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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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カテゴリ:古典( 140 )

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その442

b0083728_22165366.jpg個人的経験:
フランソワ1世の時代
(在位:1515年-1547年)
の時代に活躍した、
フランスの作曲家では、
日本では比較的有名な
クレマン・ジャヌカン
(1480年頃-1558年)
の他に、あまり知られていないが、
いろいろな本を眺めると、
クローダン・ド・セルミジ
(1490年頃―1562年)
という人が重要らしい。


私は、この人の名前を聴いた記憶がなかったが、
ジャヌカンがそれほど要職にはなかったのに、
フランソワ1世の宮廷礼拝堂の楽長であり、
同時代の作曲家よりは、
優雅で洗練され、ポリフォニーからの脱却が見られ、
イタリアの作曲家にも影響を与えた、
などと書かれると聞いてみたくもなるというものだ。

いろいろ探してみたが、
セルミジの作品が入ったCDは、
結局、ジャヌカン・アンサンブルが、
1981年と、四半世紀も昔に録音したものしか、
入手できなかった。

しかし、セルミジのものは、
以下のように10曲も入っている。

このCDにつけられた、
日本語解説によると、
「フランソワ1世の時代はシャンソンの黄金時代」
とか、
「セルミジは、王室礼拝堂の音楽家としては最高の地位」
にあったとか、
「詩人クレマン・マロの新しい詩の活動に刺激を受け」
とあって、このマロの詩による
新様式で書かれたものが、
4曲収められているとか、
かなりそそられる感じである。

新様式のものは、
最上声部に親しみやすい
ホモフォニックな音楽を付けているという。

岩波現代文庫の
「曲説フランス文学」(渡辺一夫著)
によると、フランソワ1世の周りには、
数多くの才女がいたようで、
「三人のマルグリット」というのが、
当時の文芸の記録を残していたりして有名らしい。

王の娘のマルグリット、
王の孫娘のマルグリットにも増して重要なのが、
ナヴァール公妃、姉のマルグリットらしく、
マロを庇護したなどと書かれている。
マロは中世伝来の詩形に、
新しい趣向をくわえた人としての紹介しかないが、
フランソワ1世の生きた環境を彷彿させる。

Track.2:
「あなたは私を悩ませる」
これは、マロの詩によるものらしいが、
とても、神妙な感じの歌で、
「あなたは手紙もくれないが、
気持ちを変えるくらいなら死んだ方がましだ」
という内容。
リュートが分散和音を補って、
しみじみした情感をかき立てる。
ここでは、つれない女性について嘆いているが、
ナヴァール公妃の肖像画を参考にしてもよかろう。

「エプタメロン」などを執筆した文人で、
「平和女王」とも呼ばれるこの人は、
コレージュ・ド・フランス(高等教育機関)の
設立の支援もしたようで、
さすが、理知的な美女に見える。

Track.3:
「私にはもう愛情はない」
これは、まるで斉唱されているかのような、
平明で静かな音楽だが、
詩は、愛だの恋だのに疲れたという
内容のようだ。

Track.4:
「私にはもう愛情はない」(ル・ロワ編)
上述の曲のリュート版である。

Track.5:
「ラ・ラ・ピエール先生」
これは、ジャヌカン風に活発な、
戯れ歌みたいな感じ。
詩を読むと、酔っ払いの歌である。

Track.7:
「助けて下さい,愛するいとしいひとよ」
これもマロの詩によるもの。
「あなたが来てくれないと死ぬ」、
という情けない詩で、
よわよわしい歌。
「これほどの辛さはあなたにはないでしょう」
と恨み節で、リュートの伴奏が、
うらぶれた感じを出している。
Track.2といい、マロの詩は、
冷たい女性が基本テーマなのだろうか。

Track.12:
「どうしてあなたは」
これもマロの詩による。
「もうあなたには恋人がいらないようですね」
とか、これまた、冷たい女性に対する、
情けないめそめその歌。
確かに、ホモフォニー的に、
しっとりとしたメロディが流れ、
あきらめきれない恋心を、
さらにかき立てるような趣向になっている。
こんな音楽をサロンで披露したら、
確かに寵児となるだろう。

Track.15:
「ああ、悲しいこと」(ミラノ編)
リュート独奏曲。
メロディを支えるポリフォニックな音の交錯が美しい。
セルミジはイタリアの作曲家にも影響を与えた、
とあったが、ミラノはイタリアの作曲家ではないか。

Track.17:
「私はあなたに楽しみをあげましょう」
これもマロの詩による。
これは、旅立ちの歌であろうか。
「私が死ぬときには、あなたの事を思い出します」、
という切々とした嘆き節に、
「あなた以外は愛しません」という、
心に迫る「応答歌」が後半に続く。

まるで、ダウランドの歌曲のような情感、
セルミジの歌では、私は、これが一番、感じ入った。

Track.18:
「きれいな森の金盞花の陰に」
再び、めそめそ調の歌で、
失恋の嘆きに恨み節があけすけである。
ただ、音楽は、高らかに声を上げて、
ほとんど斉唱のように訴えている。

Track.19:
「あなたはわたしがそれで死ぬっていったけど」
は、「嘘つきね」と続く女性の非難の歌で、
かなりジャヌカン風で、猥雑な感じがする。

以上、セルミジは、比較的上品ながら、
すこし弱弱しいジャヌカンという感じがした。

さて、ここに収められた残りの曲はジャヌカンのもの。
このCDには、セルミジだけが入っているわけではなく、
やはり、この団体の名前となり、
得意としたクレマン・ジャヌカンの作品が、
数多く収められているのである。

そもそも、日本で出た時に、
「16世紀パリのシャンソン集」などと、
タイトルを高尚な感じに改めているが、
原題は、最初に収められた曲から、
「パリの物売り声」というもので、
「ジャヌカンとセルミジのシャンソン」が副題なのだ。

このCD、94年にキングレコードが出した時に、
日本語解説を付けたもので、
歌詞が和訳されていてありがたいが、
私は、実は、ここで大きな困惑を味わう事となった。

その困惑は、まったくもって冗談ではなく、
完全にブログ更新が出来なくなるほどであった。

前回、ジャヌカンのシャンソンを、
このジャヌカン・アンサンブルは、
メンバーを変えて、80年代と90年代に、
2回録音しているような事を書いて、
2枚のCDを紹介したが、
どちらにも、ここではメインとなっている
「パリの物売り声」は入っていなかった。

とり急ぎ、まず、これは聴いてしまおう。

Track.1:
「パリの物売り声」
描写シャンソン、標題シャンソンとか、
解説で説明されているが、
基本的に「鳥の歌」などと同様の、
物売り版と言ってよい。

どんなものが食べられていたかがわかる、
とあるが、まさしく、その通りで、
ワイン、ミルクといった飲み物から、
ソラマメやホウレンソウのような野菜や、
桃やオレンジなど果物の他、
お菓子のたぐいも売られていて、
あまり、今の暮らしと変わらない感じがする。

フランソワ1世は、カール5世との戦争では、
よく、焦土作戦をとったが、
今と変わらぬこうした生活が、
そこにはあったのだなあ、などと考えさせられる。

Track.6:
「ある夫が新妻と」
Track.8:
「美しい乳房」
Track.9:
「さあ、ここにおいでよ」
は、我々が想像するジャヌカンに近い、
きわどい歌詞のものだが、
こうしたものが、セルミジに挟まれて歌われると、
いかにも、ジャヌカンがパワフルであるかがわかる。

が、Track.8は、マロの詩によるらしい。
理想は「小さな象牙の玉」だということだ。

Track.10:
「戦争」
が、問題で、これは、90年代に
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)
アントワーヌ・シコ(バス)、
のメンバーで録音しているのに対し、
今回のCDには、80年代の、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
が入ったメンバーで歌われている。

つまり、80年代にジャヌカン・アンサンブルは、
日本でヒットした「鳥の歌」とほぼ同時に、
ジャヌカンのもう一つの有名曲、「戦争」も録音していた、
という、ただ、それだけのこと。

また、ジャヌカン・アンサンブルが取り上げていない、
と書いた、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」も、
こちらのCDには入っていた。
重大な見落としがある状態であった。

しかし、それだけの事、
とも言い切れない事態が発生した。
前回のCDでは、斉藤基史という人が解説していたが、
今回のCDは、音楽史家の今谷和徳氏が解説している。

「戦争」というシャンソンは、
若き王、フランソワ1世の率いる
フランス軍の戦いを描いたものだが、
前に聴いたCDの歌詞対訳には、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
あまりにも物騒な訳が付いていたのに、
今回のものは、そんな言葉が入っておらず、
「敵は壊滅した」とかしか書かれていない。

そして、ひょっとして、
歌われる歌詞まで違うのかと、
いくら、耳を澄ませても、
どちらも同じ歌詞に聞こえ、
「ブルゴーニュ」という言葉は出てこないようなのだ。

斉藤基史という人は、ブルゴーニュ嫌いなのか、
いったい、いかなる根拠で、こんな歌詞が、
日本語対訳になっているのだろうか、
そもそも、ブルゴーニュだって、
フランスではないのか、
と頭を悩ませているうちに、
中世をにぎわした英仏百年戦争やら、
ブルゴーニュ問題やらの本を読み進めると、
わからないことが芋蔓式に出てきた、
という塩梅である。

そもそもブルゴーニュはフランスか、
という問題からして難しい。
佐藤賢一氏の言葉では、
「複雑怪奇な主従関係で結び合わされた
無数の領主の集合体」(「英仏百年戦争」(集英社新書))
なるものが、
中世のフランス王国だったということだ。

このフランソワ1世より400年も昔のこと、
12世紀、フランスの北西に勢力を持っていた
アンジュー伯は、イギリスに植民地を持つ、
ノルマンディー家のマチルドと結婚したことで、
英仏にまたがる領地を得た。

さらにその息子アンリは、
南西フランスに領地を持っていた、
アリエノールと結婚したことで、
巨大帝国を築き、イギリス王ヘンリー2世となった。

つまり、このフランス伝来の英国勢力、
プランタジネット家が、
大陸側への覇権を唱え続けたのが、
百年戦争と言えるようなのだが、
フランソワ1世が出るヴァロワ家とは、
ややこしい因縁の関係にあった。

つまり、ヘンリー2世から5代あとの、
エドワード2世は、ヴァロワ朝の前の、
カペー朝フランスの最後の皇帝の
姉を妻としたりしており、
その息子エドワード3世が宣戦布告、
この家系の分家である
ランカスター家が没落するまで、
何代にもわたって英国王は、
フランスとの戦争を繰り広げたのである。

カペー王朝の男系が途絶えたという事で、
フランスは、王朝が代わる時の転換期であり、
ヴァロワ朝の初代フィリップ6世から、
5代続いて、この挑戦を受けなければならなかった。
王朝の基礎を築くための試練でもあろうか。
緒戦はイギリス優勢であったが、
最終的には、ジャンヌ・ダルクのような例もあって、
フランスは大陸からイギリス勢力(といっても、元はフランス出)
を追い払ったのである。

これによって、フランソワ1世の代には、
南のイタリア方面に野心を燃やすことが出来るようになった。

英仏百年戦争に戻ると、
初めのころ、天下分け目の大戦のような感じで、
クレシーの戦い、ポワティエの戦いとあって、
これらはすべて、
フランス王軍側の徹底的な大敗で終わっている。

ポワティエの戦いでは、
全軍が総崩れする中、
ヴァロワ家二代目のジャン2世が孤軍、
末の息子のフィリップが励まし続けたので、
フィリップは褒美として、
母親が相続していたブルゴーニュ公領を、
彼に譲った。
この瞬間が歴史の転換点である。
(ちなみに、ブルゴーニュには、
侯領と公領があるようだが、
ややこしいので省略する。)

このフィリップ豪胆公は、
さらにフランドルの領主の娘と結婚した事で、
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと、
ブルターニュ地方といった、
ドイツとフランスの間に、
第三の王国を築く足がかりを得た。
このブルゴーニュ公国ともいえる勢力は、
四代目のシャルル突進公の代に、
フランスに対抗してその野心最大となった。

この頃、絵画、音楽にフランドル派が出た事から、
このブルターニュ公国に興味を持つ人は多く、
ホイジンガの「中世の秋」のような、
魅力的な読み物が、約100年前に出ている。

日本でも、これを訳した堀越孝一教授などが、
このあたりの歴史を幅広く紹介している。

b0083728_22163342.jpg特に講談社現代新書にある
「ブルゴーニュ家」は、
読みにくさから言って
ぴか一の書物で、
私は、何度も
投げ出そうと思ってやめ、
何とかラインマーカーで
線を引きまくって読み終えた。

この本だけでは、
いくら読んでも、
おそらく、
ブルゴーニュ侯家(公国)の
概略すらわからないだろう。



どうして、ここまで、わけのわからない書物が出来たのか、
と、「中世の秋」を読んでみると、
その理由がよく分かる。
堀越教授は根っからの中世おたくで、
中世人になりきっているものと思われる。
堀越訳で読むと、
「制限ということを知らず、統一を生み出すことがない」
のが中世的なのであった。

教授の書いた「ブルゴーニュ家」は、
4代のブルゴーニュ侯を、時系列に描くことはせず、
下記のように、いろいろな切り口で、
この国だか領国だかで起こった事を、
書き連ねているのである。

1.ガンの祭壇画(主に三代目の話)
2.三すくみのフランス(初代の話)
3.アラスで綱引き(主に三代目の話)
4.おひとよしはネーデルラントの君主(三代目の話)
5.王家と侯家の通貨戦争(主に三代目の話)
6.ブルゴーニュもの、フランスもの(二代~四代目の話)
7.もうひとつのブルゴーニュもの、フランスもの(同上)
8.金羊毛騎士団(主に三代目の話)
9.むこうみずの相続(主に四代目の話)
10.垂髪の女たちのブルゴーニュ侯家(主に四代目の話)
11.ねらいはロタールの王国か(四代目の話)
12.シャルルの帰ってきたとき払い(四代目の話)

ただ、年表や地図が充実しており、
これを見ているだけで楽しい。
(その方が混乱せずにすむ。)

例えば、第3章の最後に、
「ブルゴーニュ侯フィリップ二世は、
さて、いったいだれに対して、
またなにに対して『おひとよし』であったのか。」
と書かれているが、
その答えが、
続く、第4章に書かれているわけではなかったりする。

そもそも、「おひとよし」と、
「善良侯」を訳しているのは、
あなたでしょ、とも言いたくならないか。

また、文中、「アラス」という言葉が頻出して、
拾い読みしていると、何のことかわからずイライラするが、
これは、先の「おひとよし」の三代目が、
1435年に、アラスという街でフランス側と同意して、
イギリスを仲間はずれにしたという点で、
英仏百年戦争を長引かせた三角関係のこじれに、
一応、めどが付いた事を指す。

いずれにせよ、この本、どこの部分を読んでも、
なぜ、こんな事を読まされるのだろうか、
という疑念が付きまとう内容ばかりであるが、
当時の画家、ヤン・ファン・アイクが、
祭壇画に、どうしてこまかく、
いろんな対象物を書き込みすぎたか、
といった問題と同じ事と考えればよさそうだ。

この「ブルゴーニュ家」という本、
面白かったのは、「おわりに」の部分で、
シャルル突進公の最後を、
ドイツの作家、リルケが書いている事を引用する部分で、
私は、この闇雲に、
幻の欧州縦断国家を創設しようとした男の情熱、
そしてその夢の終わりに思いを馳せた。

シャルルは、ハプスブルク家に近づき、
神聖ローマ帝国の皇帝の座すら狙っていた、
などともいわれる。

シャルル公死後、一人娘のマリーもまた、
フランスから逃れるかのように、
神聖ローマ帝国皇帝の息、マクシミリアンと結婚する。
この夫婦の孫が、名君カール5世で、
カールの名は、曾祖父シャルルを受け継いだものらしい。
そして、この「むこうみず」の夢の通り、
カール5世は、日の沈むことなき帝国の主となるのである。

改めて思えば、ホイジンガの「中世の秋」も、
最初は、「ブルゴーニュの世紀」
という内容で書き始められながら、
最終的に中世末期の文化一般を論じる本になったという。
この本とて、百年戦争の概要を掴んでないと、
何だかわからない読み物の集合体
のように感じられるかもしれない。

さて、この中世の秋にも、
このCDで取り上げられた、
ジャヌカンが出て来るのである。
ジャヌカン(1485?-1558)は、
前述のように、フランソワ1世の時代の人なので、
ブルゴーニュの世紀(1356-1477)が、
終わった頃に現れる人なのだが。

ホイジンガの本では、
第14章「美の感覚」に、
このように紹介されている(堀越孝一訳)。
「十六世紀のはじめ、ジョスカン・デ・プレの弟子
ジャヌカンの『作品集』は、
さまざまな狩りの光景、
一五一五年、ミラノ近郊マリニャーノで、
スイス傭兵隊とフランス、
ヴェネチア連合軍とのあいだに戦われた
マリニャーノの戦いの喧騒、
パリのもの売りの声、
「女たちのおしゃべり」、
鳥のさえずりを、音楽に仕立て上げている。
かくのごとく、美概念の分析は、ふじゅうぶんであり、
感動の表現は、表面を流れてしまっている」。

ということで、100年前のホイジンガには、
ジャヌカンの音楽などは、
何か皮相なものとしか聞こえなかったようである。
それにしても、彼は、誰の演奏で聴いたのであろうか。

そもそも、ジョスカンとかジャヌカンとか、
日本では、ここ30年ほどの間に知られるようになった作曲家が、
ほいほい出て来るところに、
驚いてしまった。

これは、シャルル突進公が音楽愛好家であったからで、
やはり、歴史家たるもの、
その頃の音楽を研究せざるを得なかった、
ということであろう。

ここでも書かれているとおり、
「マリニャーノの戦い」で、
ブルゴーニュをやっつけろ、
と言う歌詞が出て来るのは、
どうも自然ではないが、
フランソワ1世の最大の敵が、
カール5世であり、彼が、もともと、
ブルゴーニュ侯国ゆかりの血筋、
ということであるのなら、
ありえない話ではないのかもしれない。

長々と書いたが、
同じキングレコードから出たCDで、
このように異なる対訳が付いていたおかげで、
私の中世への興味がいや増してしまった、
という事である。

なお、このCDの解説には、
セルミジは、「これまでのブルゴーニュ風のシャンソンに代わる
新しい様式のシャンソンを、宮廷の人々のために生み出した」
とあり、あくまで、フランスにあって、
ブルゴーニュは克服すべき何かであったことがわかる。

脱線したが、続きを聴いてしまおう。

Track.11:
「ヴェルノンの粉ひき娘は」
「ティルティルティルどんどんどん」という、
面白い掛け声の挟まれる戯れ歌。
楽しい。

Track.13:
「愛と死と人生は」
これは、セルミジ風に、抑制された歌だが、
「人生は死を望み、死は生きる事を望む」
という、歌詞が興味をそそる。

Track.14:
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
この曲は、ジャヌカンの代表作と呼んでも良いくらい、
おもしろく、楽しい音楽だが、
ジャヌカン・アンサンブルは、
あえて羽目を外すような表現で、
素晴らしい活力を与えたが、
すこし、メロディがわかりにくくなった。

Track.16:
「すてきな押し込み遊び」
楽しくてたまらない、といった感じの、
いかにものジャヌカン。
早口言葉にリズムが弾け、
破裂音の感触もぞくぞくさせるものがある。

得られた事:「ホイジンガの『中世の秋』は、100年ほど前に書かれたが、ここでも、ジャヌカンは取り上げられていた。」
「フランソワ1世の周りには、理知的な才女が多くいて、こうした環境が、マロの詩やセルミジの抑制された恋を歌う音楽の土壌となった。」
「フランス宮廷は、ブルゴーニュ風のものからの脱却を狙った。ブルゴーニュは、少し前まで、フランスとドイツの間で、独特の文化を誇っていた。」
[PR]
by franz310 | 2017-01-08 22:20 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その441

b0083728_17173567.jpg個人的経験:
クレマン・ジャヌカンは、
「16世紀のフランス・シャンソン
の分野における最大の作曲家」
などと書かれる事が多く、
事実、彼の名前を戴いた、
フランスのヴォーカル・グループ、
アンサンブル・クレマン・ジャヌカン
は、ジャヌカンのみならず、
フランドル派から、
モンテヴェルディに至る、
様々な作曲家の作品を
多方面にわたって紹介したので、
ジャヌカンがこれらの総領のような
イメージを与えてもいる。


ちなみにこのグループは、
日本では、ジャヌカン・アンサンブルと呼ばれ、
ジャヌカンの代名詞のような、
「鳥の歌」をおさめたLPを
1980年代初頭に出した(ハルモニア・ムンディ)。

この録音は、音自体が優秀であり、
ジャヌカンの名前を広めたものでもあって、
古典的名盤と言ってもよく、
一世を風靡したと言ってもよい。

1996年に出た、
「古楽CD100ガイド」(国書刊行会)にも
当然のように取り上げられて、
「目の醒めるアンサンブル」と書かれているし、
1997年の音楽之友社、
「不滅の名盤800」には、
「Early Music」の60枚ほどに、
この一枚は選ばれ、
「面白さは卓抜だ」と、
いずれもいかにも、といった、
我々の頭に刷り込まれてきた文言が、
鮮烈に並んでいる。

この録音、内容は、
以下の20曲で、
もう一つの代表作「戦い」が入っていなかった。
1. 「鳥の歌」*
2. 「夜ごと夜ごとに」*
3. 「のぞみはゆるぎなく」*
4. 「その昔、娘っ子が」*
5. 「悲しいかな、それははっきりしたもの」
6. 「ある日コランは」
7. 「ああ、甘い眼差しよ」*
8. 「ひばりの歌」*
9. 「もしもロワール河が」
10. 「ああ、わが神よ」*
11. 「私の苦しみは深くない」*
12. 「ああ、あの苦しみよ」*
13. 「草よ、花よ」
14. 「盲目になった神は」
15. 「この美しい5月」*
16. 「満たされつつも」
17. 「とある日、さるひとが私に言うに」
18. 「ある朝目覚めた私」*
19. 「私の愛しいひとは神の贈り物を授かっている」
20. 「うぐいすの歌」*

メンバーは、
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)。

彼らは、そのあと、
「狩りの歌/ジャヌカン・シャンソン集」
を1990年代に出していて、
下記のように、ここには「戦争」(戦い)も含まれる。

1. 「女のおしゃべり」*
2. 「行け夜鳴きうぐいす」*
3. 「たったひとつの太陽から」
4. 「美しく緑なすさんざしよ」*
5. 「神々のガイヤルド」
6. 「ぼくには二重の苦しみが」*
7. 「緑の森に私は行くわ」
8. 「すぐまた来なさい」
9. 「こちらの側には名誉が」
10. 「空を飛ぶこの小さな神様」*
11. 「ブルゴーニュのブランル」
12. 「戦い」*
13. 「絶えた望み」
14. 「かわいいニンフ」*
15. 「どうしてその目を」*
16. 「当然のこと」*
17. 「ファンタジー」
18. 「花咲けるさんざしの上で」*
19. 「この五月」*
20. 「ああ、君は楽しいの」
21. 「大胆で軽やかな風よ」*
22. 「ブランル・ゲ」
23. 「もうぼくは以前のぼくでは」*
24. 「修道士チボー」*
25. 「狩りの歌」*
カウンターテナーのドミニク・ヴィスと、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)だけが一致。

ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)が入れ替わり、
ソプラノのアニエス・メロンが入っている。

そして、21世紀になってから、
これらの旧録音から、
いいとこどりしたのか、
27曲からなる、
「鳥の歌・狩りの歌~ジャヌカン:シャンソン集」
というCDを、
ハルモニア・ムンディ・フランス・ベスト25
という形で、出しなおしている。

これは、オリジナル盤の、
強烈な写実風ジャケット絵画とは、
かなり異なる方向の絵画を表紙に選んでおり、
まったく、別のCDとなっているのが、
少々罪深いような気がする。

「Chasse au sanglier」と題された、
しかし鮮やかに美しいミニアチュアで、
15世紀中葉のものだとあるから、
ジャヌカンを飾るには古雅にすぎるだろう。
オリジナル盤のブリューゲルの方が、
生々しい曲想には近いかもしれない。

「いいとこどりしたのか」と書いたが、
私にはよくわからない。
とにかく、上記*印が、選ばれた曲である。
前者からは8曲が落ち、
後者からは10曲も落ちているから、
ジャヌカンの愛好家なら、
納得できない部分もあるはずだ。

例えば、「音楽の友」の付録で、
1980年代に出た「作品小事典」では、
ジャヌカンのシャンソンを50曲も解説していて、
上述のうち、*がつかなかったもののうち、
「ロワール河」や、「緑の森」なども、
取り上げられているから、
また、前に聴いたセイ・ヴォーチェ盤、
後述のラヴィエ盤にも収録がないだけに、
残念な気がする。

ただし、
前回聴いた、セイ・ヴォーチのCDは、
21曲のみ、わずか48分のものだったから、
71分も収録したこの盤は、
そこそこ良心的なものかもしれない。

一方、「作品小事典」に出ていて、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」や、
「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」は、
セイ・ヴォーチ盤には入っていて、
収録時間が短めだといって、
これはこれで見識ある選曲なのだろう。

それにしても、さすがに、
個性派と鳴らすヴィスの声の力は強靭である。
男声アンサンブルに対して放たれる、
後光のように冴えた声を聴かせてくれ、
ドゥボーヴのリュートも存在感が頼もしい。

セイ・ヴォーチは、
器楽伴奏も交えての立体感もあって、
どっちのCDがお勧めとも言い難い。

が、「鳥の歌」という代表作は、
機知は感じられても、
私には、それほど名曲とも思えない。
「季節はこんなにいいのだから」
と、鳥たちが囀るにしては、
最初の警句、
「目をさましなさい、眠り込んでいる心よ」
のアクセントが強烈すぎて、
まったく、「よい季節」のさわやかさが感じられない。

今回のCDに入っている
表題となっていた「狩りの歌」なども、
歌詞もたわいもなく、声の技巧に驚き、
当時の狩りの様を思い描く楽しみはあるが、
そんなに重要な作品とも思えない。
7分の大曲でもある。
「女たちのおしゃべり」も7分もかかり、
当然ながら、やかましい。

このCDでは、斉藤基史という人が解説で、
「夜ごと夜ごとに」、「もう以前の僕では」、
「この美しい五月」などを、
しっとりとか、愛らしいとか書いて特筆しているが、
確かに、前二者は、
セイ・ヴォーチェ盤にも収録されていて、
私も楽しんだ。
「夜ごと夜ごとに」は、セイ・ヴォーチェ盤は、
器楽伴奏も入ってロマンティック、
ジャヌカン・アンサンブルは、
切り詰めた中にも陰影が豊かである。

その他、「ひばりの歌」という、
誹謗中傷差別用語満載で有名なシャンソンは、
さぞかし、日本語対訳が大変であっただろう、
と予想されるが、
このジャヌカン・アンサンブル盤で聴ける。

また、「美しく緑なすさんざしよ」や、
「かわいいニンフ」、「どうしてその目を」といった、
フランスのルネサンス期の詩人の大家、
ロンサールを歌詞にした、
ハイソな作品が収められているのも良い。

ここでは、アニエス・メロンのソプラノが、
愛らしく響くのもうれしい。

こう見てくると、
このジャヌカン・アンサンブル盤は、
そこそこの満足度であるが、
「盲目になった神は」が含まれないのは、
失敗ではなかろうか。
この曲は、晩年の美しいミサ曲の元になった事で、
重要な作品だからである。
(一説によると、器楽版だったので削除か?)

