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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その188

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その188_b0083728_23165348.jpg個人的経験:
モーツァルトのピアノ三重奏曲、
昔から、いろいろ不評だったが、
このように体系的に聞き直してみると、
他のジャンルに対して、
遜色ある分野とも思えなくなってきた。
何故、ずっとしっくり来なかったのか、
かえって不思議な感じさえする。
私自身、LP時代には入手した記憶にない。
そんな観点から不思議に思い、
昔のカタログを見ると、やはり載っていない。


例えば、作曲家別廉価盤クラシック・レコード総目録
(レコード芸術1975年12月号付録)を眺めてみても、
モーツァルトのピアノ三重奏曲は、1曲もないのである。
同じ6曲からなるジャンルでも弦楽五重奏になると、
第2番がバリリSQに録音があり、
第3番がヴィーン室内合奏団とバリリに、
第4番はブタペストSQとアマデウスSQ、第5はバリリ、
第6はコンツェルトハウスに録音があったことが分かる。

(この総目録を見ていて懐かしいのは、
パスキエ三重奏団による
弦楽三重奏のディヴェルティメント
が載っている点であったりする。
これになると、ものすごく聞き込んだ。)

ハイドンには、何とか、1曲、
オイストラフ・トリオの演奏による、
「ピアノ三重奏曲第4番」が出ているが、
これは、ホーボーケン番号で言えば28番、
立派な最盛期の作品である。

学生の身分で、名作とも言われないものは、
廉価盤にでもなっていなければ、
購入の機会は皆無であろう。

では、CDの時代になって、
どんな状況であったかと言えば、
6曲のピアノ三重奏曲のうち、
どの曲が重要なのかも分からないので、
一度に沢山聴けるのがよかろうと、
TRIO FONTENAY(トリオ・フォントネ)の
テルデック盤を入手。

CD1には、まずディヴェルティメント変ロ長調 K.254
ピアノ三重奏曲第1番K.496、
第2番K.502が、順番通りに、
CD2には、第3番K.542、
第4番K.548、第5番K.564が、
やはり順番通りに入っているのが分かりやすい。

アベック・トリオやボーザール・トリオの新盤のように、
3枚組でないのもありがたかった。

しかし、まじめに聞いていなかった。
それは何故か。

今回、このように系統的に聴いて来ると、
別に、この演奏が悪いわけではない。

そもそも演奏しているメンバーはイケメンなのだ。
それだけで推薦盤にする必要がある。

実際、音色もみずみずしく、
1990年、ベルリンで行われた録音も鮮明。

ピアノのヴォルフ・ハルデンと、
ヴァイオリンのミヒャエル・ミュッケは、
共に、1962年生まれなので、
当時、28歳のぴちぴちである。

チェロは、年長のニクラス・シュミットであるが、
彼とて、4歳年上にすぎない。

かなり人気者だったと見え、
このCDのブックレットの最終ページには、
ずらりとその当時、すでに録音していたと思われる、
録音がずらりと載っている。

インバルの指揮での、ベートーヴェンの三重協奏曲をはじめ、
ブラームスの全曲、ドヴォルザーク、メンデルスゾーンの2曲、
ショパン、シューマン、スメタナ、アイヴスなども録音している。

解説にはドビュッシーやラヴェルも録音済とある。
早すぎる成功が心配になってくる。

こうした人気アーティストのCDのデザインは、
是非、こうあって欲しい感じで、ブロマイド風である。
この中の、どの人が誰で、何を弾くのかさえ分からないが、
きっと、ファンには言う必要がないのであろう。

ポケットに手をつっこんで不遜とも言えるが、
イケメンなら許されるのである。
いや、むしろ、そうすることによって、
そのステータスは高まるとも言える。

また、背景に無造作に置かれた意味不明な絵画、
奇妙な壁に、彼らのシルエットが照らし出されている所も、
決して見逃してはならない。
イケメンにはやはり影の部分がなくてはならぬ。

