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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その444

b0083728_20403555.jpg個人的経験:
「デュオ・トロバイリッツ」
という二人の女性音楽家による
「愛の言葉~
トルバドゥールと
トルヴェールの歌」
というCDを聴くまで、
南仏のトルバドゥールと
北フランスの
トルヴェールとの違い、
そもそも言葉まで違うなど、
あまり意識していなかった。


今回は、ざっと、
このトルヴェールの勉強をする。

当時の歴史を紐解くと、
フランスは分断状態にあって、
そこから、英仏百年戦争という、
時代に突入することも含め、
これらの違いは音楽史ではなく、
西欧史のスケールで理解される。

確かに、古株、セクエンツィアなどは、
これらをはっきり分けてアルバムを作っており、
「北フランスの宮廷の愛の歌、
C.1175-1300」と題して、
トルヴェールだけでCD2枚分収録している。

一角獣の絵は、
15世紀末フランドルのタピスリーが有名だが、
このセクエンツィアのCDの表紙は、
ずっと古拙で、
「ユニコーン」と題された、
大英図書館にあるとされる
「ロチェスター動物寓意譚」から。

1230年頃(から14世紀までの間?)
のものとされるので、
みごとに、このCDの音楽に合っている。

ユニコーンは処女を好むので、
この図では、それを囮にして、
狩人が、剣を突き刺しているが、
すでに、この伝説上の動物は、
息絶えているようにみえる。

この魔獣の角には、
様々な効能があったというから、
共犯の女の方も、
殺された獣に対する同情はなさそうだ。
そもそも、キリスト教の規則はあっても、
野卑なイメージが先行しがちな中世、
動物に対して、
どれぐらいの同情があったかは知らないが。

このセクエンツィアという団体は、
結成が、スイス、バーゼルで、1977年と古く、
多くの録音をドイツ・ハルモニアムンディから出していたが、
何故か、アメリカ人が作った団体で、
ベンジャミン・バグビーという、
1950年生まれのイリノイ州出身の男性
(ハープ、声楽、作曲、音楽学担当)と、
バーバラ・ソーントンという、
同年生まれのニュージャージー出身の女性との
カップルが中心であった。

だいたいの写真では、
さらに、マルグリエット・ティンダマンという、
オランダ出身の女性と3人で、
「セクエンツィア」とされて写っている。
このCDもそうだが、多くの場合、
さらに数人のメンバーが参加しているようで、
かなり変則的な活動が可能な団体のようだ。

「現代最高の中世の声」とされた、
ソーントンは、何と、48歳の若さで、
手術不能の脳腫瘍で苦しんだ末に亡くなっており、
もっぱら弦楽器系を担当した
ティンダマンも2014年に亡くなったので、
この初期の代表メンバーは、
もう、神話上のレジェンドになってしまった。

しかも、このCDなどは、1982年の録音、
彼らが30歳そこそこで録音したものなので、
CD解説などに残された画像は、
若々しく、永遠の青春を刻んだような形になっている。
どの音楽の解釈も、風通しがよく上品で、
中世ヨーロッパに憧れる、
新大陸の若者の生の心情が宿っているかのようだ。

こうした活きの良い若者たちだった彼らにも、
古いフランス語の問題が立ちはだかっており、
発音も再現不可能だったようで、
解説には、「厳格に科学的」ではない、
と断りを入れている。

逐一、文字に落とされているはずの
「詩」からしてそうなので、
「音楽」の方も、彼ら独自の解釈、
彼ら独自の再現となっているのだろう。

バグビーは、自らが信じた世界に浸りきって、
前面に立って、自らの声を響かせているが、
学者でありパフォーマーであり、
はったり興行師でもある、
といった感じだろうか。
多くのトルバドゥール、
トルヴェール系のCDが、
10曲程度で小ぢんまりとまとめてある中、
何と、2枚43トラックもあるのがすごい。

