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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その235

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その235_b0083728_23172486.jpg個人的経験:
ボロディン・トリオが録音した
ショスタコーヴィチの五重奏のCD、
表紙デザインは、
エレオノーラ・トゥロフスキーの
描いた絵画だったが、
この人は、そもそも、
ヴァイオリンの演奏家で、
このCDでは、彼女が、
ショスタコーヴィチの前奏曲を
演奏したものが聴ける。


ありがたい事に、このCD、
ボロディン・トリオの中核である、
ヴァイオリンのドゥビンスキーと、
エドリーナの夫妻のデュオによる、
ショスタコーヴィチの晩年の名作、
ヴァイオリン・ソナタも収録されている。

ショスタコーヴィチの前奏曲は、
五島みどりのCDでも録音されていたと思うが、
あれは、ドゥーシキン編曲ではなかったか。
(この人は、ストラヴィンスキーの友人だった
ヴァイオリニストである。)

今回は、ツィガーノフ編曲の19曲が収められている。
ピアノのための「24の前奏曲」のうち、
大部分がヴァイオリン用として聴くことができるわけだ。

五島みどりがアンコールで弾くくらいなので、
曲想としては、洒落た感じのものが多く、
このCDの後半は、
エレオノーラ・トゥロフスキーと冴えたヴァイオリンと、
ジャズなども得意とする、
明解なペーター・ペッティンガーのピアノで、
非常に楽しめるものとなっている。

しかし、前半の「ヴァイオリン・ソナタ」は、
とても難解だ。
献呈されたオイストラフのヴァイオリン、
リヒテルとの共演盤が有名なので、
多くの日本の愛好家が耳にしたはずの、このソナタ。

謎のモノローグで占められた音楽で、
耳障りは悪くないが、
愛聴曲にまで昇格させた愛好家は少ないのではないか。
さらに後に書かれた「ヴィオラ・ソナタ」の方が、
「月光ソナタ」の引用など、
まだ、手がかりめいたものを感じるが。

今回のCD、かつて出ていたこのソナタを、
「前奏曲」と組み合わせ直して、
2003年に24kbitでリマスターされて、
再発売されたものである。

このCDは、表紙デザインが強烈で、
芸術家というよりは、裁判官みたいな感じの、
ショスタコーヴィチの白黒写真。
背広を着て、表情も苦渋に満ちている。

家に帰って、しばらく安静にしていなさい。
あまり、神経を張り詰めていてはいけないよ、
リラックスして、気分転換だ、
などという上司がいるわけでもない。

彼は、非常にビッグな存在なのだ。
それゆえに、一人で苦悩に耐えるしかない。

いかにも、これがショスタコーヴィチだ、
という感じで、とても心に残るデザインである。
前半のヴァイオリン・ソナタは、こんな人が書いたもの、
と考えながら聴いて間違いはあるまい。

が、後半は、かなり印象が異なるので要注意である。
この写真みたいな音楽を聴きたい人にはぴったりだが、
そんな音楽を聴きたい人って、いったい何。
私は、ショスタコーヴィチは嫌いではないが、
何故、こんな苦い音楽を聴かないといけないのか、
と考えてしまうことがある。

何故なら、彼を苦渋せしめた、
ソ連の恐怖政治は、現在の我々に一見、
無関係に思えてしまうからだ。

が、きっと、ショスタコーヴィチが、
恐怖の中に見いだした苦悩は、
現代の人間にも、共通するものを含むのであろう。

突然、解雇されるリストラ社会や、
失業者の増加による思わぬ犯罪なども、
根は同じなのかもしれない。

ただし、ここ数日、恐ろしかったのは、
梅雨明け直前のゲリラ豪雨の連日のニュースである。
こうした恐怖なども一瞬先は闇である、
ショスタコーヴィチの人生と、
変わるものではないのかもしれない。

