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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その285

b0083728_219565.jpg個人的経験:
ロッシーニの初期の成功作、
オペラ・ブッファ「試金石」は、
強烈なシャトレ座公演の影響で、
私の頭の中では、
大変カラフルで、
オシャレな作品として刻まれたので、
今回のデズデーリ盤を、
店頭で発見した時には、
表紙を見て、かなり驚いてしまった。
かなり、シリアスな決闘シーンである。


この決闘シーンは、第2幕で、
主人公の伯爵と友人のジョコンド、
そして、汚職まみれの新聞記者のマクロビオが、
訳も分からず始めるもので、
ほとんど、エピソードみたいなものである。

こうしたオペラでは、スタジオ録音などは、
リスクが高すぎるのであろう。
ここでも、拍手入りの記録である。

ヤバいライブ録音で名を馳せた、
イタリアのヌオーヴァ・エラから出ている、
1992年、モデナのテアトロ・コミュナーレでのもの。
オーケストラも、カメラータ・ムジカーレと、
聴いた事がない団体である。

イタリア製ながら音は良いものの、
トラック表示には、期待通りのいい加減さが見られる。

例えば、CD1のトラック14は、
たった、0分39秒で終わることになっている。
また、CD2のトラック17には、()内に書くべき、
登場人物が抜けている。

いったい、どういう事だろう。
国民性なのか、こうしたいい加減な所しか、
生き残れないような経済システムになっているのか?

1992年は、ロッシーニの生誕200年に当たり、
各地で記念行事が行われたものと思われる。

指揮をしているデズデーリは、1943年生まれ、
4月9日生まれとあるから、
この公演中に40代最後の誕生日を迎えた計算になる。

クラウディオ・デズデーリを日本語でネット検索すると、
歌手としてばかり出て来るが、
指揮者でもあるらしい。

1969年に、「ブルスキーノ氏」でデビューしたとあるから、
ロッシーニには、格別の思い入れがあるものと思われる。
スカラ座、コヴェントガーデン、ザルツブルク、グラインドボーンで活躍、
第2のキャリアを指揮者として過ごしているらしい。
画像検索すると、立派な白い頬髭の紳士が出て来る。

このCDには、デズデーリの文章も載せられている。
20歳で書かれたこの作品、音楽や登場人物が、
後年のロッシーニ・オペラの前触れになっていて、
ロッシーニ一流のグランドフィナーレが聴かれ、
『エンジョイ』と『プレイ』がキーワードになっている、
とある。

ロッシーニの音楽を、
クリエイティブなファンタジーの爆発であり、
パガニーニの器楽曲のように技巧が楽しげであると、
要約している。
彼によると、モーツァルトにおいては、
リハーサルやスタジオ・セッションの度に、
魂の喜びと深い痛みと共に幸福を感じるが、
ロッシーニの場合は、そうであって欲しいような、
本当に劇場の外にもあるような幸福を感じる、
と書いている。

歌手は、クラリーチェにヘルガ・ミュラー・モリナーリ、
どう見ても、ドイツ系の名前。
48年生まれということだが、
75年からはスカラ座で歌っているらしいので、
本場で認められた実力派なのであろう。
カラヤンの指揮のCDにも出て来る。
この演奏では、彼女は、44歳ということか。

さすがにベテランらしく、格調高く、
安定した歌唱で安心できる。

アシュドルバーレ伯爵には、ロベルト・スカルトリティ、
この人も、アラーニャ、ゲオルギューの名盤、
「愛の妙薬」にも出ている。
1969年生まれとあるから、こちらは若い。
92年の時点では、23歳の新進ではないか。

