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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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カテゴリ:歌曲( 2 )

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その435

b0083728_1954211.jpg個人的経験:
長らく異教の文化が
根付いていたせいか、
山脈に隔てられ、
乾いた山岳地帯からなる
地域的な特殊性ゆえか、
あるいは、植民地からの
異文化の流入もあってか、
スペインの音楽は、
いつの時代にも
個性的であったようだ。
何世紀にもわたる音楽が、
一つのレコードに刻まれても、
それほど違和感がないようだ。


昔、愛聴したLPには、
イエペスが録音した、
「スペインのギター音楽」の2枚があり、
そこにはルネサンスのムダーラから、
現代のピポーまで、
数百年にわたる音楽が収められていても、
なんら違和感を感じることはなかった。

テレサ・ベルガンサの録音した、
「ベルガンサ・スペインを歌う」も、
同様の趣向だった。

ひょっとすると、
古い時代のギターの一種、
ビウエラの鄙びた音色が、
この国の乾いた空気や、
光と影の交錯する風土に、
あまりにもマッチしていたからだろうか。

音楽が豪華になり、複雑なポリフォニーや、
通奏低音の時代を変遷しながらも、
この素朴な弦の弾む音の連なりに、
人々の心は、常に回帰していたのかもしれない。

そこに、さらに、そこに人の声が重なれば、
もう、十分にスペインの揺りかごが描かれる、
ということなのかもしれない。

人気のスペインの歌姫、
ヌリア・リアルが、
「The Spanish Album」という2枚組CDを
グロッサ・レーベルから出しているが、
これもまた、そうした特色に根差したもので、
ルネサンスからバロックを貫く特集となっている。

スペイン系ハプスブルク家の最後の花、
ともいうべき、
マルガリータ王女が、
嫁いでからも聴きたがった、
スペインの音楽とは、
いったい、どんな音楽だったのか。

今回のCDは、絵画ではないが、
マルガリータ王女同様に若々しい
女性の肖像の表紙。
これを聴けば、何かヒントがあるだろうか。

ホセ・ミゲル・モレーノが前半はギターで伴奏し、
CD1は、「ルネサンス時代の音楽」、
同じ人が指揮もしての、
「ルネサンス&初期バロックの音楽」が、
CD2の前半を占め、
さらに、エミリオ・モレーノが
ヴァイオリンと指揮をして、
「後期バロック時代の音楽」として、
コルセッリという人の作品のみを取り上げ、
CD後半を埋めている。

帯に、「ポートレート・シリーズ第1弾」
と書かれていたので、
しばらく前の事だが、購入する際にも、
何か寄せ集めのCDだとは思っていた。

しかし、表紙が素敵なので購入だけはしておいた。

そもそも1999年から2004年の間に録音され、
それから何年も経った2011年に出たものなので、
このことからも、
どう考えてもいかがわしいと思っていたのだが。

今回、こうした機会に、再び取り出して、
よくよく調べてみた。

以下、それで分かった事実と不満を並べる。
やはり、リアル無名時代に一度出したものを、
彼女の容姿を前面にして出し直したのののようだ。

中のブックレットを見ても、
どの部分が、いつどこで録音されたのかも分からず、
まったく、製作の意図が読み取れないのが不安だが、
この手の商売は、常にこうした措置が取られがち。

もっと言うと、歌詞は付いているが、
スペイン語だけなのが痺れる。
というか、曲目からしてよく解らない。
2枚にして、廉価にしたから、
省いても、何が悪いか、という乗りなのだろう。

「ポートレート・シリーズ第1弾」
などと、声高に宣伝するほどの内容なのか、
さっぱりわからない。

という感じで、やはり、
腰を据えた仕事でないような感じが気になるが、
気を取り直して、ここからも、
何か学ぶものを探してみたい。

あれこれやって見つけた、
グロッサのホームページは、
二番煎じであるにもかかわらず、
商品紹介がそこそこ凝っているので、
このあたりから解読してみよう。

「ここ十年ほどで、スペインから、
新世代の声楽家たちの存在が花開き、
その多くが古楽の分野を得意としています。
この一連の流れの先頭に立つのが、
ソプラノのヌリア・リアルで、
感情的な魅惑の中に、
甘さと親密さを併せ持ち、
純粋、かつ、説得力に恵まれています。
近年、リアルは、
ペルゴレージや、
多くのイタリアの1600年代の音楽に加え、
バッハ、ヘンデル、モーツァルト、
ハイドンなど、続く時代の音楽に挑んでいます。
この新しいグロッサのアルバムでは、
時間を遡り、
バーゼルの音楽アカデミーで研鑽した直後の、
このカタロニアのソプラノの
若々しい声を捉えた録音を集めました。」

リアルは1975年生まれであるから、
確かに、1999年は24歳の年、
全体として20代の声を集めたとなれば、
若くして亡くなった皇女であり、王妃である人を、
偲ぶには悪くないかもしれない。

スペインのマルガリータ王女は、
嫁ぎ先のヴィーンで、
わずか22歳で亡くなっているのだ。

また、その後、大レーベルに移って、
ヒットを飛ばす前の、
無垢の時代の歌手の肖像というのも興味深い。

解説は、以下のように続く。

「この録音の中で、ホセ・ミゲル・モレーノの、
アンサンブル・オルフェニカ・リラと共に、
リアルは、単に輝かしい声の美しさをアピールするだけでなく、
様々な撥弦楽器の巨匠、モレーノが与える
ルネサンス期からバロック期までの
スペイン音楽のニュアンスに深い理解を感じさせています。
ムダーラ(Mudarra)、ピザドール(Pisador)、
フェンリャーナ(Fuenllana)やダサ(Daça).
のような音楽が持つエモーショナルな情感を、
リアルは、直観的に捉え、
技能と喜びを持って、表しています。」