バグビー自身が書いた解説を読んでみよう。
これは、日本で発売された時には、
割愛された感じになっているが、
演奏者自身の言葉が読み取れて貴重だ。

「トルヴェール(『発見』とか『発明』に当たる、
trouverに由来)は、
12世紀から13世紀に活躍した
詩人/音楽家の総称で、
その詩は、南フランスのトルバドゥールの
オック語(オシアン)ではなく、
オイル語(今日、古フランス語として知られる)
で書かれている。
これらのシャンソニエのほとんどは、
そのうちの少なくとも1700に、
メロディが付けられた
何千もの詩が集められた、
詩集にある手稿をもとにしている。
これに加えて、
ポリフォニーの世俗音楽、
2部、3部、
場合によっては4部のものさえある、
モテットが含まれているが、
その多くはオイル語で書かれている。
この録音プロジェクトは、
『13世紀フランスの伝統と前衛』と
題された、
12世紀後半のトルバドゥールの伝統による、
初期のトルヴェールから、
1300年頃のパリの音楽シーンまで、
限られた時代の音楽スタイルを探求した、
コンサートのプログラムに、
端を発したものだ。
この録音は、このテーマを拡大し、
モノフォニック、
ポリフォニックな世俗音楽の両方にも、
重要な視点から選曲したものだ。
一見、同種のように見えるレパートリーに、
様々な音楽スタイルがあったことを、
デモンストレーションすることが、
目的の一つであった。」

このような目的ゆえに、
様々な音楽を集成する必要があり、
それが、2枚組、全43トラックという、
大きなプロジェクトに繋がったようだ。

「幾世紀もの時を隔て、
原典の情報不足もあり、
旋法のリズムとか、朗唱風のリズムなど、
名称のみで論争の種になっている揃いの音楽が、
もっと幅の広いものであって、
明らかに規定されたものであると推測する試みとなった。
あるいは、オック語という詩的な言語が、
多くの方言同様、地域性の強いもので、
もっと言うと、ある文化に根差していて、
音楽の演奏も地域密着で、
多種多様であったと思われる。」

恐ろしく冒険的なプロジェクトである。
一人の作曲家の作風の変遷や、
それが、どの音楽家によって、
どんな風に演奏されるか、
などという次元の話ではない。

どれもこれも誰も見たことも聴いたこともない、
千年近く前の音楽を、
その地域ごとに解釈するというが、
その地域の言語も文化も、
すっかり歴史の闇に霧散している可能性が高い。

「第1部は一人の作曲家に焦点は当てず、
初期トルヴェールの音楽活動の
多彩さをカバーしようとした。
もっとも初期のフランス語、
ラテン語のモテット、
クラウズラと器楽曲と共に、
下級の貴族が作った詩による
シャンソン・デ・トワルが含まれている。
ここには、女性視点での
編み物歌や糸紡ぎ歌があって、
女性が語る形のモテットを補足する。」

この第1部というのは、この2枚組CDの、
最初のCDのTrack12までが相当する。

なお、このさらっと書かれたクラウズラという曲が、
このCDには大量に収められているので、
これを確認しておく必要がある。

日本盤は金澤正剛氏の詳細な解説が貴重だが、
これによると、
9世紀に始まるポリフォニーは、
パリで発展し、聖歌の旋律に
対旋律を付けて発達。
それをオルガヌムと呼び、
その一部を修道士たちが楽しんで演奏して独立、
クラウズラという新しい音楽が出来、
何と、それに歌詞を付けて歌うと、
モテットになるのだそうだ。

モテットを単に、宗教的な歌曲と考えていたら
いかんかったという事である。

Track1.冒頭に置かれたベチューヌ作、
「あまりに愛したために」の、
豊饒、華麗な序奏からして、
ものすごく眩惑的な響きで、
聴く者の時間感覚、空間感覚をおかしくしてしまう。

いったい、これは、どんな場所で演奏されたのか、
と思うくらいに、
ハーディ・ガーディの音響の渦が押し寄せ、
あちこちでハープがきらきらと輝き、
まるで、洞窟か何かの中での、
超俗的な体験を経たような感じになる。
バグビーが歌う歌は、
しかも、妙に教訓的で、
愛の体験、特に苦しみを、
もっともらしく述べているだけのこと。

