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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その196

b0083728_14212723.jpg個人的経験:
前回聴いた、コジェルフ作、
「エジプトのモーゼ」。
私たちが知っている、
モーゼの印象とは、
かなり違っている。
今回は、コジェルフの
作品から150年を経て、
1930年代の作品でずっと有名な、
シェーンベルクによる、
オペラも見て行きたい。


コジェルフの作品はオラトリオであったが、
シェーンベルクの作品もまた、
オラトリオとして構想されたという。

この作品、実は未完成である。

が、最盛期のシェーンベルクによって、
巨大な労力を費やされた大作が、
無意味なものだったわけはなく、
近年、しばしば、最も過激な歌劇として、
語られる機会が増えている。

私が音楽を聴き始めた頃、
このブーレーズ指揮による全曲録音が、
CBSソニーから出て、
メロディーがない現代音楽の大作、
(2枚組で高い)
しかも未完成?ということで、
いったい、誰が、こんなレコードを買うのだろう、
などという感想を持ってしまった。

しかし、当時のブーレーズは、
現在の彼の老巧から考えると嘘に思える程、
「現代音楽の闘士」というイメージが強く、
同時期にシェーンベルクの「グレの歌」
(これは昭和50年度のレコード・アカデミー賞受賞)や、
ベルクの歌劇「ヴォツェック」や、
バルトークの「青ひげ公の城」といった、
20世紀オペラの傑作や、
ベルリオーズの「レリオ」、マーラーの「嘆きの歌」のような、
問題作を、次々に世に出していたので、
このレコードもまた、妙に印象に残っている。

それに加えて、ジャケットも、
十誡の石版を捧げ持ち、シナイ山から降りてくる、
モーゼの姿がものすごく印象的だった。

頭部からは何を意味するのか、
2本のサーチライトが暗雲たれこめる天空に投射されている。
山の下で待つ群衆は、恐れと期待を持って、
彼の下山を待っている。

しかも、当時のソニーのカタログには、
こんな解説(コピー)があって、
かなりそそるものがあったのは確か。

「この作品は、十二音音楽の集大成と言われ、
その難曲さゆえに作曲者自身、
上演不可能と予想した。
しかし、その懸念もブーレーズによって完全に打破された。
鮮明な音色、鋭利なリズム、劇的な効果、
寸分の隙もなく直結する確かな表現、
それに優れた録音技術を得て、
この不滅のモニュメントは蘇った。」

見ると、昭和50年度文化庁芸術祭レコード部門大賞受賞、
などとも書かれている。

この後も、このオペラは録音されることは少なかったが、
名作として高名にはなっていて、
例えば、昭和54年の芸術現代社の「オペラ全集」には、
武田明倫氏がこの曲を受け持って解説を書いている。
おそらく、このブーレーズの画期的レコードがなければ、
こうしたことはあり得なかったと思われる。

でも、私は、このオペラは買わなかった。
私がブーレーズのシェーンベルクを聴いたのは、
まず、コロンビアから出ていた
廉価盤の「浄められた夜」が最初で、
それから10年近く経って、
「ワルシャワの生き残り」のレコードが出た時に、
聴いたのが、ソニーに録音していたものの最初だったと思う。

それから、続けて、「ピエロ・リュネール」もブーレーズで聴いた。

ということで、この作品はこれまで、
まともに味わっていなかったのだが、
コジェルフの「エジプトのモーゼ」が、
単に、母子の別れの葛藤という個人的な話になっていたので、
ここは一つ、もっと有名な作品で、
モーゼ観をリセットしておく必要があろう。

そもそも、聖書において、モーゼの話は、
非常に多岐にわたっており、以下のポイントを、
無視するわけにはいかない。

1. BC14世紀、エジプトの
ラムセス大王が残酷な命令を出す。
これはエジプトに生まれるユダヤ人の子供が、
男の子だった場合、全員殺せ、
というものである。
モーゼは、ナイル河に流され、
王の娘がたまたまそれを見つけて育てる。

2. しかし、何故かモーゼは、育った時には、
自分がユダヤ人であることを知っていて、
老いたユダヤ人をいたぶっていたエジプト人を殺してしまう。
逃げたモーゼは、砂漠で羊飼いになって暮らしたが、
簡素な生活の中で、エホバの神の信仰を思い出す。