ムダーラといえば、
イエペスやベルガンサの録音でも
取り上げられている作曲家。
が、他の人々はぴんとこない。

「また、不当な評価を受けている、
ピアツェンツァ生まれの作曲家、
フランシスコ・コルセッリの
一連のスペイン語の音楽に、
リアルはもう一人のグロッサの強力な布陣、
エミリオ・モレーノと、
彼のエル・コンチェルト・エスパニョーレと共に、
心から共感しています。」

このコルセッリは、1705年生まれ。
イタリア人ながら、
マドリッドの宮廷礼拝堂の音楽監督を務めた人らしい。
スペインのハプスブルク家は滅びた後の話になる。

ちなみに、
このギターとヴァイオリンの両モレーノは兄弟で、
このレーベルの創設メンバーであり、
いささか自画自賛調なのが気になる。
録音や演奏は申す分ないので、
まあ、いいのだが。

「ヌリア・リアルの
官能的な解釈によって、
古い時代のスペイン音楽の豊穣さが、
強烈に想起させされ、
快く再現されています。」

以上が、広告の能書きだが、
いちおう、そそらせる内容である。

CDの中に入っているブックレットは、
Javier Palacioという人が書いた、
やはりヌリア・リアル賛みたいな感じ。

「『人類、有史以来、
自然に獲得された歌唱様式は、
一度も採用されなくなった事はなかった。
平地では農夫が、
森を抜け、山に羊の群れを御する羊飼いたちが、
その退屈を紛らわすために自然に歌を口ずさんだ。
その恐ろしい苦役を、胸の中から晴らすように。
男と女が創造され、我々の時代に至るまで、
人間はこのように歌いつづけて来たのである。
このような歌唱は、彼らが死に耐えるまで、
世界が終わるまで、なくなることはないだろう。』
修辞的、誇張された華美なものを取り去った
歌い方の要請に関するこれらの言葉は、
(『Dialogo della musica antica e della moderna』
という16世紀の専門書を書いた、
ヴィンツェンツォ・ガイレイによる)
今日にまで、その残響が届くように感じられる。
よく知られているように、
事実、ここ何年か、幸いなことに、
洗練され研究された音楽の世界は、
より自然なデクラメーション、
クリアで自発的なアクセントと共に、
ルネサンス期やバロック期からの
流行歌や詠唱の
古い時代の歌唱様式を再発見している。
それは新鮮で溢れるような活気に満ちている。」

ということで、
ベルガンサやローレンガーのような、
オペラ歌手で親しんできた、
これら古い時代のスペイン歌曲は、
今や、オリジナル楽器的なアプローチで、
聴き直す必要があるらしい。

「古典期、ロマン派時代の声楽の様式は、
その時代に作られた壮大な音楽用に相応しいように、
古い時代の音楽のためには限界があり、
それは、優美さ、単純さ、エレガンスに欠け、
投影図のようなものにすぎなくなっている。
演奏家、器楽奏者、歌い手は、
水晶のように澄んだソノリティー、
重々しさや、わざとらしさから
表現を解放することを追及し、
過ぎ去った世紀の演奏様式を
研究し、学び、再発見しようとしている。
しかし、ある種の演奏家にとっては、
こうしたプロセスは苦痛を要するものではなく、
最初から、恵まれた声と特別な直観で、
最も繊細な感情の鍵盤を奏でることが出来る。
ヌリア・リアルは、こんな歌手だ。
このカタロニアのソプラノの武器は、
素晴らしいパレットの音色の広がりを、
光沢を持って歌える声であり、
わざとらしさのないデクラメーションから、
さらに印象深い芸術的成果を生みだせ、
甘く、暖かく、それでいて親密である。」

なかなか、スペインの音楽の話にならないが、
おそらく、「ポートレート・シリーズ」なので、
この歌い手の特徴を描き尽すまで終わらないのであろう。

ここまで賞賛されると、
もっと耳を澄ませて聴かないといけない、
という気持ちになってくるのも事実。

同時に、シューベルトの歌曲などは、
どのように歌われるべきか、
などと考えさせられたりもしている。
フィッシャー=ディースカウのような歌手は、
その明晰なドイツ語によって、
歌に革命を起こしたというが、
そうした不自然な芸術性の追求の流れとは、
一線を画しているということだろうか、
などと考えながら読んでいる。

「伝統的なアプローチにとって代わる、
コンサート・プログラムの新しい形や
聴衆の嗜好の変化が進む現代の声楽界で、
聴くものの心に、優しいながら、
様々な刺激と印象を放つ声が、
リアルを、スペイン最強の世界的スターにした。」
とか言う話題は、そろそろ疲れて来たので、
ばっと読み飛ばすとして、
次には、彼女がマンレサで生まれ、
11歳でカタロニアで学び始め、
古楽の専門の学校ではなく、
様々な時代の音楽を学ぶ音楽アカデミーで研鑽を積み、
20歳で室内合唱団とのコラボを始めた、とある。
それから少しして、
ホセ・ミゲル・モレーノと、
フェンラーナ、ムダーラなどの歌曲で、
記念すべき最初の録音を行った、とある。

ここから後は、誰それと共演したとか、
私にはあまり興味のない記述が続く。

事実、CD屋に行くと、リアルの名前は、
ソニーから出ているCDなどで、
すでに十分おなじみになっていて、
こうした情報は、書かれなくても想像できる、
という感じであろうか。

「ヌリア・リアルは、コンサートのステージで、
聴衆と繋がっていることを非常に重視するので、
比較的、レコーディング・スタジオは苦手とする。
それにもかかわらず、
彼女のディスコグラフィに関連した、
重要なルートにそって、
継続的に結果を出して来た。
素晴らしい色彩の新鮮な声の質感や、
集中した活力を披露し、
劇的な対比の形式や様式に満ちた、
16世紀のスペインから、
18世紀に至るまでの旅であった。
これは、前古典派への入場門ともなる
バロック期とルネサンス期を
繋ぐものでもあった。」

