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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その212

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その212_b0083728_2147374.jpg個人的経験:
前回、「緩徐楽章を、
メヌエットで挟む構成は、
当時の楽曲では、
もう1つの正当派であった」
などと書いたが、
これは今回聴くCDによって、
経験則としては納得できる。
このCDの解説は、
痒いところに、
ちょっと届きそうな解説付き。


というのは、ヨーゼフ・ハイドンが、
若い頃書いた、カッサシオとか、ディヴェルティメントを、
そこそこまとまった形で4曲聴くことが出来、
そのうち2曲が、上述の構成を取っているし、
解説にもこのあたりのことは、少しだけだが、
触れられているのである。

Ulrich Tankという人の書いた、
このCDの解説は、実に、これらの怪しい曲種について、
歴史的資料も用いて解説してくれているのである点が嬉しい。
私は、セレナードとかディヴェルティメントは、
シューベルトやモーツァルトの名品があるので、
身近に感じられるが、カッサシオンになると自信がない。

「ヨーゼフ・ハイドン:ディヴェルティメント集。
カッサシオン、ディヴェルティメント、ノットゥルノ、
これらの言葉は、18世紀には一般的であったが、
それが実際に何を意味して、
このように指定されたものには、
どんな違いがあったのだろうか。」

このような書き始めで、
大いに興味をそそってくれる。

ディヴェルティメントといえば、
モーツァルトが大きな管弦楽曲を多数残しているが、
ハイドンのものは微妙で、多いのか少ないのか、
実は、私もよく分かっていない。

大宮真琴著の新版「ハイドン」でも、
【管弦合奏曲】としては、
「管弦合奏用ディヴェルティメント(11-6声部)」
として、12曲(消失曲1曲)となっていて、
「9声部」が、Ⅱ:9、17、20、G1の4曲とされ、
「6声部」が、Ⅱ:1、11、21、22、10となっていて、
10は消失曲となっていたり、21、22は、
弦楽四重奏曲(作品2の3と作品2の5)に混入、
などと、複雑な事態になっていることが分かる。

とにかく、このうちの20,G1、1、11が、
このCDで聞けるので、以上の9声部、6声部ものの半数が、
上手い具合に収められているということになる。

さらに、「その他の声部数のディヴェルティメント」として、
Ⅱ:24(11声部)、Ⅱ:16(8声部)、
Ⅱ:8、Ⅱ:D22(7声部)の三曲があるらしい。

さらに、【管楽合奏曲】としては、
「管楽合奏用ディヴェルティメント」として、
「7曲;消失曲5曲;真偽不明曲1曲」とされている。
また、【弦楽合奏曲】としては、バリトンという謎の楽器のものが、
うじゃうじゃある。

弦楽四重奏曲のところを見ると、先に出てきた、
「作品2の3」と「作品2の5」は、
含まれていない形でナンバリングされている。
頭の中での整理は不可能に近い。

また、このCDでも、二曲が、
「カッサシオ(ディヴェルティメント)」と題されているように、
どちらにカウントして良いのか分からない状況のものは、
他にもいろいろあろう。

ホーボーケン番号も、
ここにある三曲目などは、
「Hob.Ⅱ:G1」となっていて混乱気味で、
番号ではなくアルファベットになっていたりする。
ちなみに、他の三曲は、Hob.Ⅱ以下が、
20番、11番、1番である。

「以下の定義は、当時権威のあった基本文献、
1802年オッフェンバッハで出版され、
『音楽理論、実践、古代、近代の技術用語の定義、
古代と近代の楽器に関する百科全書的網羅』を含む、
ハインリッヒ・クリストフ・コッホの『音楽事典』
から取って来たものである。」

