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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その359

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その359_b0083728_22132011.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディ作曲の、
宗教曲のヒット作、
「マニフィカト」には、
いくつかの版があって、
RV610や、611などと
分類されている。
ヴィヴァルディは晩年に、
ピエタのスター歌手を想定し、
独唱の楽章を増やしたが、
このCDのものは違うものだ。


ネグリの指揮による、ヴィヴァルディの宗教曲。
今はなきフィリップスの、ヨーロッパの伝統を
そこここに感じさせる演奏、デザインや録音で、
私を魅了してやまない。
ここでは、その4巻を聴く。

アナログの頂点を極めたような、
70年代の録音も素晴らしい。

このレコードは、最初に出た時から、
「宗教作品にふさわしい格調と
端正さできかせてくれるのは、
やはり、ネグリの造形力の確かさの故」とか、
「明るさの方から奥にあるものを見通してゆく」
「ふっきりの良さと透明な感覚が
ヴィヴァルディの音楽の本質にみごとにマッチ」
などと評されていて評判の良かったものだが、
30年も前、学生だった私は、金銭の余裕もなく、
ヴィヴァルディは、協奏曲で十分だと思っていた。

が、最近、様々な新しい演奏を聴いても、
自分が育った時代への郷愁であろうか、
モダン楽器のイギリス室内管弦楽団を使い、
今では、すっかり大御所になってしまった、
フェリシティ・ロットやアン・マレイが、
独唱者として登場する、
この演奏には、妙に居心地の良さを感じる。

このシリーズは、合唱曲だけでもCD5枚になるが、
さすがに、イギリスつながりか、
ヴィヴァルディの権威、マイケル・タルボット(トールバット)が、
しっかりした解説を書いている。

様々な版がある「マニフィカト」、
解説には、次のように書かれている。
「ヴィヴァルディのト短調のマニフィカトRV610は、
おそらく、彼の生前、最も広く普及し、
演奏された宗教声楽曲である。
これを人は、多くの残された楽譜から知ることが出来、
少なくとも二度の機会に、
作曲家自身が改作していることも証拠となり、
事実、ヴェスペレ用に規定された聖歌として、
このテキストは、特に頻度高く演奏される。
ヴィヴァルディの作品の最初の版は、
おそらく、1713年から17年の間に作曲された。
これは、チェコスロヴァキア、オセクの、
シトー派修道院に伝わり、
プラハの国立図書館に保存されているものに相当する。
ここには、同市の聖ヴィトゥス聖堂という、
ほかの出所からの同じ版が保存されている。
ドレスデンの作曲家、ヤン・ディスマス・ゼレンカも、
同じ楽譜を持っていたことが知られており、
これは、1716年から17年に、
彼が、ヴェネチアを訪問した時に、
入手したものと思われる。
この版は、オーケストラに弦楽しかなく、
ピエタの作品の特徴として、
女性歌手用に、比較的高い低音(バス)を使っている。」

ということで、この作品は、最初の版から好評で、
遠くチェコまで伝わり、
演奏されていたことが書かれている。
が、さんざん期待を持たせながら、
この最初の人気作が、
今回聴く録音に使われたものではない。

「1720年代、この録音で採用した、
新しい版を作曲し、オーボエ一対を加え、
第8楽章の『とこしえの約束』を拡張して、
独立した部分とし、ある場所では、
バスを1オクターブ下げている。
現代の研究者は、彼がローマのパトロン、
ピエトロ・オットボーニ卿のために、
彼の宮殿に隣接する
ダマソの聖ロレンツォ教会で、
演奏するために書いた作品群の一つだという
仮説を提示している。」

