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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その437

b0083728_2310076.jpg個人的経験:
サヴァールが、
独エレクトローラに録音した、
「セルバンテスの時代の音楽」を
聴き進んだが解説が面白く、
しかも参考になった。
スペインは、
「たまに大天才を生む国」
などと言われるが、
逆に言うと、大天才以外は、
日本ではなかなか調べる事が困難だ。
そこで、仕方なく、図書館で、
このあたりの本を探してみた。


前回、かなり書き飛ばしたが、
ドイツ製CDの解説にあった、
「この時期、サンタ・テレサ・デ・ヘススや、
サン・フアン・デ・ラ・クルスなど、
深い宗教的信仰の欠如した
有名なスペイン神秘文学が現れた」とか、
「ゴゴラ、ローペ・デ・ベーガ、
クエヴェド、フィグエロアなど
有名な詩人や無名の詩人の詩に、
ロマンセ、セギュディーリャ、ノヴェナス、
セスティーネ、カンショネス、デシマスなどの
音楽をつけた。」
という一節などは、
ちょっと気になっていた部分。

牛島信明著「スペイン古典文学史」(名古屋大学出版会)
によると以下のようになる。

テレサ・デ・ヘススは、日本では、
「イエズス会の聖テレジア」と呼ばれる、
とあるが、この人は、
「スペイン神秘主義文学の代表」であるとともに、
カトリック強化のために、
各地行脚で32の教会を建てた
「女傑」とされている。

また、デ・ラ・クルスは、
テレサ・デ・ヘススの弟子で、
日本では「十字架の聖ヨハネ」と呼ばれる、
「神秘主義者のなかの最高の詩人」だとある。

この人も、修道会改革運動に奔走して、
牢獄内で、非常に官能的な表現で、
詩人の魂と神の合一の神秘を著わした。

「文学史」によると、
実践活動と没我的瞑想こそが、
スペイン神秘主義の特異性であり、
スペイン精神の象徴だ、とのこと。

ゲーテの「ファウスト」の終幕合唱で現れる、
法悦の博士のようなものであろうか。

こんな実践と没我のやばい連中が、
当時の日本に来たら、
キリシタン禁制になること請け合いである。

先にあげた「文学史」の第9章が、まるまる、
「神秘主義文学」に充てられている。

また、私がゴゴラと書いたのは、ゴンゴラであった。
上記「文学史」では、第13章がまるまる充てられている。
セルバンテスが「最高の賛辞」を贈った詩人で、
「スペイン・バロック期最大の詩人」と紹介されている。

しかし、その詩風は難解で、ロルカらが1920年代に
復権を企むまでは、「誇飾主義」、「ゴンゴリスモ」などとされ、
紹介される詩でも、14行のものが、3ページの解説なしには、
意味不明なほど、隠喩で埋め尽くされている。

語順を変更、借景、隠喩などの駆使が、
その詩の特徴とあるが、
17世紀の常識がなければ、
手に負えるものとは思えない。
スペイン語でしか歌詞がないCDなど、
スペイン人でもわからないであろうから、
日本人が正しく鑑賞するのは、
恐ろしく困難であることが理解できよう。

ということで、
下記に私が、スペイン語の部分を、
何とか機械検索した部分は、
まるであてにならない、
と考えてよさそうだ。

ゴンゴリズムは、
「宇宙としての自然は、無限の迷宮である」、
という思想に裏付けられた、
知覚の過程そのものを目的とする高踏的な芸術、
ということらしく、
どうやら、こんなところで、
腰掛程度で語れるものではなさそうだ。

あと、私が、「クウェベド」だと思っていたのは、
ゴンゴラに続いて、上記「文学史」では、
第14章で、「ケベード」として現れる。

ド近眼でがに股でありながら、
剣の達人で最高の恋愛詩人とされ、
めちゃくちゃ破天荒なイメージの存在である。

ゴンゴラが現実から逃避したのに対し、
ケベードは、17世紀初頭の
スペインの衰退を憂えた憂国の士であるとされる。

国粋主義者にして、迷信深く、敵を作り、
「破廉恥博士、悪徳教授」と酷評されながら、
政治的策動に明け暮れ、翻弄されて死んだ。

ロペ・デ・ベーガは、
岩波文庫でも読めるので、
比較的知られており、
この人の作品にちなんだCDもある。

改めて「文学史」を読むと、
人妻であった女優との恋、
貴族の娘との蓄電、
別の女優との内縁関係、
金銭目当ての結婚、
三十歳近く年下の商人の妻とのスキャンダルなど、
「すさまじい生き方」ばかりが脳裏に残る。