3. エジプトはミネバ王の時代になっていて、
モーゼはそこに戻ってみたが、ユダヤ人たちは、
すっかり奴隷根性が染みついている。
モーゼは彼らを引き連れて、エジプト脱出を夢見るが、
モーゼの言葉など、誰も聴かなかった。

4.ここで、モーゼは、言葉による説得は、
弁舌爽やかな兄のアロンに任せる。
(このあたりがシェーンベルクの着眼点である。)

5. モーゼがユダヤ人解放を王様に願い出ると、
王はさらに苦役を厳しくし、ユダヤ人は余計にモーゼを憎む。

6. 神はモーゼとアロンに不思議な力を授け、
様々な災害で、王様を追い詰めた。
ここでの災害は、まるで、地球温暖化と、
新型インフルエンザ蔓延に苦しむ、
現代に通じて、背筋が凍るではないか。
以下、地球温暖化ネタではG、
インフルネタではIの記号を振ってみた。

T1:水を飲めなくする(G)。
T2:蛙大発生(G)。
T3:蝿大発生(G)。
T4:家畜への疫病(I)。
T5:体中に膿が出る疫病の蔓延(I)。
T6:雹による農作物の全滅(G)。
T7:火事(G)。
T8:いなごの大群(G)。
T9:砂嵐(G)。
T10:赤ちゃんの全滅(I)。

ほとんど、これでもかこれでもかの世界。

7. 王はいったんは解放を宣言するが、
モーゼ一行の後を追って紅海まで追い詰めるが、
モーゼらはここを平然とわたり、
王の部下はみな溺死してしまう。

8. ユダヤ人たちは40年もさすらって故郷を求める。
嫌気がさしたユダヤ人らの絶え間ない不満がモーゼを苦しめる。
彼らをまとめるには、神の言葉しかないと、
モーゼはシナイ山に上って、40日の山ごもりを決行。
ついに、エホバの言葉が書かれた十誡の石版を得る。

9.一方、モーゼのいない間、ふもとに残っていた、同胞たちは、
金の仔牛の偶像を作って、乱痴気騒ぎをして楽しんでいた。
モーゼはそれを怒って、石版を打ち壊す。

10.モーゼは怒り狂って、3000人のユダヤ人を殺し、
律法を徹底し、故郷に近づいたが、
約束の地を見たところで死んでしまう。

ということで、とんでもない、
殺人鬼のような人がモーゼということになる。

コジェルフは、この10ポイントのうち、
1を背景に、3と6のあたりをストーリーに採用した。
得点25点である。

一方、シェーンベルクは、コジェルフ採用部分には、
あまり興味がなかったようだ。

作曲家が手こずって、10の部分は未完に終わったが、
3と4と8、9を取り扱い、6の一部も取り上げて、
40~50点の出来である。
両方足すと、かなりの合格ポイントまで行きそうなのだ。

モーゼの十誡は、こんな内容である。
1. エホバのみが神。
2. 偶像崇拝の禁止。
3. 神の名をみだりに唱えない。
4. 6日労働、1日は礼拝。
5. 両親を敬う。
6. 殺さない。
7. 姦淫しない。
8. 盗まない。
9. 偽証は駄目。
10.隣人のものをむさぼらない。