また、収録されていないもので、
最も残念なのは、やはり、
「マルタンは豚を市場に連れていった」
となるかもしれない。

セイ・ヴォーチェ盤は、
解説でもこの曲のいかがわしさを取り上げ、
演奏でもオリジナル版と器楽編曲版の
両方をおさめる念の入れようであった。

こうした器楽と声楽の変化が楽しめるのも、
セイ・ヴォーチェ盤のメリットである。
器楽は、アンサンブル・ラビリンセスが担当していた。

b0083728_17192023.jpg器楽版と声楽版を冒頭から、
徹底的に活用したCDとしては、
ASTREEレーベルから出ていた、
フランス・ポリフォニー・アンサンブルの
ラヴィエ指揮のものがある。

このCD、表紙の絵画がこれまた美しい。


ブールジュのラレマント・ホテルにある、
「Concert vocal」という、
16世紀の作品らしいが、
この演奏の特徴をよく表している。

女声が高音を担い、
早口言葉の技巧を要する曲が選ばれていない。
「鳥の歌」も「戦争」もなし。

指揮をしているラヴィエは、
解説でも、悩みまくり。
「現在において、
ジャヌカンの音楽を解釈、演奏する際、
器楽とその役割の問題に突き当たる。
どのような選択をも正当化する
ドキュメントがないのである。
従って、この問題は、
非常にデリケートなものだ。」

彼は、内的な必然性によるしかない、
として、私のコンセプトは、
音楽の文脈の豊富な研究による、
と言っている。

が、一聴して、そんな事以上に、
重要な問題が看過されている、
と感じてしまうのが、
この演奏ではなかろうか。

実にこれは、
とんでもないCDとも言え、
こともあろうか、
残響豊かなパリの教会で録音されている。
ジャヌカンの卑俗な世界が、
完全に換骨奪胎状態で、
美しく鳴り響くさまは、
完全に確信犯的な暴挙とも思えるが、
1976年の録音とあれば、
あるいは、こうしたジャヌカン像が、
当時はあったのかもしれない。


よく考えると、
このシャルル・ラヴィエという人、
フィリップスのLPで、
ラ・リューの「レクイエム」を、
これまた、ものすごく美しく演奏していた人ではないか。
当時、「たとえようもなく美しい」
とされた64年録音の名盤であったが、
おそらく今日的ではないだろう。

この録音はCD化もされたから、
おそらくたくさんの人が、
美しいステンドグラス風の表紙にも、
いろいろな想像を働かせながら、
ジャヌカンより一世代古い、
フランスの作曲家に思いを馳せたことだろう。

が、この録音の日本語解説(71年)を見ても、
ラヴィエの演奏は、
現代のハープやフルートを、
古いヴィオールなどに、
混ぜて使っていることが指摘されている。
当時から特殊なアプローチであると
認識されながら、
ある意味、絶対的な美しさを誇っていたのである。
ラヴィエは、この録音をもって有名であったが、
他に、どんなものを出しているか、
知っている人はほとんどいなかったと思う。

調べてみると、1924年生まれで、
1984年には、自殺しているのか。
ということで、古楽を率いて来た、
有名な世代より、少し上の人ということになる。

が、器楽部には、
ホプキンソン・スミス(リュート)や、
クリストフ・コワン(バス)といった、
次世代の名手が名を連ねているのだが。

ここには、「ある日ロバンが」という、
ジャヌカン・アンサンブルの盤にも、
セイ・ヴォーチェ盤にも含まれていなかった、
超やばそうな曲も収録されている。

作品小事典にも、「かなりあけすけ」とか、
「その内容を細やかに音によって描写」とか、
興味深い事が書かれているが、
ヴェロニカ・ディッチェイ(ソプラノ)、
アメリア・サルヴェッティ(メゾ)らが、
上品なさざ波の音楽としてまとめ上げている。

とにかく、極上のムードなのだ。
豊饒な響きに包まれて、
このCDは、しばし、
時を忘れてしまいそうだが、
ラヴィエは作曲家でもあるらしい。
デュリュフレの弟子なのではないか、
などといぶかってしまった。
ちなみに1902年生まれの
デュリュフレが亡くなったのは、
ラヴィエより後の1986年であった。

実は、ラヴィエの行き方と、
類似の指摘をした本として、
白水社の文庫クセジュから出ている、
「フランス歌曲とドイツ歌曲」がある。

エブラン・ルテール女史が、
1950年に出したものを、
1962年に日本語訳されたものが、
ものすごく読みにくいながら、版を重ねて、
まだ入手することが出来る。

ここで、ジャヌカンら、
フランス多声シャンソンは、
「わたしたちを芸術歌曲の
起源からそらせてしまう」
などと書かれている。

つまり、それらは優雅ではあるが、
ドイツの音楽のように、
みんなで歌え、親しみやすく、
誠意にあふれ、まじまなもの、
とは違うカテゴリーに分類しているようなのだ。

みんなで歌えない優雅な世界の極致が、
ラヴィエのようなアプローチではないだろうか。
卑俗な歌詞を無視して、あたかも、
教会の空間を厳かに満たす音楽。

b0083728_17224976.jpgこんな事を考えたのも、
そもそも聖職者であった
ジャヌカンが残した、
数少ない教会音楽であるという、
ミサ曲「戦争」が、
これまた、
ジャヌカン・アンサンブルで聴けるが、
よく吟味もせずに聴くと、
あまり面白いとも思えないからである。

そもそも表紙がいただけない。
戦士たちが密集しているが、
先の2盤のような爽やかさがない。

1994年の録音なので、
すでにシャンソンの2枚は出した後。

私は、ここでも、あのシャンソンのように、
激烈な早口言葉で、
悪魔を追い払う神の描写でもあるのか、
などと、勝手な妄想をしていた。
厳かな宗教の場に密着したミサ曲にも、
「主は栄光のうちに再び来たり、
生ける人と死せる人を裁き給う」
とか、
「万軍の神たる主、
主の栄光は天地に満つ」
といった、威勢の良いフレーズが
そこここに出てくるではないか。

セイ・ヴォーチェ、
ジャヌカン・アンサンブル、
両盤に収められている、
当時、大流行した、
ジャヌカンのシャンソンの名曲とされる、
「マリニャーノの戦い(戦争)」は、
妙にやかましい音楽であったが、
それを元にしたミサ曲は、
どうも何も起こらない音楽だ。

ところが、このミサ曲には、
そこまでの激烈なものはなく、
歌っている人や聴いている人が、
あ、これ知ってる、と思う程度である。

解説には、以下のような事が書かれている。
JEAN-YVES HAMELINEという人が書いている。

「カンタータとかシャンソンとも思しき、
壮麗に導き入れられるようなオープニングによる
ミサ『戦争』は、1532年にリヨンで、
ジャック・モデルネによって、
立派な装丁で、『高名な作者による』
6曲のミサ曲集として出版された。
それは、ジャヌカンのアヴィニョン時代に当たる。
シャンソン、『戦争』を知っていた歌手は、
ミサ全曲を通して現れる、
その進行や伝令調の音の感じを掴むのに、
困難はなかった。」

なるほど、「伝令調」とはうまく、
この曲の特徴を表している。
シャンソン、「戦い(戦争)」は、
「お聞きください、ガリアの皆様、
フランスの偉大な王の勝利を」
と伝令調で始まっている。

この後が、戦争の描写になるのだが、
「聞いてください、よく耳を傾けて、
四方からの雄たけびの声」という感じで、
いきなり聴衆を、
戦場に連れ去る工夫がなされているのだった。

ミサの最初の「キリエ」では、
「主よあわれみたまえ」が繰り返されるだけなのに、
空間をつんざくような
「キーリエ」が、
トランペットのように響き渡る。

シャンソンの方は、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
とても、博愛の教会とは相いれないような、
残虐、物騒なフレーズに向かって、
火縄銃だ、槍だ、大砲だ、と、
突進の早口言葉の応酬となるのだが、
こちらを、この曲の特徴と考えていてはいけなかった。

「しかし、もっともスリリングなポイントは、
おそらく、神の恩寵と作曲家の『機転』によって、
恐怖と身震いで聴かれた戦争の歌が、
単純、率直に『アニュス・デイ』の三度の繰り返しで、
平和の歌へと変わった『変換』であろう。」

アニュス・デイは、ミサ曲の終曲で、
「神の子羊、世の罪を除き給う主よ、
われらをあわれみたまえ」と歌われる部分だが、
二回目に現れる際には、
最初の伝令調は、すっかり鳴りをひそめ、
何やら喪失感、諸行無常すら感じさせている。

この解説は読んでみてよかった。
まるで、敵方への鎮魂にも聞こえてきたりして、
妙にジャヌカンの心情に触れたようで、
大いに納得してしまった。
ジャヌカンも50歳に近い。
二十年も前に書いたシャンソンも、
ヨーロッパ中に普及していった中、
その意味が変わってきていたかもしれない。

そして、三度めには、それをも超えて、
妙に大団円風の浄化作用が後光を放ち、
「戦争」ミサは、「戦争反対」ミサみたいになっている。

そもそも、フランソワ1世が、
大勝したとされる
1515年のマリニャーノの戦い以降、
イタリア進出の野望はくじけ気味になっており、
せっかく侵出したミラノも、
1521年には奪還されてしまった。

ちなみに、マリニャーノの戦いの翌年、
天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、
フランソワ1世のお抱えになっているが、
19年には亡くなっている。

1494年に、
先々代シャルル8世が始めた戦争は、
結局、半世紀以上も泥沼化して終わらず、
フランソワ1世も1547年には亡くなり、
次の代まで持ち越すことになって、
アンリ2世の代になってようやく、
1559年にイタリア放棄で終わっている。
なんのための戦いだったのか。
この王様は、しかも、そのすぐ後に不慮の事故で死去している。

ジャヌカンは、1485年頃生まれ、
1558年に亡くなっているので、
最後の最後は知らなかった事になるが、
ほとんどイタリア戦争時代の
一部始終を見て生きたことになる。
ルネサンスの花開いたイタリアは、
これによって荒廃してしまった。

僧職にもあったジャヌカンであるから、
勝った、負けた、といった普通の気持ちでは、
この経緯を見ていなかったはずだ。

教会で歌われる宗教曲モテットに、
ジャヌカンは、「われらの敵が集まりて」という、
これまた、きわどいタイトルのものを残しているが、
これは、このCDにも収められていて、
1538年の出版だとある
ジャヌカンは50歳を超えている。

これまた、「彼らの力を打ち砕き」とか、
「彼らを滅ぼしたまえ」というテキストを含むが、
曲想は清澄そのもので、
いかにも、「彼らが戦うのは神なる御身」という、
敵味方を超えた最後に繋がっていく。

単に、21歳の新しい君主が、
イタリアに攻め込んでたちまち快勝したという、
マリニャーノの戦いだけなら良かっただろうが、
そのあとは、ローマ略奪があったり、
何故か、イスラム教徒と手を組んだりと、
大義がまるでない泥沼が続く。
同じキリスト教徒が、
教皇などの思惑を超えて戦う意味を、
ジャヌカンは考えたはずである。

このCDの後半には、
ミサ曲がもう一曲、
それもジャヌカン最晩年のものが収められている。
「盲目になった神は」という、
自作シャンソンのメロディを使ったものとされ、
解説でも、「巨匠の平明さ、アルカイックな質感」
と称賛されており、シャンソンの繊細さが、
そのまま活かされた、
清らかな宗教曲になっている。
シャンソンがどんな歌詞だったのか知りたい。

ちなみに、ジャヌカンより10歳ほど若い、
フランソワ1世は、
この曲が出た1554年には亡くなっている。
ジャヌカンは70歳くらいである。

生涯をかけて戦ったのは、
ハプスブルクの名君、カール5世
(スペイン国王としてはカルロス1世)であったが、
カールの立場から言えば、
神聖ローマ帝国皇帝として、
西欧統一を果たそうとした野望の邪魔者が、
このフランソワ1世だったということになる。

得られた事:「卑俗さばかりで知られるジャヌカンであるが、イタリア戦争という戦国時代を生きた聖職者でもある作曲家だけに、宗教曲は清澄。」
「戦争を主題にしたはずのミサ曲は、最後の最後には反戦テイストに昇華されている。」
「こうした多面的な作曲家ゆえに、際どい内容のシャンソンを、教会で歌うという試みもなされ、それがまた、音としてはものすごいヒーリング効果を発揮している。」
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by franz310 | 2016-09-18 17:25 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その440

b0083728_20491859.jpg個人的経験:
黄金時代のスペイン音楽の
サヴァールらのCDに、
エレディア作曲の
「戦いのティエント」
というのがあって、
ミサの時に演奏された、
神と悪の戦いを表した音楽、
と記されていた。
TVもネットもない時代、
教会に集まって来た、
素朴な信者さんたちも、
それが、どんな戦いだったか、
などは共通の興味の
対象だったのだろうか。


それは、教会で、
「異常にドラマティックな
衝撃を与えたことであろう。」
と解説にあったが、これは、
「ジャヌカンの有名なシャンソン、
『戦争』の劇的効果の動機を使っている。」
とあった。

今回は、このジャヌカンのCDを聴いて、
このあたりの音楽状況を探ってみたい。
声楽アンサンブル「ア・セイ・ヴォーチ」が、
アンサンブル・ラビリンセスらと
アストレー・レーベルで録音した、
「音楽の果樹園」とでも訳すのだろうか、
アルバムが手元にある。
表紙も「愛の園」というイタリアの絵画。

ジャヌカンは、
今から5世紀も前の人であるが、
まさしく鉄砲伝来の時代の人、
とも、いえることになる。

ここに収められた、
シャンソン「戦争」で、
ぱーんぱーんとやっているのは、
それこそ、鉄砲の音であろうか。
だとすると、私たちは、
種子島の歴史と一緒に、
このジャヌカンの音楽も学ぶべきであった。

鉄砲を持ってきたのはポルトガル人だが、
ジャヌカンは、フランス人で、
大航海時代とは関係がなさそうに見える。

しかし、約100年後のスペイン、
アラゴン派の代表格ともされる
エレディア(1561-1627)
が、参考にしたというのだから、
何らかのルートがピレネーを超えて
つながっていたのであろう。

というか、鉄砲と一緒に、
伝わって行ったのかもしれない。

この鉄砲という代物は、
ちょろっと調べるだけで、
ややこしい問題をはらんでいるようで、
ポルトガル人が持ってきた以前から、
日本にも、いろいろあったのではないか、
という説が散見される。

そもそも、蒙古襲来時に火器に遭遇し、
苦しめられた日本人が、
それ以降、ポルトガル人が持ってくるまで、
こうした武器の知識がなかったとは思えない。
例えば、フィクションとは言え、
宮崎駿監督の「もののけ姫」でも、
火器が重要なアイテムとして登場しているが、
あれは、室町時代の設定であった。

また、ヨーロッパで火器が使われだしたのは、
百年戦争(1337-1453)の時代と言われ、
アステカ(1521滅亡)や
インカ帝国を征服(1572)する際は、
こうした兵器が使用されたとされる。
まさしく、ジャヌカンの生涯(1485-1558)は、
こうしたイベントの狭間にあるではないか。

しかし、多くの歴史の本は、
何万の兵が布陣したとか、
誰が加勢したとかは書いてあるが、
どんな武器で戦ったかなどについては、
よく書いていないので、
ひょっとすると、
今回のCDの方が、
情報量が多いかもしれない。

それにしても、こうした書物をめくっても、
どう考えても血なまぐさい時代である。
いかにも、と思いを馳せてしまうような、
猥雑で粗野で、活力ある音楽が演奏されていても、
まったくおかしくはない。

フィリップ・カングレムという人
(トゥールーズ大学の先生)が書いた、
このCDの解説には、
いったいどんな事が書いてあるのだろうか。

「『やかましい騒音を出そうとしても、
女性の醜聞を歌で表そうとしても、
小鳥たちの声を模倣しようとも、
彼が歌うものすべてにおいて、
素晴らしきジャヌカンは不滅、
彼は神がかっている。』
1559年に、詩人、アントイネ・デ・ベイフ
によって書かれた、この一節は、
後に全欧に流布した
この高名なフランスの作曲家、
クレマン・ジャヌカンの
典型的なイメージを、
よく描き出している。」

という書き出しからして、
いかにも、典雅な時代の人、という感じがするが、
すでに述べたように、
フランソワ一世は、戦争大好き王なので、
そんな時代だからこそ、
こうした神がかり的な不滅の芸術の道が、
求められたということかもしれない。

「その生地(シャテルロー)と、
1485年頃という生年以外には、
ジャヌカンの生涯の早い時期については、
一切わからず、
最初期の音楽教育を郷里で受けたと
推察されるのみである。
彼の最初の確かな情報は、
1505年からで、
当時、ボルドーの陪審員の議長で、
1515年からリュソンの司教を務めた、
ランスロ・デュ・フォーに、
ボルドーで務めていた事である。
1523年、司教が亡くなると、
ジャヌカンはボルドー司教、
ジャン・デ・フォアに仕えた。
この間、作曲家は1525年の
聖エミリオンのカノン、
1526年の聖ミシェルのCureを
作曲している。
1529年にデ・フォア司教が亡くなると、
ジャヌカンは僧碌を恐らく失って、
ボルドーを後にしている。
そのころまでに作曲家として、
彼はいくらか名声を得ていた。
前年、パリの楽譜出版者、
ピエール・アテニャンは、
彼のシャンソンを集めて、
一巻の曲集を出版している。
これが、アテニャンから、
定期的に作品が出版されるという、
特別な地位をジャヌカンが得た
時期の始まりであった。
1530年代の初めに、
1531年、オーシュのカテドラルに、
短い期間務めた後、
彼はアンジェに移り、
アンジェの聖堂の合唱学校に、
1534年から1537年まで務めた。
彼は、この街に1549年までいたが、
同年、パリに移った。
ここは、彼が、その前にも、
短期間滞在した事があったようである。」

さらりと書かれているが、
フランソワ一世の治世が終わり、
ジャヌカン自身も60歳を超えている。
が、彼には、まだ10年近くの余命があったようだ。

「彼は、しかし、宮廷には、
宮廷礼拝堂のchantre ordinaire du roiとなった、
1554年まで認められなかった。
最終的にのの死の二、三週間前に、
単に肩書だけであるが、
宮廷作曲家に任じられた。
彼は、1558年1月に、
遺言を認め、そのあと亡くなった。」

60歳を超えて再就職したのみならず、
名誉も手にして、遺言まで残せるとは、
遅咲き作曲家として、
着目すべき存在である。
ヴィヴァルディやモーツァルトなど、
前半飛ばして、後半腰砕けという、
作曲家はかなり多いような気がするが。

「これらのいくつかの伝記の断片からも、
ジャヌカンが、パリから遠く離れた
フランスの地方の教会音楽家だった、
と結論つけることもできるだろう。
しかし、その国際的知名度は、
その宗教音楽ではなく、
世俗曲『シャンソン』への貢献によるものである。
たった2曲のミサ曲と
1曲のモテットが残されているのに対し、
250曲のシャンソンが残されている。
実際、1533年に、
彼の作曲のモテット集が出版されたが、
彼が残した少ない教会音楽で、
この16世紀の教会音楽家としての
役割を追うことはできない。
一般的に、
ジャヌカンとその同時代人の、
クローダン・ド・セルミジが、
1520年代から1530年代に
パリでアテニャンが出版した、
いわゆるパリのシャンソンの
2大模範とされている。
クローダンとジャヌカンの他の作曲家として、
パリの出版者に選ばれたのは、
サンドリン、Certon、Jacotin、Vermontなどがおり、
彼らに名声を与えたのは、
当時、ルーヴァンのPierre Phaleseや、
リヨンのジャック・マドレーヌなどによって
出版されたものではなかった。」

ということで、宗教曲を書いていても、
まるで儲からず、
世俗文化が花開いていた、
ということだろうか。

「パリのシャンソンのテキストは、
概して短く、時として、
クレマン・マロット
(この録音では、
Tetin refaict plus blanc, Mii/66、
Une nonnain fort belle, Miii/113、
Martin menoit son porceau, M ii/61、
Plus ne suys ce que j'ay, Miii/82)や、
Mellin de Saint-Gelais
(Ung jour que madame, Miii/101
(ある日奥方が眠りにつくと))
のように、
宮廷で活躍した詩人によるものだった。
これらのエピグラムの主題の幅は極めて広く、
愛に対する考え(Toutes les nuictz, M iv/130)から、
おかしな情景やみだらな状況さえ扱っている。
クローダンやジャヌカンは、
まさにこの点で比較され、
後者は単純に、無遠慮なものを選んだのに対し、
前者は、おそらくメランコリックなテキストを好んだ。
しかし、私たちが、
「Plus ne suys(同じではない)」、
「Toutes les nuictz(毎晩)」
といったシャンソンを聴くと、
こうした見方は単純化しすぎていると感じる。
クローダンの作品にみられるような、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」のような、
きわどいテキストが含まれるものがある、
という事実にも関わらず、
「Martin menoit son porceau
(マルタンは豚を市場へ連れていった)」のように、
MartinとAlixの冒険を描こうとする時、
ジャヌカンが持っていた才能は明白である。
しかし、このテキストの始まりの詩節は、
私たちに、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフ
(1532-1589)などを思い出させ、
ジャヌカンは、少なくとも2つの理由で、
多くのシャンソンで非凡な第一人者である。
まず、その曲の長さが
パリのシャンソン作者よりずっと長く、
とりわけ、それらがオノマトポエティック(擬音)
の効果が幅広く用いられている。
『狩り』、『パリの叫び』、そして、
『Le caquet des Femmes』などが、
このカテゴリーに含まれるが、
そのうち、最もよく知られた2曲が、
ここに収められた『戦争』と『鳥の歌』である。
これらの作品は1528年に、
最初に『クレマン・ジャヌカン師によるシャンソン』
として出版されたが、後に何度も版を重ねた。」

期待が高まって来たところで、
ここらで、これらが、いったい、
何を言っているかを確認してみたい。

3大ポイントは、
ポイント1.メランコリックなもの
ポイント2.猥雑なもの
ポイント3.長大で擬音(オノマトペー)を含む
ということであろうが、
このフランス歌曲、シャンソンの元祖とも言える人物が、
特徴としていたもののうち、
300年後のシューベルトが受け継いでいたものが、
あるかもしれない、と思えるのは、
最初のものだけしかないように見える。

猥雑なシューベルト歌曲、
オノマトペーで彩られたシューベルト歌曲、
というのは、すぐには思いつかない。
国家の締め付けみたいなものによるのか、
シューベルティアーデというものの持つ空気なのか、
おそらくは、シューベルトの馬鹿真面目な性格か、
こうした一切合切の時代の要請か。

シューベルト歌曲では見つけにくい、
きわどい内容の歌曲の代表のように書かれた、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」は、
このCDでは冒頭、
Track1.に収められている。

歌詞は、このタイトルから、
予想される「恋の手習い」もので、
かなりいかがわしいものと考えれば良い。

寂しそうにしている彼女に、
2、3度、それを教えてやると・・・、
という内容で、
男声合唱が、鄙びたメロディに乗って、
緩急自在の機知を効かせ、
面白おかしく聴かせる。

Track2.「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」も、
同じような感じだが、内容はさらにやばい。

女声(カトリーヌ・パドー)が入るので、
さらに色彩的となっていて、
破裂音的な効果、早口言葉などが、
縦横無尽に飛び交い、
ロッシーニのオペラなどの効果は、
こんな源泉を持っていたのか、
などと妄想できる。

ただし、こちらのメイドは、
もっとしたたかで、
賢いはずの羊飼いも、
このあばずれを満足させられず、
完全にこけにされて終わる。
上記2曲は、さすがに作詞者名はない。

先に、詩人の名前が出てきたが、
宮廷詩人、クレマン・マロットによる、
Track3.「Plus ne suys ce que j'ay
(もはや、私は同じでいることができない)」
は、一転して感傷的な曲想。

この種のものは、
かろうじて、シューベルト歌曲でも、
受け継がれたものを聴く事が出来そうなものだが、
これがまた、強烈なポリフォニーの綾で、
ほとんど教会音楽にしか聞こえない。

さすがに歌詞は時代がかっていて、
「もう私は前の私ではない。
素晴らしい春と夏は、
窓の外に消えていった。
愛よ、私の支配者よ、
私は、あなたを、どんな神様によりも仕えた。
もう一度、生まれ変わることが出来たなら。
もっと、あなたによりよく仕えようものを。」
という感じ。

愛の擬人化という点で、
かなり古臭い感じがする。

Track4.に、高名な、
「(Le) Chant des oyseaux(鳥の歌)」が来る。
これまでの作品が一分ちょっとの小品だったのに、
この詩は長く、演奏時間5分半。

「鳥の歌」といえば、カザルスが弾いた、
カタロニア民謡が有名で、
ジャヌカンの「鳥の歌」のLPが出た時、
おそらく多くの人が混同したはずだ。

しかし、こちらの歌は、
戯れ歌のたぐいで、
鳥の囀りになぞらえた、
猥雑な愛の冷やかし。

まさしく解説にあるとおり、
オノマトペーで彩られた大曲になっている。

「ティ、ティ、ティ、チャ、チャ、チャ」と
いう歌詞などと共に、
「コキュ、コキュ、コキュ」と、
いかにもという感じで、
この歌の主要テーマが歌われる。

本当に、この時代の人は、
こういうゴシップが好きだったのだなあ、
と思わせるが、
おおらかだったのか、
宮廷とか社交界では、
こんな事しか楽しみがなかったのか。

後世の人は、こんな内容のものに、
必死で、高度な音楽技法を駆使しよう、
などと思わなかったのではないか。

シューベルティアーデで、
これを発表しようとしたら、
明らかに顰蹙を買うであろう。
貴族とか平民とかの境目がなくなる時代では、
下卑ていたら負け、みたいな価値観になるであろう。

こうした内容で、
画期的な音楽作品が出来ていた時代と対比すると、
やはり、シューベルト自身がくそ真面目なのは、
その時代の要請でもあったと考えさせられる。

Track5.「パヴァーヌ、ガイヤルド」は、
笛と太鼓の合奏で、器楽曲。
どすんどすんという太鼓が朴訥で、
笛の響きも素朴この上ない。
ここにパヴァーヌが来る理由は、
後で、解説で詳しく説明される。

Track6.「Ce tendron si doulce
(この娘はとてもかわいい)」も女声が入る。

これは、しっとりとした恋の歌で、
古い時代のロマンスは、こんなものだろう、
と考えさせる典型的なもの。

Track7.「マルタンは豚を市場へ連れていった」
は、すでに解説で話題になっていたが、
アリックスという女と一緒に行ったというもの。
途中の草原で、彼女が罪深いことを持ちかける。
しかし、豚をどうするか。

という内容であるが、
小刻みにまくしたてる歌詞と、
力こぶの入った熱唱が、
事の顛末をくそ真面目に報告する。

Track8.「Suivez tousjours l'amoureuse entreprise
(愛の喜びに続くもの)」は、
器楽の簡単な伴奏も相まって、
物思いにふけるような美しい音楽。

Track9.「Puisque mon cueur」
器楽曲バージョンで、
笛の合奏が、
素晴らしい桃源郷を描き出す。

Track10.「ある日奥方が眠りにつくと」は、
この後、旦那がメイドとジーグ?を踊る、
という、どう考えても、という内容。

メイドは、どっちが上手?と聴くあたり、
いかにもフランス風の展開だが、
面白いぺちゃくちゃ効果が挿入される。

クレマン・マロットの詩によるとあって、
こんなものが宮廷詩人の書いたものか、
と驚きあきれるのも良いだろう。

Track11.「Toutes les nuictz
(毎晩、毎晩)」は、曲想も、
いかにも、静かな夜の音楽である。

歌詞は、何だか切ないもので、
「毎晩、あなたはそばにいるが、
昼間は私一人。
夢の中でだけでしか幸せでない。」
という、平安時代の女流歌人が書きそうな内容。

Track12.「Fy, fy, metez les hors
(そんな甘言には)」は、
偽りの愛に注意を促す警句のようなもの。

Track13.「Tetin refaict plus blanc
(まるまるとした良い乳房)」
は、それをずっと賛美して、
神々しさや陶酔にまで到達しているようだ。
歌っている連中からして、
男たちが輪になって愛でている様子が目に浮かぶ。

