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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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クロメダカちゃんも知らなかったことを、どじょうちゃんはさらに知ってしまう。

b0083728_23102726.jpgどじょうちゃんは、耳を疑った。
「メダカの問題じゃなかったのか?
えっ?デジタルが何だって?
どじょう波デジタル?
どじょうと、デジタルと、
いったい何の関係があるの。」
そんな風に、頭の中を整理しようとしたが、
どじょうちゃんには、何だか分からなかった。

どじょうちゃんは、ここは聞かぬは一生の恥と割り切って、
貝ちゃんに、何それ?と素直に聞いてみた。
どじょうは、デジタルというより、むしろ、アナログが似合うと、
はっきりと自分の意見も添えて見た。

どじょうちゃんは、飼い主がアナログ派だと知っていたから、
自分もすっかりその気になっていたのである。
デジタル化など、安っぽい音楽には似合っても、
どじょうちゃんが聴くような、「ドジョウ川のさざなみ」や、「美しく青きドジョウ」など、
あるいは、ドジョウザークの「死にそう貝」交響曲、「アメリカざりがに」四重奏曲を聴くには、
真っ黒なアナログ盤がふさわしいと思った。

「デジタルだと、何て言うかな、音が硬いんだよね。
空気の色合いとかさ、ああいったものが希薄なんだよね。
そうそう、イエペスの弾く『アランフェス』なんか、
聞き比べてごらんよ。
デジタルってのはね、そう、ちょうど貝ちゃんの背中みたいに、
きりっと硬いんだよ。
そのせいか、水彩の絵の具が、すうっと水に広がるっていうかさあ、
そんな感じがアナログには生きているんだよね。
すうっと、フレキシブルな感じって、何となく、どじょうっぽいでしょ。」

どじょうちゃんの口調は、一昔前のオーディオ雑誌の、
対談みたいになってきていた。
その口調が、自分でも妙に説得力があるように思えた。
深い洞察があるわけではないが、こうした親しみやすい、
滑らかな話し方の方が、自信なさげに、硬くなって話すよりも、
何となく納得してしまう上司が多いのだ。

思ったとおり、貝ちゃんは、それを聞いて大きく頷いていた。
貝が頷くと、背中の貝殻がてこの原理で、ヌンチャクのように振り回される按配となる。
貝殻が、水槽にぶち当たり、水槽には無数の傷が入った。
どじょうちゃんは、さっと身をくねらせてかわしたので、
かろうじて、その一撃を喰らわずに済んだ。
そして、貝ちゃんは、こう言った。
「そうなんだな。どじょうちゃんは、どちらかと言うと、
穴の中で暗くしているのが好きな、
『どじょう派穴蔵』なんだな。」

どじょうちゃんは、それなら、「穴蔵どじょう」の方がすっきりすると思って、
ちょっと釈然としなかったが、デジタルよりはましだと考えて、
「そうだろう、デジタルとどじょうは、僕も相性が悪いと思うのだよ」と、相槌を打った。

だが、意に反して、貝ちゃんは、こんなことを言い始めた。

「とはいうものの、どじょうは『出汁』と言って、
昔から、出る汁にどじょうを使う研究は、
柳川鍋を中心に行われていたんだな。
柳川の町は、蔵も多い、穴蔵なところだが、
出る汁のよさを汁、いや、知る人も多くてね。
どじょうから出る汁もおいしいんだな、
という『どじょう派出汁』は長い伝統を誇っていてね。
その基礎研究があったからこそ、『どじょう派デジタル』も、
本格稼動に移行する動きが、ここに来て加速したんだな。」

どじょうちゃんは、真っ青になって、反論した。
口ひげが、ぴくぴくと、また震え始める。
それが大きくなって、ぷるぷるになる。
「出汁から、デジタルは、簡単には進化しないものだよ。
そもそも、デジタルの『た』がないだろう。出汁には。
『た』がないのは、難しいと思うよ。ぷるぷるぷる。」

