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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その313

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その313_b0083728_21104821.jpg個人的経験:
ピアノ曲でしか、
ほとんど知られていない、
D.スカルラッティの
カンタータに対する関心を、
人気カウンターテナー、
ツェンチッチの録音が、
かき立ててくれた。
これらの作品が、
ヴィーンで見つかった事などもあり、
妙に気になる作品群である。


スカルラッティとの出会いが、
人生を変えたという、ツェンチッチの録音は、
2003年と2006年に出された2枚を聴いたが、
さすがに本場のイタリアでは、
20世紀最後の年に、これらの企画が遂行されていた。

これを聴くと、これが、これまた鮮烈な演奏で、
どうしても聞き込んでみたくなる代物だった。
あえて、ここで取り上げてみたくなった次第。

イタリアのディープなレーベル、タクトゥス製。
スカルラッティ、「カンタータ・ダ・カメラ第1巻」
というものなので、第2巻もあるのだろうが持っていない。
ネット検索すると、ブリリアントから、
再発売されているようなのでチェックするようにしよう。

このタクトゥス盤は、ティエポロのフレスコ画が表紙で、
マドリッドの宮殿に描かれた、
「スペイン君主制の寓意」の一部を使っている。
イタリアの芸術家が、スペインに行って行った仕事で、
確かにスカルラッティを想起させるが、
作曲家は、これを見ていないはずである。

それは、この作品が1760年代に行われているからで、
スカルラッティは1757年に亡くなっている。
とはいえ、ほぼ同時代の話ではある。

カルロス3世によって依頼されたもので、
スカルラッティが仕えたマリア・バルバラ妃の夫、
フェルナンド6世の死後、
異母弟ということで、1759年以降、王位にあった。

彼は、様々な外交政策も繰り広げた、
啓蒙専制君主だったらしく、
何となく内向き志向のスカルラッティとは、
少し、時代背景が異なる感じがしなくもない。

もしも、先代が、この壁画を依頼していたとしたら、
この豪華な位置にて君臨するのは、
スカルラッティの弟子であった、
マリア・バルバラ妃であったはずである。

が、彼女は、そんな事に興味があったとも思えない。

このCDは、
ラヴィニア・ベルトッティという人がソプラノを歌い、
アンサンブル・セイチェント・イタリアーノという団体が、
共演しているもので、
ダニエーレ・ボッカッチョという人が指揮をしている。

この前のツェンチッチ盤でも、指揮のオーセが、
木管の伴奏をつけて魅惑的な色彩に仕上げていたが、
(自身が受け持っていたりする。)
ここでも、ボッカッチョが、いろいろと、
器楽の取り扱いについて、
「ちょっとしたお断り」という、
短文のコメントを書いている。
(こちらの指揮者は、自身、チェンバロを弾いている。)

「この録音は器楽の選択に関しては、
寛容な措置をとっている。
17世紀の音楽とは違って、
それぞれのカンタータの、
『ソプラノ、二つのヴァイオリンと、
通奏低音のためのカンタータ』
というタイトルから、
この通りに演奏しなければならないが、
通奏低音というのがくせ者である。
ハープシコード、チェロ、
テオルボ(ハープシコードと一緒か別か)が、
正統的な編成である。
我々は、もっとまろやかな音を求めて、
ヴィオラ・ダ・ガンバは除いた。
しかし、『通奏低音』には、何か必要である。
ダブル・ベースでも良いかもしれない。
こうして、その特徴を生かすべく、
16フィートのヴィオローネを用いた。
さらに、イベリア起源の楽曲なので、
バロック・ギターかテオルボを代用し、
器楽の楽章や特徴的な部分には、
スペイン風を付加した。」

この編成については、演奏者の写真が、
ブックレットの中に出ているので参考になる。
右端の人が、確かに、
コントラバスの小型版みたいなのを持っている。
テオルボ、チェロ、ヴァイオリンが二つ。
手ぶらの二人がチェンバロと歌手であろうか。

この楽器編成のエキゾティックかつ多彩な魅力は、
最初のカンタータの「O qual meco, o Nice」の最初には、
3楽章の序曲のようなものが付いているが、
ここからも明らかである。

ただし、その後、レチタティーボが始まると、
少し、聞き慣れない感じになる。
これは、ツェンチッチのカウンターテナーで、
聞き慣れたことに起因するものかもしれないが、
ソプラノの声が細くて、頼りない感じなのである。
何と、こんな所に、カウンターテナーの有利さが出るのだなあ、
と妙に納得してしまった。

