。
「私の演奏に注意したりするものだから。」

しかし、彼こそが第四の男となる運命にあった。
彼の将来の妻はロスタル門下で、
彼自身、ロスタル室内オーケストラのメンバーになった。

最初のころは、ブレイニンとシドロフが受け持ちを代えたこともあったが、
やがて、ブレイニンはインスピレーション豊かなリーダーとなり、
シドロフはしだいにヴィオリストの自信を深めていった。
ニッセルは、卓抜した語調と、分析的な素質を持ち、
立派で穏やかなテンペラメントで、第2ヴァイオリンの天分を有していた。
ロヴェットは4、5歳若かったので、最初は恐れをもっていたが、
急速に技術をつけ、四重奏のチェリストとして、自信を深めていった。

戦後の配給制や倹約の時代が英国を襲い、
グリラー四重奏団のようなリーダーたちは、
49年にはアメリカに行ってしまい、
室内楽の危機の時代が到来した。
戦前の国際的な楽団は、古びてしまったか、解散したりしていた。
BBCなどは、新しい才能を探していたから、アマデウスのメンバーにも、
レパートリーやテクニックを磨けばチャンスがあった。

一方、49年にはアマデウス四重奏団は録音の仕事も始めた。
翌年、モーツァルトの四重奏の録音が依頼され、ト長調をHMVに録音した。
(これが、ここに収められた録音である。最初期のものということだ。)
これは、最初期の10インチのLPの一つとなり、英国ではHMVから、
アメリカではビクターから発売された。

今聞いても素晴らしいものだが、
シドロフのヴィオラの音が薄い点が、
後の録音とは異なっている。
ロヴェットは楽器のせいだとしているが、ブレイニンは、それに対し、
「私はそのスタイルが好きだったのだ」と反論している。

全体に活気ある解釈で、終楽章などは、
習得された対位法の中に溶け込んだ、
コミックオペラのおしゃべりするようなアンサンブルが、
あわ立つような印象を与える。

その後、HMV、ウェストミンスター、デッカなどに録音したが、
やがて、もっぱら、ドイツ・グラモフォンに録音するようになった。
(このあたりの技術的な差異や、
契約のごたごたについても書かれている。)

その前に、HMVに対し、有名な「ます」の録音を行った。
本来なら、よく協演していたカーゾンがピアニストをつとめるべきところ、
彼はデッカの専属で、HMVの誰かが、
ヘフツィバー・メニューヒン(1920-81)と協演させるアイデアを出した。

彼女は普段、兄と協演していて、ジャンドロンともトリオを組んでいたので、
それを、「ます」の編成まで拡大することも可能だった。

ロヴェットは、
「彼女とコンサートで協演したことはなかったが、
とても、楽しいリハーサルだった」と言っている。

このスタジオ用の団体はうまくいった。
フィルハーモニア・オーケストラの主席である、
ジェームス・エドワード・メレットが、しっかりとコントラバスを受け持った。
彼は、同様に有名な父親「オールド・ジム」と区別するために、
「ヤング・ジム」と呼ばれていた。

ヘフツィバーの抑制された古典的なスタイルが、
もっと外向的なアマデウスの表現方法を完成されたものとし、
一般にも批評家にも高い評価を受けた。
(このあたり、私の印象とも、合致している。)

皮肉なことに、対抗盤として出てきたのは、
カーゾンのピアノのデッカ盤、
ドイツ・グラモフォンのデムス盤だった。

これらHMVへのモーツァルト、シューベルトの録音は、
彼らがもっとも共感する二人の作曲家の作品で、
素晴らしい演奏となっている。

彼らは再録音を果たしているが、この早い時期の録音は、
彼らの1950年、58年時点でのすぐれた演奏能力を示す、
アマデウス神話のスナップショットとなっている。」

というようなことが、このCDの解説には書かれている。

b0083728_11594793.jpgジャケットの裏には、
美しい
ヘフツィバー・メニューヒンの
写真も出ていて、
これまた嬉しいではないか。
兄、メニューヒンとは、
ティーンエイジャーの頃から
録音していて、その頃から、
きれいな人だった。


アマデウスの写真も、ヘフツィバーの写真も、
彼らが、どんな風に協演したかも、これまで、
どのCDもLPも教えてはくれなかったが、
こうした証言を通じて、当時の状況が思い起こされると、
次第に心が豊かに満たされてくるのが感じられるではないか。

気になるのは音質だが、
2003年にテスタメントがデジタル・リマスタリングした旨かかれている。
1989年にEMIがリマスタリングしたものと差異があるだろうか。
最初は、なんとなく、ピアノが前に押し出されてきたような雰囲気を感じたが、
全体的にも、各楽器に輪郭が加わったという感じがする。登場感が違う。