「だから、君は田から連れてこられただろう。」
貝ちゃんは、こともなげにこう言うので、どじょうちゃんの口ひげは大きく揺れた。
ぴくぴく、ぷるぷるの口ひげの興奮と、
それに囲まれた口から発せられた虚しい叫びが、
ろ過フィルターのぶくぶく音にかき消される。

「デジタルリマスタリングってのは、意外に問題も多いんだぞ。
ア、アナログ派は、当然、残るんだろうね。ぴくぴくぴく。」

しかし、貝ちゃんの答えは明快かつ冷酷なものだった。
「いいや、『どじょうはアナログ』は、もうすぐ中止になることが決まっているよ。
みんな『どじょうはデジタル』に移行することが決まっている。」

「どじょうはデジタルなんて、絶対、嘘だ。ぷるぷるぷる。
そもそも、あの二人は、『世情派デジタル』を調べている途中だろう。
まだ、結論は出ていないいんだろう。ぴくぷるぴく。」
どじょうちゃんは、自分もデジタルの一部になるのかと思うと、どうしても、
貝ちゃんの口から、それを否定して欲しかった。
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by franz310 | 2006-08-31 00:00 | どじょうちゃん

クロメダカちゃんも知らなかったことを、どじょうちゃんは知ってしまう。

b0083728_23155334.jpg
「通信と放送の融合は、
いまや、HOTな話題なんだな。」
どじょうちゃんは、
いきなり、そんな声を聞いて、
一瞬、何が起こったか、
理解ができなかった。

「いまや、大臣自らが、
これを問題として、
取り上げる時代なんだな。」

見ると、
貝ちゃんが、
口を伸ばして、
ぱくぱくさせながら、
何かを必死で伝えようとしていた。

「クロメダカちゃんの問題は、
通信サイドの問題。
むしろ、どじょうちゃんは、
放送サイドの問題なんだな。」
いよいよ、困惑するどじょうちゃん。
何故、自分が放送の問題に、
いつの間にか巻き込まれているのか、
さっぱり分からなかった。

しかし、それは、
クロメダカちゃんとて、
同じことだった。

まさか、自分が耐震偽装されてまで、
恐ろしいモバイルメダカ計画の実験台にされていようとは、
その死の直前まで、知らずにいたわけだから。

まさか、自分の身体にも、
何か偽装がされているのではないかと、
あちこちに手術の後や、
ネジを開けられたあとがないかと、
身体をくねくねとよじらせながら、
チェックしてみた。

「どじょうちゃんは、助かったんだな。
二人の仲間は、ダメなんだな。」

「いったい、二人は、何をされたんですか。ぴくぴく。」
どじょうちゃんは、口ひげを激しく震わせながら、
貝ちゃんに詰め寄った。

「あの二人は、ある極秘プロジェクトに、
加担させられたんだな。
ぼくは、検死官だから、こうしたことに関しては、
いろいろと、情報源を持ってるんだな。」
「ええっ、台風の日に、あふれかえった鉢の外に、
投げ出されたんではなかったのですか。ぴくぴく。」

どじょうちゃんが興奮すればするほど、
口ひげが震えて、間の抜けたノイズ音となる。
ろ過フィルタのぶくぶく音すらかき消すことのできぬ、
恐ろしい苛立ちを、そこから読み取って頂きたい。

「モバイルメダカ計画とならぶ、そのプロジェクトに、
政府与党内でも、激しい議論が、遡上波デジタルとして、
巻き起こったんだな。」

「な、何ですって。ぴくぴくぴく。」

「政府は、その計画に、自信まんまんの『過剰派デジタル』と、
それを認めようとしない、『苦情派デジタル』に分かれて、
討論を続けたんだな。」

どじょうちゃんは、頭が痛くなってきた。
数奇な運命を生きた、
クロメダカちゃんの気持ちが分かるような気がした。

「でも、みんな『机上派デジタル』の空論で、
誰も、『市場派デジタル』を、
見ようとはしなかったんだな。

本当は、そのほかにも、
『路上派デジタル』がいたんだけど、
その『素性派デジタル』は、
『余剰派デジタル』だったから、
最近の取り締まり強化で、
『手錠派デジタル』として、
しょっぴかれてしまったんだな。
単に、『私情派デジタル』の犠牲になっただけ。

