excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
全体
シューベルト
音楽
現・近代
古典
オンスロウ
レーガー
ロッシーニ
歌曲
フンメル
どじょうちゃん
未分類
以前の記事
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:シューベルト( 129 )

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その416

b0083728_23304236.jpg個人的経験:
トスカニーニが指揮する
シューベルト録音は、
LP時代から、
最後の二曲の交響曲が、
広く日本でも知られていたが、
私が驚き、息を飲んだのは、
TESTAMENTから、
「グランド・デュオ」の
ヨアヒム編曲版が出た時であった。
これは、ありがたい事に、
「第2交響曲」との組み合わせで、
こちらも、知られていなかった。


今回、改めて録音年月日を見て、
これまた、感慨を新たにしてした。
「第2交響曲」が、
1940年3月23日。
これは、1939年秋に、
「未完成」で始めたシーズンで、
有名なベートーヴェン・チクルスを
振った流れに位置している。

3月も23日と言えば、
ほとんどシーズンも終わりであろう。
ある意味、二曲のシューベルトで、
ベートーヴェン・チクルスを含む、
偉業たる、このシーズン全体を、
サンドウィッチした形になる。

また、「大二重奏曲」は翌年のもので、
1941年2月15日の録音。
この後、巨匠はNBC交響楽団と、
仲たがいして、この年の秋に、
フィラデルフィア管を振って、
「グレート」の名演を残すことになる。

つまり、さらに年単位で考えると、
戦前に、トスカニーニが、
ベートーヴェンなど、
(交響曲の演奏会シリーズに、
ハイフェッツとの協奏曲録音も続いた)
ドイツ古典に集中した時期に、
「未完成」と「大ハ長調」を演奏し、
その間に、この二曲が挟まれている構図とも言える。

1939年のベートーヴェン・チクルスに関しては、
様々なレコード会社からCDが発売されているが、
その有名なシリーズと同列に語られるべき流れに、
これらのシューベルト録音を位置付けてもよさそうだ。

最近でこそ、「第2」は、
演奏会の最後に、締めくくりの曲として
取り上げられたりもするが、
当時は、まだ、少年期に書かれた、
知られざる習作みたいな
位置づけではなかっただろうか。
(CD解説にも、それが触れられている。)

このあたりのシューベルト受容史も気になるので、
このCDを無視して先に行くことはできない。
この時期のベートーヴェン演奏の勢いからして、
演奏も、きりりと引き締まったものであると予想され、
こうして、凝集されたシューベルトへの思いが、
フィラデルフィア管弦楽団での、
自信に満ちた壮麗な演奏に繋がったものであろう。

このように、演奏の時期からして、
非常に期待の出来る録音ではなるが、
このCD自体の表紙デザインは、
あまり薦められるものではない。

単なる白黒のスナップ写真のようで、
これでは、この不機嫌な顔立ちの人物が、
何者かすら分からないではないか。

何も知らない人が贈られて、
嬉しくなるような代物ではない。
クラシック音楽が好きな人のうちで、
トスカニーニが好きな人で、
シューベルトが好きな人だけ、
仕方なく買うような仕様であろうか。
ほとんど、自殺行為の商品である。

しかし、好意的に解釈すれば、
この鋭い眼差し、意志の強そうな口もとから、
トスカニーニの研究者としての側面を
見事に捉えたもの、と言っても良いかもしれない。

トスカニーニが、
いかに、楽譜を研究し、
ベートーヴェンに関する、
あらゆる書物を読み漁り、
原点に戻った解釈を聴かせたかが、
これまで日本では、
あまり語られてこなかったが、
そんな記述を、このトスカニーニ像から、
思い出してみるのも良いかもしれない。
(解説にも、そのような記述もあり驚いた。)

この「グランド・デュオ(大二重奏曲)」は、
初めて公になるものとあるが、
1989年に出た、諸石幸生著の
「トスカニーニ」の巻末ディスコグラフィには、
ヨアヒム編「ガシュタイン交響曲」と記載されている。

同日には、モーツァルトの協奏交響曲(VnとVa)が
演奏されたようで、やはりウィーンの古典、
この本には、1940年3月23日の
「第2」の方が記載されておらず、
1938年11月12日に、
この曲が演奏されたような記述になっている。

ただし、この3月23日の「第2」は、
ナクソスからも、
「パルシファル」のハイライトと一緒に、
同日の演奏として発売されたから、
日付としては正しいものと思われる。

解説は、「トスカニーニ、NBCイヤーズ」の著者、
モティマー・H.フランク(Frank)で、
Wave・Hill・トスカニーニ・コレクションの、
キュレーター(学芸員)だとある。

最近、キュレーターという言葉は、
ややこしい事を分かりやすく、
情報整理する事として、
この情報過多の時代に重要と、
流行りであるが、
このCD解説は2006年のもの。

「1954年に、トスカニーニが
空前の68年のキャリアを終えた時、
彼の名前は、指揮という言葉と結びついていた。
そのキャリアは、その長さだけでなく、
スカラ座の監督としての
3回にわたる任務(1898-1903、
1906-08、1921-29)や、
メトロポリタン歌劇場との8年の関係、
彼の名前をオーケストラの監督に結びつけた
1926年に始まる10年にわたる
ニューヨーク・フィルとの関係など、
それが影響した範囲もまた、
どえらいものであった。
フィルハーモニックとの10年は、
彼のキャリアを劇場から、
コンサート・ホールへと、
おおきく変遷させた。
1936年、69歳の年のリタイア時、
アメリカは彼を見る最後だと考え、
トスカニーニも自身、
どのような職業がどうなるか、
確かなものを持ってはいなかった。
70歳の誕生日に、
『私は病気ではないが、
70歳を超え、何をしている。
どこかに出て行き、指揮をするべきだろうか。』
と書いたように、
彼にとっては、人生とは仕事であり、
仕事のない人生は、死への委託を意味した。」

このように、シューベルトとは、
無関係な事が列挙されているので、
最初の部分は、私にとっては、
良いキュレーターの仕事ではない。

「幸運なことに、RCAの社長の、
デヴィッド・サーノフや、
RCAの子会社のNBCが、
別の道に導いた。
彼の野心と予見は、
後世のために、交響楽の歴史の
ユニークな遺産を残すことになる。
トスカニーニのフィルハーモニック離任時、
サーノフは、トスカニーニが率いる
このオーケストラの全米ツアーを思いつき、
NBCがそれを放送すればよいと考えた。
トスカニーニが、その提案を蹴った時、
サーノフは、ラジオ放送と、
トスカニーニのために、
新たなオーケストラを組織するという、
さらに練った、驚くべき提案を行った。
1931年に、BBCのための、
放送用オーケストラは作られていたが、
アメリカには、こんな冒険をする経営者は、
ひとりもいなかったのである。
トスカニーニが、この提案を受け入れるや、
ものすごいスピードでオーケストラが組織された。
他のアンサンブルで首席についていた、
21人が職員として採用され、
何人かはNBCでも同様のポストに就いた。
その中には、コンサートマスターの
ミッシャ・ミシャコフ、
ヴィオラのカールトン・クーリー、
オーボエのロバート・ブルーム
がそうだった。
他のメンバーは、才能ある若手から選ばれた。
特に弦楽は、オーケストラ以外に、
重要な並行したキャリアを身に付けた。
特にチェロのアレン・シュルマンは、
作曲家としても有名で、
その兄弟でヴァイオリン奏者であった、
シルヴァンは、契約メンバーで、
Stuyvesant四重奏団の一員だった。」

このあたりの話は読んだ事がなかったので、
それなりに参考になるが、
21人以外は、正規採用ではなかったのだろうか。
そもそも、NBC交響楽団については、
雇用関係が微妙で、良くわからない。

「モントゥーとロジンスキー
(彼がトスカニーニのためにオーケストラに練習をつけた)
による、予備放送の後、
1937年のクリスマスの夜、
トスカニーニは、彼のNBC交響楽団を、
デビューさせた。
ヴィヴァルディの合奏協奏曲作品3の11、
モーツァルトの交響曲第40番、
ブラームスの交響曲第1番というプログラムは、
各曲が、音楽史の別の時代から選ばれ、
いずれも短調、いずれも劇的で、
マエストロの厳粛さへの冒険を予告していた。
そして、典型的なコメント、
『ラジオがベストを尽くしてラジオが賞賛された』
という風に、
誰も予想できなかった程、聴衆は熱狂した。」

ということで、
NBC交響楽団創設時のエピソードに終始しているが、
この後は、サーノフとトスカニーニの偉業が語られ、
最後には、シューベルトの話が出てくる、
という構成のようだ。

「この頃は、トスカニーニが、
この冒険によって、
スカラ座での16年を超える、
17年もの仕事への関わりを
この後のキャリアに加えることになろうとは、
誰も予想してはいなかった。
しかし、このプロジェクトで、
最も注目すべき点はその遺産であった。
NBC交響楽団のすべての放送は、
技術的に優れた録音で保存された。
当時の他のどの指揮者の仕事も、
これほど豊富に記録されたものはない。
事実上、サーノフのヴィジョンが、
そこを通ることによって、
人々が歴史の中を歩き、
どのようにトスカニーニが、
レコーディング・スタジオでの真空状態より、
背後の聴衆と共にある、
解釈者として振る舞ったかを
学ぶことが出来るドアを作ったのである。
さらに、彼が、自身の中心となる
レパートリーについて、
常に再検討していたかを
知ることが出来る。
同様に重要なのは、
トスカニーニがスタジオ録音しなかった、
曲目についての演奏である。
それは、このCDにおける2作品についても言え、
今回のリリースで、初の商業発売となる。」

これまで、トスカニーニが偉い、
という話は多く読んできたが、
企画したサーノフが偉いというのは、
確かに強調しても良いことだろう。

「4手用ピアノ・ソナタである、
シューベルトの『大二重奏曲』を、
ヨーゼフ・ヨアヒムが、
1856年にオーケストレーションしたのは、
疑いなく、ロベルト・シューマンと、
誰よりも、この作品が、
失われた『ガシュタイン交響曲』
のスケッチであると考えた
ジョージ・グローブに後押しされた、
信念によるものに相違ない。
この説は近年の学者が否定しているものだが。
1936年、サー・ドナルド・トヴェイが、
『音楽分析のエッセイ』の中で、
『ヨアヒムの編曲のおかげで、
シューベルトの最大級の交響形式の実例を
聴く機会が出来た』と書いて、
間接的にこの考えを後押しした。
トスカニーニはトヴェイの著作を信奉しており、
それが、トスカニーニにオーケストレーションを
促したものと思われる。
しかし、NBCのアナウンサーの、
ジーン・ハミルトンが放送で言っているように、
総譜もパート譜もフィラデルフィアの、
公共図書館から調達しなければならなかった。」

この「オーケストレーションを促した」
という言葉は、
オーケストラでの演奏を促した、
と読むべきなのであろうか。

トヴェイ(Sir Donald Francis Tovey)は、
トーヴィーと読まれるらしく、
単なる評論家ではなく、
CDも発売されている、
作曲家であった人らしい。

1875年生まれというから、
トスカニーニより若い同時代人であるが、
何と、この演奏がなされた1940年、
7月10日に、エディンバラで亡くなっている。

スコットランド独立反対多数の
ニュースが流れた後なので、
かの地に、しばし、思いを馳せた。

音楽の研究が、こうした演奏に繋がっているとは、
何も、近年の古楽に限った話ではなかった。
トスカニーニは、単なる、
ガテン系の頑固一徹親父ではなく、
同時代の研究を無心に読み解く
文人風の面影も持っていたわけだ。

反対に、トーヴィーは、
トスカニーニが演奏した、
シューベルトの音楽を、
ラジオなどで聴くことが出来たのだろうか。

「興味深いことには、トスカニーニは、
明らかに、フィナーレをヨアヒムが、
アレグロ・ノン・トロッポにしたことに反対で、
この演奏からも分かるように、
シューベルトの
アレグロ・ヴィヴァーチェの指示に戻している。
多くの見地から、
このオーケストレーションには、
この作曲家の最後の交響曲のエコーが響き、
特に野心的な金管の扱いがそうである。
トスカニーニが指揮すると、
テクスチャーは透明度を保ち、
過度の重々しさから解放されているが。」

この演奏が、同曲の演奏より、
簡潔に引き締まって聞こえるのには、
こうした理由もあったのである。

「おそらく、この放送は、
ヨアヒムの仕事の
最初のアメリカでの演奏だった。
全ての状況を照らし合わせて、
これはトスカニーニのただ一度の演奏であった。」

これはまた、貴重な記録が入手できたものである。
放送された機会も一度きりだったのだろうか。
ますます、トーヴィーが聴いていたことを、
願わずにはいられない。

「ある方面からは、
トスカニーニのNBC時代は、
概して、彼のニューヨークでの
10年に劣ると言われる。
NBC放送の研究をすると、
しかし、この意見には賛同しがたい。
事実、彼のNBC時代は、
フィルハーモニック時代には手がけなかった、
広大なレパートリーを含んでいる。
こうした作品の中に、
シューベルトの『第2交響曲』があって、
これは、明らかにトスカニーニが、
NBCに来てから取り組んだものだ。
今回のこの記録は、3回ラジオ放送されたものの、
2回目のものである。」

第2交響曲は、「大二重奏曲」よりは、
聴くチャンスが多かったようだが、
そういえば、ニューヨーク・フィルを振っていた、
バルビローリがこの曲を好んでいたことを思い出した。

トスカニーニが、1940年3月23日に振った前後の、
ニューヨーク・フィルの演奏曲目をHPで調べると、
1939年3月と11月に、
また、1940年1月21日にも、
バルビローリがこの曲を振っていた事が分かる。

バルビローリ・サイドから見ると、
ニューヨーク・フィルへの敵愾心を、
露わにしたレパートリーとも見えなくもない。
が、「大二重奏曲」は、ニューヨーク・フィルは、
演奏したことがなさそうだ。

さて、3回も放送した、「第2」であるが、
この時の演奏が採用された理由が続く。

「それは、これらの中で、
最も音質が良いからで、
これは、主に、
ドライな8Hスタジオで、
反響を捉えようと、
NBCの技術者らが
補助マイクを持ち込んだ
時期のものだからである。
78回転時代は、この交響曲は、
国際的知名度のない指揮者による、
レコードが一種あっただけだった
と言うことも特記しておく価値がある。」

バルビローリの例があるので、
これは、それほど特記する必要はなくなった。

「この3つの放送は、
無視されていた作品に対しての、
彼の興味を示すもののみならず、
快活で優美なカンタービレのラインや、
引き締まったバランスのとれたソノリティ―は、
18世紀のスタイルにルーツを持つ音楽への、
彼のセンスを表している。」

今回聴く2曲の録音は、いずれも、
悪評の高い、8Hスタジオのものだが、
それほど悪くない。

CDは、まず、この解説とは異なって、
「第2交響曲」から始まるが、
序奏部からして、夢を孕んだ緊張感が聴きもので、
各声部が躍動して、木管楽器などの装飾音も楽しい。

この時期のトスカニーニに共通する、
体中が火照ったような表現ゆえに、
細かい音形が重なって行く展開部では、
ヴァイオリン群が崩壊寸前である。

デジタル・リマスタリングは、
Paul Bailyという人が担当したらしい。
ライセンスは、Eroica Productionによる、
とあるが、変な名前である。

この音源は、よほど保存が良かったのか、
先のマイク利用の効果ゆえか、
同シーズンのベートーヴェン・チクルスより、
音質的には聴きやすいような気がする。

第2楽章も、各楽器の歌わせ方が愛らしく、
高齢の巨匠も、青春時代の夢を慈しむような感じ。
弦の広がり感や、管楽器の奥行き感が美しく、
名残惜しげな余韻も痛切である。

トスカニーニのような巨匠が放送していながら、
この演奏が、ほとんど知られていないのは、
不思議としか言えない。

第3楽章は、リズムを激しく叩きつけながら、
造形がしっかりした格調の高い表現で、
トリオ部のオーボエなど木管の無垢な表現にも、
心打たれるものがある。

第4楽章も、第3楽章同様、
激しいリズムだが、弾力があって快適である。
オーケストラが体を張って推進力を生みだし、
爆発的に共感を発散させている。

拍手も収録されているが、
ブラボーがないのが不思議なほどだ。

後半に、「大二重奏曲」が収録されているが、
第2交響曲に、この大曲を収めて、
収録時間が60分51秒で済んでいるのは、
こちらの曲が、かなり、広がりよりも、
逞しく引き締まった力感に
重きを置いた演奏になっているからだろう。

シューベルト特有の、
あふれ出るメロディが、
次々と生まれては消えて行く。
休止があまりない感じだろうか。
音楽が常に律動して、
脇目も振らずに目的地に向かって行く。

この曲あたりになると見て取れる、
シューベルト後期の崇高さや寂寥感も、
この逞しい流れの中では、
さっと描きこまれた陰影に過ぎない。

コーダ部では青白く焔を上げて興奮し、
音楽が大きく膨らんで、
いかにも英雄的で自信にあふれた、
成長したシューベルト像である。

第2楽章は、歌謡的な楽章だと思っていたが、
落ち着きがないほど、何か先を急いでいる。

この時期のトスカニーニのベートーヴェンは、
余分なものを取り去って、
本質のみを語ろうとした、
ノミで削った後も生々しい潔癖さが魅力だったが、
この曲の演奏でも、その傾向が認められた格好だ。

この美しい楽章には、
録音にも、もう少しうるおいが欲しい。
が、この指揮者ならではの音楽が、
しっかりと聞き取れるレベルではある。

第3楽章は、いかにもスケルツォらしく、
無骨でごつごつしているが、
ほとんどベートーヴェンの第9に迫る程に、
豪快かつ、眼もくらむような巨大さが新鮮である。

シューマンを先取りするかのような、
トリオ部の幻想性も素晴らしい。
予測の出来ない痛みを伴って、
弦楽群が唸っている。

第4楽章は、トスカニーニが、
ヨアヒムの指定を変えたと書かれた所であるが、
様々な楽器が生命力を持って鳴り響き、
細かい音形が増殖していくような迫力は、
このテンポで生きて来るような気がする。

いろいろと、難癖が付けられることの多い、
ヨアヒムのオーケストレーションであるが、
この演奏を聴く限り、
寄せては返す波のごとく、
素晴らしい活力に満ち、
幻想的でもあって、まったく文句はない。

コーダの燃焼も熱く激しく、
演奏も共感に溢れていて、
トスカニーニが、何故、一回しか、
この曲を演奏しなかったか、
理解できないほどである。

これらのシューベルト演奏を聴きながら、
再び、このCDの表紙を見ると、
何となく、忘れられていた交響曲を、
復活させようと意気込んでいる、
「指揮者の中の王」の志のほどが、
表情からも読み取れるような気がした。

得られた事:「1939年の、トスカニーニは、ベートーヴェン・チクルスの流れに乗って、シューベルトの再評価を行った。」
「トスカニーニは、英国の作曲家で音楽学者であった、トーヴィーの研究を読んで、シューベルトの『大二重奏曲』を演奏会で取り上げた。」
[PR]
by franz310 | 2014-09-20 23:32 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その416

b0083728_16381735.jpg個人的経験:
トスカニーニの
シューベルトと言えば、
「未完成」というより、
「大ハ長調」にまず、
指を屈するべきであろう。
トスカニーニは、
この曲を非常に大切にし、
彼が、最初に振った交響曲が、
この曲であると伝えられるし、
雄渾な曲想からしても、
トスカニーニ的な作品で、
多くの録音も伝わってもいる。


ドナルド・キーンの著書などでも、
この曲を聴くなら、トスカニーニだ、
といった一節があって、
私はかなり驚いたものであったが、
トスカニーニの演奏の一途に、
しかも魂を込めて歌いぬく演奏は、
シューベルトが「未完成」の諦念を突き抜けて、
到達した境地と似たものがあってもおかしくはない。

早い時期のものとしては、
1941年11月16日に、
珍しく、フィラデルフィア管弦楽団を振ったものがある。

戦争勃発時期に、NBC交響楽団と、
ベートーヴェンの全曲チクルスをやったのが、
1939年であるから、2年が経過している。
トスカニーニは、1967年生まれなので、
このフィラデルフィアとの演奏は、74歳の時である。

2006年に出た、Sony/BGM盤は、
表紙のトスカニーニの雄姿も素晴らしく、
写真を取り巻く洒落た図柄も、
この時代を象徴して優美である。

つまり、真珠湾奇襲は、
3週間ほど後の事なのだ。

トスカニーニ自身の事としては、
記念すべきチクルスの翌年、
1940年あたりから、
何と、NBC交響楽団との関係が、
うまく行っていなかったようで、
1941年の冬のシーズンは、
シカゴ響、ニューヨーク・フィル、
フィラデルフィア管弦楽団などを振って、
トスカニーニは、NBCとの演奏は行っていない。

この間、ストコフスキーなどが、
NBCに関しては、振って繋いだが、
トスカニーニのNBC響以外との演奏が、
まとめて残されていることは、
有難い限りと言って良い。
ただし、この録音には、
様々な伝説があったようで、
トスカニーニが演奏を認めなかったとか、
息子が発売を認めなかったとか、
録音が悪すぎた、とか、
諸石幸生著「トスカニーニ」には、
整理しきれない記述が並んでいる。

私は、これを知っていたので、
これまで聞く気にならずにいたのだが、
CD化されているものは、
丁寧な復刻がなされているのか、
時々、ノイズが混ざるが、
まったく鑑賞するのに問題はない。

Mortimer H.Frankの解説に、
「1930年の終わりにかけて、
トスカニーニとストコフスキーは、
指揮台を交換しており、
ストコフスキーはニューヨーク・フィルに行き、
トスカニーニはフィラデルフィアに向かい、
ここで、彼は忘れがたい印象を残した。
11年後、彼が少しNBCを離れた時、
トスカニーニはフィラデルフィアに戻り、
再度、演奏会シリーズを持った。
この登場を知って、団員は再度、
自分たちのパートを見直し、
さらい直し、彼の要求に完全に答えるようにした。」
とあるが、
楽団員も恐ろしい期待と不安で、
そして、万全の準備を持って、
巨匠を迎え入れたわけである。

「首席バスーン奏者の
Sol Schoenbachは、
マエストロがディナーミクを
大切にすることを知っていたので、
楽器に綿やハンカチや靴下を詰めて、
チャイコフスキーの『悲愴』の
第1楽章でppppppに応えられるようにした。」
と書かれているが、
この「悲愴」は、トスカニーニが、
NBCと残した数多くの「悲愴」の中で、
最も、説得力があるもののように聞こえる。
(ただし、諸石氏の著書では、トスカニーニは、
この独奏が気に入らなかった、とある。)

しかし、弦のしっとり響く様は、
他のトスカニーニ録音では、
なかなか聞けないもので、
チャイコフスキーになると、
これが、どうしても必要に思えてくる。

NBC交響楽団は、
腕利きだったかもしれないが、
歴史が浅い放送用のオーケストラで、
特にヴァイオリンは優秀な若手を揃え、
超絶技巧ではあってもシルキーではなく、
先鋭ではあっても、豊かな感じはしない。

そもそもホールにも問題があって、
どうしても、硬い演奏に聞こえがちであった。

それに引き替え、フィラデルフィアは、
ストコフスキーの薫陶を得た、
歴史ある名門であり、
その音色は、ラフマニノフが絶賛するもので、
1940年に作曲された、
「交響的舞曲」などは、
この楽団の豊かな音色を想定して書かれたと言われる。

このようなリッチなオーケストラと、
過激派のトスカニーニのがちんこ勝負は、
おそろしく魅惑的なものであったに相違ない。

トスカニーニは、
イギリスのオーケストラとの録音も有名だが、
ゴージャスさにかけては、
フィラデルフィアに敵うものではないだろう。

Sony/BGMの三枚組CDには、
1941年11月16日の「グレート」、
18日のドビュッシーの「イベリア」、
翌日のレスピーギ「ローマの祭」に加え、
年が明けて1月11日の、
シュトラウスの「死と変容」、
翌日にかけてのメンデルスゾーンの「真夏」、
2月8日、9日には、
チャイコフスキー「悲愴」、
ドビュッシーの「海」、
ベルリオーズの「女王マブ」が演奏され、
録音されている。

これらの間にアメリカの参戦が決まった時期。
かと言って、「悲愴」が、
とりわけ悲愴なわけでもないのだが。

それにしても、
「欲しがりません、勝つまでは」
のシリアスな状況下にあって、
アメリカ音楽界はゴージャス、
これらも、オーケストラの魅力を全開にした、
魅惑的なプログラムではなかろうか。

当然、指揮者の王様が、
王様のようなオーケストラを振ったのだから、
それに見合った演奏でもあって、
解説には、以下のような記載がある。

「同様に興味深いのは、トスカニーニが、
フィラデルフィア管弦楽団に見せた敬意で、
例えば、弓を揃える時も、バランスを取る時も、
彼は、決して、その伝説のソノリティを、
変えようとはしなかった」ともあって、
トスカニーニくらいの大家となると、
こうして築かれた伝統を、
ぶち壊すような愚についても、
よく理解していたということが印象的である。

チャイコフスキーの「悲愴」における、
弦楽の軽やかな飛翔、
木管の旋回など、
ため息が出てしまうほどである。

「これらの尊敬が、この録音群にも聞き取れる。
フィラデルフィアの音はNBCのものより、
シャープではないかもしれないが、
暖かく、重みがあり、より多彩である。
同時に、NBCやニューヨークで聴かれた、
マエストロの仕事の刻印である、
ラインのつながりや、アタックの正確さ、
慎重に計算されたクライマックスは、
ここでもしっかりと聞き取れるのである。」

