excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その287

b0083728_23293374.jpg個人的経験:
マドリッド王立劇場で、
2007年4月に
上演された
ロッシーニのオペラ、
「試金石」の記録。
今回は第2幕を
視聴してみよう。
指揮のゼッダも、
演出のピッツィも、
入魂の作品と知った。


特にピッツィのこだわりというか、
これに対する思い入れはものすごく、
舞台となるアシュドルバーレ伯爵の邸宅は、
懐かしい別荘を再現したものだという。

ここにブックレット掲載の写真を拝借したが、
テーブル、パラソル、椅子なども、
「Castel Gandolfo」にあるピッツィの家に、
見られるようなものを配しているらしい。

ピッツィが愛してやまないように見える、
このカストロ・ガンドルフォという土地を、
ネットで検索すると、
教皇の夏の離宮がある場所、
イタリアで最も美しい街とある。

アルバーノ湖を見下ろす、
美しい風景の画像も出て来る。

このような土地であるならば、
南国の太陽はまぶしいだろう。
恐らくは青空の広がる夏の午後などには、
どうしようもない気怠さの中に、
意味のない快楽を求めたくもなるだろう。

このDVDに見られる舞台においても、
登場人物たちは、プールに浸かってみたり、
美味そうなオレンジジュースを飲んだり、
暇つぶしにしか見えない遊びをしたりしている。

何よりも醜悪なのは、
女たちの上げる嬌声である。
何が、そんなに楽しいのか、
実のところさっぱり共感できない。
が、それは、そのまま、我々の人生の、
実態のような感じがしないでもない。

このDVDは二枚組で、
一枚目には、第1幕の他、
各場面の画像と共に、
劇の進行がテンポ良く解説され、
これを見れば、ほんの5分で、
このオペラの内容が分かる仕掛けになっている。

とはいえ、このオペラの魂とも言うべき、
パキュービオやマクロビオの脱線アリアについては、
何も語られていない。
まあ、当然か。

さらに、演出家のピッツィの、
このオペラに対する思い、
指揮者ゼッダの思いもインタビュー画像として、
この一枚目のDVDに収められている。

ピッツィに関しては、前回紹介して感銘を受けたが、
ゼッダの方はどうであろうか。
彼はピットに入っていると、
照明の加減か、白髪の東洋人にも見える風貌だが、
YAMAHAのピアノの前でインタビューを受ける様子では、
やや西洋人である。
芸術家というよりも、通勤電車で出会いそうな感じ。

彼は、この作品こそが、
ロッシーニが書いた最初の本格的なオペラであるとし、
自身の語法や美学を駆使した独創的なものとして紹介している。

リアルな物語に抽象的な言葉を散りばめ、
不思議な効果を出し、喜劇とドラマを奇跡的に結合させた。

みんな、この作品を喜劇だと言うが、
これは基本的にシリアスな問題作だと言うのである。
そこで描かれるのは、無為の世界、時間つぶしばかりの、
非常に近代的な世界で豊かな世界だという。

このあたりの考え方が、ぴったりピッツィに一致したのであろう。
このインタビューで参考として紹介される舞台シーンは、
いずれも、その言葉にぴったりな雰囲気である。
身振りも激しく、だみ声でまくしたて、
言いたい事がいくらでもあるという風情。

R・シュトラウスが言ったような、
何も起こらない問題の作品だと力説している。
二つのへんてこなシーンがあり、
ロッシーニは、それをまったくもっともらしくは描いていないという。

彼はこれを、幻想や狂気の世界の勝利だと言う。
善からも悪からもロッシーニは中立で、
それが社会諷刺や重要な真実味になっている。

これは、後期の「ランスへの旅」に似ている、
と力説しているが、このあたりは、
このDVDのブックレットに書かれた文章と同じである。

20歳で書かれたオペラの、
何という幸福、自然さ、創造力、活気、新鮮さ、青春性、
と、列挙しているが、
音声を聴くと、「デデデ、デデデ」と、
何やら興奮しまくったコメント。
そこまで興奮させていいの、
という感じだが、私にも、この気持ちは分からなくもない。