あれを見てしまうと、
しょせん、派閥なんてものは、
『砂上派デジタル』の楼閣にすぎず、
ぼくなんかは、
しょせん、諸行は『無常派デジタル』だと、
感じずにはいられなかったんだな。」

真面目に聞こうとしていた、どじょうちゃんの頭の中には、
祇園精舎の鐘の音が鳴り響き、
もう、何のことやら分からなくなって、
我慢できずに、深呼吸をするべく、『浮上派デジタル』を試みた。

そして、『頭上派デジタル』の、新鮮な空気を吸って、
ああ、いっそのこと、『慕情派デジタル』になって、
香港の美人女医と現実逃避し、
レパルスベイを、泳ぎ回りたかった。

でも、結局、最後は戦争で死んじゃうんだよな、
と気を取り直し、
改めて、貝ちゃんの待つ水低に戻った。

本当は、怖くて、それ以上聞きたくなかったのだが、
あくまで、『気丈派デジタル』として振舞ったわけだ。

そして、緊張派デジタルのため、
改めて、口ひげをはげしくふるわせたものだから、
ぴくぴくの音は、『波状派デジタル』の干渉のごとく、
フィルターのぶくぶく音と渾然一体となって、
水槽の中に、七色のハーモニーとなって広がっていった。
「ぶぴくく、ぶぴくく、ぶぴぴくくく。ぶぴぴぴぶぷくくく。」

貝ちゃんは、それを聞いて、
「ああ、まるで、雨情派デジタルの童謡のように、
抒情派デジタルな音なんだな」と、一人ごちた。
野口雨情といえば、「十五夜お月さん」。
レパルスベイに浮かぶ月も、十五夜かなあと、
一瞬、空想にふけったが、いかんいかん、ぴくぴくぴく。
「まだまだ、話の『途上派デジタル』だ」と、自分を厳しく戒めた。

「検死官貝ちゃん、ぴくぴく。もうデジタルの話はいいぴくから、教えてぴくほしい。
いったいぴく、僕の仲間たちは?ぴくぴく。」
どじょうちゃんは、結論を急いだ。
「ん。彼らは、あの計画の『世情派デジタル』を調査するための、
『非常派デジタル』実験台として、『土壌派デジタル』の上に放り出され、
今は、『施錠派デジタル』された、ところに、
『無情派デジタル』にも、軟禁されているんだな。」
「だから、ぴく、いったい、その計画とは、いかなるものか。
『箇条派デジタル』で答えられよっ!」
どじょうちゃんが絶叫すると、口ひげが、その勢いで、一瞬口から外れたので、
このときばかりは、ぴくぴく音がなかった。

ぶくぶくぶくぶく。
ポンプの音だけが響く中、貝ちゃんの声が、響き渡った。

「では、その計画を今こそ教えよう。
その名も、『どじょう波デジタル』。
どじょうを利用した、次世代放送技術なんだな。」

「ど、どじょう波デジタル?!」
「そう、モバイルメダカ計画と並ぶ、通信と放送の融合計画の第一歩なんだな。」
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by franz310 | 2006-08-25 23:07 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その32


b0083728_13291011.jpg個人的経験:
両面見開き
ジャケットの
「ます」。
ただし、
2枚組ではない。

このLPの
恐ろしい点を、
箇条書きに
してみよう。


・ゴールドベルク、プリムローズといった、超ド級の演奏者が、
「フェスティバル四重奏団」という、しょぼい名前で一括されている。
(これでは、集客効果ががた落ちではないか。)

