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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その395

b0083728_18415257.jpg個人的経験:
バルビローリの評伝を読むと、
大指揮者トスカニーニが、いかにも、
強力なライヴァルとして描かれていて、
トスカニーニという稀代の大物が、
この頃、どんな活動をしていたのか、
気になってきてしまった。
20世紀最大の指揮者として、
フルトヴェングラーやワルターと、
並び称される人だが、
カラヤンやバーンスタインはどうだ、
などという疑問が起こるばかりで、
この人の良さはぴんと来ていなかった。


今回は、ざらついた白黒写真のトスカニーニの写真も、
その時代を感じさせる表紙であって、
絶対に良い音がするはずのないCDで、
そもそもPearlというレーベルそのものが、
復刻ばかりで有名なだけに、全体として、
何となく辛気臭いイメージがある。

が、今回に手を伸ばして、驚愕したと言って良く、
改めて、この巨匠の足跡を巡ってみたい。

20世紀と言っても、後半以降、
先の三大指揮者らが鬼籍に入る頃、
生まれた世代の日本人にとって、
どうしても、大手のレコード会社が、
声高に宣伝した指揮者ばかりが、
有名どころと思ってしまう。

が、歴史的見地からすると、
それは、むしろクラシック音楽という、
限られた世界における、
その狭い業界主導の
ルーチンワークの産物だったのかもしれない。

そもそも、トスカニーニの録音は、
基本的にモノラル録音時代のものしかなく、
しかも、NBC交響楽団という、
トスカニーニ用に作られた人工的な放送用の楽団、
みたいなオーケストラとの共演が圧倒的数量を占めるため、
どうも、偏った評価で見てしまいがちである。

バルビローリが苦労した、
彼のニューヨーク時代と、
同時期のトスカニーニの録音を調べるまで、
私は、この指揮者を完全に誤解していた。

今回、聴く3枚組のPearlのCDも、
どうしても欲しくて買ったものではない。
たまたま安く売っていたので、
買うだけ買っておいておいたものであった。

が、これが、ちょうど、バルビローリが、
ニューヨーク・フィルに着任する前位の、
トスカニーニのニューヨークにおける活動を、
ほぼ網羅する記録であることであることを知って、
慌てて、積んであったCDを積めた箱を、
ひっくり返したところである。

そもそも、トスカニーニは、
録音の機会を持っては、
すぱっと切り替える傾向があり、
共演する団体によって、
時代が分類しやすい。
ニューヨークやBBCのものは古く、
フィルハーモニアなどは新しい。

「アルトゥーロ・トスカニーニと、
フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ
・オブ・ニューヨーク」と題され、
「ザ・グレート・レコーディングス1926-1936」
と副題にある。
10年の歳月で、CD3枚しかないのも驚きだが、
この解説を読むと、
これらが、まさしく、当時のレコード会社が、
トスカニーニとの悪戦苦闘で録音できた、
本当に限られた貴重な記録となっていることがわかった。

「アラウとの対話」などで知られる、
ヨーゼフ・ホロヴィッツという批評家が、
「トスカニーニの理解」という本で、
「これらは、NBCでの録音より、
美しく演奏され、説得力を持つ解釈の、
トスカニーニ最良の商業録音」と書いたものらしい。

確かにここで聴くトスカニーニは、
後の、NBCの録音のように、
呼吸困難には陥っておらず、
極めてしなやかに息づき、
繊細な情緒にあふれ、
優美とさえ思えるほどに、
ハートフルな感じがする。

冒頭に収められたメンデルスゾーンの、
1926年2月録音の
「真夏の夜の夢」の「夜想曲」と「スケルツォ」を、
聴いただけで、それは感じられ、
ノイズは多いが、豊かなニュアンスが、
十分に伝わって来るだろう。

有名なマーク・オバート=ソーンが、
リマスタリングしているらしいが、
(解説もこの人によるものである。)
そのせいかどうか、
鑑賞時に、私は、録音年代のハンディは、
まったく感じられなかった。

しかし、その後、1929年の3月まで、
トスカニーニのレコードはないようだ。
生で聴ける聴衆以外にとっては、
3年以上も沈黙していた事になる。

この1929年3月録音とされるのが、
「椿姫」からの前奏曲2曲で、
これまた、精妙な演奏で、
剛毅で力任せな印象のトスカニーニのイメージとは、
まったく異なるものだ。