インタビューでは、第2幕からの映像引用が目立った。
非常に華やかな世界である。
最後がどんなにニヤリとさせるかを、
ここで紹介されてしまうのがちょっと残念だったが。

では、DVD2を見て聴いてみよう。
こちらの方が収録時間が短いのだが、
こっちは、特別映像は付いていない。

ここから第2幕であるが、
演奏はかなり乗って来ている感じ。

Track1.ゼッダが指揮をする前から、
舞台上から笑い声が響いて来る。
男声合唱がゲストたちを表すのだが、
男ばかりでは具合が悪いので、
彼等に対して向き合う形に、
つまり、後ろ向きのモデル風の女性たちが配され、
腰をくねらせている。

ドンナ・フルヴィアとアスパージアの声が、
明るく響き、伯爵への復讐を口にする。
マクロビオとパキュービオは、
伯爵にまとい付いて、言い訳をしている。
アスパージアなどは、マクロビオに、
謝らないで、仕返しをしろなどとけしかけている。
マクロビオは、アスパージアの、
中国風の服を褒め、
新聞で取り上げるなどと言って、
ご機嫌を取ろうとしている。
確かに、丹前のようなものを着ている。

ジョコンドもドンナ・フルヴィアに、
謝ったのは見せかけで、決闘する、
などと言って強がっている。

そんな不穏な雰囲気を察したのか、
伯爵は、近くの森に、狩りに行こうとみんなを誘う。
アスパージアは、さらにマクロビオをけしかけている。
狩りの後でね、とマクロビオ。

Track2.
サファリのような出で立ちで、
ライフルを持ったゲストたちが合唱する。
ここでもモデル風の女性たちは、
短パンで長い足を誇示している。

Track3.
すると、急に空が暗くなり、
激烈な嵐の音楽が始まる。
照明は稲妻を模してぴかぴかしている。

みんなからはぐれ、
ライフルもなくしたパキュービオが大騒ぎする。
この部分などは、よく考えると、メロドラマの手法であろうか。

嵐が去ると、のどかな爽やかな音楽が始まる。
このあたり、指揮者ゼッダが好きな部分であるからか、
たっぷりと愛情を込めたオーケストラが聴かれる。

薄明の中で、伯爵への友情と、
クラリーチェへの愛の板挟みになった、
ジョコンドのアリアが歌われる。
非常にナイーブなもので、
何だか、シューベルトの「フィエラブラス」の、
1シーンでも見ているかのような錯覚に襲われる。
第1幕には、アカペラの部分があったが、
メロドラマの活用といい、
どうも、10年後のシューベルトのオペラなども、
意外に、ここから近いのではないか、
などという感想を持ってしまった。

「ああ愛よ、それに値するなら、
哀れんで欲しい、率直で昔からの忠誠を。
その美しさを忘れることが出来ない」などと、
他愛ないことを歌っているのだが、
ピッチカートに木管のアンサンブルが、
ロマンティックな情感を盛り上げて行く。

次第に、ロッシーニ一流のテンポの魔術で、
軽快になり、べったりとせず、
むしろ爽やかな詩情で彩られていく点が素晴らしい。

ここでの拍手はかなり心がこもっている。

Track4.クラリーチェが現れ、
南部鉄瓶みたいなもので、お茶を入れながら、
ジョコンドを慰める歌を歌う。
テーブルを囲んでの親密なデュエットである。

二階のバルコニーでは、
マクロビオがこれに気づき、
伯爵も、女はやはり女だな、と語り、
アスパージアも、マクロビオも、
怪しんで盗み聞きする感じである。

それに気づかず、ジョコンドは、
愛の言葉を続けているから、
非常に微妙な状況の五重唱となる。

どうも、この演奏には伸びやかさが欠ける、
などと思ったこともあったが、
このあたり、絶妙のアンサンブルである。

そこに、伯爵が直談判するかたちで、
大股で現れ、あいまいな事ばかり言う女よ、
ずるくて狡猾だ、などと言って、
状況が緊迫すると、
狩りに出ていた人たちが戻って来る。