ということで、今回、演奏されている、
「マニフィカト」RV610は、
ローマのためのもののようだ。

が、この版の楽譜の出所が書かれていないのは、
いささか片手落ちのように思える。

実は、このシリーズ4巻は、
「ローマのための宗教曲」というタイトルがついている。

このヴィヴァルディ宗教合唱曲シリーズの解説は、
全5巻とも、同じ文言から始まっていて、
「18世紀の終わりまで、
ほとんどすべての音楽は、
機会音楽であったが、
ヴィヴァルディの宗教曲も同様である」
という内容は、別にローマだけに、
フォーカスしたものではない。

ここでは、まず、ピエタの合唱長、
ガスパリーニが病欠した時に、
ヴィヴァルディにも、
宗教曲作曲の依頼が来るようになったと、
前にも読んだようなことが書かれている。

「ヴェネチアの4つの孤児院は、
そこに属する女性を集めて、
(男子は成人すると出て行く必要があり、
音楽教育は受けられなかった)
合唱団やオーケストラを組織した。
ミサ、晩課、終課などの礼拝用の、
標準の音楽が孤児院の礼拝所で、
質も高く演奏されたので、
地元の貴族や外交官、
全欧からヴェネチアを訪れる人が、
引きも切らずこれを聴きに出かけ、
手紙や回想で、たびたび、
ここでの音楽を生き生きと描写した。」

という感じで、ローマの話というより、
ヴィヴァルディの故郷のヴェネチアの話が続く。
しかし、以下に書かれている事は少し重要かもしれない。

「音楽に満ちた、こうした礼拝は、
たびたびおこなわれたので、
各孤児院のレパートリーに定着していった。
それでも、ピエタにとっても、
そこのシスターの団体にとっても、
定期的に、ミサの通常文
(キリエやグローリアやクレド)や、
晩課や終課で使われる詩篇、賛歌、聖歌に
新作の音楽を紹介することは重要であった。
イースターやクリスマス、
教会の年次の守護聖人の祝典など、
大きな教会のお祭りは、
この新作披露の機会であり、
ピエタにとっては、7月2日の、
聖処女の訪問がそれに相当した。
『サルヴェ・レジーナ』のような、
奉納の応答頌歌や、
『モテット』(儀礼の自由時間に挟まれる、
儀式とは関係のないテキストへの音楽)は、
もっと頻繁に供給され、
それらは、合唱団の少女や女性などから
選ばれたエリートのスター歌手たちによって歌われ、
ほとんど器楽の協奏曲のように、
表現力豊かで名技的な性格を帯びた。」

さて、こうしたピエタ用の宗教曲については、
1713年に合唱長のガスパリーニが去り、
1719年に後任のカルロ・ピエトロ・グルアが着任するまで、
他の人が書く必要があり、
1718年にマントヴァに去るまで、
ヴィヴァルディがもっぱらこれを引き受けたようである。

ということで、ここからが本題で、
ローマでのヴィヴァルディの活躍である。

「15から20曲と言うかなりの数のものが、
同様の手段によって、1720年代か、
1730年代のはじめのものだと特定できる。」

ここで書かれた「同様の手段」とは、
作曲のスタイルや手書きの譜面や紙などによって、
ということである。

「これらの多くは、すでにグルアや、
次にジョヴァンニ・ポルタなどが
合唱長を務めていたピエタのためのものではなく、
さらにそこから離れたものを考える必要がある。
この時期、ヴィヴァルディは確かに、
宗教合唱曲の依頼を受けている。
1727年、ルイ15世の双子の娘の誕生を祝って、
フランス大使に『テ・デウム』を書いており、
1733年には『ラウダーテ・ドミヌム』を、
サン・マルコのバジリカに、
サン・ピエトロ・オルセオロの聖遺物を移す際に
演奏するために提供している。」

そして、ヴィヴァルディは、
さらにピエタのための宗教曲を残した。
そのことが、軽く触れられている。

「のちのピエタの合唱長空位の際にも、
ヴィヴァルディは再度、
宗教声楽曲をピエタのために書いている。
1739年4月14日、
彼は6曲の詩篇、いくつかの応答頌歌、
6曲のモテットのために支払を得ている。
5月27日に再度、
5曲のモテットに代金をもらっている。
しかし、その音楽は少ししか残っておらず、
いくつかは完全な形では残っていない。」