これがまた、3分半と長い。
このアルバムでは、
五本の指に入る大曲である。

また、Track14.にまた、
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
が収録されているが、
なんと、2つのリュート版。

ものすごく、
格調の高いポリフォニー曲に変貌しており、
ジャヌカンが卑猥な表面の裏に隠していた、
高い音楽性がさらけ出されている。

Track15.「Si d'ung petit de vostre bien」
は、ネット検索すると、
恐るべき日本語訳が出ているが、
このCD解説書では、
非常にわかりにくく、
「If you are not willing」などと英訳されている。

これは、Track14.とは打って変わって、
その精妙なポリフォニーに惑わされていると、
究極の春歌であることに、
気づかないでいるところであった。

それにしても、最初は、鉄砲と血なまぐさい時代、
という先入観があったが、
かなり割り切った屈託のない時代に思える。

Track16.「(L') Amour, la mort et la vie
(愛と死と生)」というものだが、
笛の伴奏を伴う、聖歌風の曲想。
これらが、私を苦しめる、という、
いかにも古楽という感じの音楽。

諸行無常の感じもあり、
このCDに、戦国の世の歌があるとすれば、
この曲かもしれない。

Track17.「鳥の歌」の変奏曲、
6分にわたるフルート重奏曲。
これも歌詞がなくとも、十分楽しめ、美しい。
スペインで、流行歌が器楽曲になっていったのも、
十分、肯けるが、逆に、歌詞を取り払った事で、
より、堂々と演奏可能になった、
と言い換える事が出来るだろう。

このCD解説では、このような解説がある。

「この曲は有節歌曲のようにも工夫され、
それぞれの詩句では、
異なる鳥を登場させ、
あらゆる効果を用いて、
考えうるあらゆる様々なさえずり、
チチチ、チュンチュン、震え声を模倣する。
第3節のナイチンゲールで、
作曲家の想像力は完全に燃焼している。
しかし、声楽版以上に、
1545年ニコラス・ゴンベールによって作られた、
(ここではリコーダー利用の)三声の編曲では、
まるで、ナイチンゲールに命が吹き込まれたようである。」
とある。

確かに、第一節から細かいパッセージが重なり、
人間技ではないテクスチャーで感興を高めてくれる。

以下、「この版を聴くと、1555年に、
ピエール・ベロンがナイチンゲールに捧げた言葉を、
思い出さずにはいられない。」と書かれ、
「ナイチンゲールは、
『眠ることなく、夜を通して歌い続け・・・』」
とその言葉を長々と引用しているが、
その声の賛美なので、ここでは省略する。

Track18.「Une nonnain fort belle
(美しく健康な尼僧)」も、いかにも、
というタイトルだが、期待を裏切ることはない。

世を捨てた事を後悔する彼女は、
魂の配偶者たるキリスト以外のものを求めている、
と告白する。

シューベルトの「若い尼僧」とは大違い。
音楽も、もちろん、
シューベルトの濃密なドラマはなく、
「こういうことでした」という、
簡潔な報告調で、ストレートである。

以下、器楽曲が二曲続いて、
最後のクライマックスの「戦争」につなげる。

Track19.「J'ay double dueil
(僕には二重の苦しみが)」
は、気品あるリュート二重奏曲。
タイトルのとおり、物憂げである。

Track20.「Tourdion, 'C'est grand plaisir'」は、
活発なフルートの四重奏曲。

Track21.「(La) Guerre, 'La bataille de Marignan'
(戦争、マリニャンの戦い)」は、「鳥の歌」と並ぶ大曲。

この曲は、このCD解説では、
特別に詳しく紹介されている。

「特に『戦争』は、その世紀の終わりまで、
さらに世代を超えて国際的に名声を博した。
『バタリエ』としても知られ、
おそらく、1515年のマリニャーノの戦いで
フランス軍の戦勝記念のものである。」

マリニャーノはミラノの近郊で、
フランス王、フランソワ一世が、
イタリア戦争をした時のもの。
この人は、ハプスブルクと神聖ローマ帝国の冠をかけて、
戦った人でもある。

やはり、歌詞を見てみると、
「フランソワ王に続け」みたいな部分に、
「弓を引け、火縄銃を轟かせ」とあり、
明らかに、鉄砲の描写音楽であることが分かった。

「いずれにせよ、このシャンソンは、
様々な形で模倣され、アレンジされ、
とりわけ、適当なガイヤールと組み合わされて、
『バタリエのパヴァーヌ』と題されて、
振付が施された。」
とあるくらいに、
大ヒットしたようである。

このCD、48分くらいしか収録されていないので、
お馬鹿な歌詞を見て行くと、
あっという間に聞き終わってしまう。

さて、解説を読んでしまおう。

「当時、シャンソンとダンスが、
相互に関係したのは、
偶発的なものばかりではなかった。
それらは、相携えて発展したのである。
15世紀の終わりの三声部のテクスチャーは、
低音部が重要であったが、
やがて四声にシフトしていき、
高音はメロディを担って主要なものになった。
こうした特徴はパリのシャンソンのみならず、
同時期に出版された舞曲にも見られ、
ジャヌカンや同時代の作曲家の、
もっとも有名なメロディから、
インスピレーションを得たものであった。
器楽奏者にはいくつかの役割があったと考えられ、
ダンスでは歌手を伴奏し、その声部を強調したり、
単に、シャンソンの器楽曲版として、
演奏されたりした。
1533年には、出版者らによって、
このことは推し進められた。
ピエール・アタインナンは、
『四声部の歌曲はフルートやリコーダーにふさわしい』
として、2冊の曲集を出版した。」

この部分、この解説を読んでよかった、
と痛感した部分である。

シューベルトの場合も、
歌曲と器楽曲とのクロスオーバーが、
さまざまな見地から論じられるが、
良いメロディがあると、
楽器でも演奏したくなる、
というのは、世の習い、ということか。

が、その一翼を、ダンスが担っていた、
というのは面白い。
また、その陰にいるのが、出版者というのも、
妙に生々しい経済活動として捉えることが出来る。

我々、現代人は、このダンスという習慣を、
まったく失ってしまっているが、
これは、かなり、人間の本質とか文化とかの、
深いレベルで、何か大きな喪失をしている、
などと考えても良いかもしれない。

「こうしたケースでは器楽奏者は、
種々の複雑な装飾をくわえることがあり、
例えば、理論家のフィルバート・ヤンベ・デ・ファー
などは、1556年の『Epitome musical』の中で、
『『戦争』や『鳥の歌』、『le caquet des femmes』など、
他の多くの難しい曲を、8歳の子供でも簡単に表現できる。
発音しなければならない言葉ゆえに、
省略したい多くの部分を省くことが出来ないが、
リュート、スピネット。コルネット、フルート、
ヴィオールなどあなたが選ぶ楽器どれでも、
は多くのパッセージワークを表現できる。』
事実、いくつかのケースでは、
例えば、極端な例として『鳥の歌』のように、
テキストが多すぎることによって、
歌手は省略が許されない。」

得られた事:「鉄砲伝来の時代へは、ジャヌカンで思いを馳せる。まさしく、機械(楽器)の時代に突入する直前の人力(声)のクライマックスのような声楽曲。」
「ジャヌカンの時代以降、シャンソンは、教会音楽のようなポリフォニーの形から、器楽や舞踏とのコラボを経て、主旋律主導型に変容していった。これは、ジャヌカンらのメロディの美しさによるものであった。」
「シャンソンの始祖、ジャヌカンには、三つのカテゴリーの作品が目立ち、メランコリックなもの、猥雑なもの、長大で擬音(オノマトペー)を含むものがあるが、シューベルトの時代になると、重視されなくなったものばかりであった。」
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by franz310 | 2016-08-27 20:51 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その439

b0083728_13475113.jpg個人的経験:
いくつかの泉から、
水の流れが集まり、
一つの川となって
海に注ぐように、
作曲家の仕事も、
様々な源流が想定される。
モーツァルトなどは、
まさに全欧の音楽を、
体現したような
立ち位置の人として
紹介されることも多い。
が、帝国が誇る
正規の音楽機関で、
早くから英才教育を受けた、
フランツ・シューベルト
の場合はどうか。


あまり考えたこともなかったが、彼こそ、
ハプスブルクの威信を担う人材候補として、
想像に余るほどの
過去の音楽の洗礼を受けていた人に相違ない。

ハプスブルク家は、
スペインも王国として統治した事があり、
このあたりの影響も
想定してよさそうなものだが、
シューベルトの音楽から、
スペインの影響を
直接的に聞き取ることは難しい。

しかし、何か手がかりでもないか、
などと考え、
かつて、スペインから輿入れした、
マルガリータ王女のお話あたりから、
この方面を聴き進めてきている。

そんな中、うまい具合に、
体系的にスペイン音楽紹介する
サヴァールのライフワークに
ついつい乗せられて
しまった感じもする。

この前、彼のレーベル、
ALIAVOXから出ている、
「ローペ・デ・ベーガの時代」
というCDを聴き進み、
オルガン音楽にもスペインの
特殊性があると教えられた。


文字数の関係で省略したが、
前回のCD解説の最後は、
こんな感じで、
スペイン・オルガン音楽まとめ、
という形になっていた。

以下、サヴァールのCDの解説の続き。
今回、取り上げるナクソス盤は、
後で紹介したい。

「最後にこの録音では、
この時期の鍵盤楽器の作曲家で
3人の主要なスペインの作曲家を取り上げた。
フェリペ二世の宮廷礼拝所の
偉大なオルガンの名手、
アントニオ・カベソン(1566年没)、
ザラゴザ・カテドラルとして傑出した、
セバスティアン・アギレラ・デ・エレディア(1627年没)、
それに、17世紀全般を通じてイベリア半島で流布し、
最も影響力あるオルガンの曲、
『Facultad Organica(1626年)』
で知られるアンダルシア人、
フランチェスコ・コレア・デ・アラウホ(1654年没)である。」

彼らの音楽は、まずカベソンから聴いた。
フェリペ二世が大事に取り立てた、
盲目の作曲家カベソンは、
かつて、ヒスパボックスの
「アントニオ・カベソン作品集」などで、
日本でも広く紹介されていた。

このCD、解説が非常に充実していて、
「スペインのバッハ」と紹介しつつ、
19世紀にはすでに、再発見が始まっていたとあった。
フランツ・リストの書簡にも登場するとある。

聴きものは、しみじみとしたメロディによる、
「騎士の歌によるディフェレンシアス」であった。

騎士の歌は、勇ましい騎士を表すものではなく、
騎士に想いを寄せる貴婦人の恋文のような内容。

解説を読んで驚いたが、
この「騎士」が、ながらく、
ローペ・デ・ベーガの戯曲、
「オルメードの騎士」の騎士だと、
考えられていた事があったようだ。

オルガンが、様々な音色で、
この歌謡を変奏していくが、
恋文が変容して、
壮麗な賛歌のように立ち上がる。

サヴァールのCDでは、この有名な曲は含まれず、
サヴァール盤:
Track5.にティエント第3番。
Track9.に、ほかのディフェレンシアスが収められている。

これも、「ご婦人の望みによるディフェレンシアス」
とあるから妙に内省的な音楽であっても、
驚いてはならない。
元の主題は、騎士の歌と同様のものであったのだろう。

解説にも、こんな事が書いてあるだけ。
「カベソンの作曲した作品は、
ティエント(イタリアのリチェルカーレに似た、
典型的なイベリア半島の対位法的な器楽曲ジャンル)と、
当時流行していた
(ここでは、『ご婦人の望み』であるが)
フランドルの対位法的なシャンソンによる
16世紀中ごろの鍵盤楽器の変奏曲の流れを汲んでいる。」

シューベルトも、歌曲を主題に変奏曲を書いたが、
この時代の伝統を受け継いでいる、
などと書く事は出来るのかできないのか。

エレディアからは、サヴァールのCDでは、
Track15.に「戦いのティエント」がある。

あちこちから軍勢が集まり、
どんどこ太鼓が鳴って、こりゃすごい。
だんだん盛り上がって、剣がびしびしと、
ちゃんちゃんばらばら。

「コレアやアギレラの作品の中にあって、
イベリア半島のオルガン曲の典型として、
いわゆる『バタラ(戦い)』、
これはおそらくミサの聖体奉挙の時に演奏された、
神と悪の神秘的な苦闘を音楽的に表した
一種の戦いの音楽を強調しておきたい。
その声楽曲版である、
『戦いのミサ』と同様、
戦場での音響効果を模した、
ジャヌカンの有名なシャンソン、
『戦争』の劇的効果の動機を使っている。
イベリア半島のオルガンの、
増加して様々な音色を持つリードストップが、
この音楽的描写の音色の選択を助け、
地方の聖堂に集まった人たちに、
異常にドラマティックな衝撃を与えたことであろう。」

オルガン曲ではなく、合奏で演奏されているが、
オルガンでも聞いてみたいものだ。

サヴァール盤、
Track21.「エンサラーダ」。
これもエレディアのもの。
エンサラーダは、何でもありのてんこ盛りサラダだが、
ここでも、太鼓鳴りまくり、ラッパ鳴りまくり。

本当に、教会で演奏されたのか。
むしろふさわしいのは、
かなり開放的な野外劇用であろうか。
劇の始まりの高揚感のようなものがある。

アラウホからは、サヴァールのCDでは、
Track19.に「モラーレスの戦い」がある。
これまた、戦いの音楽。
オルガンと戦いがこうも関係深いとは思わなかった。

「上述のジャヌカンのシャンソンをモデルにした
クリストバル・デ・モラーレスのミサを
直接の基にしたコレア・デ・アラウホのものは、
このジャンルの最初の発展形であり、
彼の同時代人、
アギレラ・デ・エレディアの作品のみならず、
ペドロ・デ・アロウホ、ディエゴ・ダ・コンセカオ、
ホセ・シメネッツ、ホアン・カバニレスなど、
のちのスペイン、ポルトガルの巨匠たちによる、
異常な流行の元となった。」

これまた、「戦い」ということで、
やはり、どんどこ登場の音楽で、
カベソンと並ぶ、オルガン曲の巨匠とは思えない。
ラッパも晴れやかに、輝かしい響きが交錯する。
こうした劇的情景が、大聖堂の中で響き渡ったとすれば、
私のオルガン音楽観も、大幅な修正を要する。

オルガンが戦いの楽器であることは、
ヒスパボックスのカベソンのCDの、
表紙写真を見れば実感できる。
鉛の塊のようなリード群が、
いかにも大砲や鉄砲を思わせる。

そもそもカベソンが鉄砲伝来の時代の人であるが。

今回は、NAXOSで偶然発見した、
「イベリア半島の初期オルガン音楽」というCDで、
このあたりの勉強をさらに進めてみよう。
うまい具合に、ナクソスというレーベルは、
もうちょっと、という場合に、
ポイントを突いたCDを出している。

ただし、これは、諸経費を押さえて、
良質な演奏を安く提供しようという、
このレーベルらしい割り切りによって、
演奏しているのは、アメリカのオルガン奏者、
大学教授ロバート・パーキンスで、
スペイン本場の人ではなく、
驚くべき割り切りと言うべきか、
楽器も彼の職場、つまり、アメリカの、
ということは、当然、歴史的にも新しい、
デューク大学の「Frentropオルガン」、
なるものを使っている。

このFrentropオルガンとは何かと調べると、
オランダの権威ある、
といっても、新しい事は事実の、
有名工房で作られたオルガンの名前のようだ。

このフレントロップ・オルガンは、
CDの表紙写真を見る限り、
イベリア半島風ではない。

そもそも、デューク大学という教育機関は、
ノースカロライナ州にある、
南部の名門らしいが、
ネット検索して写真を見る限り、
荘厳なゴシック風の塔が威圧的な、
ある意味、第一印象は、かなり時代錯誤的。

このヨーロッパとも見まがう教会の中には、
北ヨーロッパ様式によるフレントロップ・オルガン、
後期ロマン派様式によるエオリアン・オルガンと、
イタリア後期ルネサンス様式オルガンと、
なんと、3つものオルガンがあるらしい。

ネット上には、パーキンス教授が、
これらのオルガンで、
様々な勉強会的コンサートをしている旨が
読み取れたりもする。

ここは、イタリア後期ルネサンス式を、
なぜ、使わなかったか、
という気もするが、
おそらく、教授の判断は正しいはずだ。

とにかく、このいかにも、
アメリカ南部で、
いかにも肩肘を張って欧州文化を守っているぞ、
という感じの大学の時代倒錯チャペル、
そのフレントロップ・オルガンで、
当大学の名物教授が、
カベソンからエレディア、アラウホといった、
スペインのオルガン音楽の大家たちの曲を披露している。

こういう人であるから、
解説も自分で書くに決まっている。

アメリカ南部平原の
ノースカロライナの大地に、
空中楼閣のごとくそびえ立つ、
ゴシック様式の大聖堂に彷徨い入る感じで、
解説を読んでみよう。

「スペインとポルトガルのオルガンの
最も目立つ外観上の特徴は、
疑うことなく、メイン・ケースのファサードから、
腕木で水平に伸ばされたリードパイプ群である。
しかし、この特別な工夫は、
17世紀の最後の1/3の時期に現れ、
1550年から1700年の
イベリア半島のオルガン音楽の黄金時代の
最後に当たる時期であった。」

ということで、
垂直に突き出したパイプ群が、
このCD表紙のオルガンにないことは、
解説の冒頭から断られている。

「初期イベリア半島の音楽用の
オルガンについて、
膨大な文献が書かれているが、
確かに、それは独特ではあったが、
多くは、たった一つか二つのキーボードと、
初歩的なペダルがあるかないかで、
それほど派手なものではなかった。」
アントニオ・マルティン・イ・コールが編纂した
手稿から編曲した、
作者不詳の『イントラーダ』が、
特に、華やかな水平トランペット
(クラリーネ)を要求したのは、
18世紀を過ぎてからのことである。」

ということで、最初の曲目の解説と思われるが、
次に、カンシオンの話が出てくるのはなぜだろう。

「カンシオン(イタリア風マドリガーレのことか?)は、
水平リードの導入からすぐの時期の
スペインのオルガン機能を開発し、
同様の響きを持っている。」

Track1.イントラーダ
実に豪壮なファンファーレが鳴り渡るもので、
壮麗な儀式か、ありがたい事が始まる予感ばっちり。
そのあとは、比較的、明朗なメロディの掛け合いが始まる。
このあたりの木霊の効果は、
メロディが展開されても付きまとい、
これがカンシオンなのだろうか。

とにかく、このあたりが主部で、
冒頭のファンファーレは、
オルガンの発展に合わせての、
後世の継ぎ足しのもの、ということだろうか。

次に、大家、カベソンの曲が4曲並ぶが、
ティエントとディフェレンシアスが2曲ずつである。
そのためか、ティエントの解説がある。

「イベリア半島の鍵盤楽器音楽は、
16世紀中葉には十分発達していた
ティエント(ポルトガル語ではテント)の歴史の
延長と言える。
多くの初期のティエントは、
当時のポリフォニーのモテットの鍵盤楽器用編曲であって、
オルガンで演奏しやすいように、
複数の主題にそれらしく対位法的な構成を織り込んだものだった。」

ヒスパボックスから出ていたスペイン古楽集成の
「アントニオ・デ・カベソン作品集」では、
ティエントの3番、5番、7番~10番が収められていて、
カベソンの作品の中核が、
ディフェレンシアスとティエントだと書かれていた。
このCDでは、ティエント1番と、
「誰が語れよう?に基づくティエント」
が収められている。

アントニオ・デ・カベソン
Track2.ティエント1、
Track5.「Qui la dira」によるティエント、
についての解説。

「アントニオ・デ・カベソンのティエント1は、
これらのものより、ずっと特徴的で洗練されているが、
シャンソンに基づく『誰が語れよう?に基づくティエント』は、
もっと単純な声楽の様式を残している。」

ティエント1は、瞑想的な音楽で、
この偉大な作曲家が、自己の内面を、
紡ぎだしているような感じ。

「誰が語れよう」も、基本的には、
ばーんとすごい音だって出せるオルガンを使いながら、
ぶつぶつぼそぼそと、逡巡しているようなもの。

Track3.イタリア風パヴァーヌによるディフェレンシャス
Track4.ミラノ風ガリャールダによるディファレンシャス

「疑うべくもなく、18世紀以前のイベリアのオルガン音楽のうち、
最も霊感に満ちた天才は、盲目のカベソンが、
変奏曲の形式で第一人者に他ならなかった。
流行曲に基づく鍵盤楽器のための変奏曲(ディフェレンシアス)
については、欧州各国に比べ16世紀スペインでは、
作曲も演奏も、すでに驚くべき高度な域に達していた。
カベソンのイタリア風パヴァーナと、
ミラノ風ガリアルダに基づくディフェレンシアスは、
それぞれ、当時、よく知られた舞曲に基づく、
変奏曲セットである。」

これらの変奏曲は、
先ほどのティエントよりも主題が朗らかで、
様々な声部が、寄り添って、
人気のあった音楽に声を合わせる風情であろうか。

これは息抜きの音楽だから当然、
というべきなのか、
よりシリアスでありがたい、
二つのティエントより曲の長さも短い。

アントニオ・カレイラ
Track6.第1音上のファンタジア
「カベソンと同時代のポルトガル人、カレイラは、
ここで、『第1音上のファンタジア』と記した曲に、
なんのタイトルも与えていないが、
複雑ではないのに模倣様式で効果的な作品で、
おそらく、簡単に『テント』だとわかる。」

さすが、「イベリア半島の」
と銘打っただけのことはある。
ポルトガルの音楽も取り上げている。
大航海時代、我が国まで来た、
というか、最近までマカオをおさめていて、
妙に身近に感じられる、
ポルトガルの当時の響きに浸れるのは嬉しい。
まるで、教会のステンドグラスから差し込む光のように、
神秘的なスペクトルを放つ音楽。
たった2分であるが、
まさしく浸されるような時間。

ベルナルド・クラビホ・デル・カスティーリョ
Track7.第2旋法によるティエント

「『第2旋法によるティエント』は、
ベルナルド・クラビホ・デル・カスティーリョの、
たった一つ、残された作品である。
その清澄な様式は、ティエントの類似ジャンルで、
17世紀スペインで一般的になった、
ティエント・デ・ファルサスの先駆であろうと考えられる。」

これまた、押し殺したような響きが印象的な、
内省的な音楽。
敬虔な祈りの中で、
よほど心を澄ませて聴かなければ、
音楽に近づく事が出来ないような佇まいである。

まるで、少年合唱のような無垢な響き。
1545年生まれ、没年1626年というから、
シューベルトの200年以上も前ながら、
苦難の後半生だった天正の少年使節が、
次々と世を去る時期まで生きたのだな、
といった事を、ふと考えた。

パーキンス教授に乗せられて、
ついつい、余計な妄想までしてしまった。

が、こうしたポリフォニーの合唱曲が、
スペインのオルガン音楽の
発展に寄与した事は
明らかなことのようで、
合唱音楽と来たら、
少年合唱団で歌っていた、
シューベルトとも、
何らかの関係が
あってもおかしくはない、
などという妄想すらできるのである。

フランシスコ・デ・ペラサ
Track8.メディオ・レジストロ・アルト

「16世紀の最後の1/3世紀の間、
注目すべき工夫が起こり、
イベリア半島のオルガンを永久的に変えてしまった。
オルガン製作者たちは、バスとトレブルの中間に、
一つかそれ以上のストップを作り始め、
同じキーボードで二つの異なる音栓利用を可能とした。
ペラサのMedioレジスターアルトは、
トップラインの独奏と低い声部の伴奏音型の二つに、
レジストレーションを分けるもので、
これは、恐らく、
この技術を使った最初期のティエントであろう。」

こうした、楽器の技術的な発展と、
演奏技法の発展を語らせるには、
おそらく、この教授は適任なのであろう。
妙に、解説にも膨らみが出てきたような気がするし、
この音楽も、素晴らしい和声の色彩感が、
すごい力強さと深みを感じさせるものだ。
生年は1564年で、
1598年に亡くなっているので、
34年の生涯だったのだろうか。

セバスティアン・アギレラ・デ・エレディア
Track9.第4旋法による偽ティエント

「セバスティアン・アギレラは、
サラゴーサを中心とした、
アラゴン派の重要な人物で、
彼の18曲からの作品は、
17世紀スペインに花開いた
数多くのジャンルの典型となっている。
彼の第2ティエントである、
第4旋法によるデ・ファルサスは、
ファルサスという題名を使った最初の例に含まれる。
ゆっくりとした半音階の係留音
(和音の変化する部分で前の和音の音が
非和声音として引き継がれるときの音)が、
この瞑想的な声楽様式を特色づけている。」

神秘的なトリルで始まる音楽で、
ゆっくりと進行する中、
係留音の効果か、
深いため息や悔悟を感じさせる音楽。
この人も、天正年間に生きた人のようだ。
半音階の駆使で知られるという。

マヌエル・ロドリゲス・コエリョ
Track10.第4旋法によるティエント
「17世紀全般を通じて、
鍵盤楽器の曲集は、たった二つだけが、
イベリア半島で出版された。
それらの一つが、ポルトガルの巨匠、
マヌエル・ロドリゲス・コエリョによる
1620年の『音楽の花束』で、
各モードの3つのティエントを含めた。
その最初の第4旋法によるティエントが、
もっとも、魅力的で、4つの主題は、
微妙に関連している。」

「音楽の花束」というのは、
フレスコバルディ(1583-1643)
の作品が有名だが、
これは1635年のもののようだ。
フレスコバルディの曲も、
ミサに使うオルガン曲の集成であった。

コエリョもアギレラなどと、
同時期に活躍した人のようで、
この曲は、非常に晴朗で明快な、
歯切れの良さで際立っている。

フランシスコ・コレア・デ・アラウホ
Track11.バスの音域による第1旋法のティエント

「フランシスコ・コレア・デ・アラウホの、
『オルガンの学科』は、
すぐ後の1626年に出版された。
コレアは、この巻で、
分割された音域のために、
多くのティエントを含めた。
『Tiento de medio registro de baxón』
はバスのソロのもの。
この特別な小品の最も魅力的な点は、
終わり近くにあらわれる7/8拍子である。」

始まってしばらくしてから、
バスの太い音色に、
しっかりとした独白が聞かれるが、
むしろ、天上の光が飛び交うような、
明るい伴奏部に耳を澄ませてしまう。

パブロ・ブルーナ
Track12.聖母のための連祷によるティエント

「パブロ・ブルーナは、
尊敬すべきカベソン同様、
目が不自由で、アラゴン派に属した。
『聖母のための連祷によるティエント』は、
タイトルにはないものの、
異なる音域で演奏されることを想定した
自由な変奏曲である。」

ブルーナは、1611年に生まれ、
1679年に亡くなっているから、
マルガリータ王女が生きた時代の人である。

つまり、先にあげた黄金時代の作曲家たちとは、
2世代くらいあとの人かもしれない。

マルガリータ王女は、1673年に、
22歳になる前に亡くなっているから、
異郷の地で散った、
この王女の事に想いを馳せ、
この作曲家も、何か、考える事があっただろうか、
などと考えてしまった。
1674年に、彼はダロカの教会の楽長となったが、
スペインは、もう、どうしようもない時代に、
突入していたはずである。

この曲だけを聴いて、
「聖母」を連想することはできないが、
演奏に7分を要し、このCDの中では、
最も長い、変化に富んだ曲である。
変奏の都度、現れるメロディも明快で、
ポリフォニー的ではない領域に入っている。