さて、気になっていたエレオノーラの略歴であるが、
確かに、このCDでも、ヴァイオリン奏者であると共に、
絵画でも有名であることが書かれていた。

「モスクワ中央音楽学校のシルバー・メダル受賞後、
エレオノーラ・トゥロフスキーは、
モスクワ・チャイコフスキー音楽院を、
優秀な成績で卒業、ドミトリ・ツィガーノフのもとで、
卒業後も研鑽を積んだ。
彼女はモスクワ音楽院ピアノ三重奏団のメンバーで、
アンサンブル・マドリガルや、
モスクワ放送室内管弦楽団のソリストを務め、
イッポリトフ=イヴァーノフ・モスクワ音楽学校で、
弦楽部の教頭となった。
1977年から、コンコルディア大学や、
モントリオール大学の教授を務めている。
彼女は、トゥロフスキー・デュオのバイオリン奏者、
イ・ムジチ・デ・モントリオールのリーダーとして知られる。
夫のユーリとのデュオの中で、
全世界でリサイタルを行い、
シャンドスにいくつかの称賛すべき録音を行っている。
彼女は専門的な画家でもあり、
1995年には、カナダ放送局が、
エレオノーラ・トゥロフスキーのポートレイトに関する、
ドキュメンタリー映画を撮っている。」

ちなみに、共演するペーター・ペッティンガーは、
下記のような紹介がなされている。

「ペテルスブルクに1945年に生まれた。
早くから鋭敏なピアニストとして知られ、
クラシックのレパートリーのみならず、
ブルーベック、ムリガン、マイルス・デイヴィスなど、
ジャズにも惹かれている。
彼はロイヤル音楽アカデミーで、
ピアニストもヴィヴィアン・ラングイッシュや、
ハフ・ウッドに学んでいる。
ヨーロッパ、日本、オーストラリア、アメリカに
広く演奏旅行している。
様々なジャンルに活動の幅を広げ、
テレビのために、作曲、編曲を行い、
シャンドスでは、ナイジェル・ケネディと、
エルガーのソナタや小品、
ジャズ・アルバムなどを録音している。」

私は、ナイジェル・ケネディのエルガーは、
確かLPで持っていたような気がする。
その時のピアニストとは気づかなかった。

これをカセット・テープに入れて、
何度も何度も、カーステレオで聴いた記憶がある。

この二人が演奏したものであるから、
悪いわけはあるまい。

では、このショスタコーヴィチの前奏曲、
ヴァイオリン編曲版とは、どのような曲なのだろうか。

デンビイ・リチャーズという人がCD解説を書いている。

「1928年に始まる、スターリンの時代、
最初の5年間は、ソ連の音楽は、
チャイコフスキーを、
嘆かわしいブロジョワ的逸脱として非難する、
プロレタリア音楽家協会の拘束下にあった。
1932年までに、協会の努力は、
無駄だということになったが、
ショスタコーヴィチのような若い音楽家に与えた、
インパクトは、計り知れないものがあった。
その要求に忠実であったショスタコーヴィチは、
映画や劇場用の音楽の作曲家として、
社会的に受け入れられやすい側面を見せつつ、
その真の創作エネルギーは、
選ばれたサークル内の
家庭用音楽に向けられることになった。
これらの作品の最大傑作は、
作品34の24の前奏曲で、
1932年から33年の冬に書かれ、
1933年5月に初演された。
この作品は、1950年に作曲を始められた、
作品87の『前奏曲とフーガ』や、
ショスタコーヴィチの個人的側面を伝える、
偉大な室内楽曲集を予告するものとなった。
この録音では、
ドミトリ・ツィガーノフによって、
ヴァイオリンとピアノ用に編曲された、
19の前奏曲を集めたもので、
これは、ピアノ版を自身演奏していた
作曲家によっても、全面的な承認を得たものである。
ツィガーノフは、1903年、
サラトフに生まれ、
室内楽に専念する前には、
華麗な技巧のヴァイオリニストであった。
1923年、彼はベートーヴェン四重奏団を率い、
この団体は、ソ連の室内楽の発展に、
多きな寄与をすることとなり、
ショスタコーヴィチの四重奏曲すべてを演奏した。
ツィガーノフは作曲家の友人であって、
ショスタコーヴィチは、音楽家として、
彼を尊敬していたが、
彼こそが、エレオノーラ・トゥロフスキーの師匠であった。」

ということで、このCD、
ショスタコーヴィチの演奏では、
二大名門とされた、ベートーヴェン四重奏団と、
ボロディン四重奏団の、二人のヴァイオリニストを、
同時に取り上げた企画になっているのである。

「ツィガーノフは、
そのヴァイオリンとピアノのための編曲を、
この録音の順のように3つのグループに分けた。
最初に聴くのは、第10番で、
フィールド風の『夜想曲』で、
2番目のもの(第15番)は、
バレエの情景そのものである。
次に、行進曲(第16番)が来て、
幽霊のような音色の変化があり、
突飛なガヴォット(第24番)が続き、
伝統主義を足蹴にするが、
最後は予期しない静謐さに至る。」

