excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
全体
シューベルト
音楽
現・近代
古典
オンスロウ
レーガー
ロッシーニ
歌曲
フンメル
どじょうちゃん
未分類
以前の記事
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2006年 07月 ( 8 )   > この月の画像一覧

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その29

b0083728_2315342.jpgシュナーベルは、
SPの時代、本場ドイツを代表する
大ピアニストとして、広く畏怖されていた。

昭和14年の前書きがある、
野村あらえびす著、「名曲決定盤」でも、
(あらえびすは、『銭形平次』の作者、
野村胡堂の別のペンネームである。)
シュナーベルは、
ピアニストの項で、
フランスのコルトー、
ポーランドのパデレフスキーに次いで、
登場する。


それにしても、この本は、日本のレコード史に残るべき業績であろう。

この著書の復刊がなかったならば、
私も、ここに列挙されている多くの演奏家に対して、
たいした興味もなく、過ごしていた可能性がある。

例のGRシリーズでも、多くの名演奏家が体系的に聴けるが、
古い録音のくせに、高価なこのシリーズが、そんなに簡単に買えるわけもなく、
(LPの最後期には、便乗値上げしたりしていたような気がする。)
失敗したらノイズの海に金を捨てるようなものだから、
そもそも、普通の感覚では、必然的に体系的に聴くのは不可能だった。

ありがたいことに、文庫で復刊したこの本には、
その何倍もの演奏家たちが、詳述されているのである。

実は、この名著には、まず、

「よき曲

よき演奏

よき録音」

と大書されている。

現在のレコード評論の源流であることを、
強烈に印象づける。
今も、あちこちで見かける多くのレコード評が、
この原則で書かれているのは言うまでもあるまい。

つまり、ここで私が、

「よき演奏

よきジャケット

よき解説」

を大書しようとしているのは、
これに対する反抗とも言えるかもしれない。
よき曲だけではつまらないし、
よき録音以外を探す方が難しくなってしまった。
というか、よき録音でも、つまらない演奏が増えすぎてしまった。

それはともかく、この中で、
「当代の現役的な大ピアニスト中、
最も傑れた人を選んだならば、
十人の九人まで、シュナーベルとコルトーを
挙げることであろう。」
という記載からも分かるように、
シュナーベルは、かなり別格扱いだということが分かる。

あらえびすの時代、
つまり、日本人がクラシックのレコードを求めて、
このような著書を座右に置くようになっていた時には、
まだ、シュナーベルは、次々と新録音を、発表していたのだ。
そんな事にも、何となく、意外さを感じてしまう。

そもそも、シュナーベルなどに関しては、カラー写真を見たことがない。
演奏している所を撮った写真も、記憶にない。
ということで、実在した感覚がまったくない。

あらえびすの著作などを読まない限り、
ふーん、そんな人もいたかもね、といった以上の肌触りのようなものがない。
古い録音の向こうに聴こえる演奏が、これまた端整であるから、
ますます、図書館の資料のようにしか思えないのであった。

だが、これを読むと、
ここには、ナチスを逃れ、イギリスに渡った録音嫌いのシュナーベルを、
何とかレコードの世界に引き込もうとする運動があって、
ようやく、その録音が実現した、などという記載がある。
昭和14年といえば1939年なので、妙に生々しい。

「シュナーベルの演奏に文句を言える人があったら、
それは音楽を知らない人だと言ってもいい。」

ここまで書かれると、やはり、聴かないといけないようにも思えてくる。

そうはいっても、もう、通常のレコード、CDの演奏家としては、
扱われない部類に入ってしまったのは事実であろう。

あらえびすが、「よき録音」と大書せずにはいられなかったように、
この時代の録音技術は、現代の水準からすると隔世の感があり、
彼のレコード、CDを、プレゼントしたりされたりするケースは、
かなり特殊な状況ではなかろうかと思う。
(そもそも、ジャケットからは、何の情報も得られない。
爺さんの顔と曲名と、演奏家名しか読み取れないからである。)

しかし、このあらえびすの本でも、
プロ・アルト四重奏団との、「ます」は、
「典麗と言ってもいい、見事な演奏である。」
と断言されているが如く、
まだまだ無視できない何かを持っているような気がして来た。
[PR]
by franz310 | 2006-07-29 23:08 | 音楽

まだまだ終わらないクロメダカちゃんの物語。

b0083728_23132967.jpgクロメダカちゃんが、
メダカ一匹の体には、
どう考えても
背負いきれない程の
苦悩を抱え、
遂には、
ハチミツの瓶の底という、
孤独地獄の監獄の中に、
その花の命を散らした時、
尊い生命の終わりと共に、
信じがたく、忘れがたい、
一つの物語が終わったかに見えた。

彼が、その小さなメダカ程の
体を張って、
400年もの時を巡って泳ぎ回り、
大坂城からシリコンバレーに到る、
気も遠くなるような伝説を解明し、
旧ロシア帝国と、耐震偽装を結ぶ、
壮大な歴史の陰に隠れた、
裏情報をつかんだ時、
確かに悲劇は起こった。

