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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その360

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その360_b0083728_2264970.jpg個人的経験:
2013年になった。
昨年の年末には、
様々な、ヴィヴァルディの
宗教曲を聴いたが、
年初は、再び原点に戻って、
シューベルトの音楽を聴く。

シューベルトには、
数多くの教会の
典礼用の音楽があり、
そうした音楽の
古典の傑作を知らないと、
この貴重な作品群の価値を、
量りかねるような気もしていた。


シューベルトの宗教曲は、
彼の大規模作品の中では、
比較的早い段階、
作曲家の生前から公開演奏され、
すぐれた内容のものも多いが、
日本人には敷居の高いものも多い。

古くはモンテヴェルディが名曲を書き、
ヴィヴァルディやバッハの作品でも有名な、
「マグニーフィカト(マニフィカト)」なども、
それが何だかよくわからないという意味で、
非常に縁遠いものだ。

モンテヴェルディの例からも明らかなように、
この曲は、聖母を礼賛するお務めの最後を飾る、
さく裂するようなマリア賛歌である。
したがって、それを聴いただけで、
遠慮しておく聴き手がいてもおかしくはない。

「マニフィカト」は、「ルカによる福音書」の第1章の
46節から55節にかけての詩句によるものとされ、
岩波文庫の塚本虎二訳の「福音書」でも、
これを読むことが出来る。

「イエス・キリストの福音の発端から、
それがローマにまで伸びていったことの顛末を」、
書いたもの、と書き出されているように、
「はしがき」とされる、この第1章には、
「洗礼者ヨハネの誕生のお告げ」から、
「イエスの誕生のお告げ」といった物語が続く。

ヨハネの母親がエリザベツで、
受胎告知を受けたマリアは、
いそいそと、同様に神の力で子を授かったとされる、
この親戚のエリザベツを訪問することになる。

エリザベツが、マリアの挨拶を聴いて祝福し、
「あなたは女の中で一番祝福された方」などと寿ぐと、
「マリアが神々を賛美して言った-」
として、「マニフィカト」の歌詞が始まる。

以下、今回取り上げる、
ディスカバー・レーベルのCDの
Track8.を同時に聞きながら、
聖書の一節を味わってみよう。

まず、このCD、「マニフィカト」については、
下記のような解説がある。

「ハ長調の『マニフィカト』D486は、
1815年の9月15日、
1日で作曲された。
これはシューベルトが書いた
唯一のマニフィカトである。
1815年はこの若い天才にとって、
とりわけ多産の年であった。
彼は140曲もの歌曲を、
この愛らしい『マニフィカト』を含む、
他の作品とともに一遍に書いた。
この曲は、ソプラノ、アルト、テノール、
そしてバスという4人の独唱者、
オーケストラとオルガンを利用して、
贅沢に彩られている。
(オルガン抜きのオーケストラ版もある。)
しかし、この曲はシューベルトの死から、
ずっと経った1888年まで出版されなかった。」

じゃんじゃじゃじゃーんという、
交響曲(特に1818年の第6、
D589の先取りに聞こえる)
のように壮大な序奏を持ち、
合唱が始まると、
確かにオルガンの音が聞こえている。

「わたしの心は主をあがめ、
わたしの霊は救い主なる神を喜びたたえる、」
という内容で始まるが、
それにふさわしい、爆発するような合唱である。

「マーニフィカート、マーニフィカート」と、
繰り返されて始まる、
オーケストラだけの部分も、
天駆けるように、エネルギッシュな運動を見せ、
まことに喜ばしく神を讃えている。

「この卑しい召使にまで目をかけてくださったからです」
と、歌われる部分は、
おそらく、マリアの心情を表した重要な部分だと思うが、
フーガ風に扱われている部分がそうなのだろうか。
このあたり、音楽が縦横に錯綜し、
まるで、歌詞が聞き取れない。

また、マリアの心情に沿った、
「力の強いお方がわたしに大きなことをしてくださった」
という部分に関しては、
明らかにシューベルトは作曲していないようだ。

この「マニフィカト」という種の楽曲(聖書の部分)は、
最初は自分(マリア)のことに対する感謝の言葉だが、
だんだん、神の一般的な偉大さに傾いて行き、
「権力者を位から引き下ろし。
低いものを高うし」とか、
「飢えた者を宝で満たし、
富める者を空手で追い返されましょう」
といった後半は、
マリアと関係あるようなないような内容。

