excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
全体
シューベルト
音楽
現・近代
古典
オンスロウ
レーガー
ロッシーニ
歌曲
フンメル
どじょうちゃん
未分類
以前の記事
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その428

b0083728_13354965.png個人的経験:
ヴィヴァルディの「四季」は、
彼の8番目の出版された曲集、
作品8に含まれる4曲であるが、
それに続く作品9は、
曲集全体で「ラ・チェトラ」
と題され、前作から2年して、
アムステルダムで出版された。
「ラ・チェトラ」は竪琴とされ、
作品9の10などに、
分散和音が散りばめられているので、
この曲集を代表するものとされた。
が、ここで述べるのは、同名異曲である。


イ・ムジチやグリュミオーの
LPの帯などで、昔から、
「お気に入り」とか、「恋人」といった、
ヘンテコなタイトルの曲が
ヴィヴァルディの協奏曲には
あることは知っていたものの、
何しろ、膨大な作品を残した人の仕事であるから、
おおかた、彼とは無関係の誰かが、
勝手につけたニックネームであろうと、
それらが、どのような経緯で作られたものかなど、
考えようと思った事もなかった。

実は、この「お気に入り」も「恋人」も、
作品9の「ラ・チェトラ」には含まれていないが、
今回、聞いて見ることにした、
「ラ・チェトラ」という曲集を扱ったCDには含まれている。

このように、実にややこしいのが、
この「ラ・チェトラ」なのである。

チャンドラーのCDなどで、この曲集が、
実は、「竪琴」そのものよりも、
統治のために、それを操る
皇帝を表していることが分かった。

やり手興行主でもあった、
ヴィヴァルディ一流のおべんちゃら作戦で、
これらの曲集は、当時の神聖ローマ帝国皇帝、
カール6世に捧げられているらしい。

今回のCDは、マンゼが演奏したものだが、
まさしく、タイトルには
「皇帝のための協奏曲集」とある。
晩年のヴィヴァルディが、
カール6世を頼ってヴィーンに向かった話は、
「メッセニアの神託」のCDで読んだが、
皇帝に実際に渡したと思われ、
実際、ヴィーンに保管されていた曲集が、
このCDには収められているわけだ。

ただし、この表紙の絵画は、
ガブリエーレ・ベッラという、
ヴィヴァルディより2世代ほど若い画家が描いた、
「サンマルコ広場のざんげ火曜日のお祭り」
とあって、皇帝と何か関係があるわけではない。

「ざんげ火曜日」とは、「灰の水曜日」の前日とあるが、
様々な反省を行う「四旬節(レント)」を前に、
民衆が浮かれているのであろうか。

よく見ると、聖職者みたいなのが建物の回廊に並び、
彼らを観客として、見世物を披露しているように見える。

では、演奏しているアンドリュー・マンゼ自身が書いた、
解説を読んで行こう。
ちょうど、シューベルトが亡くなった年から、
100年前の話から書き始められている。
ヴィヴァルディの野心と、世の習いが、
読み取れて泣ける内容である。
ヴィヴァルディは1678年生まれだから、
ちょうど、50歳の年のこと。
カール6世は、1685年の生まれで43歳。

「1728年9月、ハプスブルクの統治者、
オーストリアの大公でドイツ、ハンガリー、ボヘミア、
そしてスペインの王、神聖ローマ帝国の皇帝であった、
カール6世は、トリエステの港を視察すべく、
カルニオラ公国を訪れた。」

読み始めてすぐで情けないが、
私は、これがどのあたりか、
良くわからなかった。
ネット検索すると、オーストリアとイタリアの
境目の東あたりに、挟まれた地域があり、
スロベニアと呼ばれている国がヒットした。