マクロビオは、これは新聞ネタだと呟き、
クラリーチェも、「何という侮辱」とお怒りである。
が、早口言葉による強烈なカリカチュア化で、
困惑する人たちと、人の不幸を見て喜ぶ人たちの五重唱と、
合唱が一体になって、
シリアスなシーンを明るく締めくくる。

ジョコンドはクラリーチェの無実を、
伯爵に訴えるが、
そこにクラリーチェの謀略が始まる。
彼等に手紙を見せ、
兄が帰って来て、彼女を連れて行くというのである。

Track5.ここでの演出は、
ドンナ・フルヴィアが油絵を描き始めるというもの。
パレットを手に持ち、カンバスに向かっている。
モデルはパキュービオである。

しかし、ここでフルヴィアが歌っているのは、
復讐の歌であって、明るく歌っている内容は、
「彼がみんなの前で私を傷つけたのだから、
みんなの前で彼を罰しないとね」と穏便ではない。

この後、マクロビオが、何故、決闘をしなければならないか、
と大騒ぎする中、ジョコンドは、ピストルを渡し、
「私がするように、君の番が来たら、私の方を撃ちたまえ」という。
マクロビオは、「いつも君の事は新聞で良く書いている」と答えても、
「それだけで十分な理由だ。すぐに君を殺す」と興奮している。
伯爵も、「君に勇気がなくても、俺はやるぞ」と剣を振りかざす。
そのうち、どっちがマクロビオをやるかで、
ジョコンドと伯爵が決闘を始める。

Track6.これは強烈な三重唱である。
まずは、君たちがやれ、とマクロビオが歌い出す。
ジョコンドは、私がやる時は、彼の下卑た心を切り裂く、と言うと、
伯爵は、私がやる時は、彼を天国で散歩させてやる、と答える。
この魅力的な音楽に乗って、
剣を振り回したり、間合いを取ったりと、
歌いながらも大変な重労働である。
そのうち、伯爵が倒れ、
ホストはゲストに上席を与える、というので、
今度は、ジョコンドはマクロビオをちゃんちゃんばらばら始める。
降伏する、それが簡単だ、とマクロビオ。

伯爵は条件は、まず、臆病と認め、金の亡者と認めよ、
馬鹿な洒落者、生きている中で最も無知な人間、
と小学生なみの条件でまくし立てる。

マクロビオが屈服すると、
ジョコンドは喜んでピストルを手に、
踊って歌おう、とダンスを始め、
伯爵とマクロビオは剣を持って、それに続く。

ロッシーニの微笑みに満ちた音楽が旋回し、
すばらしい興奮の渦が巻き起こる。
彼等は、ずっと動き回って、
見ているだけで、へとへとになりそうだ。
この演出はオーソドックスかもしれないが、
登場人物の歌は上手で、演技も巧妙でとても面白い。

Track7.クラリーチェが軍服姿になって、
兄になりすまし、ようやく祖国の地を踏んだ、などと歌う。
軍隊は、どんな爆弾も我々を止めることはなかった、と答える。
後半は、「この大胆な男らしい変装によって、
私は、希望が帰ってくるのを感じる、
優しい鼓動に、心は熱く燃えて来る」
と、情緒豊かな歌に変わり、
合唱は、「何と美しい顔、溌剌として気品に満ち」
と、さっきとは勝手の違うことを歌っている。
ここでのトドロヴィッチの歌唱は、まさしくそんな感じだ。