まさに、良いとこどりの、
奇跡の名演集という感じがする。

「悲愴」の終楽章などは、
この豊かな弦楽の深みや、
ぴんと張り詰めたトスカニーニの歌心と、
熱い魂が、見事に音として鳴り響いた部分であろう。

「このように、トスカニーニの
フィラデルフィアの録音は、
特別なアイデンティティと、
独自性の質感を矯めることなく、
オーケストラに、
その要求を満たさせる、
彼の能力を立証するものとなっている」と、
フランクは、彼のパートを結んでいる。

メンデルスゾーンなども、
トスカニーニが繰り返し録音したもので、
ニューヨーク・フィルの演奏が有名であるが、
その時の録音と比べると明らかに優れた、
豊かな音質で残っていることに感謝せずにいられない。

ここでは、曲目も多く、
序曲から間奏曲、夜想曲、合唱付きの歌、
結婚行進曲、メロドラマとフィナーレと、
二重唱(Edwina Eustisと
Florence Kirk)、
合唱(ペンシルバニア大学、女声グリークラブ)
まで登場する豪華版である。

この曲の序曲からして、
トスカニーニは乗っているのがよく分かる。
リズムは浮き浮きと前進し、
手に汗握る緊張感も漲っていて、
聴き飽きたはずのこの曲が、
心から楽しめる。

William H.Youngrenの解説にも、
「1896年という、
オーケストラの指揮者としての最初期から、
トスカニーニが明晰さと繊細さ、
透明なテクスチュアを持つ、
メンデルスゾーンの音楽を愛して来たかを、
理解するのは困難ではない。」
と書かれており、
スカラ座時代から録音を残していて、
ニューヨーク・フィル、
BBC響との録音も紹介されつつ、
1930年の欧州ツアーでは、
ほとんど半数のプログラムで、
この曲が演奏されたと解説されている。

解説者は、フィラデルフィアの、
羽根のような弦楽や、
水銀のような木管が、
この曲には理想的だった、と書き、
「この演奏の
興奮と優美さのミックスによって、
自信に満ちた確かさは、
ほとんど筆舌に尽くし難く、
痛切に感動的である」と結論付けている。

女声合唱と独唱、
楽器のブレンドは、
まったく戦争の時代を、
忘れさせるほどに夢幻的である。

何となく、厳格に語られがちな、
トスカニーニの仕事の中に、
女子大学生の合唱が紛れ込んでいるのも、
初々しくて、貴重である。

ベルリオーズの「女王マブ」は、
メンデルスゾーン同様、
シェークスピア由来の霊感に満ち、
幻想的で、オーケストラの繊細な響きを
聴かせる作品だが、
胸いっぱいになるような、
魅惑的な響きと輝きに満ちていて、
言葉を失うほどである。
いかなる最新録音を持ってしても、
この精妙な色彩の魔力を
越えることは難しいのではないか、
とすら考えてしまった。

解説者も、
NBCのものもエキサイティングだが、
フィラデルフィアのものは、
「ベルリオーズの多彩で独特な管弦楽の色彩に、
ユニークな感受性を持って」
臨んでいる点を評価している。

まことに夢幻の響きと言うしかない。

普通、アメリカのオーケストラで、
進んでシューベルトを聴きたいとは、
思わないのだが、
ベートーヴェンで、
本質をえぐるような演奏をした
トスカニーニが指揮するものであるから、
悪いはずはない。

そんな期待が込み上げる。

単に、フィラデルフィア・サウンドの
シューベルトであれば、
まったく触手が動かないのが実情であろう。

それに引き替え、
ドビュッシーくらいになると、
最初から期待は大きい。

トスカニーニが指揮する「海」は、
NBCのものも、張り詰めた空気感が素晴らしかったが、
(吉田秀和氏も絶賛していた)
このフィラデルフィア録音は、
もっと、広がりのある大気の香りに満ちている。

諸石幸生氏の本には、
この録音を聴き直した、
トスカニーニが最初は喜んでいたのに、
第2楽章になって
怒り出した話が出ていて印象的だが、
当時の録音で、この水準は驚異的に思える。

あるいは、復刻作業が成功したのかもしれないが、
そもそも、そんなにひどい録音だったのなら、
トスカニーニは最初から聴かなかったはずだ。

ずっとお蔵入りになって、
トスカニーニの死後になって、
日の目を見たフィラデルフィア録音であるが、
この曲の第1楽章の最後の、
雄渾さや輝きを、適確に捉えている、
このような再生音に実際に浸っていると、
何やら、NBC関係者の陰謀めいたものすら、
感じずにはいられなくなる。

第2楽章も、冒頭の木管の掛け合いなど、
柔軟かつ眩しく、何ら不足を感じない。
さすがフィラデルフィア、
などと満足する方が支配的である。
終楽章のハープの弾奏も上品に聞こえる。

解説には、「『海』と『イベリア』は、
マエストロの好きなドビュッシーの2大名曲であった」
とあるが、ドビュッシーは、
前者に関しては、
トスカニーニの示唆したスコアの
微修正を認可したそうである。

このCDの解説でも、
BBC、フィラデルフィア、BBCと、
約7-8年ごとに現れた、
トスカニーニの「海」はどれも素晴らしいと書いている。

このフィラデルフィアのものは、
ふわふわとして上品だとある。

「イベリア」は、
冒頭の突き抜けるような音響からして、
実に鮮烈な録音である。
逞しいリズムに、
鮮烈な音色が絡み合うが、
途中に目立つノイズがあるせいか、
ずば抜けた出来とは言えないような気もする。

このCD集の中では、
いくぶん、中だるみ的な印象。

彼がニューヨークで世界初演した、
レスピーギの「祭」も、
録音の古さが目立った感じ。

あと、豊穣なオーケストラの響きにかまけて、
さすがのトスカニーニも、
前半は、溢れるような色彩を、
十分に制御しきっていないような印象を受ける。

この曲あたりが、
一番、期待していた曲目であったが、
意外な感じがしなくもない。

解説には、この演奏は、
「この曲に相応しく名技的で色彩的、
レスピーギの豊潤なオーケストレーション、
豊かなムードを伝えている」とあり、
「同時にトスカニーニのセンスで、
作品に気品とバランスを与えている」とあるが。

後半になると、ようやく音楽は落ち着いてきて、
終楽章には、ジューシーな音が、
したたり落ちて来る。

シュトラウスの「死と変容」も、
トスカニーニが1905年に、
初めて演奏して以来、
BBC響、ウィーン・フィルとも演奏した、
長いキャリアを通じて演奏してきた曲目らしい。

この解説者によると、
1952年のNBCの録音が、
このフィラデルフィア盤よりも、
幅広く劇的であるとあるが、
それでも、序奏部で、
各楽器が浮かび上がる様は、
さすがフィラデルフィアと言いたくなる。

解説者も、
「作品の最初の短い、
高く弧を描く連続の
独奏木管楽器の演奏の美しさ」を特筆している。

私は、この仰々しく、
最初と最後が良く聞こえない、
センチメンタルな音楽が苦手であるが、
トスカニーニの推進力のある演奏では、
かなり楽しんで聴くことが出来る。

さて、いよいよ、
「大ハ長調」を聴きたい。

解説も、この曲に対する記述が、
他の曲と比べると、
際立って長く、別格扱いなのが、
シューベルト愛好家の心をくすぐる。

総括として、このように書かれている演奏である。

「フィラデルフィアの演奏は、
そのほとんど完璧な合奏の凝集力と、
素晴らしく美しい木管ソロによって、
トスカニーニ最大の到達点の一つであって、
シューベルトの傑作に対する、
洞察と修正といった、生涯を賭けた、
彼の問いかけと再発見の一つのステップの、
貴重な記録となっている。」

冒頭のホルンから、
美しい音色で魅了し、
弦楽のピッチカートや、
木管の絡まりも、とても豊かな印象。
テンポは、落ち着いているが、
どんどん先に行く集中力を感じる。

各楽器の独奏に色彩を感じるのは、
NBCでは、あまりないことだ。
これは、序奏の後半で、
美しいメロディが歌われるところで顕著で、
主部に入ってからの格調の高さにも、
指揮者の音楽への慈しみを感じずにはいられない。

第2主題にしても、
楽器の重なりが堪能でき、
単なる主題提示にはなっていない。
足取りには自信が感じられ、
盛り上がり方にもひたむきさがある。
うちよせる波のように感興が高まって行く。

1939年のNBCのシーズンは、
シューベルトの「未完成」で始まったが、
マエストロは、この1941年のシリーズでも、
この逞しいシューベルトで、
始めているのが頼もしいではないか。

彼の、この曲に対するアプローチの歴史が書かれた、
このCDの解説もいろいろと勉強になった。

しかも、単に威勢が良いだけではなく、
低音弦に、痺れるような痛みを伴いながら、
静かに耐え忍ぶような表情も忘れてはいない。

「この作品が、彼にとって、
ずっと特別な意味を持っていて、
そして、それからもそうであったがゆえに、
トスカニーニが、
シューベルトの『大ハ長調』交響曲を、
フィラデルフィアとの最初のシリーズに選んだ事は、
驚くに値しない。
1896年3月、トリノ、
彼は、最初に振ったオーケストラの演奏会でも、
1か月後のスカラ座の演奏会でも、
彼は、この曲を演奏しているのである。
40年前のトリノでの演奏会を回顧してか、
彼は、シューベルトのハ長調を、
1936年4月のニューヨーク・フィルでの、
最後の定期演奏会でも取り上げている。
それ以前にもニューヨーク・フィルとは、
1929年、1932年と1935年に演奏している。
NBCとは、1938年の元旦に、
第2回演奏会で取り上げていて、
3つの放送用の演奏があって、
1940年の南米ツアーでも演奏している。」

トスカニーニと言えば、
ベートーヴェンが良いが、
このように、シューベルトもまた、
彼の主要レパートリーだったことが分かる。

第2楽章は、この曲特有の広がりよりも、
峻厳さを捉えた演奏で、
非常にきびきびと一途な足取りを見せる。
中間部の夢見るような主題登場時にも、
透徹した、孤高の表情を見せる。

解説には、
「まさに最初のうちから、
トスカニーニのアプローチは、
権威主義的でなく、
その緊張感とエネルギーゆえに、
また、伝統的なウィーン風のリラックスや
ゲミュートリヒカイトがなく、
伝統的ではないと批判されていた。
1935年、ウィーン・フィルで演奏した時、
シューベルトのおひざ元であったにも関わらず、
彼の解釈は完璧に説得力があるとして、
奏者たちは、その演奏を楽しんだ。
事実、トスカニーニ特有の、
交響曲に対する直線的なアプローチは、
第2楽章の早めのテンポと共に、
今日の聴衆が自然に受け入れている、
他の多くの指揮者たちが、
最終的に採用したものであり、
彼の様々な演奏の中でも、
魅力的な独自性を
持っていることが分かる」
と書かれている。

シューマンが指摘した天上のホルンの独奏も、
少しだけテンポを落とすだけの感じである。
金管が吹き鳴らされるクライマックスは、
悲鳴を上げるような感じではなく、
意外にも続く諦念の方を強調した演奏である。
この抒情性が、
オーケストラの個性による美感によって
支えられていることは言うまでもない。

「特に、トスカニーニは、
この交響曲をフィラデルフィアと録音しただけでなく、
NBCとも2回録音している。
これは、彼が3度もスタジオ録音した、
唯一の大曲である。
明らかに、自らの演奏の中に、
何か重要なものを見出していたのである。」

第3楽章は、毅然と進むが、
毎度のことながら明滅する楽器に耳を奪われる。
しかも、聞き逃しがちな、
弦楽を補助する木管とか、
背景できらきらする音型などが、
とても意味深い。

そして、トリオの幅広い流れ。
フィラデルフィア・サウンド待ってました、
という感じがしなくもない。
コントラバスやティンパニの刻みも雄大だ。

まったく余韻を残さない感じで、
この楽章は終わるが、
終楽章への緊張感を大切にしたものだろうか。

初演しようとしたウィーン・フィルが、
恐れおののいた、小刻みなヴァイオリン音型も、
美感を失わずスリリングで、
ひたひたと押し寄せる興奮を押さえながら、
音楽が進んで行く様子は壮観である。

しかも、凝集されたエネルギーが、
生みだされ噴出しては拡散していく。
金管がさく裂するときの余裕も、
このオーケストラならではのものだ。

コーダでの執拗なリズムのうち返し、
テンポを速めての終結部も、
恐ろしい気迫に満ちながら、
まったく下品にはなっていないのが素晴らしい。

「トスカニーニは年を取るごとに、
その演奏は、どんどん速く、
どんどん硬く、人間味のないものになった、
とよく言われるが、1936年の、
ニューヨーク・フィルの演奏は、
1953年のNBCのものより、
どの楽章も演奏時間が短い。
さらに言うと、
フィラデルフィアの演奏の第1楽章は、
1936年、1953年のどちらより短く、
終楽章は、どちらよりも長い。
第2楽章は1936年のものが速く、
きびきびした勇敢な感じが欠け、
1941年のものではそれが獲得され、
1953年のものもそれがある。
1936年のものは、1941年のものより、
多くの楽章が軽いタッチとなっているが、
1941年のもので制御されているほどには、
1936年のトゥッティの衝動は押さえられていない。
しかし、第1楽章に関して言えば、
1941年のものは、1936年のものや、
後年のものより、衝動的で力強く自信に満ちている。」

何だか、このあたりは、
1936年のニューヨーク・フィルの演奏を
聴かないと分からない感じだが、
私は聴いたことがない。

いちおう、総括が書かれているので、
それを信じるしかない。

「概して、フィラデルフィアの演奏は、
トスカニーニが進化させてきた、
シューベルトの大ハ長調交響曲に対するコンセプトの、
美学的最終段階の中間点を示していることが、
録音からも分かる。
1941年以降、楽章と楽章のテンポや、
ドラマ性の変化や、フレーズの抑揚は、
スムースとなり、
音と律動の持続性はしっかりと保持され、
その中で、テンポやテクスチャーの変化は、
気が付かないほどに微妙なものとなる。」

ベートーヴェンの場合も、
1939年のチクルスが、
同様の位置づけであったと思うが、
70を超えて、さらなる飛躍を伺っていた、
この巨匠の気力、体力充実期を、
こうした録音で追体験できるのは、
非常に有難いことではないか。

得られた事:「トスカニーニは、シューベルトの大ハ長調交響曲を演奏し指揮者としてデビューした時から、これを愛し、重要な節目には、この曲を取り上げた。」
「日米開戦を控えた頃、1941年秋のこの曲の演奏は、トスカニーニ残した録音の中で、第1楽章が最も短く、終楽章が最も長いという特徴的なもので、円熟期の自信に満ちた歩みに、フィラデルフィア管の美しい音色と合奏の力が華を添えている。」
[PR]
by franz310 | 2014-09-13 16:38 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その415

b0083728_1414341.jpg個人的経験:
20世紀前半を代表する
イタリアの名指揮者、
トスカニーニは、
ベートーヴェンを得意としたが、
シューベルトもまた、
大変、愛していたと思われる。
伝説とも言える、
ベートーヴェン・チクルス
が行われた、
1939年というシーズンも、
実は、シューベルトの
「未完成」で始まったのである。


私は、さらに重ねて言いたい。
トスカニーニは、
ベートーヴェンの交響曲全集をメインに据えた、
戦争の年、渾身の1939年シーズンを、
まずは、シューベルトをもって始めたのである。

この10月14日のコンサートは、
Guildレーベルから
2002年に出されたCDで、
すべて聴くことが出来る。

解説にもいきなり、
「このディスクは、1939年10月14日の、
コンサートを収録したもので、
これは、トスカニーニが、
NBC交響楽団の指揮者として、
3度目のシーズンを始めた時のものである。」
とあるとおりである。

「プログラムは、シューベルトの『未完成交響曲』、
リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの、
めったに演奏されない『協奏交響曲』変ロ長調、
オットリーノ・レスピーギがオーケストラ用に編曲した、
J.S.バッハの『パッサカリアとフーガ』ハ短調からなる。」

「音楽の父」とも呼ばれるバッハに、
「交響曲の父」、ハイドンを加え、
シュトラウスはともかくとして、
シーズン開始に相応しい原点模索がある。

「未完成交響曲」は、
その中でも先鋒を承って、
まことに頼もしいばかりの責任を、
負うことになっている。

このCDの背面を見ると、
「不滅の演奏記録音楽協会」だかの
エクスクルーシブ録音だとある。

これも、何やらありがたいが、
プロデューサーはJ.Wearn、
復刻はリチャード・カニエルと、
ナクソスと同じ布陣である。

ナクソス盤と同様、放送時の
ブロードキャスト・コメンタリーも収録、
1939年のラジオ放送を、
21世紀の我々が聴くという、
タイムスリップ効果も残されている。

ただ、レーベルが変わったことで、
解説もゴージャスになって、
研究価値はさらに上がった。

ナクソスは、曲目解説がベースで、
演奏に関しては、情報がほとんどなく、
たまたま同じ演奏会を記録したものを
CD化していた
Music&Artsなどの
解説を読むしかなかった。

ここでは、コンサートの意義のようなものばかりか、
詳細な演奏に関する記載が素晴らしく、
下記のような音源に関する解説もあって、
14ページのブックレットは、
盛りだくさん、読み応え満点である。

「音源と技術的な詳細:
トスカニーニの演奏会のこれらの録音は、
マエストロお気に入りの
RCAビクターの技術者で編集者であった、
Richard Blaine Gardner
に由来するものである。
ガードナーは、
特に、マエストロ引退後、
パウリーネ荘で、
トスカニーニと協業した、
リバーデール・プロジェクトにおいて、
トスカニーニ自身や、
その息子のワルターから、
1940年から50年代に、
テープやディスクを直接受け取っている。
ガードナーは、1949年から1983年の間に、
トスカニーニの演奏会やリハーサルの、
テープのコピーやテスト・プレス盤、
アセテート盤などを譲り受けており、
それについての詳細は、
カニエル氏の著書『トスカニーニの放送遺産』に、
見ることが出来る。
1980年にカニエル氏は、
不滅の演奏記録音楽協会を設立、
ガードナーから受け継いだ、
トスカニーニの第1世代のテープや、
数多くのディスクを復刻する技術に注力した。
しかし、それらはざらざらやパチパチは取らず、
電気的な残響も付加していない。
これによって、オリジナルのアコースティックや、
演奏の環境を守り、
楽器の音色の色つやを落とさないようにした。
これはCD化でノイズ除去する一般の方法とは異なる。
オリジナル録音に近づけたこのシリーズを、
Guildは、『放送録音の中の最良のもの』と、
自信を持って宣言したい。」

また、このCDの解説は、
William H.Youngren
という人が書いているが、
有難い事に、この人のことも
きちんと紹介しているのが嬉しい。

「ウィリアム・H.ヤングレンは、イリノイ州、
エヴァンストンで生まれ、
Amherst大学に学んだ。
彼はさらにハーバードで英国文学を学び、
1961年には博士号を取得している。
彼は、M.I.Tやスミス・カレッジで教壇に立ち、
1971年からはボストン・カレッジで教えている。
彼は、結婚して3人の子供をもうけ、
マサチューセッツのウェスト・ニュートンに住んでいる。」

このような紹介だけなら、
不要と言いたいところだが、
どんな研究をしているかも、
一応、下記のように紹介されている。

「彼は、『意味論、言語学と批評』
(1972年 Random House)
の著者であり、
18世紀の美学や批評に関する
いくつかの論文を書いている。
近年、彼は主に、
『パルチザン・レビュー』、『ハドソン・レビュー』、
『イエール・レビュー』、『アトランティック』、
『ファンファーレ』、その他の雑誌に、
音楽やレコードについて書いている。
1983年、ブランディスで、
音楽史の博士課程に入り、
1999年に博士号を取得している。
現在、C.P.E.バッハの
歌曲についての論文を、
本にして出版する準備を進めている。」

読むだけ無駄な紹介で、
トスカニーニとの関係は不明なままだが、
マエストロの遺産を引き継ぐ、
オタク軍団に任されるのであるから、
おそらく、こんな紹介で、
終わるような人ではないのだろう。

CDの最初のトラックは、
ブロードキャスト、コメンタリーであり、
「トスカニーニがNBC交響楽団に帰ってきました。
新しいシーズンのプログラムが始まります。
3回目のシーズンで、放送用に創設されたオーケストラは、
アメリカ屈指の一つになりました。
重要な第1夜のため、
ホールは著名な音楽家や批評家、
選ばれた人たちでいっぱいですが、
これらのコンサートは、
あなたがたのために企画され、
あなたのために演奏されるのものです。」
みたいな解説が始まる。

シューベルトの「未完成」の解説は、
以下のように書かれており、
とても参考になった。

「1828年11月19日、
シューベルトが31歳で亡くなった時、
彼の交響曲は一曲も出版されておらず、
公開演奏すらされていなかった。
しかし、それらは19世紀後半に、
ウィーンで次々と発見され、
シューベルトは正しく、
第一級の大作曲家に位置付けられることとなった。
事実、1822年に作曲された『未完成交響曲』が
1867年にようやく発見されると、
今日、最も知られた彼の作品となった。
トスカニーニは、しばしば、この曲を取り上げ、
彼の演奏は、しばしば染まりがちな、
ロマンティックな憂愁とは違う、
その率直な力感と劇的なエネルギーで、
際立ったものになった。」

1939年の放送用ライブ録音と言えば、
ベートーヴェンにおいても、
マエストロ自身が、
SP化転売を許可した「英雄」や、
演奏時間最短の「第9」のように、
きりりと引き締まった
彫琢の冴えを見せるものが多く、
上述のような形容は、
おそらく、この年の演奏において、
最も際立ったものになったと思われる。

「第1楽章を開始する、
短いチェロとコントラバスの宣言は、
我々が聴きなれたものよりもあっさりと演奏され、
痛切なオーボエとクラリネットの
小さな第1主題を伴奏する、
ヴァイオリンの、
鼓動のような16分音符を導く。
王手をかけるような恐ろしい緊張感を、
漲らせたパワーが潜んでいることを感じる。」

このように、序奏部から、
端的に言うべきは言って、
先に進んでいくのは、
1939年のベートーヴェン・チクルスで、
おなじみのやり方である。
が、腹に響く低音に、
焦燥感を秘めたヴァイオリンの刻みは、
瞬く間に、我々を、ドラマの中に連れ去る。

「音楽が力を凝集するかのように、
次第に主張を始め、
チェロによる、有名な、
ト長調の第2主題に向かう。
トスカニーニはチェロを非常に優しく、
しかし、しっかりと、率直に弾き始めさせ、
(スコアにはないが、)テーマの中間部に向かって、
断固たるクレッシェンドをかける。」

このあたりの移行も緊張感に満ち、
チェロがたっぷりと歌うところも美しい。

「嵐のような中間部を経て、
まず弦楽が、そして木管、弦楽という風に、
各声部が次々と光輝に満ちて花咲く、
ト長調の主題によって、
提示部は締めくくられる(mm.94-104)。
この美しいパッセージは、
約束が満たされたように響き、
事実、ほとんど勝利の歌のようでさえある。
しかし、勝利は束の間のものだ。」

この部分、トスカニーニは、
陶酔したような唸り声を上げている。
提示部は、ベートーヴェンの場合同様、
くり返されて行くが、
確かに、メロディが思い入れたっぷりに、
こぶしを聴かせて歌われている点、
激しい和音のぶつかり合いにも、
どこか、明るさがある。

「不吉な下降する弦のピチカートが、
展開部(または提示部の繰り返し)を導き、
すぐに移行する。
展開部は同様に嵐のようでパトスに満ちているが、
トスカニーニは再びそれを率直に扱い、
パトスをことさら強調することはない。
しかし、音楽を前へ前へと、
推進させることに集中させている。
展開部は無数の弦の突き上げによって終わるが、
短調でありながら、これも再び勝利のように響く。」

沈潜していく音楽であるが、
絶叫ではなく、重大な局面の遭遇を、
冷静に受け止めているようにも聞こえる。
したがって、展開部は、これはこれで、
試練を乗り切った、という感じで解決している。

「再現部は再び葛藤と混乱によって影が差すが、
この楽章の暴力的で力ずくの終結部にも関わらず、
再び第2主題(ロ長調)の小さな楽句が、
勝利の歌のように、あるいは、
第2楽章の清澄さを期待させるように、
対位法的に花咲く。」

解説者の聴き方に染まってみると、
再現部も、混乱は混乱として受け止めつつ、
それがどうした、という、
妙に強靭なシューベルト像となっている。

第2主題の憩いがあれば、
乗り切れるではないか、
といった余裕すら感じられる。
コーダでも、波瀾万丈なれど、
来るなら来いという感じである。

第1楽章には、かなりの事が書かれているが、
以下、フルトヴェングラーの演奏との比較になって、
第2楽章の話は出てこない。

しかし、続く楽章も、
第1楽章と同様、
メロディは、たっぷりとした、
ふくらみを持って歌われ、
憂いはあるものの、
深呼吸が出来る安全な退避圏となっていて、
厳しい強奏の連なりからの、
完全なる救済ポイントとなっている。

そして、音楽はやがて、
自信にあふれた、歩みさえ見せ、
ややこしい音楽の錯綜を、
振り払うような境地に至る。

コーダもまた、
祝福の中で歩みだすような希望に満ちている。

以下、トスカニーニの、
こうした、いわば健康的なシューベルトに対し、
いかにも疲れ果てた人間が見る悪夢として、
この交響曲を描くのがフルトヴェングラーである、
という感じで、以下の解説が続く。

「トスカニーニと同時代の、
若い偉大なドイツの指揮者、
フルトヴェングラーによって録音された、
いずれの演奏を比べた人であれば、
『未完成』の第1楽章を、
このように扱うのは、独特であると思うかもしれない。
もっと言うと、フルトヴェングラーには、
1951年12月にベルリン・フィルと、
『未完成』のオープニングをリハーサルしている、
4分ほどの興味深いフィルムがある。」

