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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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カテゴリ:音楽( 123 )

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その250

b0083728_22421538.jpg個人的経験:
前回聴いた、
プルトニョフらによる、
グリンカの室内楽、
今回は、残りの、
いささか奇妙な2曲について、
耳を澄ませてみよう。
先のCDにも収録されていたが、
このポリムニア・アンサンブルの
CDにも入っているので、
聞き比べも出来る。


「ロシアの室内楽の贈り物」と題された、
ポリムニア・アンサンブルのCDは、
このイタリアのアンサンブルが、
1999年1月13日、ロシア新年を祝う形で、
ロシア大使の邸宅にて演奏した、
ロシアの作曲家による室内楽のアンソロジーの
ライブ録音である。

つまり、イタリアに渡って、
美しい室内楽を残したグリンカへの、
イタリア側からの心温まる返礼を思わせる録音だ。

ここに収められた曲目は、
グリンカのベッリーニ奇想曲15分、
チャイコフスキーのハープ五重奏曲3分半
グリンカのドニゼッティ・セレナード21分半
グラズノフの「東洋の夢想」8分
バラキレフの八重奏曲11分、
ボロディンの「スペインのセレナード」2分半
というもので、グリンカだけを取り上げたものではない。

ただし、多くは小品で、
グリンカの2作品だけが際だって長い。

沢山の演奏家が並んだ写真を見ながら考えた。

これらの曲目を演奏するには、
ピアノ1、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、
チェロ1、コントラバス1、ハープ1、
フルート1、オーボエ1、
ファゴット1、ホルン1、クラリネット1と、
全員で12人必要。
管楽器では持ち替える人もいるのだろう。

ロシア大使が退屈しないように、
様々な編成が取られている。

そうした環境のせいか、何だか豪勢な室内であり、
いささか緊張した面持ちのメンバーは、
かしこまっているようにも見える。

中央には、紅一点で楽器なしの人がいるが、
その横の男性も手持ちぶさたの感じで、
横を向いてしまっている。

彼等は、手に持ちきれない、
ピアノ、ハープ、コントラバス等を担当したのであろう。
などと無責任な事を書くのも、
メンバー表もなく、解説もなく、
ブックレットには、ロシア大使による、
「素晴らしいイタリアのアンサンブルが、
ロシアの音楽を演奏した」みたいな挨拶が、
ちょこっと書かれているだけなのだ。
イタリア語なので、よく分からないが、
ECA(Enrico Castiglione Arts)というレーベルは、
聴いたことがないが、いったい、何を考えて、
このCDを発売したのだろう。

この写真に出ているメンバーは、10人しかいない。
弦楽四重奏分、管楽器もフルート、オーボエ、
クラリネット、ホルンは見える。
ファゴットは不明。

ポリムニア・アンサンブルのホームページを見ると、

「1992年のナポリでデビュー。
定期的に音楽イベント、国際的音楽祭に参加。
1985年以来、
モスクワ音楽院やサンクトペテルブクなど、
定期的にロシアを訪問。
Musikstrasseレーベルのためのロッシーニ、
ドニゼッティ、およびメルカダンテの室内楽。
ブソッティや、クレマンティなどの作曲家が、
その演奏に触発されて作曲している。
2003年以来、子供用音楽祭を運営。
重要なスポンサーのIBMがある。」

ロシアとの繋がりやアメリカの名門企業との繋がりが、
我々を混乱させる。いったい、何者たち?

メンバー表には、
ヴァイオリン:Marco Fiorentini 、Antonio De Secondi
Manfred Croci
ヴィオラ:Gabriele Croci
チェロ:Michelangelo Galeati
コントラバス:Antonio Sciancalepore
オーボエ:Luca Vignali
フルート:Carlo Tamponi
クラリネット:Ugo Gennarini
バスーン:Francesco Bossone
ホルン:Luciano Giuliani
ピアノ:Angela Chiofalo
とある。

ここでもファゴットはいない。
これがないと、グリンカのドニゼッティ・セレナードは、
演奏できないはずなんだが。

表紙中央の女性は、
ピアノのチオファロさんではないかと思われる。
しかし、この表にはハープがなく、
女性の横のそっぽを向いた男性は、
コントラバスのシャンカレポーレ氏であろうか。

さて、この編成なら、シューベルトの「ます」の五重奏曲を
演奏することも可能そうだが、
彼等のホームページのレパートリーには出ていない。

下記のように、ベートーヴェン、モーツァルト、
シュポアの管とのピアノ五重奏や、
モーツァルト、ブラームス、ウェーバーの
クラリネット五重奏のような名品、
シューマンのピアノ五重奏をやっているのに、
シューベルト、ブラームス、フランク、ドヴォルザーク、
ショスタコーヴィチらのピアノ五重奏はやっていない模様。

しかし、さすがイタリア、ドニゼッティやケルビーニ、
レスピーギやカゼッラは、しっかりと押さえている。

彼等のレパートリーの「五重奏曲」の表:
Baerman :Adagio clarinet, 2 violins, viola and cello
Beethoven :Quintet in E flat maj. op. 16
Brahms Quintet in B minor op. 115
Casella Serenade violin, cello, clarinet, bassoon and trumpet
Ciajkovskij Quintet harp and string quartet
Cherubini Quintet 2 violins, viola and 2 cellos
Donizetti Quintet 2 violins, viola, cello and guitar
Dussek Quintet violin, viola, cello, double bass and piano
Glazunov Reverie orientale clarinet and string quartet
Jolivet Chant du Linos flute, violin, viola, cello and harp
Mozart Quintet in A maj.K 581
Mozart Quintet in E flat maj. 452
Respighi Quintet strings quartet and piano
Roussel Serenade flute, violin, viola, cello and harp
Roussel Elpenor flute and string quartet
Schumann Quintet op. 44
Spohr Great Quintet op. 52
Spohr Fantasy and Variations on a Theme by Danzi op. 81
Prokofiev Quintet in G min.
Weber Quintet clarinet and string quartet
Weber Introduction, Theme and Variations

こんな表を眺めているだけで、
様々な想像が去来するので、丸写しにしてしまった。

例えば、チャイコフスキーのハープ五重奏曲は、
このCDでも聴けるが、
いったい、何時、どんな機会に書かれたものなのだろう。
伝記には、ハープと弦楽四重奏の習作が1863年頃にあるが、
これであろうか。
音楽院に入学した将来の大作曲家が、
様々な編成の作品を書いて実験していた時の一つ。

ゆったりした弦楽による序奏から、
後年のチャイコフスキーを彷彿させる、
懐かしい響きが聞き取れ、
ハープの登場は、妖精が現れるかのように美しい。
それにしても、いったい、誰がハープを弾いたのだろう。
が、やはり習作だけあって、特に何も起こらぬ前に消えてしまう。

また、五重奏からは離れるが、
最後に収められたボロディンの弦楽四重奏、
「スペイン風セレナード」が、
これより短い2分半の作品。

だが、これは、習作ではない。
有名な第2番の5年後に書かれている。
機会音楽で、ある音楽会のために書かれたらしく、
単純ながら、何だか、不思議な情緒を湛えた作品。
スペイン風かどうか分からないが、
妙にほの暗い情感が悩ましい。

あと、7分47秒で後半の始めを飾る、
グラズノフの「東洋的夢想」は、
クラリネットのエキゾチックな音色を活かした、
聴き応えのある小品。
弱音で弦楽四重奏がまさに夢のような儚さを奏でる中、
光が射すようにクラリネットが、
魅惑的な音色を聴かせる。
が、終始、弱音なので、これまた、
何だか分からないまま、終わってしまう。

習作と言えば、バラキレフのピアノ八重奏曲は、
1855年の作品とされるので、10分48秒。
1837年生まれの作曲家にしては若書きと言えるだろう。
これは、しかし、なかなか興味深い作品で、
シュポア風のピアノの名技が目を眩ませるし、
中間で出てくる主題は、懐かしさいっぱいで、
いかにもロシア的なオリエンタリズムを感じさせるものである。

バラキレフというと、チャイコフスキーに、
交響曲を書け書け、とせかしていた人、
という感じばかりがあるが、
自身、すぐれた音楽を書いていたのである。

バラキレフでは室内楽というのは珍しく、
この曲もピアノ協奏曲風である。
そうした珍しいレパートリーが、このCDでは聴ける。
このアルバムでは最大編成で、ロシア大使の家に、
音があふれ出したことであろう。

一応、このポリムニア・アンサンブル、
こうした弦、管の混成を得意としていて、
管楽を駆使したシューベルトの「八重奏曲」は、
彼等のレパートリーに入っている。
シューベルトが嫌いというわけではなさそうだ。

彼等のCDは、アゴラレーベルから主に出ていて、
このECAのものは一つしかない。

以上、書いて来たように、このCDでは、
グリンカは全体の6、7割を占める重要度ながら、
解説が皆無なので、前回の解説を流用して、
グリンカ作品を聴いてみよう。

ここには、グリンカのイタリアでの、
様々なアバンチュールに関する逸話が書かれていて、
非常に興味をそそられる。

「イタリアにいた間、
彼は1832年にはミラノ滞在した。
二年前に、この地に来た時は、
フランチェスコ・バジーリに学んだ対位法は、
彼には無味乾燥に思われ、場所を移したのだった。
彼のミラノへの帰還は、
『女を捜せ(事件の影に女あり)』によるものか、
あるいは、この際、女を捜したのか、
二人の愉快なレディーたちが、彼をそこに引き寄せた。
彼女たちは非常に音楽的で、
それゆえに彼の音楽能力を刺激した。」

しかも、この女性(たち)の影が、
これらの音楽に投影されているとすれば、
これらの作品を聴く時にも覚悟がいる。
はたして、どんな影が見えて来るのだろうか。

「彼の音楽、特に、室内楽シリーズは、
この年を通じて、絶え間ない流れとなった。
特に、興味深いのは、通常とは異なる編成、
ピアノ、ハープ、バスーン、ホルン、ヴィオラ、
チェロとダブルベースのために書かれた、
ドニゼッティのオペラ、
『アンナ・ボレーナ』の主題によるセレナーデと、
ピアノと弦楽五重奏曲のために書かれた、
ベッリーニのオペラ『夢遊病の女』の主題による、
華麗なる喜遊曲、そして、
ピアノと弦楽五重奏のための、
大六重奏曲変ホ長調である。」

怪しげに書かれていたので、
何だか、ヤバい筋の女性かと思ってしまったが、
下記を見ると、かなり良いお宅の子女という感じだ。
グリンカ自身、良家の子息であるから、
当然の成り行きなのかもしれないが。

「1832年の春に書かれた、
『アンナ・ボレーナ』セレナーデの作曲について言えば、
どうして、弁護士のブランカ一家、
特に、その娘で、
それぞれピアノとハープの優れた演奏家であった、
シリラとエミーリアと知己を得たか
についてグリンカは説明している。
また、このことが、
この曲の通常と異なる楽器編成となった理由である。
『仕上げのリハーサルで、
この曲は非常にうまく行った。
各楽器は、スカラ座の最高の奏者が受け持った。
有名なローラによって、
ヴィオラソロが演奏されたのを初めて聴いた時、
私は感激して涙した。』」

見えて来たのは、怪しい妖女の影ではなく、
ロシアの貴公子にふさわしいイタリアの令嬢たちの影であった。
しかし、ピアノとハープが掛け合う音楽とは、
何と、上品なイメージであろうか。
グリンカは、いったい、どちらの娘が気に入っていたのだろう。

では、この優美な作品、
ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」の主題による、
セレナードを聴いてみよう。

この曲は、ポリムニア・アンサンブル盤では3曲目に、
ロシア国立交響楽団の独奏者たちの盤では、
2曲目に収録されている。

こう書いて、妙な感慨に耽ってしまった。
つまり、作曲した側の国の演奏も、
作曲された側の国の演奏も聴けるということ。
両国の音楽家たちが、
これらの音楽を大事にしている感じが、
妙に微笑ましいではないか。

私は、ハープの分散和音に続いて響く、
ピアノの音色が金属的に響いて、
芯があるような、ロシア勢の演奏に、
何となく惹かれているが、
音のブレンドや、ムードを重視した、
イタリア勢を悪く言うつもりもない。

グリンカも半分プロで、
半分アマチュアのようなメンバーの演奏を、
想定して書いたに相違ない。

「このセレナーデは、序奏と6つのセクションが、
切れ目なく演奏される。
ほとんどの主題はオペラのタイトルロールの音楽から取られ、
序奏の後、第1幕の『カヴァティーナ』の楽想を、
ピアノとハープが奏で出す。
(カヴァティーナからの他のモチーフは、
モデラートセクションの二つの変奏で使われる。)
ラルゲットは、第2幕の三重唱から主題が取られ、
プレストはエンリコの『Salira d'Inghilterra sul trono』からのもの。
アンダンテ・カンタービレでは、
第2幕のアンナのカヴァティーナが聞こえ、
終曲はオペラの様々な主題を含んでいる。」

この曲のもととなった、
「アンナ・ボレーナ」とは、
イギリスのヘンリー八世の妃で、
不倫の罪を着せられ、
ロンドン塔で斬首された王妃、
アン・ブーリン(エリザベス一世の母)の事で、
上記史実をモデルにしたものである。

上記エンリコは、ヘンリー八世、
つまりアン王妃の夫で、彼女を死に追いやる人である。

第1幕のカヴァティーナとは、
アンナが、自分の地位の儚さを歌うもの、
こういう歌であるから、
おのずから、しっとりしたものである。
が、管楽器の七色に変化する音色や、
曲想のしっとりした微妙な移ろいは、
グリンカならではのものだ。
第2幕の三重唱とは、
王妃アンナ、王エンリコと、
彼女を愛するパーシイによるもので、
このメンバーから分かるとおり、
かなりヤバいシーンである。
アンナは、すでに罪人として扱われている。

エンリコの『Salira d'Inghilterra sul trono』は、
別の者が王妃になると王が歌う部分の歌詞であるが、
アンナを打ちのめすかなり威勢の良い曲想のもの。

第2幕のアンナのカヴァティーナとは、
このオペラでは特に有名なもので、
すでに罪を着せられたアンナが、
「懐かしい故郷のお城」と幼い日を回想するもの。

このように、ほとんどそのまま、
ドニゼッティの主題が利用されているが、
この夢幻の色調を誇る楽器編成で演奏された方が、
私には、ずっと美しく感じられた。

令嬢たちが奏で合ったピアノとハープを支え、
その他の楽器たちが、花道を用意していくような音楽。
ぴちぴちと跳ね回るピアノとハープは、
シューベルトの「ます」の幸福感を放ち、
至福の時を繰り広げていく。
このような音楽を作ってもらって、
それが、作曲家自身を感涙させる程、
効果的に演奏されたとすれば、
人生最高の時になったかもしれない。

しかし、筋書きやモデルとなった史実を見ても、
陰惨を極め、まともなものではない。
これから、令嬢たちの夢を紡ぎ出すとは、
いったいなんたるこっちゃ。

そんな夢も希望もなく、
怪しい陰謀を張り巡らせた悪が勝ち、
誰も彼もが情念をぶつけ合うものから、
こうした、幸福感に溢れた室内楽を書く、
ということはいったいどういった事なのだろうか。
換骨奪胎も良いところだ。

かなり、音楽というものに割り切りが出来ないと、
とても出来ない仕事であろう。

とはいえ、こうした仕事が求められた事も事実で、
ベートーヴェンですら、多くの変奏曲を残している。

シューベルトは、ロッシーニの音楽に心酔しながらも、
それをそのまま、売れる形態にするような事はなかったが、
何故だったのだろうか。

それとは違う切り口で、
グリンカの楽器活用の才能こそが、
それ程、秀でていたと言ってもいいのかもしれないが。

もし、シューベルトが、同様の仕事をしていれば、
下記のように、次々と仕事が舞い込み、
もっと楽な生活が出来たかもしれない、
などと空想する解説が続く。

「オペラをポピュラーにするため、
(今日ならCDに録音されるのだろうが)
当時、こうした楽曲は非常に重宝された。
有名なミラノの楽譜出版者、リコルディは、
このセレナーデを出版することをすぐに決定、
これが同様のジャンルの作品を書くことを、
グリンカに、自然に駆り立てたのかもしれない。
『華麗な喜遊曲』は、同様に1832年の春に書かれ、
もっと通常編成にて楽譜にされた。
ピアノとダブルベースを含む弦楽五重奏である。」

とはいいながら、グリンカ自身、これ以後、
こうした作品を書いていないので、
あるいは、まっとうな、
志高い作曲家の仕事とは考えなかったとも考えられる。

また、グリンカの色男ぶりは、
次の作品が、別の演奏家、
というか女性を想定している点からも見て取れよう。

「グリンカは書いている。
『この作品は、若い学生、ポリーニ嬢に捧げられた。
彼女は、ミラノの芸術家仲間の前で、
この曲を素晴らしく演奏した。』
この曲のピアノパートは非常に困難なもので、
我々は、書かれたとおり、ポリーニ嬢は、
名手だったと信じることが出来る。
この場合もまた、ほとんどの材料は、
タイトルロールと、オペラの最も劇的な場面から来ているが、
前の作品よりラプソディックではない。
序奏を除くと、この作品は4つの部分からなっている。
最も印象的なのは終曲で、
名技的な6/8拍子、
変イ長調のヴィヴァーチェで、
まさにタイトルのとおり華麗なもので、
グリンカの技法の、
長足の進歩を開陳している。」

この作品は、ロシア勢の盤では、
作曲された順なので、
ドニゼッティの主題によるものに続き、
3曲目に入っているが、
イタリア勢はCDの最初に入れている。

もの思いにふけるような序奏から、
当時の上流階級の夢を伝えて止まない。

こちらの曲は、シューベルトの「ます」に、
編成もそっくりで、ヴァイオリンが一つ多いだけである。
コントラバスを含むということで、
独墺圏の大作曲家によって書かれれば、
かなり大騒ぎされるはずのもの。

が、ピアノの名技性が前面にでて、
ピアノ協奏曲的であって、
ピアノ以外が弦だけということもあって、
前の作品ほど、色彩的ではない。

解説が特筆したように、
終曲だけが優れているわけではない。

管楽器の七色の音色がなくなったとはいえ、
途中、内省的とも聞こえる、夢想的、
あるいは焦燥感溢れる部分も登場する。

スケルツォ的に敏捷な部分もあって、
連続して演奏される
かなり変化に富む作品である。

が、原曲が、別の作曲家の作品である点を忘れるところだった。
そう考えると、グリンカ自身も、感涙にむせびながらも、
この美しさが、自分の実力かどうか、自問自答する一瞬が、
あったかもしれない。

その点、他の作品を引用するにせよ、
自作を引用したシューベルトは正解であった。
それにしても、他の作品を引用して、
室内楽を作るということは、
シューベルトの場合では特筆されているが、
こうしたケースではごく普通であったわけだ。

さて、解説の人が書いているように、
最後の部分は、ピアノが縦横に駆け巡って、
めざましい効果を上げるが、
ロシア勢の演奏の方が華麗である。

ポリムニア・アンサンブルのものは、
ライブらしく盛大な拍手こそあるが、
やはり、大使宅での社交の機会という雰囲気があって、
それほどの大演奏とも思えない。
が、こんな感じで、初演のポリーニ嬢も演奏したのではないだろうか。

得られた事:「グリンカの室内楽には、当時の上流階級の才女の影がちらつき、彼女らの夢見た幸福が見え隠れするようである。」
「が、こうした作品を書いて感涙するほどに、原曲が別にあるというジレンマを、グリンカは感じたのではなかろうか。」
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by franz310 | 2010-11-06 22:42 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その248

b0083728_1440399.jpg個人的経験:
ボロディン・トリオの
CDと言えば、
やはり本場物の先入観で、
ロシアのアレンスキーの
トリオの方を良く聴いた。
この作品は、
非常に甘美なもので、
表紙絵画の、
爛熟の花々は、
それらしくこの曲を表現している。


この絵画はしかし、スコットランドの
ナショナル・ギャラリーにある、
ガスパール・フェアブリュッヘンの
「果物と花」というもので、
17世紀オランダ絵画と思われ、
曲の文化的背景とは全く関係なさそうである。

このCDは、1986年6月に、
英国エセックスのLayer Marney教会でなされたという。

この時代、この作品の録音は、あまり多くなく、
その意味でも興味をそそるものであった。

併録されているのが、
グリンカの「悲愴トリオ」というのが、
また気になるではないか。

が、こちらは、あまり悲愴ではなく、
まったくもって、どこが悲愴か悩ましいものが、
それに関しては、解説にも書かれているので、
請うご期待。

「これら二つの作品は、
60年以上も時を隔てているとはいえ、
共にロシアの作曲家によるもので、
共にメロディの才能があり、
甘美な和声を愛し、
その熱狂を後継者に引き継がせた者たちであった。
偶然ながら、ロシアから遠く離れて客死しており、
アレンスキーはフィンランドで、
グリンカはベルリンで亡くなっている。」

という風に、このCD、
作曲家の組み合わせが、非常に苦しいもので、
ロシアの作曲家であるだけで、
1804年生まれのグリンカは、
アレンスキーが1961年に生まれる4年前の、
1857年に亡くなっており、
2世代以上の隔たりがある。

グリンカがシューベルトの同時代人であるのに対し、
アレンスキーは、マーラーの同時代人なのである。
しかし、グリンカは53歳、
アレンスキーは45歳で亡くなっており、
どちらも若くして亡くなった人である点は、
共通しており、
ここに収められた二曲も、
グリンカが28歳で作曲したものと、
アレンスキーが33歳で作曲したものであるから、
そういう意味では初々しい作品たちと言えよう。

まず、アレンスキーについてのお話が、
このCD解説では出てくるが、
この人は、チャイコフスキーとラフマニノフを、
繋ぐような役割であって、
そこから連想されるとおり、
非常に甘美な音楽を書いた人である。

「アレンスキーは、ペテルスブルク音楽院にて、
リムスキー=コルサコフに学んだこともあったとはいえ、
彼の音楽嗜好は、チャイコフスキーに似ており、
リムスキー=コルサコフを含む『五人組』の国民楽派と、
折衷的なアプローチをしたチャイコフスキーとバランスをとった、
モスクワ音楽院に近く、
ペテルスブルクで金メダルを取った後、
彼は、理論と作曲の教師としてここに赴任した。
彼自身の最も重要な弟子にはラフマニノフがいる。」

チャイコフスキーは、かなりブルジョワ的な仕事をしたし、
ラフマニノフは、ソ連政権を嫌って戻らなかった亡命貴族であったが、
それに連なって、アレンスキーは、ソ連時代、
あまり評価されなかったのではないだろうか。
これは憶測であるが。

このような憶測をしたのは、
下記のような、
演奏会で主要演目になりうるような大作を、
かなり多く書いているのに対し、
日本ではレコードに恵まれなかったからである。

1987年のクラシックレコード総目録でも、
アレンスキーの名前では、
エルマンが弾いた「セレナード」一曲しか出てこない。

「アレンスキーは3つのオペラ、2つの交響曲、
ピアノ協奏曲、シェークスピアの『テンペスト』への付随音楽、
多くの合唱曲、2つのピアノ三重奏曲を含む室内楽などがある。
ピアノ三重奏曲第1番は、
『五人組』結成者であるバラキレフが、
聖ペテルスブルク王室聖堂の音楽監督の
後継者にアレンスキーを任じた、
1894年に出版された。」

この他、ヴァイオリン協奏曲や、
弦楽四重奏曲、ピアノのための組曲などがあるようだ。
どれも私は聴いたことがない。
チャイコフスキーとラフマニノフに似ているなら、
そちらの有名な方を聴けば良いという心理が働くのであろうか。
いや、そもそも、録音自体、まだまだ少ないのである。

しかし、この三重奏曲は美しい。
「この三重奏曲は、5年前に亡くなっていた、
カール・ダヴィドフに霊感を受けている。
ダヴィドフは、ロシアのチェロ流派創始者、
チェロの名手で、この三重奏曲は、
彼が1876年から86年まで監督をつとめた、
1863年以来の聖ペテルスブルク音楽院での、
彼の業績の死後の証言となっている。
第1楽章は3つの主題からなり、
第1のものは劇的で、
第2のものは叙情的、第3のものは激しい。」

第1楽章の解説はこれだけであるが、
曲の冒頭から、劇的というか、
憂愁を秘めたメロディを、
たっぷりとヴァイオリンが奏で出す。
そこにチェロが絡んで来て、
ピアノの音色も深く美しい。

この主題を歌う時、ドゥビンスキーの胸は、
共感でいっぱいになっていたはずで、
彼には珍しく、望郷の歌のようなものが感じられる。

1986年と言えば、彼等が亡命してから10年、
このような形であれ、節目の年、
祖国を思う機会があったことは、
おそらく貴重な体験であったはずである。

しかし、名チェリスト、
ダヴィドフを偲ぶという楽想ではあろうが、
最初からチェロで歌わせてやれば良かったのに。
ダヴィドフは、
20世紀の名女流、デュプレが弾いていた楽器の名前ではないか。

叙情的とされる第2主題は、
遠くを力強く見やるような、
これまた美しいもの。
激しい第3主題は、
民族舞曲的なリズム感を持ち、
少し、心を高ぶらせるが、
すぐに、暗い情念に落ちていく。

とにかく、全編が、
ラフマニノフばりの泣き節であるから、
この曲を聴いて、
まったく感情が揺さぶられないでいる事は難しい。

「これに、『アレンスキーのワルツ』と呼ばれるものの、
一例のような陽気なスケルツォが来るが、
第1楽章のもの思いにふけったコーダから自然に続く。
このスケルツォは形式というより、
ムードの上のもので、本質は中心部のトリオのワルツにあり、
主部の明るいスケルツォと激しい対象をなし、
メンデルスゾーン風の繊細な色合いを持ち、
ピッチカートのパッセージのスパイスがきいている。」

この第2楽章は、ここに書かれているように、
メンデルスゾーン風に、妖精が飛び跳ねる楽しいもので、
中間部のワルツは、ピアノがじゃんじゃか打ち鳴らされて、
ゴージャスでさえある。

