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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その99

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その99_b0083728_20522265.jpg個人的経験:
リストが何度も
ピアノ用に編曲した、
シューベルトの
歌曲「ばら」。
前回、書いたように、
シューベルトの
歌曲の段階でも
2ヴァージョンが
あるらしい。

従って、ハイペリオンのシューベルト歌曲全集でも、
この曲は2度登場する。
しかも、こちらのCDは、他のシュレーゲルの歌曲を、
まとめて収めている。

前回のものは少し歌いやすく低めのヘ長調版、
今回のものは、ずっと若いシェーファーが歌って、
より繊細なト長調版ということである。

このCD、シェーファーがそこそこ活躍しているのに、
表紙ではゲルネしか登場せず、損をしているのではないだろうか。
クリスティーヌ・シェーファーは、容姿も端麗、
一躍、グラモフォンレーベルでも活躍した逸材であったので、
写真を変えるだけで、売れ方も変わって来そうである。

そもそもシュレーゲルの歌曲を集めながら、
どうも、それを感じにくいデザインとも言える。
同じシリーズでも、前回のものの方が、はるかに華やかである。
ゲルネも、来日して素晴らしいシューベルトを聞かせたばかりなので、
人気者、実力者であるには違いないが。

さて、このジャケット写真、ただし、隠されたオチがあるようだ。
夕日のような色に、染まっているが、実はここには、
何と、この夕焼けにちなんだ歌曲が収められているのである。
つまり22曲のうち、11曲が、こんな名前でまとめられている。
「フリードリヒ・フォン・シュレーゲルによる『夕映え』歌曲集。」
シューベルトは、三大歌曲集ばかりが有名だが、
これはいったいどういうことであろうか。

このCD、長大なシュレーゲルについての解説もあるが、
この歌曲集についての部分を読んでみよう。
何と、あの「ばら」も、この歌曲集に含まれるというのである。

「フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの『夕映え歌曲集』
『夕映え』と題された、
フリードリヒ・シュレーゲルの詩集から取られた、
シューベルトの11の歌曲は、リヒャルト・クラーマーが、
いくつかある「歌曲集の失敗作」と呼んだ、興味深い一例である。
シリーズ18巻で、私は、エルンスト・シュルツェの、
「Poetishes Tagebuch(詩的日記)」からの10の歌曲集に対し、
実際のシュルツェの詩集を見て、
シューベルトが、歌曲集というコンセプトを抱き、
それを実現しようとしたのかもしれないと想像して、
『Auf dem wilden Wegen(野の小道にて)』と題すべき、
未知の歌曲集ではないかという推察を行った。」
このハイペリオンの全集は、いろいろな歌手が起用され、
次々に様々なテーマでの歌曲を歌っているのが特色だが、
ここに書かれた18巻とは、シュライヤーが担当したものである。
何と、この「野の小道にて」歌曲集には、有名な「春に」も含まれている。

いずれにせよ、三大歌曲集以外にも、道半ばにして、
完成されなかった歌曲集もあるということだ。
「このことは、シュレーゲルの歌曲集についても言え、
これらはばらばらに書かれ、
おそらく、作曲家はセットとしては見ていなかったと思われ、
全体を納得のいくものにしようとすることは、
ほとんど不可能である。」
では、何故、ここで、あえて歌曲集としてまとめる必然があるのだろう。

「シュレーゲルの詩集は1800年から1801年の間に書かれ、
1809年の彼のGedichteの12ページに現れる。
同じ詩は、後に、10巻からなる全集(1822-25)の、
第一巻を構成することとなる。
この詩集の名前は、大文字で『夕映え』と書かれている。
最初の詩にはタイトルがなく、単に『パート1』と書かれている。
この詩に作曲した、1823年3月の手稿(D690、原曲の調はイ長調)では、
シューベルトはその頭書きを、『夕映え-パート1』と、そのまま写している。
このことが、作曲家がこの曲を、
この詩集の中から、最後に作曲したと考えられ、
大きな歌曲集の先頭に置くべきと考えた
とする主張の根拠となっている。
いずれにせよ、詩人が集めた詩集の題名である、
『夕映え』が、この曲のタイトルとなった理由である。」
夕映えがトラック8である。