フアン・カバニリェス
Track13.パサカーユ Ⅰ
Track14.シャカラ

「イベリア半島のオルガン音楽の『黄金時代』の、
最後の偉大な作曲家は、フアン・カバニリェスである。
彼の多産な作品は、
カベソン以降の時代以降衰えた作曲技法、
変奏曲など、
この文献のほとんどすべてのジャンルを含む。
『パサカーユⅠ』は、5曲あるうちの5番目のもので、
和声的な4拍子のテーマによる簡単な18の変奏曲集である。
名技的な『Xacara』は、
粗野なストリート・ダンスの
繰り返しパターンをもとに展開した、
より複雑で解放的な曲である。」

多作家という事であろう、
カバニリェスの作品は、
サヴァールも取り上げてアルバムを作っている。

1644年に生まれているから、
この人などが、
最もマルガリータ王女(1651~1673)
に近い世代、ということになろう。

亡くなった時には、
18世紀になっている。

『パサカーユ』は、
パッサカリアという事であろう。

これまた、内省的な作品で、
ほとんどモノローグで、
途中で、音色を変えて近代的な展開を見せ、
19世紀のフランクのオルガン曲、
と言われても、わからなかったかもしれない。
サヴァールも、この曲を、合奏曲として、
別のCDで取り上げている。

「Xacara」は、CDの日本語曲目一覧には、
「ハカラ」とある。
解説にあるような「粗野な」という感じは、
あまりしないが、だんだん、テンポが高まり、
まさしく、前に聴いた、「Jacaras」みたいな、
熱狂的なものがベースにあることがわかる。
しかし、神妙なイメージのオルガンで演奏されているから、
解説を読まない限り、
そのルーツに想いを馳せることはなかっただろう。

作者不詳
Track15.ガイタによる変奏曲
「作者不詳の『ガイタによる変奏曲』は、
このCDのオープニングの『イントラーダ』同様、
アントニオ・マルティン・イ・コールの曲集に由来する。
『ガイタ』という言葉は、
スペインのガリチア地方で
特にポピュラーだった楽器、
バグパイプを意味する。
この魅力的な小品は、
この時期のイベリアのオルガン曲が、
必ずしも、厳格であったり、
厳粛ですらあるというわけではない、
ということを思い出せるように
取り上げておいた。」

この曲は楽しい。まさしく、これこそ、
ストリートミュージックを模したオルガンという感じ。
様々な音色が次々に繰り出され、
最後は鳥の声が騒ぎ立てるような効果まで現れ、
楽しい以上に、楽器の王様たるオルガンの、
驚くべき威力に舌を巻いてしまう。

以上、全15トラックを聴いた。
何せ、廉価盤のナクソスであるから、
簡素をもって美徳としているはず。
簡単に読めて、しかも、勉強になることが望まれた。

実際、その通りの、
読み応えがあるもので、楽器の置き場所こそ、
米国中西部の蜃気楼の中だったかもしれないが、
さらりとイベリア半島めぐりを楽しませてもらった。

得られた事:
「何と、戦いの描写も神と悪とのせめぎあいを描く時に重要で、教会から現れた様式であった。」
「総じて、劇場や教会は、何でもありの音楽創作の影の立役者であり、オルガンもまた、必ずしも『祈り』の楽器というわけではなく、何でもありの描写を繰り広げた。」
「イベリア半島のオルガンは、ポリフォニー合唱曲の影響を受けて語法を増し、時代を経て継ぎ足しのように強烈な水平パイプ群を備えるに至った。」
「黄金時代のスペインでは、俗謡による変奏曲が多く作曲されたが、歌曲を主題に変奏曲を書いたシューベルトとの関係はいかに。」
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by franz310 | 2016-07-31 13:51 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その438

b0083728_17153256.jpg個人的経験:
「セルバンテス時代の音楽」
を前回は聴いてみたが、
サヴァールたちは、
ローペ・デ・ベーガ
(1562-1635)
に関するCDも作っている。
私は、岩波文庫で出ている、
このもう一人の
スペイン古典の大文芸家の、
「オルメードの騎士」
という悲恋物語を読んで、
感銘を受けた事がある。


これは、岩波文庫のもので、
「プラテーロとわたし」の翻訳で知られる
長南実氏の訳。
このスペイン文学者の最後の仕事だということだ。

400年も前に書かれた作品ながら、
生き生きとした言葉が弾み、
前半の粋な恋物語から、
どんどん終幕の悲劇に向かっていくのに、
様々な人間模様が絡んで生々しく、
ついつい、引き込まれずにはいられない。

このような作品を書いた、
ローペ・デ・ベーガに関わる音楽となれば、
セルバンテスの時と同じように、
様々な発見をもたらしてくれるはずである。

サヴァールが創設した、
ARIAVOXのCDで、
演奏はエスぺリオンXX、
表紙は、スペイン黄金時代の絵画の巨匠、
素晴らしい明暗の対比で知られる画家、
スルバラン(1598-1664)
の「Las Tentaciones de San Jeronimo」
(聖ジェロニモの誘惑)
の誘惑する音楽奏者の部分が使われている。

竪琴を弾く若い女性の、
目力が印象的で、絵画全体より、
ずっと心に残る意匠に仕上がっている。

ちなみに、このALIAVOXレーベルは、
この絵画が好きなようで、
別CDでも、この絵画の別の部分を使っている。

誘惑される聖人はアントニウスが有名だが、
聖ジェロニモは別の人のようだ。
修道僧の起源のようなアントニウスは、
悪魔や魑魅魍魎に誘惑されたが、
ジェロニモは、セレナーデで誘惑されている。
このCDではわからないが、スルバランは、
聖ジェロニモを痩せこけた老人として描いたので、
まるで、「若さ」の前に屈服する「老い」、
といった絵画にも見える。

そう思わせるほどに、このCD表紙部の乙女は、
りんごのような頬、サクランボのような唇で、
輝かしい自信に満ちている。

このCD、Track1から13までが「Ⅰ」、
Track14から23までが「Ⅱ」となっていて、
前者が1978年の録音、後者が1987年の録音で、
約10年が経過している。
前者には、平尾雅子の名前が見える。

いずれも声楽曲はモンセラート・フィゲーラスが歌っている。
二つの録音を合わせたせいか、
収録時間77分というお買い得盤である。

Track13.はゲレーロの器楽曲で、名残惜しく終わるが、
Track14.は、マテオ・ロメーロ(1575-1647)
の歌曲で、晴れやかなファンファーレで始まる。
が、それも最初だけで、妙に物悲しい音楽となる。

ロマンスで、「サンザシからブドウは」というもので、
「夏の終わりのこと、サンザシからブドウの蔓は滑り落ちた。
かつては、優雅に絡み合っていたものを」と歌いだされる。

Track1.は、このCDのタイトルにふさわしく、
ローペ・デ・ベーガ(1562~1635)
の詩によるロマンスがおかれているが、
作曲家は不明とのこと。

「どんな風に櫂は水を掻くの」とでも訳すのか。
「朝の新鮮なそよ風の中、
水の中をくぐる時、お母さん、
どんな風にオールは水しぶきを上げるの」
という感じ。

かなり、コケティッシュな音楽で、
後半は、聖アエギディウス や聖ヨハネの名が出されるが、
これも、戯れ歌の特徴かもしれない。

こうした音楽が、ローペの劇には、
必要不可欠、といった事が解説では読めるはずだ。

Track2.
バルデラバーノの「Soneto Ⅷ」というビウエラの曲。
サヴァールの初期を支えた名手、
ホプキンソン・スミスの歯切れのよい音色が、
さわやかな風を伝えるような優美な楽曲を奏でる。

Track3.ディエゴ・オルティスの
「Passamezzo modern Ⅲ」というヴィオール曲。
これも、非常に晴朗な楽想で、
ヴィオールというと、どうも悲しげなイメージがあるが、
ここでは、開放的で伸びやかな音楽が味わえる。

Track4.作者不詳のエンサラーダ、
軽妙な音楽で、曲名も「僕の鋭い剣で切る」という。
切るのは「そのおしゃべりな舌」だということで、
いかにも、劇の途中で、さらっと歌われる感じ。

どうやら、メイドが、困った噂話をまき散らした様子。

Track5.カベソンのティエント。
カベソンというと、オルガンの大家のように感じるが、
ここでは、ヴィオール合奏で演奏している。
しかし、細かな音型からして、
オルガン曲がオリジナルなのであろう。

Track6.バスケスのビリャンシーコ、
かつて、ピラール・ローレンガーも歌っていた、
「ポプラの林から」である。
フィゲーラスの声を、ヴィオールやフルートが彩り、
単なるギター伴奏より膨らみを持った音楽になっている。
母親に恋人と会って来た事を報告する歌である。
私には、なぜ、そんな事をいちいち報告するのかわからないが。
どのような劇の、どのような場面で歌われたのだろうか。

Track7.再びバルデラバーノのビウエラ曲。
「Soneto ⅩⅢ」で、いくぶん、内省的なもの。
ビウエラらしい音楽かもしれない。

Track8.モラータのマドリガル。
「彼が語ったその心のそこのところ」という、
ややこしい題名のもので、
物悲しい、悩ましい曲想からして、
失恋の歌であろうか。

「息を殺して私は聞いた。
怒りというか不安というか、
何度も何度も言った。
あなたが好きなの。」

ローペ・デ・ベーガの戯曲の、
生々しい情感には感動したが、
この曲なども、400年の時を超えて、
息苦しくさえ思えるリアリティである。

この曲に続いて、
カベソンのディフェレンシアスが演奏されるが、
前の曲の情感を受けて、神妙である。
この曲などは、解説にもあるので、
そちらを見て行こう。

解説は、RUI VIEIRA NERYという人のもの。
Evora大学の人であるそうだが、
エヴォラはスペイン国境に近い、
ポルトガルの学芸都市だということで、
天正の少年使節も立ち寄ったという
由緒正しい街の大学のようだ。

そのせいで、というわけでもないが、
解説は各言語5ページ、
英独仏伊にカタロニア語合わせると、
かなりの分量である。
CDのケースに入るようなものではなく、
別冊となっている。

「スペインのホワン・デル・エンシーナや
ポルトガルのジル・ヴィセンテのような
16世紀初期の劇に始まる
イベリア半島の豊かな演劇の伝統の
最も特徴的な性格は、
コンテクストに織り込まれた音楽によって
重要な役割が演じられていることである。
17世紀の幕開けまでに、
半島各地の主要都市では劇場での演奏が許されており、
周りに観客用の簡単な座席が設えられた
パティオ(中庭)で、もっぱら演じられた。
神聖劇も世俗のコメディも
通常、4声のtonoと、
Cuatro de empezarと呼ばれるコンティヌオで奏され、
時に、loa(鳴り物)に続いた。
宮殿風ファンファーレ、
軍楽のトランペットと太鼓連打、
雷鳴と豪雨などの、
音楽的な特殊効果は、
合唱、舞踏などとともに、
劇の中に挿入され、
最後には『祝祭の終わり』という、
音楽が演奏された。
さらに、劇の進行に合わせて、
Bailesとかentremesesと呼ばれる間奏曲が、
音楽的にも劇的にも発展した。
当時スペイン最大の劇作家と言われた、
他ならぬ
フェリックス・ローペ・デ・ベーガ(1562-1635)
の台本による『La selva sin amor』が、
マドリッドの王宮の劇場であった、
Coliseo del Buen Retiroで演奏され、
全編が音楽で彩られた劇、オペラは、1627年には、
イベリア半島にもたらされていた。
ローマのバルベリーニ家のサークルに、
ステーファノ・ランディが関わっていた時に、
ローマ教皇大使、ジューリオ・ロスピグリオーシが
オペラの台本を書いていたが、
その影響を受けて、
宮廷の進歩的で国際的な芸術性を
公的にアピールするために、
若い王、フェリペ4世が関わった、
芸術的なイベントであったと考えられる。
現在は失われたが、
その音楽とセットは、
二人のイタリア人、
作曲家のフィリッポ・ピッチニーニと、
ステージデザイナーの
コジモ・ロッティによるもので、
ローペ・デ・ベーガは、
その後の劇の出版の前書きで
この初のオペラの試みに対し、
上演を興奮して称えたが、
すぐには、それに直接つながるものはなく、
30年も待たねばならなかった。」

ということで、フェリペ4世は、
ちょっとお馬鹿な王様として知られるが、
文化、芸術に関しては前向きな人だったとわかる。

ベラスケスは、マルガリータ王女と共に、
この王様を描いたが、スルバランやムリーリョなども、
この時代の人らしい。

「スペイン宮廷は、
2つの新しいオペラの制作を、
(今度はペデロ・カルデロンのテキストによる
La purpora de la rosaとCelos aun del ayre matan)
1660年まで待たねばならなかった。
これらのうち後者の試みは決定的な成功をおさめ、
このときは、フィレンツェやローマの知的なサークルの
いささかエキゾチックで無関係に見える作り物ではなく、
特にイベリア半島の演劇の伝統に深く根ざした音楽で、
スペインでの新ジャンル確立を確かなものにした。
このように、
17世紀のはじめの三分の二を通じ、
スペイン、ポルトガルの演劇は、
イタリア風のオペラのモデル採用ではなく、
語り言葉と、
それに合わせて様々な変化を見せる音楽を融合した
それ自身にふさわしい
長く称賛される伝統を模索した。」

晩年のベラスケスが描いた
マルガリータ王女の肖像画は、
スペインの至宝とされるが、
ベラスケスの没年は、
1660年である。

この頃、スペインのオペラが
産声を上げたと考えれば良いのだろうか。
ローペ・デ・ベーガの生誕100年も近い頃である。

「これらの劇では、
テキストと音楽のコンビネーションは、
通常とは異なるように起こっており、
それぞれの特色ある作品において、
音楽家が受け持つ部分の数にしろ質にしろ、
いくつかの場合、
そこに登場する役者の音楽的才能によって
多かれ少なかれ広がりを持つ。
例えばローペ・デ・ベーガの
半数以上のコメディや演劇は、
特別な歌と関連を持っており、
あるテキストはローペ自身のものであり、
あるものは、彼の時代の流行歌集に拠っている。
また、多くの場合、これらの歌われたものは、
手稿であれ、印刷譜であれ、
当時のイベリア半島の、
特定の音楽に典拠が求められる。」

このように読み進むと、
ふと、あることが思い出される。
岩波文庫にあるローペ・デ・ベーガの
有名な戯曲「オルメードの騎士」もまた、
そういえば、俗謡の歌詞をもとに作られた、
と解説にもあった。

つまり、この時代の演劇と音楽は、
二つで一つというほどの融合芸術だったようだ。

CD解説に戻ると、以下のようにある。
「非常に柔軟性のある音楽構成要素によって、
実際の舞台は特徴づけられたと思われ、
印刷された、公式版の劇作品にある歌の選択、
特別なプロダクションに
どのような歌が採用されるかによって、
広がりのある結果となるため、
我々、近代の音楽的『原典版』の概念とは、
それは、かなり違ったものであった。
ローペの劇に流れ込む
17世紀の世俗歌曲の文献は、
一世紀以上前に起源をもつ、
『Cancionero de Palacio』にある
ポリフォニーの曲集と、
1536年以来の
ミラン、ナルバエス、その他の、
ビウエラ曲集から、
器楽の伴奏を伴う
独唱のビリャンシーコ、ロマンス
の2つの伝統を持つ。
リフレインが頻発するビリャンシーコと、
有節歌曲のロマンセは、古い分類で、
その間、違いが不明瞭となったが、
しかし、ロマンセという言葉は、
今では、リフレインがあってもなくても使われ、
最も変化に富む形式となって、
新しいコンテクストでは、
ほとんどメロディの同義語になっている。
こうしたジャンルの他の名称としては、
tonada、solo、tonillo、chanzoneta、
letra、baile、jacaraがあり、
これらはすべて一声から四声のための
世俗歌曲を呼ぶものにほかならず、
器楽伴奏を伴うものと伴わないものもある。」

以前にも、jacaraとは何だろうか、
と悩んだ事があったが、
ここでは、単に歌曲一般名称の一つみたいに書かれている。
(Track20.に「Jacaras」がある。)

とにかく、こうしたメロディが、
ポリフォニーと対比されて紹介されていることに、
注目しておきたい。
シューベルトの歌曲の源流に、
スペインの音楽があるなど、
ちょっと考えにくいのだが、
そうした流れを想定すべきか否か。
とにかく、解説に戻ると、
これらの歌曲集は、かなり流布した事がわかる。

「この世紀の前半を通じて、
これらのレパートリーは、
数冊の歌曲集としてまとめられ、
現在、さまざまな国で保存されている。
とりわけマドリッド国立図書館に2つ、
スペインのプライヴェート・コレクションに2つ、
リスボンのAjuda Palaceのライブラリーのもの、
トリノの国立図書館、ローマのCasanatense図書館、
ミュンヘンのバイエルン州立図書館のものなど。
後者は、スペイン王立礼拝堂の筆写者、
クラウディオ・デ・ラ・サブノナーラの編纂による。
これらの手稿に、さらに、印刷されたものが加わる。
スペインの教皇庁大使パストラーナ公の
お抱え音楽家、フアン・アラーネスによる、
1624年ローマ出版の
『Libro Segundo de tonos y villancicos』がある。
それでも、サブロナーラのコレクションこそ、
ローペ・デ・ベーガの劇に直接関係する、
最も多くの歌が収められたものなのである。」

王室対大使であれば、
王室の方が本格的になるのは当然かもしれない。

サブロナーラの名前は、
本人の素性はともかく、
「サブロナーラの歌曲集」などが、
検索でヒットする。

一方、大使お抱えの音楽家とされたアラーネスは、
「チャコーナ」の作曲家だと思っていたが、
ひょっとすると、単なる編纂者なのだろうか。

「このコレクションの中で、
特に重要な位置を占めるのが、
アラゴンの作曲家、
フアン・ブラス・デ・カストロ(1631年没)
のもので、
彼は、ローペの友人であり、
ローペは『二重に神がかりの音楽家』と彼を呼び、
彼ら二人はアルバ公の宮廷で、
ほぼ同時期に奉職していた。」

このカストロの名前は、
CD収録曲目録後半、
Track16.と22.に見える。

Track16.ロマンス「二つの緑のポプラを編んで」。
神がかりとあるせいか、
まるで、後光が差したかのような、
精妙な和声の中でフィゲーラスの声が冴える。

「頭上にアーチをかけ、
そこの鳥たちを起こさないように。
タホ川が静かに波を打つ。
愛の抱擁のように、
木と木はつながっていたが、
妬んだ川は、その枝と枝を引き離した。」

かなり、昔語り的な、状況も鮮やかな内容。
まさしく、その通りの曲想で驚く。
それにしても、スペインの歌曲には、
やたらとポプラが出てくるようだ。

Track22.ロマンス「魂の幽閉場所から」。
これは、このCDの最後から二番目の曲で、
かなり、名残惜しい情感のもの。
「千のたくらみの罠にかけられ、
聡明さは眠り、理性の声が上がる」

しかし、途中からコルネットや太鼓も登場して、
かなり迫力のある中間部の盛り上がりを見せる。
「目覚めよ、戦いの呼び出しに結集」

最後は、再び、ふにゃふにゃとなり、
Balardoの意志は潰えた様子。

ローペには、「狂えるベラルド」
という劇があるそうだが、
それと関係があるのだろうか。

「ローペ・デ・ベーガは同時に、
その礼拝用の詩集、Rimas Sacrasで、
宗教的な主題を幅広く手掛け、
印象的なSi tus penas no pruevo, Jesus mio
(神と語る愛の独白)などが含まれる。
重要なことは、この詩は、
16世紀の最後の三分の一世紀の、
ポリフォニーの宗教曲の作曲家で、
最も、劇的で熱烈な
フランシスコ・ゲレーロ(1599没)に取り上げられ、
ヴェネチアで1589年に出版された、
彼の曲集『Canciones y Villasescas espirituales』
における、最も感動的な曲の歌詞となっている。」

最も感動的とあるように、
このCDでは、最後に収められている。
9分近い大曲で、
Track23.「優しいイエスよ、あなたの裁きには無力です」。

私はゲレーロを、もっぱらポリフォニー合唱曲を書いた人、
と考えていたが、ここでは、切々と朗唱するような音楽が聴ける。
伴奏も、ぶーんとヴィオールがうなっているだけ。

とても、訴える力の強い音楽で、
「わが愛、あなたなしの人生など、無いようなもの。」
といった内容が訴えられる。
途中で、お祈りのように、語る部分もあって、
まさしく、神様の前では何でもあり、
という感じがしないでもない。

ゲレーロの作品は、ここではほかにも2曲あって、
Track13.「Glosas soble Hermosa Catalina」
(「麗しきカタリーナ」によるグロッサ)という器楽曲。
これは、すでに紹介したように、
名残惜しい感じの曲だが、
ここで、ふと思い出した。

何だか、マルガリータ王女が嫁いだ、
レオポルド1世なども書きそうな音楽である。

Track10.「En tanto que de rosa」
(薔薇と百合はまだ染めず)があるが、
これは、フィゲーラスの歌でガンバ四重奏伴奏。
平尾雅子の名前が見えるのがうれしい。
が、主役はあくまでフィゲーラス。
息遣いも、臨場感たっぷりである。

高揚した初々しい音楽で、
「薔薇と百合の花の色は君の顔を染めないけれど、
君の激しくまっすぐなまなざしは輝き、
もう、心をつかむ。」
極めて、ダイレクトに心の高ぶりを描く。

神妙な宗教曲の作曲家と思っていたゲレーロであるが、
こんな熱っぽい世俗曲を書いていたのかと、
妙に感動した。

さて、このように、いよいよ解説は、
収録曲の説明の部分に入っていく。

「今回の録音に含まれるほかの多くの声楽作品から、
明らかに異なるスタイルながら、
ローペの当時の音楽との関わりの幅広さを、
もっとも普遍的に表したものである。
もちろん、私たちは、
対位法の曲集に収められた
この磨き上げられたバージョンが、
ローペ・デ・ベーガの時代に、
実際に劇場で演奏されたと言えるわけではない。
最も考えられるのは、
メインのメロディは即興の器楽伴奏で、
俳優によって歌われたことで、
このアンサンブルは時として、
16世紀中葉からのイベリア半島の音楽理論として
語られ、例示された、Contrapunto concertado
の原理によって、
よく確立された様式で演奏された事である。
これは、時に、単に一本のギターや、
ハープシコードやハープなど、
その他の和声楽器のみで伴奏される。」

「contrapunto concertado」は、
対位法的な伴奏なのだろうか。

「対位法的に作曲されたものでも、
特別な解決策が求められ、
演奏における基本である装飾や変奏のみならず、
ディエゴ・オルティス(1553)、
ジュアン・ベルミュード(1555)、
トマス・デ・サンタ・マリア(1565)などの
理論家によって紹介された原則などを考慮して
器楽の利用法に関しては、
現在、様々な復元の可能性が残されている。
ローペの演劇の中で用いられた音楽の多くの出典は、
しかし、入手可能な楽譜などから特定可能なものではなく、
『ここで、皆はギターに合わせ歌う』や、
『ここで彼らは歌い踊る』、
単なる『ここで音楽が聞こえる』
といった一般的な指示しかない。
彼の舞台の音楽環境を再構成する際、
様々な選択肢があるということで、
それは特に器楽曲に言える。
声楽曲の曲集の器楽バージョンを除いても、
イベリア半島には、
様々な楽器用の独奏曲のレパートリーがある。
オルティスのヴィオール用の『リチェルカーダ』(1553)や、
1530年代半ばから始まった、
ビウエラや鍵盤楽器の出版楽譜の膨大な一群が、
この用途用に適したものとなっている。
今回のアルバムでは、
これらの器楽のレパートリーから、
様々な領域を代表する作品を集めた。
彼の革新的な『Trattado de glosas』
(『ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏の装飾論ならびに変奏論 』)
の中で、
オルティスは、当時流行した
オスティナート・バスラインに従って、
様々な技巧的変奏をものした。
それらの中から、『Passamezzo moderno』、
『Romanesca』をここでは録音した。」

これらは、Track11とTrack3に、
かなり離れて配置されている。

オルティスのパッサメッツォとロマネスカは、
共に、わかりやすいメロディのヴィオール曲。
後者は、情熱的な歌の後、
ちょっとした息抜きのように置かれている。

「豊富なスペイン16世紀の
ビウエラのレパートリーからは、
器楽の対位法の洗練された伝統を代表して、
エンリケ・デ・ファルデラバーノの
1547年に印刷された曲集から、
2つのソネットを選んだ。
これはヨーロッパの撥弦楽器の
作品発展の先駆をなすもの。」

これは、Track2.とTrack7.で、
すでに聴いたものである。

途中、カベソンなどの解説があるが、
紙数が尽きたので、省略した。

解説は以下のように結ばれる。

「ローペ・デ・ベーガの傑作戯曲は、
純粋な文学作品、劇作品としてだけでは理解できず、
オリジナルでは、語られる独白と、
ステージで演じられる音楽との間で、
常時行われる相互作用を意識しなければならない。
しかし、ローペの劇場で演じられた
オリジナルのパフォーマンスでの即座の連携を超えて、
16世紀、17世紀のイベリア半島全体の、
統合できない文化的、精神世界のビジョンの
基本的要素を規定し、
当時、その場所の音楽の深い解釈についても、
同様の事が言える。
このレパートリーにおける称賛された
古典的な録音の編纂によって、
モンセラート・フィゲーラスと
ジョルジュ・サヴァールは、
魅惑的なスペインのSiglo de Oroの遺産によって、
劇場の音楽的側面と音楽の劇場的側面を同時に照らしだした。」

ローペ・デ・ベーガの作品には、
「日本諸王国における信仰の勝利」などという、
キリシタン受難関係のものもあるという。
もっと、日本で知られる必要がある。

得られた事:
「ローペ・デ・ベーガは、スペイン黄金時代の大戯曲作者であるが、ちょうど鎖国前の日本の知識もあり、無視できない存在である。」
「ポリフォニーと対比されるメロディは、リフレインが頻発するビリャンシーコや、有節歌曲のロマンセなど、この時代にやたら発展したが、それは、演劇の時に俳優によって歌われて普及した。」
「ゲレーロは、マリアの作曲家などとされ、宗教曲の作曲家かと思っていたが、とても初々しいソネットなどで、歌曲作曲家としても無視できない。」
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by franz310 | 2016-06-26 17:18 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その437

b0083728_2310076.jpg個人的経験:
サヴァールが、
独エレクトローラに録音した、
「セルバンテスの時代の音楽」を
聴き進んだが解説が面白く、
しかも参考になった。
スペインは、
「たまに大天才を生む国」
などと言われるが、
逆に言うと、大天才以外は、
日本ではなかなか調べる事が困難だ。
そこで、仕方なく、図書館で、
このあたりの本を探してみた。


前回、かなり書き飛ばしたが、
ドイツ製CDの解説にあった、
「この時期、サンタ・テレサ・デ・ヘススや、
サン・フアン・デ・ラ・クルスなど、
深い宗教的信仰の欠如した
有名なスペイン神秘文学が現れた」とか、
「ゴゴラ、ローペ・デ・ベーガ、
クエヴェド、フィグエロアなど
有名な詩人や無名の詩人の詩に、
ロマンセ、セギュディーリャ、ノヴェナス、
セスティーネ、カンショネス、デシマスなどの
音楽をつけた。」
という一節などは、
ちょっと気になっていた部分。

牛島信明著「スペイン古典文学史」(名古屋大学出版会)
によると以下のようになる。

テレサ・デ・ヘススは、日本では、
「イエズス会の聖テレジア」と呼ばれる、
とあるが、この人は、
「スペイン神秘主義文学の代表」であるとともに、
カトリック強化のために、
各地行脚で32の教会を建てた
「女傑」とされている。

