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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その266

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その266_b0083728_2252111.jpg個人的経験:
シューベルトの歌曲で、
友人ショーバーの詩につけたもの、
「すみれ」と「わすれな草」
の2曲は、その規模と、
内容からして一対の作品である。
前回、この2曲を録音した
ナクソスのCDを紹介したが、
残念ながら、
その他の作品の聞き込みで、
力尽きてしまった。


ハイペリオンの「シューベルト・エディション」でも、
当然、この2曲は収録されているが、
「わすれな草」の方は、フェリシティ・ロットが受け持ち、
「すみれ」の方は、アン・マレーが担当している。

このCD、ハイペリオンの全集の3巻目であり、
これを入手した時、まだ、この全集は、
日本語解説付きのものが進行中であった。

その後、日本語解説付き盤は、
売り上げが伴わず、立ち消えになってしまったが、
これは残念なことであった。
私の印象では、この全集のピアノと解説を受け持った
グレアム・ジョンスンの筆は、後半になるに従い、
さらに冴えを増していったようにも見えるからである。

が、今回、この日本語解説を見てみると、
あくまで、英語版解説の補助であることが分かった。

この英語版ブックレットをめくれば、
貴重な肖像画がページを繰るごとに現れ、
どきどきしてしまうが、当然、日本語ブックレットでは、
これは省略されている。
このCDでは、シュパウン、フォーグル、シュタッドラー、
マティアス・フォン・コリンの肖像がある。
日本語だけを見て、このオリジナル部を見なければ、
このシリーズの価値の、
何分の1かを味わっていないことになる。

ブックレットをめくると、
かくも、サービスたっぷりのCDではあるが、
それにしても、表紙のアン・マレーは、何故、
このように無表情でこちらを見つめているのであろうか。

第1巻のジャネット・ベイカーは、優しく微笑み、
第2巻のスティーブン・ヴァーコーは、
いかにもシューベルト風にポーズを作っていたが、
第3巻になって、何故、このような無愛想な表紙になったか、
少々、戸惑いがあった。

1949年生まれのアン・マレーは、
この録音が行われた1988年時点では、
まだ30代ということになるが、
黒っぽい衣装といい、あまりに華がない。

先に見られた肖像画でも分かるが、
このアン・マレーのCDも、ナクソス盤同様、
シューベルトの友人たちの歌曲を集めたものとなっている。

ただ、数の上で別格の
マイヤーホーファー作品をも集めたがゆえに、
友人たちの歌曲集というよりは、
マイヤーホーファー歌曲集が主であって、
おまけのように、その他の友人たちの歌曲が含まれている
といった趣きになっているが。

ナクソスはその点、詩人別にしたので、
たっぷりあるマイヤーホーファー歌曲集は、
別巻で2集にして出されることになった。

今回のハイペリオン盤は、
もともと、有名なものと無名の歌曲を、
バランスよく収録しようという企画であったから、
こうしたオムニバスになったものと思われる。

例えば、有名なところでは、
コリンの「こびと」と「夜と夢」があって、
知られざる作品を聴いた後のご褒美みたいに、
終わり近くに、2曲並んで収録されている。

14曲中、実に約半数の6曲が、
マイヤーホーファーのもので、
しかも、フォーグルに認められる契機となった、
「眼の歌」D297(1817?)から、
「友人たちに」D654(1819)まで、
D番号が点在しているのも眼につく。

Track1には、大恩人シュパウンの詩による、
「若者と詩」D545(1819年作)が収録されているが、
その後、ずらずら6曲の詩がマイヤーホーファー作。
最後も、マイヤーホーファーの「別れ」D475である。

Track2は「友人たちに」D654で、
五重奏曲「ます」と同様、これまた1819年の作。
しかも、この曲をつけた時、
この二人は一緒に住んでいた。

「森に僕を埋めてほしい、
冬には雪に覆われるが、
春には塚に花が咲き乱れる」
という、陰鬱ともかすかな憧れとも思える歌。

このような曲を書かなければならなかったシューベルトが、
この年の夏、シュタイアーで、青春の息吹を取り戻す、
明るい曲をたくさん書いたのも当然と思える。

Track3は、「眼の歌」D297。
「ぼくの喜びは、眼から与えられる」
と、見えるという事への感謝の歌で、
やさしい民謡のような簡素さがある。

フォーグルとの出会いの時の歌で、
この曲を見てシューベルトの才能を認めたフォーグルは、
例えば、その後、「冬の旅」のような
作品を書くようになるこの作曲家の将来まで、
はたして見通していたのだろうか、
などと考えてしまう。