シューベルトには、
そっちの方が興味あったと見え、
このあたりはしっかり作曲されている。

ここは、2分過ぎに現れる。
わざわざ曲調が変わり、
オーボエであろうか、ひなびた木管楽器に導かれ、
独唱者たちが歌いかわす部分となる。

主にソプラノがメロディを受け持ち、
他の独唱者はハモる感じである。

3分15秒くらいからは、
速度を落とし、優しい曲調になって、
美しいオーボエのソロが空気感を変えて行く。
独唱者たちのポリフォニックに、
最後の、
「永遠にその憐みを忘れず、
その僕イスラエルの民を助けてくださるでしょう」
といった聖書におけるマリアの賛美の歌の結尾部に続く。
最後も、ここは、美しいオーボエ・ソロである。

「ルカによる福音書」は、この後、
「マリアは三か月ほどエリザベツと一しょにいて、
家に帰った」とあるが、
当然、それは音楽化されてはいない。

音楽の方は、宗教音楽でお決まりの頌栄部に入って、
「父と子と聖霊に栄光がありますように」の、
「グローリア」の部分に入る。

これは、どんどんどんと勇ましい部分で、
CDでは、5分8秒くらいから始まる。
ヴァイオリン群もうねるように進み、
すごい迫力に高まって行く。

6分を過ぎると、「アーメ、アーメ、アーアアメン」
(と聞こえる)の大合唱となり、
明快なメロディ・ラインがこの時代の空気を感じさせる。

6分50秒あたりからは、
「グローリア」の部分がポリフォニックになって、
再開され、残り二分を、
もうぐじゃぐじゃな感じに盛り上げていく。
何を歌っているかよりも、
ヴァイオリンがうねり、ラッパが鳴り、
オルガンにティンパニがさく裂していることしか分からない。

オーケストラにも合唱にも全力投球が要求される
この曲は実演で聞いたら、
かなり聴きごたえがするのではないだろうか。

が、極彩色のパレットを使いながら、
シューベルトの気持ちは、
それを塗りたくり勝ちで、
ド派手な演出優先の音楽にも聞こえる。

聖母マリアの質素な心情からは、
かなりぶっ飛んだ音楽である。

が、ヴィヴァルディもバッハも、
そうした音楽で、「マニフィカト」を満たした。
まことに不思議なことである。

今回のプラハの団体を中心としたメンバーの録音は、
前に聞いたサヴァリッシュの全集より、
録音も新しいし、すっきりした演奏に聞こえる。

さて、いま一つ、聖母の賛美の歌として、
古くから知られるものには、
「サルヴェ・レジーナ」があって、
シューベルトは、この詩によって、
7曲もの音楽を残している。

D106(1814)
D223(1815/第2稿1823)
D379(ドイツ語)(1816)
D386(1816)
D676(1819)
D811(1824)

このCDには、うまい具合に、
サルヴェ・レジーナのD676と、
先に紹介した、マニフィカトD486という、
マリア賛歌が、
ミサ曲第1番に続けて入っている。

これらの曲は、
滅多に単独のCDでは見つからないので、
非常に貴重なものなのである。

特に、「ます」の五重奏曲が好きなら、
同時期に書かれた、
「サルヴェ・レジーナ」D676は、
気になるのではなかろうか。

このディスカバー(DISCOVER)という、
ベルギーのレーベル、
廉価ながら、ほかでは見つからないものを、
多く取り揃えて、実にありがたい。
何でも、NAXOSを参考に、
NAXOSで活躍していた指揮者のラハバリが、
創設したレーベルだという。

この96年の録音自体は、
ブリリアントの、ミサ曲全集に吸収されて、
再発売されてしまっているので、
この古雅な絵画をあしらった表紙デザインの商品は、
なかなか見つからないかもしれない。

この絵画は、中世風のもので、
右端の建物などに素朴な遠近法が見られるが、
その手前にいる、何やら聖人のような人を、
王冠を被った高貴な女性が訪ねて来ている。

この絵画についての説明がないのが残念だが、
アッシジの聖フランシスコであろうか。

廉価ゆえに、
ビッグネームの演奏家を期待するものではないが、
ヴィルトゥオージ・ディ・プラハ、
プラハ室内合唱団という、東欧の団体の演奏は悪くない。
シュトゥットガルトの聖歌隊出身の指揮者、
アンドレアス・ワイザーの指揮は手堅く、
録音もくせがない。