オーケストラも奮い立って、合唱も勇ましく、
素晴らしい盛り上がりに暖かい拍手がわき起こる。

アスパージアとマクロビオは、
全く同じ顔だ、などと噂する中、
伯爵が出て来て、クラリーチェへの愛を訴える。

Track9.は伯爵のアリアである。
「目覚めることが出来ないなら、
あなたの胸で哀れんで下さい」という言葉に、
クラリーチェの表情が穏やかなものに変わって行く。

伯爵は、白のジャケットに蝶ネクタイだが、
ポケットに手を入れての懇願である。
不遜であると見ていると、テンポが速くなって、
伯爵は倒れてネクタイを外し、音楽は焦燥感を募らせて行く。
ついに、死ぬ死ぬと騒ぎ出す絶唱となって、これまた拍手。

軍服姿に惹かれたアスパージアとフルヴィアが、
クラリーチェ本人とも知らず近づいて来る中、
召使いのファブリッツィオが書類を持ち出し、
結婚を認めるサインを申し出ると、
軍人は、伯爵の口に、いきなりキスをするので、
周囲は騒然となる。
「私はクラリーチェよ」という単純な一言で、
大団円が近づく。

Track10.は、「今できるのは、喜ぶことだけ」という、
みんなが許し合う最後のアンサンブルになる。
アスパージアとマクロビオ、フルヴィアとパキュービオも、
いつの間にかカップルになっている。
コーダでは、オーケストラも合唱も白熱した興奮を見せ、
そんな中、カップルは二人だけの部屋に入って行き、
軍人たちも、それに手を振って終わり。

カーテンコールでは、さすがパキュービオ、マクロビオに歓声、
そして、ジョコンドには、敬愛の拍手がわき起こった。
これらの役は、パオロ・ボルドーニャ、ピエトロ・スパニョーニ、
ラウル・ヒメネスが担当した。

伯爵やクラリーチェにも相応の拍手だが、脇を固めた3人の手堅さ、
そして何よりも指揮者ゼッキに賞賛が送られたのが良く分かった。
斬新なステージでの洒落た演出ではあるが、
全体として手堅く、温かい血の通った名演奏だった。

さて、このDVDのブックレットに載せられた解説は、
このように最大の拍手で報われたゼッダ自身が手がけているので、
それをここで紹介して終わりにしよう。

「1812年9月26日、
ミラノのスカラ座で初演された『試金石』は、
当時、文化の発信地とされていたオペラ・ハウスから、
彼が委嘱された最初のオペラであったがゆえに、
ロッシーニのキャリアに重要な段階を刻んだ。
当時、ロッシーニはわずか22歳であり、
1811年10月26日ボローニャで初演された、
『ひどい誤解』というたった一つのオペラ・ブッファと、
共にヴェニスのサン・モイーズ劇場で上演された、
1810年11月3日の『結婚手形』と、
1812年1月8日の『幸せな間違い』という、
二つのオペラ・ファルサしか書いたことがなかった、
ということもあり、この依頼は大きな衝撃であった。
『幸せな間違い』の成功を受けて、
1812年5月9日、サン・モイーズ劇場で上演された、
『絹のはしご』は、スカラ座から委託を受けた後のものであった。
彼の友人、モンベッリのために書いた
『デメトリオとポリビオ』が、
1812年5月、ローマで上演されたが、
これも、スカラ座との契約にサインした後であった。
ミラノのオペラ座からの招聘は、
明らかに、これらの初期オペラの真の成功に寄るものであるが、
そのシーズン、主役を歌うようスカラ座と契約していた、
クラリーチェを歌ったマリア・マルコリーニ、
アシュドルバーレを歌ったフィリッポ・ガーリという、
ロッシーニを崇拝する友人でもあった二人の偉大な歌手たちの、
助けもまたあった。
マルコリーニ夫人は、ボローニャで、
『ひどい誤解』で当たりを取っており、
ロッシーニは彼女のために、
兵士の姿で歌う、『en Travesti』というアリアと共に、
エルネスティーナという重要な役割を与え、
彼女はそれが気に入ったので、
新しいオペラでも、それを変えることなく使うことを頼んだ。」