このフィルムは、テルデックから出ていたLDの、
「アート・オブ・コンダクティング」でも、
見ることができるが、
確かに以下のような部分が記録されている。

「オーボエとクラリネットの小メロディを導く、
2、3小節で、フルトヴェングラーは奏者を止め、
そして、とりわけ、
『すべてはヴェールのように』と言う。
そう言いながら、彼は、
印象的なジェスチャーをする。
両手を前にかざし、指を伸ばし、
手のひらを下に向ける。
そして、彼は両手を水平に広げて行く。
まるで、ベッドの上のカバーを伸ばすように。
そこから起こる事について、
彼が求めているのが、
16分音符のヴァイオリンが、
メロディを伴奏するというよりも、
神秘的に、とらえどころなく、
すぐには分からないように、
それをぼかして隠すことであることが分かる。」

私は、ベルリン・フィルが、
この微妙なニュアンスの要求を、
よくもこなしたものだと思う。

それと同時に、このフィルムに先立つ、
1950年の1月に録音された、
ヴィーン・フィルとのこの曲の録音でも、
同様の効果を聞き取ることが出来る。

「彼はさらに、メロディそのものを、
完全にメランコリックであることを求めている。
三度目に、ヴァイオリンはようやく求めに応じられ、
めくるめく効果が現れ、
聴くものは、どれがメロディで、
どれが伴奏であるか分からなくなる。」

メロディは虚無的であって、
悪夢の中に放り込まれた弱い人間、
みたいな感じの音楽になっている。

「しかし、これはトスカニーニとは、
まったく異なるやり方である。
彼は、痛切なメロディを
聴衆に聴かせたいのであって、
伴奏の16分音符を溶け合わせたり、
ぼかせたりすることなく、
まるで、まったく異なる
二つの独特の力であるかのように、
高鳴らせる。
続いて起こる音楽のドラマを演じる
二つのキャラクターが、
それぞれの役割を演じるかのように。
しかし、音楽は同様にミステリアスで、
フルトヴェングラーのように、
誰が主人公であるかがミステリーではなく、
そのぶつかり合いがどうなるかに神秘性がある。」

トスカニーニの演奏には、
確かに、運命との戦いのような側面があって、
とにかく、それを耐える事によって、
浄められた世界に入って行くような希望がある。

雲行きの怪しいヨーロッパから離れ、
遠くアメリカにいる指揮者として、
開戦を前にした心境としては、
こうでもなければ耐えられないような、
環境でもあっただろう。

その点、フルトヴェングラーの演奏は、
ナチスの国に留まった、
被害者の心境ではないか、
などと思うほど、
無抵抗に嵐の中に漂っている。

「トスカニーニとフルトヴェングラーの、
『未完成』演奏の残りすべてで、
このような具合である。
たっぷりとしたチェロのメロディが、
がっしりと演奏されるにも関わらず、
フルトヴェングラーは、断定的にならず、
そして、提示部や再現部の終わりで、
メロディの声部が入れ替わる時に、
(束の間であっても)
それは勝利の凱歌ではなく、
むしろ、救いを求める、
最後の絶望的な嘆願のように響く。」

と、解説にあるように、
出来るのは嘆願だけ、という感じがしなくもない。
第1楽章と、第2楽章にも、
トスカニーニほどの対比は感じられず、
いずれの楽章も、次々に見えて来る、
幻影の連なりの連続し過ぎない。

冒頭のヴァイオリンと木管の
絡まりへのこだわりからして明らかだが、
この表現が続く部分に、どう関係あるかなどは、
あまり重要ではなく、
解説の人とは違って、
少なくとも、ヴィーン・フィルのスタジオ盤での、
チェロによる第2主題は、
幻覚にすぎないような頼りなさを感じた。

「この点で、トスカニーニが、
フルトヴェングラーより
良いというわけでも、
フルトヴェングラーが
トスカニーニより良いというわけでもない。
共に、非常にすぐれた指揮者だった。
この点では、この場合、こんな感じであるが、
時に、トスカニーニとフルトヴェングラーの比較は、
反対の結果になることがある。
トスカニーニはフルトヴェングラーより、
細かい効果には気を使わず、
音楽の進行での統一や、
次第に盛り上がる劇的なインパクトに気遣う。
トスカニーニのアプローチの中心となる切り口が、
このシューベルトの『未完成』には、
特によく表れており、
特にこの放送用の演奏では、
より知られている、焦点の定まらない、
1950年の録音より、
もっとはっきりと表れている。」

フルトヴェングラーの演奏では、
すべてのメロディが引き伸ばされ気味で、
脳裏からこびりついて離れない思念が、
いつまでも吹っ切れない状況を表しているかのようだ。

その他、このCDでは、
R・シュトラウスの『ドン・ファン』が続き、
これは、きりっと引き締まった名演。
しなやかに弾みながら、
快速でドライブされて行く純音楽的表現で、
この曲の尻切れトンボ感を、
苦手とする私でも、十分楽しめた。

続く、ハイドンの、
ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、バスーンのための、
『協奏交響曲』は、
トスカニーニが録音した後年(1948)
のものよりも、リラックスしていて良いと書かれ、
スリリングであるが刺々しいパオロ・レンツィではなく、
ロバート・ブロームがオーボエを受け持っているから、
と書かれている。

ちなみに、1948年のものを復刻した、
BMGジャパンのCDには、
ヴァイオリンは、ミッシャ・ミシャコフ、
チェロは、フランク・ミラー、
ファゴットは、レナード・シャロウとあるが、
このCDには、各奏者の名前は明記されていない。

確かに、戦後のトスカニーニは、
四角四面でぎすぎすしている印象があるが、
今回、このCDも取り出して聴いてみたが、
確かに、オーボエはきんきんしている感じはしたものの、
それほど大きな演奏上の違いは分からなかった。

この1939年の演奏の方が、
オーボエは伸びやかで癒し系であり、
録音も、独奏楽器の雰囲気がたっぷり感じられた。

最後に演奏された、
バッハの『パッサカリアとフーガ』は、
オルガン曲をオーケストラ曲に編曲したものとして珍しく、
解説でも、『ディナーの時に恐竜を見たようだ』と、
トスカニーニの時代の風習を大げさに書きたてているが、
レスピーギが編曲したもので珍しく、
トスカニーニが演奏したバッハであることも、
非常に興味深い。

解説によると、トスカニーニは、
フリッツ・ライナーが振る、
『トッカータとフーガ』ニ短調を聴いて、
翌年、友人のレスピーギに編曲を依頼したとある。

「素晴らしい繊細さと力で演奏されて素晴らしい」
と書かれているとおり、
荘厳なラメントのように曲は始まり、
木管がきめ細やかな綾を見せながら、
峻厳に音楽を立体的に組み立てて行く。

まるで、天に向かって蔓を伸ばして行く植物が、
大樹に成長していくかのようなめくるめく管弦楽法は、
さすがレスピーギという感じがした。

この曲は、ストコフスキーの編曲や演奏でも名高いが、
手元には1929年にこの指揮者が、
名門、フィラデルフィアを振った録音があった。

策士ストコフスキーということで
連想されるように、
極めて感傷的な音楽で、
意味有り気に慟哭するような低音に、
悲劇的な、あるいは物思いに耽るような、
木管のソロが絡み合って行く。

まるで、エネルギーを貯め込むかのように、
むしろ沈潜していく印象。

トスカニーニの方は、
切れの良い楽句の集積体のような印象。
ストコフスキーのような沈潜ではなく、
楽器が鳴りまくり、律動しながら芽生えて行く。
最後には、法悦のカタルシスのような、
手に汗握る大咆哮となる。

拍手喝采の聴衆の中には、
興奮して叫びまくっている人もいるようだ。

得られた事:「トスカニーニは、シューベルトの『未完成』の中で、清澄な世界への足取りを音にしているが、フルトヴェングラーのものからは、霧の中での堂々巡りのような感じを受ける。」
[PR]
by franz310 | 2014-08-30 14:08 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その394

b0083728_21123042.jpg個人的体験:
バルビローリは、
シューベルトの音楽を、
実際、我々が知っている以上に
大切にしていたようである。
「コロンビア・マスターズ」として、
まとめられた1940年前後の、
彼の録音集にはないのだが、
コロンビアでの録音を始める前の、
「ビクター・レコーディング」には、
その「第4交響曲」があって、
「ドイツ舞曲」D90も、
別のCDだが聴くことができる。


10分に満たない小品集ではあるが、
バルビローリは、この曲が好きだったようで、
ニューヨーク・フィルで、
「シューベルトの夕べ」を特集した時は、
この曲で始め、「大ハ長調」で閉じている。

「ビクター・レコーディング」の、
このCDの表紙は、前回、紹介した、
シューベルトの「第4」が入ったものと、
あまり大きくは変わらないデザイン。
前のが黒基調に赤だったのが、
赤基調に黒になっただけの感じ。

ただし、The Victor recordingsと書かれた、
メダル型のアイコンが付いている所が違う。
ただし、こちらの方は、やっぱり出そうか、
という感じで付け足しで出て来たものに見える。
製品番号が19も離れているし、
発売時期も3年も違う。

ここでは、おそらく、レスピーギの
「ローマの噴水」がメインの曲目であるが、
表紙には堂々と、それに並んで、
シューベルトの名前が見える。

あと、付け足し的に見えるのは、
最後にクレストンとメノッティという、
アメリカの作曲家の作品が、
こっそり収められているからで、
1939年までに行われた、
一連のビクター・レコーディングとは、
明らかに違う出所のもので、
1942年あたりの録音、とあって、
バルビローリのニューヨーク時代最後期であるらしく、
データ的にも心もとないものである。

「何となくミステリー」と書かれていたりする。
バルビローリ協会のメンバーが持っていた、
78回転シェラック
(当時のレコード素材で虫から取ったとされる)
からの復刻で、アメリカ戦争情報局が、
海外派遣された軍人用に作ったものとされる。

受け入れられやすい音楽が選ばれたようで、
Track17.ポール・クレストンの「哀悼歌」は、
静かなゆっくりとした、10分半の、そこそこの規模の音楽。
この時代に相応しい悲しさとはかなさと安らぎが感じられる。
途中、泣き節や、打楽器による緊張感もあって、
バルビローリに相応しく、かなり聴きごたえがある。
ハープが刻む終結部もおしゃれである。

Track18.メノッティの「老女中と泥棒」序曲は、
3分ほどの小品だが、題名に相応しく
楽しく、リズミカルな音楽で、爽快である。
バルビローリが同時代の作曲家を大事にした証拠。
これらの作品が聴けることも、
このCDの価値を上げている。

Track1~4は、レスピーギの「ローマの噴水」。
むしろ、トスカニーニが得意にしていそうな音楽だが、
これがまた、まったく悪くない。

1939年2月録音という、
ものすごく昔のものであるが、
多少、ざらざら感のある経年劣化は、
仕方ないが、このレスピーギのみずみずしさには、
妙に心を引き寄せられる。

ぴちぴちと弾ける楽器群の心のこもった雰囲気、
バルビローリならではの、優しさが感じられる、
丁寧かつホットな語り口のおかげであろう。

Track4の「黄昏のヴィラ・メディチ」の噴水の、
忘れがたい寂寥感のあたりまで来ると、
黄昏を追い求めるように、
この演奏が終わらないで欲しいという感じになる。

Track5.レスピーギの「古代のアリアと舞曲」、
第3番より、第2曲「宮廷のアリア」の、
たっぷりとした情感も美しく、
ここでは、弦の優秀さがよく分かる。

この昔日の回想の念は、バルビローリにぴったりで、
まるで、エルガーの音楽を聴くようだが、
「ローマの噴水」ともども、復刻されて良かった。
しかし、何故、全曲録音してくれなかったのか。

Track6-11は、
バルビローリ編曲のパーセルに基づく、
「弦楽、ホルン、フルート、コールアングレのための組曲」。

この手の古い音楽の編曲ものは、
バルビローリが実演でもよく演奏していたもので、
「エリザベス朝組曲」など共々、多くの録音がある。

これまた、懐旧の音楽で、ものすごい慟哭のような、
低音弦から始まる。

Track6.情念の弦楽の渦に、ホルンが気高く響く。
「ほどかれたゴルディウスの結び目」という劇音楽の序曲。
バルビローリは、これでもかこれでもかと、
マエストーソの地鳴りを引きずり、
主部の壮麗なアレグロに続けるが、もとは、
アレキサンダー大王の故事に由来する劇らしい。

Track7.「高潔な妻」という音楽からの
メヌエットで、フルートのひなびた響きが印象的だが、
悲しい情緒に満たされている。

Track8.「アーサー王」からの、
アンダンティーノで、物思いにふけるような音楽。

Track9.「アブデラザール」の「エア」による、
アンダンティーノ・ジョコーソで、
ようやく、楽しげなリズムになるが、
雲が晴れることはない。

Track10.3分半もかけ、
ものすごくゆっくりと奏される
「ディドとエネアス」のラメント。
「ラルゴ」と題され、コールアングレが、
喪失感たっぷりの響きで立ち上がって来る。

Track11.「アーサー王」からの「アレグロ」。
いかにもバロック期の組曲で、
弦楽や金管が活発に活躍する対位法的な終曲。
が、1分ちょっとで、ばーんと盛り上げて、
名残惜しそうに終わる。

この曲は、ハレ管弦楽団との、
ステレオによるスタジオ録音があるが、
これは1969年という
録音の良さも相まって、
広がりや空気感に満ちた、
ものすごく雰囲気豊かな名品となっている。

バルビローリの最晩年ということもあって、
必聴の名演であるが、この時期の、
張り詰めたバルビローリの心境を、
1938年のニューヨーク盤に聞き取るのも、
あながち間違いではなさそうな気がする。

前回の「コロンビア・マスターズ」のCD解説は、
素晴らしく充実しているが、
そのため、前に紹介した部分は途中までであった。

今回は、このビクター・レコーディングスについて、
関係しそうな内容も出てくるので、
残りの部分を紹介しよう。

その解説は、「桂冠指揮者、バルビローリ」という、
1971年の本から採られた内容で、
2003年に著者ケネディが書き直した模様。

まだ若かったバルビローリが、
神格化されつくした巨匠、
トスカニーニの後釜として、
ニューヨーク・フィルの指揮者になったのは、
彼が考えていた以上に恐ろしい責務だった。

様々な陰謀があって、いろんな噂が飛び交う中、
彼は、追い詰められていく。
そんな話の途中であった。

「彼のいつもの不安の中、
長く何もできない期間の後、
バルビローリはようやくシーズンにこぎつけた。
『最初のリハーサルを待ちわび、
私に残される音楽があるのだろうかと考えると、
いつも心配でたまらない。』
彼は、落ち込みの周期的発作にかかっていた。
『しかし、僕はこの仕事の中に慰めを求めた』。
このシーズンを通して彼は不眠症に悩み、
その手紙はしばしば朝の3時と記され、
6時に書かれることもあった。
眠れない時間、指揮の練習をしたり、
スコアに書き込んだりして過ごした。
『コンサートには有り余るエネルギーがあるが、
僕は精神的に疲れ果てた』と、
イブリンに書いている。
ホワイトハウスにおける、
ルーズヴェルト大統領との夕飯や、
ピアストロ、コリアーノ、
プリムローズらとの四重奏で、
アメリカで最初にチェロの腕を披露した、
ニューヨークの紳士会、ロータス・クラブでの、
12日節の前夜祭で彼の栄誉をたたえる晩餐会など、
楽しいものもあったが、社交界での活動が多すぎた。」

このあたりも、かなり、私としては、
読んでいるだけで、彼が気の毒になった部分である。

はたして、このような、いかにもチャラい世界に対し、
気難しい老人だったトスカニーニは、
どう接していたのだろうか。
あるいは、バルビローリは、
それよりはまだまし、という感じで、
ちやほやされることもあったかもしれない。

「彼は、ほとんど何も言っていないが、
トスカニーニとNBC交響楽団に対し、
ライヴァル意識を常に持っていたはずである。
特に、共にベートーヴェンの『第5』を、
連続して演奏するようになったシーズンの初めにおいては。
批評家のハーバート・ラッセルは、
バルビローリを賞賛したが、
ミュンヘンを意識して、こう付け加えた。
『英国にもまた、こうした勝利がどうしても必要だ。』
バルビローリのすぐあとに、
トスカニーニが同じ作品を指揮することは、
よく言われることであった。
フィルハーモニックのプログラムは、
当然、NBCの十分前に決められて印刷されていた。」

これなどは、何じゃこりゃの裏話である。
いくら、バルビローリにその気がなくとも、
トスカニーニ(というか、NBCの経営層)側が、
こんな事をしかけて来たのなら、
自然と、世の中は、そういった目で見るようになるであろう。

「こうした陰謀は続いたが、
ジョンには効かなかったように見える。」
と、解説は続くが、
そこまであからさまであったのかは、
疑問を持っても良いかもしれない。

「彼は、何よりも、オーケストラと聴衆と良好な関係にあり、
そして2月、次の年の契約が始まると共に、
彼は、イブリンに書き送った。
『昨日、重役会議で満場一致で、
私の契約が終わっても、
さらに何年かの再契約となることに、
熱狂的な賛同を得た。
A.J.は、5年契約にも出来た、
と言っていた。』
マージョリーとの離婚届は、
1938年12月5日に承諾されていて、
翌年の6月に実効となり、
イブリンをニューヨークに呼び寄せての
結婚生活に向けて集中することが出来た。
『僕は自分にたくさん欠点があることを知っている』
と彼は書き、
『しかし、僕が考えているある事が分かれば、
時々、気難しくなる事も分かって貰えると思う。
誰かを傷つけることも恐れている。
僕は公的な生活の中で一種のサイの皮で自分を武装し、
悪意や無知や羨望の矢を受け止めて来た。
しかし、それらはすべて痕を残しているんだ。』
彼は、そのオーケストラについても付け加えている。
『僕は、Tや他の人たちに指導されて、
こんなにも冷酷になっていたアーティストたちが、
今や、その才能と人間性に輝いていることを、
誇りにも思う。
後世の人が、僕の音楽家としての価値を判断するだろう。
しかし、むしろ、僕がここに来たことで、
彼らの演奏の基準を保つのみならず、
彼らに優しさや幸福の感覚を与えられたことを、
僕はむしろ感謝しているのだ。』」

このように、バルビローリは、
トスカニーニを意識し、さらには、
巨匠との違いを、
「a conception of kindness and happiness」
だと認識して、言葉にしている点に驚いた。

我々が、何となく考えている、
音楽に対して、一点もゆるがせにしない、
妥協なき暴君、トスカニーニのイメージは、
当時のものとあまり変わっていない、
という事であろう。

もし、若手の指揮者が、そんな先輩に対抗するとすれば、
やはり、「優しさや幸福感」を、
そこに追加して差を出そうとするだろう。

が、冒頭に書いたように、
このような戦略のせいか否か分からないが、
歴史解釈は、トスカニーニ以降の時代を、
ニューヨーク・フィルの低迷期と位置付けた。

オーケストラの楽員の幸福感は、
もろ刃の剣でもある。
うまくすれば、それが音楽に現れて、
聴衆をも幸福にするだろうが、
うまく行かない時には、
単なるぬるま湯体質の温床となる。

「優しさ」などとなると、さらに危険である。
「厳しさ」の欠けた、甘い団体になってしまうと、
せっかくのトスカニーニの遺産を台無しにしてしまう。

もちろん、バルビローリの後、
トスカニーニ路線の再来のようなロジンスキや、
振り子が戻るように、音楽の殉教者、
ミトロプーロスの時代が、
ニューヨーク・フィルにはあった。

「1939年3月、シュナーベルを独奏者として、
オーケストラをボストンでの演奏会に率いて行った。
『ボストン・ポスト』は、この指揮者に率いられた、
フィルハーモニックを祝福した。
『安心感、安定、揺るぎなく、全般的に満足を、
今や、人々は彼の中に感じる』。
これは、ダウンズが、3月23日に、
エルガーの『第2交響曲』に対して、
『長くて壮大でブルジョワ風。
それは、ソファーカバーや、婦人帽の、
ポークパイ・ボンネットの時代の、
満足と退屈を反映したもので、
後期ロマン派の大げさなオーケストラ様式と、
センスの悪さに突き動かされたものだ』。
もし、バルビローリに、
ダウンズを嫌う理由がなかったとしても、
これだけで十分だっただろう。
ダウンズは、ニューヨーク万国博覧会の
音楽監督であって、ジョンはイブリンに、
喜んで報告している。
『4月30日、日曜日、
万博オープンをオーケストラで飾ったが、
(前日のコンサートで疲れていたが。)
これは嬉しかった。
ダウンズの野郎は、
ストコフスキーとフィラデルフィアで
やりたかったみたいだからね。』
ダウンズがバルビローリに宛てた手紙は、
一つだけ残っていて、
万博のためのプログラムのもので、
最後に、『あなたの完璧なバトンさばきに』
とお世辞で終わっている。
それ以上のことはなく、
彼は、おそらくそう感じたのだろう。」

この1939年の春の出来事に先立って、
バルビローリは、ビクターへの最後の録音を行っている。

1939年2月21日のレスピーギとシューベルトである。

「彼は、6月に英国に戻って、7月5日、
ホルボーン・レジスター・オフィスで結婚式を挙げた。
ジョンは39歳、イブリンは28歳だった。
花婿付添人はトミー・チェーザムで、
スコティッシュ・オーケストラの、
ランカスターの同僚だった。
セレモニーの後、
ゲストはパガーニのエドワード7世の部屋で昼食をとり、
ロッティンディーンで一夜を過ごした後、
ノルマンディーへの新婚旅行のため、
ニューヘブンからディエップに渡った。
5年後には、血なまぐさい戦闘が繰り広げられる街を、
彼らは訪れ、滞在したが、そこで、何よりも、
カルバドスというリンゴ酒の効用を発見した。」

このあたりは、あまり、音楽とは関係なく、
地名も列挙されてややこしいが、
1939年の7月を挟んで、
前のシーズンには、先のCDに収められた、
ビクターへの録音があり、
その年の秋、11月には、
チャイコフスキーの「第5」などの録音がある。

ここでトスカニーニとの関係を思い出せば、
トスカニーニは、チャイコフスキーは、
交響曲でいえば、
「悲愴」と「マンフレッド」しか、
興味を示さなかったと言われている。

「彼は、その頃、ヴェネチアの指揮者、
ジョルジオ・ポラッコと親交を結んでおり、
彼がコヴェントガーデンにいた時、彼らは初めて会い、
ポラッコは、国際シーズンのレギュラー客演であった。
バルビローリが『蝶々夫人』のリハーサルをしていると、
偶然、ポラッコが居合わせて、
この若手の仕事ぶりに感銘を受けて、
最後まで聞きとおしていた。
ジョンの方は、ドビュッシーのペレアスを指揮する
ポラッコに魅了され、それを理想とした。
今回、シカゴでの仕事を引退して、
ポラッコはニューヨークに来たので、
彼らは再び交友をはじめ、
コンサートの後はイブリンとジョンと3人で、
イタリアレストラン『ママ・ブロンゾズ』で、
演奏について論じるのであった。
ポラッコは、必要な時には、
決して無批判ではなかったが、
ジョンを勇気づけ、自信を取り戻させた。
他に、信奉者のような友人としては、
テオドール・スタインウェイとその妻など、
ピアノ会社を運営していたスタインウェイ家があった。」

このあたり、かなりのバルビローリ気違いでないと、
どうでも良い内容であるが、
傑出した先輩指揮者が、バルビローリの若い頃から、
一貫して、バックアップしてくれていた、
ということは、覚えておいても良いかもしれない。

ポラッコは1875年生まれというから、
バルビローリより24歳年長で、
1939年といえば、64歳。
トスカニーニより10歳若いが、
引退してもおかしくない年の大先輩にあたる。

「ジョンは、ニューヨーク在住の
チェコの作曲家、ワインベルガーが、
(バグパイプ吹きのシュワンダの作曲家)
献呈してくれた新作の研究にも没頭していた。
これは、『古い英国の歌による変奏曲』で、
ジョージ6世がボーイ・スカウトで、
『大きな栗の木の下で』という歌を、
ジェスチャーを交えて歌っていた
ニュース映画を見て、霊感を受けたものであった。
『10月8日、午後10時45分:
私は、ワインベルガーのフィナーレに、
チューバを加筆したところだ。
金曜日に会った時に、
彼にこのことを言うと、
どんな風に響くか知りたいと言った。
それから、ちょうど、
明日、オーケストラに言うべき言葉を思いつき、
それを書きつけたところだ。
私たちはいかなる国籍、信仰にあろうとも、
太陽の下に生きている。
音楽を奏でるという、
ただ一つの目的のために、
カーネギーホールにいる、
ということが分かって欲しい。
そこでは、いかなる政治的な議論も許さない。』
『変奏曲』は、10月12日、
第98回フィルハーモニック・シーズンの
オープニングに初演された。
ハワード・タウブマンによれば、
『新鮮に、否応なく乗せられる、
アクセントと輝かしさで演奏された。
聴衆は歓呼した。』」

このワインベルガーの曲は、私は聴いた事がない。

さて、1939年の秋冬の話となる。
下記のようにあるから、
バルビローリのニューヨークでの
正式契約は、1937年からのようだ。
1936年にトスカニーニが辞任し、
その秋からは、前に紹介した、
モーツァルトやベートーヴェンの
交響曲の録音が残っているが、
これは、正式契約前と言うことになる。