また、デ・ラ・クルスは、
テレサ・デ・ヘススの弟子で、
日本では「十字架の聖ヨハネ」と呼ばれる、
「神秘主義者のなかの最高の詩人」だとある。

この人も、修道会改革運動に奔走して、
牢獄内で、非常に官能的な表現で、
詩人の魂と神の合一の神秘を著わした。

「文学史」によると、
実践活動と没我的瞑想こそが、
スペイン神秘主義の特異性であり、
スペイン精神の象徴だ、とのこと。

ゲーテの「ファウスト」の終幕合唱で現れる、
法悦の博士のようなものであろうか。

こんな実践と没我のやばい連中が、
当時の日本に来たら、
キリシタン禁制になること請け合いである。

先にあげた「文学史」の第9章が、まるまる、
「神秘主義文学」に充てられている。

また、私がゴゴラと書いたのは、ゴンゴラであった。
上記「文学史」では、第13章がまるまる充てられている。
セルバンテスが「最高の賛辞」を贈った詩人で、
「スペイン・バロック期最大の詩人」と紹介されている。

しかし、その詩風は難解で、ロルカらが1920年代に
復権を企むまでは、「誇飾主義」、「ゴンゴリスモ」などとされ、
紹介される詩でも、14行のものが、3ページの解説なしには、
意味不明なほど、隠喩で埋め尽くされている。

語順を変更、借景、隠喩などの駆使が、
その詩の特徴とあるが、
17世紀の常識がなければ、
手に負えるものとは思えない。
スペイン語でしか歌詞がないCDなど、
スペイン人でもわからないであろうから、
日本人が正しく鑑賞するのは、
恐ろしく困難であることが理解できよう。

ということで、
下記に私が、スペイン語の部分を、
何とか機械検索した部分は、
まるであてにならない、
と考えてよさそうだ。

ゴンゴリズムは、
「宇宙としての自然は、無限の迷宮である」、
という思想に裏付けられた、
知覚の過程そのものを目的とする高踏的な芸術、
ということらしく、
どうやら、こんなところで、
腰掛程度で語れるものではなさそうだ。

あと、私が、「クウェベド」だと思っていたのは、
ゴンゴラに続いて、上記「文学史」では、
第14章で、「ケベード」として現れる。

ド近眼でがに股でありながら、
剣の達人で最高の恋愛詩人とされ、
めちゃくちゃ破天荒なイメージの存在である。

ゴンゴラが現実から逃避したのに対し、
ケベードは、17世紀初頭の
スペインの衰退を憂えた憂国の士であるとされる。

国粋主義者にして、迷信深く、敵を作り、
「破廉恥博士、悪徳教授」と酷評されながら、
政治的策動に明け暮れ、翻弄されて死んだ。

ロペ・デ・ベーガは、
岩波文庫でも読めるので、
比較的知られており、
この人の作品にちなんだCDもある。

改めて「文学史」を読むと、
人妻であった女優との恋、
貴族の娘との蓄電、
別の女優との内縁関係、
金銭目当ての結婚、
三十歳近く年下の商人の妻とのスキャンダルなど、
「すさまじい生き方」ばかりが脳裏に残る。

しかし、そのすさまじさが、
創作の方面でも現れていることが重要だ。

千八百ものコメディアを書き、
現在でも五百篇が残るという超人的作家で、
「ロペのようだ」というのは、
「素晴らしい」と
同義語になるほどの時代の寵児だったという。

しかし、今回の主人公は、
セルバンテスである。

同じ、牛島信明著で、
岩波文庫の「セルバンテス短編集」を、
改めて手にしてみると、
サヴァールがわざわざ特筆したくなる理由がよく解った。
ここには、音楽愛好家なら、
是非とも聴いてみたくなるような、
音楽の話が、確かに沢山出てくるのである。

それにしても、岩波書店も、
これを文庫化してくれたものだ。
もちろん、作品は面白いし、
当時のスペインを研究するにも重要な資料だと思うが、
どんな読者をイメージしたのだろうか。

収められた4編の最初に収められた、
「やきもち焼きのエストレマドゥーラ人」は、
音楽の持つ、有無を言わさぬ力が主題であるし、
最後に収められた「麗しき皿洗い娘」では、
この「皿洗い娘」の働く旅籠の前で、
彼女の気を引く、小夜曲やロマンセが歌われる。

まさしく音楽愛好家必読の書であるが、
そんな読者層が、私とサヴァール以外に
いるのかどうかわからない。

この「皿洗い娘」は、結局、主人公ではないのだが、
とても可憐なイメージが初々しく、
この物語の詩的な雰囲気を
象徴的に表す存在であるとも言える。

旅籠の客たちが、踊りの会を開き、
主人公の一人がみごとなギターと歌を聴かせる。
「今はやりの陽気なサラバンダでも、
いささか卑猥なチャコーナでも、
ポルトガル渡来のフォーリアでも何でも、
好き勝手な踊りの曲を弾くがいいさ。」(牛島信明編訳)

目の前に光景が浮かび上がるようなシーンで、
とても、17世紀初頭のものとは思えない。

そして、驚くべき事に、
ここで、歌い始められるのが、
まさしく、私が気になっていた、
「チャコーナ」のようなのである。

「それじゃお入りみんなして
小粋な妖精も若い衆も
チャコーナ踊りは海より広い踊りだから」
などと、べたで紹介するかのように歌われている。

実は、サヴァールのCD
「セルバンテス時代の歌と踊り」の最後、
Track23.もまた、
アラネス作曲の「チャコーナ」。

これは、曲目解説には、
「このダンスを起源として、
様々な異なるセオリーが提供されているが、
オリジナルはアメリカ由来のものと、
明らかに早くから言われており、
セルバンテスは、『混血様式のインディアンの踊り』
と呼んでいて、
(作家の)ケベードも、
『混血様式のチャコーナ』と呼んでいる。
セルバンテスの『麗しの皿洗い娘』では、
もっとも興味深い記述を見ることが出来る。」
とある。

そして、何と、先の小説に出て来た、
「それじゃお入りみんなして」の歌詞が、
CDにも掲載されていた。

小説では、
「チャコーナ踊りでこの世は楽し、
アメリカ生まれで混血の
魅惑的な美女たるこの踊り」
と書かれているが、
このCDでも、
カスタネットのリズム刻みも鮮やかに、
若い頃のモンセラート・フィゲーラスの声が
扇情的にまくしたてられている。

いかにも、
「だいそれた冒瀆行為を
犯したとの噂はかくれもない」
という風情である。

なお、フィゲーラスは先年亡くなったが、
1942年生まれなので、
77年の録音であれば、35歳の声である。

CDの曲目解説にはさらに、
「ダンスも歌もあって、
道徳家をからかったこの曲は人気を博した。
この曲はなんとかその人気を維持し、
17世紀を通じて成功を収め続けた。
この時期、シャコンヌとして全欧に広がったが、
その過程で明らかにオリジナルの活力を失って、
フォリアやサラバンド同様、
ずっと荘重で儀式的なものとなって行った。
アラネスのチャコーナは、
コンティヌオを伴う四声のもので、
1624年に出版されている。」

私は、スペイン出身のマルガリータ王女が、
遠いヴィーンで聴きたくなったのは、
このような曲ではなかったか、
などと考えたりもしたが、
王女の生まれた年より早い出版であれば、
輿入れしてから欲しがったりしないかも、
などと考え直したりもしている。

が、スペイン由来の躍動感あふれる舞曲が、
ピレネーを超えると活力を失う事も知った。
王女が早世したのも理由があるということだ。

ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、
この王女を偲んだものとされるが、
この曲なども、完全に儀式的で荘重なものになっていて、
王女が喜んだとは思えないではないか。


さて、もとに戻って、
このCD解説でサヴァールが書いた部分を読んでしまおう。
まず、以下のように「ドン・キホーテ」に関する部分。

「多くの彼の作品の主人公は音楽家であり、
何らかの形で音楽に結びついている。
サンチョ・パンサが侯爵夫人に取り入る時の
有名なせりふを引用してみよう。
『マダム、音楽あるところに、
悪魔は入りこめません。』
ドン・キホーテは、
『サンチョ、わしは、お前に、
昔の遍歴の騎士たるものはなべて、
偉大な詩人であり、偉大な音楽家だったと
教えてやりたいのじゃ』と言い、
アルティシドーラは、
『ドン・キホーテが何か悪い事を思いつかないよう、
何とか音楽でも演奏するように、
リュートを置いておかないといけないわ』と言う。
ドン・キホーテは音楽家であって、
おそらく、即興演奏の能力も持っていた、
と考えることが出来る。
セルバンテスの多様なスタイル同様、
その語彙の音楽的な点も、
重要ポイントとして強調すべきであろう。
例えば、ドン・キホーテは、
『彼の意見で言えば、最も壮麗でメロディアスな名前』
であるロシナンテという名で、
愛馬を呼んでいるし、
彼の思い姫は、『音楽的で奇跡的な名前』、
ドゥルネシア・デル・トボーソと呼ばれている。」

この準主役たちの名前は、
日本でも有名かもしれないが、
音楽的な名前だと考えながら読んではいなかった。

「セルバンテスは、彼の全作品を通じて、
その深い音楽への造詣と、
とりわけ、彼の共感豊かな音楽理解の証拠を示しているが、
それは、人間の声が彼に恍惚と
影響を及ぼしていることからも明らかである。
私たちはしばしば、
それが、『魅惑的な歌』のように響くことを感じる。
時折、『あなたを驚嘆で満たし、
最後まで聴き通すしかなくなるような
かくも素晴らしく愛らしいハーモニーで歌う声』を感じる。
最も優れた例は、彼が晩年に創造したキャラクター、
歌手であるフェリシアーナ・デ・ラ・ボツで、
それは、彼女が世界最高の声を持っていたからで、
彼女の声と歌に身を委ねた
全聴衆を驚嘆させたからであった。」

さて、サヴァールの筆致も冴えてくる。
CD解説の以下の楽器の羅列は、
通常のオーケストラ音楽の多様性を超えており、
半分くらいが、すぐにどんなものか分からず、
五分の一は、楽器名も初耳であった。

「さらに言うと、最も興味深いのは、
楽器やその組み合わせに対する
セルバンテスの記述である。
そこには、弦楽器、鍵盤楽器が記載され、
レベック、ギター、ビウエラ、リュート、
ハープシコード、プサルテリー、オルガン、
管楽器では、フルート、ピファノ、ショーム、
ホイッスル、パンパイプ、ガイタ・ザモラーナ、
トランペット、ハンティング・ホルン、
トロンボーン、ビューグル、
トロンペタ・バスターダ、ホルン、
打楽器では、タンブリン、ドラム、
パンデロ、ジングル、太鼓、カスタネット、
カウ・ベル、ラチェットなどなど。」

また、以下の記述は、
「ドン・キホーテ」で知られる
世界文学の巨匠が生きた時代が、
波乱万丈の激動の時代であったのみならず、
音楽の面でも、極めて多様な土壌を持っていた事を
教えてくれる。

「セルバンテスの記載した音楽作品も、
その時代の音楽趣向のために、
多くの情報を与えてくれる。
彼が言及した数多くのロマンセ、
『del Conde de Montalban』
(これはTrack6にある)
有名なロンセスバリェスの戦いを描いた
『Don Beltran』(これはTrack7に収録)
ムーア人のロマンス、
『Abindarraez y Jerifa』 (Track2)
などは、この録音にも含めた。
後者のタイプの歌は、
非常に流行したが、
ムーア人の反乱を防ぐために禁じられた。」

ムーア人の郷愁をかき立てるものや、
やばいリズムでまくしたてる音楽には、
悪魔が住むのであろうか、
禁じられる事のあったのだろう。

しかし、現代の生活では、歌で嘆く習慣、
踊りを踊る習慣など、ほとんどなくなったが、
当時は、重要な人間としての生物活動だったのだなあ、
などと考えてしまった。

「セルバンテスが取り上げた
ビリャンシーコや歌曲、
『Madre, la mi madre』(Track15)
『Tres anades, madare』(Track12)
などはここでも歌われている」とあるから、
このあたりから聴くのを再開しよう。

前回、Track10まで聞いてきたから、
Track11から15の、
「愛のビリャンシーコ」と題されてまとめられた部分。

Track11.
バスケスの「Quien amores tiene」
「メロディックな断章をソプラノで変奏する
オスティナート歌曲様式の4部からなる作品。」
縦横に動く伴奏が面白く、
健康的で開放的な歌唱である。

Track12.
セルバンテスが取り上げたという
アンチエータ作曲の「Dos anades, madre」。
解説に「Tres anades, madare」(お母さん、3羽の鴨)
とあったのは、歌詞の冒頭である。
「彼の『Tesoro de la lengua』(言語の宝)で、
セルバンテスは、スペイン人がこの歌を歌うのは、
彼の肩に重荷を背負う事なく、
楽しく人生をやり過ごしたい時だ、
と説明している。
よく知られた以下の古謡に関する。」

「Tres anades, madre
pasan por aqui
mal penan a mi」とある。
なんの事やらさっぱりわからない。

が、次に親切な解説が来る。
「セルバンテスは、同様の意図で、
この歌を、『麗しき皿洗い娘』で使っており、
カリアーソがサーラからバリャドリーに、
いかに旅したかを表すのに、
道すがら、この歌を歌っている。」

これを頼りに、岩波文庫を取り上げると、
「気軽に鼻歌を歌いながら旅を続けて」とあって、
完全にこの歌の手がかりは消えてしまった。

スペイン文学の第一人者の訳ですら、
そうなっているのだから、
匙を投げてもよかろう。

これは、鈴の音を伴う、リズミカルな伴奏が面白く、
ギターとガンバの音色も渋い。
歌は、取り澄ました感じのものだが、
気楽に人生を過ごす心情であろうか。

アンチエータといえば、
ベルガンサが、ラビーリャの伴奏で、
「母さま、私は恋を抱いて」を歌っているが、
音楽は同じような気がする。

Track13.
「Al rebuelo de una garca」
これは上記題名のビリャンシーコの器楽バージョンで、
Venegas de Henestrozaの1557年の曲集にあるようだ。

いかにも、いにしえの歌、という風情の、
ガンバの合奏がしみじみとした感情をかき立てる。
とても美しいもの。

Track14.
オルテガの「Pues que me tienes, Miguel」。
(あなたには私がいます、ミゲル、)

「伝統的なメロディによる
カスティーリャの愛の歌の好例で、
対位法的、ホモフォニー的に作曲され、
ルネサンス期の宮廷の好みを示す。」

ちょこまかと早口で動いたり、
しっとり聞かせたり、変化の多い曲想。
小粋な若妻の歌であろうか。

Track15.「Madre, la mi madre」。
(お母さん、私のお母さん)
「これはセルバンテスの喜劇、
「エントレテニーダ」でトレンテが言及するもの。
この有名な歌は、
Pedro Rimonteが1614年に作曲したもので、
伝統的なメロディの2部のリフレインを持つ。」

これは、抑揚のあるメロディと、
ぽつりぽつりと朗唱風の部分が交錯するもの。
いかにも、口上を述べるようで、
スペイン的なからっとした、
「mas si yo no me guardo」のリフレインが繰り返される。

Track16以下は、
「歌と鐘のダンス」とあるが、
手拍子やカスタネットを含む様々な打楽器を伴う、
激しいリズムの曲が8曲並ぶ。
これらは、フォリア、バイレ、ヤカラス、
チャコーナなどと題されており、
以下の解説が役に立つ。

「セルバンテスは当時流行した、
フォークダンスや宮廷舞踏も
よく記載しており、
それらの中でも、
『folia』、『canarie』、『chacona』、
『gallarda』、『jacara』、『moresca』、
『seguidella』、『villano』、『zarabanda』、
そして、『perra mora』など。
『Perra mora』は舞曲名で、
最初に踊られた時のテキストの
最初の言葉から取られ、
後の変形判で使われた。
多くの『villano』(カントリー・ダンス)の
様々な変形もまた、
セルバンテスの作品から考えるに、
宮廷で洗練された。
『フォリア』(言うなれば狂騒舞曲)は、
『ザラバンダ』、『セグイディーリャ』、
『チャコーナ』などと同様、
当時、非常に荒々しい踊りであったが、
(セグイディーリャはすぐに忘れられたが、)
17世紀を通じて、
ほとんど全欧で流行した時には、
よりゆっくりと穏やかなものとなっていた。」

ということで、
私が前に、ヌリア・リアルが歌ったCDで聴いて、
スペイン風だと喜んだのは、
すべて、こうした舞曲の類だと分かった。

おそらく、その中には、
宮中では聴く事が禁じられ、
民衆のみが楽しんでいたものもあろう。
そうしたものを姫が、
何かの機会に耳にした事もあろう。

むしろ、そうした粗野なものにこそ、
大きな誘惑が隠れているであろうし、
異郷の地で、思い出さずには、
いられないものになった可能性もあろう。

夜な夜な、窓の下で、
甘いセレナードを奏でられた「皿洗い娘」に、
マルガリータ王女の姿が重なる。

Track16.
オルティスの「フォリア8番」。
「ディエゴ・オルティスが1553年の曲集には、
オスティナート・バス上の変奏の例がいくつかあるが、
このリチェルカーダは、有名なフォリアによるもの。
チャコーナやサラバンデを除くと、
セルバンテスの時代、
フォリアは最もよく知られ、
ポピュラーなダンス形式であった。」

オルティスのこの曲集は、サヴァールは、
別に、コープマンらと再録音を残している。

フォリアとは思えぬ、
風格のある印象深いガンバ曲で、
ガンバ奏者であるサヴァールにとって、
特別な作曲家であるのかもしれない。

Track17.
マテオ・フレッチャの「La Gerigonza」。
彼のエンサラーダに含まれる有名な曲で、
赤ちゃんのガラガラ遊具を模して、
手拍子や指鳴らしを含む楽しいもの。
有名すぎて、スペイン各地から楽譜が見つかるらしい。

リアルのCD(グロッサ)にも入っていた。
ヌリア・リアルのものは、
オカリナだかリコーダだか鄙びた笛や、
まさしくガラガラのようなものが入っていて、
軽快に鮮やかに二重唱で歌われているが、
サヴァール盤は、よりモノトーンで、
フィゲーラスの独唱を手拍子と、
ギター、ガンバなどが支えている。

歌詞を見ると、「悪魔のもとへ」
「ペテン師」などの単語。
ちなみに「がらがら」は魔除けである。

Track18.
マーティン・イ・コルの「El Villano(農民ダンス)」。
17世紀風の即興を交えて演奏される、
1708年の曲集より。
セルバンテス時代にあった確証はないようだが、
考察の上、ここに収録された。

ここで笛やヴァイオリンが登場。
太鼓も聞こえて楽しい踊りである。

Track19.「セギディーリャ、De tu vista celoso」
(嫉妬深いあなたの眼)
この曲種はセルバンテス時代に先端であったが、
すぐにすたれたものらしい。
作者不詳のもので、1600年頃の曲集より。
ドン・キホーテで、セギディーリャは言及されているらしい。

ここでも、フィゲーラスが、
一心不乱に歌っているが、
激しいアタックを伴う伴奏が煽り立て、
題名にふさわしく劇的な情景なのであろう、
気の毒なほど、声をふり絞っている。

Track20.
アントニオ・デ・サンタ・クルーズの「ヤカラス」。
物憂いまとわりつくようなメロディを、
一人、ギターが弾奏し、
カスタネットも鮮やかな、
いかにもスペインのお国もので、
ステレオ効果が面白い。

解説も興味深く、
「こそ泥や悪党がはびこる『裏社会』から、
おそらく出てきたものと思われ、
当時、いわゆるピカレスク小説が表現したような、
特にアンダルシアなど、
スペインにおけるある種の流れ者の社会集団のもの」
などと差別用語を列挙してある。

Track21.マテオ・ロメオ「フォリア」。
歌がついていて、
「A la dulce risa del alva」
(暁の甘いほほえみ)
という歌いだし。
「フォリアは文字通り荒々しい舞曲だったが、
チャコーナやサラバンデ同様、
17世紀を通じて落ち着いたものになって、
1700年頃にはゆっくりとしたダンスになっていた。」

このトラック収録曲でも、
「その様子がうかがえる」とあるが、
何か特別な打楽器が打ち鳴らす
特徴的なリズムが目立つものの、
フォリアとは思えない小粋な歌曲。

Track22.マーティン・イ・コルの
「Danza del hacha(斧のダンス)」。
「この宮廷舞曲は15世紀から知られていたが、
17世紀、18世紀になっても踊られていたもの。
このディスクのためには、
17世紀風であるという考察から、
1708年のマーティン・イ・コルのものを使用。
16世紀に流行したロマネスカの一種。」

これも、いかにもルネサンスの舞曲集、
などに登場しそうな素朴だが、
それなりに、古雅で格調も高いもの。
非常に控えめなもので、
最後の「チャコーナ」を盛り上げるようになっている。

Track23.
アラーネスの「チャコーナ」で、
このCDは閉じられている。

サヴァール自身が書いた解説は、
次のように閉じられる。

「セルバンテスの時代の世俗音楽の
魅惑的な多様性を概観するべく、
この偉大な作家の作品における重要作品から、
その音楽的クオリティや歴史的重要さ
という理由のみならず、
その洗練されたパワーや
代表的な性格を理由に選曲した。
300年以上前に作られた音楽では、
容易ではない事でもあり、
これらの曲の演奏については、
当時の典型的なものから、
歴史的、技術的、形式的要素について、
異なる取り扱いを行った。
これらのロマンセ、歌と踊りが、
古の人々の魂の表現であった
という事実を考えると、
これを歴史的出来事としてではなく、
無比の音楽の反映や結晶化として、
現代の我々が体験し、理解できるような、
永続的な表現になっているか、
これらは基本的な問題となる。」

このような、様々な思考と趣向を凝らして
出て来たレコードであるから、
これまでのような寄せ集め商品からは得られない
充足感を感じずにはいられない。

なお、このCDは、のちに、ヴァージン・レーベルで、
ものすごく廉価な寄せ集めCDとなって出回っているが、
それには、このような解説はない。
私は、解説が読みたくて買いなおした。

得られた事:
「岩波文庫にある『セルバンテス短編集』を片手に、サヴァールのCDは楽しむべし。」
「特に、『麗しき皿洗い娘』を読むと、この理想化された娘がまとう雰囲気も手伝って、詩情豊かに、当時の音楽や風俗に思いを馳せることができる。」
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by franz310 | 2016-05-03 23:11 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その436

b0083728_16483338.jpg個人的経験:
はからずも、
スペイン古楽の大御所たち、
サヴァールとモレーノ
のアンソロジーのCDを
続けて聴いてしまったが、
残念ながら、
いずれも寄せ集め的で、
スペイン音楽に対する解説は、
十分とは言えなかった。
これらの元になった、
CDも聴いてみたいものだ。


前回聴いた、グロッサ・レーベルの、
ホセ・ミゲル・モレーノの演奏、
ヌリア・リアルの歌ったCDでは、
「Jacaras」や、
チャコーナ「素敵な人生」が
いかにもスペインのエネルギーという感じだった。

私が不案内だっただけのようで、
この業界では、これらの曲は有名な模様。

「Jacaras」は、
サヴァールのアンソロジーのCDでも、
収録されていて、
「素敵な人生」も、サヴァールは、
「セルバンテス時代の歌と踊り」という、
大昔の録音(1977、EMIエレクトローラ)で、
締めくくりの楽曲として使っていた。

今回取り上げたCD、
「チャコーナ」や「ヤカラス」とは、
いったい何なのだ、
ということが取り上げられているのもうれしい。

さて、前述のように「ドン・キホーテ」という
世界文学の傑作で知られるセルバンテスだが、
「レパントの海戦」に従軍しているから、
フェリペ二世の時代の人で
1547年生まれなので、
マルガリータ王女より100年前の人である。

フェリペ二世といえば、
「黄金時代」を築いた苛烈な君主というイメージで、
このセルバンテスをタイトルに飾るCDに、
この「素敵な人生」が入っているのは、
少々、違和感を感じないでもない。

が、確かに、「ドン・キホーテ」も、
フェリペ二世とのつながりなどが、
あるようにも見えないのだが。

このCD解説、
そのあたりの事から書き起こしているのも、
歴史観を検証する上でも、
音楽史を概観する上でもありがたい。
マルガリータ王女が生まれ育った国を、
少し前の時代から俯瞰しても良いだろう。

表紙はヒエロニムス・ボス風。
割れた卵が意味深で、真珠がこぼれ落ちている。
これがスペインやセルバンテスと、
どう関係するのかは不明。

前回聴いたリアルが歌う、
ホセ・ミゲル・モレーノのCDは、
アンソロジーもので、
元の企画が、
「《ドン=キホーテ》のための音楽」
(ロマンス・歌曲・器楽による小品集)
というものだったから、
セルバンテスのCDと重なりある収録となっても
おかしくはないのであろう。

このCDは、「歌と踊り」という事で、
いわば、「歌」を担当するサヴァールの
演奏家としての立ち位置とは別の観点で、
このCDには、さらなる解説がある。
それは、Ursula Vencesという人が書いたもので、
いわば、「踊り」の方を担当した解説のようだ。

「スペインでおそらく最も有名な詩人、
不滅の『ドン・キホーテ』の作者、
ミゲル・デ・セルバンテスの時代は、
文化的にも政治的にもスペインの黄金時代であった。
厳格で禁欲的なハプスブルクの王様、
フェリペ2世の治世で、
欧州では宗教戦争、
特にトルコなどでは異教との戦いに明け暮れた。
スペインに、再度、地中海支配を保証した、
有名なレパントの海戦(1571)によって、
詩人で兵士であったセルバンテスは左手を失う。」

このように、このCDは、
言い換えると、
セルバンテスの名を借りた、
「スペイン黄金時代の歌と踊り」
という内容になることが分かる。

「宗教上の論争では、
スペインは異端裁判で対応し、
信仰や文学に厳しく目を光らせていた。
この時期、サンタ・テレサ・デ・ヘススや、
サン・フアン・デ・ラ・クルスなど、
深い宗教的信仰の欠如した
有名なスペイン神秘文学が現れた。」

さすが、絶頂期ということで、
セルバンテスのような普遍的なものも現れた一方で、
日本では知られていないような、
独特のものも多数花開いたことが分かる。

「この時代は、同時にスペインが領土を大きく拡張し、
巨大な富が海外植民地から流入、
しかし、一部の豪華だが無駄な装飾の多い、
壮麗なカテドラルや宮廷以外は、
下層階級のみならず、
(ピカレスク小説にあるように)
手仕事を見下すがゆえに、
生活を擦切らしていた
ジェントリー階級にも
非常な貧困がはびこっていた。」

このCD解説のこの部分もなかなか味わい深い。
いわば、文化的な労働観などが、
なんと、セルバンテスや、
その時代の音楽と関連付けて語られるなど、
あまりにも思いがけない展開ではないか。

「これが、セルバンテス時代の
公式のスペインである。
マドリッドに対して、
不毛の高地に設けられた、
フェリペ2世が創建して住んだ、
宮廷兼修道院、
エスコリアルの建設に、
こうした事は反映されている。
しかし、こうした、いささか厳しい
スペイン描写に対し、
もう一つの快活で
人懐っこいスペインを、
その様式や習慣、
その踊りや歌と共に忘れるのは
不完全なことである。
セルバンテスは、かつて、
『踊り手になるべくして生まれない
スペイン女はいない』と言った。
そして、ドン・キホーテの第2巻でも、
宮廷の女性たちのダンス狂いについて、
明確なイメージを与えてくれている。
彼女らは、騎士がホールの真ん中で、
座り込むまで、その回りを回り、
疲れ切って忘れがたいため息を残す。
『Fugite,partes adversae』」