ソプラノのZDENA KLOUBOVA
(ズデーニャ・クロウボヴァ)という人は、
ミサ曲では、かなり無理をして歌っているようだが、
画像検索すると、ショートカットの魅力的な女性である。
チェコ出身で、プラハに学んで1986年に卒業したとある。

そもそも、素人の歌い手であった、
シューベルトの初恋の女性、
テレーゼ・グローブを想定して書かれた曲であるから、
それを思えば許せてしまったりする。

彼女の名誉のために書いておくと、
Track7.の「サルヴェ・レジーナ」D676などでは、
非常に澄んだ、透明度の高い歌唱を聞かせてくれている。
この曲は、前回、バンゼのソプラノで聞いたが、
バンゼのような物憂げな陰影勝負ではなく、
清楚真剣系の直線勝負である。
指揮についても同様のことが言える。

この曲はイ長調という調性からして、
「ます」の五重奏曲D667や、
ピアノ・ソナタD664と一緒で、
シュタイアを連想させる。

シューベルトによる、
この土地の自然描写からすると、
この清冽な歌唱は悪くない。
シューベルトは、なぜ、この曲を、
これらの名品と同じ時期に書いたのだろうか。

夏の夕暮れのように、
優しく忍び寄るような序奏で始まり、
「われらの命、喜び、希望」と、
聖母に歌いかけ、
そっと、雲がかかって暗くなったように、
「涙の谷にあなたを慕う」と続くが、
「旅路からあなたに叫ぶ」というのが、
いかにも、山間の地において、
旅路にあったシューベルトにふさわしい。
この部分は、短いメロディアスな序奏に導かれる。
また、「涙の谷」の部分には、
弦が黒々とざわめいて、
ぎくっと生々しい危機感がこみ上げるのを、
聞き逃してはならない。

また、「われらをとりなすかた」という、
呼びかけが切実な緊張感を生んでいるのも、
妙に考えさせられる。

「旅路の果てに、
とうとい、あなたの子イエズスを、
示してください」とあるから、
先の旅路は、シュタイアへの旅路ではなく、
人生の旅路と解釈すべきなのだろうが、
実際に旅路にあってこそ、
その実感も沸いたのかもしれない。

そして、以下の部分が、
こみあげるような感慨を伴奏に乗せ、
軽くマリイイアと、
装飾風に延ばされて歌われる。
「おお、いつくしみ、
恵みあふれる、
喜びのおとめマリア!」

再び、最初の「サルヴェ」の部分から繰り返され、
最後に、「アーメン」が歌われて終わる。

この演奏は、バンゼの盤では7分23秒で歌われたのに対し、
9分40秒もかけて、たっぷりと祈りに浸れる。
ちなみに、サヴァリッシュの宗教音楽全集では、
ヘレン・ドナートが表情たっぷりで、
格調高い歌唱を聞かせている。
これも9分を越える演奏。

バイエルン放送交響楽団の演奏であるためか、
この演奏はオーケストラも分厚い感じ。

この曲が、本当に、
ドイッチュ番号の示すような時期に
書かれているのだとしたら、
シュタイアで、美しい声を持っていた、
ヨゼフィーネ・コラーのために書かれた、
などと考えてしまうのだが、
藤本一子氏は、テレーゼのため、
と書いている。

しかも、最後は、「アーメン」ではなく、
「サールヴェ」(めでたし?)と歌っているように聞こえる。
聴きなおすと、バンゼもそうで、
今回のクロウボヴァのみが、
きれいに突き抜けるように、
「アーメン」と言っているのが分かる。

このCD解説には、この曲は、
下記のように書かれている。

「イ長調の『サルヴェ・レジーナ』D676は、
シューベルトが書いた、
7曲のサルヴェ・レジーナの最後から2番目の作品で、
1819年の11月に、
ソプラノと弦楽オーケストラのために書かれた。
全曲を通じて歌われるソプラノのラインは、
クライマックスでのみ前面に出る、
小さなオーケストラと共に、
特によく書きこまれている。」

ここらで、今回のCDの話題に戻ろう。

テノールはワルター・コッポラ、
メゾにマルタ・ベナコーヴァ、
バリトンにユーリ・クルーロフという陣容。
この人たちは、チェコを代表する、
そこそこのベテランのようだ。

録音年月日からして、
シューベルトの生誕200年を、
記念する事業であった可能性が高い。

解説は、ジョン・フィールドという人が書いている。
残念ながら、これらの作品の新情報を載せたものではなく。
シューベルトの一般的な解説が以下のように書かれている。

「フランツ・ペーター・シューベルトは、
14人兄弟の4番目の子供として、
1797年、ヴィーンに生まれたが、
未来の作曲家は、
そのうち成人した5人の一人であった。」