ここに書かれているように、
様々な音色の変化を聴かせるものだが、
さすがヴァイオリニストの編曲というべきか、
あるいは、エレオノーラ・トゥロフスキーの演奏の冴えか、
非常につややかな音楽を聴かせる。
もっぱら、色気とは無縁のような、
乾いた音色を連想させるショスタコーヴィチの音楽にあって、
非常に異彩を放つレパートリーだ。

しかし、ショスタコーヴィチと、フィールド!
すごい対比だ。
私は、フィールドのことを、
ショスタコーヴィチが知っていたなどと、
想像したこともなかった。

この傾向は次のグループでは、
さらに叙情性を増して、
ロマンティックな風情すら感じさせるに至る。

「前奏曲第1番は、
リムスキー=コルサコフの
『シェヘラザード』の主題にヒントを得たもので、
第3は、『無言歌』のように始まるが、
ほとんど管弦楽的なバスのトレモロで、
最高潮に達する。
前奏曲第8番は、
シューベルトの『楽興の時』の魅惑に傾き、
第11番でバッハのジーグの領域に踏み込み、
最後の小節では『アモローソ』となる。」

最初の2曲は、夢想的なもので、
ものすごくロマンティックである。
これを聴いてショスタコーヴィチと答えるのは、
難しいかもしれない。
ショスタコーヴィチが、
性格的に許容できず、解放できなかったものを、
ツィガーノフが解き放ってしまったように思える。
第8で、図らずもシューベルトと書かれたが、
確かに、有名な第3番のようなリズムである。
バッハ風と書かれたものは、
最もショスタコーヴィチ風にシニカル。
最後のコーダは、妙になまめかしい。

ショスタコーヴィチとシューベルトも、
フンメルとシューベルト同様、
繋がりがあるとは思いにくい。

しかし、ショスタコーヴィチは、
マーラーを崇拝していた可能性があり、
シューマンの作品を編曲したりしているから、
ドイツ・ロマン派と無縁だった訳ではなさそうだ。

が、ここで、この曲が、
シューベルトへのオマージュなのかどうかは分からない。
単にリズムが似ているだけである。

この次のグループは、
妙に短く、ぎすぎすした曲集である。

「次に、モト・ペルペトゥオ(第5)が来て、
幻想の舞踊(第2)が続くが、これは、
ショスタコーヴィチ最初の重要作、
1922年の舞曲作品5を想起させる。
風変わりなポルカ(第6)は、
マーラーのスケルツォ風である。」

これは、「少年の不思議な角笛」のような、
へんてこりんな作品で、
確かにマーラー風である。

その後に12番の前奏曲が続くが、
これもまた、メロディアスで神秘的、
プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲みたいな感じ。
謎めいた音型が繰り返されるのがショスタコ風だ。

「12番の前奏曲は、アルペッジョの練習曲で、
13番はドラム連打の伴奏を伴う行進曲、
ほろ苦い味わいの、ゆっくりとしたワルツ(17番)は、
次の、ダンスのようなエピソードを持つ、
『二声のインヴェンション』(18番)と対比づけられる。」

この17番は、この曲集で最長の2分32秒。
夢想的で名残惜しく美しい。
18番は、そのような思いを断ち切る、
さくさくした作品。

が、続く、曲は、これまた、
ヴァイオリンの美音が泣かせる作品。

「19番は、舟歌の形式で書かれ、甘くて、苦いが、
21番の5/4拍子のぴりりとしたロシア舞曲に続く。」

せわしない舞曲で、幕間劇のどたばたである。

ここでもまた、とても印象的な歌に満ちた作品が続く。

「最後に、曲集を締めくくる軍隊調二拍子の
アレグレット・フリオーソ(20番)の前に、
表情豊かなゆっくりした楽章(第22番)が来る。」

とあるように、
最後の作品は、荒れ狂った44秒である。

このように、以上19曲の前奏曲は、
とてもヴァイオリンにふさわしい音楽に書き換えられていて、
しかも、ショスタコーヴィチの様々な局面を味わえる、
贅沢設計となっていることが分かった。
ショスタコーヴィチが、
お墨付きを与えていたという話がありがたい。