Track4は、「帰路」D476。(1816年作)
この曲は、魅惑的な序奏からして、
非常に感傷的なものだが、
歌詞もこれまた不思議な雰囲気を持っている。

のびのびと自由であった山や森を離れ、
ドナウ川に沿って首都に戻って行く様子。
美しい人生が一歩一歩消えて行くと歌われる。
マイヤーホーファーは、実に陰鬱だ。

まさしく月曜の朝に会社に行く時の心境。

この曲に対するジョンスンの解説は、
録音の合間に歌手のマレーが、
おどけて見せた様子を伝えとても興味深い。
マレーネ・ディートリヒの声色を真似て、
これを歌って、ここにあるうらぶれた人生観を、
垣間見せたというわけだ。

Track5は、「イーピゲネイア」D573(1817年)。
この曲も序奏からして魅惑的で、
ふと引きつける典雅さを持っている。

これは、夷てきの地、タリウスから、
一族の住む国に返して欲しいと、
女神に対して女官が訴える歌で、
メロディの線もアルカイックで美しい。

この曲の解説も傑作で、
女嫌いの詩人の、数少ない女声用リートの最高作、
などと書かれている。

Track6は、「歌の終わり」D473(1816)。
白髪の王は、竪琴弾きの歌に、
まったく心を動かさない。
無力感に竪琴をたたき割ったが、
王は「無感動を許せ、
もう死が近づいているのだ」と告げる。

6分を要する大作で、様々な場面が歌われるため、
この曲は、メロディは豊富ながら、
いささか繋がりが悪い感じ。
ジョンスンの解説も、いささか月並みな節回し、
などと書いて、その気持ちが表に出た伴奏ぶりでもある。
が、後半に関しては、賛辞を惜しんでいない。

以上のマイヤーホーファー歌曲集をもって前半が終わり、
真ん中には、シュタッドラーの2曲が来る。
これらは、前回のナクソスのCDにも収録されていたものだ。

1820年、「ます」の五重奏曲が書かれた余韻のように書かれた、
Track7の「聖名祝日の歌」D695は、ジョンスンも解説で、
「このリートはシューベルティアーデの雰囲気を伝える
典型的な機会作品」と書いている程の晴れやかさである。

シューベルトは前年、シュタイアーで、
ヨゼフィーネ・コラーという、
音楽の才能の豊かな娘と楽しいひとときを過ごしたが、
この歌は、その父親宛に書かれたものである。

ジョンスンの解説では、
コラー嬢は19歳だったようだが、
シューベルトもまだ22歳。
想像するだに楽しそうな年齢の二人だ。
シュタッドラーは、シューベルトの寮学校時代の友人で、
3歳ほど年配だが、郷里に帰っていて、
やって来たシューベルトを歓待し、
彼のおかげで素晴らしい環境が影響して、
名品「ます」の五重奏曲が生まれたようなものだ。

この曲のピアノ伴奏を受け持ち、
ヨゼフィーネが歌うことが想定されている。

詩は、「主よ、あなたの祝福を、
名誉ある男に授けて下さい」と、
誕生日のように祝われる内容になっている。

ジョンスンは、この曲のピアノの扱いを、
「生意気な様子」と表現しているが、
これについては、ああ、なるほどね、と思わせる。

Track8のシュタッドラーの詩による歌曲は、
1815年と、少し、時代を遡る、
「いとしいミンナ」D222である。
これは、素人が作ったにしては、
なかなか大作の悲恋もので、
6つの部分に分かれ、5分を越えている。

戦争に行ったヴィルヘルムを思ってミンナが泣くと、
夕暮れのそよ風が、岩山の上にミンナを導く。
花の中から恋人の声が聞こえ、
ミンナはそこで横になるのである。
シューベルトは、この彷徨う女の嘆きを、
切々と歌い上げている。
恐ろしい18歳である。

