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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その157

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その157_b0083728_1324399.jpg個人的経験:
今年は奇しくも
ハイドン没後200年に
あたるためか、
紀尾井ホールで、
ハイドンの作品76の
弦楽四重奏曲集の各曲に、
新進の6楽団が挑戦するという
連続演奏会があって、
私は、そのうちの二曲の
本番前リハーサルを
聴くことが出来た。

休日の朝の四谷というのは、
普段とは違う雰囲気が立ちこめていて、
非常に清新な演奏と共に、貴重なひとときを満喫した。

ハイドンの音楽の、
簡潔な一筆書きが、精妙に絡み合うような、
その純粋さと、この朝の空気が調和して、
この上ない至福感を感じた。

このように、弦楽四重奏の父でもあるハイドンは、
この分野では非常に大きな人気と高い評価を誇っているが、
楽器が一つ少なくなるだけで、
何だか分からない作曲家という評価に失墜する。

私が長年にわたって読み返していた、
「最新レコード名鑑・室内楽曲編」(大木正興著)
には、ハイドンの弦楽四重奏曲が、作品20、33、64、71、74、76と、
それなりの発展が読める形で取り上げられていたが、
三重奏曲は、「ピアノ三重奏曲ニ長調HobⅩⅤ-16」一曲のみ。
1975年頃の「レコード芸術」の付録である。

解説には、
「ハイドンのピアノ三重奏曲は三十曲を越しており、
初めの二曲を除けば一七八〇年代中ごろから後の作品ばかりである。
弦楽四重奏曲で言えば、あの充実した様式に完全に踏み行った
「ロシア四重奏曲」よりあとに、
ハイドンのピアノ三重奏曲は続くと言ってよい。
しかし、このジャンルは、ハイドンにとって交響曲や弦楽四重奏曲ほど、
自発的な探求心を呼び覚ますものではなかった。」
と、いきなり、出鼻をくじく事が書いてあった。

さらに、ピアノが変革期にあって、古くは家庭楽器で、
新しくは表現力が中途半端で、ハイドンの置かれた環境から言っても、
こうした曲は求められなかったし、ハイドンも同質の響きを好んだ、
とかなり断定的である。

結論としては、
「ともかく、ハイドンにあっては
ピアノ三重奏曲は彼の作品系列のなかでは傍流的で、
特に大きな成果は認めにくい。」
と言い切っている。

ということで、30曲もあるピアノ三重奏ですらそうなのだから、
フルート付きの三重奏曲などは、まったく傍流の傍流、
ということになるのだろう。

ちなみに、彼が代表曲として取り上げたものは、
HobⅩⅤ-16であるが、
「古い版ではヴァイオリンがフルートになっている」とあり、
戸惑っている様子で、ギレリス、コーガン、ロストロポーヴィチのものを、
代表盤としている点も、当時の雰囲気を感じさせて興味深い。

とにかく、ほとんど、聴かなくて良い、興味も持つ必要はない、
と言われているような内容であることは確か。
いまだ、ハイドンのピアノ三重奏の代表曲は何だか分からずにいる。

この時代のこのような戸惑いの中から古楽復興があって、
埋もれていた作品の学究的な紹介がすごい勢いで広まっていったのである。

さて、前回、ロンドンに来た異邦人、ハイドンをもてなした、
アビンドン伯爵のCDを紹介したが、
ここでは、フォスター・トリオと、
二曲の英国三重奏曲が含まれていた。

ここでは、この英国での三重奏曲に焦点を当てたいが、
例えば、ニコレ夫妻がフルートを受け持つ、
ロンドン・トリオを集めたCDなどがそれに相当する。

1989年6月に、スイスのバーゼルで録音されたものらしく、
もう20年もの年月が経ってしまった。
ノヴァーリスという、ドイツ・ロマン派の詩人の名を冠した、
スイスのレーベルであるが、当時は日本盤も出ていたが、
最近はどうなったのだろう。

しかし、このCDの表紙デザインはどうだろう。
先日のよく晴れた休日の朝のすがすがしさそのままの雰囲気漂う、
開放的な絵画で、運河に活発に行き交う船が描かれている。