・演奏が、巨匠の演奏だからか、超ド級に遅い。他の演奏の一割増の感じ。
それを片面に押し込めているところが、音質的にかなり苦しい。
(1枚の中に、大曲が二曲。A面に「ます」、B面に「死と乙女」。)

・ジャケット写真が見開きで完成するが、
全体的にしらっちゃけていて、薄っぺらな印象を与える。
画像の大きさでは迫力ものだが、
売られている時は、半分ずつしか見えず、
特に、日本語で、「ます/死と乙女」と書かれた方は、
陰の部分が少ないので、どうも落ちつかない。

といったところであろうか。

先のあらえびす著、「名曲決定盤」を読んで、
戦争の影響について述べたが、
この本の中で、さらに涙をさそう演奏家が、
ゴールドベルクではなかろうか。

「シモン・ゴールドベルクは、
ベルリン・フィルハーモニック管弦団のコンサートマスターとして、
若さに不相応の名声を馳せたが、そのユダヤ人の血の故におわれて、
先年は日本までも演奏逃避旅行にやって来たほどである。」
と、いきなり、シリアスな話題から記述が始められ、
「今は米国あたりに楽旅を続けていることであろう。」
などと、こんな時代には、何があってもおかしくはないわ、
といわんばかりの書かれようなのだ。

「若さと聡明さ」、「冷たく鋭い美しさ」、「埃もとどめぬ玲瓏たるもの」と、
その音楽は激賞されているが、ヴァイオリニストとして最盛期には、
さらにひどい目に会っている。

米国あたりの楽旅だけでなく、アジアにも足を伸ばしていた彼は、
ジャワで日本軍に捕まり、拘束されて終戦を迎えたのである。
終戦後は再度、音楽家としての活動を再開したが、
指揮者や指導者としての活躍が増えていった。

しかし、晩年の彼は、再度、光輝を取り戻したので、
私たちの世代の日本人にとっては、
非常に近しい、偉大な音楽家の一人となった。

デッカにレコーディングしたモーツァルトやシューベルトの作品群は、
70歳の巨匠の至芸を披露したものとして、驚きをもって迎えられた。

さらに日本の大学でも教え、日本女性と結婚したことによって、
終焉の地は日本であった。波乱にとんだ一生であるが、
壮年期には、オランダ室内管弦楽団の指揮者として、
また、アメリカはコロラド州の避暑地アスペンでの音楽祭で活躍していた。

この録音は、アスペンに集った仲間たちによる演奏である。
四重奏団というが、弦の二人がずば抜けて有名で、後の二人は知られていない。
ヴィオラのプリムローズは、バルトークが最後の作品を献呈していて、
トランプラーなどと並ぶ、名手であった。
この人も、ヨーロッパからアメリカに本拠地を移した人である。

だが、ピアノのバビン、チェロのグラウダンについては、私は何も知らない。
コントラバスのサンキーについても同じ。

見開きジャケットを使っていることもあって、解説は丁寧だ。
シューベルトの生い立ちから始まって、
「オーストリアの美しい景勝を音楽で描いたような清新な感じが全曲を満たしています」
と締めくくられる「ます」の解説も、悪くない。
ただし、独Die Forelleは、「ます」よりも「あゆ」と訳してもよい、などとあり、
見開き分のスペースがなければ書かなくてもよかったのではないか、
などと考えてしまった。

演奏は、先に述べたように、妙に遅い。
名手が集まって、十分練習しないで臨んだら、こうなったとも思えるし、
結局、二大巨頭の暴走に終始したようにも思えるし、
どう聞いていいか分からない謎の解釈である。
何度も気になって聞きなおしたが、各奏者の技量は申し分ない。
無名軍団も力演である。