それは、いわば、ドン・キホーテが、
風車に体当たりするかのごとき、
愚挙でもあったかも知れぬ。
だが、彼には、ドン・キホーテにおける、
ドゥルネシア姫。
永遠の想い姫たる、
ベアトリーチェの存在があった。

ともすれば傷つき、
くじけそうになる、
クロメダカちゃんを、
陰日なたとなって、
導いてきた、
聖なる守護神ベアトリーチェが、
天に召されていくのを見ながら、
もはや、クロメダカちゃんは、
己の最後を覚悟したのかもしれない。

そう、その死は、
故意ではなかったものの、
クロメダカちゃん自身が、導きしものであった。

ああ、クロメダカちゃん。
人知れず、腐敗と陰謀に立ち向かい、
深く冷たい水底に消えていった、
気高い戦士よ。
決して結ばれる事のない、
姫君との悲恋。

彼の体からは電磁波が出ていた。
彼女の体は電磁波に弱かった。
これが、この現代の「ロメオとジュリエット」、
はたまた、「ペレアスとメリザンド」、
「トリスタンとイゾルデ」とも呼ばれるべき、
悲劇につながったのである。

しかも、その背景には、政府の陰謀が絡んでいたとすれば、
中世の田舎町の出来事などとは比較にならぬ。

クロメダカちゃんは沈んでいった。

しかし、
正義に対する彼の高い志と、
不正を憎む、炎の塊のようなその意志は、
決して、ろ過フィルタのぶくぶく音にかき消されてしまうほど、
ちっぽけなものではなかった。
むしろ、そのあぶくとなって、水面に向かって、
不死鳥の如く舞い上がったのである。

クロメダカちゃんの肉体の死は、
決して、魂の死を意味するものではなかったともいえよう。

そう、ここに、一人の男が現れた。

彼のような怜悧な頭脳を持った男は、
普通、こうした醜い権力闘争とか、派閥争い、
政治的な活動からは身を遠ざけているものである。

実際、彼は、めったなことでは、
表に出て、うるさく立ち騒ぐことはなく、
じっと、静かな水の底にいて、
ことの成り行きを見守っている方が多かった。

だが、クロメダカちゃんの、あのような、
身を挺した生き様を、目の前に見せ付けられたら、
その冷静な心も、熱い溶岩となって、溶け消えていくしかなかった。

そう、この男、仮にどじょうちゃんと呼ぼう。
彼は、その冷徹な眼差しで、
クロメダカちゃんの、輝かしい一生を、
敬意と憧れをもって、ずっと、見つめていたのである。
[PR]
by franz310 | 2006-07-24 23:48 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その28

b0083728_2147158.jpg個人的経験、演奏、解説、デザイン比較:
イギリスの名手、
クリフォード・カーゾンのピアノによる、
「ます」の五重奏曲。

広く知られたウィーン八重奏団との演奏は、
何となく私は苦手である。

しかし、最近、DVDで発売された、
アマデウス四重奏団との演奏は、
このピアニストの先入観を払拭する、
鮮やかなピアニズムで聴かせた。

このカーゾンの師匠に当たるのが、
ドイツの大ピアニスト、シュナーベルである。

「他の誰よりも崇拝するただ一人の人」、
カーゾンはシュナーベルをそう呼んだという。
そのせいか、カーゾンはイギリス人ながら、
モーツァルトやベートーヴェン、シューベルト、ブラームスといった、
シュナーベルそっくりのレパートリーを得意とした。

カーゾンの演奏を、DVDで見たせいか、
彼の演奏スタイルに対して、何か身近なものを感じるようになってしまった。
美しい硬質の音。濁らず、べたつかず、清潔でありながら、
生き生きとした感情を伴ったものだ。

そんな風に、カーゾンに近づいてみたあとで、
シュナーベルのピアノを聴くと、面白いことに、
前述のカーゾンの魅力が、本当にそのままに、
古い録音からも立ち上って来る。

カーゾンが20世紀初頭の生まれで、
その師匠なので、録音は非常に古い。
1935年、SP時代の録音である。
シュナーベルは1882年の生まれなので、
53歳頃の録音ということになる。

何となく古い録音というと、
演奏している人まで年を取っているような気もするが、
そうではない。
このプロ・アルテ四重奏団との共演も、改めて聴くと、
録音の古さを差し引けば、非常にみずみずしい演奏と言える。

カーゾンと同様、素晴らしいタッチ。
しかも、プロ・アルテ四重奏団の演奏も、
シュナーベルの弾力のあるタッチにあわせ、興に乗って伸びやかである。
弦の音の美しさを、最大限聴かせてくれながら、
しかも、シューベルトの音楽の最大の魅力たる微妙な陰影にも、
とても、敏感に反応している。

私は、何となく古臭い、年寄りの演奏だと決め付けていたが、
カーゾンの後で聞くと、彼らの語り口が、よりダイレクトに伝わってきたような気がしている。
そもそも、レコード会社にも責任があろう。年寄り臭い写真で、レコードを飾っていたから。