ということで、ハイドン存命中、
われらがシューベルトは5歳の頃、
出版されたものすごい書籍のお出ましである。

私は、このコッホ氏に、
是非、ハイドンに直接、この曲は、
カッサシオですか、ディヴェルティメントですか、
と聴いて欲しかったと思うくらいだ。

なぜなら、下記にあるように、
どの曲種の解説も、まことに、心許ないからである。

とはいえ、カッサシオの解説を読むと、
『カッサシオしよう』などという言葉さえあったというのだから、
驚倒ものである。

「カッサシオ、イタリア語でカッサツィオーネは、
言葉上では解放するとか、解散するとか言う意味で、
実際には器楽曲のプログラムの終わりに演奏される楽曲を意味した。
しかるに、これは一般には、特にイタリアでは、
屋外や街路で夕方演奏される楽曲として知られている。
4つ以上の楽器のために書かれ、
どのパートもソロで演奏されるもので、
個々の楽章に決まった性格はない。」

ということで、いきなり、今回の主題である、
メヌエットが緩徐楽章を挟んだ形式というのは偶然、
という結論が出された感じがする。

「これらの作品は、
夜、美しい若い女性を窓辺に呼び寄せ、
恋愛のきっかけを作るために利用されたので、
恋愛アドヴェンチャーを捜すことを指す、
『カッサシオンしよう』という表現が生まれた程である。」

ちなみに、このCDの3曲に、
このカッサシオという名称が使われている。
カッサシオンするための楽曲集というわけだ。

「ディベルティメントは、2つ、3つ、
または、4つ以上の楽器のため、
また、それらが、それぞれ一人のプレイヤーのために
書かれた楽曲のジャンルの名前である。」

と続いて、何が、カッサシオンと違うんだ?
という感じがする。

違いが分からないから、このCDでも、
二つの名前が並記されているのであろうが。

「ポリフォニックでもなく、
ソナタのように、大きく展開されてはいない、
沢山の楽章からなる。
大部分、決まった性格はなく、単に音の絵画であり、
特別な感情や感覚を表現したものでもなく、
耳の楽しみに重点を置いたものである
ディヴェルティメントは、
先に人気のあったパルティーの人気が下降してから、
前世紀後半の初めに一般に流布した。
ハイドンやモーツァルトによって、
ソナタ形式が、入念に開発され、完成され、
長い年月を経て、いまや、四重奏や五重奏の土台となった。」

以上の説明で、もうここに収められた作品の作品名は、
すべて取り上げられたはずだが、
解説者は、「ノットゥルノ」についても書いている。
実は、シューベルトのピアノ三重奏の
小品の名前にも使われたノットゥルノという名称は、
このCDの曲目一覧にはでていないももの、
解説の中では、Hob.Ⅱ:20はノットゥルノだ、
と書いているので、非常にややこしい。

「ノットゥルノは、屋外、室内問わず
夜に演奏されることを想定された一般的名称である。」

ショパンやフォーレ、ドビュッシーの
ノクターンだかノクチュルヌが「夜想曲」と題されるように、
これくらいなら、想像はつく。
が、これが、19世紀初頭の権威的書物の解説だ、
という点を、じっくり味わうべきであろう。

「ソナタと同様、各パートは独奏で、
三つ、四つか、それ以上の楽器のために書かれたものを指すが、
特定に定まった性格は持たず、音の絵画で、
想像力や耳を楽しませるものである。」

ラフマニノフには、「音の絵」という、奇妙な作品があるが、
この1802年の時点で、そうした概念があったということになる。
決して、ベルリオーズが「幻想交響曲」まで、
こうした分野がなかった訳ではなかったということだ。

「これらの定義から、二つの基本的性格が明らかになる。
1.最も顕著な違いは演奏場所にある。
カッサシオンはもっぱら屋外の演奏用であり、
ディヴェルティメントは特に室内用であるにも関わらず、
ノットゥルノは、どちらでもよい。
2.これら三つの言葉は、偶然ながら、
特に、『決まった性格』のない複数楽章を、
複数の独奏楽器で演奏するもので、
まず第1に、『音の絵画』と、
『耳の楽しみ』のために意図されたものである。
これら三つの言葉は、『軽い』作品を指す言葉として、
カテゴライズすることも可能で、
ディヴェルティメントは、コッホが強調しているように、
より高尚なジャンル、弦楽四重奏曲の基礎として
位置づけられていた。」