ここから、シュレーゲルの詩集とシューベルトの作曲の関係が示される。
「この一連の詩集は、各詩にタイトルを有し、シュレーゲルの、
出版の順序からすると、下記のようになる。

山   D634 原調はト長調   1820 3月?→トラック9
鳥   D691 原調はイ長調。  1820 3月 →トラック10
少年  D692 原調はイ長調。  1820 3月 →トラック12
川   D693 原調はロ長調   1820 3月 →トラック11
羊飼い シューベルトは作曲していない
ばら  D745 2ヴァージョン、原調はへ長調、ト長調 1820?もっと後?
                          →トラック13
蝶々  D633 原調はへ長調   1820 3月 →トラック14
太陽  シューベルトは作曲していない
風   シューベルトは作曲していない
詩人  シューベルトは作曲していない

このように、シュレーゲルの詩集の最初のパートは終わり、
夕方になった時に、山、鳥、川、ばら、蝶々、太陽、風が、
それぞれの感情を語り、私たちに語りかける。
シュレーゲルはさらに、
導入の詩(シューベルトの歌曲『夕映え』)での語句、
『全世界は、同じ声で歌われる多くの歌からなる一つの合唱』
にあるように、子供や羊飼いなど、
ここでは、人間も、自然を構成する一要素としている。
そして、それらは全て詩人に向かって語りかけられるが、
それは、彼がその意味を見抜くことの出来る、
これらの音の選ばれた解釈者だからである。
このように、詩人自身の詩『詩人』は、
パート1のエピローグのようなものとなる。
1856年、ラスキンが、人間の情動や共感を自然に帰することを、
『感傷的な欺瞞』と呼んだとき、
彼は、『非常に単純な、葉の茂ったサクラソウ』を、
『呼吸する花や喜びにあえぐ小枝』(時のパロディとしての言葉)より、
好んだのである。
それにもかかわらず、ワーズワース、シェリー、テニソンなど、
他のロマン主義の詩人たちは、シュレーゲル同様、
森羅万象の統合を拡大するために、
感傷的な欺瞞を必要とした。」

とにかく、シュレーゲルの詩集『夕映え』の大部分に、
シューベルトは同時期に曲を付けており、
最後に、それを抱合するような歌曲『夕映え』を作曲したというのである。
この、歌曲『夕映え』は、こんな歌詞のもので、曲想は荘重、
神秘的なトレモロがとどろく中、太陽が沈んで行く。
このコンセプトの中で、あの有名な『ばら』も書かれたということか。
「日の低く落ちるとき、
すべての場所に憩いあり、
日々の労働も片付いて、
子供らの声の楽しげ。
緑の大地はより青く輝く、
日没の時。
花の息吹も柔らかく、
芳香は大気に広がり、
優しく魂を抱きしめる
恍惚の美酒に酔いしれるように。
小鳥たちや、遠くの人たち、
天に聳える山々よ。
銀色の大河に、
谷間を吹き抜ける風の流れ。
全てが詩人に話しかけ、
それらをすべて解するゆえに。
そして、全世界は一つの合唱となる。
あまたの声が一つの声で歌われる。」
このトレモロは、詩人の心に響く、万物の声の象徴であろうか。
ゲルネのバリトンが威厳をもって、このモットーを語りかける。