ちなみに、ダヴィドフは、メンデルスゾーンの
ピアノ三重奏曲を演奏によって世に出たとされるが、
こうした背景までは、作曲家も知っていたのだろうか。
ダヴィドフは、1838年生まれなので、
アレンスキーより23歳も年長である。

ただし、アレンスキーがペテルスブルクで学んだ、
1879年から82年といえば、
ダヴィドフが音楽院の院長を務めていた時期であり、
そうしたエピソードを聴く機会もあったのだろうか。

また、ダヴィドフは、それ以前、
ライプツィッヒにいて、
ゲヴァントハウスの独奏者になったり、
音楽院で教えたりしていたから、
メンデルスゾーンとは、
切っても切れない関係にあったのかもしれない。

「エレジーもまた中間部を持ち、
主部の弱音器付きのチェロと、
ヴァイオリンの会話と軽い対比がなされている。
この中間部ではピアノが暗い色調の点描風の伴奏を行い、
リラックスしたムードを醸し出して秀逸である。」

この第3楽章も濃厚にロマンティックで、
泣かせるメロディーが嫋々と歌われる。
この解説にあるように、
ヴァイオリンとチェロがもぞもぞやっている中を、
ピアノがちょんちょんとやって見たり、
泉のような分散和音をピアノが奏でる中を、
ヴァイオリンが瞑想的な歌を聴かせるなど、
中間部も独特で面白い。
これは、後で回想されるので忘れてはならない。

「終楽章は、劇的なロンドで、
二つの主題を持ち、一つは強く活発で、
第2のものは、二つの弦楽によってより優しい。
アンダンテのエピソードでは、
エレジーの中間部が回想され、
さらに第1楽章の最初の主題が現れ、
作品の統一感を出している。」

これは激しい音楽である。
ダヴィドフが51歳という若さで亡くなった事に対する、
理不尽さの現れであろうか。
それを慰めるような、二つの弦楽器の精妙な掛け合いが美しい。
そして、前楽章の泉のような楽想が現れる。
この水の流れに乗って、ダヴィドフの魂は運ばれていくのであろうか。

そして、再び、最初の嘆きの主題が出るあたり、
まさしく、この曲も、ロシアの伝統である、
「悲しみの三重奏曲」であると感じさせられる。

ユリウス・ベッキー著の
「世界の名チェリストたち」の、
ダヴィドフの項を読んで驚いた。
「チャイコフスキーは彼を『チェロの皇帝』と呼び、・・
ダヴィドフの特別の崇拝者の一人だった
アントン・アレンスキーは、
彼の想い出を素晴らしいピアノ三重奏曲に作曲した」
と明記されていたからである。
きっと、この曲は、例のメンデルスゾーンとの関係以上に、
秘められた意味があるのだろう。

ダヴィドフ自身、多くの作曲も残しているようなので、
それもまた興味があるが、今回は深追いしない。

さて、シューベルトと同時代人で、
ロシアの生んだ大作曲家としては、
グリンカを忘れるわけにはいかない。
しかし、グリンカはアレンスキー以上に、
私たちにとっては把握しにくい存在ではなかろうか。

ここでもかつて、
彼が書いたピアノ曲が含まれるCDを聴いたが、
まったくロシア的ではなかった。
これと同様の事は、このCDの作品でも言えるようで、
いきなり、それについての解説が始まる。

「グリンカのトリオは、
『五人組』の活動を通じて、
ロシア国民楽派の灯りを導いたバラキレフの、
初期の発展に重要な励ましを与えた、
『ロシア音楽の父』の作品と認める事は、容易ではない。」

ピアノ曲の場合も極めてサロン的で、
別にロシア的ではなかった。
ややこしい事に、夜想曲の創始者、
フィールドがロシアで活躍したために、
フィールドとグリンカのイメージがごっちゃになり、
フィールドから直接連想される繊細なショパンと、
のちに荒くれたちを排出するロシア音楽が相容れない雰囲気なので、
グリンカを無視したくなるのである。

しかも、それらは、散発的な現象であり、
まともに大曲になっているものがこれまた少ない。
オペラは有名だが、器楽曲となると、
アレンスキーと違って、交響曲も協奏曲もなく、
室内楽でも、初期のものがぱらぱらあるだけ。
いったい、この人は何なのだ、と言いたくなる。

ここに収められた、ピアノ三重奏は、
そうはいっても、日本では古くから、
オイストラッフの演奏で知られたもので、
このオイストラフのビクター盤には、
チェリストであり、ロシア音楽研究の第一人者であった、
井上頼豊氏が簡潔な解説を書いておられる。

「グリンカの室内楽作品は9曲あるが、
すべて初期の作品で、そのうち5曲までが、
イタリア留学中の作品である。
グリンカは1830年春、
イタリアへ出発し、3年をすごし、
その間に歌曲・変奏曲・室内楽曲を書きながら、
南国の陽気な旋律がロシア人とは合わないと感じはじめていた。
この「悲愴」は1832年9月から10月にかけて、
28歳のグリンカがスイス国境に近い
バレーゼで書き上げたもので、
原曲は、ピアノとクラリネットとファゴットのために書かれたが、
現在では管楽器のパートをヴァイオリンとチェロで受け持つほうが、
一般的になっている。
グリンカはこの曲の扉に、
『悲愴三重奏曲の断章。コモ湖畔にて』と書いているが、
まさにこの曲は4楽章だが多分に断片的で、
後年の病いの原因となった
<はげしい絶望感>に満ちている」
と書いているが、どこがはげしい絶望かは意味不明。

このシャンドスのCDにも、この「悲愴」のタイトルは、
かなり疑問視されている。
「ピアノ、クラリネット、バスーンのために書かれた、
オリジナル出版時、付けられたタイトルも変である。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための、
Hrimaldyによる編曲によって、
この作品はレパートリーに残ることになった。
この作品は、28歳のグリンカが、
健康上の理由でイタリアに滞在していた、
1832年に作曲され、
ミラノ音楽院の音楽監督と共に、
作曲に取り組んだことから、
ドニゼッティやベッリーニの影響下にあり、
医者によって、毎日、彼が胸部に塗る必要を命じた、
薬の臭いがする。
哀れな作曲家は、自伝に、
『私は、愛が運んでくる痛みによってのみ、
愛というものを知った』と書いたような環境下は、
基本的に朗らかで叙情的なこの作品が、
『悲愴』という見当外れなタイトルを、
持つ口実にするには十分であろう。」

難しい事を書いてくれている。
胸部に塗られる膏薬の臭いがする音楽とは、
いったい、どの部分を指すのであろう。

イタリアの作曲家からの影響は、井上氏も、
「ドニゼッティの影響も見えるが」と書いて認めているが、
「グリンカ特有のロシア的パトスが顕著である」と、
反対の結論で終わっている。

いったい、この曲は、「悲愴」なのかどうなのか。
「ロシア的パトス」はあるのかないのか。
そもそも、「グリンカ特有」というのが良く分からない。

さて、今回、CDの解説を見るとこうあるではないか。
「ロシア的パトス」はいいから、このイタリア的な官能を、
見つける方が楽しそうである。

「この作品は4楽章からなるが、
4つの関連する部分からなる、
1楽章の作品の性格を持つ。
それは、全編を通じ、グリンカが、
『小さなイタリアのベッドルーム、
窓を通じて、美しい月光が輝き、
そこには、美しいイタリアの少女が横たわっている。
彼女の黒い髪は、すべてではないが乱れ、
肩に、胸にと落ちかかっている。
彼女は素晴らしい。いやそれ以上だ。
彼女の全てが、その情熱と妖艶を確信させた』
と書いているような、
イタリアの温もりを想起させる。
彼の友人が、グリンカについて、
『彼は音楽を愛し、ペチコートを愛した』
と書いたとしても驚くには値しない。」

この曲は、一応、CD背面にあるように、
第1楽章、アレグロ・モデラート(5:55)
第2楽章、スケルツォ、ヴィヴァーシッシモ(3:53)
第3楽章、ラルゴ(5:48)
第4楽章、アレグロ・コン・スピリート(2:04)

やたら、終楽章が短く、
それに先立つラルゴが、
終楽章の3倍近くの長さになる点、
第2楽章にスケルツォが置かれ、外見的には、
ベートーヴェンの「第9」みたいだということが分かる。
が、そんな大がかりなものではない。

が、井上頼豊氏が言うように、
「断片」であるのだとしたら、
本来の構想は、もっと別にあったのかもしれない。
そもそも完成作として聴くべきかどうかも悩ましい。

私は、これらの解説を読んで、完全に混乱気味である。
イタリアの官能を聴くべきか、
ロシア的パトスを聴くべきか、
さっぱり分からなくなっている。

あるいは、イタリア的官能の中の、
ロシア的パトスを聴くべきなのだろうか。

「最初の3楽章は、中断なく演奏され、
フィナーレでは、すでに出てきた材料を利用した、
短いエピローグが付く。
アレグロ・モデラートにおいて、
主要主題は、最初から、
エネルギッシュで興奮しており、
叙情的な第2主題と対比されながら、
展開されるに連れ、情熱を増す。」

これはCD解説であるが、井上氏は、
こう書いて、いきなり「悲愴」的であると断言傾向。
「第1楽章は劇的な主題を中心に各楽器が激情的に高揚する。」

確かに叩き付けるようなヒステリックな主題で始まり、
第2主題は、その緊張を和らげるような、
なだらかなもの。

何だか、アリャビエフの
「ナイチンゲール」みたいな趣きもあって、
そこがロシア的パトスかな、
とも思うが、終始歌い続けるピアノなど、
フンメル風でもあり、
ロシア的というよりはるかにそちらに近い。

というか、発想そのものが、
ベートーヴェン的でなく、
フンメル的と言える。

フンメルのピアノ入り室内楽は一世を風靡したが、
元は、弦楽ではなく管楽を使っていた。
そういった意味でも、
もともと管楽器のために書かれたという、
このグリンカ作品との、関係は濃厚に見える。

「スケルツォ風のヴィヴァーチッシモは、
チェロによって導かれる、
美しいメロディのトリオを持つ。」

この楽章は、シューベルト風とも言える、
中間部のメロディが美しい。
これに関しては、井上氏は述べず、
こう書いている。
「第2楽章は第1楽章の要素を受けて、
旋律的で、比較的短い。」

この楽章の屈託のなさは、
まさにロシア的パトスからは遠く、
南国の香りの方が強い。

「イタリア風のカンティレーナは、
愛らしい『ラルゴ』(第3楽章)に明白で、
愛する追憶の、もの思いに沈んだ優雅さで終わる時、
主要主題がひらひらと舞う。」

この部分は、確かに美しく、
特に、シャンドス盤では、トゥロフスキーのチェロの、
朗々たる音色を堪能することが出来る。
必ずしもイタリア的かどうかは分からないが、
感情の充満した音楽で、オペラの一場面、
チェロとヴァイオリンが歌い交わす、
まさしく名場面にふさわしい内容である。

井上氏も、
「第3楽章はヴァイオリンと
チェロの比較的長い独白が美し」いと書いている。
完全に愛のデュエットであるが、
ここからは、膏薬の臭いやロシア的パトスは感じられない。
むしろ、かぐわしい夜の気配が濃厚である。

CD解説には、
「これら全ての着想は、
この作品を劇的勝利に導く拡張されたコーダまで、
フィナーレで強調される」とあるが、
風雲急を告げて、悩ましい愛のひとときが、
完全に破局に到った感じが「悲愴的」かもしれない。

井上氏の解説は、より直裁的で、
「第4楽章は短く、終曲というより全曲の結尾に近く、
第1楽章の楽想を変奏的に再現したものである」
と書いている。

こうやって、あれやこれやを考えつつ聴くと、
ロシアかイタリアか知らんが、
中間の2楽章は、
快活で幸福感に満ち、愛の気配が充満しているが、
最後に、過去のものとして崩れ去る音楽として、
「悲愴」というより、「悲劇的」である。
第1楽章は、それを回想する時の痛々しい音楽である。

これは、標題音楽として聴くと、
かなり納得できる音楽かもしれない。

同年代に奇しくも、ベルリオーズがいるが、
彼が、音楽で失恋を描いたように、
この三重奏曲も、第1楽章を「夢と情熱」と呼び、
終楽章を、「断頭台」と呼んでも良さそうだ。

ただし、ベルリオーズと違うのは、
グリンカは、心から、イタリア留学を楽しんだようで、
中間2楽章が幸福感に満ちている点であろう。

シャンドスのボロディン・トリオの演奏は、
しかし、幾分、この不思議な音楽に戸惑いを覚えているようだ。
何となく統一感が不足し、散漫な印象を受けた。
各部は、感情の起伏のまま、
細部まで表現され、十分に歌われてもいるが、
この解説の影響で、何が何だかわからなくなったのか、
ひたむきさが不足する。

b0083728_1441742.jpg一方、昔、ビクターから出ていた
オイストラフ・トリオ盤は、
ハイドンのホ長調のトリオと一緒に、
A面に、このトリオが詰め込まれ、
B面はスメタナの
ピアノ三重奏曲が入っているという、
贅沢収録LPであった。
こちらの表現は、
ボロディン・トリオとは異なり、
一気に駆け抜ける感じ。
これなら「悲愴」っぽい感じになる。


もともと何年の録音かは分からない。
しかし、この3人の巨匠を集めながら、
ジャケット写真はオイストラフだけ。


モノーラルではあるが、今回、聞き直してみて、
音に不満はなく、非常に美しい演奏だと思った。

曲の性格ゆえに、オイストラフやクヌシェヴィツキーより、
オボーリンのピアノの落ち着いた美しさに耳を奪われた。
しかも、シャンドス盤よりひたむきな感じで、
全曲を15分半で弾ききっている。

特に第1楽章の推進力は、
焦燥感を感じさせて迷いなく、
これなら「ロシア的パトス」と呼ばれても
おかしくはない、という印象。

ただし、第2楽章は素っ気なく、
第3楽章のラルゴも香気よりも内省的で、
クヌシェヴィツキーのチェロ独奏も妙に厳しく、
オボーリンのピアノは沈潜して、暗い情念をたぎらせる。
ただし、一気に弾ききっているので、
何だか騙されたような感じがしないでもない。

CD解説にあるような、
なまめかしい留学の日々を聴くなら、
冒頭の絶叫からして、
ボロディン・トリオの方がそれらしく聞こえる。

この聞き比べ、同じ曲でありながら、
かなり違う印象を与える内容となっていて興味深かった。
「悲愴」的に聞きたいならオイストラフ盤だし、
青春の追想を味わうにはボロディン盤だ。

得られた事:「グリンカの『悲愴三重奏曲』は、フンメル的という意味で、『ます』の五重奏曲の兄弟かもしれない。」
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by franz310 | 2010-10-24 14:37 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その220

b0083728_0255371.jpg個人的経験:
歴史的ピアノおたくの
オールト先生のCD、
由緒正しい楽器で演奏しただけ、
と思ったら大間違い。
ショパンの作品に至っては、
何と、フランスのプレイエルと、
エラールのピアノで、
弾きわけられている。
やはり、これを聴いてからでないと、
このセットを扱ったことにはなるまい。


作品9と作品15と作品32と作品62と72は、
CD1で、ショパンが好きだったプレイエル(1842)で弾かれ、
作品27、作品37、作品48と作品55は、
CD2で、よりパワフルなエラール(1837)で弾かれている。

何故、このように分けたかは、
曲想によるものらしく、
後で、少し、その辺りの解説がある。

このブログでは、シューベルトの事を書きたいのに、
今回、ショパンまで暴走してしまうが、
このCDセットの解説には、
フンメルの事も出て来たので、
脱線も、
何とか許容範囲に収まるとしよう。

ショパンの音楽は、
もうずっと昔から愛聴していたものだが、
シューマンやリストとの交流の中で、
一人だけ、熱くロマン派してる感じがせず、
気取った俺様のようなパーソナリティがちらついて、
どうも素直になることが出来ない。

また、ショパンの作品は、
表層的な表現で聞かされる事が多いのも問題だ。

近年では、妙に弱音に終始したり、
やたらテンポを遅くしたりして、
新機軸を狙った演奏も増えているが、
本当に、ショパンとはそんな音楽か?
などと首を傾げて退屈したりする場合があったりする。

往年のショパン弾きしか、
ショパンの様式は再現できない、
などと言う人に、
私も時々賛成したくなることがある。

最近、感動したのショパンは、
ルービンシュタインが復刻されて、
音が良くなったCDだったりもする。

とはいえ、乗りかかったCDボックスである。

そもそも、ヴィーン式と英国式のピアノについて、
なんだかんだと考えながら読んで聴いておいて、
プレイエル、エラールといったフランス式について、
全く読まず聴かずにいるのは、どうも座り心地が悪い。

今年はショパンの生誕200年でもあるし、
いっそ、それにちなむのも良いだろう。

このCDセット、外箱は白鳥デザインだが、
各CDは紙ジャケットに収められている。
これらは全て花を描いた油彩の写真でまとめられている。
どれも古い静物画の一部を拡大したもので、
非常に大味だが、花の香りがむせかえるようである。

これがパリのサロンの香りと言われれば、
ちょっと違うような気もするが。

このブリリアントのCD、
非常に廉価ながら、解説が手抜きでないのが嬉しい。

では、ショパンについて書かれた部分を読んで見よう。

「ショパン:
(1842年のプレイエルと1837年のエラール、
エドウィン・ベウンクのコレクション)
その生涯の終わりにかけて、
ショパンはいくつかの楽器を自由にできた。
『私はピアノを3台持っています。
私のプレイエルに加え、
ブロードウッドとエラールを持っていますが、
ここのところ、自分の楽器しか弾けないでいます。』
(1848年5月13日の手紙より)
ショパンの何人かの生徒や同時代者は、
ショパンのプレイエルへの偏愛を証言している。
ピアニストで教師、音楽ライターでもあった
マーモンテル(1816-1898)は、
ショパン自身の言葉を引用している。
『私が最高の状態にない場合、
指もしなやかにすばやくは動かない。
鍵盤を自由に意志のとおりに出来ず、
キーのアクションやハンマーを思い通りに制御できない時、
私は、エラールの明解で明るく、出来合いの音色を好む。
しかし、私が疲労無く、ここぞという時には、プレイエルが良い。
心の内奥の考えや感情の表現が、より直接的に出来、
よりパーソナルな感じで出来る。
私の指が、そのままハンマーにつながって、
私自身の感覚や目的とする効果を、
正確に、信頼厚く翻訳してくれる。』
現代のピアノに慣れた21世紀の聴衆には、
二つの楽器の特徴的な音質は、
どちらも同様に変わったものに思えるが、
ショパンの時代には全く異なるものと考えられていた。
同時代のピアノ技術者モンタールは、
プレイエルについて、こう書いている。
『ハンマーの衝突は、
音響が純粋、明解に、
激しくさえ感じられるように計算されており、
中心は非常に固く、
柔らかく弾性のある皮でハンマーは注意深く包まれ、
柔らかくビロードのような音を生み、
鍵盤への圧力によっては、
重量感や輝かしさが得られる。』
リストもまた、
ショパンが、『その銀色の少し曖昧な音色や、
タッチの軽さゆえに』、
特にプレイエルを好んだと書いている。」

どうやらプレイエルという楽器は、
非常に繊細なもので、
ちょっとしたニュアンスの違いが表現しやすいもの、
エラールはもう少し、八方美人的で、
現代的なものだったものと思える。

このCDでプレイエルを聴くと、
何となく、響きの浅い、
うすっぺらな板を叩いているような感じがする。

エラールは、残響が豊かで、
一聴すると、現代のピアノと変わらない。
どう考えても、エラールが進化形、
と思えるのだが、そうとも言い切れないようだ。

「ショパンがプレイエルを好んだことは、
彼の弟子、ウィルヘルム・フォン・レンツが、
後年書いた事によっても知ることが出来、
彼は、1872年に、
『ショパンは他の楽器は弾かないと言われていた。
フランス製の中では、それは最もタッチが軽かった。
私のエラールより、楽器がはるかに良く反応した。』
と書き、それに加え、レンツは、
セバスチャン・エラール製のピアノは、
リスト、ヘルツ、ベルティーニに最も合い、
プレイエル製のピアノは、
ショパン、カルクブレンナー、ヒラーの理想であった』、
フィールドのロマンスを歌わせたり、
ショパンのマズルカを快く響かせるにはプレイエルが必要で、
大演奏会にはエラールが必要である、
と言っている。
『このリストとショパンのスタイルの違いは、
演奏における、内向的なスタイルと、
外向的なスタイルの違いや、
フランスのサロンと、コンサートホールの違いと、
言えるかもしれない。
ショパンはエラールについて、端的に言っている。
『殴ってもぶつけても、全く違いはない。
音は常に美しく、その豊かに共鳴する音響によって、
耳はそれ以上のものを捉えることが出来ない。』」

ということで、エラールの豊かな響きでは、
表現しつくせないものを、
ショパンは望んでいたということだ。

それにしても、オールト教授は、
これでもかこれでもかと、楽器の違いを書いてくれる。
ショパンはブロードウッドも持っていたはずだが、
これは何が違うのかも知りたいところだ。
ところが、これについては、
すでにフィールドで使ったせいか、
もう、ショパンでは出てこないので、
期待してはいけない。

「エドウィン・ベウンクのコレクションから、
美しい1837年製のプレイエルと、
1842年製のエラールを使って演奏してみて、
以上述べたこれらのことは全て正しいと感じた。
この録音を始めるに当たって、ショパンが、
『敏感に、疲れさせずに指を動かす準備をして』弾くべし、
と言ったように、ピアノを語らせ、歌わせるために、
プレイエルを美しく響かせるためのあらゆる努力をした。
1770年から1850年の
ヴィーン製ピアノを弾くのに慣れた人は、
プレイエルはエラールより理解しやすいだろう。」

ここで、何と、プレイエルはフランスの楽器ながら、
むしろ、ヴィーンの伝統を保っているような言葉が出てくる。

とすると、ショパンの好みは、
ヴィーン式に近いということになる。
シューベルトとショパンは、
意外に近いところにいるのだろうか。

「この驚くべき特徴について、
ショパンの弟子の、エミーリエ・フォン・グレッチェは、
こうコメントしている。
『ショパンが彼の美しいピアノで弾くのを聴くと、
ヴィーンの楽器に似たニュアンスになりました。
私の豊かでかっちりとしたエラールで出来ることが、
ショパンのピアノではぶっきらぼうで、
醜くなりました。』」

恐ろしく手間のかかる楽器のようだ。
オールトが4枚組CDのうち、
プレイエルで弾いたのは1枚だけなのは、
こうした理由もあるのだろうか。

何しろ、プレイエル作曲の「夜想曲」も、
前回、紹介したように、エラールで弾いているのである。
やはり、華奢な印象だけあって、
簡単にバランスが破綻するのだろう。

「しかし、リストが言った、
プレイエルのヴェールのかかった響きは、
ヴィーンのピアノフォルテとも、
異なるスタイルで弾かないと、
姿を現すことはない。
多くの報告と共に、ショパンの弟子の
アドルフ・グートマン(1819-1882)
による、こんな記述もある。
『ショパンは基本、非常に静かに演奏し、
たまにしかフォルテッシモを出さなかった。』
そして、騒々しく弾いたり、
リストのように、『桟敷席に向かって弾く』と、
音のしなやかさは簡単に損なわれてしまう。」

CDなどで一人聴く「夜想曲」は、
別に、桟敷席に届く音量である必要はない。
プレイエルの響きを、もっと味わってみないといけない。

「それゆえに、プレイエルは、
楽器が歌うことも、
楽器が息を接ぐことも出来ない、
ドラマティックな領域に、
楽器を駆り立てないようにするべきで、
楽器自身を語らせれば、
『夜想曲』にぴったりな楽器なのである。」

このように、プレイエルという楽器を、
何とか使いこなして、その美感を表現しつくそうとした、
努力の結晶のような録音ということで、
このCDは、大変、貴重なものと思えて来た。

最初、何となく気になったぺらぺら感も、
こんな解説を読みつつ鑑賞していると、
それがそれで得難い特質と思えて来る。
音響を聴いてはならない。
何か、語られていることを聞き取る、
というのも、なかなか努力がいる聴き方である。

甘美なことで有名な「作品9の2」で、
オールト先生の自由な装飾や、
思い切ったテンポ・ルバートにうっとりとして、
美女と口ずさむ睦言などを妄想してみた。
確かに、人の声というものは、
エラールのように響き渡るものではない。
そんな感じがして来た。

そう言えば、シューベルトも、
楽器を人の声のように歌わせるのが好きだった。

同じような乗りで、
作品15の3(トラック7)や作品32の1(トラック8)など、
内省的な音楽に耳を澄ませると、
非常に、心落ち着くことは確か。

という事を勝手に考えて、
次の一節を読むと、
どうして良いか分からなくなるではないか。

何と、今度は、エラールこそが、
夜想曲を弾くべき楽器と書かれているではないか。
いったい、どっちなんだ。

「私がショパンの二枚目の夜想曲と、
彼の同時代者の夜想曲の録音に使った、
1837年のエラールが難なく出せる美しさは、
夜想曲を歌わせるのに必要なものに他ならない
その優美でメランコリック、
温かくロマン的な音色ゆえに、
まずは容易に夜想曲を奏でることが出来る。」

慌ててCDを取り替える。
こちらにも、夢見るように美しく、
有名な「作品27の2」が入っている。
これを聴いていると、人の声が、
どうこうというより、リッチな雰囲気だな、
などと考えてしまう。

が、次を読むと、オールト先生は、
ここでも大変な努力をしていることが分かり、
非常に恐縮してしまった。

「事実、ショパンは、エラールについて、
『音響は常に美しく、
たっぷりとした響きである。
それゆえに、
耳はそれ以上のものを求めない』
と書いている。
しかし、美しい音色以外に関しては、
実際、ショパンが要求した、
異なる色彩、ムードの変化を作り出すには、
非常な努力を要する。
ショパンの何人かの弟子が証言したように、
まず第1に、プレイエルと比べ、
エラールのタッチは重く、柔軟性に欠ける。
ウィルヘルム・フォン・レンツは、
1872年に、再度、
『プレイエルは私のエラールよりすぐに反応する』
と書いている。
しかし、エラールにはある質感がある。
それは現代の演奏家に親しい楽器と同じものであり、
それゆえに、現代の音楽生活にフィットするものである。
エラールのピアノは、非常に外向的で、
レンツの言葉では、
『エラールのピアノの明るい音色には限界がなく、
プレイエルのメロウな音色と比べ、
明解で鋭敏、異なるもので、
大ホールの端までその音色は減衰しない』。」