しかし、そのすさまじさが、
創作の方面でも現れていることが重要だ。

千八百ものコメディアを書き、
現在でも五百篇が残るという超人的作家で、
「ロペのようだ」というのは、
「素晴らしい」と
同義語になるほどの時代の寵児だったという。

しかし、今回の主人公は、
セルバンテスである。

同じ、牛島信明著で、
岩波文庫の「セルバンテス短編集」を、
改めて手にしてみると、
サヴァールがわざわざ特筆したくなる理由がよく解った。
ここには、音楽愛好家なら、
是非とも聴いてみたくなるような、
音楽の話が、確かに沢山出てくるのである。

それにしても、岩波書店も、
これを文庫化してくれたものだ。
もちろん、作品は面白いし、
当時のスペインを研究するにも重要な資料だと思うが、
どんな読者をイメージしたのだろうか。

収められた4編の最初に収められた、
「やきもち焼きのエストレマドゥーラ人」は、
音楽の持つ、有無を言わさぬ力が主題であるし、
最後に収められた「麗しき皿洗い娘」では、
この「皿洗い娘」の働く旅籠の前で、
彼女の気を引く、小夜曲やロマンセが歌われる。

まさしく音楽愛好家必読の書であるが、
そんな読者層が、私とサヴァール以外に
いるのかどうかわからない。

この「皿洗い娘」は、結局、主人公ではないのだが、
とても可憐なイメージが初々しく、
この物語の詩的な雰囲気を
象徴的に表す存在であるとも言える。

旅籠の客たちが、踊りの会を開き、
主人公の一人がみごとなギターと歌を聴かせる。
「今はやりの陽気なサラバンダでも、
いささか卑猥なチャコーナでも、
ポルトガル渡来のフォーリアでも何でも、
好き勝手な踊りの曲を弾くがいいさ。」(牛島信明編訳)

目の前に光景が浮かび上がるようなシーンで、
とても、17世紀初頭のものとは思えない。

そして、驚くべき事に、
ここで、歌い始められるのが、
まさしく、私が気になっていた、
「チャコーナ」のようなのである。

「それじゃお入りみんなして
小粋な妖精も若い衆も
チャコーナ踊りは海より広い踊りだから」
などと、べたで紹介するかのように歌われている。

実は、サヴァールのCD
「セルバンテス時代の歌と踊り」の最後、
Track23.もまた、
アラネス作曲の「チャコーナ」。

これは、曲目解説には、
「このダンスを起源として、
様々な異なるセオリーが提供されているが、
オリジナルはアメリカ由来のものと、
明らかに早くから言われており、
セルバンテスは、『混血様式のインディアンの踊り』
と呼んでいて、
(作家の)ケベードも、
『混血様式のチャコーナ』と呼んでいる。
セルバンテスの『麗しの皿洗い娘』では、
もっとも興味深い記述を見ることが出来る。」
とある。

そして、何と、先の小説に出て来た、
「それじゃお入りみんなして」の歌詞が、
CDにも掲載されていた。

小説では、
「チャコーナ踊りでこの世は楽し、
アメリカ生まれで混血の
魅惑的な美女たるこの踊り」
と書かれているが、
このCDでも、
カスタネットのリズム刻みも鮮やかに、
若い頃のモンセラート・フィゲーラスの声が
扇情的にまくしたてられている。

