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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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目をらんらんと輝かせ、どじょうちゃんは、ついに核心に迫る

b0083728_09222.jpg
「失礼ですが、お客様。
通信と放送の融合の
問題でしたら、
テレビ局さんに
お電話なさったら、
いかがでしょうか。
ワンセグ機能なら、
カーステレオにも
入っていますから、
それらのメーカーさんに、
伺えばいかがですか。」

ケーブルTV、Jo:COMの
カスタマーサービスのお姉さんは、そう提案した。

しかし、どじょうちゃんは、
さっき聞いた横文字が、ますます気になった上に、
カーステの問題も出て来たので、
ここで電話を切るわけにはいかないと、ぐっと頑なになった。

確か、トップシークレットボックスと、ワンセクレタリー。
それにカーとかステレオと来た。
ここに、何か巨悪が潜んでいる。
どじょうちゃんは、そう睨んだ。
目をいっそうぎらぎらさせて、そう睨んだ。

「ご自分でもおっしゃったように、あなたは失礼です。
たらい回しにするとは、まったくもって失礼だ。
どじょうをたらいに入れることがすでに犯罪なんですよ。
さらに、それを回すとは、何事ですか。
どじょうは、穴蔵、断じて、たらいには入りませんぞ。」

どじょうちゃんのひげは、興奮でぴくぴくと震えた。
受話器にそれが当たって、ぴたぴたぴたと、
妙な音になったので、電話の向こうのお姉さんは、
相手の言っていることも、そこそこになって、
背筋が寒くなるのを感じた。

耳元や首筋に、ナイフとかかみそりとかを、
散髪屋で、ぺたぺたされているような感じ。

ひょっとすると、
これは新手の犯罪かもしれない。
ふりこめ詐欺とか、おれおれ詐欺、なりすまし、スキミング。
そうした言葉が、頭の中にちらついた。
こうしている間にも、暗証番号が盗まれているのではあるまいか。

実際は、どじょうなので、
しらさぎ、あおさぎ、みずすまし、スイミングの方が、
関係するのであるが、平静を失ったお姉さんには、そんな違いは分からない。
暗証というより、サポートはすっかり暗礁に乗り上げた。

そういえば、先程から、もぞもぞ、ぼそぼそと、
妙な音が、背景から漏れ聞こえて来てもいる。

きっと、一人ではなく、複数犯だ。
背後に組織が控えていて、
賊が群れ集まって、何か、電話の向こうで、
よからぬ相談でもしているのではないかと疑心暗鬼になった。

しかし、これは、どじょうちゃんの水槽の、
ろ過フィルタと、ぶくぶくのポンプが、妙なるハーモニーを、
奏でているだけのこと。

「ワンボックスカーの中で、携帯でセクレタリーが、
トップシークレットを聴き、お財布をプレゼントされたと、
確か、あなたは、おっしゃいましたよね。」
どじょうちゃんは、ずばっと、ポイントを衝いた質問をした。

このぶくぶく音、ぴたぴた音が気になって、
お姉さんには、
「カーステレオには、ワンセグ。音楽が聴ける携帯には、お財布機能。
今なら、セットトップボックスをプレゼントですか。」
と聴かれたように聞こえた。

あまりに唐突な質問だったし、
ワンセグは携帯の話なので、
お姉さんは、ついつい、
「あ、はい。でも、それは、携帯の会社さんに聴いてくださいっ!」
そう言って、がしゃんと電話を切ってしまった。

どじょうちゃんは、なるほど、と納得した。
あの慌てぶり、かなり、核心に近づいてきた実感があった。

携帯電話会社のセクレタリーは、ワンボックスカーの中で、
いったい、どんなトップシークレットを入手したのであろうか。
そういえば、お財布とか何か言っていたな。
車の中で、かなりの額の金銭が、その秘書とやらを介して、
受け渡されたものと見受けられる。

どじょうちゃんは、ぷるぷると、ヒゲだけが武者震いした。
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by franz310 | 2006-09-30 00:16 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その37

b0083728_23303334.jpg個人的体験:
R・ゼルキンの息子、
ピーターは、
後年、タッシと「ます」を
録音するが、
それに先立って、
いや、その父の録音にも
先立って、
シューベルトの「ます」
の録音を残している。

コントラバスは、ジュリアス・レヴァインが担当しているが、
これは、父のレコードでも、存在感ある低音を響かせていた人だ。

父は、息子の録音を聴いただろうか。また、意識しただろうか。

先年、そのCDが復刻したが、
ジャケットが頂けないので、なかなか購入する気にならなかった。

ヴァイオリンのシュナイダーのアップで、
この人に責任はないが、こんなジャケットが、
「ます」のCDとして、適当かどうか、
検証する人はいなかったのであろうか。

ピアノ五重奏の中の、一人を取り出して、
代表させてしまうというのは、あまりにも乱暴すぎないか。
それについては、シュナーベルのLPの項で述べた。

父ゼルキンの録音も、ゼルキンが一人年配の大家で、
音楽監督のような感じだったが、ここでは、
シュナイダーがその役割を担っているのは確かである。

何故なら、ピアノを弾くピーター・ゼルキンは、
この録音の時点、1963年には、まだ19歳の少年であるし、
残るヴィオラとチェロも、すこし年上といった年齢である。
この、トゥリーとソイヤーは、翌年、四重奏団を組織する。

