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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その228

b0083728_20481866.jpg個人的体験:
リヒテルは、1979年の
シューベルト・リサイタルでは、
前回のピアノソナタ3曲や、
「楽興の時」の他、
ソナタ14番もまた、
演目に加えていた。
同年の「東京ライブ」は、
9番と11番が表裏のLP、
13番と14番が表裏のLPで紹介されたが、
ロンドンでの演奏も全てCDになっていた。


しかし、私なら、前回の「13番」のソナタで息を呑んだ後、
さらに「14番」のような凝集された作品を、
聴くのに戸惑いを感じた事であろう。

前のCDが、限界を行く78分の収録時間で、
このソナタ14番が25分、休憩も入れると、
おそらく二時間を超すコンサートだったことが分かる。

リヒテルというと晩年、小品ばかり弾いていた印象があるが、
当時はまだ64歳で、勢いもあったものと思われる。

レコード芸術は、先のLPを両方特選にしたが、
初期作品については、
作品はともかく、演奏が良い、
という気配濃厚だったのに対し、
「特に14番は傑出している」、
「深く生きることの重みを語っている」と、
13番、14番については、
ほとんど激賞状態。

今回のものも、続いて聴かないわけには行かない感じである。

もともと、私は、この14番のソナタイ短調は、
あまりにも個人的色彩が強いものと感じ、
妙に生々しいものをぶつけられて来る感じに、
いささか抵抗もあって、苦手に感じていた。

後期の大作を予見させつつも、
何故か3楽章しかないのも、
ちょっと、考えるところがあった。

あるいは、最初に聴いたレコードが良くなかったのかもしれない。
アシュケナージだったか、
ブレンデルだったか、
いずれにせよ、どちらも現在は、
あまり聴きたくない感じだ。

この作品、25分程度で短く、
あまり、シューベルトが好きではないピアニストなども、
プログラムに変化をつけるためだけのように、
利用することがよくあり、
そうした人々が手垢にまみれさせた感じがなくもない。

1987年の「レコード総目録」では、
「ソナタ16番」のレコードを出していたのが、
クラウス、ツェヒリン、
ハスキル、フィルクスニー、
ポリーニ、ルプーといった、
渋めの布陣に対し、
「14番」は、
ツェヒリン、中村紘子、
フィルクスニー、宮沢明子、
リヒテル、ワッツといった、
花のある陣容となっている。

この名前を見ると、
ショパンやリストの前座に、
このソナタを利用しそうな雰囲気がある。

この手のリサイタルでは、
シューベルトのソナタなど、
聴いたことがない人たちが多数参集して、
休憩時間以外は、
寝ているイメージがある。。

それにしても、前回のリヒテルのCD、
同じBBCレジェンド・レーベルのものが
98年のものだったのに対し、
今回のものは、デザインも似ていて、
連続して出されたもののような印象を受ける割には、
2007年の印が付いている。

20bit DIGITALLYという記載もあり、
世紀が代わって、新技術でのマスタリング利用、
という感じが強調されている。

ただし、朗らかな前回のリヒテルの写真に対し、
今回は、集中する演奏風景になっている他、
中のブックレットの添付写真が、
まったくなくなっているなど、
実は、細かいリストラが進行している。
前回は4枚の白黒写真が掲載されていて、
いかにもレジェンドにふさわしいものだった。

前回のものが、「IMG Artists」という組織が
からんでいたのに対し、
今回のものは、「Medici Arts」となっている。

とにかく、経営権の変更と共に、何らかの意志決定が代わり、
当然、収益重視の方向に舵を切ったものと思われる。

こうした効率重視の方策と、
関係があるかどうかは不明だが、
中の解説も、前回のものの流用部分が多いのが気になる。

しかし、ところどころ、微調整がかかっている。
Souzaさんが、
「Fascinated and Fascinating」という、
抽象的な題名で書いているが、
演奏会当日のFascinated具合を、
思い出させる内容は完全に削除。