いいぞ、何かかましてくれや。

このように、何となく、
クールな演奏で痺れさせてくれそうな予感がある。
実際、非常に切れの良い演奏を聴かせてくれている。

特に、前半の彫りの深い、明確な表現で聴いていて、
とても気持ちが良い。
が、あまりにフォーカスされすぎていて、
ボーザール・トリオのような、
腑抜けなのか、夢遊病なのか、枯淡なのか、
何だかよく分からない境地にはない。

が、端正であって、華美ではない。
また、音色は明るく、リズムも軽やかであって、
ドイツの団体だからといって、ずっしりと重いという感じではない。

さすがにイケメンには隙はないのである。
おお、見ると、アマデウス四重奏団と、
ボーザール・トリオに学んだとある。
これは、もはや、サラブレッドとも言える。
アマデウスの豊饒さに、ボーザールの自然体を学べば、
もはや敵無しとも言える。

で、この団体の名称、FONTENAYとは何かというと、
ハンブルク音楽大学の近くのストリートの名前だと言う。
ここで、彼らは最初の練習をしたのだという。

確かに、「放射線通り」とか「落第横町」とか、
「環八通り」という、道そのもの名前はあるが、
日本の住所では、通りでの呼び方はしないので、
最初に練習したのが、「環八通り」でね、
という表現はなさそうだ。

そんな事で、「環八トリオ」は生まれないと思うし、
道の真ん中で練習した迷惑な連中という感じが先に来る。

が、結成が1980年で、
このモーツァルトの録音からも、
当然、もう20年が経とうとしていて、
彼らも、もうおっさんで、
ちょい悪オヤジになっているのだろうか。

さて、前回、ボーザール・トリオの新盤で、
キングさんの書いた解説にはこうあった。
「ピアノ三重奏曲のルーツは、
バロック期の弦楽トリオにあって、
そこで、ヴァイオリンはメロディラインを受け持ち、
それを支える低音は、一般に、
ハープシコードによっていた。」

今回、このトリオ・フォントネのモーツァルトのCDの解説は、
あのアベッグ・トリオの解説のライカウの回りくどい言い方より、
もっとシンプルに分かりやすく書いてくれているのが嬉しい。

つまり、この解説者Uwe Schweikertは、
ピアノ協奏曲の起源について、
「おそらく、初期古典期のピアノ・ソナタに、
むしろ、その起源を求めることが出来る」と書き、
ウィリアム・クレンツという評論家の、
『ピアノ協奏曲とオペラ・アンサンブルの結合』
という言葉に要約している。

さて、このような事が書かれている。
「モーツァルト自身の手による、
『全作品カタログ』には、
1786年7月8日に、
まず書かれたK.496から、
1788年10月27日に、
最後に書かれたK.564にいたる
彼がピアノ三重奏曲を呼んだ時に使う、
『テルツェット』5曲含まれている。
それに加え、モーツァルトのピアノ三重奏の作品には、
『ディヴェルティメントK.254』が先立ってあり、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのために書かれているが、
これは1776年8月にザルツブルクにて書かれたものである。

交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽四重奏などの古典の形式と比べ、
ピアノとヴァイオリンのソナタと同様、
ピアノ三重奏曲のジャンルは、モーツァルトの視野には、
かなり遅れて入って来た。

ハイドンの作品においても、ピアノ三重奏曲は、
1784年まで重要度を持っていない。
このように、ピアノ三重奏曲は、
ヴィーン古典派において、
最後に自由を獲得した分野であると言うことが出来る。

これは、バロックの伝統で、あちこちで見られる、
トリオ・ソナタの作品が良く知られていることを思い起こすと、
非常に驚くべきことである。
また、ハイドンやモーツァルト、
そして若き日のベートーヴェンの作品が、
コンサート・ホール向けのものではなく、
アマチュア奏者が家庭で演奏することを
想定して書かれたということもまた、
我々をさらに驚かせる。
例えば、モーツァルトの三重奏曲ホ長調K.542は、
おそらく、彼の友人でヴィーンの融資者、
ミヒャエル・プフベルクのために作曲されており、
モーツァルトは彼に、1788年6月、こう書いている。
『あなたの所で、また、小演奏会を開くのは何時になりますか。
私は新しいトリオを作曲しましたよ。』
この作品はまた、モーツァルトの最後のピアノ作品の一つで、
8月2日に彼の姉の『名の日』に彼女に送っている。