かつて、あらえびすの「名曲決定盤」で、
「絶品的なレコード」とされ、
「トスカニーニの最高の良さが表れている」
と激賞されたものである。

実は、レコード批評の古典的名著である、
あらえびすの本でも、トスカニーニには、
高齢のせいか録音が少ないとされている。

バルビローリが、早くから、
ハイフェッツ(34年)、フィッシャー(35年)、
といった著名な独奏者の伴奏を務め、
多くの録音を残していたのに対し、
前の世代に属するトスカニーニは、
この時代でも録音を毛嫌いしていてたようだ。

ひょっとしたら、
当時最新のレコード作りに関して言えば、
バルビローリの方が、
経験豊富だったのではないだろうか。

前読んだ解説には、
バルビローリの録音の手際の良さは、
業界でも有名だったということだ。

バルビローリが、
ニューヨークに呼ばれたのは、
そもそも、いろんな共演した人たちの
推薦があったからだと言われている。

いかに、この頑固爺さんを説得するかが、
当時の技術者の大きな課題であった。

では、このCDの解説を読んで見よう。

「オペラ・ハウスで彼が到達していたほどに、
トスカニーニがシンフォニックなレパートリーの解釈で、
尊敬されなかった時代があるなどとは、
想像することが困難である。」

この一節は、一瞬、何を言っているか良くわからないが、
ニューヨークに来る前までのトスカニーニは、
スカラ座のオペラ指揮者であって、
オーケストラのコンサートに専念するのは、
実は、トスカニーニにとってもチャレンジだったのである。

「彼は、1896年(ラ・ボエームが初演された年)、
という早い時期に、結局、
最初のオーケストラ演奏家を開いている。
1926年の1月に先立ち、
それでも、ニューヨークの聴衆は、
1913年のベートーヴェンの『第9』を皮切りにした、
メトロポリタン歌劇場のわずかなコンサートでしか、
彼を知らなかった。
1920年から21年の冬、
スカラ座のオーケストラのツアーで、
その時のアンサンブルを、
ビクターが記録している。
こうして、1926年1月14日に、
トスカニーニは、ニューヨーク・フィルの、
客演指揮者として、
カーネギーホールのステージに立った時、
聴衆は、どう反応していいか分からない状況であった。
プログラムは『魔弾の射手』序曲や、
『神々の黄昏』の葬送行進曲など、
マエストロが熟知していたと思われる
オペラの世界からいくつか採られていた。
しかし、ハイドン、シベリウス、レスピーギもあり、
特に後者2つは同時代の作品で、
これらを彼は、どう扱ったのだろうか。
彼は、それを抜群の手腕で扱い、
彼自身がどう思っていたかは分からないが、
それによって、彼の長いキャリアの
歴史的な新しいフェーズを開いた。」

このように、トスカニーニは、
たまに交響曲も振るオペラ指揮者だったのが、
交響楽演奏会における巨匠としても、
認められるための重要な一歩を踏み出したのである。

「最初のプログラムでは、
指揮者の同時代人、レスピーギといった、
比較的新しい作品があり、
『ローマの松』の『ジャニコロの松』で、
作曲家は、背景で鳴くナイチンゲールの声を、
レコードで再現することを要求している。
この目的のため、コンサートでは、
新しい電気的増幅による、
ブルンスウィックの
パナトロープ・マシーンが据えられた。
ブルンスウィック録音研究所の、
部長、ウィリアム・A・ブロフィイによると、
指揮者は、この音色に魅了されたという。
『トスカニーニ氏が
ブルンスウィックのパナトロープの
大きな可能性に気付いた
楽器演奏の公演の成功は、
音楽の将来の発展に影響を与えた。
我々の研究所の訪問によって、
トスカニーニ氏は、
ブルンスウィック社によって
今、採用されている
独自の録音過程の実際のデモを、
見聞きする機会を持った。
彼はこのプロセスによる、
方法と結果に感心し、
レコードを作りたいという要望を語った。』
Victor/HMV経営との、
34年の録音キャリアの唯一の例外は、
フィルハーモニック・コンサートで取り上げた、
メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』からの2曲である。
各面は、1926年2月のどこかで、
ブルンスウィックの初期の電気録音、
(欧州のポリドールの初期録音にも使われた)
『light-ray(光線)方式』によって、
カーネギーホールの5階、
『チャプター・ルーム』で記録された。
『スケルツォ』における発売されたテイクで、
はっきり聞こえる咳(2分38秒あたりのこと?)
からも、この遅い時期でも、
この録音プロセスが、
おどろくべき杜撰さで行われたことが分かる。
この録音セッションにおける辛い体験と、
その結果の両方から、
トスカニーニは、さらなる録音をやめてしまった。」