さて、全体がこのように総括され、各曲が始まるが、
続く曲たちは、いきなり、各論になる。
まず、「山」は、人間の小ささを語り、
比較的有名なのは、次の「鳥」であるが、
ここでも鳥までが、軽妙に人間を小馬鹿にして、
飛び去ってしまう。
すると、続いて、シェーファーの声で、ゆったりと、
しかし銀色に輝く、「川」(雄大な日没の光景の描写)
が歌われ始めると言った具合で、
あまり、歌曲集の統一感がないのは確かである。
何しろ、万物の声なので、統一されないのが普通であって、
これが一つの声になって神秘を語るところがロマン派なのであろう。
この後、これまた楽しげな「少年」がゲルネで歌われ、
空を飛びたい小僧の夢が語られる。少年というより無邪気な小僧。
次に、シェーファーによる可憐な「ばら」来る。
この「ばら」については、また、後で触れよう。
さらに、「蝶々」が忙しげに飛び回り、前半は終了。

次は、「さすらい人」から始まるが、有名な幻想曲のもととなった、
「お前のいないところに幸福がある」と歌われる、
恐ろしいリューベックの詩のものとは違う。
これは、「どこにも故郷を作らないように」と、
諭すように、月が語りかける設定。いずれにせよ、夜である。

次に、シェーファーが歌う、いたいけな片想いの「少女」、
ピアノ伴奏にも、愛情たっぷりである。
最後に、美しい「星」と「藪」が、ゲルネの深い声で歌われる。
これらは、「我々が何と神聖な光を放つのかと人間は驚く」と、
清らかな星の瞬きが歌われたり、
「ひそかに耳を傾けるものには、様々な地上の夢の中に、かすかな音を聞く」
というロマン派のモットーが歌われたりする。
そう、これは、シューマンの「幻想曲」に書き込まれたものなのだ。

こう見ると、ロマン派の歌曲集の幕開けのような気配が漲った曲に、
様々な声が収斂していく構成だということが分かる。

「詩集の第二のパートは、夜の帳がおりてから起こることである。
同様に反復されたように、『Als die Sonne nun versunken』で始まる詩が、
タイトルなしであって、これにはシューベルトの付曲はない。
そして、最後は、やはり、『詩人』でエピローグを構成する。
一連の詩は、下記のようになる。

さすらい人 D649 原調はニ長調   1819 2月 →トラック15
月     シューベルトは作曲していない
二羽のナイチンゲール 同上
少女    D652 原調はイ長調   1819 2月 →トラック16


歌手    以上、シューベルトは作曲していない
星     D684 原調は変ホ長調  1820    →トラック17
藪     D646 原調はト長調   1819 2月 →トラック18
詩人    シューベルトは作曲していない

このように、シューベルトは1819年の初めに、
シュレーゲルの詩を発見し、
それから詩集の『パートⅡ』の3曲に付曲したように見える。
約1年後、彼は再度、『パートⅠ』に戻って、
たぶん3曲、あるいは6曲の歌曲を、
パートⅡの『星』と共に作曲した。
同時に、彼は、シュレーゲルの詩集『夕映え』以外の、
『舟人』(D694)にも作曲をした。
そして、さらに3年後、この詩集『夕映え』の、
一番初めの詩に戻った。
このことから、彼は、すでに作曲してあった歌曲も含めて、
歌曲集を作ろうと考えたとしたら、この遅い段階だと思われる。
そして、このことが、彼が最終的にシュレーゲルの詩集に、
調性の統一感を与えようとした理由なのである。
これは、『水車屋の娘』の年の後であり、
歌曲集というものについて考え、たな卸しをした時であった。
(この年の『すみれ』というバラードは、
小さな歌曲の連続にも見えるものから、
大きな構成を作り出す試みを代表している。)」

このように、シューベルトはこれらを歌曲集にしようと考えた。
最初に作曲を始めてから、ずいぶん、決断までに時間がかかっているが、
前述のように、大家によるロマン派の宣言のような詩集ゆえ、
その価値は十分にあったことだろう。