このように、古い権威的な書物からの引用を含む、
曲種の解説は終わったが、以下、ハイドンにおける、
上記音楽の作曲に関する解説が続く。
しかし、成立に関しては、よく分からん、とのこと。

「ハイドンのこれらの、
管楽の、あるいは管楽と他の楽器との、
アンサンブルのために書かれたディヴェルティメントの、
明確な日付入りの手稿はほとんど残っていないが、
これらを彼の創作活動の初期のものと仮定と考えて差し支えない。
この想定は、ゲオルグ・アウグスト・グリージンガーの、
『ハイドンの年代ノート』(1810年、ヴィーン)によっても支持され、
ここでは、1750年代、若い作曲家が、
ヴィーンに住んでいた頃を述べた一節で、
『夕方になるとハイドンは、友人の音楽家を連れて、
通りに演奏に出かけたものだが、
彼らが演奏したものは彼が作曲したものであった』
と書いている。
(H.C.コッホに敬意を表するものの、
『カサッシオンしよう』というのは、
むしろ、めちゃくちゃなラテン語で、
『通り(Gassen)で演奏する』を意味するのに、
グリージンガーが使っている『cassaten gehen』に、
由来するのではなかろうか。)
初期作品だという他の糸口としては、
ハイドンが約一年(1759-60)、
ボヘミアのカール・ヨーゼフ・フランツ・モルティン伯の
宮廷楽長として働いていた時、
ピルゼン近郊のLukavecの城で夏を過ごし、
屋外でも室内でも、
こうした軽い音楽が奏でられたという事実がある。
また、1760年代中頃からの、
エステルハーツィ公への伺候の初期に、
こうした作品に集中していた事も知られている。」

このあたりのことは、大宮真琴氏の著書にも書かれていて、
「モルツィン家の楽団のおもな仕事は、
セレナーデや食卓音楽を演奏すること」とか、
「ハイドンが副楽長になって以来、
エステルハージ家の音楽家の職務は、
従前の教会音楽や食卓音楽および野外奏楽という仕事の他に、
大規模な管弦楽演奏や、弦楽四重奏などによる室内楽演奏が
活発におこなわれるようになった」
とか書かれている。

以下、CD解説は、各曲の解説となる。
「この録音にある4曲は、
とりわけ編成から、しかしそれだけではなく、
二つのペアからなる。
カッサシオンHob.Ⅱ:1とディヴェルティメントHob.Ⅱ:11は、
ノットゥルノHob.Ⅱ:20とカッサシオンHob.Ⅱ:G1がそうであるように、
作曲時期も近く(1765年頃)、
フレームワークや内部の詳細などの構成も類似である。
ト長調のカッサシオンHob.Ⅱ:1と、
ハ長調のディヴェルティメントHob.Ⅱ:11は、
6重奏曲であり、フルート、オーボエ、2つのヴァイオリン、
チェロとヴィオローネにより、
類似の4楽章構成:
1.ソナタ形式の速い楽章(アレグロ/プレスト)、
2.緩徐楽章(アンダンテ)、
3.メヌエット、
4.変奏曲(モデラート)、
である。
この型にはまった形式に、
息を吹き込まれた生命は、彼の熟達を証言するものだ。
ヴィオローネ以外の全ての楽器は、
その独奏や、様々な組み合わせでパッセージを強調する場面がある。
いくつかの例を挙げると、
フルート、オーボエ、第1ヴァイオリンが、
カッサシオン(Hob.Ⅱ:1)の第2楽章で、カデンツァのような、
コンチェルタンテなパッセージを見せ、
二曲ともトリオでは、
ピッチカート伴奏によるチェロ独奏があり、
二曲とも終楽章で、バスの通奏を背景に、
各楽器が独奏曲のように振る舞う。
両曲の特徴で、特別なのは、
いくつかの標題的な書き付けがあることで、
カッサシオンの終楽章は、『幻想曲』とされ、
ディヴェルティメントの第2楽章は、『夫婦』とされ、
ディヴェルティメントの全体は『誕生日』と書かれている。
これらの由来や意味は分かってないが、
ハイドン自身の創案でないことだけは確かである。」