プロコフィエフの「束の間の幻影」のように、
どの曲も花火のように揺らめいて消えて行く小品。
幻想的でありながら、ロマンティックで辛辣。
私は、非常に楽しめた。

是非、ツィガーノフがどんな演奏をしたのか、
聴いて見たくなる。

さて、ツィガーノフがベートーヴェン四重奏団のリーダーなら、
一方の雄、ボロディン四重奏団のリーダーは、
1976年までは、ドゥビンスキーであった。

彼が独奏を受け持つソナタというのも、
非常に貴重なものになるだろう。
この人もまた、ショスタコーヴィチと、
直接的に関係があった、優れた演奏家であったのだから。

「ロスティラフ・ドゥビンスキーは、1923年、
ウクライナに生まれ、
モスクワ音楽院にて、
アブラハム・ヤンポルスキーに学んだ。
1946年、ボロディン四重奏団を創設、
続く30年、アンサンブルの第1ヴァイオリンを受け持ち、
全世界で3000以上の演奏会を開いた。
1976年、妻のピアニスト、
リューバ・エドリーナと共に、
オランダに居を定め、ここで、
ハーグ音楽院のヴァイオリン教授に任命された。
同様に亡命仲間の、
チェリストのユーリ・トゥロフスキーと共に、
ボロディン・トリオを結成した。
1981年までオランダに留まり、
アメリカに移住した時には、
インディアナ大学の室内楽の責任者となり、
1997年、短い闘病の後、亡くなるまで、
17年間、この地位にあった。」

1922年生まれであることは今回分かったが、
75歳で亡くなったということか。
ソ連の崩壊が91年なので、
アメリカ移住後10年は崩壊前、
その後7年は崩壊後、いずれも、
ややこしそうな問題に悩まされなかったか心配になる。

この人のヴァイオリンは、
先の前奏曲集のエレオノーラ・トゥロフスキーとは違って、
少し乾いた音だと思うが、今回、独奏なので、
そのあたりを良く味わうことが出来る。

しかし、この曲は、オイストラフとリヒテルの演奏も、
妙に厳粛なばかりのイメージであったが、
やはり、あまりに潤いに欠ける。
これでは、ドゥビンスキーが乾いているのか、
あえて、乾かせた音で弾いているのか分からない。

この曲は、オイストラフが60歳の時に、
ショスタコーヴィチが贈った誕生日プレゼントだが、
こんな暗鬱とした作品を、
オイストラフもよく喜んで演奏したものだ。

今回のドゥビンスキーの演奏は、
オイストラフ盤のような透徹しきったものではないが、
非常に凝集された、集中度の高い演奏を聴かせる。

こちらの曲の解説は、いつもの、
ロバート・レイトンによるものである。

「ショスタコーヴィチは、
ヴァイオリンの協奏曲を2曲作曲したが、
1曲は第二次大戦からほどなくして書かれ、
一方は60年代に書かれた。
オイストラフとの長年の友情にも関わらず、
彼は、この作品まで、
この楽器のためのソナタを書かなかった。
弦楽四重奏曲第12番(1968)の直後、
弦楽四重奏曲第14番(1969)の直前に、
オイストラフの60歳の誕生日の祝いに書かれた。
(両協奏曲は、彼に捧げられている。)
ソナタはショスタコーヴィチの後期作品特有の、
個人的性格が顕著で、簡潔で厳しい。
作曲家の個性の多くは、
その初期作品から明らかであり、
1960年代からの晩年の音楽は、
彼が既に開発した領域を、
ただ描き直したものと想定する傾向がある。
この考えは、
妥当性不確かな三流の作曲家が、
実質的な進展の欠如をごまかすために、
新しい音を求めて、
スタイルの工夫をしがちだという事実と、
一緒くたにしてしまうという危険を伴う。
ショスタコーヴィチの深さは、
(しかし、素材は少ない)
常にすぐに分かるものではない。
非常に一貫性のある彼の語法は、
人を惑わせやすく、
表向きから独立して深まっている事を、
なかなか気づかせない。
第12番の四重奏曲と同様、このソナタは、
12音技法が存在するにも関わらず、
非常に調性的である。」



さて、以下、楽曲の解説に入るが、


「アンダンテは、ピアノによってトレースされる、
12音のアイデアで始まり、
これが変容していく。
この音列の次の始まりに重なって、
ヴァイオリンは反行系の楽想で入って来る。
これのアウトラインは、
第2ヴァイオリン協奏曲の開始部の引用で、
その後、2つの楽器はこれらを交換する。
ついでながら、私は、この楽章を通じて、
ピアノ書法は、最も簡潔を極めたもので、
2オクターブ離れた重音ラインか、
または、開離和声で成り立っていることを補足したい。」