コジェルフは、こんな事には無関係で、
ただ、ユダヤ人の解放にのみに焦点を当て、
王様との交渉を主軸においた。

コジェルフが民族問題を意識していたかは不明。
だが、王様と民衆という構図は、
フランス革命の直前、けっこうナウなテーマだった可能性はあろう。

一方、ナチスの時代にあって、
シェーンベルクは、むしろ、同胞への怒りが、
その興味の中心になっているようなのが面白い。

意識は我々に近いようである。
悪いのは相手であって、
「我々は正しい」と繰り返すコジェルフは、
すこし、共感を呼びにくい。

彼は、母子の別れ、親離れという普遍的なテーマを扱ったが、
シェーンベルクは、自らの内なる敵を注視している。

というか、人間とはこんなものだ、
と言いたいのかもしれない。
ナチスによるユダヤ迫害期にあって、
彼は、改めて、人間の本質にまで、
思索を深めたものと思われる。

つまり、モーゼが主人公ではなく、
まるで、ジキル博士とハイド氏のように、
同じ人間の両面を、理想主義的なモーゼと、
現実主義的なアロンの兄弟に代表させて、
二人合わせて主人公となっている。

コジェルフが、アロンを女声にして、
単なる伝令みたいにしてしまったのではなく、
シェーンベルクは、血肉を分けたアロンを語ることで、
モーゼの苦しみをさらに深掘りした。

常に問題は我らの内面にあるということであろう。
これは、人生において、非常に重要な認識で、
多くのビジネス書なども、これを語って留まるところがない。

シェーンベルクもあの時代にあって、
単に、ナチスが悪い、と考えて糾弾したわけではなく、
どうしてそんな連中が出て来てしまったのかを、
熟慮したような姿勢が伺える。

しかし、このオペラの民衆のように、
そんな考え方は、一般には受け入れられなかったかもしれない。
そもそも、第2幕の酒池肉林の世界などは、
ナチスを描いたものではなく、
自らの民族の過去を恥をさらしたような面があろう。

アメリカはユダヤ人社会の国であるとも言える。
しかも新しい国で、勧善懲悪のような考え方しか出来ない。
そんな場所で、この作品の上演を夢見られるような、
単細胞のシェーンベルクではなかった。

だから、完成など出来るわけはなかったのではないか。

さて、このシェーンベルクのCD、
LP発売時の懐かしいジャケット採用なのが嬉しい。
このモーゼのデザインについては、作者など書かれていないが、
最近、出回っているシリーズものでは、
このデザインは不採用となっている。

BBC交響楽団の演奏で、モーゼにギュンター・ライヒ、
アロンにリチャード・キャシーが配されている。

コジェルフは、4人の独唱と合唱からなったが、
こちらは、他にも、11人の歌手名が並んでいる。
合唱はBBCシンガーズ、オルフェウス少年合唱団。

CBSオペラ・ライブラリーというシリーズでの発売であるが、
これは、実は、かなりふざけたもので、レギュラー価格ながら、
歌詞対訳が付いていないという禁じ手を平気で使っている。

CDが出たての頃の殿様商売である。
LPのように頻繁に面を交換する必要もなく、
きれいにクリーニングしなくてもそこそこ聴ける、
という点で、みんなCDを欲しがったのである。

しかも、このCDの解説は、作曲家で、音楽分析にも優れ、
マーラーなどの作曲家の紹介に力あった、故柴田南雄氏、
やはり作曲家でこうした舞台作品に造詣が深い林光氏が、
名を連ねているところがすごい。

柴田氏は、
「シェーンベルクは、モーゼとアロンの物語の
最も劇的な部分を借りて、叙情的な筋の運びの間に、
自己の宗教観、世界観の表明を行おうと試みた」作品とし、
モーゼとアロンの葛藤を、
「それを換言すれば、精神的:没精神的、
神性:魔性、法:幻影、想像できぬもの:可視的なもの、
神への祈り:自身の神化、聖:罪、
精神:肉体、信念:行動、信仰:知性、
神秘:現実、確信:疑問、宗教性:世俗性といった、
幾多の相反する両極端で代表されている」
と書いている。