「ヴィヴァルディは、ヴェネチアの北東
80マイルを旅して、皇帝に謁見した。
彼らが会った事があったか、
少なくとも文通していた事を示唆する、
作品9の『ラ・チェトラ』と題された
12曲の協奏曲を、
ヴィヴァルディは前年、皇帝に献呈していたが、
この二人が、これより前に、
会った事があったかどうかは分からない。
ヴェネチアの神父、アントニオ・コンティが、
フランスの女性、Mme de Caylusに
書き送り、今でも残っている2通の手紙によると、
この面会は、得る事の少なかった旅における、
皇帝にとってのハイライトだったようである。
9月23日、コンティは、
『皇帝は、トリエステで不機嫌であった。
彼は、ヴィヴァルディと音楽について、
長時間語り合い、彼は、2週間の間に、
大臣と2年間の間に話す以上に、
ヴィヴァルディと話をしたと言われる。
彼の音楽に対する入れ込みはとても強いのです。』
そして、もう一つの手紙では、
『皇帝は、ヴィヴァルディに多額の金銭、
チェーンに金のメダルを贈った』と書いている。」

ここまでは、うまく行った話、
50歳を迎えた円熟のヴィヴァルディが、
遂に、皇帝にまで認められた瞬間にも見える。
多くの人は、これは、これで、ヴィヴァルディの芸術が、
遂に、認められた美談として満足するところである。

が、さすが、マンゼ、良いところを読み取っている。

「現金や宝飾品はヴィヴァルディが、
歓迎するものではなく、
おそらく、彼が望んでいたもの、
つまり、宮廷楽長の一人になること、
ではなかった。」

社長賞は貰ったが、出世は叶わなかった、
という感じであろうか。
もし、ヴィヴァルディが、それを期待して、
いそいそと、200キロだかの旅をしていたとしたら、
栄光の瞬間ではなく、大いなる失意の瞬間であったに相違ない。

大臣との会話より、多くの時間を割いたという、
皇帝に対しても、ヴィヴァルディの心は空しく、
心ここにあらずで、会話していたのかもしれない。

この失望は、約100年後に、
シューベルトが味わう事になるものである。
1826年4月、シューベルトは、
宮廷教会副指揮者の公募に応募し、
翌年1月の最終決定で、望みが砕かれた。

50歳のヴィヴァルディは200kmの旅をしたが、
30歳のシューベルトは9か月待って、
現実を突きつけられる事になった。

「全ての芸術の中で、皇帝は特に音楽を愛好した。
彼の祖父、フェルディナント3世と同様、
また、父のレオポルド1世と同様に、
カール6世は、特に教会音楽の有能な作曲家であって、
寛大なパトロンであった。
彼は、作曲の師匠であり、宮廷楽長であった、
ヨハン・ヨーゼフ・フックスの著した、
西欧音楽理論として、最も影響力を持った、
『パルナッソス(芸術の山)への階梯(階段)』
の1725年の出版資金も出しているし、
フックスや副楽長のカルダーラによる
オペラの監督をするほどの技能を有していた。
カールは、イタリアの芸術家、
特にヴェネチアの人材を雇う、
ハプスブルクの伝統を維持した。
宮廷楽長フックスの前任者であった、
カルダーラや、マルク・アントニオ・ツィアーニは、
ヴェネチアの出身であったし、
皇帝の新しい教会の祭壇の飾り絵は、
セヴァスティアーノ・リッチ、
ジョヴァンニ・アントニオ・ペレグリーニなど、
ヴェネチア出身者が担当し、
宮廷詩人のアポストロ・ゼーノや、
ピエトロ・メタスタージオも同様だった。
ヴィヴァルディも疑いなく、
彼もまた、ヴィーンの同郷者に合流できるものと、
大きな期待を寄せていた。
それも、フランチェスコ・バルトロメオ・コンティと
同じように、演奏家であり作曲家として。」

以下は、いかにも世俗的な事情を表している感じで、
音楽史ではあまり語られない事項で非常に興味深い。

「コンティは、上記の手紙を書いた人とは、
関係がないのだが、宮廷作曲家であると同時に、
第1テオルボ奏者としても、長年、宮廷に仕えていた。
2つの役職を持つ事は、
2倍の俸給が得られることを意味し、
これによって、コンティはフックスより高給取りであった。
おそらく、ヴィヴァルディの作曲のスタイルは、
皇帝や、フックスの保守的な嗜好に比べて、
新しすぎた。
2、3年後、新しい宮廷楽長が選ばれた時は、
古典スタイルの巨匠とされた、
マッテオ・パロッタが選ばれている。
これはパレストリーナ風の古い様式で、
フックスは、その『Gradus』の中で、
『音楽に最高の輝かしさを与え、
彼に対する記憶は、最高度の敬意と切り離すことが出来ない』
と書いている。」