という感じで、彼の宗教曲作曲の、
第一次ピエタ時代、ローマ時代、第二次ピエタ時代の、
三つの時期にわたって演奏され続けたのが、
「マニフィカト」だということになる。

先の「マニフィカト」解説には、
以下の部分が続き、RV611が、
新ピエタ版であると説いている。

「1739年、最終的にヴィヴァルディは、
三つの楽章を五つにして、
ピエタのために、新版を書いた。」

ということで、これまで聞いたCDの多くは、
この新ピエタ版(RV611)であったが、
このCDでは、それより古いバージョンが聴けるのである。

では聞いて行こう。

第4巻Track13.
「『マニフィカト』は、絶え間ない転調を伴い、
力強く始まるが、ヴィヴァルディは、
このパッセージを好んだようで、
『キリエ』RV587や、『クレド』RV591に、
これは再び使われている。」

非常に荘厳な音楽で、この主題が、
最後にも現れて、この大作を締めくくる。
この演奏では、合唱もたっぷりと芳醇である。

第4巻Track14.
「聖歌の第2節から第4節は、
一つのリトルネッロ形式の楽章に圧縮され、
3人の独唱者が交互に登場する。」

この部分も水もしたたる美演で、
マーガレット・マーシャル、リンダ・フィニー、
そして、アンソニー・ロルフ・ジョンソンらが、
合唱と絡んで、RV611とは異なる、
見事な立体感、色彩感を感じさせてくれる。

第4巻Track15.
「『代々の人々は』の言葉の合唱部は、
素晴らしく劇的に描かれる。」

この静謐で心を打つ楽章は、
オルガンの響きも神秘的で忘れがたい。

第4巻Track16.
「続く、『そのあわれみは』の楽章は、
この作品で最も表現力に富むもので、
六度、七度の広い音程を用いて、
激しさと共に、神の慈悲の無限を表している。」

分厚い合唱が、ぎざぎざした楽想を、
激しく表現する。

第4巻Track17.
「おごり高ぶるものを追い散らし」
も続けて演奏されるが、
極めて高い緊張感が維持されている。

第4巻Track18.
二人のソプラノが見事な声の交錯を聴かせる、
「飢えているものを良いもので飽かせ」は、
深い声を響かせているのが、
シューベルトの歌曲でも、
名演を残したフェリシティ・ロットだな、
などと考える楽しみがある。

第4巻Track19.
「主はあわれみをお忘れにならず」は、
さすがに歌詞に則り、荘重な合唱でいかめしい。

第4巻Track20.
「とこしえに憐れむ」は、
バスが登場し、ソプラノとコントラルトによる、
典雅なアンサンブルを聴かせる。
バスは、シューベルトも得意な、ロベルト・ホル。

