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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その415

b0083728_1414341.jpg個人的経験:
20世紀前半を代表する
イタリアの名指揮者、
トスカニーニは、
ベートーヴェンを得意としたが、
シューベルトもまた、
大変、愛していたと思われる。
伝説とも言える、
ベートーヴェン・チクルス
が行われた、
1939年というシーズンも、
実は、シューベルトの
「未完成」で始まったのである。


私は、さらに重ねて言いたい。
トスカニーニは、
ベートーヴェンの交響曲全集をメインに据えた、
戦争の年、渾身の1939年シーズンを、
まずは、シューベルトをもって始めたのである。

この10月14日のコンサートは、
Guildレーベルから
2002年に出されたCDで、
すべて聴くことが出来る。

解説にもいきなり、
「このディスクは、1939年10月14日の、
コンサートを収録したもので、
これは、トスカニーニが、
NBC交響楽団の指揮者として、
3度目のシーズンを始めた時のものである。」
とあるとおりである。

「プログラムは、シューベルトの『未完成交響曲』、
リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの、
めったに演奏されない『協奏交響曲』変ロ長調、
オットリーノ・レスピーギがオーケストラ用に編曲した、
J.S.バッハの『パッサカリアとフーガ』ハ短調からなる。」

「音楽の父」とも呼ばれるバッハに、
「交響曲の父」、ハイドンを加え、
シュトラウスはともかくとして、
シーズン開始に相応しい原点模索がある。

「未完成交響曲」は、
その中でも先鋒を承って、
まことに頼もしいばかりの責任を、
負うことになっている。

このCDの背面を見ると、
「不滅の演奏記録音楽協会」だかの
エクスクルーシブ録音だとある。

これも、何やらありがたいが、
プロデューサーはJ.Wearn、
復刻はリチャード・カニエルと、
ナクソスと同じ布陣である。

ナクソス盤と同様、放送時の
ブロードキャスト・コメンタリーも収録、
1939年のラジオ放送を、
21世紀の我々が聴くという、
タイムスリップ効果も残されている。

ただ、レーベルが変わったことで、
解説もゴージャスになって、
研究価値はさらに上がった。

ナクソスは、曲目解説がベースで、
演奏に関しては、情報がほとんどなく、
たまたま同じ演奏会を記録したものを
CD化していた
Music&Artsなどの
解説を読むしかなかった。

ここでは、コンサートの意義のようなものばかりか、
詳細な演奏に関する記載が素晴らしく、
下記のような音源に関する解説もあって、
14ページのブックレットは、
盛りだくさん、読み応え満点である。

「音源と技術的な詳細:
トスカニーニの演奏会のこれらの録音は、
マエストロお気に入りの
RCAビクターの技術者で編集者であった、
Richard Blaine Gardner
に由来するものである。
ガードナーは、
特に、マエストロ引退後、
パウリーネ荘で、
トスカニーニと協業した、
リバーデール・プロジェクトにおいて、
トスカニーニ自身や、
その息子のワルターから、
1940年から50年代に、
テープやディスクを直接受け取っている。
ガードナーは、1949年から1983年の間に、
トスカニーニの演奏会やリハーサルの、
テープのコピーやテスト・プレス盤、
アセテート盤などを譲り受けており、
それについての詳細は、
カニエル氏の著書『トスカニーニの放送遺産』に、
見ることが出来る。
1980年にカニエル氏は、
不滅の演奏記録音楽協会を設立、
ガードナーから受け継いだ、
トスカニーニの第1世代のテープや、
数多くのディスクを復刻する技術に注力した。
しかし、それらはざらざらやパチパチは取らず、
電気的な残響も付加していない。
これによって、オリジナルのアコースティックや、
演奏の環境を守り、
楽器の音色の色つやを落とさないようにした。
これはCD化でノイズ除去する一般の方法とは異なる。
オリジナル録音に近づけたこのシリーズを、
Guildは、『放送録音の中の最良のもの』と、
自信を持って宣言したい。」