1ページあまりしかない解説ゆえ、
この段階で、各曲の細かい内容については、
あまり書かれていないことは予想でき、
ほぼあきらめなければならない。

私なら、こう書き出したいところだ。
「モンテヴェルディ以来、
カトリック圏における偉大な作曲家たちは、
巨大なマリア賛歌を書き上げることに、
重要な一里塚を見出していた。
シューベルトは、その最後の末裔であった。」

しかし、このCD解説の書き出しだと、
以下のように続くしかないだろう。

「シューベルトの父親はモラヴィア出身の学校長で、
母親は、シレジアの錠前工の娘であった。
したがって、ヴィーン生まれであったとはいえ、
シューベルトの音楽にはオーストリアの首都よりも、
両親のバックグラウンドに負うところが大きい。」

さすが、チェコのオーケストラや独唱者を
起用した録音の解説である。

「早熟な音楽の才能から、
高名な帝室礼拝堂の合唱団に入ることが出来、
彼はそこから帝室、王室の神学校、
コンヴィクトに進んだ。
これは、彼の一般的な教育がしっかりしていて、
しかも、最高の音楽教育を受けたことを意味した。」

このあたりのところは、読み直してよかった点だ。
シューベルトというと、風来坊の代表みたいな見方がされるが、
インテリ崩れという見方が正しいのであろう。

「十代の中ごろまでに、
主席ヴァイオリニストとしてだけでなく、
最初の作曲、歌曲などが書かれたと言われ、
才能が花咲いた。
彼は学校長の父のところに働きに出たが、
しかし、心定まらず、
生徒たちをしつけることも困難で、
彼が名教師になることはなかった。
1816年には、両親のもとを離れ、
友人の部屋に転がり込んだ。
生涯最後の12年は、彼は少ししか教えることをせず、
作曲三昧に暮らし、その日暮らしをした。
ある意味、彼は、屋根裏に住み、
食うことにも事欠きながら、
しかし、作曲することに飽き足りない
ロマン派の作曲家の原型となった。
これはロマン的な幻想であるが、
そこに事実もあった。」

ということで、先ほど、私が書いた、
風来坊みたいな表現が、
結局、この解説でも繰り返されている。

それが、この宗教曲と関係ない、
エピソードで終わるのは、かなり辛い。

「彼の才能を必要とするパトロンを見つけられず、
彼が自作だけのコンサートを開くのも、
死の年の1828年まで待たなければならなかった。
彼は31歳で、表向きは腸チフス、
おそらくは5年前に罹患した、
梅毒の第三期の始まりによる合併症で亡くなった。
シューベルトが、
自作の多くの演奏を聴くことなく亡くなったのは、
言い表せないほど悲しい事で、
クラシック音楽の中で、
最も愛されたメロディの世界を打ち立てたことを、
知らずに死んだ。
天才、しかし、31歳で亡くなった、
究極のロマンティックな英雄だろうか。
おそらくそうだ。
しかし、それは、決して、彼が求めた道ではなかった。」

いわく言い難い、自問自答調の解説である。
以下、ようやく、このCDの楽曲の解説となる。

「シューベルトの宗教曲は、
あまりにも長らく、評論家や批評家に顧みられずにいた。
宗教曲に、シューベルトは多くの
音楽的アイデアや、
他のドイツの作曲家に感じられるような、
重苦しい雰囲気や不安などから、
この上なく解放され、
清らかで、新鮮で、胸が張り裂けるような憧れから
生まれてきたようなものを盛り込んでいるので、
これは残念なことである。」

シューベルトの宗教曲にも、
重苦しいものはあると思っていたのだが、
「ミサ・ソレムニス」や
「ドイツ・レクイエム」などを想起すると、
確かに、それとは違う清澄さがあるだろう。

さて、残り半ページほどが、収録曲の解説だが、
たいした話は書かれていない。

「彼のミサ曲第1番ヘ長調は、
彼が17歳の時、
リヒテンタールの教区教会の100周年を祝って、
1814年の5月から7月に書かれた。
シューベルトは初演を指揮し、
若く素晴らしいリリック・ソプラノの、
テレーゼ・グローブが歌った。
シューベルトはグローブ嬢にぞっこんであり、
それはさらに続いた。
このミサ曲は、好評を持って迎えられ、
2週間後には、同じヴィーンの聖オーガスティン教会
(アウクスティン教会)で、再演され、これまた好評だった。」

