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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その195

b0083728_15571220.jpg個人的経験:
前回、コジェルフの大作、
「エジプトのモーゼ」を聴いたが、
前半で力尽きた。
今回は、後半を続けて聴いて見よう。
ユダヤの同胞を率いて、
隷属していたエジプトから、
モーゼが出立する前に、ファラオと、
モーゼの育ての親で王女のメリームが、
邪魔立てしようとして神の怒りを買う。
天変地異が起こり、えらいことになった。


そこで、全能の正しき神ならば、
いっそ、ファラオもメリームも亡き者にすれば良かったのに、
第二部でも、この分からず屋たちは相変わらず、
敵対してモーゼの前に立っているようである。

そもそもモーゼは、ファラオの許しだけでなく、
ファラオに信心まで求めたので、話がこじれたのである。
キリスト教圏の人がみな、
こうした思考だとすれば、
とても、まともな交渉など出来はしない。

二枚組CDの二枚目を始めから聴いて行こう。

ちなみに、解説によると、こんな内容である。

「第2部の最初の部分で、
改めてイスラエルの民は自由を求める。
これまでにファラオは、
これ以上の抵抗はしないと決めている。
メリームは別れを言わねばならぬことで悲しむ。
1790年のヴィーンでの2回目の上演時に作曲された、
情景とアリア、
『何を見るのか、何を怖れるのか』(CD2のトラック6)は、
1787年の初演では、ここに置かれていた、
ことわざのアリア、
『風の強いひと吹きが』(CD2のトラック5)よりも、
音楽的にもスタイルの点でも近代的である。
こちらの方が母の愛をさらに感動的に表わし、
印象的な人間的感情を加える。
今回の録音では、
二つのバージョンを聴き比べられるように、
どちらも聴けるように並べたが、
演奏会で並べられたことはない。」

私は最初、このような事情を知らずして、
このCDの二枚目を聞き流していて、
延々と続くメリームの歌に辟易したが、
ちゃんと解説は読まないといけないと痛感。
トラックのみ見ていても、
そこまでは書いてない。

何しろ、Track1とTrack3の合唱が、
そもそも繰り返しなので、
Track4に来た時点では、
かなり、うんざりした精神状態になっているので、
この攻撃はかなり耐え難いものであった。

しかし、このように、
Track4、5(計9分)と、
Track6(7分19秒)は、
どちらかを聴けばよいということが分かった。

このCDの二枚目は、聞き流してはいけない。

さて、続き。

「モーゼは神に嘆願し、助力を嘆願する。
アーロンが、人々の出発の準備が出来た事を知らせると、
メリームは虚しく息子に留まるよう再度願う。
ファラオは自らの気違いじみた憎悪と戦う。
アーロンはメリームに、父王に、
良い印象を与えるようにとアピールし、
虚しくも、彼女が神の善性を確信するように試みるが、
彼はモーゼを『危険な魔法使い』と考えている。
王女が、モーゼはそのミッションを捨てることはなく、
すでに、なすすべがないと気づくと、
彼女は理解を示さず、怒りに身を任せ、彼を完全に拒絶する。
モーゼとしては、結局、民と共に去っていく。
モーゼとメリームという、
二人の主役の間の確執が、第1部より目立ち、
モーゼにとっては、神の指示と養母との関係の矛盾となり、
メリームにとっては、息子への愛情と、
同時に、彼の行動への悲劇的な理解しがたさが矛盾となる。
彼が与えられた責務を果たすには、
自らが根無し草となって、そして母をも捨て、
自由になるしかなかった。」

こんな内容のオラトリオであるが、
いったい、ここに何を我々は読み取ればいいのか。
コジェルフも、台本作家も、いったい、
どんな気持ちでこれを書いたのだろうか。

結局、話し合っても無駄、みたいな教訓しか私には感じられない。
モーゼが行ったのは、神が言うから仕方がないんだ、
という狂人のロジックでしかなく、
隷属状態からの解放には、力ずくでやるしかない、
ということであろうか。

