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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その214

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その214_b0083728_23451533.jpg個人的経験:
前回、ヴァイオリンのスタンティジら、
ザロモン四重奏団のメンバーによる、
「アイネ・クライネ」を聴いたが、
この人が中心となって、
シューベルトの「ます」を録音したものも、
同じく、オワゾリール・レーベルから出ている。
ただし、ここでは、
ザロモン四重奏団ではなく、
「アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
室内合奏団」という名称になっている。
ヴァイオリンとヴィオラは同じメンバーだが。


つまり、スタンティジのヴァイオリン、
トレヴァー・ジョーンズのヴィオラまでが、
ザロモン四重奏団と同じで、
チェロ、コントラバスに変更があり、
ワトキン、マクナマラになっている。
ピアノはスティーブン・ルービンである。

表紙のデザインはいささか殺風景で、
川辺で釣られる魚の苦しみのようなものが描かれた、
古風な絵画があしらわれている。
ただし、改めて見ると、口を開けているのが、
釣られているのかどうかは確信が持てない。
竿も糸も見えない。

また、その隣で、もう一匹が、
尻尾を水面から突きだしているのは、
いったい、何を意味しているのだろうか。
こちらの方は、何となく、糸を引っ張っているようである。

こうやって釣るのですよ、という説明用だろうか。
さっぱり分からない絵画であるが、
みずみずしい緑の草が目を妙に引く。
遠景の建物もロマンティックな空想をかき立てる。

しかし、川も一緒に緑色なのは少々いただけない。
これではまるで、アオコが発生した諏訪湖みたいである。

「ウィンチェスターの鱒(部分)」と題されており、
ヴァレンティン・トマス・ガーランド作とあるが、
私はこの人を知らない。

とはいえ、さすが古楽の名門オワゾリールだけあって、
解説も面白い。
Clive Brownという人が書いている。
「シューベルトは、1819年の夏の休暇を、
上部オーストリアの魅力的な街、
シュタイアーで、
以前の学校友達アルベルト・シュタッドラーと、
シューベルトの歌曲普及に貢献した、
いくぶん年上だが、高名な歌手、
ミヒャエル・フォーグルと一緒に過ごした。
シュタッドラーもフォーグルも、
この地方の生まれで、この地域社会と繋がりを持っていた。
彼らは即座に、シュタイアーの鉱山の副監督で、
すぐれたアマチュアのチェリストであった、
ジルヴェスター・パウムガルトナーに紹介した。
この人のサロンはこの街の音楽中心であった。
シューベルトと仲間たちは、
パウムガルトナーの仲間たちと、
楽しい時間を飽くことなく過ごし、
8月10日には、フォーグルの誕生日を、
シューベルトがこの機会を捉えて作曲したカンタータで祝い、
おそらく、楽しく田園的な、イ長調ソナタ(D664)も、
パウムガルトナーのサロンで披露されたのだろう。
シュタイアーでの滞在は明らかに彼らの健康と精神に、
利をもたらしたのでろう、シュタッドラーの友人、
アントン・ホルツアプフェルは、シュタッドラーに対し、
1819年11月、
『君の顔を見れば、君がシューベルトやフォーグル、
パウムガルトナーたちと、どんなに楽しい時を過ごしたか分かるよ』
と手紙を書いている程である。」

「ピアノ五重奏曲イ長調のアイデアは、
パウムガルトナーから出たもので、
通常とは異なる楽器編成や、
歌曲『ます』の変奏曲を含む構成も、
この人の要望に添ったものと思われる。
何年かしたあと、シュタッドラーは、
シューベルトが五重奏曲を書いた時を回想している。
『友人、ジルヴェスター・パウムガルトナーは、
この素晴らしい小さな歌を愛していて、
そのリクエストによっている。
彼の要求は、五重奏曲は、
構成や楽器編成を、最新の、
フンメルの五重奏曲、または七重奏曲に
合わせて欲しいということだった。
シューベルトはそれをすぐに完成し、
スコアは、彼自身が持っている。』
シュタッドラーは、それに加え、
五重奏曲が完成すると、
ヴィーンからパウムガルトナーに、
パート譜が送られたが、
彼は後にそれらを無くしてしまい、
それから長い年月が過ぎて、
シュタッドラーはもはや思い出すことが出来ず、
それに関する事に関して口を閉ざしてしまった。
しかし、彼の最初の回想はおそらく正しく、
シュタッドラーの手書きによるパート譜のセットが、
最近、上部オーストリアの
聖フローリアンの修道院で発見された。」