ブレイニン特有の甘い響きがどれぐらい鮮度をとりもどしているかが
興味の中心であったが、そこはあまり違いが分からなかった。
しかし、重心が低めになったのか、低音に存在感が増し、
聞きやすくなったような気がしている。
うれしくて二度続けて聴いてしまった。

得られること:「録音場所や時期のデータのようなものですら、その商品への思いやりを表わし、その価値をさらに高める。」
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by franz310 | 2006-11-19 12:02 | 音楽

デパート屋上ペットショップ店長、Dog・OFF社長と語る。その2。

b0083728_23305599.jpgそれから、
Dog・OFF社長は、
そろそろ分かったでしょう、
といった感じで、
大げさに息を吸った。


それからおもむろに、こんな話を始めた。

「だって、そうでっしゃろ。モバイルメダカなら、
電子マネーでっせ。中身を簡単にチェックできるやないですか。
普通の財布なら、覗いたりしたら怒られますが、
電子マネーなら、覗いていても、誰も気付かないでしょう。」
「しかし、それは最近のセキュリティーの考え方からすると・・。」
店長が、そんな意見を語ろうとすると、Dog・OFF社長は、
それを遮るように、声を大きくした。
「そやな、人間が介在すると、まずいでしょうな。
やけど、ぜーんぶ、機械が判断すれば、良いんではないでっか。
誰それがいくら持ってるなんて、興味ないわけですよ。実際。」

彼は自信満々でこう言った。
「いくら入った財布が歩いてくるか、それだけが重要なんでっせ。
655円しかもっていないお財布には、105円の中古犬を、
10000円入っているお財布には、7500円のリクガメを、
何のためらいもなく、ごく機械的に、一定の法則にしたがって、
プロモートすればええのですがな。」

それから、目を細めて、誘いかけるようにささやくようにした。
「いやあ、デパ屋さんのように、
技術力をお持ちの組織にしか出来ませんで、これは。
また、様々なアイテムを取り扱っている
大企業さんにしか出来ない技でんな。」
「ううむ。すべて、機械の判断でね。なるほど。」
「はっはっはっ、機械均等法というやつでっせ。ひっひっひっ。」

ここで、続けざまに社長はアイデアを披瀝した。

ここからが重要とばかりに、声の音量を落とす。
テンポも落としながら、
「よろしおまっか、表示価格も、そのお客さんのお財布ケータイ、
つまり、モバイルメダカに応じて変えてしまえばええんですがな。
そう、思い切って、プライスカードは、電子ペーパーにしたらいかがでっか?
10000円をお持ちのお客様には、300円の水草を1000円で売る。
655円しかもっていないお客様が来られた時には、
155円で売ればええ。
トータルすれば得やないですか。」
と言った。

そして、ここで声を大きめにして、
「どうでっか、このような財布に応じて、プライスを変更する。
つまり、プライスオプティマイズ技術、これが『POT』や。
次世代ペットショップは、POTショップとなりますねん。
世界初のPOTショップや。
こんな晴れ舞台を前にして、ペットショップが名乗りを上げんで、
どうするねんや、店長。革命やで、これは。
産業革命以来の大革命や。」
てな具合に、ここでやらな、あんたの度量もそこまでやな、
といった雰囲気のニュアンスを漂わせるのも忘れてはいない。

「おおう。」
いままで、500円の品しか、がんばって売ったことのなかった店長は、
7500円の品が売り買いされる、壮大な計画に呑まれて、
思わず感嘆の声を洩らしていた。

社長は、相手があっけにとられているのを見て、にやにやと笑っていた。
もちろん、そうしたシステムを確立するには、多大な投資が必要となる。
しかし、社長自身は、そんなものに金を出す気はさらさらなかった。

いま、Dog・OFFが開発しているアイテムは、
アルバイトの兄ちゃん、姉ちゃんに、均一なファルセット唱法で、
「っれしぇいめせ~。」「えりがとーごぜいめしてあ。」
の基本を叩き込むトレーニングシステムである。
これによって、全国1000店舗を統一したコンセプトにし、
卓越した企業エメージを打ち立てることにこそ、
社長のドリームがあるからだ。

この基本さえ出来てしまえば、後は、各店舗の自由裁量にまかせる。
学生の多い町には、女子学生がアクセサリー代わりに欲しくなるような小型犬
(たとえば、何たらテリア、インテリア、ばくテリア)を多く扱わせ、
老後をすごす人の多い、ゴースト化したニュータウンには、
その土地にふさわしい偉そうな犬(たとえば、ゴールドマンサックスリバー)
を売らせれば、効果があがる。

むしろ、各店長が、画一のスタンダードに迷わされず、自主的にアイデアを、
出してくれた方が良いのである。
しかし、野放図になるのは困る。
そこで、社長が考え付いたのが、アイデンティティ確立の第一声、
「っれしぇいめせ~。」なのである。