Track9は、ショーバーの詩による、
「おんみらの平安を祈る」D551(1817年)で、
これは、ナクソスのCDにも入っていた。
ここでは、マレーが、さすがメゾの深い声を響かせ、
シューベルトの葬儀の時にも歌われたという、
この荘重な歌を、魂の響きとしている。

そして、Track10に、ショーバーの詩による、
「すみれ」D786が来る。
これはモーツァルトの同名の曲とは異なり、
大規模な歌曲なので、後に回そう。
特にここでの歌は、15分に迫る大歌唱となっている。

この曲が大作だとはいえ、15分もかけたのは、
このCDだけではなかろうか。

Track11は、ショーバーの詩による、
1817年の「歌のなぐさめ」D546である。
3分に満たない、ぽつりぽつりした歌である。
非常に簡潔なもので、水墨画の味わいである。

ぱらぱらという序奏は、竪琴の響きを模したもの。
「不幸な時にはハープを取る。
歌を口ずさむと嵐も穏やかに聞こえる。」
と静かに歌われるが、
最後に、シューベルト団の秘蹟のような言葉が来る。

「悲しみと喜びがひとつに解け合う、
それが僕の生き方なのだ。」

ジョンスンは、ジョン・リードが、
この曲を完璧無欠と書いているのを紹介しながら、
この2行を「作曲家の芸術の墓碑銘」と書いている。

また、ジョンスンは、この曲の内容から、
シューベルトが、音楽に関する考え方を、
身近な友人には吐露していた証拠だと書いているが、
これは、なるほど、と思ってしまった。

Track12は、これまた素晴らしい作品、
「こびと」D771である。コリンの詩。

シューベルトの恩人で、
大学教授であった、この人は、
こんな作品を書いていたのである。
私は、むしろ、コリンは「こびと」を書いた人と、
昔から知っていたが、シューベルトと、
そんなに近い人だったとは知らなかった。

身も凍る効果を持つホラー作品と、
ジョンスンが解説に書くように、
不気味極まりない内容。

前の曲の、中に向かって凝集したものが、
爆発するかのような壮麗な効果を見せる。

夕闇の中で、小舟に乗った王妃とこびと。
冷酷なこびとは王妃の首を絞めるが、
何故か彼女は喜んで死んでいく。

「すみれ」同様、1822年頃に書かれたもので、
シューベルトの筆は熟達にある。

Track13は、素晴らしい「夜と夢」D827。
さらに後年の作品で、浮遊感に満ちたマレーの歌で聴くと、
シューベルトの魂が、亡くなったばかりのコリンの魂を追って、
一緒に虚空に消えて行くような印象すらある。

前回聴いた、ゲラーが3分半で歌っているのを、
なんと4分40秒かけている。

最後のTrack14は、マイヤーホーファーの詩による、
「別れ」D475で1816年の作品。
「ああ、鏡のような湖、森、丘は消えてゆく、
あたりにこだまするきみたちの声も消えてゆく」
と歌われる、寂しい音楽で、
これまた、マレーの声が、この世ならぬ響き、
ジョンスンの伴奏も不思議な虚無感である。

ジョンスンは、この小さな曲に、
ブラームスやマーラーまでを予告するものを、
聞き取るのだという。
では、ディースカウの本にはどうあるかな、
と見直すと、何と、ここにも、
「マーラーを予告する」と書かれていた。

マイヤーホーファーは、そういえば、
シュタイアーの出身の人であった。
シュタイアーは、シューベルトが、
五重奏曲「ます」の着想をした街である。
では、この湖、森、丘などが、
シューベルトに新しい霊感を与えることになるわけだ。

ということで、このCD、かなり聴き応えがあるもの。


表紙写真に見られた無愛想なマレーの表情と、
気むずかしいイメージの、マイヤーホーファー歌曲集の存在のせいか、
私は、このCDを、あまり良く聞き込んだ覚えがない。
が、今回、聞き直してみると、実に良かった。