これが、解説で書かれていた、
この版で改めて拡張された部分である。

第4巻Track21.
「『グローリア』の頌栄の回帰は、
短いが力強い締めくくりのフーガを導く。」

冒頭のテーマが厳かに出て、
ゆっくりと平明な合唱が地ならしをした後、
ものものしくも、憧れを秘めたフーガの部分で、
様々な声が交錯していく部分となる。

そのほか、この第四巻には、
3曲の宗教曲が収められている。

「ヴィヴァルディの大きいほうの
『主をほめたたえよ』RV597は、
(彼には単一楽章の変ロ長調のRV598がある)
同様に1720年代の
ローマ・グループに含まれるように思われる。
1739年に、ヴィヴァルディは、
短縮版(RV579a)をピエタのために作ったが、
これは残念ながら断片しか残っていない。
RV597は、『二つの聖歌隊のために』と、
それぞれ声楽と器楽群を持つ
二つのアンサンブルのために書かれている。
こうした分割アンサンブルは、
イタリアの教会が、祝典的行事で、
多くの音楽家を一か所に収容できず、
よく利用したものである。
こうした空間的な分離と、
パートの増殖による対位法の複雑化が、
いかに有効に活用されるかは、
作曲家や環境に依存する。
ヴィヴァルディは概して、
それほど挑戦的ではなく、
二つの聖歌隊は、しばしば統合され、
あるいは、『グローリア』の楽章のように、
単純に交錯する。
この付曲の興味深い点は、
オープニング楽章の一部が、
ヴィヴァルディ風に書けば、
アンティフォナ風に、
様々な個所で回帰する点である。
これは、モンテヴェルディが、
同じテキストで6声のために付曲した
1641年出版でも同様のリフレインがあり、
すでにあった伝統に則ったものと思われる。」

30分にもわたる大作である。
私には、少し長すぎるような気がするが、
いろんな箇所に面白い工夫がある。妙に描写的なのだ。

歌詞になった詩篇111(112)は、
しかし、それほど長大なものではなく、
歌詞も平明で、「主を讃えれば、いいこといっぱい」
という、品行方正の勧めで、ヴィヴァルディらしくない。

第4巻Track4.
明るく平明な弦楽の序奏が、
左右から2つのオーケストラで、
効果的に響き渡る中、神秘的な女声合唱が、
だんだん広がってくる。
「主をほめたたえよ」。

第4巻Track5.
男声合唱が目立つ力強い、がっしりとした音楽。
後半で、混成合唱が高らかに声を上げる。
「正しいもののやからは祝福を得る。」

第4巻Track6.
「繁栄と富はその家にあり」で、
めまぐるしいヘンテコなぐるぐる楽想。
これが、左右のオーケストラで奏でられ、
むずむずする感じ。
アン・マレイがマーシャルの声にからむ、
ソプラノ二重唱で、この木霊効果も面白い。
何と後半に、「主をほめたたえよ」の主題が、
合唱で輝かしく歌われる。

第4巻Track7.
静かにもぞもぞする序奏が、晴れやかになって、
いかにも歌詞を暗示する。
「光は正しいもののために暗黒の中にも現れる」
という精妙な男声合唱と女声合唱の交錯がなくとも、
みごとにこの部分を描いている素晴らしい器楽部である。

第4巻Track8.
ここでは、軽妙な忙しげなオルガンの音形に導かれ、
「正しい人」が神様に守られていることを、
ソプラノ独唱が寿ぐ。
この詩篇では、正しい人は、
「恵みを施し、貸すことをなし」
と描かれるから、せっせと人助けする感じの音楽にも聞こえる。
後半には、静かに「主をほめたたえよ」の合唱。

第4巻Track9.
ここでは、なんだか意味深な序奏が、
黙々とうごめく感じ。
コントラルト、テノール、バスの三重唱が、
「正しい人は永遠に覚えられ、
悪い訪れを恐れず」としみじみ歌うので、
「悪い訪れ」をでも表しているのだろうか。
この曲の後半も、「主をほめたたえよ」の大合唱。

第4巻Track10.
「彼の心は落ち着いて恐れることなく」という部分なので、
生き生きとした合唱が浮き立つような声を響かせる。

第4巻Track11.
「悪しき者はこれを見て怒り、
歯をかみならして溶け去る。
悪しき者の願いは滅びる。」
と、この詩篇の最後の部分。
確かに、軽妙ながら、悪しき者の歯ぎしりや、
いじいじ感が出ているような音楽。
テノール独唱に続き、例の大合唱。

