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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その199

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その199_b0083728_09963.jpg個人的経験:
前回、モーツァルトの、
未完の「ハ短調大ミサ曲」を聴いたが、
この曲で、目覚ましい絶唱を聴かせた、
マリア・シュターダーについて、
気になったので、脱線してみたい。
このミサ曲で共演したフリッチャイや、
カール・リヒターとのバッハで
知られる往年の名歌手であるが、
こうした宗教曲を得意とする歌手なのに、
何故か、シューベルトでは知られていない。


フィッシャー=ディースカウの著作、
「シューベルトの歌曲をたどって」の巻末で触れられた、
シューベルトの歌曲を歌って優れた人の一覧にも、
同時期に活躍していた、ゼーフリートやシュトライヒの名前はあっても、
シュターダーの名前は出ていないので、
やはり、彼女はシューベルト歌手ではなかったようだ。

1950~60年代に活躍した過去の人ゆえ、
沢山のレコードが廃盤になったという理由等から、
知られていないということではなさそうである。

また、モーツァルトのオペラの録音があるものの、
オペラ歌手ではまったくなかった、という事が、
今回取り上げるCDの解説にも出ていた。

このCDは、ドイツ・グラモフォン・レーベルの、
「SIGNATURE」シリーズから出ているもので、
過去の名盤からCD化されていないものを、
改めてCD化してくれている。

ここでも、25トラックが初CD化ということで、
一般のバッハ、モーツァルトの宗教曲の歌手
といったイメージのシュターダーが、
シューベルトの歌曲を歌った録音が、
収められているのが嬉しい。

しかし、たった1曲。
ただし、シューベルトの絶筆、
長大な「岩の上の羊飼い」である。

2枚組で32トラックあるが、
その他、メンデルスゾーンの歌曲なども収められている。

表紙写真はかつてのLPを再現したようなものではないが、
シュターダーの澄んだ、清らかな声を思わせる、
気品を感じさせる清純なイメージがあって好ましい。

フリッチャイと談笑している写真など、
多数、収録されているのも特筆すべきかもしれない。

では、解説を見ていこう。
かなり、個人的な生い立ちから書かれている解説も珍しかろう。

「マリア・シュターダー:
『一番大切なこと、それは歌うことです。』」
という題名のもの。

「『神様、あなたがモーツァルトを歌うように、
私もモーツァルトを弾けたら。』
こうした賞賛の言葉を発したのは、
他ならぬ、伝説のモーツァルト弾き、
クララ・ハスキルである。
彼女は、マリア・シュターダー(1911―1999)を、
国際的なモーツァルトのスペシャリストと呼んだ。」

名ピアニスト、ディヌ・リパッティは、
ハスキルが演奏会場にいると緊張したというが、
そのハスキルも、シュターダーの歌には、
同様の畏怖を感じたのだろうか。

リパッティやハスキルのレコードは、
何度も何度も再発売されているが、
シュターダーはそこまで特集されているのは、
これまで見たことがない。

「モーツァルトのミサ曲、ヴェスペレ、コンサート・アリア、
とりわけ、有名な「アレルヤ」を有する、
モテット「エキスルターテ・ユビラーテ」の声楽家として、
このスイスのソプラノは、全世界から祝福を受けている。
モーツァルト歌手としても、
彼女は最高の栄誉を受けており、
1950年にはモーツァルトの街、
ザルツブルクから『リリー・レーマン・メダル』を受け、
作曲家の生誕200年の1956年には、
『シルバー・モーツァルト・メダル』を受けている。
これらに、さらに、1962年、
チューリッヒにおける『ゴールデン・ネゲリ・メダル』、
1965年、オーストリアの『芸術と科学の十字勲章1位』が続き、
1977年には教授のタイトルを受けている。」

このCDには、この「エキスルターテ・ユビラーテ」が、
1枚目の最後の方に入っている。
K.339のヴェスペレからの「ラウダーテ・ドミヌム」と共に、
1960年、フリッチャイとの録音である。

「実際、まったく異なった、
恵まれない環境で始まったキャリアの歌手にとって、
実際、素晴らしい栄誉であった。
1919年、第一次対戦直後、
赤十字の休暇に、戦争で荒廃したブタペストの街から、
8歳のマリア・モルナーとして、
マリア・シュターダーは、初めてスイスにやってきた。
彼女のために練られた計画は、
3ヶ月の健康回復の滋養強壮であって、
その後はハンガリーに返される予定であった。
彼女のスイスのホスト・ファミリーは、しかし、
別の考えを持った。
スイス移民局との綱引きが始まり、
結局、コンスタンツェ湖のロマンスホルンにある、
旅館経営者で漁師であった、ユリウス・シュターダーが、
彼女を養女として受け入れた。」