デパ屋総務庁が、社長の提示したモバイルめだかのアイデアに飛びついて来て、
国家予算で回してくれたおこぼれを頂戴すれば、鬼に金棒。

主要なエキナカの店内に、
「っれしぇいめせ~。」
の声が響き渡る日を夢見て、社長は、思わず笑顔がこぼれてしまうのであった。
しかし、ここで気を引き締めなければ、このおっさんが、
どんな方向に暴走するかわからん。
さらに、追い討ちをかけるように、こう付け加えた。

「それに、言い訳はいくらでもできるやないですか。ペットですからな。
この世に、二つと同じものはない。一律の価格にしている方がおかしいくらいや。
メダカにだって、強いのや弱いの、鳥にも、卵をちゃんと温めるのやしないのや、
いろいろおるでしょう。犬だって、ほえるの吼えないの、
猫だってネズミを取るのと取らないの、いろいろいる。
中国4000年の知恵に、こういうのがある。
『どんな色の猫でも、ネズミを捕るのが良い猫だ。』」
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by franz310 | 2006-11-15 23:39 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その44

b0083728_21305128.jpg個人的経験:
アマデウス四重奏団の、
ヴァイオリンとヴィオラ奏者の
先生に当たるのが、
マックス・ロスタルであることは、
すでに述べたし、
アマデウス四重奏団に関する、
ちょっと詳しい解説には、
必ず、このことは、
記されている。


では、このロスタルという人について、
どれくらい知っているか、
あるいは、知る必要があるか、
ということに関しては、
通常、深く考えることはないのではないだろうか。

そもそも、興味のある音楽家が、
出てくるたびに、その先生が何者であるかまでを、
いちいち調べだしていたら、とんでもないことになる。

しかし、今回は、たまたまであるが、
私は、ふと、あの、独特の音色を持つ、
ブレイニンやシドロフを教えた人に思いを馳せた。

それは、本当に、偶然の事なのであるが、
この人の名前を、別の場所で見たことがあることに、
ふと、気づいたのである。

b0083728_21332655.jpgかつて、新星堂が、
「シューベルト 名演の遺産」
というシリーズを出した時に、
ヴァイオリン曲集の音源として
使われていたのが、
この、ロスタルの
55年、56年の盤だった。

私は、
シューベルトの
ヴァイオリン曲も好きなので、
このCDを買うか買わないか、
ずっと、悩んでいた。


当時は、近くに新星堂があったので、
(ずっと、つぶれないでがんばっていたが、
近年、遂に、力尽きたのは残念。)
何度か、これを手にして購入を検討した。

しかし、CD裏に出ている、
不気味なうす笑いの老人が演奏しているのかと思うと、
若くして亡くなったシューベルトの、さらに若い頃の作品に、
この風貌は、まったく相応しくない、という結論に達して、
結局、購入しなかったのである。
また、ホースレイというピアニストも、全く知らない人だった。

しかし、まだ、新星堂では、このCDは入手可能で、
さっそく購入して聞いてみることにした。
さすが、「アマデウス」の音色の根源であるだけに、
何だか妙に、懐かしく味わいの濃い演奏である。
闊達な演奏ではなく、派手な技巧も全面に出さないものの、
音色も深く、表情も、時に不自然なほど豊かである。

アマデウス四重奏団は、
イギリスでこの人の教えを受けたとあるので、
てっきり、その先生というのは、
端正なイギリス紳士だと思っていたのだが、
実は、この魔法使いのような風貌の老人が、彼らの先生だと、
ようやく頭の中で結びついて、私は複雑な思いを禁じえなかった。

そもそも、このCDにある丁寧な解説を読むと、
彼はポーランドの出で、ベルリンにいたとき、
ナチスに追われてイギリスに帰化したとあって、
アマデウスのメンバーと代わらない境遇であったことが分かる。
つまり、先生も生徒も、独墺圏にいたのであり、ヒトラーのせいで、
場所を変えて練習していた形だったのである。

1905年生まれで、つい、近年、1991年まで健在だった模様。
そんな高齢であれば、
魔法使いの笑みを浮かべたとしても不思議ではなかった。

b0083728_21355177.jpg実は、輸入盤(テスタメント)には、
ロスタルのヴァイオリンで、
イギリスの作曲家の作品を
集めたCDもあって、
これを見ると、
若い頃は、当然、老人でもなく、
魔法使いとも違って、
かなり洒落た雰囲気を持った
ヴァイオリニストであったことが分かる。


このCDは、ピアノのホースレイとの最初の協演だったらしく、
55年の録音とあり、
(アマデウスの「ます」の3年前だ)
例の新星堂のシューベルトに先立って録音されたもののようだ。
従って、50歳頃のロスタルは、教師として活動していただけでなく、
活発に録音もしていたということだ。
(この頃、弟子たちの四重奏団の方もまた、すでに世界中を演奏旅行し、
レコーディングも開始していた。)