しかし、信念と行動を極端とされては、
信念を持った行動が出来なくなってしまいそうだ。

「台本はシェーンベルク自身の手で1925年頃に着手、・・・
作曲はやや遅れて1930年7月に着手、
ほぼ2年後の1932年の3月10日に、
当時好んで滞在していたスペインのバルセロナで、
第2幕までを完成した。
ナチ・ドイツからの追放の後、
1934年から35年にかけて、
シェーンベルクはアメリカで第3幕の台本を書いているが、
作曲は遂に未完に終わった。」
とあるように、シェーンベルクの音楽の完成期とされる、
1920年から1933年にすっぽり覆われ、
50歳から60歳までの円熟期に悪戦苦闘した作品とされる。

こんな年になってから、追放宣言されたシェーンベルクは、
さぞかし辛かったに相違ない。

なお、作曲者自身、演奏不可能とされた手書きスコアを、
ヘルマン・シェルヘンが、恐ろしい集中力で、
フルスコアに清書していったというエピソードが泣ける。

各曲の構成については、アレン・フォートという人が概略に触れ、
故深田甫氏があらすじを書いているが、
何度も書くように歌詞対訳がない。
こうした、思想的な作品では、あまりにもハンディが大きい。

しかし、乗りかかった舟なので、
非常に不安ながらも、
ひたすら、聴き進むことにする。

CDの解説に、音楽之友社の、
作曲家別名曲解説ライブラリーを参照した。

CD1枚目には1幕(情景が4つと間奏曲)、49分35秒、
CD2枚目には2幕(情景が5つ)、50分45秒が収められている。
したがって、音楽は10に大別できる。
さすが、十誡がらみの作品である。

第1幕情景1は、8分22秒。
「モーゼを召す喚び声」とされ、
神に祈りを捧げるモーゼに、燃える荊の繁みから、
民衆の悲惨な状況を救うべしというお告げが下る。

様々な楽器(寂しげな木管や弦楽の錯乱)に、
声(語りと朗唱)、メロディアスな合唱が交錯する神秘の音楽。

砂漠でアロンと会うので、彼に語りを代弁させよ、と言われる。
モーゼは、口べたで、ただ、羊の番人を続けることしか、
求めていなかったからである。

第1幕情景2は、7分15秒。
「モーゼ荒野にてアロンと会う」情景。
へんてこな二重唱である。
アロンが陶酔的に朗々と歌う中、
モーゼは、観念的な神をシュプレヒシュティンメで、
まくし立てる感じである。
とにかく、ここで彼らが出会い、
役割分担が出来たということだ。

しかし、ここで、いきなり二人の相違を際だたせている。
想像を絶する神の概念は、純粋な思考のみとするモーゼ。
アロンはイメージなしには人々は神を愛せないと言う。

個人的にはアロンの方が正しい気がするが、
シェーンベルクは、
こうした人間本来の習性に立ち返るしかなかった。

第1幕情景3は、6分36秒。
「モーゼとアロン往きて、
民に神の福音を告げ知らしむ」の情景。

ようやく、女声独唱が活躍する。
民衆が彼らの不安と期待が交錯して、
合唱団の分割や、様々な声の重なりが、
この情景を生き生きとしたものにしている。

群衆からは、
「昔の神は権力者ばかりを助けたが、
新しい神は民の味方、美しく高く深い御心の、
我らの新しい神を信じよう」と歌われる。

ここではモーゼとアロンは、最後に登場する。
「見ろ、モーゼだ、アロンだ、二人とも着いたぞ!」
と群衆が叫ぶ。

第1幕情景4は、25分とかなり長い。
ここでは、民衆と彼らの軋轢が表現され、
「新しい神のお言葉を持って来てくれたか」という民衆に、
彼らは神の姿を証拠立てることが出来ない。
アーロンは、「心正しき者には、神の姿が見える」といい、
「神様の栄光が私には見える」と、
少女や若い男は言い出すが、僧は毒づく。
アロンは、「神が見えないのは破滅だ」などと、
極論を持ち出す。

民衆は、それなら全員破滅だ、と応酬。
「アロンの言葉に頼った私の思想は無力でした」と、
前半6分ほどで、すぐに弱音を吐く。
やはり、神の姿が見えないのは不安なことなのである。