「20世紀の最も個性的なピアニストの一人、
スビャトスラフ・リヒテルは、1915年に生まれ、
作曲家でオルガン奏者であった父親が、
最初の音楽手ほどきをした以外は、
事実上、独学であった。
15歳にして、オデッサオペラの練習ピアニストになって、
3年後、主席指揮者の補助となった。
1937年、モスクワ音楽院の
有名なハインリヒ・ネイガウスのクラスに入るまで、
すでに音楽的人格を形成しており、
実践的音楽家としての経験を積んでいた。
入学試験もなしに、教えることはない、
と言いながらも、ネイガウスは入学を許し、
『最後の時までリヒテルから学ぶだろう』と言った。」

このあたりは、前回と変わっていないが、
この後も、カットアンドペーストしたくなる内容が続く。

「リヒテルは1960年まで西側に現れなかったが、
すぐに聴衆の愛顧を得た。
彼の登場は非常に待ち望まれていて、
この実況のBBC放送の録音からも知ることが出来る。」

前回、読み飛ばしてしたが、ライブ放送とあるから、
この演奏会の様子は、放送で多くの人が聴いたのだろう。
カセットに録音した人もいたかもしれない。

「リヒテルはシュナーベル後、
恐らく最初のシューベルト弾きで、
ソナタを包括的に取り上げた。」

確かに、シュナーベルは、
多くのシューベルト録音が残しているが、
もっぱら後期の大作群であり、
リヒテルのように1817年のソナタを、
取り上げたことがあったのだろうか。

「19世紀と20世紀の大部分、
シューベルトは、一般に器楽の作曲家としては、
何となく未完成、
ピアニストとしてはそこそこで、
最後の偉大な作品群での高みを完全に掴む前に亡くなり、
それは、形式的には修行中で絵画的で叙情的ではあるが、
『若書きの作曲家』と思われ、
それゆえに、ハイドンやベートーヴェンのような、
彼の神々の隙のない主題展開には未熟だと思われていた。」

このあたりも前回と同様であるが、
憎いことに、ここから、さりげなく、
イ短調ソナタの話になだれ込んでいく。

「リヒテルのシューベルトを聴くと、
次の瞬間、『至言』だが、これらの批判が、
覆されていく。
1823年、このイ短調ソナタが作曲された年に、
診断された不治の病によって、
若くして老成してしまった作曲家が体験した、
苦さ、孤独、苦痛といったレイヤーにまで、
リヒテルの解釈は浸透していく。」

前回、1823年のソナタは収録されていなかったのに、
この作曲家の苦みや苦しみや孤独に、
この解説者は触れていたではないか。
前回の作品から、シューベルトの孤独を聞き取ったのは、
間違いだったのだろうか。
シューベルトの孤独は、病気だけが原因だったのか。

姑息な手段の手抜きである。

とにかく、この14番、イ短調ソナタは、
病気の診断ゆえに、
苦く、寂しく、痛々しいということだろう。

青柳いづみこ著、
「ピアニストが見たピアニスト」には、
今回取り上げたリヒテルが、冒頭から登場している。

この著者は、欧米のピアニストは、
リヒテルのようなピアニストになりたいというが、
それには、高校の年齢まで正規教育を受けず、
いきなり練習ピアニストになって、
という経験をしなければならない、
などというロジックを展開しているが、
それにあやかれば、シューベルトのような作品を書くには、
若くして不治の病に罹患しなければならない。

トーマス・マンの「ファウスト博士」は、
そんな内容だったかな。

「これは明らかにシューベルトの残したもので、
最高のものの一つで、
ムードの上では、荒涼として寒く、不屈のもので、
完全に独創的なものである。
むき出しの和音の書法は、
生の実感の耐え難さよりも、
むしろ、感情の骨格をさらけ出している。」

