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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その125

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その125_b0083728_1448955.jpg個人的経験:
前回は、レーガーが、
シューベルト歌曲の伴奏を
管弦楽に編曲したものを聞いたが、
このCDの解説はまだ残っている。
どのような経緯で、
これらの作品が生まれたのか、
そのあたりが、
レーガー自身の作品との関連で
書かれている。
なるほどと納得した次第。

しかも、文中で出てくる、『希望に寄せる』作品124も、
『愛の賛歌』作品136も、フィッシャー=ディースカウが、
レコーディングしてくれており、日本でも発売されていたので、
大変、助かった。
2曲とも、オーケストラ伴奏の歌曲である。

このCDは、1989年の録音のオルフェオ盤。
日本でもおなじみの、ゲルト・アルブレヒトの指揮で、
ハンブルク国立フィルという、
あまりなじみのないオーケストラが演奏している。

購入当初から意味深な印象的な表紙だと思っていたが、
今回、良く見ると、ラフマニノフの「死の島」でおなじみの、
ベックリンのものであった。
また、レーガーにも、
「ベックリンによる4つの絵画」作品128という作品がある。

ちなみにこの作品も、コッホ・シュヴァンのレーベルに、
同じアルブレヒトの指揮で録音されており、
(ちなみに表紙は当然、ベックリン)
日本盤には、宮澤淳一という人の訳で、こうした解説が載せられていた。
(おっと、書いたのはスザンヌ・ポップとある。
今回紹介中のシューベルト歌曲の編曲と同じ解説者。
レーガーを語る時、スザンヌ・ポップを忘れてはならぬ。)


「1913年にはベックリンはすでに時代遅れだったが、
それまでの20年間、彼の複製画はドイツ中流家庭の食卓の上に、
必ずかかっていた。」
などと書かれている。
改めて調べると、ベックリンは1827年生まれ、
1901年には亡くなっているから、
シューベルトの死の前年の生まれということ。

レーガーは1913年、三十代後半の時期に、
「ヴァイオリンを弾く隠者」、「波の戯れ」、
「死の島」、「バッカナール」からなる、
先の「4つの音詩」作品128を書いたが、
これから語られるシューベルト歌曲の編曲や、
「希望に寄せる」作品124も同時期の仕事である。

ちなみに、ディースカウのCDの表紙には、
「Meeresbrandung」という題があるようだが、
海の波といった意味か。
別にこの絵画が収録作品と関係しているわけではないようだ。
が、これらオーケストラ歌曲を書いた頃、
レーガーがベックリンの事を考えていたことは確かである。

あと、このディースカウのCDには、作品144の2曲の合唱曲、
アイヒェンドルフの詩による「世捨てびと」と、
ヘッベルの詩による「レクイエム」が収録されている。
作品番号からして、こっちはさらに晩年の作である。

「希望に寄せる」がヘルダーリンの詩によっており、
どの曲もドイツ文学全集みたいな布陣である。
ただし、「愛の賛歌」の詩人、ヤコボウスキーというのは、
初めて見た名前である。

さて、頭を切替えて、前回、取り上げたシューベルト歌曲を、
何故、レーガーが管弦楽化したのかを読んでみよう。

「レーガーは、シューベルトからヴォルフに至る、
ロマン派の伝統に沿った300曲以上のピアノ歌曲を残しているが、
はじめのうちは、オリジナルであれ、
ピアノ伴奏からの編曲であれ、
オーケストラ歌曲に興味は持っていなかった。
これは1900年頃、フランスからドイツに導入されたものだ。
リヒャルト・ヴァーグナーの、
次元を超えたオーケストラを伴う、
楽劇における偉大な終結のモノローグをモデルに、
同時代人がこのジャンルを確立した。
レーガーは、1911年の12月に、
マイニンゲンの宮廷音楽監督に就任し、
彼のオーケストラにじかに接して、
管弦楽法の秘密を探る機会を持つまで、
こうした傾向を変えなかった。
初期の管弦楽曲に見られた巨大な塊のような楽器法は、
なりをひそめ、『すべての音符がサウンドのために計算された』
スコアを作り上げた。」