これは、「聖アントニオの要約」とされるもので、
邪悪な誘惑から逃れる
「敵どもよ、去れ」という意味の
お呪いらしい。

どうやら、この舞踏は、
恐ろしい誘惑の悪魔が宿るようだ。

確かに、「フォリア」などは、
「狂気の」「ばかげた」
という意味から来た舞曲だと言われている。

サンチョ・パンサが言った言葉とは異なり、
実際、悪魔が宿るような音楽もあったはずであり、
岩波文庫にある、セルバンテスの「短編」でも、
音楽は、むしろ、悪用されていたりする。

「貴族の間での最も人気あるダンスは、
アルマーナとガラルダで、
ダンスというより、
気品あるステップで、
器楽の音色に合わせ、
紳士は手袋やハンカチで淑女を誘う。
人気のあったダンスでは、
カスタネットで伴奏される
生き生きとしたbaileが流行り、
比喩的な厳かなダンスにどんどん置き換わっていった。
最も典型的なダンスは、
一人で踊るカポニアや、
狂ったようなテンポと
生き生きとした身振りが特徴的な
ラストレアドがあった。」

後述のサヴァールの解説も、
楽器名で頭がくらくらするのだが、
ウルズラ・ベンチェスの解説でも、
踊りの名前の列挙が頭の思考を停止せしめる。

このような解説が、はたして、
このCDの鑑賞に意味があるのか、
だんだん分からなくなってきたが、
ヤカラスやチャコーナも、
セルバンテスの小説を読む以上に、
詳しく出てくるのだろうか。

さて、CD解説を読み解くと、
「セルバンテスの小説、
『やきもちやきのエストレマドゥーラ人』
にあるように、
サラバンドの『悪魔的な響き』は、
何か新しいとあるように、
最新の流行についての記述に、
多くのインクが使われている。」
と続くが、
確かに、「聖なる主題を扱ったサラバンダ」
という記述がある。

サラバンドは、野卑にすぎるということで、
16世紀末にスペインでは禁止になったとも聞く。
セルバンテス一流の皮肉かもしれない。

「他のレポートによると、
これは、1588年に、
悪名高いセビーリャの女性が発明したらしい。
ザラバンダは一般には、愛と風刺の滑稽な歌を伴奏に、
婚礼や同様の儀式で踊られるものであった。
カスタネット、ギター、タンバリン、
タンブラン、バグパイプが、
最も重要な伴奏楽器であった。」

このような解説からも、
おそらく、この演奏もまた、
こうした資料を根拠に編成されて、
演奏されているものであると類推できる。

「danza de cascabeles(鈴の踊り)
は、くるぶしに小さな鈴が付けられた。
他のダンス、例えば遍歴の学生によって、
フォリアが踊られ、
『セギュディーリャ』や『セラニラス』は、
同名の歌詞によるものである。
これらの踊りの他に、
無数の形式のダンスが記録されているが、
これらは、おそらく流行による
自発的な変形例だったと思われる。」

この解説者は、踊りの専門家なのであろうか。
まだまだ、ダンスの話は続く。

「すべての教会でのお祭りでもまた、
ダンスをする機会があった。
人々は教会内でも踊り、
祭壇の前でも踊った。
このように、祝祭は、
その祝典性、幸福な性格を帯びて行った。
例えば、セルバンテスの
同名の短編に出てくる
『小さなジプシー娘』のように、
神聖なビリャンシーコ、
聖なる舞踏の歌を、
聖アンの絵の前で、
カスタネットや鈴をつけて
踊らなければならなかった。
さらに、数え切れないほどの、
守護聖人を讃える
列聖式、列福式や、
聖遺物の遷移や修道院や教会の叙階式、
特に毎年の聖体祝日のお祭りは、
しばしば熱狂的な踊りで中断され、
祝砲やファンファーレがあって、
器楽と聖歌が繰り返された。」

かなり、宗教行事としては俗っぽいが、
そうでもしないと、
こうした異教も混ざり合う地域では、
信徒を集める事が出来なかったのかもしれない。

「これらのソロのダンスの他、
同業組合の群舞や職業群舞もあった。
絹織物職人は『danza de los palillos』を踊り、
それは、色のリボンが付いた、
小さな棒を持つものだった。
『danza del cordon』では、
各16人の踊り手が、
17番目の踊り手が持つ、
中央を花で飾ったロッドに繋いだ
色のリボンで円形をなして踊るものだった。
戦いの真似を含む剣舞、
『danza de las espedas』もあった。」

どんちゃん騒ぎの描写ばかりが続くようだが、
これがまた、色鮮やかな情景が、
目の前に展開されるような感じもする。

それにしても、人間本来の表現手段の一つとして、
これほどまでに踊りが重要であったのか、
という事実までを考えさせられる。
限りなく完全に、
現代では失われてしまった文化かもしれない。

「装飾的な衣装による踊りも人気があった。
ムーア人支配からの解放などの、
国のイベントでは、そうした振り付けもあった。
最後に大事な事を述べると、
群舞の中には、単に楽しいものだけではなく、
教訓的な寓意ダンスもあった。
ハプスブルク王朝時代の
舞踊での中世スペイン芸術は、
まだ、この地域が発展途上でもあり、
アラブの習慣や伝統に影響を受けていたに違いない。
それにしても、イギリスのモリス・ダンスは、
いかにスペインのムーア人の踊りが、
はるか北に伝わり、
発展したかを示している。」

なるほど、スペインの特殊性が、
こうしたムーア人からの政治的独立と、
文化的癒着の狭間で育まれた、
というのも、妙に納得できるではないか。

このようにして、
教会でさえ演じられる、
スペイン舞曲の多様性、特殊性が語られたが、
それだけで終わるものではない。

「スペインのコメディアは」とはじまる部分が続くのである。
「黄金時代、人気のあった劇場は、
ダンスが挟まっていた。」

当然、神聖な場所でも踊られるのであるから、
こうした楽しい場所でも、
ダンスは盛んであったと想像できる。

「ある種の専門家の意見によると、
スペインの演劇のアトラクションの中心で、
民族舞踊が実際に使われた。
これらの舞曲の騒がしさ熱狂性は事実、
劇場をめちゃくちゃにするほどで、
こうした事が禁止される理由にもなった。
最後に、コメディアからのダンスは、
バレに発展し、
独立した劇的な舞踊演目となった。
これは、一種の幕間劇で、
一部または、全部に歌があった。
ダンスは、歌や音響と離れることはなく、
民族音楽はほとんどが歌と踊りが一緒のものである。
ギターは最もポピュラーな国民楽器、
民族楽器で、沢山の短い詩歌に作曲された。
ギターの他に、ハープ、マンドリン、
タンバリン、バグパイプが
もっとも人気のある楽器であった。
作曲家は、教会の歌手であったり、
合唱長であったり、
宮廷の室内楽演奏家であったりしたが、
とりわけ、ゴゴラ、ローペ・デ・ベーガ、
クエヴェド、フィグエロアなど
有名な詩人や無名の詩人の詩に、
ロマンセ、セギュディーリャ、ノヴェナス、
セスティーネ、カンショネス、デシマスなどの
音楽をつけた。」

こうした研究は、
いかにも見てきたように語られているが、
それが、どういう根拠かを教えてくれるのが、
以下の記載で、なるほどと思わせる。

「現在、ミュンヘンの州立図書館にある、
ドイツの王子がスペインから故郷に持ち帰った
1624年10月から1625年3月に
クラウディオ・デ・ラ・サブノナーラ
によって、
ウォルフガング・ウィルヘルム・フォン・ノイブルク
のために編纂された高価な楽譜によると、
良く知られたコミック・ソングやラブ・ソングは、
宮廷や中流階級の家庭のみならず、
路上でも歌われ、演奏された。」

当時の地域を超えた交流の中で、
各地域の特性というものが紹介され、
伝わっていったのだろうが、
こうしたドキュメント類は、
現代に向けた重要レポートにもなっている、
ということであろう。

「一般的なダンス・ソング形式は、
16世紀初期から用いられていることが記録され、
その人気の高まりが分かる。
セルバンテスの短編、
『麗しき皿洗いの娘』は完璧な例であって、
ここでは古典的なソネットが、
ハープ、ビウエラの伴奏で歌われ、
典型的な歌による表現である、
バラードのスペイン系であるロマンセを、
プロの音楽家が歌い、
自発的にダンスが起こっている。
当時の宮廷音楽と同様、
ダンスと歌と器楽が一緒になって、
相互作用として理解することが出来るのである。」

さて、このCDの解説の半分は、
演奏、指揮しているサヴァール自身が、
自ら認めている部分であって、
これがまた、恐ろしい博学ぶりを披歴したもの。
音楽と文学をクロスオーバーして、
非常にスリリングである。

「16世紀、17世紀のスペイン音楽では、
ミゲル・デ・セルバンテスは、
スペイン人の音楽嗜好、生活を考察するのに、
無尽蔵な源泉となっている。
ドン・キホーテのみならず、
「やきもち焼きのエストレマドゥーラ人」、
「ジプシー娘」、「麗しき皿洗い娘」など、
彼の作品の多くにおいて、
音楽が基本的な要素となっていて、
とりわけ、喜劇や幕間劇において、
各要素が異なるシーンと関連付けられている。
セルバンテスは、音楽で多くの部分を際立たせている。」

「ドン・キホーテ」しか知られていない
セルバンテスであるが、
これらのいくつかは岩波文庫で読める。

さて、このCDの内容であるが、
Track1.に収録された、
「La perra mora」
からして、
実は、どう解釈してよいかわからない、
悩ましい表題のものだ。

CDの曲目別解説部によると、
「このダンスは、彼の小説『麗しき皿洗い娘』で、
チャコーナ、サラバンダ、ペサメ・デーロと一緒に
セルバンテスによって述べられているものである」
とあるから、
岩波文庫を見てみると、
若者が歌う歌に、こんな風に出てきていた。

「やんごとなきあの婦人も
心浮き立つサラバンダ踊り、
さらに、流行りのペサメ踊りや
ペーラ・モーラ踊りに誘われて」

ということで、
サラバンダ、サラバンド並みにやばい踊りだったと、
推測することができる。

翻訳した牛島信明氏も、
「La perra mora」
をそのまま、カタカナにしただけであった。

さらに、曲目解説では、
マドリッドの北東の街にある、
「メディナセリ図書館に手稿として所蔵の
ペドロ・ゲレーロによるバージョンで、
5/2拍子、複雑な四声のリズミカルな構造のもの。
テキストは不完全で以下の部分のみが残っている。」
とされている。

「Di perra mora
di, matadora
por que me matas
y, siendo tuyo
tan mal me tratas?」

そもそも、このCDでも歌はないようで、
異教的な太鼓のリズムに、
弦楽やら撥弦楽器が絡まり合って、
エキゾチックな雰囲気を漂わせていく。

サヴァールの解説にも、
「セルバンテスは当時流行した、
フォークダンスや宮廷舞踏も
よく記載しており、
それらの中でも、
『folia』、『canarie』、『chacona』、
『gallarda』、『jacara』、『moresca』、
『seguidella』、『villano』、『zarabanda』、
そして、『perra mora』など。」
とセルバンテスが、
様々な踊りを取り上げたことを力説し、
最後にこの「ペーラ・モーラ」を持ってきて、
「『Perra mora』は舞曲名で、
最初に踊られた時のテキストの
最初の言葉から取られ、
後の変形判で使われた。」
と結んでいる。

Track2.
ピサドール作曲「アビンダラーエスのロマンセ」
もまた、この岩波文庫の短編で、
色男の兄ちゃんが、
「なにしろおいらは、
モーロ人アビンダラーエスと
美姫ハリーファの恋を歌ったやつや、
アレクサンドリアの名将
トムンベーヨの偉業を称えたものなら
ひとつ残らず知ってる」
と言っているもののひとつであろう。

しばらく前に亡くなった、
フィゲーラスの声が聴けるが、
かなり、朴訥なもので素朴な民謡風。
どんぶらこどんぶらこ、
どっこいしょどこいしょと、
とても、美しい姫が出てくる歌とは思えない。

曲目別解説では、
「アビンダラーエスとハリーファのロマンスは、
広く知られていて、1ダース以上の版が残っている。
あるものは史実に基づき、あるものは小説由来である。
ここでは、1552年のディエゴ・ピサドールのもの」
とある。

Track3.
ムダーラのファンタジアとガリャルド。
素朴でスペイン的なビウエラの独奏。

Track4.
バスケスの「モーロの王のロマンセ」。
もの悲しい、フィゲーラスの歌。
急襲を受け、グラナダの領地を失った王様の悲歌。

Track5.
フォルクローレ風に笛が吹かれる、
「Cancionero de Palacio」
に基づく器楽曲。

以上は、セルバンテスとの関係は不明。

Track6.
ムダーラのロマンセ、「クラーロス伯爵」。
ビウエラ独奏曲。
ドン・キホーテで、
この歌の最初のフレーズが出てくるらしいが、
「クラーロス伯爵」の歌が収められているわけではない。
ムダーラが有名すぎて、元が何なのか分からない。

ヒスパ・ヴォックスから出ていた、
スペイン古楽集成の「ビウエラの音楽家たち」
のCDにも、ムダーラ作曲のものと、
ナルバエスのものが、
「クラーロス伯爵、ディフェレンシアス」として、
収録されていた。

ここの解説でも、「よく知られていたロマンセ」の主題、
とあるだけで、それ以上の情報はない。

Track7.バスケス作曲の
「ドン・ベルトランのロマンセ」は、
このドン・キホーテに関係するものらしい。

これは、778年のロンスヴァルの戦いに関するもので、
16世紀には、非常に知られていたものだ、
という理由で、ここに収められた模様。
「死が私を捉える」という、フィゲーラスの悲しげな歌。

しかし、ドン・キホーテが、昔の騎士の時代に憧れ、
時代錯誤に陥っていたという状況設定は、
こうしたシャルルマーニュ時代の物語が、
親しまれていた、ということであろうか。

Track8.
Track9.
これらはヴィオラ・ダ・ガンバの合奏曲で、
深々とした響きが、悲しげな雰囲気である。
ルイ・ヴェネガスが書いた変奏曲。
ロマンセによる。
これも、ドン・キホーテが、
高尚な気分に浸りたくなるような音楽かもしれぬ。

Track10.
ゲレーロのマドリガル、「Dexo la venda」
田園詩で、恋愛を歌ったものらしいが、
とても簡素ですがすがしいもの。
詩と器楽の発展が、微妙な調和を育んだ、
初期の例として、サヴァールは取り上げた模様。
清潔感のある器楽伴奏もフィゲーラスの声も小粋である。

この曲もセルバンテスとの関係は不明であるが、
こうした曲も入れないと、
セルバンテスの時代は、どんちゃん騒ぎか、
悲痛な音楽ばかりだと錯覚してしまうところだった。

歌詞は、Balthasar de Alcazarによるとあるが、
これも何者か、私にはわからない。
ゲレーロはむしろ宗教曲で有名な作曲家だが、
シューベルトの死の年のちょうど300年前に生まれている。

このCD、まだまだ、続きがあるが、
今回は、このくらいで終わりにする。

得られた事:
「スペインのダンスは、ムーア人支配からの解放の祝典などで発展し、宗教的な場でありながら、どんちゃん騒ぎを伴うという奇抜な独自性を誇った。」
「シューベルトの300年前の作曲家ゲレーロは、早くも歌と器楽部展開の調和を模索した歌曲(マドリガル)を書いている。」
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by franz310 | 2016-04-16 16:50 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その434

b0083728_19513229.jpg個人的経験:
ベラスケスが連作で、
その成長ぶりを描いた事、
傑作「女官たち」の中央に、
彼女の姿を描いた事から、
スペインのマルガリータ王女は、
絵画史の中では、
非常に有名な愛らしい存在だが、
音楽史など歴史の上では、
作曲もしたハプスブルクの皇帝、
レオポルド1世と結婚し、
豪華な婚礼をあげた王妃であり、
また、すぐ死んでしまったという
悲劇の王妃でもある。


ベラスケスが、
このスペインの王女を描いたのは、
そもそも、遠く離れてヴィーンにいる
このレオポルド1世に、
王女の成長ぶりを見せるためだった、
ということらしい。

だから、ヴィーンに、
子供時代の「薔薇色のドレスの王女」、
「白いドレスの王女」、「青いドレスの王女」
というあどけない表情が
残されているというのだが、
本当にこんなに小さい頃から、
この国との結婚話が決まっていたのだろうか。

ベラスケスは、8歳の王女を描いて亡くなったので、
成長してからのマルガリータ王女の肖像を、
この巨匠が残していないのが残念でならない。

レオポルド1世との関係は悪くなかったようで、
マルガリータが、生国スペインの音楽を聴きたいというので、
王様は、楽譜を取り寄せようと努力したという。

いったい、マルガリータ王女は、
どんな音楽が聴きたかったのか。

彼女は、1651年7月12日生まれで、
1673年3月12日に、
わずか21歳で亡くなっている。
しかし、この時代に、
スペインにどんな作曲家がいたかというと、
カベソン、ゲレーロ、ビクトリアなどは、
前の世紀の人々だし、スカルラッティやソレールは、
次の世紀の人である。

かろうじて、
ガスパール・サンス(1640-1710)の名が、
「ある貴紳のための幻想曲」でロドリーゴが、
オマージュを捧げた作曲家として知られているくらいか。

サンス自身の作曲も、ギター曲の印象が強く、
王侯貴族が、ゴージャスに聴いた音楽という感じではない。
純粋な器楽曲に耳を澄ます若い姫君というのも、
ちょっと、違う感じがする。

もしも、レオポルド1世が、
あんなに音楽気違いでなければ、
「いいかげんにせい、
わがヴィーンにはイタリアから、
ボヘミアまで作曲家を取りそろえ、
音楽なら何でもあるではないか」
とプライドを傷つけられ、
「スペインに何があるんじゃ」、
と怒りそうな気さえする。

さしずめ、マルガリータ王女は、
スペイン音楽愛好家にとっては、
スペイン音楽後援会名誉総裁などとして。
位置づけても良いのかもしれない。

そのせいか、というのも強引かもしれないが、
フランスの古楽のレーベルで、
好録音でも有名なASTREE(アストレ)が、
「ESPANA」(スペイン音楽のアンソロジー)
というサンプルCDを出した時にも、
この王女の肖像が表紙を飾った。

このレーベルは、フランスの名プロデューサーで、
2006年に亡くなった、
ミシェル・ベルンシュタインの創設したレーベルらしい。
スペインの古楽の星、ジョルジュ・サヴァールを
EMIから引き抜いての事業であった。

M.ベルンシュタインは、
VALOIS(ヴァロワ)という、
古楽以外のレーベルも設立していて、
スペイン音楽のアンソロジーを作るには、
こちらの音源も必要だったので、
このCDの表紙には、二つのレーベル名が並んでいる。

なお、これらは、AUVIDISという会社に
買収されており、このCDには、
この社名も入っている。
恐ろしく複雑な経緯のものであることが、
表紙の左下に並ぶロゴによっても読み取れる。

なお、AUVIDISもまた、
1998年に、
naiveに買収されてしまったので、
これらのレーベルで録音された音源は、
naiveからも出ているのがややこしい。
なお、この際、サヴァールも離脱している。

このCDは、前述したように、
サンプルCDなので、
ブックレットを見ても、解説はなく、
寄せ集めした際の各曲の、
元のCDのカタログになっているだけであるが、
20枚以上のCD表紙のカラー画像が出ているので、
めくっているだけで幸せな気分になれる。
各CDがそれぞれ、絵画を中心にした、
素敵な装丁が施されているからだ。

大部分がアストレのもので、
ヴァロアのものは、
アルベニス、ファリャ、ジェラール作曲のもののみ。

また、このCDは、録音が素晴らしい。
雰囲気たっぷりの中、
様々な楽器特有の音色が冴えている。
スペインというタイトルのもと、
適当に持ってきたはずの内容だが、
どの曲も美しく響くので、
全体の統一感など気にならず聴き進んでしまう。

楽器編成も様々で、
チェンバロ、オルガン、ビウエラ独奏、
合奏、オーケストラ、独唱、合唱と、
まったくてんでんばらばらで、
本来であれば、
それぞれのオリジナルCDを聴くべきであろう。

しかし、上述のように、
めちゃくちゃな変遷を経たレーベルなので、
これら全部を集めるのは大変なのではなかろうか。
それを別にしても、どんどん聴けてしまう。

Track1.は、「シビラ(巫女)の歌」からで、
10世紀から11世紀のものとされる、
「ラテンのシビラ」の抜粋が6分聴ける。

サヴァール夫人、故モンセラット・フィゲラスの
十八番だったらしく、
ここでも、聖堂内の豊かな残響の中、
らっぱであろうか、エキゾチックな角笛のような独奏のあと、
たっぷりとした合唱の中から、
サヴァールのヴィオールと、
彼女の澄んだ声が浮かび上がる様は、
完全に異空間に我々を連れ去る。

このあたりは、かなり異教的なものを感じるが、
スペイン独特の要素があるのかないのか、
不勉強にして分からない。
オリジナルCD表紙は天使のタイル画のように見える。
少々、イスラム風かもしれない。

フィゲラスは42年生まれなので、
45歳くらいの時の声である。

Track2.
スペインの16世紀の作曲家、
バルトロミュー・セルセレス
(Bartomeu Càrceres)の
「ビリャンシーコとエンサラーダ」で、
打ち鳴らされる太鼓を背景に、
管楽器のアンサンブルが、晴朗な合奏を繰り広げている。
これもサヴァール指揮。

オリジナルのCD表紙は、古雅な聖母像である。

Track3.
流麗なハープの弾奏が美しいので、
これは、と思うと、ラマンディエのものであった。
歌が入って来て、いっそうぞくぞくする。

有名なアルフォンソ賢王
(アルフォンソ10世)の「マリアの頌歌」である。
13世紀の名君とされるが、
音楽ファンにとっては、
400曲以上の聖母頌歌を編纂したことで重要。
ここでも384番のカンティーガ(頌歌)が歌われている。

オリジナルCDの表紙は、
アルフォンソ10世のもとに
馳せ参じる人々が描かれた絵である。

このような曲になると、
ケルト文化的というか、
ヨーロッパの源流のようなものを感じてしまい、
スペイン的かどうかわからない。
ラマンディエが早口言葉的に歌うのが、
独特のリズム感を感じさせる。

アルフォンソ10世編纂のカンティガは、
かなり多くの演奏が録音されているから、
別の機会にでも、改めて紐解いてみたいものだ。

Track4.
作者不詳「Propinan de Melyor」
勇壮な太鼓に金属的な鳴り物が入り、
らっぱが吹き鳴らされ、
いかにも異教的な音楽である。

コロンブスの時代のもので、
オリジナルCDの表紙は、
船が新大陸に到着したところを描いたものであろうか。

Track5.
いきなり撥弦楽器のリズミカルな弾奏に、
サヴァールのヴィオールが、
情緒的にからんでくる。

太鼓がどんどんと響き、
エキゾチックな雰囲気が満ちて来て、
男声合唱が、単調ながら陶酔的な歌を聴かせる。

「el cancionero de palacio(宮廷の歌本)」
(サヴァール指揮、エスペリオンXX)
というアルバムから、
「3人のムーア人の娘」という、
15世紀の古謡らしい。

これは、スペインの名歌手
ピラール・ローレンガーが、
ドイツのギターの巨匠、
ジークフリート・ベーレントの伴奏で
歌った名盤がグラモフォンにある。

このアストレのCDのリッチな伴奏と、
男声の合唱の迫力とは大違いだが、
確かにメロディは同じである。

ローレンガー盤の濱田滋郎氏の解説によると、
「王宮の歌曲集」に収められているもので、
「アラブ風のビリャンシーコ」だという。

ムーア娘に誘惑された男の歌であるが、
「私のこころを虜にする」という部分以外は、
彼女らがオリーブを摘みに出かけた、
という意味不明というか、意味深というか、
へんてこな展開を見せるもので、
未練というか虚しさというか、悩ましいもの。

オリジナルCDの表紙は、
細密画であろうか、
男女が王冠を戴いているので、
カトリック両王、
フェルナンド2世とイサベル1世
に違いあるまい。

この時代の歌曲集ということだが、
15世紀も大詰めで、レコンキスタが成り、
ムーア人にとっては受難の時代であろう。

Track6.
ここで、
ビウエラ独奏(ホプキンソン・スミス)が来て、
編成がいきなりすっきりするが、
スペイン風という貫禄か、
極めて反響が独特な音色の魅力かで、
それほど違和感はない。
1536年の「マエストロ」と題された曲集より、
典雅な微笑みを感じるパヴァーヌ4番。

スミスはアメリカ人ながらサヴァールの盟友で、
この後の曲にもしばしば登場する。

オリジナルのCD表紙は、
天使がリュートを弾いている絵画。

Track7.
太鼓が打ち鳴らされ、
ビウエラもやかましく、
らっぱも鳴る中、
合唱とフィゲラスが歌いかわす。

こういった感じの曲は前にも出て来たので、
スペイン風に聞こえるが、
サヴァール風とも言えないのだろうか。

15世紀から16世紀スペインの
詩人であり劇作家であり作曲家であった、
ファン・デル・エンシーナ作曲の
ロマンスとビリャンシーコより、
「¿Si Habrá En Este Baldrés?」。

これは、かなり猥雑な歌のようで、
「皮袋の中を開けたなら」とか題され、
「街の3人娘、上流気取り女から、むしり取り
3人分の上着のために足りない帯を探しに行った」
という内容だという。

この曲も有名な曲らしく、
ネット上に演奏風景の動画もたくさん出ている。
どの画像でも合唱になりもの多数で、
当時のエネルギッシュな民衆パワーみたいなのを感じる。

こうした音楽は、
どんなCDに収録されているか、
探すのが難しいから、
このようなダイジェスト版で聴けるのは、
ラッキーと考えて良いかもしれない。

しかし、歌詞等がブックレットにないのは、
ものすごく困るのでやめて欲しい。

この作曲家は、恐怖のアルバ公の付人だったらしい。
田園劇を創作し、当然、自ら作詞作曲した。
イタリアの音楽(マドリガル)を
スペインにもたらした人とも言われる。

オリジナルのCDの表紙は、
ヒエロニムス・ボスの「干し草車」。
何故に、フランドルの画家か?
と思うが、何と、フェリペ2世が持っていたらしい。
アルバ公は、フェリペ2世の代官であるから、
かなり繋がっている。
干し草の上には、ビウエラを弾いている人が描かれている。
干し草は、この世の富の象徴らしい。

「太陽の沈まぬ帝国」を作り上げた人の時代、
確かに、富の奪い合いの光景は、
日常茶飯事だったのだろう、
などと納得してしまった。

Track8.
サヴァール節全開のヴィオールの闊達な演奏。
16世紀のナポリの楽長、
ディエゴ・オルティスのリチェルカーダ。
1分17秒で疾走する。

イギリスのヴィオール・コンソートは、
よく話題になるが、
スペインにおいても、
ヴィオール重視の時代はあったということか。

オリジナルCDの表紙は、
デューラーの弟子、
1484年生まれの画家、
ハンス・バルドゥングの肖像画だという。

Track9.
ふたたびルイス・ミランの曲だが、
今回は歌曲。
ホプキンソン・スミスのビウエラ伴奏で、
フィゲラスが清楚な声を聴かせる。

ネット検索すると、
平井満美子という歌手の
コンサートのHPが見つかった。

「愛は誰が持っている?
最後にはあなた達のもの
それは彼女のものではない。
愛は誰が持っている? 
はるかカスティーリャの人は愛を娘に捧げる。」
と、そこでは訳詩されている。

オリジナルCD表紙は、
悲嘆にくれた女性の顔の絵である。

Track10.
華やかなオルガンが響き渡るが、
キンベルリー・マーシャルが弾く、
カベソンのFabordonとある。
約3分の作品だが、いくつかの部分からなる。

