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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その162

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その162_b0083728_22401341.jpg個人的経験:
ハイドンが書いたもう一つの重要ジャンル、
ピアノ三重奏曲を、
作品59、70、71、73と
聴いて来た。
これらは全て、3曲からなる曲集であった。

やはり3曲からなるピアノ三重奏の曲集に、
あと一つ、作品75が残っている。
これらは、Hobナンバーでは、
HobⅩⅤ:27~29となる。

以前の作品が、すべて、素人の音楽愛好家の、
女性に関係して献呈がなされていることは既に述べた。
最後の曲集になると、このあたりが、少し、変わって来て、
ハイドンから、この曲集を受け取ったのは、
同様に女性ながら、プロの音楽家である。

大宮真琴氏の著書によれば、
この女性、テレーズ・ジャンセンは、
「クレメンティに学んだピアニストで、
1795年5月16日にハイドンが立会人となって、
銅板製作者フランチェスコ・バルトロッツィの息子、
ガエターノと結婚した」とある。
生年は1770年頃とあるから、25歳という妙齢である。

この時期、ハイドンはイギリス滞在中であり、
忙しく演奏会に飛び回っていたはずだが、
こうした一こまもあったと見える。

いずれにせよ、このようなプロの音楽家に献呈されたものであるから、
その人が演奏することを想定していたと考えられよう。

この曲集あたりになると、
大手レコード会社も触手をのばし、
日本でも著名な演奏家たちが取り上げており、
ここでは、チェロの世界的名手、ビルスマたちの演奏が聴ける。
(ソニー・クラシカル、ピアノはレヴィン、ヴァイオリンはヴェス。)
また、このCD、解説を見ると、書いているのが、
何と、ロビンス・ランドンであった。
1993年の執筆。

題して、「ハイドンの最後の4つのピアノ・トリオ」とある。
「1795年の晩夏、彼は、その2度めの、
素晴らしく成功した英国楽旅から戻って来た。
この2回の滞在で、彼は24000フローリンという、
1790年に、彼がニコラウス・エステルハーツィから貰った
年金の24年分に相当する金額を得た。
ロンドンでは、出版社は、ピアノ三重奏の新作を求めてせき立て、
ハイドンは多忙のスケジュールを縫って、時間を見つけて、
1792年から1795年にかけて、11の作品を作曲した。
素晴らしい一連の作品を締めくくる、
ここに録音された、残りの4作品は、
大陸の出版社に売却されているものの、
ハイドンがイギリスの出版社を念頭においていたという、
明らかな証拠がある。」
とあって、これらの「最後の4つのトリオ」が、
あのロンドンを意識しながら、ロンドンから帰った後、
書かれたような記載である。
しかし、11の作品とは、上記作品70、71、73の9曲と、
あと2曲という計算になるが、
私にはHobⅩⅤ:31の1曲しか思い浮かばない。

また、気になるのは、ジャンセン嬢から、
バルトロッツィ夫人となったテレーズが、イギリスの人なので、
彼女がこれらを弾くところを、ハイドン自身、聴いたのかどうかということ。

さて、ロビンス・ランドンは、どうやら、
HobⅩⅤ:27~29の作品75に触れる前に、
HobⅩⅤ:30の作品を何とかしたいようだ。

が、CDの収録順は、ホーボーケン番号順になっているので、
注意を要する。
ちなみに、ロビンス・ランドンが付けたナンバリングでは、
この作品を42番として、作品75を、続く43番から45番と、
番号を振っているので、彼の中では、こちらの作品の方が、
作曲が早いと考えていたと思われる。

「トリオ変ホ長調(HobⅩⅤ:30)は、
ロンドンのCorri&Dussekと、ライツィッヒの、
ブライトコップフ&ヘルテル社が版権を買った。
ハイドンがロンドンを去るに当たって、
そこで出版する作品を引き続き送ることを約束していて、
この作品は、ハイドンの友人に送られた。
Corri&Dussekは、1793年の『ザロモン四重奏曲』
(1795年と96年に出版された作品71と74)の他、
有名なハイドンの英国歌曲(1794、95)を
出版していた。」

なるほど、ハイドンのピアノ三重奏曲が、
他の出版社で当たったら、当然、他の出版社も、
競い合って、作曲依頼して来たという感じであろうか。
こうなると、出版社が多く、市場も大きい土地というのは、
作曲家にとっては、恐ろしく魅力的な場所である。

