名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その430 |
個人的経験: ヴィヴァルディが、 時の皇帝に献呈したという、 ヴァイオリン協奏曲集は、 名品「四季」を含む 作品8に続くもので、 同様に、音楽出版のメッカ、 アムステルダムで出された。 このアムステルダムで 2011年から12年にかけ 録音されたのが、 このポッジャーとHBSによる 2枚組のCDである。 写真は、音響効果抜群だが、 赤線地帯にあるとあった、 Walloon教会での 録音風景であろうか。 前回は、1枚目を聴いたので、 今回は作品9の7以降が収められた、 2枚目を聴いていきたい。 同時に、この曲集がカール6世に捧げられた、 経緯なども、再度、解説を紐解いてみたい。 このCD解説は、独奏を務めたポッジャーと、 オランダ・バロック・ソサエティ(HBS) を代表する形で、ジュディス・ステーンブリンクが そこそこのものを書いている。 ただし、彼女たちは、主に、 各曲への賛辞を中心にしているので、 クレメンス・ロミンという人が書いた、 「アントニオ・ヴィヴァルディ 12のヴァイオリン協奏曲集 作品9 『ラ・チェトラ』(1727)」という 全曲を包括した解説の文章も、 読んでおく必要があるだろう。 この人をネットで調べると、 「Hidden Harmonies: the Secret Life of Antonio Vivaldi」 「隠されたハーモニー、 アントニオ・ヴィヴァルディの秘密の生涯」 という、気になる題名の本を書いていることが分かった。 オランダ海軍に務めた後、 出版業に転職し、イギリス在住という ヘンテコな経歴の人らしい。 「18世紀初頭、バッハ、テレマン、 そしてヘンデルが、まだ若かった頃、 ヴェネチアは音楽の聖地にほかならず、 そのもっとも素晴らしい見世物と言えば、 司祭であり作曲家であった アントニオ・ヴィヴァルディの 激しく技巧的なヴァイオリン演奏であった。 彼の演奏は1713年以降、 市の観光ガイドで推薦されてもいた。 このヴァイオリンの偉業に対する熱狂は、 この巨匠からのレッスンを受けるべく、 全欧の音楽家たちをヴェネチアへと向かわせた。」 先のロミン氏の著書も、 ヴィヴァルディの生涯を包括的に扱ったものらしいから、 このあたりの記述はお手の物であろう。 彼は様々なヴィヴァルディの文献を漁ったというが、 このような記載も、前に読んだ事があるものだ。 「例えば、1715年の2月、 フランクフルトの法律家で興行師でもあった、 ウッフェンバッハは、 サンタンジェロ劇場のオペラを見て、 『終曲に向かってヴィヴァルディは、 最も見どころとなる独奏を受け持った。 最後に即興を見せたが、 これが私を最も驚かせたものだった。 こうした事は、これまでも、 これからもあり得ないようにも思えた。 彼の指はブリッジと髪の毛の幅ほどに近づき、 弓に与えられた隙間がないほどで、 彼は4つの弦の全てを使って、 信じられないような速さでフーガを弾いた。」 マンゼのCDでも以上の事は書かれていたが、 下記のところを読むと、 ウッフェンバッハ氏は、「注文した」とあるから、 ヴィヴァルディのプロモーターでもあったのかと思わせる。 「ウッフェンバッハは、この後、 『食事の後、有名な作曲家で、 ヴァイオリニストのヴィヴァルディ氏は、 何度も私が促していたので、 私のところに立ち寄った。 私は、欲しかった数曲の協奏曲について、 彼と語らい、それを注文した。 私は、彼のためにワインを何本か用意していた。 彼は、とても真似できないような、 非常に複雑なヴァイオリン奏法で、 即興演奏を披露した。 