「バルビローリの当初の契約の、
第3シーズンは、多彩な魅惑的な、
今日では、垂涎ものの演奏会が並んだ。
アメリカ作品が再び前面に出て、
バーバーの『弦楽のためのアダージョ』の、
フィルハーモニックにおける最初の演奏、
バーナード・ハーマンの
カンタータ『白鯨』初演は、
作曲家と指揮者の長い友情の始まりとなり、
マクダウェルのピアノ協奏曲第2番、
フライハンの『協奏交響曲』、
サンダースの『小交響曲』、
ギルバートの『ニグロの主題によるコメディ序曲』、
その他があった。
他に珍しいもの、または知られざる作品では、
ウォルトンの『ポースマス・ポイント』、
カステルヌオーヴォ=テデスコのピアノ協奏曲、
ディーリアスの『ブリッグの定期市』、
ブリスのダブル協奏曲、
ヴォーン=ウィリアムズの『ロンドン交響曲』、
ショスタコーヴィチの『黄金時代』バレエ組曲、
ドホナーニの『女道化師のヴェール』バレエ、
交響的小品集作品36などがあり、
このシーズンの他のハイライトとしては、
『シューベルト・コンサート』、
ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第1、第2組曲、
ヘレン・トローベルとの『ワーグナー・コンサート』、
これは、9月に亡くなった批評家、
ローレンス・ギルマンの思い出に捧げられた。
ドビュッシーの『サクソフォン・ラプソディ』、
イベールの『サクソフォン協奏曲』、
フランチェスカッティの弾くパガニーニの協奏曲、
クライスラーは論議を呼んだ版による、
チャイコフスキーの協奏曲、
フォイアマンで、ハイドンのニ長調協奏曲、
メニューインでベートーヴェンの協奏曲、
シベリウスの第2交響曲
(1940年1月14日、
バルビローリはこの時、
チェロを右、全ヴァイオリンを左にした)、
ブルックナーの第7交響曲、
(ほとんどニューヨークの全批評家が完全に誤解した)
ラフマニノフを独奏者にしての、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。
この曲はラフマニノフが演奏した、
唯一のベートーヴェンのピアノ協奏曲で、
彼は、ジョンにこう言ったとされる。
『他のはピアニストにとって退屈だね。』
ミシェル・ピアストロを独奏者にしての、
ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、
イブリン・バルビローリの回想では、
素晴らしい演奏だった。
ブライロフスキーとのショパンの、
ホ短調ピアノ協奏曲、
ロザリン・テュレックとの第5協奏曲。
ホロヴィッツとのチャイコフスキーの変ロ短調協奏曲は、
ダウンズも完全に兜を脱ぎ、
ルドルフ・ゼルキンとは、ブラームスのニ短調協奏曲を演奏した。」

ということで、1939年のシーズンの、
一つの目玉のように書かれているのが、
「シューベルト・コンサート」である。

冒頭にも書いたように、
このコンサートの最初に演奏されたのが、
シューベルトの「5つのドイツ舞曲と7つのトリオ」D90
である。

バルビローリは、1939年にも
1月4日に、同様のコンサートをしていて、
この曲、「第4」、「第9(大ハ長調)」を演奏しているが、
何と、1月7日にも、この曲、
さらに「ペレアス」の組曲、
ブスタボ独奏で、シベリウスの協奏曲を連ねた演奏会があった模様。

1940年の1月21日が、この解説にあるコンサートだろうが、
ここでは、上記の演目のうち「第4」が、
シューベルトの「第2」に変えられたものが演奏されている。

バルビローリ指揮のシューベルト、
「第2交響曲」もあったのである。

さて、このCDのTrack12-16が、
「5つのドイツ舞曲」だが、
ドイッチュ番号が90とあるように、
シューベルトがまだ若い時期の作品。
トリオの数が多いのは、最初の舞曲などに、
2つのトリオが含まれているからである。

この曲、舞曲こそ、はつらつとしているが、
各曲に挟まれたトリオの気だるい情緒は、
典型的なウィーン風で、
これが、むせかえるような表現で、
むしろ、舞曲の部分は言い訳で、
トリオのねっとり、むらむらの情感が本質なのかもしれない。
いや、絶対、そうだ。
うっとりした男女の眼差しが見えるような音楽。
最後は、後ろ髪を引かれるような切なさで、
消えるように終わる。

こうした音楽は、シューベルトの若い頃の音楽として、
はやくから知られていたようで、
1831年のディアベリによる目録にも、
1814年の作品として整理されている。
1813年という説もあるが、
シューベルト17歳前後の作品で、
アインシュタインなどは、「考察外」と書いたが、
バルビローリはよく取り上げてくれた。

得られた事:「シューベルトが若い頃に書いたドイツ舞曲(D90)は、むしろ、トリオの悩ましい表情に青春の火照りが感じられる。」
「ニューヨーク時代、バルビローリの得意のプログラムにシューベルトの夕べがあった。」
「ニューヨーク・フィルとNBC交響楽団の関係は、ほとんど現代のビジネス書を読むようで、バルビローリは、トスカニーニ陣営の様々な攻勢に、不眠症になりながらも、仲間と一致団結し、音楽に集中した。」
[PR]
by franz310 | 2013-11-23 21:15 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その391

b0083728_22293623.jpg個人的経験:
シューベルトの
6曲の初期交響曲は、
いずれも、ハイドンや
モーツァルトに倣った
一律に素朴な作品として、
一括して語られる場合が多い。
しかし、そうした傾向は、
比較的、近年になっての
認識のようで、
20世紀も前半は、
各曲の違いも、今よりも
良く認識されていたようだ。


碩学アルフレート・アインシュタインは、
たとえば、「第6交響曲」などの、
いくぶん変な感じを指摘しながら、こう書いている。

「『悲劇的』シンフォニーや
親しみのある変ロ長調シンフォニーならば
甘んじて取り上げるような
指揮者たちのあいだでさえも
ひどく嫌われている。
それもふしぎではない。
このシンフォニーは
彼らに反感を起こさせるのである。
それはどんな型にも当てはまらない。」

「甘んじて取り上げる」という表現が、
シューベルト・ファンには苛立ちを禁じ得ないが、
確かに、アインシュタインがこの本を書いた、
1940年とか50年という時点では、
シューベルトの交響曲の受け入れられ方は、
微妙なまだら模様の分布であったと思われる。

まず、「甘んじて取り上げる」指揮者の一例、
に見える(実際にはそうではないと思う)
のがバルビローリである。

彼は、1936年から43年に、
トスカニーニの後任として、
ニューヨーク・フィルを率いたが、
その正規のスタジオ・レコーディングの中に、
シューベルトの「交響曲第4番」が含まれている。

このCDは、若き日のバルビローリの、
ぱりっとした蝶ネクタイ姿が載っているだけの、
あまり凝っているとも思えないデザインのものだが、
時代を感じさせるフォントで書かれた曲名や、
赤と白と黒でまとめられた印象は、
そこそこかっこいい。

「ビクター・レコーディングズ」と、
右下に書かれていて、
1938年から39年のものが入っている。

バルビローリによるシューベルトの「第4」は、
ベートーヴェンの同じ「第4」並みに、
ゆっくりと演奏された神秘的な序奏からして、
聴くものの心を捉えてやまないものだ。

Track7.第1楽章:
ハイティーンの若造が、
しかめっ面して書いたような、
青臭い音楽として片づけられるような、
この部分に、全身全霊を傾ける指揮者を、
いままで聴いたことがあっただろうか。

主部に入ってからも、
様式的な「疾風怒濤」ではなく、
バルビローリは、細部にまで血を通わせて、
ものすごく説得力のある演奏を繰り広げている。

ポルタメントをかけて舞い上がる、
めくるめくメロディに、
襲いかかる低音の迫力は、
実演で聴いたら、卒倒しそうな生々しさがある。

Track8.
第2楽章の美しい田園風景の中の安らぎも、
何で、こんなに切なく演奏するのか、
と言いたくなるくらいに心を揺さぶられる。

ニューヨーク・フィルのメンバーも、
神妙に、その音楽を奏で、
聞き入るほどに、
恐ろしい喪失感すら感じられてしまう。

中間部の木管の呼び合う様も、
まるで、ベルリオーズの交響曲さながらである。
慟哭するような低音弦の存在感もすごい。

繰り返し戻って来る主要主題が歌われる時の、
カンタービレの切々たる風情は、
他で聴いたことはなく、
あるいは、戦争によって、
消えてしまった様式かもしれない。

録音時間の制約が大きかったであろう、
この時代の録音なのに、
たっぷりと引き伸ばされたこの音楽は、
録音技師を困らせなかっただろうか。

Track9.第3楽章:
軽妙な音楽で、マーラーさながらに、
グロテスクな舞曲となっている。
確かに、このように演奏されると、
バルビローリがこの曲を演奏する必然性まで、
納得されてくるではないか。
トリオは、特別、特徴はないが、
このような速いテンポで、
ごつごつと演奏されるメヌエットは、
マーラーが、この交響楽団に伝授したのではないか、
などと考えてしまうほどである。

Track10.
この終楽章も個性的な音楽である。
耐え忍んで、透徹に突き進む音楽で、
「悲劇的」など何のその、
と言わんばかりに、
ものすごくダンディで、いかしている。

青白いインテリ青年の、
妄想の文学趣味みたいな書かれ方をしてきた、
別の意味で「悲劇的」なこの交響曲に、
決然とした意志が見て取れる。

そこここに明るさを増してくる、この終楽章に、
きらきらと祝福するような音が飛び交うのに、
見向きもせず、ひたすら突き進む潔さに、
この時代のバルビローリの決意を見るような気がする。

最後の和音も、それを確認するかのように、
どーんどーんと打ち付けられている。

シューベルトの他に、チャイコフスキーの
「フランチェスカ・ダ・リミニ」(Track1~3)と、
ドビュッシーの「イベリア」(Track4~6)が、
このCDには収録されている。

チャイコフスキーは、美しいところと、
騒がしいところが、雑然とした作品で、
あまり録音も多くないと思うが、
バルビローリの演奏は、
起承転結がしっかりしている感じで、
どんどん聴かされてしまう。

しかし、1938年の録音と言えば、
マーラーの「第9」を、
ワルターがウィーンで演奏した記録が有名だが、
曲の違いで当然というべきか、
さすがアメリカの録音だということか、
妙に、明るい音色なのが印象的だ。
第2部の嫋々たるカンタービレが泣かせる。

ドビュッシーの「イベリア」は、
色彩感勝負の曲で、
この時代の録音はきついはずだが、
よくぞここまで粒の立ったリズムの空気感まで捉えた、
と言いたくなるくらいに、聞きやすく復刻されている。

バルビローリの息づくような音楽づくりで、
わくわくするような高揚感が得られる。

チャイコフスキーも、
ダイナミック・レンジからすれば、
絶対、無理のはずなのに、問題なく楽しめた。

それにしても、
ニューヨーク・フィルのシューベルト!

これは、ワルター晩年の「未完成交響曲」に、
酔いしれた経験のあるものなら、
ことさら、感慨深いものではないだろうか。

そのワルターの「未完成」と同様に、
このバルビローリの「悲劇的」は、
確固とした存在感で、私の中に刻み込まれた。

ワルターは、彼のための録音用のオーケストラ、
コロンビア交響楽団とのステレオ録音の
LPシリーズが有名であったが、
その中にあって、何故か、「未完成」だけが、
名門ニューヨーク・フィルとの演奏であった。

今回聴いた結果、
ひょっとすると、
ワルターのシューベルトというより、
ニューヨーク・フィルのシューベルトが美しいのではないか、
などと思えるほどである。

ワルターの「未完成」よりも、
20年も前の戦前の、
ニューヨーク・フィルではあるのだが。

まだ30代であった、若いバルビローリは、
この楽団にも、聴衆にも、期待されたのであろう、
常任指揮者となって、すぐに、
多くの録音が残されている。

ただ、戦争の時期に重なってくるため、
ほとんど、これらの録音は、CD化されるまで、
日本で知られることが少なかったものだ。

1970年代に出された、「レコード芸術」付録の
「オーケストラWHO’S WHO」
でも、この楽団について、
1922年からのメンゲルベルク時代、
1928年からのトスカニーニ時代を、
「第1期黄金時代」と呼んでおり、
37年から42年までのバルビローリ時代、
43年から47年までのロジンスキー時代、
47年のワルターの音楽顧問、
49年からのミトロプーロスとストコフスキー、
51年から57年のミトロプーロス時代をすっ飛ばし、
58年からのバーンスタイン音楽監督時代を、
「第2期黄金時代」と書いてあるほどである。

これでは、バルビローリが、この名門オーケストラを、
へなちょこにしてしまったような感じばかりが残る。

が、私が持っているもの(()以外)だけでも、
バルビローリ協会は、この楽団とこの指揮者の、
出会いの幸福さを象徴するかのように、
多様な録音群をCD化している。

バルビローリが、着任早々、
かなり着目されて、ライヴ録音までが、
ばんばん出された(放送された?)事、
さらに、後半の関係悪化と共に、
こうした録音が激減しているということがわかるドキュメントだ。

しかし、シューベルトの「第4」の
位置づけは、凄いではないか。
彼が正式にビクターにスタジオ録音した交響曲は、
何と、このシューベルトだけだったということになる。

ダットン(DUTTON)レーベル
(とバルビローリ協会)からCD化され、
良い音で復刻されたのは、
まことにこの指揮者を見直すのに歓迎すべき事である。

もしも、これがなかったら、
ちょっと堅苦しいEMIの録音ばかりで、
(あるいは、盤質に疑問のあったパイの録音で)
バルビローリを語らなければならなかった。

解説は、Paul Brooksという人が書いている。
バルビローリ協会のVice Chairmanらしい。

「フィルハーモニアに引き抜かれたバルビローリ」
というタイトル。

この解説は、バルビローリの、
着任早々の快進撃をうまく描きだしているが、
予想もできないような、
ぞっとするような結末で書き終えていて、
非常に考えさせられ、
味わいのあるものだ。

「これは、1936年4月8日のニューヨーク・タイムズ
の見出しで、
『比較的この国では知られていない36歳の指揮者、
ジョン・バルビローリは、
フィルハーモニック・シンフォニー協会の
次のシーズン最初の10週の
指揮をするように選任された』とある。
アメリカの音楽会の聴衆には、
あまり知られていなかったかもしれないが、
レコードの世界では、
良く知られたアーティストであった。
1936年までに、
バルビローリが指揮をして共演した
独奏者の名簿は、
ヤッシャ・ハイフェッツ、アルフレッド・コルトー、
エドウィン・フィッシャー、グレゴール・ピアティゴルスキー、
アーサー・シュナーベル、ウィルヘルム・バックハウス、
アルトゥーロ・ルービンシュタイン、
それに、ミッシャ・エルマンがいた。
彼の声楽曲録音も忘れがたく、
フリーダ・ライダー、レナート・ザネッリ、
フローレンス・オーストラル、ペーター・ダウソン、
ヨーゼフ・ヒズロップ、フェードル・シャリアピン、
ローリッツ・メルヒオール、フリードリヒ・ショル、
ベニアミノ・ジーリらである。
この印象的な録音のリストが、
フィルハーモニック協会の議会と、
議長のAuthur Judsonに、
若い指揮者に、まず関心を向けさせた。」

残念ながら、この頃から、日本は、
やばい国内情勢によって、
世界から孤立して行くので、
残念ながら、
バルビローリのニューヨークでの活躍は、
日本人が知らない間に起こった感じになった。

あらえびすの「名曲決定盤」でも、
トスカニーニがニューヨーク・フィルを、
辞任したところまでで、
情報が途絶えている。

「1936年10月28日、
ニューヨーク・タイムズは、
『フィルハーモニックのため、
バルビローリはここにいる』と報告、
インタビューで、避けられない質問を受けている。
『トスカニーニの足跡に続くことを、
あなたはどう感じているか?』
バルビローリは驚いたように、
質問者に尋ねるような表情をした後、
微笑んで、こう言った。
『私は、巨匠の足跡を辿るつもりはありません。
彼が刻したものは、このオーケストラの、
一つの時代の終わりなのです。
しかし、私自身が感じているように、
音楽は先に行かなければなりません。
私は、単純に音楽を熱狂的に愛している男にすぎません。
私は音楽に仕えるだけです。
アメリカの皆さんが、私を好きになってくれますように。』
バルビローリは、さらにトスカニーニには、
2度会ったことがある、と続けた。
最初の機会で、近視のマエストロは、
彼の顔をまじまじと見て、こう言った。
『君は、ロレンツォ・バルビローリと
関係があるのかね。ヴァイオリニストの。
私は、彼を良く知っているよ。』
ロレンツォは、実際、バルビローリの父親で、
祖父と共に、スカラ座で、トスカニーニの下、
ヴェルディの『オテロ』の初演時に演奏していた。」

これで、トスカニーニとの遭遇編の話は終わって、
次に、続くニューヨークでの成功の話となる。

「最初の演奏会の後、バルビローリは、
この後、すぐに妻になる、
イブリン・ロスウェルに、こう書き送った。
『私の最初の一週間は、すさまじい成功で、
Judsonは大喜びだ。
彼は、私の来年のスケジュールが、
完全にフリーか知りたがっている。
彼は、私をオーケストラの
常任指揮者にしたがっている。
ロンドンでは、明らかに、
サージェント、ヘワード、ランバートと、
同列にさえなれないのにね。』」

私は、これまで、
こざっぱりとしたサージェントの方が、
何となくヨレヨレ感のあるバルビローリより、
若いと思っていたのだが、
バルビローリより4歳年上の、
1895年生まれであった。

しかし、バルビローリのような、
神格化された仙人のような指揮者が、
こうした生々しい手紙を残しているとは知らなかった。

「彼はイブリンに、
『オーケストラは神々しく私に付き従い、
外部からは、連中は私に夢中だと聴かされている』
と告げている。」

晩年には仙人のようになる、
この名指揮者の若き日の、
前途洋々たる高揚感を伝えてやまない。

「1936年12月11日、
ニューヨーク・タイムズは、
バルビローリが、3年契約になった事を報じた。
フィルハーモニック協会が出した声明は、
『次の年は、1920年から21年のシーズン以来、
初めて、フィルハーモニックは、
全シーズンを務める常任指揮者をもつことになる。』
同月その後で、ニューヨーク・タイムズは、
S.J.Woolfによる、
大がかりな記事を載せた。
『バトンが振りあげられると、
彼の左手も、警告のようなしぐさで上がる。
バトンがスタンドを打つと、機嫌よく、
指揮者はテンポを速めるようにと求める。
指揮者の体が揺れる。
彼は金管に注意を促し、
ヴァイオリンにはさらなる困難を要求する。
異なる音色を音楽に導くように、
その表現力豊かな手は、
そのストップを引きながら、
まるで、巨大なオルガンを操るかのようだ。
暗いストレートの髪は逆立ち、
明るいグレーのアルパカの上着はよれよれだ。
襟は首のところで開かれ、
ネクタイは結んでいない。
楽譜を輝かせる光は、
彼の顔を照らし、
高い頬骨や突き出た鼻を際立たせる。』
リハーサルの後で、バルビローリは椅子に座り、
最近、レジャーの時間が増えている傾向について、
また、それを人々がどう使うかについて語り始めた。」

何とも、時代を感じさせる逸話ではないか。

「『音楽が、その一つの答えです。
新しい余暇に、それは楽しい娯楽になるでしょう。』
眼を輝かせながら、彼は、こう付け加えた。
『さらに、良いオーケストラの音楽を聴くと、
男はへとへとになって、やばい事をする気もなくしますよ。』
再び、椅子の背もたれに寄りかかり、
ライム・ジュースをすすると、
英国における音楽家の境遇を心配する。
彼らはますます解雇の危機に直面している。
『重要な映画館は、かつて、
大きなオーケストラを抱えていました。
今や、彼らはお払い箱です。
多くのレストランしかりです。
今や、すべてラジオですからね。』
彼自身、ホテルや劇場や映画館で演奏していた。
『それは、音楽家が知るべき、
人生のよい勉強になったから、
後悔なんかしていないよ。』」

これは、非常に考えさせられる言葉である。
巨大なシステムの中で、
ごく限られた玄人を相手にした、
コンクールの覇者などとは違い、
普通に暮らす人々に対して、
その心を動かすことのできる音楽を、
実地で試すことが出来たのだろうから、
バルビローリの音楽が、
機知に富み、熱いハートを感じさせるのは、
こんな原点があったのか、
などと感じてしまったわけである。

「1938年、バルビローリは、
ニューヨーク・フィルと、
最初の録音を行った。
2月7日の最初のセッションは、
ビクターのためのもので、
ドビュッシーと、バルビローリ自身の『パーセル組曲』
(これは、最初のフィルハーモニック・コンサートで、
取り上げられたもの)で、
2日後、彼は、極度に集中した劇的な、
『フランチェスカ・ダ・リミニ』、
レスピーギの組曲、
メニューインを交えての、
シューマンの『ヴァイオリン協奏曲』を録音した。
次のビクターのセッションは、
1月21日のシューベルトの『第4交響曲』、
2月21日のレスピーギの『ローマの噴水』、
シューベルトの『ドイツ舞曲とトリオD90』
で行われた。
翌年からは、バルビローリとオーケストラは、
コロンビアに録音することになる。」

コロンビアのシリーズは、
ベニー・グッドマンやカサドッシュの
伴奏のものなどがあったりして、
バルビローリは、いささか影が薄く、
ブルッフやモーツァルトの協奏曲のような、
よく知られた作品が録音されていたりするせいか、
このビクター録音の方が、
選曲がユニークなような気がする。

どの曲もメジャーなところを、
あえて外している感じがぷんぷんするが、
シューベルトの「ドイツ舞曲」など、
いったい、どうして録音しようと考えたのだろうか。

さて、このCD解説の最後は、以下のように結ばれている。

「フィルハーモニックとの最初の録音の前日、
彼は、明らかに彼を動揺させた、
いくつかのニュースを伝えている。
『A.J(Judson)と静かに食事をした。
長い会話をしながらね。
彼は、4000ドルのさらなる収益をあげ、
どっかに行こうと考えていたらしい。
僕が帰っていれば、
何も起こらなかったはずだ。
しかし、そうはならなかった。
私がいなくなると、
トスカニーニやロジンスキーの派閥が、
騒ぎはじめ、彼らがばらまく嘘や嫌味は、
信じられないものばかりだ。
こうした馬鹿話に、君が煩わされるのは嫌なんだ。
だけど、愛しい君、実際に戦いは続いている。
Judsonは、最後にこう言ったよ。
『僕たちは二つの失敗を犯したかもしれないよ。
私は君と契約したし、君は成功した。』」

最初の録音の前と言うのだから、
1938年頃の事であろう。
このように、着任早々に、
バルビローリ追い出しの陰謀が、
渦巻き始めていたということだ。

成功というものは、
かくも恐ろしいものだったようだ。

しかし、このような苦労を味わった人であっただけに、
晩年の栄光が巡って来たのかもしれない。

b0083728_2230336.jpgサー・ジョン・バルビローリが、
シューベルトの「第4交響曲」を、
好んで指揮していたことは、
別のCDの熱気に満ちた演奏によっても、
確認することが出来る。
これは、オーケストラも燃えに燃え、
バルビローリらしい
ジューシーな味わいに、
ドイツ的な立体的な構成感が素晴らしく、
聞き逃すことのできない名演奏だと思う。
よくぞ、出してくれたものだ。
録音もすっきりとして、とても美しい。


この表紙の写真がまた、
この指揮者が晩年に到達した境地を感じさせて、
味わい深いではないか。
音楽に没入しながらも、
何か、ものすごい自信に裏付けられた、
風格のようなものがあふれ出ている。

これは、最近出たもので、
ケルン放送交響楽団のライブ音源から取られている。

バルビローリが1969年2月7日という、
最晩年の境地で演奏した演奏会の一曲目が、
このシューベルトの「第4」なのである。

残念なのは、拍手まで収録されていないことで、
聴衆がどんな反応をしたのか、
非常に気になるのだが。

「ica」というレーベルのCDだが、
ブリテンの「セレナード」(Gerald English)
と、シベリウスの「第2」と共に2枚組で出た。

私は、タワー・レコードの店舗で、
偶然、これを発見して、考える間もなく、
購入して持ち帰り、すぐに聴いた。

とにかく、古典期の「疾風怒濤」様式の、
亜流ですよ、みたいな音楽ではなく、
素晴らしい生命力で鳴り響くマスターワークになっている。

すごいスケールの音楽になっていると思ったが、
演奏時間は28分弱と、
それほど、ビクター録音とは変わっていない。
第2楽章が速めになっていて、
他の楽章は、わずかながら遅くなっているが、
そのようなバランスゆえに感じられることなのかもしれない。

Raymond Holdenという人が書いた解説は、
「バルビローリは、最後の10年、ドイツでは、
いささか、カルト的存在であった」、
という、すごい書き出しである。

「しかし、多くの音楽愛好家が見逃さないのは、
中欧の文化の中に育まれたこの放送交響楽団の、
眼を見張る演奏の質の高さであろう。
バルビローリにとって、
ケルン、南ドイツ、バイエルンの
放送交響楽団との契約は、
常にそのスケジュールで優先度の高いもので、
彼は、これらの合奏能力が世界最高であることを、
事実として隠すことはなかった。
ケルン放送交響楽団(現在は、ケルンWDR交響楽団)は、
1947年に創設され、たちまち、
全ドイツを代表する楽団の一つになった。
1969年2月7日の、
バルビローリとこの楽団の演奏会は、
ドイツ、オランダの演奏ツアーの一環で、
彼が、5日間だけ、
ロイヤル・アルバート・ホールで、
ロンドンの4つの音楽大学の学生たちと、
ヴェルディの『レクイエム』の演奏をするため、
英国に戻った中断があっただけで、
アムステルダム、シェヴェニンゲン、
アルンヘム、シュトゥットガルト、ハンブルグ、
バーデンバーデン、ベルリンと回った。
多くのケルンでの彼の曲目は、
聴衆にとって親しみやすいものではなく、
シューベルトの『第4』は、
いくらか知られていたかもしれないが、
シベリウスの『第2』や、
ブリテンの『セレナード』は、
ドイツでは明らかに知られていなかった。」