どうやら、オールト教授は、ここでは、
今度は、油絵の具で山水画を描くような、
細心の努力をしているようなのだ。

「夜想曲作品32の2、48の1、55の1は、
特に、美しい1837年のエラールによって、
プレイエルでは到達不能な、
ある種の壮大さを獲得する。」

ということで、作品32や48、55は、
エラールで弾かれているのかな、
と思うと大間違い。
作品32はプレイエルで弾かれている。

とにかく、作品48の1は、聴いて見よう。
CD3のトラック5に入っている。

これは、もはやバラードとでも呼びたくなる、
低音を響かせてニヒルに歌う、重厚な作品である。
これは、中間部で静かな、押し殺したような表現から、
階段を駆け上るような劇的表現に続く作品で、
確かに桟敷席を意識した作品であろう。
この後、テンポが速まって、
胸をかきむしるメロディが切れ切れに歌われるが、
もうこれなどはメロドラマの場面。
確かに、この曲は、エラールで聴くべしである。

では、作品55の1はどうか。
これは同じCDのトラック7である。
この作品は、内省的な、うらぶれたような、
ちょっとグレたような、斜に構えた放浪の主題ゆえに、
いくぶん地味な作品と思っていた。

何故、この作品がエラールにふさわしいのか。

などと思って聴いていると、
中間部で、これまた階段駆け下り状の、
狂乱の場が現れるのだった。
コーダも、何だか技巧見せつけ系である。

こうした劇的対比が出ると、
確かにプレイエルよりエラールだ、
という感じもする。

では、ここで、エラールで聴くべしとされながら、
何故か、プレイエルで弾かれている、
作品32の2を聴いて見よう。
これはショパンの1枚目
(この4枚組のCD2)のトラック9である。

なお、同じ作品32でも作品32の1は、
前述のように、睦言のようにも聴けるので、
プレイエルがよい。

牧歌的に野山を明るく駆け巡る感じの楽想で、
別に、タイトルが「夜想曲」でなくても良い感じだが、
だんだん今日の午前中の空模様のように、
陰りも見えて来たりして、どうも、
追い立てられているような気分になってくる、
まったく落ち着かない夜の調べである。

オールト先生のつけた装飾がまた、
様々なとりとめのない印象を振りまいて行く。

無理矢理、最後は、眠るように終わるが、
確かに指の動きをデモンストレーションする、
ショウピースのような感じの曲。
そう考えると、当然、エラールの方が良いのだろうか。

この後、晩年の境地を感じさせる、
「作品62」が収録されている。
これなどは、いかにも、語りかけるようなメロディが、
心に染みるものであるから、
プレイエルで聴きたいものだ。

響きが浅いので、
かなり微妙なニュアンスで勝負しないとダメで、
確かに、オールト先生も苦心惨憺、
というか、細心の注意で神経を使っているのがよく分かる。
それだけ、ダイレクトに訴える楽器と言うべきなのだろう。
確かに、ショパンという作曲家の魅力は、
こうした、ちょっとした語り口の中に、
そっと心情を垣間見せるようなところに魅力がある。

最後に、オールト先生は、
これらの録音で、楽譜通りではない弾き方をした事について、
弁明を試みている。
これは大変参考になる。

「私がフィールドの夜想曲を録音した時、
ショパンがフィールドの作品を演奏した時に行ったように、
いくつかの曲は自由に装飾してよいと感じ、
繰り返しの変奏も行った。
このことは、弟子のカロル・ムクーリ(1821-1897)が、
『ショパンは、
フィールドの夜想曲を弾く時、
最も美しい装飾を即興的につけるのを、
ことさら好んだ』と言っていることから分かる。
さらに、レンツもミクーリも、
ショパンは自身の作品にも装飾をつけたと言っている。
(作品9も1、2、作品15の2などは記譜されている)
また、あるときは、彼の弟子によって、
異なるフィオリトゥーラが加えられているし、
(夜想曲作品9の2では、それらの二つを採用した)
私もまた動機の再現時には、
いくつかの夜想曲で小さなフィオリトゥーラを加えた。
(作品9の2、作品32の2、嬰ハ短調遺作)」

こうした事は、ちゃんと書いてもらわないと、
なかなか素人には分からずに、
何だか違うぞ、という事になりがちである。

解釈の違い、などと、仰々しく考えると間違いで、
単に楽譜の違いということかもしれないのである。

「死後に発表された嬰ハ短調は、
手稿からの版で録音したが、
ここでは、主部が2/2拍子に対し、中間部が、
ポリメトリカル(右手は3/4拍子で、左手は2/2拍子)で記譜されている。
この夜想曲はすべて4/4拍子で記譜された版もある。
私はこのポリメトリカルなパッセージを、
ショパンが、夜想曲を演奏する時には、
間違いなく使ったはずのルバートに、
似ているものと考えた。
この精神にて、私は他の夜想曲でも、
私がリズミカルな伴奏の上で、
メロディが自由に歌うべきだと感じた時、
ルバートを使った。」

この嬰ハ短調は、ショパンの1枚目、
つまりCD3の最後に入っている(Track12)。
これは先年、某局のTVドラマ、
「風のガーデン」の主題歌になって有名になったものだが、
この解説には、緒形拳や平原綾香は当然出てこない。

この曲は「遺作」とされているが、
1830年の作品とされ、
ショパンの夜想曲としては最初期の作品である。

主題歌となるくらいなので、
非常に歌謡的であるが、
中間部では変化がついて、
一転、ピアニスティックな表現が
見られると思っていた。

しかし、この演奏では、
ポリメトリックにこだわったのか、
不思議な浮遊感はあるとは言え、
中間部の表現はかなり素朴。
ショパンの肉声には、こうした解釈が近いのかもしれない。

逆に、シンプルすぎるので、
あるいはプライベートにすぎるので、
ショパンは、出版を見合わせていたのだろうか。

ショパンの姉のルドヴィカが、
持っていたのを、ショパンの死後、
出版したものという。

先の中間部は、ピアノ協奏曲第2番の一節に似ており、
自作の使い回しと言われたくなかったので、
あえて、出版しなかったのかもしれない。

それにしても、こうした学究的アプローチは、
何だか、ショパンを身近にするな、
と考えたりした。

得られた事:「プレイエルで聴いた後、モダン楽器で聴くショパンは、ヴィブラートがかかりっぱなしの声のような違和感があった。」
「睦言を妄想するには、ヴィーン式に近いプレイエルである。」
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by franz310 | 2010-04-04 00:26 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その197

b0083728_9154023.jpg個人的経験:
前々回、コジェルフのオラトリオ、
「エジプトのモーゼ」を聴いたが、
このオラトリオは、1772年、
ガスマンによって創設された、
ヴィーン音楽家協会
(Wiener Tonkunstlersozietat)の
委嘱を受けての作品であった。
この協会は、
音楽家の互助会のような性質を
持っていたようである。


コジェルフは1787年のクリスマス担当で、
その他、ディッタースドルフが「エステル」を、
ハイドンが、「トビアの帰還」を書いたとされるが、
モーツァルトもまた、この協会から委嘱されていたようだ。

「悔悟するダヴィデ」という問題作が、
こうして生まれた。
ケッヒェルの番号で、469番がついている。

彼のピアノ協奏曲が好きな人は、
あの有名なニ短調K.466や、
ハ長調K.467を思い出すかもしれない。

あるいは、室内楽なら、このあたりでは、
ハイドン・セットの最後の「不協和音」K.465、
ピアノ四重奏曲K.478が有名である。

このような、高みにあったモーツァルトのものながら、
ほとんど知られていない作品である。

これは、一般には、スヴィーデン男爵が創設した、
ヴィーン芸術家協会のために書かれたとされていたが、
どうやら、ガスマン創設の音楽家協会と同じ団体のようである。

例えば、このCDの英文解説でも、
Vienna Society of Artistsとあるので、
「芸術家協会」が正しく思えるが、
同じCDのドイツ語解説では、
Wiener Tonkunstler Societatとあり、
これは「音楽家協会」と訳されるべきものであろう。

音楽家の未亡人や孤児のための募金集めの演奏会であるから、
芸術家協会では、少々話が合わなくなってしまう。

このナクソスのCD、
演奏は、ライプツィヒ室内管弦楽団のもので、
何と、ゲヴァントハウスでの収録とある。
シュルト=イェンセンという指揮者が振り、
ルンド、ヴァーリンといった人たちがソプラノを受け持ち、
オディニウスというテノールに、
不滅のバッハ合唱団というすごい合唱がバックについている。

2006年の4月の録音で、非常に澄んだ音で聴ける。
指揮者がデンマーク人、ソプラノがノルウェーとスウェーデン出身、
といった北欧の風があるからだろうか。
ルンドは1979年生まれ、
ヴァーリンも2000年に学校を卒業した人のようなので、
その若さが爽やかなのだろうか。

後述のように、この作品、成立がクリーンな感じではないが、
演奏がクリーンな感じで救われているかもしれない。

表紙には、Simeon Solomon(1840-1905)という人の、
『David』が使われている。
儚げな様子が、ミケランジェロの作品とは大違いであるが、
悔悟する場合は、こんな顔になったのかもしれない。
この絵画の消え入りそうな感じは、
「私は声を上げて泣く」などと歌われる、
この作品の歌詞とマッチしていると言えなくはない。

さて、このCDの解説には、この問題作は、
どのように書かれているであろうか。
Keith Andersonという人が書いているが、
私の感覚では、分量の比率として、
少々、曲に対する解説が不親切のような気がしているが。

最初の半ページは、モーツァルトの生涯の概観なので、
今回は省略、次の半ページに、
この曲の成立の由来が現れる。

「モーツァルトの教会音楽の大部分は、
雇い主の求めに応じて書いた、
ザルツブルク時代のものである。
1781年からのヴィーン時代には、
他に多くの優先事があったが、
1783年には、もう一度、ザルツブルクを想定し、
1曲のミサ曲の作曲に専念した。
1782年8月、彼は、
作曲家、カール・マリア・フォン・ウェーバーの、
親類でかつての女地主の娘、
コンスタンツェ・ウェーバーと結婚した。
最初、彼はこの縁組に反対していた父親に、
このことを隠そうとしており、
このカップルがザルツブルクで、
彼女の義理の父と姉と会うのは1年後のことだった。
この機会に、モーツァルトは、
断続的に作曲していながら、
クレドとアニュス・デイが未完成だった、
『ミサ曲ハ短調K.427』を携えていた。
この作品は、最初に彼らがザルツブルクを訪れた際、
コンスタンツェが、彼の地の聖ペーター・ベネディクト教会で、
ソプラノ・パートを歌う約束を果たすためのものだった。」

ここまでは、このオラトリオと無関係の内容に見えるが、
このミサ曲が、このオラトリオの原曲となった経緯が、
以下のように説明される。

「1785年、慈善組織であった、
ヴィーン音楽家協会(英訳文では芸術家協会)から、
作品を依頼された時、絶頂期にあり、
作曲家としても演奏家としても多忙だったモーツァルトが、
頼りにしたのは、実に、この以前の作品であった。
この団体は、亡くなったメンバーの、
貧困な寡婦や孤児の面倒をみていたことで、
明らかにモーツァルトも興味をもっており、
その会員になりたがっていたものだった。」

このような編作は、はたして、
どのような評価をすればいいのだろうか。
厳密には、オリジナルではないから、
こんなのはまともな作品ではない、
と考えるのが普通かもしれない。

そのせいか、この作品、
モーツァルトには珍しいオラトリオでありながら、
また、その絶頂期のものながら、
ほとんど知られていない作品として放置されている感じがある。

「この新作、『悔悟するダヴィデ』は、
おそらくロレンツォ・ダ・ポンテのイタリア語のテキストにより、
モーツァルトは、ラテン語の歌詞を、
しぶしぶ新しいイタリア語に置換えて行った。
しかし、彼は、2曲の新しいアリアと、
最後のカデンツァを追加している。
『悔悟するダヴィデ』は、
1785年3月13日と15日に、
ホーフブルクの国立劇場で演奏された。
モーツァルトの『後宮からの誘拐』で、
コンスタンツェ役を歌った、
サリエーリの弟子カテリーナ・カヴァリエーリが、
ソプラノを受け持った。
第2ソプラノはエリザベス・ディストラーで、
テノールは、ヴァレンティン・アダムベルガーだった。
レオポルド・モーツァルトは、
この時、ヴィーンに息子を訪ねて、
その活躍に当惑していたが、
残っている娘への手紙には、
おそらく聴きに行ったと思われる、
音楽家協会の演奏会の予告の短信が残るだけである。
声楽家の数、コーラスの大きさに対応し、
必要とされるオーケストラは大きなもので、
各コンサートは、ハイドンの最新の交響曲、
同じくハイドンの、『トビアの帰還』からの合唱、
ガスマンの『プシシェの愛』の合唱や、
独唱アリア、器楽曲などを含む、
ごちゃ混ぜの内容だった。
最初の演奏会はレオポルド・モーツァルトの弟子、
ハインリッヒ・マーチャントのオーボエ協奏曲が、
二回目の演奏会では、
同じ人のヴァイオリン協奏曲が演奏された。」

こうしたごたまぜの演奏会であったせいか、
この作品は、未完成の作品の焼き直しで済むくらいの規模で、
CD二枚を要した、コジェルフの「エジプトのモーゼ」
のようなものを連想してはならない。

40分程度で、このCDにも、余白にはもう1曲の宗教曲、
12分半の「レジーナ・チェリ」K.108が収録されている。
このK.108は、1771年、ザルツブルクでの作品とされ、
題名は、「天の女王」を意味し、つまり、聖母賛歌のようである。

逆に、モーツァルトがこの程度しか書けなかったから、
父レオポルドにも頼んで、
他の作品をかき集めてもらったようにも見える。
レオポルドが、何故、この演奏会の様子を書かなかったのか、
などということも気になる。

意外にも、レオポルドの弟子の作品の方が、
評判が良かったもかもしれない。
そうした場合は、報告も、しにくかったかもしれない。

ミサ曲ハ短調も、この作品も、
両方とも知っていた人は、
レオポルドと、コンスタンツェの二人だけだったのか、
それとも、公衆にもバレバレであったのかは不明。

入りたくて仕方なかった協会のために、
このような作品しか提出できなかった事について、
モーツァルトはどう思っていたのであろうか。

少なくとも、10年前の春に演奏され、
前年にも再演された、ハイドンの大力作や、
2年後のクリスマスに現れたコジェルフの力作と比べ、
今日から見ると、かなり見劣りがするのは確か。

モーツァルトは俺様だったかもしれず、
これで何が悪いと思ったかもしれないが、
レオポルドは、少し、呵責を感じていたのではないか。

あるいは、コンスタンツェが、
うっかり、これは私の曲だ、などと、
つい口を滑らせたかもしれない。

歌詞がぴったり当てはまる点なども怪しく、
あるいは、ポンテに、適当にこんな感じの歌詞を書いてくれ、
などと頼んだのはモーツァルト本人だったと考えるべきであろう。

どう考えても、あまり褒められた来歴のものではない。

さて、以上のように、初演の様子などが、
事細かに書かれているにもかかわらず、
どのような内容なのかはよく書かれていない。

(ちなみに好評だったという解説もどこかで読んだ。)

前回、コジェルフの「エジプトのモーゼ」が、
モーゼのようでモーゼでなかった以上に、
この作品のダヴィデは、まったくもってダヴィデではない。

モーゼと言えば十誡であるように、
ダヴィデといえばゴリアテであるが、
テキストにそんな内容は皆無である。

どこがどのようにダヴィデであるかなど、
この曲のテキストを読んでもさっぱり分からないのである。

そこで仕方なく、私は、聖書の要約から、
ダヴィデが何故に悔悟しなければならなかったかを、
探そうとしてみたが、
ミケランジェロの彫刻で有名なこの人には、
やたらとエピソードがあって、どこで悔悟してもおかしくはない、
という感じがしなくはない。

ひょっとすると、ダヴィデは、「悔悟する」人物の、
代表格として捉えられているのかもしれない。

そういうことがないとしたら、ここで、
抽象的な言葉の羅列によって、
悔悟するのは、ダヴィデであろうと、
モーゼであろうと、はたまた、
ハイドンのトビアであろうと関係なさそうである。

あるいは、キリスト教の決まりか何かで、
この年は、どの素材を扱う、などという、
常識的な関係があったのかもしれない。

あと、ケッヒェル番号を見ていくと、
このあたり、フリーメーソン関係の音楽も多いから、
そうした背景があったりするのだろうか。

解説に戻ろう。

「『悔悟するダヴィデ』は、オーボエ、バスーン、ホルン各2、
弦楽合奏に3本のトロンボーンに、おそらく鍵盤コンティヌオ、
外側の楽章には、トランペットとドラムを要する。」

ここからは、全10曲の各曲についての説明となる。

「オラトリオはハ短調の合唱とソプラノで始まり、
ミサ曲ハ短調の『キリエ』が使われている。」

こんな感じで、ハ短調ミサとの関係が述べられるだけで、
ほとんど、内容に触れてくれないじれったい解説である。

解説者は、内容は、たいしたことないと思っているのか、
あるいは、「どこがダヴィデか」という事を追求されるのを、
怖れているのかもしれない。

仕方ないので、別ページにある歌詞を、
書き出して見て、内容についてもさぐりつつ行きたい。

この部分は、こんな歌詞である。
Track1:合唱。
「私は主に向かい声を上げて泣く。
悪に責められて私は、
神に向かって声を上げて泣く。」

とにかく、嘆いているのであろう。
いきなり、ハ短調ミサ曲の冒頭が現れるが、
切々と、途切れがちな、その進行は、
ティンパニの連打を伴いながら、たいそう劇的である。
途中で現れるソプラノ独唱は、そんな中から舞い上がって、
非常に美しい効果を上げるが、これも、ミサ曲のまま。

ミサではコンスタンツェが脚光を浴びたが、
このオラトリオでは、サリエーリの愛人とも言われた、
カヴァリエッリが、大きくクローズアップされたのであろう。

しかし、神に向かって泣き叫ぶと歌われても、
神様も困るであろう。

これが、「悔悟」している証拠であろうか。

「第2の合唱は、ハ長調。
前作のグローリアのオープニングが使われている。」

Track2:合唱。
「栄光と賛美を歌わせたまえ、
それを百度も繰り返し、
最愛の主を賛美させたまえ。」

ここでは一転して壮麗な、
ヘンデル風の押しの強い音楽が、
神を押しつけがましく、
叩きつけるように讃える。

まったく悔悟していない。

「ヘ長調のソプラノのアリアは、
オーボエ、ホルン、弦楽を伴い、
前作のラウダムスが繰り返されている。」

Track3:アリア。
「悲しい苦しみから遠く離れ、
再び自由を感じよ。
かつて怖れた者は、
いまや喜びの時。」

どうやら、今度は、独唱で神を言祝ぐ部分のようだ。
ダヴィデである必然はまるでない。

が、おそらく、キリスト教の、こうした言葉は、
千年の時を経ても、信者を勇気付けたに違いない。

速いテンポで弦楽が細かく動き回り、
音楽は明るく、天かけるように進む。
オーボエがソプラノに唱和して、
非現実的な天上の響きを思わせる。

悔悟とは無関係である。

「イ長調の合唱は、フル・オーケストラで、
オリジナルの『グラティアス』を用いている。」

Track4:合唱。
「永遠に恵み深い神よ、
この祈りによって、その慈悲を給われますように。」

ここでは、合唱が神妙に神秘的な響きを聴かせる。
すぐに終ってしまう。
泣きを入れているだけで、ダヴィデには相応しくない。

「続いて、二人のソプラノによって、
オリジナルの『ドミネ・デウス』のバージョンが、
ニ長調の弦楽で奏される。」

Track5:二重唱。
「主よ、来たりて、敵を追い散らしたまえ。
追い散らし、追い払いたまえ。
あなたを害するものすべてを敗走させたまえ。」

ここでは、勇壮で深刻な曲想を、
二人のソプラノが歌い交わし、
神を害するものを、しっかりと見つめる視線が鋭い。
ミサ曲でも取り分け印象的な一節であろう。

敵が悪いと、人のせいにして、
まったく悔悟している様子はない。

「第6のパートは、変ロ長調のテノールのアリアで、
最後のアレグロ、『あなたが私の祈りを』で、
新しく作られた部分が登場する。
これはフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン独奏と、
高い変ロのホルン二つと弦楽によって演奏される。」

Track6:アリア。
「こうした苦難の中に、慈悲を求めます。主よ。
わが心に善を見いだしたまえ。
あなたが祈りの声を聴けば、それだけで心が弾む。
あなたを通じて、胸の嵐はおさまるがゆえに。」

前半、テノールによる、切実な歌を、
様々な木管楽器が、ある時は同情するように、
ある時は鼓舞するかのように、寄り添うに支え、
チェンバロの響きも、印象的で、
きらきらと耳に飛び込んで来る。

後半は、「心が弾む」という部分で、
オーケストラもチェンバロも興奮し、
ホルンの信号音やめまぐるしい木管群の交錯も加わって、
テノールは、軽やかに舞い上がる。

ここは、男声で歌われるがゆえに、
ダヴィデを想起できるかもしれない。

付点リズムのフル・オーケストラを伴う、ト短調の合唱が続き、
ここは、オリジナルの『クイ・トイス・ペカッタ・ムンディ』による。

何だか、それがどうした、と言った感じの解説だが、
下記のように、何だか、自虐的な内容の詩で、
自分が罰せられることが前提になっている。

Track7:合唱。
「あなたが私を罰するとしても、
でもまず主よ、あなたのさげすみやお怒りは、
なだめられるでしょう。
罰して下さい。思われるままに。
お怒りがしずまるように。
私の青ざめた顔を見て、
主よ、私を慰め、助けて下さい。
助けたまえ、主よ、あなたにはそれが出来ます。」

先ほどの喜びはどうしたのか、
急に深刻な内容になって、
が、これこそが「悔悟」というに相応しい。

「フルート1、オーボエ、バスーン、ホルン各2と弦楽による、
ハ短調のアリアは、カタリーナ・カヴァレッリのために新しく作られた。」

Track8:アリア。
「暗く耐え難い陰を通って、
ちょうど穏やかな天が輝く。
嵐の中にも、真実の心には平穏がある。
公正な魂は、そう、喜ぶのです。
誰も妨げぬ喜びと平穏。
神のみがその創造主。」

これは、1785年の時点で作られたので、
ちゃんと、新奇な部分を期待して聴かなければなるまい。
さすがに、先ほどのテノールのアリア同様、
楽器法が凝っていて、いろいろな表情と音色で歌を彩る。
しかも、テンポの変化も面白い。

後半は、神を讃える歌となって、これまた、
高揚した心を歌って、聴衆をも巻き込んだと思われ、
さすが、当代のプリマの活躍を際だたせた力作と思わせる。
この演奏では、このあたりは、少し、若さが出たかもしれない。
風通しはよく、力強いのだが、余裕はない感じ。

この曲、尻切れトンボ的な変な終り方である。
次が、三重唱で、ソプラノが再び入って来るので、
そんなに違和感はないが、ここで、拍手を入れるには、
ちょっと歯切れが悪い。

「これは、オーボエ2、バスーン2と弦楽と、
独唱者たちによる、ホ長調の三重唱に続くが、
これはオリジナルの『クオニアム』による。」

Track9:三重唱。
「私のすべての希望は、
あなたの中にあります。
神よ、私を追いかけて苦しめる
あなたの凶暴な敵から私を護りたまえ。
ああ、神よ。救い給え。」

この曲も、女声による、
高い所9での声の交錯が美しいが、
凶暴な敵が悪いと、
当事者意識に欠け、「悔悟」の要素はない。

つづいて、いよいよ終曲である。

「終曲のハ長調の合唱、
『神のみを希望とするもの』は、
オリジナルの『イエズ・クリステ』により、
ポリフォニックな、『何の怖れもない』は、
本来、伝統的な典礼のテキスト
『クム・サンクト・スピリトゥム』に、
うまくマッチしていた。
これに対し、モーツァルトは、
独唱者たちが最後の栄光を歌うための、
新しいカデンツァを追加した。」

Track10:合唱。
「このような危機にあっても、
神のみを希望とするものには、
何の怖れもない。」

何だか短い歌詞であるが、
4分半にわたって、フーガの書法もちらつかせながら、
合唱の壮大さや、技巧に聞き惚れる部分。
ティンパニの連打、オーケストラも豪壮で、
木管群は独特の音色と音型で和声を支えている。
弦楽のちょこまかした動きは、
シューベルトにも連なる要素がある。

やがて、独唱者も加わってくると、
その精妙な声の交錯の妙味に続き、
バーンと盛り上げて終わる迫力もあって、
さすがに、絶頂期のモーツァルトが書き上げた、
晴れある舞台のための作品という感じがしてくる。

が、かなりひいき目に書いての話で、
実際は、え、これだけ?という感じの方が強かろう。

悔悟している率は2~3割程度で、
ダヴィデっぽさは、1~2割程度。
「悔悟するダヴィデ」の含有率は、
10%程度と言えるのではなかろうか。

解説は、
「よりテキストにマッチした、
二つの新作の劇的なアリアと、
最後の何小節かに、全作品の興味の中心がある。」
という感じで、かなり突き放してくれる解説である。

いずれにせよ、モーツァルトの「悔悟するダヴィデ」は、
ライヴァル、コジェルフの大作、「エジプトのモーゼ」以上に、
内容に偽り有りの作品のような気がする。

カンタータが、ヘンデルの「メサイア」のようなものであるならば、
この「ダヴィデ」は、まったく物語がなく、オラトリオというより、
祝祭声楽作品といった感じが強い。

こうして、隅から隅まで、
このCDに書いてあることを精査しても、
内容からして、「悔悟」でも「ダヴィデ」でもない。
ナクソスという廉価盤レーベルの、
制限されたページ数など予算の限界であろうか。