このように、このCDに含まれる、
2曲目と4曲目の解説が先になっている。
ヴィオローネというのはあまり聴かない楽器であるが、
ヴィオラ・ダ・ガンバ属の最低音楽器なので、
コントラバス相当と考えればよさそうだ。
これは独奏がなくても仕方がない。

さて、ここで、各曲を聴くと、
まず、「誕生日」のディヴェルティメント(Hob.Ⅱ:11)
これは、ハ長調ということで平明でありながら、
非常に快活で楽しいもので、他の演奏を聴いたこともある。
さしずめ、ハイドンのディヴェルティメントの代表曲と考えてよさそうだ。
題名の由来は分からんとあったが、いかにも、そんな雰囲気の音楽。

Track6:プレスト(2分37秒)
非常に楽しげなお祝いの音楽に聞こえなくもない。
ヴァイオリンとフルートが活発にかけ合って、
ほほえみがもれて来る感じ。

Track7:アンダンテ「夫婦」(3分22秒)
ここでは、ヴィオローネの低い音と、
ヴァイオリンの高い音が並行して穏和なメロディを奏で、
これまた、年配の夫婦の落ち着いた会話を思わせ、
ハイドンもそんな風景を想像して作曲したのではないか、
などと自然に思える。

Track8:メヌエットとトリオ(3分4秒)。
典雅で上品なメヌエットである。
いくぶん取り澄ました感じも、何となく初々しく、
トリオのチェロ独奏も、ここぞと威厳を見せているようで楽しい。

Track9:終曲、主題と変奏、モデラート(9分36秒)。
主題は第2楽章に似て、ヴァイオリンとバスが、
並んで進んでいくような感じ。
チェンバロの音色も美しく、
モデラートというだけあって、
後のソナタの主流となるような快活さはないが、
とても心温まる終曲である。
チェロ独奏、フルート独奏、ヴァイオリン独奏、
オーボエ独奏と、各奏者が楽しげに出番を待ち、
このゆっくりとしたテーマを繰り返していくので、
10分近くかかるのである。

ベートーヴェンが「英雄交響曲」で、終曲を変奏曲としたのは、
こうした前例を見ると、別に新機軸でもなさそうだ。
モーツァルトのクラリネット五重奏曲もそうだった。

次に、カッサシオン ト長調 Hob.Ⅱ:1。
これは、晴れてホーボーケン番号1に分類されているもの。
Track15:アレグロ(3分27秒)。
出だしから弦楽と管楽の対比が美しく、
特に、フルートとオーボエの管の重なりが、
夢のような色彩を醸し出して美しい。
楽想も、緊張感をはらむ一瞬もあって、
前の曲より立体的である。

Track16:アンダンテ・モデラート(6分47秒)。
これは、内省的なヴァイオリンの歌に、
木霊のような木管の和声が唱和する音楽で、
叙情的で、エマーヌエル・バッハを思い出したり、
もっと後のロマンティックな音楽を思い出したりした。

Track17:メヌエットとトリオ(1分57秒)。
無骨なメヌエットである。
性格的には曖昧でもよいというカッサシオンながら、
完全に交響曲などの原型になている。
トリオのチェロも雄弁で短い楽章ながら、
印象的な効果を持つ。

Track18:幻想曲。モデラート(7分48秒)。
広がりのあるメロディーで、
大きくバスが波打って、
CD解説にあったように、
その上を各楽器が活躍し、
パッサカリアみたいに荘厳である。
あるいは、パヴァーヌのように優雅と、
言っても良いかもしれない。

ハイドン研究の権威、
故大宮真琴氏は、これらの作品に対しては、
いたって冷淡で、「両曲とも1750年代の作曲と考えられている」
と書いているだけであるが、
とても聴き甲斐のある音楽である。
どの曲、どの楽章も、何よりもメロディーが美しいし、
楽器の魅力を、前面に引き出している。