何と、17歳の若者の作品が、
2週間のうちに、2回も演奏されているとは知らなかった。
しかも、アウクスティン教会といえば、
郊外のリヒテンタールとは違い、
首都のど真ん中である。
この教会で、シューベルトの追悼ミサが行われることになる。

いかにも、インテリ崩れの末路みたいな話で、
この事実だけでも、小説の題材になりそうだ。

「一度だけ、この作品の一部は改作に着手され、
それは完成されている。
翌年に作曲されて、独立してD185とされる、
『ドナ・ノーヴィス・パーチェム』である。
ミサ曲は全体として、先人作曲家の作品からの模倣であり、
ハイドンやモーツァルトの影響を聞き取ることが出来、
一方で、シューベルト独自の声も聴くことができる。」

このD185を含む版はサヴァリッシュの指揮で聞ける。

ということで、この40分近い大ミサ曲にしては、
いたって簡単な解説。

Track1.
合唱が主体で、慎ましく静かに歌いだされるキリエで、
処女作ながら非常に格調の高い音楽作りである。
始まって一分もしないうちに、
テレーゼが歌ったと言われるソプラノ・パートが浮かび上がる。
この部分は、後半にも出てくるが、非常に印象的な陰影である。
が、前にも書いたように、
一分半をすぎてからの独唱者が主になるところでは、
このソプラノは苦しそうに聞こえる。

Track2.
キリエとは対照的に、どかーんと歌いだされるグローリア。
12分を超す大曲で、「天の、いと高きところには神の栄光」
という部分の迫力に対し、

2分くらいから始まる「主の大いなる栄光ゆえに感謝し奉る」
の部分は、優しいソプラノが歌い始める独唱部で抒情的。
オーケストラも精妙な動きを見せて美しい。
「神なる主、天の王」と呼びかけるところは、
合唱に金管楽器が咆哮し、
「神の子羊」の部分では、独唱者のアンサンブルが透明感を出す。
伴奏のホルンや金管楽器も色とりどりの色彩を放つ。
本当に、こんな夢のような色彩の音楽を書いた前任者がいるのだろうか。

最後の「主のみ聖なり」の部分は、
清澄な合唱から派生してフーガ的な動きの中、
ヴァイオリン群もじゃかじゃかとかき鳴らされ、
音楽は力を増して盛り上がる。

Track3.
木管楽器が、敬虔な心情を吐露して美しく、
極めて深い信仰すら感じさせる合唱が歌いだされる
「クレド」(われは信す、唯一の神)。
もう、この曲あたりになると、
後年のミサ曲にも聞き取れる崇高な雰囲気も充満している。

2分半くらいからの「よろず世の先に」から、
「マリアより御からだをうけ」のあたり、
この信仰告白の物語部分は、
歌曲王にふさわしい技量で歌詞に鋭敏に反応し、
バリトンと合唱が交錯し複雑な動きを見せる。

Track4.
これまた、色彩豊かな冴えを見せる、
木管の序奏に導かれ、
打ち寄せる「サンクトゥス」。
後半、木管楽器が行進曲調の彩りを添える。
2分に満たない楽章。

Track5.
独唱者のアンサンブルが、
オーケストラの芳香に包まれて、
無重力に浮かぶ美しいベネディクトゥス。
ここでも、すっと浮かび上がるソプラノが美しい。
4分ほどの楽曲だが、
合唱で締めくくる前に、
美しいオーケストラのメロディがある。

Track6.
アニュス・デイ(神の子羊)は、
いかにも「われらをあわれみたまえ」にふさわしく、
ひれ伏すような音楽で、
バリトンに女声を中心とする合唱が重なって来る。
しかし、希望の光が満ちていくような表現となって、
音楽がひたひたと押し寄せて来る効果もある。
7分ほどの音楽だが、4分あたりで、
木管の助奏に合唱に陰りが出て、
さらに進むと、ソプラノが清澄な表現で音楽を明るくする。
再び、希望が満ちるような合唱が戻って来る。
オーケストラの色彩には素晴らしいものがあり、
木管も金管も、弦楽も神の祝福のように光を放って消えて行く。

得られた事:「シューベルトの『マニフィカト』は、マリアの身の上話は飛ばして、単に神の賛歌にしてしまった感がある。」
by franz310 | 2013-01-05 22:11 | シューベルト
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