「しかし、シュレーゲルの歌曲集は、
むしろ、クラーマーの言うように、
まだ見ぬ、循環形式のような形式に対する、
消極的な浮気心を表わしているようだ。
ベルケは面白いポイントを突いており、
1819年の詩を、作曲家は、『1802年の芸術年鑑』で発見し、
1820年の詩は、1809年のシュレーゲルの上記エディション、
または、全集が出る前に書かれた詩の、
1816年のヴィーン版から取って作曲したとしている。
これは、『冬の旅』で、作曲家が体験したように、
まず年鑑『ウラニア』で12の詩のみを発見したので、
2つの版で小さな違いがあるというのとは、
少し事情が異なっており、
『夕映え』は、各々の出版で完全に同じものがプリントされている
(芸術年鑑ではまだ二つのパートには分割されていないが)し、
作曲家は、最初から循環する自然の全貌に気づいていた。
彼は、単純にこれらの詩から、一曲ずつ、
または、いくつかのグループで、作曲を楽しんでいたようだ。
しかし、シュレーゲルのコンセプトは、
おそらく、テキストとテキストを一緒にして、
歌曲集の形にし、
様々なキャラクターが『一つの声で様々な歌を歌って』初めて、
その全てを明らかにするものであろう。
この最後のフレーズは、シュレーゲルの強烈な汎神論の表明だが、
作曲家にとって、それは、歌曲集を作りたいと思わせるものに違いない。」

確かに、歌曲集として構想したくなる構成を持っている。
「この『一つの声』は、
シューベルトにとっては関係ないかもしれないが、
異なる意味で問題となる。
1825年、フォーグルはエレンの歌『アヴェ・マリア』を歌って、
熱狂的な歓迎を受けたのは事実であり、
公の席で『少女』や『ばら』を男性歌手が歌っても、
当時は、恥ずかしくない時代だったと思われる。
しかし、今日、我々はそれに抵抗があり、
フィッシャー=ディースカウも、
その膨大なシューベルト・レパートリーにおいても、
これらの曲は歌っていない。
むしろ、シュレーゲルの歌は女声によって歌われるのが相応しいと思われ、
『少年』はズボン役としてやればよく、
『さすらい人』も、女声による『冬の旅』に慣れた聴衆には問題なく受け入れられる。
しかし、この場合、どんなタイプの女声歌手であろうか。
ここに来て我々は声のタイプ、声の区分の問題を考察しなければならない。
五線の広域用に書いた『ばら』を、『夕映え』の最後の音符の低音は、
言うまでもなく、完全に音域の異なる『星』を、シューベルトは本当に、
同じ声で歌うことを想定していたのだろうか。
原調が変ホ長調の『星』を、シュレーゲルの順番で次の詩、
原調でト長調の『藪』を続けて歌うことが難しいと考えない歌手がいるだろうか。
『歌曲集のできそこない』は、私には、
シューベルトが、個々の歌の原調を思いついた時、同じ歌手、または、
同じ歌唱のタイプの歌手を想定して書けなかった失敗にあると思われる。
例えば、『山』のような歌は、明るく若いテノールがよいが、
他は軽いソプラノがよく、また、あるものは高いバリトンがよい。
ただ、主題の統一という観点でのみ、
創造のプロセスから生じた、シュレーゲルの記述の多様性を、
実際的に考察する時のみ、
シューベルトの作った形での、『夕映え』歌曲集は、
一人の歌手が、これらの詩に声と曲集としての統一性を与えて、
演奏することを可能とする。」

考えて見れば、シュレーゲルのやろうとしたことが、
そのそも、むちゃくちゃであって、
全くの異なる趣旨の詩を並べながら、
「異なる歌だが一つの声だ」、などと言っている点が、
我々を悩ませるのである。
それを現実の世界で演じようということ自体、
非現実的な話になってしまうのかもしれない。