しかし、古典期の弦楽四重奏曲が、第1ヴァイオリン主導型というので、
てっきり古い音楽は、みなそうかと思っていたが、
意外にソロイスティックなものも多く、
シューベルトの「ます」などは、
そうした原点に戻ったという側面がありそうである。

また、ハイドンの初期作品が、
あまり演奏されないのは、詰まらないから、
というのもウソのようだ。

では、残りの9声部のものも、CD解説を見てみよう。
「他のペアをなす二曲、
Hob.Ⅱ:20とG1は、もっと大規模なもので、
二曲同様に9つの楽器、
2つのオーボエ、2つのホルン、2つのヴァイオリン、
2つのヴィオラ、バスによるもので、
同様に5つの楽章、アレグロ、メヌエットⅠ、
アダージョ、メヌエットⅡ、終曲(プレスト)からなる。
その機知と若々しいひらめきは、
先の二曲と同様である。
性格的には、それほどコンチェルタンテではなく、
おそらく、それが、この曲らが、
もっと早い時期のものであるという証拠になろう。
ハイドンの伝記を書いたC.F.パウルが、
『庭園の音楽』と書いたような性格を持つこれらの二曲は、
1757年以前のものであろう。
カッサシオン ト長調 Hob.Ⅱ:G1は、
絶対にハイドン作品であるかどうかは分からない。
彼を作者とする直接的な証拠はまだ見つかっていない。」

ということで、後にアイブラーが採用する、
緩徐楽章をメヌエットが挟んだ形式の原型の一つを、
ここに聞き取ることが出来る。

しかも、二曲あって、いずれも同じである。
今回聴いた4曲のうちの2曲が、
交響曲やソナタの原型のような4楽章であるのに対し、
他の2曲が、この形の5楽章構成なので、
昔は5割の確率で、こうした、
メヌエットサンドウィッチがあったと考えても良さそうだ。

カッサシオン(ノットゥルノ) ヘ長調 Hob.Ⅱ:20。
この曲は、一連のHob.Ⅱのものでは、大きめの数字を持っているが、
どういった順番なのだろうか。

カッサシオンは、窓辺に女性を呼び出す音楽とあったが、
そんな感じはせず、室内の祝典のための音楽に聞こえる。
宮殿の室内調度の、品の高さを感じさせる。
編成が大きいことも、それを助長する。

しかし、チェンバロが入っていないので、
屋外用とされているのだろう。
解説では、「ノットゥルノ」と呼ばれていたが、
「夜曲」として聴いてもいいかもしれない。

Track1:アレグロ(モルト)(4分7秒)。
総奏で始まる力強い音楽である。
ホルンの豪壮な響きも野趣を感じさせ、
ヴァイオリン主導的に、ぐいぐい進んでいく感じ。

Track2:メヌエットとトリオ(4分3秒)。
この楽章も、シンプルながら、
響きが厚く、メヌエットと言っても、
もっと雄大な感じがする。
トリオは、ヴァイオリンの掛け合いに、
木管が応えて、幻想的である。

Track3:アダージョ(5分47秒)。
物憂げで、楽器の綾も美しい緩徐楽章である。

Track4:メヌエットとトリオ(2分54秒)。
のんびりと間延びしたような、
いかにもハイドン的なユーモアを感じさせるメヌエット。
トリオも、何だかおどけたようなもので、
ホルンが響き渡って、オーボエの強い音色が華を添える。

Track5:終曲(プレスト) (2分7秒)。
この楽章は、ゆっくりとしたメロディーに、
急速なパッセージが絡まって、とても、変化に富む、
スリリングなものである。

あと、真作か分からない「G1」という謎のナンバリングのものがある。
しかし、聴くと分かるが、最も変化に富み、
充実した楽曲だと分かる。
この曲には活発にチェンバロが入る。
屋外音楽として演奏してはいない模様。

