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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その193

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その193_b0083728_23484589.jpg個人的経験:
私が30年ほど前に、
ヴィーンで聴いた演奏会で、
シューベルトを奏でたのは、
当時、すでに、15年の歴史を誇っていた
ウィーン・ハイドン・トリオであった。
確か、前半は、ツェムリンスキーを演奏し、
後半にシューベルトの「2番」をやった。
彼らが演奏したシューベルトの
ピアノ三重奏のCDは、第1番、第2番共に、
テルデックで聴くことが出来る。


第1番は、「ノットゥルノ」と、
第2番は、「ソナタ楽章」とカップリングされている。
これらの曲目では、テルデック・レーベルは、
もっと若い世代のトリオ・フォントネの演奏(1994)や、
もっと独奏者としても有名な、
シフ、塩川、ペレーニ盤(1995)を次々と出した。

「ます」が廉価盤として長命を保ったのに対し、
これらのCDは、完全にお払い箱状態かもしれない。
それにしても、このレーベルは、よほどこの曲が好きなのであろう。

しかし、このCDのデザインは、
何だか、類例を見ないものだ。
ピアノの鍵盤が写真でドアップ。
そこに、意味不明な三日月の線画が重ねられている。

「ます」の五重奏曲に関しては、
私は、ハイドン・トリオの演奏の方が、
トリオ・フォントネより良いように感じた。
したがって、これらのピアノ三重奏曲も、
きっと味わい深いものに相違ない。

また、解説を読んでみると、
かなり興味深い事実を指摘していて、
大変、興味深い。
前回、日本の音楽評論家による、
「妄想」と、戦前から変り映えしない一般論を交えた解説に、
うんざりしていた私には、心ときめくものであった。

第1番の方の解説は、この曲の謎に満ちた、
作曲時期について踏み込んだものだ。
Uwe Schweikertという人が書いている。

「シューベルトの、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための
三重奏曲変ロ長調作品99(遺作)(D898)は、
もっと有名な兄弟分、三重奏曲変ホ長調作品100(D929)の、
陰にあって、何となく継子扱いを受けている。」

これは、カザルス・トリオ、オイストラフ・トリオ、
ハイフェッツらのトリオによるレコードで、
変ロ長調を親しんで来た日本人には、
実感の湧かない記述ではあるが、
確かに、この曲に関しては、「ます」の五重奏曲同様、
成立の由来に関して、よく分からない点が多いのは事実である。

昭和50年の「レコード芸術」付録の、
最新レコード名鑑「室内楽曲編」(大木正興著)でも、
「第2番」の項で、「この曲は変ロ長調の曲と違って
生まれ出たときから目立つところの出ていた曲であった」
と書かれていた。
「変ロ長調のほうが素朴、流麗、
そして概して屈託のない明るさを
曲の基調としているのに対し、
これは、不安、不満、憧憬の色がきわめて濃く、
喜遊的なピアノ三重奏曲の伝統から離れて、
彼自身の内なる声をこの曲種に乗せた天才的な作品である」
と比較、断言がなされている。

このように、変ロ長調の方は、
昔から、「屈託のない明るい曲」だから、
変ホ長調より前の作品に違いないと思われていた。

このテルデックのCDでは、そのことについて、
がっぷりと取り組んだ解説になっている。

決して、志鳥氏のように、(以下創作であるが、)
「私は、この曲を聴くと、いつも、貧しかったけれど、
心は豊かだった青年シューベルトの短い人生を想うのである」
などという月並みな感想で解説を終えるのを潔しとしない。

「自筆譜はとうに失われており、
シューベルトの生涯に関するものにも、
彼の友人たちの無数の回想の中にも、
この曲に関するドキュメントはない。
この曲が彼の生前に演奏されたかという、
答えられない問題も残っている。
ヴィーンのディアベリによって、
『第1大三重奏曲』というタイトルで、
1836年で初めて出版された。」

このあたりからして、非常にわかりにくい。
ディアベリが「第1」と勝手につけたのだろうか。
あるいは、ディアベリから出された「第1」ということだろうか。

しかし、ピアノ・ソナタ第18番として知られる、
ト長調の「幻想ソナタ」などの自筆譜には、
「第4ソナタ」と明記されているとあるので、
失われた自筆譜にそう書かれていたのかもしれない。