これはヴェネチアの風景かと思うが、
この躍動感が、まさしく当時のイギリスの雰囲気だったに違いない。
大英帝国旗が船にもはためいている。

おそらくは、こんな感じの所に、
オーストリアの片田舎から出て来た作曲家はやってきたのである。
街に漲る活力に、まずは圧倒されたに違いない。

中を見ると、アントニオ・カナレットの絵画だという。
1697年に生まれ、1768年に亡くなったとあるから、
シューベルトの100年前に生まれた人、
ハイドンが子供の頃に亡くなっているから、
ハイドンが訪れたテムズ川とは50年の隔たりがある。
しかし、こうした没落途中のヴェネチア絵画に見る以上の活況が、
当時の大都市ロンドンにはあったに相違ない。

ここで演奏されている「ロンドン・トリオ」は、
ランパルなども録音していて、
そこそこ知られてはいるが、
ロマン派以降も名作を輩出した、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのものではなく、
フルート2本とチェロのための編成である。

前回、アビンドン伯爵に贈られたのが、英国トリオ第二番、
アビンドン伯爵の友人のアストン準男爵に贈ったものが、英国トリオ第一番
とあったが、これはどうやら、このニコレ盤におけるロンドン・トリオと同じである。
しかし、このニコレ盤、3曲もあるのはどうしたことか。

このノヴァーリスのレーベルのものを、
日本のクラウンレコードが出した時の解説には、
このようにある。
「1794年11月14日、
ハイドンはロンドンから26マイル離れた郊外の館を訪れたが、
この際ハイドンは、アビングトン伯爵と、
夫妻揃って音楽好きのアストン男爵のために、
明るく簡潔でよろこばしい気分に溢れた作品を捧げたが、
それがこのロンドン・トリオと呼ばれている作品と
考えられている。」

ということで、第一がアストン、第二がアビンドン、
という訳でもないような書かれ方である。

そもそも、前回のCDでも、第一番ハ長調は3楽章形式だったのに、
第二番ト長調は主題と変奏曲で、トラックナンバーは一つしかなかった。
が、今回のニコレ盤は第二番も3楽章形式となっている。

さらに、解説には、下記のような一文が続いて、これまた、
非常にややこしい。
そもそも、ナクソス盤は、「English Trio」だったのに、
何故、Novalis盤では、「London Trio」になってしまうのであろう。

(ちなみに、交響曲第104番も、輸入盤では、
「ロンドン交響曲」ではなく、
「ザロモン交響曲」と書いてあったりする。
ヨーロッパでは、こうした拘りが強いのか、
日本が単純化されすぎているのか。)

「ロンドン・トリオは、
2本のフルートとチェロのために書かれたもので、
4曲が残されている。」
えっ、まだ一曲あるの?と思うが、
こんな風に続いている。
「このCDは、各曲ごとの解説で触れるが、
実質的にその全てを収めている。」

何じゃこりゃ。

慌てて、「第一番」の解説を見ると、第二楽章にしか解説がない。
この楽章は二つ版があって、長い版の方が最終稿と考えられたが、
イギリスで演奏されたのは短い方なので、そちらを演奏したとある。
が、ナクソス盤の演奏は全曲で8分45秒で、ノヴァーリス盤は、
全曲で11分以上かかって演奏している。
第二楽章は前者が2分20秒、後者が2分58秒である。

この曲は、まさしく、ハイドンのイギリスでの、
開放的な日々を象徴するように、伸びやかなメロディーが、
大きく歌い始めるが、聞き比べると、現代の楽器で演奏したニコレは、
さすがに大柄で、「ロンドン」の大都会の名を冠するに相応しい。

が、26マイルも離れれば、
少し、違った印象になってくるのではなかろうか。
東京もこれだけ離れると多摩川も越えて、だいぶ静かな街並となる。
ナクソス盤は、1760年製のワンキーフルートを復元したもので、
非常に繊細な音がして、ちゃんと多摩川を越えた音になっている。
低音もチェロではなく、1700年代のバス・ヴィオール。
都会の石畳ではなく、森の声である。

第二楽章は、いくぶん夕暮れの気配となるが、
やはり簡素な歌であって、ナクソス盤は、
11月に田舎を訪れた時を思わせる、空気の冷たさが心地よい。

ロッコ・フィリッピーニのチェロが、
朗々と低音を支えるノヴァーリス盤も美しいが、
ナクソスを聴いた後では、雄弁に過ぎるような気もする。

第三楽章は、快活なヴィヴァーチェで、
鳥が歌い交わすような感じだが、古楽器では、
少々、舌が回らない感じなのか、幾分、演奏時間も長い。
ニコレ盤はさすがにそんな事はなく、
鳥たちの囀りは非常に活発である。