1枚目は、かつて、
「スペインのギター音楽第3集『清く澄んだ川』」
として出ていたものらしい。
タイトルはムダーラの曲による。

このディスクについては、
以下のような解説が続く。

「『清く澄んだ川』に、
このソプラノは特別な愛情で接している。
当時の印象的なビウエラ音楽に仕えて、
リアルは、ホセ・ミゲル・モレーノの弦に
優美に伴奏されながら声を添えている。」

オリジナルの企画は、
「スペイン・ギター音楽」という
シリーズだったようなので、
声は、添え物的立場だったかもしれない。

ちなみにこれの第1集、第2集は、
1994年と6年に録音された、
ナルバエス、ミラン、ムダーラから、
ソル、メルツ、タレガ、リョベートに至る、
ギター音楽史なので、リアルは関与していない。

1枚目はかつて出ていたものを、
そのまま出しているので好感度は高い。

「ここでは様々な曲集から音楽を集め、
洗練されたものも、通俗的なものも一緒にした。
衝撃的なリズムのカデンツが、
穏やかで、より内省的なシーケンスに
コントラストを与え、
全てが素晴らしい音響の美しさの中にある。」
と書かれているのも、
オリジナル企画時の方針なのだろう。

1.作者不詳:私に何をお望みですか,
2.ダサ:ファン・パストール、なぜお前はそうした,
3.バスケス:バラのしげみの泉にて,
4.ダサ:異国の地に,
5.フレチャ:可愛い妹テレサよ
6.モラレス:ムーア人はアンテケラから馬に乗って去っていく,
7.ダサ: ブルネットの少女の叫び
8.作者不詳:クラロス伯によるディフェレンシアス
9.ムダーラ:恋人達の嫉妬,
10.ピサドール:夜の闇が訪れ,
11.ムダーラ:イサベルはベルトを無くした,
12.モラレス:ベネディクトゥス
13.ピサドール:エンデチャス,
14.フェンリャーナ:エンデチャス,
15.バルデラーバノ:愛する人よ、どこから来たの
16.ムダーラ:ロマネスカ,
17.ムダーラ:彼らが私を呼べば,
18.ムダーラ:澄みきった清らかな川,
19.ムダーラ:幸せな男
20.バケラス:私のために嘆いてください
21.ピサドール:バプテスマのヨハネの祭日の朝に,
22.フェンリャーナ:ファンタジア,
23.フェンリャーナ:ムーア人の王は散策していた
24.ピサドール:騎士に告げよ

「リアルは、これらのビリャンシーコで、
変奏形式、インタヴォラトゥーラ
(ビウエラにて演奏可能とした初期作品の編曲)に、
各曲の音楽的特徴、情緒的な性格を、また、
コレクションのタイトルにある、
『みずみずしさと明晰さ』の質感を見失う事なく、
親密にしっとりと、また、ある時は、
より敏捷にリズミカルに、
自然に移行する才能を発揮している。」

ここまで書かれると、これに付け加える事はない。
というか、こうやって聴くのか、
という感じさえする。

器楽と声の絡み合いというのは、
タイミングや強弱だけが重要なのではなく、
そこでの躊躇いや気負いなどを
感じさせては駄目なのだなあ、
と考えさせられた。

本当に、「澄み切った清らかな川」のように、
各曲は、香しい大気の中の水音のように流れて行く。
だから、すべてが自然すぎて、
いかに各曲にコントラストがあろうと、
聖歌に浸っているかのような時間経過だ。

24曲をすべて、これはどう、あれはどう、
という感じではなく、
すべてが一続きの小川の水音のようである。

ビウエラの鄙びた乾いた音がまた、
この無垢な印象を際立たせている。
非常に美しいアルバムであるが、
すべて同じ曲に聞こえるような感じもあるので、
タイトルになったTrack.18のみを、
よく聞いてみよう。

寂しげな歌である。
幸い、ベルガンサが歌っている日本盤に、
この曲も入っているので内容は分かる。
が、歌詞が古すぎて、
すべて了解というものではない。

山の中での孤独を歌ったもので、
詩人は、川や鳥や樹木に向かって、
自分の声を聴いてくれと頼む。
と言う内容だが、
それだけ、誰もいない状況なのだ。

ムダーラは、ネット検索すると、
1510年頃生まれ、1580年に亡くなった、
ギター曲を最初に出版した人として知られるという。

残念ながら、
ベルガンサは第1節しか歌っていなかった。

細かいヴィヴラートがかかり、
明らかにリアルとは異なる。
イエペスの伴奏はギターによるもので、
モレーノのビウエラの不思議な音より、
現実味がある音色となっている。

ベルガンサ、イエペスの仕事は1974年のもの。
今、聴き直しても、
録音も、素晴らしく空気感が良い。

改めてよく見ると、
アルフォンソ10世から、
フェンリャーナ、ルイス・ミランなどを組み合わせ、
ほとんど、リアル、モレーノのCDの
コンセプトと同じではないか。

リアルの第3曲、バスケスも、
「バラの木の泉に」というタイトルで、
最後から2番目にベルガンサも楽しげに歌っている。

「泉で乙女と若者が洗っている」という、
微笑ましく、眩しい光景に相応しい。
24歳のリアルの当事者的な
ひたむきな歌唱に対し、
39歳のベルガンサは、余裕の解釈である。

ベルガンサ盤は、濱田滋郎氏のきめ細かい解説で、
ビウエラの音楽家が残した楽曲集を、
ポリフォニー歌曲と並んで、
「ルネサンスのスペイン歌曲が花咲く第二の花園」
だとしている。

氏はビウエラを、「はえぬきの宮廷楽器」、
オルガンと並ぶ「スペイン器楽の粋」と呼んで、
ビウエラ曲集には、独奏曲に交じって、
歌曲が入っていることを教えてくれている。

いずれにせよ、このビウエラ伴奏の歌曲、
という時点で、スペインの音楽には特殊性が十分。
素朴で開放的。
マルガリータ王女が、
音楽はスペインでなくては嫌じゃ、
と言ったとしてもおかしくない、
のかもしれない。