ということで、あの新星堂の妖怪老人の写真は、
「ちょっと、違いすぎるだろう」というのが感想。
かといって、テスタメント盤のロスタルの写真は、
CDを買う時に、かなり有利に働くが、
「これはこれで、若すぎるのではないか」と思う。
撮影年代までは書いてないので、私の間違いかも知れないが。

このテスタメントのCDの解説には、
23年の長きにわたって、ロスタルと協演した
ホースレイの言葉が出ていて、
ロスタルの人柄を垣間見ることが出来る。
「一緒に仕事をするのに素晴らしい相手、
単に信頼できるというだけでなく、最も信頼すべき人物。
ミスをすることがなく、いらいらすることもなく、
乱暴な言葉を使ったこともなかった。」

おや、まさしく「紳士」ではないか。
亡命していた先に、たくさんの弟子が集まって来た理由が、
こんな一言からも分かるではないか。

さて、このロスタル自身は、
ウィーンでロゼーに、ベルリンではフレッシュに学んだとある。
フレッシュも有名な大家だが、ロゼーといえば、
マーラーの妹と結婚したウィーン・フィルのコンサート・マスターとして、
この大作曲家の伝記には必ず登場するので、私には親しみが湧く。

こうして、マーラーに始まり、ロゼー、ロスタルの系譜の上の、
「アマデウス四重奏団」という流れが印象付けられた。
ちなみに、ロゼーも38年にロンドンに亡命したらしい。

ロスタルのもう1人の師、フレッシュだってハンガリー出身である。
マックス・ロスタルという人は、とにかく、古典的なヴァイオリンの系譜に連なる、
エッセンスのような音楽家だったと考えるべきなのだろう。
魔法使いのような笑みも漏らすわけである。

ロゼー弦楽四重奏団の戦前のレコードもCDに復刻されていて、
録音は悪いながらも、非常に華のある演奏である。
これが、マーラーが聞いていた時代のベートーヴェンかと想像すると、
妙に嬉しくなってしまう。

このように、ロゼーや、ロスタルの演奏を聴いて、改めて感じるのは、
弦楽器の美感には、当然のことながら、
その楽器ならではのものがあるということだった。
心の痛みや憧れを呼び起こす、搾り出すようなもの。
遠くの山並みが、空気の中にすうっと消えて行くようなもの。
小さな節回しの中でも、鮮やかに変化する音色みたいなもの。

こうした、名人芸が即興的に、ちりばめられているのが、
ヴァイオリンの華なのではなかろうか。

アマデウス四重奏団の弾く「ます」の演奏は、
大きなレコード会社であるEMIが、事あるごとに、廉価版に採用するので、
近年亡くなったジュリーニ指揮を目当てにCDを購入しても、
たまたま付いて来たりする。
「未完成」の他、最近、聞かれなくなったピアニスト、
アニエヴァスの弾く「即興曲」が入っていたりすると、
同じ演奏を持っていても、ついつい手を伸ばしてしまう。

ジャケットデザインは、コロー?で、とてもシックである。
この画家は1796年生まれだから、シューベルトと一歳違いである。
したがって、生きた場所は違うが、時代的には合っている。

1875年まで生きたせいか、シューベルトなどより、
このフランスの画家は、現代に近い人のような気がする。
そのせいか、あるいは、逆に、その絵がそう思わせるのか、
牧歌的な情景とはいえ、シューベルトの描く牧歌的な世界とは異なり、
牧神やニンフが戯れて、完全に大嘘みえみえの世界である。
このあたり、産業革命が進んで、
もはや、人間が後戻りできなくなっていることを暗示している。

それにしても、シューベルトの「ます」には、
こうした装飾的、暗示的な美学ではなく、もっと、
直接的、あるいは、手ごたえの有る自然が感じられるのは何故だろう。
(そうした側面を無視した演奏も多いのは事実であるが。)

1875年まで、生きた人ならば、
マーラーやロゼーと、生きた時代が重なって来る。
コローが、その長い生を生きている間、シューベルト、ベルリオーズ、
メンデルスゾーン、ショパン、シューマンといった、
盛期ロマン派の多彩な天才たちが生まれ、死んでいったことに、
ちょっと思いを馳せてしまった。

廉価盤なので、まったく解説はない。
「未完成」交響曲と、「ます」の五重奏曲を、
一緒に聴きたくなる心境というのは、
私には想像できないが、シューベルトの器楽を一枚で味わおうとしたら、
こうなるのであろう。

さて、前述のような、ロスタル体験をした後で、このCDを聞くと、
アマデウスのメンバーも、師と同様、様々な色合いで、
細部の表情に工夫し、音楽を奏でていることが察せられる。

ただし、カナダ製で、「Crystal-Clear digital sound」などと、能書きが書かれると、
どうも、そうした繊細なニュアンスがぶっとんでいるようにも思える。
実際、音質はどうもそんな感じだ。