いきなり、どひゃーっという記述。
1991年6月20日から23日の録音というから、
もう、20年も昔に、そんな発見がなされていたのである。

「シューベルトはこの五重奏曲の作曲を、
シュタイアーにおける休日に始めており、
ヴィーンに帰ってから、その秋に完成させたようである。
手稿は残っておらず、
シュタッドラーのコピーによるパート譜と、
最初の版(作曲家の死の翌年まで出版されなかった)
の比較からして、後年、シューベルトは少なからず、
小さな修正を楽譜に施した。
この変更は、シューベルトのヴィーンにおける、
仲間達との演奏体験を反映したものと思われる。
ヴィーンの音楽サークルは、
その出版前からこの作品を知っており、
玄人筋はすでにこれを傑作と認めていて、
商業上の鑑定から、
最初の出版がアナウンスされたと考えられる。」

「『ます』の五重奏曲は、
シューベルトの明るい側面を見せるもので、
彼は明らかに、
作曲上の技法の巧妙さで、
聴衆を感心させる気はなく、
むしろ、魅力を増幅し、
聴衆を魅了することに成功している。
時折、深い瞬間があるが、
5つの楽章のうち4つまでは、
上部オーストリアでの休暇中の、
寛いだ雰囲気を反映しており、
第2楽章のみが、内省的なムードを持っている。
シュタッドラーの証言にある、
シューベルトの五重奏が、
フンメルの五重奏、または七重奏曲
ベースにしているということは、
学者を悩ませてきた。
1816年にヴィーンのアルタリア社から出版された、
ピアノ、管楽器、弦楽器のための
フンメルのニ短調の七重奏曲を、
明らかにシューベルトは知っていただろうが、
1820年に作曲され、1822年に出版された、
シューベルトと同じ編成による、
フンメルの五重奏曲変ホ長調は、
『ます』の五重奏曲の後にならないと、
知られるようにならなかった。
事実、シュタッドラーのコメントの意味は、
極めて明確で、それは七重奏曲ということではなくて、
パウムガルトナーとその友人たちが、
たぶん、楽しんでいた、
アルタリアがオリジナルと同時に出版した、
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、
チェロ、コントラバスのための、
編曲版を指していたのである。
シューベルトはパウムガルトナーの指針に、
編成の上では従っていたが、
構成としてはそこから離れている。
フンメルの七重奏曲は、
第2、第3楽章がシューベルトの第3、第4楽章と同様、
スケルツォと変奏曲で、
シューベルトの第1、第3、第4、第5に相当する、
4楽章しかない。
しかし、シューベルトの第2楽章は、
フンメルの作品に相当する楽章がなく、
5楽章形式は、非常に有名であった、
ベートーヴェンの七重奏曲に近い。」


「シューベルトが知っていたものとは、
楽器や演奏のテクニックは大きく変わってしまった。
見たところ、弦楽器はピアノと比べて、
あまり変わっていないようだが、
最も特筆すべきは、ガット弦からメタル弦になった点であり、
いくつかの重要な観点で、演奏方法も大きく変わっている。
ヴィブラートは控えめにしか使われず、
アクセントや、フレーズ中の重要な音を、
強調するためのものと思われていた。
ポルタメントは、きれいな表現豊かなカンタービレには、
必須のものと見なされ、もっと頻繁に使われた。
当時の弦楽器奏者は、弓遣いが全く違っており、
広く賞賛されたヴィオッティ楽派の影響で、
幅広く、歌うような演奏スタイルを開拓し、
近年の奏者が好むような弓を跳ねさせる動作も少なかった。
シューベルトの演奏上のマーキング、音楽内部の必然から、
どのような技法が使われるべきかの手がかりが得られる。
この演奏では、当時の演奏に極力近づくように、
あらゆる努力が払われている。」

さて、各楽章を聴いてみよう。
Track1:アレグロ・ヴィヴァーチェ、12分30秒。
この演奏時間を見て分かるとおり、
ホグウッドが時折聴かせるような、
恣意的な強引さはなく、この曲の解放感にふさわしく、
かなり、大きな広がりを持った表現である。