さて、このリアルのCDの2枚目は、
計3枚のアルバムの抜粋である。

その一枚目は、1500年頃に生まれ、
1579年に亡くなった、
フェリペ2世の宮廷の盲目の音楽家、
ミゲル・デ・フェンリャーナの曲集
『オルフェニカ・リラ』(1554)を
特集したCD。
これは、楽団の名称にもなった。

フェンリャーナが編曲した、
様々な作曲家の作品が入っている。
1999年の録音で、18曲入っていたのから、
以下の7曲が選ばれている。

イエペスとベルガンサの名盤でも、
フェンリャーナは取り上げられているが、
重複はなく、比較できず残念である。

このフェンリャーナの曲集は、
濱田氏が書いたビウエラの7つの曲集の一つ、
ということになるのだが、
このリアル盤では、笛や太鼓までが現れる。

解説には、
「16世紀のビウエラ音楽の
異なるコンセプトを提示したかったとある。
基本的にデリケートな精神を、
より幅広く、リッチな編成で演奏しても、
それを打ち消したりすることなく、
むしろ、もっと深く感覚に訴え、
それを増幅する」とある。

1.「La Bonba」は、
メキシコの「ラ・バンバ」と同じなのだろうか。
いかにもの大騒ぎの舞曲。
したがって、
デリケートな精神を、
などと言われてもぴんと来ない。

2.ただ、CD1にも入っていた、
「モーロ人の王は散策していた」で、
ガンバの深々とした音色が添えられて、
非常に深い情感を醸し出している。

これは、モーロ人の王が戦に負けて、
街を出て行く時の悲しい情感を
歌ったものということで、
まさしくスペインならではの情景と情緒である。

3.器楽曲で、オルティスの「おお、幸せな私の目」と、
4.バスケスの歌曲「それは、私を動かしません」は、
簡素な編成で奏され、いにしえに思いを馳せることが出来る。

5.フレッチャの「 La Girigonça」は、二重唱で、
お祭りのどんちゃん騒ぎを思わせる。

6、7.ともに原曲はバスケスで、
共に、控えめな編曲、
「何を使って洗いましょう」は、
貧しい娘の歌で悲しく、
「ポプラの森まで行って来ました、お母さん」
は、あいびきの報告。ロマンティックで優しい。

これらは、ローレンガーにも、
嫋々、朗々と歌った録音がある。
前者を歌ったベルガンサは折り目正しい。

リアル盤は、前奏から雰囲気たっぷりで長く、
リアルも、ぎりぎりまで声を伸ばして、
「この顔をどうやって洗おうか」という、
若い女性の歎きの深さを描き出している。

CD2は、3枚のCDからの寄せ集めと書いたが、
その2枚目は、2005年に出た、
『《ドン・キホーテ》のための音楽
~ロマンス、歌曲、器楽による小品集』
という26曲のアルバムから4曲。

8.ルイス・ミラン: パヴァーヌ VI、
1500年頃に生まれた人なので、
これはバロックではない。

9.作者不詳:Jacaras、
カスタネットと合唱で、
エキゾチックでこれは大変、面白い。

10.作者不詳: 「何とかわいい坊や」は子守唄か。
愛情たっぷりの歌いくち。

11.フアン・アラネス( ~1649)の
チャコーナ「素敵な人生」
1624年頃の作曲とされ、ぎりぎり、
マルガリータ王女の時代に近い、
バロック期のものと言える。

この曲は、ネット検索すると、
古井由紀子(リコーダー、コルネット)
中川洋子(歌、リコーダー)
といった方々によるグループ『葦』
という団体の演奏した
演奏会のチラシがヒットし、
こんな歌詞が分かった。
以下はその引用。

「チャコーナの夜 薔薇の咲く季節
たくさんの秘め事 そして噂はまわる
素敵な人生
チャコーナを踊りに行こう
アルマダンが結婚するんだ
すばらしい月になる
アナオの娘たちが踊ってる」
という部分までは、
夏の夜の陽気な時候が偲ばれる。

が、
「ミランの孫たちと
ドン・ベルトランの舅と オルフェオの義姉さんは
めくばせをかわし
それでアマゾネスのお話はおしまいとなった」
とは、何のことだか分からない。

おそらく、こんな夜なら、
何だっていいのだろう。
以下のような歌詞が、すべてを帳消しにする。
「そして噂はまわる
素敵な人生
チャコーナを踊りに行こう。」

いかにも、小粋な小唄という感じだが、
この曲は、いかにも、
スペインにしかなさそうな雰囲気で楽しい。

Track9.の「Jacaras」と共に、
マルガリータ王女万歳、
という気持ちにもなって来る。

CD2の中の最後の三分の一は、
『コルセッリ: スペイン宮廷の音楽』
と題された2002年のアルバムより、
コルセッリという、18世紀の作曲家の作品集。
このアルバムの大半が収められている。

12.歌劇《スキュロス島のアキレス》より 行進曲
13、14.《美しい声でさえずる姿の見えないうぐいす》より
レチタティーボとアリア
15、16.《アスタ・アクイ、ディオス・アマンテ》より
レチタティーボとアリア
17.歌劇《スキュロス島のアキレス(シロのアキレス)》より 序曲

マルガリータ王女が生きた時代とは、
一世紀が経過している。
コルセッリはイタリア人であるようで、
そのせいか、特段、スペイン風でもなく、
ヴィヴァルディの次の世代、という感じ。
以上の劇音楽も感情表現も明快で、
リアルの声も朗らかで楽しめる。

ただし、
18.聖土曜日の第2朗読
「なにゆえ、黄金は光を失い
純金はさげすまれているのか」
と歌われるエレミアの哀歌や、
19.聖木曜日の哀歌
「幼子は母に言う
パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。
傷つき、衰えて、都の広場で 」
という悲痛な哀歌では、
この作曲家のシリアスな側面が見える。