むしろ、ロスタルのCDの方が、古いのに豊かな響きが堪能できる。

得られたこと:「演奏家の師匠の音から、聴き方を教わることもある。」
その2:「演奏と、演奏家の写真は、同時期のものであるべきだ。」
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by franz310 | 2006-11-12 21:44 | 音楽

デパート屋上ペットショップ店長、Dog・OFF社長と語る。

b0083728_2395874.jpgところで、
デパ屋総務庁店長は、
研究者あがりであったし、
長らく、デパートの
屋上という象牙の塔から
出たことがなかったので、
ビジネスという観点からは、
武家の商法、
やはり、お役人の域を、
出ていなかったのも
事実である。

彼が考えた
ビジネスといえば、
これまで、最も成功したのが、
よくある消耗品ビジネスで、
ろ過フィルターを安く売って客を誘い、
やがて汚れて交換が必要となる、フィルターを高く売りつけるもの。

あるいは、
死にそうなメダカと、ちぎれた水草を抱き合わせ販売して、
原価構成をあいまいにするという、ごく初歩的なプロモもあったが、
これなどは、季節要因が大きすぎて、メダカの売れない冬場などは、
効果が低い。つまり、かなり大きな減収となる。

この冬場をしのぐため、
ペンギンとホッキョクグマの抱き合わせ販売も考えたが、
南極政府と北極政府にかけあって、輸入手続に手間取っている間に、
冬がすぎ、夏場になって、ようやく仕入れが済む始末。

日本の暑さに慣れていない、これら寒冷地の生物たちは、
みんな、アイスのように溶けてしまい、
この計画は、文字通り水泡に帰したのである。

これに懲りて、
落ち葉の下のテントウムシ越冬セットや、
つがいのミノムシを売ろうとしたこともあったが、
何せ、声を出すでなし、面白い動きをするでなし。
結局、自分でも世話を忘れて、全滅させてしまった。
そうした苦渋の思い出もあったのである。

そこで、夏こそはかきいれ時と、
もう、年老いて、手足がちぎれた
カブトムシやキリギリスの、
取れた手足を接着剤で修復し、
格安価格と偽って、子供だましの商売を、
どきどきしながらやっちまうのが関の山。

ところが、今回、
例の件で、「Dog・OFF」の社長から、
「金」というものの考え方を伝授され、
なるほど、と大きく首肯した。

かっぷくのよい、まるで、とんかつソースのような風貌の、
初老の紳士は、ソファーにふんぞり返って、
デパ屋店長と向かい合っていた。
これまた、定年間際の、頭の薄い店長は、
はたから見ると、落ち着きがなく、
何となく、部下のようにも見える。

「これは、マーケティングの話でよく出る例ではありますが、
ポイント制度というものが、世の中にはようありまんな。」
社長は、愛想の良い笑顔で、ソファーから身を乗り出した。
店長は、相手の偉そうな態度に負けまいと、
自慢話で対抗する。
「いや、我々も、メダカ10匹で1ポイント、
100ポイント貯めたら、ホテイソウをプレゼント、
というものを導入したことがありました。」

しかし、このはったりは、逆効果。
社長は、眉を動かしながら、ぴしりと、指を立てた。
「そこ。それが、いかんのでんがな。ホテイソウがいかんのや。
ポパイのほうれん草やあるまいし、ホテイソウやて?
ちょおっと、夢がないのと違いまっか。どうも、しみったれてまっせ。
カード会社がやっているのを、よおく、考えてごらんなさい。
ホテイソウとか、キンギョモなんていう特典がありまっか?
もっと、いいものが貰えると書いてあるでしょう。
そんなにポイントを貯められるわけでもないのにですよ。」

店長は、夢がないといわれ、首をひねった。
お役人というものには、
賄賂とか天下りとか、現実しかないので、
夢といわれてもぴんと来ないのである。
しかし、言われて見れば、カード会社は、
何だかよく分からない、ブランドの特典が多いようだ。
「なるほど、では、グッチの捕虫網とか、
あるいは、フェラガモの水槽とか・・・。」
社長は、深くうなずいて、こう言った。

「さーすが、店長。ええ線を行っておられまんな。
しかし、デパ屋さんには、もう一ひねりして欲しいところでんなあ。
最近、私は、こういうコトを考えておるんですよ。
ちょっと、考えて見てくださいね。
ここに、655円しか持っていないお客さんと、
10000円持っているお客さんとがおるとします。
さて、どちらが、105円の老犬を買っていくと思いますか?」

これが、「Dog.OFF」社長の次の質問であった。
「ううむ、残り、550円では、心細いから、
655円の人は、買ってくれないんじゃないですか。」

「ふむ、そこに、50円の激安ドッグフードも売っていたら、
いかがでしょうか。」
「ううむ、残り500円だと、ますます心細いですな。
やはり、10000円の金持ちが買うのでしょう。」
社長は、それが違う、というように眉をつり上げた。
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、店長を見て、首を振った。