この一節は、理解するのに、
非常な困難を伴う。

まず、光線方式とは何なのか。
これに関しては、ネットで調べると、
音響を捉えて振幅する膜のようなもののたわみに、
光を当てて、その光電変換した信号を増幅する図が出ている。
振動を信号に変えるには悪くない仕掛けである。

また、何故、カーネギーホールではなく、
5階の会議室で録音されたのか。
また、咳が、どのプロセスで入ったのか。
トスカニーニが、以上のどの点に不満を覚えたのか、
このあたりがどうも整理できない。
勝手な妄想をすると、装置の関係から、
実験室みたいなところに押し込まれて演奏させられた、
みたいな感じなのだろうか。

いずれにせよ、空気感まで感じられるような、
きれいな音で採られているように思えるが、
(なお、ここで聴いているPearl盤は、
BMGが出した全集盤より鮮やかに聞こえる。)
かなりの苦痛を伴う作業だったようだ。
以降、ブルンスウィックでの録音はない。

このようにブルンスウィックでの録音を行ったのは、
初期のビクター録音に不満を持っていた
メンゲルベルクの示唆によって、
オーケストラがすでに25年12月、
ブルンスウィックでのテスト録音をしていた、
という経緯があったからである。

なお、この時のトスカニーニは、
客演指揮者の立場であった。

「再び、マイクの前に立つまでに3年ほどが経ったようで、
今回は、カーネギーホールのメインの音楽堂。
再び、ビクターのトーキングマシーン社のためだった。
この間、フィルハーモニックは、
ウォルター・ダムロッシュのニューヨーク交響楽団と合併し、
混成のフィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ・
オブ・ニューヨークの発足シーズンさなかに行われた。
トスカニーニは1926年から27年のシーズンに、
メンゲルベルクとフルトヴェングラーと共に、
副指揮者の立場で、
(この特筆すべき日々は、ニューヨークの愛好家が、
選択に困るような状況であった。)
翌年は、メンゲルベルクのみと分け合った。
この合併によって、オーケストラは、
世界で類を見ない名人芸集団となった。
1929年2月に、このオーケストラと、
初めてビクターのために録音した、
デュカスの音詩『魔法使いの弟子』を聴けば、
それは何よりの証拠である。
12年後に彼がNBC交響楽団と行った録音より、
まる1分も短くなるテンポの速さにもかかわらず、
他の指揮者たちのどの録音よりも細部が彫琢されている。」

このCDでは、この曲はTrack5に収められている。
最初からみずみずしい色彩で楽器が飛び跳ね、
敏捷ではあるが、まったく騒々しくなく安定している。

東京創元新社の「トスカニーニ」(1966)には、
トスカニーニが残した録音の寸評がついているが、
「鮮麗を極めた」とか、「リズムさばきが舌を巻かせる」
とあるが、そんな感じである。

「二つの『椿姫』の前奏曲は、
トスカニーニの芸術が、もっとも光り輝いた好例で、
彼がリハーサルでよく使った、
『カンターテ・ソステナーレ(もっと歌って)』が、
音に結実している。
第1幕の前奏曲の幅広いテーマを、
弦は文字通り歌っている。
そして、筆舌に尽くしがたい美しさで、
深く感じいった第3幕の前奏曲の演奏に、
トスカニーニのフレージングの天才の証明がある。
ヴィオレッタの深刻化する健康、
アルフレッドの帰りを待つ憧れ、
その歎き、そして断念が、
完璧に捉えられ、下手をすると冒涜となり、
贔屓目に見ても過剰な第三幕を予見している。」