(このソイヤーについては、この前紹介した、「チェリストの物語」でも、
カザルスが指導した生徒の一人として登場する。
カザルスが演奏中に、「うーうー」言うのと同様、このチェリストも、
「うーうー」言うと書かれている。)

現代、最も歴史ある活動を続けている「グァルネリ四重奏団」である。
この四重奏団結成前夜、他のヴァイオリンと浮気した録音とも言える。

ただし、このヴァイオリンのシュナイダーは、1908年ロシア生まれ、
ゼルキンと同様、アメリカ亡命組で、この録音の時、55歳ということになる。
父ゼルキンは、ちなみに1903年生まれなので、
このCDのヴァイオリンとピアノは、父と子くらいの関係である。
ヴィオラとチェロもそんなものであろう。

ということで、上述のごときジャケットになったのだろうが、
シュナイダーは、きっと、こんなジャケットを望んではいなかっただろう。
きっと、他の仲間にもライトを浴びてもらいたかったはずだ。
まさか、ギャラも独り占めしたのではあるまいな。
そのために、丸め込みやすい若手を、引き連れてきたのではあるまいな。

シュナイダーという人は、ゼルキン主催のマールボロの音楽祭にも関係したし、
カザルスとも仲がよく、さまざまなイベントを主催した。
あのヴィオラのプリムローズを思い起こさせる活動家である。

こんな人が、そのような事をするわけがないのである。
そもそも、それならレヴァインを起用する必要はないわけだ。

この録音、シュナイダーがこの時期に録音したということでも、
聞かずにはいられないような心境になる。

何故なら、アレクザンダー・シュナイダーは、この頃、
名門ブタペスト四重奏団の第二ヴァイオリンを勤めていた。
チェロは、兄弟のミッシャ・シュナイダーである。

つまり、ブタペスト四重奏団が、「ます」を演奏する時は、
この曲では、ヴァイオリンが一人で良いので、
第一ヴァイオリンのロイスマンが弾き、
いつも、シュナイダーは、仲間はずれにされるわけだ。

実際、この少し前に、ブタペスト四重奏団は、ピアノに、ホルショフスキーを迎え、
「ます」の録音を残している。なんと、コントラバスは、やはり、レヴァインである。

演奏は、どうも、よく分からない。
ヴァンガードレーベルの録音は、何となくアメリカ的な薄っぺらさを感じる。
レヴァインのコントラバスにも、あまり存在感がない。
録音のせいかもしtれないが、あまり深みのない演奏である。

演奏も、よく流れて美しいのだが、どうも、ハーモニーの綾のようなものが希薄。
どの楽器も、音色は美しく、すいすいと行くのだが、「ます」が泳ぐには、
深さが足りないのである。豊かさと言ってもいいし、情感と言っても良い。
歌い方一つとっても、あっさりしていて、呼吸が浅いような気がする。
ソイヤーの「うーうー」が、うるさくてもいいから、聴きたいくらいである。

不思議な演奏&録音である。
ピーターの父は、これを聴いて、あの録音を決意したかもしれない。
比較してみると、こうした息遣いの豊かさ、響きのこくといったものが、
4年後の父の録音では、すべて、改善された名演になっているのである。

名手シュナイダーは、ここで、いったい何をしたかったのか。
「ヴァンガード名盤選」というシリーズだが、録音年しか書かれておらず、
録音場所や、日付までは書かれていないのが物足りない。

得られること:「演奏時の息遣いや、ハーモニーの豊かさが、音楽にこくや深みを与える。」
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by franz310 | 2006-09-24 00:30 | 音楽

どじょうちゃん、電話のお姉さんにどぎまぎする。

b0083728_23174929.jpgどじょうちゃんは、
何の話から
していいものか、
分からなく
なってしまった。

そこで、
どじょうちゃんの
ひげいっぱいの
口からは、
心配で
たまらなかった
ことが飛び出した。

「うっ、うなぎってことは、ないですよね。」
「はあっ?」
お姉さんの方も、いつも変な野郎から、
訳の分からない難癖を付けられて、
常に、臨戦態勢である。
訳の分からない質問には、
まずは、先制攻撃とばかりに、
思いっきり、小馬鹿にしたような声で答えた。

どじょうちゃんは、いきなり、
「お前は馬鹿だ!」と言われたような感じがして、
よけいに何を言っていいのか分からなくなってしまった。

「つまり、日本の水槽は、
世界レベルに比べて小さいじゃないですか。
海底ケーブルならまだしもですね。
細かい配線には、どじょうだと思うんですよ。実際。
やはり、角では、ぴしりと垂直に曲げないと、
まずいと思うんですね、これが。
やっぱ、美感上も、心配じゃないですか。
太い配線だと、ちょっとねえ。」