このような近づきで、 私はさらに彼の巧妙さを賞賛することとなった。 彼は、恐ろしく難しい変化の多い曲を演奏したが、 それは心地よく流れるようなものではなかった。』」 最後の一節は、どう解釈してよいか分からない。 これは、とてもシリアスな音楽である、 ということを断っているのであろうか。 ロミン氏が以下に書くように、 ヴィヴァルディは、当時、 最先端の前衛だったはずだから、 こうした注釈も必要だったのかもしれない。 「赤毛の作曲家かつ司祭で、 ヴァイオリンの名匠、 アントニオ・ヴィヴァルディは、 ヴェネチアで暮らし仕事をしたが、 欧州の半分を旅し、 自作を演奏したり出版したりした。 生前、彼は非常に有名であったが、 はるか二十世紀になるまで、 忘れられ、無視されて来た。 彼の音楽は1920年代に再発見され、 以来、彼がいなければ、 音楽史は異なった歴史を 歩んだであろうこと、 そして、18世紀前半の作曲家では、 最も影響力のあった 作曲家だったことが明らかになった。 ヴィヴァルディはテレマン、ヘンデル、バッハ、 その他多くの作曲家たちの輝かしい模範であった。 彼ら自身の様式の開発に連れて、 ヴィヴァルディの協奏曲を 作曲技法の成熟の糧として、 解きほぐして模倣した。 何十年もの間、ヴィヴァルディの技巧的な演奏と、 革命的な協奏曲集は、全欧州のヴァイオリニストや 器楽曲の作曲家の規範であった。」 ものすごい入れ込みようだが、 一般には、バッハとヴィヴァルディの関係が知られ、 テレマンやヘンデルというのは言い過ぎではないのか。 例えば、ヘンデルなどは、 ヴィヴァルディ的な協奏曲を作曲していない。 「バッハのように、外に出なかった者でさえ、 ヴィヴァルディの流行を追っていた。 ヴェネチアの音楽は、 まず、アムステルダムで出版されたが、 ワイマール、ドレスデン、ベルリン、 ロンドンといった音楽の中心地に拡散していった。 欧州のどこででも、 ヴィヴァルディの情熱的ま様式は、 センセーションを巻き起こした。」 これは、楽譜の拡散からして そうかもしれないが、 ひっぱりだこだったのかまでは わからないのではないか。 「彼は、その特別な表現力を持つ、 技巧的な音楽を創意する巨匠であり、 聴衆を、高度に凝集された 器楽による感情の爆発で魅了し、興奮させた。 ムードの最も卓越した描写で、 彼らを席巻した。」 海軍出身のせいか、 非常に威勢が良い書きっぷりで爽快である。 「そして赤毛の司祭は、ヴェネチアの人たちを、 これ以上なく興奮させ、『その音楽は、 彼らの優しい繊細な魂に大きな影響を与えた。』 同時代の人は、多くの婦人が、彼の音楽で、 『涙にむせび、啜り泣き、歓喜に浸る』 のを見たと報告した。」 この曲集とピエタとの関係は定かではないが、 やはり、ヴィヴァルディの包括的な解説としては、 この孤児の使節との関係を、 外すわけにはいかないのだろう。 「彼はおおよそ500曲もの協奏曲を、 ヴェネチアのピエタ養育院のために書いたが、 ここで、彼はヴァイオリンを教え、 指揮し、作曲した。 ここはヴェネチアの数百人もの 孤児となった娘たちが身を寄せていた 4つの女子修道院の一つであった。 少女たちはおそらく修道僧のような ヴェールをまとっていたはずだが、 ヴィヴァルディの時代、 このピエタのコミュニティの背後にあった、 新しい考え方が、音楽院の道を開いた。」 難しい表現だが、ピエタは、 自立した成人にするために、 特に音楽教育に注力したので、 確かに、音楽院という側面を持っていた。 「少女たちは一人寂しく暮らし、 尼のように隠棲する義務があったが、 音楽に秀で、 天使たちのように歌う事が求められた。 