1911年も12月といえば、レーガー36歳だが、
もはや、これは彼の晩年である。
亡くなったのが1916年5月なので、残された年月は4年そこそこ。
しかも、下記の文に読めるように1914年には辞職したようなので、
1912年と1913年のわずか2年が、
音楽監督として活躍できた時期だったわけだ。
第一次大戦を前にした、短い夢のような時期に、
ここに書かれているようなことがあった。

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その125_b0083728_1450043.jpg確かに、前述の「音詩」のCDに、
収められた2曲、
「ロマンティック組曲」作品125が、
ちょうど1912年7月、
「ベックリンの絵による4つの音詩」
作品128が、
翌1913年7月の仕事。
束の間の夢のひと時の結晶なのであろう。
音楽監督として冬のシーズンは忙しく、
夏に翌シーズンを想定して、
作曲がなされたものと思われる。
もちろん、自分のオーケストラを念頭に。

そのせいがあるかないか、これらは、
レーガーの名前から想像できる、
恐ろしいぐちゃぐちゃ音楽ではなく、
ドビュッシーかディーリアスみたいな、
あっさりした思わせぶりな音楽。
スパイスは弱い。

このCDの解説にもこうあった。
「あたまのなかで作品の構想ができあがったのは、
多忙をきわめるコンサート期間中のことである。
『ロマンティック組曲』は、彼の語るところによると、
列車に揺られながら一晩のうちに想を練った。
だが実際に楽譜に書きとめるのはコンサートのない
ほんの数ヶ月のあいだであった。
じきに40歳をむかえようという当時のレーガーは、
すでに100以上の作品を出版していたが、
自分を批判的にみる態度はより強くなっていた。」

さて、シューベルト編曲のCDの解説に戻ると、
「宮廷音楽監督として、演奏会のプログラム構成にも責任を持った。
彼の初期の室内楽演奏会でも、
いくつかは自身の作曲により、
他はロマン派のレパートリーよる、
各種楽器の室内楽と、二部からなる歌曲集、
といった好みを示していた。
しかし、この声楽と器楽の理想的な組み合わせは、
規模が大きくなって交響曲演奏会になると問題を生じた。
すでに、作曲過程における影響やアイデアを得るような、
様々な事柄があったので、音楽監督としての最初のシーズンに、
レーガーが管弦楽化するに、
ふさわしい作品を持っていなかったとは思えないが。」

このように、演奏会の企画を行う立場から、
プログラムの設計上、各種レパートリーが必要だったようだ。
室内楽と歌曲の組み合わせというのは、
しかし、最近の傾向としても一般的なものではなかろう。

ということで、この趣向が延長されて、
オーケストラ演奏会では、オーケストラ伴奏歌曲が必要、
といった流れになったのだという。
別に協奏曲でも良いような気もするが、
ある種、人工的な楽器集団の空間の中に、
人の声を加えてみたい要望はわかるような気もする。

「しかし、レーガーのこの分野における最初の貢献は、
ヘルダーリンの詩による『希望に寄せる』作品124で、
1912年10月に、
彼のマイニンゲンでの二回目のシーズンに間に合い、
レーガー自身の指揮、
献呈されたAnna Erler-Schnaudtによって初演された。
その時になって、どうすれば良いプログラム構成になるかという、
ジレンマが強烈に沸き起こってきた。
この初演を前にして、レーガーは歌手に、
アドヴァイスを求めた。
『あなたは二曲歌いますが、
1.レーガーの作品124
2.???
二番目に何を歌いますか。
できるだけ早く教えて下さい。
20分ありますが。』(1912年7月13日)
彼女の提案によって、
モットルとブライルによるオーケストレーションによる、
シューベルト歌曲、『ガニュメード』、『全能の神』、
『死と乙女』が歌われた。
続く何ヶ月かは、レーガーは相応しいプログラム配置の検討を行い、
『希望に寄せる』は数回は、器楽曲の中で唯一の声楽作品として演奏され、
ある機会では、レーガーの5つのピアノ伴奏歌曲と組み合わされ、
新音楽時報が、かつてない辛らつさで、
『人は自分の得意とすることをしたがるものだが、
それは交響曲演奏会の第二部で、
歌曲を素晴らしい作品のように披露することではないだろう』
と書いたように、不満足な結果となった。」