このあたりから、奇跡が少し開陳される。
アロンは、民衆に向かい、
「黙れ、言葉は私のもの、そして行為もだ!」
と叫んでモーゼの杖を蛇に変えて見せる。
さらにアロンは、ライ病の人を治し、
ナイルの水を血に変えてみたりして見せる。

これによって民衆の心は一つになって、
砂漠に向かって出発する準備が出来る。

大衆というもののとらえ方が、
18世紀末と20世紀前半で、
大きく変化したことを意識せざるを得ない。

コジェルフにあっては、言われれば動くはずの民衆は、
アロンの指示で、すでに出発を待つばかりになっているが、
シェーンベルクでは、民衆は、モーゼとアロンが、
力を合わせて、1幕をかけて説得しないと、
まるで動かない皮肉に満ちた存在である。

しかし、モーゼの言葉は、民衆には通じない、
という設定は、どこから来たものであろうか。
聖書は、ただ、事実として述べたのか、
それを、うまく利用し、シェーンベルクが、
新しすぎる自分の音楽になぞらえただけなのか。

最後は、ヒステリックな管弦楽が咆吼し、
砂漠に向けて出発する民衆を描いている。

最後の「間奏曲」は、2分。
武田明倫氏の解説には出ていない。
CDには、単に「間奏曲」とある。
名曲解説ライブラリーには、
いつのまにか見えなくなったモーゼを、
民衆がいぶかるシーンとある。
ひそひそ声に、不思議なリズムの合唱が重なる。

第2幕情景1は、3分18秒。
壮大なオーケストラの開始部に、
男性合唱が重なり、70人の長老たちの怒った様子が描かれる。
「アロンと70人の長老たち、啓示の下るシナイ山のまえにいる」
と題されている。

アロンが奇跡で民衆を動かしたことを、
モーゼは快く思っておらず、
神の啓示を求めて、シナイ山に籠ってしまったのである。
民衆の怒りは当然である。
もう、40日も経っている。

第2幕情景2は7分11秒。
かなりヤバい状況である。
民衆は不安に駆られ、暴徒化しており、
モーゼを八つ裂きにすると騒ぐ。
長老はアロンに助けを求め、
アロンは遂に、自ら福音者になって、
偶像崇拝を許してしまう。

民衆を前に怖れ、
やむなく信念を曲げるシェーンベルクのアロンは、
あまりにありそうな政治家像である。

しかし、もはや、この民衆は正気を失っている。
アロンでなくとも、とても恐い。
革命前の扇動された民衆は、こんな感じではないか、
と思われるほどリアルである。

第2幕情景3は、「黄金の仔牛と祭壇」と題され、
28分35秒という長丁場。
シェーンベルクの妄想のシーンが前開となった、
問題満載のスキャンダラスなシーンとなる。
CDにも、「破壊と肉慾の乱痴気騒ぎ」と書かれている。

オーケストラは、ホルンの咆吼が続き、
不気味な弦楽のノイズ音が現れて、
何やら、悪いことが行われている感じ。

ティンパニの連打。
人を喰ったような珍妙な管楽器の破裂音に弦楽が軋む。
様々な楽器の細かい音型のメロディーの断片の、
集積に、ややこしいリズム音型の修飾が重なり、
怪しい打楽器群が鳴り響き、黄金の仔牛の偶像を前にしての、
酒池肉林の場が活写される。

このトラックには、インデックスが17もついていて助かる。
かいつまむと、
「屠殺者たちの舞踏」、「若者を打殺」、
「酩酊と舞踏の乱痴気騒ぎ」、「処女たちの刺殺」、
「エロティックな放縦乱舞」などなど、絶対にいかれている。

この偶像にあやかろうと、病人の女や、
馬に乗った部族長が集まって来るので、
理想主義の若者が偶像を壊そうとするのを、
反対にみんなで撲殺してしまう。

やがて、様々な独奏楽器が静かに勝手なメロディーを歌い出し、
酩酊の様子が描かれる。
完全に、このめちゃくちゃ状態に、民衆は満たされている。
長老たちは、民衆の陶酔を見て神を賛美する。