こう言うことがあるから、
レコードのよさというものは、語るのが簡単ではない。
聴く者が、ぴったりと波長が合わないと、
聞こえるべきものが聞こえない場合がある。

私の場合、「アルフォンソとエストレッラ」を聴いて、
今は、シューベルトの友人の仕事が、
気になってしかたがないので、
1曲1曲が珠玉に聞こえだしたが、
これまでは、こうした歌曲は、
ゲーテやシラーの有名歌曲の合間に書かれた、
友人へのサービスのような二級品だと考えていた。

しかし、あのオペラや、ナクソス盤の、
愛情こもった解説を見ているうちに、
これらの歌曲集は、古典の大家の詩につけた歌曲より、
はるかに強烈な危機を内包した、
切実な訴えとして聞こえるようになってしまった。

また、この前聴いた、ブリギッテ・ゲラーが、
ソプラノで、いささか清潔にすぎて、
人間味が感じられにくかったのに対し、
このマレーのメゾ・ソプラノは、
かすかな陰影が魅力となっている。

しかも、ジョンスンの伴奏も、
いかにも大切にこれらの歌を扱っている。
特に、大作、「すみれ」では、
さあ、これから始まりますよ、
という感じに、心を込めた序奏が聴ける。

この「すみれ」という歌曲、
春一番に起き出したすみれの花は、
恋人の事を思って、さっそく花嫁衣装に着替えるが、
回りはまだ冬景色。一人ぼっちなのである。
恥ずかしくなって、草陰に逃げ込んでしまう。
そして、「愛と憧れの苦しみのあまり、
すみれのひよわな心はつぶれて」しまうのである。

春が本当にやって来た時、
ばらや百合やチューリップが、
すみれを捜しに行くが遅かった、
という内容が意味深である。

ジョンスンの解説もこの曲を絶賛している。
「踏みにじられた無垢、空しい努力、
かがやかしい強大な力への屈服、
といったものすべてがこのバラードにある」とある。
ヴァイオリン・ソナタのように弧を描くメロディ、
ロンド形式のような形式感などが特筆されている。

いかし、このようにこの曲を評価する人は、
多くはなく、ディースカウなども、
技巧に走った作品として軽視している。

「まさしく植物学の講義に似て、
はからずも喜劇的な感じを与える」と書き、
ディースカウは、シューベルトは、
ショーバーのために、この曲を書いたように書いているが、
果たしてそうであろうか、という疑問が湧く。

この前、このショーバー歌曲の、
ナクソス盤解説を文字数の制約から、
はしょってしまったので、
ちょっと、ここで、改めて、それを見直そう。

シューベルトが、1823年という危機の年の春、
友人、ショーバーの詩に付曲した大作2曲、
「すみれ」、「わすれな草」が、
一気に収録されていたことから、解説でも、
上手い具合に、これらを概観してくれている。

いずれも、ここでの演奏で言えば、11分ほどかかる曲ゆえ、
2曲を合わせると、この年に書かれた、
あの「未完成交響曲」と同じくらいの規模になる。
未完成が書かれ始めたのは、前年の秋。