それにしても、この作品の委嘱はいつなされたのであろうか。
1784年から1785年の春といえば、
確かに、モーツァルトは父親の来訪があったし、
すでに書いたように、「ハイドン四重奏曲」の作曲、
有名なピアノ協奏曲20番、21番の作曲などで多忙ではあった。

特に、ハイドンに捧げられた四重奏曲群は、
かなり苦心惨憺だったとされているので、
このために、うまく時間が取れなかったのかもしれない。

「悔悟するダヴィデ」鑑賞には、
さらなる介護が必要である。
どこがどうダヴィデなのか。
結局はよく分からなかった。

さて、このCD、次に収められた「レギナ・チェリ」は、
同じハ長調ということで選ばれたのだろうか。

解説には、こんな事が書かれている。
「1770年と1771年に、
モーツァルトと父親は、
イタリアにいて、ボローニャにて二・三ヶ月を過ごし、
ここで、マルティーニ神父から、
モーツァルトは、伝統的な対位法を授かった。
このイタリア旅行の結果として、
『レギナ・チェリ』K.108が1771年5月、
帰国後にザルツブルクで書かれた。」

1771年といえば、
モーツァルト15歳である。
イタリアにプチ留学した中学生が、
帰郷後に意気揚々と書いた作品という感じだろうか。

「オーボエ、ホルン、トランペット2、
ティンパニ、弦楽合奏とソプラノ独唱、
4部の合唱、オルガンのバスによる。
祝祭的な最初のハ長調部は、
二つのフルートと弦楽合奏によって伴奏される、
華麗なソプラノ独唱と、対位法的展開を見せる合唱の、
ヘ長調の部分に続く。」

「喜べ、天の女王よ、アレルヤ」と歌われる、
かなり激しい始まりの曲に比べ、
このソプラノは優しく、
「その言葉のとおり、
彼は復活された」と歌う。

「弦楽合奏を伴奏に、イ短調のソプラノ独唱は、
『アダージョ・ウン・ポコ・アンダンテ』と記され、
『我らのために祈れ』と歌われる。」

この部分は、一転して、憂いの表情を見せ、
シンプルながら、伴奏音型にも切迫感がある。
「神のために祈れ」と、
ソプラノ独唱が切々と歌う。

最後の『アレルヤ』では、独唱、合唱に加え、
フル・オーケストラが戻って来る。」

いきなり、ティンパニが鳴り響き、
晴天の青空を思わせる解放感の中、
混声合唱の中から、軽やかなソプラノが浮かび上がる。

「悔悟するダヴィデ」よりも、
こちらの方が、純粋に楽しい音楽で、
これをCDの最後に持って来ているのは良かった。

得られた事:「コジェルフ対モーツァルトのオラトリオ対決は、力作という意味でコジェルフ圧勝。」

(追記:この作品、私の知識レベルにまだ問題があり、再検討予定。)
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by franz310 | 2009-10-25 09:16 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その196

b0083728_14212723.jpg個人的経験:
前回聴いた、コジェルフ作、
「エジプトのモーゼ」。
私たちが知っている、
モーゼの印象とは、
かなり違っている。
今回は、コジェルフの
作品から150年を経て、
1930年代の作品でずっと有名な、
シェーンベルクによる、
オペラも見て行きたい。


コジェルフの作品はオラトリオであったが、
シェーンベルクの作品もまた、
オラトリオとして構想されたという。

この作品、実は未完成である。

が、最盛期のシェーンベルクによって、
巨大な労力を費やされた大作が、
無意味なものだったわけはなく、
近年、しばしば、最も過激な歌劇として、
語られる機会が増えている。

私が音楽を聴き始めた頃、
このブーレーズ指揮による全曲録音が、
CBSソニーから出て、
メロディーがない現代音楽の大作、
(2枚組で高い)
しかも未完成?ということで、
いったい、誰が、こんなレコードを買うのだろう、
などという感想を持ってしまった。

しかし、当時のブーレーズは、
現在の彼の老巧から考えると嘘に思える程、
「現代音楽の闘士」というイメージが強く、
同時期にシェーンベルクの「グレの歌」
(これは昭和50年度のレコード・アカデミー賞受賞)や、
ベルクの歌劇「ヴォツェック」や、
バルトークの「青ひげ公の城」といった、
20世紀オペラの傑作や、
ベルリオーズの「レリオ」、マーラーの「嘆きの歌」のような、
問題作を、次々に世に出していたので、
このレコードもまた、妙に印象に残っている。

それに加えて、ジャケットも、
十誡の石版を捧げ持ち、シナイ山から降りてくる、
モーゼの姿がものすごく印象的だった。

頭部からは何を意味するのか、
2本のサーチライトが暗雲たれこめる天空に投射されている。
山の下で待つ群衆は、恐れと期待を持って、
彼の下山を待っている。

しかも、当時のソニーのカタログには、
こんな解説(コピー)があって、
かなりそそるものがあったのは確か。

「この作品は、十二音音楽の集大成と言われ、
その難曲さゆえに作曲者自身、
上演不可能と予想した。
しかし、その懸念もブーレーズによって完全に打破された。
鮮明な音色、鋭利なリズム、劇的な効果、
寸分の隙もなく直結する確かな表現、
それに優れた録音技術を得て、
この不滅のモニュメントは蘇った。」

見ると、昭和50年度文化庁芸術祭レコード部門大賞受賞、
などとも書かれている。

この後も、このオペラは録音されることは少なかったが、
名作として高名にはなっていて、
例えば、昭和54年の芸術現代社の「オペラ全集」には、
武田明倫氏がこの曲を受け持って解説を書いている。
おそらく、このブーレーズの画期的レコードがなければ、
こうしたことはあり得なかったと思われる。

でも、私は、このオペラは買わなかった。
私がブーレーズのシェーンベルクを聴いたのは、
まず、コロンビアから出ていた
廉価盤の「浄められた夜」が最初で、
それから10年近く経って、
「ワルシャワの生き残り」のレコードが出た時に、
聴いたのが、ソニーに録音していたものの最初だったと思う。

それから、続けて、「ピエロ・リュネール」もブーレーズで聴いた。

ということで、この作品はこれまで、
まともに味わっていなかったのだが、
コジェルフの「エジプトのモーゼ」が、
単に、母子の別れの葛藤という個人的な話になっていたので、
ここは一つ、もっと有名な作品で、
モーゼ観をリセットしておく必要があろう。

そもそも、聖書において、モーゼの話は、
非常に多岐にわたっており、以下のポイントを、
無視するわけにはいかない。

1. BC14世紀、エジプトの
ラムセス大王が残酷な命令を出す。
これはエジプトに生まれるユダヤ人の子供が、
男の子だった場合、全員殺せ、
というものである。
モーゼは、ナイル河に流され、
王の娘がたまたまそれを見つけて育てる。

2. しかし、何故かモーゼは、育った時には、
自分がユダヤ人であることを知っていて、
老いたユダヤ人をいたぶっていたエジプト人を殺してしまう。
逃げたモーゼは、砂漠で羊飼いになって暮らしたが、
簡素な生活の中で、エホバの神の信仰を思い出す。

3. エジプトはミネバ王の時代になっていて、
モーゼはそこに戻ってみたが、ユダヤ人たちは、
すっかり奴隷根性が染みついている。
モーゼは彼らを引き連れて、エジプト脱出を夢見るが、
モーゼの言葉など、誰も聴かなかった。

4.ここで、モーゼは、言葉による説得は、
弁舌爽やかな兄のアロンに任せる。
(このあたりがシェーンベルクの着眼点である。)

5. モーゼがユダヤ人解放を王様に願い出ると、
王はさらに苦役を厳しくし、ユダヤ人は余計にモーゼを憎む。

6. 神はモーゼとアロンに不思議な力を授け、
様々な災害で、王様を追い詰めた。
ここでの災害は、まるで、地球温暖化と、
新型インフルエンザ蔓延に苦しむ、
現代に通じて、背筋が凍るではないか。
以下、地球温暖化ネタではG、
インフルネタではIの記号を振ってみた。

T1:水を飲めなくする(G)。
T2:蛙大発生(G)。
T3:蝿大発生(G)。
T4:家畜への疫病(I)。
T5:体中に膿が出る疫病の蔓延(I)。
T6:雹による農作物の全滅(G)。
T7:火事(G)。
T8:いなごの大群(G)。
T9:砂嵐(G)。
T10:赤ちゃんの全滅(I)。

ほとんど、これでもかこれでもかの世界。

7. 王はいったんは解放を宣言するが、
モーゼ一行の後を追って紅海まで追い詰めるが、
モーゼらはここを平然とわたり、
王の部下はみな溺死してしまう。

8. ユダヤ人たちは40年もさすらって故郷を求める。
嫌気がさしたユダヤ人らの絶え間ない不満がモーゼを苦しめる。
彼らをまとめるには、神の言葉しかないと、
モーゼはシナイ山に上って、40日の山ごもりを決行。
ついに、エホバの言葉が書かれた十誡の石版を得る。

9.一方、モーゼのいない間、ふもとに残っていた、同胞たちは、
金の仔牛の偶像を作って、乱痴気騒ぎをして楽しんでいた。
モーゼはそれを怒って、石版を打ち壊す。

10.モーゼは怒り狂って、3000人のユダヤ人を殺し、
律法を徹底し、故郷に近づいたが、
約束の地を見たところで死んでしまう。

ということで、とんでもない、
殺人鬼のような人がモーゼということになる。

コジェルフは、この10ポイントのうち、
1を背景に、3と6のあたりをストーリーに採用した。
得点25点である。

一方、シェーンベルクは、コジェルフ採用部分には、
あまり興味がなかったようだ。

作曲家が手こずって、10の部分は未完に終わったが、
3と4と8、9を取り扱い、6の一部も取り上げて、
40~50点の出来である。
両方足すと、かなりの合格ポイントまで行きそうなのだ。

モーゼの十誡は、こんな内容である。
1. エホバのみが神。
2. 偶像崇拝の禁止。
3. 神の名をみだりに唱えない。
4. 6日労働、1日は礼拝。
5. 両親を敬う。
6. 殺さない。
7. 姦淫しない。
8. 盗まない。
9. 偽証は駄目。
10.隣人のものをむさぼらない。

コジェルフは、こんな事には無関係で、
ただ、ユダヤ人の解放にのみに焦点を当て、
王様との交渉を主軸においた。

コジェルフが民族問題を意識していたかは不明。
だが、王様と民衆という構図は、
フランス革命の直前、けっこうナウなテーマだった可能性はあろう。

一方、ナチスの時代にあって、
シェーンベルクは、むしろ、同胞への怒りが、
その興味の中心になっているようなのが面白い。

意識は我々に近いようである。
悪いのは相手であって、
「我々は正しい」と繰り返すコジェルフは、
すこし、共感を呼びにくい。

彼は、母子の別れ、親離れという普遍的なテーマを扱ったが、
シェーンベルクは、自らの内なる敵を注視している。

というか、人間とはこんなものだ、
と言いたいのかもしれない。
ナチスによるユダヤ迫害期にあって、
彼は、改めて、人間の本質にまで、
思索を深めたものと思われる。

つまり、モーゼが主人公ではなく、
まるで、ジキル博士とハイド氏のように、
同じ人間の両面を、理想主義的なモーゼと、
現実主義的なアロンの兄弟に代表させて、
二人合わせて主人公となっている。

コジェルフが、アロンを女声にして、
単なる伝令みたいにしてしまったのではなく、
シェーンベルクは、血肉を分けたアロンを語ることで、
モーゼの苦しみをさらに深掘りした。

常に問題は我らの内面にあるということであろう。
これは、人生において、非常に重要な認識で、
多くのビジネス書なども、これを語って留まるところがない。

シェーンベルクもあの時代にあって、
単に、ナチスが悪い、と考えて糾弾したわけではなく、
どうしてそんな連中が出て来てしまったのかを、
熟慮したような姿勢が伺える。

しかし、このオペラの民衆のように、
そんな考え方は、一般には受け入れられなかったかもしれない。
そもそも、第2幕の酒池肉林の世界などは、
ナチスを描いたものではなく、
自らの民族の過去を恥をさらしたような面があろう。

アメリカはユダヤ人社会の国であるとも言える。
しかも新しい国で、勧善懲悪のような考え方しか出来ない。
そんな場所で、この作品の上演を夢見られるような、
単細胞のシェーンベルクではなかった。

だから、完成など出来るわけはなかったのではないか。

さて、このシェーンベルクのCD、
LP発売時の懐かしいジャケット採用なのが嬉しい。
このモーゼのデザインについては、作者など書かれていないが、
最近、出回っているシリーズものでは、
このデザインは不採用となっている。

BBC交響楽団の演奏で、モーゼにギュンター・ライヒ、
アロンにリチャード・キャシーが配されている。

コジェルフは、4人の独唱と合唱からなったが、
こちらは、他にも、11人の歌手名が並んでいる。
合唱はBBCシンガーズ、オルフェウス少年合唱団。

CBSオペラ・ライブラリーというシリーズでの発売であるが、
これは、実は、かなりふざけたもので、レギュラー価格ながら、
歌詞対訳が付いていないという禁じ手を平気で使っている。

CDが出たての頃の殿様商売である。
LPのように頻繁に面を交換する必要もなく、
きれいにクリーニングしなくてもそこそこ聴ける、
という点で、みんなCDを欲しがったのである。

しかも、このCDの解説は、作曲家で、音楽分析にも優れ、
マーラーなどの作曲家の紹介に力あった、故柴田南雄氏、
やはり作曲家でこうした舞台作品に造詣が深い林光氏が、
名を連ねているところがすごい。

柴田氏は、
「シェーンベルクは、モーゼとアロンの物語の
最も劇的な部分を借りて、叙情的な筋の運びの間に、
自己の宗教観、世界観の表明を行おうと試みた」作品とし、
モーゼとアロンの葛藤を、
「それを換言すれば、精神的:没精神的、
神性:魔性、法:幻影、想像できぬもの:可視的なもの、
神への祈り:自身の神化、聖:罪、
精神:肉体、信念:行動、信仰:知性、
神秘:現実、確信:疑問、宗教性:世俗性といった、
幾多の相反する両極端で代表されている」
と書いている。

しかし、信念と行動を極端とされては、
信念を持った行動が出来なくなってしまいそうだ。

「台本はシェーンベルク自身の手で1925年頃に着手、・・・
作曲はやや遅れて1930年7月に着手、
ほぼ2年後の1932年の3月10日に、
当時好んで滞在していたスペインのバルセロナで、
第2幕までを完成した。
ナチ・ドイツからの追放の後、
1934年から35年にかけて、
シェーンベルクはアメリカで第3幕の台本を書いているが、
作曲は遂に未完に終わった。」
とあるように、シェーンベルクの音楽の完成期とされる、
1920年から1933年にすっぽり覆われ、
50歳から60歳までの円熟期に悪戦苦闘した作品とされる。

こんな年になってから、追放宣言されたシェーンベルクは、
さぞかし辛かったに相違ない。

なお、作曲者自身、演奏不可能とされた手書きスコアを、
ヘルマン・シェルヘンが、恐ろしい集中力で、
フルスコアに清書していったというエピソードが泣ける。

各曲の構成については、アレン・フォートという人が概略に触れ、
故深田甫氏があらすじを書いているが、
何度も書くように歌詞対訳がない。
こうした、思想的な作品では、あまりにもハンディが大きい。

しかし、乗りかかった舟なので、
非常に不安ながらも、
ひたすら、聴き進むことにする。

CDの解説に、音楽之友社の、
作曲家別名曲解説ライブラリーを参照した。

CD1枚目には1幕(情景が4つと間奏曲)、49分35秒、
CD2枚目には2幕(情景が5つ)、50分45秒が収められている。
したがって、音楽は10に大別できる。
さすが、十誡がらみの作品である。

第1幕情景1は、8分22秒。
「モーゼを召す喚び声」とされ、
神に祈りを捧げるモーゼに、燃える荊の繁みから、
民衆の悲惨な状況を救うべしというお告げが下る。

様々な楽器(寂しげな木管や弦楽の錯乱)に、
声(語りと朗唱)、メロディアスな合唱が交錯する神秘の音楽。

砂漠でアロンと会うので、彼に語りを代弁させよ、と言われる。
モーゼは、口べたで、ただ、羊の番人を続けることしか、
求めていなかったからである。

第1幕情景2は、7分15秒。
「モーゼ荒野にてアロンと会う」情景。
へんてこな二重唱である。
アロンが陶酔的に朗々と歌う中、
モーゼは、観念的な神をシュプレヒシュティンメで、
まくし立てる感じである。
とにかく、ここで彼らが出会い、
役割分担が出来たということだ。

しかし、ここで、いきなり二人の相違を際だたせている。
想像を絶する神の概念は、純粋な思考のみとするモーゼ。
アロンはイメージなしには人々は神を愛せないと言う。

個人的にはアロンの方が正しい気がするが、
シェーンベルクは、
こうした人間本来の習性に立ち返るしかなかった。

第1幕情景3は、6分36秒。
「モーゼとアロン往きて、
民に神の福音を告げ知らしむ」の情景。

ようやく、女声独唱が活躍する。
民衆が彼らの不安と期待が交錯して、
合唱団の分割や、様々な声の重なりが、
この情景を生き生きとしたものにしている。

群衆からは、
「昔の神は権力者ばかりを助けたが、
新しい神は民の味方、美しく高く深い御心の、
我らの新しい神を信じよう」と歌われる。

ここではモーゼとアロンは、最後に登場する。
「見ろ、モーゼだ、アロンだ、二人とも着いたぞ!」
と群衆が叫ぶ。

第1幕情景4は、25分とかなり長い。
ここでは、民衆と彼らの軋轢が表現され、
「新しい神のお言葉を持って来てくれたか」という民衆に、
彼らは神の姿を証拠立てることが出来ない。
アーロンは、「心正しき者には、神の姿が見える」といい、
「神様の栄光が私には見える」と、
少女や若い男は言い出すが、僧は毒づく。
アロンは、「神が見えないのは破滅だ」などと、
極論を持ち出す。

民衆は、それなら全員破滅だ、と応酬。
「アロンの言葉に頼った私の思想は無力でした」と、
前半6分ほどで、すぐに弱音を吐く。
やはり、神の姿が見えないのは不安なことなのである。

このあたりから、奇跡が少し開陳される。
アロンは、民衆に向かい、
「黙れ、言葉は私のもの、そして行為もだ!」
と叫んでモーゼの杖を蛇に変えて見せる。
さらにアロンは、ライ病の人を治し、
ナイルの水を血に変えてみたりして見せる。

これによって民衆の心は一つになって、
砂漠に向かって出発する準備が出来る。

大衆というもののとらえ方が、
18世紀末と20世紀前半で、
大きく変化したことを意識せざるを得ない。

コジェルフにあっては、言われれば動くはずの民衆は、
アロンの指示で、すでに出発を待つばかりになっているが、
シェーンベルクでは、民衆は、モーゼとアロンが、
力を合わせて、1幕をかけて説得しないと、
まるで動かない皮肉に満ちた存在である。

しかし、モーゼの言葉は、民衆には通じない、
という設定は、どこから来たものであろうか。
聖書は、ただ、事実として述べたのか、
それを、うまく利用し、シェーンベルクが、
新しすぎる自分の音楽になぞらえただけなのか。

最後は、ヒステリックな管弦楽が咆吼し、
砂漠に向けて出発する民衆を描いている。

最後の「間奏曲」は、2分。
武田明倫氏の解説には出ていない。
CDには、単に「間奏曲」とある。
名曲解説ライブラリーには、
いつのまにか見えなくなったモーゼを、
民衆がいぶかるシーンとある。
ひそひそ声に、不思議なリズムの合唱が重なる。

第2幕情景1は、3分18秒。
壮大なオーケストラの開始部に、
男性合唱が重なり、70人の長老たちの怒った様子が描かれる。
「アロンと70人の長老たち、啓示の下るシナイ山のまえにいる」
と題されている。

アロンが奇跡で民衆を動かしたことを、
モーゼは快く思っておらず、
神の啓示を求めて、シナイ山に籠ってしまったのである。
民衆の怒りは当然である。
もう、40日も経っている。

第2幕情景2は7分11秒。
かなりヤバい状況である。
民衆は不安に駆られ、暴徒化しており、
モーゼを八つ裂きにすると騒ぐ。
長老はアロンに助けを求め、
アロンは遂に、自ら福音者になって、
偶像崇拝を許してしまう。

民衆を前に怖れ、
やむなく信念を曲げるシェーンベルクのアロンは、
あまりにありそうな政治家像である。

しかし、もはや、この民衆は正気を失っている。
アロンでなくとも、とても恐い。
革命前の扇動された民衆は、こんな感じではないか、
と思われるほどリアルである。

第2幕情景3は、「黄金の仔牛と祭壇」と題され、
28分35秒という長丁場。
シェーンベルクの妄想のシーンが前開となった、
問題満載のスキャンダラスなシーンとなる。
CDにも、「破壊と肉慾の乱痴気騒ぎ」と書かれている。

オーケストラは、ホルンの咆吼が続き、
不気味な弦楽のノイズ音が現れて、
何やら、悪いことが行われている感じ。

ティンパニの連打。
人を喰ったような珍妙な管楽器の破裂音に弦楽が軋む。
様々な楽器の細かい音型のメロディーの断片の、
集積に、ややこしいリズム音型の修飾が重なり、
怪しい打楽器群が鳴り響き、黄金の仔牛の偶像を前にしての、
酒池肉林の場が活写される。

このトラックには、インデックスが17もついていて助かる。
かいつまむと、
「屠殺者たちの舞踏」、「若者を打殺」、
「酩酊と舞踏の乱痴気騒ぎ」、「処女たちの刺殺」、
「エロティックな放縦乱舞」などなど、絶対にいかれている。

この偶像にあやかろうと、病人の女や、
馬に乗った部族長が集まって来るので、
理想主義の若者が偶像を壊そうとするのを、
反対にみんなで撲殺してしまう。

やがて、様々な独奏楽器が静かに勝手なメロディーを歌い出し、
酩酊の様子が描かれる。
完全に、このめちゃくちゃ状態に、民衆は満たされている。
長老たちは、民衆の陶酔を見て神を賛美する。

やがて、裸の処女たちが登場、これまた酔いしれた独唱に続き、
合唱でも、「おお、黄金の神様」と艶めかしい賛歌が続く。
この連中もしかし、僧に殺されてしまう。
その血は供物とされ、民衆は扇動されて、ますます、いかれていく。

打楽器が刻むリズムに、滅茶苦茶な金管の炸裂が重なっていき、
例の放縦乱舞が続いていく。
若者が飛び出し、女を祭壇に供えると、
わーっと合唱が叫び、女の略奪の部に入る。
快楽賛美の合唱と共に、次第に音楽は遠ざかっていく。

このような状況で、モーゼは何をやっていたのか。
第2幕情景4(1分10秒)になってようやく彼は下山する。
このシーンこそ、このCDの表紙に描かれた部分である。

「モーゼが降りて来るぞ」という叫び声。
モーゼの声は強烈である。
「消え失せろ偶像!」

第2幕情景5は完成された最後の部分で、10分28秒。
ここでは、リリカルなアロンと、
意思に満ちたモーゼの舌戦が繰り広げられる。
思想も言葉も何にもならない、奇跡を見せるのが、
自分の任務だと、アロンは歌う。

モーゼは、思想そのものの力を信ずる。
しかし、アロンは納得せず、モーゼは遂に、
十誡の板を割ってしまう。
謎の合唱が響き、アロンが奇跡で、
民衆を味方につけたのである。
「おお、言葉よ、言葉よ、
我に欠けたるは汝なり。」
そういって、モーゼは絶望して倒れる。

まったく理解されない音楽を書いた、
シェーンベルクならではの絶叫だと思う。

アロンがどこから、奇跡の力を仕入れたか分からないが、
これは言うなれば、
大衆へのこびへつらいであって、
確かに信仰の本質は、
それによって左右されるようなものではあるまい。

とはいえ、シェーンベルクの音楽が、
神の福音の本質に迫るものであるから、
理解が困難である、という論拠もおかしかろう。

しかし、このモーゼ、
俺様口調で言い張るコジェルフのモーゼと違って、
自分の思想そのものに時折悩み、
懐疑的でもあるところが好感が持てる。

何が正しく何が正しくないかなど、
なかなか分かるものではない。

民主党が50年も前に計画された、
ダム計画を見直したくなって、
建設を中止したいのも分かるし、
ダムがないと治水や、
食料時給時の水資源が枯渇するという、
推進派意見もまた、間違っていないはずなのだ。

さて、未完の3幕では、
反対にモーゼがアロンに打ち勝つが、
それでもなお、この兄弟は論争をしているらしい。
このCDでは、何も演奏されていないが。

今度は、「自由」というものに対して、
モーゼとアロンの論争はさらに続くようだが、
最後は、約束の地を見る前にアロンは死んでしまう、
と言う構想だったらしい。

アロンの自由は彼自身の精神の自由、
モーゼの自由は、神の心に仕えることだという。
強制収容所に送られたユダヤ人を思えば、
モーゼの自由は、何の効力もなさそうなのだが。

林光の解説では、この作品は、
「拡大された室内オーケストラ」の作品、
などと書かれているが、
管弦楽は非常に繊細、ブーレーズのような透明な解釈は、
作品の見通しをよくしてくれて助かる。

それにしても、同じモーゼが題材でも、
兄弟のアロンは、コジェルフでは年少の伝令風、
シェーンベルクでは、現実路線を模索する年長者風と、
まったく解釈も異なり、モーゼも前者では若者、
後者ではおっさんである。

さらに取り上げた部分もまったく異なり、
シェーンベルクにはファラオは登場しない。
ユダヤ人だけの話に終始している。

得られた事:「コジェルフの時代、まだ民衆は信頼するに足りたが、シェーンベルクの時代、それはすでに不気味なカオスと化している。」
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by franz310 | 2009-10-18 14:33 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その195

b0083728_15571220.jpg個人的経験:
前回、コジェルフの大作、
「エジプトのモーゼ」を聴いたが、
前半で力尽きた。
今回は、後半を続けて聴いて見よう。
ユダヤの同胞を率いて、
隷属していたエジプトから、
モーゼが出立する前に、ファラオと、
モーゼの育ての親で王女のメリームが、
邪魔立てしようとして神の怒りを買う。
天変地異が起こり、えらいことになった。