いかにも、
「だいそれた冒瀆行為を
犯したとの噂はかくれもない」
という風情である。

なお、フィゲーラスは先年亡くなったが、
1942年生まれなので、
77年の録音であれば、35歳の声である。

CDの曲目解説にはさらに、
「ダンスも歌もあって、
道徳家をからかったこの曲は人気を博した。
この曲はなんとかその人気を維持し、
17世紀を通じて成功を収め続けた。
この時期、シャコンヌとして全欧に広がったが、
その過程で明らかにオリジナルの活力を失って、
フォリアやサラバンド同様、
ずっと荘重で儀式的なものとなって行った。
アラネスのチャコーナは、
コンティヌオを伴う四声のもので、
1624年に出版されている。」

私は、スペイン出身のマルガリータ王女が、
遠いヴィーンで聴きたくなったのは、
このような曲ではなかったか、
などと考えたりもしたが、
王女の生まれた年より早い出版であれば、
輿入れしてから欲しがったりしないかも、
などと考え直したりもしている。

が、スペイン由来の躍動感あふれる舞曲が、
ピレネーを超えると活力を失う事も知った。
王女が早世したのも理由があるということだ。

ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、
この王女を偲んだものとされるが、
この曲なども、完全に儀式的で荘重なものになっていて、
王女が喜んだとは思えないではないか。


さて、もとに戻って、
このCD解説でサヴァールが書いた部分を読んでしまおう。
まず、以下のように「ドン・キホーテ」に関する部分。

「多くの彼の作品の主人公は音楽家であり、
何らかの形で音楽に結びついている。
サンチョ・パンサが侯爵夫人に取り入る時の
有名なせりふを引用してみよう。
『マダム、音楽あるところに、
悪魔は入りこめません。』
ドン・キホーテは、
『サンチョ、わしは、お前に、
昔の遍歴の騎士たるものはなべて、
偉大な詩人であり、偉大な音楽家だったと
教えてやりたいのじゃ』と言い、
アルティシドーラは、
『ドン・キホーテが何か悪い事を思いつかないよう、
何とか音楽でも演奏するように、
リュートを置いておかないといけないわ』と言う。
ドン・キホーテは音楽家であって、
おそらく、即興演奏の能力も持っていた、
と考えることが出来る。
セルバンテスの多様なスタイル同様、
その語彙の音楽的な点も、
重要ポイントとして強調すべきであろう。
例えば、ドン・キホーテは、
『彼の意見で言えば、最も壮麗でメロディアスな名前』
であるロシナンテという名で、
愛馬を呼んでいるし、
彼の思い姫は、『音楽的で奇跡的な名前』、
ドゥルネシア・デル・トボーソと呼ばれている。」

この準主役たちの名前は、
日本でも有名かもしれないが、
音楽的な名前だと考えながら読んではいなかった。

「セルバンテスは、彼の全作品を通じて、
その深い音楽への造詣と、
とりわけ、彼の共感豊かな音楽理解の証拠を示しているが、
それは、人間の声が彼に恍惚と
影響を及ぼしていることからも明らかである。
私たちはしばしば、
それが、『魅惑的な歌』のように響くことを感じる。
時折、『あなたを驚嘆で満たし、
最後まで聴き通すしかなくなるような
かくも素晴らしく愛らしいハーモニーで歌う声』を感じる。
最も優れた例は、彼が晩年に創造したキャラクター、
歌手であるフェリシアーナ・デ・ラ・ボツで、
それは、彼女が世界最高の声を持っていたからで、
彼女の声と歌に身を委ねた
全聴衆を驚嘆させたからであった。」

さて、サヴァールの筆致も冴えてくる。
CD解説の以下の楽器の羅列は、
通常のオーケストラ音楽の多様性を超えており、
半分くらいが、すぐにどんなものか分からず、
五分の一は、楽器名も初耳であった。

「さらに言うと、最も興味深いのは、
楽器やその組み合わせに対する
セルバンテスの記述である。
そこには、弦楽器、鍵盤楽器が記載され、
レベック、ギター、ビウエラ、リュート、
ハープシコード、プサルテリー、オルガン、
管楽器では、フルート、ピファノ、ショーム、
ホイッスル、パンパイプ、ガイタ・ザモラーナ、
トランペット、ハンティング・ホルン、
トロンボーン、ビューグル、
トロンペタ・バスターダ、ホルン、
打楽器では、タンブリン、ドラム、
パンデロ、ジングル、太鼓、カスタネット、
カウ・ベル、ラチェットなどなど。」