シャルル・ド・ブロスの報告によると、 『少女たちはヴァイオリン、フルート、 オルガン、オーボエ、チェロやバスーンを演奏し、 いかに大きな楽器であっても、 彼女らを驚かせることはない』とある。 ピエタのオーケストラは、 テクニックといい、音響といい、 技術面からも表現面からも、 明らかにヨーロッパで最も素晴らしいものだった。」 このあたりも、資料を駆使して本を書いた人としては、 どうしても引用しておきたい報告であろう。 「少女たちの独奏は、 オーケストラでの技術と同等であった。 『何と、完璧で正確な演奏だろう。 ここでしか、 最初の弓のアタックは聴くことは出来ない。 パリのオペラばかりを賞賛することはない。』 と目撃者は証言している。」 以上は、今回の「ラ・チェトラ」と、 どういう関係があるかはわからないが、 ヴィヴァルディが、こうしたオーケストラを指導した、 卓越した指揮者であり、教育者であったということ、 あるいは、このような最高の手兵を持つことで、 最高級の音楽が書けた、 ということなどが言外にあるのかもしれない。 以下、ようやく、この曲集の話となる。 ただ、これは、すでにマンゼやチャンドラーが、 紹介していた内容である。 「1728年の9月、 ヴィヴァルディはハプスブルクの皇帝、 新しい港建設の視察に来たカール6世に トリエステ近郊で会っている。 カール6世はヴィヴァルディの賞賛者で、 ナイトの称号とメダリオン付き金の鎖を与え、 ヴィーンへと招待した。 そのお返しとして、 ヴィヴァルディは皇帝に、 『ラ・チェトラ』と名付けられた 協奏曲集の手稿を渡している。」 マンゼは、ここで、ヴィヴァルディが、 もっと欲しかったものを分析していたが、 「お返しとして」というのは、 やはり不自然であろう。 メダリオンをもらったからと言って、 即座に書いた訳ではあるまい。 「これはおそらく、 この作曲家が、ここに収められた 12曲のヴァイオリン協奏曲集 作品9『ラ・チェトラ』(リラ)に、 同じタイトルを付けたことと関係していて、 これは前年にアムステルダムの『ラ・セーヌ』から、 皇帝への献辞付で出版されていた。」 ここで、どうして二つの曲集が現れたかについて、 今回の記載は、いささか物足りないが、 手稿版は、今回の議論の対象外なので、 やむを得ないかもしれない。 「ヴィヴァルディ研究家の マイケル・タルボットによると、 リラは、ハプスブルク家の、 音楽への愛を象徴したものである。 これより前、1763年に、 ジョヴァンニ・レグレンツィは、 時の皇帝レオポルド1世に、同様に、 『ラ・チェトラ』と題した曲集を捧げている。 タルボットはさらに、 第6番と第12番の協奏曲のヴァイオリンの スコルダトゥーラ(調弦の補正) は、ハプスブルクの皇帝への賛辞だと考えている。 スコルダトゥーラの習慣は、 ビーバーやシュメルツァーの ヴァイオリン曲で見られるように、 オーストリアやボヘミアでよく見られる習慣である。」 タルボットが、 リラはハプスブルクの象徴と 書いたのは知っていたが、 スコルダトゥーラにも そうした意味があるとは知らなかった。 ある意味、ローカル言語だったのだろうか。 「1728年、トリエステで行われた、 カール皇帝とヴィヴァルディの 注目すべき会合に関して、 アッベ・コンティは、 『皇帝は音楽について、 ヴィヴァルディと長い間、語り合った。 2週間の間に、皇帝は、 2年の間に大臣たちと話したより長く話をした、 と言われている。」 この話は、このブログで紹介するも 三回目になるかもしれない。 では、今回は、2枚目のCDの各曲を味わって行こう。 CD2、Track1. 