得られた事:「カタロニアのソプラノ、ヌリア・リアルの20代前半からの録音を集めたCDであるが、自然なデクラメーションで、甘く、親密な歌唱で古謡が楽しめる。」
「『どうやって洗いましょう』などは、豊かな伴奏も一体となって、人生の一コマの情景をたっぷりと描き出している。」
「『Jacaras』や、チャコーナ、『素敵な人生』のリズミカルな人生の謳歌などは、若いスペインの姫君が、故国を懐かむイメージと重なる。」
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by franz310 | 2016-03-20 19:55 | 歌曲

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その203

b0083728_23451878.jpg個人的経験:
前回、シュトライヒによる、
リートを味わっていたが、
この歌い手は、まず、
軽めの歌でデビューしたようだ。
彼女の録音の最初期のものは、
このCDで聴くことが出来る。
この1955年録音の7曲を含む、
全17曲であるが、
時代を感じさせる強烈な写真。
「ワルツとアリア」と題されている。


しかし、この歌たちは美しい。
クライスラーの古い自作自演を聴いた時のような、
不思議な懐かしさがこみ上げて来る。
最初の8曲は1958年のステレオ録音、
後半の9曲は1955年から6年のモノラル録音と、
半世紀以上の時が流れている。

グラモフォンの歴史的名盤を集めた、
「オリジナルズ」シリーズの常として、
最初に、これらの録音の往年の批評が、
紹介されているが、当時の受け止められ方が分かって、
大変、興味深い。

「リタ・シュトライヒは、
世界に2、3人いる、
最高のコロラトゥーラ・ソプラノの一人である。
彼女は、しかも、完全に、また、魅惑的に、
甘味な小唄を歌うことのできる才能に恵まれていた。
黄金時代を回想させ、
しかも、限られた存命の歌手だけが持つ、
声楽技術と発音の完全さによって、
シュトライヒ嬢は、
彼女の最高の状態では、
ガリ=クルチの芸術を思わせる、
芸術上の基準となる。
このCDのトラック9-11、
14-17に収められた、
彼女の最初の10インチLPは、
当然のことながら、
世界で最高の売上げを示したリサイタル盤であり、
このように沢山の人々を楽しませた声楽のレコードは、
私が知る限り、他に2、3を数えるだけである。」

このトラック9-11、14-17については、
これ以上、深追いされず、この時追加された、
新録音についての批評が続く。

「この愛すべき記録の中で、
細かい点で語るべき点は多々あれど、
マイヤベーアの『影の踊り』で、
フルートを伴うカデンツァにおける、
めくるめく火花、
サン=サーンスにおける、
最高の声のコントロール、
『子守歌』における、
うっとりするような声の引き延ばし、
また、超越的な、
ドヴォルザークの『月の祈り』などなどがある。
録音は、伴奏オーケストラの音響の、
深さ、心地よさも含めて特筆すべきものである。」

これは、このCDのTrack1~8が、
LPで最初に出た時の、
「ステレオ・レコード・ガイド」の批評だという。

なお、ここではすっ飛ばされたトラックについては、
日本でも「レコード芸術」が推薦盤としていて、
「ここに集められた歌曲は肩のこらない
楽しいものばかりだが、シュトライヒの美点が
すべてに表れている」と賞賛されている。

先の批評に「芸術上のスタンダードとなりうる」
みたいな評価があったが、
面白い事に、同様の表現が、「レコ芸」でもされている。
「とくにアラビエフの『夜鶯』と
ドリーブの『カディスの娘たち』は全く欠点のない
標本的な歌い方である。」

私は「標本的」という言葉を初めて聞いたが、
こんな風に続くと、頭が混乱してくる。
「少し清楚にすぎて芝居気がなさすぎるとも思われるほどに
清潔で狂いのない歌い方をしている。」

まるで血が通っていないような印象さえ、
ここからは受けてしまうが、そんな事はない。
いずれにせよ、優柔不断な鳩山政権のような、
結論の出ない批評が、妙に日本的であって奥ゆかしい。

このような状況ゆえか、日本ポリドールの、
洋楽部長が、証言「日本洋楽レコード史」(音楽之友社)で、
このあたりの声楽のレコードが全く売れなかった事に触れ、
こんな風に回想しているのが面白い。

「シュトライヒの人気が出たのは
ステレオになってからだと思いますが、
美人で、ヨハン・シュトラウスといったレパートリーが
ひろく受け入れられたのでしょう。」

なお、シュトラウスは、ここにも2曲収められているが、
最初のものはステレオ録音、曲は、「春の声」。
日本では、このレコードで、ポリドールもシュトライヒも、
春の声を聴いたわけだ。
何となく、活気あった当時を偲ばせる逸話で、
ついつい思いを馳せてしまった。

私自身の体験で言うと、
彼女の引退後に音楽を聴き始めたせいか、
シュトライヒがそんなにメジャーだと聴いた事はなく、
近年の復刻ブームの中で、ようやく名前を認識した次第。
ソプラノと言えば、アーメリンクやマティスを連想してしまう。

この世代が出ると、シュトライヒは、
しばらく忘却の淵に沈んでいたのだろうか。

さて、CDの解説に戻ると、
1984年に、Opera Internationalという雑誌?
が載せた批評が、掲載されている。
1984年というのは、
CDが出る直前のタイミングに思えるが、
いったいいかなる機会に書かれたのだろうか。

「ありきたりの表現を避けようとしても、
リタ・シュトライヒの事を思うと、
こんな風に言わざるをえない。
『ナイチンゲールのように歌う歌手がいるとすれば、
それは彼女だ』と。
これは、歌の翼に乗って飛び交う、
クリスタルのようにクリアーで、
技巧的にも驚くべき声の持ち主のポートレートで、
彼女のレッスンを受けた者は、
絶対的な自然さで、最高の容易さで、
まったく無理のない親密さで歌うのである。」