第4巻Track12.
三位一体の賛美など頌栄の部分。
冒頭の音楽の回帰。グローリアからアーメンに向けて、
独唱や合唱がどんどん盛り上がって行く。

「ワルシャワ大学の図書館が持つ、
『クレド』ト長調の手稿はヴィヴァルディのものとされる。
ペーター・リオムによるヴィヴァルディの作品カタログでは、
RV592として、表向きには真筆として含まれている。
しかし、この分類は、技術的観点で、
単に、ほかの作曲家のものとする、
積極的な理由がないから、
疑いなしとされたもので、
そのスタイルからは、
RV592は、1730年から40年に花咲いた、
ナポリ派の作品に見える。
その『十字架にかけられ』は、
ペルゴレージの『スターバト・マーテル』を、
強く想起させる。
その作曲家が誰であれ、
非常に巧みに作曲されており、
テーマはうまく統一され、
『死』という言葉が、短調に移り変わるように、
表現上の繊細なタッチに満ちている。」

この作品は、このCDの最後に収められているが、
ソプラノとコントラルトと合唱、
オーケストラと通奏低音のための作品。
独唱者が出てくるのは3番目の部分のみ。
それが、上記のように特筆された、
「十字架にかけられ」である。

6つの部分に分かれ、10分余りの作品である。
明快なメロディに満ち、
大きな起伏を持った作品である。

第4巻Track22.
いささか強引ながら効果的な開始部。
オーケストラも合唱もすごい迫力で、
「ただ一つの神を信ずる」という信仰告白を開始。

Track23.
静謐な合唱による、
「精霊によってマリアの子となり」の部分。

Track24.
女声二重唱による、「苦しみを受け」の部分。
解説にもあったように、
序奏からして、そして二重唱も完全にペルゴレージである。

Track25.
以上の、静謐な部分から、爆発するような合唱が、
「3日後に蘇り、天に上り、父の右に座したまう」
という復活と昇天を力強く寿ぐ。

Track26.
再度、冒頭のテーマが復活して、
骨太感のある合唱が、最初の歌詞、
「信じます。唯一なる神を、全能の父を。」
を繰り返し、
Track27.
では、フーガ風の処理で、最後の、
「やがて来る世を待ち望みます」が、
高まってゆく。

「ヴィヴァルディが二つの聖歌隊のために書いた、
応唱『主よいそぎわれらを助けたまえ』RV593は、
『晩課』のお務めに含まれるもので、
彼の最も完璧に作り上げられた宗教声楽曲の一つである。
これは1720年代に、
おそらくローマのために書かれたものである。
その活気にあふれたオープニング楽章は、
『急ぐ』というイメージに対応して、
輝かしく伝える。
『グローリア・パトリ』では、
ソプラノ独唱が優雅に、
共に通奏低音がない、
二つのオーケストラの緊密に編まれた対話を、
縫うように進む。
終楽章は、印象的な序奏とフーガで、
持続的な八分音符の低音によって統一されている。」

この曲は解説が最後になったが、
ヴィヴァルディゆかりのピエタでは、
重要視されていた晩課のための音楽で、
CDでは冒頭に置かれている。

楽章が3つしかなく、10分に満たない作品だが、
この解説にあるように、
すぐれた聴きごたえある作品で、
心浮き立つ導入部から、輝かしく、
ダブル・オーケストラの効果も面白い。

というか、前の曲などより、
器楽の効果に手が込んだものを感じる。

詩篇69(70)によるとされるが、
これはとんでもない代物で、
詩篇からの歌詞は1行のみ。
あとは、決まり文句の三位一体の賛美と、
最初からあったものはこれからも続く、
という部分が、第2、第3楽章に割り振られている。

第4巻Track1.
「主よすみやかに私をお助けください。」
という、詩篇の1節、というか1行に従って、
ちゃかちゃかした感じの音楽が繰り広げられる。
エコーの効果が楽しい。

Track2.
解説にもあったように、
極めて緊張感漲るソプラノ独唱曲。
「三位一体」を寿いでいるが、
かなり、詩的でもあり美しい。

Track3.
宗教曲のお決まりの言葉の羅列であるが、
神妙な合唱は、その晴朗な雰囲気からして、
シューベルトの世界にまで直結しそうな清新さである。
後半のフーガもまた、明快で清潔な感じ。