お姉さんは、急に能弁になった相手の言葉に、
ケーブルとか、配線とか専門用語が出てきたので、
この前のように、「お宅、ジョーコム?警備員、頼めるかな」
などと、
○コムのような警備会社と間違えて電話して来たたぐいでも、
つい先程、「NHKの受信料を踏み倒したい」とかいう相談をしてきたような、
そういった種類の客ではなさそうだと、態度を幾分、軟化させた。

「お客様、その点、当社のケーブルは、安心だと思いますが。
熟練の作業員がお伺いして、どのようなタイプのお宅にでも、
きちっと配線できていて、美感上のトラブルがあったことは、ありませんが。
土壌による違いがあっても、ウサギ小屋のようなお宅でも、
すっきりと配線が可能です。」

どじょうちゃんは、それはどじょう違いだと思ったので、
ここは、きっちり話をしておかなければならないと思った。
「土壌によっては、どじょうはちょっとうるさいと思いますよ。
どじょうは、どちらかというと、硬い石ころなんかよりも、
柔らかな田んぼの土が好きなのですがねえ。」
「ああ、それは失礼いたしました。当社では、田んぼの場合は、
一般的に、電信柱と案山子を有効利用して、配線しますが。」

どじょうちゃんは、知っている言葉が出て、得心した。
案山子でも使えるなら、どじょうでも大丈夫だろうと思った。
「殺虫剤なんか、使わないですよね。」
「はあっ?」

お姉さんは、
また、どじょうちゃんを傷つけるような声を発するので、
またどぎまぎして、
やはり、もっと、雄大な話から入ろうと考えた。

「私の気にしているのは、つまりですね、
その、どじょう波デジタルについてなのです。
もう、穴蔵は使われなくなるって、本当ですか。」
お姉さんは、ようやく、Q&Aに出ているような言葉が出てきたので、
うれしくなって、しゃべり始めた。

「そうなんでうよ。お客様。
残念ながら、アナログ放送は、2011年には、終わってしまうんですよ。
その点、当社のケーブルテレビですと、
そういったご心配は、まったくご不要なんです。
それに加えて、
今なら、最新のハードディスクを内蔵した、レコーダーがついた、
セットトップボックスがサービスになっているんですよ。」

どじょうちゃんは、どじょうの住家の穴蔵が、
もうすぐなくなってしまうと聴いて、
すっかり気が動転してしまった。

「穴蔵派どじょうは、どうなるのですか。」
「ですから、それには、心配はご無用です。
アナログも、デジタルも、ケーブルなら、
関係ありませんから。」

「ケーブル?ケーブルには関係ないかもしれませんが、
どじょうには関係あるでしょう。」
「どじょうも地上もBSも、関係ないんですね。
ケーブルの場合。」
「うなぎもですか。」
「そのとおりです。そのような安心感から、
ご契約数は、おかげさまで、
うなぎのぼりと言った状況でございます。
その感謝の気持ちも、込めまして、
今回、特別にハードディスクを内蔵した、
セットトップボックスを、
サービスさせていただいています。」

どじょうちゃんは、
穴蔵も土壌も関係ないと言われてショックを受けた。
ハードディスクを内蔵したのは、めだかちゃんではないか。
そんな疑問もあった。

「ハードディスクは、モバイルめだかでしょう。」
「そうですね。現在、音楽付きや、おサイフ携帯なども
各社から発売されていますから、
ワンセグなども、そのうち、普及して来ますでしょうね。」

どじょうちゃんは、セットトップとか、
ワンセグとか、横文字を聞きすぎて、
気分が悪くなった。
「いや、つまりですね。
私は、通信と放送との融合について、
伺いたかったのです。」

お姉さんは、長年の勘によって、これはただの暇つぶし爺さんが、
冷やかしの電話をかけてきたのであろうと推察した。
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by franz310 | 2006-09-22 00:12 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その36

b0083728_138347.jpg個人的経験:
ゼルキンや
ラレードたちの、
フレッシュで含蓄のある
「ます」の演奏を
聴いていると、
彼らが集った、
「マールボロ音楽祭」
なるものの、
実態が気になってくる。

そういえば、1990年代初頭に、ソニーから、
「マールボロ音楽祭40周年記念CD」というシリーズ10枚が、
発売されたことがある。

その帯を見ると、「マールボロ音楽祭40年の軌跡」という、
ブックレットのプレゼントもあったようだ。
写真多数、40年間の全参加者名入りという、
かなり、気になるものだ。