後半は、教師としても優れていたことを示すものであろう。

さて、ここから、彼女の概略の経歴が語られる。
Peter Cosseという人が書いている。

「1987年3月20日、
ヴィーンで亡くなったソプラノ歌手、
リタ・シュトライヒは、
この世紀の偉大な歌手の中で、
最も愛された歌手の一人であった。
このコレクションでも十分に発揮される、
彼女の多才、彼女の音楽性、
世界中のオペラ・ハウス、コンサートホールで見せた、
彼女の朗らかで気取らない姿、教育者としての献身、
それにも増して、最も危険で急速な、
高音でのコロラトゥーラ楽句をこなす、
驚くべき技巧が、単なる歴史的資料を越えた魅力を、
その録音に与えている。
テクニックに優れ、精神的にも肉体的にもタフな、
しかし、ともすると薄味になりがちなリスクを負った、
オールマイティな声を持った歌手を養成するような、
声の訓練が横行する中にあって、
リタ・シュトライヒのようなキャリア、
レコード伝説があるということは有益なことである。」

このように、この解説者が、現代の歌手にない味わいが、
シュトライヒにはあったことを書いてくれているが、
まさしく、そんな事を考えていた私は嬉しかった。

「複雑なモーツァルト役への献身から、
いわゆるライト・ミュージックという
やっかいな領域においてのユーモアを交えた表現まで、
有名なヴィリ・ドムグラフ-ファスベンダーの弟子が、
選んだ歌の基本をよく学び、
声楽と表現の細部まで核心を掴んで、
賞賛に値する成功を収めたかを、
容易に味わうことができる。
これらを、1950年代中期に、
ベルリンのイエス・キリスト教会で、
クルト・ゲーベル指揮のベルリン放送交響楽団、
RIAS交響楽団と録音した、歌劇、オペレッタ、
または、民謡からの歌によって聴くことが出来る。」
一文が長くて、読みにくい文章だが、
欧米人は平気なのだろうか。

「ヴィーンのシュトラウス帝国の、
メロディーの宝から声楽で装飾したものや、
ワルツ・ソングから始まって、
魅惑的な声楽の、感情を揺さぶる、
涙が結晶した、郷愁の、
芸術的なコロラトゥーラの輝きの歓びの、
広大な世界へと続く。」
言わんとすることは分かるが、
無理矢理感のある文章である。

「リタ・シュトライヒは、1920年、
ノヴォシビルスク近郊のバーナウルに、
ゴダール、マイヤベーア、アルディーティ、
または、ヨハン・シュトラウスの音楽と、
切り離せない世界で生まれた。
幸運なことに、ミューズのおかげで、
見えざる手に導かれ、
この勤勉な熱心な芸術家は、
容易に多くの問題を克服した。
ベルリンでドムグラフ-ファスベンダーのクラスに入り、
エレナ・ベルガーやマリア・イヴォーギュンの生徒として、
中欧音楽における様々な様式を洞察し、
センスと柔軟性を持った歌手として成長した。
このコレクションにあるような、
対称的な小品を歌う時、
彼女の語学の羨むべき才能も大きな助けとなった。
彼女の場合、ある言語や方言から、
別のものに切換えることは、見るからに容易であり、
まさに多言語に通じた歌の翼に乗った世界の住人であった。」

ちなみに、「世界の民謡と子守歌」というアルバムでは、
シュトライヒは日本語で「さくら」を歌っている。
これは、1962年の録音。
1959年に来日したようなので、その影響もあったのだろうか。
この時期、売れ始めたとあるので、
サービスもあるだろう。

この後、成功の軌跡が書かれているが、
それは前回読んだので省略。
「ここでは娯楽が偉大な芸術のレベルにまで、
引き上げられている」という一文で、
この解説は終わっている。
各曲の解説はない。

このシリーズ、海外盤ではこれ以上の事は分からない。
従って、アリャビエフやフロトー、ゴダールなら何とかなっても、
アルディーティ(1822-1903)やら、
デラックァ(1860-1930)などになるとお手上げとなる。

まず、58年のステレオ録音から8曲。
Track1:ヨハン・シュトラウス「春の声」。
中学生の頃はよく聴いた曲であるが、
この年になると、これをステレオで響かせるのは、
ちょっと恥ずかしい。

しかし、シュトライヒの無理なく舞い上がる、
嫌味のない歌を主体に聴くと、
日本がまだ元気だった活気ある時代を、
ただ、懐かしく思い描いてしまった。

Track2:サン=サーンス「うぐいすとばら」。
ハープの美しい序奏から、
弱音の弦楽が神秘的な雰囲気を漲らせ、
その中から、ウグイスの声のような、
高音のパッセージが散りばめられる。
遠くから美しくクラリネットがからんで来て、
何だか分からないうちに終わってしまう。

Track3:ヴェルディ「小さな煙突掃除婦」。
楽しい3分弱の小唄で、
時折、コロラトゥーラのパッセージがちりばめられる。
木管の伴奏も軽妙である。
弦楽のじゃじゃじゃがヴェルディらしい。

Track4:ゴダール「ジョスランの子守歌」。
木管の怪しい絡み合いが幻想的で、
その中から、懐かしいメロディーが歌い出されると、
思わず、古き良き時代、などという言葉が口から出てしまう。
マコーマックがクライスラーと入れていたような曲。

Track5:アルディーティ「パルラ・ワルツ」。
イタリアの歌劇指揮者アルディーティは、
後で出て来る「くちづけ」が有名であるが、
この曲もメリーゴーランドのような楽しさで、
洒落ていて、幸福感に包まれる、
ゴージャスなオーケストラ伴奏もよい。

Track6:スッペ「ボッカッチョ」より「恋はやさし」。
これは、古くから日本でも知られたもので、
昔を回想する場合に、引合いに出されるもの。
シュヴァルツコップが歌っているCDがある。
「あなたに愛して貰えるのなら
あなたの誠はいりません。
愛は誠の花を咲かせるつぼみなのです。」

このように、教会で出会った男との、
結婚を予感した女性の歌だという。

5才年上のシュヴァルツコップが、
たぶん同じ頃に歌った録音を聴くと、
非常に格調高く、とり澄ました感じがするのに対し、
シュトライヒの歌は、何となく舌足らずで子供っぽく、
もっと素朴な愛情に満ちている。
とはいえ、シュトライヒの伴奏はハープが多用されながら、
肝心の教会の鐘の音は省略されているのはどうしたことか。