フランス革命を前にした当時の人々の感覚とは、
こんな感じだったのだろうか。

で、それをコジェルフは代弁して見せたということか。
ナポレオン戦争を経て、第一次大戦に突き進む思想の萌芽を、
ここに見るべきなのだろうか。

このような意味でも、
聖書を傘にしたこのドラマを、
我々が正しく鑑賞するには、
かなりのハードルがあると言わざるを得ない。

CD2を順番に聴いて行こう。

はたして、分からず屋たちは和解したのだろうか。

Track1:合唱。
「知られざる神の強力な手が、
我々を打ち崩し、破壊した。何が起こるのだろう。
隷属のイスラエルの民を自由にし、
我らの惨めな境遇を終らせよ。
モーゼを解き放て。」

静謐なクリスマスの夜に奏でられるに相応しい、
晴朗なメロディーの美しい合唱だが、
内容はちょっと、いや、かなりヤバい。
このような清純な音楽にする必要が、
どこにあったのかはよくわからないが、
これが、当代とっての人気者たる所以であろう。

Track2:ファラオのレチタティーボ。
「もういい。
残った連中をここから去らせ、
多くの災いの種を追いやってくれ。
哀れなエジプトよ。
最後には一息つけるだろう。
私はこの怒り、憎しみ、憤怒をぶちまけ、
復讐できればいいものを。」

この怒りに満ちたレチタティーボ、
36秒しかないが、おそらく、
先の合唱に変化をつけるために挿入されたもの、
あるいは、この怒りを理由に、
それを慰撫するような合唱を置く理屈をつけた、
と考えてしまうほどだ。

Track3:合唱の繰り返し。
後半に入って、コジェルフの悪い所が顔を覗かせる。
このメロディーが気に入ったものと見え、
コジェルフは何度も繰り返して、
いつか読んだ、コジェルフは似たような繰り返しが多い、
という当時からの評判を思い出した。

そもそも、天変地異が起こったので、
1から3の、何も起こっていないような、
意味のないトラックは省いても良いのだ、
何故なら、次に、メリームがもっと恐れおののいた歌を、
次に歌っているからである。

前述のように、以下、
メリームのレチタティーボとアリアが続く。
以下は、トラック6と差し替えてもよい。

Track4:メリームのレチタティーボ。
「どこに行けばいいのだろう。
どこに隠れればいいのだろう。
この凶暴で残忍な野獣の住む恐ろしい場所で。
この恐ろしい夜、エジプトの民たちをなぎ倒したのは誰。
この国の動物たちに、ここまで冷酷に出来るのは誰。
誰がこの血を流させたのか。
可愛そうな哀れな母よ。どんな神が、
あなたがたを、その力の的としたのか。」

このレチタティーボは、
先の天災に対する恐れをダイレクトに表わして、
私は悪くないと思う。
人々の動揺を示す、伴奏の動きも説得力がある。

Track5:メリームのアリア。
「風の猛威。
よくしなる藻のついた蘆はそのままに、
大きな古いオークの木をなぎ倒すつむじ風。
抵抗するものを苦しめ、
屈する者を許す寛大な心。」

確かに、この内容、比喩が多く、評論家的である。
ただし、音楽は、高らかなファンファーレに続き、
壮麗である。それだけに形式的にも聞こえるのかもしれない。
妙に英雄的で、話の筋としては、ファラオにでも歌わせたいものだ。

Track6:メリームのレチタティーボとアリア。

こちらが再演時のメリームの担当分である。
音楽も葛藤を表わし、メロディーも精妙で心に染みる。

さらにそれが、快活なリズムになだれ込んで、
まるで、オペラの情景のように、鮮やかな印象を与える。
これは、全曲でも屈指の部分であろう。
コジェルフは1790年まで、その実力は健在であった。

「私は何を見るのか。何が私を圧倒するのか。
私はモーゼを見ることが出来ない。
心の中に起こったこの戦い。
彼が去り、別れを言わねばならぬというのに、
私の血は氷のようだ。私の心は引き裂かれた。」