しかし、前回、「アイネ・クライネ」で感じたように、
非常に強靱な意志を感じさせるもので、
一点一画をゆるがせにしない集中力を感じさせる。

各楽器が鳴りきり、録音のせいか分離もよい。
フォルテピアノの音色も豊かである。
見ると、1824年のコンラート・グラーフの写真も出ていて、
シューベルトが「ます」の五重奏曲を作曲したのより、
数年後のものである。

私は時々、シュタイアーのような地方都市に、
当時、どんなピアノがあったのだろう、
などと考えることがあるが、
この楽器は、シューベルトが想定した響きより、
少し豪華かもしれない。

さすがオリジナル楽器らしく、
ヴァイオリンは、ガット弦かつノンヴィヴラートで、
澄んだようなくすんだような響きが独特だ。
これをスタンティジが、すごい迫力で操っていく。
若干、ヴィオラが弱いか。
チェロもコントラバスもよく聞こえるので、
そう感じるだけかもしれないが。

Track2:アンダンテ、6分55秒。
解説者が言っている、フンメルにない、
あるいは、シュタイアーの自然から離れた、
内省的な楽章。
しかし、私は、この楽章にも、
シュタイアーの澄んだ空気が流れていると信じたい。

ここでは、フォルテピアノの落ち着いた響きが、
その内省的な情感を盛り上げる。
優しいヴェールのような弦楽が、
この孤独を天使のように見守っている。

ヴィオラとチェロが歌い交わす美しいメロディーは、
あるいは、現代奏法による豊饒な音で聴きたいような気もするが。

Track3:スケルツォ-トリオ:プレスト、3分50秒。
再び、強烈な豪腕でヴァイオリンが鋭いアタックを入れ、
この奏者ならではの、音楽のドライブが始まる。
よどみなく流れるピアノと弦楽の、
息をつかさぬバランスにも感服した。

トリオでは、力を抜いて寛いだ表現を聴かせるが、
ちょっと素っ気なさすぎるかもしれない。
ピアノの聞き慣れない節回しは、即興か、それとも異稿か。

Track4:主題と変奏、アンダンティーノ。
ピアノなしの主題提示で、
この弦楽部隊の美しいハーモニーが味わえ、
波打つヴィオラに乗ってピアノが入って来るが、
ここでも、伴奏が少々弱く、ピアノには、
即興的とも言える節回しが混入する。

スタンティジのヴァイオリンが歌い始めると、
この人の表現意欲が強烈なことを改めて感じる。
コントラバス独奏の部分では、
この楽器ならではの音色が聴けるが、
やはり、もっと強烈な存在感が欲しいと思った。

ピアノとヴァイオリンが火花を散らしているせいか、
音に込められた情念の薄さが、ちょっと気になる。
そんな風に聴くと、チェロの独奏も、
さらにたっぷりと夢を歌って欲しい。

その一方で、ヴァイオリンは、音色も自在に変容させて、
すごいサービスである。

Track5:アレグロ・ジェスト、9分29秒。
少し肩の力を抜いた終楽章である。
最初の音がとーんと軽く長い。
しかし、次第に集中力を増していき、
だんだん白熱して来て、
その構成力は期待通りである。

この楽章は曲の作りがそうであるせいか、
ピアノ対弦楽の質量合戦みたいな感じで、
個々の楽器がどうじゃ、というのが言いにくい。
しかし、チェロはもっとぼわんぼわんと鳴って欲しいところだ。
むしろ、何だか蜂が飛ぶようなぶんぶん音がするが、
これは古い楽器や奏法と関係あるのだろうか。

通常は二回の繰り返しを三回やっており、
全曲が40分30秒という大作となった。
このすばしっこい終楽章にも、何だか悠然と構えたところがあり、
仰ぎ見るような建築物が、みるみる組み立てられて行く。

シューベルトの思惑と一致するかは分からないが、
畏怖すべき大曲として再現されているのは見事と言うしかない。

効果的で華やかな現代の楽器に背を向けた人たちは、
やはり並々ならぬ意志を持った人たちの集まりであると見え、
時として、こうした、作品のスケールを超え、
巨大化した表現を聴かせる。