「試金石」の最も奇想天外な筋は、
単に、「遠くに行かなければならない」と、
伯爵を騙せばいいだけのクラリーチェが、
いきなり軍隊を率いて登場する場面であるが、
何と、このような裏話があったということか。

「フィリッポ・ガーリは、ロッシーニの歌唱スタイルに優れ、
正当派のオペラ歌手がファルサなどのまがい物など、
通常、検討する価値もないとした時代、
ヴェニスでの『幸せな間違い』の男爵の役を引き受けた人である。
この傑出した出演者の能力が、
明らかに恋するアシュドルバーレがバス、
(もう一人の恋人のジョコンドがバランスをとってテノール)、
もちろん、女性の恋人役にはコントラルトを選ばせた。」

成る程、『幸せな間違い』の男爵も、
何か、かっこいい感じの役柄であった。
ガーリはイケメンでもあったのだろうか。

「作曲家としての彼の将来にとって重要なこの契約によって、
期待と責任感がわき起こり、
ロッシーニは恐ろしい自信喪失と警戒感に襲われた。
これは、1815年『イギリス女王、エリザベッタ』によって、
ナポリ王立劇場の監督の任命を受けた時や、
傑出した『ウィリアム・テル』によって
アカデミーで栄光を掴むのに先立って、
『コリントの包囲』や『モーゼとファラオ』によって、
パリで同様の任命を取った時などなど、
他の重要な契約時にも、表面化したことであった。
ロッシーニは、完全に新しい音楽を作曲するよりも、
リブレット作者の許可を得て、
彼の意見によれば、大きな芸術的価値を持つ、
前に書いた作品のページを追加することによって、
自身の最高の証明書として提出したがった。」

何と、ロッシーニの流用癖が、
こんな観点から理由付けされるとは思っていなかった。
スタンダールの本にも、
「ロッシーニは自作を再利用しすぎるか」という一項があるが、
スタンダールは、退屈させるよりは、
この方がマシといった言い方で弁護している。
「息つく暇の与えない」、「居眠りすることだけは決してない」
と書き、34曲のオペラ合わせて100以上の人気曲がある、
と書いている。他の作曲家では、1曲のオペラに、
人気曲が一個あればいい方だ、と書くのである。

「『試金石』には、それゆえ、
『エリザベッタ』に『パルミーラのアウレリアーノ』や、
初期のオペラから抜粋された、もっと多くのページがあるように、
『ひどい誤解』からの、多くの抜粋が含まれている。
『コリントの包囲』や『モーゼとファラオ』など、
パリのために書かれた厳格なオペラは、
すでに、ナポリのために書かれていた『マホメットⅡ世』や、
『エジプトにおけるモーゼ』のオーセンティックな改作となっている。」

なるほど、これらは、単に、フランス語版というわけではなく、
さらにパワーアップしているというわけだ。

「抽象的で意味のない言葉にも音楽を付け、
それが何度も繰り返され、模倣される語法は、
ロッシーニならではのものであるとはいえ、
しかし、この方法は意味がないものではない。
これらの借り物が多い、
イタリア・オペラ、フランス・オペラでは、
はじめから終わりまで聴衆を夢中にさせる、
『セミラーミデ』、『泥棒かささぎ』、『シャブランのマティルデ』、
『ウィリアム・テル』のような偉大なオペラが持つ、
完成度や劇的なリズムは少ないことに気づくだろう。
これは、作曲家として、
ロッシーニの慎重なあいまいさが、
笑いと涙、喜びと悲しみといった、
両方の感情を呼び起こすように、
同様の音楽語法を使わせたことにより、
音楽的なアイデアが不適切になった、
ということではなく、
天才と素晴らしい技法によって、
ロッシーニが獲得した、
『aurea proporzione(金色の割合?)』を
不鮮明にするといった、
多くの異なる目的のため作られた、
構造の組み合わせによってもたらされた、
不連続話法の感覚によるものである。」