オーケストラ演奏の間に、ピアノ伴奏歌曲というのは、
確かに、バランスが悪かろう。
が、そんなことは、実際にやってみたレーガー自身が、
一番分かっていたことだったようだ。

「この文脈で、レーガーは晩年に、
ピアノ歌曲を管弦楽化することに、
いつもの彼特有の激しいエネルギーで取り組むこととなった。
最後の3年間、彼は40曲もの歌曲を管弦楽化した。
15曲もあるシューベルトは、
スタート点でもあり重要なポイントであって、
12曲の自身の歌曲の編曲、ブラームスの7曲、
ヴォルフの4曲、グリーグの2曲が続いた。
1913年4月15日、シーズン終わりの前に、
レーガーは、彼の判断で、
出版者のブライトコップッフ&ヘルテルに、
このように報告している。
『私は最もよく歌われるシューベルト歌曲を、
何年かかけてオーケストレーションしようと考えています。
それは使いやすい最小編成のオーケストラのためのものです。
このオーケストレーションは、
男性歌手、女性歌手の声が、決してかきけされないものです。
私はしばしば歌曲のリサイタルを経験していますが、
交響曲の演奏会には辟易します。
というのも、指揮者というものは、最高の伴奏者ではないからです。
こうした劣悪な状況は、このオーケストレーションで改善されます。
もう、グランドピアノをステージに引っ張り上げなくてもいいのです。
毎年2,3曲ずつ作曲したいのですが、
シューベルトでは何が良いと思われますか。
もちろん、すでにモットルが素晴らしく行ったのと、
同じ曲は考えておりません。』
それから三日後に、彼は追加してこう書いた。
『私の耳には、巨大な会場で、オーケストラ曲の後、
女性歌手が、しょぼいピアノ伴奏で歌うのを聴くのは耐え難いことです。』
(1914年11月2日出版者ジムロック宛)
レーガーは彼の演奏会経験と実際的見地から、
伴奏者や重たいピアノも考慮して、
出版者にアドバイスを乞い、
ポピュラーさと管弦楽化への相応しさによって、
曲を選択することを考えていた。
彼の最初の手紙(1913年4月15日)には、
『メムノン』の楽譜が同封されていて、
『音楽に寄せる』、『月に寄せる』、『君こそが憩い』が、
1913年9月に続いた。
1914年2月にはこの4曲が、
『4つの選ばれた歌曲』として出版された。」

モットルの管弦楽バージョンを、レーガーはすでに知っていて、
それでも、彼にはこの仕事が重要に思えたようだ。
下記の記載などは、それを物語って忘れがたいエピソードである。

「1913年から14年のコンサートシーズンでは、
レーガーは疲れ果て、衰弱して、遂にはマイニンゲンのポストを、
退くこととなった。
彼は病床でも、医師の禁止にもかかわらず、彼は楽譜を求めた。
続く何ヶ月かに行われた編曲は、ほとんど治癒力に似た効果を発揮した。
4週間のサナトリウムでの日々の後、
自身の3つの作品のアレンジとシューベルトの3曲のアレンジを、
マイニンゲンでの2、3日で仕上げてしまった。
5月のはじめ、サナトリウムでの日々の直後、
これらに4つめが加わり、
『連祷』、『老人の歌』、『夜と夢』、『夕映えの中で』が同じ年に作曲された。
彼は、1914年6月2日のバッハの忠実な編曲を示しながら、
ブライトコップフ&ヘルテルに、こう言った。
『こうして、私の今年の、編曲熱は満たされました』。
この出版社だけではなく、彼はさらなる編曲を、
4社に向かって送っていたのである。」