しかし、92年7月までに申し込め、
とあるから、今さらどうなるものでもあるまい。
あと、30年くらい生きていたら、古本屋で見つかるだろうか。

とはいえ、このシリーズのいくつかのCDの解説からも、
ある程度の知識を与えてもらうことが出来る。

特に、ゼルキンが、ブッシュ兄弟の弦楽と共演した、
シューベルトの「ピアノ三重奏曲第二番」は、
演奏もさることながら、7ページにわたって、
ブッシュや音楽祭について書かれた解説が、
とても充実した内容になっている。
(曲の解説も、さらに7ページが費やされている。)

例の、ゼルキンの「ます」のCDには、こうした配慮が欲しかった。

さて、この解説の中で書かれていたことによると、
この音楽祭は、スイスの(ルツェルン?)音楽祭をモデルに、
大ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュが構想したとのことが述べられている。

アメリカでは、有名になることばかりが追求され、
早く、大きな音で弾くことが、高い金やキャリアにつながると、
考えられているので、そうした考えを改める必要があるとも考えていたようだ。

ブッシュの娘は、ゼルキンと結婚しており、
彼らを中心に、田舎町での音楽祭が始まった。
あの「ます」のレコードのジャケット写真、
明るい窓の外は、森や野が広がっていたのであろう。

解説の終わりの方には、この人が、
ブッシュやゼルキンと過ごした日々への追想が、
美しく語られているが、書いたのは、フィリップ・O・ネーゲル。
1928年ドイツ生まれのヴィオラ奏者とある。

そう、あの「ます」の演奏でのヴィオリストである。

さらに、このシリーズの中にある、
カザルス指揮による、モーツァルトの、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、
なんと、あの「ます」の演奏の一ヶ月ほど前の演奏だ。

ここには、マールボロ音楽祭管弦楽団の下に、
ずらりずらりとメンバーの名前があって、いるいるという感じ。
ヴァイオリン、チェロ、コントラバスの主席に、
あの「ます」のラレード、パルナス、レヴィーンの名が見える。
ヴィオラには、先のネーゲルの名前が見え、
主席には、ジュリアード四重奏団のサミュエル・ローズが座っていたことがわかる。

ヴァイオリンの欄には、日本人の名も三人連なり、
さらには、ボーザール・トリオのイシドア・コーエン、
チェロには、ブッシュの弟のヘルマンの名もある。

なんと、ドイツの至宝のごとき、ブッシュ兄弟と、
我々にも身近な日本の奏者が、
神様、カザルスの指揮の下、一緒になって音楽を追求していた。
このとき、カザルスは90歳を越えた高齢であった。

それがまた、ジャケット写真に見られるような、
アメリカの片田舎の山小屋のようなところだったというのが、
感慨深いではないか。

こんなことが起こりうる場所が、マールボロであり、
ブッシュ、ゼルキンらの人徳のようなものが、
これを成し遂げたと考えると、あのような「ます」の演奏が、
可能となった背景も推察できるような気がしてくる。

得られたこと:「購入後十数年してから、改めて参考になるCDも存在する。」
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by franz310 | 2006-09-18 13:49 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その35

b0083728_217436.jpg個人的体験:
フェスティヴァル四重奏団が
活躍していたという、
アスペン音楽祭より、
アメリカの音楽祭といえば、
チェロの神様、
カザルスが参加した、
マールボロ音楽祭が有名である。
ソニーが、いろいろと、
この音楽祭の記録を、
商品化したせいもあろう。

この音楽祭を主催した、
名ピアニストの、
ルドルフ・ゼルキンは、
やはり、ナチスを逃れて、
アメリカに渡った音楽家で、
息子は、現代を代表するピアニストの一人、
ピーター・ゼルキンである。

この父ゼルキンが録音した「ます」のレコードは、
これまた、音楽祭に集まった人たちを集めて録音したもので、
もう一つの「フェスティバル」の五重奏団の演奏となっている。

LP時代は、「ベスト・クラシック150選」というシリーズに
取り上げられていたりして、多くの人が購入した、
人気レコードであったと思われる。

しかし、ピアノのゼルキン以外は、
ほとんど無名の人ばかりで、
私は、最近までまったく興味を持っていなかった。

ゼルキンといえば、室内楽ファンには、神にも等しい、
ブッシュ四重奏団、ブタペスト四重奏団との
シューマンやブラームスのピアノ五重奏曲が有名で、
何で、これらのメンバーと録音してくれなかったのか?