また、以下の記述は、
「ドン・キホーテ」で知られる
世界文学の巨匠が生きた時代が、
波乱万丈の激動の時代であったのみならず、
音楽の面でも、極めて多様な土壌を持っていた事を
教えてくれる。

「セルバンテスの記載した音楽作品も、
その時代の音楽趣向のために、
多くの情報を与えてくれる。
彼が言及した数多くのロマンセ、
『del Conde de Montalban』
(これはTrack6にある)
有名なロンセスバリェスの戦いを描いた
『Don Beltran』(これはTrack7に収録)
ムーア人のロマンス、
『Abindarraez y Jerifa』 (Track2)
などは、この録音にも含めた。
後者のタイプの歌は、
非常に流行したが、
ムーア人の反乱を防ぐために禁じられた。」

ムーア人の郷愁をかき立てるものや、
やばいリズムでまくしたてる音楽には、
悪魔が住むのであろうか、
禁じられる事のあったのだろう。

しかし、現代の生活では、歌で嘆く習慣、
踊りを踊る習慣など、ほとんどなくなったが、
当時は、重要な人間としての生物活動だったのだなあ、
などと考えてしまった。

「セルバンテスが取り上げた
ビリャンシーコや歌曲、
『Madre, la mi madre』(Track15)
『Tres anades, madare』(Track12)
などはここでも歌われている」とあるから、
このあたりから聴くのを再開しよう。

前回、Track10まで聞いてきたから、
Track11から15の、
「愛のビリャンシーコ」と題されてまとめられた部分。

Track11.
バスケスの「Quien amores tiene」
「メロディックな断章をソプラノで変奏する
オスティナート歌曲様式の4部からなる作品。」
縦横に動く伴奏が面白く、
健康的で開放的な歌唱である。

Track12.
セルバンテスが取り上げたという
アンチエータ作曲の「Dos anades, madre」。
解説に「Tres anades, madare」(お母さん、3羽の鴨)
とあったのは、歌詞の冒頭である。
「彼の『Tesoro de la lengua』(言語の宝)で、
セルバンテスは、スペイン人がこの歌を歌うのは、
彼の肩に重荷を背負う事なく、
楽しく人生をやり過ごしたい時だ、
と説明している。
よく知られた以下の古謡に関する。」

「Tres anades, madre
pasan por aqui
mal penan a mi」とある。
なんの事やらさっぱりわからない。

が、次に親切な解説が来る。
「セルバンテスは、同様の意図で、
この歌を、『麗しき皿洗い娘』で使っており、
カリアーソがサーラからバリャドリーに、
いかに旅したかを表すのに、
道すがら、この歌を歌っている。」

これを頼りに、岩波文庫を取り上げると、
「気軽に鼻歌を歌いながら旅を続けて」とあって、
完全にこの歌の手がかりは消えてしまった。

スペイン文学の第一人者の訳ですら、
そうなっているのだから、
匙を投げてもよかろう。

これは、鈴の音を伴う、リズミカルな伴奏が面白く、
ギターとガンバの音色も渋い。
歌は、取り澄ました感じのものだが、
気楽に人生を過ごす心情であろうか。

アンチエータといえば、
ベルガンサが、ラビーリャの伴奏で、
「母さま、私は恋を抱いて」を歌っているが、
音楽は同じような気がする。

Track13.
「Al rebuelo de una garca」
これは上記題名のビリャンシーコの器楽バージョンで、
Venegas de Henestrozaの1557年の曲集にあるようだ。

いかにも、いにしえの歌、という風情の、
ガンバの合奏がしみじみとした感情をかき立てる。
とても美しいもの。

Track14.
オルテガの「Pues que me tienes, Miguel」。
(あなたには私がいます、ミゲル、)