登場人物の心理描写という点では、
まるで、モノローグのようで秀逸。

「臆病な恐れによる声ではなく、
私の恐れは理由なきもの。
たぶん、私の不運な、なおも愛する息子は死ぬでしょう。
私は私が死ぬのも分かる。
そして涙が溢れる。
この涙は、息子よ、たぶん、これで最後でしょう。
この別れの言葉、愛する息子よ、これも最後でしょう。
心の苦悩。もはや、神よ、慰めはありません。
何と言う瞬間。
恐怖に満ちた永遠の神よ。
私の苦痛は大きいのに、まだ、こうして生きて呼吸している。
神よ、かくも恐ろしい運命を前に、
この心をどうすればいいでしょう。
母の純粋な愛が、せめて、あなたの同情となることを。」

それにしても、天変地異で、
回りがめちゃくちゃになっている時に、
この人たちは、何の働きもせず、
ただ、何の助けにもならぬ自分の感想を言い続けているところが、
完全に大企業病である、というのは皮肉にすぎようか。

そういった意味で初演時の歌の方が、
筋としては通っている。

Track7:モーゼのレチタティーボ。
「至高なる神よ。
あなたの叡智と力をへりくだってあがめます。」

モーゼは主人公なのだから、
周りを助ける働きをして欲しいものだが、
洪水の後は、なすすべもないのか、
まるで、他人事であるのが悲しい。

これまた、自分の世界に浸った歌で、
マルクス・シェーファーの内省的な声も、
この緊急時とは思えぬ敬虔なもの。

「イスラエルの民を罰する恥ずべき鎖は、
遂に打ち砕かれた。
神よ、許し給え、罪ある民衆を。
人の心をよく知る神ならば、
彼らの自責と後悔は分かりましょう。
彼らを良きものにて守りたまえ。
信頼と愛と希望と。」

Track8:モーゼのアリア。
「苦く恐ろしい自責の念を心から感じ、
愛を求め、あなたからの助けを請う民には、
慈悲を受ける価値がある。
彼らは一度は裏切ったが、
その盲目を恥じています。
このような愛情を見て、
彼らの不動の信頼が、
失われることはないでしょう。」

明朗な歌唱を、木管が優しく彩る。
このような歌が続く際、前のアリアは、
初演版は、動と静の対比という意味では自然であり、
再演版は、心理と心理の対比という意味で興味深い。
意外に、初演版が正解のような気がする。
神の怒りをまの当たりにした人々の歌としては、
少しリリカルにすぎる。

Track9:アーロンとモーゼのレチタティーボ。

これから出発の時。
何度も書くが、何故か女声のアーロンが使者となってくる。
しかし、アーロンを担当するぴんと張り詰めたものがあって、
ペリッロの声は至純で、急を告げる感じはよく出ている。
また、レチタティーボとは言え、伴奏のメロディは素敵だ。
これなどもシューベルト風としか言いようがない。

「アーロン:王女様、兄弟、すべての民の準備は出来ました。
民も家畜も、自由を味わっております。
母の腕にあってまだ自由の贈り物を知らぬ赤子とて、
喜びの様子を明らかに見せています。
すべては整いました。
後はリーダーを待つのみです。」

ピアノフォルテのぱらぱら音に続いて、
モーゼの歌が始まる。

「モーゼ:長く待ち焦がれていた贈り物を、
虐げられた民が喜んでいる。
行こう。
何が命じているか、
言わば、聖なる炎が、
シナイの山頂でくびきを断って、
それが、彼らの導きとなると、
そしてそれが、すべての過ちを厳しく報いると伝えよう。」

このあたりの流れは自然なものとして受け入れられる。
葛藤の後、使者が来てそれが中断され、
その後、再度、分かれの状況が盛り上がっていくわけだ。

Track10:メリーム、アーロン、モーゼの三重唱。

「メリーム:ああ、息子。もはや、あなたを見ることもない。
モーゼ:愛しいお母さん、
私をあなたから引き離すのは運命なのです。
アーロン:この厳しく不確実な状態で、
私はどうすればよいか分からない。
モーゼとアーロン:ああ、別れ。
メリーム:ああ、やめて。
アーロンとモーゼ:駄目です。義務がそれを許さない。
3人:理不尽な運命よ、
苦痛に満ちた心に安らぎを。それでようやく、呼吸ができる。」