これもまた、若々しく、
張りのある歌で好感が持てる。
第1幕のデュエットなど、
すっかり聞き惚れてしまう出来映えである。

パキュービオの「ミシシッピの歌」も面白いが、
パオロ・ルメッツという人が歌っている。
ライプツィヒの歌劇場などで活躍している人らしい。

また、悪い新聞記者を歌っている、
ヴィンセンツォ・ディ・マッテオも、
かなりの拍手を受けている。

また、ドンナ・フルヴィアとアスパージアのコンビも、
大変、魅力的な声を唱和させる。
前者は、ノセンティーニ、後者はトロヴェレッリという人らしい。

ということで、
古いが小都市であるイタリアのモデナで、
上演された、超一流ではないが、
かなりの実力者たちの共演と考えれば良いだろうか。

前回のナクソス盤は、指揮者が冴えた演奏を聴かせていたのに、
歌手たちがもたつき傾向であったが、
今回のものは、序曲からしても、指揮者は安全運転気味であり、
むしろ歌の方が耳を惹き付ける。
とはいえ、この指揮者の丁寧で、
愛情のこもった演奏の美感は、
時に、印象的な響きで浮かび上がる低音や、
各楽器の表情豊かなソロによっても聞き取れる。

また、第1幕フィナーレの、
ふつふつと盛り上がって行く興奮も特筆すべきであろう。
声のアンサンブルも速いテンポに巻き込まれつつも、
波が寄せるように高まって行く。

このCD、こうした演奏家については、
まったくインフォーメーションがないのに、
ロッシーニの作品に関しては、
力作の解説が載っている。

Rubens Teseschiという人も気になるので、
ネット検索してみたが、
ロシアやイタリアのオペラに関する本を出していた。
この道の第一人者と考えてよかろう。

ただし、Timothy Alan Shawの英訳のせいか、
いや、たぶん、原文がそうなのであろう、
とても難しい。

すでに、我々は、ロッシーニのデビューの経緯を、
見てきてはいる。
それを繰り返す形になのが多少、残念。

「若いロッシーニに栄光をもたらした石」
という題名のもので、6ページもある。

「人生も終わり近くなってから、
質素な衣服に身を包み、
『小ミサ曲』を神に捧げたロッシーニは、
全能なるものに向かって、
『私はオペラ・ブッファのために生まれました。
すこしばかりの技量と心情、それが全てでした』
と告白した。
これは、ベートーヴェンが考えていたことそのままで、
1822年に、このイタリアからの客人を迎え、
彼は率直に、『コミック・オペラに専念しなさい。
もし、他のジャンルで成功を収めようとするなら、
あなたは、自分の道を推し進めるべきです』と言った。
この評価は、ロッシーニがワーグナーに伝えたもので、
1860年のエドモンド・ミショットの本に出ている。
これが本当かどうか分からないが、
ロッシーニが、オペラ・ブッファのために生まれた、
と言いながら、反対のジャンル、
ファルサから悲劇まで無頓着に、
エネルギーを費やした。」

ベートーヴェンやワーグナーが出て来る開始部は、
少なくとも私には斬新であった。

「彼の劇場作品のデビュー作は、
2幕のオペラ・セリア『ドメトリオとポリビオ』で、
これを書いた時、彼は14歳であった。
テノールで有名な役者であった、
友人のドメニコ・モンベッリの助力を受け、
モンベッリの夫人ヴィンセンツァと、
二人の娘、家族以外で、他から引き抜かれたバス、
たちからなる一流の劇場仲間と、
ロッシーニはチームを作った。
ヴィンセンツァは、
プリマドンナであると共に、リブレット作者であった。
『ドメトリオ』のために彼女が書いたリブレットは、
特別個性的なものではなく、
若者を巡って、二人の父、
パルティア王とシリア王の間に争うというものだった。
アリアを提出されると、
その能力を発揮して、
期待通りにオーケストレーションし、
作曲を任されたジョアッキーノは、
テノールである興行主が、
ステージで見せる以上の熱意で、
音楽を付けていった。
事実、モンベッリが1812年に、
ローマのデラ・ヴェッラ劇場で、
この作品を上演するまでに、6年が必要だった。」