不思議なことに、古典期のピアノ三重奏曲は、
まったくもってバロック期のトリオ・ソナタの後継者ではない。
その起源はおそらく、初期古典期のピアノ・ソナタに、
むしろ、その起源を求めることが出来るようなものだ。
家庭内でこれを演奏する時、ヴァイオリンとチェロ、
または、フルートとチェロをアドリブで追加した。
若い日のモーツァルトが書いた、K.10-15の、
『クラブサンのための6つのソナタ』が、この考え方の例証となる。

この奇妙な慣行は、18世紀終盤のアマチュア音楽家が、
好んだ楽器について、私たちの興味を引く。
近代のグランド・ピアノの先祖は、機構上、
二つの固有の弱点を持っていた。
それは不十分な低音の音域と、
高音域の音がすぐに減衰してしまうという点であった。
これらの短所は、低音の補強や、
メロディ・パートを補うことで是正された。
チェロはピアノの左手の低音に重ね、
ヴァイオリンはピアノの高音のメロディラインを、
高音パートの演奏で補助した。
このような楽器音域の本来の混合が、
三重奏の起源であって、モーツァルトの
ディヴェルティメントK.254でもそれを確認することが出来る。
演奏して楽しく、音色はセンチメンタルであるこの作品は、
チェロは通奏低音であって、
ヴァイオリンには、魅力的な独奏パッセージが盛り込まれ、
拡張されたピアノ・ソナタの原理に基づいたものである。」

「K.496に始まる作品群は、あらゆる意味で、
軽量のディヴェルティメントより、
要求の高い作品となっている。
チェロは独立したパートとなって解放され、
ヴァイオリンと共に、ピアノと対峙する。
この曲集が進行するにつれ、
ピアノがいまだメロディの主唱者として、
同輩中首位であるとはいえ、
三つの楽器が対等な立場となって、
音楽的な対話を行うようになることに気づく。」

「K.496の第1楽章では、
まさに冒頭から、ヴァイオリンとピアノの、
コンチェルタンテな対話が見られ、
K.502では、初めてチェロが主題の音楽的展開に参加している。
この三重奏曲は、雄大で華麗なハ長調協奏曲K.503に隣接し、
同様に1786年の冬に書かれ、素晴らしい隠されたドラマを持つ。」

意欲的でありながら、チャーミングな、
この曲などは、トリオ・フォントネの気質に、
とても合っているような気がする。

第1楽章の出だしから、この曲は、新鮮さを振りまくが、
このあたりは若い感性に期待したいところと一致する。
ボーザール・トリオでは、やや線が細く感じられた弦楽部隊も、
ここでは豊かな響きを響かせている。

夕暮れの情感に満ちた、
ロマンティックな第2楽章なども、非常に美しい。

終曲も愉悦感に溢れているし、
アベッグ・トリオよりも直裁的、あるいは自然体である。

しかし、解説者の言う素晴らしい隠されたドラマとは何だろうか。
確かに、ピアノ協奏曲で、
あれだけいろんな事を語っていたモーツァルトである。
何か、そこでは出来なかったことを、
このジャンルでやりたかったはず。

「ハイドンのピアノ三重奏曲と違って、
モーツァルトのものは非常に成熟しているのみならず、
もっとコンチェルタンテな性格を有している。
ウィリアム・クレンツという評論家は、
そこに、『ピアノ協奏曲とオペラ・アンサンブルの結合』を見た。
まさに彼がピアニストとしての公式な成功を収めた時、
ピアノ三重奏という親密なジャンルに対する
モーツァルトの関心が高まった事、
そして、1784年以来の矢継ぎ早のピアノ協奏曲の連作が、
衰えだした事に注目すべきである。」

この主張も意味深である。
ピアノ協奏曲に飽きて、三重奏に来たというべきか、
ピアノ協奏曲でやることがなくなったと読むべきか、
あるいは、虚しい公の成功に疲れ、
ふと、内面の声を響かせたくなったということか。

