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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その361

b0083728_2171459.jpg個人的経験:
シューベルト作曲の、
「マニフィカト」は、
この作曲家の
埋もれた傑作とされるが、
ミシェル・コルボのような、
宗教音楽の大家は
ちゃんと録音していたりする。
これは、アナログ録音の、
最盛期くらいに出たもので、
私はCDで買いなおした。


この録音のメインは、
大作「スターバト・マーテル」で、
これまた、名作ながら録音が少ないので、
まことに貴重なものと言える。

フランスの誇るエラート・レーベルのもので、
いかにも、「悲しみの聖母」を描いた、
絵画「キリスト降架」による表紙も、
ニコラ・トゥルニエ(1590-1639)
というフランスの画家によるものである。

時代的にはヴィヴァルディやペルゴレージより、
古い人であるから、当然、この絵から、
シューベルトの音楽を空想することは難しい。
が、後述するように、
ここでの音楽は、意外に過去と結びついているようなのだ。

ローザンヌ・ヴォーカル・アンサンブルに、
ローザンヌ室内管弦楽団が共演している。
ソプラノはシーラ・アームストロング、
アルトにハンナ・シェーアを採用、
テノール、アレジャンドロ・ラミレッツ、
バリトンはフィリップ・ヒュッテンロッヒャーである。

この変わった名前のバリトンは、
コルボの名作、
フォーレのレクイエムに出ていた人ではないか。

解説は、Harry Halbreich(ハリー・ハルブライヒ?)
という人が、かなり丁寧に書いている。

「シューベルトの作品の中で、
オペラですら、次第に忘却から救われている現在、
宗教曲は、知られざる領域のひとつとして残されている。
6曲のラテン語ミサ曲、ことに、
変イ長調、変ホ長調の2曲の成熟した作品が、
比較的、人気作である中で、
他の宗教曲で有名になってきているものは少ない。
少なくともドイッチュ番号で、
43曲を数えるものが宗教曲でもある。
さらに言えば、シューベルトは、教会音楽を、
その生涯を通じて作曲しており、
15歳という早い時期の、
7曲ある『サルヴェ・レジーナ』の最初のもの、
(1812年6月28日作曲のヘ長調D27)に、
『キリエ ニ短調D31』がその3か月後に続いた。」

私は、ここで、あっと、息を飲んだ。
サヴァリッシュの「宗教合唱曲全集」と題されたものにも、
この2曲は収録されておらず、
(音楽之友社、作曲家、人と作品シリーズ
「シューベルト」にも、
『最近、サヴァリッシュの指揮による宗教音楽集の
CDがリリースされ、多くの曲を耳にできるようにはなったが、
それでもまだ『全集録音』ではない』という記載があった。)
私も、これまで、これらの曲を意識せずにいたからである。
前回、サルヴェ・レジーナが7曲と書いたが、
D223の改訂版を一曲とするのかと思っていた。

「応答頌歌『私の王』は、彼の死の何週間か前の、
1828年10月の終わりに完成されており、
それに続くのは、最後の歌曲『岩の上の羊飼い』や、
最後のオペラで完成されなかった、
『グライヒェン伯爵』だけである。
彼の宗教曲の大部分は、
ラテン語の典礼用のテキストに基づき、
しかし、いくつかのドイツ語のものも作曲している。
それらの中には、
『ドイツ・ミサ曲』(D872)が最も有名だが、
『スターバト・マーテル』が最も重要なものである。
また、シューベルトは『詩篇92』(D953)を、
ヴィーンのシナゴーグのカントールの依頼で、
ヘブライ語で書いている。
シューベルトの信仰心には、
通常以上に深く熱いものがあったが、
彼の学校の仲間と同様、
当時のカトリック教会には、
強い反感を持っていた。
したがって、彼のミサ曲において、
『使徒継承の教会を』という言葉は、
省いて作曲していて、
オーストリアやバイエルンの教会の、
権威主義的なところ以外の典礼で使われた。
彼の生涯の何年か、ますます、
彼の信仰心は汎神的、個人的なものとなり、
絶望の向こうの晴朗さに達し、
遂には希望をも超越してしまった。」

さらりと書いているが、
何と言う恐ろしさであろう。
希望をも超越した信仰の中に、
晩年のシューベルトはいた。

「彼が最後のミサで、
『よみがえりを待ち望む』という文言を削除したのは、
何の見返りもないローマ教会への忠誠の反発より、
確かに深い意味のあることであった。
しかるに、シューベルトの宗教曲の多くは、
機会音楽(または変イ長調ミサのように、
就職を想定したもの)であって、
いくつかの少しの作品が、
スターバト・マーテルがそうだが、
内的な衝動から作曲されたように見える。
それがオーソドックスかどうかは別にして、
シューベルトのものは信仰心の発露であって、
それは多くの器楽曲にも聞き取れ、
『水の上で歌える』のような、
擬似的な宗教作品からもそれはうかがえる。」