どうでも良いような話であるが、
私は、こうした話に弱い。
ハンガリーの両親はどうなったのか。
スイスの人たちの愛情にも、非常に感慨深いものを覚える。
こうした背景の人が、歌い上げる「アレルヤ」には、
それなりの重みを感じてしまう。

「この地で、彼女は、最初の音楽的印象を受けた。
ルドルフ・ゼルキン、エマニュエル・フォイアマン、
また、二人のハンガリーのアーティスト、
アニー・フィッシャーと、
ステフィ・ゲイエルによるコンサートによってである。
しかし、彼女を虜にしたのは、
ハインリヒ・シュルスヌス、カール・エルブ、
ジーグリード・オネーギンなどの歌手であった。」

こうした話も重要であろう。
彼女の芸術の原点が、こうした点にあるのは間違いない。
いずれも、シューベルトには、
一家言持った人たちの名前が並んでいるのが印象深い。

「しかし、彼女は心からの望み
(最初の声楽のレッスン)がかなうまで、
15歳まで待たなければならなかった。
そして歌手になるための10年の訓練が始まった。
『最初の2年間は主にブレシングの練習でした。
これは歌うための基礎です。
それから声とスピーチのトレーニングとなります。』
語学は、シュターダーが常に強調するように、
最も重要なものであった。
『歌手は語学からヴォーカル・コードに行くべきであって、
決して、ヴォーカル・コードから語学に戻ってはなりません。
息、子音、母音、声、これが学ぶべき順番です。』
『まず、彼女は厳しい訓練を、
教師、ハンス・ケラーの前でみっちり行い、
イロナ・ドゥリゴ、アルトゥール・シュナーベルの妻、
テレーゼ・シュナーベル・ベーアに続いて学び、
ミラノのジアンナ・アランギ・ロンバルディ
のもとで仕上げをした。」

シュナーベルもシューベルトの大家であるから、
ドイツ・リートの道にも進んで良さそうであるが、
仕上げにミラノに行ったということは、やはり、
イタリア語の歌曲やラテン語の宗教曲を
歌いたかったということであろうか。

だから、フリッチャイの指揮による、
ヴェルディの『レクイエム』でも、
彼女は気品と説得力のある声を聴かせているということか。

それにしても、ものすごい特訓である。

「『私たちは、主にレガートで、様々な母音で、
ドからソのゆっくりとした音階を練習しました。
メカニカルにならないように。
低いGから始まって、半音ずつ上がって3度上のGまで。』
そして90時間の練習はすべて音階だけで、
『すべての音符は次の音に、
接ぎ目なしに進まなければなりませんでした。』
遅くとも1939年までに、
有名なジュネーブの音楽院で一等を取り、
偶然の機会に、シュトラウスのアドリアネの
ツェルビネッタのアリアで、
マリア。シュターダーの名前は、まず、世界に広まった。」

1911年生まれなので、28歳の頃である。

「第二次大戦の勃発で、この大きな夢は、
いったん終わりを告げ、活動をスイスに限定した。
ここで彼女はレパートリーを完璧に修めた。
バッハの『受難曲』や『カンタータ』、
ヘンデルやハイドンの『オラトリオ』、
シューベルトやブルックナーの『ミサ曲』、
ベートーヴェンの『第九』と『ミサ・ソレムニス』、
ブラームスの『ドイツ・レクイエム』と、
ヴェルディの『レクイエム』。
彼女は演奏会のレパートリーを、
教会とコンサート・ホールに限り、
ごくたまに、パミーナを歌うシュヴァルツコップフのように、
『夜の女王のアリア』を歌う以外、
ジュネーブでのツェルビネッタで、
首尾良く始まった路線は継続させなかった。
オペラ・ハウスの扉は、
この小柄な歌手には閉まったままだった。」

この表現は微妙である。
小柄だから、オペラでは不利だったと読める。
しかし、それは望むところだったとも読める。

「それにもかかわらず、
『最初は用心していた』と思っていた、
コンサート・ホールが彼女の芸術上の住み処となった。
「この仕事の高貴さが私を虜にしました。
コンサートで歌うことは、
時として深く宗教的です。
その崇高さに身を捧げねばなりません。
劇場においては、
演技の才能がある歌手は、
声楽の技量の欠点をカバーできますが、
それはコンサートの場ではありえません。
そこで歌手は、
あたかも、マスクも衣装もなく、裸で立つのです。
ジェスチャーも無駄でしょう。
重要なのは、歌うことだけです。』」