Track7:ドヴォルザーク「ルサルカ」より「月に寄せる歌」。
このライト・ミュージック路線で、
ドヴォルザークが登場するのは意外であるが、
この曲の神秘的な夜の雰囲気は、
大劇場というよりも、こんな、
もっと親密な環境で聴きたいとも思う。
シュトライヒの声がまた、憂いを秘めて大変愛おしい。

Track8:マイヤベーア「ディノーラ」より「影の歌」。
またまた、楽しい音楽となる。
軽妙で、マイヤベーアというと思い出される、
ものものしい先入観は不要である。
約8分の大作で、このCDでは一番長い。
マリア・カラスが歌う種類のもの。

以上がステレオ録音である。

以下はモノラル、「ワルツと民謡を歌う」と
題された1955年録音のアルバムから4曲。

Track9:ヨゼフ・シュトラウス「オーストリアの村つばめ」。
やはり、ステレオ期の録音に比べると、
鮮度に差異があるが、シュトライヒの声はよく伸び、
伴奏も美しくこの声を彩っている。

あるいは、この曲の歌唱がレコード・デビューだったのか、
何だか、彼女の胸の震えのようなもの、
この音楽の持つ躍動感がマッチして、
声のヴィブラート一つとっても、
妙に清新な印象を受けた。

Track10:アリャビエフ「ナイチンゲール」。
この歌手は、ガリ・クルチと比較されていたが、
ロシア歌曲の初期の名作として知られるこの作品は、
私は、ガリ・クルチのLP復刻で聴いて来た。
この復刻LPは、アニメ映画「蛍の墓」でも挿入され、
沢山売れたのではないだろうか。

憂愁を秘めた序奏から、ロシアの雰囲気いっぱいで、
シュトライヒは、心を込めて歌っていて、
後半のコロラトゥーラの見せ場では、
むしろ、感情を押し殺すようにして
効果を上げている。

Track11:ドリーブ「カディスの娘」。
フラメンコ風の楽しい序奏ながら、
歌い出されるのは、非常にシックな歌で、
さすがフランスの作曲家だと思わせる。
効果的にフラメンコが入るのも異国情調を盛り上げる。

この曲は音楽之友社の「名曲解説全集」にも出ていて、
「ドリーブの音楽の特色が遺憾なく発揮されている」
と、解説者の大宮真琴氏からも賞賛されている。
「笑い転げている娘たちの歌」とされ、
「芝の上で、みんなはカスタネットに合わせてボレロを踊った」
「カディスの娘たちはこういうことが好きなんです」と、
自分の美しさを誇りにする。
一幅の絵画になっている。

それにしても、シュトライヒは、
世界紀行が好きな歌手である。

以下2曲は、1956年のもの。
録音は55年とあって、56年に出た模様。
これと前後するものと同じ機会に録られたもののようだ。
何故、ばらばらにされていたか不明。
伴奏も全く同じ。
クラシック以外で出されたのだろうか。

Track12:チェニク「タランテラ」。
管弦楽の伴奏も楽しく凝っていて、
歌い口も勇ましく爽快である。
来た来た来たという感じで、
これまた、シュトライヒにぴったりの歌である。

1901年生まれの作曲家だそうであるが、
マンドリンだかの音がばらばらばらと鳴っている。

Track13:マルシェシ「La folletta」。
この人は1822年生まれというが、
聴いた事がない作曲家である。
いったい、どこで、シュトライヒは、
こんな曲を探して来たのか。

2分にも満たない歌であるが、
嫌味のない簡潔なコロラトゥーラが入る、
親しみやすい曲である。

またここから、「ワルツと民謡を歌う」というアルバムから4曲。

Track14:フロトー「夏の名残のバラ」。
ハープがぱらんぱらん鳴って、
この懐かしい唱歌を、
シュトライヒは心を込めて、
格調高く歌い上げている。

Track15:デラックァ「ヴィラネル」。
これも遠くに思いを寄せるような可憐な歌い方が、
この歌手特有の魅力を発散している。
中間部で、コロラトゥーラの技法が終わって、
再び、魅力的な旋律がこみ上げるようにして、
歌い出させる時の美しさ。

Track16:ヨハン・シュトラウス「ジーヴェリングで」。
シュトラウスにしては、穏やかな、
しかし、もの思いに耽るような歌。

Track17:アルディーティ「くちづけ」。
じゃんじゃか始まる序奏に続き、
木管、金管が華やかな彩りを添えながら、
これまた、幸福感に満ちた、
遊園地のような音楽が流れる。

ヨハン・シュトラウスのイタリア版で、
おきまりのようなコロラトゥーラの装飾が挟まれて、
幻灯のように光と影が織りなされる。

この曲も「名曲解説全集」に出ていて、
「おまえがそばにいてくれることは、
なんという楽しいことだろう。
涙も悲しみも忘れ、
いつまでもおまえのそばにいたい。」
という大意も出ている。

ということで、リタ・シュトライヒという
往年のソプラノ歌手の、
レコーディング活動の出発点を振り返った。

憂いを秘めた、やるせない情緒を歌わせると、
この人の魅力は全開となる。

以下、前回、文字数オーバーで、
掲載できなかった分を付録として追加する。


さて、シュトライヒが1961年に録音した、
LPのアルバム「ドイツ歌曲の夕べ」では、
シューマンの他にブラームスも歌われていたが、
そこでは収録されていた「秘密」作品71の3や、
「船上にて」作品97の2や、
「別れ」作品97の6、「娘は語る」作品107の3、
「娘の歌Ⅰ」作品95の6は省略され、
「RITA STREICH LIEDER」と題されたCDでは、
4曲のみが収録されている。