また、このCDの解説は、
William H.Youngren
という人が書いているが、
有難い事に、この人のことも
きちんと紹介しているのが嬉しい。

「ウィリアム・H.ヤングレンは、イリノイ州、
エヴァンストンで生まれ、
Amherst大学に学んだ。
彼はさらにハーバードで英国文学を学び、
1961年には博士号を取得している。
彼は、M.I.Tやスミス・カレッジで教壇に立ち、
1971年からはボストン・カレッジで教えている。
彼は、結婚して3人の子供をもうけ、
マサチューセッツのウェスト・ニュートンに住んでいる。」

このような紹介だけなら、
不要と言いたいところだが、
どんな研究をしているかも、
一応、下記のように紹介されている。

「彼は、『意味論、言語学と批評』
(1972年 Random House)
の著者であり、
18世紀の美学や批評に関する
いくつかの論文を書いている。
近年、彼は主に、
『パルチザン・レビュー』、『ハドソン・レビュー』、
『イエール・レビュー』、『アトランティック』、
『ファンファーレ』、その他の雑誌に、
音楽やレコードについて書いている。
1983年、ブランディスで、
音楽史の博士課程に入り、
1999年に博士号を取得している。
現在、C.P.E.バッハの
歌曲についての論文を、
本にして出版する準備を進めている。」

読むだけ無駄な紹介で、
トスカニーニとの関係は不明なままだが、
マエストロの遺産を引き継ぐ、
オタク軍団に任されるのであるから、
おそらく、こんな紹介で、
終わるような人ではないのだろう。

CDの最初のトラックは、
ブロードキャスト、コメンタリーであり、
「トスカニーニがNBC交響楽団に帰ってきました。
新しいシーズンのプログラムが始まります。
3回目のシーズンで、放送用に創設されたオーケストラは、
アメリカ屈指の一つになりました。
重要な第1夜のため、
ホールは著名な音楽家や批評家、
選ばれた人たちでいっぱいですが、
これらのコンサートは、
あなたがたのために企画され、
あなたのために演奏されるのものです。」
みたいな解説が始まる。

シューベルトの「未完成」の解説は、
以下のように書かれており、
とても参考になった。

「1828年11月19日、
シューベルトが31歳で亡くなった時、
彼の交響曲は一曲も出版されておらず、
公開演奏すらされていなかった。
しかし、それらは19世紀後半に、
ウィーンで次々と発見され、
シューベルトは正しく、
第一級の大作曲家に位置付けられることとなった。
事実、1822年に作曲された『未完成交響曲』が
1867年にようやく発見されると、
今日、最も知られた彼の作品となった。
トスカニーニは、しばしば、この曲を取り上げ、
彼の演奏は、しばしば染まりがちな、
ロマンティックな憂愁とは違う、
その率直な力感と劇的なエネルギーで、
際立ったものになった。」

1939年の放送用ライブ録音と言えば、
ベートーヴェンにおいても、
マエストロ自身が、
SP化転売を許可した「英雄」や、
演奏時間最短の「第9」のように、
きりりと引き締まった
彫琢の冴えを見せるものが多く、
上述のような形容は、
おそらく、この年の演奏において、
最も際立ったものになったと思われる。

「第1楽章を開始する、
短いチェロとコントラバスの宣言は、
我々が聴きなれたものよりもあっさりと演奏され、
痛切なオーボエとクラリネットの
小さな第1主題を伴奏する、
ヴァイオリンの、
鼓動のような16分音符を導く。
王手をかけるような恐ろしい緊張感を、
漲らせたパワーが潜んでいることを感じる。」

このように、序奏部から、
端的に言うべきは言って、
先に進んでいくのは、
1939年のベートーヴェン・チクルスで、
おなじみのやり方である。
が、腹に響く低音に、
焦燥感を秘めたヴァイオリンの刻みは、
瞬く間に、我々を、ドラマの中に連れ去る。