多くの愛好家にとって、そういった不満が、
聴く前からつのるばかりといったレコードだったのではなかろうか。

とはいえ、このLPのジャケットは、とても、印象的なものだ。
演奏家たちが、単に、にやにやと記念写真的に集まっているのではなく、
緊張感あふれるリハーサルの一瞬を、みごとに捉えたようで、
音楽の編成も分かるし、みんなの真剣なまなざしに加え、
体勢までもが、古典的な黄金分割の構図となって、
見るものに多くのことを訴えかけて来る。

窓の外からの明るい日差しの加減も、楽器に宿る黒い影も絶妙である。
ただ、この写真からも、いかにも、ゼルキンが主導、
後は、それに付随、といった、先入観が与えられてしまうかもしれない。

そもそも、ゼルキンは、ベートーヴェンでもモーツァルトでも、
はたまたシューベルトでも、晩年の大曲を得意とするピアニストで、
シューベルトの若書きの、「ます」が合っているようにも思えない。

そんなピアノだけが、でしゃばった演奏では、この曲は聴きたくない。

かくして、幾星霜が過ぎ去った。

最近、ゼルキンの没後10周年を記念して、
この写真を大きくあしらったCDが発売された。

これは、昔、よく行ったレコード屋で、私が悩んだ一瞬を、ふと、思い出させてくれた。

転校していく友人に、何か良いレコードでもプレゼントできないかと、
当時好きだった「ます」のLPを探していて、手にしたものがこれだった。
その店には、この曲のレコードはこれしかなかった。

こうした30年も前の思い出もあって、
このCDを入手し、改めてこの演奏を耳にして、
あっと驚いた。

てっきり、寄せ集めの楽団が、
ゼルキンを伴奏しているだけかと思っていたが、
そんなことはまったくない。

みんなとても自発的に歌っていて、好感が持てた。
グールドとの共演で知られるヴァイオリニストのラレードや、
ブタペスト四重奏団の「ます」の演奏でも参加していた、
コントラバスのレヴィーンだけでなく、ヴィオラもチェロも、
感極まるかのように、美しいメロディを、
染み入るような音色で奏でているのである。

それに加えて、ゼルキンはやはり巨匠である。
ピアノの変幻自在なタッチが瑞々しく、
ぴちぴちと幸福感を漂わせているだけでなく、
第二楽章などでは、意味ありげな、深い深い和音を、
そっと響かせる。
これが、時間が静止したかのような、不思議な音色で胸を打つ。
恐ろしい裏技である。

弦楽の響きも、それに呼応するかのように、
豊かで、立体感のある、味わいのある合奏である。
第四楽章の変奏曲での、気の効いた節回しも面白い。
終楽章では、ゼルキンの鼻歌に乗って、すべての楽器が、
幸福感に酔いしれている。

夏の日差しが、眩しいヴァーモント州マールボロでの録音。
生命感みなぎる演奏は、こんな雰囲気の中で生まれたのか。
録音は1968年8月15日とある。
フェスティヴァル四重奏団の演奏から、すでに10年が経過している。
終戦記念日ではあるが、戦争の影は感じられない。

ゼルキンは、昭和14年の、あの「名曲決定盤」の中でも、
「未来の人」として取り上げられていて、
「最も将来を嘱目されるだろう」と書かれていたが、
この録音では、すでに64歳である。
若手と一緒になって、それ以上に若やいだ輝きを見せているのが素晴らしい。

この頃になると、録音も飛躍的に進歩していて、もはや何の不満もない。

ただし、当時、この会社のLPは、どの録音もかなり硬い音がしていたので、
CD化が成功した例かもしれない。

演奏、ジャケット写真は言うことなしであるが、
解説は、あのフェスティヴァル四重奏団の、
様々なエピソードと比べると、もの足りないと言わざるをえない。
ゼルキンの記念CDであるのに、ゼルキンの生没年すら書かれておらず、
マールボロの音楽祭についても何も書いておらず、
そのメンバーが集まった経緯も分からなければ、
各メンバーが何者であるかもさっぱりわからない。

ヴィオラのフィリップ・ネーゲル、チェロのレスリー・パルナスとは、
いったい、何者なのであろうか。

シューベルトの音楽についても、いろいろと書かれているが、
「22歳の時に作曲された」という事、
「五楽章からなる」ということしか、私には読み取れない。

当時のLPはどうなっていたのだろう。

得られること:「思い込みや先入観で、30年間も縛られることがありうる。」
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by franz310 | 2006-09-17 22:37 | 音楽

どじょうちゃん、妄想が膨らんで頭が破裂しそうになる。

b0083728_224173.jpgどじょうちゃんは、
どじょう波デジタルの問題が
恐ろしくなって、
ドジョピタ・テレコム(Jo:COM)
にさっそく電話してみた。

どじょうちゃんの脳裏には、
自分の仲間たちが、
無残にもねじられて、
テレビの信号を伝送するための
ブロードバンド回線にされている様子が、
あまりにもリアルに浮かび上がって
来るのだった。

どじょうに特有の
優雅に細長い形状を、
有効に用いれば、
確かに、より合わせたり、
繋げて長くすることが
可能になる。


b0083728_22515799.jpg細く、長いケーブルは、
電波のような
遮られる可能性のあるものに
頼ることなく、
放送局から、確実に、
テレビの信号を届けるだろう。