「Corri&Dussekの一家は、ハイドン=ザロモン演奏会の出演者でもあった。
(Sophia Corriはソプラノで、
彼女は作曲家でピアニストのドゥセックと結婚した。)
ハイドンはライプツィッヒの大出版社、ブライトコプッフ&ヘルテル社と、
長い交友関係を結んでいた。
1786年、この会社のメンバーである、
ヨハン・ゴットローブ・イマニュエル・ブライトコプッフが、
エステルハーザにハイドンを訪れたが、
今や、副社長になっていた、彼の息子のクリストフ・ゴットローブに対し、
ハイドンはヴィーンから1796年4月16日付けの手紙を出し、
ブライトコプッフからの手紙に返信が遅れた事をわび、
大ピアノ三重奏曲変ホ長調となる新曲と、
ハイドンが注文していた英国製版の代金を送る旨を約束している。
ハイドンは彼の名付け子で、
作曲家のヨーゼフ・ヴァイグル・ジュニアに、
1796年11月9日付けの手紙と、
現金15フローリンを持って、ライプツィッヒに赴かせた。
ブライトコプッフ&ヘルテルは作品を1798年11月に出版したが、
その間、ハイドンは、それをヴィーンのアルタリア社にも売りつけており、
1797年にそれは世に出ていた。」
何だか、最近、自分の作曲した歌の著作権を巡って、
詐欺問題が発覚して、大問題となったが、
ハイドンがやったことは、それと違うとは思えない。

さて、この解説は2ページしかないので、
最初のページが終わろうというのに、
まだ、あのジャンセン嬢についての話は出て来ないのが気になる。
まだ、HobⅩⅤ:30の作品にかかり切りだからである。

とにかく、この曲は、3曲セットにしなかっただけあって、
余程の自信作であったということか。
確かに、他の3曲が8分前後の第一楽章を持つのに対し、
この作品のそれは、提示部の繰り返しがあるとはいえ、13分にも及ぶ。
こんな長大な第一楽章は、ハイドンの場合、交響曲でもないだろう。

「この作曲家の三重奏曲の中で、最大の規模を誇る、
この変ホ長調の作品は、その豊富な和声的語法と、
転調の大胆な使用によって、常に賞賛されてきたものだ。
(最初の楽章の中間部のC flat majorの楽節は、
1795年『太鼓連打交響曲』(103番)の
メヌエットにも現れる。)」

「太鼓連打」のメヌエットといえば、
幾分、つっけんどんなスケルツォ風の音楽で、
幾分、破壊的な武骨そのものの主題に、
ホルンや木管が、合いの手を入れながら進むが、
トリオには、ヨーデル風と評される、
不思議な旋回するような音形を含むもの。

交響曲に思いを馳せる程、
この曲は、楽想も非常に雄大なもので、
まるで、ベートーヴェンの「英雄」のように、
どこからどこまで主題か分からないような、
一息で際限なく広がっていく、
力強い歩みを始めるようなメロディで始まる。
そこに、ヴァイオリンの美しい夢想の音楽、
ピアノによる内省的な経過句などが混ざり合って、
一筋縄ではいかない曲調である。
曲の進み具合も緩急の変化が激しく、
大きく息づいている。

そう考えると、個人の室内から放って、
これは交響曲にしてしまいたいような、
音楽となっている。
その変転の中に、確かに、室内楽ならではの、
親密な瞬間もあるが、ヴァイオリンもチェロも、
響きがたっぷりとしていて、
ピアノも、それ自体の音色や技巧を聴かせるというより、
各楽器が、渾然一体となって、
渦を巻いて突き進んでいるように見える。

この曲が、誰にも献呈されなかったというのも、
何となく、理解できるような気がした。
そう考えると、この曲あたりになると、
チェロの目立つ場面もかなり増えて来ている。

「ハ長調の第二楽章の三度の関係にあり、その第一主題は、
前の楽章のオープニングテーマのメロディラインを巧妙に引用している。」
確かに、この楽章は、
第一楽章をふぬけにしたような曲想である。
ここでも、チェロはぶんぶん響いており、
ようやく、チェロが独り立ちする瞬間に立ち会うような感じ。
アンダンテ・コン・モートとあるが、
何だか、よれよれ歩いているような感じで、
中間部になると、夢の中に駆けだして行くようにテンポが速まる。
ただし、それは長くは続かず、少しくたびれた感じである。
コーダになると、ため息をつくような感じだが、
終楽章に流れ込んで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのように、
力強く立ち上がって行く。