シューベルトもまた、傑作「ミサ曲第5番」を、
宮廷楽長のアイブラーに見せたが、
「皇帝を喜ばせるスタイルではない」と、
演奏を断られている。

自分の信念と出世との関係は、かくも、
織り合いを付けることが難しい。
全力を尽くせば尽くすほど、
目的のものから離れて行くこともあるという実例である。

「1728年の彼らの会合の間、
ヴィヴァルディは印刷された、
前年の作、作品9ではなく、
同様に『ラ・チェトラ』として題された、
12曲の協奏曲のパート譜の束を差し出している。
これは、今では残念ながら、
ヴィーンのオーストリア国立図書館に、
独奏第1ヴァイオリン・パートが
紛失した形で残されている。
これは、250年にわたって、
作品9と同じ曲だと考えられ放置されていた。
1970年代、音楽学者マイケル・タルボットが、
この手稿譜を研究して、
RV580のロ短調協奏曲の1曲を除いて、
2つの『ラ・チェトラ』は、
完全に別の曲集であることが分かった。
この録音では、この別稿から再構成された、
6曲の協奏曲を、初めて一緒にして届けるものである。」

マンゼが、わざわざ「6曲を初めて一緒に」と書いたのは、
いったいどんな意味が含まれているのだろう。
どうせなら、12曲を一緒に録音した、
と威張って欲しいものである。

後の6曲は、実はまだ、
肝心の独奏パートが復元できないのだろうか。

その観点からすると、
2つの「ラ・チェトラ」に含まれる
RV391は、ここでは録音されていない。
CDの収録時間の関係もあるだろうが、
残る5曲がどんなものであるかを
教えて欲しいものである。

なお、タルボット(トールバット)は、
この大発見を、自身の著、
BBCミュージック・ガイドの
「ヴィヴァルディ」では、
「すでに出版された曲集と同じ『ラ・チェトラ』の
標題をもつ筆写譜集は、パート譜に1728年の日付をもち、
やはり12曲のコンチェルトから成っている
(しかし出版曲集と共通の作品は1曲(RV391)
しか入っていない)。」(為本章子訳)
と書いているだけである。

「なぜ、2通りの『ラ・チェトラ』があるのか、
これはおそらくミステリーのままであろう。
ヴィヴァルディは、カール6世に渡す、
作品9の出版譜を持っていなかったのだろうか。
そうだとしたら、作曲家と、
アムステルダムの出版者、
マイケル・チャールズ・ル・セーヌの間に、
何かトラブルがあったのかもしれない。
ル・セーヌは、作品9のタイトル・ページに、
自身の費用でこの版を出版した、
と、明確に書いている。
ヴィヴァルディは、アムステルダムに送るべき、
公費を着服したのだろうか。」

これは、先の、金の亡者みたいな
書かれ方からすると、
いかにもありそうな話だが、
ヴィヴァルディが勝手に、
皇帝に献呈するべく、
アムステルダムで出版するものに、
公費が必要なのかどうかは分からない。

あるいは、ヴィヴァルディの、
そうした一面を感じて、
ル・セーヌは当てこすりで書いたのだろうか。

「あるいは、ヴィヴァルディは、
作品9を買うような一般の人を必ずしも楽しませなくとも、
カール6世のような通人を喜ばせるために、
特別な協奏曲セットを編纂したのだろうか。
ヴィヴァルディは出版しない協奏曲を書くときには、
しばしば、より大胆で実験的であった。
当時の印刷された音楽は、
商業的な冒険ではなく、
芸術的な自己表現や
探索のはけ口の要素の少ないものであった。
慣れない語法の出てくる、
あるいは、恐ろしい技術的要求のある音楽は、
単純に売れないだけであった。
この一般論を証明するために、
このディスクの中で、
もっとも果敢で創意豊かな協奏曲の2曲、
RV202と277は、
1729年、作品11の一部として出版される。
このセットは、いまだ、もっとも、
ヴィヴァルディの中で人気がないものだ。
ヴェネチアのある器楽の権威は、
このヴィヴァルディの書いたもので、
最も精巧で情熱的なものを却下し、
『一貫性がない』と書いている。」