さて、歌曲をもとにした楽曲であったこともあって、
この後、そのもとの歌曲も含め、7曲の歌曲が収められている。

テノールのアインシュレーが、
気持ちの良い好感度の高い、
のびやかな歌を聴かせてくれる。

「テノールとピアノのための歌曲集。」
「ここに収められた歌曲はすべて、
『ます』の五重奏曲の作曲以前に書かれており、
すべて水と関連のあるものである。
五重奏の第4楽章の主題となった歌曲を書くまでに、
シューベルトはすでに、
様々な作者の詩による350曲以上の歌曲作曲を行っていた。
彼の霊感は、偉大なゲーテやシラーの詩と共に、
もう一人のシュタイアー出身の人で、
病的なまでに感受性豊かな、
マイヤーホーファーの詩や、
控えめながら誠実なクラウディウス、
それに、感傷的なクリスチャン・シューバルトの詩にも
同じように触発されたように見える。」

ということで、「水」に関わる歌曲集である。
同様の試みは、ハイペリオンの「歌曲全集」でも、
もっと大がかりに行われていたが、
7曲くらいというのも、全20分で、
ちょうど良いような気もする。

しかし、よほどこうした主題のものは多いと見え、
ハイペリオンの「シューベルト歌曲全集」
第2巻(水にちなむ歌曲集)に収められたものと、
重なっているのは何と1曲のみ。

ハイペリオンでは、D111の「潜水者」のような、
初期の怪物のような大作から、
後期のD881の「猟師の歌」まで、
バリトンのヴァーコーが歌っていた曲目は、
作曲年代がかなり分散していたが、
今回はD番号500番代でほぼ占められ、
歌曲「ます」の周辺事情の探求が深まる。
これは大変、ありがたいことである。

Track6:
「『ます』D550は、初期の歌曲の中で、
愛好されたものの一つで、
1817年から1821年までに、
5つの手稿が残されている。
第3版は、誠実な友情の印として、
ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーに献じられ、
1818年2月22日『深夜』の日付がある。
完成させた後、シューベルトは眠気に襲われ、
うっかりして砂の代わりに、
インクを手稿の上にまいてしまった。
この歌曲はわずかに変形された有節歌曲で、
第3節の前半で、予想されるパターンから、
ますを捉える描写に移って、
しかし、最後はもとのメロディーに戻っている。
『ます』は、1820年に、
『芸術、文学、劇場と流行の季刊誌』の付録として、
最初に出版され、その人気によって、
ディアベリの「フィロメル」シリーズの152番として、
5年後に再版されている。」

Track7:
「『ます』や、シューベルトの生涯における、
この時期の多くの歌曲と同様、『流れのほとりで』D539は、
感情的に工夫された有節形式で書かれており、
中間部では、より扇動的な感情を描写する。
1817年3月に書かれ、1822年に、
初めて出版された。」

落ち着いた叙情的な歌曲で、この歌手の誠実な歌い口が映える。
「私の人生は美しい川と
結びついているような気がする」(石井不二雄訳)と、
妙に直接的な切り出し方であるが、
「楽しいことも悲しいこともこの川辺で
私は感じたのではなかったろうか」と歌われると、
それはいったいどんな川なのだろうか、
などと妙に想像力がくすぐられる。

懐かしい単純な唱歌のように、
自らの来し方を回想させられる歌曲である。
そんな風情にぴったりの歌い口の歌手である。
自然に私の心を音楽にしてくれているような感じがする。

さて、マイヤーホーファーは、シュタイアーの人で、
「ます」の五重奏曲もシュタイアーで作られたとすると、
この歌曲にひそむものと五重奏を育んだものが、
きっと、何か共通のものなのだろうと思えて来た。

詩人は川を見て、そこに、
緑色のなめらかな姿や猛り狂ったりして、
自分の心と重ね合わせる。

そして、最後の段落では、
「さすらい人」の基本主題のような言葉が出る。
川は海に行っても落ち着くことは出来ない。
自分もまた、「地上で幸福を見いだすことはない」というのである。

Track8:
「シューベルトは1817年3月、
少しずつ違った二つのヴァージョンの『湖上にて』を書いた。
彼の多くの歌曲と同様、ピアノ伴奏は素晴らしく簡潔に、
テキストのムードを助けている。
少し長めの第2版が、
作品92の2として出版された彼の死の年まで、
この作品は出版されずにあった。」