「抒情的な美感と力強さと清冽さを見事に生かして演奏しています」
と解説にはあるが、どれも当てはまらないような気がする。

私のイメージでは、ピアノがしっかりと幹になって、全曲をまとめようとしているのに、
弦楽器が枝葉のように歌いだすと、
追われた地、ヨーロッパへの憧れであろうか、
綿々と美音を綴るので、遂に収拾がつかなくなってしまった、
という感じである。

日本には、ゴールドベルクのファンが沢山いるので、
ぜひとも、この録音の背景を調査して欲しいと思う。
ゴールドベルクは、「冷美」とあったが、その持ち味が、
ほとんどぶっ飛んでしまっている演奏のように思える。
確かに、他の録音だけを聴いていれば、それはそうだと思える。
だが、この演奏は珍妙なのだ。

そもそも、遠いコロラド州などで録音するから、
ゴールドベルクの望郷の感情が、
かくも、翼を広げて、羽ばたくのを、抑えきれなくなったのであろう。

一方、もう一人の別格、プリムローズは、何をやっているのか。
あまり、存在感がないのは残念極まりない。

LPは、音が貧弱で、私は十分に聞き取っていないのかもしれない。
ぜひとも、よい音で復刻して欲しいものである。

得られること:「演奏を団体名で語るだけでは分からない。蓋を開けると各奏者には、予想外の名手あり。ただし、名演奏であるかは、これまた話は別。」
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by franz310 | 2006-08-20 14:53 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その31

b0083728_1730837.jpg個人的経験:
あらえびす著「名曲決定盤」を、
今回、改めて読み直して見ると、
最初読んだ時には気付かなかった、
当時の由々しき状況が、
文章のあちこちに染み出していた。

それとは別の話だが、
こんなエピソードが紹介されているのも、
あらえびすが、レコード収集していた、
その時代を彷彿させる。

「室内楽」の最初に、
取り上げられている
「カサルス・トリオ」の項。
ここでは、この団体が最初に録音したのが、
シューベルトのニ短調のピアノ三重奏曲であったことから
書き出されている。
あらえびすや当時の愛好家が、
どんなにそのレコードを手にしたかが、
簡潔に活写されている。

「英国の雑誌でその記事を見るとすぐ、
私は十字屋へ行って註文をしたが、
ちょうど居合わせた近衛秀麿子が、
私の手からサウンド・ウェーブ誌を取り上げて、
『ほう、とうとうカサルス・トリオが入りましたね。
第一、曲が良い。私も一組取ることしよう』
そんなことを言っておられたのを記憶している。
レコードの来るまで、
一日千秋の念いであったことは言うまでもない。」

「第一、曲が良い」と言ったという、指揮者の近衛秀麿は、
そういえば、シューベルトの晩年の弦楽五重奏曲を、
交響曲として編曲したりしていたのではなかったか。

これが、1928年くらいの逸話であり、
この本が書かれたのは1939年頃であるから、
時局は、その頃から一変していたのではないか。

31年、満州事変勃発、33年、国際連盟脱退、
36年、二・二六事件、37年には上海事変を経て戦争突入である。
「今日ではもはやレコードは輸入禁止されている。
今さら外国から取り寄せようという不心得者は一人もあるまい」
などという言葉が出てくると、ぎょっとさせられる。

だから、38年録音のエリー・ナイらの演奏による、
「ます」の五重奏曲の演奏が、これまで知られてなかったことも
何となく理解できるのである。

そもそも、ヒトラーにも好まれたというドイツの女流、エリー・ナイについて、
「イギリスの女流では大姐御(甚だ失礼な言葉だが)格であるらしい」
などと、
かなり間違った解説が、この本には記載されているのである。
さすがのあらえびす氏も、かなりヤバい状況下、限られた情報によって、
この道を究めた本の出版を夢見て、
何とか、記述を進めていたのであろう。