前回、ナクソス盤の解説、尻切れトンボになっていたが、
このトリオ第一番については、下記のような解説が続いていた。

ナクソスのCD、「ハイドンとアビンドン伯爵」の、
トラック26-28の解説:
「この機会に、ハイドンが、
アビンドン伯爵に渡したトリオ(トラック18)とは異なり、
アストン準男爵用のものは、早い楽章、遅い楽章が入れ替わる、
3楽章からなり、コンヴェンショナルなスタイルで書かれている。」

どんな曲であるかは、聴けば分かる、ということだろうか、
それ以上については、どうでもよい補足があるのみである。

「アンダンテを改訂したものの自筆譜がベルリンにあって、
わかりにくい写譜屋への指示が速記で書かれ、
この録音もそうだが、
5年後にモンツァーニに出版用に出されたものには、
各楽器に写譜屋の解釈による変更がある。」

さて、問題のトリオ第二番である。
ナクソス盤では、何と、男声合唱で始まっていたが、
トラックは一つしかなかった。4分17秒の小品である。

一方、ノヴァーリス盤では3つトラックがある。
第一楽章だけで4分55秒もあって、ナクソス盤を覆い隠す長さである。
その後に、約5分半のアンダンテ、
わずか1分足らずとはいえアレグロ楽章がある。

解説にこうあって、だいぶ、謎が解けて来る。
「自筆楽譜にはアンダンテからアレグロにつながる
計103小節が残されているだけである。
だが、1799年の印刷楽譜は、
第3番のフィナーレを付け加えて刊行されている。」

これで、第3番の終楽章と第2番の終楽章が同じかというと、
そうではないようだ。なぜなら、次のような一文が続くからである。
「一方、ハイドン研究家のマンディチェフスキーは別の方法を提唱した。
彼は第4番ト長調として、アレグロ楽章のみ残されているものを、
第2番の冒頭楽章として用い、
全体で三つの部分からなる作品にして出版したのである。
この演奏は、マンディチェフスキーのアイデアを採用している。」

マンディチェフスキーとは、
ブラームスの友人の「マンディ」のことだろうか。
いずれにせよ、問題の第2番は、いろんな人によって、
めちゃくちゃされているようである。
前回のナクソス盤では、マカロックのアイデアで、
冒頭に、何と声楽をひっつけられていた。
この主題が、アビンドン卿の歌と同じだという根拠による。
「伯爵に書いたトリオは、『The Ladies Looking Glass』の歌による変奏曲。
この歌は実際、伯爵の3声の『キャッチ』、『淑女の鏡』と同じ歌である」
といった事が解説に述べられていた。

このノヴァーリス盤の日本盤では、
イギリス民謡「信用しすぎてはだめ」の変奏曲とある。
「ハイドンは、イギリスやフランスでフルート愛好家たちによって
多く使われるようになっているのを知り、こうした方法をとったのであろうと、
ハイドン研究家のランドンは述べている。」
などと補足されている。

つまり、マカロックは、アビンドン伯爵を調べているうちに、
このハイドンの主題と同じ歌を見つけたということであろう。
それが、イギリス民謡に似ていて、どちらが、ハイドンの変奏曲の主題かは、
結局、よく分からないような気もする。
なぜなら、マカロックも、ハイドンの日記にある題名と、
アビンドン伯爵の歌の題名が違うことを書いているからである。

とにかく、ロンドン・トリオ第二番、または英国トリオ第二番は、
自筆の「主題と変奏曲」しか、信憑性の高いものはなく、
ある人は、第3番の終楽章を付け、ある人は、第一楽章を持って来て、
ある人は、主題の前に、別の歌をひっつけて演奏するということである。

ちなみにニコレ盤が3楽章形式に見えるのは、
アレグロの最終変奏をちょんぎって、
第3楽章にしただけであって、
ニコレ盤の第2楽章と第3楽章は、
ナクソス盤の1トラック分と実質同じなのである。

ということで、トラック5と6は知っているが、
トラック4は今回、初めて聴くもの。
第1番と同様、爽やかなものだが、
第1番が「アレグロ・モデラート」だったのに対し、
第2番は、「アレグロ」なので、より浮き立つような、
あるいは舞い上がるような趣きを持っている。

第2楽章のテーマは、前回も書いたが、「皇帝賛歌」のような感じで、
「信用しすぎてはだめ」という感じか、
「淑女の鏡」のような感じであるかは良く分からない。
優雅さでは、淑女のような感じだが、
落ちついて教え諭すような感じもないではない。