第7協奏曲は、変ロ長調の作品で、 この調の持つ開放的で平明な感じは、 明快なアレグロから感じられる。 序奏からわくわく、浮き浮きとした感じで、 全編を彩る繊細な弦楽器のテクスチャーが、 聴くものの耳を虜にしてしまう。 Track2. 夢想的なラルゴで、 弱音が支配的。 前の楽章から続いて、 独奏ヴァイオリンには名技性は乏しい。 Track3. 爽快で朗らかで、 大きく広がる楽想が、 前の楽章を受けるかのように、 憧れの感情を大きく羽ばたかせ、 ヴィヴァルディの作品の中でも、 極めて魅力的な一曲と思ったが、 唐突に終わってしまう。 この曲に関しては、 演奏者たちからのコメントはない。 CD2のTrack4.以降 第8協奏曲: 「第1楽章のテクスチャーにおいて、 そのリトルネッロは半音階的で複雑、 各声部は互いに綱引きをしているように見える。 J.S.バッハは好きだったのではないかと妄想。」 レイチェル・ポッジャー(RP) いかにも、演奏者が言うとおりの、 切迫感に満ちたもので、ニ短調。 バッハ風の楽想が繰り広げられる。 そのようなリトルネッロをかいくぐるかのように、 名技的な独奏ヴァイオリンが冴えを見せる。 Track5.ラルゴで、 ここでも、低音に引きずるような音型の繰り返しがあり、 ヴァイオリン独奏は、嘆きの歌のようでもある。 Track6.アレグロ。 この楽章などを聴くと、 バッハの受難曲風の楽想が、 レチタティーボのようなもので、 爆発的な情念を漲らせる、 アリアのための前置きのように感じられる。 そんな風に、ばーんと感情の限りに歌われるアリア。 オペラの一シーンを思い描いた。 バスの連中も乗りに乗っている。 2枚目、Track7.以降 第9協奏曲: 「この曲集でたった一曲の二重協奏曲。」(RP) これも変ロ長調であるが、 ヴィヴァルディの二重協奏曲の中でも、 出色の愛らしさで魅了する。 むしゃぶりつきたくなるにフレッシュな、 魅力的な楽想に、独奏楽器が二つ、 それぞれにアプローチする。 Track8. ラルゴ・エ・スピッカートとある。 オルガンの豊かな低音の上を、 ロマンティックなメロディを、 ヴァイオリン二つが心を合わせるように歌い、 さしはさまれる、時の刻みのような部分が、 心臓の鼓動のようにも聞こえて、 胸がうずくようだ。 Track9.アレグロ。 ここでも、二つの独奏楽器の扱いは、 親愛の情に溢れている。 このCDの表紙写真は、 レイチェル・ポッジャーと、 オランダ・バロック・ソサエティのヴァイオリン、 ジュディス・ステーンブリンクの、 陶酔した表情が印象的だが、 まさしく、この楽章などのワンシーンであろうか。 2枚め、Track10.以降 第10協奏曲: この曲は、序奏から、 単調な動機の繰り返しが強調された、 杓子定規な感じの音の力感が特徴的だが、 ヴァイオリン独奏も強烈で、 演奏家としてはやりがいがあるのだろう。 なお、昔は、この曲の分散和音が、 「ラ・チェトラ(竪琴)」に相応しいとあるが、 分散和音は、先にも書いたように、 激烈なので、とても簡素な竪琴で 弾けるようなものではない。 二人の奏者が、下記のように、 演奏上のポイントをかなり熱く語っている。 「第1楽章は、ほぼ絶え間ないアルペッジョで実験。 その高度に技巧的な書法は、 冷静さとテキパキとした手を要求する。 私は、あまりにも面白くて、 返って心が落ち着くほどだ。」(RP) 「本当にチャーミング。 ラルゴ・カンタービレでは、 コンティヌオ奏者のバスラインから、 高い弦楽器群が支配権を奪う。 ヴァイオリンやヴィオラが 一緒になってかき鳴らす音符に、 バスラインは柔らかく優しく丁寧に寄り添う。」