Track2.の器楽曲間奏を経て、
Track3.では、ソーントンが、
巫女のような声を響かせる。
「窓辺に座る美しいドエット」は、
トロバイリッツのCDにも入っていたもの。
ただし、セクエンツィアのCDでは、
曲想が盛り上がってくると、
女声3人が声を合わせて重なり、
ずっと、痛ましさが劇的となる。」

ドエットが窓辺で本を読んでいた時、
恋人の遺品が届けられるという内容のもの。

トロバイリッツのCD解説では、
こう書かれていた。
「Track10の
作者不詳『美しいドエット』と、
(トロバイリッツのCDの)Track5の
作者不詳『泉のそばの庭園で』は、
Chanson de toileの好例で、
物語の主人公が女性である。
このタイプのものは、
女性が糸紡ぎをしていたり、
窓の外を見ている時の恋人への夢想である。
『美しいドエット』は本を読んでいるので、
いくらか教養ある婦人である。
この非常に感動的な歌は、
魅力的なメロディを持ち、
痛々しい言葉によるもの。」

トロバイリッツのCDでは、
嫋々と弾かれるハーディーガーディーが、
まるで、中央アジアの弦楽器のような嘆き節を響かせ、
切々と歌われ、セクエンツィアよりアラブ風でもある。
セクエンツィアの盤では、器楽伴奏はない。

「本を読んでいるように見えるが、
心はそこにない。
トーナメントのために異国に行った恋人を思っている。
しかし、帰って来たのは、従者と、恋人の鞍袋」
という、悲劇を扱っているのだが、
「鞍が帰って来た」という、妙に生々しい記載も、
セクエンツィアの日本語解説の歌詞にはなさそう。

Track4.にモテット、
「私を眺めるなら」が来るが、
これは、「世俗的なシャンソンの旋律を
定旋律に用いた3声のモテトゥス」
と解説されているように、
おいおい、聖歌が定旋律ではないのか、
突っ込みを入れたくもなるが、
とにかく、しなやかにハーモニーをなす、
簡潔な戯れ歌という感じ。
「自分を眺めている男は眼中にない」
という、いかにも女子の会話を聴く感じ。

Track5.「定旋律『あたかもそのように』
にもとづくクラウズラとモテトゥス」という、
9曲の小品からなる楽曲で、
クラウズラは器楽曲、モテトゥスでは歌が入る。
しかし、これらのモテトゥスは、
定旋律が同じであるだけで、
いろんな歌詞が歌われる。
そればかりか、楽器や声楽の技法も様々で、
ものすごく面白い。

Track6.の少し長めのエスタンピー
(これまた、ものすごく豊穣なもの)を経て、
Track7.の「美しいヨラン」は、
またまた、糸紡ぎ歌である。
女声合唱的な扱いで歌われている。
これは、キャサリン・ボットのCDで、
ワン・ヴォイスで歌われているものだ。

Track8.「定旋律『栄えのみ子』にもとづく
クラウズラとモテトゥス」も、7曲の小品だが、
モテトゥスが、「海辺の三姉妹」とか、
「美しいアリス」とか、「花よりも美しく」とか、
いかにも歌詞からして雅なもので、
器楽のクラウズラを挟みながら、
とても楽しく聴ける。

Track9.ガス・ブリュレ作、
シャンソン「故郷への想い」で、
異郷にいる自分の立場の危うさを歌い、
十字軍遠征時のものとされる。
簡素ながらしみじみとした音色のフィデルを伴奏に、
遥かな故郷に向かって訴えるような、
ソーントンの美しい声が堪能できる。
遠く離れた妻に、誹謗中傷を信じるな、
と歌いかけるものなので、
本来は男性の歌なのだろうが。