前のCDで、繰り返し述べられていたように、
カストラートのファリネッリを、
意識して書かれた作品であれば、
このようなひ弱な声量では、
そのイメージを想起することが難しい。

ジュノーやバルトリなら、もっと、
声量があるのかもしれないが。

このCDには、ツェンチッチが2002年の録音で歌っていた、
「わたしは言いたい」が入っているので、
うまい具合にこれらを聞き比べることも出来る。

とにかく、このCDも解説から、
示唆されることが多いので、
まず、それを読んでみたい。

解説の途中には、この録音が基本とした、
楽譜研究に関するディープな内容が出て来るので、
やっかいなのであるが。

「ナポリ時代からスペイン居住時代まで、
ドメニコ・スカルラッティは、生涯にわたって、
少なくとも60曲(偽作の疑いのあるものや、
彼のセレナータを除いて)の『カンタータ』を残し、
このジャンルを発展させた。
カタログに出ていない他のカンタータも、
系統的な調査によって現れるかもしれない。
当時、カンタータというジャンルは、
すでに衰退しつつあったので、
この多い数は、スカルラッティが、まず、何よりも、
カンタータが洗練されたジャンルとして、
大胆な実験の場として、
また、選りすぐられた聴衆を前提として、
高度な技法を鍛錬する素晴らしい書法の面からも、
最高潮に達したバロックの伝統に、
根ざしていたことを示すものである。」

ということで、カンタータというジャンルが、
改めて、私の視界に展開されることになった。

以下は、細かい手稿の分析の話が続く。
よく分からないので、読み飛ばしてよろしい。
「手稿は、1699年の『V'adoro, o luci belle』から、
1724年の『Ogri core innamorato』までの時期のものである。
さらにそれは二つの写本があって、
一つはロンドンの大英図書館、
もう一方は、
このCDに収めたカンタータを含む、
『オーストリア国立図書館』の音楽セクションにある。
それらは同じタイプの紙に、
同じ、一人の写譜師によって書かれており、
おそらくイベリアから伝わったものである。
これは、書いた人の特別な、
8分音符や16分音符のダッシュが左側にある
書き方によって確かめられる。
イタリア起源のものは、
これと違って、右側になっている。
この典型的特徴は、セレナータ『四季の論争』(ヴェニス)や、
テ・デウム(ポルトガルのギマランイス)、
大英図書館のハープシコード用ソナタ、
『4声のミサ』を含む、マドリッドの合唱曲集に見られる。
さらにカンタータの異なるセクションの境界を、
スペイン宮廷で書かれ、今はヴェニスやパルマにある、
ハープシコード・ソナタの手稿にも見られる、
指し示す小文字で示されている。
我々は、これらにスカルラッティの
18曲のカンタータを含む写本を加えるべきで、
しかも、これらの作品は、他には伝わっていない。
このことから、これらのコレクションは、
時に起こるような、
実用的な目的のために、
演奏者やコレクターが作ったものではなく、
作者自身によるものと考えるべきであろう。
さらにこのことは、
ヴィーン版のカンタータ『Scritte con falso inganno』の
第二アリアのAセクションに、
作曲家がダメだししていることからも裏付けられる。
一方、我々は一二のコレクションの出版用として、
ヴィーン版を無視することは出来ない。
他の手がかりは、写譜屋が今はなき、
スカルラッティの直筆を直接見たのではないかと推論できる。
スカルラッティの写譜屋の系統的研究は、
現在に至るまで、なされておらず、
結局、コレクションの日付は、
唯一、テキスト作者を特定できる
ピエトロ・メタスタージオのカンタータ、
『Pur nel sonno almen talora』
(眠りの中で愛する人が)が、
ヴィーン版写本に含まれていることを、
頼りにするしかない。」

このアルバムには、この作品は含まれていないが、
2002年録音のツェンチッチのCDには入っていた。

ツェンチッチのCD解説では、
多くの作品がメタスタージオの筆になるもので、
それゆえに、ヴィーンにあったものと考察してあったが、
このタクトゥスの解説が本当なのかもしれない。

が、ここでも、同様の見解が書かれている。

「ポルポラは、1735年ロンドンで出版された、
カンタータ集12巻にこれを含んでいるので、
メタスタージオはヴィーンに移った後、
友人のニコラ・ポルポラのために、新版を書いた、
という事が考えられる。
この日付は、二つの写本の日付用基準にでき、
音楽のスタイル分析によって仮説を確認可能である。」

ということで、メスタージオがポルポラに送ったものと、
スカルラッティの関係はよく分からない。

以下、「多くの特徴によって、これらのカンタータは、
高度に発展した前古典的スタイルに位置づけられる」
と書かれた点は納得だが、
技法的な話は、理解不能なので、
これまた、読み飛ばして戴きたい。

