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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その431

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その431_b0083728_15471764.jpg個人的経験:
「四季」で知られる、
バロック期の
イタリアの作曲家、
ヴィヴァルディですら、
心の支えとしていたのは、
後の古典派の
作曲家たち同様、
ヴィーンの宮廷だったようだ。
彼は、ハプスブルク王朝の
時の皇帝カール6世に対し、
多くの曲を献呈しており、
そのあたりの研究も
進んできている。
皇帝もこの異端児を
特別視していた、
という逸話も興味深い。


ハプスブルクの都ヴィーンが、
「音楽の都」と言われるのは、
古典派音楽の隆盛があるからで、
ヴィヴァルディの死から数十年後の話である。

が、それ以前から、この王朝の皇帝たちが、
音楽を特別に愛していた事は、
日本ではあまり紹介されることもなかった。

そもそも、ハプスブルクの歴史を語る専門家が、
まったくこのあたりの事情には興味がないものと思える。

たとえば、この道の第一人者とも言える
江村洋氏(1941-2005)の著作は、
ハプスブルクの婚姻政策や
個々の君主のエピソードなどで、
多くの読者の興味を惹いたはずだが、
ヴィヴァルディ登場あたりの話は、
ほとんど空白になっている。

おなじ、1941年生まれの倉田稔氏の書いた
「ハプスブルク歴史物語」(日本放送出版協会)
では、第3章に「古典音楽の天才たち」という、
かなりニアピンの章があるにもかかわらず、
第2章は、いきなり「啓蒙君主」となって、
マリア・テレジアの記述が始まる。

カール6世はその父であるのだが、
第1章「帝国への道」の最後の方に、
息子がいなかったために、
女子を後継者にせざるを得なかった皇帝として
登場しているだけである。

兄ヨーゼフ一世は「天然痘で早く死んだ」とあるだけで、
その前の皇帝はカール5世にまで飛んでしまう。

結局、19世紀後半以降の、
爛熟した世紀末が重要なポイントを占めるもので、
1994年出版とあるから、
バブル期の余韻のようなものであろう。

同じく1941年生まれの文筆家、
中丸明氏の「ハプスブルク一千年」(新潮文庫)は、
1998年のもので、
かなり砕けたものながら、
反対に古い時代の記述は多く、
地図、年表に加え、
家系図まで載っているのが嬉しい。

後半1/3くらいの第11章が、
「マリア・テレジアとその時代」であるが、
では、第10章がカール6世の話かというと、
何と、「三十年戦争の惨禍」となって、
100年近くが省略されている。

このエッセイストも2008年には亡くなっているらしい。

1948年生まれの大学教授、
菊池良生氏による
「ハプスブルク家の光芒」(作品社)は、
1997年出版のものであるが、
全12章のうち、
マリア・テレジアは5章めに出てくるので、
やはり、19世紀以降に照準があるもの。

ただし、その前に、
「メリヴィリア」という章が、
30ページ近く費やされていのが注目される。
これは、「驚異と美のひとときの饗宴」のことらしいが、
まさしく死と生の饗宴のようなデザインで、
ペストの終結とトルコの脅威を跳ね返した際、
1687年に建造された、
ヴィーンのペスト記念柱についてから、
書き起こされている。

これを作ったのが、レオポルド1世であった。

「レオポルド帝の治世、
ウィーンではおびただしい死骸の舞踏に拮抗し、
バロックが花開いた」と書かれているように、
以上の著作に見えなかった、
バロック期ヴィーンの栄華が特筆され、
ヴィヴァルディの時代に続いていた事が実感できる。

ヨーロッパ最大の華燭の典と言われた、
この皇帝の結婚式の話が取り上げられ、
ここでは、チェスティの華麗なオペラが紹介されており、
続くヨーゼフ1世、カール6世は、
「バロック三帝」として一まとめに重要視されている。

ということで、今回、取り上げるのは、
このレオポルド1世自らが手がけた作品を含むCDである。

私は、最初、このCDの表紙に描かれた、
不気味な肖像画を目にして、
正直、購入を躊躇ったのだが、
「MUSICA IMPERIALIS」と書かれ、
「Kaiser」と称される作曲家名が、
三つも並んでいるとなると、
無視してはならんだろう、と自分に言い聞かせた。