この場面も、穏やかな曲調に、三つの声が響き合って、
牧歌的なものを感じさせる。
一幅の絵画のようだ。
アーロンの声が重なって来るところは、
非常に美しい。

Track11:ファラオとモーゼのレチタティーボ。
「ファラオ:モーゼはどこだ。
あの危ない魔術師はどこに隠れた。」

ヤバい展開である。
また、前半の、「ああだ、こうだ」が、繰り返される兆候あり。

「モーゼ:陛下、魔法などではありません。
あなたが目にしたのは大いなるもののなせる不思議。
その力を、あなたの頑迷さも、最後には受け入れ、
すべてをなだめ、無礼を服従させる、
神の手腕を知ることになります。」

モーゼがしゃべる度に繰り出されるのは、
ほとんど気違いの論理で、私には耐え難い。

ゲーテのプロメトイスも気違いだったが、
こうした無礼者が当時の人たちは、
大好きだったのだろうか。
音楽も、これまでの静謐、穏和なものから、
やけに人を苛立たせる挑発的なものに変る。

「ファラオ:全能の神!
ファラオであっても、王であっても、
あえて、その力を試すほどに、
かくも弱いものなのか。
私はこの胸の中になおも持つ不敬を試し、
エジプトに対して何が出来るかを確かめようとする。」

Track12:ファラオのアリア。
「私の前から離れ、視界の外に消えてくれ、
我が苦痛、我が恥辱。
見せかけの神の外見には騙されない。
稲妻はまだ続いている。」

この興奮したアリアに続き、
メリームも、もう、正気の沙汰ではなくなっている。

Track13:アーロンとメリームのレチタティーボ。
この会話は、ソプラノが二人だが、
アーロンは自信満々で、
メリームは動揺しているので、
混乱することはない。

「アーロン:メリーム、王女よ、
あなたしかいません。
王様の心を変えられるのは。
メリーム:この大きな不幸が、
エジプトを傷つけているというのに、
私に何ができましょう。
あなたの神に?
血と死を好み、人々が苦しむのを、
喜んでいるような異教の神に?」

メリームがこうして取り乱すのも、
私には当然と思える。
無茶な要求を出す、
テロリストにしか見えないはずだから。

「アーロン:神をそのように言ってはなりません。
神はその力をいつかお見せになり、
私たちに永遠の利益で満たすのです。
王女様、あなたも帰依すれば分かります。」

Track14:アーロンのアリア。
「心から神を信じるなら、
感謝をもって神を見るなら、
神は苦しみを楽にしてくれ、
良いもので満たし、苦痛をなくすでしょう。」

Track15:モーゼとメリームのレチタティーボ。
「モーゼ:
王女様、王様は私が立ち去るよう催促しています。
もはや出立を遅らせるわけにはいきません。
常に私の味方であったあなた。
まだ若くか弱い、お母さん。
メリーム:黙って。母という聖なる言葉を使わないで。
あなたがヘブライの民であるなら、
もう、ここに留めおかれることはありません。
何があなたを駆り立てるのです。
モーゼ:私を常に導く、
大いなるものの手によって。
メリーム:行って、恩知らず。」

最後は、「away、you monster!」
この曲の結論のような緊迫に再度向かう、
序章のようなやり取りである。

Track15:メリームとモーゼのデュエット。
「メリーム:恩知らず、行って。
そしてもう二度と、
私のことは言わないで。
決して予期さえしなかった、
こんなむごい行い。
モーゼ:その哀しげな目を、
開けて、恩知らずなどと言わないで。
あなたの所に留まれないのは、
私のせいではない。
メリーム:母のことは忘れて、愛を破壊して。
モーゼ:そんなことは出来ません。
二重唱:(ああ、何故偽りを。)
(あなたの不幸)可愛そうな。
正義の天空が、この瞬間、
私の苦痛は混乱を起こす。
私の義務が分からなくなってきた。」

あの憎しみあったレチタティーボの後で、
この二重唱は割と落ち着いて、結構、良い感じである。
ここでは、少し、モーゼの方が、
折れそうになるのが良いのだろうか。
いたわるような優しい歌で、
これならメリームの心も癒されたかもしれない。