「この作品を受け取ったロベルト・シューマンは、
『新音楽時報』にて、その時、こう書いている。
『新しく出版されたものは、恐らく古い作品であろう。
もっと前の作風を示しているし、
変ホ長調のものの少し前に作曲されたに違いない。
しかし、これらの作品の内容は大きく異なっている。』
作品番号が若い事と、最初に出版された時の名称もあって、
古い時代にはこの作品はこの作品を作品100の前に位置づけた。」

これも極めてややこしい話で、
作品番号はシューベルト自身が決めたのだろうか。
変ホ長調のトリオの作品番号100に関しては、
シューベルトはかなりこだわったようだが、
(これは出版社とのやりとりが残っていて確実)、
実は、この変ロ長調にも同様のこだわりを持っていたのだろうか。
ディアベリの証言が欲しいところである。

「正確な作曲時期は確定できないが、
今日では一般にこの作品の作曲は、
1827年11月に作曲が開始され、
12月16日に初演された変ホ長調のトリオの、
完成前ではないと見なされている。
シューベルトの新作品全集(SeriesⅥ,vol.7)の序文で、
アーノルド・ファイル(Feil)は、この作品が、
1828年4月か5月に書かれたという証拠となる議論を提示した。」

実は、このCDの解説にはないが、
この推論に対する反論もあり、
前述のように、作品99としたのは、
シューベルト自身だという論法もあるようで、
まことにややこしいが、ここでは、一応、
このファイル説に従っての解説が試みられている。

「このことは、変ロ長調をシューベルトの死に先立つ、
半年内に作曲されたものに含めることになる。
差し迫った焦燥はなく、むしろ、
受動的に安らかに消えゆくような、
この作品の静かに旋回するような外観
(例えば、第1楽章の展開部や、緩徐楽章、
スケルツォのトリオ)から、
これを弦楽五重奏曲ハ長調(D956)や、
最後の三つのピアノ・ソナタ
(D958-960)のような作品に、
近いものと考えたくなってしまうが、
これも推測に過ぎない。」

しかし、このような妄想は少し歓迎である。
確かに、言われてみれば、より諦念に近づいた作品と見えなくもない。

「すでに述べたシューマンの記述によれば、
『もっと活発で男性的で劇的』な変ホ長調よりも、
変ロ長調は、『受動的、女性的で叙情的』である。
性別の表現で述べられた対立は、
二作品の性格のみならず、
変ロ長調の作品理解にも示唆するものがある。
変ホ長調が決然と切り詰められていて、
ベートーヴェンの作品97のように、
古典的だと見なされるとしたら、
変ロ長調の、より明快で叙事的な形式の扱いや、
幅広い衝動的な反復は、
一般的にロマン的な音楽と言われるもののエッセンスだ。
一方でシューベルトはベートーヴェンの例のように、
4楽章構成を取り、ピアノに技術上、表現上の支配権を持たせ、
交響的な要求を課した。
ベートーヴェンの作品が、
社交的なものと、形式的なものの間を浮遊するのに対し、
シューベルトの作品は、主題やコントラストにおいて、
社交的なものと名技的なもの、
または、ブルジョワの名士と、
そして、孤独な空想とを結びつける。
こうした外観は、
変ロ長調トリオの最初の3楽章のみならず、
お開きのダンスを想起させるロンドに顕著に特徴付ける。
2/4拍子から3/2拍子への変化は、
興奮して速い行進曲が、同じ拍子を保ちながら、
揺れるようなダンスのリズムとなり、
時空が魔法のように分解していく。」

以前、アベッグ・トリオの解説のライカウ氏が、
シューベルトの音楽には、時間の概念の崩壊があるように書いてあったが、
同様の事を、このシュヴァイカート氏も言っているようだ。

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その193_b0083728_23504057.jpgこのように、この解説では、
このトリオにおける、
シューベルトの晩年様式を、
さらに強調し、
もっとロマンティックに
解釈しているようだが、
このウィーン・ハイドン・トリオの演奏は、
どのように聞こえるだろうか。

私は、トリオ・フォントネなどの演奏に比べて、
かなり細かい表現を追求した演奏だと思った。


あるいは、ヴァイオリンやチェロの音色が美しいが、
線が細めで、興奮しているように聞こえるから、
そう思えるのだろうか。


第1楽章が、単に楽しげな音楽であるという印象が強いが、
第1主題から第2主題に到る過程では、
ピアノがどんどこ打ち鳴らされて集中力が高く、
何かがひたすらに追求されていく感じ。
歌謡的な第2主題がチェロで現れると、
その緊張が、ほっとほどけて行く。
ピアノが心を込めて、この歌を続けるところも美しい。