ということで、CD化された、
このバルビローリの演奏を、
各地で聴いた聴衆に交じることが出来た光栄を感じる。

次に、このシューベルトのブログにとって、
非常に重要な一節が出てくる。

「バルビローリは、そのキャリアのスタート時期から、
シューベルトに献身的な解釈者であった。
1933-37のスコットランドのオーケストラの
音楽監督時代には『第4』は指揮しなかったとはいえ、
ニューヨーク・フィルを1937年に率いた時から、
彼は少なくとも8回、この曲を演奏している。
この曲の謎に満ちたクオリティが、
明らかにバルビローリに合っていたようで、
1939年1月21日には、
アメリカの楽団と初めて録音する交響曲として、
この曲を選んでいる。
クライマックスと活力はバルビローリのセンスで、
いかにもバルビローリならではのアプローチが、
この演奏からも明らかに感じられる。
この指揮者は、
構成とテンポの相互依存について、
熱い信念を持っており、
1938年には、こう書いている。
『指揮の芸術を特徴づける二つの基本原則は、
1.オーケストラに正しいテンポを授けること、
2.『メロス』を発見すること、
つまり、線を統合して作品に形式と様式を与えることです。
これらの二つのクオリティを与えることが、
もちろん、最高の指揮者の仕事です。
私たちの人生のほとんどは、
まず、これらのクオリティを
獲得しようとするために、
費やされなければなりません。』」

ここに書かれたように、
精妙なブリテンの「セレナード」も、
恐ろしく威厳のあるシベリウスの「第2」も、
緊張感と美しい流れを兼備した演奏で、
要所要所で、激しく高鳴り、盛り上がり、
きわめて、堂々とした光輝を放っている。
生々しい録音が、それを完全に捉えている。

得られた事:「バルビローリにとって、シューベルトの『第4』は特別な交響曲で、アメリカのメジャー・オーケストラの初めての交響曲録音や、晩年の大掛かりな演奏ツアーで取り上げるような作品であった。」
[PR]
by franz310 | 2013-10-13 22:33 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その390

b0083728_19463641.jpg個人的経験:
最近、名曲なら何でも指揮して、
何のスペシャリストか
だんだん分からなくなっている
ロジャー・ノリントンであるが、
ベートーヴェンやブラームスでは、
二度も交響曲全集を作っているのに、
シューベルト以降については、
つまみ食い的な記録しか残っておらず、
これまた、悩ましい感じである。
ノリントンの方が選んでいるのか、
CDを作ったり売ったりする方が、
これは、売れないと判断しているのか。


今回、ここに聞く、シューベルトの交響曲集も、
「4番」、「5番」、「6番」、「未完成」だけと、
ちょっと微妙な選曲で、
「未完成」以前の作品では、よく演奏される
「3番」などは含まれていない。

かつての主兵、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏。
おそらくEMIから出ていたものをまとめ直して、
ヴァージン・レーベルから、
2枚組の廉価盤として出されたもので、
ロマンティックな風景画が表紙にあしらわれている。

「ライン川の眺め」という、
W.Klunenbrosch(クルーネンブロシュ)
という人が1853年に書いたものとあり、
シューベルトよりもシューマンの時代に近い作品だ。

川が大きく湾を作り、
山上の城には旗がたなびき、
澄んだ川面には風景が映って、
船なども浮かんでいる。

手前では、村娘みたいなのが、
黒衣の男にブドウを売ろうとしているが、
妙に意味有り気な情景で、
シューベルトというよりも、
シューマンに近い時代の作品ゆえ、
実は、何か秘めたメッセージがあるのだろうか。

というのも、何ともビーバーマイヤー風で、
描写の質そのものは、稚拙とも言えるので、
そんな事よりも描き出したかったものがあるのではないか、
などと憶測した次第である。

何か頭の上に乗せて運んでいる、
少し向こうの女などは、やたら小さくて、
遠近法もめちゃくちゃである。
川岸になびく草が、手前と同じ長さなので、
実にヘンテコである。
ポーズも投げやりである。

その向こうにある建物も、
書割みたいにうすっぺらである。

しかし、山間の街はずれならではの、
空気の爽やかさだけはよく描き出されていると思う。

が、そんな事が描きたいのなら、
手前の男女は描く必要はなかった。
ということで、堂々巡りのように、
いったい、この絵は何なんだ、という事になる。

その男女の様子を、だらしなく座ったまま、
無表情で見ている、左側の女は何なのだ。

このW.Klunenbroschという画家について
非常に気になって来るのであるが、
ネット検索しても、
この絵を描いたとされる人、
としか出てこない。
これは、いったいどういうことだろうか。

ということで、この絵が気になり過ぎて、
シューベルトどころではない。
せめて、ドナウの風景にして欲しかった。

さて、ノリントンの話に戻すと、
彼が、このCDのための録音を行ったのは、
1988年から90年と、ものすごく昔である。

彼は、同時期に、すごいスピードで、
ロマン派の有名な交響曲を録音していて、
シューベルトにばかり、
かまけている時間はなかったのかもしれない。

つまみ食い的な録音が多く、
典型的なのは、ブルックナーで、
「第3」だけが録音された。

最近、シューマンは全集が出たようだが、
それまでは、3番と4番だけが録音されていた。

そんな中、彼は病魔に倒れ、
復活して、彼は、いち早く、
シューベルトの「グレート」を再録音したので、
この曲については高く評価していることは伺える。

事実、CDにおいても、
妙に熱い演奏を聞かせていることは、
この前、確認することが出来た。

その一方で、ノリントン自身の言葉ではないが、
彼が再録音した「グレート」のCD解説には、
「未完成」などは、失敗作、と書かれていた。

いったい、彼にとって、シューベルトは、
どんな作曲家なのか、妙に気になって来た。
というのも、最近、この指揮者は、
3度目の「未完成」を録音したというのである。

私は、それをネットで注文したが、
まだ届いていないので、
彼の第一回録音を聴いてみる。

ただし、このCDは、最初に書いたとおり、
廉価盤として再発売されたものなので、
ノリントンのCD特有の、
リッチな解説がついていないのが残念である。

解説はMark Audusという人が書いて、
饒舌なノリントン自身の言葉が読めないのは、
ノリントンの指揮したCDの楽しみの、
多くの部分が奪われた感じである。
かなり、物足りなさが残る商品といえる。

解説は、次のように始まっている。
「彼の生前、シューベルトは、
主に、歌曲、ピアノ曲、室内楽の
傑出した作曲家として知られていた。
早すぎた死の時までに、
彼は7曲の完成された交響曲と、
6曲の、様々な段階でのこされた、
さらなる6曲を残していたのに、
彼の最も親しい友人たちですら、
その交響曲については、
あまり知らなかった。
後世の人の方が、これらの作品を大事にして、
今や、レパートリーの中でも、
最も好まれるものになっている。
シューベルトの最初の6曲の交響曲は、
ベートーヴェンの最初の8曲が、
すでによく知られるようになってから書かれたが、
シューベルト風の際立った抒情性はあっても、
それらはもっと以前の古典的なモデルに、
先祖がえりしている。」

まあ、初期の交響曲の解説は、
こんなものになるだろうが、
逆に、シューベルトの場合は、
これらの作品の方が、学校のオーケストラや、
有志によるオーケストラで演奏されていた。

第4交響曲が二枚組のCD1の最初に入っている。
解説には、こうある。

「第4交響曲(1816)に、
『悲劇的』というタイトルを加えたのは、
シューベルト自身だが、
ハ短調というベートーヴェン風の調性でありながら、
それは、悲劇的というより、興奮や哀愁のムードで、
ハイドンやモーツァルトの
短調で書かれた『疾風怒濤』交響曲に近い。」

これも良く書かれることで、
私は、このような解説を読むたびに、
書いている人は、
シューベルトが、正しいドイツ語を知らなかった、
と言いたいのか、
などと、いつも問い詰めたくなる。

あるいは、「悲劇的」という題など、
真に受けてはいけませんよ、
とでも言いたいのだろうか。

作曲家が書いた事を実践せよ、
と主張しているノリントンも、
このような意見と同じなのだろうか。

彼なら、当時の「悲劇」というのは、
現代の悲劇とは異なるものであった、
などと書くのだろうか。

初期の交響曲で、唯一、短調で書かれた、
この作品は、少なくとも悲愴な雰囲気を持ったものであり、
異常に神経質とも言え、内省的で、やけっぱちな面もあり、
ハムレットのように、悲劇を引き起こす可能性はある。

「開始部のゆっくりとした序奏は、
モーツァルトの『不協和音』四重奏曲を想起させる。」
と続くが、確かに、似た雰囲気である。
が、こうした解説は、
いかにも、背伸びした若者が、
仕方なく、巨匠の作品をぱくりました、
と書いているように見えて情けない。

実際には、この魅力的な序奏の先頭には、
ばーんという大げさな一撃があり、
主部に移行してからも、
ティンパニを打ち鳴らしながらの、
英雄的なメロディが流れ、
爆発的な絶叫がある。

第2主題も、透徹した雰囲気を持ち、
シューベルトが、この楽章だけでも、
何らかの闘争を描いていると考えて良さそうだ。

「不協和音」の例だけを上げてお茶を濁すのは、
木を見て森を見ずの解説と言わざるを得ない。

ノリントンの指揮は、
弦楽の透明度が高いので、管楽器の分離が際立ち、
ティンパニの強打にもインパクトがある。
コーダなどは、壮絶な表現ですらある。

第2楽章は、闘争の後の憩いのような開始だが、
途中から、葛藤するようなフレーズが現れる。
解説には、
「続くアレグロや、この曲のいたるところで、
シンコペーションや絶え間ない内声の動きが、
不安感をかき立てている。」
とあるが、ここにあるように、
全編を通じて、非常に苦悩を背負う姿勢がある。

それが「疾風怒涛」だ、
と言われれば、それまでであるが。

この曲の解説は、以上で終わりであるが、
終始、不安感をかきたてるのであれば、
十分、悲劇的と言えるような気がする。

第2楽章、ノリントンは、憩いと憧れ、
こみあげる不安を交錯させて、
とても表情豊かな音楽を作り出している。
この楽章のエンディングは、
木管が重要な役割を果たすが、
その効果も鮮やかである。

続いて、粗暴とも言える、
やけっぱちな第3楽章の、
全然優雅ではないメヌエット、
焦燥感をもって、破滅に向かうような終楽章が来る。

ノリントンは、第3楽章のトリオを、
かなり速めに演奏し、緊張を保っている。
第4楽章でも、内声部の、不気味な動きを際立たせ、
脈動、律動する感じを大切にしている。
ティンパニの打ち込みも鮮烈である。

ばーん、ばーんとさく裂するような、
金管群も存在感があり、
木管の軽妙な動きも異質なものを感じさせる。

このように聴いてくると、
ハイドンやモーツァルトにはなかった世界であり、
私は、「悲劇的」というタイトルで問題なしと見る。

「第4」の次には、「第6交響曲」が収録されているが、
解説では、CD2の最初に入っている、「第5」が来る。
「シューベルトの初期の交響曲で、
最もポピュラーなものである、
『第5』(1816)は、
天才の火花の四つの音符が、
メイン・テーマを開始するカーテンを開く。」

この解説は、聴きたいという気持ちを引き立てるので、
大変、良いと思うし、うまい言い方だと思う。

「作品に漲る魅惑の一部は、
フルート一本、各一対の、
オーボエ、バスーン、ホルンに限定された木管を伴う、
室内楽風のスコアに基づく。」

実際、この曲は、フルートの音色が、
冒頭から非常に印象的なものである。

このような楽器の分離は、
ノリントンが得意とするところで、
この演奏でも、まるで、空に描かれた虹のように、
フルートのひなびた音色が、
要所要所で舞い上がる。

この曲は、多くの大指揮者が演奏してきたものだが、
それらと比べて、すっきりした編成で、
速いテンポで飛ばして行く。
コクもあってキレもある感じだが、
ちょっと落ち着かない感じもあるかもしれない。

休日の朝の音楽と言えば、
ハイドンを想起してしまうが、
それよりもずっと天国的で、自然である。

「モーツァルト風の均衡と創意が、
シューベルト特有の
大胆な和声の寄り合わせと組み合わされている。」

解説は、これで終わっていて、
どの曲も、一部の事にしか触れられていない。

第2楽章も、穏やかで優美な音楽で、
まるで、故郷に帰って来たような懐かしさを感じるが、
ノリントンの指揮では、変幻自在の音楽つくりが、
潜んでいた不安感を抉り出す感じ。

中間部の内省的な音楽が、妙に身に染みて痛い。
ここでも、第4交響曲同様、
ざわざわと落ち着かない内声部の動きが強調されている。

確かに、シューベルト自身の心情は、
こんな感じだったかもしれないが、
まさか、それを表現しようとして、
この曲を書いたわけではないだろう。

第3楽章も、少し、
しかめっ面のシューベルトになっている。
青春の希望に満ちた交響曲として、
これまで大家が取り上げて来た作品であるが、
「悲劇的」同様、何か、強烈な焦燥感を漲らせている。

トリオなども、ぶっきらぼうで、
これまでの演奏では、自然に抱かれるような、
優しさがあったはずだが、
畳み掛けるように演奏されて、
都会の孤独に立ち尽くすシューベルトになっている。

終楽章は、ラヴェルのピアノ協奏曲のように、
「お開き」の終楽章という位置づけであろうか。

が、ここでも、主テーマこそ、
明るい微笑みが感じられるが、
曲が進むと、何だか苛立たしげな表現が錯綜し、
まったくもって、
疾風怒濤の音楽になってしまっているではないか。

第1楽章で虹を描いていたフルートは、
何だか、檻の中に閉じ込められてしまった感じ。

第4が春に作曲されたのに対し、
むしろ、この交響曲は、10月の音楽だった。

「第6交響曲」も「第4」と同じ、
じゃじゃーん系の序奏を持っている。
CD1の後半、「第4」に続いて収録されている。

「時として、『小さな』ハ長調と呼ばれる、
『第6交響曲』(1817-18)は、
シューベルトの新境地の模索を見せている。
まごうことなく、未だ古典的であるとはいえ、
ベートーヴェンやロッシーニ(ヴィーンではやっていた)
の影響が見える。」

これは、良く書かれる事であるが、
確かに、ばーんばーんと威勢の良い音楽である。

時として、単に、ロッシーニの影響で、
単純明快であることばかり語られる音楽であるが、
下記のポイントは、あまり注意して考えた事がなかった。

「独立した木管楽器の書法は新基準に至り、
シューベルトは第3楽章に初めて、
『スケルツォ』と記した。」

確かに、序奏部からして木管アンサンブルが、
独特の効果を見せていて、
何と、第1楽章のメインテーマまでが、
この編成で歌いだされる。

ノリントンの指揮では、
いつもながら、すっきりと風通しよく、
弦楽と管楽器の描き分けが美しい。

第2楽章は、中間部で、どんちゃら始まるので、
いや、それ以前に、
弦楽でひそひそ話風に始まる主題からして、
ロッシーニのオペラの一場面を見る感じがする。

ティンパニもどかどか鳴って、
この曲で、軽妙なアリアを歌わせるだけで、
シューベルトはヒットするオペラを書けたかもしれない。

ノリントンはそういえば、
ロッシーニも得意とする指揮者だった。

一つ一つの楽節の息遣い、間の取り方、表情など、
ものすごく、ツボを押さえた演奏だ。
ロッシーニが完全に憑依した音楽になっている。
舞台の上のパントマイムすら目に浮かぶようだ。

これには、私は、完全に参ってしまった。
ロッシーニ風という言葉が、
完全に納得されてしまった。

第3楽章も、めくるめく音楽で、
劇場用の音楽でないことが惜しまれる。
ロッシーニの喜劇で起こる、ぺてんや陰謀の、
やばい雰囲気が、完全に、ここで再現されている。
ロッシーニも、交響曲の作曲をするなら、
こんな曲を書いて、聴衆にあっかんべをして見せたかもしれない。

トリオの、意味有り気なリズムの刻みも、
舞台上の俳優の一挙手一投足を見ているような感じである。
リズミカルに、テンポよく、場面が転換する。
木管楽器のコミカルな響きが、
この場面が、秘密の場面で、聴衆にだけ見せてあげる、
という感じを出している。

この交響曲は、初期の6曲の中では、
むしろ、単純なものだと考えていたが、
これはかなり高度なパロディである。

終楽章でも、ロッシーニ風の、
ひそひそと、種明かし、緊迫した一瞬に、
大団円風の雄大さが交錯していて、
これは、魔法と想像力に溢れた交響曲だと得心した。

さすが、シューベルトは、
ロッシーニの毒に当てられて、
ただ、模倣したわけではない。
みごとに、その管弦楽法の効果を会得し、
声や演技なしで、ロッシーニの音楽で、
くり返されている人間の営みを描き出してみせた。

「第6につづいた
シューベルトの交響曲の創作の試みは、
満足できるものではなかった。
『未完成』に先立つ2曲は完成されなかった。
その間、シューベルトは、
ゲオルグ・フォン・ホフマンのメロドラマによる、
『魔法の竪琴』の音楽を書いた(1820)。
舞台のための音楽は、常に、シューベルトに、
少ししか成功をもたらさなかったが、
この序曲は彼の作品の中で、
最も洗練され華麗なもののひとつである。」

この序曲は、この二枚組の最後に収められているが、
ノリントンは、シュトゥットガルトでも、
これをすぐに再録音したから、
この曲が好きなのであろう。

「ロザムンデ序曲」として知られるものだが、
これを何度も演奏して録音した指揮者は、
そんなにいないのではないか。

序曲に相応しく、ノリントンの指揮による演奏は、
思いっきりが良く、豪壮で軽妙。
速めのテンポで飛ばすが、
長いオペラなどが続く場合、
いかにも、こんな感じで幕が開くのかもしれない。

劇場でのリアリティが感じられる演奏で、
そう思って聴かないと、
せっかちな演奏に思えるだろう。

録音も、陰影が乏しく、
この曲だけを聴くには、
別に、この演奏である必要はない。

このような前提で聴かないと、
ノリントンの指揮は、悩ましいものも多く、
だいわ文庫の「クラシック名曲名盤独断ガイド」でも、
「未完成交響曲」の「ワースト演奏」に挙げられている。
「直線的な演奏」と断じられている。

以下、「未完成」についての解説である。

「『未完成交響曲』に先立つ、
シューベルトの初期の作品は、
この作品ほどの規模と凝縮を持つものはない。
この作曲家の最も重要な、
交響曲のトルソである。
『梅毒』の症状の始まりが、
この作品を完成させなかった原因かもしれないが、
しかし、シューベルトは、
単に、この完成された2つの楽章に、
続けることが出来ないと考えたのかもしれない。
この作品の調性『ロ短調』からして、
当時のオーケストラの作品には例外的で、
トロンボーンの追加によって、
深刻な響きをもたらし、
驚くべき開始部の深さから、
2つの楽章の激情的な頂点を経て、
ほとんど諦めるような微妙な終結まで、
作品は幅広い表現力を探求している。」

この解説は、この作品の聴きどころや、
特徴が要領よくまとめられていて悪くない。

このCDの演奏、
私が聴いた感じでは、ノリントンにしては、
たっぷりとした息遣いを感じさせ、
「グレート」の時のような意外さはなかった。

かといって、ワルターのような、
どっぷりロマン派であるはずはなく、
解説にあるような、病気の影響で、
後が書けません、というような危機感のあるものでもない。

ノリントンの行き方であれば、
当時はこんな編成で、
こういう美学で書かれたはずだから、
こんな演奏がいいでしょう、みたいな感じだろう。
当時のオーケストラの楽員や聴衆が、
納得したであろうような演奏を、
心がけているはずである。

古典的にすっきりさせることを優先しそうで、
それが「直線的な演奏」と書かれる理由と思われるが、
第1楽章など、じっくりと、論理的に、
圧倒的なクライマックスを築いており、
美学こそ古典的かもしれないが、
壮大な構想で組み立てられた、
立派な作品、という感じをちゃんと引き出している。

再現部なども、
主題が、息づくようなフレージングで処理されており、
コーダも、表情は豊かで、
作曲当時の基準では、
十分にぶっとんだ作品であった事が理解できる。

第2楽章が、むしろ、直線的と言われる所以かもしれない。
歯切れよく、かなりあっさりと進んでいく。
しかし、「グレート」の演奏でも、
緩急の差は、古典の時代は少なかった、
と主張する彼の事であるから、
あまりに美しい楽章であるからと言って、
これだけを、嫋々と演奏するわけにはいかないだろう。

その代わり、第2主題などは、
出来る限りの表情を付けており、
クライマックスとの対比が痛い。

ベートーヴェンの交響曲が超前衛だったとしても、
このあたりの表現は、それをさらに先に進めた、
破格の音楽であることは、よく分かる。
むしろ、これは、それを伝えるための演奏のはずである。

得られた事:「ノリントンの指揮で聴くと、典雅な『第5』は、疾風怒濤の感情を秘め、明朗な『第6』は、ロッシーニが演技と声で表して来た、人間存在の多面的なリアリティが管弦楽だけで描かれていることが分かる。」
[PR]
by franz310 | 2013-09-29 19:46 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その389

b0083728_1545282.jpg個人的経験:
ノリントンは、一時、
病気で活動を中断していたので、
自ら創設した楽団は、その間、
惜しくも解散してしまった。
その後、彼は復活して、
活動を再開したが、
それは、通常のオーケストラの
指揮者としての活動となった。
転んでもただでは起きない感じで、
彼は、かつて録音していた曲目を、
改めて録音し直していった。
したがって、「グレート」にも、
こうした再録音盤がある。


ドイツのヘンスラー・レーベルに録音したもので、
表紙は、リーダーの筆による、
シューベルトの堂々とした肖像画を配し、
その後ろにノリントンの写真が、
ごく控えめに合成されている。

このシリーズは、
ベートーヴェンの「第9」など最悪だったが、
表紙を、やたらノリントンの写真だけで、
安易に乗り切る傾向が強い。

だが、2001年7月の録音である、
このCDは、まだ、凝ったデザインとなっている。

あと、おもしろいことに、
ロンドン・クラシカル・プレイヤーズとのCDでは、
「繰り返しはすべて行うべきだ」
と語っていたのに、
シュトゥットガルト管弦楽団との録音では、
第3楽章と第4楽章がかなり短くなっている。

そのため、全体の演奏時間が、
10分も短くなってしまったので、
申し訳ないと思ったのか、
前回は1曲勝負だったのに、
「魔法の竪琴」序曲が併録されている。

自由自在に使えた集団の方が、
ユニークな演奏が出来たかもしれないが、
再録音に及んだとすれば、
既成の勢力との拮抗からも、
何らかの新境地が生まれたのであろう。

ライブ録音という事もあって、
かなりノリのよい演奏になったと思う。
第1楽章で、序奏から主部に向かって、
速度を増す時の、
気迫のこもった素晴らしい加速感は、
演奏会の熱気に後押しされてこそ、
という感じがする。

旧盤は、これに比べると、落ち着き払っている。

しかも、解説は、前の論調の続編のような感じで、
なおも、ベートーヴェンとの関係を力説しているのが興味深い。
ただし、ノリントン自身の解説ではなく、
ハルトムート・リュックという人が書いている。

ベートーヴェンの「第9」の歌詞、
「Freude,schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium」
から取って、
「神々の火花に霊感を受け」
という題名になっているので、
全編がこの調子だと言いきって良い。

「『ベートーヴェンの後で、
誰が、何か重要な事ができるだろうか。』
友人のシュパウンに宛てた手紙に、
シューベルトが書いた問いは、
確かに、1820年代の
一般的感覚を表現しているが、
これこそが、シューベルトの交響曲の書法に、
非常に特別な道を開くこととなった。
1813年から1818年の間に書かれ、
今日、『若々しい交響曲』と考えられている、
彼の最初の6曲の交響曲では、
この問いは単純に現れておらず、
シューベルトは、ハイドンやモーツァルトの、
古典的な交響曲のコンセプトをマスターし、
彼自身の中にその伝統を入れて、
個性的なものとした。
シューベルトは、ベートーヴェンが、
1803年から4年にかけて作曲した、
第3交響曲『英雄』で明らかに宣言していた、
画期的な新しい交響曲の考え方を、
ただちに認め、対応しようとしたのではなかった。
しかし、その『若々しい交響曲』の時代が終わると、
シューベルトは、
『ベートーヴェン以降の作曲家』としての
すさまじい自覚を持つに至った。」

この「若々しい時代の交響曲」に対しては、
ノリントンは、あまり、録音していないが、
シューベルトに関しては、危機意識を反映した作品に、
興味が集中しているのであろう。

ただし、ここで録音されている
「魔法の竪琴」序曲も、比較的若い頃の作品である。
非常に豪快な演奏で、開放的だが、
少々、炸裂音が目立つ、
やかましい感じの音楽になっている。

さて、解説は、以下のように延々と続く。

「『ベートーヴェンの後で何が出来るだろう』。
この問いを自問した時、
長い格闘の年月、
彼が交響曲の世界に足を踏み入れるための、
ひどく苦しい追及の始まりとなった。
いくつかの交響曲の断片が、
その間、捨て去られ、
壮大な構想はどこかで潰え、
それから、ホ長調の交響曲が出来たが、
総譜としては短いドラフトが出来ただけであった。
しかし、これは、のちに多くの人によって、
オーケストレーションされることとなった。
最後に、たとえ、最初の2楽章の後は、
第3楽章のスケルツォの、
打ち捨てられた草稿が示すように、
エネルギーもアイデアも尽きた、
失敗の告白となったとはいえ、
明らかに彼自身の目指す方向の、
巨大な一歩と言える、1822年の
『未完成交響曲』ロ短調の2つの楽章が来る。
(シューベルトの失敗の中においても、
天才的なものがある。)」