そもそも、この皇帝を知るためには、
まず、この肖像から親しまねばならない。

先の本にも、
「帝の帝たる所以はなんといってもその相貌にある」
と書かれており、
「ウィーン、マドリッド、両ハプスブルク家の血を
いっぱいに受けて帝の顔は見事に花開いた」とあり、
「面長、輝きのない大きな目、
弓型の鼻、そして下唇と突き出た下顎」
と具体的に描写されたのち、
「ハプスブルク歴代の大君主の再生」
とまで賛美されているのである。

表紙絵画は、まさしくその通りの肖像になっている。

では、このような「魁偉」な要望の皇帝は、
いったい、どんな音楽を書いたのだろうか。

なお、このCD表紙にあるように、
ここにはレオポルド1世のみならず、
その子で比較的早く亡くなった、ヨーゼフ1世や、
父、フェルディナンド3世の作品も含まれているが、
ヴィヴァルディの庇護者であったカール6世は、
彼らの直系である。

有名なマリア=テレジアを含め、この人たちの関係は、
「ハプスブルク一千年」という本の巻末家系図を見れば、
こんな感じになる。

()内は、ハプスブルク王朝の最重要職、
神聖ローマ帝国皇帝としての在位期間である。

フェルディナント3世(父)(このCDのTrack1~3)
(1608-1657)
(神1637-1657)
         |
レオポルド1世(本人)(このCDのTrack6、7)
(1640-1705)
(神1658-1705)
         |
ヨーゼフ1世(長男) -  カール6世(次男)
(1678-1711)  (1685-1740)
(神1705-1711) (神1685-1740)
    ↓            |
  このCDのTrack5    |
              マリア=テレジア(孫)


それにしても、すごいCDである。
これらの曲を演奏する事は、
ウィーン・アカデミーの使命のような気もするが、、
共感豊かに指揮をした、
マルティン・ハーゼルベックもすごいし、
これを出すCPOというレーベルもすごい。

では、リューベックの音楽学者、
Arndt Schnoorの
CD解説の中で、
先の系図の父祖となる、
皇帝フェルディナント3世の項を読んで見よう。

この人は、先の本で「バロック3帝」と
呼ばれたグループに入っていないようだが、
下記の一節を読むと、十分、バロック的である。

「1608年グラーツに生まれ、
1637年に、
ドイツ国民の神聖ローマ帝国の皇帝となった
フェルディナント3世は、
音楽の重要なパトロンであり、
自身、立派な作曲家であった。
音楽の師、ジョヴァンニ・ヴァレンティーニを通じ、
彼は、何よりも、当時のイタリア音楽に精通していた。
クラウディオ・モンテヴェルディを含む、
多くの当時の重要な音楽家が、
彼の宮廷のために作曲し、
皇帝が格上げして拡大した
その宮廷合奏団で演奏した。
1657年にフェルディナント3世が亡くなると、
傑出した音楽家として讃えられた。」

この調子で解説は、
彼の芸術上の足跡を辿るようだが、
この皇帝の生涯を通常の評伝で見ると、
いきなり30年戦争の惨禍の真っ只中に、
投じられたような感じの人生である。

「ハプスブルク一千年」にも、
この人の父親であるフェルディナント2世が、
シラーの劇で有名なヴァレンシュタイン将軍を使って、
ボヘミアやスウェーデンの大軍勢に対抗した話が出てくるが、
その後も、この戦禍は続き、
結局、神聖ローマ帝国の死亡診断書とさえ言われる、
ヴェストファーレン条約で、
ハプスブルク帝国の弱体化を決定づけた皇帝が、
このフェルディナント3世だったのである。

つまり、バロック帝と呼ぶには、
あまりにも血なまぐさい戦場にいたような皇帝、
と書いても良いだろうか。

グラーツ生まれという点も、
シューベルト愛好家には重要であろう。
シューベルトもこの街を訪れているし、
彼の友人のヒュッテンブレンナー兄弟は、
グラーツの人であった。