さらに、このLPには、
シュトラウスの歌曲は6曲あったようだが、
「あなたの歌が聞こえた時」など、
2曲が収録されていない。

「ブラームスもまた、
女声のための歌曲が少ない作曲家であった。
それらの多くは、
重要な『かいなきセレナード』や、『子守歌』
のように民謡の編曲であり、
また、『セレナーデ』や『少女の歌』のように、
民謡のスタイルである。」

このCDでも2枚目のシューベルト、シューマンに続いて、
ブラームスが取り上げられている。
CD2のTrack16は「セレナード」作品106の1。
シューベルトのような流麗なものではない。
クーグラーの詩で、3人の学生の軽妙な求愛の歌と、
それを耳にした娘が、恋人の事を思い出すという皮肉なもの。

CD2のTrack17は「娘の歌」作品107の5。
ハイゼの詩による、感傷的なもの。
糸つむぎの少女たちと若者たちの騒ぎの中で、
相手がいない娘が虚しく回すつむぎ車。
晩年のピアノ曲に繋がる、虚無的な響きが痛い。

CD2のTrack18は「甲斐なきセレナード」作品84の4。
民謡である。
当然のように入って来るようになった恋人を、
追い返す少女の歌でスパイシーである。

CD2のTrack19は、有名な「子守歌」作品49の4。
心置きなく美声を聴かせて、
シュトライヒも、居心地が良さそうである。
ピアノ伴奏も深い音を響かせている。
ここには、皮肉屋ブラームスのスパイスもない。

「フーゴー・ヴォルフは別問題である。
リタ・シュトライヒは、明らかに自らの選択により、
『ミニヨンの歌』などを、彼女の守備範囲を超えたものと考え、
ライニックなどの詩によるものや、
『秘めた愛』、『無愛想』など、
初期の歌曲に集中的に取り組んだ。
『子守歌』は珍品で、実際は、
1878年5月20日にヴィーンにて、
同様のタイトル『まどろみの歌』の題で、
ピアノ曲として書かれたものである。
1909年、音楽雑誌にて、『子守歌』として出版され、
1910年同じタイトルでショット社によって出された。
声楽曲としてのアレンジは、
エンガルバート・フンパーディンクによってなされ、
歌詞は妹のアーデルハイド・ヴェッテのものである。」

ヴォルフの歌曲は、CD1に4曲、問題の「子守歌」は、
モーツァルトとシューベルトが終わって2曲目、
Track18に入っている。57年のモノラルである。

CD1のTrack17「どうやって幸福を表わそう」。
ウェルバの繊細なピアノが、
完全に違った世界が始まったことを知らせる。
シュトライヒの歌も伸びやかで洒落ている。

CD1のTrack18「子守歌」。
「子守歌」は成立事情が混み合っているらしいが、
是非、歌曲にしたくなるような平易な曲想。
ヴォルフ的な皮肉な様相も皆無。

CD1のTrack19「若い少女」。
CD1のTrack20「おやすみ」。
いずれも、楽しく素直な歌、
あるいは素朴とも思える歌が歌われ、
シュトライヒも構えることなく、
このひとときを楽しんでいる。

また、ヴォルフは、CD2にも4曲、1960年4月のものがある。
アイヒェンドルフ、ゲーテ、メーリケという大家の詩によるもの。
CD2のTrack20「秘めた愛」。
切ない表現、ピアノのきらめきが涙を誘う。
CD2のTrack21「からかい」。
軽妙な羊飼いの娘の高ぶる心。
CD2のTrack22「改心」。
過ぎた愛の悲痛な表現。
CD2のTrack23「庭師」。
先の歌の緊張感を解放する明るく、
伸びやかな歌唱である。

「リヒャルト・シュトラウスの妻は、
バイエルンの将軍の娘で、
ソプラノ歌手のパウリーネ・デ・アーナであった。
従って、女声用の作品が歌曲に多いのは当然で、
1900年頃に書かれ、
オペラ作曲家として立つ以前のものである。
デーメルの詩による『子守歌』のように、
音色とリズムで魅了するもの、
風刺の精神による、侘びしい『いやな天気』や、
作品68からのブレンターノ歌曲など、
多くはショウピースである。
リタ・シュトライヒは、
元気のよい歌や単に効果狙いの曲に対し、
控えめなアプローチを取っているが、
『子守歌』では、控えめな歌ながら、
デリケートで悲劇的な繊細さで、
印象的な表情で歌っている。」

シュトラウス歌曲は、CD1にウェルバ伴奏のもの3曲がある。
CD1のTrack21、「星」作品69の1
伸びやかな、声の美しさを堪能させる音楽。
しゃれた転調や、アクセントのピアノのきらめき。

CD1のTrack22、「単調さ」作品69の3
彫琢を極めたピアノの綾の中に、
声が縦横に絡んでいく。

CD1のTrack23、「いやな天気」作品69の5
不機嫌で傍若無人な楽想が、次第に軽妙なものに変容していく。

また、CD2にヴァイゼンボルンの伴奏のもの4曲が、
分けられて入れられている。

CD2のTrack24、「心の鼓動」作品29の2。
シュトライヒの声も、広がる青い草原を越えて行く。

CD2のTrack25、「子守歌」作品41の1。
デーメルの詩による有名な歌曲である。
驚いた事に、少々、速めのテンポで、清潔な歌。
昔から、シュヴァルツコップなどで聴いて来たものとは、
かなり違う印象で、耽美的すぎず、
むしろ切実な印象を受ける。
こんな名曲がたっぷり収録され、
まことに有り難いアルバムである。

CD2のTrack26、「アモール」作品68の5。
これは、かなり高音を駆使するショウピースであるが、
ブレンターノの詩により、軽妙なものとなっている。

CD2のTrack27、「夜に寄せて」作品68の1。
このアルバム最後の1曲も、ブレンターノの詩による。
夜の安らぎを熱望して熱い。
シュトライヒの声にも火照りがある。

得られた事:「リタ・シュトライヒは、その出自ゆえか、遠くに思いを馳せる夢幻的な歌に威力を発揮する。」
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by franz310 | 2009-12-05 23:53 | 歌曲