この作品が後になって演奏されたのは、
ロッシーニの人気が出て来たから、
というのが真相ではいか。

「この遅れによって、
ロッシーニの劇場キャリアは、
ヴェニスのサン・モイーズ劇場で、
ファルサ作曲家として始まった。
この劇場と契約していた作曲家が、
最後の最後で契約を破棄したので、
誰に頼って良いか分からなかった興行主が、
ロッシーニの家族の友人であった、
ローザ・モレーリの推薦にしたがったのである。
ジョアッキーノは迷わずヴェニスに到着、
数日で、ガエターノ・ロッシの一幕もの、
『結婚手形』を作曲、
40クローネという、
それまで、見たこともなかった金額を受け取った。
こうして、1810年11月3日、
18歳のロッシーニは、
コミック・オペラの作曲家としてキャリアをスタートさせた。」

うまい解釈である。
本来、オペラ・セリアでオペラ作曲を開始したのに、
運命の悪戯か導きによって、
喜劇からのスタートとなった。

「翌年、彼は、『ひどい誤解』で次の一歩を踏み出したが、
プロットに問題が多く、3回の上演で禁止になった。
当時、政治や宗教以外に関しては、
検閲はそれほど厳格ではなかったが、
恋人のしっぺ返しで、ライヴァルを騙して、
彼を、性転換した男性だとしてのは行き過ぎだった。
しかし、彼のキャリアに不都合を起こすことはなく、
一過性の事件にすぎなかった。
逆に、3ヶ月後には、
途切れることなき活動が開始する。
サン・モイーズ劇場は、別のファルサのため彼を呼び戻し、
1812年1月8日に初演された、
『幸せな間違い』は、シーズンを通して演奏された。
スタンダールは、ロッシーニの心に浮かぶ行き過ぎも突飛も少ない、
ロッシーニ初期の作品を好み、
自身を、『1815年のロッシーニアン』と呼んだが、
この青春の作品に熱狂した。
『この作品のいたるところに天才が火花を散らしている。
経験豊かな目で見れば、
この音楽家のさらなる幸運を開く、
後年の拡張された作品に使われた、
少なくとも、15か20もの、
アイデアの母体が見て取れるはずだ』と書いた。」

スタンダールは、モイーズ劇場での、
ロッシーニの一連の作品を知らなかったかと思ったら、
この「幸せな間違い」については知っていたようである。

「約束されたスタートから、最初の躓きは、
3月14日、フェラーラの聴衆から、
『バビロニアのキュロス』が、
四旬節なのにシリアスな主人公が出て来たゆえに、
ブーイングされたことで、
ロッシーニは、後に、
『これは私の完全な失敗だった』と認めている。
『事実、私がボローニャに戻ると、
友人達が軽食に招いてくれ、
アーモンド菓子の菓子屋に、
『キュロス』と旗に書いた船を作ってもらった。
それは、マストが壊れかけ、
帆は破れ、船は一方に傾き、
クリームの海に沈むように見えるものだった。』
以来、この作曲家は失敗を笑い飛ばすようになる。」

この一節は気に入った。
いかなる場合も、ロッシーニのように前向きに行きたいものだ。

「この埋め合わせは、5月9日にすぐ訪れ、
幸多きサン・モイーズにて、
新作の喜劇『絹のはしご』が上演され、
その月の間、繰り返された。
この場合も、ロッシーニは、
歌手達に推薦されている。
マリエッタ・マルコリーニ、フィリッポ・ガーリが、
声を使いすぎない彼を好んだ。
さらに、彼の才能を、
イタリアで最も重要な劇場、スカラ座に売り込んだのも、
このマルコリーニとガーリで、
ここでは、新しい天才を発見するために、
すべてがお膳立てされていたと言ってもよいだろう。」