このような表現では、何となく、リートを歌っていそうだが、
もう少し、別の分野なのだろうか。
このCDでも、コンサート・アリアなどが多いが
ひょっとすると、そういった分野を想定しているのだろうか。

以下のような文章を書かれると、
きっと、読んだ人は、
シュターダーの声を早く聴きたくなるに違いない。

「シュターダーの慎重な気質は、
自然で羽のような歌い方に不可欠なもので、
もっともそのとおりの意味で、
天真爛漫な直感力は、その歌を、
いささかのわざとらしさ、気取り、
マンネリから遠いものにしている。
シュターダーは、作曲家のみに奉仕し、
純然と音楽に奉仕するコンサート歌手の典型となった。
この無比の音色と情熱的な繊細さ、
驚くべき敏捷さ、銀色に光るソプラノの声、
水晶のように澄んだ、整ったイントネーション、
無理なく、高く駆け上がる時の輝きは、
同時に、歌と言葉が、
そして、声の表現とテキストの解釈が、
常に互いに寄り添っている。」

もうばっちりで、言うことない感じである。
確かに、ここに収められているモーツァルト録音など、
非常に素晴らしい。

私は、CD1より、2枚目に移ってからの方が楽しめた。
見ると、CD1は「ステレオ録音」とあり、
CD2は「モノラル録音」とある。

これは、モノラル期最後の完成度の高さが、
試行錯誤期のステレオ初期より、
しっかりした音質を誇っているからではないかと思った。
あるいは、いくぶん、シュターダーにも、
衰えが来ていたのだろうか。

CD1の最後に、先の「ユビラーテ」など、
モーツァルトが入っているが、
エネルギーと輝かしさという点で、少々、盛期を過ぎている感じ。
少女のような無垢な声で勝負する人には苦しそうだ。

しかし、彼女が、単に、清純なだけの歌手でないことは、
このCDの最初に収められた、1954年録音の、
「後宮からの誘拐」のコンスタンツェのアリア(フリッチャイ指揮)、
を聴いても、よく分かる。
初期の録音のせいか、妙にエネルギーが漲っている。
モーツァルトのオペラ自身の性格によるのだろうか。

この時ですら、彼女はすでに43歳になっているので、
モノラル期からステレオ期にかけて、
みずみずしい声は失われる方向に向かっていたかもしれない。

ルートヴィヒ指揮で入れた、1955年録音の、
「フィガロの結婚」からの、ケルビーノのアリアは、
多少、録音の古さを感じさせるが、
続く、フリッチャイの指揮による3曲、
「フィガロ」から、スザンナのアリア、
「ドン・ジョヴァンニ」からのツェルリーナのアリア2曲からは、
先の解説にあったような、
澄み切って、発音も明快で、
かつ、多彩な音色を響かせて表情も豊かな、
シュターダーらしい特徴が堪能できる。

「魔笛」からのパミーナのアリアも、
55年の録音(フリッチャイ指揮)ではあるものの、
物憂げな情感が秋の空のように張り詰めている。

再び、ルートヴィヒ指揮(1955年)で、
コンサート・アリアが2曲、
「レチタティーボとロンド、
この腕に、さあ、いらっしゃい」K.374と、
「アリエッタ、私の胸は喜びにおどるの」K.579は、
控えめな表現ながら、非常にピュアな感じがして、
無垢の声が堪能できる。

さらにレーマン指揮で、
1954年録音の、コンサート・アリアが2曲、
「アリア、おおいなる魂と高貴なる心は」K.578と、
「レチタティーボとアリア、
憐れな私よ、ここはどこなの」K.369が歌われている。

この録音も古めだが、歌には確かに勢いがあって、
なおかつ、よく伸びて、滑らかで、柔軟である。

このように、モノラル期のモーツァルト、
シュターダーの歌は、まったく飽きることなく、
一気に聴き通せるものだ。

解説冒頭で、ハスキルが賛嘆したというのもよく分かる。
全身を鳴り響かせての、高揚するエネルギー感は、
おそらく、秒弱だったハスキルの羨望の的となったことであろう。