伴奏も、別れの歌を、さざ波のような音型で、
優しく包み込んでいる。
後半の加速でも、二人のデュエットは大変、美しい。

Track17:モーゼのレチタティーボ。
「私はこのしがらみを断つ。
最終的に、この楽しからぬ場所を去る。
家畜を連れて、
種族を率いていく。
至高の神に、
すべての思いは向かい、
空は感謝の賛歌が響き、
解放者に対して、
かつては辛く、
いまや幸福になった人たちの、
歌声が響く。」
何だか分からないが、
メリームは捨てられて、モーゼは決心する。
この決意が述べられると、爆発するように、
人々の声が響き渡って、全曲は結ばれる。

Track18:合唱。
「最高の力によって、苦役のくびきは外された。
我々を苦しめるものはもはやない。
あなただけが、ただ一つの真の神。
栄光は神のもの。力は神にあり。」

Track19:合唱フーガ。
「あなただけがただ一つの真の神。」

低音で管弦楽が唸る中、
混声合唱の荘厳なフーガが舞い上がる。
ラッパが鳴り響き、ティンパニが轟き、
これはなかなかの聴き所であるが、
ファラオもメリームも、みんな消えてしまった。

何だか知らないが、フランス革命と関係はあるのだろうか。
王様は悪く、民衆は正しいという雰囲気が後半の全編を覆う。

「エジプトのモーゼ」の名を借りた、
革命賛歌といった感じがする。

啓蒙君主、ヨーゼフ二世の治世でなければ、
不可能だったような出し物ではなかろうか。
シューベルトの時代、反動的なフランツ二世が、
ヴィーンを統治したが、
コジェルフ、モーツァルトの時代と、
シューベルトの時代では、おそらく、時代を覆う空気自体が、
違っていたのではないかと実感できるほどだ。

例えば、この王女メリームは、
民族施策が穏和であったマリア・テレジアであり、
ファラオはその子で、
かなり厳格だったヨーゼフ二世とすれば、
モーゼは誰だか分からないものの、
民衆は、ハプスブルクに支配されていた諸民族と、
見えなくはないではないか。

もちろん、コジェルフはその諸民族の地、
ボヘミアの出である。
コジェルフは、こうした急進的な思想の代弁者だったのだろうか。

しかし、そんな危険人物を、宮廷作曲家にするとも思えず、
これは単に私の妄想しすぎないものと思われる。

以上、聴いて来たように、
コジェルフの大作「エジプトのモーゼ」は、
聖書に題材を取りながら、何だか、換骨奪胎して、
別の思惑に当てはめたような作品に思える。

アーロンも、単なるモーゼの代官、あるいは伝令にしか過ぎない。

ただし、そうした裏のストーリーは別にして、
このオラトリオは、変化に富み、
前半最後の天変地異から、後半最初の聖歌調、
後半に向かっての心理劇の緊迫、
最後の壮麗なフーガなどなど、
かなりの力作となっているのは確か。

ただし、主人公のモーゼの人間像には少々抵抗が残った。
また、メリームもファラオも、結局、置き去りのままである。
このあたりの後味の悪さが残る。

ポーランド分割の時、
最初は反対していたのに、
結局は、署名して承諾したマリア・テレジア。
プロイセンのフリードリヒ大王は、
こういったと伝えられる。
「彼女は泣きながらも受け取る。」

メリームの嘆きから、その余韻を感じたりもした。

書き忘れたが、指揮は、
解説によれば、ドイツ古楽研究の大御所とされている、
ヘルマン・マックス。
合唱は、プロの歌い手を集めたとされる、
Rheinishe Kantreiで、
オーケストラは、Das kleine Konzertという手兵。


得られた事:「コジェルフの『エジプトのモーゼ』は聖書を題材にした、何だか別の思惑の話。ここで高らかに歌われる自由思想は、おそらく、モーツァルトの時代とシューベルトの時代を大きく隔てるものだ。」
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by franz310 | 2009-10-11 16:04 | 音楽
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