つながった
どじょうちゃんたちは、
力を合わせて、
IT国家戦略の礎となるわけだ。

減反減反で、
職場の田んぼを失ったどじょうちゃんたちにとって、
失業者対策になるし、
有力な職場になることは間違いなかろう。

信号が来るのに合わせ、
ぷるぷる、ぴくぴくしていれば
良いわけである。

しかし、細くはないが、
長さで言えば、
うなぎの方が有利であろう。
海水にも強いうなぎの方が、
海底ケーブルには適しているやもしれぬ。


せっかくの職場が、
うなぎごときに奪われてはなるものか。

どじょうちゃんは、
そうした危機感がこみ上げてくるのを感じた。

いやいや、うなぎでは、
家庭内の隅々にまで、
ケーブルを敷き詰めることは、
困難であろう。

やはり、どじょうしかない。

最初は、どじょう波デジタルに懐疑的だった
どじょうちゃんも、
自分たちに託されている遠大な国家戦略を思うと、
思わず武者震いしてしまった。

電波の届きにくいところ、
電波が乱れやすいところなど、
特に、どじょうを敷き詰めやすいところには、
このJo:COMの方式は有利である。

しかし、だからといって、TV放送をやっている間、
ずっと、ぷるぷる、ぴくぴくしていたのではたまらない。

こんな仕事で、本当に労働基準法は、
遵守されうるのであろうか。

どじょうちゃんは、
定時後は、私生活も大切だと
思ったので、思い切って電話をかけた。

「ジョウコム、お客様サポートセンターです。」
電話の向こうから、
サポート担当の、
優しそうなお姉さんの声が聞こえてきた。

このとき、どじょうちゃんは、
自分の質問が、
あまりにも低レベルで、
お姉さんに笑われたりしたらどうしようかと思った。
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by franz310 | 2006-09-13 23:10 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その34

b0083728_21151321.jpg個人的体験:
フェスティヴァル四重奏団の
「ます」は、CD化されていた。
RCAの創立100年記念として、
「レッド・シール・
ヴィンテージ・コレクション」
というシリーズが5年ほど前に
出たことがあり、その一枚に
含まれていたのである。


貴重な録音が、リマスタリングされ、
オリジナルのジャケットで出されるというので、
私は、モントゥーの指揮による交響曲や、
コーガンのヴァイオリンによる協奏曲を、
いそいそと購入した記憶がある。

レッド・シールにあやかって、
CDの盤の色は鮮やかな赤に染められ、
強い印象を残していた。

しかし、この四重奏団のCDは、2枚組で値段が倍するし、
正体がよく分かってない当時のこと。
メインはブラームスのピアノ四重奏曲ということで、
すっかり記憶からぶっとんでいた。

ブラームスの四重奏は、後にシェーンベルクが、
交響曲に編曲したように、強烈に分厚い室内楽である。
それが三曲も集まって、さらに暑苦しさを増倍させている。
気楽に買える代物ではない。

今回、ブラームスのコーナーに、
かろうじて売れ残っているものを購入した。
ジャケットはなかなか渋いが、
このメンバーが何たるかを知らなければ、
眼光鋭いシカゴの黒幕と言われても納得がいく。

とはいえ、かつて出ていた見開きジャケットLPより、
ちょっと希少価値を感じる。
さらに、中にはもっと格調高い写真が収められ、
ゴールドベルク夫人の回想も、読み応えがある。

とはいえ、どうしても、プリムローズは変なおっさんとしか思えない。
興行主的であると共に、飛行機の操縦もするという、新人類タイプの音楽家。
そんな肖像画が垣間見えるのである。

面白いのは、ピアニストのバビンがシュナーベルの弟子だということ。
この人が、もっともフェスティヴァルに帰属した人で、
アスペン音楽祭を開催したアスペン音楽大学の校長であり、
その招きで、あとの三人はアスペンに集ったというのである。

シュナーベルも教授風のきっちりしたピアノを聴かせたが、
バビンもまた、非常に手堅い演奏をしている。
前にも書いたが、弦楽器が独特の歌い口で、こぶしを聴かせるのに対し、
ピアノが入ってくると、さっと、音楽に流れが出てくる。
序奏からして、その傾向は顕著である。
最初の弦の入りがすでに、万感の想いを背負っていて、
続いて流れるピアノは、「それはいいから、進みましょう」という感じで、
軽快に流れていく。

あと、驚いたのは、グラウダンがベルリン・フィルの主席チェリストだったということ。
ヴァイオリンを弾いているゴールドベルクはコンサートマスターだったので、
ミニベルリン・フィルを、連合国のバビンとプリムローズが、統率している感じになる。

中の解説に、このベルリン二人組がロサンゼルスで道に迷い、
車社会なので、誰も歩いている人がいない。
やっと歩いている人を見つけたら、トーマス・マンだった、という逸話がある。

この話からも、戦後10年かそこらで、
敗戦国の伝統を背負った二人と、
戦勝国の文化的勝利と、その未来を信じられた二人の、
小さなギャップがあったように思うのは考えすぎだろうか。