「音楽が力を凝集するかのように、
次第に主張を始め、
チェロによる、有名な、
ト長調の第2主題に向かう。
トスカニーニはチェロを非常に優しく、
しかし、しっかりと、率直に弾き始めさせ、
(スコアにはないが、)テーマの中間部に向かって、
断固たるクレッシェンドをかける。」

このあたりの移行も緊張感に満ち、
チェロがたっぷりと歌うところも美しい。

「嵐のような中間部を経て、
まず弦楽が、そして木管、弦楽という風に、
各声部が次々と光輝に満ちて花咲く、
ト長調の主題によって、
提示部は締めくくられる(mm.94-104)。
この美しいパッセージは、
約束が満たされたように響き、
事実、ほとんど勝利の歌のようでさえある。
しかし、勝利は束の間のものだ。」

この部分、トスカニーニは、
陶酔したような唸り声を上げている。
提示部は、ベートーヴェンの場合同様、
くり返されて行くが、
確かに、メロディが思い入れたっぷりに、
こぶしを聴かせて歌われている点、
激しい和音のぶつかり合いにも、
どこか、明るさがある。

「不吉な下降する弦のピチカートが、
展開部(または提示部の繰り返し)を導き、
すぐに移行する。
展開部は同様に嵐のようでパトスに満ちているが、
トスカニーニは再びそれを率直に扱い、
パトスをことさら強調することはない。
しかし、音楽を前へ前へと、
推進させることに集中させている。
展開部は無数の弦の突き上げによって終わるが、
短調でありながら、これも再び勝利のように響く。」

沈潜していく音楽であるが、
絶叫ではなく、重大な局面の遭遇を、
冷静に受け止めているようにも聞こえる。
したがって、展開部は、これはこれで、
試練を乗り切った、という感じで解決している。

「再現部は再び葛藤と混乱によって影が差すが、
この楽章の暴力的で力ずくの終結部にも関わらず、
再び第2主題(ロ長調)の小さな楽句が、
勝利の歌のように、あるいは、
第2楽章の清澄さを期待させるように、
対位法的に花咲く。」

解説者の聴き方に染まってみると、
再現部も、混乱は混乱として受け止めつつ、
それがどうした、という、
妙に強靭なシューベルト像となっている。

第2主題の憩いがあれば、
乗り切れるではないか、
といった余裕すら感じられる。
コーダでも、波瀾万丈なれど、
来るなら来いという感じである。

第1楽章には、かなりの事が書かれているが、
以下、フルトヴェングラーの演奏との比較になって、
第2楽章の話は出てこない。

しかし、続く楽章も、
第1楽章と同様、
メロディは、たっぷりとした、
ふくらみを持って歌われ、
憂いはあるものの、
深呼吸が出来る安全な退避圏となっていて、
厳しい強奏の連なりからの、
完全なる救済ポイントとなっている。

そして、音楽はやがて、
自信にあふれた、歩みさえ見せ、
ややこしい音楽の錯綜を、
振り払うような境地に至る。

コーダもまた、
祝福の中で歩みだすような希望に満ちている。

以下、トスカニーニの、
こうした、いわば健康的なシューベルトに対し、
いかにも疲れ果てた人間が見る悪夢として、
この交響曲を描くのがフルトヴェングラーである、
という感じで、以下の解説が続く。

「トスカニーニと同時代の、
若い偉大なドイツの指揮者、
フルトヴェングラーによって録音された、
いずれの演奏を比べた人であれば、
『未完成』の第1楽章を、
このように扱うのは、独特であると思うかもしれない。
もっと言うと、フルトヴェングラーには、
1951年12月にベルリン・フィルと、
『未完成』のオープニングをリハーサルしている、
4分ほどの興味深いフィルムがある。」