展開部でも、この高い集中力、ひたむきさが、
目の詰んだ響きで追求されていると同時に、
第2主題が現れるところでは、柔らかく優美に歌われる。
こうした曲想の変化で、少しずつテンポを揺らして、
シューベルトの声に丁寧に耳を澄まそうという姿勢が伺える。
それが、何やらやるせない情緒を醸し出して行く。

そういった意味では、さらに晩年様式を強調して、
諦観しようという演奏ではない。

第2楽章の美しいチェロに、
ヴァイオリンが重なっていくあたりも、
焦燥感が高まるかのようにテンポを揺らし、
何かを思索しているようである。
この楽章も、弦楽五重奏のような雄渾な感じはなく、
もっとナイーブで、そういった意味では、
解説にあるような内容を表わした演奏ではない。

第3楽章のように小刻みな展開では、
この団体の弦楽部の線の細さが強調され、
メンデルスゾーンのスケルツォのような、
妖精の踊りのような揺らめきが感じられる。

ただ、トリオに入る前の強奏時に、
一瞬、音合わせのような間が置かれるのは何故か。
彼ら特有のアクセントだろうか。
少し、流れが止まったような感じを受ける。

解説に、特に後期様式が感じられるとあったトリオ部は、
この演奏では特に幻想的で、
解説にあったとおりの色調を滲ませる。
丁寧に表情を変えて聴かせ、
ヴァイオリンとチェロが不思議な無重力感を持って浮かび上がる。

第4楽章、解説で難しいことが書いてあった楽章であるが、
力任せに盛り上げるのではなく、
錯綜した楽想を踏みしめるように踏破していく趣である。
このあたりを勢いで行ってしまうと、
シューベルトの魅力は半減してしまうかもしれない。
緊張と弛緩を繰り返しながら、
解説にあったような、行進曲から舞踏への変容を描き出す。

「今回のハイドン・トリオの変ロ長調の録音には、
切り離された形で残されている、
作品148(遺作)(D897)の
三重奏楽章変ホ長調が収められている。
1846年、『ノットゥルノ』の名称で最初に出版されたが、
これはシューベルトのオリジナルではない。
最初、変ロ長調トリオの中間楽章として作曲されながら、
アンダンテに差し替えられたのかどうかは推測の域を出ない。
繰り返させるメロディー、伴奏の音型、月並みなリズムは、
アルフレッド・アインシュタインをして、
『奇妙にうつろなアダージョ』と呼ばせしめた。
波の上を滑るようでありながら、
表記上は、『情熱的に』と書かれた、
この音楽は、ノヴァーリスが作ろうとした、
ロマンティックな『魂を震わせる芸術』の如く、
感覚的な魅惑に対する内面の争いの一例である。」

この団体の丁寧に表情をつけて行くやり方は、
こうしたシンプルな曲では、最大限に効果が発揮される。
ただし、ノヴァーリスまでを引合いに出した、
この解説の意味するところはよく分からない。


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その193_b0083728_23512012.jpgさて、ウィーン・ハイドン・トリオによる
シューベルトのピアノ三重奏曲第2番こそ、
私がウィーンで聴いた貴重な音楽である。
彼らは、確か、演奏が終った後、
いろいろ解説をしていたが、
第2楽章のメロディーのようなものを、
演奏してみたりしたような記憶がある。
このメロディーはスウェーデンの民謡の引用
という説があるので、きっとその話を
しているのだろうと推測した。


第1番が87年9月に対し、それより早い6月の録音。
ディレクターは、二曲ともウォルフガング・モーアとある。
ヴィーンの団体ながら、ベルリンのテルデック・スタジオでの録音である。
7年後に、ここで、トリオ・フォントネが同じ曲を録音するが、
さすがに、レコーディング・プロデューサー、
トーンマイスターは同じ人、エバーハルト・セングピールとある。
何と、この人は97年録音のトリオ・フォントネの「ます」でも、
同職を務めていた。

81年のハイドン・トリオの「ます」も、
同じテルデック・スタジオの録音なので、きっと、
セングピールさんの録音だろう。

しかし、この二枚のCD、
一方の製品番号は、8.43682とあり、
もう一方は、8.43683なので、
一連の企画と思われるが、
背表紙は、前者には、「TRIO NR.1」とあって、
後者には、「TRIO OP.100」とあり、
統一感ないこと甚だしい。