そこで、全能の正しき神ならば、
いっそ、ファラオもメリームも亡き者にすれば良かったのに、
第二部でも、この分からず屋たちは相変わらず、
敵対してモーゼの前に立っているようである。

そもそもモーゼは、ファラオの許しだけでなく、
ファラオに信心まで求めたので、話がこじれたのである。
キリスト教圏の人がみな、
こうした思考だとすれば、
とても、まともな交渉など出来はしない。

二枚組CDの二枚目を始めから聴いて行こう。

ちなみに、解説によると、こんな内容である。

「第2部の最初の部分で、
改めてイスラエルの民は自由を求める。
これまでにファラオは、
これ以上の抵抗はしないと決めている。
メリームは別れを言わねばならぬことで悲しむ。
1790年のヴィーンでの2回目の上演時に作曲された、
情景とアリア、
『何を見るのか、何を怖れるのか』(CD2のトラック6)は、
1787年の初演では、ここに置かれていた、
ことわざのアリア、
『風の強いひと吹きが』(CD2のトラック5)よりも、
音楽的にもスタイルの点でも近代的である。
こちらの方が母の愛をさらに感動的に表わし、
印象的な人間的感情を加える。
今回の録音では、
二つのバージョンを聴き比べられるように、
どちらも聴けるように並べたが、
演奏会で並べられたことはない。」

私は最初、このような事情を知らずして、
このCDの二枚目を聞き流していて、
延々と続くメリームの歌に辟易したが、
ちゃんと解説は読まないといけないと痛感。
トラックのみ見ていても、
そこまでは書いてない。

何しろ、Track1とTrack3の合唱が、
そもそも繰り返しなので、
Track4に来た時点では、
かなり、うんざりした精神状態になっているので、
この攻撃はかなり耐え難いものであった。

しかし、このように、
Track4、5(計9分)と、
Track6(7分19秒)は、
どちらかを聴けばよいということが分かった。

このCDの二枚目は、聞き流してはいけない。

さて、続き。

「モーゼは神に嘆願し、助力を嘆願する。
アーロンが、人々の出発の準備が出来た事を知らせると、
メリームは虚しく息子に留まるよう再度願う。
ファラオは自らの気違いじみた憎悪と戦う。
アーロンはメリームに、父王に、
良い印象を与えるようにとアピールし、
虚しくも、彼女が神の善性を確信するように試みるが、
彼はモーゼを『危険な魔法使い』と考えている。
王女が、モーゼはそのミッションを捨てることはなく、
すでに、なすすべがないと気づくと、
彼女は理解を示さず、怒りに身を任せ、彼を完全に拒絶する。
モーゼとしては、結局、民と共に去っていく。
モーゼとメリームという、
二人の主役の間の確執が、第1部より目立ち、
モーゼにとっては、神の指示と養母との関係の矛盾となり、
メリームにとっては、息子への愛情と、
同時に、彼の行動への悲劇的な理解しがたさが矛盾となる。
彼が与えられた責務を果たすには、
自らが根無し草となって、そして母をも捨て、
自由になるしかなかった。」

こんな内容のオラトリオであるが、
いったい、ここに何を我々は読み取ればいいのか。
コジェルフも、台本作家も、いったい、
どんな気持ちでこれを書いたのだろうか。

結局、話し合っても無駄、みたいな教訓しか私には感じられない。
モーゼが行ったのは、神が言うから仕方がないんだ、
という狂人のロジックでしかなく、
隷属状態からの解放には、力ずくでやるしかない、
ということであろうか。

フランス革命を前にした当時の人々の感覚とは、
こんな感じだったのだろうか。

で、それをコジェルフは代弁して見せたということか。
ナポレオン戦争を経て、第一次大戦に突き進む思想の萌芽を、
ここに見るべきなのだろうか。

このような意味でも、
聖書を傘にしたこのドラマを、
我々が正しく鑑賞するには、
かなりのハードルがあると言わざるを得ない。

CD2を順番に聴いて行こう。

はたして、分からず屋たちは和解したのだろうか。

Track1:合唱。
「知られざる神の強力な手が、
我々を打ち崩し、破壊した。何が起こるのだろう。
隷属のイスラエルの民を自由にし、
我らの惨めな境遇を終らせよ。
モーゼを解き放て。」

静謐なクリスマスの夜に奏でられるに相応しい、
晴朗なメロディーの美しい合唱だが、
内容はちょっと、いや、かなりヤバい。
このような清純な音楽にする必要が、
どこにあったのかはよくわからないが、
これが、当代とっての人気者たる所以であろう。

Track2:ファラオのレチタティーボ。
「もういい。
残った連中をここから去らせ、
多くの災いの種を追いやってくれ。
哀れなエジプトよ。
最後には一息つけるだろう。
私はこの怒り、憎しみ、憤怒をぶちまけ、
復讐できればいいものを。」

この怒りに満ちたレチタティーボ、
36秒しかないが、おそらく、
先の合唱に変化をつけるために挿入されたもの、
あるいは、この怒りを理由に、
それを慰撫するような合唱を置く理屈をつけた、
と考えてしまうほどだ。

Track3:合唱の繰り返し。
後半に入って、コジェルフの悪い所が顔を覗かせる。
このメロディーが気に入ったものと見え、
コジェルフは何度も繰り返して、
いつか読んだ、コジェルフは似たような繰り返しが多い、
という当時からの評判を思い出した。

そもそも、天変地異が起こったので、
1から3の、何も起こっていないような、
意味のないトラックは省いても良いのだ、
何故なら、次に、メリームがもっと恐れおののいた歌を、
次に歌っているからである。

前述のように、以下、
メリームのレチタティーボとアリアが続く。
以下は、トラック6と差し替えてもよい。

Track4:メリームのレチタティーボ。
「どこに行けばいいのだろう。
どこに隠れればいいのだろう。
この凶暴で残忍な野獣の住む恐ろしい場所で。
この恐ろしい夜、エジプトの民たちをなぎ倒したのは誰。
この国の動物たちに、ここまで冷酷に出来るのは誰。
誰がこの血を流させたのか。
可愛そうな哀れな母よ。どんな神が、
あなたがたを、その力の的としたのか。」

このレチタティーボは、
先の天災に対する恐れをダイレクトに表わして、
私は悪くないと思う。
人々の動揺を示す、伴奏の動きも説得力がある。

Track5:メリームのアリア。
「風の猛威。
よくしなる藻のついた蘆はそのままに、
大きな古いオークの木をなぎ倒すつむじ風。
抵抗するものを苦しめ、
屈する者を許す寛大な心。」

確かに、この内容、比喩が多く、評論家的である。
ただし、音楽は、高らかなファンファーレに続き、
壮麗である。それだけに形式的にも聞こえるのかもしれない。
妙に英雄的で、話の筋としては、ファラオにでも歌わせたいものだ。

Track6:メリームのレチタティーボとアリア。

こちらが再演時のメリームの担当分である。
音楽も葛藤を表わし、メロディーも精妙で心に染みる。

さらにそれが、快活なリズムになだれ込んで、
まるで、オペラの情景のように、鮮やかな印象を与える。
これは、全曲でも屈指の部分であろう。
コジェルフは1790年まで、その実力は健在であった。

「私は何を見るのか。何が私を圧倒するのか。
私はモーゼを見ることが出来ない。
心の中に起こったこの戦い。
彼が去り、別れを言わねばならぬというのに、
私の血は氷のようだ。私の心は引き裂かれた。」

登場人物の心理描写という点では、
まるで、モノローグのようで秀逸。

「臆病な恐れによる声ではなく、
私の恐れは理由なきもの。
たぶん、私の不運な、なおも愛する息子は死ぬでしょう。
私は私が死ぬのも分かる。
そして涙が溢れる。
この涙は、息子よ、たぶん、これで最後でしょう。
この別れの言葉、愛する息子よ、これも最後でしょう。
心の苦悩。もはや、神よ、慰めはありません。
何と言う瞬間。
恐怖に満ちた永遠の神よ。
私の苦痛は大きいのに、まだ、こうして生きて呼吸している。
神よ、かくも恐ろしい運命を前に、
この心をどうすればいいでしょう。
母の純粋な愛が、せめて、あなたの同情となることを。」

それにしても、天変地異で、
回りがめちゃくちゃになっている時に、
この人たちは、何の働きもせず、
ただ、何の助けにもならぬ自分の感想を言い続けているところが、
完全に大企業病である、というのは皮肉にすぎようか。

そういった意味で初演時の歌の方が、
筋としては通っている。

Track7:モーゼのレチタティーボ。
「至高なる神よ。
あなたの叡智と力をへりくだってあがめます。」

モーゼは主人公なのだから、
周りを助ける働きをして欲しいものだが、
洪水の後は、なすすべもないのか、
まるで、他人事であるのが悲しい。

これまた、自分の世界に浸った歌で、
マルクス・シェーファーの内省的な声も、
この緊急時とは思えぬ敬虔なもの。

「イスラエルの民を罰する恥ずべき鎖は、
遂に打ち砕かれた。
神よ、許し給え、罪ある民衆を。
人の心をよく知る神ならば、
彼らの自責と後悔は分かりましょう。
彼らを良きものにて守りたまえ。
信頼と愛と希望と。」

Track8:モーゼのアリア。
「苦く恐ろしい自責の念を心から感じ、
愛を求め、あなたからの助けを請う民には、
慈悲を受ける価値がある。
彼らは一度は裏切ったが、
その盲目を恥じています。
このような愛情を見て、
彼らの不動の信頼が、
失われることはないでしょう。」

明朗な歌唱を、木管が優しく彩る。
このような歌が続く際、前のアリアは、
初演版は、動と静の対比という意味では自然であり、
再演版は、心理と心理の対比という意味で興味深い。
意外に、初演版が正解のような気がする。
神の怒りをまの当たりにした人々の歌としては、
少しリリカルにすぎる。

Track9:アーロンとモーゼのレチタティーボ。

これから出発の時。
何度も書くが、何故か女声のアーロンが使者となってくる。
しかし、アーロンを担当するぴんと張り詰めたものがあって、
ペリッロの声は至純で、急を告げる感じはよく出ている。
また、レチタティーボとは言え、伴奏のメロディは素敵だ。
これなどもシューベルト風としか言いようがない。

「アーロン:王女様、兄弟、すべての民の準備は出来ました。
民も家畜も、自由を味わっております。
母の腕にあってまだ自由の贈り物を知らぬ赤子とて、
喜びの様子を明らかに見せています。
すべては整いました。
後はリーダーを待つのみです。」

ピアノフォルテのぱらぱら音に続いて、
モーゼの歌が始まる。

「モーゼ:長く待ち焦がれていた贈り物を、
虐げられた民が喜んでいる。
行こう。
何が命じているか、
言わば、聖なる炎が、
シナイの山頂でくびきを断って、
それが、彼らの導きとなると、
そしてそれが、すべての過ちを厳しく報いると伝えよう。」

このあたりの流れは自然なものとして受け入れられる。
葛藤の後、使者が来てそれが中断され、
その後、再度、分かれの状況が盛り上がっていくわけだ。

Track10:メリーム、アーロン、モーゼの三重唱。

「メリーム:ああ、息子。もはや、あなたを見ることもない。
モーゼ:愛しいお母さん、
私をあなたから引き離すのは運命なのです。
アーロン:この厳しく不確実な状態で、
私はどうすればよいか分からない。
モーゼとアーロン:ああ、別れ。
メリーム:ああ、やめて。
アーロンとモーゼ:駄目です。義務がそれを許さない。
3人:理不尽な運命よ、
苦痛に満ちた心に安らぎを。それでようやく、呼吸ができる。」

この場面も、穏やかな曲調に、三つの声が響き合って、
牧歌的なものを感じさせる。
一幅の絵画のようだ。
アーロンの声が重なって来るところは、
非常に美しい。

Track11:ファラオとモーゼのレチタティーボ。
「ファラオ:モーゼはどこだ。
あの危ない魔術師はどこに隠れた。」

ヤバい展開である。
また、前半の、「ああだ、こうだ」が、繰り返される兆候あり。

「モーゼ:陛下、魔法などではありません。
あなたが目にしたのは大いなるもののなせる不思議。
その力を、あなたの頑迷さも、最後には受け入れ、
すべてをなだめ、無礼を服従させる、
神の手腕を知ることになります。」

モーゼがしゃべる度に繰り出されるのは、
ほとんど気違いの論理で、私には耐え難い。

ゲーテのプロメトイスも気違いだったが、
こうした無礼者が当時の人たちは、
大好きだったのだろうか。
音楽も、これまでの静謐、穏和なものから、
やけに人を苛立たせる挑発的なものに変る。

「ファラオ:全能の神!
ファラオであっても、王であっても、
あえて、その力を試すほどに、
かくも弱いものなのか。
私はこの胸の中になおも持つ不敬を試し、
エジプトに対して何が出来るかを確かめようとする。」

Track12:ファラオのアリア。
「私の前から離れ、視界の外に消えてくれ、
我が苦痛、我が恥辱。
見せかけの神の外見には騙されない。
稲妻はまだ続いている。」

この興奮したアリアに続き、
メリームも、もう、正気の沙汰ではなくなっている。

Track13:アーロンとメリームのレチタティーボ。
この会話は、ソプラノが二人だが、
アーロンは自信満々で、
メリームは動揺しているので、
混乱することはない。

「アーロン:メリーム、王女よ、
あなたしかいません。
王様の心を変えられるのは。
メリーム:この大きな不幸が、
エジプトを傷つけているというのに、
私に何ができましょう。
あなたの神に?
血と死を好み、人々が苦しむのを、
喜んでいるような異教の神に?」

メリームがこうして取り乱すのも、
私には当然と思える。
無茶な要求を出す、
テロリストにしか見えないはずだから。

「アーロン:神をそのように言ってはなりません。
神はその力をいつかお見せになり、
私たちに永遠の利益で満たすのです。
王女様、あなたも帰依すれば分かります。」

Track14:アーロンのアリア。
「心から神を信じるなら、
感謝をもって神を見るなら、
神は苦しみを楽にしてくれ、
良いもので満たし、苦痛をなくすでしょう。」

Track15:モーゼとメリームのレチタティーボ。
「モーゼ:
王女様、王様は私が立ち去るよう催促しています。
もはや出立を遅らせるわけにはいきません。
常に私の味方であったあなた。
まだ若くか弱い、お母さん。
メリーム:黙って。母という聖なる言葉を使わないで。
あなたがヘブライの民であるなら、
もう、ここに留めおかれることはありません。
何があなたを駆り立てるのです。
モーゼ:私を常に導く、
大いなるものの手によって。
メリーム:行って、恩知らず。」

最後は、「away、you monster!」
この曲の結論のような緊迫に再度向かう、
序章のようなやり取りである。

Track15:メリームとモーゼのデュエット。
「メリーム:恩知らず、行って。
そしてもう二度と、
私のことは言わないで。
決して予期さえしなかった、
こんなむごい行い。
モーゼ:その哀しげな目を、
開けて、恩知らずなどと言わないで。
あなたの所に留まれないのは、
私のせいではない。
メリーム:母のことは忘れて、愛を破壊して。
モーゼ:そんなことは出来ません。
二重唱:(ああ、何故偽りを。)
(あなたの不幸)可愛そうな。
正義の天空が、この瞬間、
私の苦痛は混乱を起こす。
私の義務が分からなくなってきた。」

あの憎しみあったレチタティーボの後で、
この二重唱は割と落ち着いて、結構、良い感じである。
ここでは、少し、モーゼの方が、
折れそうになるのが良いのだろうか。
いたわるような優しい歌で、
これならメリームの心も癒されたかもしれない。

伴奏も、別れの歌を、さざ波のような音型で、
優しく包み込んでいる。
後半の加速でも、二人のデュエットは大変、美しい。

Track17:モーゼのレチタティーボ。
「私はこのしがらみを断つ。
最終的に、この楽しからぬ場所を去る。
家畜を連れて、
種族を率いていく。
至高の神に、
すべての思いは向かい、
空は感謝の賛歌が響き、
解放者に対して、
かつては辛く、
いまや幸福になった人たちの、
歌声が響く。」
何だか分からないが、
メリームは捨てられて、モーゼは決心する。
この決意が述べられると、爆発するように、
人々の声が響き渡って、全曲は結ばれる。

Track18:合唱。
「最高の力によって、苦役のくびきは外された。
我々を苦しめるものはもはやない。
あなただけが、ただ一つの真の神。
栄光は神のもの。力は神にあり。」

Track19:合唱フーガ。
「あなただけがただ一つの真の神。」

低音で管弦楽が唸る中、
混声合唱の荘厳なフーガが舞い上がる。
ラッパが鳴り響き、ティンパニが轟き、
これはなかなかの聴き所であるが、
ファラオもメリームも、みんな消えてしまった。

何だか知らないが、フランス革命と関係はあるのだろうか。
王様は悪く、民衆は正しいという雰囲気が後半の全編を覆う。

「エジプトのモーゼ」の名を借りた、
革命賛歌といった感じがする。

啓蒙君主、ヨーゼフ二世の治世でなければ、
不可能だったような出し物ではなかろうか。
シューベルトの時代、反動的なフランツ二世が、
ヴィーンを統治したが、
コジェルフ、モーツァルトの時代と、
シューベルトの時代では、おそらく、時代を覆う空気自体が、
違っていたのではないかと実感できるほどだ。

例えば、この王女メリームは、
民族施策が穏和であったマリア・テレジアであり、
ファラオはその子で、
かなり厳格だったヨーゼフ二世とすれば、
モーゼは誰だか分からないものの、
民衆は、ハプスブルクに支配されていた諸民族と、
見えなくはないではないか。

もちろん、コジェルフはその諸民族の地、
ボヘミアの出である。
コジェルフは、こうした急進的な思想の代弁者だったのだろうか。

しかし、そんな危険人物を、宮廷作曲家にするとも思えず、
これは単に私の妄想しすぎないものと思われる。

以上、聴いて来たように、
コジェルフの大作「エジプトのモーゼ」は、
聖書に題材を取りながら、何だか、換骨奪胎して、
別の思惑に当てはめたような作品に思える。

アーロンも、単なるモーゼの代官、あるいは伝令にしか過ぎない。

ただし、そうした裏のストーリーは別にして、
このオラトリオは、変化に富み、
前半最後の天変地異から、後半最初の聖歌調、
後半に向かっての心理劇の緊迫、
最後の壮麗なフーガなどなど、
かなりの力作となっているのは確か。

ただし、主人公のモーゼの人間像には少々抵抗が残った。
また、メリームもファラオも、結局、置き去りのままである。
このあたりの後味の悪さが残る。

ポーランド分割の時、
最初は反対していたのに、
結局は、署名して承諾したマリア・テレジア。
プロイセンのフリードリヒ大王は、
こういったと伝えられる。
「彼女は泣きながらも受け取る。」

メリームの嘆きから、その余韻を感じたりもした。

書き忘れたが、指揮は、
解説によれば、ドイツ古楽研究の大御所とされている、
ヘルマン・マックス。
合唱は、プロの歌い手を集めたとされる、
Rheinishe Kantreiで、
オーケストラは、Das kleine Konzertという手兵。


得られた事:「コジェルフの『エジプトのモーゼ』は聖書を題材にした、何だか別の思惑の話。ここで高らかに歌われる自由思想は、おそらく、モーツァルトの時代とシューベルトの時代を大きく隔てるものだ。」
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by franz310 | 2009-10-11 16:04 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その194

b0083728_2035104.jpg個人的経験:
さて、ピアノ三重奏曲の巨匠、
コジェルフについて書いた所で、
ピアノ三重奏団に、
ついつい脱線してしまった。
ここで、コジェルフに戻って、
その大作についても見て見たい。
そもそも、シューベルトは、
コジェルフはまだましだ、
などという発言をしていているから、
どうも気になる存在なので。


しかも、前回の話によれば、
シューベルトの初期作品には、
コジェルフの様式の模倣があるらしい。
これは避けて通れなくなってきた。

前にも書いたように、コジェルフは、
モーツァルトの後任の宮廷作曲家である。
しかし、モーツァルトより年配で、
サリエーリなどと同様、この天才小僧が、
気になって仕方がなかった立場である。

モーツァルトが早世したので、
先のポストも回って来た。

これまで、交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ三重奏曲などを聴いたが、
今回は、さらなる大作、オラトリオも聴いて見た。

1785年頃、コジェルフとモーツァルトの戦いは、
しのぎを削っている感じで、必死で、飽きっぽい大衆を前に、
それぞれが戦おうとしているイメージがある。

モーツァルトお得意のピアノ協奏曲の連作も、
この頃、打ち止めの兆候が始まり、
24番や25番では、すでに一連の実験もやり尽くした感が漂う。

分かりやすいが、くどいということで、
コジェルフの作品にも、
そろそろ飽きの兆候が来ていたようなので、
どっちが勝ったかはよく分からない。

コジェルフのシンプルさの方が、
モーツァルトのごてごて趣味よりも、
どうやら、大衆は支持していたようにも思える。

このあたりは、いろいろ聴いたり読んだりして来て、
勝手に妄想した印象である。

そんな絶頂期、あるいは、
そこから転げ落ちる一歩手前のコジェルフが、
1787年に放ったのが、今回、取り上げる、
オラトリオ『エジプトのモーゼ』である。

このCD、二枚組で高いので、買う時に大いに迷った。
そもそも、モーゼが何者であるかなどは、
キリスト教圏の人でも、よく分からず、
何だか知らないが、海の前で手を広げると、
海が半分に分かれる魔法使い、
という印象しかないのではなかろうか。

最も、日本では売りにくいCDと見た。

聖書の要約を見ると、
エジプトでユダヤ人が迫害された時、
王女の手で隠されて育てられていたユダヤのモーゼが、
同胞をエジプトから脱出させる物語が出ている。

ただし、簡単にはいかず、すっかり奴隷根性に陥っていた同胞や、
王様を納得させるのに四苦八苦する様が印象的である。

何しろ、王様が反対する度に天変地異が起こるのだから、
それを描写すれば、すさまじい音楽になりことは必至である。

ようやくエジプトから脱出した後で、
王の軍隊が追ってきた時、紅海が割れて、
その中をユダヤの民が進み、軍隊は波に飲み込まれてしまう。

それでめでたしめでたしとはならず、
長らく異教徒に支配されていた、
イスラエルの民たちの信心はしょぼく、
唯一の神エホバの元での結束を欠いていた。

そこで、モーゼはエホバの言葉を聞くべく、
シナイ山に登り、そこで二枚の石版を得る。
エホバの律法、十誡である。

このCD、疲れ果てた爺さんが、腕を広げ、
何やら見せているが、これがモーゼと、
彼が得た石版であろうか。

1600年から1625年の間に描かれた作者不詳の、
「Gesetzestafeln(掟の板)を持つモーゼ」とある。

コジェルフの作品は滅多に聴けないので、
思い切って購入したが、
先に述べた知識から来る期待は、
実は、ほとんど裏目に出る。

この絵からの印象ともまるで違う。
モーゼは若者だし、石版も出てこない。

解説は、Angela Pachovskyとあり、スラブ系のイメージ。
コジェルフはボヘミア出身なので、
こうした研究家が出るのかもしれない。

「出エジプト記に基づくエジプトのモーゼ、
または、イスラエルの民の解放」
という題のようである。

まず、いつものように、コジェルフの生い立ちである。
これまでも何度も取り上げたが、
なかなか暗記するまでにはなっていないので、
復習することにする。

「今日では、コジェルフは、
ハイドンやモーツァルトから派生する文献で、
二流の人物として知られているにすぎない。
19世紀に書かれた音楽史においては、
ハイドンやモーツァルトに対する陰謀を企む悪役で、
これが生前、異常に人気を博し、成功した作曲家を、
喜んで忘れることに貢献している。
レオポルド(本来はヨーハン)・アントン・コジェルフは、
1747年6月26日、ボヘミアのヴィルバレーで、
音楽一族の家に生まれた。
彼の兄弟のアントン・トーマスは、
1784年にヴィーンにて音楽出版を営み、
年上の従兄弟、同名だった、
ヨーハン・アントン(1738-1814)は、
プラハの聖ヴェイト聖堂の合唱指揮者で、
この分野の作曲で知られていた。
この作曲家の従兄弟との混乱を避けるため、
コジェルフはファーストネームを、
1770年代のはじめにレオポルドに変えた。
法学を志しながら、従兄弟とF・X・ドゥセックに音楽を学んだ、
プラハでの修業期間のあと、31歳のコジェルフはヴィーンに向かう。
まず、ピアノの名人として短期間に名声を確立、
同時に教師としても引く手あまたとなり、
貴族階級とも繋がりを持つようになった。
彼の素晴らしい名声は、たちまち、ヴィーンを越え、
1781年に、ザルツブルクから、
モーツァルトの後任の宮廷オルガニストの職の誘いを受けた。
彼はその地位がキャリアアップに不要と考え、
その申し出を断っていることからも、
コジェルフが甘受していた当時の雰囲気が偲ばれる。
彼は当時の嗜好を取り入れた作曲で成功し、
作品は普及し、ヴィーン内外で、
数多くの作品が出版された。
1792年6月12日、皇帝フランツ二世は、
高給をもって、宮廷作曲家と室内楽指導者に迎えた。
1818年5月7日、コジェルフがヴィーンで亡くなった時、
彼は、当時あったほとんど全てのジャンルにわたる、
膨大な作品を残していた。」

このようなコジェルフの生涯概観は、
これまでも読んでいたものと何の付け足しもない。
いったい、この高給というのがいくらなのか、
そこが知りたいのだが。

ここからが、この作品の解説となる。

「1787年、すでに名声の絶頂にあったコジェルフは、
ヴィーンの音楽家協会から、1曲のオラトリオの委嘱を受ける。
この協会は、1772年、
フローリアン・レオポルド・ガスマンによって、
寄付を音楽家の未亡人や、
孤児救済にあてるために創設されたもので、
音楽家からの寄付や、
受難節とクリスマスの期間に、
定期的に開催される音楽会によって、
資金を得ていた。」