このフィルムは、テルデックから出ていたLDの、
「アート・オブ・コンダクティング」でも、
見ることができるが、
確かに以下のような部分が記録されている。

「オーボエとクラリネットの小メロディを導く、
2、3小節で、フルトヴェングラーは奏者を止め、
そして、とりわけ、
『すべてはヴェールのように』と言う。
そう言いながら、彼は、
印象的なジェスチャーをする。
両手を前にかざし、指を伸ばし、
手のひらを下に向ける。
そして、彼は両手を水平に広げて行く。
まるで、ベッドの上のカバーを伸ばすように。
そこから起こる事について、
彼が求めているのが、
16分音符のヴァイオリンが、
メロディを伴奏するというよりも、
神秘的に、とらえどころなく、
すぐには分からないように、
それをぼかして隠すことであることが分かる。」

私は、ベルリン・フィルが、
この微妙なニュアンスの要求を、
よくもこなしたものだと思う。

それと同時に、このフィルムに先立つ、
1950年の1月に録音された、
ヴィーン・フィルとのこの曲の録音でも、
同様の効果を聞き取ることが出来る。

「彼はさらに、メロディそのものを、
完全にメランコリックであることを求めている。
三度目に、ヴァイオリンはようやく求めに応じられ、
めくるめく効果が現れ、
聴くものは、どれがメロディで、
どれが伴奏であるか分からなくなる。」

メロディは虚無的であって、
悪夢の中に放り込まれた弱い人間、
みたいな感じの音楽になっている。

「しかし、これはトスカニーニとは、
まったく異なるやり方である。
彼は、痛切なメロディを
聴衆に聴かせたいのであって、
伴奏の16分音符を溶け合わせたり、
ぼかせたりすることなく、
まるで、まったく異なる
二つの独特の力であるかのように、
高鳴らせる。
続いて起こる音楽のドラマを演じる
二つのキャラクターが、
それぞれの役割を演じるかのように。
しかし、音楽は同様にミステリアスで、
フルトヴェングラーのように、
誰が主人公であるかがミステリーではなく、
そのぶつかり合いがどうなるかに神秘性がある。」

トスカニーニの演奏には、
確かに、運命との戦いのような側面があって、
とにかく、それを耐える事によって、
浄められた世界に入って行くような希望がある。

雲行きの怪しいヨーロッパから離れ、
遠くアメリカにいる指揮者として、
開戦を前にした心境としては、
こうでもなければ耐えられないような、
環境でもあっただろう。

その点、フルトヴェングラーの演奏は、
ナチスの国に留まった、
被害者の心境ではないか、
などと思うほど、
無抵抗に嵐の中に漂っている。

「トスカニーニとフルトヴェングラーの、
『未完成』演奏の残りすべてで、
このような具合である。
たっぷりとしたチェロのメロディが、
がっしりと演奏されるにも関わらず、
フルトヴェングラーは、断定的にならず、
そして、提示部や再現部の終わりで、
メロディの声部が入れ替わる時に、
(束の間であっても)
それは勝利の凱歌ではなく、
むしろ、救いを求める、
最後の絶望的な嘆願のように響く。」

と、解説にあるように、
出来るのは嘆願だけ、という感じがしなくもない。
第1楽章と、第2楽章にも、
トスカニーニほどの対比は感じられず、
いずれの楽章も、次々に見えて来る、
幻影の連なりの連続し過ぎない。

冒頭のヴァイオリンと木管の
絡まりへのこだわりからして明らかだが、
この表現が続く部分に、どう関係あるかなどは、
あまり重要ではなく、
解説の人とは違って、
少なくとも、ヴィーン・フィルのスタジオ盤での、
チェロによる第2主題は、
幻覚にすぎないような頼りなさを感じた。

「この点で、トスカニーニが、
フルトヴェングラーより
良いというわけでも、
フルトヴェングラーが
トスカニーニより良いというわけでもない。
共に、非常にすぐれた指揮者だった。
この点では、この場合、こんな感じであるが、
時に、トスカニーニとフルトヴェングラーの比較は、
反対の結果になることがある。
トスカニーニはフルトヴェングラーより、
細かい効果には気を使わず、
音楽の進行での統一や、
次第に盛り上がる劇的なインパクトに気遣う。
トスカニーニのアプローチの中心となる切り口が、
このシューベルトの『未完成』には、
特によく表れており、
特にこの放送用の演奏では、
より知られている、焦点の定まらない、
1950年の録音より、
もっとはっきりと表れている。」