「明らかに、高い音域のものを、
メゾ・ソプラノに移調することによって、
歌いやすさや、多かれ少なかれテキストの適合性という意味で、
歌曲集を全体的に手堅く取りまとめることが出来るが、
これは、シューベルトが想定したものではないだろう。
演奏家はここで、ベルリオーズの『夏の夜』や、
その他の、異なる声や性別に相応しい、
異なった歌からなる、いわゆる歌曲集に対するときと同じ問題に直面する。
これを全て同じ歌手が歌おうとすると、音楽的な妥協物のようなものになる。」
「夏の夜」も、デイヴィスの指揮した盤などは、
確かに、雑多な歌手が歌っていたが、最近では、
一人の歌手が歌うのが普通になってしまった。
これは妥協だったのか。

「しかし、私には、シューベルトの音楽、シュレーゲルの詩を理解し、
そのとらえどころのない、
しかし、詩と音楽の持つ明らかな統一性のセンスを持つ、
現代の演奏家には、この歌曲集を救済する権利があると思われる。
それをどうするか。
まず、一つの解決策として、二人の歌手、
またはもっと多くの歌手が、『夕映え歌曲集』を分担する方法がある。
シューベルト以降、よく知られた分担歌曲集、
シューマンの『ミルテ』、ヴォルフの『イタリア歌曲集』などが現れた。
シューベルトも、D877のウィルヘルム・マイスターの歌で、
ミニヨンと竪琴弾きが参加して不ぞろいな、
少なくとも二人の歌手を要求する歌曲集を出版した。
作品52の『湖上の貴婦人』の歌曲は、さらに大掛かりなキャストを必要とし、
有名な『エレンの歌』は、男声合唱や女声合唱、テノール、バリトンによって、
割り込まれている。
これは、歌曲のフレームワークによるオペラといったタイプであろう。
『夕映え』においても、何人かの歌手により、
歌曲のアジェンダによる小さなオペラキャストで演奏することも可能であろう。
ここでは、ピアニストが共通の分母となって統一感を出しながら、
別々の歌手がそれぞれの特性を活かして、各曲を歌えば、最高の効果を奏するだろう。
この統一感は、作曲されていない詩を、詩人の役が朗読すれば増強され、
それぞれの作品に糸を通して結ぶことが可能となろう。
仮面劇のように、衣装を身に付け、大学のコラージュ風パフォーマンスで、
かつてのベルリンの『ミュラーの歌芝居』のように演奏されると面白そうだ。」
この意見には興味をそそられる。
是非、そんな形式での演奏を見てみたいと思う。

「さて、これら歌曲が分担されたとしても、
シュレーゲルの詩集通りでは、
A-G-A-A-B-F-Fといった調性の退屈な連なりとなり、
印象がよくない点が難しいところである。
コンサートで取り上げるときには、この調性の連なりは、
第一に、出来る限り、快適で興味が持続するように考慮するべきである。
このCDでは、出来るだけシュレーゲルの詩集の順番としたが、
『鳥』と『少年』は、その調性と雰囲気が似ているので分けた。
シューベルトがシュレーゲルと同じ順番を意図していたかは、
議論されるべきであろうが、顕著に長くゆっくりとした歌曲集で、
この二つの快活な歌が並んでいるので、その他は全体的に進行がゆっくりである。
ここでは、ソプラノが『少女』、『ばら』、『川』を歌っているが、
これは、もし低く移調すると、典型的なシューベルトの調性、
ロ長調の銀色の響きが脅かされるからである。
各演奏者が違った並びに配列しなおし、歌手の条件や声のタイプによって、
最終的な順番は見つけられるであろう。
それにもかかわらず、『夕映え』は最初に置かれることが好ましく、
『藪』が最後に置かれることが好ましい。
これは、ヴォルフの『イタリア歌曲集』が、いろいろな順番で歌われながら、
モットーのような『Auch kleine Dinge』で始まり、
祝福された『Ich hab』で終わるという、
ヴォルフの指示以上のことが出来ないのと同様である。」
このように、「ばら」は、もっと雄大な構想の中で、
捉えられるべき作品であったのだ。