冬と春の二回あったことを覚えておこう。
そして、この作品は、クリスマス用である。

「特にこの機会のために委嘱されたオラトリオの公演は、
18世紀のヴィーンにおける最初の公開演奏会の、
メインのアトラクションであった。
コジェルフは、今日、台本作者が知られていない、
イタリア語のリブレットを使ったが、
これは当時のヴィーンでは普通のことであった。
イタリア語オラトリオは、ヴィーンの宮廷では、
17世紀中葉からの長い伝統であった。
宮廷詩人、アポストロ・ゼーノや、
ピエトロ・メスタージオがいたように、
18世紀の終りに到るまで、
ヴィーンのオラトリオは必ずイタリア語で書かれていた。
これらの台本は、ヴィーン音楽家協会の作曲家によって扱われ、
ガスマンによって、『La betulia liberata』が、
ディッタースドルフによって、『Esther』や『Giob』が、
ハイドンによって、『トビアの帰還』が書かれた。
コジェルフの『エジプトのモーゼ』は、すでに、
こうしたイタリア語オラトリオの最後期の作品である。
ハイドンの『天地創造』(1798)、
『四季』(1801)の成功によって、
次第にこのジャンルはドイツ語のものが主流となっていく。」

ということで、シューベルトの時代、
イタリア語のこの作品はすでに時代遅れになっていたのであろう。
しかし、音楽の問題ではなく、言語の問題で、
忘れられた音楽作品もあるのだろう。

「1787年12月22日(23日再演)、
皇室国民劇場(昔のブルグ劇場)にて、
『モーゼ』は、ヴィーンで初演された。
1790年12月22日、23日には、
少し改訂されたものが上演された。
さらに、1792年、ベルリンで、
1798年、ライプツィッヒで演奏されている。」

作曲されてから12年経っても再演されているのは、
立派な事と言えるだろう。

「旧約聖書の『出エジプト記』をベースにしながら、
タイトルから想像されるのとは違って、
エジプトからイスラエル人が行進していく、
全過程を描いたものではなく、
出発の前のひとときを捉えたものである。」

ということで、かなり内容に偽りあり、
と言わざるを得ない。

出エジプト記では、様々な天変地異が起こったり、
有名な紅海の水を分けるシーンなどが強烈であるが、
大スペクタクルを期待して、
親子連れで、クリスマスの劇場に出かけると、
とんでもない肩すかしを食らわされる。
連れて行かれた子供は、退屈してぐずったものと思われる。

私も、これを読むまでは、すごいアクションと、
人智を越えた奇跡の連続を期待したものである。

そもそも、登場人物を見れば、それが予想できたのだが。

「モーゼとその弟アーロン(年若いのでソプラノ)と、
彼らに反対する、ファラオと、
モーゼを育てた、その娘マリームに焦点が当てられている。」

この時点でも、私はかなりのけぞってしまった。
アーロンは、てっきり、兄だと思っていた。

以下のように音楽付きストーリーが展開される。
今回は前半を見てみよう。

「ゆっくりとした序奏を持ち、
次の合唱とテーマが共通する序曲の後、
奴隷のくびきに繋がれて嘆く、
イスラエル人の合唱で始まる。
これらの人々を、自由に導く準備が出来たことを、
モーゼが告げると、彼の養母のメリームが現れ、
あらゆる手段で、彼がその決意を変えること、
その企みから遠ざけようとする。
そして同時に、彼がいなくなった後の、
自分を心配する。
モーゼは神の存在を疑う彼女に注意するが、
彼女は神の天罰を人間の計略と見なす。
ファラオの性格は、尊大で執念深い暴君として、
台詞としても、音楽的にも類型的に表わされている。
すでに、彼はイスラエル人を解放すると言っているが、
モーゼはまだ足りないという。」

このあたり、かなり理解不明な思考パターンである。
解放すると言っているのに、いったい、さらに何が必要なのか。

「彼は、エジプトが被った天災を、
単に何者かによる魔法と考えているファラオに対し、
神の意志であることを認めることを要求する。
この要求に、暴君は激怒し、
何だか知らない神が、
勝手に彼の人民を救いに来れば良いと言う。」

王も妥協を知らないが、
私には、モーゼの方が理不尽であるように思える。

「モーゼから助言を求められた、王女のメリームは、
ここで何の結論も出せない。
彼女は、ファラオへの忠誠と息子への愛に、
引き裂かれる。
イスラエル人は、この苦しみの終結を、
神に嘆願する。
オペラのフィナーレの様式による、
効果的で劇的な構成を持つ、
コーラスを交えた大四重唱、
『恐れと希望の間で』(CD1のトラック14)が、
第1部は終了する。
嵐が起こり、土手を越えて洪水が起こる。
このような効果で、音楽家協会のオラトリオは人気を博し、
1784年、ハイドンが『トビアの帰還』の、
有名な『嵐の合唱』に範を求めたものだった。」

登場人物は、こんな感じ。
メリーム:王女でファラオの娘。
Simone Kermesというソプラノ。妖艶な美女の写真有り。

モーゼ:メリームに庇護され養育された。アーロンの兄弟。
Markus Schaferというテノールが歌う。真面目そうなダンディ。

アーロン:司祭。Linda Perilloというソプラノ。
写真は、やさしいお姉さんの感じ。

ファラオ:エジプトの王。
Tom Solというバス担当。恐いハゲのおっさん。

あと、イスラエルの民衆を表わすコーラスがある。

CD1:
Track1:シンフォニア。
1787年の作品という事だから、
モーツァルトの三大交響曲前夜の作品。

さすがに、ものものしく、神秘的で、
聴き応えある序奏である。
ティンパニや金管の炸裂に、
木管の不安げな和音が重なる。
主部でも、金管が壮大に吹き鳴らされ、
神話の世界に我々を効果的に連れて行く。
この炸裂感、
ロッシーニの影響を受けたシューベルトと呼んでも良さそう。

Track2:イスラエル人の合唱。
「楽しい時は、主よ、我らに訪れるのですか。
偉大なる神は、我らをこの苦役の中に葬るのか。
主よ、あなたの敵による理不尽な虐待は強まるばかり、
あなたの力も徳も、この不幸には無力なのですか。」

曲そのままの管弦楽の序奏に続き、
混声合唱が悲痛な嘆きを歌う。
活発な伴奏音型も耳に残る。

Track3:モーゼのレチタティーボ。
「何と言う声、おお主よ、何と言う嘆き、
落胆の悲痛が心から溢れている。
違う、不幸な人たちよ、違う。
ここは死すべきところにあらず。
苦役の鎖のくびきは、神のために砕かれん。
今こそ、自由に向けて旅立つのだ。
暴君もその頑固な心を和らげている。
彼もいまや、我らの救出に手を差し伸べている。」

Track4:モーゼのアリア。
「暴君の憤怒も神の掟に従って、
もはや、暗い漆黒の空はない。
心配や恐れを捨てて、不幸で悲しい者たちよ、
今や、自由に帰るのに、
何も怖れることはないゆえに。」

勇ましいメロディーで歌われる、
英雄的な歌で、トロンボーンも鳴り渡り、
気分を大きく高めてくれる。

Track5:メリームとモーゼのレチタティーボ。
「メリーム:息子よ。
モーゼ:母よ。
メリーム:行くの。
モーゼ:神が求めるがゆえに。
メリーム:これが私が受け取る報いなのですか。
モーゼ:メリーム、神よ、出来ることなら。
メリーム:あなたがまだ私に相応しい同情をしてくれるなら、
もし、この嘆きを忘れていないなら、
私の苦しみは去り、涙も乾くでしょう。
だから決心を変えて、お願いです。決心を。
愛しい息子の情愛を、愛する母は請うているのです。」

Track6:メリームのアリア。
「この苦痛に、ああ、息子よ、心動かして下さい。
私の最後の涙に心を。
もし、あなたが行くのなら。
あなたなしにここにいることなど。
私の愛、私の情愛。
もし、最愛のあなたが行くのなら、
私なしに、あなたもそうなるの。」

これも、切迫感に満ちた、
しかも、美声を聴かせるみごとなアリアである。
モーツァルトの「ト短調交響曲」もこうした嘆きの歌の、
延長にあるように思える。

ちなみに、筋としては、
全編が、この延長と考えて差し支えない。
行くの、行かないの、で押し通されている感じ。

Track7:
モーゼ、メリーム、アーロンのレチタティーボ。
レチタティーボといえど、効果的な伴奏。
ピアノフォルテのぽろぽろ音も美しい。

「モーゼ:おちついて下さい、母よ。
あなたのもとからの出発は何も無謀なことではない。
同様の感情はありますが、天が望んでいるのです。
その意思にあなたもわたしも逆らうことは出来ない。
この兆候が分かりませんか。
それは私には十分すぎるほど語りかけるのですが。
メリーム:私は狂って、目も見えないというのですか。
無茶な掟をあなたに突きつけるのは、
何らかの人為であって、神はそんな無謀なものではない。
アーロン:王女よ、何をしようとするのです。
その不注意な唇を抑えて下さい。
信ずるものを働かせ、目を覚まさせるのは偉大なる神なのです。
そんな態度はいけません。
彼を敬い怖れるのです。
彼は不信心に怖れを与える力もお持ちです。」

Track8:アーロンのアリア。
このアリアはゆっくりした主部に、
激烈な警告の音楽が挟まれる。
「彼は、彼を信じる全て、
彼を求める全てにとって、
信心の泉、純愛の源。
しかし、彼の意思を感じることは出来ない
不信心な者には、その怒りしか感じられぬ。」

Track9:合唱。
Track10でこれは、緊張感溢れるフーガとなって、
ファラオの登場を印象付ける。
「神の意思を感じられぬ尊大な暴君が、
きっと、その怒りと憤怒を感じることだろう。」

Track10:ファラオとモーゼのレチタティーボ。
緊迫した場面が続く。
「ファラオ:何故、お前の仲間たちと行かないのか。
モーゼ:迫害された可愛そうな民に自由を与えると、
約束を下さるまでは行く事は出来ません。
ファラオ:何を約束したかな。
それでは不十分か。
この苦役からの解放だけでは不十分かな。
モーゼ:十分とは言えません。
ご存じでしょう、
あなたから神はもっと求めておいでです。
これ以上、その尊大さで神を害さず、
神の怒りを怖れて下さい。
ファラオ:貴様のような下賤が、脅すのか。
この不遜な恥ずべき男に我が怒りの重さを思い知らせようか。
私に逆らう、天の力を見てみるか。
私は全てを動員するぞ。怒り、敵意、憤怒。」

Track12:ファラオのアリア。
「私の王権と我が力は敬いもせず、あがめもしない。
悪党め、私の怒りに何が出来るか教えようか。
訳の分からぬ神に言え、この手、このくびきから、
助けに来るようにと。」
このアリアは、怒り狂った王様の歌としては、
皮肉にみちた嘲笑風のもの。
リズムが弾んで、この陰鬱な押し問答の作品に、
ここらで変化を付けたくなるのも納得。

Track13:モーゼとメリームとファラオのレチタティーボ。
このあたりのやりとりが、
次第に前半の緊迫感を盛り上げるスタート地点であろうか。
しかし、メリームの言葉こそが、私の言いたいことでもある。
モーゼが一人、問題をややこしくしているように見えまいか。

「モーゼ:やめて下さい。何を言うのです。
あなたの硬い心、盲目の誇りが、あえて天に逆らう。
ああ、王女よ、あなたに私が何か意味あるものであったとすれば、
私に、あなた自身に、王様に、この地に、この国の民に、
愛情を感じるのであれば、王様のお怒りをお鎮め下さい。
メリーム:息子よ、すべての問題があなたから出ている時に、
私に何が出来るでしょう。
ファラオ:すべての希望は無駄だ。私が言い、私がするように、
反対の事はありえないのだ。
モーゼ:ならば好きになさるがよい。
行け、兄弟よ。
苦しむ民を集め、こう言うのだ。
跪き、謙遜し、神にこの苦しみの終りを請うようにと。
そして、天の力が王に対し、
悲しみに混乱したエジプトが王に対して何と言うかを、
確かめようではないか。」

Track14:合唱付き四重唱。
この9分の大フィナーレは非常に聞き映えのするもので、
緊張感を保ちながら、
シューベルトの作品にでも出て来るような、明るい歌も響かせ、
いかにも、ヴィーン風の印象を受ける。
金管が盛り上げ、弦楽の精妙な伴奏、合唱の効果的な利用によって、
充実した音楽が繰り広げられる。
「メリーム:怖れと希望の狭間で、
私の絶望はどうなるの。
私と息子と王の両方に愛情を見せるのが私の役目。
アーロン:悪人の怒りと気まぐれ、
偏屈や頑強から、
さらなる虐殺や恐ろしい出来事が、
起こるに違いない。
ただ、あなたのために。
モーゼ:この日の記憶は、
我々の心に残り、王の王に何が出来るかを、
驚きを持って見ることになるだろう。」

不気味な金管が暗雲を告げるものの、
アンサンブルは晴朗に響き、
心浮き立つリズミカルな足取りで終盤へと続いていく。
典雅にピアノフォルテの音が響き、木管が弧を描く。
シューベルトは、このあたりが苦手だったかもしれない。
シリアスなシーンは、シリアスに書くのがシューベルトだ。

「ファラオ:これら悪人たちの騒ぎと無謀が、
我が心に憤怒を焚き付け、
恐怖のみが彼らへの恵みとなろう。
アーロンとモーゼ(神に):この凶暴な心を鎮めたまえ。
あなたの敵を追い散らして。
合唱:不運に哀れみを。神よ、哀れみを。
メリームとファラオは、幸福の日々を願わぬ狂人です。
4人:希望は消えた。
殺戮と死の恐怖。
すべてが恐ろしい。
合唱:この不運に哀れみを、偉大なる神様。」

Track15:嵐の合唱。
「太陽を闇が覆い、
天は燃え、怒りの稲妻が光る。
地震が起こり、津波が来る。
洪水が川の堤を越えた。」

どろどろとわき起こる弦楽に続いて、
金管の咆吼と爆発。
この合唱の歌詞の説明調にはぶっとぶが、
すごい迫力であることに間違いはない。

ここは、年末のクライマックスイベントの役割を果たしている。
聴きに来た人たちは、息を飲んで聞き入ったことであろう。

果たしてこの妄信的な四人の頑固者は、
この後、どうなるのでろうか。
分からず屋の押し問答の末に神の怒りが下った。
(私にはそう見える。)

会社や組織でありがちな、生産性のまるでない、
低レベルの不毛なディスカッションに、
うんざりする内容であるが、
ヴィーン在住のボヘミア人のコジェルフは、
「エジプトのモーゼ」ならぬ、
「ヴィーンのコジェルフ」という側面を、
ここに照らし出しているのだろうか。

時あたかも、ヨーゼフ二世の治世。
急速な改革が、
民族問題を含む様々な方面に飛び火したようだが、
ここまで私は語る力がない。

こんな具合に、前半だけで力尽きて、後半は次回にする。

得られた事:「コジェルフは、器楽曲でかろうじて知られるが、こうした大活劇を描く力量も有り。」
「ヴィーンでは、イタリア語オラトリオが流行っていたが、シューベルトの時代には廃れていた。」
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by franz310 | 2009-10-03 20:45 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その188

b0083728_23165348.jpg個人的経験:
モーツァルトのピアノ三重奏曲、
昔から、いろいろ不評だったが、
このように体系的に聞き直してみると、
他のジャンルに対して、
遜色ある分野とも思えなくなってきた。
何故、ずっとしっくり来なかったのか、
かえって不思議な感じさえする。
私自身、LP時代には入手した記憶にない。
そんな観点から不思議に思い、
昔のカタログを見ると、やはり載っていない。


例えば、作曲家別廉価盤クラシック・レコード総目録
(レコード芸術1975年12月号付録)を眺めてみても、
モーツァルトのピアノ三重奏曲は、1曲もないのである。
同じ6曲からなるジャンルでも弦楽五重奏になると、
第2番がバリリSQに録音があり、
第3番がヴィーン室内合奏団とバリリに、
第4番はブタペストSQとアマデウスSQ、第5はバリリ、
第6はコンツェルトハウスに録音があったことが分かる。

(この総目録を見ていて懐かしいのは、
パスキエ三重奏団による
弦楽三重奏のディヴェルティメント
が載っている点であったりする。
これになると、ものすごく聞き込んだ。)

ハイドンには、何とか、1曲、
オイストラフ・トリオの演奏による、
「ピアノ三重奏曲第4番」が出ているが、
これは、ホーボーケン番号で言えば28番、
立派な最盛期の作品である。

学生の身分で、名作とも言われないものは、
廉価盤にでもなっていなければ、
購入の機会は皆無であろう。

では、CDの時代になって、
どんな状況であったかと言えば、
6曲のピアノ三重奏曲のうち、
どの曲が重要なのかも分からないので、
一度に沢山聴けるのがよかろうと、
TRIO FONTENAY(トリオ・フォントネ)の
テルデック盤を入手。

CD1には、まずディヴェルティメント変ロ長調 K.254
ピアノ三重奏曲第1番K.496、
第2番K.502が、順番通りに、
CD2には、第3番K.542、
第4番K.548、第5番K.564が、
やはり順番通りに入っているのが分かりやすい。

アベック・トリオやボーザール・トリオの新盤のように、
3枚組でないのもありがたかった。

しかし、まじめに聞いていなかった。
それは何故か。

今回、このように系統的に聴いて来ると、
別に、この演奏が悪いわけではない。

そもそも演奏しているメンバーはイケメンなのだ。
それだけで推薦盤にする必要がある。

実際、音色もみずみずしく、
1990年、ベルリンで行われた録音も鮮明。

ピアノのヴォルフ・ハルデンと、
ヴァイオリンのミヒャエル・ミュッケは、
共に、1962年生まれなので、
当時、28歳のぴちぴちである。

チェロは、年長のニクラス・シュミットであるが、
彼とて、4歳年上にすぎない。

かなり人気者だったと見え、
このCDのブックレットの最終ページには、
ずらりとその当時、すでに録音していたと思われる、
録音がずらりと載っている。

インバルの指揮での、ベートーヴェンの三重協奏曲をはじめ、
ブラームスの全曲、ドヴォルザーク、メンデルスゾーンの2曲、
ショパン、シューマン、スメタナ、アイヴスなども録音している。

解説にはドビュッシーやラヴェルも録音済とある。
早すぎる成功が心配になってくる。

こうした人気アーティストのCDのデザインは、
是非、こうあって欲しい感じで、ブロマイド風である。
この中の、どの人が誰で、何を弾くのかさえ分からないが、
きっと、ファンには言う必要がないのであろう。

ポケットに手をつっこんで不遜とも言えるが、
イケメンなら許されるのである。
いや、むしろ、そうすることによって、
そのステータスは高まるとも言える。

また、背景に無造作に置かれた意味不明な絵画、
奇妙な壁に、彼らのシルエットが照らし出されている所も、
決して見逃してはならない。
イケメンにはやはり影の部分がなくてはならぬ。

いいぞ、何かかましてくれや。

このように、何となく、
クールな演奏で痺れさせてくれそうな予感がある。
実際、非常に切れの良い演奏を聴かせてくれている。

特に、前半の彫りの深い、明確な表現で聴いていて、
とても気持ちが良い。
が、あまりにフォーカスされすぎていて、
ボーザール・トリオのような、
腑抜けなのか、夢遊病なのか、枯淡なのか、
何だかよく分からない境地にはない。

が、端正であって、華美ではない。
また、音色は明るく、リズムも軽やかであって、
ドイツの団体だからといって、ずっしりと重いという感じではない。

さすがにイケメンには隙はないのである。
おお、見ると、アマデウス四重奏団と、
ボーザール・トリオに学んだとある。
これは、もはや、サラブレッドとも言える。
アマデウスの豊饒さに、ボーザールの自然体を学べば、
もはや敵無しとも言える。

で、この団体の名称、FONTENAYとは何かというと、
ハンブルク音楽大学の近くのストリートの名前だと言う。
ここで、彼らは最初の練習をしたのだという。

確かに、「放射線通り」とか「落第横町」とか、
「環八通り」という、道そのもの名前はあるが、
日本の住所では、通りでの呼び方はしないので、
最初に練習したのが、「環八通り」でね、
という表現はなさそうだ。

そんな事で、「環八トリオ」は生まれないと思うし、
道の真ん中で練習した迷惑な連中という感じが先に来る。

が、結成が1980年で、
このモーツァルトの録音からも、
当然、もう20年が経とうとしていて、
彼らも、もうおっさんで、
ちょい悪オヤジになっているのだろうか。

さて、前回、ボーザール・トリオの新盤で、
キングさんの書いた解説にはこうあった。
「ピアノ三重奏曲のルーツは、
バロック期の弦楽トリオにあって、
そこで、ヴァイオリンはメロディラインを受け持ち、
それを支える低音は、一般に、
ハープシコードによっていた。」

今回、このトリオ・フォントネのモーツァルトのCDの解説は、
あのアベッグ・トリオの解説のライカウの回りくどい言い方より、
もっとシンプルに分かりやすく書いてくれているのが嬉しい。

つまり、この解説者Uwe Schweikertは、
ピアノ協奏曲の起源について、
「おそらく、初期古典期のピアノ・ソナタに、
むしろ、その起源を求めることが出来る」と書き、
ウィリアム・クレンツという評論家の、
『ピアノ協奏曲とオペラ・アンサンブルの結合』
という言葉に要約している。

さて、このような事が書かれている。
「モーツァルト自身の手による、
『全作品カタログ』には、
1786年7月8日に、
まず書かれたK.496から、
1788年10月27日に、
最後に書かれたK.564にいたる
彼がピアノ三重奏曲を呼んだ時に使う、
『テルツェット』5曲含まれている。
それに加え、モーツァルトのピアノ三重奏の作品には、
『ディヴェルティメントK.254』が先立ってあり、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのために書かれているが、
これは1776年8月にザルツブルクにて書かれたものである。

交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏などの古典の形式と比べ、
ピアノとヴァイオリンのソナタと同様、
ピアノ三重奏曲のジャンルは、モーツァルトの視野には、
かなり遅れて入って来た。

ハイドンの作品においても、ピアノ三重奏曲は、
1784年まで重要度を持っていない。
このように、ピアノ三重奏曲は、
ヴィーン古典派において、
最後に自由を獲得した分野であると言うことが出来る。

これは、バロックの伝統で、あちこちで見られる、
トリオ・ソナタの作品が良く知られていることを思い起こすと、
非常に驚くべきことである。
また、ハイドンやモーツァルト、
そして若き日のベートーヴェンの作品が、
コンサート・ホール向けのものではなく、
アマチュア奏者が家庭で演奏することを
想定して書かれたということもまた、
我々をさらに驚かせる。
例えば、モーツァルトの三重奏曲ホ長調K.542は、
おそらく、彼の友人でヴィーンの融資者、
ミヒャエル・プフベルクのために作曲されており、
モーツァルトは彼に、1788年6月、こう書いている。
『あなたの所で、また、小演奏会を開くのは何時になりますか。
私は新しいトリオを作曲しましたよ。』
この作品はまた、モーツァルトの最後のピアノ作品の一つで、
8月2日に彼の姉の『名の日』に彼女に送っている。

不思議なことに、古典期のピアノ三重奏曲は、
まったくもってバロック期のトリオ・ソナタの後継者ではない。
その起源はおそらく、初期古典期のピアノ・ソナタに、
むしろ、その起源を求めることが出来るようなものだ。
家庭内でこれを演奏する時、ヴァイオリンとチェロ、
または、フルートとチェロをアドリブで追加した。
若い日のモーツァルトが書いた、K.10-15の、
『クラブサンのための6つのソナタ』が、この考え方の例証となる。

この奇妙な慣行は、18世紀終盤のアマチュア音楽家が、
好んだ楽器について、私たちの興味を引く。
近代のグランド・ピアノの先祖は、機構上、
二つの固有の弱点を持っていた。
それは不十分な低音の音域と、
高音域の音がすぐに減衰してしまうという点であった。
これらの短所は、低音の補強や、
メロディ・パートを補うことで是正された。
チェロはピアノの左手の低音に重ね、
ヴァイオリンはピアノの高音のメロディラインを、
高音パートの演奏で補助した。
このような楽器音域の本来の混合が、
三重奏の起源であって、モーツァルトの
ディヴェルティメントK.254でもそれを確認することが出来る。
演奏して楽しく、音色はセンチメンタルであるこの作品は、
チェロは通奏低音であって、
ヴァイオリンには、魅力的な独奏パッセージが盛り込まれ、
拡張されたピアノ・ソナタの原理に基づいたものである。」

「K.496に始まる作品群は、あらゆる意味で、
軽量のディヴェルティメントより、
要求の高い作品となっている。
チェロは独立したパートとなって解放され、
ヴァイオリンと共に、ピアノと対峙する。
この曲集が進行するにつれ、
ピアノがいまだメロディの主唱者として、
同輩中首位であるとはいえ、
三つの楽器が対等な立場となって、
音楽的な対話を行うようになることに気づく。」

「K.496の第1楽章では、
まさに冒頭から、ヴァイオリンとピアノの、
コンチェルタンテな対話が見られ、
K.502では、初めてチェロが主題の音楽的展開に参加している。
この三重奏曲は、雄大で華麗なハ長調協奏曲K.503に隣接し、
同様に1786年の冬に書かれ、素晴らしい隠されたドラマを持つ。」

意欲的でありながら、チャーミングな、
この曲などは、トリオ・フォントネの気質に、
とても合っているような気がする。

第1楽章の出だしから、この曲は、新鮮さを振りまくが、
このあたりは若い感性に期待したいところと一致する。
ボーザール・トリオでは、やや線が細く感じられた弦楽部隊も、
ここでは豊かな響きを響かせている。

夕暮れの情感に満ちた、
ロマンティックな第2楽章なども、非常に美しい。

終曲も愉悦感に溢れているし、
アベッグ・トリオよりも直裁的、あるいは自然体である。

しかし、解説者の言う素晴らしい隠されたドラマとは何だろうか。
確かに、ピアノ協奏曲で、
あれだけいろんな事を語っていたモーツァルトである。
何か、そこでは出来なかったことを、
このジャンルでやりたかったはず。