「形式の点では、モーツァルトのピアノ三重奏曲は、
伝統的な3楽章形式で、
導入のソナタ楽章と、気の利いた終曲のロンドが、
感傷的で美しいメロディによる中間の緩徐楽章を挟んでいる。
それは、一方でモーツァルトの形式感のバランスを、
他方では、各楽章の組合わせのみならず、
個々の構成や磨き上げられた細部に至るまで、
彼は同じことを繰り返さなかったことをも示すものである。」

これは完全に、コジェルフと違う戦い方である。
コジェルフは、売れ筋のものを大量に製造して成功したが、
モーツァルトは投機的とも言える程に、
新ジャンルを開拓していったということであろう。

「これらの最も早い作品、ト長調K.496は、
終楽章に変奏曲を持って来て慣習を打ち破っている。
第4変奏では、表情豊かな憂愁で、チェロがメロディを奏でる。
名技的な二重変奏曲のコーダがこの曲を締めくくる。」

「モーツァルトの権威、アルフレッド・アインシュタインにとって、
1788年6月、三大交響曲の直前に書かれた、
三重奏曲ホ長調K.542は、モーツァルトがこのジャンルで極めた、
頂点を代表するものであった。
半音階的な特徴を持つピアノによるメロディの導入は、
『暗い色調で光を放つ転調で』(アインシュタイン)
聴衆に何か異常な事が起こった事をはっきりと感じさせる。
巧妙な和声を持って、歌謡的なアンダンテ・グラツィオーソは、
ほとんどシューベルト的なメランコリーを歌う。」

私は、前にこの楽章の童謡のような甘さが不自然だと書いたが、
この解説者には、シューベルト的と評されているのを見て驚いた。

聴いていて慣れたせいか、あるいは、シューベルト的と書かれたせいか、
はたまた、トリオ・フォントネのあっさりした歌い口がマッチしたのか、
このCDでは、この歌謡性も悪くない。

「終楽章は、卓抜な技法で愛らしいロンドで、
重力を失って行き、霊妙である。」
Etherealと書かれると、
確かに、ゲーテのファウストにでもマッチしそうな、
何だか神秘的な霊の音楽のようにも思えて来た。
空中を漂うような不思議な世界である。

「姉妹作、ハ長調K.548は、わずか三週間後に生まれたが、
ここで、モーツァルトは前の作品のレベルを保っているとは言い難い。
K.548は、その作曲時期や調性だけでなく、
『ジュピター交響曲』との関係が強い。
つまり、
第1楽章の主要主題の強烈さ、
異常にシリアスで厳格な展開は、
まるで、オーケストラを
室内楽にスケッチしたような印象を与える。」

しかし、こんな壮大な構想の作品ながら、
少し落ちる、などと書かれるのもあんまりではないか、
というような気がする。

とはいえ、盛夏を過ぎた、この作品あたりになると、
この壮大さの中に、何か寂しさのようなものが欲しく、
まさに、交響的な世界を繰り広げる、トリオ・フォントネよりは、
虚無的な瞬間を垣間見せる、ボーザール・トリオに魅力を感じる。

ロマンティックなアベッグ・トリオよりは、
トリオ・フォントネは、ひょっとしたら、
立体的な表現力である。

同じドイツのアベッグ・トリオは、85年の録音なので、
あるいは、これも研究しての挑戦だったかもしれない。

アベッグ・トリオは教会での録音のせいか、
残響が多く、トリオ・フォントネの方が透明感を感じる。
そんな差異もある。

「アインシュタインが、『柔らかな宗教性』と呼んだ、
精神的なアンダンテ・カンタービレは、死の年、1791年の、
この作曲家の最後期の作品の諦観のムードを予告している。」

私は、この楽章がある限り、
この曲が前の作品より劣るとは思いたくない。
トリオ・フォントネは、アベッグ・トリオ同様、
非常に繊細であるがゆえに、虚無的な感じはあまりしない。
単なるきれいな回想の音楽に留まる。

ボーザール・トリオのものを改めて聴いて見ると、
線が細いと思われた弦楽部も、
妙な切迫感で迫るものがあり、
さすが、この曲を日本公演でも取り上げた団体である、
などと感じ入った。