「655円しかないお客さんの方が、他に買えるものもないから、
105円の激安ドッグを買うのですよ、これが。
さらに、50円出費しても、500円余る。
こう考えると、いてもたってもいられなくなるのでんな。
そういうもんですって。
自分は、まだまだ買い物ができるぞ、と思うわけですな。
500円残れば、まんざらでもないぞと、そう思うのです。」

彼は、さらに続けた。
「ところが、一方ですよ。
10000円のお札というものは、出来れば崩したくない、
特に、たかが、105円くらいのもののために、
という抑止力が働くわけですよ。
そう、なかなか、105円のドッグを買いはしないのですわ。」
「むう。」
「だって、そうでしょう。
10000円あれば、105円のものよりも、
さっと、財布からそれを取り出して、
7500円のリクガメを買う方がかっこよいではないですか。」

「なるほど。それなら、私も、死にそうなメダカと、屑の水草を
抱き合わせて、500円というキリの良い数字にしたのは正解だったわけだ。」
「そうかもしれませんな。さすがや。やけど、このような状況を、
御社のモバイルメダカ技術を使えば、常に作り出せるわけでんな。」
「と、いいますと。」

Dog・OFF社長は、ここからが本題や、とばかりに、
にやりと歯を見せた。
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by franz310 | 2006-11-08 23:10 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その43

b0083728_2352959.jpg個人的経験:
貴重な記録として、
ライブ録音を収めた
CDとして、アメリカの
ブタペスト、ジュリアード
各四重奏団を見てきたが、
ヨーロッパでも、
アマデウス四重奏団の、
BBCによる記録が、
CD化されている。


アマデウス四重奏団の演奏した、「ます」については、
2種類のスタジオ録音をすでに
このシリーズでも取り上げていて、
さらには、テスタメントのDVDまで紹介しているので、
また、そこに戻るのは、ためらわれるものの、
ライブのCDという流れで、
無視するわけにはいかない。

ピアノは、DVDと同じカーゾン。
コントラバスは、EMIへの録音時と同じ、メレットである。

アマデウスの録音は、まとめると、以下のようになる。

58年、H.メニューヒン(ピアノ) E.メレット(コントラバス)(EMI盤)
71年、C.カーゾン(ピアノ)   E.メレット(コントラバス)(BBC盤)
75年、E.ギレリス(ピアノ)   R.ゼペリッツ(コントラバス)(グラモフォン盤)
77年、C.カーゾン(ピアノ)   R.スラットフォード(コントラバス)(テスタメントDVD)

ということで、メニューヒンと、ギレリスの中間に位置する録音だが、
聞き比べると、メニューヒン盤はこじんまりしており、
ギレリス盤は、今回のものに比べると、窮屈で伸びやかさが足りない。
清水のごときカーゾンのピアノの流れの美しいこと。

ジュリアード四重奏団のような、強烈さはないが、
何か、みんなで同じ夢を見ているような安堵感がここにはある。

アマデウス四重奏団の、「ます」のCDの演奏としては、
これが一番乗っているかもしれない。
ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでの実況なので、
聴衆の質が良かったのだろうか。

とはいえ、録音は、さすがに、スタジオ録音の方が、鮮度が高い。
微妙な位置づけである。

ジャケット写真は、BBCらしいというべきか、質実であるが、
そこそこに美しい仕上がりだ。

さらに、こうした記録物は、中の解説が楽しみである、
この手のものなので、曲目解説はなく、
演奏家のエピソードであるが、
これまた勉強になった。

以下に、書いてあったことを意訳する。

「1987年8月、ピーター・シドロフの突然の死の時点で、
アマデウス四重奏団は一度のメンバー変更もなく、
40年の活動を続けてきた。
高い声部を受け持つ3人のプレーヤーは、
第三帝国からの亡命者で、
英国の収容キャンプで出会い、マックス・ロスタルに付いた。
ロスタルには他にスザンヌ・ローザという弟子がいて、
英国のチェリスト、マーティン・ロヴェットの妻となった。
このようにして、4人のメンバーが集まり、
四重奏団が出来た。」

こう書くと、スザンヌもメンバーに見えるが、夫がメンバーである。

「彼らは、最初の公開演奏をブレイニン四重奏団として、
47年にデヴォンのダーティントンホールで行った。
この機会に、彼らは、モーツァルトの「ホフマイスター四重奏曲」と、
シューベルトの「死と乙女」、
ベートーヴェンの「ラズモフスキー第三」を演奏した。」

「アマデウス四重奏団としての公式デビューでは、
ロンドンのウィグモアホールで、
翌年の1月に行い、ベートーヴェンを再演、
モーツァルトのニ短調で始め、
ヴェルディの四重奏曲を演奏した。
最後の作品は、彼らのレパートリーとしてはいささか変則的だが、
長い間、愛着を保持した。」