ヴィヴァルディが最後にオペラを演じたのも、
ここグラーツではなかったか。

では、CD解説に戻ろう。
「フェルディナント3世の幅広い作品集には、
1曲のオペラ、1曲のオラトリオ、1曲のミサ曲、
10曲の讃美歌、いくつかの小品が含まれる。
彼の作曲した作品は、
その師、ヴァレンティーニに様式は似ているが、
個性も認められるものである。
それは覚えやすいメロディや、
形式的な自由さで際立っている。
多くの短い部分が通常パターンをなし、
フェルディナント3世は、
それらが、様々な楽器法で、
効果的に扱う術を心得ていた。
特に、ここでも一部紹介する賛歌では、
様々な声楽や器楽のグルーピングが見られる。
いくつかの作品では、
皇帝は、テキストに対し、
印象的な装飾を行う事に成功している。
作曲家にとって、
特に重要な言葉には、
長いメリスマが与えられ、
他の言葉から際立たせてある。
高度に印象的なメロディに対し、
対位法的なところは副次的であり、
通奏低音の独奏部や和声的なトゥッティは、
ドミナントを阻んでいる。
ここで録音されたリューネブルクの
評議会図書館のKN28アンソロジーから取られた。
この曲集は、作曲家、
ヨーハン・ヤーコブ・レーヴェ・フォン・アイゼナハの
曲集に紛れて、この図書館に収められたが、
ここにはフェルディナント3世の10曲の大きな賛歌と、
一曲の『Populus meus』を含んでいる。
賛歌『Jesu redemptor omnium』のみが、
ヴィーンの手稿譜として残っている。
各曲の正確な日付は記載されており、
すべて1649年から50年にかけて作曲された。」

30年戦争は、1648年に終結したとされるから、
皇帝は、ようやく一服して作曲の筆を取ったのだろうか。

「レーヴェ・フォン・アイゼナハは、
1629年にヴィーンで生まれており、
おそらくこの曲集を、
ヴィーンで修行中に得たものだと考えられる。
そして、1703年、
リューネブルクのニコライ教会で、
オルガニストを務めて亡くなるまで、
所持していたものであろう。
彼は、ハインリヒ・シュッツの弟子であり、
彼が務めたポストには、
ヴォルフェンビュッテルの宮廷音楽監督の地位もあった。
リューネブルクでは、若き日の、
ヨハン・セバスチャン・バッハにも会ったかもしれない。」

このヴォルフェンビュッテルは、
シュッツが1655年に、
楽長就任した事もあると言われる街で、
リューネブルクをバッハが訪れたのは、
バッハが15歳の頃というから、
1700年くらいの事である。

とにかく、この皇帝の作品は、
次の世代の作曲家の規範となるような、
すぐれたものであった、
ということだろう。

それにしても、今回のCD、
皇帝3世代にわたっての特集だけあって、
時代も場所も、出てくる人物まで、
目まぐるしく変わって難しい。

しかし、このCD解説に書かれている事だけを見ると、
帝国の統治者の話のはずであるのに、
三十年戦争の残照も、その他の政治状況も、
まったく感じられないのがいくぶんもどかしい。

以下、曲目解説になって行く。
このCDでは、フェルディナント3世の作曲した、
6分くらいで歌われる、
賛歌が3曲収録されている。

解説にあったように、
どの曲も作曲された日が、
びしっと書かれているのが凄い。
国家の政務のような厳格さで
書かれたものであろうか。

これらラテン語の典礼用音楽は、
内容把握が困難であるが、
解説も、そのあたりの事を、
多少配慮してくれているようだ。

Track1.「賛歌は、典礼の一部をなしており、
特別な日曜日によってテキストが変わる。
クリスマスの賛歌、
『Jusu redemptor omnium』
(すべての贖い主なるイエズスよ)
は、1649年12月3日の作曲で、
華麗な編成で書かれている。
3つのトランペット、3つのリコーダー、
トゥッティにて追加で演奏される弦楽と管楽で、
4つの声楽パートがサポートされる。
最初、それぞれの声楽パートが、
賛歌の一節ごとに歌うが、
3つのフルートによる短いソナタが、
各詩節を導くが、これらは作品に、
牧歌的なタッチを与えている。」