ということで、サヴァリッシュの、
シューベルトの宗教曲のCD解説が、
シューベルトの信仰心を疑ったものだったのに対し、
こちらは、その違う形の信仰を強調している。

「ここに録音されたものの2つは、
1816年のものであって、
彼の生涯でも実り多き時期のものであった。
1815年の終わりにかけて、
彼は第3ミサ曲(変ロ長調、D324)を書いており、
おそらくクリスマスに歌われたものと思われる。
1816年からの彼の9曲の宗教曲シリーズは、
2月21日から、『サルヴェ・レジーナ』の
第4番(D379)から始まった。
2月28日にはこの大作のスコアを完成するので、
彼は、おそらくすでに、同時に、
ドイツ語による『スターバト・マーテル』の
作曲に取り掛かっていたに違いない。
もう一曲の『サルヴェ・レジーナ』(D386)が、
3月に作曲され、
7月に、新しい第4ミサ曲
(ハ長調、D452)を完成させている。
計画された『レクイエム』(D453)は断片に終わったが、
8月には、D460とD461の、
2つの『タントゥム・エルゴ』が、
9月には唯一の作品である
『マニフィカト』(D486)が書かれた。
10月に、二重唱『天国にいるアウグストゥスよ』(D488)
が完成され、
1818年夏まで、宗教曲が書かれることはなかった。」

ちなみに、ここでは、妙にすっきりと、
「マニフィカト」は1816年の作曲とされているが、
他の文献では、この曲は1815年の作曲とされている。

「ドイッチュ番号がこの視点をよく表しているが、
同時にシューベルトは、100曲以上の新作歌曲をはじめ、
2つの交響曲(第4と第5)、四重奏曲、
ソナタ、オペラなど、ほかの作品も、
大量に書いていることを忘れてはならない。」

以下、「スターバト・マーテル」の解説が始まるが、
ここでは、前回の続きで、気になっている、
「マニフィカト」を聴くことにしよう。

が、1815年の作曲か、1816年の作曲か、
私には、非常に気になる。

もし、1815年に「マニフィカト」を書いた後、
1816年の「スターバト・マーテル」が書かれたのであれば、
キリストが生まれる前と、死んだ後を時系列に書いたことになる。
しかし、「スターバト・マーテル」を書いた後、
「マニフィカト」を書いたのだとしたら、
キリストを殺してから、お告げの話を持ってくる感じで、
むしろ、復活を描いたような順番となる。

解説には、別に、そんなことは書いていないのだが。

だが、この解説では、以下のように、かなり自信ありげに、
この「マニフィカト」の成立年代を決定している。

「『マニフィカト ハ長調(D486)は、
1816年9月15日から25日の間に書かれ、
おそらく、同じ調性のミサ曲(第4)と
一緒に、同じ典礼の時に演奏しようとしたのだろう。
作曲家の兄のフェルディナントは、
『大マニフィカト』と呼んでいるが、
シューベルトは一曲しか書かなかった。」

ディアベリが調べた、作品一覧には、
「大マニフィカト」と書かれているが、
これはフェルディナンドの報告によるものと言うことか。

「この作品は手頃な大きさのもので、
通作形式で書かれ、輝かしさと力は、
三部の構成と共に、同じ調性の、
ハイドンの大きな『テ・デウム』を想起させる。
これは1800年に、皇女マリア・テレサのために
書かれたものである。
オーケストラは、オーボエ、バスーン、トランペットを複数、
ティンパニと弦楽からなり、
ミサ曲とは異なり、ヴィオラ・パートもある。」

ミサ曲第4番が、ヴィオラなしの
オーケストラのために書かれていることを
補足する必要があろう。

また、オルガンを伴うことは記載されていない。

Track14.
「開始部は、アレグロ・モデラートで、
4小節の短い付点リズムの序奏があり、
溢れんばかりのオーケストラの装飾を伴う、
白熱した合唱を導く。」

じゃじゃじゃじゃーという、目くるめく、
交響曲的な序奏を、ここでは付点リズムと書いている。
そこからは、確かにあふれんばかりで、
ヴァイオリンは細かい音形を刻み、
ティンパニが鳴り響き、
チェロなどもざざざざと音を上げ、
ラッパは吹き鳴らされている。
木管群も色彩を放つ。

