名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その54 |
個人的経験: さて、シューベルトが、 「ます」の五重奏曲を書くのに際し、 参考とした可能性がある フンメルの作品に、 前述の七重奏曲作品74以外に もう一曲候補となるのが、 シューベルトと同じ編成の ピアノ五重奏曲。 ただし、作品ナンバーは87と、 出版は遅かったようだ。 この作品がお手本となったという根拠は、 フンメルの唯一のピアノ五重奏曲というに止まらず、 それに加えて、ポピュラーな、 ピアノ+弦楽四重奏 (ヴァイオリン×2+ヴィオラ、チェロ) の編成ではなく、 弦にコントラバスが含まれ、 そのかわり、ヴァイオリンが一丁という、 あまり類例のない編成で書かれていることが、 まさしくシューベルトの名作に似ているという点にあろう。 しかし、弦楽四重奏+ピアノ形式の五重奏曲は、 ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンが、 名作を作っているわけではなく、 それから2世代くらい後の、 シューマンやブラームスが名作を残したから、 ポピュラーになっただけの話であり、 その中間に位置するシューベルトの、 知ったことではなかったはずである。 つまり、ベートーヴェンが、 プロにしか演奏できないような 難しい弦楽四重奏曲を作曲したために、 常設の弦楽四重奏団の活動が開始されたのであって、 それ以前は、弦楽四重奏団というものが存在しなかったので、 ヴァイオリンを二人集めるのも、 ヴァイオリンとコントラバスを1人ずつ集めるのも、 同じ難易度であったはずである。 そもそも、モーツァルトの、 「13管楽器のためのセレナード」でも、 コントラバスは使われており、 ベートーヴェンもシューベルトも、 七重奏、八重奏になるとコントラバス必須である。 シューベルトの同時代のシュポアなども、 八重奏、九重奏では、コントラバスを使っているから、 ゴージャスな音を出すときには、コントラバスが必須であったに違いない。 ということで、 フンメルの作品87を聴いてみよう。 ここで、その前に、CDの解説を読んでみる。 「シューベルトは、 18世紀の終わりから19世紀の始めの、 音楽上の人種の坩堝のようなヴィーンにおける、 数少ないヴィーン生まれの作曲家であった。 彼の前の世代にいたヨハン・ネポムーク・フンメルは、 さらに普遍的なトレンドを求めてヴィーンに移り住んだ一人である。 実際、彼は、ドナウ下流の第二の都市、プレスブルグの出自であり、 1786年、8歳のときに、一家と共にヴィーンに移住し、 そこで、モーツァルトのよき友人となり、弟子となった。」 「名技的なコンサートピアニストでもあった彼の膨大な音楽は、 たくさんのピアノ協奏曲やかなりの量の独奏曲など、 自然、その楽器のために書かれている。 外向的な演奏家と見られていた彼の作品は、 同種のシューベルトの音楽より、 はるかに広い聴衆を想定して書かれている。」 「しかし、1802年にヴィーンで作曲された、 フンメルの唯一のピアノ五重奏曲は、 後期の激しい作風以前の、 シューベルトの作品同様、 快適で和やかな室内楽となっている。 それは、1822年まで出版されなかったので、 (フンメルの作品番号は、作曲の年代学を全く反映していない) パウムガルトナーが、シューベルトに手本として引き合いに出したのは、 手稿の形だったのかもしれない。」 「シューベルトのイタリア風のメロディアスな傾向、 ベートーヴェンが中期の作品群で追求した、 簡素な主題のスタイルと力強さのコントラストが期待できることによって、 (この時期のベートーヴェンの名声の高まりは、 しばらく、フンメルの自信を揺るがせていた) それは実際、極めてシューベルトに似た作品である。」 「それにもかかわらず、この五重奏曲は、 シューベルトの五重奏曲に比べると短い。 長調と指示されているにもかかわらず、変ホ短調が主調であり、 珍しいことに、曲の最初も、終わりも短調である。」 「四つの楽章(第一楽章は突進するアレグロで、第二楽章はスケルツォで、 第三楽章は、大あらしの第四楽章の短いラルゴの序奏以上のものだ。) それぞれにおいて、ピアノは必ず主導的な立場を取り、 同時に名技的な装飾が展開される (緩徐楽章の最後でカデンツァのような誇示がある)。 しかし、この明快なピアニズムの独特な流儀は、 シューベルトが同種の作品で行ったと同様、 活気に満ちた作品を高揚させるのである。」 私は、この作品は作品74のようには高く評価することが出来ない。 第一楽章序奏から、悲愴感を称えた作品で、 いったい、どんな展開が待っているかと期待すると、 何だかお気楽な第二主題が始まり、それに加えて、 リズミックな楽想が出るや、例の序奏の悲痛なテーマが、 完全に呑気な伴奏を始めるので、ずっこけてしまう。 次々に様々なピアノ奏法を披瀝できるので、 ピアノを演奏している人は、楽しいかもしれない。 それにしても、この序奏の悲痛さは何だったのか、 何かテーマの切れ端を見つけると、 さっそく、それに夢中になってピアノが走り出すが、 目先の事しか考えていない音楽と言えよう。 第二楽章は、スイングするスケルツォで、 ピアノが、これでもかこれでもかと、様々なパッセージを散りばめ、 鳴り響かせらせる。 静かで神秘的な第三楽章は、水の上に反射する月光のように、 ベートーヴェンのような深さに至る期待を抱かせるが、 本当に序奏のような長さしかなく、最後はお決まりの、 大見得を切ってピアノが鳴り響く。 第四楽章はハンガリー舞曲である。 中間部で、チェロが美しい歌を歌うが、 それは、一瞬の箸休めでしかなく、 その他は、ピアノがその激しいリズムに乗って得意満面である。 シューベルトに比べると、この音楽は、 まったく名技のための作品で、 独りよがりもいいところである。 演奏団体は、ロンドン・シューベルト・アンサンブル。 ウィリアム・ホワードのピアノ、ヴァイオリンは女性で、ジャックリーン・シェイブ、 ヴィオラはダグラス・パターソン、チェロのジェーン・サルモン、 コントラバスは、ピーター・バッコーク。 ピアノと弦楽のための作品をするべく、1983年に設立のされたイギリスの団体。 コンサート・ツアーや音楽祭の参加に加え、国内では、BBCラジオや、 クラシックFMでレギュラー出演しているという。 シューベルトを名乗っているが、レパートリーは広く、 現代音楽もよくし、たくさんの現代作曲家に新作を依頼している。 ハイペリオンのダイアッド・シリーズで2枚組。 2枚目には、シューマンのピアノ四重奏、五重奏曲が入っていて、 一枚目の最初は、我らがシューベルトの「ます」である。 こちらの演奏は、さすがにフンメルより興が乗っているし、 現代の団体で、シューベルトを名乗っているのに相応しく、 よく練られた、隙のない、それでいて生き生きとした表現である。 フンメルが書けなかった、内省的な第二楽章の表情も良い。 第四楽章の変奏曲も、生き生きとしたリズムでありながら、 しっかりと、歌が歌われているのが好ましい。 エルンスト・フロームホルドの絵画、「森の小川」が、 フロント・イラストレーションに使われており、 シューベルトの「ます」を表わすには、非常に好ましい印象。 ただし、併録のフンメルは、こんな感じの曲ではない。 得られた事:「シューベルトは、第二楽章で、名技的なジャンルに魂を込めた。」 |
by franz310
| 2007-01-21 20:20
| 音楽
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