「むしろ」、というのは、どういうことか分からないが、
多くの人は、このソナタに、
実在の耐え難さを聞き取るのだろうか。

しかし、私は、露骨な感情のむき出しなどより、
むしろ、実在の耐え難さを聞き取りたいのだが。
この筆者は何を言いたいのだろうか。
あるいは訳出を誤ったかもしれない。

ひょっとしたら、こんなところが、
私がこの曲を敬遠するゆえんかもしれない。

しかし、解説者が「最高のもの」と書いていることは嬉しい。
多くの解説者は、好きでもない作品を解説する。
まずは適任だと言える。

「流れ出すトレモロはひょっとすると、
これはもう一つの『未完成交響曲』ではないかと思わせる。
ピアニストは、他の作品以上に、
荒涼たる光景を、
オーケストレーションする必要がある。
リヒテルのオーケストラ的アプローチは、
練習ピアニスト時代や、
ヴァーグナーの『リング』のヴォーカル・スコアを研究した、
その幼少時を思わせ、強い特徴の一つとなっている。
シューベルトのごつごつしたスコアから、
時として恐ろしい力を持って、
ダイナミックスが形成される。」

リヒテルはEMIから13番のソナタを出していたし、
15番「レリーク」はフィリップスから、
16番、17番はメロディアから出していたので、
14番も、おそらく射程内にあったと思うが、
この曲は、何やらデーモニッシュなものの表出を得意とする
リヒテルの力を借りずにも十分に不気味な音楽である。

今回の演奏を聴いて、リヒテルゆえに、
それが倍加したとも思えない。

「不気味」という言葉で片付けず、
シューベルトの叫びを聞け、ということだろうか。
あるいは、ここにあるように、
交響的な効果を味わえ、という事か?

確かに、「未完成交響曲」自体、
この曲の第1楽章と同様、激しい部分と、
癒されるようなメロディの交錯で出来ている音楽なので、
これが交響曲であってもおかしくはない。
この曲は1823年の2月、「未完成交響曲」は、
前年の秋の作品である。

これが冬の音楽だとして、
「未完成」には秋の突き抜ける青空があるのは、
季節は関係ないだろうか。

「単純な歌曲のような第2楽章は、
不満げな音型が平穏を擾乱するとはいえ、
この楽章はつかの間の休憩を提供しようとしている。」

つまり、激烈な両端楽章の間の小休止ということだが、
リヒテルの演奏は、13番と同様、
この楽章でその個性を全開にしている。
非常にゆっくりとしたテンポで、
噛みしめるように一瞬を味わい、
苦渋の足取りにも見える。

不満げな音型というより、
私には、急に何かこみ上げて来た音型と思える。
何だか切迫した感情である。
こうした表現はリヒテルに合っている。

また、第1楽章での解説も、
この楽章に応用したいところだ。
リヒテルは、このシンプルな音楽にちりばめられた、
様々なピアノの響きに、多彩な色彩を当てはめている。

私は、この楽章は好きである。

「打ち寄せる三連符や、
対照的な動きのアルペッジョ、
そして怒りに満ちた耳障りな和音に満ちた、
終曲の悲劇的な突進の前に、
短い間奏曲を設けている。」

これは、主題は第2楽章なのに、
その形容詞ゆえに第3楽章を主とした解説。

「多くのピアニストはテンポを誤り、
三連符のダブルオクターブゆえに、
最後にテンポを落とすが、
リヒテルにとって、技術的な問題は皆無で、
全体のスキームをみごとに完成させる。」