成る程、歌手の協力もなく、
勝手にオペラを書いていた、
円熟期のシューベルトとは、このあたりが決定的に違う。

「ミラノは、イタリアにおけるナポレオン帝国の首都で、
彼の継子であったウジューヌ・ド・ボアルネ総督に支配され、
華々しくも不満に満ちた街だった。
スタンダールはこの街を愛したが、
ロッシーニ伝では、誤って実際以上の言葉を使った。
『ロンバルディアでは、全てが幸福に息づく。
新しい王都のミラノは、輝かしく、
王への年貢が近隣より低かったことから、
すべての活動が財産や楽しみに直結していた。』
実際は、ナポレオンは、彼のうぬぼれに見合った義務を強い、
その支配した土地からの重税に見合った支出はしていなかった。
フランス人を解放者として歓迎する牧歌は、その輝きを失い、
ミラノの人々は、物価の上昇や、
増税、強制的な徴兵に不満を言い始めていた。
横暴な警察も、その不満を取り締まることは出来なかった。
しかし、有名な建築家によって壮大な建物が建てられ、
芸術がその反抗精神にヴェールをかけた、
その美術、文学、科学のサークルによって、
外部の者からは、繁栄して見えた。
そして、その中で、当然、
スカラ座は第1の地位を保っていた。」

ロッシーニのオペラには、中産階級の人たちが多く出て来るので、
その経済活動には、興味があったが、
こうした難しい時代の政治的状況も教えてもらって参考になった。

「困難でないことはなく、
パイジェルロやチマローザの作品の上演繰り返しに加え、
1812年のシーズンは、
カゼッラ、ジンガレッリ、ゼネラーリ、オルランディ、
モスカ、パヴェージといった、無害な職人の作品が過剰であった。
これらの作品の価値は、もっと強烈な刻印を感じさせる、
天才の不在を印象づけた。
思うに、誰も、この天才こそが、
質素な鞄に四つのファルサと失敗したオペラ・セリアを入れた、
20歳のロッシーニであると考えたものはいなかっただろう。
ショックという以上の驚愕であった。
1812年、9月26日、『試金石』は、
彼を、舞台における首長として王冠を授けた。
オペラは、期間の常識を越え、
53回の繰り返し上演され、
勝利を確かなものとした。
53回目の上演では、まだ満足しない聴衆は、
7つの曲を繰り返させた。
上手に自身の体験を語るロッシーニは、
スカラ座における月桂冠のおかげで、
兵役を免れ、
惨めに死ぬ兵士ではなく、
芸術家として生きられたことを感謝した。」

このような閉塞感、不満に満ちた状況下で、
かくも新機軸にあふれた抱腹絶倒のオペラが上演された場合、
どのような事が起こるかを、じわじわと解説したこの文章、
ついつい、いろんな事に思いを馳せた。
「バビロニアのキュロス」で、
空気を読むことを痛感したロッシーニ、
ここでは、ミラノの社会に底流していた不満を、
忘れさせる作品を飛ばすことに成功した。

あり得ない展開、意味不明な言葉へのこだわり、
硬直した社会は、こうしたものに飢えているだろう。

「潤色された多くのロッシーニ伝中の一つである、
こうした逸話はともかく、
ウィットに富んだ、ルイジ・ロマネッリのテキストに、
いくばくかの成功の原因はあるとはいえ、
この成功は、すべてが音楽家に負う疑うべくもない成功であった。
ロマネッリはこの分野では決して初心者ではなく、
1799年から1816年までスカラ座付きの詩人で、
若い女性のためのロイヤル・カレッジの教師、
60もの音楽に詩を提供し、
これらは8巻の書物に収められており、
感謝する生徒達によって出版された。
『試金石』で明らかなように、
熟達した詩人で、古典に忠実であった。
これらのモデルでは、二重の変装がよく行われた。
最初の変装は、
疑い深い独身者のアシュドルバーレ伯爵によって、
彼のご機嫌を取る三人の女を試すためになされ、
彼は、彼自身の財産を没収するトルコ人に変装する。
伯爵の変装の後、
彼を愛するクラリーチェによって、
変装がなされ、彼女は、
兄の士官に化け、制服で現れ、
伯爵から引き離し、彼女をどこかに連れて行こうとする。
伯爵が彼女を失う前に、
彼は、彼女こそがふさわしいと気づき、求婚する。
プロットは、明らかに伝統的な、
ファルサのフレームワークを取るが、
ロマネッリは、ゴルドーニ風の引用を取り込んだ。」