「シューベルトによる『8つの選ばれた歌曲』の作曲の歴史は、
こんな風に明快だが、『7つの名歌集』、つまり、
『グレートヒェン』、『魔王』、『タルタルス』、
『3つの竪琴弾きの歌』、『プロメテウス』
が作曲された経緯はよく分からない。
手紙には述べられておらず、彼の未亡人エルザ・レーガーは、
彼の死後になって手稿をユニバーサル・エディションに渡している。
私たちは、レーガーの編曲熱が、1914年の秋に起こり、
世界大戦ゆえに出版を見合わせたと推測するのみである。
彼の恐るべき創作欲は、1915年、11月6日に、
ジムロックに対して、
『私は、あなたがブラームスの管弦楽編曲に不満を持っていると思って』
などと書いたように、時として出版者を怒らせた。」
これを見ると、レーガーは、尊敬するブラームスの編曲より、
自分の編曲の方が優れていると考えていたようだ。

「メムノン」は、ブラームス版とレーガー版で聞ける。
この作品は、すでに、マイヤーホーファー歌曲の時に、
取り上げてみたが、非常に特異な内容の作品である。

ディースカウの本にも、この曲は特筆されている。
まず、この歌曲が、若き日のシューベルトが歌手フォーグルと、
歴史的な出会いをしたときに、彼に見せた曲の中の一曲だったこと。
そして、その作品の素晴らしさは、ディースカウによってもこう表現された。

「この二十歳の青年シューベルトが『メムノン』に作曲した音楽は、
その間に達せられた巨匠の高みというものを示している。」

ここにはわざわざ歌詞も書き出されている。
「1.一日を通じてただ一度だけ口を開こう、
私はいつも沈黙して悲しむことになれている。
夜に生まれた霧のあつみを通して
オーロラの紫光がやさしく輝きはじめるとき。

2.それは人間の耳にはハーモニーである。
何故なら、私は嘆きを旋律にして告げ、
詩の炎によって粗野をみがく、
人々は私に至福の開花を想うのだ。

3.死のかいなが私にむかって伸び、
私の心の奥深くに蛇が巣食っている。
それは私の苦しみの感情を餌とし、
満たされない情欲に怒りたけっている。

4.その情欲とは、おまえ、朝の女神と結ばれること。
この無益な営みから逃れて、
高貴な自由の世界、純愛の世界から、
青い星となって静かにこの世を照らすことである。」

恐ろしく鮮烈なイメージの、
芸術家の心の代弁とも思える心情告白である。
シューベルトもブラームスも、また、レーガーも、
この、「人間の耳にはハーモニー」だが、
しかし、私には「嘆き」というテーマを、幾度もかみ締めたに違いない。
事実、シューベルトは同様の事を言っている。
さらに、ディースカウは、著書の中でこう続ける。

「このもの言う柱は人間の心をもち、
悲劇は、それが語っているとき、
内に感じているものを知らないことにある。
変ニ長調でのただようような前奏曲はオーケストラ的で、
ブラームスはこれをバリトン歌手、
ユーリウス・シュトックハウゼンのために管弦楽曲に編曲している。
これに続くレチタティーボはあたかも無からのように始まり、
やがて長調から短調への移行とともに暗くなり、
悲痛に張り詰めた劇的感興へ高まり、
『おまえ、朝の女神と結ばれること』のところで頂点に達する。
レチタティーボ的なとぎれとぎれの感じは、
憂愁の詩人マイヤーホーファーの念頭にあった
あの理想像に向かって輝き、結尾のアリオーソに至る。
ピアノはなごやかな明るさをもつ後奏を崇高に終わらせる。」

この詩を改めて味わうと、本当に沢山のことが、
わずか4分ほどで歌われる中に詰め込まれていると思う。
メムノンの歌が人間に聞こえる時の神秘。
そのメムノンの心の中に住む蛇。
蛇が食らうメムノンの苦悩。
そしてメムノンが求める暁の女神の美しさ。
それとの合一の夢。
これらすべてにシューベルトは対応して、
的確な音楽をつけ、作品の価値を増幅した。