「終楽章は、早い3/4拍子であって、
主題が反転するような、目も眩むような対位法が駆使され、
和声的な大胆さは、今日であっても息を飲むようなものだ。
ここでハイドンは、彼の高度な知性を開示し、
その天才を大きなスケールで見せつけている。」

途中、ヴァイオリンが飛翔するや、チェロもピアノも、
それを追いかけるように羽ばたき始める。
これはすごい効果である。
さらに、対位法的なモニュメントが打ち立てられて、
この素晴らしいが、短いプレストは全曲を閉じる。

ここで、全4曲の1曲の解説が終わったところで、
すでにCDの解説の半分は経過。

幸いなことに、このHobⅩⅤ:30は、
高名なハイドン研究家のロビンス・ランドンも、
激賞するような傑作だったと分かった。

そのような音楽を含むCDであるにもかかわらず、
この表紙のデザインは、ゲオルグ・ダヴィッド・マティウの、
「シュヴェリーンのルートヴィッヒ王子の音楽の楽しみ」
などと言う、王侯貴族登場の風俗画などというもので、
的外れも良いところである。
このような一こまとは、まったく、
無関係な世界を確立したものと言えよう。

作曲家自身が、ロンドン、ライプツィッヒ、ヴィーンで、
出版したくなるのも分かるような野心作である。
言うなれば、これは、ハイドンが、
誰にもこびへつらう事なく書けた、
自身の声の三重奏曲だと言うことも出来るだろう。

「最後の三つのトリオは、イギリスの華麗なピアノ奏者、
バルトロッツィ夫人(旧姓ではテレーズ・ジャンセン)用のもので、
1794年、ハイドンは彼女のために、
最後の3つのピアノ・ソナタを作曲していた。
彼は、1795年、ロンドンで、
ガエターニ・バルトロッツィ
(1791年にハイドンのポートレートを掘った、
有名な版画家フランチェスコの息子)と、
彼女との結婚の立会人を務めており、
新しい3曲のピアノ三重奏曲を、
彼女のために作曲することを約束していた。」

この場合、ハイドンの方が調子に乗って、
若い美人に酔いしれて、言い出したのか、
彼女が甘えて、それを依頼したのか。

それはともかくとして、私は、まずピアノ・ソナタが書かれ、
その後、ピアノ三重奏曲が書かれた事に着目したい。
彼女は、この有名なピアノ・ソナタだけでは満足しなかった、
あるいは、ハイドンもそれだけだと不十分だと考えた、
などと考えることも出来よう。
ピアノ三重奏曲は、ピアノ・ソナタより格上、
と、この二人は考えていたと、
想定してもよいかもしれない。

あるいは、ソナタは、未婚の女性用、
三重奏曲は既婚の三重奏曲用、などと考えていた、
などと想定するのも楽しい。

既婚女性は、こうした三重奏曲のパートナーを探して、
新しい家族と仲良くなったり、友達と合奏したりした、
などという妄想も膨らむ。

あるいは、ピアノを中心に、周りが盛り上げていく、
協奏曲のようなカテゴリーとして、考えていたかもしれない。

「この3曲の最後の作品(HobⅩⅤ;27-29)は、
おそらく1796年に作曲されており、翌年に、
ハイドンの一番重要な英国での出版社、
Longman&Broderipから出版され、テレーズに献呈されている。
このセットは常に愛され、賞賛されてきた。」

ロビンス・ランドンは、always been admiredばかりである。

解説には特筆されていないので、
仕方なく補足すると、作品75の第一番(HobⅩⅤ:27)は、
ハ長調、激しく、全楽器が主題を打ち付けると、
ピアノがその続きの楽句をつぶやくような始まり方が、
いかにも、華やかなひとときの始まりという感じで、
忙しく、ピアノが名人芸を繰り広げ、
完全にシューベルトの「ます」の世界と言ってよい。