と、「未完成」も「天才的失敗作」と断じて、
先を続けている。

「正しい方向に導かれるために、
シューベルトには、何か、特別な機会が必要だった。
それは、皮肉にも、
ベートーヴェン自身が自らの交響曲の概念を越えた、
ベートーヴェンの作品であった。
シラーの『歓喜に寄す』を終楽章の合唱に持つ、
『第9交響曲』ニ短調であった。
1824年5月7日、ヴィーンでの『第9』初演に、
シューベルトが臨席していたという確実な証拠はない。
しかし、1824年3月31日に、
レオポルド・クーペルウィーザーに宛てた手紙に、
はっきりと、来たるべき演奏会について述べており、
彼がそこにいた可能性は大きい。
これまた、重要な事に、彼の所有物の中に、
ベートーヴェンの『第9』の第2、第4楽章の、
トロンボーンのパート譜があった。
(これは、シューベルトの大ハ長調交響曲が、
3本のトロンボーンを
極めて個性的に使っているという見地で、
極めて興味深い。)
したがって、シューベルトは、
『第9』を実際、よく知っていたのである。」

これは、すごい情報だ。
トロンボーンのパート譜だけからも、
何とか勉強しようとする姿勢に、
並々ならぬ情熱を感じるではないか。

「多くのハ長調交響曲に関するエッセイが、
終楽章の展開部の冒頭で、
ベートーヴェンの『喜びへの頌歌』のテーマの
パラフレーズが聴こえることについて述べている。
しかし、それだけなら、この観察は間違っている。
シューベルトの作品が、多くの重要な引用を含むとはいえ、
(イ長調四重奏曲D804での、グレートヒェン、
美しい世界、ロザムンデの付随音楽からの、
引用を思い出すだけで良い)
引用の使用は、彼の美学的思考にとって、
むしろ異質なものだった。
事実、『喜びよ、神の火花よ』の示唆は、
引用といえるものではなく、
シューベルトは、
すでに第1楽章のアンダンテから
すでに表れている、
彼自身の動機として、
あるいは、動機的な断片として
取り上げたのである。
この断片は、しかし、明らかに、
再び、ベートーヴェンに起因するものである。
ベートーヴェンの
『喜びへの頌歌』のテーマの音楽的素材は、
シューベルトの交響曲全曲に、
様々なヴァリアントや変容として浸透している。
ベートーヴェンの極めて単純なメロディは、
中音からドミナントで上がって、
トニックで下がる全音階のスケールに
従っただけの動機群を形成している。
(最初のスタンザ、
『Freude,schooner Gotterfunken・・
Himmlishe, dein Heiligtum!』)
同様の動機は、シューベルトの交響曲にも
見られるものである。
導入部のホルンのテーマでさえ、
ベートーヴェンの中間部分
(『Deine Zauber』という部分)に同様にみられる、
上がって下がる音形を含んでおり、
シューベルトの導入部の最後は、
主要主題と、トニックCへの中間音に
調整するために、再度、変容がある。
また、『喜びへの頌歌』の最初のラインは、
木管とホルンに聞くことが出来る。」

これは、歌詞で書いてあって、非常に分かりやすいが、
昔、日本で唱歌風に歌われた時のメロディそのままである。
「晴れたる青空 ただよう雲よ
小鳥は歌えり林に森に
こころはほがらか
よろこびみちて
見かわすわれらの明るき笑顔」
の「こころはほがらか」の部分、
実際の歌詞では、
「その魔法は結び合わせる、
断ち切ったものを」という意味の部分。

たまたまであろうが、
このシューベルトの作品も、
非常に「ほがらか」で、
「魔法」に満ちた作品に感じられる。

「第1楽章の開始部
(力強いリズミックな信号のような主題で、
巨大で、前進するエネルギーを生み出すもので、
ベートーヴェンの第7交響曲の最初の楽章と終楽章の、
リズミックな動機と同様、この楽章全体を支配する。)
の後も、『喜びへの頌歌』のテーマ、
または、その一部は、フレーズの後や、
遷移する際のテーマ処理に展開が続く。
シューベルトの終楽章の同様の箇所もまた、
この楽章の主題のアフター・フレーズや、
副主題を元にしており、
これもまた、4つの同様の音符からなる。
このように、まず、これは、
『自身の引用』とも呼べるもので、
ベートーヴェンは二義的なものなのである。」

ここまで、ベートーヴェンの影響を語りながら、
ベートーヴェンは二義的と言い切るのも、
かなり無理やりなロジックであるが、
とにかく、「ほがらか」主題が、
全編に溢れるのは、その構成のため、
と言いたいのであろう。

「このポイントを再度強調しておこう。
シューベルトはベートーヴェンの
『喜びよ、神の火花よ』を、
現代的な意味で引用したり、
組み込んだわけではない。
彼は、これを完全に自分のものにして、
主題の音楽的重要成分として適用した。
そこから彼が展開させたものは、
典型的なシューベルト的主題材料で、
それが、『喜びの頌歌』に似たものを産んだのである。
同様にベートーヴェンの遺産に属するものに、
4度の跳躍を伴う、付点リズムがある
第1楽章のメイン主題や、
終楽章のシグナル3度を伴う
柔らかいアフター・フレーズ(後楽節)、
分散三和音などがある。」

「歓喜主題」に似ているのは、
ベートーヴェンの引用ではなく、
確かにベートーヴェンの遺産であるが、
そこから発展したものであるという論法のようだ。
が、こんな事は、どうでも良い。

冒頭の高らかなホルンからして、
(幽玄なホルンではない)
「心はほがらか」な感じである。
その精神をシューベルトが、
しっかり受け取った事が分かれば良い。

どーんとこの序奏主題が繰り返される迫力も、
入魂の演奏となっている。

序奏の後半で、木管が歌いかわす部分も、
緊張感が高く、手に汗握る推進力である。

「それにしても、シューベルトは、
彼の唯一の完成された『大交響曲』に対し、
ベートーヴェンの『喜びへの頌歌』主題を、
そのスターティング・ポイントのように
選んだのだろうか。
その説明は、『時事性』というのは難しく、
シューベルトがその交響曲を
1825年から26年に作曲しているのに対し、
『第9』は1824年5月に初演されている。
しかも、シューベルトのような、
天才的なメロディストには、
主題を借りる必要などなかった。
モデルを引用することで、
自身の交響曲のデザインを、
より、確実なものにしたかった、
という考えは、
十分に自己不信の状態であったとしても、
同様に排除されるべきであろう。
彼が書き散らした交響曲の断片からしても、
そんな事はしないだけの自信を持っていた。」

かなり回りくどい文章で、
シューベルトは、真似をしたのではない、
ちょうど、彼の心情にマッチしたのだ、
と言っている。
それは、以下に述べられる。

「シューベルトの人生における、
その時の状況の中に、
その理由が見つけられる。
作曲家が絶望で、ひどく同様した様子を伝える、
1824年3月31日の、
クーペルウィーザー宛ての、
すでに紹介した手紙が、
特に、このことと関係している。
シューベルトは、感染した梅毒で、
長く生きられないことに気づいていた。
『一言でいえば、僕は、
健康が2度と回復することのない、
もっとも不運な、もっとも惨めな人間だと思える。』
このような状況下で、
シューベルトはベートーヴェンの『第9』を聴き、
『全人類は兄弟となる』という、
ヒューマニスティックな呼びかけと、
完全に聴覚を失っているばかりか、
慢性疾患に苦しみ始めていた作曲家の呼びかけを聴いた。
彼は、無気力状態から叩き起こされた。
芸術的にも、ヒューマニズムの理解という意味でも、
シューベルトは、
メッテルニヒの反動政治に反対し、
1848年の3月革命を先導するようになる、
フォアメルツ期の『ユンゲ・ドイッチュラント』
として知られるようになる文学運動を形成する、
作家たちに親近感を覚えていた。
シューベルトは、事実、彼の親友、
ヨーハン・ゼンがメッテルニヒの秘密警察によって、
捉えられる現場に居合わせた。」

このあたり、シューベルトの生涯のいろいろな事件が、
錯綜して書き込まれているが、
一番、気になるのは、
本当に、シューベルトは、『第9』を聴くまで、
Apathy(無気力)であったかどうかである。

1824年と言えば、シューベルト気違いなら、
すぐに、カロリーネとの年、ツェリス(ゼレチェ)の夏を、
思い浮かべなければならぬ。
5月と言えば、その月の末からかの地に出かけている。
この前に、イ短調、ニ長調の四重奏曲が書かれ、
八重奏曲が書かれていることを思うと、
くじけそうになりながらも、彼は無気力ではなかった、
と考えるべきであろう。
全く、「無関心」と訳されるような状態ではない。

が、これらの記載は、下記のような、
燃えるような賛美のための跳躍台となっている。

「ベートーヴェンの『第9』は、
シューベルトにとって、
一種のショック療法となった。
それは途方もない創造力の高揚を彼にもたらし、
長い間大切にしてきた、
交響曲のプランを最終的に結実させた。
そして、彼は、いくつかの事項で、
『ベートーヴェンの後で何か重要な事をする』
ための道を発見もした。
ベートーヴェンは、『合唱の部』を用いて、
自らの交響曲のコンセプトを越えて見せたが、
シューベルトはそれには倣わなかった。
事実、彼が他の多くの作品で、
(再び、イ短調四重奏曲が好例だが)
意味があるものであるのにかかわらず、
歌の部分なしに着想ができた。
そこから、何か新しいものを作り出した。
その初演における『第9』の熱狂的聴衆の反応と同様、
その後になって分かることだが、
ベートーヴェンの人間主義と、
兄弟愛の呼びかけは、時代の扉を叩き、
『喜びへの頌歌』のメロディは、
その意味を、時代を越えて満たした。
このように、シューベルト自身の
『想像上の合唱交響曲』は、
音楽的にも、政治的にも、
このようなベートーヴェンの精神を運びつつ、
シューベルトがピアノ曲や室内楽で開拓した、
独自の領域に収めた。
今や、彼は、これらをベートーヴェンの遺産と結びつけ、
驚くべき近代性を持った
革新的な交響曲のコンセプトを作り上げた。
ここではもはや、
ベートーヴェンの芸術にあった、
二元論的ドラマが支配するのではなく、
ひろいレンジで変容し、楽器の色彩を生かし、
くり返され、歌いつくされ、
動機の旋回が終わることなく止まるように見える、
ようなものが置き換わった。
これは後に、シューマンが、
1839年のこの交響曲に対する情熱的な記述において、
その『天国的な広がり』をジャン・パウルの小説と比較したのも、
正当化できるもので、
これは叙事詩的な作品という、
新しい交響曲の美学の嚆矢となった。」

という風に、「第9」で撒かれた種は、
どえらい大木に育ってしまった、
という感じである。

「音楽の発展と、社会的な緊張を考えると、
我々にとって、
シューベルトの音楽の何が新しく、
何が有意義でかを感じ、
そして、その意識下のメッセージを掴むには、
ある種の歴史的距離感が、
おそらく、必要なのであろう。
1839年3月21日の
ライプツィッヒ・ゲヴァントハウスにおける、
フェリックス・メンデルスゾーンの演奏の時、
シューマンの報告にあるとおり、
この作品は熱狂的に賞賛された。
『この交響曲はベートーヴェン以来、
私たちにかつてない効果をもたらした。』
しかし、最近、この作品の真の初演は、
10年前に行われていたことが証明された。
1829年3月12日、ヴィーンにおける
『コンサーツ・スピリチュエルス』
の演奏会においてである。
このイベントは、新聞には何の反応も起こさなかった。」

こんな事があったとは、まったく知らなかったが、
フェルディナント・シューベルトは、
シューマンに、そう告げなかったのだろうか。

シューマンもジャーナリストであるから、
成功しなかったと思われる演奏などは、
知っていても、なかった事にしたかもしれない。

また、これは、革命期まで活躍した、
フランスの音楽集団、
コンセール・スピリチュエルとは関係ないのだろうか。

「シューベルトは、ハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンが用いた、
古典的な交響曲形式を固く守っている。
第1楽章には、ゆっくりとした序奏があり、
提示部は3つの主題を持ち、
大規模な展開部に再現部、
序奏の主題が回帰する、
加速するテンポによる、
拡大されたコーダが付く。」

この演奏を聴いていると、
素晴らしい推進力とリズム感によって、
目まぐるしく、目の前の光景が変わっていき、
様々な楽器が、解像度良好で彩りを添え、
さすが、ライブの熱気を感じずにはいられない。

ノリントンだけでなく、聴衆の顔を見ている、
楽団員の方もまた、何だか、はち切れそうな思いで、
この曲の流れに身を委ねている感じがする。

が、反対に、これが、いくぶん一本調子にも聞こえ、
力任せの感じがしなくもない。
この演奏では、
第1楽章が最も長く14分2秒かけているが、
後半になると、少し、そんな感じがしてきた。

「モデラートのテンポによる
『緩徐楽章』は、二重二部形式(A-B-A’-B’)
(拡大された三部形式と書く人もいる)で、
メランコリックな雰囲気は、
まるで断崖に出くわしたかのような、
3度のフォルテを伴う
ドラマティックなクライマックスに高まる。
突然の全休止の後、最後のセクションに移る。」

第2楽章のクライマックスは、
これまで、最後の審判のように思った事はあるが、
「断崖」だと感じた事はなかった。

この楽章の演奏もまた、
さく裂系で、ノリントンも楽団も、
熱に浮かされたような夢遊病状態で、
前半に突入するので、どうなるかと思った。

が、上記Bの部分では、
少し、心を落ち着かせて、
有名なホルンの呼び声のところなど、
神秘的な感じを何とか出している。

上記A’の部分は、再び、ティンパニの強打など、
乱暴な表現で、猪突猛進傾向のまま、
「断崖」のクライマックスに突入する。

猪突猛進ならどっかでぶつかるしかない、
という感じで、あまり、白日夢を見た時のような、
ぞっとするような恐怖感はない。

むしろ、この後、何故、
このような晴れやかさが戻るのか、
それがかえって不自然に感じられなくもない設計である。

この第2楽章、このような突進&激突系解釈が、
正しいかどうかは、これまでのノリントンの解説にもなかった。
彼は、ただ、後期ロマン派のような遅い表現は、
この時期の作品として不自然である、とは書いていた。

「性格的な第3楽章スケルツォは、
騒々しいレントラー。」

この楽章は、この解説では、
マーラーの先駆、
みたいな解釈が開陳されていたが、
普通の演奏なら、
さすがにマーラーのグロテスクさはない。

が、この演奏では、楽器編成のあっさりした所と、
様々な楽器が絡まり合う所と、
楽器が強奏されて、ぐしゃっとなる所の落差が大きくて、
テンポが速いこともあって、それを意識してしまうと、
異様な光景が繰り広げられているように見えてくる。

この演奏全体を特徴付ける、
熱に浮かされたような、
あるいは、脅迫観念に追われるような、
前進する力が、
たっぷりとした音楽だと思っていたトリオも、
急き立てるように進めて行く。

まるで、怒涛が押し寄せるような、
金管の破裂音も印象的である。
やりたい放題やっているのを聴くのは、
何となく楽しい。

「最後の楽章は、再びソナタ形式。
すでに述べたように、
第1楽章の動機の木霊が、
作品を締めくくる。」

無限とも思える繰り返しを要求されるヴァイオリン群も、
何となく、高揚感を持って、リズムに乗って、
血液がどくどく流れている感じがして良い。

これまた、突進・激突系で、ばーんと砕け散って、
次の音楽が再開する感じである。
旧盤のような、聴きなれない音形を介しての、
繰り返しはない。

それでも、火照りきった音楽が、
異常な高揚感を持ったまま、
ずっと続いて行くのは、
不気味な光景でもあり、
すごいことだとも思うが、
実演のその場に居合わせたわけではなく、
ちょっと引いてしまうかもしれない。

と言う風に、ノリントンのCDを聴いたが、
私は、この指揮者は、
もっとしなやかでスマートな演奏をする人だ、
と考えていただけに、少し戸惑っている。
演奏後、すぐにブラボーが出て、
聴衆の拍手も熱いのだが。

解説は、以下のように、
この曲の歴史的な立ち位置を紹介する、
最後のページに移っていく。

「しかし、この交響曲の次元は、
シューベルトの室内楽やピアノ曲で、
すでに見られた傾向であるが、
あくまで桁外れである。
音楽の流れは、
短いドラマのシーンからではなく、
叙事詩のプロポーションの、
幅の広い情景の挿画によって引き起こされ、
時として、意識下の、時として精力的な運動が、
拡大された形式各部を構成する。
これは、のちに、ブルックナーによって使われる、
交響曲の手法の基本であり、
その作品は、シューベルトのハ長調交響曲なしに、
想像することが難しい。」

私も同感であるが、
昔、ブルックナーが好きな友人に、
これを言って、
「最近、グレートを聴いてみましたが、
どこが似てるんですか」
と言われた事を思い出した。

ブルックナーとマーラーはまるで違う、
と言うのが、最近支配的な論調であるが、
以下のように、
どっちもシューベルトの子孫だという記述もある。

「同様の事はマーラーにも言え、
アドルノの言う『叙事詩的作曲』は、
シューベルト由来のものである。
そして、シューベルトに典型的な、
レントラー風の音楽は、
マーラーの後期にも見られ、
マーラーの『第9』の第2楽章がそうなっている。」

さらに、下記の作曲家は、
ちと違う、というのも面白い。
シューマンは、この曲を聴いて第1を書き、
ブラームスの第2は、この曲の子孫だと言われていた。

「こうした特徴は、ベートーヴェン以降の、
直系の交響曲にはなく、
メンデルスゾーン、シューマン、
ブラームスにも、これは見られない。」

という感じで、
締めくくりは、当然、
このようになるであろう、
という雄大な視点による総括である。

「このようにシューベルトは、
そのハ長調『大』交響曲で、
ずっと未来を見通していた。
しかし、シューベルトがすぐに、
ベートーヴェンの『喜びへの頌歌』の主題に
付け加えたメッセージは、
あたかも歴史の特使が伝えたもののようだ。
それは、ヒューマニズムを覚醒し、
抑圧からの解放、人類の兄弟愛に関するメッセージであった。
このように見て来たとおり、
シューベルトのハ長調交響曲は、自由の賛歌であり、
ベートーヴェンの『第9』の価値ある後継者なのである。」

得られた事:「シューベルトは、長らく『次世代交響曲』のコンセプトを模索していたが、ベートーヴェンの『第9』から、それとは違うビジョンを見出した。」
「解説も演奏も熱に浮かされた1枚。」
[PR]
by franz310 | 2013-09-15 15:05 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その388

b0083728_2227308.jpg個人的経験:
前回、ノリントン指揮による
ヴォーン=ウィリアムズの
「交響曲第4番、第6番」を
さらっと聴いてみたが、
常に話題を振りまいて来た
この指揮者がシューベルトを、
どのように捉えているかを、
ちょっと再確認してみたくなった。
変わった演奏である事は知っている。
うまい具合に、1988年に
EMIに録音した「大ハ長調」には、
彼自身が書いた解説が載っていた。


オリジナル楽器での演奏を集めた、
REFLEXEシリーズのもので、
アルプスの高峰をあしらった、
Tim Gravestockによるイラストも、
志高く、秀麗なれど、孤独という感じが、
それらしくて好感が持てる。

彼自身が創設した、
ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによる演奏で、
Abbey Roadスタジオでの録音。

彼が書いた解説の題名にも、ずばっと、
「Schubert:Symphony No.9
in C major,“Great”」
とあって、
ノリントンのこの曲に対する敬愛が、
何となく読み取れたような気もした。

シューベルト没後150年の1978年、
ドイチュ番号カタログ全面改訂版以来、
この曲は8番とする流れがあるが、
あえて、「9番」としているし、
「Great」と言い切っているのも、
ちょっとうれしい。

しかも、冒頭から、
「シューベルトの大ハ長調交響曲は、
初期ロマン派における一つの勝利である。」
と断言していたりして、
うれしい限りである。

そして、以下のように、古典の伝統に則した
解釈の重要性が語られていく。

「全体として、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの
古典的交響曲群の後継者としての価値を持ちながら、
この曲は極めて個性的である。
田園交響曲の伝統による喜びの賛歌であり、
盛期、後期ロマン派を通して聴かれる、
ロマンティックな新しい和声が鳴り響いている。
この作品は、私たちも彼自身も、
シューベルトの成熟した交響曲群や、
もっと普通に、彼が長生きしていたら、
疑うことなく登場したであろう
オペラ群の最初の傑作である、
とみなすべきものであった。
歌曲とピアノ曲の輝かしい時代、
セミ・プライヴェートな演奏会用の
室内楽や小規模の交響曲群の時代を経て、
ヴィーン近郊を越えて彼の名前を轟かすような、
大規模な公的発言としての
『大交響曲群』の時代が到来した。
これは、しばしば誤解されてきたような、
別れの音楽では決してなく、
むしろ若々しく新鮮で、
集中して前を見た作品なのだ。」

過去の巨匠たちの流れの中から、
この新世代のホープが放った快挙として、
ノリントンは最大級の賛辞を送っている。

「ベートーヴェンの生涯の幕が
引かれようとしている時に、
シューベルトは、自身の傑作に、
最後の筆を入れ、楽友協会に提出した。
ベートーヴェンの影を引きずった、
舌足らずの作品ではなく、
この交響曲は異常なほどの自信を見せる。」

確かにそうだ。
そして、ノリントンは、
楽聖との関係をかなり意識した解説にしている。

「成熟した新しい雰囲気は、
すでに『未完成交響曲』に鳴り響いていた。
しかし、もはやためらいはなく、
完全なる達成があった。
多くのベートーヴェンの後期作品、
特に『第9』は、
シューベルトを含む
その追随者を驚嘆させた。
『ハ長調交響曲』をもって、
シューベルトは、異なる道を指し示したようだ。
音楽は、新しい事を言うために、
ほとんど不格好になるまでに、
凶暴である必要はない。
古くからの古典形式は尊重可能で、
たとえば、展開部では、
言うまでもなく、物語を語ることが可能だ。
ベートーヴェンが古典形式を、
ドラマに向けて変えたのと同様に、
シューベルトは抒情に適合させた。
シューベルトのベートーヴェンへの尊敬は、
新しい交響曲のモデルを確立するという意思と共に、
このハ長調交響曲の中で、様々な強調となった。
彼は非常に個性的な管弦楽法を駆使した。
ベートーヴェンより木管を唱和させ、
ベートーヴェンがキーとなる瞬間にしか使わなかった
トロンボーンを活気ある部分のあちこちで利用した。
彼は長大な作品とし、
多くの古典音楽に舞踏の要素を強調し、
新しい穏やかな(ゲミュートリヒな)ものとした。」

という風に、あくまで古典派の風土から、
少し、シューベルトの風味を加えるだけで、
まったく新しい響きを作り出したのだ、
というストーリーである。

そして、以下には、ベートーヴェンの「第9」と、
「グレート」が、いかに、緊密に関係しているか、
そして、ベートーヴェンの多くの交響曲が、
どのようにシューベルトの中で咀嚼されたかが、
いかにこの二人の関係が、
切っても切れないものであるかが、
書き連ねられている。

「さらに、彼は、ベートーヴェンの『第9』の
喜びのテーマの、まごうことなき引用を、
終楽章の展開部でしている。
ベートーヴェンの『第4』、『第6』、『第7』交響曲への
愛情を明らかにしながら、
それでいて、優雅にしかし、しっかりと、
新しい世代が新しい形式を創造することを見せつける。
それにもかかわらず、『大ハ長調』の支配的な主題は、
『喜ぶこと』にあるように思える。」

そして、シューベルト自身の体験、
ガスタインへの旅がまた、
ここでは、これまた、強調されているのである。

「『喜び』、そして、『旅すること』。
Mosco Carnerは、
その興味深い研究の中で、
この交響曲の多くのリズムが、
同時期の『さすらい』をテーマにした歌曲と、
似ていることを示した。
明らかにこの交響曲は、
1825年5月のガスタイン山地の徒歩旅行において、
着想されたものと考えられる。
いたるところで聴かれる強強格のリズムは、
ホルンによる最初の小節から根幹をなし、
強く、人間の足取りを想起させる。」

このように、冒頭の楽想が、
2分の2拍子である必要が、
早くも予言されているのである。

以下、この交響曲が、いかに解釈されてきたかが、
書かれているが、
確かに、ベルリオーズやシューマンが、
思いつきそうなストーリーである。
「イタリアのハロルド」や、「マンフレッド交響曲」
みたいな音楽として捉えられていた、
ということであろう。

「1828年からあると思われる
典型的な文学的解釈のように、
この交響曲はよく知られている。
『若者は友人と共に、
熱狂をもって人生の巡礼に出る。
彼は悪路を取るが、彼自身の小径に戻ってくる。
第2楽章では悲劇も起こるが、
彼は先を急ぐ。
こうした危険に向かい合いつつも、
歌と踊りに憩いを見つける(第3楽章)。
そして、自然と人間性を肯定しつつ、
知恵と喜びをもって旅を終える。』
この交響曲が、彼の総括で、
1828年の『冬の旅』の、
喜ばしい対比であるとすれば、
彼の人生の旅は第2楽章を越えることが出来なかった。」

ノリントンは、ここで、第2楽章は、
確かに死の音楽だと認めているような記述を続ける。

「この楽章に最も似たリズムの歌曲は、
『冬の旅』の『道しるべ』である。
その言葉には、こうある。
『誰もそこから帰ったことのない旅に、
私は出なければならぬ』。
1828年の終わりを前に、
シューベルトは死んだ。」

このあたりのセンテンスはぞっとさせる内容である。

「彼がかくも希望を持ってムジークフェラインに提出した、
この交響曲はおそらく試演もされなかったか、
あるいは、一部が演奏だけであっただろう。
シューベルトが兄のフェルディナンドのところに、
積んでおいた楽譜の中から、
10年後にシューマンが出くわすまで、
これはほとんどまったく知られないままであった。」