このような議論の流れからすると、
むしろアムステルダムの出版社の方が、
「ラ・チェトラ」出版をびびった、
と考える方が自然ではなかろうか。

ヴィヴァルディは、たくさんの協奏曲を渡して、
こっから、売れそうなのを編纂してくれ、
などと頼んだ可能性はないのか。

また、ここでは、ずっと、
ヴィヴァルディは、作品9を皇帝に捧げ、
「ラ・チェトラ」として出版したくせに、
翌年、同じタイトルで別の曲集を渡しているのが、
ミステリアスだ、という点が強調されているが、
むしろ、皇帝に捧げたものから、抜き出して、
皇帝の名前抜きで別に出版する方が、
道義的にやばい感じがするのは、
私だけだろうか。

こういうことをしたから、
宮廷音楽家の地位が得られなかった、
なんて妄想はあり得ないのだろうか。

このあたりから、一曲ごとの解説が織り込まれて行く。
トラックナンバーを付記しながら読んで行こう。

まず1曲目:
「Track13:
RV277は、誰の命名かは分からないが、
『お気に入り』と題されている。
おそらく、カール6世自身によってか。」

このホ短調の曲の冒頭の主題は、シューベルトの、
弦楽四重奏曲第9番ト短調の冒頭にそっくりである。

とても、威厳をもったものであるが、
続くヴァイオリン独奏もまた、
この気難しい、解決困難そうな主題を受けて、
思索的、思弁的な展開を見せる。
さすが、帝王がお気に入りになるだけの事はある。

急速なパッセージが風雲急を告げ、
時折、内省的な独白が出たりして、
一筋縄には語れない。
作品11の2として出版されたもので、
実に、一貫性がない。
なお、「ラ・チェトラ」での番号は11番である。

Track14.アンダンテ。
これも、お気に入りになるとは思えない、
意味有り気な独白に満ちた、
妙に硬派の音楽で、
口当たりの良い音楽に囲まれていた皇帝には、
何となく、新鮮に思えたのであろう。
だからといって、こんなのを、
毎日聴かされたのでは、
精神が病んでしまいそうでもあり、
この時点で、ヴィヴァルディが、
宮廷楽長になる夢は消えてしまいそうだ。

Track15.アレグロ。
これも、稀有壮大な主題が、
頑固なリズムで高飛車な姿勢を見せ、
ある意味、軍楽調。

皇帝が、この曲は、わしの進軍に似ておる、
と言って気に入ったとしてもおかしくはない。
だんだん音楽はふくらみを増し、
行く手に向かうものなし、みたいな体裁になっていく。

2曲目:
「Track4.同様の事は、
RV271(『ラ・チェトラ』の10番)にも言え、
このタイトルと特徴は、異なる演奏スタイルを示唆する。」

このように書かれているように、
この曲は、「お気に入り」のような居丈高の様子はなく、
無理に、シューベルトの弦楽四重奏曲でいえば、
「ロザムンデ」の冒頭のような優しい風情。

恋する人の繊細な心情だろうか。
あるいは恋人たちが手を繋いで行く
草が風に揺れる美しい野辺の情景であろうか。
波打つような、憧れの感情が、
独奏もオーケストラも一体になって、
ひたすら歌われる。

「我々はここでハープシコードを省き、
恋人の楽器、バロック・ギターを、
コンティヌオに入れる事を選択した。」

この効果は、注意していないとよく分からない。

「さらに全オーケストラにミュート効果を持たせ、
ヴィヴァルディがある種の繊細な協奏曲
(RV270『安らぎ』のような)で時に要求したのに倣った。
これは、(第2ヴァイオリンの)ウィリアム・ソープの、
主張でなされた。」

こちらの効果は良くわかる。

Track5.第1楽章からして、
緩徐楽章みたいだったが、
第2楽章は、もっと物憂げで、
野辺の情景は霧に満たされ、
あの晴れやかな情景は夢だったか、
と思わせる。
手痛い破局のような。