ここではD543が歌われている。
素晴らしい感興に満ちたゲーテ歌曲。

「波が私たちの小舟を
櫂の動きに合わせ揺り上げて、
雲をかぶり空にそびえる山々は」と、
何と開放的な光景であろうか。

この胸の高鳴りに合わせて、
ピアノ伴奏も朗らかである。

一瞬の陰りの後、
「消えろ、夢よ!」というゲーテらしい、
俺様表現が聴ける中間部からさらに勢いを増し、
もはや感動の連鎖のような興奮ばかりが続く。

それにしても、薄倖だった
シューベルトもまた、
こうした光景を夢見た時期もあったのだ。

シュタイアーの自然の前で、
圧倒されたシューベルトの心を、
この歌は先取りしているように思われる選曲。
この歌手の大げさでない表現が、
この歌曲の真実らしさを伝える。

Track9:
「マイヤーホーファーの『エルラフ湖』D586への
シューベルトの田園情緒溢れる付曲は、
優しいメランコリーで性格付けされており、
『作品1』としてではないが、
(この光栄を担ったのは1821年の『魔王』である)
彼の最初の出版された歌曲となった。
『エルラフ湖』は、1818年、
『オーストリアの自然、芸術愛好家の絵入りポケットブック』の
第6巻の付録として、ひっそりと世に出た。」

「静かなエルラフ湖のほとりにいて
僕は楽しく、また悲しい」と歌われ、
水とマイヤーホーファーの相性の良さを感じさせる。
木々のそよぎはなく、
ただ、湖面を雲だけが流れる。

「魔王」などと比べると、
ものすごく控えめで目立たないデビュー作であるが、
耳を澄ますと、七色の色調がちりばめられている。
中間部は、いくぶん波立つが、
それも実は詩の通りで、
風が流れ、湖が日の光を反射する様子が描かれる。

しかし、それも、冒頭の静けさに戻って行く。

Track10:
「クラウディウスの控えめな田園詩にふさわしく、
シンプルな曲付けをされた『泉に』D530は、
1817年2月に作曲されたのに、
シューベルトの死後まで出版されなかった。
多くのシューベルト歌曲同様、
単純さと微妙さが手を取り合って、
詩の中に流れる深い感情を描写している。」

ダフネ(ニンフ)になぞらえて、
泉のほとりで会った少女への思慕を、
明るく単純に歌ったもの。

ナイーブである。
この叙情的な声を持つ歌手の
得意とするところだろう。
ここに来て気づいたが、
この歌手を始め、演奏家に対する解説は、
一切ないようである。

Track11:
「シューベルトは『小川のほとりの若者』に、
3度、異なる付曲を行った。
今回、ここに録音されたのは、
その2番目のもので、
シラーの悲劇的な詩に迫っている。
1812年の最初のものは、
彼の現存する最初の歌曲の一つで、
3度目のものは、1819年に、
『ます』の直後に作曲されている。
2番目のもの(D192)は、1815年に書かれ、
失意の若い恋の自己陶酔的な憂愁を、
強調した曲想である。」

この曲のみが何故かD番号で500番代ではないが、
「美しい春が喜びを与えてくれたとて、
それが僕の何の役に立つというのか」という、
屈折した、シラー&シューベルト的なものであるが、
「僕の求めるのはただ一人のひと、
そのひとは近くにいながら永遠の彼方に離れている」
と歌われると、のっぴきならない状況と分かる。

その悲劇性にふさわしく、ピアノも歌も、
にび色の光沢を備えている。

Track12:
「『舟人』D536は、おそらく、
マイヤーホーファーのその他の数曲と一緒に
1817年3月に書かれた。
絵画的な無窮動の伴奏に彩られた、
活気ある力強い付曲の最初の版は、
1823年に出版された。」

「ます」の五重奏曲の爽快なエンディングの後で、
おそらく、この曲は最後に置かれるのにふさわしかろう。
一説によると、シューベルトの歌曲の中で、
唯一、悲しみがないものとも言う。
この曲のみ、ハイペリオンの歌曲集で、
水にちなむ歌曲集として収められていた。

得られた事:「シュタイアーは、マイヤーホーファーの故郷でもあり、シューベルトはこの盟友から、その地の自然への感受性の準備をたたき込まれていたのかもしれない。」
by franz310 | 2010-02-20 23:45 | シューベルト
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