オリジナルCD表紙は掲載されていないが、
「イベリア半島のオルガンの歴史」という、
壮大なタイトルだったようである。

Track11.
カベソンのオルガンの後は、
モラーレスのミサ曲。
「Pie Jesu Domine」
(慈悲深き主よ)
カベソンといい、モラーレスといい、
黄金期ルネサンス・スペインを出ていない。

半分ほど聴いたが、
なかなか、マルガリータ王女の時代の音楽にはならない。
しかし、非常に心洗われる音楽で、
やはり、スペインの音楽を語るには抜かせない。
ビクトリアが出てこないのが不思議だ。

モラーレスもオリジナルCDは掲載されていない。

Track12.
アロンソ・ムダーラのビウエラ曲。
1546年の曲集からのようだが、
歌謡的なメロディに装飾がついて、

カベソンらと同時代の人だが、
この曲などは、かなり近代的な感じがする。
ホプキンソン・スミスも乗っていて、
とても爽快である。

オリジナルCDは、ギターを弾く人の絵。

Track13.
いかにも南国の風を感じさせる合唱曲。
ここでも、太鼓がずんどこ鳴って、
木のばちがばちばち鳴っている。
やはりサヴァール指揮のエスペリオンXX。

エンサラーダと呼ばれる、世俗的なフュージョン。
フレッチャ作曲のLa Bombaとある。
フレッチャは、また古い時代の人だが、
非常に楽しく、リズム感がスペイン風である。

オリジナルCDは、何故かマリアと御子と、
東方の博士が出ている。
かなり騒がしいクリスマスではないか。

Track14.
これはさらにどんぱち言う音楽。
これはしかし器楽曲。

だんだんクレッシェンドして、
ラヴェルのボレロではあるまいな。
「La perra mora」
ゲレーロの曲とされていたりする。
「ムーアの雌犬」というものだろうか。
2005年にサヴァールが来日した時の記録に、
ペドロ・ゲレロ、
「ムーアのメス犬(器楽演奏)」(身分あるはしため)
とある。

オリジナルCDは、
カルロス5世の宮廷音楽ということで、
またまた16世紀前半になってしまった。
かくも、黄金時代の吸引力は強いものなのであろうか。

スペインの17世紀は、没落の世紀であったが、
音楽もなくなってしまったのだろうか。

しかし、CD収録曲も、
もうのこすところ1/3で、
遂に、17世紀の作曲家が来た。
ただし、2分半の短いバロック・ギター曲。
Track15.
フランチェスコ・ゲラウ(1649-1722)
の「カナリオス(カナリア舞曲)」。

生まれた年は、ほとんど、
マルガリータ王女と同じ。

先ほどから出ている
ホプキンソン・スミスの演奏で、
ビウエラよりは、
力がある楽器と言えるのだろうか。
非常に優美かつ技巧的、流麗な感じ。

とはいえ、この孤独な音の向こうに、
ハプスブルクの姫君の姿を垣間見るのは、
束の間の幻影でしかない。

オリジナルCDの表紙は、
ギターを弾く青年を描いたもの。

Track16.
セレロールスのミサ曲より、「グローリア」。
ミサ曲には、「戦争」という名前が付いているが、
とても、清澄な音楽で、
セレロールスが、ビクトリアなどより若い、
1618年生まれの人であることを再認識した。

カタロニアの団体を指揮しているが、
やはりサヴァールの指揮による。

オリジナルCDは、
横たわるキリストの横で嘆くマリアの絵で、
「スターバト・マーテル」という感じ。

Track17.
アントニオ・ソレールのチェンバロの音楽。
ソナタのアレグロをアスペレンが弾く。

ものすごく表現主義的などろどろとした音楽で、
1729年の生まれの作曲家で、
あっさり18世紀に入ってしまった。

オリジナルCDは、12巻からなるすごいもので、
表紙はエル・エスコリアル宮であろうか。
もう、マルガリータ王女の実家の、
スペイン・ハプスブルク家は途絶えた後、
ブルボン朝になってからの宮廷楽人。

Track18.
またまた、モンセラート・フィゲラスが登場。
岩波文庫にも、「オルメードの騎士」という戯曲が入っている、
ロペ・デ・ベガという16世紀から17世紀の戯曲作者の、
台本による舞台作品からの歌であろうか。

元のCDのタイトルは、
バロック期スペインのインテルメッツォとある。
タワーレコードHPには、
「黄金世紀の口直し―ロペ・デ・ベガとその時代 1550-1650」
と題されていた。

作者不詳の「jacara no hay que decirle el primor」
という題名だが、非常に小粋で、
打楽器もカスタネット的な動きを見せる。

機械訳では、
「陽気なダンスは、彼に美しさを語るために必要ない」
となった。

この曲になると、完全にスペイン的要素が感じられるが、
何時頃の音楽なのだろうか。
これもネット検索してみると、
大量に演奏風景の動画がアップされているから、
この辺りの音楽を愛好する人には、
よく知られた歌曲だと考えられる。

この「jacara(ハカラ?)」は、英語のWikiには、
演劇やダンスに伴う、器楽伴奏のアラブ起源の歌曲とあり、
まさしく、そんな勢いを感じる。
どうも日本では、知られているかどうかわからない。

先入観としては、
スペインからヴィーンに出て来た
マルガリータ王女が、
こうした音楽を聴きたくなった、
というストーリーなら、
何となく肯けるような気がする。

オリジナルCDは、合奏している男女の姿を描いた絵画。

Track19.
アントニオ・メストレスのオルガン曲で、
「トッカータ」とある。
奏者はフランシス・シャペレットで、
スペインのオルガンの歴史の第9巻とある。

これも、バッハの次の世代という感じの、
解放感を感じる。

Track20.
これまで聞いて来た曲の中では、
もっとも不気味な葬送行進曲風の、
オーケストラ付合唱曲。
黒々と太鼓が響き、
らっぱが吹き鳴らされる。
フィゲラスがカタロニアの古謡を集めた、
「De La Catalunya Mil-lenària」というアルバムから。

しかし、「Els Segadors(収穫人たち)」というのは、
カタロニアの国家だそうである。
ウィキにも、
「スペインの圧制に対して起きた
1640年の収穫人戦争時に生まれた。」などとある。

ほとんど、民衆蜂起の歌だとしたら、
同時代に歌われていた歌だとしても、
マルガリータ王女が聴きたい歌ではなかろう。

Track21.
フェルナンド・ソルの歌曲で、
これは、オリジナルのCDの表紙が
ゴヤの「日傘」なのが明るくて素敵だ。

しかし、これはもう19世紀の人である。
ちなみにギターは、ホセ・ミゲル・モレーノが担当。
後にグロッサ・レーベルを立ち上げる人だ。

ここまで、わりと、すんなり、
統一感も何となく感じながら聞いて来た。
ただし、続いて、ハイドンが混ざっているのは、
さすがに違和感がある。
ハイドンは、スペインからの依頼で、
「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」
を作曲したからで、ここでも、Track22.で、
その終曲、「地震」が、サヴァールの指揮で収められている。

この後(Track23.)の
マルティン・イ・ソレールの
コミック・オペラ「椿事」からの、
「Viva viva la Regina」は、
コケティッシュで楽しい声楽が聴け、
非常に楽しい事を特筆しておく必要がある。
これまた、声楽アンサンブルも、
伴奏も恐ろしくジューシーな録音である。
これもサヴァール指揮のもの。

この後、明らかにマルガリータ王女とは異なる雰囲気の、
Track24.
アルベニス「イベリア」より「港」の管弦楽版、
(ガルドゥフ指揮のヴァレンシアの楽団)
Track25.ファリャの「三角帽子」終曲、
(コロマー指揮スペイン国立ユース管弦楽団)
Track26.ジェラールの「舞曲」
(ペレーツ指揮シンフォニカ・デ・テネリウフェ)
が続いて終わるが、
どれもさすが本場なのか、
血が通った噴出するような表現が聴けて素晴らしい。

得られた事:「マルガリータ王女が聴きたいスペイン音楽が、このCDの中にあるとすれば、インテルメッツォ、『陽気なダンス』のようなものだったのではないか、というのが私の妄想。」
「仏アストレ・レーベルのスペイン音楽ダイジェスト版は、、録音の良さで、どんどん聴き進んでしまう。サヴァールがほぼ全曲を担当しているせいか、意外な統一感で約1000年の歴史を垣間見ることができる。」
「アストレ時代のサヴァールは、naiveレーベルに吸収されており、市場ではかなり混乱をきたしているので、要注意である。」
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by franz310 | 2016-03-13 19:53 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その433

b0083728_22371544.jpg個人的経験:
カミロ・シェーファー著、
早崎えりな・西谷頼子訳の
「ハプスブルクの音楽家たち」
(音楽之友社)は、
このタイトルから
安直な予想をすると、
かなり期待はずれな、
奇妙な偏重がある書物である。
確かに第1章、
「ハプスブルク家とその文化遺産」は、
このヨーロッパの名門と
音楽の関係を概観してはいる。


しかし、最終章の第9章まで、
ベートーヴェンは登場しないし、
それに先立つ、第7章、第8章は、
グルック、モーツァルトに
フォーカスが当てられているとはいえ、
年代順にハプスブルク家の、
音楽家たちとの関わりが書かれているかというと、
すこし、一般の読者が期待するであろう
時間推移とは異なるような気がしている。

というのは、第2章で、15世紀後半の
マキシミリアン帝の宮廷の話が出て来るが、
この章の最後では、もう、17世紀中葉の話が出て、
主役は、フェルディナント3世になっているからである。

確かに、マキシミリアン帝こそは、
世界帝国を築くスペイン系と
オーストリア系ハプスブルクの始祖とも
言える人物だが、
この本で、スペイン系の話はほとんどない。

オーストリア系も、
フェルディナント1世、マキシミリアン2世、
ルドルフ2世、マティアス、
フェルディナント2世などと続き、
先に述べたフェルディナント3世までは、
2世紀が経過しなければならない。

この間、何よりも、全ドイツを荒廃させたという、
30年戦争に到る、宗教戦争が勃発しているから、
そのあたりが書かれているかと言われると、
これが、まったく触れられていない。

おそらくは、「レーオポルド1世の音楽」
というタイトルこそが、
(レーオポルドの約300年後に生まれた)
この1943年生まれのオーストリアの著者が、
書きたかった内容だったのであろう。

見出しを見れば、一目瞭然であるが、
第1章で、ハプスブルク家が
スペインの影響を受けた儀礼ゆえに、
礼節正しい皇帝であった例として、
レーオポルド1世は取り上げられ、
第2章では、作曲の才能がある一族の例として、
モーツァルトやバッハの家系と共に、
皇帝一族が紹介されているが、
その絶頂がレーオポルド1世だと書かれている。

第3章では、レーオポルド1世の壮麗な
婚礼の儀式について書かれ、
第4章では、いよいよ、
レーオポルド1世作曲の宗教曲などが取り上げられ、
その宮廷楽団や、3度の結婚の相手についても詳述される。
他の皇帝の場合は、ここまで書かれてはいない。

第5章では、もうレーオポルド1世の話は終わった、
と思いきや、
レーオポルド1世が招聘したドラーギの話や、
レーオポルド1世の恩寵で宮廷作曲家になった、
フックスの話が出て来る。
何と、ヘンデルと同時代の
ボノンチーニさえも、
レーオポルド1世に音楽を捧げた、
という感じで登場する。

第6章になってからも、
ヨーゼフ1世、カール6世に関して、
その父、レーオポルド1世の話題が挿入される。

したがって、読者としては、
時代順に読んでいるつもりではあっても、
常に、レーオポルド1世の話に戻って、
絶えず、同じ事を聴かされているような、
奇妙な錯覚に囚われるのである。

では、このレーオポルド1世は、
音楽を離れて、どれくらい、
君主として仕事をしたのか、
いったい、彼は、どんな時代を生きたのか、
という疑問が出て来るのだが、
残念ながら、そのあたりの事情は、
この著作から読み解く事は困難である。

新人物往来社ビジュアル選書、
「ハプスブルク帝国」という本を読めば、
研究家の関田淳子という人が、
(日本オーストリア食文化協会顧問ともある)
第2部「世界帝国への飛翔」で、
これらの皇帝が、30年戦争や、
対トルコ、対フランスとの確執に悩まされた経緯を、
肖像画入り、挿絵豊富に、
簡潔に説明してくれており、
大変、分かりやすい。

「レオポルド1世」に関しては、
太陽王ルイ14世のライヴァルとして、
オスマン帝国による「第2次ウィーン包囲」などを例に、
「次々に勃発する戦争で心休まる日々を送ることなかった」
と書かれながら、
「そんな皇帝の最大の慰めとなったのが、
父帝と同様に音楽だった」という記述があるのが嬉しい。

見出しに、
「思いがけず帝位についたレオポルドに
平和と音楽を楽しむ時間はない。
治世の大半をルイ14世、
オスマン帝国との死闘に謀殺されてしまった」
とあるが、こちらの顔を補正して、
考慮に入れ込まなければ、
シェーファーの本の知識だけでは不十分であろう。

また、父、フェルディナント3世が亡くなって、
兄、フェルディナント4世が即位するところが逝去、
聖職者だったのに、
好むと好まざるとに関わらず、政治のひのき舞台に、
引きずり出された皇帝でもあることも書かれている。

あと追記するなら、
全欧をペストが猛威を振るったのも、
この皇帝の時代の事であった。

さて、この皇帝を中心にした音楽を集めた録音で、
日本でも最もよく知られたものは、
おそらく、エラートの企画した一大偉業である、
「空想の音楽会」シリーズ全30巻の第25巻、
「ウィーンの王宮における皇帝の音楽会」であろう。

1997年にCD化されたシリーズであるが、
原盤はLPで、1960年代に録音がなされている。

まだ、古い時代の音楽のレコードが
あまりなかった時期には、
このボリューム感あるアンソロジーは、
おそらく重宝されたであろう、
かなりエポックメーキングなものであったはずだが、
どんどん、歴史研究や発掘がなされた今となってみれば、
雑多な曲目を集めただけみたいな様相なので、
私も、つまみ食い的にしか知らない。

一般愛好家のリスニングルームというより、
図書館に置けば相応しいものという感じであるが、
レオポルド2世自身の作曲した音楽が聴けるのは、
今でも、珍しい。

しかも、ウィーン古典派の演奏で、
日本でも人気のあった、
テオドール・グシュルバウアーが指揮している。

そして、解説もなんと、グシュルバウアー自身が担当。
録音当時はこの人も25歳くらいである。

「このジャケット表に見える建物は、
ウィーンの皇宮(ホフブルク)である」と書きだされ、
CDがトータル・コーディネイトされているのを感じさせる。

「(ウィーンで)重要な役割を果たしていた音楽は、
バロック期に至り格段に人気高い芸術になった。
歴代の皇帝たち自らも、大いに音楽にあずかった。
じつにつづけて四代の君主たち
フェルディナント3世からカルル4世まで
が、彼らの宮廷に当時の最もすぐれた音楽家たちを
呼び集めたばかりか、
彼ら自身が特筆に値する作曲家として知られた。」

このように、このCDの意義が語られているが、
シュメルツァーやムファートの器楽曲に加え、
レオポルド1世の書いたアリアや、
ヨーゼフ1世の書いた「レジナ・チェリ(天の元后)」で、
美しい声で歌われる声楽曲が現れる。

これらの声楽をひとり受け持っている、
ロートラウト・ハウスマンの声が、
まさしく綺麗である。
この人、まだ24歳くらいだったようで、
その若さゆえか、まさしく無垢とも言える、
澄んだ声が非常に魅力的である。

最後に、レオポルド1世の宮廷を語る時、
必ず語られるチェスティの「黄金の林檎」から、
4曲の器楽曲が演奏されているのもありがたい。
このオペラは、レオポルド1世とマルガリータ妃の、
結婚式におけるどんちゃん騒ぎの好例なのだ。

が、グシュルバウアーの手腕によるのだろうか、
どの曲も高雅で神聖な雰囲気すら感じさせ、
音楽史の本の中でのみ有名なこの曲が、
現代でも十分楽しめるものであることを確認できる。
ヘンデルのような幅の広い抒情性は、
1960年代風の解釈なのかもしれないが。

演奏は、ウィーン・バロック合奏団で、
この団体については良く知らない。
ウィーンとかバロックとか、
一般に音楽を連想する単語が並んだだけの、
録音用臨時編成オーケストラではなかろうか。

ただ、若き日(24歳)のトーマス・カクシュカ
(アルバン・ベルク四重奏団の名手)が
ヴァイオリンを弾いているのも嬉しいし、
何よりも、録音が非常に美しいことを特筆したい。

実は、私は、このシリーズの
「マリー・アントワネット王妃のための音楽会」
の録音にはがっかりした記憶がある。
出来不出来がある可能性があり、
それ以上の探求はしていない。

一曲目は、シュメルツァーの
「弦楽オーケストラのためのセレナータ」で、
現代演奏されるような先鋭さはないが、
グシュルバウアーらしい、
すっきりした、繊細な表現で一気に聴かせる。

シュメルツァーは、
オーストリアの音楽家として初めて
ハプスブルク家の楽長となった人物と紹介され、
ヴァイオリンの名手、
「生国の歌謡から影響を受けた新しい様式」
で、優勢なイタリア人作曲家たちに対抗したとある。

この曲、CPOで出ていた
「フェルディナント3世の死によせる哀歌」にも、
しみじみとした情感が良く似ているが、
分厚い弦楽合奏で嫋々と演奏されて、
妙にロマンティックである。

チャイコフスキーやグリーグ、
あるいはレスピーギなどが書いた、
古典の模倣曲といって、
オーケストラのコンサートでやっても、
まったく違和感がないかもしれない。

今日、これら皇帝たちが書いた、
宗教曲のCDなどを聴いた後だと、
こんな豊穣な音が宮廷に流れた、
などとはとても想像が出来ない。

が、私はグシュルバウアーのこの演奏を、
存分に楽しんでいる。
現代のオーケストラが定期公演でやっても、
十分楽しめるはずである。

グシュルバウアーが「特筆に値する」と書いた、
「鐘」と題された部分は、
単調な音形をくり返すだけの部分で、
きわめて不気味である。

次に、レオポルド1世が書いた、
アリアが2曲あるが、
残念ながら、このCDには歌詞対訳はない。
「アデライデ」という歌劇から、
「返して、私に心を返して」と、
「意のままに生きよ、美しき信仰よ」だが、
民謡のように楽しく甘く、しかも、
コロラトゥーラの部分もあって聴きごたえがある。

皇帝の書いた悲しい宗教曲しか知らなかったら、
非常に残念だ、ということを実感できる、
美しいアリアである。
オーケストラの伴奏が、これまた、
込み上げるように、切実なメロディを、
大きく繰り返す。

2曲目は気まぐれで、爽快、
ヴァイオリンの助奏も手伝って、
ヴィヴァルディの音楽のように、
陰影もあって明るい。
ハンスマンのソプラノの澄み切った感じも、
青空に吸い込まれるようである。

「アデライデ」というオペラなら、
ヴィヴァルディにもあったはずだが、
同じ台本かは分からない。

次にムファートの「甘き夢」という、
協奏曲が来るが、
これまた、1960年代の
バロック解釈に違和感が湧き上がりつつも、
曲想の物憂げな感じも手伝って、
非常にロマンチックな名品とここでは言っておこう。

最後のアレグロや舞曲の部分などは、
完全にボイド・ニールなどが演奏した、
ヘンデルを想起させる。

また、続く、レオポルド1世の息子で、
若くして亡くなった
ヨーゼフ1世の「天の元后」は、
CPOのハーゼルベックの
CDにも入っていたものだが、
こちらの方が、
オーケストラが格段に増強されていて、
なおかつ、ハンスマンの声が澄み渡って、
空に向かって駆けあがり、
ずっとゴージャスな響き。
それゆえに、別の曲を聴いたような感じすらする。

ハーゼルベック盤のリンダ・ペリロも、
聴き直すと同様に澄んだ声ではあるが、
少し線が細く中性的かもしれない。

今回のグシュルバウアー盤の方が、
時代考証を無視すれば、
華やかさが格別でずっと名曲のように感じる。
各曲がハレルヤで締めくくられる組曲状だが、
このハレルヤ部のコロラトゥーラも、
若々しさが新鮮であるし、
ヴァイオリンが絡むところも華美ですらあり、
血なまぐさい「スペイン継承戦争」の時代を
忘れさせる。

逆に言うと、ハーゼルベック盤の、
密室の秘儀のような雰囲気の方が、
歴史を扱った書物から受ける、
その時代のイメージに近いのかもしれない。

ただし、ヨーゼフ1世と言えば、
もう、ヴィヴァルディと同時代なのである。

すでに書いたが、最後に収められたのは、
そんな盛期バロックからは遡る、
シュメルツァーの同時代人、
1623年生まれのチェスティの作品。

重厚な弦楽合奏で神妙に、
また、ある時には情緒的に、
4つの器楽曲が組曲風に演奏されている。

レオポルド帝は、このオペラ「黄金の林檎」のために、
通常の5倍の費用をかけたとされ、解説には、
「チェスティはその2年後に早世し、
皇妃マルガリータ・テレサも4年後に
うら若い身で没した」とある。

レオポルド1世は、
ルイ14世と覇権を争った皇帝でもあったので、
太陽王に張り合うようなイベントで
威信を高める必要があっただろう。

しかし、姻戚関係で言えば、
レオポルドが結婚するはずの
スペイン国王フェリペ4世の長女が、
他でもないこのフランス王に取られてしまった、
という経緯があった。

そのため、レオポルド1世は、その異母妹、
マルガリータ・テレサと結婚したのだという。

このマルガリータ・テレサについては、
シェーファーの本が大活躍する。
「生涯にわたって明らかに
彼女の血筋からきている
スペイン音楽を好んだ」とあり、
皇帝が公使にスペイン音楽の楽譜を依頼し、
「妻が望んでいるから」と催促した様子も書かれている。

かつては、「日没なき大帝国」と呼ばれた、
このスペイン系ハプスブルクは日没間近であった。

最後の王様、カルロス2世の父親が、
フェリペ4世であるが、
この人も芸術愛好家で、
ベラスケスの「宮廷の女官たち」は、
この人の娘、後に、レーオポルド1世の妻となる、
5歳のマルガリータ王女が中央に描かれた名画である。

このような実家を持つマルガリータと、
レーオポルドの結婚式こそが、
シェーファーの著書で、
「1666年ウィーンで、
皇帝レーオポルド1世と
スペイン王女マルガリータ・テレーサとの
婚礼が計画されたのである。
祝典は1年もの間続き、
初期バロックオペラ精神の頂点となり、
まさしく世界劇場となった」
と評されたイベントだったのである。

レーオポルド1世は26歳、
マルガリータ妃は15歳。
フェリペ4世はすでに前年に亡くなっていた。
「画家のなかの画家」
ベラスケスも死んでいる。

ちなみにマルガリータの母親は、
フェルディナント3世の娘、
レーオポルド1世の姉ということなので、
新郎新婦は叔父姪の関係だったということか。
かなり、血が煮詰まっている感じがするが、
マルガリータ妃は22歳で亡くなって、
レーオポルド1世は「怒りの日」を作曲したとされる。

シェーファーの本では、
「彼自身の従姉妹であり姪でもあった最初の婦人で、
夫を尊敬して『叔父さん』と呼んでいた
『グレートル(マルガリータの愛称)』のための
壮大なレクイエム」と評されたものだ。

従姉妹でもあったというのは、
マルガリータの母親が、ややこしい事に、
フェリペ4世の妹がフェルディナント3世と嫁いで
生まれた娘だったからである。
関係を図示するとこうなる。

フェリペ4世
|   ↓ 妹
|  マリア・アナ― 結婚 ―フェルディナント3世
|          |
結婚  ――  マリアナ   レーオポルド1世
     |                |
  マルガリータ ――――――― 結婚
       

マルガリータ王女は、あどけない童女の姿で、
ベラスケスの絵画で永遠化されたが、
このような時代背景において、
ある一定の役割を演じた政治の道具であった。

今後、スペインの至宝のような
あの絵画を見るつどに、
オーストリアのレオポルド1世を
同時に思い起こす事になろう。

結婚生活はわずか7年ほどしか続かなかったが、
すぐに再婚したクラウディアもまた、
3年の結婚生活しかできなかった。
こうして、家庭の悲運を嘆いたのか、
1676年の彼女の死に際しては、
「3つも葬送読誦」が書かれ、
「この曲では悲しみが溢れ出し、
ふだんは悠然とかまえている皇帝も、
深い悲しみに身をまかせ、
その哀悼歌に我を忘れるのであった」と、
シェーファーの著作にもある。

ハンガリーの反乱やペストの流行が、
この後に起こっているから、
束の間の平和なひと時に起こった悲劇だったのだろうか。

前回取り上げた、CPOから出ているCD
「レオポルド1世宗教曲集」のCD
(マーティン・ハーゼルベック指揮)の解説には、
以下のような事が書いてある。

「ある外交官はレオポルドはとりわけ、
悲しいメロディで曲付をするのにすぐれていた、
と証言している。
この事は、彼の姪で最初の妻であった

マルガリータ・テレサが、
結婚して5年で、
1673年に亡くなった時に書いた、
美しいレクイエムについても、
2人めの妻、
インスブルックのハプスブルク家の、
クラウディア・フェリチタスが、
1676年、結婚3年半で亡くなった時の
夜の礼拝用に書かれた、
『3つの葬送読誦』にも言える。
この作品は、1705年、
彼自身の葬儀でも演奏され、
5月5日の彼の命日には毎年演奏された。」

この作品自身の解説は、
以下のような「晩課のためのテキストは、
ヨブ記から取られ、
レクイエムの入祭唱と同様の、
『Requiem aeternam dona eis Domine』
(主よ、永遠の安息を彼らにお与えください)
『Et lux perpetua luceat eis』
(そして永久の光が彼らを照らしますように)
で閉じられる。
声楽部は、2つのソプラノを含む5部、
器楽伴奏は、葬送哀歌に相応しく、
当時慣習であった弱音器付で登場する。
ソプラノ、アルト、テノールの音域のヴィオール、
ヴィオロン1、2つの弱音器付コルネット、
アルト・トロンボーン1、テノール・トロンボーン1、
声楽パート補助のバスーン1、
そして当然、通奏低音用オルガンである。
ここでも皇帝は主音にハ短調を選んでおり、
ヨハン・ヨーゼフ・フックスの読誦にもあるように
これは18世紀にも好まれたものであった。
3つの読誦はそれぞれ、
ヴィオールとコルネットによる
短いソナタで始まり、
模倣した形の2つか3つの合唱部で、
各読誦は結ばれる。
声楽部と器楽部のグループは、
この時代のコンチェルタント形式の理想として、
独唱同士、アンサンブル、合唱と、
常に変化する。
独唱部はほとんど常に
オブリガードの器楽を伴った
レチタティーボかアリオーソである。
半音階的なアクセントや下降は、
テキストが
『Quia peccavi nimis』(私はあまりに罪深いゆえに)、
で罪を語る時に使われている。」

この曲の正式のタイトルは、
「身まかりし愛しの
クラウディア・フェリチタス葬儀のために
芸術の守護者、
深い歎きのレオポルドが作曲した、
最初の晩課の3つの読誦」とものものしい。

第1レッスンは、
「主よ、私を見逃してください、
私の日々には何もないのです。
あなたが高く評価する男が何だというのです。
なぜ、彼に心を砕くのでしょうか。
あなたは、夜明けに訪れて、
突然、彼を試す。」