しかし、彼女は、モーツァルトだけの歌手ではないことは、
以下の解説に読み取れる。
「バッハの受難曲や、ヘンデルのオラトリオのような、
バロック音楽に必須とする理想。
この観点で、シュターダーの、カール・リヒターとのコラボは、
まちがいなく、戦後、最も影響力のあった、
バッハのスペシャリストとして伝説となるものだった。
『正確さに対する厳格さ、
同時に直感的な表現力も持つ音楽家、
完璧さという意味だけでなく、
音楽の精神の内容において、比類なき水準。
これらは何と言う音楽的祝祭であったことか。』
リヒターの指揮で、バッハの『ロ短調ミサ』、
独唱カンタータや、『マニフィカト』、
それに今回、初めてここにCD化された、
有名なオラトリオからのアリア集を録音した、
レコーディング・スタジオにて、
彼らは、最初から意気投合した。」

ここに初CD化されたアリア集とは、
1961年、ミュンヘンでの録音になる10曲で、
バッハの「ヨハネ受難曲」から1曲、
「マタイ受難曲」からの2曲、
ヘンデルの「メサイア」からの2曲、
「ヨシュア」からの1曲、
ハイドンの「天地創造」からの2曲、
「四季」から1曲、
メンデルスゾーンの「エリア」からの1曲である。

この頃、シュターダーは50歳に近かったということになる。
この頃の写真も掲載されているが、
フリッチャイと撮影されたスナップに残る、
少女のような面影はすでになく、
やはり、引退も近いという感じが漂っている。

そんな事を確認しながら聴いたわけではないが、
やはり、CD2との間に差異があるのは当然と感じた次第。

これらの録音がCD化されていなかったというのも、
ある意味、仕方がなかったとも言える。
明らかに高音のコントロールが苦しそうである。

もちろん、ここにもシュターダーらしい歌唱は多いが、
リヒターの指揮が精妙なだけに、
シュターダーの綻びが目立つ結果となった。

ただし、ハイドンくらいになると、
歌唱に無理がないせいか、愛らしい美声に酔うことが出来る。

これらの後には、先のモーツァルトの録音が続く。

ここで、改めて、モーツァルトの話になる。
前回、パウムガルトナーの話を書いたが、
ここで、改めて、パウムガルトナー登場となるのも嬉しい。

「しかし、モーツァルトこそ、
とりわけ当時、未開拓であったコンサート・アリアに、
シュターダーの活動の核心であった。
ベルンハルト・バウムガルトナーが、
彼女をモーツァルトの世界に導き、
彼らの最初の共演のあと、すぐに、
彼はこう約束している。
『いつか、ザルツブルクに連れて行ってあげるよ。』
彼は約束を果たし、1947年、
マリア・シュターダーは、
モーツァルトのコンサート・アリアで、
ザルツブルク音楽祭・デビューを飾った。
彼女は1962年まで、彼女は、
ここのレギュラー・ゲストであった。」

やはり、1960年を越えてからのシュターダーは、
苦しかったようだ。
しかし、シュターダーに生きる道を教えたのは、
バウムガルトナーだったように思える。

「ブルーノ・ワルターの指揮で、ミラノ・スカラ座で、
モーツァルトを歌い、
カラヤンの指揮にてベルリンで歌った。
クレンペラーとはアムステルダム・コンセルトヘボウで、
シューリヒトとは、ヴィーンのシュテファン教会で歌った。
シューリヒトは、彼女の『完璧な器楽のような声』を賞賛した。
1952年に、初めてシュターダーが、
フリッチャイと共演したのもモーツァルトであった。
この時、スイス放送のために『ユビラーテ』を録音した。
独特の芸術上のパートナーシップが展開され、
壮大なミサ曲ハ短調や『ラウダーテ・ドミヌム』のような、
決定盤が生まれた。
なおも、彼女はオペラのステージを敬遠していたが、
少なくとも、フリッチャイとスタジオ録音は残しており、
グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』に加え、
モーツァルトの4大オペラの全曲、
『後宮からの誘拐』、『フィガロの結婚』、
『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』がある。」

ちなみに、『ラウダーテ・ドミヌム』は、
Meyerのオルガンとヘルムート・ヘラーのヴァイオリン独奏が、
非常に印象深い音色を聴かせ、これに乗って、
シュターダーの声も至純なものを聴かせている。