「伝統的なメロディによる
カスティーリャの愛の歌の好例で、
対位法的、ホモフォニー的に作曲され、
ルネサンス期の宮廷の好みを示す。」

ちょこまかと早口で動いたり、
しっとり聞かせたり、変化の多い曲想。
小粋な若妻の歌であろうか。

Track15.「Madre, la mi madre」。
(お母さん、私のお母さん)
「これはセルバンテスの喜劇、
「エントレテニーダ」でトレンテが言及するもの。
この有名な歌は、
Pedro Rimonteが1614年に作曲したもので、
伝統的なメロディの2部のリフレインを持つ。」

これは、抑揚のあるメロディと、
ぽつりぽつりと朗唱風の部分が交錯するもの。
いかにも、口上を述べるようで、
スペイン的なからっとした、
「mas si yo no me guardo」のリフレインが繰り返される。

Track16以下は、
「歌と鐘のダンス」とあるが、
手拍子やカスタネットを含む様々な打楽器を伴う、
激しいリズムの曲が8曲並ぶ。
これらは、フォリア、バイレ、ヤカラス、
チャコーナなどと題されており、
以下の解説が役に立つ。

「セルバンテスは当時流行した、
フォークダンスや宮廷舞踏も
よく記載しており、
それらの中でも、
『folia』、『canarie』、『chacona』、
『gallarda』、『jacara』、『moresca』、
『seguidella』、『villano』、『zarabanda』、
そして、『perra mora』など。
『Perra mora』は舞曲名で、
最初に踊られた時のテキストの
最初の言葉から取られ、
後の変形判で使われた。
多くの『villano』(カントリー・ダンス)の
様々な変形もまた、
セルバンテスの作品から考えるに、
宮廷で洗練された。
『フォリア』(言うなれば狂騒舞曲)は、
『ザラバンダ』、『セグイディーリャ』、
『チャコーナ』などと同様、
当時、非常に荒々しい踊りであったが、
(セグイディーリャはすぐに忘れられたが、)
17世紀を通じて、
ほとんど全欧で流行した時には、
よりゆっくりと穏やかなものとなっていた。」

ということで、
私が前に、ヌリア・リアルが歌ったCDで聴いて、
スペイン風だと喜んだのは、
すべて、こうした舞曲の類だと分かった。

おそらく、その中には、
宮中では聴く事が禁じられ、
民衆のみが楽しんでいたものもあろう。
そうしたものを姫が、
何かの機会に耳にした事もあろう。

むしろ、そうした粗野なものにこそ、
大きな誘惑が隠れているであろうし、
異郷の地で、思い出さずには、
いられないものになった可能性もあろう。

夜な夜な、窓の下で、
甘いセレナードを奏でられた「皿洗い娘」に、
マルガリータ王女の姿が重なる。

Track16.
オルティスの「フォリア8番」。
「ディエゴ・オルティスが1553年の曲集には、
オスティナート・バス上の変奏の例がいくつかあるが、
このリチェルカーダは、有名なフォリアによるもの。
チャコーナやサラバンデを除くと、
セルバンテスの時代、
フォリアは最もよく知られ、
ポピュラーなダンス形式であった。」

オルティスのこの曲集は、サヴァールは、
別に、コープマンらと再録音を残している。

フォリアとは思えぬ、
風格のある印象深いガンバ曲で、
ガンバ奏者であるサヴァールにとって、
特別な作曲家であるのかもしれない。

Track17.
マテオ・フレッチャの「La Gerigonza」。
彼のエンサラーダに含まれる有名な曲で、
赤ちゃんのガラガラ遊具を模して、
手拍子や指鳴らしを含む楽しいもの。
有名すぎて、スペイン各地から楽譜が見つかるらしい。

リアルのCD(グロッサ)にも入っていた。
ヌリア・リアルのものは、
オカリナだかリコーダだか鄙びた笛や、
まさしくガラガラのようなものが入っていて、
軽快に鮮やかに二重唱で歌われているが、
サヴァール盤は、よりモノトーンで、
フィゲーラスの独唱を手拍子と、
ギター、ガンバなどが支えている。

歌詞を見ると、「悪魔のもとへ」
「ペテン師」などの単語。
ちなみに「がらがら」は魔除けである。

Track18.
マーティン・イ・コルの「El Villano(農民ダンス)」。
17世紀風の即興を交えて演奏される、
1708年の曲集より。
セルバンテス時代にあった確証はないようだが、
考察の上、ここに収録された。