では、このCDにおける「ばら」の解説を見てみよう。
「『ばら』
この曲はシューベルトが『ヴィーン時報』にて出版する、
ずっと前に作曲されていたと思われ、
他の『夕映え』パート1の歌曲と同時期に書かれたと思われる。
シュレーゲルの詩集のパターンは、ここでも同様で、
ばらに、自身の言葉で、その窮地を語らせている。
20世紀の読者には、この詩の哲学的なポイント、
貞節に無関心な婦人につきまとう危険に対する、
詩人の警告であるというところが、紋切り型だと考えられていた。
しかし、19世紀初頭、世界は、もっと大きな変化や、
性に対する自由に騒然となっていたということを、
考慮に入れるべきであろう。
シューベルトは自身の経験から、女性に限らず、
自由な生活の危険を知っていて、このテキストは、
特に彼自身の生涯に相応しく、つまり、ばらと同様、情熱ゆえに、
肉体を苛まれるのである。
この詩は、シュレーゲルがすでに、
彼の小説『ルシンデ』で表明したものの見方に、
背を向けることを示しているようである。」
この小説は、性の解放の賛美のような側面があったようだ。
それにしても、彼を苦しめることになる病気に羅感するのは、
もう少し後のことではなかろうか。

「この曲のような美しさ、それに、薄いヴェールのように、
発展するテキストの魅力は、当時の出版者には理解されなかった。
作曲家は最初、この曲をヘ長調で書いたのに、
もっと新鮮ではかないト長調にすることにした。
これがヴィーン時報で発表された時の調で、ジョン・リードは、
シューベルトは高い調で出版するよう説得され、
結局、この時点では、作曲家はそれに納得したのであろうと考えている。
1827年、強力なコマーシャルの実用性のアイデアを持った、
ディアベリによって、再度出版された。
この歌曲がト長調では、特に中間部では難しく、
多くのソプラノにとって、ヘ長調の方が簡単である、
ということが事実として分かったのであろう。
1827年、作曲家は、おそらくディアベリに、
もともとのヘ長調でのアイデアに戻すよう、
説得されたのであろう。
いわゆる芸術支配階級であった若い女性という、
想定購買層が、ヴォーカルのラインを眺めて驚かないように。
この曲には二つの版があり、ドイッチュのカタログには、
ここで録音されているト長調が第一版とされ、
ヘ長調が第19巻でフェリシティ・ロットが録音した第二番とされる。
作曲の便宜のため、詩は3部に分けられている。」

今回、シェーファーと前回のロットを聞き比べることが出来たが、
シェーファー自身は安定した歌唱を聞かせるとはいえ、
確かに、空中分解寸前の天上的な響きになっている。
それは性別を超えた天使の声にも聞こえる。
ロットの方が、その意味では、普通の話声の延長で、
包み込むように、語りかけるように歌われている。

このCD、他の収録は以下のとおり。
1. 涙の賛美 D711
2. 生の旋律 D395
3. 愛の言葉 D410
4. 再会   D855
以上、アウグスト・フォン・シュレーゲルの詩(F・シュレーゲルの兄)。
5. ソネットⅠ D628
6. ソネットⅡ D629
7. ソネットⅢ D630(以上、ペトラルカの詩をアウグストとグリース訳。)
私は、リストがまとめた曲集が、「涙の賛美」と「ばら」だったのを、
同じシュレーゲルの作品と思っていたが、兄弟の作だった。

これに、「夕映え歌曲集」が続き、
19.ブランカ D631
20.舟人   D694
21.愛の横溢 D854
22.森にて  D708
(以上、フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの詩)
が最後に並んでいる。

得られた事:「シューベルトには、歌いやすさによって、やむなく調を変えた歌曲もある。」
by franz310 | 2007-12-01 20:53 | シューベルト
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