この雄大なメロディも、
シューベルトならではの精妙さを併せ持つ。

しかし、ラテン語のポリフォニックな歌唱による、
「いつの代の人もわたしを幸せな人と呼ぶ」
の部分などは、ほとんど歌詞が聞き取れない。

「この目もくらむような壮麗さは、
3/4拍子のヘ長調のアンダンテの、
控えめで親密な中間部とコントラストをなし、
『Deposuit potentes』
(神は権力をふるう者を、その座から下ろし)
という言葉から始まり、
4人の独唱者と、オーボエと弦楽という、
限定されたオーケストラが支える。
ソロのオーボエが美しいソプラノのメロディを予告する。」

弦楽とオーボエの序奏は、
情感に富むもので、
独唱が始まってからも、
オーケストラの抒情的な間奏曲は、
かなり魅力的なもので、
陶酔的なまでに心にしみる。

それにしても、シューベルトが採用した、
この分け方については、筆者は異論はないのだろうか。
つまり、壮麗な第1部で、
「わたしは神をあがめ」はふさわしかろうが、
「卑しいはしためを顧みられ」の部分こそ、
控えめな親密な言葉で聞きたかったのだが。

やはり、本来のマニフィカトとは違って、
シューベルトは、
「力の強いお方がわたしに大きなことをしてくださった」
とか、
「高ぶるものを追い散らし」
とか言った部分には作曲していないようだ。

「拡大された第3部は、頌栄部で、
3/4拍子の白熱したアレグロ・ヴィヴァーチェで、
独唱者と合唱が歌いかわす。
このあまり知られていない作品は、
(これは史上2回目の録音となる)
もっと頻繁に演奏されてもよい価値がある。」

たびたび触れている、サヴァリッシュの録音は、
1980年代のものと思われ、
1978年に録音されたこのコルボ盤の前に、
誰が録音していたのだろうか。

第3部は、オーケストラが主動的な役割で、
素晴らしいエネルギーを放ちながら進み、
ばーん、ばーんと花火をさく裂させながら、
アーメンの大合唱の晴朗なメロディを輝かせる。

わたしは、サヴァリッシュ盤、
そして前回聴いた、ディスカバーの盤の後、
このコルボ指揮の演奏を聴いて、
ようやく、この曲は、確かに傑作ではないか、
と思えてきた。

これまで、力任せとか、
無茶な圧縮と聞こえていた部分が、
この演奏だと、構成が分かりやすく、
それなりの広がり感を持って味わえた。

さて、この曲の他に、晩年の作品も入っている。

「シューベルトは、1824年の4月から、
ドイツ・ミサ曲D872を書く1827年の夏まで、
宗教曲の作曲をしていない。」

唐突な話で、さきほどの話、
宗教曲を連作した1816年から、
1824年までの事は書かれていない。

が、あんなにたくさん書いていたのが、
3年のブランクがあるのは不思議であるし、
ドイツ・ミサ曲というのも、
こう見ると、かなり晩年の作品だと思えてくる。

「しかし、シューベルトの最後の数か月は、
1828年の6月と7月に作曲された、
彼の最後の、そして最高のミサ曲
(第6番変ホ長調、D950)から幕開けする、
最後の収穫期であった。
確かに、スケールは小さいが、
もっと注目に値するほかの宗教曲を
かすませてしまっている。
そこには、ヘブライ語への付曲、
『詩篇92』(D953、7月)、
混成合唱と管楽オーケストラのための、
『精霊への賛歌』(D954、8月)、
同じ楽譜に書き込まれた、
最後の3つの作品、
初期、1816年のハ長調ミサへの、
新しいベネディクトゥス(D961)、
変ホの『タントゥム・エルゴ』(D962)、
『オッフェルトリウム』(D963)である。
これらは1828年の8月に、
恐らく、ヴィーン郊外の孤児院の
教師とオルガニストをしていた、
シューベルトの兄フェルディナントのために書かれ、
それから二、三週間、シューベルトはそこに滞在した。」

先に引用した音楽之友社の本(村田千尋著)には、
「9月1日、兄フェルディナントがウィーン郊外の
新しく拓けた住宅街にある『ツア・シュタット・ロンベルク館』
に引っ越すと・・・兄の家に居候することになった。」
と書かれているが、これは、最後の家になるそうなので、
その前にフェルディナントが住んでいた家のことであろうか。

Track13.
「変ロ長調の『オッフェルトリウム 私の王』は、
テノール独唱と合唱、大オーケストラ
(オーボエ、2つのクラリネット、
2つのバスーン、2つのホルン、
3つのトロンボーンと弦楽合奏)のためのもので、
現在まで長い忘却の中に取り残されているものの、
シューベルト最後の宗教曲で、
最後から二番目の完成作品である。
これは、詩篇5の
『私の祈りの声を聴いてください。
我が王、我が神、あなたに祈るがゆえに』
という、ラテン語2、3行に作曲されたもので、
2/2拍子、アレグロ・コン・モートの
合唱付きアリアに拡大されている。」