この曲はTrack4に入っているが、
確かに、フレージングが刻一刻と、
こうした感情の交錯を交えていくのが聴きものだ。

「近代のオーケストラが、
ほぼ常に、全力で、古典的なレパートリーを、
演奏しているような時代にあって、
トスカニーニが、
ハイドン(55人)や、
モーツァルト(58人)の交響曲を、
切りつめた編成で演奏しているのは特筆すべきである。
これらの作品に対して、
この後の演奏では、過剰な表現が見られる中、
(特に、NBC交響楽団とは、
『ハフナー』を再録音している。)
これらの録音は、
求められれば、音楽固有の活力を漲らせる
思いやりがあり、
リラックスしたアプローチである。
よく知られたNBCのリハーサルで、
モーツァルトを演奏するとき、
トスカニーニは、オーケストラに、
『微笑み』を求めている。
ここでフィルハーモニックは、そのような、
見かけでは分からない困難な仕事を、
両交響曲で成し遂げている。」

ハイドンの「時計交響曲」はTrack6-9、
モーツァルトの「ハフナー交響曲」は、
Track10-13に収められており、
それぞれ、「名曲決定盤」でも、
「非常に傑出したもの」とか、
「極めて美しいもの」とか書かれて、
日本でも古くから知られたものであった。
「名曲決定盤」を愛読した人には垂涎の録音が、
惜しげもなく並べられているのが、
この3枚組CDの1枚目と言っても良い。

なお、「名曲決定盤」では、トスカニーニが高齢であることが、
繰り返し述べられていて、

ハイドンは、序奏からして、
非常に丁寧に美しさを模索しており、
モーツァルトでは、この曲特有の活力を漲らせたもので、
時折、探りを入れるようにテンポを落とす効果も面白い。
トスカニーニで連想される力ずくの演奏ではない。
ニューヨーク・フィルの集中力も素晴らしい。

「このアルバムをしめくくるに当たって、
(同様に、1929年の春に、
マエストロが行った一連の録音をしめくくる)
ビクターは、『真夏の夜の夢』のスケルツォを再録音した。
トスカニーニは、ブルンスウィックの録音に、
特に不満を持っていたので、
(これは彼が行ったこの曲の6種の商業録音を、
比較していえば、一番遅い)、
彼はこの素早く適度に快活な演奏で、
記録を正す機会を歓迎した。」

Track14に再び「スケルツォ」があるが、
全部で78分半に及ぶお得な収録となっている。

こちらの演奏の方が、チャプター・ルームに、
閉じ込められていないせいか、
よりのびのびとして、低音の迫力も倍増している。
空間の広がり感、ティンパニの存在感が全く違う。

が、チャプター・ルーム録音も、
実験室のようなところで、
こわごわ録音しているような風情で、
これはこれで室内楽的な親近感を感じる。

1929年の録音としては、
春ではなく少し離れて11月の録音だが、
この3枚組に、まだ、2曲収められていて、
これらは2枚目の最初と3枚目の最後に、
泣き別れになっている。

CD2のTrack1は、
グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」の
「精霊の踊り」で、フルート独奏はジョン・アマンズ。

非常に上品な古雅な音楽。
ダイナミックレンジが小さい曲なので、
この時代のものであっても、
実に、おちついて聴ける。

CD3のTrack8に、
ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」序曲。
こちらは、じゃじゃーんとやかましく始まるので、
少し、音にひずみが残ったが、
すぐにそれは気にならなくなる。

こちらは、トスカニーニと聞いて連想される、
やや性急でデッドな響きが、
だんだん、立体的で、
色彩的な響きに変わっていくところに耳を澄ませた。

カーネギーホールでの演奏ということか、
独奏楽器の立ち上がる感じも遠近感があって香しい。

先に述べたように、メンデルスゾーンを
再録音して喜んだからと言って、
トスカニーニが、録音技術を、
信頼するようになったわけではなかった。

CD2(第2巻(VolumeⅡ))の解説冒頭は、
こんな言葉から始まっている。

以上聞いて来た、1929年までの録音の、
総括のような言葉になっている。

トスカニーニがUgo Ojettiという人に、
1930年5月に語った言葉だそうだ。

「レコードについて話すのはやめてほしい。
まるで受難だよ。
やればやるほど、原盤は良くなるように見える。
しかし、録音が終わってみると、
髪の毛を引きむしりたくなるんだ。」