Printed in West(!) Germanyとあるが、
ドイツ人は気にならないのだろうか。

ちなみに、後者のデザインはピアノの鍵盤の大写しに、
ヴァイオリンとチェロの線描が重なっている。
ますます、さっきの三日月の意味が気になる。

このCDでも解説は、第2楽章のところでそれを述べている。
ただし、解説者の名前がないのは残念。
こんな不統一も私には気になるが。

「膨大な量の歌曲や、
ほとんどない成功しなかったオペラを除いて、
シューベルトの作品は、もっとも内輪の友人たちのサークル、
『シューベルティアーデ』で演奏された。
出版社に促され、
彼自身の作品による公開演奏会は一度だけ、
すでに死の年になる1828年3月26日に、
ヴィーンのムジークフェラインで催された。」

公開演奏会は、友人たちに促されたのではなかったか。

「いくつかの歌曲、ニ長調四重奏曲『死と乙女』の変奏曲、
アルト独唱と男性合唱による『セレナード』に加え、
変ホ長調のピアノ三重奏曲もまたプログラムに載った。」

ここで演奏されたのは、「新作の四重奏曲」とあり、
一般には、最後のト長調とされる事が多いが、
何と、この解説では変奏曲とまで明記されていて驚いた。
これが、何か、研究成果に基づくものであるかは分からない。

「ホールは満員になり、すべての作品が喝采され、
この一夜は財政的にも芸術的にも素晴らしい成功となった。
しかし、こうした俗世的成功にもかかわらず、
11月にチフスに倒れるまで、
作曲家は、さらなる燃えさかる創作意欲に身を献じた。
長い宿痾に弱められていた彼の健康は、
急激に衰え、運命の皮肉か、ようやく出版社に受け入れられ、
首を長くして待っていたこの三重奏曲の印刷譜を受け取る直前に、
作曲家は、1828年11月19日、
32歳(原文のまま)で亡くなったのである。
作品は印刷譜となったのはわずか一ヶ月後のことだった。
8月1日になってようやく、シューベルトは、
ライプツィッヒの出版社プロープストに書き送っている。
『トリオの作品番号は100です。
この作品は誰にも捧げませんが、
気に入ってくれた人のためのものです。』」

シューベルトは、ここで何を言おうとしたのだろうか。
誰か、適当な人がいれば、献呈を適当に入れてもらっても良い、
などという意思表示にも見えたりもする。
それとも、自分は、何者にも束縛されない、
という気概の現れであろうか。

しかし、ベートーヴェンの「大公トリオ」などは、
ルドルフ大公に献呈されたが故に、
人口に膾炙するニックネームを得たわけで、
献呈の有り無しがその音楽の運命を決する場合もあるだろう。

「古典的なソナタ形式から離れ、
作品99からさらに厳格で思索的なこの作品は、
最初の楽章では、4つのテーマのうち、最後のものが発展して、
広く広がって荘厳な展開部を支配する。」

主題が四つもあるのかと思うが、
音楽之友社の作曲家別名曲解説ライブラリーにも、
このようにある。
「多くの主題をブロック的に連ねたような構成を取る」、
「ユニゾンの力強い第1主題で始まる」
「スタッカートの第2主題が現れる」
「チェロとヴァイオリンが歌い交わす
変ロ長調の第3主題が優美に現れる」
「続けて小結尾主題がppで奏された後、
輝かしさを増して呈示部を締めくくる。
展開部はもっぱらこの小結尾主題が
様々な調を巡りながら扱われる。」

ということで、あまり意識した事はなかったが、
やはり主題が四つあるようだ。

ブルックナーの交響曲を語る時に第3主題まであることが、
よく巨大化の例として引合いに出されるが、
それより前にこうした例があったということか。

ハイドン・トリオの演奏は、
曲想に合わせてか、かなりの切れ味を披露している。
音色に豊饒さがいくぶん不足するせいか、鋭角も目立ち、
彼らの気合いが目に浮かぶようである。

しかも、各楽器が浮かび上がるように表現する繊細さは幻想的、
線が絡み合うところはまことに優美である。
そうした表現上の工夫をちりばめながら、
音楽は抜き差しならない緊張感に高められ、
遂には、壮大なクライマックスが形成される。
この時の、踏みしめるような表現の真摯さも良い。

最後に音が消える一瞬まで神経が通っている。

「第2楽章は北方のバラードによる憂鬱な歌が基調となる。
その主題でシューベルトは、
ヴィーンでの私的な演奏会で、
ストックホルム出身のテノール、
イサーク・アルバート・ベルクが歌った、
スウェーデン民謡『日は沈み』を引用したと言われる。」