「数多くのツアーが、シュターダーを、
アメリカ、日本、ブラジル、イスラエル、
南北アフリカに連れて行ったが、
ホルショフスキ、カペル、デムス、エンゲル、
エドウィン・フィッシャーが、
演奏会やレコーディング時に歌曲伴奏を務めた。
ヘルマン・シェルヘンは、ベルリン・フィルに、
ジョージ・セルは、クリーブランドに彼女を招き、
リヒターの指揮で、ブエノス・アイレスや
パリでバッハを歌い、
オーマンディの指揮では、
フィラデルフィアで『第九』を歌った。
彼女はワルターの指揮で、
マーラーの『第四』を歌い、
6ヶ月後にはクレンペラーの指揮で、
ロンドンのフェスティバル・ホールで歌った。
印象深い、ほとんどエンドレスのリストが出来る。」

マーラーの交響曲というのはかなりイメージが違うが、
ブルックナーに、ヴェルディや
ドヴォルザークも歌っているので、あり得る話か。

あと、カペルの伴奏というのも驚きだ。
ハチャトゥリャンの協奏曲の名手と、
バッハの歌手の共演である。

「1969年、30年にも及ぶ満ち足りたキャリアを回想し、
ルツェルン音楽祭、パリ、ニューヨークでのコンサート、
チューリヒ6月祭での歌曲リサイタルで、
シュターダーは、コンサートからの引退を表明した。
彼女の夫で、チューリヒ歌劇場の合唱指揮者でもあった、
ハンス・エリスマンがピアノ伴奏で最後の演奏会を行った。
どうしても必要な場合、
友人のゲザ・アンダが伴奏を申し出た時に、
シューマンの『女の愛と生涯』を歌ったこともある。
その時、新Zucher時報が書いた事は、
今日でも当てはまるであろう。
『マリア・シュターダーが、
1930年代に最初に成功し、
重要度を示した分野において、
彼女は何十年も君臨したが、
その時と同様、彼女の国際的名声は、
今日でも不動である。』」

解説を書いたのは、Werner Pfisterという人である。

何と、80分近い分量が二枚、
若干、バッハ、ヘンデルに苦しさがあるものの、
知られざる録音も満載、解説も丁寧、
良いこと尽くめのCDであるが、
当然ながらというか、残念ながらというか、
歌詞はついていない。

もっと言うと、各曲に対する解説も皆無。

ちなみに、CD2の後半に収録された、
アイヒェンドルフ、レーナウ、ハイネらの詩による、
下記のメンデルスゾーンの歌曲5曲
(エンゲル伴奏、1957年録音)には、
私は、目を開かされた。

「誰にもわかりっこない」作品99の6(アイヒェンドルフ詩)
「葦の歌」作品71の4(レーナウ詩)
「新しい恋」作品19aの4(ハイネ詩)
「夜の歌」作品71の6(アイヒェンドルフ詩)
「さすらいの歌」作品57の6(アイヒェンドルフ詩)

メンデルスゾーンの作風は、
シューベルトと違いすぎて、
どうも、今まで、
楽しむより反感を感じることが多かったが、
これらの歌は非常に美しい。
まるで民謡のように嫌味がなく、
自然に生まれ出たかのような印象を受けた。

CD2の最後には、唯一、シューベルトの歌曲、
クラリネット助奏(Rudolf Gall)を伴う最後の歌曲で、
エンゲルが伴奏したもので、やはり1957年録音。

澄み切っていて伸縮自在な歌唱が美しい。
ガルのクラリネットも、エンゲルのピアノも、
共感に満ちて、シュターダーの声に乗って、
どんどん、空間が濃密になっていくのが素晴らしい。

ただし、ひょっとすると、シューベルトの歌曲には、
もう少し、灰汁というか、陰影のようなものが必要なのかもしれない、
などと考えてしまった。

メンデルスゾーンは、私が聴いた中では最高であるが、
シューベルトには、他にも名唱はあるような気がしている。

シュターダーは、シューベルトとも繋がりの深い、
ハンガリーの産であるから、
フジヤマゲイシャ的には、
もっと血気に流行る表現が欲しいところだが、
恩義ある、スイスの美学に殉じたという感じかもしれない。

特に、晩年になるにつれ、そうした傾向に、
拍車がかかっているようにも思われる。

もちろん、シューベルトはスイスにも関係はあって、
彼が少年期に愛好したオペラは、
「スイスの家族」という題名であったのだが。

得られた事:
「スイスに恩義あるマリア・シュターダーは、清純かつ晴朗。宗教的な禁欲性を武器とした歌手であった。」
「芸術家の声の最盛期と録音技術の関係の微妙な関係。」
by franz310 | 2009-11-08 00:09 | シューベルト
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