Track6.再び、恋人たちの心は、
一つになったようで、さっきの心配はなんだったの、
みたいに、幸福感に胸が膨らむ音楽。

中間部では、少し、物憂げになるが、
すぐに、音楽は、すがすがしい空気を深呼吸する。

時折、合いの手のように、
バロック・ギターのパンチが入る。

3曲目:
「Track16.RV286の原稿には、
『聖ロレンツォの日のために』という
タイトルが書かれている。」

聖なる日なのだろう、
とても、晴朗な感じのヘ長調の音楽で、
序奏から、まさしく新鮮な朝の空気を思わせる。
ヴァイオリンの独奏も喜ばしげに羽ばたいて、
広々とした空を雲が行くような感じ。

Track17.
第2楽章は、オーケストラの激しいリズムといい、
独奏ヴァイオリンの孤高のメロディといい、
火あぶりされながら、平然と口をきいていたとされる、
かつての殉教者に思いを馳せたのか。

マンゼ自身のカデンツァも付加されて、
両端楽章と変化をつけて、
緊張感を出して、変化がつけられている。

「Track18.第3楽章を通じて奏でられる
第2ヴァイオリンによるエンドレスのチャイム音が
ヴィヴァルディが働いていたピエタから、
そう遠くない、
ヴェネチアの聖ロレンツォ修道院の鐘を
おそらく想起させるものである。」

明るく弾けるような音楽で、
第2ヴァイオリンは、別に、パガニーニの、
鐘のような音を使うのではなく、
ごーんごーんという感じの音型をくり返している。

ただし、ヴァイオリン独奏は、
いくぶん、内省的でふっきれない感じ。
聖ロレンツォは、教会の財産を民に与えて殉教したようなので、
オーケストラの民衆の喜ばしい感じと、
独奏ヴァイオリンとが、
ちぐはぐなのは仕方がないのだろうか。

4曲目:
「ハ長調の協奏曲は二曲残されているが、
これ以上になく異なったものである。
Track10.RV183は、
明るく、両端楽章は簡潔で、
しばしばカデンツで中断されるラルゴは
和声的に移ろいやすく、
これらの中で、もっともヴィヴァルディ的なものである。」

これは、「ラ・チェトラ」では7番の協奏曲で、
軽やかに刻まれるリズムに沸き立つ序奏に乗って、
愛情豊かな朗らかな主題が出て、
ヴァイオリンが自由な楽句で走り回るのは、
確かにヴィヴァルディ的である。

Track11.第2楽章は、
物憂げなチェロに対して、
独奏ヴァイオリンが慰めるような歌を歌う。

Track12.
終楽章もいかにも快活な楽想で、
自由奔放なヴァイオリンが即興的であるが、
これはマンゼが追記したものかもしれない。

こういう曲も書きながら、
シリアスな音楽も書けるヴィヴァルディの
多面性を持ってすれば、
音楽好きな皇帝と、
何時間も話が出来るということは納得できる。

5曲目:
「Track1.RV189は、
メロディやヴィヴァルディにしては個性的な和声、
予期せぬ変化の奔流である。
開始部の勝ち誇った音階は、
すぐに短調のミステリアスな第2の着想に道を譲り、
全曲、長調と短調とが拮抗している。」

このような意味不明の音楽が、
冒頭に収められていることからして、
このCDは、第一印象は聴きやすいものではない。

私は、ずっと前からこのCDを所持してはいたが、
この情緒が安定しない風情に悩み、
最後まで聴きとおした事がなかった。
ちなみに、この曲は、演奏時間17分近くを要し、
RV183の9分半の倍くらいの規模である。

Track2.
第2楽章は、虚ろな音楽で、
放心状態で辛気臭い。

マンゼの解説には、
「ハ短調の第2楽章は、チェロ協奏曲RV401の、
第1楽章と似ている」との事である。

「ラルゴとして、もちろん、もっと痛切であるが」
と追記している。
「独奏者は、ヴァイオリンと
ヴィオラの最小限の伴奏の上を漂う」
としているように、
第1楽章同様、放心状態の音楽。

Track3.第3楽章は、
ようやく、生気を取り戻した、活力ある音楽だが、
むしろ躁状態と言っても良い。

オーケストラの楽想も弾けるように魅惑的ながら、
陰影のある展開も古典的で美しく、
それを押しのけて駆け回る独奏ヴァイオリンは、
特徴的なリズムを引き継ぎながら、
さらに自由自在に音楽を高揚させて行く。
このCDの一番の聴きどころかもしれない。