ただし、エリー・ナイ三重奏団については、
先のカサルスや、メニューイン、ブッシュらに続いて、
「少し若いが達者だ」と、前向きに紹介している点はさすがである。

このナイ三重奏団は、ヴァイオリンもチェロも名手で固められており、
J・ベッキ著の「世界のチェリストたち」の、ヘルシャーの項にも、
「このトリオは、間もなくヨーロッパ各地の演奏会で成功を収めた」
と紹介されている。
ヴァイオリンのシュトループは、
ドレスデンやベルリンのオーケストラのコンサートマスターである。

このトリオに、これまたヴィオラの名手のW・トランプラー、
さらにベルリン・フィルのコントラバス奏者であるH・シューベルトが、
加わって録音されたのが、このレコードである。

トランプラーは、ブタペスト四重奏団との共演で知られるように、
この録音の翌年にはアメリカに亡命している。
その1939年は、ポーランド侵攻によって、
第二次大戦の火蓋が切られた年であることはいうまでもない。

1938年のレコードといえば、名指揮者のワルターが、
数々の妨害の中、ウィーン・フィルを指揮して、
マーラーの「第九」を演奏したものが有名だが、
演奏すれば殺すとか、会場を爆破するとか脅迫があったというから、
もう、めちゃくちゃな状況下であったことは想像が出来よう。

こうした時期の録音ゆえ、「名曲決定盤」に出てこないのも、
あまり知られていなかったという理由も、十分、理解できるのである。

しかし、ナイというピアニストは、ヨーロッパでは無視できない存在のようだ。
P・ローレンツ著の「ピアニストの歴史」では、
この3世紀の歴史における、
わずか、40人たらずの最高級のピアニストとして、
ショパン、リスト、ブゾーニ、ラフマニノフらと共に、
彼女の名前を挙げているのである。

それにしても、このCD、よく復刻してくれたものである。
解説も丁寧で、
祖母がベートーヴェンに面識があったという、
正統に連なる、日本では忘れられた名ピアニストについて、
多くの知識を得ることが出来る。

そして、当時56歳であった、この大姐御のもとに、
20代から30代の若者たちが集って(コントラバスはやや年配だが)、
緊迫した状況下ながら、のびのびと演奏した「ます」の記録。

ナイのピアノが、非常に緻密に見え隠れするのが好ましい。
まるで、山歩きの間に、清流の流れが常に傍らに響いているような感触である。
大ピアニストがわが道を行くレコードは、辟易とさせられるが、
ピアノが控えめであることにかけて、このCDほど徹底したものは他にない。
大姐御という感じはまったくしない。むしろ、慈愛に満ちた演奏である。
ジャケットはどうであろうか。少々、安っぽいか?
そもそも、シリーズの通し番号を示す数字が、でかでかと書かれているのが、
どうも、このCDだけでは完成していない感じをかもし出している。

ただし、併録のピアノ三重奏曲(こちらはシュナーベルの息子によるもの)が、
これまた味わい深く、すばらしい。「第一、曲が良い」。

得られること:「戦争の影響というものは、ともすると見過ごされがちであるが、関係なさそうなところにも爪あとを残している。」
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by franz310 | 2006-08-16 17:50 | 音楽

どじょうちゃんの悲しい過去が、クロメダカちゃんの遺志を継ぐべきか悩ませしむる。

b0083728_23135254.jpgどじょうちゃんが、
川の近くの
田んぼの水路から、
他の仲間と
連れてこられたのは、
ちょうど去年のこと。
まだ、田植えが、
始まるか、
始まらないかの季節。

どじょうちゃんの、
恐るべきすばやさに、
今の飼い主は驚嘆し、
眼を白黒させて息を弾ませた。


しかし、驚嘆したのは、
どじょうちゃんとて同じこと。
あぜ道に沿って、
牛若か、弁慶かと、ひらりひらり。どたばたどたばた。
あっちこっちと飛び回るおっさんを見て、
「ここまでやるか?」と考えていた。
「自然破壊じゃねーの?」