さて、そのレコード会社、東芝EMIには、
GRシリーズという、素晴らしいシリーズがあり、
SP時代の録音をLPでも、CDでも復刻して聴かせてくれている。
Great Recording of the Centuryの略。
カザルスのバッハ、ワルターのマーラー、
クライスラーやティボー、ブッシュのヴァイオリンに、
コルトー、ロン、フィッシャーのピアノなど。

いずれも、ノイズ交じりの古い録音ながら、
ため息が出るような古きよき時代の名匠たちの、決定盤たち。
この「ます」もその中の一枚である。

シュナーベルは、名教師としても知られ、
ベルリン高等音楽院の教授でもあったから、
どうしても、これまで、堅苦しい人格者の、無味乾燥なつまらない演奏、
といった感じで捉えていた。
クライスラーとか、ティボーとか、コルトーといった、馥郁たるイメージに囲まれると、
どうしても、そんな比較になりがちではなかろうか。

そもそも、解説などでも、ひたすら、その演奏が、
大時代的な、ロマン主義的演奏とは一線を画するという点ばかりが強調されている。
何だか、四角四面の演奏である、と繰り返し刷り込まれているようなものである。

このLPの解説は、1950年代のものだが、
シュナーベルの生い立ちから、その正統性、
決してアンコールは弾かなかったというエピソードまで、
「貴重な文献」、「燦然と輝く金字塔」といった言葉が半分を埋め、
シューベルトの作品については、1/4が割かれ、
最後にこの録音について書かれ、
「戦前のSP時代に君臨した「鱒」の理想的な一組だった」と、
総括されている。
そもそも口調が大時代的である。

有名な変奏曲の、もとになった歌曲の作詞がゲーテであると書いてあったり、
1936年の演奏で、今から23年前ながら、現代の感覚に近い演奏だ、
などという表現があったりで、この時代の雰囲気が読み取れて楽しい。

「当時においてこのように整然とした演奏はかなり急進的だったかもしれない」
などとあるが、しかし、きらきらとしたピアノに、ベルギーの団体の、
精妙な弦楽の輝きが溶け合っているのを無心に聴いていると、
合奏するメンバーのこみ上げるような、心の自由な飛翔が聞き取れ、
改めて、グレート・レコーディングであるという実感を噛み締めてしまう。



得られた事:「戦前の録音は、古ぼけた写真の印象をもとに、語るべからず。」
[PR]
by franz310 | 2006-07-23 21:47 | 音楽

さようなら、クロメダカちゃん。恐怖のデジタル家電ネットワーク。DNA-L!ああ、君の事は忘れない。

b0083728_013582.jpgその時、僕の体は、すうっと宙に浮いた。
僕は激しく抵抗したが、
もう遅かった。
くっ、苦しいっ!水の外だ。

「結局、みんな死んでしまった。
何てこった。
せっかく冬を越した二匹も、
新しい仲間を入れてやったら、
つられたようにお陀仏じゃないか。
こいつら疫病神じゃないのか?」

そんな呟きが耳に入る。
音声情報が入ったと思ったら、
背中のあたりで、ハードディスクが、
ウィーンと唸る。

こんなくだらない会話までを、僕はいちいち記憶しないといけないのか。
僕は、首を振ってもがいた。
もう少しで、目刺しの頭のように千切れてしまう程に。

「でも、違うんだ。悪いのは、
耐震偽装の一級建築士で、
それを操ったのがJR麩菓子日本、
やつらは最初、ペンギンで研究していたのを、
無理やりメダカに応用したんだよ。」

僕の叫びが聞こえるはずもない。
ぴちぴちぴちって、体をくねらせた瞬間、
再び、水中に突き落とされた。
その衝撃のせいだろうか、
僕は、がりがりっと、体内のハードディスクが鳴るのを聴いた。

「病気だと、他のさかなちゃんたちに伝染してしまう。
あぶないあぶない。
この前も、松かさ病で、みんなやられてしまうところだった。」

僕は、どうやら違う水槽に移されたようだった。
「違うんだ。
僕が好んで、疫病神になった訳じゃない。
僕たちが信じていたのは、平等な社会。
来るべきデジタル・ディバイドの世の中を、
何とか対策できないものかと、
さっそうとデパートの屋上から舞い降りたんだ。」

「松かさ病でも尾ぐされ病でもなさそうだが。」

水槽かと思ったら、ただのジャムか蜂蜜の瓶だった。
メダカが小さいことをいいことに、手抜きしやがるぜ。

そもそも、体が小さいのが運の尽きだった。
それをいいことに、携帯電話への内蔵ばかりか、
駅改札のカードへの入れ込みまでが検討されていたというのだから。

飼い主は、瓶の中をのぞきながら、口の先から、尻尾の先まで、
じろじろと眺めていた。

「寄生虫だとやっかいだな。」

「違います。
ただ、電磁波がもれているだけ。
離れていれば、大丈夫です。
水の中では減衰するから。
でも、でも、あのデパートの屋上の、
僕たちのふるさとが、偽装までして、
僕たちの体を改造したのが許せない。」

「寄生虫らしきものもない。まあ、いずれにせよ、隔離が安全。」

飼い主は、僕の上から、慰み程度の水草を突っ込んだ。
僕は、ここに連れて来られた時の狭いビニールを思い出した。
水草にメダカがついて、たったの500円だ。
でも、僕たちには使命があった。

この世の平和を守るため・・・。
えっ、この世?ああ、この世って誰の為のもの?