この部分、1センテンスが長すぎて、
何を言っているか分かりません。
どなたか解読お願いします。

「リコルディが有する『試金石』の自筆譜のスコアは、
各曲の並びや最終的な構成が、
オリジナルの順序とは異なることを示している。
しかし、これは、作曲家の乗った気分を妨げるものではなく、
こっけいなテンポ表示がスコアに見られる。
ジョコンド、マクロビオ、
アシュドルバーレの気まぐれな決闘を描いた、
協奏する曲のためには、『分解するように』という表記、
無伴奏合唱が、ピッチを維持するのが難しいので、
四重唱の独唱には、『調整されたアンダンテ』という表記がある。」

こうした洒落た表記は、ベートーヴェンの後期や、
シューマンの専売かと思っていたら、大間違いであった。

「『試金石』は歌手に、非常に多くを要求するために演奏が困難である。
クラリーチェのコントラルトには、正統的なコントラルトなのに、
実際にはあり得ない程の異常な高い声を要求する。
ロッシーニの女声の偏愛は固有なもので、
あらゆる声域で、甘さ、劇的緊張、技巧的な軽快さの表現を求めた、
ロッシーニの愛人、イザベッラ・コブランが女主人公になる、
ナポリ時代のドラマ作品には必ず見られる。
また、男声主役、アシュドルバーレも、
高音、低音ともめざましいパッセージが要求される。
これはフィリッポ・ガーリには容易であったが、
19世紀のバッソ・ノビレが、
バスからバリトンが分かれる傾向にあり、
どちらを使うか、
あるいは、両方がうまく行くとは限らない
バス・バリトンを使うべきかで、
今日、歌手や興行主たちの心配の種となっている。
他の役も副次的と見なすことができず、
非常に重要かつ、優れて高い能力のプロが要求される。
事実、その音楽的、ドラマ的な価値に見合うだけ、
『試金石』は上演されて来なかった。
こうした要素が、スカラ座の聴衆にはよく理解できたので、
ペーザロから来た若者を、
当時のオペラ界の疑うべくもない支配者と考え、屈服し、
53回もの公演を要求した。
最後の公演では7曲がアンコールされるほどの成功で、
リブレット作者のルイジ・ロマネッリによれば、
しゃくに障るほどのものであった。」

「テシトゥーラの自然さの困難さ以外にも、
ロッシーニが、常に複雑さを増す、
劇場界に常に身を置いていたゆえの、
特別な経験なしでは、あり得ないような、
オペラの技巧のアクロバティックさを組み合わせた、
実現不可能なヴォーカル・ラインがある。
いつも演奏家たちと共に働くことが、
彼が求めるドラマ表現の目的のために、
際限なく人の声の可能性をフル活用しようとする、
彼の要求を減らすことはなく、
彼はブレス・コントロールや、
コロラトゥーラ・パッセージの交錯を学び、
それゆえ、ヴォーカル・ラインは、
困難や負担なく、より自発的で自然なものとなった。
同様に『試金石』の器楽パートは、
この管弦楽法の大家の通例通り、輝かしく透明だが、
ヴォーカル・フレーズゆえに、他のオペラよりも複雑である。
それは、特別な自由さやアゴーギグの柔軟さをもって伴奏され、
表記にも容赦がない。」

何だか、人間の声研究所みたいなイメージである。
「歌曲王」、シューベルトであっても、
その生涯において、こんな風景を想像することは出来ない。
パガニーニやリストが器楽でやったのと同様の試みが、
声においても、なされていった感じだろうか。

得られた事:「ロッシーニとシューベルトの、歌に対する姿勢の違い。ロッシーニは、オペラ歌手たちと、日夜、声による表現力拡大を実験していた。」
「ロッシーニは、ここぞという大一番では、過去の成功作を流用して保険をかけた。」
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by franz310 | 2011-07-30 23:30 | ロッシーニ
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