終楽章の第1主題部と経過句の部分、
あまりシューベルトの音楽には、
類例を見ない凝った作りである。

この部分の木枯らしの表現も、
何やらが砕け散るアルペッジョも、
リヒテルは魔法のように、
色彩の魔術を使い尽くしている。

コーダでは、猛然と衝動が起こり、
それを強烈な意志で弾き通し、
どすんとした和音で締めくくる。
すごい歓声が上がっている。

おそらく実演では興奮するであろう、

先に挙げた、「ピアニストが見たピアニスト」では、
リヒテルの頭の中には強烈なイメージがひしめいていて、
彼は音楽の中に、そうしたものを見ないではいられないとある。
この曲の強烈な振幅は、恐らく、
リヒテルの頭に、かなり強烈なイメージを形成したことだろう。

次に、これまでリヒテルが弾いたとは知らなかった、
シューベルトの珍しい作品が併録されている。

1817年、ピアノソナタの年に書かれながら、
同様に初期作品として、あまり演奏に接する機会のない、
この親友の作った主題による変奏曲を、
リヒテルが愛情を込めて弾いてくれているのは、
シューベルト・ファンには、
何よりもの贈り物ではなかろうか。

1817年のピアノ作品は、こんな感じで書かれた。

3月 第4ソナタ
5月 第5ソナタ
6月 第6、第7ソナタ
7月 第8ソナタ
8月 第9ソナタD575、変奏曲D576。

つまり、この変奏曲は、
手近な材料を利用したものではあるが、
大規模なソナタを書くための習作などではなく、
ソナタ群を書き終わるか終わらないかの時点で、
ピアノ書法の集大成のように書かれたことが分かる。

改めて聴くと、非常にしっかりした作品で、
リヒテルのこのCD、各変奏ごとに、
トラックが入っていることも嬉しい。

(トラック多用でありがたい、
DENONレーベルの、
ダルベルトの演奏でもトラックはなく、
インデックスのみだ。)

「イ短調はシューベルトの好みの調性と見え、
D784は、この調性の3つのソナタの
2番目のものであったが、
1817年の『ヒュッテンブレンナー変奏曲』も、
この調性で書かれている。
アンゼルム・ヒュッテンブレンナーは、
シューベルトの最も親しい友人の一人で、
『未完成交響曲』の自筆譜を保管していた。
この曲の主題は、ヒュッテンブレンナーが、
1816年に作曲した最初の弦楽四重奏曲から来ていて、
ベートーヴェンの『第7交響曲』の緩徐楽章の余韻がある。
しかし、シューベルトはしかし、
老巨匠の交響的手法の模倣には陥らず、
いつものようにリヒテルが心を込め、
確信を持って探求しているように、
様々な性格の小品の集積として完成させている。」

解説にも、「心をこめ」とあるのでびっくりした。
各曲の微妙な色調を丁寧に描き分け、
しかも、一本、筋を通して、
終曲に向かって音楽が、
よどみなく流れていくのはさすがである。

先のダルベルトの演奏では、
さらさらと流れていくだけで、
全く各変奏ごとの思い入れが感じられない。

昨夜、日本の若手が、ピアノで表す、
曲のイメージがつかめなくて苦しむ様子を紹介した、
NHK番組があったが、
ダルベルトの演奏からは習作のデッサンしか見えず、
一方、リヒテルの描き出すイメージは、
鮮烈に完成された油彩である。