フルトヴェングラーの演奏では、
すべてのメロディが引き伸ばされ気味で、
脳裏からこびりついて離れない思念が、
いつまでも吹っ切れない状況を表しているかのようだ。

その他、このCDでは、
R・シュトラウスの『ドン・ファン』が続き、
これは、きりっと引き締まった名演。
しなやかに弾みながら、
快速でドライブされて行く純音楽的表現で、
この曲の尻切れトンボ感を、
苦手とする私でも、十分楽しめた。

続く、ハイドンの、
ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、バスーンのための、
『協奏交響曲』は、
トスカニーニが録音した後年(1948)
のものよりも、リラックスしていて良いと書かれ、
スリリングであるが刺々しいパオロ・レンツィではなく、
ロバート・ブロームがオーボエを受け持っているから、
と書かれている。

ちなみに、1948年のものを復刻した、
BMGジャパンのCDには、
ヴァイオリンは、ミッシャ・ミシャコフ、
チェロは、フランク・ミラー、
ファゴットは、レナード・シャロウとあるが、
このCDには、各奏者の名前は明記されていない。

確かに、戦後のトスカニーニは、
四角四面でぎすぎすしている印象があるが、
今回、このCDも取り出して聴いてみたが、
確かに、オーボエはきんきんしている感じはしたものの、
それほど大きな演奏上の違いは分からなかった。

この1939年の演奏の方が、
オーボエは伸びやかで癒し系であり、
録音も、独奏楽器の雰囲気がたっぷり感じられた。

最後に演奏された、
バッハの『パッサカリアとフーガ』は、
オルガン曲をオーケストラ曲に編曲したものとして珍しく、
解説でも、『ディナーの時に恐竜を見たようだ』と、
トスカニーニの時代の風習を大げさに書きたてているが、
レスピーギが編曲したもので珍しく、
トスカニーニが演奏したバッハであることも、
非常に興味深い。

解説によると、トスカニーニは、
フリッツ・ライナーが振る、
『トッカータとフーガ』ニ短調を聴いて、
翌年、友人のレスピーギに編曲を依頼したとある。

「素晴らしい繊細さと力で演奏されて素晴らしい」
と書かれているとおり、
荘厳なラメントのように曲は始まり、
木管がきめ細やかな綾を見せながら、
峻厳に音楽を立体的に組み立てて行く。

まるで、天に向かって蔓を伸ばして行く植物が、
大樹に成長していくかのようなめくるめく管弦楽法は、
さすがレスピーギという感じがした。

この曲は、ストコフスキーの編曲や演奏でも名高いが、
手元には1929年にこの指揮者が、
名門、フィラデルフィアを振った録音があった。

策士ストコフスキーということで
連想されるように、
極めて感傷的な音楽で、
意味有り気に慟哭するような低音に、
悲劇的な、あるいは物思いに耽るような、
木管のソロが絡み合って行く。

まるで、エネルギーを貯め込むかのように、
むしろ沈潜していく印象。

トスカニーニの方は、
切れの良い楽句の集積体のような印象。
ストコフスキーのような沈潜ではなく、
楽器が鳴りまくり、律動しながら芽生えて行く。
最後には、法悦のカタルシスのような、
手に汗握る大咆哮となる。

拍手喝采の聴衆の中には、
興奮して叫びまくっている人もいるようだ。

得られた事:「トスカニーニは、シューベルトの『未完成』の中で、清澄な世界への足取りを音にしているが、フルトヴェングラーのものからは、霧の中での堂々巡りのような感じを受ける。」
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by franz310 | 2014-08-30 14:08 | シューベルト
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