やがて、裸の処女たちが登場、これまた酔いしれた独唱に続き、
合唱でも、「おお、黄金の神様」と艶めかしい賛歌が続く。
この連中もしかし、僧に殺されてしまう。
その血は供物とされ、民衆は扇動されて、ますます、いかれていく。

打楽器が刻むリズムに、滅茶苦茶な金管の炸裂が重なっていき、
例の放縦乱舞が続いていく。
若者が飛び出し、女を祭壇に供えると、
わーっと合唱が叫び、女の略奪の部に入る。
快楽賛美の合唱と共に、次第に音楽は遠ざかっていく。

このような状況で、モーゼは何をやっていたのか。
第2幕情景4(1分10秒)になってようやく彼は下山する。
このシーンこそ、このCDの表紙に描かれた部分である。

「モーゼが降りて来るぞ」という叫び声。
モーゼの声は強烈である。
「消え失せろ偶像!」

第2幕情景5は完成された最後の部分で、10分28秒。
ここでは、リリカルなアロンと、
意思に満ちたモーゼの舌戦が繰り広げられる。
思想も言葉も何にもならない、奇跡を見せるのが、
自分の任務だと、アロンは歌う。

モーゼは、思想そのものの力を信ずる。
しかし、アロンは納得せず、モーゼは遂に、
十誡の板を割ってしまう。
謎の合唱が響き、アロンが奇跡で、
民衆を味方につけたのである。
「おお、言葉よ、言葉よ、
我に欠けたるは汝なり。」
そういって、モーゼは絶望して倒れる。

まったく理解されない音楽を書いた、
シェーンベルクならではの絶叫だと思う。

アロンがどこから、奇跡の力を仕入れたか分からないが、
これは言うなれば、
大衆へのこびへつらいであって、
確かに信仰の本質は、
それによって左右されるようなものではあるまい。

とはいえ、シェーンベルクの音楽が、
神の福音の本質に迫るものであるから、
理解が困難である、という論拠もおかしかろう。

しかし、このモーゼ、
俺様口調で言い張るコジェルフのモーゼと違って、
自分の思想そのものに時折悩み、
懐疑的でもあるところが好感が持てる。

何が正しく何が正しくないかなど、
なかなか分かるものではない。

民主党が50年も前に計画された、
ダム計画を見直したくなって、
建設を中止したいのも分かるし、
ダムがないと治水や、
食料時給時の水資源が枯渇するという、
推進派意見もまた、間違っていないはずなのだ。

さて、未完の3幕では、
反対にモーゼがアロンに打ち勝つが、
それでもなお、この兄弟は論争をしているらしい。
このCDでは、何も演奏されていないが。

今度は、「自由」というものに対して、
モーゼとアロンの論争はさらに続くようだが、
最後は、約束の地を見る前にアロンは死んでしまう、
と言う構想だったらしい。

アロンの自由は彼自身の精神の自由、
モーゼの自由は、神の心に仕えることだという。
強制収容所に送られたユダヤ人を思えば、
モーゼの自由は、何の効力もなさそうなのだが。

林光の解説では、この作品は、
「拡大された室内オーケストラ」の作品、
などと書かれているが、
管弦楽は非常に繊細、ブーレーズのような透明な解釈は、
作品の見通しをよくしてくれて助かる。

それにしても、同じモーゼが題材でも、
兄弟のアロンは、コジェルフでは年少の伝令風、
シェーンベルクでは、現実路線を模索する年長者風と、
まったく解釈も異なり、モーゼも前者では若者、
後者ではおっさんである。

さらに取り上げた部分もまったく異なり、
シェーンベルクにはファラオは登場しない。
ユダヤ人だけの話に終始している。

得られた事:「コジェルフの時代、まだ民衆は信頼するに足りたが、シェーンベルクの時代、それはすでに不気味なカオスと化している。」
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by franz310 | 2009-10-18 14:33 | 音楽
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