Track10.の異郷風の器楽曲を経て、
Track11.ブロンデル・ド・ネル作のシャンソン、
「誰も歌ったことはない」。
これは、ハープの思わせぶりな序奏や、
とぎれとぎれな伴奏からも、
70年代の日本の歌謡曲を連想してしまう。
これは、ほとんど、この団体の創作なのではないか。
歌の方は、詠嘆するような、
とりわけ特徴もないものだが、
この伴奏によって得をしている。
ただし、この作曲者は、リチャード獅子心王を、
救出した伝説を持つらしい。

Track12.作者不詳の短いモテトゥスが、
早口で輪舞するように歌われる。
内容は、パリで、美しいイザベロにぞっこんになった、
という他愛ないものだが、
めまぐるしいポリフォニーの渦で、
新しい様式の到来を感じる。

「第2部は、ほとんど、
ある作曲家の抒情詩を中心にしている。
アダン・ド・ラ・アルについては、
近年の演奏家から、
3部のロンドーやモテット、
『ロビンとマリオンの劇』で知られているが、
モノフォニックな作品の方は、
見過ごされており、彼の膨大な作品は、
当時のあらゆる詩形を含んでいる。」

この第2部は、
CD1のTrack13~19と、
CD2のTrack1~12に相当する。
上述の解説のとおり、
アダンの作品から、ロンドーというものが、
たくさん出て来るが、
これらは多くはいずれも、
1分以内で終わってしまう小品である。
それに短い小粋な器楽曲が挟まって、
どんどん進行していく。

ロンドは一般にABAC・・と主要な部分を繰り返すが、
ここでは、ABaAababといった形式で、
CD13.「やさしい恋人が」などは、
まるでアジテーションしているだけのような感じ。

作曲家のアダン・ド・ラ・アルは、
1237年頃に生まれた人とあるから、
トルバドールの祖の孫娘とされた、
1122年生まれのアリエノール・ダキテーヌからも、
100年以上あとの人ということだ。
フランスの全土を回復した、
アリエノールの宿敵フィリップ征服王も、
亡くなった後の世代ということになる。

パリの人らしく、世俗歌曲に、
ノートルダム楽派のポリフォニーの技法を
取り入れた人だとある。

ナポリまで行って活躍したとか、
最初のオペレッタとされる
「ロバンとマリオンの劇」の作者として、
広く知られているらしいが、
私はよく知らなかった。

CD2のTrack.1
「生きている限り」からして、
デヴィッド・マンロウの
「ゴシック期の音楽」を思い出すような、
無重力感あふれる
精妙な響きが楽しめる。
「きみ以外の人を愛しはしない」と続き、
基本的に上述のような繰り返しの8行で終わる。

Track3.のモテトゥス、
「愛を賛美するものもいる」なども、
ロンドーのように簡潔ではない歌詞ながら、
同様に、短い楽句があぶくのように現れては消え、
他の声部が繰り返して、
不思議な上昇感に揺蕩ってしまう。

「第3部は、13世紀後期の、
都市中心から現れた、
『新音楽』を含んでいる。」

この第3部は、
CD2のTrack13~24に相当する。
意識しながら聴くと、これは確かに、
そこに、フレッシュな空気の流れがある。

ここでは、バラードというのが登場している。
有節形式で詩節の内部に
aabの繰り返しが現れたものだという。
必ずしも、シューベルトの「魔王」のような、
物語詩ではないようだ。
ネットで調べると、明確にトルヴェールが始祖とあり、
ゲーテが、このような詩を真似して、
物語性のあるものにしたように読める。

「不運な若いパリの聖職者、
ジョアンノ・ド・レスキュレル
(1304年、放蕩罪で絞首)
新しいメロディと和声のスタイルを、
目覚ましく発展させ、
比較的明快なリズム表記を編み出した。
彼の作品の一つ、
『やさしく甘いあなたに』
(CD2のTrack21.)は、
独特な3パートからなる版の他、
モノフォニック版が残されていて、
これらから私たちは、
彼の他のモノフォニック記譜の作品の
解釈を行うために
レスキュレルの独自の和声の語法を
理解することが可能となる。」