ブラームスの四重奏曲は、いずれも、恐ろしく痛切な緩徐楽章を持っているが、
ここでは、弦楽の歌がことのほか、心に響く。

録音は1957年、場所はニューヨークとある。
てっきり、アスペンという暑そうな場所で録音されたと思っていたら、ちがっていた。
音質は、RCA特有の硬い感じのもので、LPから大きく改善されたようには聞こえない。
ただし、終楽章近くになると、さすがにLPは詰め込みすぎの影響が感じられる。
その分、このCDの方が安心である。

とはいえ、かなり、愛好家向きの企画である。
中の解説は、ものすごく面白かったが、
初めて、この曲を楽しもうとする人には、ちょっと厳しい。
12ページも解説があるが、
シューベルトの「ます」という曲については、
そのうちの1ページのわずか20%。
9行しか使っていない。

要約すると、
「コントラバスが目新しい」、
「異例の5楽章形式」、
「牧歌的詩情」、
「ディベルティメント風の楽しさが主流を占める」
という4点が書かれているのみである。
しかしながら、コントラバスのサーキンが何者かは書かれていない。

得られたこと:「50年代アメリカは、戦後価値観の葛藤の修羅場であった。」
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by franz310 | 2006-09-10 22:00 | 音楽

クロメダカちゃんのことよりも、自分のことが大事などじょうちゃん。

b0083728_23143067.jpgどじょうちゃんの目は、
もう、真っ赤に
血走っていた。

貝ちゃんに
聞いたところでは、
仲間たちはすでに、
「どじょう波デジタル」の
実験として、
ブロードバンド回線に、
繋がっているというのである。



「どじょう波デジタル」の原理は、
簡単なものだ、
「柳川鍋」という言葉を聞けば、
国内のどじょうというどじょうは、
すべからく、自分の出汁を、
鍋にされてしまうと思って、
ヒゲをぴくぴく、しっぽをひらひらさせてしまう。

ひらひらする尻尾が、
口元のひげにぴくぴく当たると、
そのどじょうも、これはいかん、
自分も「柳川鍋」だと、
尻尾をひらひらさせる。

もちろん、そのひらひらが、
口元をくすぐると、次のどじょうも、
鍋が怖くてぴくぴく、ひらひらする。

さらにまた、それでヒゲをひらひらされると、
ぴくぴくして、ひらひらする。
ぴくぴくとひらひらがぴくひらぴくひら伝送される。

そして、そのまた後ろに、
どじょうを配置していくと、
これまたぴくぴく、ひらひら伝送し、
そのまた後ろにぴくひらぴくひら伝送される。
そのまたまた後ろに、どじょうで、ぴくひらぴくひら。
またまたどじょうを配備して、
ぴくぴくひらひら、ぴくぴくひらひらと伝送すると、
そのうしろのうしろもどじょうどじょうどじょうと、ぴくぴくひらぴくひらぴくと繋がるわけだ。

かくして、どじょうを一列に並べておき、
前のどじょうの尻尾がひらひらすると、
後ろのどじょうのひげがぴくぴく揺れるように、
ミクロンオーダーのクリアランスで互いに接続すると、
柳川鍋という信号を入力するだけで、
ひらひら、ぴくぴくが伝わっていく。

これが波のように伝わって行くのが、
いわゆる「どじょう波」である。

どじょうは細長いので、1000匹も繋げれば、
100mは届くという計算になる。
しかも、それを束にすれば、たちまちブロードバンドの出来上がりだ。

束にするのは簡単だった。
旧来からの、「穴蔵どじょう」の技術を使えばいいのである。
どじょうは、穴蔵があると、ついつい、そこに収まってしまう習性があるからだ。
筒の中に入って、しかも、同じ向きになって、
馬鹿な顔を並べている、どじょうの姿を見たことがある方も多かろう。

このどじょうのケーブルを一軒一軒の家に接続し、
ITインフラを推進しようというのが、デパート屋上総務庁の、
遠大な国家再生計画なのである。

もちろん、一軒一軒につなげるだけではない。
個々人に関しては、モバイルめだか計画でフォローする。
つまり、一見呑気に、あるいはのどかに、
デパートの屋上で売られている、メダカやどじょうにも、
IT国家を推進する重大な任務が与えられていたのである。

その任務を推進する責任は、
もちろん、デパートの屋上のペットショップのおっさんの双肩にかかっている。
国家戦略を任されている以上、失敗は許されない。
だから、時には、死にそうなメダカも、ごまかして売りつけてしまうのだ。
そして、合法非合法ぎりぎりの線で得た資金500円で、
新しい国家戦略を遂行するのである。

どじょうちゃんの、懐かしい仲間たちは、
こうして、各家庭に繋がった、ケーブルTVや、
ネット回線の一部として組み込まれ、
「柳川鍋」という信号を「1」、「柳川鍋やめた」を「0」とする、
デジタル信号を、日夜伝送し、ひらひらと、ぴくぴくを、
繰り返しているのである。