という感じの始まりなので、
「ヨブ記」第7章あたりの詩句であろう。

音楽は、もの悲しい、虚無的な器楽合奏で始まり、
皇后を失った皇帝の心の隙間風を伝える。

ヨブ記と言えば、
ゲーテが参考にして「ファウスト」を書いた、
と言われるように、
悪魔がいかにヨブが神を敬っているか、
試してみる、という、
めちゃくちゃな内容のものである。

ヨブは、悪魔によって家族、家財をことごく失い、
皮膚病にまでなるが、神への問いかけによって、
意地の悪い友人たちの問答に対処していく。

音楽は神への問いかけで、
小さな高揚を繰り返しながら進行するが、

聖書の持つ状況描写そのままの音楽で、
独唱者が高揚して合唱になったり、
からみあったりして進行、
神様に向かって、何故、あなたは、
私を気にかけ、私を重荷と考えるのか、
「なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、
わたしの不義を除かれないのか」
と、仕打ちばかりが厳しい神に向かって、
自問自答している。
途中、「ヨブ記」の詩句から離れ、
「救い主を信じ、最後の日には、
大地から起き上がるだろう」と信仰告白となる。

第2レッスンは、いくぶん、
緊張が取り除かれた感じの音楽。

しかし、歌詞は、決して明るくなく、
理不尽に責めさいなまれた境遇を経て、
神様に対して、言いたい事を言っているので、
少し、さばさばしたのであろうか。

ヨブ記第10章の詩句が扱われる。
「私は人生に疲れ、私の言葉が私を苦しめる。
魂の苦々しさを語り、神に告げる。」

アルトが冴え冴えとした声で、
至極まっとうな申し立てをする。
「私を咎めないでください、
何故、こんな風に私をさばくのか。」

バスは、「なぜ、あなたは悪の計画に手を貸すのか」
と真摯に告げ、
二重唱が切実な声で訴えるのは、
「あなたの眼は単なる肉なのか、
そうでなければ、
その男を正しく見るだろうに」という部分。

この曲の後半は、シューベルトも題材にした、
ラザロの逸話が引用されるのが興味深い。
「あなたは、私が何もできないのを知っておられる、
あなたの手から逃れられるものなどいないのだから。」
ここは、二重唱、合唱、フーガと、
すごい強調である。

ソプラノは口上を述べるように歌う。
「土くれの墓からラザロを蘇らせた方、
主よ、彼らを、安息の地に休ませたまえ。」

「ヨブ記」そのものが、
全体を自問自答と
理不尽な神との問答で出来ているような内容ゆえ、
激しい葛藤と発露がうまく音楽で表されている。

第3レッスンは、
ヨブ記第10章の続きの部分である。

この部分の冒頭は平安な日々の追想ゆえに、
曲も、最初は、ゆらゆらと蜃気楼に包まれて、
柔和な雰囲気を醸し出しているのだろうか。

「あなたの手が、主よ、私を造ったのです。
そして、平和な世界に住んでいたのに。
なのに、何故、あなたは突然、
眼をそらしてしまったのですか。」

ここでも合唱のフーガ風の強調。

そこに、テノールやアルトが、
「あなたが土くれから
私を造ったのを思い出してほしい」
「乳を注ぎ、チーズのように固めた」
などと、何となく素朴な内容を歌い継ぐ。

しかし、後半は、いきなり罪と向き合う形となり、
音楽は対位法的に錯綜し、
どんどん沈み込むような表現を見せる。
「あなたが世界を裁きに来るとき、
あなたの怒りから逃れる場所などあるだろうか。
私はあまりにも罪深いのだから。」

このあたり、
「ヨブ記」そのままではないような感じがするが、
それほどまでに、
レオポルド帝は罪の意識を背負って、
妻の棺に寄り添ったのだろうか。

この2番目の妻は20歳で輿入れして、
22かそこらで世を去ったようであるが。

最後の「レクイエム」の部分で、
かろうじて、その下降状態から踏みとどまって、
浮遊するような感じで、
まことに神秘的な終曲となっている。

得られた事:得られた事:「レオポルド1世が作曲した華やかなアリアをハンスマンのソプラノで聴くと、政略結婚とはいえ、はるばる輿入れしてきたうら若き王妃の姿が偲ばれる。」
「ベラスケスの名画で知られるマルガリータ王女は、夫となったレオポルド1世に、故郷スペインの音楽を所望した薄倖の王妃に成長した。」
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by franz310 | 2016-02-06 22:29 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その432

b0083728_2153378.jpg個人的経験:
嫌なデザインのCDである。
カレル・デュジャルダンという、
オランダの画家が描いた
キリスト磔刑図であるが、
薄気味が悪いばかりで、
これを見て、
このCDを聴きたくなる人は、
まず、いないと思われる。
が、これらの音楽が始まると、
知られざる迷宮に
紛れ込んでしまったような、
とても、不思議な
奇妙な感覚に包まれる。


CPOレーベルは、
マルティン・ハーゼルベックの指揮、
ウィーン・アカデミーの演奏で、
ハプスブルク王朝の、
君主自らが作曲した作品集
を出しているが、
ここに取り上げるのは、
レオポルド1世の作品集である。

独唱者として、
ユルク・ヴァシンスキ(S)
ダーヴィト・コルディア(S,A)
ヘニング・フォス(T)
アーヒム・クラインライン(T)
マルコス・フィンク(B)
が参加しているが、
美しい歌声でどこか遠くに誘う、
ソプラノもアルトも
男性歌手であるところなども、
迷宮の怪しい魅力に拍車をかけているのだろう。

音楽の都ヴィーンを生んだ、
ハプスブルク朝の、
世界帝国の地位からの崩壊、転落過程で、
異色の芸術家君主が輩出された。

マリア・テレジアの治世に到る、
約100年の話。

彼ら、バロック君主たちは、
多くの有名作曲家を援助したばかりか、
当時の作曲技法の粋とも言える筆の力で、
様々な宗教曲の楽譜を残していることが、
今回のCDシリーズなどからも分かる。

30年戦争の惨禍の中から、
フェルディナント3世は
清澄なメロディを生み出していた。

戦禍が収まったせいか、
その子、レオポルド1世は、
熱狂的な音楽ファンであったこともあり、
大スペクタクルのオペラを演じさせた。

彼自身、聴くだけにとどまらず、
より大規模な作品を書く事もあったようだ。

彼の作曲の才能は当時から高名であったようで、
シェーファー著(音楽の友社)、
「ハプスブルクの音楽家たち」
でも、全9章のうち4章までが、
この皇帝に関しての記述に当てられている。

この知られざるバロック君主たちの100年こそが、
実は、シェーファーの本のテーマと言っても過言ではない。

17世紀中葉から18世紀中葉まで、
日本史でも、庶民の活力を底辺にした、
元禄文化に代表される時期が含まれ、
まさしく、レオポルド1世の治世は、
この時代と時を同じくしている。

なお、このレオポルド帝は、
イエズス会との関係が深かったようで、
日本の歴史と強引に比較すれば、
彼の生まれる二年前に、
「島原の乱」が起こっている。

レオポルド帝のお抱えの作曲家、
ベルターリやチェスティの作品などは、
尾形光琳や俵谷宗達の
豪華な絵画世界を連想しても良いのだろうか。

そして、イタリアの作曲家として、
現代では特に高名な人となっている、
アレッサンドロ・スカルラッティが、
このレオポルド1世の同時代人で、
ヴィーンを訪れた事もあって、
皇帝に影響を与えたと言われている。

暗黒の30年戦争の印象と、
この南国のホープの登場は、
恐ろしく対称的な印象を私に与えている。

A.スカルラッティの生まれた年は、
1660年と覚えやすいので、
この際、覚えておくとしよう。
レオポルド1世の生没年は、
1640-1705とあるから、
スカルラッティは20歳年少、
さらに進んだイタリアの音楽が流入した。

今回は、この稀有な君主の、
帝王とは思えない程の、
繊細さを見せる
この大規模な宗教曲を聴きながら、
往時を偲んでみたい。
先のシェーファーは、
レオポルド帝の心的状態を、
「静かな憂鬱」と呼んでいる。

CDの方の解説は、
Herbert Seifertという人が書いたもの。

「皇帝レオポルド1世は、
フェルディナント3世の次男で、
1640年に生まれている。
彼は、もともと、
聖職者としての道を歩むものと
考えられており、
それに相応しい教育を受けていた。
彼が相続権のある王子とされ、
1655年にハンガリー王、
1656年にボヘミア王の戴冠を受けたのは、
兄のフェルディナント(4世)が
亡くなってからだった。
彼は1658年に、
前年に亡くなった彼の父親の後を継いで、
フランクフルトで神聖ローマ帝国皇帝に推挙され、
彼は、1705年に亡くなるまで、
その地位にあった。
彼は優柔不断な傾向で、
音楽や祭典、宗教や狩猟に比べ、
政治に興味がなく、
問題視される人物である。」

ということで、成りたいとも思わなかった、
皇帝になってしまった道楽者という感じではないか。

以下を読むと、父親からして、
すごい皇帝、という感じもしないのだが。

「彼は、父親から長年教え込まれ、
音楽への愛や才能を受け継いでいた。
フェルディナントは、
イタリア語のテキストを駆使する、
詩人として活躍し、
作曲家として、一曲のオペラ、
少なくとも一曲のセポルクロや、
(聖墓のための聖金曜日オラトリオ)
(注:ネット検索すると演技付のもののようである)、
多くの作品を書いているばかりか、
30年戦争で削減していた
宮廷合奏団を揃えることに、
多大な関心を寄せていた。」

戦争が終わった後、
様々な復興策があったのは良かったのだろうが、
年がら年中、個人的関心で動いている
王様のような印象が残る。

「レオポルドはこの慣習を推し進め、
音楽一般に熱中した。
子供時代は、宮廷オルガニストの、
マークス・エブナーにハープシコードの指導を受け、
おそらく宮廷音楽監督の
アントニオ・ベルターリから作曲を学んでいる。
ベルターリは、14歳から17歳までの
若い頃のレオポルドの作品をまとめており、
時折、器楽部を書きこんでいる。」

ベルターリは、多くのCDで、
その名前を見かける有名な作曲家。

「レオポルド1世の69曲もの
独立した作品が残されているが、
多くのそれらは短い宗教音楽であるが、
9曲のオラトリオとセポルクリ、
2曲のミサ曲、一曲の長いイタリアオペラと、
一曲の短いイタリアオペラ、
他の3幕のオペラのうちの1幕、
2つのスペイン語のインテルメッツォ、
6曲の付随音楽が含まれている。
今回のCDには、彼の彼の別のオペラから、
何とか一曲残っているアリアが含まれている。
それに加えて、皇帝は、彼の治世中に演じられた、
200曲ものオペラの多くに、
アリアやシーンの音楽を挿入している。
近年、3人の作曲家皇帝(レオポルトの長男、
ヨーゼフ1世も作曲をしている)の、
2人めの音楽に注目が集まり重視されている。
インテルメッツォ、オラトリオ、レクイエムやミサ曲、
そしてモテットが演奏され、録音されてきている。
モテット、大きなミゼレーレ、
埋葬ミサ用の聖務日課などを収めた
このCDでは、彼の宗教曲の素晴らしい入門となる。」

ということで、政治的には優柔不断ながら、
道楽には果敢に挑戦した皇帝の遺品を見て行こう。

「そのタイトルが示すように、年代不詳のモテット、
『Vertatur in luctum(聖母マリアの7つの悲哀のモテット)』
は、聖母の7つの悲哀の祝日用のものである。
この祝日は、受難の週の金曜日にお務めがあり、
棕櫚の日曜日の二日前に当たる。
この日のミサ用の、
セクエンツァ(続唱)と奉献唱として
『スターバト・マーテル』とモテットが用意され、
トランペットを除く通常の器楽編成等で
奏でられる音楽が付いている。」

何と、ペルゴレージやヴィヴァルディ、
シューベルトやドヴォルザークも作曲した、
スターバト・マーテルが、
こんなところで語られるとは思わなかった。

「テキストは聖書によるものではなく、
オリジナルのラテン語の詩である。」
とあるが、
「スターバト・マーテル」の歌詞ではない。

スターバト・マーテル(悲しみの聖母)は、
「十字架の傍らに立って嘆く聖母の姿を見て、
私も一緒に嘆かせて下さい」
みたいな内容のものだが、
確かに、この皇帝の作品も、
同様の状況を歌っている。

「イエスが世界の罪を、
自らの血で洗い流したとはいえ、
処女の胸を狂おしい痛みが走り」とか、
「イエスが乾きに苦しんだゆえに、
マリアの眼から涙がほとばしり出た」とか、
妙に仰々しい言葉が使われているとはいえ。

このような内容に、いかにも、
ふさわしい音楽になっているようで、
下記のような解説が続く。

「彼のレクイエム同様、
レオポルドは、5人の独唱者と合唱部を用いて、
テキストの悲しみに溢れた音色のために、
4つのヴィオール、1つのヴィオローネに、
コルネット1つ、ヴィオラ1つ、3本のトロンボーンを、
合唱部の補強のためだけに使っている。」

これは、音色の調合だけでも楽しめそうだが、
下記の部分に表されるソナタ部の開始からして、
非常にしっとりした響きで酔わせてくれる。
ぽろぽろ鳴る通奏低音も気持ち良い。

「弦楽セクションは導入部のソナタを奏でる。
ソナタの最初の部分のホモフォニーと、
第2の部分のポリフォニーがコントラストを成す。」

やがて、声楽が入って来るが、
独唱に絡み付くような合唱の扱いが、
ちょっと、これまで聴いた事ないような陰影。

この事は、この曲の解説の最後に書いてあった。

「3人の独唱者は、次々とレチタティーボを詠唱し、
フーガのようなラメントのアンサンブルと合唱となる。
慣習に則り、
『Lachrymantem et dollentem piisfletibus comitemur』
(マリアは泣きむせび、われらもそれに倣い)
というテキストは、
半音の下降半音階の動機で現れる。」

独唱のアリアが始まると、
器楽は陰影をつけるような役割に回るが、
豊かな情感で聴くものを包み込む。
A.スカルラッティの時代の人、
というのも肯ける内容である。
豊穣で情感も濃やかである。

「2つの詩節で、
リトルネッロを挟んで3回出てくる
最初のソプラノのアリアは、
当時のオペラ的な音楽である。
バスも同様に独唱での開始を任され、
弦楽がレチタティーボや
短いアリアを伴奏している。
この構成は、最後の曲を導く、
アルトのレチタティーボでも同様である。
この曲では、一人または複数の独唱者が
合唱の中で語るような役割をする。」

それに加え、バスーンやトロンボーンの、
柔らかい響きが、
マリアの嘆きを暖かく包むような
感じなのである。

2曲目は、「ミゼレーレ」だが、
寺本まり子著の「詩篇の音楽」(音楽之友社)
によると、この「詩篇51(50)」に関しては、
アッレーグリ、オケヘム、
ジョスカン、パレストリーナ、
ミヨー、モーツァルト、ラッスス、
リュリなど名だたる大家が曲を付けているとある。

アレグリの「ミゼレーレ」は、
少年モーツァルトの凄まじい天才ぶりが、
語られる時に、
かならず引き合いに出される有名作品であるが、
これは確か、10分ほどの作品ではなかったか。

ところが、この皇帝レオポルド1世の曲は、
このCDの真ん中に鎮座する長い曲で、
このCDの半分の時間、
33分半もかけて演奏されている。

なお、アレグリは1582年の生まれとあるから、
さらに2世代ほどさかのぼる人である。

J・アブリ著の「詩篇とその解説」では、
「ミゼレーレ」は、「罪びとの痛悔」として、
「個人の訴え、罪びとが聖とされることを願うところである」
とあり、
「神の精霊の働きによって新しい心をもった新しい人間存在に」
することこそが、キリストの回復のわざであるとし、
以下のように各部が構成されているとしている。

「(神への)呼びかけと祈願」、
ここでは、「わが罪よりわれを清めたまえ」と歌われる。

「ミゼレーレ」とはじまる部分は、
「mercy」に相当し、「慈悲を」という事のようだ。
このレオポルド帝の曲でも、
ここは、しめやかな合唱で、
こみ上げるように歌い出される。

「自分の罪の告白」、
ここでは、「わが罪は常にわが前にあり」、
としながらも、
「されどみまえにて正しき心を持つ者は、
おんみによせらるる者なり」と言い、
「おんみはわが心のうちに、
おん自らの知恵を知らせたもう。」と結ぶ。

「自分がもっと内的熱意をもつようになるため、
神の精霊を満たされたいとの願い」
とされる部分は、
「神よ、われに清き心を作りたまえ
わがうちに耐え忍ぶ霊を、新たになしたまえ」、
「われにふたたび、救いの喜びを与えたまえ」
と切実である。

さらに、「感謝の約束」と分類された部分では、
「おんみの正義によりてわが口に、
喜びの歌を歌うを許したまえ」と、
神の誉れを伝えることを望む。

私は、この詩節では、
「神よ、わがいけにえは砕けたる精神なり」
という部分が気になっている。
1972年に出た岩波新書の、
浅野順一著「詩篇」でも、この部分は、
親鸞の「悪人正機」になぞらえられたりしていて、
「ありのままの自己を神に捧げればよい」
と書いてもいるが、
もっと単純に、心が砕けた時こそが、
救済を求めるものではなかろうか。

なお、この著書は、「ダビデの歌」としての、
詩篇解釈も差し挟んでいるのが面白く、
ダビデの母が罪のうちに彼を孕んだ事、
ダビデが部下のウリアの妻、
バテセバを犯した件にまで、
言及している。

さて、最後は、「エルサレムのための祈」とあり、
「かくて人々はおんみの祭壇に、雄牛を献げまつらん」
とこの詩篇は結んでいる。

シェーファーの本ではこの曲は、
「もっとも成熟度が高く、完璧な作品」
と表現されている。

CDの解説に戻ると、
「詩篇50のミゼレーレは、
豊かなコントラスト、かつ、
基本的に悔い改めたテキストに基づいている。」
とあって、上述の脱線記述が参考となろう。

「器楽のない単純な曲付けの場合は、
聖週間と葬儀の際用という宗教的意味合いがある。
祝祭的な器楽伴奏の場合は、
レントの祝日用である。
19世紀の間、この曲は、
彼の息子、カール6世の作曲とされていたが、
そのスケッチから、
皇帝の作品のコレクションの最初の校訂者、
グイド・アドラーによって、
レオポルドの部分的筆跡が確認され、
17世紀の最後の四半世紀に作曲されたものだと特定された。」

ちなみにアドラーはウェーベルンの師匠でもあり、
19世紀とはいえ、1855年生まれで、
戦前まで生きていたから、
さすがに、レオポルド公の作品の研究もまた、
ヴィヴァルディ同様、つい最近まで進んでいなかった、
と考えても良いのだろう。

また、ヴィヴァルディのパトロンであった、
カール6世が、こんな形で出てくるとは思わなかった。

先に紹介した「詩篇の音楽」では、
この17世紀後半の時代を、
「中期バロックの時代に入ると、・・・
実質的にカンタータを確立していく」として、
ブクステフーデやパッヘルベルなどの活躍を総括しているが、
このレオポルド帝の音楽もまた、
歌い手が変わるごとに曲調も変わるので、
多楽章のカンタータに近い。

しかし、このCDでも、
トラックが分かれていないように、
粛々と行われている儀式に臨んでいる感じで、
そうした近代的なイメージから離れて、
いかにも、宮殿の中の秘曲という趣きである。

「アドラーは、この曲を、
『皇帝の作品で、最も音楽的に成熟し、
最も完成度の高い作品』と呼んだ。
ここでは4人の独唱者と合唱のパートが指定され、
2つのソプラノ声部は、
『ヴィオレット』(おそらくヴァイオリン)とされ、
ソプラノ、アルト、テノール、バス声部の
4つのヴィオール、
3つのトロンボーン、バスーンとオルガンからなる、
器楽部の暗い色調は、テキストやレントに見合っている。
レオポルドは、主音にハ短調を選び、
歎きの感情を表すのにふさわしい響きとなっている。」

様々な作品を書いた作曲家の、
どれが代表作かを選ぶのは困難なことだが、
当面、この作品を聴けば、
レオポルド1世の芸術の真髄に触れることが出来そうだ。

「合唱は、長大なホモフォニックの、
独立した器楽部のない開始部となっており、
4人の独唱者は、それぞれがテキストの一節から、
2つのヴィオレットを伴いながら、
次々に言葉を発する。」

独唱者たちは、フーガ的な動きを見せ、
「慈悲によりて、わが罪を消したまえ」と歌った後、
次々と詩句を歌い継ぐ。
ぽろぽろと、古雅な伴奏がつく。
ソプラノが、冴え冴えと、
「おんみに向かい罪を犯したり」と懺悔する。

「次のセンテンスは、再び合唱から始まり、
同様の様式で繰り返されるが、
この時には、テキストの繰り返しや、
器楽の扱いは長くなっていて、
様々な独奏を伴っている。
ソプラノ声部はヴィオレット一つ、
バスーンによるバス、
2つのトロンボーンによるテノール、
4つのヴィオールによるアルトからなる。」

ここでも、ソプラノの、
「ヒソポもてわれに注ぎたまえ、
さらばわれは清まらん」の部分は、
ヴァイオリンの掛け合いも美しい。
シュメルツァーのような名手がいた、
宮廷ならではの天使の響きである。

バスでは、はずむように、
「歓呼を聴くを許したまえ」が歌われる。
ファゴットの伴奏が虚無的な響き。

「わがとがを、すべて消し去りたまえ」の、
テノールを伴奏するトロンボーンは厳粛、
「われに清き心を作りたまえ」のアルトは厳粛だが、
ヴィオールの動きに、新たな胎動を感じる。

フーガ的な合唱は、「われを捨てたもうな」で、
切迫感で取りすがる。

「次のパッセージは、
喜びの再来を嘆願するテノールで始まるが、
それはそれに相応しい、
舞曲調の6/8拍子である。」

「寛大の霊によりて、われを強めたまえ」と、
切実である。

「アルトとバスのデュエットと、
2つのトロンボーンとバスーンで伴奏される、
アルトの独唱、
短い合唱が続き、
さらに二重唱があるが、
今回は、ソプラノとアルトであって、
神の賛美のテキストに相応しい、
喜ばしい音楽を伴う。」

このあたりは、「感謝の約束」で、
「罪びともみもとに帰り来たらん」
という二重唱があり、音楽も中盤に入っている。
アルトによる「リベラ・メ」
(「血を流す罪より救いたまえの部分」)を含め、
いくぶん、満たされたような響きが続く。
高音の二重唱は美しく、
「わが唇を開きたまえ」と歌い上げるが、
それは、「おんみの誉れを述べ伝え」るためである。
この部分は装飾も入ってながく、
曲の2/3まで行ってしまう。

「4人の独唱者すべてが、一体となって、
合唱は、次のセンテンスを歌う。
ソプラノ、アルト、バスの三重唱は、
たちまちその前のパッセージを強調して、
3つのトロンボーンを伴うテノール独唱がある。」

ここは、いよいよ、
この詩篇ならではのクライマックスという感じで、
「おんみはいけにえを好みたまわず」から、
あの、「わがいけにえは砕けたる魂」という部分が、
歌い上げられる。
三重唱で舞い上がって、
そして、平穏の中に落ち着いていくが、
さすがレオポルド帝、「砕けたる魂」を知っているようだ。

というか、彼こそが、
「砕けたる魂」の典型だったはずである。
フランスやトルコの猛攻を受け、
ペストに帝国を蹂躙され、
内乱に苦しめられながら、
戦地にて死去したとされる。

テノールは、「エルサレムの祈り」に相応しく、
ものものしいトロンボーンを背負っている。

「また、合唱が始まり、
テキストの最後のセクションを歌い始める。
この部分も、ヴィオールとトロンボーンを伴う
四重唱によって強調される。
これも次に合唱部に続く。」

器楽も交え、しめやかさや荘厳さを増す部分。

「ヴェスプレの詩篇を締めくくる
頌栄部、『Gloria Patri et Filio..』の
豊かなコロラトゥーラによるバスで唱えられ、
その他の3人の独唱者らに受け継がれ、
テキスト『Et in saecula saeculorum. Amen.』は、
合唱のフーガで締めくくられる。
フーガの主題は、
例えば、2人の特別な例で言うと、
バッハやヘンデルにあるように、
18世紀前期に良くみられる様式である。」

最後の2分で、この華やかな終結部が始まる。
フーガは、確かに、バッハの時代まで通用するような、
「はじめあったことは、これからもある」という、
いかめしく、悠久な感じを出した頌栄。
しかし、王宮での秘儀という感じは濃厚である。

ということで、レオポルド帝の没年からして、
時代を先取りした作風ということだろうか。

「ある外交官の報告によると、
レオポルドは、とりわけ、
悲しいメロディの付曲にすぐれていたとされる。
この事実は、彼が姪や、
1673年、結婚後、たった5年で亡くなった
最初の妻インファンタ・マルガリータ・テレサ
のために作曲した、美しいレクイエムにも当てはまる。」

この最初の婚礼の一大どんちゃん騒ぎで演奏されたのが、
チェスティの祝典オペラ「黄金の林檎」である。

「1676年、結婚後、
わずか3年半で亡くなった、
彼の2人めの妻、
インスブルックのハプスブルクの
グラウディア・フェリチタスの死に際しては、
礼拝用に、第1番 ノクトゥルニのための、
三つのルソンを書いた。」

ということで、この最後の曲は、
皇帝40歳頃の作品と類推することが出来る。

1680年といえば、バッハ、ヘンデルが生まれる前夜。
「ルソン」といえば、
クープランやシャルパンティエが思い出されるが、
シャルパンティエが、レオポルド帝と同時代人、
クープランは一世代後の人であった。

「Tres Lectiones 1. Nocturni」とあるが、
英訳されると、
「第1のNocturnより3つのReadings」となっていて、
最初の晩祷の夜半課に読まれた、
聖書の3つの部分を歌にしたものであることが分かる。

なお、シャルパンティエのルソンは、
旧約聖書の「エレミアの哀歌」を読む感じのもの。

事実、CDにもトラックが3つあって、
全曲で22分の大作である。

「この曲は、1705年、彼自身の葬儀の折にも演奏され、
それから毎年、彼の命日5月5日には演奏されており、
1720年、彼の3番目の妻、
エレオノーレ・マグダレーナの死後も演奏されている。」

ということで、この曲は、少なくとも、
当時、40年は命脈を保っていたということになり、
相応の名品と考えて良いのだろう。
シェーファーの著書では、カール6世も、
この曲に畏怖の念を抱いていたとある。

これらの王妃についてであるが、
シェーファーの本では、
先妻二人は音楽的教養のある人とされていて、
最後のエレオノーレ妃は、音楽嫌いだったと書かれている。
ちなみに、カール6世らは、彼女の生んだ子である。

ほとんどのテキストはヨブ記から取られているそうで、
最後はレクイエムの一節で終わるとある。
解説は続くが、もう、規定のページに達したので省略する。

シェーファー著「ハプスブルクの音楽家たち」でも、
「彼の作品のどれをとっても、
二度目の妻クラウディア・フェリチタスのための
三つの葬送読誦ほどに深い弔意を表現している曲はない。」
と特筆されている事は特記しておく必要があるだろう。

1曲目から、「私の日々は無なのです」と歌われ、
2曲目も、「私は人生に疲れ果てた」と言い、
3曲目では、「何故、あなたは目を背けるのです」と問う。

得られた事:「レオポルド1世は、フランスやトルコの猛攻を受け、ペストに蹂躙させながらも、何とか帝国を護った皇帝であったが、静かな憂鬱に悩まされ、常に音楽の中に迷宮の離宮を作って逃げ込んでいた。」
「当時の情勢であるカンタータの成立などとは離れ、楽器の選択もあって、イエズス会の神秘の奥義という趣き。」
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by franz310 | 2016-01-16 21:56 | 古典 | Comments(0)