とうとう、呆れたように根負けし、捕縛され、連れてこられたが、
閉じ込められたのは、このような水槽の中ではなかった。

まずは、
いつかの焼物市でGETしたという、
飼い主自慢の信楽焼の甕に入れられ、
屋外に放置されたのである。

その時は、照りつける太陽が、
甕を焦がし、このまま深川鍋だか、
コマガタどぜうにでも、なるかと思った。
しかし、そんな事は序の口だった。
もっと、もっと、恐ろしいことが、
待っていたのである。

折りしも日本列島を襲った台風は、
B29の大群と見まがうばかりに、
あちらこちらに、雨あられと雨水を吹き散らし、
無邪気に高波を楽しんでいた、
仲間たちもろとも、甕から水が溢れ出した。

その時の、雨音、雷鳴のすさまじさは、
悲しく消えていく仲間たちの叫びを、
かき消すほどのものだったが、
どじょうちゃんの耳の奥には、
それらが渾然一体となって、こびりついていた。

「わーっ、もう駄目だ~。」
「助けて~っ、高波にさらわれる~っう!」
びかびかびかっと光る稲妻は、
まるで、フラッシュのように、恐怖に引きつった、
仲間たちの表情を照らし出した。

どじょうちゃんは、
そこで、助けを求める仲間たちに、
ひれを差し伸べることは出来なかった。
恐怖で、細い体がすくんでしまい、
イカナゴの釘煮よろしく、
消えていく仲間たちとは反対に、
水底に沈むのを選んだのである。

どじょうちゃんは、もうすっかり、そんなことを忘れていた。
いや、忘れようとしていたのだ。
だが、今回、力強く屋外に雄飛しようと考えたとたん、
その、今、イワシ、もとい、忌まわしい過去が、
鮮明に蘇って来たのである。

どじょうちゃんが、ずっと封印していた感情。
卑怯にも、仲間を見殺しにして、
おめおめと自分ひとりが生き残ってしまった。
認めたくはない。しかし、認めざるを得ない、
そんな想いが、どじょうちゃんの心の臓を、
きりきりきりと、締め付けたのであった。

どじょうちゃんが、それを思い出して
水槽の底に固まって、フセインか、麻原か、
といった具合にがたがた震えていると、
貝ちゃんが、そっと近づいて来て耳打ちをした。
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by franz310 | 2006-08-08 23:38 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その30

b0083728_19544467.jpg個人的経験:
私がシュナーベルを
意識したのには、
不思議ないきさつがある。

十年ほど前であったが、
シューベルトにも傾倒している
ロシアのピアニスト、
アファナシェフが、小さなホールで、
コンサートを開いたことがあった。

そこでトークコーナーがあり、
その時、詩や劇も書くという、
このいっぷう変わった芸術家が、
シューベルトの演奏で、影響を受けたピアニストとして、
何と、シュナーベルの名を上げたのである。

当時、私は、リーリャ・ジルベルシュタインという、
若いロシアの女流のCDを聴いて、
ふと、なぜ、ロシアの音楽家が、
こんなにもシューベルトに対して、
共感を持った演奏が出来るのだろうか、
などと考えていた。

あのギレリスにしろ、リヒテルにしろ、
恐ろしいシューベルトを聞かせてくれたが、
そればかりではない、もっと古い時代のピアニスト、
スクリャービンを得意としたソフロニツキーや、
作曲家ショスタコーヴィチの御学友であったマリア・ユージナなど、
19世紀末から20世紀初頭に生まれた世代も、
絶妙なシューベルトのソナタの録音を残しているのである。

ショスタコーヴィチの本などを読むと、
マーラーの音楽などはご法度であったソ連邦である。
かつて戦ったドイツの演奏家の名前が出てくるとは、
思いもしなかった。

そもそも、さらに時代を遡ると、
帝政ロシアの作曲家であり、
名ピアニストでもあった、
ラフマニノフなどは、シューベルトが、
ピアノ・ソナタを書いていたとは知らなかった、
とか言っていたような気がする。