このあたりは有名な逸話だが、
以下の部分は、シューベルト以降の世代に、
この大作が、どんな効果を与えたかを、
具体的に書いてあって、何だか、
わくわくしてしまった。

「同様に多作な歌曲作曲家であったシューマンにとって、
『楽器が驚くほど聡明な人間の声のように歌う』、
そして、シューマンやブラームスの交響曲に、
決定的な影響を与えた、新しい抒情様式として、
それは驚くべき啓示であった。
しかし、彼が友人メンデルスゾーンに、
ライプツィッヒでの演奏を急がせたのにもかかわらず、
それは極めてカットが多く、
しばらくは、たまにしか演奏されなかった。
そのため、初期ロマン派の高みで書かれた音楽は、
ブラームスやワーグナーの時代になって、
ようやく知られるようになったのである。」

このあたりは、「未完成交響曲」の場合にも、
言われることであるが、
ベートーヴェンの実例を引かれると、
妙に納得してしまう。

「ベートーヴェンの交響曲の演奏の伝統が、
1827年以来、非常にゆっくりと、
しかし、絶え間ない変化を体験したのに対し、
シューベルトの『大ハ長調』は、事実、
彼が敬愛していたことで知られる
古典的な簡潔さで演奏された事は一度もなかった。」

さて、このような前提に立って、
このCDは録音されたのである。
以下のように、いかに、伝統的な解釈を、
彼らが苦労して乗り越えたかが書かれている。

「それゆえ、この曲へのアプローチに当たって、
ロンドン・クラシカル・プレーヤーズと私は、
非常に特殊で変わった機会を持った。
ほとんど、その歴史上初めて、
古典的霊感にもとづく経験を確かめた。
この曲のロマンティックな要素は、
爛熟し、年を経て黒ずんだものではなく、
新しく新鮮で実験的なものである。
ここに、ヴィーン派の巨匠たちの、
極めて若い後継者の手による、
偉大な交響的マスターピースが現れたが、
これは、さらなる広い見地での
再評価が求められるように思える
我々は、その演奏上の可能性を、
細部にわたって未検証のまま残さないよう試みた。」

まことに、実験的とも言える作業である。
まず、楽器について書かれている。
そして奏法、楽団のサイズ、調律も。

「楽器は当然、ベートーヴェンの交響曲同様で、
今やおなじみの過渡期の弦楽器、
古典派の木管楽器、ナチュラル・ホルン、
ナチュラル・トランペット、トロンボーン、
木のばちで叩く、小型の革張りティンパニが、
我々の使った楽器である。
当時のアーティキュレーションに沿った、
いつもの木管利用、
シュポアのヴァイオリン教則(1830)にある、
古典的ボウイングで、
今日より弦の上に置かれており、
ヴィヴラートは表現を高める時にのみ用いられた。
オーケストラのサイズは、
劇場サイズとヴィーンの大チャリティ・コンサートで、
沢山集まる場合の中間のものとして、
A=430の調律とした。」

さらにオーケストラの配置。

「実際の古典派のレパートリー同様、
ホルンとトランペットの応答頌歌風の対比を際立たせ、
同様に第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンもそうした。
シューベルトの素晴らしく創造的な、
3本のトロンボーンの導入だけは、
基本的に古典派の色彩のオーケストラに、
新奇な色彩を通して加えている。」

それから、自筆譜と出版譜の関係の見直し。

「出版用にシューベルトは楽譜の校正をしなかったので、
沢山の矛盾が認められる。
しかし、全体として、その詳細な意図は、
驚くほど明確である。
したがって、ブラームス、その他によって加えられ、
シューベルトが1826年か7年には修正していないはずの
最近分かった変更は採用していない。」

ここまで細かい配慮を行えば、
楽興とは別次元の話にならないか心配なほどだ。

「スコアにあることを正確に演奏することは、
一方で、我々音楽家の皆にとっても、
全く異なる伝統を作ることになり、
非常に困難なことであった。
たとえば、交響曲の開始を告げる
Alla Breve(アラ・ブレーヴェ)
(1小節での2ビート)記号は、
初期の印刷譜では無視されている。
しかし、修復された今でも、
演奏者にとって、それは、あたかも、
『魔笛』や『ドン・ジョヴァンニ』のようなもので、
最初からスイングする
2拍子で演奏するのをためらうことを
乗り越える事は大変なことである。」

このように詳しく書いてあるように、
このCDをかけて、いきなり驚くのは、
このすいすい行く序奏である。

二分の二拍子をCに縦棒、
四分の四拍子Cと書く表記があるそうなので、
その読み間違えで起こるということか。

たーたた、たーたたー
ではなく、たー、たった、たー、たったーと、
さくさく演奏されて、まるで威厳がない。

どーんと強奏される所では、
威厳も出るが、
そそくさと先を急いでいる感じで、
これから、壮大なドラマが始まる感じではなく、
ヴィーンからガスタインに、
速足で夜逃げするようでもある。

第1楽章は、この速いテンポで、
どんどん山越え谷越え行ってしまう。
非常に慌ただしいので、
各主題が、車窓を過ぎ去る景色のようである。
この曲特有のリズムの刻みが、
しゅっぽっぽしゅっぽっぽと、
徒歩旅行ではなく、
当時はまだない汽車での旅みたいだ。

ノリントンは、徒歩のテンポだと強調している割に、
必ずしも歩くスピードには拘っておらず、
第2主題では、低音がごわごわと魔の手を差し伸べ、
そんな中を、どんどん逃げて行くような音楽となった。

時折、輝かしいファンファーレが鳴り響くのも、
あまり壮麗ではなく、悪魔の高笑いのように聞こえる。
「幻想交響曲」の録音でデビューした人だけのことはある。
今まで、そんな風に考えたことはなかったが、
今回、聞き直すとそう聞こえた。

以下、楽曲解説もだんだん難しくなる。

「同様に忘れられている古典的伝統は、
ポルタートで、付点やスラーで示される
非常にスムーズなフレージングである。
今日、不幸なことに、
ボウイングの便利さと混乱されて、
非常に離されて弾かれている。
しかし、シューベルトは、
この手法がいかに重要かを、
アンダンテ楽章の最後で、
我々に教えてくれている。
ベートーヴェンの『第7』のように、
スムーズな部分とスタッカートを、
彼は、ここに聴かれるように、
楽しげに交錯させている。
ポルタートが、
分かりにくい古典的なコードの一つで、
付点とウェッジの大きな違いは、
これまで違いが分かりにくかった。
しかし、多くの演奏では、
シューベルトが愛しげにスコアに書き込んだ
それらをほとんど、あるいはまったく無視している。」

神経質なまでにアクセントと軽い音を描き分け、
この楽章もまた、荘重な悲劇の色彩は薄まり、
戯画的とも言える活劇調になった。

美しい木管の中間部が立ち上がる部分は、
それがゆえにコントラストが効いているものの、
いくぶん、とって付けたような設計である。
有名なホルンの呼び声も、
当然、普通に通り過ぎる。

わざわざ、「冬の旅」の1曲を参考に出した割には、
そうしたセンチメンタルな要素はなく、
立ち上がりの良い金管が鳴り響き、
これまた、さくさくとクライマックスが築かれる。

が、その後のふっきれたような、
爽やかな足取りは、非常に美しく、
若い巨匠の前途を祝うように、
全ての楽器が寄り添っている。

そして、最後の部分になるが、
ノリントンが書いたような、
スタッカートとなだらかな音の交錯。
確かにベートーヴェンにそっくりに聞こえる。

「この演奏は、
作曲家が、おそらく、
自身の歌曲作曲から引き出した手法で、
いかにこの作品が、
フレージングされたかったかを、
まったく個性的で細部まで詰め、
いかに彼が、大きな形式の作品で、
新しい情熱の発露の確立を、
模索していたかを示すものである。
私たちはこれらの情報すべてを、
そこにないものとして無視できるだろうか。
この交響曲の、
ゆっくりとした、滑らかな荘厳な、
『後期ロマン派』の解釈においては、
これらのアクセントは邪魔なものである。
しかし、こうしたゆっくりした荘厳さを、
このようなテンポの書き込みから
考えるのは困難である。」

ということで、とにかく、
この演奏は、まず、後期ロマン派的である部分は、
なるべく、そのように演奏しないようにしたいのだ。

「1820年代においては、
アンダンテはまだ、それほどゆっくりではなく、
アンダンテ・コン・モートは、
もっとそんな事はなかった。
この交響曲の開始部は、
これらのすべてを予言している。
私たちは、
ここにどんどん進むアンダンテや、
4/4拍子ではなく
2/2拍子のアラ・ブレーヴェで、
沢山のアクセントがついていること、
そして、全編にわたって特徴的に行進するような、
楽しげな曲想を見つける。」

ということで、ノリントンの言う、
後期ロマン派的でなく、古典的であるということは、
この豊かなアクセントによって、
まるで、モーツァルトの「39番」のような、
晴朗さを勝ち得ようとしてるみたいだ。

しかし、このような細部に、
眼を光らせすぎたのか、
躍動感はあるが、神経質で、
オーケストラは完全に音楽に、
乗り切れてはいないように感じる瞬間が多々ある。
しかし、新しい試みの中、
それはそれで、仕方がないのだろう。

「事実、このテンポの工夫は、
それほど遅くない序奏は、
ほとんど気づかれないほどに、
それほど速くないアレグロに滑り込み、
さらに効果を増し、独自のものとなる。
ちょっとでも、
(これまで、それはあまり当てにならない、
とされてきたのは別として、)
メトロノームのマークを残さなかったのは、
恐らく、シューベルトにとって残念なことだった。
しかし、彼の意図は、
後に十分明らかなものとなる。
この楽章のまさに終わる時に
音楽はさらに早まり、
詩的なオープニングのホルンは、
作品のこれまでのゴールのように、
今や全オーケストラに変容して響き渡る。
これは、オープニングのテンポと、
同じように聞こえるべきなのは明らかであって、
このことからも、この楽章の二つの部分は、
似たようなテンポであるべきことが分かる。
シューベルトは、指定もしていないのに、
演奏者が速度を変えたら怒るに相違ない。」

が、シューベルトの時代から、
フォーグルのような歌手は、
歌い崩していたようで、
シューベルトは怒りながらも、
それに付き合っていた。

また、第1楽章の終わりで、
ホルンが冒頭主題を吹き鳴らす効果は、
しかし、別に、ノリントン風解釈でなくとも、
これまでの演奏からも十分感じられるもので、
ノリントンテンポでしか得られない効果ではないだろう。

「同様に古典派のバックグラウンドの性格からして、
(シューベルトはモーツァルトの音楽を賛美していた)
上述のように緩徐楽章はよりコンパクトで、
しかも、繰り返しが求められたことは疑う余地がない。
散々なカットが施された、
初演から150年を経た今日ですら、
完全に演奏されるのは稀なのである。」

このように、繰り返しの重要さが力説されているが、
確かに多くの演奏では、もっとも短いはずの、
第3楽章のスケルツォが、この演奏では、
全曲の中で最も長くなっている。

ちなみに、このCDのトラック表記からすると、
1.14分23秒
2.12分44秒
3.15分38秒
4.15分34秒

となっている。
かつて、吉田秀和のような評論家が辟易した、
第4楽章よりも長いのである。
私が、聴きながら育ったサヴァリッシュ盤は、
14分22秒、16分50秒、12分13秒、12分39秒
となっていて、ノリントンの主張と、
まったく反対であることが分かる。

長い順に並べると、
サヴァリッシュ:2→1→4→3
ノリントン  :3→4→1→2
と言う風に、ここまできれいに反転するかと思うほどだ。

第3楽章は、船旅のような、
トリオ部のリズムが美しい楽章だが、
これまで聞いていた演奏をすべて、
カリカチュア化したかのように、
どんぶらこ、どんぶらこという感じ。

この勢いの良さがあるので、
音楽はどんどん進んで飽きることはない。
ノリントンはノリントンで、
楽器のさく裂や、リズムの強調で、
切り口を変えて音楽に向き合い、
この長大な部分を息づかせているのである。

「また、ここで録音されたように、
スケルツォが全て、トリオの反復の後に、
くり返されることが、これまで可能だっただろうか。
こうした繰り返しは、決して理論的なものではない。」

第3楽章の最後は、「これでどうだ」とばかりの、
音楽を投げつけるような表現にしているのが面白い。

ようやく第4楽章に来た。
これも、極めてはつらつとした音楽で、
第1楽章の起伏に富んだ楽想を、
こわごわ表現していたようなオーケストラも、
この繰り返しの多い後半では、
かなり、音楽に乗ることが出来たようだ。

「終楽章でも、シューベルトの中で、
聴いたことがないような何小節かを、
聴くことが出来るだろう。」

とあるが、分かりやすいのは、
ソナタ形式の提示部繰り返しのような部分で、
激烈なエネルギー・チャージの経過句が現れるところか。

「しかし、もっと重要なのは、
それが、この全作品を形作る効果を持つことだ。
古典的な素地と、
初々しい明快なロマンティシズムの
創造的な緊張感は、
若いシューベルトからの、
魂の神々しいほとばしりより、
感動的な壮大さを強調しすぎることはない。」

「魂のほとばしり」とあるが、
実に、この第4楽章みたいな音楽が、
この曲以前にありえただろうか、
などと考えてしまう演奏でもある。

ノリントンが思い描いているのは、
同じく、リズムで押し通す、
ベートーヴェンの「第7」であろうが、
もっと、ふっくらとして、微笑みにあふれたものである。

ノリントンは、ここにベートーヴェンの「第9」と、
ほとんど同じ調子を聴くようだが、
私には、そこまで似ているとは思えない。
シューベルトの色彩の魔法は、
ずっと、微妙な感情にまで入り込んでいるように思える。

さて、ノリントンの書いた解説は、
以下のように締めくくられている。

「ここでの我々の努力は、
その形、速さ、しぐさ、それらを築き上げる音を、
捉え直そうという試みであった。」

聴き終わっての感想は、悪いものではない。
様々な解釈で、様々な様相の演奏で、
多角的な楽しみ方が出来ることは、
非常にありがたい事である。

得られた事:「ノリントンにとって、シューベルトの『大ハ長調』は、ベートーヴェンの『第4』、『第7』、『第9』を合体させた、スーパー『古典』交響曲なのである。」
[PR]
by franz310 | 2013-08-31 22:28 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その362

b0083728_21172593.jpg個人的経験:
御多分に漏れず、
私の場合も、コルボといえば、
フォーレのレクイエムで、
その後、モンテヴェルディの
「聖母マリアの夕べの祈り」等、
一連の録音でもお世話になった。
彼の方もよく来日してくれ、
私は、モーツァルトの
レクイエムの実演を
聴いたことがある。


このスイスの指揮者は録音歴が長いため、
もう、音質的に古くなってしまったものも多く、
特に、バロック音楽などでは、
新しい潮流の中に埋没してしまった感じがあるが、
ここに聞く、1978年録音のエラート盤、
シューベルトの「スターバト・マーテル」
を録音したころは、まだ40代、
この写真を見ても、
まさしく「合唱音楽の神様」であった。

何と、今回のレコード・アカデミー賞は、
このコルボ指揮の、新しいほうの録音で、
モーツァルトとフォーレの「レクイエム」が、
声楽曲部門で受賞していた。

しかし、このヴァージン・レーベルのCDは、
20年も前の録音で、ずっと前から、
輸入盤の廉価盤として市場には出回っていて、
私などは中古で入手していたので、
不思議な感じがしないでもない。
それだけ、日本のレコード業界も疲弊しているのであろう。

それらは、コルボ60代前後の録音だが、
彼ももうすぐ80歳である。

さて、シューベルトの
「スターバト・マーテル」の話に戻ろう。

この作曲家が19歳の時に書かれた若書きであるが、
解説にもあるように、大変な規模を持ったもので、
野心作かつ、知られざる逸品である。

前回、このCDに収められた、
他の2曲、「マニフィカト D486」と、
「オッフェルトリウム D963」を聴いたので、
今回は、メインの大作をよく聴こうと思う。

解説は、ハリー・ハルブライヒという人が書いている。

「1815年の4月、彼は『スターバト・マーテル』の
最初の作曲(ト短調、D175)を試みているが、
音楽的には完成しているとは言え、
彼は、ヤコポーネ・ダ・トディのラテン詩の
最初の4節しか作曲していない。
これは合唱と控えめなサイズのオーケストラのために、
通作で作曲されている。」

この、いわば、「スターバト・マーテル」第1番は、
7分弱の作品であるが、今回、ここに聞くものは、
40分を越える大作で、比較することはできない。

「彼の第2の試みは、ここに録音されたもので、
ずっと野心的なもので、
1816年の宗教曲では最大規模、
実際、彼の宗教曲ではミサを除く作品では、
1820年の未完のオラトリオ、
『ラザロ』を唯一の例外として、
最大のものである。
彼は、オリジナルのラテン語より、
さらに自由なクロプシュトックの詩を選んだ。
ヤコポーネの詩作は、とにかく、
従来の厳格な教会の伝統からは、
少し離れたもので、
常に、それは擬似典礼的なテキストと考えられ、
もっと一般的な、あるいは私的な礼拝に、
合ったものであった。
これは主観的表現に向いたものとされ、
初期ルネサンスの巨匠たちのポリフォニックな作品すら、
(ジョスカン・デ・プレの名作のように)
彼らのより厳格な典礼用のものより、
個人的な雰囲気で書かれている。
この熱烈な主観性は、
残念ながら、参考にされながら、
有名なペルゴレージの音楽的遺言の影に隠れている
アレッサンドロ・スカルラッティの素晴らしい作品など、
ナポリ楽派のコンチェルタンテな作品によって、
クライマックスに至った。
1767年、ヨーゼフ・ハイドンは、
ペルゴレージの危機的主観性に、
彼自身のモニュメンタルな交響的着想を統合し、
巨大な作品を作曲した。」

このように書かれているので、
私は、ヴィヴァルディのものが含まれていないことに、
不満を感じた次第である。

が、この解説、もっと根本的な問題があるようだ。

というのは、私は、白水社から出ている、
アインシュタインの「シューベルト、音楽的肖像」
を読んでいて、こんな記載を発見したからである。

ここでは、「スターバト・マーテル」は、
「聖母立チ給エリ」と書かれている。

「『聖母立チ給エリ』というものは、
ラテン語による作品の場合にも典礼用楽曲ではなく、
教会の小礼拝堂か個人の家での礼拝用の
『祈誓用』楽曲にすぎなかった。
こうして『聖母立チ給エリ』は
アゴスティーノ・ステファーニ、
エマヌエーレ・アストルガ、
なかんずくG・B・ペルゴレージ以来、
聖楽の他の形式が許容する以上に、
主観的な感情の流露の機会となったのである。」

完全に、アインシュタインの説を、
生煮えのまま引用したような解説だったのだ。

また、エラートのCD解説に戻ろう。
「まさしく、同じ年に、
全ドイツの詩人の大御所とも言える、
『メシアーデ』の作家、クロプシュトックが、
ヤコポーネの詩のドイツ語版を書き、
1771年に出版された。
シューベルトが唯一、作曲したのであって、
ロッシーニ、ドヴォルザーク、ヴェルディ、
プーランク、バークレイらは、
オリジナルのラテン語のものに作曲しているのだが、
それは明らかに、作曲されるのに向いていた。」

これに対して、アインシュタインは、
「すべてのドイツ詩人のうちで
最も『多情多感な』(エムプフイントザーム)詩人
『メシアーデ』の作者がこのテクストを
自分のものにしたのは、何の不思議もない。
・・・印刷されたのは一七七一年だが、
すでに一七六七年に成立した
クロプシュトックのパラフレーズは、
はじめから作曲されるように作られていて、
しばしばペルゴレージの『聖母立チ給エリ』の
演奏の説明用テキストとして印刷された。」
と書いているのである。

CD解説には、
「クロプシュトックは、
ヤコポーネの規則的な連句を、
3行から7行の不規則な長さの自由な節にした。
シューベルトは、終わり近くで省略した、
2つの4行連を除き、この分割を尊重した。」
とあるが、
アインシュタインも解説には、
「クロプシュトックはラテン原文の四行一節の形を、
三行から七行までの長さの不同な自由詩節に変えたが、
シューベルトはこの詩人の段落をだいたい守り、
ただ、終わりに近いところで、
四行の詩節二つを省略している」
と、判で押されたような記載がある。

こんな比較をしていても、
何にもならないが、1948年に出された、
アインシュタインの本からの内容を、
半世紀以上も経った今、
一所懸命に読んでいるというのもなさけない。

もっと、すごい発見はないものか。

アインシュタインが、シューベルトが、
ペルゴレージの作品を知っていただろう、
と書いていたり、
シューベルトの楽曲そのものを、
賞賛したりしているが、
これもまた、このCDの解説者は、
そのままに近い形で解説に書いている。

こうなると、本当に、この曲を、
この解説者が聴いて書いたかすら、
怪しい、などと考えてしまう。

が、ここまで読んできたので、
まあ、解説を読み続けよう。

「この作品はレント(四旬節)から、
聖週間の時期近くに書かれていること以外、
この大作が書きすすめられたきっかけは定かではない。
また、生前に演奏された記録も残されていない。
シンドラーは、このスコアの巨大さと性格から、
これをオラトリオと呼んだが、
そのとおりと言える。」

なお、アインシュタインは、この曲を、
「聖金曜日の演奏を見込んでいた」と類推している。

「スコアは、ソプラノ、テノール、バスの3人の独唱者、
混成合唱、各一対のフルート、オーボエ、バスーン、
ホルンに、バスのアリアNo.8のみで使われる、
ダブル・バスーンに、三つのトロンボーンと、
弦楽合奏を必要とする。
すべて簡潔な12の楽章からなり、
最も効果的に、合唱、アリア、
アンサンブルが現れる。
各曲は、独自の編成、拍子、調性を持つが、
ある曲(No.1-2、6-7、11-12)は、
続けて演奏される。
比較できないほど自由で、多彩だが、
ヘ短調からヘ長調の調性体系は、
ペルゴレージのものを必然的に想起させる。」

このあたりは、アインシュタインの記載から、
多少変えてあるようだ。

「この作品は、分かりやすく、
No.1-7とNo.8-12の、
二つの部分に分けられ、
それぞれが、モダンなコンチェルタンテなスタイルと、
効果的なコントラストをなす、
厳格でアルカイックな、
シューベルトの書法は定格ではないが、
フーガを持つ。
こうしたコントラストは、
あまり目立たないが、ペルゴレージの作品にも見られ、
明らかにシューベルトは、これをモデルにしている。」

このあたりは、アインシュタインよりも、
少し、突っ込んだ記載になっている。

しかし、続いて、
「19歳の作曲家が、
青春のパワーの絶頂で書いた、
これらの12の楽章から、
一つを選ぶのは困難である。」
と書いてあるのは、
アインシュタインが、
「十二曲のうちどれが特に傑出しているか、
われわれには決められない」
と書いているのと、実質同じで、
こうなると、ほとんど盗作の域に達していないだろうか。

アインシュタインは、以下の四つを候補とした。
・ト短調の二重唱曲(No.4)
・ハ短調のテノール・アリア(No.6)
・ト長調のバス・アリア(No.8)
・ホ長調の合唱曲(No.9)
そして、最後のフーガのみは、
「あまりにお義理」として、「アーメン・フーガ」は、
候補からはずすとした。

では、CD解説を読んでみよう。
「唯一の例外は、最後のアーメン・フーガで、
これはいささか、わざとらしい。
しかし、このことは、ペルゴレージの、
対応する部分にも言えることだ。
これらはすべて、霊感に満ち、
心に訴える力、魅力的な新鮮さは、
なぜ、この傑作が、これまで、
こんなにも長く忘れられていたかと、
われわれを戸惑わせる。」

アインシュタインは、この曲の魅力を、
「簡潔さ、単純さ、メロディの花の美しさ、
音響の良さの点で、まったく人の心を奪う」
(浅井真男訳)と書いたので、
少し、違う意見のようである。

そして、この解説を書いた人は、以下の部分を、
アインシュタインに倣って列挙している。

・No.5.「主イエスよ、あなたの死を見て」
二部合唱、管楽器伴奏。
(前半はト短調、フルート、オーボエ、
バスーンとトロンボーン。
後半はト長調、ホルンのみ。)
・No.6.「救世主の犠牲の祭壇を見て」
(華麗なオーボエ独奏のあるテノールのアリア。)
・No.8「神の御子よ、あなたの僕は」
(アインシュタインにザラストロのアリアを想起させた、
ト長調のバスのアリア。)
・No.9「素晴らしき主は」
(壮麗な合唱曲、同様に「魔笛」の壮麗さの余韻)。

以下、各曲の解説が続く。
Track1.
No.1:「イエス・キリストは十字架にかけられ」
(ラルゴ、4/4拍子、ヘ短調)
二つのオーボエと三つのトロンボーンと、
弦楽合奏を伴う合唱。

じゃーんという序奏に続き、
物語が始まるにふさわしい、
荘厳な弦楽のメロディが流れ、
重々しい和音を奏でると、
神妙に合唱が湧き起って来る。
最初は女声が主体で、
「血まみれの頭を垂れ、
死の闇のなかへ下りていかれた」
と通して歌い、
それが、男声主体で盛り上がる、
という感じ。

この生々しい感じからして、
この種の音楽が、教会で禁止された時期があったのも、
肯けるのである。

Track2.
No.2:「キリストの十字架の傍らに
キリストの御母マリアと御友ヨハネは」
(アンダンティーノ、3/8拍子、変ロ短調)
二つのオーボエ、二つのバスーン、
弦楽合奏を伴うソプラノのアリア。

この曲は、オーボエ助奏を伴う、
シューベルトらしい陰影に富んだ、
なだらかな歌曲といった感じである。
「悲嘆にくれつつ佇んでいた」までで、
主部が終わり、
じゃじゃじゃとリズムが刻まれ、
「御母の悲しい胸のうちを
一本の剣が刺し貫いた」という、
やすっぽい中間部が対比される。