そして、もう、あの仲間たちの姿はここにはなかった。

僕が、孤独地獄の中で、上を見上げると、
ああ、飼い主が、あの美しいベアトリーチェの体をティッシュに包んで、
ゴミ箱の中に投げ込むところだった。

「ああ、待って。ベアトリーチェ。
せめて、もうひと目でも、その後光に包まれたお姿を、
地獄にあって、僕を導いてくれた聖なるお言葉を。
ああ、僕は、あなたから教わったことを、決して忘れはしない。
そして、このジャムの瓶の中で生き抜き、
この世の不正を、モバイル・メダか計画の全貌を、
朝日新聞と週刊文春と、レコード芸術とR25に投書します。」

その時だった。
再び、あの怪光線が、僕の体を貫いた。
見ると、部屋の片隅に置かれていたテレビがついていた。
アナウンサーにしては、しょぼくれたおっさんが、口をぱくぱくしているのが見えた。
「しゃべりすぎだよ、クロメダカちゃん。
もう、デパ屋総務庁としても、見過ごすわけにはいかん。」

「えっ、さっきまで、TVなんてついてなかったはず。」
「最近のテレビはな、DNA-Lという規格に準拠していれば、
どこからだって操作できるようになっているんだよ。」

「ああっ。」
TVに映っているのは、よく見ると、
なっなんと、あのデパ屋のペットショップ店長ではないか。
背景には、「本日入荷」の看板が付けられた水槽に、
無数の仲間たちが回遊しているのが見えた。

「そう、どこからでも制御でき、常に監視されているのだよ。
デジタル家電ネットワークの規格といえば、DLNAが有名だが、
ところがどっこい、わが『デパ屋』では、もっとシンプルな規格、
どこでも(D)・何でも(N)・操る(A)-Light(L)という、
もう一つの規格を、ちゃっかり研究していたんだな、これが。ひっひっひっ。」

「何ですって。」
僕は、デパートの屋上で、こんなにも、いろいろな事が研究されているとは、
思ってもみなかった。

「頭のいいクロメダカちゃんなら、分かるだろう。いちいち電波などを飛ばさなくとも、
いまや、どこにでもあるカラーTVから、制御信号光を飛ばせばいいんだからな。
しかも、アンテナも不要。光なら、君たちの、ぱっちり開いた目にぶち込めばよい。
中村博士の青色なら水中でもすっと通るからね。うひゃひゃひゃひゃ。」

店長は、勝ち誇って続けた。
「ふっふっふっ。驚いたかね。
D(どうだ)、N(なかなか)、A(あなどれない)-L(ラボラトリー)と言ってもいい。
あるいは、この際だ。
D(デパートの)、N(内緒の)、A(呆れた)-L(実験室)と、
覚えてもらってもいい。」

僕が軽蔑したような表情をしても、彼は、顔色も変えずにこう言った。
「いずれにせよ、これがDNA-Lなのさ。まいったかい。
それに、デジタル・リビング・・・(DLNA)なんかより覚えやすいでしょう。
つまり、人口に膾炙しているというやつだ。ぎゃはひゃひゃひゃ。
そうそう、遺伝子工学の時代にもマッチして、
何となくかっこいいだろう。どひゃひゃひゃひゃ。ぐひゃひゃひゃひゃひゃ。」

僕は、その悪魔のような言葉を、HDDで記録して、
末代まで伝えてやろうと準備した。

が、さっきの衝撃のせいか、何も記録が出来ないのだった。

「ぶはっはっはっ、無駄だよ。君い。
君の記憶は、
先ほどの光線で、消去した。
ついでに言っておくが、君の体には、コンピューターウィルスも、
送り込んでおいたよ。」

僕は、してやられたと思った。
さすが、D(でたらめな)、N(ならず者の)、A(あばずれの)-L(嘘つき)め。
最後に、こんな駄洒落を考えて息絶える自分がなさけない。

やがて、僕の記憶は薄れていった。
生きる気力も失われていった。
D(泥棒野郎)、N(盗っ人)、A(悪党)・・。
目が回って、体の平衡感覚も、おかしくなった。

僕の体は、浮力を失って、どんどんどんどん、
瓶の底に向かって、沈んでいくのだった。
[PR]
by franz310 | 2006-07-22 00:53 | どじょうちゃん

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その27

b0083728_22373167.jpg個人的経験、演奏、デザイン、解説比較:

ウィーン八重奏団が、
モノラル録音からステレオ録音への移行期をまたいで、
2度の録音を残したように、
東欧の名四重奏団、スメタナ四重奏団は、
デジタル録音の時代に変わった時に、
シューベルトの「ます」を再録音している。


売れ筋商品が陳腐化していく前に、
商品をリニューアルするのは、
どのメーカーも日常的に行う作戦ではあるが、
技術の発達に準じて録音を良くして、
かつての名演奏をもっとよく楽しんでいただきましょう、
というのは、非常にリスクの少ない商品戦略なのであろう。

これにあやかって、うまくやりまくったのが有名な指揮者のカラヤンであるが、
チャイコフスキーの「悲愴」などは、7回も録音したというから、
もう、何が何だか良く分からない状態になってもおかしくはない。

かつて、カラヤン指揮によるブラームスの「3番」が、
ベルリン・フィルとのものも、ウィーン・フィルとのものも、
ともに廉価盤で出たことがあり(それ以外にもデジタル録音によるレギュラー盤もあった)、
友人には「第四」も聴いて欲しかったから、「第四」と抱き合わせのベルリン盤を薦めた。

その時、彼に、「何が違うの」と聴かれたが、
オーケストラの違いを説明しきる自信がなかったので、
収録曲が違う、という以外の事は言わなかった。
カラヤンとしては、不本意であろうが、一般ユーザーにとってはそれ以上のものではない。
(ただ、演奏そのものとしては、ブラームスのこれらの「第三」の場合、
ウィーン・フィルとの旧盤の方が、愛好者が多いようだ。)

そもそも、演奏家が人間である以上、当然ながら、
再録音が、レコード会社の思うとおりになるとは限らない。
実際、ウィーン八重奏団の演奏も、私としては旧盤が好ましい。
グレン・グールドのようなピアニストは、録音のたびに違う表現を聴かせた。
カラヤンも、シベリウスの交響曲など、旧盤を超えるのに失敗したものも多い。

では、チェコの名門による「ます」の場合はいかがであろうか。

これは、現在、別の形で、
廉価盤のシリーズでも売られているのではないかと思うが、
私が最近、大手古本チェーン店で、たまたま安くなっているのを発見したCDは、
それとは、また、別の機会に出たものであろう。解説もなく、価格表示もない。

ただし、もとのDENONブランドが付いているから、海賊盤ではないのだろう。
また、ジャケット写真は好感が持てる。写真家の名前が出ているのもよい。
そう、これは、私がこの連載の「その2」で紹介した乙女の像ではないか。
この写真をあしらったこの曲のレコードなりCDなりは、
ありそうなものだが、いままであっただろうか。

これまで、何度も何度も書いてきたように、
この曲のレコードは、水にちなんだ風景か、魚か、演奏家の写真を利用したものが多い。
時に作曲家の肖像、それらしい風俗画が採用された場合もあった。
しかし、この像に関しては、見たことがない。

とはいえ、こんなにアップで撮らなくてもいいのに。
ほっぺの横に管が出ていて、タコだかイカだかの化身に見えてしまう。
前回の写真では、髪の毛の影にかくれていたのに。

憧れの乙女は、あれから30年の年月を経たせいか、キズも増えたようである。
しかし、年齢からすると、私はいつしか、乙女を追い越して、
その父親のような年である。

感慨もひとしお。
カラー写真も初めて見た。
白黒でもカラーでも、あまり変わらないのですね、あなたの場合。
石像だから当然か。

という時代の流れへの感慨が、
スメタナ四重奏団の再録音の重みへと重なってくる。
乙女との出会いから30年が経ったとすれば、
それと同様の月日が流れている。前回の録音は1960年、
このデジタル再録音は、83年。
私は旧録音で満足していたから、それから20年以上も感心を示していなかった。
そもそもスメタナ四重奏団に関しては、活動末期になると、
いろんな事を言う人が多かった。

ごく個人的な経験から言えば、ベートーヴェンの後期の四重奏曲の4枚組を、
学生時代、ようやくにして手に入れたその時に、なんと、再録音が始まったのである。
新録音の方が良いなどとは、死んでも言いたくなかった。

この団体の名前のもととなった作曲家、スメタナの四重奏曲だって、
新録音は高くて買えなかったから、旧録音で我慢して、あまり演奏は変わらないらしいよ、
などと聴き比べたこともないのに、どこかで読んだことを吹聴していた。

今回、初めて聴いた名四重奏団の「ます」。
ピアノはパネンカからハーラに代わっている。
確か、パネンカの健康上の理由ではなかったか。

ウィーン八重奏団も、ピアニストのみを代えて挑んだ(コントラバスまで、同じメンバーだ)が、
何だか類似の現象が起きている。
22年生まれのパネンカが30代で望んだものに対し、
ハーラは6歳年下で、彼にとっては50代中ごろの演奏となる。
しなやかさよりは、自信とかプライドが前面に出てしまうのだろうか。