マンゼも、
「アレグロ・モルトはヴィヴァルディの
最も奔放な楽章である」と書いている。

「メロディが現れては消え、
多くの協奏曲で、
そのオープニングの材料がくり返されるが、
ヴィヴァルディは
『恋人』の第3楽章の独奏者の最初のフレーズを、
最初は長調で、それから短調と2回、
面白がって引用している。(3:39で)」

なるほど、不自然なまでの陰影で強調されているし、
どこかで聴いたメロディが出て来た、
という感じはするが、
これは極めて「通」向きの遊びで、
とてもふつうの聴衆には付いていけるものではない。

しかし、マンゼはいたくお気に入りのようで、
ここでは、強烈なカデンツァを自作して、
4分50秒あたりから、
細かい高速のパッセージを高音で繰り広げ、
あるいは、大きなボウイングで圧倒し、
ヴィヴァルディの在りし日の姿を再現しようとしている。
これについては後で解説が入る。

このような様々な実験の結果、
この極めて魅力的な楽章は、
6分24秒の大作となって、
このCDのトラックで最長の時間を記録している。

「この録音では、
十分に作曲家によって書きこまれたRV277を除いて、
すべての緩徐楽章で、3つの即興的なカデンツァと
即興的な装飾を含んでいる。
今日、歴史的な研究結果を採用するヴァイオリニストでも、
演奏において活気を与える要素を重視する人は少ないが、
ヴィヴァルディの時代、
即興の芸術は高度に開発されていて、
協奏曲演奏では重要な部分になっていた。
ヴィヴァルディの即興に関しては、
いくつかは記録され今日に伝えられるが、
その技巧性とリズムの自由な扱いが魅力的なものだった。
1715年、日記で有名な、
ヨハン・フリードリヒ・アルマンド・フォン・ウッフェンバッハが、
有名な記録を残していていることからも、
それは裏付けられる。
『・・・終わりに向かって、
ヴィヴァルディは独奏部を素晴らしく弾き、
加えられたカデンツァは私を実に驚嘆せしめた。
それは、誰もが弾いた事がなく、
これからも弾けないようなものであった。
その指は駒に触れそうで、
藁も入らないほどの隙間で、
弓を、全ての4つの弦に対して、
あり得ないスピードで行き来させた。』」

6曲目:
Track7.ハ短調RV202については、
何も書かれていないが、これまた強烈な自我を主張するもので、
私としては、この重大な局面を伝えるような序奏から、
最も、ただならぬ気配を感じた。

これは、作品11(の5)として
出版されたもののひとつなので、
詳しくは、その曲集で調べれば良いという事だろうか。
ヴァイオリン独奏は、この荘厳な状況下で、
ちょこちょこと我が身だけを案じる、
人間の悲しい性のようなものを感じさせる。

この1728年といえば、ヴィヴァルディは、
ヴィヴァルディはオペラの作曲家としても大家であり、
そこでの不条理な運命の世界が、ここには感じられる。

Track8.
緩徐楽章も同様で、内省的で孤独、
運命を嘆くばかりの音楽である。

Track9.
最後まで、大げさな音楽というべきか、
主題も悲壮感に溢れ素晴らしいものだが、
独奏部もはちゃめちゃな動きを見せ、
実に大胆かつ野心的な作品と肯くことが出来る。

得られた事:「ヴィヴァルディは、皇帝に献呈した『ラ・チェトラ』という協奏曲集(作品9)を出版したが、翌年、彼が皇帝に直接手渡したのは、同名の別の曲集であった。」
「アムステルダムの出版社は、ひょっとしたら、ヴィヴァルディが送りつけて来た曲集から、売れそうなものを選んで出版したのではないだろうか。」
「皇帝に手渡した『ラ・チェトラ』は、独奏部が欠落したパート譜らしいが、12曲の曲集なのに、マンゼは6曲しか録音しなかった。残りは修復できないのだろうか。」
「『お気に入り』という曲名などは、皇帝の命名ではないか、というのがマンゼの見解。」
[PR]
by franz310 | 2015-04-12 13:42 | 古典
<< 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... 名曲・名盤との邂逅:1.シュー... >>