皇帝が書いた典礼の音楽、
という印象からは、
かなり外れた作品群で、
どの曲も情感豊かで、
しかも味わい深いと言わざるを得ない。

ここに書かれた、
フルート合奏による間奏曲からして、
まことに素朴で美しく、
平和の良さを伝えるものかもしれない。

「短いホモフォニックなトゥッティの後、
テノールとバスがフルートだけで伴奏されて歌い、
3つのトランペットによる、
続くソナタ部は、トゥッティ、
『Jesu tibi sit gloria』
(イエズスよ御身に栄光を)
へと移行する。
トランペットに伴奏された、
テノールとバスの二重唱は、
終結部の『アーメン』を導く
さらなるトゥッティへと続く。」

このように、解説を読んだだけでは、
何だか分かりにくいが、
器楽合奏の豊かな色彩、
声楽陣の織りなす綾、
トゥッティでじんわり盛り上げるところなど、
要所要所に聴きどころが満載となっている。

Track2.「賛歌『Deus tuorum』は、
1649年12月7日、
『Comune unis martiris』
(殉教者の祝祭??)
のために作曲されたが、
ソプラノ、バス、コルネッティーノ、
バスーンと通奏低音といった
控えめな編成で書かれている。
短い器楽のソナタの後、
バスがコルネッティーノ伴奏で登場する。」

この「兵士たちの神よ」は、
ヴィヴァルディもRV612として作曲しており、
「殉教者を賛美して歌うものを護りたまえ」
というような内容のもの。

ヴィヴァルディの作品は晴れ晴れとしているが、
皇帝の作品は、器楽序奏部から、
切れ切れの楽句であり、
かなりシリアスな雰囲気。

バスが歌い始めるところからして、
妙に内省的な音楽である。
殉教者を偲ぶなら、この表現は自然である。

続く詩節は、ヴィヴァルディは飛ばしているが、
「偽りの甘味を苦き胆汁として、
この世の喜びを数えながら天国に到る」
という、難解な部分。
それに、ヴィヴァルディも付曲した、
「彼らは自ら血を流して、
苦難を乗り切って、
永遠の祝福を得る」といった部分が続くが、
「ソプラノとバスーンは第2節で組み合わされ、
第3節は2つの声楽部による」と解説にある。

この第2節で、ソプラノが響くと、
さっと光が射したような感じになるものの、
最後は、ぽつりぽつりという表現。

第3節は、独唱者が、
助け合って苦難の道を行くようである。

「他の詩節はすべての楽器、声楽が登場する。
ここでフェルディナント3世は、
器楽構成をそのまま繰り返している。
個々の詩節は比較的短い。
テンポのシフトや、
ある言葉に付けられたコロラトゥーラなどは、
テキストの内容を強調するものである。
生き生きとしたアーメンは、
締めくくりのキリスト生誕を思わせ、
さらにアーメンが聴かれる。」

殉教者を想いながら、
自らを律するような内容ゆえ、
全体的にしみじみとしたものだが、
コロラトゥーラで、「あーああーああーああーあめん」
という感じで、締めくくる「アーメン」部分など、
適度な甘さもあって、非常に聴きやすい。

とはいえ、どっぷりと、
キリスト教の儀式の音楽であるから、
詩句の内容などは難解この上ない。

Track3.
「賛歌『Humanae salutis』
(人の救済の種をまく主よ)は、
1650年5月21日の作曲で、
昇天の祝日の儀式のためのもの。
フェルディナント3世は、
再び、ソプラノ、アルト、テノールとバスといった、
4つの独唱部と、
2つのヴァイオリン、2つのコルネット、
4本のトロンボーン、通奏低音という、
華やかな器楽部を書き留めている。」