ピアノが張り切りすぎて、旧盤の独特のニュアンスが犠牲になっているのだ。
第一楽章では、繰り返しを実施して、演奏時間は1.3倍くらいになっているし、
有名な第四楽章も、テンポを遅くして、大きな広がりを持たせようとしている。

楽器の響きからしても、ダイナミックな演奏とも言えるが、
やはり、この曲は、それだけでは生きない。

改めて、旧録音でのパネンカのピアノに感服する。
朝霧の中、序奏部でのためらい、そして、朝の日差しのきらめき。
こうした物語が聞こえてこない。
第四楽章もたっぷりとした歌が聞こえるわけでなく、
何だか停滞しているみたいな演奏である。

他の楽章は、軒並み早くなっていて、これまた録音は鮮やかなのに、薄味に思える。
旧盤では、若き日の、シュタイアーでのシューベルトの初々しい心をしっかりと捉えていたが、
どうやら、シュタイアーも二十数年の間に開発されて、すっかり、こぎれいな、
宅地に造成されてしまったようだ。青葉台あたりで聴いているような感じ。

得られた事;「快適な現代の生活環境の中から、果たして、シューベルトの時代の、
美しかりし自然の声を、蘇らせることは可能なのであろうか?という素朴な疑問。」
[PR]
by franz310 | 2006-07-16 23:48 | 音楽

クロメダカちゃん、ベアトリーチェとの別れ

b0083728_233630.jpg
遂に水槽のもとに明らかになった、
「モバイルめだCA計画」。

僕たちの体が、
なんと、電子マネーに使われる計画だったなんて、
今まで、誰も教えてくれなかったぞ。

ということは、この体の中には、
あの忌まわしい垂直磁気記録型のHDDだけでなく、
電子マネーが出たり入ったりするための、
通信手段が入っていることになる。

いったい、どこにそんなものが?

僕は、さっき、なんと金魚の口に、
イヤホンジャックだか、USBのソケットだかを、
取り付けようとした話を聞いたばかりだったので、
慌ててムナビレを口の中、エラの中に突っ込んだり、
セビレ、ハラビレ、シリビレ、オビレ、腰のクビレ、フカヒレなど、
考えられる限りのヒレを悪びれることもなく、くたびれることなく動かしてみたびれ。

どこもかしこも怪しかった。
赤外線通信か、はたまた無線LANの電波なのか。
水中で、そんなものが通用するのだろうか。

それにしても、ちょっとした振動試験で、
みんなの体が持たなかったことは、
これでもう、明々白々ではないか。

あらゆるものを詰め込みながら、
小型軽量を優先させるあまり、
強度偽装を装わなければ、
商品にならなかったということだ。

これは一介の一級建築士の責任だけを問うて済む問題ではない。
旧制ロシアの富豪の未亡人の援助を受けながら、
JR麩菓子日本とか、JR倒壊とかが、社内的に検討しているだけだったなら、
まだ弁明の余地もあったかもしれない。
しかし、政府の機関であるデパ屋総務庁がからんでいたとすれば、
これはスキャンダラスな大問題だ。
そんな危険な試作品を、善良なる民間人に500円で売りつけたのである。

その時、ぴっと青いランプが視界に飛び込んで来た。
僕は驚いて、ムナビレで瞳を覆った。
それでも、光線が、僕の頭の中にじわじわと染み込んでくる。
ああ、これはいったい、どうしたことか。

「ふぉっふぉっふぉっ、好奇心旺盛なクロメダカちゃんに忠告しておこう。
この問題には、これ以上立ち入らないことだ。」

僕の頭の中にがんがんとこだまするのは、
誰あろう、あのデパ屋のペットショップのおっさんの声であった。

その声を聞いて、
一瞬、僕は今までのすべてが夢で、
目が覚めると、あのデパート屋上の水槽の中で、
ヘクトールやアキレウスたちと、元気にぴちぴち泳いでいるような、
そんな錯覚さえ覚えたものだった。

しかし、ろ過フィルターの音がぶくぶくと響いているのは先ほどと変わらない。

深いところでは、ピラニア軍団が、ゆうゆうと回遊しているのも、決して夢ではなかった。
僕は、回りを見回した。その怪光線がどこから来たのかを確かめるために。
そして、いとおしいベアトリーチェの姿を求めて、大きな目をぐるりと動かした。

「ああっ。」
僕は息を呑むしかなかった。
先ほどまで、あんなに優美に泳ぎ回っていたベアトリーチェ。
大切な僕の導き手が、うつろに目を見開いたまま、水面に浮かんでいるのを、
僕は目を見開いて凝視するしかなかった。

僕は彼女のもとに走り寄り、思わずその体をひしと抱き寄せた。
「ク、クロメダカちゃん。
私はもう動けなくなりました。」
「な、何ですって?」

「その高周波・・・。」
「ああ、何があったのです?麗しのベアトリーチェよ。」
「あ、あのオスヒメダカちゃんと同じです。
わ、私たちの体は、あなた方の新型回路が出す、
き、強力な高周波に耐えられるようには設計されていないのです。」
「私の体からの高周波?」
「そ、そうです。つ、通信手段が内蔵されてから、
け、桁外れの処理能力が要求され、あ、あなた方の体からは、
わ、私たち旧型のメダカには耐えられないような、
で、電磁波が、は、発生しているのです。」