日本語解説にも、「美しい旋律の流れ」が特筆されているが、
ロンドーである、この曲も、無機質な泡立ち感よりも、
かなり、普通の人間が歌う感じに近づいている。

「理論家で作曲家であった、
ペートルス・デ・クルーチェは、
アミアンに住んでいたとされるが、
ゆっくりと動く構成的なパートの上に置かれた
雄弁な上声部に、
『新様式』の要素が見て取れる。
ペートルスは、
この雄弁なスタイルを書き表すのに、
必要な記譜法を発明したとされる。
レスキュレルもペートルスも、
トロヴァトーレの伝統の相続人であると共に、
14世紀のアルス・ノヴァの先駆者と
みることが出来る。」

ベートルスのモテトゥス、
Track23.「習慣で歌を作るものもいるが」
などは、ドビュッシーあたりが、
新曲として発表してもおかしくないほど、
かなり小粋なフランス歌曲に聞こえる。
歌詞の内容は、「素敵な女性を見つけた」という、
騎士道の世界の真っただ中にある。

「最後に器楽曲について一言。
私たちはすでに多くの器楽曲の演奏で、
もっとも一般的な形式の構成、
楽器のそのものを知っているが、
当時の楽譜で器楽曲が残っているものは少ない。
器楽曲は、プロのミンストレル
(ジョングルール)の領域のもので、
地方、地域の伝統の枠組に、
独自のスタイルやレパートリーを加え、
恐らく多種多様で、
ほとんど記譜されることはなかった。
我々はこの録音では、
13世紀北フランスのスタイルを参考に、
再構成を試みた。
メロディやトルヴェールの身振りなどが、
基本部分として残っていて、
そこに器楽的な慣用表現を加え、
始まりと終わりにリフレインを持つ、
エスタンピーのような形式にした。
これに加え、私たちは、
声楽曲を器楽で奏したり、
各楽器特有の演奏効果を取り入れたりして、
さらには、当時のプロの楽師が誰もが行ったような、
ポリフォニック、ヘテロフォニックな即興を交え、
様々な地中海的な器楽要素を入れた。」

この「当時の楽譜で残っているものは少ない」
というあたり、トロバイリッツのCDでも、
同様の事が書かれていた。

最後に、このセクエンツィアのCDの前に聞いた、
「デュオ・トロバイリッツ(DT)」のCDから、
トルヴェールについて書かれたところを書き出しておく。
以下、「DT」と書いたトラックは、
「デュオ・トロバイリッツ」のCDのものである。
なお、文章は、このデュオの二人が書いたもの。

「トルヴェールのパストレーレは、
トルバドゥールのパストレラと同様の主題で、
百姓の娘が騎士に遊びで誘惑されるというもので、
軽い調子のもの。
一般に騎士は娘にあしらわれるが、
今回取り上げたものでは、
彼はうまくやっている。
DT/Track7の作者不詳『森に入ると』。」

軽い歌というが、明るくて、
本当にすがすがしい歌声が、
心にしみわたる。
森の中で、羊飼いの乙女が、
一人歌っているのを見つけ、
若者は、そっと近づいて、
声を上げてはいけないよ、
と腰に腕を回してキスをする。

「そうして、恋人になりました」といった、
非常に屈託のないもの。

「DT/Track10の
作者不詳『美しいドエット』と、
DT/Track5の
作者不詳『泉のそばの庭園で』は、
Chanson de toileの好例で、
物語の主人公が女性である。
このタイプのものは、
女性が糸紡ぎをしていたり、
窓の外を見ている時の恋人への夢想である。
『美しいドエット』は本を読んでいるので、
いくらか教養ある婦人である。
この非常に感動的な歌は、
魅力的なメロディを持ち、
痛々しい言葉によるもの。」

確かに、嫋々と弾かれるハーディーガーディーが、
まるで、中央アジアの弦楽器のような嘆き節を響かせ、
切々と歌われ、いかにもアラブ風である。

「本を読んでいるように見えるが、
心はそこにない。
トーナメントのために異国に行った恋人を思っている。
しかし、帰って来たのは、従者と、恋人の鞍袋」
という、悲劇を扱っている。