(JS) Track11. ジュディスが言っていることは、 聴けば分かるという感じか。 バスはなくて、弦楽器群が、 シンプルなぽろぽろ音を鳴らしているだけで、 そこに独奏ヴァイオリンが控えめな メロディを差し挟んでいく感じ。 ラルゴ・カンタービレとある。 Track12. この楽章も、メロディの美しさより、 力と動きで、多面的な構造体を作って行く感じで、 正直言って、演奏家たちのモチベーションと、 聴衆の求めるものは、必ずしも一致していない、 という感じを露呈したト長調。 が、ヴィヴァルディの類型的なものではなく、 その意味では、実験的であって、 もっと良く聴きこむべきなのかもしれない。 CD2枚目のTrack13. 第11協奏曲であるが、これは、 さきのものと比べると、 ずっと手慣れた領域にあるものと思え、 ヴィヴァルディの音楽に期待する、 豊かな情感とメロディに満ちている。 リトルネッロ部の、小粋でニヒルな感じもよい。 ハ短調のもので、適度に深刻な感じ。 強いアタックを伴い歌われる独奏部は、 ほとんど人の声のようでもある。 浮かび上がるチェロの音色も劇的だ。 Track14. 切々たるオーケストラのため息を背景に、 ヴァイオリンが歌謡的な、 心を奪うような歌うが、 わずか二分ほどで終わってしまう。 Track15. 合奏が飛び跳ねるようなリズムを強調し、 独奏ヴァイオリンは、熱狂的な節回しで高まって行く。 エキゾチックで陶酔的な舞曲。 この曲も、演奏者たちは言葉を寄せていないが、 私は、この曲にも特別の愛着を感じる。 2枚目、Track16.以降 第12協奏曲: ポッジャーのお気に入り。 スコルダトゥーラの調弦をした2曲目。 ロ短調協奏曲で、出だしのメロディから、 覚えやすく、これまで、ニ短調、ハ短調と聞いて、 この曲後半の短調協奏曲は、 いずれも魅力的な情感に溢れていることを実感。 合奏部の方が、十分に感情をかきたてる効果を持っているが、 独奏ヴァイオリンの不思議な音色も、 下記のようにポッジャーが書いた通り、 どこか心ここに在らずといった、 虚ろな響きが独特の効果を上げている。 「ヴァイオリンの音はヴィオールのような響きで共鳴。 内向的で物思いに耽るものだが、 進行するにつれ、劇的な興奮にも至る。 この音色は、開始部から聴かれ、 これによって強く、パワフルだが、 同時に不安定さを感じさせる。」(RP) 第1楽章は5分程度で、この曲集では、 突出して最大規模である。 Track17.ラルゴ。 虚ろな響きと書いたが、 この楽章では、全体的に喪失感の漂うもの。 Track18.アレグロ。 この楽章は、強い意志で、 運命を変えてやるぞ、みたいな、 強い意志が漲っていて、 いかにも、皇帝に捧げるに相応しい楽想だと思える。 やはり、独奏部を声に変えて、 オペラの中ででも歌われると、 聴衆の興奮は高まって行くような音楽。 しかし、ヴァイオリン独奏の、 この楽器ならではの技巧の開陳を聴き進むと、 これは、声では無理だという結論に至る。 得られた事:「『ラ・チェトラ(竪琴)』の名称の由来であるとされた、第10協奏曲の分散和音は、とても竪琴と呼べるような情緒的なものではなく、かなり実験的かつ激烈なものであった。この曲は、今回の演奏者も興奮して語っているが、私にはよくわからない。」 「後半の6曲では、劇的な第8番(ニ短調)、第11番(ハ短調)、第12番(ロ短調)が、オペラの一場のような、感情の高ぶりが聴かれて忘れがたいものであった。」 |
by franz310
| 2015-05-17 09:35
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