ゴルドーニって何?
1707年、ベネチア生まれイタリアの喜劇作家。
写実によるコメディア・デラルテの改革者。
パリでフランス語の喜劇でも成功した。
1793年に亡くなっている。

「忠実な友人でありながら、クラリーチェを愛する登場人物が、
裕福な主人公にたかりながら、彼の破滅を知ると身をかわし、
トリックが分かるとすぐに戻って来る、
四人の厄介者のグループに入って活動する。
ベッドと金庫を分け合おうと、
伯爵につきまとう二人の女性を含む四重唱では、
愚かな詩人と金目当てのジャーナリストの男性二人が、
文学の世界から、聴衆がよく知っている現実を引き出している。
構成は、皮肉でセンチメンタルな戯画で、
それほど個性的なものではなく、
ガルッピやパイジェルロ同様、
田舎の哲学者や、
文学的、科学的気まぐれに捕らわれた、
気立ての良い狂人、
そして、別れたりひっついたりする恋人たちが、
オペラやファルサの世界を、
田舎の休日の静かな喜びの中を満たす。
1812年の9月に、
これらの陳腐なキャラクターたちが、
突然、興味深く見えて来たのだとしたら、
みんながよく知っている状況に、
スパイシーな音楽が加わったからである。」

成る程、さきほど、いくばくかの成功原因が、
台本作者にあったとはいえ、ロッシーニこそが、
勝利の原因だとあったのは、このことだったのだな。

シューベルトの場合も、
ゲーテの古典的な詩に、いきなり、
生々しい血を注ぎ込んで、音楽界に踊り出たが、
ウィットという点では、彼は不得意であった。

「最初から、我々はパキュービオの、
メスタージオのイミテーションのばかげた詩を聞かされる。
彼は、『悲劇的で喜劇的な言葉』を唱え、
彼のごちゃ混ぜの小唄は、
『Ombretta sdegnosa - Del Missipipi
- Nor far la ritrosa - Ma resta un po'qui』
というものだ。
何が新しいのか。
恐らく、風変わりなシナリオではなく、
悪戯っぽく、『ミシピッピ、ピッピ、ピッピ』と、
メロディやリズムを打ち付ける音楽の発案で、
それはさらにオッフェンバックの世界にまで、
我々を突き抜けさせる。
18世紀の優美さは、こうした、
陽気なカリカチュアに道を譲り、
フォガッツァーロの『去りし日の小世界』に出て来る、
有名な小唄にまで生き延び、変容している。
もはや、メスタージオのパロディではなく、
作者不明の小唄を、年配のおじさんが、
膝の上の姪に歌ってやるようなものである。」

ということで、フォガッツァーロって何?
どうやら、イタリアの作家(1842-1911)みたいで、
先の作品は、オーストリア支配下における、
理想主義の夫婦の日常を描いたものだという。

「さらにもう一歩、マクロビオの場合は、
さらに戯画化が辛口で、彼は、
『Mille vati al suolo io stendo - Con un colpo di giornale』
と言う。」
という風に、肝心の部分は英訳されていないので、
分かりにくいが、
おそらく、自分の新聞記事の影響が大きいことを言ってるのであろう。

「しかし、嘘に嘘を重ね、彼は決闘することになる。
彼のきわどいやり方は失敗し、彼は、
『il fior degli ignoranti, in versi e in prosa』と告白する。」
ここも何のことか分からない。