まさしく楽興の時、という感じである。
しかも、ピアノ独りが楽しんでいるのではなく、
すべての楽器が寄り添って、楽しげに語らう様子も微笑ましい。
笑みを浮かべながら、ピアノを披露する、
テレーズの顔までが想像できるようである。

第二楽章は、静かなアンダンテ。
ピアノのモノローグに、弦楽が答えて、
遂には、中間部で、ヴァイオリンの美しい声が響くが、
急に雲行きが怪しくなり、暗雲が立ちこめる。
が、それも、印象的にチェロが刻むリズムの中に収まって、
ピアノもヴァイオリンも優美な歌を奏で、しっとりと平和が訪れる。
結婚生活にはこうした一幕もある、
といった感じであろうか。

第三楽章は、プレストで駆け抜け、
第二楽章での赤裸々な内情をごまかすような感じで、
ラヴェルのピアノ協奏曲の大先輩となっている。
が、かなりの大曲で、7分近くを要し、
中間部では、テンションが上がって熱狂的になったりもして、
その気分のまま最後になだれ込み、
演奏会でも聴き映えするような変化が付けられている。

これは、完全にヴィルトゥオーゾのための作品である。

最初の曲については、ロビンス・ランドンは、
あまり語っていないが、以下のような感じで、
2曲目については、かなり良く解説してくれている。

「ピアノ書法のヴィルトゥオーゾ的性格は特異であって、
HobⅩⅤⅠ:52のピアノ・ソナタ変ホ長調を想起させる。
前に書かれた作品同様、和声のパノラマはエンドレスで、
驚くべき様々な効果はエキセントリックなまでのもので、
特に、第二番の三重奏曲のホ長調のオープニングで、
弦楽のピッチカートを伴奏とした、ピアノの右手は、
素早い前打音と、長いレガートとが組み合わされている。
HobⅩⅤ:30がそうであるように、
緩徐楽章は、たびたび、三度の関係の調である。
(HobⅩⅤ:27はハ長調で、緩徐楽章はイ長調、
HobⅩⅤ:29は変ホ長調で、緩徐楽章はロ長調だが、
D-sharp minor=変ホなので、
異名同音にあるということになる。)」

このように、途中から脱線するが、
第2曲のピッチカートとピアノを重ねる、
不思議な効果については、特筆されているようだ。
この曲(HobⅩⅤ:28)は、ホ長調。
単に、出だしが面白いだけでなく、
この調性に相応しく、ほがらかな主題、
屈託のない曲想が素晴らしい。
アルペッジョを全編に響かせるピアノも、
まさしく、ピアノ的美観で終始、美しい音色を訴えかけている。

が、この曲の特徴は、次に来る第二楽章。
全3曲のど真ん中を占めるこの音楽は、
一体、何なのだろう。
「再度、HobⅩⅤ:28に戻り、
その緩徐楽章を見ると、
バロック風の、3つの楽器のリトルネルロのように始まり、
そこからピアノが、高音と低音の間に大きなギャップで、
二つの声部を奏でる悪夢のようなホ短調の音楽。
これはあまりにも、まったくもって薄気味悪いもので、
マントヴァのゴンザーガ王宮の廃墟、
Faustino Bocchiやベルガマスク派が描いた、
こびとの絵画のようだ。
このぞっとする楽章の終わりに、
聴いて見ないと分からないような、
大きく異常なカデンツァが来る。」

ロビンス・ランドンが、何故、ハイドンが行ったり、
見たりしたことがなさそうなものを例に上げて、
我々を幻惑しようとする意味がよく分からないが、
それほどまでに独特ということであろう。

いったい、ゴンザーガ王宮には何があるのか、
そんなに怖いものなのか。
ぜひ、教えて欲しい。
ただ、ゴンザーガ公は、芸術の愛好家で、
居城には様々な、絵画が飾られているようだ。

ロビンス・ランドンは、
きっと、モーツァルトも訪れたこの街に行ったことがあって、
その思い出が、忘れられないのであろう。
極東の音楽愛好家には迷惑な話である。

また、ファウスティーノ・ボッチは、
日本語ではネット検索不能。
アルファベットで入れると、不気味な絵画が拝見できる。
これまた、ロビンス・ランドンは、どこで見てきたのか。

それにしても、何故、テレーズへの結婚祝いに、このような、
不気味な音楽を混ぜ合わせたのか、非常に気になるが、
とにかく、ここで、突然、何だか変なことが始まったぞ、
という感じで、極めて異例の音楽である。