「例えば、高度に展開されたアリアのリフレインや区分、
短調に対する長調の支配、
極めて緩やかな和声の歩調、
ロンバート・リズム、全編にわたる、
スライド、クールといった装飾音の偏愛など。
器楽のパートは非常に洗練されており、
無尽蔵に変容し、
室内楽のスタイルをモデルとしている。
低音部も後期バロックの対位法的テクスチャではなく、
純粋に和声的な低音で、
声楽と二つのヴァイオリンがそれに代わって、
典型的な対位法を見せ、メロディックというより、
モティーフ的な構成を示す。
こうした技法が変則な和声進行による、
反復や動機の変奏など
独特の音響を作り出している。
密度の高く重い構成によって、
ギャラントスタイル前期のまねごとにはなっていない。
声楽パートも高度に変化し、
近代的な声楽の流派の流れにあって、
前古典派の新しいスタイルとなっている。」

このCD解説でも、ファリネッリとの関係は気にしており、
以下のような間接的な表現としている。
「これらの作品は、
歌手にとって非常な困難な場面を提供するが、
全体的に、ファリネッリを想定したのではないか、
と推測されているほどには技巧的ではない。
(彼は同様にスペインの宮廷にいたことで有名。)
18世紀のオペラによくあるような、
パッセージ・ワークもなく、
その技巧はアクロバティックなものではない。」

前回のファリネッリの推論は、
メタスタージオとファリネッリの仲が良く、
メタスタージオの詩にスカルラッティが曲を付けているから、
ファリネッリが歌ったに違いない、というものであった。

以下、これらの作品の巧妙な作りについて詳説している。

「しかし、イントネーションや、
アーティキュレーション、表現力豊かなニュアンス、
巧妙な装飾方法に繊細さを求めるものだ。
それらは直接、ソナタのスタイルにつながるもので、
特に効果的な不協和音の利用、
気まぐれで予測不能の各パートの進行や、
和声進行がある。
こうした類似性にも関わらず、
このジャンルには特別な異常な感受性が認められ、
言い方を変えると、スカルラッティは、
時にヴィヴァルディがやったように、
彼の器楽曲の多感的な様式を、
平凡に適用するのではなかった。
反対に、彼は、その器楽曲の特別なスタイルを、
表現力のパレットを多彩にするために使ったにすぎず、
最も洗練されたレトリック研究のための
訓練の場としていたこのジャンルにおいて、
自身の技法をさらに磨き上げた。」

このような解説を読み進めつつも、
傍らで、このCDが鳴り響いているが、
まさしく、これらの言葉通りの、
多彩さ、洗練を感じずにはいられない。

まさしく至福のひとときである。
豊饒なる色彩感と、推進力。
ゆるやかな流れもあって、
そこでは、楽器一つ一つの音色が嬉しい。

最初は気になっていた歌手の声のか弱さも、
微妙なニュアンスを含みながらの表現に聞こえて来た。

ただし、私は、ヴィヴァルディが、
毎度ながら、無神経に器楽の技法で、
声楽を制圧したような書きぶりには不満を感じる。

「テクストの扱いにおいてもスカルラッティは、
新しい地平を拓く特別な職人芸を見せ、
言葉の構成を分解したり、再構成したりしている。
テーマやモティーフの広い範囲に触れながら、
こうして彼は素晴らしく魅惑的で、
無限の意味を喚起させる音楽世界を作り上げた。
三つの破格の『愛の手紙』
(Piangate occhi dolentiや、Tinte a note di sangueと、
Scritte con falso inganno)
では、これらのコレクションの真珠である。」

などと、書かれながら、これらの曲は、
このCDには入っていない。
むしろ、ツェンチッチの最初のアルバムに、
三つのうちの後の二つは入っている。

「これらは、別れた二人の恋人たちの往復書簡で、
互いに関係が終わった事を訴えている。
これらの3曲をもってしても、
ドメニコ・スカルラッティの声楽作曲家としての、
素晴らしい側面を見ることができる。」