ニコレの大きく呼吸する演奏の後で聴くと、
マカロック盤は、少し、神妙にすぎるような感じがしないでもないが、
アビンドン伯爵とアストン準男爵が、
素人の技で吹いていたような錯覚を起こさせる。
何しろ、彼らが集まった家での録音なので、
そうした感じを助長するのであろう。

さて、このように、第2番は、他のCDでは、
第4番となっているものと、合体した形での演奏ということだが、
それなりにコンヴェンショナルな3楽章制となっているので、
純粋な音楽として楽しむ場合、それほど大きな違和感があるわけではない。

しかし、ナクソス盤で書かれたような、
この曲はアストン準男爵の、この曲は、アビンドン卿の、
というような経緯があるのだとすれば、
ちょっと問題もあるような気がする。
アビンドン卿は、これは、私が貰った曲ではない、
というかもしれない。
むしろ、第3番のフィナーレは、私が貰ったものだ、
などと言い出すかもしれない。

ボッケリーニのチェロ協奏曲などは、
作曲家の書いた楽章が気に入らないからと、
別の曲を差し替えて演奏されて来た例もあるが、
あれなども、最近は、元の形で演奏するのが普通になっているし、
作曲家の預かり知らぬところで、勝手な事をすると、
そこに込められていたものが見失われてしまうかもしれない。

しかし、ハイドンの交響曲ですら、
ばらばらにされて演奏されていて、
かつ、それが作曲家にとっても当然と思われていた時代である。

第4番を第2番の前に持って来て連続して演奏している、
と考えれば良いだけとも言える。
しかし、これを持って、第2番だ、とまとめてしまうのには、
何らかの配慮が必要であるような気がする。
特に、アビンドン伯爵という相手がいるのだとすれば、
1794年の時点での、心の交流が何たるかの方が、
音楽としてどうか、ということより気になって仕方がない。

さて、前回のCDには、登場しなかった、第3番であるが、
前の2曲以上に名技的に動き回る第1楽章が印象的だ。
フルートが活発に対位法のラインを構成していくが、
とても、アストン準男爵の家で演奏していたとは思えない音楽となっている。
この曲の正体について、もっと知りたいのだが、
解説には以下のようなことしか書かれていない。

「第1楽章 スピリトーソ
行進曲風の楽想による楽章だが、
ロンドン・トリオの中では最も対位法的な書法の部分を含んでいる。
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 アレグロ」

第2楽章は、何だかメヌエットのような感じ。
典雅で、二つのフルートが呼び交わすような部分が美しい。

第3楽章は、駆け出すような表現、突発的な推進力が含まれ、
アビンドン卿のための第2番の終楽章とするより、
この名技的な第3番に続ける方が良いような気もする。
しかし、古典形式はかくあるべし、と考えていた、
ブラームスの時代の考え方を踏襲して良いのかどうかは分からない。

実際、トラック6から9に飛ばして再生しても、
これはこれで、ありのような気がする。
あとは、トラック8で終わって不自然さはないかであるが、
バロック時代には、こんなメヌエットの感じで終わる楽曲もあったと思う。

この解説から推測するに、もとの形は、
第1番:3楽章形式
第2番:主題と変奏とフィナーレ
第3番:2楽章形式
第4番:1楽章形式
となっていたと言うことか。だとすれば、かなり曲集の印象も変わって来る。
もう、交響曲の作曲も終了し、
弦楽四重奏が主要な器楽作品群として残されるだけの、
古典派完成形としての、晩年のハイドンからすると、
少々、イメージは崩れるが。

いずれにせよ、ナクソスでCDを企画した、
デレク・マカロック氏の見解を聞きたいものである。

ここで、大宮真琴氏の著作「新版ハイドン」をひもとくと、
「管弦合奏用三重奏曲」という欄があって、
ホルン・トリオとフルート・トリオの二つがあって、
フルート・トリオは2集あって、1784年、
ロンドンのフォスターから出版された6曲集と、
1794年にロンドンで作曲した「ロンドン・トリオ」4曲である、
と分かりやすく明記されている。

「二本のフルートとチェロ用で、第2番はアンダンテと五変奏、
第4番はアレグロ楽章からのみ成る」と書いていて分かりやすい。

ちなみに、このニコレのCDには、あと2曲、
二つのフルートとチェロではなく、
ピアノと、フルートとチェロのための、
トリオが収められている。
ピアノはイタリアの名手、カニーノの演奏。

解説によると、1790年(ハイドンがロンドンに行く前)、
ロンドンの出版社が作品59として出したもののうちの2曲らしい。
この作品集も3曲らしいので、マカロックの英国トリオと同様、
またもや一曲欠けた形である。