ここでも、第1番と同様、チェロの魅力的な歌が聴かれる。
このようなのを聴いて、このチェロ奏者は、
かなりの歌心を持った人という感じを受けた。
やや足取りが速い中、
時折、火花を散らすような表現をまき散らしながら、
このニヒルな歌が紡がれて行くが、
ヴァイオリンもピアノも興奮して震えながら、
作曲家との語らいを続けていく。

「スケルツォは、『レントラー』のテーマが、
巧みなカノンで注意深く使われ、
憂鬱なムードを散らす。
トリオ部のワルツは、和声的にリズム的に凝集して錯綜する。」

焦燥感を感じさせ、この楽章も速めである。
ここでも、やはり、浮遊するような軽やかさがあって、
トリオでは、炸裂と自制の間で悩ましい感じ。

「終楽章は、ソナタとロンドを奇妙に浮遊し、
賑やかな要素のバランスを取ろうと試み、
北方の主題が苦い回想を持って二度再現される。
コーダになるまで、輝かしい長調の終結への変容は訪れない。」

このような複雑かつ長大な楽章では、
この団体特有の、細かい表情変化で、
興奮と沈潜を繰り返していくやり方は効果的である。
ピアノの分散和音の中から、
あの第2楽章の美しい主題が立ち上がり、
チェロで歌われる時の深々とした息遣い、
ヴァイオリンが小刻みな短調主題を奏でる時の
震えるような表情。

ただし、終り方はたいそう素っ気ない。
こうした錯綜の中から、
次第に解決の糸口が見えて来て、
まるで、最初からそこに落ち着くことが、
最初から決まっていたかのように、曲が閉じられる。
何だか、肩すかしをくらわされたような印象すら残る。

ヴィーンでのあの夜もこんな風だったのだろうか。

このCDでは、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのソナタ、
変ロ長調(1812)が余白に収められている。

私は、今回、解説を読んでいて、
最も、驚いたのが、この部分である。

「複数楽章の楽曲となる構想がありながら、
断片に終ったこの作品は、ヴィーンの音楽学者、
アルフレッド・オーレルによって、
1922年に初めて発見された。
知られているシューベルト最初期の室内楽作品の一つで、
メロディー創出の素晴らしい才能の他に、
前期古典派のロマンティックでないスタイルが見られる。
当時の若い作曲家は、ヴィーンで活躍していた、
ボヘミアの作曲家コジェルフ(1748-1818)に傾倒し、
音楽の本質は軽いながらも、
時として、目覚ましい和声進行によって、
少年を夢中にさせていた。
彼自身の初期のソナタ楽章も、テーマを発展させるより、
動機で遊ぶことを元にしている。
楽章の形式的な繋がりを生み出しつつ、
主要動機の順番を変えたりして、注意深く考えられており、
この少年の審美眼の驚くべき確かさを示している。
シューベルト自筆のノートによると、
この楽章は1812年7月27日に書き始められ、
同年8月28日に完成された。」

何と、こんな風にコジェルフが出て来るのである。

モーツァルトのライヴァルとして、
ようやく、音楽史に名を残すコジェルフ。

しかし、少年時代のシューベルトは、
コジェルフの作品など、時代遅れで古くさい、
という仲間たちに向かって、
そんなことはない、というニュアンスで言い放ったという。

実際に、コジェルフに影響を受けた作品があるとは、
今まで、私は、考えたこともなかった。
が、このように書かれると、確かに、このような、
凝集よりも発散の中に、止めどもなく流れて行く音楽は、
コジェルフ、と言われれば、最もしっくり来るではないか。

私は、これまで、この音楽を真面目に聞いたことがなかったが、
ここで、取り上げて来たように、
コジェルフのような作曲家の作品に耳を澄ませた後では、
シューベルトのこの音楽は、妙に親しく耳に響くのでびっくりした。

ヴァイオリンが高音で典雅に曲を主導する曲想や、
感覚的なものに身を委ねて進行する曲の構成は、
トリオ・フォントネのようなグループにはぴったりであった。

もちろん、ハイドン・トリオの、
作曲家の心に触れようとする丁寧な音楽作りで、
この曲を味わうと、中学生くらいの小僧シューベルトの、
自分が生み出す音楽の一音一音に、
ときめいている心の動きまでが垣間見えるようで、
実に微笑ましい。

得られた事:「シューベルトはコジェルフを擁護したばかりか、実際にコジェルフ風の音楽を書いて、ときめいてもいた。」
by franz310 | 2009-09-26 23:54 | シューベルト
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