実際、ヴェルディの四重奏曲は、
彼らは、活動の終わり頃にもCD録音していた。

「彼らは偉大なオーストリア、ドイツ系の伝統を専門にし、
たとえ、いくつかの20世紀の作品を演奏したとしても、
彼らは、ハイドンやモーツァルト、
ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの
比類ない解釈で知られた。」

ここからが、面白いところで、解説者が体験を語っている。

「私はBBCのプロデューサーとして、
アマデウスと仕事をする機会を
たくさん持つことができた。
彼らのリハーサルは、例外なく、
十分な会話からはじまり
(しばしば、熱い議論になった)、
それから実際の演奏に入るのであった。
また、もし、彼らの独特なサウンドを、
マイクロフォンに捉えられていないと、
彼らは、非常にフラストレーションを感じた。」

仲の良いじいさんたちという感じではなさそうだ。

「アマデウスは、
ブレイニンの高度に個人的な表現力の高い質のスタイルに負っている。
彼のスタイルは、暖かいヴィブラートに支えられた、
非常に特別な感情の率直さが特徴だ。
ハイドンの作品54の四重奏曲の
最後の2曲の緩徐楽章や、
ベートーヴェンの作品130のカバティーナに、
彼の素晴らしい即興性を、
彼を聴いた誰もが認める。」

「ブレイニンが、人間の声のようにヴァイオリンを語らせ、
音楽のハートに正しく浸透させるのは忘れられない。
モーツァルトの協奏交響曲の緩徐楽章では、
悲劇的なオペラのデュエットのように、
ブレイニンのために作られた曲のようにも思える。
シドロフとよく協演したが、私の経験では、
彼らは誰の演奏よりもよかった。」

「ニッセルについていえば、
世界最高の第二ヴァイオリンだった。
彼は、ブレイニンの表現力に富んだ激しさを補完し、
四重奏のすべての音が、どのようにブレンドされるべきかを、
本当に知っていた人だった。」

「マーティン・ロヴェットは、
単にアンサンブルの支えにとどまらず、
解釈の面で、きわめて重要な貢献者なのである。」

これらが、四重奏団の紹介だが、
カーゾンの紹介の方は、さらに傑作である。

「クリフォード・カーゾンは、シュナーベルの弟子の1人であった。
(もう1人の先生は、ハープシコードのワンダ・ランドフスカで、
彼女は、カーゾンがシュナーベルに入れあげているのを案じて、
「シュナーベルは無味乾燥だ」と意外な忠告をした。)
カーゾンは、
何よりも威厳ある質感のブラームス演奏で知られている。
2つの協奏曲と作品5のソナタは彼の得意とするもので、
さらに記憶すべきは、シューベルトに持ち込んだ暖かさと愛情で、
ニ長調のソナタD850のスケルツォのレントラーのようなパッセージは、
大変魅力的な快活さを持っている。
終曲は、子供のような天真爛漫さと成熟した英知の融合である。」

このへんは、まあ、少しは知っていた。しかし、これから、
そのエキセントリックな部分の紹介が始まる。

「このような演奏では、ほとんどノイローゼにも近い、
多大な準備の形跡は押し隠されている。
カーゾンは、彼が呼ぶところの「完成された自発性」を目指していた。
「私はしばしば19通りの演奏を放棄する」と彼は一度、語ったことがある。
「20番目の方法に到達する前に。それからそれを磨き上げるんだ。」
BBCの室内楽のヘッドだった頃、
ハンス・ケラーは、彼がプランしているプログラムのために、
カーゾンにモーツァルトのイ単調K310をお願いしたことがあると、私に語った。
「喜んで」と、カーゾンは回答した「3年が必要ですが」。
そして、結局、レパートリーに加わることはなかった。」

ソナタを一曲練習するのに3年!!

「カーゾンの解釈の、はなはだしく長い懐妊期間は、
完璧な追及の結果ではなく、
むしろ、彼が常に、新しくて、
さらに深い何かを発見するかもしれないという、
真正の心配によるものだった。」

この後、モーツァルトの協奏曲の録音と、
発売禁止の連発の話がある。
録音が終わるたびに、彼は、ああすればよかった、
こうすればよかったと、
新しい発見をしてしまうらしい。

さらに、様々な色のペンで、書き込みがなされ、もはや、
もとの音符が見えなくなっていた、
愛用の楽譜の話などが出てくる。

得られたこと:「ライブ録音のCDは、音質に問題があっても、スタジオ録音より、伸びやかな演奏が記録される場合がある。また、演奏家に興味があるとき、その解説は、非常に重要な文献となる。」
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by franz310 | 2006-11-04 23:52 | 音楽