「シューベルトの最も親しい友人であった、
ショーバーの詩による二つの花のバラード、
「すみれ」D786と「わすれな草」D792は、
誠実ながら、落胆した花の花嫁を扱ったもので、
彼女は死によってか、忍従、または身を引くことによってしか、
平安を見いだすことが出来ない。
そこに含まれる自然の象徴は、
基本的な精神的な喪失を表し、
自然は、もはや、調和した循環ではなく、
悲しい出来事の繰り返しとなり、
神が与えた善き世界の秩序はもはや存在しない。
同時に、花のバラードは、同時代のメタファーを含み、
(ナクソス盤Track17の)『すみれ』は、
あまりにも春早く咲き出して死ぬことから、
自由のアレゴリーとして捉えることが出来る。
(ナクソス盤Track2の)『わすれな草』は、
あまりにも遅く育ち、内省のうちに終わる。
白日夢は、ビーダーマイヤー期の人々を表し、
大いなる希望からの失望から、
限られた個人的牧歌を表す。
これらのテキストが、シューベルトにとって、
単なるセンチメンタルなメロドラマではなかったことは、
その音楽の冒頭から聞き取れる。
『すみれ』において、単純ながら、緊急ベルのような動機は、
曲全体に行き渡っており、色彩と変化で彩られている。
それは戻って来る都度、新たに強調され、
最後に枯れる所では、旅立ちと未来を告げる。
『わすれな草』は、音楽的、主題的により複雑で、
和声的にはさらに大胆であり、
叙情的な名残惜しさと、劇的にせき立てられる楽句の間の、
コントラストが激しい。
長く、痛々しい、そして深い情感のパッセージの第13節、
『涙はただ、それ自身の痛みのみを語る』は、
調性的にもペダル・ポイントの進行、
基本のリズムパターンで、
このバラードの、有名な『未完成交響曲』と、
年代的にも感情的にも近親であることを示している。
しばしば、そして時として長すぎる意図的反復と、
中央部の動機の変奏は、このテキストに、
シューベルトが深い共感をしていたことを示している。
例えば、わすれな草の眠りの長い描写、
『優しいヴェルベットの苔の中で』は、
驚くべき優しさで、
水面下では、そこからくみ取れなかったほどの、
高度に官能的な音楽が奏でられている。
同様に魅力的で脅迫的な水に花が映る部分の曲付けでは、
神話のナルシスのイメージは、
シューベルトと友人たちのジレンマの証拠である。
この自己への集中は、ナルシスムや強度な自己愛ではなく、
満たされない希望、理想、夢を前にしての、
望みと嘆きの表現なのである。」

ナクソス盤の場合、この「わすれな草」は2曲目に入っているので、
聴き始めるや否や、いやがおうにも、この世界に連れ去られる。
春の口づけを受けた「わすれな草」ちゃんは、
「言うに言われぬ憧れ」が胸に沸き立って、
何と歩行を開始するのである。
岩山をよじ登り、山を越えて、川のほとりで立ち尽くしてしまう。
そして、自分の姿が映る川辺にて安住の地を見いだす。

この血みどろの歩行に、あの未完成のリズムが刻まれる。
共感豊かな解説を書いた、アイゼンロアーに導かれた、
ゲラーの切実な歌い口は、素晴らしい集中力で、
私を歌の世界に連れ込んでしまう。

このスイスのソプラノ、ゲラーは、
ガーディナーとバッハなどを共演しているようで、
澄んだ歌声が宗教的なまでに清潔である。

このナクソス盤、他にも、
ショーバーの詩による曲が収録され、

「しかし、虚しく、希望のない彼等の時間にも、
慰めがなかったわけではないようだ。
芸術、特に音楽は、慰めと見なされた。
共にショーバーの詩による、
(Track16の)『死の音楽』D758と、
(Track15の)『歌の慰め』D546は、
同時に自閉に向かう傾向を見せる。」

これは、「死がせまった時に静かな歌を聴かせて欲しい」
と歌われたり、「歌の中に悲しみと喜びが一つになる」
と歌われたりして、音楽を信頼しきったものだ。

ジョンスンも書いたように、
ショーバーは、シューベルトの考え方を、
上手い具合にテキストにしてくれている感じである。
ナクソス盤の解説には、このようにある。

「後者の中では、音楽は、
『逆境の嵐』への抵抗として褒め称えられ、
前者の中では、音楽は、
死を神秘的な啓発と見て瀕死の者を慰める。
シューベルトの友人たちの詩において、
音楽は、現実の『灰色の時間』からの逃避となり、
シューベルトは、これらの『音楽についての音楽』の中で、
それぞれに特有な、絶対的な魅力を持つ音楽的解釈を、
見つけ出している。」

いずれも美しいものだが、先に書いた「歌のなぐさめ」は、
ゲラーの歌唱ではせかせかしすぎていて、2分程度で終わる。
『死の音楽』は、起伏に富んで5分かけているが。

同様のコンセプトのCDであるが、
ハイペリオン盤の方が、たっぷりと歌われ、
シューベルトの音楽世界に浸りきらせてくれる。

得られた事:「ショーバーの詩は、シューベルトとの日々の会話で書き留められたシューベルト自身の音楽観のようなものが垣間見える。」
by franz310 | 2011-02-26 22:52 | シューベルト
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