「ハイドンのピアノ三重奏曲と違って、
モーツァルトのものは非常に成熟しているのみならず、
もっとコンチェルタンテな性格を有している。
ウィリアム・クレンツという評論家は、
そこに、『ピアノ協奏曲とオペラ・アンサンブルの結合』を見た。
まさに彼がピアニストとしての公式な成功を収めた時、
ピアノ三重奏という親密なジャンルに対する
モーツァルトの関心が高まった事、
そして、1784年以来の矢継ぎ早のピアノ協奏曲の連作が、
衰えだした事に注目すべきである。」

この主張も意味深である。
ピアノ協奏曲に飽きて、三重奏に来たというべきか、
ピアノ協奏曲でやることがなくなったと読むべきか、
あるいは、虚しい公の成功に疲れ、
ふと、内面の声を響かせたくなったということか。

「形式の点では、モーツァルトのピアノ三重奏曲は、
伝統的な3楽章形式で、
導入のソナタ楽章と、気の利いた終曲のロンドが、
感傷的で美しいメロディによる中間の緩徐楽章を挟んでいる。
それは、一方でモーツァルトの形式感のバランスを、
他方では、各楽章の組合わせのみならず、
個々の構成や磨き上げられた細部に至るまで、
彼は同じことを繰り返さなかったことをも示すものである。」

これは完全に、コジェルフと違う戦い方である。
コジェルフは、売れ筋のものを大量に製造して成功したが、
モーツァルトは投機的とも言える程に、
新ジャンルを開拓していったということであろう。

「これらの最も早い作品、ト長調K.496は、
終楽章に変奏曲を持って来て慣習を打ち破っている。
第4変奏では、表情豊かな憂愁で、チェロがメロディを奏でる。
名技的な二重変奏曲のコーダがこの曲を締めくくる。」

「モーツァルトの権威、アルフレッド・アインシュタインにとって、
1788年6月、三大交響曲の直前に書かれた、
三重奏曲ホ長調K.542は、モーツァルトがこのジャンルで極めた、
頂点を代表するものであった。
半音階的な特徴を持つピアノによるメロディの導入は、
『暗い色調で光を放つ転調で』(アインシュタイン)
聴衆に何か異常な事が起こった事をはっきりと感じさせる。
巧妙な和声を持って、歌謡的なアンダンテ・グラツィオーソは、
ほとんどシューベルト的なメランコリーを歌う。」

私は、前にこの楽章の童謡のような甘さが不自然だと書いたが、
この解説者には、シューベルト的と評されているのを見て驚いた。

聴いていて慣れたせいか、あるいは、シューベルト的と書かれたせいか、
はたまた、トリオ・フォントネのあっさりした歌い口がマッチしたのか、
このCDでは、この歌謡性も悪くない。

「終楽章は、卓抜な技法で愛らしいロンドで、
重力を失って行き、霊妙である。」
Etherealと書かれると、
確かに、ゲーテのファウストにでもマッチしそうな、
何だか神秘的な霊の音楽のようにも思えて来た。
空中を漂うような不思議な世界である。

「姉妹作、ハ長調K.548は、わずか三週間後に生まれたが、
ここで、モーツァルトは前の作品のレベルを保っているとは言い難い。
K.548は、その作曲時期や調性だけでなく、
『ジュピター交響曲』との関係が強い。
つまり、
第1楽章の主要主題の強烈さ、
異常にシリアスで厳格な展開は、
まるで、オーケストラを
室内楽にスケッチしたような印象を与える。」

しかし、こんな壮大な構想の作品ながら、
少し落ちる、などと書かれるのもあんまりではないか、
というような気がする。

とはいえ、盛夏を過ぎた、この作品あたりになると、
この壮大さの中に、何か寂しさのようなものが欲しく、
まさに、交響的な世界を繰り広げる、トリオ・フォントネよりは、
虚無的な瞬間を垣間見せる、ボーザール・トリオに魅力を感じる。

ロマンティックなアベッグ・トリオよりは、
トリオ・フォントネは、ひょっとしたら、
立体的な表現力である。

同じドイツのアベッグ・トリオは、85年の録音なので、
あるいは、これも研究しての挑戦だったかもしれない。

アベッグ・トリオは教会での録音のせいか、
残響が多く、トリオ・フォントネの方が透明感を感じる。
そんな差異もある。

「アインシュタインが、『柔らかな宗教性』と呼んだ、
精神的なアンダンテ・カンタービレは、死の年、1791年の、
この作曲家の最後期の作品の諦観のムードを予告している。」

私は、この楽章がある限り、
この曲が前の作品より劣るとは思いたくない。
トリオ・フォントネは、アベッグ・トリオ同様、
非常に繊細であるがゆえに、虚無的な感じはあまりしない。
単なるきれいな回想の音楽に留まる。

ボーザール・トリオのものを改めて聴いて見ると、
線が細いと思われた弦楽部も、
妙な切迫感で迫るものがあり、
さすが、この曲を日本公演でも取り上げた団体である、
などと感じ入った。

あるいは、細かいテンポの動きが、
そうした焦燥感を生み出しているとも思える。
そうしたスタイルは、ひょっとしたら古いのだろうか。

「終曲のロンドにおける短調部分の、
痛みの感情の集中は、我々の神経を集中させずにいられない。」

この楽しげな牧歌風のロンドに、
そんな集中させる部分があるかと改めて聴いて見たが、
良く分からなかった。

「このジャンルへのモーツァルトの最後の貢献は、
三重奏曲ト長調K.564で、彼の作品目録に、
1788年10月27日のものとして追加されたが、
これは、他の曲に対して、
『哀れな従兄弟』のように見なされて来た。
ここでの簡素な音楽材料から、K.564は、
ピアノ三重奏に編曲されたピアノ・ソナタだと、
長い間、音楽学者に信じられて来た。
その磨かれた芸術的な単純さは、
ピアノのための『簡素なソナタ』K.545の残照である。」

この曲の欠点を隠そうとするかのように、
トリオ・フォントネの演奏は、
立体的、交響的とも言える闊達な表現で押す。

さすが、イケメン集団。
弱みを見せるを潔しとしなかったようだ。

第1楽章は、やけに元気が良いと思ったが、
CDの時間表示は、ボーザール・トリオ、
アベッグ・トリオの中で最速である。

このように聴いて見て、このCDを聴いて、
モーツァルトのトリオの魅力が、
伝わらなかった理由が分かるような気がした。

つまり、トリオ・フォントネは、
イケメンゆえに、弱さを許さない。
そのため、曲ごとの性格付けが弱まって、
6曲を連続して聴いても、
曲の切れ目が聞き流されてしまうのである。

たぶん、1曲だけ、おそらく、K.502あたりを聴くと、
とても感動させられるのではないだろうか。

これはモーツァルトにも責任があって、
ト長調が2曲あったり、短調のものがないなど、
そうした解釈を許す温床を作っている。

ということで、残念なのは、K.442とされる、
ニ短調のトリオが完成されなかったことだ。

アベッグ・トリオや、ボーザール・トリオの新盤とは違い、
このCDは、この断章は収められていないが、
面白い事に、解説では、この曲についても触れている。

「マキシミリアン・シュタードラー神父は、
本来、同じ曲になるものではない、
三つの別々の断片を組み合わせて、
三重奏曲(K.442)として出版した。
(このピアノ三重奏曲全集には含まれていない)。
機知に富み、活気ある最後の楽章は、
特に、1790年から91年に書かれたと思われ、
何度も下書きが書き直されている。
これは『コシ・ファン・トゥッテ』の余韻を残し、
1788年以降、彼がトリオを残さなかった事が悔やまれる。」

この書き方を見れば、何となく、この解説者は、
もっとすごい曲が出て来た可能性がある、
あるいは、もっと言うと、
まだ、この6曲では、モーツァルトのベストではない、
まだまだ満足できない、
と言いたいのかもしれない。

私は、ジュピター交響曲に迫る三重奏曲があるだけで、
これはこれで、至高の作品と思わざるを得ないのだが。

さて、これまで真面目に聞いて来なかった、
このK.442の終楽章もこの機会に聴いて見た。

確かに、自由闊達にピアノが駆け巡り、
オペラの世界を彷彿とさせる。
これがモーツァルトの死の年の作品だとしたら、
非常に興味深いと言わざるを得ない。

ところで、ふと思ったのだが、
この曲を補筆した、マキシミリアン・シュタードラー神父は、
シューベルトの「ます」の成立に立ち会った、
アルベルト・シュタッドラーと関係ないのだろうか。

この神父は1833年まで生きていたようなので、
頼んだら、「未完成交響曲」も完成させてくれたかもしれない。

トリオ・フォントネの演奏に戻ると、
ハ長調の壮大さなど、
まさしく、「ジュピター三重奏曲」。

おそらく、実演で聞くと圧倒されるに違いない。
改めて言うが、完成度の高い演奏だと思う。

得られた事:「ピアノ三重奏曲はピアノ・ソナタの派生品であるという歴史観。」
「イケメン集団、立体感、迫力に過不足なし。ただし、無敵のイケメンのままでは、広い共感は得られず。」
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by franz310 | 2009-08-22 23:23 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その187

b0083728_13373012.jpg個人的経験:
前回、ボーザール・トリオで、
モーツァルトのピアノ三重奏曲を
通して聴いてみたが、
涸れた表情の作品ほど、
説得力を感じる、
不思議な団体であった。
実は、このトリオ、
1968年にヴァイオリンが
交代して、この新メンバーでも
同じモーツァルトを録音している。


1987年5月のデジタル録音で、
スイスでの収録とあり、
何となく、この暑い時期には、
その録音場所の爽やかな雰囲気に、
是非とも、あやかりたくもなる。

フィリップス・レーベルによる、
モーツァルトの没後200年の、
コンプリート・モーツァルト・エディションにも、
この演奏は採用されている。
私が持っているのは、単独発売のものではなく、こちらである。

この5枚組には、ブレンデルによるピアノ五重奏曲や、
同じ、ボーザール・トリオによるピアノ四重奏曲、
グラスハーモニカによる「アダージョとロンド」が含まれている。
残念なことに、「ケーゲルシュタット・トリオ」は、
ブライマーの録音なので、これだけは、前回の盤に収録が重なる。

また、あの偽作というか、ややこしい曰く付きの、
K.442のピアノ三重奏曲も含まれている。

こういう寄せ集めCDの常として、
デザインは意味不明であるのが残念だ。
おそらく、何に焦点を合わせていいのか、
分からなくなるのであろう。
その結果、可もなく不可もない、
よく分からないものが出来上がる。

カバー・デザインに、Pet Halmanとあり、
カバー・デザイン・フォトグラフィーに、
Cristine Woidichとあり、
アート・ディレクションに、Estelle Kercherとある。
いったい、誰が何をするか分からない大企業病である。

このCDのデザインを見ると、
どこかの劇場にピアノが置かれていて、
ピアノの上の楽譜はぐちゃぐちゃ、
後ろ姿の人物は、当時の装束であるが、
何故か一人は犬を連れている。

そのような上に、月桂冠の写真が重ねられている。
前述のように、どこまでが、誰の分担か分からないが、
人物や背景は手書きにも見え、
まさか、フォトグラファーは、
月桂冠とピアノの写真を撮っただけではないだろうな。

何だか分からない点が、
おしゃれなのかもしれないが、
それがかえって、ありきたりとも言える。
こうしたシリーズの一貫なので、
全体の統一も必要であろうから、
こうした無難な路線に落ち着いたものと思われる。

ブレンデルの五重奏も、ジェランナを交えた四重奏も、
以前、聞いたことがあるので、
今回は、ここに含まれるピアノ三重奏を聴いて見た。

前回の演奏でも主役を務めていた、
ピアノのプレスラーは同じなので、
基本的に大きな違いはないと思われる。

しかし、ヴァイオリンがイシドーア・コーエンに代わり、
チェロがグリーンハウスと来れば、
弦楽部隊は、何だか、ジュリアード四重奏団の
別動隊みたいな感じである。

この人たちは、この四重奏団の一員として、
また、共演者として知られていた人たちである。

ボーザール・トリオというと、謙虚な人たちの集まり、
というイメージが強いが、
ジュリアード四重奏団となると、
アメリカの先鋭的で精緻な団体という感じで、
かなり変ったイメージになる。

前のヴァイオリンは、ティボーの弟子のギレーであったが、
まさしく、ジュリアード音楽院でガラミアンに学んだ人。
ヨーロッパの香りは、少し遠のいたのだろうか。

これは単に頭の中で感じることであって、
演奏を聴いていて、それを実感したわけではない。

むしろ、この録音を聴いて感じたのは、
基本的にスタイルは変らず、さらに恰幅が良い演奏、
という第一印象であった。

もちろん、録音が新しいだけに、音もみずみずしいのが有り難い。
あるいは、その録音ゆえに、
ホールの広がりが感じられるのかもしれない。
そのために、演奏が大きく感じられるのかもしれない。

あるいは、前回の二枚組に対し、
6曲を3枚に収めているので、
そう思えるのだろうか。
特に、K.502とK.542の二曲しか入っていない、
CD4などは、収録時間が42分しかない。
前のCDは、さらにK.564とK.548が入って、
75分も入っていたのである。

K.542は、前のものより少し長めの演奏時間だが、
K.502などは、かなりすっとばし気味で、
前の演奏より、1分近く、早く終わってしまう。

嬉しいのはK.548ハ長調の繰り返しによって、
曲が2割程度増量されている点か。

やはり、この団体は、後半の曲の方が自信を持っていて、
落ち着いた表現が出来るのかもしれない。
最後のK.564も、いくぶん、演奏時間が延びている。

さて、演奏から離れると、
このCDの解説は、極めて不思議である、
と言わざるを得ない。

英語の部分には、
Alec Hyatt Kingという人が、
「親密な協奏スタイル、モーツァルトのピアノ付き室内楽」
という一文を寄せているが、
独語の部分には、
Dietrich Berkeという人が、
「ピアノといくつかの楽器の作品、
グラスハーモニカを用いた作品」という題で、
まったく異なる文章を書いているのである。

こちらの方は、曲ごとにタイトルを設けて、
各曲解説が詳しそうである。
この調子で、他の、仏伊語も別解説である。

いつも、こうしたメジャー・レーベルは、
数ヶ国語に対応しないといけないので、
大変だと思っていたが、このスタイルは初めて見た。
さすが、一大事業で力が入っているということだろうか。

キングさんの書いた、ピアノ三重奏の部分を見てみると、
いきなり冒頭から、えっ?そうだっけ?
と言いたくなるような内容もあるので、
引用してみよう。

「ピアノ三重奏曲のルーツは、
バロック期の弦楽トリオにあって、
そこで、ヴァイオリンはメロディラインを受け持ち、
それを支える低音は、一般に、
ハープシコードによっていた。」

ということで、アベック・トリオの解説のライカウ氏が、
そりゃ危険なこじつけよ、と書いたことがそのまま書かれている。

「18世紀の中葉にかけて、
急速に、まったく違ったバランスのものに進化した。
ヴァイオリンは、鍵盤楽器の高音と交互に、
または、和声を奏で、
なお、大いに装飾的な役割を担っているが、
鍵盤楽器が音楽の重心に来て、
チェロはその低音を補助している。
この特筆すべき変容、強調へのシフトは、
1750年ごろまでに確立され、
1770年代までには、
全欧州でピアノ三重奏曲は普及した。
腕に自信ある鍵盤楽器奏者と、
熟練のヴァイオリン奏者がいれば、
チェロはそこそこの腕でもよいため、
数え切れない家庭の合奏において、
理想的な曲種といえた。」

どうやら、ピアノ三重奏曲の起源にも、諸説あると考えた方が良さそうだ。
というか、様々な解釈は出来るのかもしれない。
しかし、弦楽器のソナタが起源というのは、ちょっと説得力に欠ける。

「こうした質感と限界は、
1776年8月に作曲された、
モーツァルトの最初の三重奏曲
K.254に明らかに見て取れ、
彼はスコアの最初に、
『ディヴェルティメント a3.』
と書いた。
彼がディヴェルティメントという言葉を使ったのは、
このチャーミングな作品が、家庭内の娯楽用であるとともに、
チェロの扱いはバロック期のものと同種であることを示している。
しかし、モーツァルト自身、
1777年10月の手紙で、これを三重奏曲と呼んでおり、
楽しく、娯楽向きで、1770年代の中ごろ書かれた、
ザルツブルク時代のベストといえる性格を持ち、
変ロ長調という調性が、暖かさと親密さを保障している。」

ここまで書いてくれると心強いではないか。
後半5曲とスタイルが違うというだけで、
軽視されるには、この三重奏曲は、あまりにも愛らしい。

演奏は旧盤の方がストレートな表現で、
曲が甘味なので、これはこれでちょうどよい感じがする。
新盤は味付けが少々強いが誤差範囲で、
やはり、どちらも同じ団体の演奏。

このディヴェルティメントより、やはり、
後年の五曲が気になるので、それを読んでみると、
「モーツァルトの成熟した5曲のトリオは、
二つのグループに分けられる。
ト長調K.496は、1786年7月8日に作曲され、
変ロ長調K.502は1786年11月17日に書かれている。
最後の3曲は、すべて1788年の作で、
2曲は夏に、1曲は秋に書かれている。
変ロ長調(?ホ長調の間違い)K.542は6月22日、
ハ長調K.548は7月14日に、
ト長調K.564は10月27日に書き上げている。」

このような分類は、実は混乱を招くような気がしている。
後半5曲に関して言うと、彼は、ここでは、
No.1とNo.2が仲間。
No.3、4、5が仲間。あえて言うと、No.3と4が仲間、
と言っているようである。
しかし、解説を読んでいくと、
むしろ、No.2と3が仲間、また、No.4と5が仲間、
といった風に記載されているのである。

つまり作曲時期と、スタイルが一致していないということであろう。
この解説者のみならず、
モーツァルト自身にも責任があるかもしれないが、
ことほど左様に分類は難しい。

と、いいながら、この解説者は、共通した特徴も語りだす。
「これらはすべていくつかの特異な特徴を共通して持っている。
まず、他の形式の彼の室内楽に比べ、これらは比較的短い。
10の速い楽章のうち、200小節を超えるものは5つしかなく、
さらに驚くべきは、すべての遅い楽章は、アンバランスに長く、
かなりのウェイトを占めている。
また、音楽の構成は、直線的で、伝統に従っているが、
誰にも献呈されていない。
この単純さも合わせて考えると、
モーツァルトは公衆やヴィーンの出版者を喜ばせるように、
金儲けのために書いたように思われる。」

また、このような発言が出るのは困ったものだ。
私は最初、そうかと思っていて、
ようやく偏見から解放されつつあるのに。

しかし、著者も混乱しているのか、
あるいは自信がないのか、
これらの曲も、他のジャンル同様の高みに達したと、
後で書いている。

「特に、『ヴァイオリンとチェロを伴う
チェンバロまたはピアノフォルテのための3つのソナタ』
というタイトルで、
K.502、542、548を同時に出版した、
アルタリア社などを想定しており、これは、
1803年までに、ヴィーンで二回、
マンハイム、ベルリン、アムステルダム、
ブルンスヴィック、ロンドン、ボンの、
計8回再版されている。」

この時代、ピアノ三重奏の王者は、コジェルフで、
「このジャンルと作曲家の人気は、
似たようなものばかり作っていた類似性や、
これらの曲集が、数年して、欧州主要出版社から、
再版されたことからも明らかである」などと書かれていたが、
さすがモーツァルト、同等の人気ではないか。

なお、第二楽章が、一点豪華主義的に甘味なのは、
コジェルフの影響かもしれない、などと妄想してしまった。
両端楽章もあまり複雑にすると、
コジェルフに勝てなくなってしまう。

さて、ヴィーンでの第一作について。

「K.496の手稿を通じて、モーツァルトは、
赤いインクと黒いインクを使っている。
『フィガロ』を書いてすぐの数ヶ月をかけた、
自信と活力に満ちた素晴らしい音楽の価値が、
各パートの正しい配分によって保障されることを意識した、
その努力の結果にも見える。
ヴァイオリンはピアノとの応答で活躍し、
チェロも次第に主張を始める。
モーツァルトが、三重奏の音色を開拓しはじめたのは、
まさに、この曲の第一楽章展開部においてであった。
ピアノ協奏曲ト長調K.453と同様、終曲は、
しなやかなテーマによる生き生きとした、
6つの変奏曲からなっている。」

このように読んでみても、
このヴィーンでの第一作、
さすがに、ライヴァルひしめく中、
念には念を入れての挑戦だったように思える。

この5曲の中では、もっとも苦労したものかもしれない。
この曲だけが、単独出版されていることからも、
その自信が感じられる。
出版したのは、あのホフマイスターである。
この人はモーツァルトの弦楽四重奏曲第20番や、
ピアノ四重奏曲第1番を、ぽつんぽつんと出版したことで知られ、
そのおかげか、前者は、「ホフマイスター四重奏曲」などと、
呼ばれていたりする。

さて、この曲の演奏も、新旧の聞き比べで、
少し新盤の方が華やかな印象がある。
しかし、テンポなどは、寸分違わない演奏なので、
録音による鮮度の影響かもしれない。

あるいは旧盤のギレーのヴァイオリンは、
切れ味よりも、いくぶん、典雅さに
重点を置いているのかもしれない。
コーエンのヴァイオリンは、さすがにアタックなど、
思い切りがよく、それが演奏に推進力を与えている。

つまり、強奏の時の思い切りのよさも、新盤に分があるが、
これとても、録音技術によるものかもしれない。

第三楽章は新盤の方が変奏を克明に描き分けて行く感じ。

「K.502とK.542は18ヶ月も離れているとはいえ、
同じ文脈で捉えられ、K.496の優れた点をも越えて、
モーツァルトが高い霊感を得て、
他の室内楽と同様の傑作に並んだ。
K.542の作曲は、交響曲変ホ長調、
K.543の構想中のことゆえ、
まさに驚くべきことである。
K.502の第1楽章はスタイルの点でも、
メロディラインの点でも、
このロマンティックな調特有の暖かさと浮揚性において、
1784年の最初の変ロ長調のピアノ協奏曲、
K.450(第15番)の縮約された鏡像のようである。
変ホ長調のラルゲットの精緻さは、
名残惜しげに、豊かに装飾された音形に満たされている。
小銭からも奇跡を鋳造してしまう、
モーツァルトの天分のパラダイムに従い、
この111小節は、シンプルなフレーズを通じて、
メロディの優美さを花咲かせていく。
こうした深い親密さの後で、締めのアレグロは、
人工的に見えるかもしれないが、同じように素晴らしい。
多くの要素、強さとデリカシー、
豊富なメロディ、巧みな対位法が、ほのかに混合され、
協奏曲のスタイルが詰め込まれ、
3人の奏者は等しくモーツァルトの豊かな創意に遊ぶのである。」

前述のように、この曲は、ボーザール・トリオの新盤は、
かなり飛ばしている印象を受ける。
旧盤のテンポの方が私には快い。
が、逆に、旧盤で、いくぶん流され気味だったのが、
意欲的な演奏になっていると、言えなくもない。
難しいものである。

「三重奏曲K.542は、同様の完全な熟達にあるが、
ホ長調という調性ゆえ、異なった気質を持つ。
モーツァルトはめったにこの調を使わなかったが、
悔悟が入り混じる明るさ、無垢の喪失感など、
常にそれは怪しい輝きを伴っている。
第1楽章の著しく顕著な転調は、
こうした揺れるムードを強調する。
この凝集に対照させるように、
モーツァルトは、緩徐楽章を、
『アンダンテ・グラツィオーソ』と名づけて、
イ長調の叙情的な暖かさに転じさせ、
115小節という異常な長さをとった。
『田園詩』、『子守歌』とでも呼べる、
幸福な、長く引き伸ばされたメロディが、
彼の和声と対位法の妙技によって強められていく。
終曲のアレグロの名技性は並外れており、
半音階的な輝きのパッセージで増幅されている。
第1楽章に似て、いくつかの休止と、
転調以外は、滑らかな進行で輝く。」

この曲の第一楽章では、逆に旧盤の方が、さくさく進んで速く感じられる。
また、この曲の特徴となる、三つの楽器が、
華やかに、ばーんと弾ける部分では、
ヴァイオリンが扇情的になるのが、新盤の特徴であろう。

第二楽章では、シンプルすぎる主題が、
私には物足りなかったが、録音によって音色が美しく、
チェロなどの音に深みが感じられる分だけ、
新盤の方が好ましく感じた。

第三楽章などは余り変らないが、
ピアノのプレスラー自身、表情が大きくなっているようだ。
いずれにせよ、高度なアンサンブルであることは確か。

「K.564は二番目のト長調トリオであったが、
K.548はモーツァルトの唯一のハ長調のトリオであり、
いずれも磨きぬかれ、蜜をしたたらせつつ、
高度な楽しみもある。
しかし、これらには前の二作品にあった、
高貴な凝集がなく、心ここにあらずといった印象もある。
K.548の場合、二つの大交響曲(ト短調とハ長調『ジュピター』)の、
差し迫った完成によって乱された可能性がある。
また、おそらく、3曲セットで出版したかった、
アルタリアからのプレッシャーがあったかもしれない。
すでに書いたように、結局、1788年11月に出版している。
しかし、技法的には、K.548もK.564も優れており、
特にヴァイオリンとチェロの重要性は進化している。
両曲とも終曲に楽しげなパッセージを持つ。」