クロメダカちゃん生誕の地、デパ屋総務庁の野望。エキナカ進出。

b0083728_22444591.jpgさて、ここは、
デパ屋総務庁。
われらが主人公、
クロメダカちゃんの
出生地である。

ユビキタス社会を
先取りし、電波や光回線を
駆使して、全国のメダカたちを、
遠隔操作するべく、
不気味なアンテナが
にょきにょきとその屋上に
立てられている。

「デジタル・デバイド」社会の
到来を防止するという
大義名分の旗印は美しいが、
耐震偽装を行なってまで
というのはいただけない。

クロメダカちゃんの
体内を勝手気ままに改造し、
さらには、善良なる市民に、
こうして試作した偽装メダカの
試作失敗品を売りさばき、
時には、くずのような
水草をセットでごまかして500円。

そうした合法非合法ぎりぎりの
線まで使って儲けた巨額の資金を元手に、
彼らが、次に狙う野望は何か。

彼らは、JR麩菓子日本が推進する、
21世紀の新しい駅づくり「ステーションレコンキスタ」の一環として、
ペットショップを駅構内に設けることを検討しているのである。

「KGB愛」や「NTT麩菓子日本」を、
うまいこと言って躍らせて、
情報のやりとりについては、すでに手を打ってある。

次に着手すべきは、実際の物資を搬送するルートを押さえることである。
それには、駅を利用するのが最適だ。

一方、JR麩菓子日本側も、最近では、モバイルめだかを使って、
さらに大衆から大金を巻き上げる悪徳商法を考え付いたらしい。

それは、かつて、二束三文で巻き上げた土地の上に胡坐をかいて、
「空きスペース活用事業」などと銘打って、様々な食品店と共謀し、
大量に麩菓子を陳列し、売りさばいてやろうという計画なのだ。

この「レコンキスタ」で有名なのは、
埼玉の「エチュード大見得」であるが、
エチュード(練習曲)と、意味じくも名づけられたように、
それは、この大いなる見得の第一歩であった。

お客も、ついつい、財布の紐などないから、
モバイルめだかの口を緩めてしまう。

(あまり大きな声では言えないが、そのせいか、近隣の麩菓子屋は、
たちどころに衰退し、隆盛を誇ったデパートを駆逐し、
今や、その土地のためにあるのか、その土地に寄生しているのか、
分からなくなってしまった。)

そこで、これまで、デパートの屋上にあると決まっていた、
デパ屋総務庁もまた、渡りに舟とばかりに、
ペットショップを、至急、次の「エチュード」には、
移設開店させようと考えている。

全国から集められた、おいしそうな食料品店の間に、
熱帯魚が泳ぎ、美しい南国の鳥が囀り、猫が鳴く、
次世代ターミナル。

まさしく、バラエティに富んだショップを集積した
「次世代型怪的移動空間」!

デパ屋総務庁店長の心は、早くも、行きかう人々が、
ペットショップのショーケースや檻を見て目を細め、
メダカの入ったビニール袋や、クワガタの虫かごを提げて、
楽しげに電車に乗り込むシーンを思い描くのだった。
「心地よい」「魅力的な」空間の創出。
まさしく、麩菓子日本が言っていることに、マッチした計画だ。

さらに、最近、リサイクルの「Dog・OFF」の社長と、
デパ屋総務庁店長は、話をする機会を得た。

当初、彼は、105円とかの値段を付けて、
新品と変わらないわんわんを、
チェーン店で派手に売りさばくのはやめて欲しいと、
苦情を言うつもりだった。

しかし、「そやけど、店長はん、メークで、
老犬を子犬に見せてますだけでんがな。
古いもんですさかいに、安うせんと売れまへんがな。
デパ屋さんみたいな最新のものは、扱い切れまへんよって。」
と言われ、店長も考えを変えた。

そう、デパ屋には技術力があるのである。
新製品を乱発すれば、「Dog・OFF」の老犬ごときに、
負けるわけはないのである。

モバイルめだかも完成間近である。
どじょうのブロードバンドも、特許で先行したのは、デパ屋だった。
鈴虫やカブトムシも、鮮度が重要。
さすがの「Dog・OFF」も、手を出せない分野である。

ここだけの話だが、次の新兵器は、催眠効果付きぶくぶくである。
アルカリ整水機を兼用したろ過フィルターや、
テッポウ魚を利用したウォッシュレットも開発計画に入っている。
店長は、「エチュード」進出の起爆剤として、
ふりかけにもなる金魚の餌と、
子どものお弁当にも入れられるキャットフードを用意している。

何なら、新鮮なメダカを、ワカサギの稚魚と偽って、
廉価な素材として提供してもよいだろう。
カブトムシの蜜は、しゃれたメイプルシロップのラベルにする。
これで、周りの総菜屋とも、仲良くやっていくことができるはずだ。
やはり、最後に必要なのは、技術力だなと、
店長はほくそえむのであった。
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by franz310 | 2006-11-04 22:51 | どじょうちゃん