同じ曲がヴィーンではアルタリア社から出版され、
この時は作品62となったとの事。
国際的な壁があった時代ならではの策謀で、
ハイドンは同じ曲で何度も儲けたようである。
各社からクレームはなかったのだろうか。

これらの曲は、フルートとチェロは、ほとんど独立しておらず、
ピアノと同じ音を奏でているということなので、
ロンドン・トリオとは音色は似ていても、
フルート奏者の責任感が違って来る曲種のようだ。

が、おそらく、アビンドン伯爵のような遠慮すべき、
高貴な身分を想定する必要はなかったはずで、
曲調はかなり複雑で、
例えば、先に収められた、
29番ト長調などは、
カール・エマーヌエル・バッハの、多感様式を感じさせる。

こうした、前の世代を感じさせる一方で、
ピアノがちょこまかと駆け回ったり、
頻繁に転調が行われたりして、
何となく、次の世代のフンメルのような感じもする。

しかも、と書くべきか、当然、と書くべきか、
ロンドン・トリオが10分程度の作品集だったのに対し、
いずれも15分以上の長さとなって、一回り構想が大きい。

ここには、非常に興味深い解説が出ている。

ハイドンのいるエステルハーツィの宮殿に、
わざわざ、イギリスの出版者ブランド氏が訪ねて来て、
イギリスで流行している、
フルートを含む室内楽を依頼したというのである。

この2曲のうちの2曲目、最後に演奏されているのが、
他ならぬ「HobⅩⅤ-16」のニ長調であることに、
今さらのように気づいた。


第1楽章は奔流のようにピアノが弾けて、
まるで、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタみたいな感じ。
この中ではフルート奏者が飛び抜けて有名であるが、
さすがに一人で主役を演ずるような失策はしていない。
独特の音色でアンサンブルをフォローしていて、
ピアノの清涼な質感を柔らかく包み込んでいる。
チェロもメロディで大きく主役を務めることはないかもしれないが、
大きく唸って素晴らしい存在感である。
喜遊的というが、かなり情感は激しく変転する。
先進的なロンドンという市場を、
ハイドンはどれくらい意識して書いたのだろうか。

第2楽章は悲しげなアンダンティーノだが、
さっと晴れ間の差す瞬間が美しい。

第3楽章は、スケルツァンド風とあって、
ピアノやチェロが細かい音で活発に動き回る終曲だが、
中間部で大きな歌が現れる。

ということで、このニコレのCD、闊達なフルートのみならず、
ピアノとチェロの共感豊かな力演で、
ハイドンが訪れた英国首都の活力を偲ばせて楽しませて貰った。

どちらかというと機会音楽的、手作りのプレゼント的な、
ロンドン・トリオの伸びやかさと、
後半の、おそらくより戦略的なピアノ&フルート・トリオの、
両方を聴けるのも有り難い。

ロンドン出発前夜にあって、フォスターやブランドといった、
出版商とも交流を持っていて、こうした着実な投資活動も、
ハイドンが晩年になってロンドンを訪れる契機になったのだろうし、
彼の地におけるハイドンの名声を高める布石となったものに違いない。

また、前回のナクソス盤の解説には、
ハイドンが出版したと言うより、貰ったアビンドン伯爵とアストン準男爵が、
楽譜屋に持って行って出版したような書き方になっていた。
ハイドンは、どこまで関与したのだろうか。
ひょっとしたら、習作のスケッチ程度で置いて来たもので、
後で改作して、本格的出版を狙っていたとも空想できる。

何しろ、同じ曲を国内版と海外版で出版する、
国際マーケットを意識した作曲家である。
イギリスの片田舎で置いて来たお土産と、
本格的な戦略商品との間には、大きな意識の差があったに違いない。

というか、上記の例を見てみると、
ハイドンは意識して気にしていなかったかもしれないが、
勝手に他者が出版したり、楽章ごとに切り貼りをしたりして、
めちゃくちゃにしてしまったとも読める。
そう考えると、特に、マンディチェフスキーが、
「音楽の捧げ物」のような小品集を勝手に組み替えて、
戦略商品のように見せかけてしまったのは、
混乱に拍車をかけた一因になっているような気がして来た。

得られた事:「ハイドンの三重奏曲は機会音楽などの混在もあって傍流とされたが、実は、むしろ、市場開拓戦略商品も含まれている。」
by franz310 | 2009-01-18 13:11 | 音楽
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