最近、田んぼからも、どじょうの姿が見えないのも、
実は、こういった裏があったのである。

また、ADSLという技術が、普及した背景も、ここにある。
A・・頭からの方が、
D・・どじょうにとって、
S・・尻尾からより、
L・・ラッキー、楽じゃん
というわけだ。

尻尾で口ひげを、ひらひらする方が、
口ひげをぴくぴくさせて、尻尾をくすぐるより、
簡単で楽だし、スピードが速い。
このような原理から、ADSLは、上りと下りでスピードが違ってくるのである。

どじょうちゃんは、
こんなの嘘だと思って、
近くのドジョピタ・テレコム(ジョウコム)に電話してみた。
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by franz310 | 2006-09-06 23:30 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その33

b0083728_21111035.jpg個人的体験:
彼らに「ます」の録音が、
あるかどうか知らないが、
グリラー弦楽四重奏団の、
チェロ奏者が書いた本が、
春秋社から出ている。

レコード店の新星堂が、
室内楽の特集CDを出すたびに、
あっぱれという気持ちになるが、
この本もそれに劣らず、
よく通ったと思われる企画である。
装丁も良いし、読みやすいが、
いったい、何冊売れるのかが心配だ。


そもそも、
グリラー弦楽四重奏団は、
私がレコードを聴き始めた頃には、
すでに、活動を終えていて、
日本では、あまり評価されなかった団体だ。

レコードが店に並んでいたのを見たことはなかったし、
たいした興味を持ったこともなかった。

大木正興氏が、76年頃、レコード芸術誌の付録の冊子に書いた、
ハイドンの作品71、74の四重奏曲の推薦レコードとして、
グリラーの名を上げていた。

ただし、この曲集が、
演奏会でも、レコードでも取り上げられない、
と書いてあって、しかたないから、という形で紹介されているのである。

「この団体はたいへん歴史の古い英国の四重奏団で、
アメリカに出向いて大いに活躍したが、
日本にはほとんど知られずに終わった。」
という記述がかろうじて印象に残っているが、
読んで分かるように、あまり良い方の印象ではなかった。

(しかも、最後にこれが、すでに購入不可能であることを示す、
「廃盤」マークが入っているので、興味の持ちようがなかった。)

しかし、最近、古い録音を復刻する外国レーベルが、
何枚か廉価盤で出してくれたりしたので、
私の記憶の底から、すこし、上述の印象が蘇ってきた所だった。
30年もレコードを聴いていて、ようやく、話がつながるような団体の、
しかも、チェロを弾いていた人の書いた本を買うというのは、
かなり特殊なケースだと思うのだが、
たくさん売れていればいいなあ、とも思う。

というのは、
「ます」のレコードを残した、
たくさんの演奏家のことが、
興味深く書かれているからである。

まず、シュナーベルと共演した、プロ・アルテ四重奏団。
「われわれは、プロ・アルテ四重奏団にあこがれていた。」
という言葉で始まる文章は、短いものだが、
この四重奏団に対する興味をかき立てるものだ。

「いつも本当にうっとりさせられた。」
そんな風に賛美される四重奏団は、決して、
シュナーベルの「伴奏」ではなかったのである。

あるいは、H.メニューヒンなども、
ここでの記述を見れば、
単に兄の伴奏者ではなかったことが分かる。
「すぐれたピアニストで、ただものではなかった。
大胆不敵なたちなのに、なんともいえない魅力があった。」
そして、室内楽奏者としての、優れた素質や、
機知に富んだ性格の描写が、
私たちを、
彼らの共演に参加しているような夢に誘う。

さらに、不思議な人物として描かれるのが、
ヴィオラのプリムローズである。
30年来の付き合いがあったというのに、
「ビルはよく分からない人物だった」と、
書かれているところが怪しい。

スポーツの試合の結果を気にして、リハーサル中にラジオを聴いている男。
日曜の早朝から、魂のためにふらふらと彷徨い歩く不機嫌な紳士。
確かに、よく分からない人物なのであろう。

「それはともかく、五重奏や六重奏で、プリムローズとは何度も共演した。
六重奏では、いつもニコライ・グラウダンを加えた。
彼はすぐれたチェロ奏者で、人柄もよかった。」

プリムローズ、グラウダン!
なんと、私はこの本で、あのフェスティバル四重奏団の、
二人に出会うのである。

残念ながら、後の二人は登場しないが、
これまで、ばらばらの戸棚に入っていた資料が、
実はたがいに関連付けられて、もっと大きな内容を持っていた、
というような、不思議な感覚を味わうことが出来た。

あと、この本には、大戦前後にわたる演奏活動、
ストラヴィンスキーや、シェーンベルクなど、20世紀を代表する作曲家との交流、
チェロの演奏技術まで、一人の音楽家の人生を包括する一冊だ。
四重奏団の活動は、50歳でやめ、
後半生は後進の指導、作曲などに費やしたという。


得られる事:「作曲家や演奏家同士の交流を知ることによって、古い録音も彩りを取り戻すことがある。」
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by franz310 | 2006-09-02 22:37 | 音楽