素晴らしい第二楽章については、
何も触れられていないのが残念だ。

この曲はボーザール・トリオの新旧比較で、
最も大きな差異が出たもので、
旧盤が繰り返しなしで、16分で演奏していたのに対し、
新盤は21分くらいをかけている。

旧盤はLP時代のもので、
LP二枚に6曲を収めていたので、
収録時間への配慮があったのかもしれない。

また、演奏も、それに合わせてか、いくぶん大柄になっている。

この曲に関しては、少し寂しげで切迫感を湛えた、
旧盤のギレーのヴァイオリンの音色に、
惹かれるものを感じる。

それでも、やはり、この曲は、
このボーザール・トリオの演奏は良いような気がする。
プレスラーのピアノがよく合っているような気がする。

「K.564において、少なくとも、モーツァルトは、
プロポーションの実験を行っており、
第1楽章はたった117小節しかなく、第2楽章も119小節しかない。
明らかに後者の後者は主題と拡張された変奏曲であり、
他の後期の曲種同様、彼は、バランス上の、
新しい着想を持っていたと思われる。
さらにK.564においては、歴史的に興味深い点がある。
この曲はモーツァルトの作品で唯一、
大陸よりも先に英国で出版されている。
1789年7月23日、作曲家のステファン・ストレースは、
ロンドンのStationer Hallに、
このK.564を含む、
『オリジナルのハープシコード曲集』第二巻を提出したが、
アルタリアは、1790年の8月まで出版していない。
ストレースは、妹のナンシーや、トーマス・アットウッドと共に、
1786年、モーツァルトの知己を得ている。
アットウッドは作曲を学んでもいる。
このことによって、ストレースは、
このトリオの初期の手稿を入手したに違いない。
こうしたことは、モーツァルトの承認なしに
なされうることではない。」

このあたりの解説は、余談のようなものだが、
あまり、指摘する人がいない事を、
改めて、詳しく教えて貰えるのはありがたい。

この曲は、新旧両盤で、あまり差異を感じることはなかった。
第二楽章は旧盤の方が淡々としていて、
ここでもギレーのややくすんだ色調に、
何となく懐かしさを感じた。

私としては、新旧両盤とも大切な感じがする。

なお、新盤では、問題視されるK.442が最後に収められている。
解説には、モーツァルトの未亡人が、
シュタッドラーに依頼して書き上げて貰ったとある。
この前のライカウの解説では、
この男が、勝手にモーツァルトの遺品を整理した、
といったような内容であったが、
どうやら、コンスタンツェの差し金であったようだ。

第一楽章は憂いを秘めたメロディでかなり楽しめる。
何となく尻切れトンボみたいな感じで終るが。

第二楽章は何だかシューベルト的な楽想である。
この部分だけは良いという人もいるが、
それも分からなくはない。
しかし、だんだんつまらなくなる。

第三楽章は、シンプルな狩りの主題の曲想ながら、
ピアノが縦横無尽に駆け巡る楽しげな音楽。

「モーツァルトはアレグロヘ長調(?)と
アンダンティーノト長調を1785-6年以前に書き始め、
アレグロニ短調は、手稿やスタイルから、
1788年の夏かそれ以降の作であろう。
最初の二つの断片は平均的な出来で、
何か不満があってモーツァルトが放棄したと思われるが、
アレグロは、創意に満ち、グランドマナーで書かれ、
モーツァルトの状態はベストである。
何らかの邪魔が入って完成されなかったのは残念でならない。」

狩りの主題の曲想は、コジェルフが好きなものなので、
あえて、真似しそうになる前に放棄したのかもしれない。

こうした曰く付きの作品であろうとも、
一部、 モーツァルトの曲想なのであれば、
こんな形で聴かせてもらえるのもありがたいことである。

概してボーザール・トリオの演奏は、
さすがこの道に注力した名手たちの安定した力を感じさせるもので、
旧盤と同様、後半の作品は素晴らしく、
前半の作品には、さらに華やぎを加えて、
言うことのない仕上がりと言える。

得られた事:「ボーザール・トリオによるモーツァルトの新盤の弦楽部隊は、ジュリアード四重奏団と所縁も深く、旧盤より表現の幅を広げている。」
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by franz310 | 2009-08-16 13:39 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その186

b0083728_21441112.jpg個人的経験:
古典時代の音楽を分類する際、
ピアノ三重奏もピアノ協奏曲も、
「室内楽」には分類せず、
「ピアノ曲」として分類する例があるが、
前回のライカウの解説を読むと、
なるほど、という感じがする。
もともと、ピアノを弾く女性がいて、
パートナーが、時折、唱和する、
という感じで発達したものだという。


確かに、モーツァルトが最初に書いた、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重奏曲(K.254)は、
書いた本人も、ピアノ三重奏だという感覚はなかったようで、
「ディヴェルティメント(喜遊曲)」などと題されているらしい。

この題名が、実はかなり、
話をややこしくしている。

この曲に第1番とつけるかどうかで、
後の番号が全部ずれるからである。

そんな事態を恐れたのか、
前回聴いたアベッグ・トリオのCDでは、
番号の記載はなく、
単に、その後の完成作も、
ト長調K.496、変ロ長調K.502、ホ長調K.542、
ハ長調K.548、ト長調K.564と、
極めて素っ気ない呼び方をしている。

この5曲に第1番から第5番の番号付けをした例もあるが、
その場合、「ディヴェルティメント」変ロ長調K.254は、
別ジャンルという扱いとなる。

ケッヒェル番号からも明らかに、
この曲のみが200番台で、
他のはだいたいが500番台であるから、
これはこれで、筋が通っている。

一方で調性で呼ぶにも問題がある。
どの曲かと指定するときに、
「ト長調」のものが、と書くと、
候補が二曲になってしまうのである。

3桁のK番号まで覚えるのは大変なので、
やはり「第1番」と呼んだりしたくなる。
実際、トリオ・フォントネのCDなどでは、そうなっている。

私の頭の中では、
この英雄的な曲想を持つ作品(ト長調K.496)は、
明らかに前作とは別格の趣きを湛えており、
「第1番」と呼びたいところなのだが、
話は単純ではない。

一方で、老舗ボーザール・トリオなどのCDでは、
何のためらいもなく、
K.254もまた、「ピアノ・トリオ」と記載されている。
この場合は、「ト長調K.496」は、
当然、「第2番」となってしまう。

さらに書くと、成熟期の5曲についても、
モーツァルト自身は、「ピアノ三重奏」とは思っておらず、
「テルツェット」という名称を使ったらしい。

長々と書いたが、このような理由もあって、
モーツァルトのピアノ三重奏曲は混乱しがち、
頭の中での整理が難しく、
なかなか人気が出ないのではなかろうか、
などと考えた次第である。

そう思っていると、
このボーザール・トリオのCDでは、
なかなか興味深い指摘によって、
これらの作品の性格をうまく表わしていた。

なお、このCDは、かつてフィリップスが、
「DUO」シリーズとして出していたもので、
廉価盤であるがゆえに、シンプルなジャケット。
デザインの絵は、「Helmut Ebnet,Milan」とあるが、
そこそこ優美で、上品でもあって悪くない。

ただし、よく見ると、
左上にCDの絵が二つ、
左下に「2CD」とあり、
右上には、「140min+」とあって、
右下には「DUO」とあるのは、いかがなものか。
割安であることを、ここまで訴える必要があるのだろうか。

さて、このモーツァルトの解説は、
ベルナルト・ヤコブソンという人が書いている。
題して、「ピアノ三重奏曲の成熟」。

多くの日本人の理解では、
成熟するのはベートーヴェンになってから、
という認識であろうが、是非、こうした論点で、
おそらく100年以上変わっていない認識を改めて頂きたい。

「ピアノ三重奏曲がその成熟に到ったのは、
モーツァルトと年長の友人ハイドンの作品においてであった。」

確かにそう書くのは簡単だが、
彼らの成熟期の作品の作曲年代を、
ここで整理してみると、下記のように、
必ずしも同時期のものではない。
(ちなみにハイドンのものも、
私の頭の中では番号の混乱がある。)

1786年:モーツァルト、2曲作曲
1788年:モーツァルト、3曲作曲

1794年:ハイドンの三曲出版
(M・T・エステルハーツィ夫人用)
1795年:ハイドンの六曲出版
(M・J・エステルハーツィ夫人、シュレーター夫人用)
1797年:ハイドンの三曲出版。
(バルトロツィ夫人用)

このように、ハイドンの成熟はモーツァルトの、
1791年の死後になってからであった。

ということで先を読むと、
「モーツァルトは8歳の時、
鍵盤と二つのメロディのために6曲を作曲したが、
これらは基本的にヴァイオリンかフルート、チェロの、
随意の伴奏を伴ったハープシコード・ソナタと言えよう」
とある。

普通、これは、モーツァルトが子供だったから、
未熟な作品を書いたと考えてしまうところだが、
どうも、そうした様式の時代だったと読むべきなのだろう。
何ともおそるべき小童である。

「ディヴェルティメント変ロ長調K.254は、
12年後の1776年に書かれたが、
このパターンを受け継いでいる。
厳粛で印象的な中心のアダージョでは、
ヴァイオリンが独立して、翼を広げるのが聴かれる。
しかし、第一楽章やメヌエットのテンポの、
フランス風ロンドの終曲を通して、
逆にヴァイオリンはピアノを伴奏するばかりで、
チェロはほとんど常にピアノの左手を補強しているだけである。」

プレスラーのピアノ、ギーレのヴァイオリン、
グリーンハウスのチェロからなる、
ボーザール・トリオの、この曲の演奏は、
ピアノの愛らしい響きと、
比較的控えめな弦楽の響きがマッチするのか、
落ち着いて楽しめる。

こんな感じで、さっと終っているが、
この「ディベルティメント」は、楽しい音楽であることは、
もっと強調されて良いような気がする。

しかし、アベック・トリオの推進力と、
表現意欲のある演奏に比べると、
ボーザール・トリオの演奏は、
あまりに典雅にすぎ、
前回、まるで英雄のように舞い上がった、
私の頭の中での「第1番」ト長調K.496などは、
少女の弾く、ピアノ・ソナタにすぎないような感じがして、
少々、ものたりない。

1967年とか70年の録音のようなので、
当時のモーツァルト観はこんな感じかもしれない、
などと納得できたりする。

これまで、このCDを聴くことがなかったわけではないが、
この曲あたりが最も印象が薄かったような気がする。
淡々としたボーザール・トリオのスタイルでは、
魅力を発掘され尽くしていないのだろう。

特に、グリーンハウスの表現意欲は、
あまり高くないような気がする。

解説も、下記のようなもので、
ピアノ・ソナタとの折衷的な作品という感じで、
改めて、この曲種に賭けるモーツァルトの心意気は、
どこからも感じられない。

「常に参加する、
重要な二つの弦楽パートを持つ、
本格的な室内楽スタイルへのシフトは、
10年後、1786年7月から
1788年10月の間に書かれた、
モーツァルトの最後の5つの三重奏に始まる。
K.496、ト長調のトリオは、
実際、作曲家は、手稿に『ソナタ』と書いているが、
ピアノ・ソナタのように開始する。
しかし、すぐにヴァイオリンもチェロも参加して、
より拡張された役割を演じ出す。
流れるような6/8拍子のアンダンテでも、
これらは対話を続けるが、終曲においては、
6つの変奏とコーダを伴う元気のよい主題が、
チェロは、モーツァルトのトリオで初めて、
強烈な個性を発揮しはじめ、
第4変奏では、他の楽器には真似できない、
力強く表現力豊かなメロディ・ラインで、
短調のテクスチュアを下支えしている。」

しかし、終曲に、変化に富む、
長大な変奏曲を持って来た、
この曲の特異な構成は、
ピアノ・ソナタの概念を遥かに超えており、
もっと、特筆されてもよさそうなものだ。

第一楽章のピアノの歌い出しばかり強調されている限り、
この曲の真の理解は深まらないような気がしている。

さて、次が、K.502の解説で、
アインシュタインなどはこの曲を最高傑作と考えた。

私も、実は、この曲の冒頭から聴かれる、
夢見がちな側面も併せ持つ、
わくわくするような楽想を聴いて、
そんな気がしていた。

しかも、妙にがっしりした構成感も持っていて、
各楽器が妙技を繰り広げる。
チェロの瞑想的な色調もばっちり活かされている。

しかし、モーツァルトのピアノ三重奏曲のややこしい点は、
このあと、三曲も続くところで、最高傑作に到達したら、
それで良いという世界でない点である。

解説にはこうある。
「チェロが古くからの従属的な役割から
解放されることはないのだが、
残りの四つのトリオは、ほぼ全体を通して、
真の楽器のコラボレーションとなっている。
1786年11月に完成された、
変ロ長調K.502のトリオは、
有機的形式構造の熟達の証で、
豊かな創意の好例となっている。
同じ6つの音符からなる、小さな音型が多用された、
第一楽章も、再びガヴォットの終曲も
協奏曲風の華麗さと、強烈に活動的な感覚を呼び覚ます。
華麗に装飾された中央のラルゲットもまた、
さらに壮大なモーツァルトの協奏曲の緩徐楽章に似ている。」

第二楽章もまた、歌謡性に満ちていて親しみやすい。
儚いような懐かしいような感じが漲っていて美しい。
第三楽章の弾むようなリズムも、
ぴちぴちしたピアノの流れも愛らしく、
まさしくピアノ協奏曲の小型版という感じである。

古くから名曲として認められていたのであろう、
ボーザール・トリオの演奏でも楽しめるのだが、
アベッグ・トリオのように浮き立つようなところがない。

が、しっとりとした味わいは、こちらでも良い。

私がかつて、古本屋で見つけたものに、
このボーザール・トリオが、
1969年に大阪で開いたコンサートのパンフレットがあるが、
当時は、「ニューヨーク・ボーザール・トリオ」
と呼ばれていたようだ。

「ボーザール(BEAUX ARTS)」が、
何のことかも書いてないが、
「1955年、ピアニストのメナヘム・プレスラー、
バイオリニストのダニエル・ギーレ、
チェリストのバーナード・グリーンハウスによって結成され、
『新鮮な肌触り』『一糸乱れぬアンサンブル』
『個人の謙虚な人格の反映』など、共通の好評を得ている、
アメリカの名ピアノ三重奏団」
とあり、最後の『謙虚な人格』というのが、
非常に印象に残る。

謙虚な人格が必ずしもモーツァルトの作品を演奏するのに、
相応しいとも思えないが、この演奏を聴いていると、
そんなものかもしれないと思う。

彼らについては、
「結成以降、北アメリカ、ヨーロッパ、イスラエル、
アフリカ、中近東等で約2000回の公演記録を樹立」と続く。

巨匠たちの讃辞に、
「感動の演奏、完全無欠のアンサンブル」
(トスカニーニ)
「久しく聴けなかったピアノ三重奏曲の醍醐味。
これこそカザルス、コルトー、ティボーの
ゴールデン・トリオの後継者だ」
(シャルル・ミュンシュ)
とある。

しかし、
「アメリカで聴いた最高のトリオ」
(ロベール・カザドシュ)
というのは、完全にルービンシュタインや、
ハイフェッツらへの当てこすりにも思え、
「恐くなるほど完全な芸術性」
(ジノ・フランチェスカッティ)ともなると、
ちょっと大げさにすぎるような気もする。

ちなみに、写真ではプレスラーがいちばん若く見え、
禿げたギーレは年配に見える。
しかも、ギーレはフランス生まれで、
エネスコやティボーに師事したとある。

トスカニーニが絶賛した理由もあるようで、
彼が結成したNBC交響楽団のコンサートマスターだという。

グリーンハウスはアメリカ生まれのようで、
奨学金を得て渡欧してカザルスの弟子になったとある。
これら二人の弦楽奏者は、共にストラディバリウスを使っているとある。

このモーツァルトを聴きながら、
そこまで聴き通せれば、かなり楽しいだろう。

このようなアメリカの星であるから、
当時からベートーヴェンやシューベルトの全集を作っていたとある。

さて、このモーツァルトのCDに戻ると、
実は、ここからが、この解説の面白い所なのである。

これらの三重奏曲をモーツァルトの大名曲、
三大交響曲になぞらえて、示唆される事が多い。

「次の二つのトリオで、最後の三大交響曲の時代に入る。
ケッヒェッルのモーツァルトのカタログで、
ホ長調のK.542は、交響曲第39番(K.543)の前に位置し、
ハ長調のK.548は、この曲と、
交響曲第40番(K.550)、
交響曲第41番(K.551)の中間に、
一つ違いの番号で位置する。
そして、ハ長調の三重奏曲は、
同じ調性の交響曲第41番『ジュピター』になぞらえられる。」

と、続く二曲は概観され、各曲の解説が始まる。

まさか、ピアノ三重奏が、
交響曲と一緒に論じられるとは思わなかったので、
この切り口は大変、新鮮である。
特に、私としては、39番の交響曲は、
本当に昔から聞いて来たものなので、
こうしたアプローチには胸の高鳴りを禁じ得ない。

さて、このK.542の三重奏である。
「1788年6月のホ長調のトリオと、
同時期の交響曲(39番)は、共に、
ゆっくりとしたアレグロの第1主題が、
3度にわたって、急速に上昇する音階によって変化し、
付随の主題は、優しくスラーで減衰する二音に消えていく。」

確かに、その格調の高さにおいて、
あの交響曲を思わせ、
激しく上下に駆け巡るピアノの音階や、
優美な第2主題などもどこか、
交響曲の第一楽章を思い出させる。

ボーザール・トリオのCDでは、
この曲が冒頭に収められるので、
関係者は、この曲、または演奏に自信があったと思われる。

「続く、アンダンテ・グラツィオーソは、
交響曲におけるアンダンテ・コン・モートの、
付点リズムで構成されている。」
何だか子守歌みたいな音楽だと思っていたが、
そう言われると、あの交響曲もそんな風に聞こえなくもない。

「三重奏曲は伝統に従って、
メヌエットを持たない点は、
これらの二曲の違いになっているが、
終曲のアレグロは機知に富むとはいえ、
交響曲の移り気なフィナーレよりも、
がっちりとしたものである。」

6分に満たない長さで、
急速に走り去る、あの魅惑の交響曲の楽想より、
確かに、7分近くかかるこの曲の終曲は、
虹色の色彩を放射しつつ、
途中、運命の動機まで登場させたりもして、
よりまじめで、腰を落ち着けたような感じがする。

確かにこの曲のように、かなりの出来映えでありながら、
不当にも無視された作品の場合、
こうした紹介のされ方は有効であろう。
交響曲第39番のファンは、ひょっとするとこの曲のファンに、
取り込めるかもしれないからである。

しかし、繰り返しになるが、
個人的には、この第二楽章は、
あまりに呑気な楽想に聞こえる。
第一楽章でかなりの高みにまで登った後ゆえ、
急に童謡みたいになるのが不自然である。
アベッグ・トリオは、そのあたりを心得てか、
少し、辛口のアプローチである。
そっけなく弾いて、中間部の激しい所に重心を移している。

「1788年7月14日に完成された、
ハ長調のK.548は、同様に、
二つの楽章に関して、対応する交響曲に類似している。」

これまた、すごいことである。
39番よりもずっと知名度の高い「ジュピター」に類似だと言う。

「大きな演奏会場では当然かもしれないが、
室内楽においては珍しい、注意を喚起するような、
序奏で、これらの作品は共に始まる。
共に、小さな半音階的楽節に満ち、
入り組んだ対位法が駆使されている。」

確かに、聴衆の注意を向ける、
狩りの角笛のような呼び声から始まるが、
これは、「ジュピター交響曲」を思い出すのは困難である。
その後の幽霊のような不思議なパッセージの連続もまた、
高度な技法と緊張感を湛えて独自の美感を持つが、
壮麗な交響曲とは別種の感じ。

急にスピードを上げて駆け出すあたりは、
一瞬、同様の雄大さを獲得するが、
すぐに、悲しげな断片的な音楽に入り込んでしまう。

「ジュピター」に似ているかどうかは別にして、
これはこれで、独自で孤高の音楽のようだ。

「そして、両作品とも、
幅広い、3/4拍子による、
アンダンテ・カンタービレの緩徐楽章を持つ。」

この第二楽章は、前の曲よりは私の心を打つ。
モノローグ風の楽想は沈鬱で、
作曲家の心に直に触れるような気がする。

途中で、絶叫するような楽想が乱入するのは、
いったい何事であろうか。

非常に清らかな境地に立ち入って行く様子が素晴らしい。
モーツァルトの三重奏曲の白眉と言えよう。

「ここでまた、三重奏曲の第三楽章、
つまり終楽章は、交響曲とは別の道を行くが、
かすかに狩りのロンドの雰囲気を持ち、
誇張ではなく、内的な類似性として、
下降するファンファーレは、
この曲の冒頭の上昇モチーフと対応している。」

ここに書かれているとおり、軽快な狩りの音楽。
先ほどの悲しみはどこに行ったのかという感じで曲を終える。

これはかなりの問題作である。

なお、この曲は、1969年の
ボーザール・トリオの来日公演でも演奏されたようだ。

彼らは、二つのプログラムを用意していて、
二番目のものに、モーツァルトも取り上げられているのである。
「第6番ハ長調K.548」とあり、
かなり混乱する。
偽作のK.442をカウントしたナンバリングになっている。

寺西春雄氏の解説によれば、モーツァルトのヴィーン進出から、
ピアノの発展史の後、ようやく曲に関する記述があり、
9行しか割かれていない。

当時のモーツァルト受容からして、
これが限界であったのだろうか。

「ハ長調K.548は、1788年7月に完成したもので、
経済的な苦境のさなか、
驚くべき多作ぶりをみせていたころの所産である。
明快簡潔、モーツァルトのみずみずしい音楽性は、
家庭的な演奏の喜びと共に、
この曲に寛いだ楽しさをもたらしている。
晴朗率直な第1楽章、
流暢に歌う叙情的な第2楽章、
軽快でロココ風の優雅さを示す第3楽章」。

別にこの曲でなくても成り立ちそうな解説で、
今日では何の役にも立たないが、
おそらくこうした解説は、
今でも、巷にあふれかえっていると思われる。

それはともかく、ボーザール・トリオが、
この曲を、モーツァルトの代表作の一つとして、
ベートーヴェンの「幽霊」や、
メンデルスゾーンの「第1」に先立って
演奏したことが分かる。

ベートーヴェンもメンデルスゾーンも、
彼らの代表作として長らくレコードでも聴かれてきたものである。

ちなみにもう一晩の方は、
ベートーヴェンの「作品1の3」、何と、ラヴェルのトリオ、
そしてシューベルトの作品99が演奏された模様。
曲目だけなら、迷わず、こちらに行くだろう。

しかし、プレスラーの清らかな軽めのタッチからすると、
この曲やメンデルスゾーンの方が向いているかもしれない。

なお、このCDでは、この曲は、一枚目の最後に収められている。
この曲の場合、アベッグ・トリオよりも、
ボーザール・トリオの演奏に惹かれるものを感じた。
アベッグ・トリオは、流麗なのだが、
何だか回想の音楽になっていて、
切迫するような寂しさが感じられなかった。

ボーザール・トリオの場合、
プレスラーが、噛みしめるような歩みを見せ、
ヴァイオリンもチェロも、何だかこらえきれないような表情で、
感情を押し殺した響きで、この曲を彩っている。

このCDの、「三大交響曲」との対比の解説によって、
グレート5曲のうちの「第3」、「第4」
(こう書くと、弦楽五重奏の名作のようだ)
の性格が明らかになったので感謝している。

さて、最後の作品は、K.564で再びト長調となる。
グレート5曲の「第1」と「第5」は同じ調性となった。

解説にはこうある。
「評論家は時折、このシリーズの最後の作品、
ト長調K.564が、前の作品群に比べ、
質的に落ちて来ていると言うが、こうした評価は、
モーツァルトのような巨匠に関しては、
少し危険である。
終楽章同士、6/8拍子の、
軽やかな狩りのリズムが似ている、
最後のピアノ協奏曲のように、
外見上は野心的な前の作品群に対し、
この素晴らしい一群を慎み深く締めくくる、
魅力に溢れた無垢な作品と見なすほうが賢明と言える。」

確かに、3年後の死の年、1791年作曲の
最後のピアノ協奏曲(K.595)の終楽章と、
この曲の終楽章はそっくりである。

ピアノ協奏曲は1月の作品で、
この曲は10月の作品なので、
2年ちょっとしか時期の差異はない。

「第1楽章は、牧歌的なミュゼット舞曲の効果を有し、
中間楽章は、巧妙な3/8拍子の主題と6つの変奏で、
5番目の変奏は短調である。」

第1楽章からして、まったく力の抜けきった音楽で、
緑なす田園風景の単純さに悲しみが交錯し、
不思議な魅力を湛えている。
このあたりになると、私の興味も、
どの楽器がどのように動いているかなどは、
もう、どうでも良くなってきている。

第2楽章は、厳かなメロディーによる変奏曲で、
ハイドンの「皇帝賛歌」に似ているが、
ハイドンの方が、10年近く後の作品である。

何だか、白昼夢のような感じで、生気がなく、
ボーザール・トリオの演奏も、操り人形のように、
力が抜けきっている。

しかし、この解説、もはや神品とも思える、
最後のピアノ協奏曲と比べるとは、憎い技である。
そんな作品だと思うと、
何だか、ものすごい名作なのではないだろうか、
と思えて来るではないか。

しかし、この曲は、単に以前の作品の編曲だと言う説もあるらしい。
ちなみに、この曲もボーザール・トリオは悪くない。
例のパンフレットによると、ピアノのプレスラーは、
モーツァルトのピアノ協奏曲第17番や、
第24番のレコードも出していたようで、
このあたりの様式は得意にしていたのだろうか。

逆にアベッグ・トリオの場合、
その持てる表現力を、最後の二曲ではどうしていいか分からん、
という感じになっている。

このように聴き進むと、
後期の5大トリオは、私の頭の中で、
1.聴きようによっては「英雄」風。終楽章は変奏曲。
2.ピアノ協奏曲風で最も、最も夢見がちなモーツァルト。
3.「交響曲第39番」風。第2楽章が子守歌風で残念。
4.「ジュピター」風。第2楽章は不思議な寂しさで白眉。
5.「ピアノ協奏曲第27番」風。第2楽章は「皇帝賛歌」風変奏曲。
という感じで整理された。

なお、この二枚組CDには、
クラリネット三重奏曲K.498も最後に収められている。
これはブライマーらの演奏で、
ボーザール・トリオとは関係がないので省略。

得られた事:「モーツァルトのピアノ三重奏曲の大部分はケッヒェル500番代で、最後の3曲は最後の交響曲や最後のピアノ協奏曲らと関連を持つ不思議な境地。」
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by franz310 | 2009-08-09 21:55 | 音楽 | Comments(0)