何度も、我々は、典型的にばかげた状況になる。
180年前のミラノ人は、この状況に、
痛烈なものを感じ、
マクロビオを、オーストリアの警察に守られた、
お役所仕事を見ていた。
こうした対比は、
単身で当局やテレビに、
自分を売り込むジャーナリストがいないので、
今日、見つけることは困難だが。
政治の滑りやすいスロープから離れ、
さまざまな創意の噴出によって、
ゲームを楽しみながら操るロッシーニを、
私たちは、賞賛せずにはいられない。
決闘したくないマクロビオは、
彼を殺すことを楽しみにする、
挑戦者の伯爵とジョコンドと三重唱を始めるが、
これは最初はシリアスな響きだが、
すぐに、カーブだらけの道を滑り落ちるカートのように、
アクロバティックな跳躍で、
英雄的喜劇の『con quel che resta ucciso - io poi mi battero』
から、ぴょんと跳ねて止まる、
『Del duetto inaspettato - si consola il maledetto』、
そこから、変形、
『il padrone della casa - ceder deve al forestiero』、
目も眩むように旋回する、
『fra tante disfide - la piazza e gia resa』での終結。」

前回は、第1幕を聞き込んだので、
このCDの表紙にも取り上げられている
第2幕の決闘シーンを、聞き込んでみよう。

三重唱は、「はじめに武器を手にしたあなた方が」
という部分であるから、CD2のトラック12である。
チェンバロ伴奏で始まるが、
このCDのチェンバロは、かなり魅力的な深い音を聞かせる。
演奏者名は書いてない。

まず、ブックレットから、この部分の歌詞を眺め、
上記、『con quel che resta ucciso』を探す。
これは、決闘のレチタティーボの後、
大分、会話が進んでから現れる。
それから、
『Del duetto inaspettato』であるが、
おいおい、リブレットでは、
『Del duello inaspettato』となっている。
どっちが本当だ?と、ナクソス盤を見ると、
リブレットが正解だった。
英訳した人(Shaw)がいい加減と見た。

さて、最初の部分、確かにモーツァルト風で古典的ある。
が、この『Del duello inaspettato』のあたりから、
すこしずつ脱線していく感じである。
戯画化と書いてあったが、まさしくそんな感じだ。

確かに途中までは、荘重なものを楽しげに焼き直したものだが、
どんどん、リズムが変わって悪ふざけが乗りまくり、
最後は早口のぺちゃくちゃの声に、
木管楽器の剽軽な音色や、
打楽器のどんちゃんが加わって、
まったく異次元の領域に突入してしまっている。
成る程。

このCDの表紙を飾る部分であるが、
この写真に明らかなように、
サーベルがかちゃかちゃ鳴りながら進行する。
伯爵はバスでドスが効いていて、
伯爵としての威厳に満ちている。
バリトンのマクロビオは、時に、果敢な声であるが、
しばしば情けない声になるのが面白い。
こうした決闘シーン、「結婚手形」も面白かった。

「状況はお決まりのものだが、
彼自身のアイデアを盛り込んで、
ロッシーニはそれを磨き上げた。
20歳の音楽家には、節約という感覚はなく、
伝統的なファルサの要素を追いながら、
それを変容させて行き、
彼は、自身にも、私たちにも一瞬の休息をも与えない。」

ここまでで、まだこの解説は2/3しか進んでいない。
しかし、もうページも尽きて来たので、
このあたりで終わりにしたい。
残りの部分では、ロッシーニが、
スカラ座のお抱え詩人の作品を自由に編集していること、
因習的な第2幕にも、第1幕同様の、
豊かで気の利いた音楽を付けていることの賞賛などが印象に残った。

決闘シーンの後、クラリーチェの変装シーンや、
伯爵の愛情表現のシーン、
大団円のフィナーレなどが続くが、
最初の繰り返しになるが、歌手たちの出来映えも傾聴に値する。
オーケストラも愛情たっぷりの深い音色になっている。
スピノージのオリジナル楽器にはなかったものだ。
何度も書くが、チェンバロの音色がまた素晴らしい。

得られた事:「シューベルトがゲーテの詩に新しい魂を吹き込んだように、ロッシーニは、慣習的な物語にスパイシーな音楽で息を吹き込んだ。必殺業はリズムによる戯画化である。」
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by franz310 | 2011-07-17 21:11 | ロッシーニ
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