このように書かれて、
壮麗な序奏があるのかと思ったが、
いきなり、女声が歌い出す。

「イエス、心の喜びよ、
救済の世界の造り主よ、
真実の聖なる光よ」
といった、神妙だが、
杓子定規な詩句の部分。

しかし、このような声で、
鄙びた伴奏で飾り気なく歌われると、
いつしか心は17世紀中庸に飛んでいく。

「聖歌を開始するソプラノ部は、
ほとんどレチタティーボのようで、
皇帝の作曲の声楽部の設計が、
完全にイタリア様式であったことを示す
好例となっている。」

歌手の声に続いて、
先に書かれた、多彩な器楽部が続くが、
これとて、弾けるようなものではなく、
何か、思慮深く、何かに思いを馳せるような曲想。

「私たちの罪を支えるべく、
あなたは慈悲で打ち勝った。
死から我らを救うため、
無実のあなたが死を受け入れた。」
キリスト教の精髄のような内容ではある。

「すべての器楽部のリトルネッロは、
各ソロセクションに続き、
テノール独奏にいくつかの楽器が絡むのは、
4つめのセクションまでない。
声楽のセクションは主題的に器楽に応答され、
ようやく最後の『アーメン』部で一緒になる。」

ここに書かれたように、
リンダ・ペリロ(ソプラノ)、
デイヴィッド・コーディア(アルト)、
ウルフ・ベストライン(バス)、
アキム・クレイライン(テノール)、
といった歌手たちが、
順次、美声というか、
宗教曲に相応しい声を響かせる。

バスは、「地獄の混沌を打ち破り」と力強く、
テノールは、「我らの落ち度を救うための、
あなたの優しさ」と、懇願する感じ。

最後は、合唱と器楽である。
「我らの心の到着点として、
あなたは、星の小径へと誘う」と、
静かに歌われる。

さすがに、格調高い、宮廷の礼拝堂に相応しい曲調である。

Track4.には、比較的有名な作曲家、
シュメルツァーの作品、
「フェルディナント3世の死への哀歌」が
収められている。

これまた6分ほどの作品だが、
器楽のみで奏される曲である。

このCDの解説でも、
「イグナツ・フランツ・ビーバー以前の、
オーストリアの作曲家で、最も重要な人」
と書かれている。

1649年に宮廷楽団員となり、
後にコンサートマスターとなったとある。
この楽団の音楽家たちのために、
様々な楽器のために大量のソナタを書いたが、
1671年には宮廷の副音楽監督となって、
それ以前はバレエ音楽の作曲家として知られた。
1680年、おそらくペストの犠牲で亡くなった。

有名な「フェンシング学校」と同様、
フェルディナント3世の死に寄せるラメントは、
標題音楽であって、
表現力豊かなアダージョに短いアレグロが続き、
この部分は、作曲家自身によって、
「弔いの鐘」と題されており、
弦楽のピッチカートが聴かれる、
とあるが、いくぶん慌ただしく、
ラフマニノフなどを、
想起するようなものではない。

短いフガートとアレグロ部を挟んで、
再度、この音楽が書かれた、
機会に相応しいアダージョに戻る。

しかし、このアレグロは、
哀歌にしては明るすぎないだろうか。
バレエ音楽の大家に相応しい筆致であるが。

続いて、演奏されるのは、
レオポルド1世を抜かして、
33歳という若さで亡くなった、
(そして在位も6年しかなかった)
皇帝ヨーゼフ1世の作曲した、
カンタータ「Regina coeli」
(天の后)である。(Track5.)

この皇帝になると、
1678年生まれなので、
ヴィヴァルディよりむしろ後の世代くらいになり、
祖父フェルディナント3世の鄙びた趣きはなく、
曲の雰囲気も、ずっとギャラントになっている。

曲は大規模で、15分かかるが、
歌はソプラノだけで、歌詞も単純至極、
「天の后、喜んでください、アレルヤ」という始まりに、
「あなたが身ごもるのを許された御子は、アレルヤ」の部分、
「仰せられたとおり復活された、アレルヤ」の部分が続くだけ。
おしまいは、「わたしたちのために祈って下さい、アレルヤ」
という4つの部分が切れ切れに、
もったいぶって何度も歌われるだけ。

父レオポルド1世、弟カール6世と共に、
「バロック三帝」として一まとめに重要視される、
ヨーゼフ1世であるが、
在位期間は短すぎ、このシリーズで収められた曲も、
一曲だけと、あまり、重要な皇帝ではなさそうだ。
解説にも、彼が、政治的に何をしたかなどは、
いっさい書かれていない。