このネグリのヴィヴァルディ、
前にも、全集第1巻で「グローリア」を聴いたが、
そこに入っていた「詩篇」による3曲を聴き飛ばしてしまった。

反省を兼ねて、せめてその一篇でも、ここで聞いておこう。

「同様に初期の作品の
『ラウダーテ・ドミヌム』RV606は、
一続きの一楽章構成といい、
独唱者なしのフル・コーラスの使用などで、
ヴィヴァルディの詩篇付曲の最高例の一つである。
主要な主題の中身は、
ユニゾンのヴァイオリンのラインにあって、
短い音形を、様々な和声、音色にして、
絶え間なく繰り返す。
この合唱は修辞的に歌われるのに対し、
メロディよりリズムや和声が強調される。
つかの間の変ロ短調へのスイッチや、
『misericordia(慈悲)』という言葉への、
長めの音価は、表現上の素晴らしい処理である。」

第1巻Track1.(単一楽章、約8分)。
詩篇147の途中からによる、
「ラウダ・エルサレム」で、
「エルサレムよ、主をほめたたえよ。
シオンよ、あなたの神をほめたたえよ」と、
合唱で歌いだされる。

冒頭からわくわくしてくる。
さすがシリーズの冒頭を飾るだけある、
晴朗かつ陰影に満ちた音楽だ。
きらきらと輝き、このCDシリーズの、
表紙の色調そのままである。

二人のソプラノ(マーシャルとマレイ)が、
左右から聞こえるが、
オーケストラも、聖歌隊も左右に分かれて2つ用意され、
オルガンの響きも冴え冴えと、
非常に面白いステレオ効果を味わうことが出来る。

タルボットの解説にはこうある。
「『ラウダ・エルサレム』RV609は、
このように後期の作品である。
(この前に、1739年4月14日に、
ヴィヴァルディは6つの詩篇、
いくつかの応答頌、6曲のモテットの代金を支払われた、
5月27日には、さらに5曲のモテット用に。
これらの作品の限られたものしか残っていない、
と書かれていた。)
これはダブル・コーラス、
ダブル・オーケストラのためのもので、
各合唱は独唱ソプラノのパートを有する。」

楽想もかっこよく、極めて聴きごたえのある作品だ。
充実した合唱が出たり引っ込んだりする効果、
冴え冴えとしたソプラノの浮かび上がる様子が、
超俗的な雰囲気を漲らせている。

「この曲の自筆譜で、
各独唱を想定した歌手二人の名前を、
ソロ・パートの頭に書きいれた。
これらのソプラノがユニゾンで歌うか、
各歌手が交互に歌うことを、
意味したのかは分からない。」
これは、ソプラノのソロ・パートが、
ここでは、各パート一人で対応。

「詩篇は、協奏曲を想起させる、
長い単一楽章で作曲される。
興味深いのは、独唱の声が、
ほとんど一緒には歌われないことで、
その関係は、デュエットというより、
オペラの『二人のアリア』を思わせる点である。」

まったく、同感で、あの「離宮のオットーネ」の、
神秘的な木霊のアリアを思い出す効果である。

「この作品の頌栄部後半で、
ヴィヴァルディは、フーガの様式を使い、
言葉の音節を明確に発音し、
素晴らしいエネルギーを添え、
素晴らしく趣きのあるクライマックスを築いた。」

得られた事:「ヴィヴァルディの『マニフィカト』RV610は、これを書き換えたRV611より、アンサンブル重視で色彩的、立体的。」
「『聖母の訪問の日』、7月2日が、ピエタの特別な祝祭日だったので、ヴィヴァルディは、『晩課』や『終課』の関係の宗教曲を多く残した。」
by franz310 | 2012-12-23 22:14 | 古典
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