音楽之友社の「名曲解説ライブラリー」にも、
この曲は取り上げられていて、
()内のようなことが書かれている。
ざっくり、こんな感じの曲である。

Track4:(主題)
英雄的な葬送行進曲のような主題。
Track5:変奏1、(左手スタッカート)
左手の動きが特徴的で、急に陰影が増す。
Track6:変奏2、(華麗な装飾)
スカルラッティのような典雅さが魅力
Track7:変奏3、(16分休止符)
リズムが激しく、劇的に傾斜する。
Track8:変奏4、(装飾的旋律)
ぴちぴちとリスト的。
Track9:変奏5、(イ長調)
静かになって、明るい日向でもの思いに沈む感じ。
Track10:変奏6、(嬰へ短調)
さらに深く思う感じ。切ない感じもする。
Track11:変奏7、(イ短調)
再び激しくリズムを刻み、何かがこみ上げて来る感じ。
Track12:変奏8、(内声分散和音)
対位法的に繊細。真珠のような音色。
Track13:変奏9、(微妙ニュアンス)
シューベルト的な憧憬。夢見るような風情で微笑ましい。
Track14:変奏10、(下降分散和音)
激しく打ち鳴らされ、夢は完全に吹き飛ぶ。
Track15:変奏11、(対位法的)
失意の音楽、力もなくうなだれる感じ。
Track16:変奏12、(跳躍進行)
再び、仕方なく歩き出す感じ。
Track17:変奏13、(拡大されたフィナーレ楽章)
おしまいの音楽で、おちゃらけた感じ。
冗談音楽みたいである。
それを強烈なリズムがかき消そうとするが、
しぶとく生き残るパバゲーノみたいな感じ。
最後は、それを踏みつぶしておしまい。

このように、極めて変化に富む音楽で、
リヒテルの共感豊かな演奏で、音楽は見事に息づいている。
変奏曲というより、一幅の交響絵画になっている。

終曲で、ベートーヴェンやブラームスのように、
フーガでも始まれば、これは傑出した名品になったと思われる。
最後の変奏が、妙に軽いので印象を薄くしているが、
これはこれで、何らかの意図を感じさせる。

何やら、隠されたプログラムがあるのではないか。

この演奏は、ソナタとは異なり、
1969年のリサイタルのもののようだが、
シューベルトをテーマにしたわけでもないのに、
この曲を取り上げている点、さすがである。

また、10年後のものと比べ、
音質にそれほど差異はないのが嬉しい。
むしろ、マンチェスターの聴衆の方が、
ロンドンの聴衆より静かである。

また、同じ日から、さらに2曲が選ばれている。
シューマンの「幻想小曲集」と、
ドビュッシーの「映像第2集」から「葉末を渡る鐘の音」である。

ちなみに、この、マンチェスター自由貿易ホールでのリサイタルでは、
さらにラフマニノフが弾かれたようである。

さて、次のシューマンは、リヒテルの得意の演目である。
かなり期待が持てる。
最初の瞑想的な深い音色からして、すっと、
その世界に引き込まれてしまう。

「ベートーヴェンとシューベルトの精神は、
一緒になってシューマンのミューズとなった。
そして、リヒテルの激しくも静謐な演奏は、
彼をシューマンの理想的な解釈者としている。」

これはよく言われることだが、
このCDでも、これは痛感させられる。

「マンチェスターのリサイタルで、
『幻想小曲集』作品12の、
第4曲、第6曲を省略しているゆえに、
問題視する人もあろうが、
彼は残りの曲の核心に迫っている。
各曲の異なる性格ゆえに見えにくいが、
全体としてこの曲は、
への音を中心にその回りを戯れ、
緻密な調性で結ばれている。
この曲の2曲をリヒテルが弾かない理由は、
今や分からないが、荒々しさを交えつつ、
彼の夢見心地の叙情を欠くことがない。」

「幻想小曲集」は、以下の8曲からなるとされる。
1.夕べに
2.飛翔
3.なぜに
4.気まぐれ
5.夜に
6.寓話
7.夢のもつれ
8.歌の終わり

「気まぐれ」と「寓話」が省略されたようだが、
これは、リヒテルが昔、メロディアのLPで出していた時も、
同じ選曲だった。

これはモノラルの時代のもので、
「フモレスケ」作品20とのカップリングで、
私は、何度も聞き込んだものだ。

私は、先年、この曲の実演に接したが、
リヒテルが省略した曲も弾かれると、
いきなり道に迷った感じになって困ったものである。

つまり、リヒテルはこの曲が好きで、
演奏する時は、この選曲をしていたということであろう。
そういえば、グラモフォンからも、
リヒテルのシューマンはLPが出ていて、
これも同様の選曲になっていた。