聴いていると、おっしゃる通り、
という感じだが、
何故、ショスタコーヴィチが、
こうした12音技法を採用した理由が知りたいものだ。


「対照的に、ピアノの内気なアイデアが、
ヴァイオリンのリズミックな伴奏に乗って現れ、
これは後に、役割が入れ替わって、ヴァイオリンが奏でる。
音楽はオープニングの音列が再現するまで、
この材料から構成される。」

これも、確かにそうなのだが、
こんな剽軽な楽節が、皮肉っぽく始まる理由は何なのか。
イメージとしては、オイストラフもショスタコーヴィチも、
四角四面の真面目人間で、
献呈者としても被献呈者としても、
まったくふさわしくない。
かなり長い部分が、
歌うでも語らうでもない、
独白で構成され、実に不思議極まる音楽だ。

しかし、中間部で、ぽろろん、ぽろろんと、
ピアノが鳴り響くあたり、
何となく冥界の声のようで気味が悪い。

あるいは、お呼びの音楽?
そんな感じがする。
とんでもないお祝いの曲である。
老境祝い?

「この楽章の残りの部分では、
2つの楽器はこの材料を徹底的に検証し、
展開部と再現部を兼ねた動きを見せる。」

提示部に力点が置かれた、
変則的な構成というべきか。

「中間楽章は、
他のショスタコーヴィチのスケルツォ同様、
爆発的なエネルギーと推進力に満ち、
はじめの小節には、交響曲第12番の回想がある。
全体的に他のスケルツォ同様、
輝きに満ち、堂々たるものである。」

第2楽章も、軽妙な感じ。
バルトークのように民族的な感じもするし、
英雄的に突撃しているような感じもするが、
どこかやけっぱちな感じである。
ヴァイオリニストはへとへとになりそうだ。

が、解説にあるように、
非常に力に満ちており、
身体から何かが発散していくような感じ。
5分を過ぎた辺りから、
もうへろへろ感が立ち上ってくるが、
ドゥビンスキーは緊張感を持って、
ますます集中力を高めていく。

しかし、陰鬱な両端楽章に挟まれて、
いかにも、死と隣り合わせの生、
という感じが強調されてしまう。
時として戯画的な表情が、
その感を強くする。

「終楽章は、3つの楽章中、
ある意味、最も印象的で、
第1ヴァイオリン協奏曲やピアノ三重奏曲同様、
パッサカリアである。
テーマは、ヴァイオリンのピッチカートと、
ピアノの左手の間に分けられた12音音列の8小節で始まる。
主題の5番目の登場で、
ヴァイオリンは、その音の間隔を反転させ、
その後、導入部の音列の要素が聞こえる。」

最も印象的な楽章とあるとおり、
全体の半分の16分を占め、
極めて瞑想的、神秘的な色彩が繰り広げられる。
高揚しては、沈潜して低回し、
気味悪く闇に息づく謎の生命体のようである。
いわば、地獄の住人と要約してもよかろう。
鱗粉を散らしながら、落下していく音楽にも聞こえる。

それにしても、ショスタコーヴィチは、
なんというソナタを書いてくれた事だろう。
このような謎に満ちた音楽に、
全精力を費やして取り組んでいることがよく分かる。
まるで、人間魚雷回天に乗り組んで、
この音楽もろとも果てようという気構えを感じる。

終わりの方では、冥界からのお呼びのような、
ぽろろん、ぽろろんも聞こえて来る。
我々は、こんな音楽に乗って、
いったい、どこに向かえば良いのだろうか。

ヴィオラ・ソナタは、まだ、月光の美の中に、
沈潜していくような安楽死の救いがあったと思う。
ヴァイオリン・ソナタには、中間楽章の、
束の間の英雄的燃焼があるばかり、
と書けば良いのだろうか。

曲想のせいか、ドゥビンスキーのヴァイオリンは、
ひたすら乾いた音で独白するもので、
集中力と密度が高く、
音楽の中に身を投げ込むかのような気迫がすさまじい。

エドリーナのピアノが、
いくぶん、一歩下がって、
余裕を持っているのが救いである。
二人して同じような取り組みだとすれば、
私は耐え難く思ったかもしれない。

得られた事:「ソナタ:死と隣り合わせゆえの、英雄的燃焼。」
「前奏曲:盟友による、意外なショスタコの叙情解放。」
by franz310 | 2010-07-18 23:17 | 現・近代
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