僕がさらに近づいたせいでもあろうか、ぴくぴくと痙攣し、
ベアトリーチェは、完全に意識を失い、まさに息を引き取るところであった。

たとえ、銀河鉄道に乗ったとしても、決して、機械の体は欲しがるまいと、
僕はその時、ろ過フィルターのぶくぶくに誓った。
[PR]
by franz310 | 2006-07-13 00:03 | どじょうちゃん

名曲・名盤とも邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その26

b0083728_23561743.jpg個人的体験、演奏、デザイン、解説比較:

ボスコフスキーが率いていた、
ウィーン八重奏団は、
その後、ボスコフスキーが抜けて、
フィーツが第一ヴァイオリンになったりして、
メンバーが新しくなっていった。

ちょうど、モノラル録音からステレオ録音に、
変って行った時代ゆえ、
フィーツ時代に、多くの曲が再録音された。

しかし、シューベルトの「ます」に関して言えば、
このカーゾンとの共演が59年の録音ながらステレオだったので、
再録音されることはなかったようだ。

むしろ、モノラル時代に、なんと弦楽部はまったく変わらぬ陣営で、
この曲が録音されていた。ピアノはパンフォーファーである。
パンフォーファーに関して言えば、私はまったく知識がないが、
モーツァルトのレコードで、ウィーン八重奏団のメンバーと、
共演したものがいくつかあった。

私が大学生の頃、そんなレコードがいくつかまとまって廉価盤で出たことがあり、
パンフォーファーという名前だけはインプットされていた。
その時も、誰だこりゃ、と思っていたのである。

「ケーゲルシュタット・トリオ」など、ボスコフスキーとの共演で、
とても柔和な美しい演奏であったが、
解説を見たが、経歴等、何も書かれていなかった。

このパンフォーファーとボスコフスキーたちとの演奏のLPを、
たまたま、中古レコード屋で見つけた時、
昔のあのシリーズなどを思い出して懐かしみ、
どうしようか迷った挙句、結局、買ってしまった。
貴重な輸入盤らしく、そこそこの値段だった。

聴いてみて思ったのだが、これはこれで、様式的にまとまりのある演奏だ。
ボスコフスキーの演奏は、そんなに大きく変わらず、
やはり、美しく流麗に弾かれている。
しかし、後にカーゾンと共演した盤よりはるかに自然に感じられる。
録音が古くて、単に各楽器の分離が悪いがゆえに、
偶然、まとまって聴こえるだけなのだろうか。

第二楽章など、ピアノも弦も、実にうまく溶け合っており、
あまりにも柔らかな夢想に漂い、
まったく意表をつく連想ながら、
マーラーの「大地の歌」の「秋に寂しきもの」を思い出してしまった。

水面を渡る白い霧の中、世紀末的な夢に包み込まれていくようだ。
不思議な毒がある。

考えてみれば、ウィーンの演奏家にとっては、
まず身近にマーラーの時代があって、その100年も前に、
シューベルトの時代が位置づけられるのだ。

かってな連想をしながら、私は、そんな事を考えて悦に入っていた。

どうやら、ウィーンの名手たちは、異質なカーゾンのピアノの前に、
不本意ながら、それと張り合うような形で、
2回目の録音を残してしまったのではないか。
パンフォーファーの、弦に溶け込むピアノを聴くと、
カーゾンの表現は、あまりにも頑なに自分の美学を押し通している。

このモノラル盤で聴くと、ボスコフスキーたちの演奏は、
単に流麗なのではなく、もう、夢うつつの境を漂うような、
さらに言えば、彼岸のみを夢見るような、
そんな境地を志向するための手段なのではないか、
などと考えこんでしまった。

ジャケットデザインは、シンプルにかつ大胆、モダンに、
鱒と思われる魚の姿をあしらったもの。
よく見ると、ちょっと気を利かせてみたのか、鱒の口から出た泡が、
LPを表わす「Long Playing」の丸い記号に繋がっている。
面白い。名門、DECCAのレーベル名も重厚だ。

解説には、曲の紹介のみ。録音年も書かれていない。
カーゾン盤が、シャンデリアの下の演奏風景まで見せてくれているのと大違い、
まったく、演奏に関する情報がないのは残念だ。
解説の1/3には、シューベルトが美しい自然の中、
歓迎され、乞われて作曲した点が記され、
あとの2/3は、各楽章について詳述が続く。少しくどい。

解説の下には、To clean record use a barely damp cloth などと書いてある。

得られること:「シューベルトとマーラーは、同じウィーンに住んだ人であった。」
[PR]
by franz310 | 2006-07-09 00:23 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その25

b0083728_2082426.jpg個人的体験、演奏、デザイン、解説比較:
カーゾンの「ます」といえば、
名門、ウィーン八重奏団のメンバーと、
共演したレコードが有名だ。