ということで、そこそこ編成も大規模、
演奏時間も11分近く、
「マニフィカト」より長い。
3曲が同じ楽譜に書かれていたとしたら、
広告の裏みたいなのを想像してはならない。

詩篇第5編は、エンデルレ書店から出ていた、
アブリ著の「聖書の讃美歌」によれば、
「教会の朝の祈である」とのことだが、
シューベルトが作曲したところだけでは、
どうも、それが分からない。

しかし、彼が作曲した部分の、次には、
「おんみは朝ごとに、わが声におん耳を傾けたもう」
という詩句が続く。

それから、詩はまだまだ続き、
自分が捧げものをして神を待つこと、
神が不義を嫌うこと、
たくらんだり、へつらったりする、
自分の敵をやっつけてくれることを願っている。

「おんみに拠り所を求るものは、
すべて常に喜ぶべし」と、
かなり自分勝手なことを、
言っているような感じがしないでもない。

確かに歌詞がこれだけだと、
10分以上、手をかえ品をかえ、
同じ事を言っているだけと言える。

「インテンデ・ヴォチ・オラティオニス・メアエ」
(助けを求めて叫ぶ声を聴いてください)
を、ひたすら言い続ける音楽だと考えればよい。

が、音楽の質を考えれば、
この曲には、もっと注目すべきであろう。

下記にあるように、
まず、オーボエ協奏曲の第2楽章のような、
比較的、長く、しかも情感に富んだ序奏が美しい。

「オーボエ独奏が目立つ、
幅広いオーケストラの序奏があり、
テノールの登場を待つ。
30小節ばかりの独唱のあと、
合唱が入ってきて、独唱者と歌いかわす。」

ここでのオーボエは、
ジャン・パウル・ゴイという人が吹いている。

テノールが、歌いだした後も、
オーボエやほかの楽器は、
玄妙な渦を巻いて取り囲み、
実に天上的とも言える。

合唱の登場も凝った感じで、
トロンボーンだかホルンだかが、
暗い影を投げかけると、
そこから湧き上がる感じである。

晴朗でのびやかに音楽は進んでいくが、
恐ろしい事に、例の影が差すと、
展開部的に緊張感を増して、
ポリフォニックに錯綜、
合唱は絶叫に近くなる。

その中から、独唱者が、
さっそうと光を受けて出てくる感じも良い。

歌詞は、前述のように、
詩篇の断片のようなものなので、
「わたしの王、わたしの神よ。
助けを求めて叫ぶ声を聴いてください。
あなたに向かって祈ります。」
というのがすべてである。

しかし、不思議な陰影を交錯させて、
オーケストラの音色も幽玄の極みを見せ、
無重力感に満ち、
天に昇っていくような音楽になっている。

「自由で、いくらか長くされた、
ソロと合唱のための再現部(要約部?)があり、
短い結尾部が、
この忘れがたい別れの美しさに満ちた作品を終わらせる。
これは、ブルックナーの先駆となる、
シューベルトの晩年の作品特有の、
時間と空間の幻視を加えている。
モーツァルトの最後の作品のように、
地上の苦しみを越えた、
究極の技法と晴朗さを語り、
最近発見された、同時期の作品、
永遠に完成することのない、
偉大なニ長調交響曲の、
よく書かれたスケッチが我々に示唆するような、
新しい章を開いている。」

確かに、この「オッフェルトリウム」、
最後の方は、完全に天上に行ってしまっており、
どんどん、音楽は大気圏を去って希薄になって、
不思議な天空の輝きを感じさせる。
何とも玄妙な音楽なのである。

これはまた、どえらい音楽が隠れていたものである。
「交響曲第10番」などとも言われる、
「ニ長調交響曲」を例に出すあたり、
わたしには、完全に納得してしまわずにいられなかった。

そういわれると、冒頭のオーボエの独奏からして、
あの交響曲の不思議なエンドレス感を醸し出している。

そもそも、この曲は、青春期に書かれた、
「スターバト・マーテル」の付録のように、
収められるべき音楽ではなく、
シューベルト、最晩年の音楽集、
みたいに、先の交響曲と一緒に、
アルバムを作るような類である。

このCDは、本来、「スターバト・マーテル」を聴くべきだが、
今回は、先の「マニフィカト」と、
この「オッフェルトリウム」を味わって、
かなりの充実感を味わったので、
「スターバト・マーテル」は次回に回したい。

得られた事:「シューベルトの最後から2番目の作品とされる、『オッフェルトリウム』D963は、彼の『第10交響曲』に連なる幽玄な無重力世界に我々を導く。」
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by franz310 | 2013-01-13 21:10 | シューベルト
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