この前に行われたのが、先に聴いた、
グルックとロッシーニである。
確かにロッシーニの音量変化を、
当時の技術で捉えるのは、
さぞかし困難であっただろうと考えた。

「トスカニーニは、1929年11月29日の
ビクターのセッションの終わりで、
『もう二度とごめんだ』という前に、
レコーディングから2度、
すでに足を洗っていた。
(機械式録音で1921年に、
最初の1926年の電気式録音で。)
マエストロはこの時、一面を、
4月に初めて録音した
『オルフェオ』のやり直しと、
『セビリャの理髪師』序曲の、
生き生きとした演奏を録音する計画だった。
恐らく、初期のビクターの
『オルトフォニック(Orthophonic)』
プレスのサーフェースノイズの深い霧と、
それが音質に与える悪影響があって、
(すべてのHMVのイシューと同様)
(実際のレコーディング・セッションで、
ワックス基盤がプレイバックされた時、
マエストロは、それと格闘しなくても良かった)
オジェッティに対する歎きになったのだろう。
いずれにせよ、
世界中の、熱心なレコード収集家にとって、
続く6年はトスカニーニ沈黙の年であった。」

このように、ここでは書かれているが、
実際は、この間、トスカニーニは、
ザルツブルク音楽祭や、BBCに招かれて、
本人の思惑と合ったかどうかはわからないが、
そこで、膨大な記録が残されることとなった。

これらは、当時、日本でも紹介されていたようで、
あらえびすの本でも、
BBCとの「田園」が取り上げられている。

現在も、その時の録音は、CDで大量に入手できる。
が、正規の録音に関しては、
マエストロはうるさかったようだ。
ここには、そのあたりの事がよく書かれている。

「指揮者とオーケストラが、
前例のない賞賛を受けていたことからすると、
1929年のこの最後のセッションの後の、
この成り行きは、非常に不満な状況であった。
1930年4月、コンサートシーズンの終わり、
トスカニーニは、フィルハーモニックを、
輝かしいヨーロッパ・ツアーに連れ出し、
これが、単に、
当代の偉大なオペラ指揮者としてだけではなく、
同様に、最も世界的に賞賛されるべき、
交響曲指揮者としての、
マエストロの名声を確固たるものにした。
同様にフィルハーモニックは、
無比の名技性が賞賛された。
ツアーのすぐあと、
マエストロはバイロイトに赴き、
最初のドイツ人以外の指揮者として、
ワーグナー祭に現れた。
1931年の夏にも彼は客演したが、
翌年計画された音楽祭(1933)は、
ナチス台頭を理由に辞退している。
この決断の時期、ナチスの政策を非難する、
ヒトラーへの公開質問状に、
自身の名前を書きこんでいる。
これは1933年4月2日の、
日曜の朝刊に印刷された。
この日の午後の、
フィルハーモニック演奏会では、
ちょうど、別の独裁者を非難したエロイカを含む、
オール・ベートーヴェン・プログラムで、
カーネギーホールの舞台に現れるや、
いかなる指揮者も体験したことのない、
スタンディングオベーションを受けた。」

この日の、聴衆も指揮者も高揚したであろう、
ベートーヴェンの演奏は残っていないようだが、
何と、一週間後に行われた、
「第5交響曲」の演奏については、
録音が残っていて、この3枚組でも、
しっかり聴くことができる。

このあたりの経緯は紆余曲折が涙ぐましいので、
次回、改めて見てみたい。

いずれにせよ、この時期、現在のニューヨーク・フィルは、
合併のすえ、名手を揃えるスーパー・オーケストラに変貌、
「フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ・
オブ・ニューヨーク」として、ヨーロッパにまで名声を轟かせた。

トスカニーニは、それは、自分の成果だと思ったかもしれないし、
当然、このオーケストラに対する思い入れも強かっただろう。
自分が育て上げたオーケストラに、
やがて、若い無名のバルビローリが、
ふらふらと紛れ込んで来るのだから、
確かに、この二人を巡るドラマが深刻になることは、
必然として納得できた。

得られた事:「トスカニーニはレスピーギの『ローマの松』で使われる録音された鳥の声の効果で、再びレコード技術に向かい合うことになった。」
「ブルンスウィックのライト・レイ方式がその時の技術だったが、結局、その方式での録音では、トスカニーニは納得できなかった。」
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by franz310 | 2013-12-07 18:42 | 古典
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