「それとは反対に、『泉のそばの庭園で』は、
泉のところで、立ち止まっている女性の描写で始まるが、
ハッピーエンドで終わる。
冷酷な夫の描写もあって、
この曲は、『mal maree』のジャンルともいえる。」

男友達を思い、
夫に殴られるという
とんでもない内容のこの曲は、
どちらかというと、
モノローグのような曲調で、
あまりメロディアスではない。
そして、遂には語りまでが始まる。

「もっとも『mal maree』の典型は、
DT/Track1の『どうして夫は私を打つの』で、
ちょっとふざけた明るい歌で、
中世ならではのユーモアを知ることができる。」

特に、ユーモラスな音楽ではないが、
歌詞がとんでもないものだ。
「恋人を抱いただけなのに」
と妻は言っている。

「コラン・ミュゼ(c1200-1250あたり)
はシャンパーニュやロレーヌで活動した。
彼は、ジョングルール
(他の人が作った曲を演奏する下位の楽師)
として仕事をはじめ、
しだいにトルヴェール(詩人・作曲家)
の地位に上った。
このことが、
彼の分け前や施しに対して、
リアルで風刺に満ちた不満を漏らすなど、
何故、彼の歌曲の多くが、
低層の音楽家の視点によっているか
を説明している。
DT/Track9の『ミュゼのミューズ』は、
フィッドル弾きの経験に関し、
仕えている貴族の女性に恋するというもの。
辛辣でありながら、
同時に楽しく、
作曲家の名前、ミュゼになぞらえ、
ミューズ、ミューザー、ミュゼットなど、
抜け目ない駄洒落に満ちて楽しく、
それでいて、個人的なメランコリーもある。」

このトロバイリッツのCDもまた、
器楽曲の解説が、最後につけたしになっているが、
こちらも勉強になる。

「中世フランスの
純粋器楽作品の唯一の出どころは、
13世紀の『王の写本』で、
そこから、このCDの舞曲は取られている。
器楽の演奏はもっぱら即興であったことが、
この時代の器楽曲が少ない理由であろう。
『王の写本』の舞曲は、
エスタンピ形式で、
多くのセクションからなり、
始まりの部分が繰り返され、
エンディングで閉じられる。
こうした形式ゆえに、
無限に繰り返しが可能で、
私たちは、この中世の伝統に従って、
追加部分を補って、
楽譜の劣化ゆえ不完全な
DT/Track11の
『王のエスタンピ第1』や、
もともと、非常に短い
DT/Track2の
『Dansse Real』を拡張した。
DT/Track4の『La Tierche Estampie Roial』と、
DT/Track6の『王のエスタンピ第4』は、
その写本に従った。
1300年頃の
ヨハネス・デ・グロチェオは、
エスタンピ形式を難しいとして、
若い人は集中して、
固定観念から解放されるとして、
ハーディーガーディーで演奏すべきだ、
とした。我々も、その忠告に従った。」

得られた事:「トルバドゥールとトルヴェールは、12世紀と13世紀の時代的な差異の他、歌われていた言語が、オック語、オイル語という違いがあり、トルバドゥールが比較的急速にすたれたのに対し、トルヴェールは、200年の時代を変容しつつ存続し、様々な楽曲の実験場と化した。」
「モテットとかロンドーとか、古典の時代に活用された形式、あるいは、ゲーテやシューベルトの時代のバラードまで、トルヴェールの時代に発祥したものが多い。アダンのロンドーなどは、短い楽節が泡沫のように現れては消え、ポリフォニーの無重力感がたまらない。」
「セクエンツィアは、二人の若い男女が、遥か遠い中世に思いを馳せて結成した団体であったが、女性の方が早く亡くなった事もあり、こうした80年代のものは、永遠の青春の夢想に浮遊したようなアルバムとなっている。」
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by franz310 | 2017-08-06 20:42 | 古典
名曲・名盤との邂逅:1.シュー... >>