このレコードは、1959年の録音ながら、
長らくデッカの代表的名盤として、
さまざまな形で、何度も再発売されてきた。


共に、このレコード会社の専属であったので、
こういった共演もありえたのかと思えるが、
イギリスのジェントルマンと、
ウィーン・フィルの名物男たちというのは、
少し不自然な取り合わせのような気がする。

80年代初頭までは、恒例のウィーンのニューイヤーコンサートでは、
コンサートマスター、ボスコフスキーがさっそうとヴァイオリンを弾きながら、
ウィンナ・ワルツの指揮をしていたが、この演奏、彼がヴァイオリンを弾いている。

そのヴァイオリンは、ヴィブラートのかかった明るい音色と、
訛りのあるアクセントが独特で、こうした合奏にあっても、
とても華やかな香水を振り撒いているように聴こえる。

モーツァルトの晩年の四重奏曲を録音したレコードなども、
この作曲家の到達地点の静謐さなどとは無縁で、
とても口当たりのよい上等の甘味料が利いている。
学生の頃、まだ、モーツァルトの四重奏曲を聴き始めの頃、
このレコードが廉価盤で限定発売された折、
私はすぐにこれをGETして、何度もその美音に酔いしれたものである。

この「ます」のCDで弾いているチェロのN・ヒューブナーも、
何となく同傾向で、この二人の快進撃がこの盤の特徴であろうか。
アマデウス四重奏団と共演した時から、二十年もさかのぼる演奏だが、
カーゾンのピアノは、あまり変わらず、硬質のタッチできりりと美しい。

その時の雰囲気を伝えるような写真が、ジャケットに使われているが、
これは、小奇麗な広間に、、豪華なシャンデリアが煌々と灯って、
ボスコフスキーも粋な風情である。

同じ演奏家の写真でも、このような写真は分かりやすくて良い。
どんな人が弾いているかや、どんな楽器で弾かれているかが一目瞭然であるし、
レコードを聴きながら、今鳴っている楽器は、きっとこれだろうと推測可能だからである。

前にも書いたが、楽器を持たない演奏家が、
ただ、にやにやしているジャケットのLPやCDは、
私にとっては、最悪の手抜き商品と思える。
指揮者のアップなどは、絶対にやめて欲しい。

また、八重奏団員というのも、変なメンバー構成と思えるが、
このジャケットなら、どうやら、本当は八人いて、
そこから何人かが抜け出して弾いているのだと推察することが出来る。

ウィーン八重奏団とは、そもそも、この「ます」や、「死と乙女」と並ぶ、
シューベルトの室内楽の名作である、「八重奏曲」を演奏するために、
ボスコフスキーが作った団体ではなかったか。

天下に知られたウィーン・フィルを率いる名手が、
同郷の誉れ、シューベルトを広く紹介するために、
集めた名人集団が演奏する「ます」となれば、
やはり、聴かない訳にはいかない。

併録されている、ドヴォルザークの「ピアノ五重奏曲」も思い出深い曲なので、
ついつい、購入してしまった。
「ます」が、きらきらと太陽の光を反射させている音楽であるのに対し、
ドヴォルザークには、月光降り注ぐ夜の気配が濃厚で、
同じ編成ながら、本来なら、この組み合わせは、あまり賛成できるものではない。

しかし、カーゾンも、ボスコフスキーも、共演の機会は限られており、
演奏した室内楽も数が少ないので、まあ、これでもいいかなと思ってしまう。
個々の曲の解説も要を得ているが、このようなシリーズであると、
彼らの演奏への言及が興味深い。
「シューベルトを優美なリリシズムでロマン的に歌い過ぎる傾向のなくもない
ボスコフスキーらウィーンの演奏家に対して、カーゾンのピアノが、
素朴なといっても過言ではないほどストレートに、
シューベルトの若き日の思いを落ちついたテンポに乗せて展開する。」
などと、的確、簡潔な筆致である。

ただ、ロマン的とか、リリシズムとか、うまく言ったと思う。
私には、どちらかというと、シューベルトのナイーブな側面を、
ちょっと、無頓着に流しすぎた演奏、といった感じがする。

若き日のシューベルトは、日光の下で、確かに快活である。
しかし、風が流れ、水が音を立てるにつけて、
彼は考え、思い、立ち止まる。
そんな作曲家を、ウィーンの名演奏家たちは、どんどん置いていってしまう。

いま、シューベルトが、ある時、絶叫するように声を荒げたというエピソードを思い出した。
馴れ馴れしく一曲書いてくれよ、と言って来た演奏家が、同じ音楽家じゃないか、
などと余計な一言を添えた時、温厚なシューベルトに火がついた。
「ぼくはシューベルトだ。フランツ・シューベルトだ。」

導かれること:「モーツァルトは立ち止まらなくてもよい。だが、シューベルトは、立ち止まらなくてはならない。」
[PR]
by franz310 | 2006-07-02 22:25 | 音楽