では、ブラームス版をプライのCDで聞くと、
1. 木管合奏の豊かな色彩感の序奏に続いて、あとは弦で控えめ。
オーロラの光が差し込む木管の描写はさすが。
2. ぽぽぽぽーと木管主体だが、要所要所でハーモニーが厚くなる。
3. ホルンの警告音。弦がざわめく。
4. 幸福そうに木管が歌い交わす。崇高な後奏は、弦と木管が掛け合い、
木管が美しい余韻を残す。

レーガー版はヘンシェルで聞こう。
1. どーんと、深い弦楽のため息のピッチカートに、ぷかぷか言う木管の伴奏。
オーロラの光は、弦楽の広がり。
2. 弦楽主体に、立ち上る蜃気楼のように木管がブレンドされる。
木管はときおり、声楽部の音形を模倣。
3. 弦のざわめき、吹き鳴らされる管楽器群。このあたりはレーガーらしい。
4.ホルンが高貴な世界に導く。後奏は弦楽主体。
レーガーが好きな、声楽部を他の楽器で強調することはあまりやっていない。

蛇がうごめくという苦しみの部分が、
レーガーには、もっと重要に思えたのであろう。

「『7つの名歌集』で使われている楽器は、
レーガーがよく使っていたものとは違う。
彼はその編成を、第二のオーケストラ歌曲、
『愛の賛歌』作品136でも使用し、
それは1914年の秋の作とされる。
さらなる確認として、
1914年10月28日、
ペータース社のオーナーであるHenri Hinrichsenに宛てたものがある。
『私はすでに、ブライトコップフ&ヘルテルのために、
シューベルトの管弦楽化に相応しい歌曲の編曲を終えています。
いくつかはすでに出版されており、
残りは戦争終結後に出版を予定しています』。」

前々回読んだYouensの解説によると、
この歌曲集が出版されたのは1926年だという。
第一次大戦が終わって10年、レーガーが死んで10年、
もう、シューベルトの死後100年が経つという時期である。

「レーガーのシューベルト歌曲の選曲の基準は、
ポピュラーさとオーケストラ化の相応しさが大きな関心事となっている。
いくつかの作品が、確かによく知られているのみである。
シューベルトは公式デビューとして1815年の『魔王』で果たしたが、
これはリストやベルリオーズの管弦楽化を含んで沢山の編曲を生み、
高い販売量がその人気の証拠となっている。
1814年の『糸を紡ぐグレートヒェン』は、
若いシューベルトとして天才の火花を灯し、
ロマン派歌曲の誕生とみなされている。
ここでシューベルトは、伴奏を新しく、感情的で表現力豊かな内容とし、
恐ろしい不安と緊張感溢れる興奮をオスティナートの動きで表現した。
すでにシューベルトの生前からこの2曲は、
彼の最もポピュラーな歌として数えられている。
また、『音楽に寄せる』の4つの写しは、この曲の人気を語るものだが、
『君こそは憩い』もまた、早くから人気作であった。
しかし、この曲集は、そんなに普及していなかった歌曲、
『老人の歌』、『メムノン』、『夜と夢』のような例も含んでいる。」

このような編曲と同時期に書かれたレーガー自身の管弦楽歌曲が、
どのようなものかと言うと、ともに13分程度のもの。
なだらかな曲想で、スクリャービンのような感触。
どこがメロディーだかわからないが、盛り上がったり、
沈静化したりでうねうねと繋がっていく感じで歯切れの良いものではない。
レーガーの常として、いろんな楽器が重なって、
ほの暗く玄妙な色合いである。
時折、そこに精妙な和声で美しい瞬間が立ち上る。
そういう意味では、ベックリンの絵画のような感じでもある。

ディースカウ盤のCDの解説は、
ハンス・G・シュールマンで西野茂雄訳となっている。
この人も、レーガーがこの分野に参入したのは、
後年になってからであると強調。
「彼のオーケストラ書法の
いわば擬古典的な洗練の後に
ようやく彼はオーケストラ歌曲の想念に
歩み寄ることが出来たのである」と書いている。