同期の神秘主義者スクリャービンなどは、
もっとひどいもので、老嬢の引き出しの奥のような音楽と、
シューベルトを小馬鹿にしていたものだ。

それなのに、いつの間にか、シューベルトは、
ロシアで大人気になっていたようである。
そして、そのヒントが、シュナーベルにあったとは。

そもそも、中国の骨董屋などでも、
蓄音機にくわえ、シュナーベルのSPが発見される。

このように、この世紀の大ピアニストについて書き出すと、
切りがない。したがって、この「ます」のレコードも、
シュナーベル・ファンが買うのであろう。
このCDには、シュナーベルが演奏したシューベルト作品が網羅されていて、
しかも、お買い得だったから、ついつい買ってしまった。
4枚組だが、何枚かはすでに持っている音源である。
一緒に写っているのは夫人で、歌手だったので、
幾度となく歌曲王シューベルトの歌を、このピアニストは伴奏した。
それが、シューベルトの大曲への理解へと繋がったのである。

だが、「ます」の演奏についていえば、
私は、共演するプロ・アルテ四重奏団に興味を覚える。
深々とした響き、こくのある味わい。真摯である。

第二楽章など、のちの大傑作、
ハ長調大交響曲の緩徐楽章の崇高さにも、
直結しているように聞こえる。

ヴァイオリンもチェロも、かちっとしたピアノを、
包み込んでいるのがよい。お互いに歩み寄って、
高度な調和を見せている。
シュナーベルの演奏は、時として幻想性に不足するが、
そこを、弦楽器群が補っている。
特に、弦楽合奏の部分になると、強烈な一体感で高みに駆け上がる。

得られる事:「みんなシュナーベルを聴いて、大きくなった。」
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by franz310 | 2006-08-05 20:58 | 音楽

どじょうちゃん、クロメダカちゃんの遺志を継ぐを決意す。

b0083728_21172068.jpgどじょうちゃんは、
まずは、
事実の究明が、
最重要課題と考えた。

本当に、
あの懐かしい
クロメダカちゃんの
仲間たちが、
携帯電話の中に
組み込まれているのだろうか。

メダカの人権を、
完全に無視した、
「モバイルめだカ」計画。

どじょうちゃんは、
ひらりと身を翻すや、
持ち前の行動力で、
活動を開始した。

どじょうちゃんは、
田んぼの近くから、
連れられて来てから、
ずっと、水槽の外に出たことはなかったが、
土地勘はあるつもりだった。

というのも、
実は、少しの間、
外で暮らしたこともあったのだ。

だが、その時のことと言えば、
どじょうちゃんの心の中に、深い闇を残しており、
決して触れられたくない、ある記憶の一こまを、
どじょうちゃんは一人、
胸のうちに、そっと抱え込んでいた。

だが、それを、いつまでも、
いじいじと考えているわけにはいかぬ。
クロメダカちゃんの高い志に比べてみれば、
そんなものが何であろうか。
どじょうちゃんは恥ずかしかった。

考えてみれば、
小さな心の傷を理由に、
水の底で、
くよくよしていただけのようにも思えてきた。

そんな自分の殻を、今こそ脱ぎ捨てる時が来たのだ。
それを、クロメダカちゃんは、
身を持って教えてくれたではないか。

どじょうが一生をかけるべき、大仕事。
ついにその瞬間が来たのだ。

どじょうちゃんは、いざ、出陣と、
身をくねらせた。

だが、悲しむべき事実。
どじょうちゃんのかっと見開いた眼には、突然、
あの恐ろしい阿鼻叫喚の地獄図が見えてきた。

それから、
離れ離れになった仲間たちの悲しい声が、
耳の奥に蘇り、木霊のように長い余韻を持って響きわたると、
どじょうちゃんが、ずっと封印していた感情が、
どどっと、水槽にあふれ出した。
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by franz310 | 2006-08-02 21:45 | どじょうちゃん