これについては、先刻承知であるのであるが、
さらに、カンタータの位置づけが書かれる。

「この作曲家がカンタータを、
(多くの理由から宗教曲と共に)
カンタータを、バロック音楽の
最も磨き上げられ洗練されたジャンルと
考えていて、それゆえ、
彼自身の詩想を盛り込む
理想の分野と考えていたとしても、
驚くにはあたらない。
ハープシコード・ソナタにて遂行した
その研究成果や実験を同時に見定めながら、
劇場の制約もない中で、彼自身の非凡な教養や、
異常に個性的な音楽の感受性を、
刻印することが出来た。
後期バロックのカンタータと、
スカルラッティのソナタの精神を、
そこには、かすかな、しかし重要な、
繋がりがある。
それぞれのソナタは、
小さいが素晴らしいミクロコスモスを形成しており、
エキセントリックな矛盾に満ちた解決法で、
特別な音楽、演奏の問題を受け入れられる
選ばれた聴衆だけが十全に聞き取れる
機知に富む独特の空想を、
彼はそこに見せている。
『芸術の独創的な機知』と呼ばれるものを、
人はスカルラッティに見るが、
それは、むしろ、
最も精錬された対位法の教理、
和声、形式への深い理解に基づくもので、
後期バロックの伝統の、特にカンタータという、
高度で上品なジャンルを見つめ直すことの出来る者だけが、
送り出すことを可能にしたものであった。」

ということで、スカルラッティのソナタと、
カンタータは同じように聴かないといけない。

「そこここに、理想劇場にて演じられる、
スカルラッティの幻想世界の登場人物や出来事が、
予期も出来ない動きを見せる。
近年になって、言われることだが、
スカルラッティのカンタータと、
ハープシコード音楽の間には深い調和がある。
同様に、アレサンドロの詩的感覚と、
その最も独創的であった息子の心理学にも、
ある種の調和がある。
マリア・バルバラと、
後にスペインの女王となる
アストゥリアスの王女を中心とした
ファリネッリも参加した
選りすぐりの『通』のサークルは、
その秘密の儀式において、
ドメニコのソナタに同じように聴き入り、
熱狂していたものと、私は信じている。
それらは、同じ人の二つの側面であった。」

アストゥーリアス王女とは、
マリア・バルバラの事であろうか。

マリア・バルバラ用のソナタと、
ファリネッリもいたサークル用のカンタータが、
二つの側面だと言いたいのだろうが、
アストゥーリアスという言葉が出て来て混乱してしまった。

Francesco Degradaという人が書いたものだが、
ペルゴレージの権威だったようで、
2005年に訃報が出ていた。
1940年生まれとあるから、
65歳という年齢での死去である。

しかし、改めて、マリア・バルバラや、
その夫、そして、スカルラッティの没年を見ると、
妙に味わい深い。

ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)
マリア・バルバラ(1711-1758)
フェルナンド6世(1713-1759)

このCDの表紙の絵画のティエポロを雇ったのは、
この次の君主なのである。

さて、CDの内容であるが、
歌詞はイタリア語しかないので、
よく分からない。

Track1~7は、カンタータ
「O qual meco, o Nice」で、
Track1~3はその序曲みたいな器楽曲である。
Track1.アレグリッシーモとあり、
これは非常に活発にパンチも効いたもので、
いきなり、この世界に連れられて行ってしまう。
ギターだかテオルボだかがかき鳴らされ、
ヴィオローネの深い音色も印象的である。

Track2.アンダンテ・カンタービレで、
ヴァイオリンの交錯が美しい静かな、
いや、静謐な楽章。
1分ほどで終わるが、さすがイタリアレーベル、
裏表紙には2分28秒と書いてある。

Track3.もっと短く1分に満たないが、
わあっと盛り上がって期待を高めるアレグロ。
これも裏表紙には2分55秒と大嘘の表記。

Track4.レチタティーボ、
悩ましげな歌が始まるが、
これは、何かを訴えかけている様子。
じゃんじゃんと、チェンバロが合いの手を入れる。
これも49秒しかないのに、
表記は1分水増ししてある。

Track5.歌を待つ器楽の前奏部の綾をなす色彩、
忍び寄る不安のイメージに妙に心が打たれるアリア。
もやもやしたものがまとわりついて来る感じが、
実によく出ているではないか。
声も、何と不思議な陰影を施して歌われていることか。
「Perche non dirmi almeno」とあるが、
「あなたの美しい胸に不快な気持ちを与えたでしょうか」
などと歌われているようである。
これは、背面の表記では、
1分44秒で歌われることになっているが、
楽器の戯れに誘われるままに7分余りが、
あっと言う間に終わってしまう。

Track6.レチタティーボで、
どんちゃら、ぽろろの、すごい低音が印象的。
「Di, rispondi spietata(容赦なく答えます)」。

Track7.はいくぶん、明るくなったアリアで、
「Dire non voglio tanto」とある。
スペインの香りたっぷりで、じゃんじゃかじゃんじゃか、
心が踊るようなリズムが最高である。
透明感あふれる楽器編成で、
変幻自在に出たり入ったりでめまぐるしい。
ソプラノのコロラトゥーラも嫌味がなく、
洗練を感じさせる。