では、解説には、何が書かれているだろうか。
「レオポルド1世の三番目の后、
エレオノーレ・マグダレーナ・テレジア・フォン・
プファルツ・ノイベルクの長男で、
1678年、ヴィーンで生まれた。
1705年にドイツ国民の神聖ローマ帝国皇帝になったが、
1711年、早すぎる死によって、
在位はわずか6年であった。
彼の素晴らしい音楽才能は、
同時代の有能な証言者によって明らかである。
107人にまで拡張された宮廷楽団のために、
彼はその能力を使い、
すぐれた作曲家をはじめ、
重要な音楽家を抱えた。
ヨーゼフ1世は、数種類の楽器が演奏でき、
特にハープシコードとフルートに優れ、
作曲家としても優れた才能を発揮した。」

この辺りから、この皇帝が、
音楽的な貢献はしていた事が読み取れる。

「残念ながら、比較的少ない作品、
ほとんどはオペラに挿入されたアリアばかりが、
現存するばかりである。
独唱カンタータ、『天の后』は、
レオポルド1世のスタイルを越え、
アレッサンドロ・スカルラッティ
の強い影響を示している。
この作品が、ソプラノ独唱と、
弦楽だけの伴奏になっていることがすでに、
ヨーゼフ1世の父親の、
より精緻に付曲された作品と、
強烈なコントラストをなしている。
作品の各部はずっと拡大されており、
演奏家には、妙技的な才能を
誇示することが求められる。
最初の楽章、
『ヴィヴァーチェ・マ・ノン・プレスト』
の部分では、器楽によって動機が導かれ、
ソプラノに引き継がれ、
ほとんどリトルネッロ様式の、
最初の拍子に戻るまで、
くり返される。
続く『あなたが身ごもるのを許された方』の、
ゆっくりとした部分では、
チェロ・オブリガードの伴奏が付く。
続く二つの部分、
3/4拍子アレグロ『アレルヤ』と、
プレスティッシシモは、その覚えやすい主題構成と、
独唱部の名技的なコロラトゥーラで、
聴くものを魅了する。」

あああああああ、あーれるやーとか、
長々と同じ事を歌っているので、
曲はどんどん長大化する傾向にある。

「続くアダージョ、ゆっくりしたテンポの
『私たちのために神に祈って下さい』の部分では、
独唱者に独奏ヴァイオリンが、
通奏低音を伴ってデュオを繰り広げる。
時々しか、他の楽器は登場しない。」

このような部分も、
カナダ生まれのリンダ・ペリロが一声歌うと、
それに寄り添う間奏曲のように、
器楽部分が甘美なフレーズを繰り返すので、
曲はどんどん豊穣になっていく。

「終曲の『アレルヤ』では、テンポや名技性で、
他の楽章とは際立った特徴をなす。」
この部分になると、リズムを際立たせ、
「ああれえるうや」などと、好き放題に歌詞を料理して、
ほとんど宗教的な敬虔さからは遠ざかっている。

三世代で、戦争の苦しみも過去のものとなり、
すっかり、退廃した世代の音楽のようにも聞こえる。

続くTrack6.と、Track7.には、
短いが、複数の楽章からなるトランペットが華やかな
器楽曲「ソナタ・ピエナ」と、
バスで歌い出される壮麗な合唱曲、
詩篇「ラウダーテ・プエリ(主を賛美せよ)」
が収録されているが、
これを作曲した大物、
レオポルド1世に関しては、
今回は触れるスペースがなくなった。

得られた事:「日本では、モーツァルトの時代、マリア・テレジア時代以降のハプスブルク王朝しか語られない傾向にあるが、その父帝はヴィヴァルディを寵愛したりした文化人で、『バロック三帝』などと呼ばれていたようだ。」
「バロック三帝に先立つ、フェルディナント3世は、『百年戦争』の申し子のような皇帝であったが、戦後は、後世の作曲家の規範となるような、清純簡潔な宗教音楽を書き残している。バロック三帝において、バロックの豊穣も極まった実感が味わえる。」
by franz310 | 2015-09-23 15:52 | 古典
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