カッサシオン ト長調 Hob.Ⅱ:G1。
Track10:アレグロ・モルト (1分58秒)。
力強く推進力があり交響曲風の迫力がある。
しかし、2分に満たないというのが面白い。
中間部で木管が影を差す情緒も美しい。
ハイドンの真作として認定したい作品である。

戸外でこんな楽しげで魅惑の音楽が鳴り始めたら、
どんなにお高く止まったお嬢さんでも、
顔は出さずとも、窓辺で聞き惚れること請け合いである。

Track11:メヌエットとトリオ (3分41秒)。
楽器の音色の重なりも重厚なメヌエット。
荘厳で、しっかりしたメロディーも美しく、聴き応えがある。
トリオも、瀬戸物細工のように愛らしい。

Track12:アダージョ (3分24秒)。
繊細なヴァイオリン独奏が滑り込んできて、
夜の庭園のかぐわしい空気を感じさせる、
ロマンティックな音楽。バスの動きが、情感を盛り上げる。
この曲がハイドンの目録から外れたら、
かなり寂しく思えることだろう。

しかし、これら9声部の管弦楽アンサンブル曲を、
大宮真琴氏は、1760年前後の作曲と考えられる、
と書いているのみ。

Track13:メヌエットとトリオ (3分34秒)。
楽しげな楽想で、屈託なく、独奏的な装飾も美しい。
トリオでは弦楽のピッチカートを背景に、
ホルンとオーボエが天空に舞う。

Track14:終曲(プレスト) (1分58秒)。
つま弾きのような開始部から、
何かわくわくさせる雰囲気で期待を高める。
非常に魅力的なプレストである。

カッサシオンが、通りの音楽だろうと、
恋愛の音楽だろうと、女性を窓辺に呼び寄せるものに相違なく、
一緒に遊ぶ感じを出すにはメヌエットが一番だったかもしれない。
しかも、その間に、アダージョという叙情的な部分を入れる。
もちろん、男性の心理描写であろう。

このト長調のカッサシオンを見ると、両端楽章は、
共に2分に満たない。
つまり、初めは女性を呼び寄せるもの、
終わりは立ち去るか連れ去るためのもので、
アバンチュールの交渉用としては、
本質的ではないので短いのかもしれない、
などと勝手な空想をしてしまった。

これを読んで信じないように。

そう考えると、このメヌエットサンドウィッチ構成は、
とても合理的な楽章配置ではないか。

演奏は、以前、ハイドンの交響曲の室内楽バージョンで取り上げた、
リンデ・コンソートのもので、自信に満ち、
楽器の音色も輝かしく、傾聴せざるを得ない名演奏である。
録音もしっとりとして美しい(1986年、教会内の録音)。

表紙デザインは、エステルハーツィの宮殿の風景画であるが、
人も閑散として、庭園もよく見えず、砂地が殺風景である。
まさか、こんな所まで、若き日のハイドンが引き連れたような、
流しの楽隊は来たのだろうか。

ということで、デザインは格調高いが、少々、物足りない。
これまで読んできたように、カッサシオンは、
限りなくパッショネートな側面があったはず。

しかも、作曲したのは若き日のハイドンである。
1750年代、60年代といえば、32年生まれのハイドンは、
まだ20代だったかもしれない。

もっとギャラントできらびやかなデザインがよい。
夜中にぎらぎらする下品なものでもよい。
そうしないと、先入観で、
いつまでもハイドンは、パパ・ハイドンで、
死後200年を超えても復活しないかもしれない。

まあ、この絵画のような宮殿に、
お抱えになった後で書いた音楽は、
そんな下心はないのかもしれないが、
それだと誰にも無関係な飾り物になってしまう。

ハイドンの機知は、本来の意図を封じ込めているに相違ない。

得られた事:「カッサシオンは、ナンパ活動に重要で、かつ、需要ある音楽。二人で戯れるメヌエットに、心情告白のアダージョが挟まる。」
by franz310 | 2010-02-06 21:33 | 古典
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