聴いてみないと分からないというのは、
マーラーの第六交響曲のエンディングのような、
強烈なインパクトを持つからであろう。

テレーゼとの会話の中で、こんな怪奇体験などがあったのかもしれない。
もう、これは、彼ら二人の秘密の領域なのかもしれない。

この曲、しかし、終楽章も、なかなか聴かせる。
先ほどの怪しすぎる墓場の一人歩きのような中間楽章に続き、
まるで、自由に空を羽ばたいていくかのような、
素晴らしい飛翔である。

さて、第3曲は、ややこしいことに、
またまた変ホ長調である。
HobⅩⅤ:29だが、冒頭紹介のHobⅩⅤ:30と、
連続で同じ調だと非常に紛らわしい。
ただでさえ、ハイドンのピアノ三重奏曲は、
番号からして混乱しやすいのである。

この曲は、ハイドンの、このジャンルに対する別れであるが、
そのせいか、第一楽章からして、妙に心うつろな曲の運びである。
途中、ヴァイオリンが印象的な歌を歌うが、
あとは、ぽつりぽつり消えていくようなピアノの動きばかりが、
印象に残る。
終わり近くでは、ピアノが独り、沈潜していくような楽節もある。
心、ここにあらずか、あるいは、別れの寂しさが、
この曲になって、ようやく実感されて来たのか。
しかし、この楽章も、最後はスパートをかけて、
空元気で盛り上がる。

第二楽章は、まさしく嘆きの歌と言ってもいいかもしれない。
が、次の終楽章の解説を見て欲しい。

「これらの終曲の中では、HobⅩⅤ:29のものを選ぼう。
これは、『ドイツ風のフィナーレ』または、
大陸版では、『アルマンド』と表記されており、
ドイツ舞曲を純化したもので、
ラヴェルの『ラ・ヴァルス』のように、
正真正銘のヴィーン産の作品とは異なり、
不自然で、気まぐれなものである。」

何だかよく分からないかもしれないが、
かなり誇張された、ワルツ風に聞こえるのである。
ラヴェルの、「ラ・ヴァルス」もまた、ヴィンナ・ワルツへの、
追想の賛歌であった。

もちろん、ハイドンの時代、そんなものはまだない。
が、そんな時代の訪れを、
ロンドンの街の活気から予想したかのように、
極めて大げさで、ピアノの活躍も大仰な大円舞曲として、
この様々な曲調に富む曲集を締めくくっている。
テレーズもまた、ドイツへの思いを、
ひいてはハイドンの元への思いを巡らせたものと思われる。

ということで、このCDの解説、
テレーズのための素晴らしい3曲を収録しながら、
そのうちの2曲の、しかも一部だけ、
つまりHobⅩⅤ:28の緩徐楽章、
HobⅩⅤ:29の終楽章しか、
詳しく書いていないのが残念である。

「全作品を通じて華麗で、機知に富み、
このジャンルへの感動的な別れは、
最も冒険を犯した筆法への挑戦を、
ハイドンにさせているように見える。
ハイドンはこれらの後期のピアノ・トリオを、
『ヴァイオリンとチェロを伴奏にするピアノ・ソナタ』
であると考え、そう題したが、それはおそらく、
強調する必要はないだろう。
弦楽器は明らかに、ハイアマチュア用、
しかし、ピアノの書法は高度なプロ用になっている。」

このように締めくくられると、途中、このCDを聴きつつ、
解説も読みながら考えたことが、一層、確信も深まり、
ピアノ三重奏曲は、ピアニストを最大に引き立てるための室内楽として、
いわば、協奏曲の代用として、発展したような感じがしてきた。

それにしても、こうした傑作群を無視して、
長い間、ハイドンのピアノ三重奏曲が、
「傍流的」、「大きな成果がない」などと考えられていたことが、
不思議でならない。
こうした、室内楽的な内省と、演奏会向けの華やかさが、
結実したものとして、ハイドンのピアノ曲集に、
まず、指を屈するべきなのかもしれない。

得られた事:「ハイドンは、ピアノ三重奏曲の可能性を開拓しつくして、この曲集に別れを告げたが、それは、オーケストラ的な広がりまでを志向していた。」
by franz310 | 2009-02-21 22:46 | 音楽
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