Track8~10は、
アリア、レチタティーボ、アリアの形式のカンタータ
Track8.は、「Se fedele tu m'adori」。
誠実であるならば、という内容のようだが、
簡潔でかちっとした感じの歌曲。
清潔感あふれる歌唱に、
ヴァイオリンの爽やかな風が吹き抜ける。
低音弦のブーンと響く感じ、
チェンバロがきらきらきらと輝く部分もしびれる。
このトラックも2分51秒とあるが、
実際は、7分9秒もある。

Track9.は、「Tirsi, poiche ti sai」。
ここでも、チェンバロのきらきら前奏が美しい。
ティルシというのは人の名前だろうか。

Track10.「Non e contenta l'Ape ingegnosa」。
これまたビートの聴いた民俗調のリズム。
快活に流れるような声と、
この縦方向に刻まれるリズムの対比が面白い。
途中、悩ましい表情に変化するところも美しい。

Track11~13もまた、3楽章のカンタータ。
これは、ツェンチッチ(前は、私はチェンチッチと表記していたが)
の演奏のCDでも聴いた、「Dir vorrei」。

彼の演奏では、前述のように、指揮者が木管楽器奏者なので、
ここでも、フルートによって、ヴァイオリンが代替されている。
そのまろやかな音色は、いかにも牧歌的な感じが出ていたが、
タクトゥス盤では、より繊細な線の綾が強調された感じ。
ソプラノの歌唱も、しなだれかかるような風情。
「あなたに言いたいわ。赤くなってしまう。
私のこと知りたいの」という内容にぴったりである。

Track12は、「ああ、愛らしいニンフよ。
いつでも、僕は君を遠くに感じてしまう」という、
男の方の気持ち。
成る程、解説には、
「往復書簡」などと書かれていたが、
恋人たちの両方の気持ちをぶつける形式だったのか。
今頃、気がついた。

Track13.「暗い地獄のように、私の心の真ん中に」と、
ものすごい情念を込めた歌で、
このエキゾティックなリズムが、
そのほの暗さをかき立てていく。
このあたりは、ギターなどのじゃんじゃかが生かされている。
スカルラッティのソナタと同じルーツを感じるこの曲などは、
二つの演奏で聴いたせいか、妙に耳に残る音楽だ。

ツェンチッチは、ずっとテンポが速く、
楽器編成も薄い感じで、ストレートすぎる感じ。
この楽章は、ボッカッチョ指揮のものの方が、
雰囲気を高めるコブシも効いていいかも。

Track14~17は、レチタティーボとアリアが繰り返す、
「Che vidi oh' Ciel, che vidi?」。
Track14は、レチタティーボ。
これは、じゃーんと始まる、
何だか本格的な序奏が付いている。
ここでの器楽伴奏は、かなり凝ったものがあって、
何か、不安をかき立てるような趣きで、
しきりに何かを訴えようとしている。
確かに、スカルラッティの心理描写はすごいようだ。

Track15.のアリアは、
「Ben crudele e chi la mira」で、
残酷です、でも泣きません、みたいな歌詞の模様。
とても晴朗な感じのもので、
ヴィーン古典派の息吹がすぐそこに感じられる。
深々とした低音の暖かみにも癒される。

5分50秒の歌だが、裏表紙には1分39秒とある。
いったい、このCDの時間表記はどうなっているのか?

Track16.かなり長いレチタティーボで、
2分近くある。
「Priva del caro bene」。
歌詞対訳がないのが恨めしい。
電子翻訳しても、何のことやらさっぱり分からない。

Track17.アリア
「Se Nube oscure ricopre il giorno」で、
これも清新な息吹が感じられる、
素晴らしい音楽で、途中、
コロラトゥーラの見せ場を作りながら、
推進力を持って進んで行く。
共に歩む、ヴァイオリンの、
澄みきった音色にも心奪われる。

この曲も3分48分の表記があるが、
実際には、倍近くの7分の大曲である。

以上見てきたように、これらの作品の、
多彩な魅力、音色の繊細さや華麗さはどうだろう。

それでいて透明感を失わず、
時に、エキゾチックな怪しさも高まる場面もあり、
実に、痛快、爽やか、エネルギッシュな1枚であった。

得られた事:「カンタータは、バロック音楽における最も洗練されたジャンルの一つで、D・スカルラッティは、そこで高度な実験的書法を試みている。」
by franz310 | 2012-01-29 21:15 | 古典
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