この詩はしかし、13世紀に生まれたとされ、
しかも、当時の信者を狙って書かれたものだから、
やすっぽいという表現は正しくないかもしれない。

Track3.
No.3:「するとキリストは愛に満ちた顔をあげて」
(アンダンテ、2/2拍子、変ホ長調)
二つのオーボエ、二つのバスーン、
二つのホルン、弦楽合奏を伴う合唱。

これまた、妙に説明的な部分で、
死んでいくはずのキリストが、
マリア様を見て「あなたこそは母」、
ヨハネを見て「あなたこそはこの母の息子です」
などと、御涙ちょうだいの言葉を吐く。

が、若いシューベルトは、
すっきりと素直で清純な合唱曲にしている。
キリストの言葉のところでは、
溢れだすような情感も込めている。

Track4.
No.4:「死にゆくキリストが、
その御母と御友に与えた至福の喜び」
(アレグレット、2/4拍子、変ロ長調)
二つのオーボエ、二つのバスーン、
弦楽合奏を伴うソプラノとテノールの二重唱。

この状況下ではふさわしくなさそうな、
オペラのような元気のよい二重唱であるが、
「天使たちもその言葉に酔いしれ、
御母も御友の涙もかわく」とあるのだから、
これでよいのかもしれない。

このあたりで雰囲気を明るくしておかないと、
続く部分が生きないということもあろう。

この部分はアインシュタインが褒めている。

Track5.
No.5:「主イエスよ、あなたの死を見て
悲しみの涙を流さぬものがいるだろうか」
(ラルゲット、3/4拍子、ト短調からト長調)
二つのフルート、二つのオーボエ、バスーン、
三つのトロンボーン(前半)。
二つのホルンのみ(後半)。弦楽はない。

解説者が賞賛する部分で、
いよいよイエスが身まかるので、
厳粛な合唱が静かに、押し殺すような声で、
「涙をながさないものがいるだろうか」
などという部分を歌って行く。

ホルンが高らかに、
救世主の声を伝える感じであろうか。
「天の素晴らしさを聴いて喜ばないものがあろうか」
という歌詞が続く。

Track6.
No.6:「救世主の犠牲の祭壇を見て」
(アダージョ、4/4拍子、ハ短調)
オーボエ独奏と弦楽を伴うテノールのアリア。

まるで冬の旅の一節のような、
虚脱感に満ちた歌曲で、沈鬱な弦楽に、
虚無感をたたえたオーボエが情感を盛り上げる。

この部分は、これらの光景を目の当たりにした、
われわれの心情を歌った部分で、テノールによって、
「われらは何と深い感動を覚えたか」などと歌われ、
「あの方々はまだ祈っておられる」と、
カメラを切り替えての情景描写も効果的である。

解説者もアインシュタインもそろって、
この音楽を賞賛するのは、理由があったのである。

Track7.
No.7:「天の恵みを授けられた御母」
(アレグレット・マエストーソ、4/4拍子、ハ長調)
複数のオーボエとバスーン、トロンボーン(声部に従って)、
弦楽合奏を伴う、合唱フーガ。

解説者もアインシュタインも、
言葉を濁した合唱フーガであるが、
それなりに緊迫感を作り上げ、
前半を盛り上げるのに成功している。

「天の至福の玉座にあり、王冠が輝く」
と、むしろ、歌詞の方がお座なりなのである。

Track8.
No.8:「神の御子よ、あなたの僕は」
(アンダンティーノ、3/8拍子、ト長調)
二つのオーボエ、二つのバスーン、二つのホルン、
ダブル・バスーンと弦楽合奏を伴うバスのアリア。

このアリアなども、美しい木管の色調で、
パステル色に染められたデリケートなもので、
「アルフォンソとエストレッラ」などを想起した。
もっと、オペラティックでも良いが、
歌詞は、かなり説教くさいので、
これぐらいが良いのであろう。

「天の玉座に行くまで、苦しい人生も耐えましょう」
みたいな内容。

「この世のすべての苦しみは、
あなたに仕える者にとっては、
優しいくびき」だと言って、
まさしくキリスト教の中でも、
本質的なものが歌われている。

こういった考えが怖くて、
秀吉や家康も、キリシタン禁令とした。

この楽章は、アインシュタインも解説者も、
そろって賞賛した部分である。

Track9.
No.9:「素晴らしき主は、
そのくびきや重荷をひとりで担い」
(マエストーソ、2/2拍子、ホ長調)
二つのフルート、二つのオーボエ、二つのホルン、
三つのトロンボーンと弦楽合奏を伴う合唱。

「主が重荷を背負ってくれるから、
私の苦しみは軽くなる」という内容にふさわしく、
晴れやかな雰囲気もある、広がりのある合唱。

途中からテンポが速くなり、
急き立てられるようになるのは、
「あの世から、御子は私に声高く呼びかける
地上から天に向かえ」
という部分で、実によくできている。

確かに精神が高揚する感じだ。

「死の丘の上で御子から学ぶ」というのも、
非常に効果的な詩句だと思う。

さすがに、アインシュタインも解説者も、
口をそろえて褒めている楽章だ。

Track10.
No.10:「地上の喜びも悲しみも、
永遠の平安に向かう」
(アレグロ・モデラート、2/2拍子、イ長調。
それからイ短調)
二つのフルート、二つのオーボエ、弦楽合奏、
イ短調部分では、二つのバスーンを伴う、
三重唱(ソプラノ、テノール、バス)。

いかにも、シューベルトらしい、
愛らしい木管のメロディで始まる
バスとソプラノの二重唱は、
「喜びも悲しみも足元の塵」だと説くのである。

テノールが入っての三重唱部は、
「束の間の喜びや悲しみは足元の塵」
と繰り返す。
そして、バスとソプラノのデュエット、
そして三重唱部が繰り返される。

その後、短調になっての、
「鷲の翼で天の高みに急ぎたい」という、
後半のテノール独唱部は、
木管楽器の面白い効果を伴う、
充実した音楽であるが、
何故か、特に褒められていない。

「天の恵みを授けられた仲間が、
私を導いてくれるだろう」という展開も、
妙に友愛精神をくすぐって感動的。

Track11.
No.11:「いつかわれらが死の床で」
(アンダンテ・ソステヌート、3/4拍子、ヘ長調)
二つのフルート、二つのオーボエ、二つのバスーン、
二つのホルンと弦楽合奏と合唱を伴う、三重唱。

主にソプラノの清澄さで聞かせる部分、
その他の独唱者も合唱も、
それを、見事に引き立てて、
精妙な効果をあげている。

「我々もいつか天で同胞に会うだろう」
という感動的な音楽で、
天上に誘われていくような、
超絶の効果を持っている。
シューベルトが操るオーケストラも、
冴えに冴えている。

Track12.
No.12:「アーメン」
(アレグロ・マエストーソ、2/2拍子、ヘ長調)
オーボエ、バスーン、トロンボーン(コッラ・パルテ)、
弦楽合奏を伴う合唱フーガ。

これまた、評判が悪いシューベルトのフーガであるが、
晴れやかな情感を広げて行き、
見事に、この大作を締めくくっている、
と書いても嘘にはなるまい。
が、コルボの美意識は、こうした部分でも、
自制心を持って、いたずらな盛り上げをやっていない。

得られた事:「シューベルト若書きの『スターバト・マーテル』は、彼の後年の名作群の予兆が聞き取れる野心作。ペルゴレージの名作を、彼は参考にしていたとされ、同じ調性で始まり、終わる。」
[PR]
by franz310 | 2013-01-18 21:18 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その361

b0083728_2171459.jpg個人的経験:
シューベルト作曲の、
「マニフィカト」は、
この作曲家の
埋もれた傑作とされるが、
ミシェル・コルボのような、
宗教音楽の大家は
ちゃんと録音していたりする。
これは、アナログ録音の、
最盛期くらいに出たもので、
私はCDで買いなおした。


この録音のメインは、
大作「スターバト・マーテル」で、
これまた、名作ながら録音が少ないので、
まことに貴重なものと言える。

フランスの誇るエラート・レーベルのもので、
いかにも、「悲しみの聖母」を描いた、
絵画「キリスト降架」による表紙も、
ニコラ・トゥルニエ(1590-1639)
というフランスの画家によるものである。

時代的にはヴィヴァルディやペルゴレージより、
古い人であるから、当然、この絵から、
シューベルトの音楽を空想することは難しい。
が、後述するように、
ここでの音楽は、意外に過去と結びついているようなのだ。

ローザンヌ・ヴォーカル・アンサンブルに、
ローザンヌ室内管弦楽団が共演している。
ソプラノはシーラ・アームストロング、
アルトにハンナ・シェーアを採用、
テノール、アレジャンドロ・ラミレッツ、
バリトンはフィリップ・ヒュッテンロッヒャーである。

この変わった名前のバリトンは、
コルボの名作、
フォーレのレクイエムに出ていた人ではないか。

解説は、Harry Halbreich(ハリー・ハルブライヒ?)
という人が、かなり丁寧に書いている。

「シューベルトの作品の中で、
オペラですら、次第に忘却から救われている現在、
宗教曲は、知られざる領域のひとつとして残されている。
6曲のラテン語ミサ曲、ことに、
変イ長調、変ホ長調の2曲の成熟した作品が、
比較的、人気作である中で、
他の宗教曲で有名になってきているものは少ない。
少なくともドイッチュ番号で、
43曲を数えるものが宗教曲でもある。
さらに言えば、シューベルトは、教会音楽を、
その生涯を通じて作曲しており、
15歳という早い時期の、
7曲ある『サルヴェ・レジーナ』の最初のもの、
(1812年6月28日作曲のヘ長調D27)に、
『キリエ ニ短調D31』がその3か月後に続いた。」

私は、ここで、あっと、息を飲んだ。
サヴァリッシュの「宗教合唱曲全集」と題されたものにも、
この2曲は収録されておらず、
(音楽之友社、作曲家、人と作品シリーズ
「シューベルト」にも、
『最近、サヴァリッシュの指揮による宗教音楽集の
CDがリリースされ、多くの曲を耳にできるようにはなったが、
それでもまだ『全集録音』ではない』という記載があった。)
私も、これまで、これらの曲を意識せずにいたからである。
前回、サルヴェ・レジーナが7曲と書いたが、
D223の改訂版を一曲とするのかと思っていた。

「応答頌歌『私の王』は、彼の死の何週間か前の、
1828年10月の終わりに完成されており、
それに続くのは、最後の歌曲『岩の上の羊飼い』や、
最後のオペラで完成されなかった、
『グライヒェン伯爵』だけである。
彼の宗教曲の大部分は、
ラテン語の典礼用のテキストに基づき、
しかし、いくつかのドイツ語のものも作曲している。
それらの中には、
『ドイツ・ミサ曲』(D872)が最も有名だが、
『スターバト・マーテル』が最も重要なものである。
また、シューベルトは『詩篇92』(D953)を、
ヴィーンのシナゴーグのカントールの依頼で、
ヘブライ語で書いている。
シューベルトの信仰心には、
通常以上に深く熱いものがあったが、
彼の学校の仲間と同様、
当時のカトリック教会には、
強い反感を持っていた。
したがって、彼のミサ曲において、
『使徒継承の教会を』という言葉は、
省いて作曲していて、
オーストリアやバイエルンの教会の、
権威主義的なところ以外の典礼で使われた。
彼の生涯の何年か、ますます、
彼の信仰心は汎神的、個人的なものとなり、
絶望の向こうの晴朗さに達し、
遂には希望をも超越してしまった。」

さらりと書いているが、
何と言う恐ろしさであろう。
希望をも超越した信仰の中に、
晩年のシューベルトはいた。

「彼が最後のミサで、
『よみがえりを待ち望む』という文言を削除したのは、
何の見返りもないローマ教会への忠誠の反発より、
確かに深い意味のあることであった。
しかるに、シューベルトの宗教曲の多くは、
機会音楽(または変イ長調ミサのように、
就職を想定したもの)であって、
いくつかの少しの作品が、
スターバト・マーテルがそうだが、
内的な衝動から作曲されたように見える。
それがオーソドックスかどうかは別にして、
シューベルトのものは信仰心の発露であって、
それは多くの器楽曲にも聞き取れ、
『水の上で歌える』のような、
擬似的な宗教作品からもそれはうかがえる。」

ということで、サヴァリッシュの、
シューベルトの宗教曲のCD解説が、
シューベルトの信仰心を疑ったものだったのに対し、
こちらは、その違う形の信仰を強調している。

「ここに録音されたものの2つは、
1816年のものであって、
彼の生涯でも実り多き時期のものであった。
1815年の終わりにかけて、
彼は第3ミサ曲(変ロ長調、D324)を書いており、
おそらくクリスマスに歌われたものと思われる。
1816年からの彼の9曲の宗教曲シリーズは、
2月21日から、『サルヴェ・レジーナ』の
第4番(D379)から始まった。
2月28日にはこの大作のスコアを完成するので、
彼は、おそらくすでに、同時に、
ドイツ語による『スターバト・マーテル』の
作曲に取り掛かっていたに違いない。
もう一曲の『サルヴェ・レジーナ』(D386)が、
3月に作曲され、
7月に、新しい第4ミサ曲
(ハ長調、D452)を完成させている。
計画された『レクイエム』(D453)は断片に終わったが、
8月には、D460とD461の、
2つの『タントゥム・エルゴ』が、
9月には唯一の作品である
『マニフィカト』(D486)が書かれた。
10月に、二重唱『天国にいるアウグストゥスよ』(D488)
が完成され、
1818年夏まで、宗教曲が書かれることはなかった。」

ちなみに、ここでは、妙にすっきりと、
「マニフィカト」は1816年の作曲とされているが、
他の文献では、この曲は1815年の作曲とされている。

「ドイッチュ番号がこの視点をよく表しているが、
同時にシューベルトは、100曲以上の新作歌曲をはじめ、
2つの交響曲(第4と第5)、四重奏曲、
ソナタ、オペラなど、ほかの作品も、
大量に書いていることを忘れてはならない。」

以下、「スターバト・マーテル」の解説が始まるが、
ここでは、前回の続きで、気になっている、
「マニフィカト」を聴くことにしよう。

が、1815年の作曲か、1816年の作曲か、
私には、非常に気になる。

もし、1815年に「マニフィカト」を書いた後、
1816年の「スターバト・マーテル」が書かれたのであれば、
キリストが生まれる前と、死んだ後を時系列に書いたことになる。
しかし、「スターバト・マーテル」を書いた後、
「マニフィカト」を書いたのだとしたら、
キリストを殺してから、お告げの話を持ってくる感じで、
むしろ、復活を描いたような順番となる。

解説には、別に、そんなことは書いていないのだが。

だが、この解説では、以下のように、かなり自信ありげに、
この「マニフィカト」の成立年代を決定している。

「『マニフィカト ハ長調(D486)は、
1816年9月15日から25日の間に書かれ、
おそらく、同じ調性のミサ曲(第4)と
一緒に、同じ典礼の時に演奏しようとしたのだろう。
作曲家の兄のフェルディナントは、
『大マニフィカト』と呼んでいるが、
シューベルトは一曲しか書かなかった。」

ディアベリが調べた、作品一覧には、
「大マニフィカト」と書かれているが、
これはフェルディナンドの報告によるものと言うことか。

「この作品は手頃な大きさのもので、
通作形式で書かれ、輝かしさと力は、
三部の構成と共に、同じ調性の、
ハイドンの大きな『テ・デウム』を想起させる。
これは1800年に、皇女マリア・テレサのために
書かれたものである。
オーケストラは、オーボエ、バスーン、トランペットを複数、
ティンパニと弦楽からなり、
ミサ曲とは異なり、ヴィオラ・パートもある。」

ミサ曲第4番が、ヴィオラなしの
オーケストラのために書かれていることを
補足する必要があろう。

また、オルガンを伴うことは記載されていない。

Track14.
「開始部は、アレグロ・モデラートで、
4小節の短い付点リズムの序奏があり、
溢れんばかりのオーケストラの装飾を伴う、
白熱した合唱を導く。」

じゃじゃじゃじゃーという、目くるめく、
交響曲的な序奏を、ここでは付点リズムと書いている。
そこからは、確かにあふれんばかりで、
ヴァイオリンは細かい音形を刻み、
ティンパニが鳴り響き、
チェロなどもざざざざと音を上げ、
ラッパは吹き鳴らされている。
木管群も色彩を放つ。

この雄大なメロディも、
シューベルトならではの精妙さを併せ持つ。

しかし、ラテン語のポリフォニックな歌唱による、
「いつの代の人もわたしを幸せな人と呼ぶ」
の部分などは、ほとんど歌詞が聞き取れない。

「この目もくらむような壮麗さは、
3/4拍子のヘ長調のアンダンテの、
控えめで親密な中間部とコントラストをなし、
『Deposuit potentes』
(神は権力をふるう者を、その座から下ろし)
という言葉から始まり、
4人の独唱者と、オーボエと弦楽という、
限定されたオーケストラが支える。
ソロのオーボエが美しいソプラノのメロディを予告する。」

弦楽とオーボエの序奏は、
情感に富むもので、
独唱が始まってからも、
オーケストラの抒情的な間奏曲は、
かなり魅力的なもので、
陶酔的なまでに心にしみる。

それにしても、シューベルトが採用した、
この分け方については、筆者は異論はないのだろうか。
つまり、壮麗な第1部で、
「わたしは神をあがめ」はふさわしかろうが、
「卑しいはしためを顧みられ」の部分こそ、
控えめな親密な言葉で聞きたかったのだが。

やはり、本来のマニフィカトとは違って、
シューベルトは、
「力の強いお方がわたしに大きなことをしてくださった」
とか、
「高ぶるものを追い散らし」
とか言った部分には作曲していないようだ。

「拡大された第3部は、頌栄部で、
3/4拍子の白熱したアレグロ・ヴィヴァーチェで、
独唱者と合唱が歌いかわす。
このあまり知られていない作品は、
(これは史上2回目の録音となる)
もっと頻繁に演奏されてもよい価値がある。」

たびたび触れている、サヴァリッシュの録音は、
1980年代のものと思われ、
1978年に録音されたこのコルボ盤の前に、
誰が録音していたのだろうか。

第3部は、オーケストラが主動的な役割で、
素晴らしいエネルギーを放ちながら進み、
ばーん、ばーんと花火をさく裂させながら、
アーメンの大合唱の晴朗なメロディを輝かせる。

わたしは、サヴァリッシュ盤、
そして前回聴いた、ディスカバーの盤の後、
このコルボ指揮の演奏を聴いて、
ようやく、この曲は、確かに傑作ではないか、
と思えてきた。

これまで、力任せとか、
無茶な圧縮と聞こえていた部分が、
この演奏だと、構成が分かりやすく、
それなりの広がり感を持って味わえた。

さて、この曲の他に、晩年の作品も入っている。

「シューベルトは、1824年の4月から、
ドイツ・ミサ曲D872を書く1827年の夏まで、
宗教曲の作曲をしていない。」

唐突な話で、さきほどの話、
宗教曲を連作した1816年から、
1824年までの事は書かれていない。

が、あんなにたくさん書いていたのが、
3年のブランクがあるのは不思議であるし、
ドイツ・ミサ曲というのも、
こう見ると、かなり晩年の作品だと思えてくる。

「しかし、シューベルトの最後の数か月は、
1828年の6月と7月に作曲された、
彼の最後の、そして最高のミサ曲
(第6番変ホ長調、D950)から幕開けする、
最後の収穫期であった。
確かに、スケールは小さいが、
もっと注目に値するほかの宗教曲を
かすませてしまっている。
そこには、ヘブライ語への付曲、
『詩篇92』(D953、7月)、
混成合唱と管楽オーケストラのための、
『精霊への賛歌』(D954、8月)、
同じ楽譜に書き込まれた、
最後の3つの作品、
初期、1816年のハ長調ミサへの、
新しいベネディクトゥス(D961)、
変ホの『タントゥム・エルゴ』(D962)、
『オッフェルトリウム』(D963)である。
これらは1828年の8月に、
恐らく、ヴィーン郊外の孤児院の
教師とオルガニストをしていた、
シューベルトの兄フェルディナントのために書かれ、
それから二、三週間、シューベルトはそこに滞在した。」

先に引用した音楽之友社の本(村田千尋著)には、
「9月1日、兄フェルディナントがウィーン郊外の
新しく拓けた住宅街にある『ツア・シュタット・ロンベルク館』
に引っ越すと・・・兄の家に居候することになった。」
と書かれているが、これは、最後の家になるそうなので、
その前にフェルディナントが住んでいた家のことであろうか。

Track13.
「変ロ長調の『オッフェルトリウム 私の王』は、
テノール独唱と合唱、大オーケストラ
(オーボエ、2つのクラリネット、
2つのバスーン、2つのホルン、
3つのトロンボーンと弦楽合奏)のためのもので、
現在まで長い忘却の中に取り残されているものの、
シューベルト最後の宗教曲で、
最後から二番目の完成作品である。
これは、詩篇5の
『私の祈りの声を聴いてください。
我が王、我が神、あなたに祈るがゆえに』
という、ラテン語2、3行に作曲されたもので、
2/2拍子、アレグロ・コン・モートの
合唱付きアリアに拡大されている。」

ということで、そこそこ編成も大規模、
演奏時間も11分近く、
「マニフィカト」より長い。
3曲が同じ楽譜に書かれていたとしたら、
広告の裏みたいなのを想像してはならない。

詩篇第5編は、エンデルレ書店から出ていた、
アブリ著の「聖書の讃美歌」によれば、
「教会の朝の祈である」とのことだが、
シューベルトが作曲したところだけでは、
どうも、それが分からない。

しかし、彼が作曲した部分の、次には、
「おんみは朝ごとに、わが声におん耳を傾けたもう」
という詩句が続く。

それから、詩はまだまだ続き、
自分が捧げものをして神を待つこと、
神が不義を嫌うこと、
たくらんだり、へつらったりする、
自分の敵をやっつけてくれることを願っている。

「おんみに拠り所を求るものは、
すべて常に喜ぶべし」と、
かなり自分勝手なことを、
言っているような感じがしないでもない。

確かに歌詞がこれだけだと、
10分以上、手をかえ品をかえ、
同じ事を言っているだけと言える。

「インテンデ・ヴォチ・オラティオニス・メアエ」
(助けを求めて叫ぶ声を聴いてください)
を、ひたすら言い続ける音楽だと考えればよい。

が、音楽の質を考えれば、
この曲には、もっと注目すべきであろう。

下記にあるように、
まず、オーボエ協奏曲の第2楽章のような、
比較的、長く、しかも情感に富んだ序奏が美しい。

「オーボエ独奏が目立つ、
幅広いオーケストラの序奏があり、
テノールの登場を待つ。
30小節ばかりの独唱のあと、
合唱が入ってきて、独唱者と歌いかわす。」

ここでのオーボエは、
ジャン・パウル・ゴイという人が吹いている。

テノールが、歌いだした後も、
オーボエやほかの楽器は、
玄妙な渦を巻いて取り囲み、
実に天上的とも言える。

合唱の登場も凝った感じで、
トロンボーンだかホルンだかが、
暗い影を投げかけると、
そこから湧き上がる感じである。

晴朗でのびやかに音楽は進んでいくが、
恐ろしい事に、例の影が差すと、
展開部的に緊張感を増して、
ポリフォニックに錯綜、
合唱は絶叫に近くなる。

その中から、独唱者が、
さっそうと光を受けて出てくる感じも良い。

歌詞は、前述のように、
詩篇の断片のようなものなので、
「わたしの王、わたしの神よ。
助けを求めて叫ぶ声を聴いてください。
あなたに向かって祈ります。」
というのがすべてである。

しかし、不思議な陰影を交錯させて、
オーケストラの音色も幽玄の極みを見せ、
無重力感に満ち、
天に昇っていくような音楽になっている。

「自由で、いくらか長くされた、
ソロと合唱のための再現部(要約部?)があり、
短い結尾部が、
この忘れがたい別れの美しさに満ちた作品を終わらせる。
これは、ブルックナーの先駆となる、
シューベルトの晩年の作品特有の、
時間と空間の幻視を加えている。
モーツァルトの最後の作品のように、
地上の苦しみを越えた、
究極の技法と晴朗さを語り、
最近発見された、同時期の作品、
永遠に完成することのない、
偉大なニ長調交響曲の、
よく書かれたスケッチが我々に示唆するような、
新しい章を開いている。」

確かに、この「オッフェルトリウム」、
最後の方は、完全に天上に行ってしまっており、
どんどん、音楽は大気圏を去って希薄になって、
不思議な天空の輝きを感じさせる。
何とも玄妙な音楽なのである。

これはまた、どえらい音楽が隠れていたものである。
「交響曲第10番」などとも言われる、
「ニ長調交響曲」を例に出すあたり、
わたしには、完全に納得してしまわずにいられなかった。

そういわれると、冒頭のオーボエの独奏からして、
あの交響曲の不思議なエンドレス感を醸し出している。

そもそも、この曲は、青春期に書かれた、
「スターバト・マーテル」の付録のように、
収められるべき音楽ではなく、
シューベルト、最晩年の音楽集、
みたいに、先の交響曲と一緒に、
アルバムを作るような類である。

このCDは、本来、「スターバト・マーテル」を聴くべきだが、
今回は、先の「マニフィカト」と、
この「オッフェルトリウム」を味わって、
かなりの充実感を味わったので、
「スターバト・マーテル」は次回に回したい。

得られた事:「シューベルトの最後から2番目の作品とされる、『オッフェルトリウム』D963は、彼の『第10交響曲』に連なる幽玄な無重力世界に我々を導く。」
[PR]
by franz310 | 2013-01-13 21:10 | シューベルト