ここで笛やヴァイオリンが登場。
太鼓も聞こえて楽しい踊りである。

Track19.「セギディーリャ、De tu vista celoso」
(嫉妬深いあなたの眼)
この曲種はセルバンテス時代に先端であったが、
すぐにすたれたものらしい。
作者不詳のもので、1600年頃の曲集より。
ドン・キホーテで、セギディーリャは言及されているらしい。

ここでも、フィゲーラスが、
一心不乱に歌っているが、
激しいアタックを伴う伴奏が煽り立て、
題名にふさわしく劇的な情景なのであろう、
気の毒なほど、声をふり絞っている。

Track20.
アントニオ・デ・サンタ・クルーズの「ヤカラス」。
物憂いまとわりつくようなメロディを、
一人、ギターが弾奏し、
カスタネットも鮮やかな、
いかにもスペインのお国もので、
ステレオ効果が面白い。

解説も興味深く、
「こそ泥や悪党がはびこる『裏社会』から、
おそらく出てきたものと思われ、
当時、いわゆるピカレスク小説が表現したような、
特にアンダルシアなど、
スペインにおけるある種の流れ者の社会集団のもの」
などと差別用語を列挙してある。

Track21.マテオ・ロメオ「フォリア」。
歌がついていて、
「A la dulce risa del alva」
(暁の甘いほほえみ)
という歌いだし。
「フォリアは文字通り荒々しい舞曲だったが、
チャコーナやサラバンデ同様、
17世紀を通じて落ち着いたものになって、
1700年頃にはゆっくりとしたダンスになっていた。」

このトラック収録曲でも、
「その様子がうかがえる」とあるが、
何か特別な打楽器が打ち鳴らす
特徴的なリズムが目立つものの、
フォリアとは思えない小粋な歌曲。

Track22.マーティン・イ・コルの
「Danza del hacha(斧のダンス)」。
「この宮廷舞曲は15世紀から知られていたが、
17世紀、18世紀になっても踊られていたもの。
このディスクのためには、
17世紀風であるという考察から、
1708年のマーティン・イ・コルのものを使用。
16世紀に流行したロマネスカの一種。」

これも、いかにもルネサンスの舞曲集、
などに登場しそうな素朴だが、
それなりに、古雅で格調も高いもの。
非常に控えめなもので、
最後の「チャコーナ」を盛り上げるようになっている。

Track23.
アラーネスの「チャコーナ」で、
このCDは閉じられている。

サヴァール自身が書いた解説は、
次のように閉じられる。

「セルバンテスの時代の世俗音楽の
魅惑的な多様性を概観するべく、
この偉大な作家の作品における重要作品から、
その音楽的クオリティや歴史的重要さ
という理由のみならず、
その洗練されたパワーや
代表的な性格を理由に選曲した。
300年以上前に作られた音楽では、
容易ではない事でもあり、
これらの曲の演奏については、
当時の典型的なものから、
歴史的、技術的、形式的要素について、
異なる取り扱いを行った。
これらのロマンセ、歌と踊りが、
古の人々の魂の表現であった
という事実を考えると、
これを歴史的出来事としてではなく、
無比の音楽の反映や結晶化として、
現代の我々が体験し、理解できるような、
永続的な表現になっているか、
これらは基本的な問題となる。」

このような、様々な思考と趣向を凝らして
出て来たレコードであるから、
これまでのような寄せ集め商品からは得られない
充足感を感じずにはいられない。

なお、このCDは、のちに、ヴァージン・レーベルで、
ものすごく廉価な寄せ集めCDとなって出回っているが、
それには、このような解説はない。
私は、解説が読みたくて買いなおした。

得られた事:
「岩波文庫にある『セルバンテス短編集』を片手に、サヴァールのCDは楽しむべし。」
「特に、『麗しき皿洗い娘』を読むと、この理想化された娘がまとう雰囲気も手伝って、詩情豊かに、当時の音楽や風俗に思いを馳せることができる。」
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by franz310 | 2016-05-03 23:11 | 古典
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