あるいは、細かいテンポの動きが、
そうした焦燥感を生み出しているとも思える。
そうしたスタイルは、ひょっとしたら古いのだろうか。

「終曲のロンドにおける短調部分の、
痛みの感情の集中は、我々の神経を集中させずにいられない。」

この楽しげな牧歌風のロンドに、
そんな集中させる部分があるかと改めて聴いて見たが、
良く分からなかった。

「このジャンルへのモーツァルトの最後の貢献は、
三重奏曲ト長調K.564で、彼の作品目録に、
1788年10月27日のものとして追加されたが、
これは、他の曲に対して、
『哀れな従兄弟』のように見なされて来た。
ここでの簡素な音楽材料から、K.564は、
ピアノ三重奏に編曲されたピアノ・ソナタだと、
長い間、音楽学者に信じられて来た。
その磨かれた芸術的な単純さは、
ピアノのための『簡素なソナタ』K.545の残照である。」

この曲の欠点を隠そうとするかのように、
トリオ・フォントネの演奏は、
立体的、交響的とも言える闊達な表現で押す。

さすが、イケメン集団。
弱みを見せるを潔しとしなかったようだ。

第1楽章は、やけに元気が良いと思ったが、
CDの時間表示は、ボーザール・トリオ、
アベッグ・トリオの中で最速である。

このように聴いて見て、このCDを聴いて、
モーツァルトのトリオの魅力が、
伝わらなかった理由が分かるような気がした。

つまり、トリオ・フォントネは、
イケメンゆえに、弱さを許さない。
そのため、曲ごとの性格付けが弱まって、
6曲を連続して聴いても、
曲の切れ目が聞き流されてしまうのである。

たぶん、1曲だけ、おそらく、K.502あたりを聴くと、
とても感動させられるのではないだろうか。

これはモーツァルトにも責任があって、
ト長調が2曲あったり、短調のものがないなど、
そうした解釈を許す温床を作っている。

ということで、残念なのは、K.442とされる、
ニ短調のトリオが完成されなかったことだ。

アベッグ・トリオや、ボーザール・トリオの新盤とは違い、
このCDは、この断章は収められていないが、
面白い事に、解説では、この曲についても触れている。

「マキシミリアン・シュタードラー神父は、
本来、同じ曲になるものではない、
三つの別々の断片を組み合わせて、
三重奏曲(K.442)として出版した。
(このピアノ三重奏曲全集には含まれていない)。
機知に富み、活気ある最後の楽章は、
特に、1790年から91年に書かれたと思われ、
何度も下書きが書き直されている。
これは『コシ・ファン・トゥッテ』の余韻を残し、
1788年以降、彼がトリオを残さなかった事が悔やまれる。」

この書き方を見れば、何となく、この解説者は、
もっとすごい曲が出て来た可能性がある、
あるいは、もっと言うと、
まだ、この6曲では、モーツァルトのベストではない、
まだまだ満足できない、
と言いたいのかもしれない。

私は、ジュピター交響曲に迫る三重奏曲があるだけで、
これはこれで、至高の作品と思わざるを得ないのだが。

さて、これまで真面目に聞いて来なかった、
このK.442の終楽章もこの機会に聴いて見た。

確かに、自由闊達にピアノが駆け巡り、
オペラの世界を彷彿とさせる。
これがモーツァルトの死の年の作品だとしたら、
非常に興味深いと言わざるを得ない。

ところで、ふと思ったのだが、
この曲を補筆した、マキシミリアン・シュタードラー神父は、
シューベルトの「ます」の成立に立ち会った、
アルベルト・シュタッドラーと関係ないのだろうか。

この神父は1833年まで生きていたようなので、
頼んだら、「未完成交響曲」も完成させてくれたかもしれない。

トリオ・フォントネの演奏に戻ると、
ハ長調の壮大さなど、
まさしく、「ジュピター三重奏曲」。

おそらく、実演で聞くと圧倒されるに違いない。
改めて言うが、完成度の高い演奏だと思う。

得られた事:「ピアノ三重奏曲はピアノ・ソナタの派生品であるという歴史観。」
「イケメン集団、立体感、迫力に過不足なし。ただし、無敵のイケメンのままでは、広い共感は得られず。」
by franz310 | 2009-08-22 23:23 | 音楽
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