「1912年に、ヘルダーリンのテキストに基づく
作品124の『希望に寄せる』が出来上がり、
1914年に、ルートヴィヒ・ヤコボヴスキーのテキストによる
『愛の賛歌』が書き上げられた。」
以下、日本語で書いてあっても難解な解説が続くが、
作品124に関しては、ヴァーグナーの「トリスタン」と、
ヘルダーリンの悲劇的理想世界の融合のようなことが書かれている。

このCD、このように作品ばかりか、
解説までも難解なのが難点。

では、実際にこの「希望に寄せる」とは、どんな作品か。

不吉なティンパニが静かに轟く中、
静かな弦楽の闇が広がり、
一筋の光のように木管が立ち上る序奏。
確かに、トリスタンとイゾルデのいる神秘の森の中の空気のようだ。

歌詞はこんなものらしい。
「おお、希望よ!やさしいものよ!
善意あるはたらきにいそしむものよ!
悲しむ者の家をもさげすむことなく、
高貴なものよ!
死すべき者と天上の諸力との中間にあって、
進んで奉仕しつつ支配するものよ。
おん身はいずこに?
わずかの間私は生き、
しかも私の夕暮れはすでにひえびえと息づいている。
この世では私はすでに影のように静かだ。
そして身ぶるいする心臓が胸の中で、
もはや歌うことなくまどろんでいる。」
このように、トリスタンの森の感覚も、
あながち間違っていたわけではなさそうだ。
夕暮れの気配を漲らせていたわけである。
ここまでは、のっぺりとして難解。というか変化に乏しい。

そして、後半は、ホルンやオーボエが牧歌的な音色を奏で、
日の光のような弦楽が開放的な視界を開いていく。
管弦楽がざわめきだし、非常に朗らかな楽想も明滅し、
不思議な幸福感が満ち溢れてくる。
歌詞もまた、このようにビジュアルで印象的なもの。

「あの緑の谷に、あそこ、さわやかな泉が
日夜せせらいで山から流れ下り、
秋には愛らしいイヌサフランが私のために花咲くところ、
あそこ、あの静寂の中に、やさしいものよ。」

さらに、この自然の中での感興が高まり、法悦へと至るのが次の部分。
「私はおん身をたずねよう、それとも真夜中に
雑木林の中で目に見えぬ生きものがざわめき、
私の頭上で、常に喜びに満ちた花たち、
あの咲きこぼれる星たちが輝く時に。」
「花」や「星」で、声楽も絶唱となる。

この後は、この絶唱の余韻が静まっていくような部分。
不思議な幸福感と希望を感じさせて音楽は消えていく。
「おお、エーテルの娘よ!
その時はおん身の父の
花園から姿を現し、私に死すべき者の幸福を
約束することが許されないなら、
いとせめて別の約束で、私の心を驚かせておくれ。
おお、希望よ、希望よ、やさしい希望よ。」

狂気に至った詩人、厭世的なヘルダーリンの作品を、
音楽化するとこうしたものになるであろうか。
こうした作品を書きながら、レーガーは病気になり、
ドイツは戦争へと突入していったという点が皮肉である。

「愛の賛歌」作品136も、基本的に同じような音楽。
重苦しい雰囲気がベースで、
時々、浄化されたような音楽に満たされる。
詩の内容も、「神々しい愛の消え行く火花」を、
もう一度、取り戻したいと、「永遠のもの」に語りかける、
長大な法悦のモノローグである。

レーガーが「メムノン」のような曲に取り組みながら、
それが簡潔な構成で、様々なことを言い尽くしているのを見て、
晦渋な表現を長々とやることの意味を問い直したとしても不思議はない。

得られた事:「過労でぶっ倒れたレーガーを救ったのは、シューベルトの作品であった。」
by franz310 | 2008-05-31 14:59 | 音楽
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