第2曲も、交響的な色彩とダイナミックスで聴かせ、
第3曲の秘め事風情も愛くるしい。
次に第5曲「夜に」が来る。

以下、このCDの解説、以下の部分が、
今回、最も印象的であった。

「『夜に』を書き上げたところで、
シューマンは、これが、ヘロとレアンドロスの物語を、
語っていることに気づいた。
レアンドロスは、恋人の点す明かりを元に、
闇の中を泳いで通っていたが、
ある晩、それが吹き消されたために溺死する。
リヒテルの解釈も同じである。」

この黒い渦を巻く作品が、
何故に、「夜に」という題名なのかが、
ようやく分かった。
昔から、こんな解説があったのだろうか。
中間部の静けさは、灯台の明かりが消えて、
途方に暮れた感じであろうか。
後半、確かにめちゃくちゃになって、
無我夢中の感じがこの演奏からもよく出ている。

しかし、シューマンの言ったのは、
他の曲とは無関係であろう。
続いて、第6曲は省略され、第7曲「夢のもつれ」で、
錯綜した感じになって、
リヒテルもへべれけの一歩手前まで行ってるのは、
ギリシャ神話の引用では解明不能。

終曲(第8曲)は、壮大なクライマックスであるが、
最初は晴れやかな祭典のファンファーレが鳴り響き、
明るい情景が繰り広げられるのに、
何故か、シューベルトの変奏曲同様、
尻すぼみ傾向である。

「終曲『歌の終わり』では、シューマンは、
秘密の婚約者、クララにあてて、
『最後に、喜ばしい結婚に向かって全てが身を委ねるが、
やがて、悲しみが戻って来て、婚礼のベルと弔いの鐘が、
同時に鳴り響くのだ』と書いている。」

この解説は、先のリヒテルのLPにも出ていたと思う。
私は、「結婚は人生の墓場」ということかと思っていた。

しかし、今回、これを読むと、
幸福と不幸が切り離せない、
シューマンの悲劇的な人生を暗示しているようで、
もっと切実なもののように思えて来た。

シューベルトも、
「愛を歌おうとすると、愛は苦しみになった」
と書いている。

さて、最後はドビュッシーである。

「このドビュッシーのアンコールは、
CD未発売のもので、リヒテルの他の面を見せる」
とあるが、
LPでなら、出た可能性はあるのだろうか。

BBCの正規録音なので、放送されたであろうから、
海賊盤が出たとしてもおかしくはない。


「すべての作曲家に、彼は個人的なアプローチをするが、
ドビュッシーでは、鍵盤自身が、
魅惑の対象となって、優れた技巧が色彩を探求し、
多彩な糸を織り込んで行くようである。
それに対するリヒテルが幻惑され、まるで、
演奏時に作曲されて行くように見える。」

ここに、このCD解説のタイトルの理由が出てくる。
「魅惑されて魅了する」とは、
リヒテル自身がピアノの音色に幻惑された結果を聴いて、
聴衆が魅了されるということなのだろう。

私には、この数分の演奏から、そこまで聞き取る力はないが、
繊細な演奏で、耳をそばだたせるのは確か。
とても美しい。

とはいえ、今回のCD、
最大の聴きものは、私にとっては、
シューベルトの「ヒュッテンブレンナー変奏曲」であった。

これを書き終わったところで、
ふと、アインシュタインあたりが、
この曲について、どんな事を書いているだろうと思い、
白水社の本を開いてみると、
なんと、私が思った事に似たことが指摘されている。

曰く、
「和声的な奇跡に充ち満ちている」
「特に上げるべきは嬰ヘ短調の変奏である」
「残念ながら終結部には最後の強化が欠けている」。

得られた事:「1817年はソナタの年であるばかりか、ピアノのための変奏曲の年でもあった。」
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by franz310 | 2010-05-29 20:48 | シューベルト
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